「理念」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 理念とは

2017-07-20

https://anond.hatelabo.jp/20170720141438

生活習慣病に関わらずそういう理念運用されてますよ。その上でもし負担が大きくなることで上手に健康管理ができるようになる病気があったらって話。社会的責任があれば一律は変えられないだろうけど、ある程度自己責任を認めるなら累進課税にして健康の向上に繋げられる。そういう可能性を全部放棄するのって妥当かねーと。

2017-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20170718003106

義務時代地域によって定められるものではない。人の心に生まれつき備わっているもので、そういう義務を感じる心を持って生まれ育った人間けが正しいのだ。

人が死んで悲しいと思う人間けが道徳的に正しい人間であるのと同じように、他人の死を喜ぶ義務を感じる心を持って生まれた育った人間けが道徳的に正しいのだ。

道徳は、時代地域を超えた理念だ。お前が、そのような疑問を投げかけた瞬間、お前は私の死体を見て喜ぶ義務が生じているし、私もお前の死体を見て喜ぶ義務が生じている。対立する者同士は、お互いの死体を見て喜ぶことが道徳的に正しいのだ。実際にどう感じるかは別として、自分がどう感じるべきかを我々は社会規定されているんだ。

実際には、俺はお前の死体を見ても喜ばないだろう。つまり、私は義務を果たせていないのだ。その代わり、義務を果たせていないことに罪悪感を感じるのが、真の人間のあるべき姿だ。

2017-07-13

リベラルはもう二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい

『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件。

  

年齢制限によるゾーニングは、「子供に見せないように大人配慮する」と、「子供が見ようとするのを大人妨害する」という2つの方法があるんだけど、どっちに主軸を置くつもりなんだろうか?

この配慮妨害は、たしかに重なりあう部分もあるが、明らかに性質が異なる。配慮積極的にやってよいが、妨害というのは自由侵害なのだからいくら子供に対してであっても必要最小限に行われなければならない。

  

ジャンプを読んでいるのがあくま子供主体性の発揮だということ、それはもっと重視されてよい。

巻頭カラーで載せているのは配慮を欠いていた」という指摘は可能かもしれないが、子供は以前からこういう漫画掲載した雑誌だということを分かったうえで買っている。そして今後購読を続けるかどうかも、子供たちの選択にかかっている。

大人がこれに自主規制を求めるのは、配慮ではなく、どちらかと言いうと妨害になっているということを自覚してほしい。

無論、妨害はやむを得ないという自覚を持って活動しているならば、それはそれで一つの立場と言えるだろうが……。

  

  

  

ところで、たしか少年ジャンプの読者層は高校生~成人が多く、残りは中学生だったりするので、小学生(とくに10歳以下)となると、ほとんど読んでいないはずだ。これを一律に"子供"扱いすることには違和感がある。

  

そんなこんなで思ったんだけれど、子供主体性をあからさまに軽視しているリベラルは、二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい。

貴様らには性教育を通して子供主体性の発揮を求める資格がないと思う。

  

例えば避妊性病予防について教えたり、その知識を持たないと自分加害者被害者になってしまう恐れがあると教えるのが性教育の内容だ。要するに、「コンドームを使いなさい」という主体性子供要求するものである

性教育は、決して子供たちがセックスをやることを推奨するものではないが、一方で、もしセックスをするならコンドームを使えと教えているわけだ。これは子供にも主体性があることを所与の前提としなければ成立しない。

  

リベラルは、エロ本18禁しろと言っていたり、ジャンプ漫画過激だと言っているが、18歳未満がコンビニ等でコンドームを買えるということをどう思っているのだろうか?

子供セックスをやることは望ましくないから、子供へのコンドーム販売自粛するべきだろうか?

勿論、エロ本ジャンプを買うことは遊興にふけることであって、コンドーム防衛のためだから、その価値を同列に論じるべきではない。しかしながら、遊興と防衛を分離して考えることもできないだろう。遊興のごとくセックスをやってしま子供、それに付き合わされる子供にこそ、この防衛手段へのアクセスを開いておくことが必要からである

  

「遊興的に性愛を楽しむことは不要だ」と決めつけて忌避する禁欲道徳は、性教育に反対する者たちの主張に説得力を与えてしまうようにも思われる。

なぜなら、反対派の主張は、「子供は無理にセックスをやる必要はない。純潔を保つことが一番の防衛だ」というものからである。この「遊興をしないならば防衛必要ない」という話は、ミクロで見るかぎり妥当になっているケースも多いと思う。

  

(※この論点は「リベラル宗教保守区別がつかない」というエントリで補足したので、そちらをトラックバックから読んでください。)

  

  

  

追記(2017/7/14 21:10

ブコメで突っこみを頂いたけれども、リベラル側の主張は、たしかに、「エロは許す。性暴力女性蔑視は悪だからさない」というものだった。

しかし、私がいつもリベラルに感じている苛立たしさは、まさしくこの点における洞察力の欠如である

  

どうやらリベラルは、エロを性暴力女性蔑視から分離できると考えているらしいが、それは誤りだ。具体的には下記リンクエントリで、「エロと野蛮さは切り離せない」の章を参照されたい。

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

『【表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について』

https://anond.hatelabo.jp/20170712001904

エロが野蛮さと結びついているのは、漫画というフィクションだけに限らない。

しろ現実世界における男女のセックスにこそ、「とにかく女とヤリたい」とか、「彼氏に嫌われたくないからヤル」とか、そういう心理が含まれる。いくら相手への愛情があってもこの傾向は不可避だし、それどころか愛情希薄なままセックスをやることもあるわけだし、エロは野蛮さと切り離すことができない。

リベラルが言っている「差別暴力のないエロもある」などという綺麗事は、まったく現実を見ていないお花畑だ。大切なのは、そのようなお花畑信仰を捨てて、エロ差別暴力と不可分であること、それはフィクションでもリアルでも同じなのだという前提に立つことだ。

  

我々がリアルでやっている普通セックスが、レイプやDVと地続きであるということを認める覚悟もないリベラルは、ひどい偽善者か、そうでなければ呆れるほどに自己反省を欠いている。性欲はポリコレに反するようにして湧き上がってくるものだし、エロは、社会正義に叛逆するような侵犯に至高の価値を見出さんとする意志なのだ。つまり、「ルールなんか無視して遊興をやりたい!」というのがその本質だ。

性教育法律は、これに対して、最低限のルールを守りなさい、理性を働かせなさいと要請するものである。そして逆説的だが、このことは、エロ差別暴力とは切り離せないと自覚する(させる)ことによってこそ初めて可能となるのだ。

例えば男がコンドームを使うというのは、セックスが女を傷つけるものだと自覚し、理性でその悪を制御することだ。これは男が女を誤って妊娠させる行為について、「悪だからダメ」と決めつけて忌避するのではなく、「悪だから制御せよ」という前提を採用しておかなくては実行不可能だろう。もし「悪だからダメ」という前提の方をとるならば、セックスをやらなければいいわけであって、これは「遊興をしないならば防衛必要ない」という宗教保守論理である

リベラル表現物に対して「悪だからダメ」という潔癖な基準採用するのは、この宗教保守論理を補強してしまうのではないかと思う。そのように潔癖な考え方では、とてもではないが、性教育の推進を訴えることなどできないのではないか

性教育は、セックスが性暴力・性被害と密接に結びついている危険ものだという現実認識から始めなければならない。人があえてその危険を冒そうとする意志こそがエロティシズムである性教育はこの意志を野蛮だから無くせだの、悪いことだからダメだのと言って忌避するものではない。そうではなく、それ自体はやむをえないからと是認した上で、だからこそ安全制御するための方法を教えるものなのだ

  

再追記(2017/7/14 23:10

これは前回の記事で書いたことなので省略するけれども、「エロ問題ない」と言っているリベラルの嘘つきぶりには、もう本当にハラワタが煮えくり返りそうだ。

あの漫画が今回炎上したのは、確かに性暴力女性蔑視という文脈があったかもしれないが、それは後付けの理屈であって、第一義的にはその絵がエロいからである視覚に訴えかけてきて我々の感情を揺さぶる絵だからこそ、そこにある性暴力女性蔑視という観点が際立ってくるのだ。

これはエロと、性暴力女性蔑視との不可分性をあらわしている典型例だ。リベラルはそのことに無自覚すぎて、しかも両者を分離できると平然と言ってのける人も多い。私はその欺瞞ぶり、鈍感さには堪らない苛立たしさを感じている。

  

(※詳細は上記リンク先で、「エロからこそ批判されている」「差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある」「作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない」等とした章を参照せよ。)

2017-07-12

お前ら多数決で俺を殺せ

元一級障害者

せっかく、数千人に一人の、放置すれば幼児のうちに死ぬ病気を持って生まれてきたのに、お前らが日本医療は素晴らしいとかもてはやすから、俺は幼児の頃に受けた手術で生き残ってしまった。

挙句の果てに、健常者と変わらなくなるまでに回復したのに、障害者資格も失った。しかし、30代のオッサンになって、ようやく、子供の頃の手術の影響が現れてきた。

俺が社会にやったことはなんだ?体悪く生まれて、医療費を増大させただけじゃないか挙句の果てに医療費を増大させ出るのは障碍者だ、みたいな目で見られて批判される。俺は批判されて苦しい、お前らは俺が生きてるのが不愉快、どっちにも得はない。俺はこんな思いするぐらいなら助からなくてよかった、助けてって頼んだ覚えもない。俺は助かるべきじゃなかった、幼児のうちに死んでおくべきだったんだ。

それがなんだ。せっかく俺は、幼児のうちに死ぬ病気を持って生まれてきてやったのに、俺を助けて医療費を増大させたのはお前らだ。医療費増大の責任を俺たちに押し付けるな、死ぬと分かってたのに俺を助けたお前らの責任だ。

この国は民主主義国で、人口の大多数は健常者だ。数千人に一人の確率で生まれてきて、ほっとけば確実に死ぬ俺たちをなぜ助けるんだ?この国の主は大多数の健常者であるお前らなんだから死ぬ体で生まれてくる俺達なんて放置して殺せばいいだろう。

この国は民主主義国で、人口の99.9はお前らだ。俺達は圧倒的少数派だ。お前ら健常者で団結して、先天性の障害者幼児のうちに殺す法律を可決させろ。そうすれば、俺は苦しみが何かを知ることもなく死ね、この国から先天性障害者は消えて医療費も減り、健常者だけの国が出来上がる。みんな得する。

先天性の障害者は、生まれてきたこと自体が悪なんだ。存在のもの社会の害なのだ。俺は生まれてくるべきじゃなかった。

俺のような思いをする子が今後も生まれてこないように、健常者のお前らが多数決で法を変えて、俺を殺してくれ。

俺の病気簡単スクリーニングできる。レントゲン写真さえあれば、健常者が取り違えられて死ぬことはない。

日本人口の大部分を担う健常者の力で、健常者による健常者のための国を作ってほしい。民主主義国かつ法治国家理念体現して欲しい。そうすれば、社会厄介者である俺は、喜んで殺されよう。どうせ、障害によって、誰からも嫌われる、生まれてくるべき人間ではなかったのだから

表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について

一向に前へ進まない反表現規制派の議論 『ゆらぎ荘の幽奈さん』批判への反論価値がないわけ : 九段新報

http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/51659690.html

このブログを読んだ感想です。

各章が独立していた内容なので、どこから読んでくれてもかまいません。

  

表現への批判表現規制はどう違うのか

要するに、今回の件の批判者の主張は「少年誌にふさわしくない」と「このような構造表現は好ましくない」の2点に大別できます。そしてこれへの真っ当な反応としては表現媒体販売場所の適不適に関する議論か、どこまでの表現なら現状の媒体可能かといった議論しかありえません。

まず一点目の「少年誌にふさわしくない」という批判について。

  

被害肯定的に描いているのは、たしか問題表現です。しかし、それを少年漫画に載せるのが不適格なのかと言うと、簡単な話ではありません。

例えば正義のために暴力をふるうアンパンマンも、私刑肯定的に描いたという意味では問題表現だと言えます。また、サザエさんでは家事育児女性仕事とされていますから、これも女性差別肯定していると解釈することができます。こうなると、あらゆる漫画問題表現を見出すことが可能であって、どこで線引きをすればいいかは難しいです。

そもそも少年ジャンプに載せたらダメなのか、巻頭カラーで載せたかダメなのか、それとももっと読者層の年齢が高めの漫画雑誌に載せることもダメなのか。ジャンプ編集部判断を迫るのではなく、批判者たちも責任を持ってその提案をすることが望ましいです。

  

それに、出版社に対して自主規制を求める活動というのは、仮に権力者ではなく私人がやっていることだとしても、一歩まちがえると危険を伴います

例えば「LGBTは不快だから表に出てくるな」「反戦漫画子供に読ませるな」という"批判"をしている人たちだっているでしょう。かつて性描写暴力表現を潰そうとしていたPTAも今回の騒動とおなじ手法で、やたら大声で騒ぎ立てて世論をかきたてたり、出版社に要望を出してその世論忖度させるという手口だったんじゃないですか。昔のことはよく知りませんけどね。そして、これが公権力と結託すると恐ろしいことになります

自主規制の是非については、あくまでもケース・バイ・ケースですが、「世論に押されて自主規制に追いこまれるのも表現規制の一形態だ」という理解は持っておくべきだと思います

  

  

  

つぎに二点目の「このような構造表現は好ましくない」という批判ですが、これは非常に厄介です。かりに『ゆらぎ荘の幽奈さん』を年齢層が高めの雑誌移籍させたとしても、この批判を免れることはできません。

  

このブログ主さんは触れていませんが、「このような構造表現は好ましくない」というのは単に論評をしただけではなく、「好ましくないかゾーニングしろ」「好ましくないから内容を変えろ」という含意があることも多いです。

オタク規制されそうになったり、ゾーニングを求められたりして、いつもピリピリしているんです。だから作品名を名指しされてそんな批判を浴びせられると、オタク側が過敏に反応してしまうのは仕方ない気がします。

  

また、批判者は作品内容を論評するにとどまりません。「こんな好ましくない表現のある漫画を作ったり消費している奴らはクズだ」という侮辱をされることもあります

オタクはこの侮辱に対して、どのように応答すればいいのでしょうか? 頭を下げて、「この漫画は性被害肯定的に描いた作品です。こんなものを楽しんでいる私たちは罪悪な人間です」という懺悔をおこなえばよいのでしょうか? さすがにこの対応を求められるのは屈辱的だし、ハラスメントではないかと言いたくなります

もちろん批判に応答する義務はないですから黙殺しておくのが一番だと思いますけど、それはそれで「オタク社会的責任果たしていない」という攻撃材料を作ってしまいそうです。

  

(ところで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の件とは異なりますが、成人指定がかかっているエロマンガに対しても、「このような構造表現は好ましくない」という批判をすることが可能です。しかし、その批判を名指しでやることは、嫌がらせ以上の意味があるのでしょうか。製作者側も好ましくないと思ったから成人指定にしているわけですし、仮にその批判を向けられたせいで炎上案件になってしまったら困ります。)

  

  

  

表現規制において、右派だけを脅威とするのは誤り

また規制を進めようとしているのはフェミニストではありません。第一日本国内フェミニストはそこまでの政治権力を持ち得ていません。日本において議会多数派ほとんどの場合右派(というか極右)が占めており、規制も彼らの手によるものです。

もしフェミニスト規制を進める権力がないのだとすれば、オタク側はフェミニストから批判に耳を傾ける必要がなくなります権力のない者からいくら批判を受けたとしても、こちらは黙殺か冷笑をしておけばいいんです。

ただし実際には、自民党表現規制をおこなおうとするときリベラルフェミニスト等の左派勢力がそれに加担・黙認する恐れがあります。こうなってしまうと、民進党社民党共産党いくら反対をしたくとも、その足場が揺らいでしまます

  

オタク普段、左派勢力から批判ちょっとはまじめに聞き入れておかないと、いざというとき彼らに助けてもらえなくなるのです。

リベラルフェミニストは、オタク自分たち批判を聞き入れようとしなかったり、自民党山田太郎を支持している姿を見ると、激怒するでしょう。そうなると次は報復感情が芽生え、批判を押し通すために権力を頼ろうとするのが当然のなりゆきです。

その意味リベラルフェミニストは、自民党右派勢力ほどではないですが、オタクにとって油断ならない存在です。

  

もっとも、オタクが彼らの批判を聞いたところで、批判は次から次へと出てくるし、あげくのはてに土壇場で裏切られる可能性があります

自民党表現規制をやるとすれば、その大義名分は、「性暴力肯定している漫画けしからん!」「こういう漫画流通しているのは女性差別だ」というものになるでしょう。左派政党はともかくとして、その支持者たちがこの問題自民党に加担するのは、けっこう容易に想定できる事態だと思います

例えば自民党が、「少年誌から健全な性表現(=女性蔑視を促すもの)を追放する」という法案を出したとすると、それは今回の騒動ジャンプ編集部自主規制を求める人たちの目的合致するものです。このときリベラルフェミニストが「自主規制には賛成だが法規制には反対だ」という峻別をする人ばかりだとは限りません。

  

あーね、あとは、「リベラルオタクの支持を集めそこねたのは、リベラルがクソすぎる責任もあるのに、その反省はないのか」とか、「"表現の自由戦士"みたいなオタク像ばかりを見ていて、このブログ主現状認識おかしいんじゃね?」とか、いろいろ言いたいことはあるけれど、そこは私もろくに把握できていないので語るのはやめておきます

  

  

  

エロからこそ批判されている

批判者はエロから批判しているのか?そういうわけではありません。

このブログ主は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』が批判されているのはエロからではないと言っていますが、それは違います

絵としてエロいものからこそ、我々の感情をゆさぶり、批判やり玉に上がっているのです。その証拠に、私刑暴力肯定している『ジョジョの奇妙な冒険』等は、エロくないか批判やり玉にあがりません。

  

今回のような批判が起こっているのは、この漫画の絵がエロく見えるからに他なりません。

もし視覚的には欲情を誘わない絵柄とか、エロくは見えない描写方法採用していれば、女性蔑視・性被害うんぬんという指摘があったとしても、それが大勢の人たちを巻きこむ炎上案件にならなかった可能性が高いです。

  

  

  

差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある

今回の件で、はてなTwitterリベラルは「エロ問題ない」と繰り返していました。

しかし、私はそう思いません。

リベラルが褒め称えるような"エロ"ならば、それをどんどん子供に見せてよいですか? それを公衆に向けて掲示することは、ポリコレに沿っていると言えますか?

そんなはずがありません。どれだけ適切に描こうとも、やはりエロゾーニング対象にするべきです。

  

ところで、欧米基準に従えば、二次元三次元区別せず、「児童水着姿をエロティックに描くことは児童ポルノだ」という論を立てられると思います

今日日本リベラルフェミニストはまだこの基準採用していないようですが、萌えキャラは童顔ばかりだし、それが水着姿になっている漫画はアウトだという意見が主流になる日が来るかもしれないですね。

  

  

  

作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない

一言でいえば、「意図的がどうかにかかわらず女性被害を受け、それを肯定的に書いている」ことが問題視されています

女性が性被害を受けることをを肯定的かいたというのは、じつは問題本質ではありません。

例えば『ゆらぎ荘の幽奈さん』で、胸を強くさわられた女子が痛がっていたり、そのことで心が傷ついたシーンが描かれていれば、何も問題はなかったということでしょうか。

  

そういえば、この前に炎上していたクジラックス漫画について、リベラルフェミニストがどう思っているのかを知りたいです。

あの漫画ポルノとしては珍しく、レイプ正当化できない悪として描ききっていました。つまり、「レイプ被害者を傷つける暴力だ」「レイプをやる奴は卑劣犯罪者だ」という認識を貫徹していたのです。

作中での性暴力の取り扱いが肯定的否定的かということだけに注目していると、レイプ=悪という認識を徹底させたこの漫画が一周まわって健全だということになってしまます

参考:「クジラックス漫画って、むしろポリコレ的に正しいでしょ?」

https://anond.hatelabo.jp/20170619174431

  

  

  

被害を娯楽として消費しないことは可能

これは私見になりますが、萌えという欲情を誘う絵柄で描いた漫画である以上、性被害は抜きどころです。

  

ストーリー上でいくら否定的ものとして描いていたとしても、それは性的消費の対象となります

キャラが性被害を受けているとき、その肉体が露出していると、男性読者はそれを見ながら欲情してオナニーするのです。

胸や性器露出がなくても、その瞬間の女キャラの顔の表情を見るだけで、男性読者はきっとオナニーすることができるはずです。女キャラが恥じらいの表情ではなく、嫌がっている表情を浮かべているとしても、それはそれで抜けます

これではどうやっても、「女キャラが性被害を受けている場面を男性読者が娯楽的に消費する」という構図を脱することができません。

  

この構図をなくしたい場合萌え系の絵柄の漫画では、性暴力・性被害を作中で取り扱うことをやめるのが一番です。

また、該当箇所の絵を省略して、そういうことは文字で伝えるという方法もあるかもしれません。(しか男性読者は、作中では省略された性被害の場面を勝手妄想するし、あるいは性被害をうけた女性という属性に興奮し、それをオカズにしてオナニーすることができるでしょう。)

  

  

  

エロと野蛮さは切り離せない

フェミニストが彼らの言うところのエロ批判するのは、主に女性の軽視、蔑視搾取、モノ化といったことを肯定助長すると認識しているからです。フェミニストエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロ女性独立した人物としてみなさなものであるからです。その前提をクリアするのであれば、むしろ女性独立の証として肯定するフェミニスト大勢ます

この指摘は、いちいちもっともな話だと思うんですが、「そんな批判をされても知らんがな」という反発をしたくなります

  

フェミニスト女性独立の証として肯定するエロとは、どれだけ素晴らしいものでしょうか? "女性の軽視、蔑視搾取、モノ化"を解消したとしても、今度は女性男性に向かってそれをやり返すだけです。

例えば女性自分の好みで男性自由に選ぶということ、それは女性の権利です。しかし、その権利行使するとき女性は、きわめて動物的な性欲を発揮しています。金、地位容姿、安定感、人格、優しさ、そこには微塵もポリコレなどというもの存在しません。

パートナー人格や優しさを求めるのは人間的な営みだと言われそうですが、じつは全然そうではありません。女性恋愛において男性に求める人格や優しさとは、それはそれですごく動物的なものです。まるで獣のメスのようにオスを選別しているのです。女性恋愛セックスで感じる幸福も、すべてはこの獣性に支えられています

いずれにせよ女の性欲も、男と変わらず獣のそれと同然なのであって、どこまでいっても身勝手で汚らわしいものなんです。性欲は、社会正義を求める意志とは根本的に矛盾しています

こうなると結局、エロの正しいあり方というのは分からなくなります表現物において女性キャラクター主体性を重視すればポリコレに適するかといえば、すでに述べたとおり、決してそうではありません。

  

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

  

  

そもそも誰のため、何のためにゾーニングをするのか?

少年誌といえども、子供はその本を自発的に選んで買っているわけです。これを「少年誌にふさわしくない」と批判して自主規制に追いこむのは、子供権利を奪っているのではないかという疑念があります

  

これはゾーニングにおける根本的な問題ですが、「子供の目に入らないように大人配慮する」と、「子供自発的に見ようとしているもの大人妨害する」を混同してはダメじゃないかと私は考えています。この配慮妨害は重なる部分がありますが、前者が積極的におこなうべきものであるのに対して、後者抑制的におこなうべきものでしょう。

今回は巻頭カラーから目立っていて、その点は大人配慮をせずに子供に見せつけたと言えるかもしれません。しかし、子供はこの雑誌が以前からこういう作風漫画を連載したものだと知ったうえで購入しているのですよね? それがあくまでも子供主体性の発揮だということは、議論の際にもっと考慮に入れるべきだと思うのです。

(なお、確か少年ジャンプの読者層は高校生~成人が大半、残りは中学生だったりするので、小学生の10歳以下となると、ほとんど読んでいないはずです。それを一律に"子供"扱いすることには違和感があります。)

2017-07-09

「男女逆なら炎上」とコメントする人がわからない

はてブスターを集める典型的コメントひとつに「男女逆なら炎上」がある。

男女同権らしい一見すると平等主義理想的大人意見に見えるがこのコメント違和感がある。

例をあげると女性から男性へのセクハラ女性男性にたいしてパワハラセクハラをしても男から女にするほど問題にはならない。

ここで男女同権マンが主張するのは男性女性と同じぐらい望まないセクシャリティにたいする権利を主張できるようにすべきだといったもの

あのさ、まずだぞ、まず女性のほうが望まないセクシャリティに晒されやす腕力問題もあって回避しにくい条件がある。さら妊娠リスクPTSDリスクなどを考えれば女性のほうを法的に保護して男性からセクハラをより問題にすべきなのは当たり前じゃないの?ああ、裏読みができない人のために書いておくけど女性セクハラが良いなんて一言も言ってないぞ。

法治理念である暴力排除弱者救済を考えれば男性威力を持って女性を襲うのは男女逆よりも強要度が高く刑罰も重くて当然なのになぜ男女同権マン生物的条件を無視したがるの?

男と女は同じではないぞ

リベラルが唱えるポリコレに「童貞」は想定されてないよ

https://anond.hatelabo.jp/20170709150706

  

私がちょうど今日いたことだけれども、リベラルっていうのは大衆代弁者である

リベラルが唱えるところのポリコレとは、大衆を基盤にすることによって構築された理念だ。

  

「女のハイヒールと化粧は、有害表現があるマンガと同じ」


(ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。の続編)

https://anond.hatelabo.jp/20170709112003

詳しくは、この記事を読んでもらえばいいと思う。

  

社会は正しくあるべきだ」という純粋理念より先に、まず大衆現実生活がその基盤に存在していて、それがポリコレのあり方を規定している。

下部構造が上部構造規定しているわけだ。

  

例えば「LGBT権利を守りましょう」というのは、大衆利益を損なわない範囲で、ぎりぎりまで正しさを求めていったとき結論である

現代という特定時代における大衆利益とか、大衆感情とか、そういったものを損なわない程度に追求していけばいいとされるのがポリコレだ。

から逆に、もし大衆過酷負担を強いるような"正しさ"があるのだとすれば、リベラルはその厳格さに耐えられなくなって反発する。

  

童貞とか低学歴オタク馬鹿にされるのは、大衆がそれを馬鹿にしてもいいと思っているから。

リベラルはこの大衆を代弁しているにすぎない。


(一方で、童貞低学歴オタク馬鹿にしてはいけないという道徳も、大衆はいくぶんか意識の中に持っている。

この「いくぶんか」に応じて、リベラルがそれらを擁護する場合がある。

ゆえに、ポリコレの中に童貞存在が全く想定されていないということはない。リベラルから多少の情けをかけてもらえることくらいはあるだろう。)

2017-07-07

リベ系の奴等は常に正しそうなこと言って終わりなので役に立たない

「見た目問題障害バケモノと呼ばれた男性の願い 就活で心砕かれ

http://withnews.jp/article/f0170707001qq000000000000000W06810101qq000015484A


この件、俺は真剣に考えた。

というか前から考えてるんだけどな。

俺はずっと前からブサイク障碍者」とはっきり言っている。

記事にあるような病名のある症状で奇形不適切用語なら謝る)になった人までいかなくとも

あんまりにもブサイクでこれは人生に支障が出るってレベルの人を見かけたことあるだろ。

あの人達をどうするか?


究極的には誰も外見という障害差別をしない世界になるべきだが

そんなのはお前等人類には100年後でも無理だ。

からそんな絵に描いた理念の話はするな。

その話をすること自体障碍者への抑圧だ。


いるだろ?

現代ルッキズムが酷いから」とか「外見で差別するような心の貧しい人間相手しなくていい」とか

勇ましく外見差別者を罵る奴。 でも外見差別者の方が圧倒的に多いから。言ってるお前等だってそうだから

これは人類仕様からうそう治ることじゃねーのよ。

科学が発達して脳をいじる手術が出来るまで解決しないこと。

現代でこれを乗り越えようとしたら仏道修行をかなり頑張るしかない。


もしくは超ブサイクに向かって

「気の持ちようだ」とか「内面までブスになっちゃいけない」とか「人はそこまで気にしてない」とかいうやつ。

そんなわけねーだろ。

10人並みに可愛い顔した女と、どうお洒落しても覆い隠せないぐらいの容姿上の欠陥ある女と、同じハンデなわけねーじゃん。


そんなん言うの自体が抑圧に加担する行為だっつーの。

なのに言ってる奴は鼻息ぴすぴすしながら「わあわたし(ぼく)いいこといったったー」「差別に反対するぼくちん(あてくし)」ぐらいの気持ちなんだ。


からね。

「私は外見で差別しません」とか「人類は外見差別を克服できる」とか

そういう絵に描いた正しい理念の話はなんかどうでもいいから、

まずは「重度のブサイク人生に支障を及ぼすので立派な障碍者であると認めろと。

事実なんだから

障碍者と認めたら支援も出せるし年金も出せるだろ。


えらそうに言うお前はどうなんだっていうと、

ももちろん外見差別する人間だよ。

そういう自分について忸怩たる気持ちはあるけど、だからといって「差別しません」とか言ったらいけないと思う。

から「私は外見差別する人間です」とはっきり言う。



だって記事のおじさんだって職場に居てみろよ。

結構ギョッとするぜ。

表層意識では慣れるだろうけど、深層意識では恐怖や違和感持ち続けてダメージ受けたり仕事の能率落ちたりし得ると思う。

雄雄しく「そんなの気にしない」と言いたいとこだが、

おれは数十年生きてきて自分がそこまでタフじゃない人間なのを知っているし、

それを素直に認めるぐらいにはフェアでありたいと思ってるから


記事のおじさんはまだましだよ。

2人目の男の人を見てみ。

俺はこれは絶対に耐えられない。怖い。

ガンガン精神的なダメージを受けて最終的にはだめになると思う。

だって俺となりの席の奴のいちいち大きい動きすらイライラするんだぜ?

なんでお前はデスクワークでそんな激しい動きをするんだとか、ファイルを机に投げ出すようにカンカン音を立てるなとか、

ほんとイライラするんだよ。

その俺はあの顔の人が視界に入ったら絶対ダウンすると思う。

自分は平気だ」なんて奴は

リアル想像するための経験がないか単に嘘つくことを恥じないかのどっちかだ。


から、彼等のことはちゃんと障碍者と認めて

人生の困難さに応じて手帳年金も出すべきだし

彼等が外見差別者(俺たち全員のことさ)に露出せずとも可能職種自己実現できるよう特別支援体制も作るべきだろう。


おじさんのように表に出てきてるのはサバイバーだけで、

障害レベル容姿によって人生詰んだり死を選んでる人は相当居るだろう。

まず重度ブサイク障碍者と認めることから始めよう。

彼等は身体障碍者だ。

2017-07-06

https://anond.hatelabo.jp/20170706100354

死ぬ死ぬ詐欺じゃないけれど、過激発言ちゃうあたりに

ついていけないと思わせる要素があるように感じる

重たすぎるんだよね

みんな仲良くしましょうと言われて育ったゆとり世代なら特に

誰かの犠牲の上に成り立っている会社なんかは居心地が悪かろう

たとえそれが社長であっても

あと、たぶん理念オーラを振り撒きすぎて会社宗教臭くなってる気配もする

2017-07-05

歯磨きの時間から見た日本

皆さん、歯の磨き方を誰に教わりましたか。お母さん、お父さんだけにですか。当然親だけに教わると、私はずっと思っていました。でも去年の12月に、仕事の一環として、或る小学校母国であるアメリカ文化を紹介しに行き、目を丸くするようなことを見ることが出来ました。それが、給食の後の歯磨きの時間だったのです。この歯磨きの時間を見て実感できた日本教育と私の国の教育との違いを、三つ挙げさせていただきたいと思います

まず一つ目は、子供のしつけの責任分担のことです。これについて日本アメリカは大きく違うと聞いてはいました。例えば、夜遅くまでお祭りで遊んでいる教え子を見かけた学校先生が「早く家に帰って寝なさい!」と注意する話を、日本語教科書で読んだ覚えがありますアメリカだったら、特に学校外において子供を注意することは親の責任であるという考えが強いため、こういった場面で先生は注意しないと思います

この日本アメリカの違いを、歯磨きの時間を通して目の当たりにすることができました。アメリカでは、歯磨きを教えるのは当然親の役目であると思われています。そうした中で生まれ育った私が日本に来て、学校で歯磨きを教えているのを目撃して感じた驚きを、なんとなく想像できるでしょうか。それから自分の中の常識と食い違うことを目にして、自分視野が少し広がったような気もしました。

日本先生は教科のみならず、歯磨きなど生活のことまでも教えなければならなく、本当に大変だと思いますが、子供のしつけという非常に難しくて、なおかつ重要な親の仕事学校が手伝うことは、親と子供、そして社会全体のためになると思います。一方で、学校がしつけを手伝ってくれるなら自分は怠けてもいいと思ってしまう親が出かねないでしょう。それでしつけの責任が主に学校にあると親が思い込み子供学校の窓に小石を投げつけるなど悪いことをしたとき学校のせいにしてしまうことまであるそうです。 子供のしつけの責任分担に関してアメリカのやり方も日本のやり方も一長一短があり、うまく組み合わせることが出来たら、親が主な責任を持つと同時に学校も手伝うような仕組みが出来るのではないでしょうか。

では二つ目の違いに移ります。更に驚いたことに、教室の前に立ち、良い歯磨きのお手本を見せていたのは、担任先生ではなく、児童2人だったのです。つまり小学生先生に教わるだけではなく、お互いに教え合うのです。児童の協力によって学校が成り立つわけです。歯磨き以外の例を挙げますと、私が参加する小学校訪問には必ず開会式があり、その司会を務めるのは、ほとんどの場合児童です。アメリカだったらきっと先生が果たす役割児童が果たすことにより、協力する心が育つと思います学校の清掃時間や日直などにも、協力のような人間性を育てることを重視する日本教育が見られます。この点に関してアメリカ日本を見習ってほしいです。

最後に三つ目の違いについて話します。日本人集団で行動する場合が多いとは、日本に来る前に聞いていたことですが、来日し、社員旅行など団体旅行の普及や、合コンの人気などをみて、確かにそうだなと思いました。しかしなぜそうなるかは、あの12月小学校訪問まで、不思議に思い続けていました。もちろんこれだけが原因とは思いませんが、30人以上の小学生完璧に一斉に左上の奥歯の内側を「いち、に、さん、し」と磨いている光景を呆気にとられて見て、なるほどと思いました。歯磨きの時間の他に、私の国にはほとんどない修学旅行や、全員が同じメニューを食べる給食もありますし、集団志向学校で育ち始めるのだと思いました。これも一長一短がありますね。一方では、集団志向といいますと、集団の和を保つために周りの人に同調する必要がある場合が多いですが、そうしますと個性が出にくい環境になってしまう恐れもあると思います。他方で、アメリカでは一日中一緒にいる学級というような学校構成小学校のみなのに対し、日本では中学校高校も学級があります。そのおかげで、将来は社会の一員になる生徒が、グループの一員として頑張ってグループに貢献する精神社会に出る前に身に付けておくことが出来ます

本日は日米教育比較テーマにし、しつけの責任分担、それから人間性集団志向も育てる日本教育という、歯磨きの時間を通して実感した点を三つ挙げました。あの日きっかけで、日本教育に対するイメージがよりはっきりし、日本アメリカもお互いに学び合えることがたくさんあるのだと改めて気づきました。しかし、不思議ですよね。歯磨きのような本当に何気なくすることが実は、日本教育理念を色濃く示していると思うと、自分常識がどれほどこうした平凡なことから成立するのか、ということに気づかされます。皆さんが今度歯磨きをされるとき、私のスピーチを思い出し、そのことについて考えて頂けたら幸いです。

ご清聴、ありがとうございました。

ジョナサン マイケル

Mr. Jonathan MICHAELS

(アメリカ茨城県庁国際交流員)

https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/education/benron/pdf/49/6.pdf

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170629190220

1.障害者差別撤廃法は理念法です。

2.事業者が為すべき差別の解消は努力義務であり、義務ではありません。

3.事業者障碍者の求めに応じて対策を講じる義務がありますが、負担が過重な場合免除されます

4.バニラエア関空奄美の片道料金は約5000円ですが、自力歩行困難者のためにボーディングブリッジを使うと、1回毎に赤字が発生します。

5.結論として、バニラエアのようなLCCでは負担が過重となるため、自力歩行困難者を健常者と同様に扱うのは無理ですが、これは同法違反する行為とはなりません。

ということらしい。

http://tikuwa.hatenadiary.com/entry/2017/06/29/004641

何で対応しないかと言ったら無理で無駄から

飛行機事前連絡なしで車椅子が乗れるようにしなきゃいけないのなら、全乗客車椅子という可能性も想定しなきゃいけなくなる。

乗客車椅子であることを想定して全便の設備を整え、人員を準備させることになる。

でも実際に車椅子に乗ってくる乗客は全体の1%程度だろうから、99%の設備人員無駄になる。

たぶんこんなの想定してたら、コストが今の100倍くらいに跳ね上がるんじゃないか

理念として「それでもそれを想定するのが公共交通義務だ」と言うのはわかるが、実際こんなことやってたら潰れてしまう。

現実的には航空会社が潰れない程度に対応することになるし、その手段として事前連絡をお願いしているのだろう。

2017-06-28

https://anond.hatelabo.jp/20170628085442

ここ20年ぐらい出回ってる物凄くプリミティブでありがちな借金怖い』論だと思うけど、

どういう部分がプリミティブかというと、長期的な所得分配問題短期的な景気循環問題区別できてない。

福祉の充実は前者の所得分配に関わる政策で、消費税減税はおおむね後者景気循環に関わる政策

もちろん福祉の充実を財源確保に先行させて景気対策とすることも可能だし

消費税減税を他の増税とワンセットにして税収中立と長期的な所得分配とすることも可能ではあるけど、

通常福祉の充実を言う人は財源を必ず提示する。現に民進党消費増税大好きでしょ?

あれは社会保障と税の一体改革とか尊厳ある生活保障だとかい理念を実現するために必要なわけ。

もちろん自民党本来の主流派のように企業田舎にばらまくのに消費増税必要立場もある。

それらに対して短期的な景気対策の財源は国債発行に決まっているんだから議論余地はない。

景気の悪化とともに膨らみ(膨らませられ)、景気の好転とともに縮小される。

で、後者景気循環視点重要なのは日本が低成長の中で低インフレデフレに直面しているから。

低成長トレンドの中では、比較的高いインフレ率にしておかないと本来可能国民所得の実現が困難になる。

(市場利子率が完全雇用をもたらす自然利子率へ到達するのにインフレ必要という議論)

これはもちろん税収の減少に直結するし、年金マクロ経済スライドによって、

現在高齢世代への過剰な年金給付是正されない等々の世代間格差問題解決もつながる。

というわけで『借金怖い』論の人も、当面はデフレ脱出することをまず考えた方がいいと思うよ。

2017-06-26

https://anond.hatelabo.jp/20170626120757

これが端的に分かりやすく正解に近いと思う

「働き方改革」の中の同一労働同一賃金はまさに前者を目指しているのだけど

働き方改革全体で掲げたスローガンや、他の制度改革で示された理念混同している人が多い

安倍総理自身キッチリ区別をつけずに広報しているから誤解を呼ぶ)

開かれた学校という理念存在する。

数年前のことです。

学校の授業が外部の人たちに公開されていたらどうか、地域の人(生徒では無く)向けの授業があったらどうかというような内容の話を質問サイトかどこかで見かけました。

それに対して、学校学校なので無理だ、学校や塾で役割分担をしている、というような返答が書き込まれていました。


しかし、質問にあった様な仕組みは実在していますね。

例えば、大学による地域の人向けへの講習会存在します。私は行ったことがありませんが、チラシなどで見かけました。開催場所は覚えていません。

また、次のような資料も見つかりました。平成11年6月の、文部科学省による資料です。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/004/gaiyou/990701c.htm

第1章 高齢者との連携必要性

第1節 「開かれた学校から地域コミュニティー拠点

(生涯学習社会への対応)

近年における自由時間の増大や高齢化の進行等,社会成熟化に伴い,生涯を通して人々の多様で高度な学習需要が増大し,地域社会における各種の学習機会の提供総合的な学習基盤の整備等が求められている。 このような社会的要請の高まりの中で,学校は,児童生徒の学習生活の場のみならず,地域住民にとって身近な施設として,地域の人々の学習需要に応え,その教育機能施設設備提供することにより,地域生涯学習拠点として,積極的地域に開かれていくことが必要となってきている。

平成19年度の資料です。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200701/002/002/005.htm

 地域に開かれ信頼される学校を実現するため,学校には,保護者地域住民意見要望を的確に反映させ,家庭や地域社会連携協力していくことが求められています。それと同時に,保護者地域住民が,学校と共に地域教育責任を負うとの認識の下,学校運営積極的に協力していくことも重要です。


開かれた学校という理念は昔から存在するのですね。

ただ、ウィキペディアを見ると大阪府で起きた事件により開かれた学校から閉ざされた学校への転換が多いという記述もありますウィキペディアなので、本当かどうかは分かりませんが。

それでも、平成19年度の資料でも「地域に開かれ」たという文言がありますし、そもそも大学による地域の人への講習会があります

なので、最初質問に対しては、可能であるという答えが正しそうですね。

なぜ日本で基礎研究が軽視されるのか、2つの記事で腑に落ちた気が

先日ホッテントリ化した、口は悪いけど舌は鋭い増田

はてなの中高年は今井絵理子の発言を理解できない

あいつらは「批判」をすっごい悪いことって意味で使ってるの。
批判」は和を乱すとか喧嘩を売るって意味しかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。
批判は、すごくネガティブな、ピースフルでない、縁起の悪い行いなわけ。喧嘩とかケチ付けってことなわけ。

と、ここのコメントの1つ

研究者の頭脳と時間を、違うことに使いすぎている - 日経テクノロジーオンラインブコメ

基礎研究と応用研究政治家アカデミズム算数ドリルがまだ区別できておらず「基礎なんかすっ飛ばし最初から応用問題が解けた方が効率よいし偉くね?」って本気で思ってそうなくらい、基礎研究軽視だからなー
2017/06/24 17:10

2つが脳味噌の中で化学反応して、

なんで歴代ノーベル賞受賞者の面々が口を揃えて異口同音に「日本は基礎研究予算かけなさすぎ」って叫んでるのに、政治が一向に基礎研究への予算配分増に対して及び腰なのか、
一方で金欠だ振興費はもう頭打ちだと言う割に「チョコレートで脳が若返る」とかいう明治PRにノせられスライドだけ無駄に立派なトンデモ似非研究内閣府が飛び付いて、予算がすんなりタンマリ通るのか、自分の中で勝手に謎が氷解した。

いつもなら「選ぶ側の政治家科学研究学問に対して無知無理解から」「真偽を判断するだけの科学リテラシー知識が無いから」で済まされて、最終的に「日本の政治家がバカばかりなのが悪い」と結論づけられるが、
多分それだけじゃない。使ってる言語体系と価値観の相違も勘定に入れるべきだったんだ。

何が言いたいの?

まり内閣府の皆さんや現行の政治家の皆さんの多くが「基礎研究」「応用研究」の頭に付く「基礎/応用」という修飾語を、我々と違うニュアンスで捉えてるかもしれない、ってことだ。

・「基礎研究」と「応用研究」(大学研究機関
・「基礎問題」と「応用問題」(数学問題集

似てるようで全く異なる両者を、同じ意味イメージしていらっしゃる可能性が非常に高いかもしれない…ってことだ。

まり

「基礎研究というものは、延々と3+(-4)=-1… みたいな、計算ドリル初歩の練習問題を繰り返してつまづいている段階であり、それすらすぐ正答できないという事は無知で後進的で恥ずべきこと。
 基礎なんかはもうとっくに出来てる前提で、応用研究問題)がスラスラ解けるようになる事が到達目標であり良いこと。だから限られた研究予算は、基礎研究問題)なんかをいつまでもダラダラやってる子(大学)よりも、
 成果がすぐ見える応用研究問題)をいっぱい手がけてる優秀な子(大学)に優先して配分するよ!」…という盛大な勘違い価値観のまま、表彰対象を選んでる可能性がある。

…いやそれも「連中が無知なのには変わりないだろ」と突っ込まれるかもしれないが、純粋に知らないのと、知ったつもりで誤解したままなのでは話が別だ。
もし「基礎<応用」という上記のニュアンスで捉えている人が多かったら、科学者の"基礎研究大事しろ"の声が政治家に届かない理由も分かる。

"基礎研究なんて膨大な無駄の中からほんの少し凄いものが出てくるって世界(id:k_oniisan)"っていう正論も、「基礎の段でつまづいてるような出来の悪い子が、こづかい減らされるのを恐れて出来ない理由言い訳を並べている」
しか受け取られていないかもしれんわけだ。たまーに偉いノーベル賞受賞者先生擁護して同じことを言っても、「出来の悪い子を、自分の身内やお友達や生徒だからって庇い立てしてるだけだ」と見做されているわけだ。

他方、基礎を終わらせて、もしくは基礎を飛び級して、成果の出る研究、金になる研究、応用研究軸足を移し、先駆けて沢山手がけている子こそが優秀であり、高効率であり、限られた科研費の優先投資先として
相応しいのだと。そういうロジックで選んでるのだとしたら、民間企業協力のキャッチーな予備実験や仮説もどきの方が最先端研究だと持て囃されるのも実に納得だ。

そりゃ平行線にもなるわ。

書いてて絶望的になってきた。自分だけの思い込みかもしれないけど、これで科学立国とかマジで無理ゲーじゃね?

2017-06-28 追記

思った以上に賛否色々とブコメトラバを頂き、話題をすぐ畳むのが勿体なくなったので折角もう少し風呂敷広げてみよう(広げた後に収拾する気があるとは言ってない)

予算」という言葉も同じく、科学者-政治家間で定義がすれ違ってる説

id:outalaw 「予算」という言葉がすれ違っていそう。科学者たちは恒久的な人件費を含めているが、行政は一時的な雇用費や物品費こそ予算と捉えており、行政のいう予算は横ばいだが科学者のいう予算は減り研究時間も減っている。
id:death6coin トランプアメリカもっと低い次元にいそう/http://www.nistep.go.jp/archives/32530によれば予算的には減っていないが出どころが変化しており、研究者に成果へのプレッシャーがあるのではないかとの分析がされていた。

確かにその可能性も高そう。年度毎に補助金申請書を書き直さなくてもよい永続的フロー保障される事を要求する研究者サイドと、◯期活動分のキャッシュを確保することに奔走し、科研費増なんて出来るわけがない現実を見据えてる政治家サイド。
かたや「基礎研究への予算が増えない」と嘆き、かたや「予算は水準維持してる」と主張するのも、どちらかが嘘付きって事ではないはず。おなじ「金」のことを話してるんだからすれ違うはずがないと思いきや、両者の中で定義が違うままと。
で、河野太郎の研究者の皆様シリーズもまた、ブクマ上位によく来る人気エントリだが、結局できる事は"成果を生まない大型プロジェクトをつぶしてほかのことに振り替えるか、または成果を生まない研究者予算をほかに振り替えるか"
実際上記の通りプレッシャーかかってます

元々長期的視点つのが苦手な上に、科学技術振興予算の上限まであっては、短期的に金になる成果を優先せざるを得ない

*id:kaeuta 馬鹿にしたい気持ちはわかるが、今の政権経済産業寄りという点に尽きる気が。国民感情的に「膨大な無駄」が許される状況ではなく、基礎研究がすぐに金を生まない以上、金になりやすい応用研究が推進されるのだろう
*id:mainasuplus 増田にもあるけど、短期的に金になると想定される分野にしか研究費を突っ込みたくないのだろう。基礎研究文系学問研究費が落ちてこないのはほぼこれに尽きると思う。

予算は限られてて、社会保障費並の伸び率で野放図に増やすわけにはいかない。じゃけんせめて、振り分ける対象の厳選仕分け優先順位付けくらいきちんとしましょうね~ という大筋は正しい。
が、それでも「基礎研究に割り振る比率はもう十分与えたから、与えられた枠内で工夫するか減らすかしてね」には強く反対する。

また抽象的な例え話に飛ぶが、国民政府も喉が渇いてて、収穫すればすぐ生食できて喉が潤う万能フルーツ『成果』の大規模栽培を皆が渇望しているわけで。
収量予想や収穫期限コミットまで厳しくガン詰めされているので、使える湯水(金)も限られ、なおさら『成果』を優先栽培する以外に選択肢はないわけで。
でも、その『成果』を栽培するにあたって必須となる土づくりと肥料、その名も『基礎研究』…これは今すぐ食えるモノじゃないし成功保障も低いから、金かけるのは後回しにしてね。そう言ってるわけだ。
もしこれから科学事業を再び仕分けていくにしろ、まかり間違って奇跡が起き科学振興予算が倍増するにしろ、上記の思想ベースである限り、どれだけ湯水の如き金があっても、きっと土壌と肥料最後まで後回しで、
皆こぞって効率良い『成果』の密植技術開発に明け暮れるのだろうね。やがてサイエンスという土壌は、キャパを超えて過剰密植された『成果』に養分を吸われて徐々に痩せてゆき追肥もされないので
最期は何も生えない不毛の大地けが残りましたとさ。めでたしめでたし


省庁や官僚役人は流石にそこまでバカじゃないし正しい意味知ってるけど、敢えて政治家への啓蒙放置して状況を利用してるよね

これには強く同意する。事業仕分けとかで管轄範囲権益を侵さない限りは、知った上で正しく確信犯として野放しにしてる感


「基礎」って言葉が誤解を招いてるから、別の語に置き換えよう(提案

ボケ痴呆認知症」っていう事例もあることだし、たか言葉遊されど言葉遊び、形からでも変えてみる意味はあるかもね。
但し、「障がい者子どもメクラチビゴミムシダマシ」のように、無理に言葉狩りして理念が追い付いてない、仏像彫って魂入れずだと反感を買うおそれもあるね

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170621174749

経営者としてや技術者として優秀でも人文的な見識がない人の方が、むしろ日本ビジネス界では多数派増田の父はごく普通の「有能なジャパニーズビジネスマン」ってだけだと思う。

から日本会議みたいなトンデモに引っかかっても平然としていられる。見抜くための知識がないから、平然としてられるんだよ。

技術劣化を見抜く力があって、かつトンデモカルトを見抜く力がない人なんて、大企業管理職経営者クラスにはそんなのごろごろしとる。もちろんそうじゃない面白いオッサンもいるけどね、多数派増田父と似たような感じだ

日本人経営者は、人文的な知識がなさからくるバランス感覚の欠如の方がむしろ技術力や経営力のなさよりアキレスの踵になっているケースが少なくない

ヨーロッパだと経営層は殆ど場合上流階級のものに占められていて、彼らの多くはキリスト教に基づく(偏ってはいるが)人文的な智恵を有していたりするが、日本にはそれがない。

昭和時代だと三国志戦国武将エピソードを引いて一家言ぶてて一人前、みたいな風潮があったり、管理職研修でやたらと座禅をさせたがる経営者がいたりしたが、理念が地に足付いてないからついついそういう発露になるんだろう

大学者がリベラルアーツをついうっかり叫びたくなるのもその辺かもしれない。ただし高等教育の姿=その社会の縮図なので、形だけリベラルアーツ方式を取り入れても意味がないけど

2017-06-14

日本の政治を誤解を恐れずにかく

A 右翼 与党

B 左翼代表

C 売国 

キチガイ 共産党

 

昔はA党とB党で争ってた

ところがA党も政治ゴミ化して荒れだした負け出した

A党とB党が連立政権を立てることにB党が合意

そうするとこうなった

 

A・B 右翼左翼 与党

C 売国なのに左翼代表

キチガイ 共産党

 

これ自体理念が反しているのに同盟って意味不明状態だがおまんま減るくらいなら理念を曲げるのが日本の政治

これが続いたがまた与党ゴミ化してきた

豚たちがユートピアを求めてCを応援、Cが与党

 

C 売国 与党

A 負け犬 右翼

B 負け犬 左翼

キチガイ

 

んで当然のことく前のゴミ政治よりクソすぎた

豚は反省して売国よりも右翼左翼のがマシとAに投票して元に戻った

この数年間はお灸期間で豚も負け犬も辛い思いをした

 

A・B 右翼左翼 与党

C 歴史的負け犬は再編して新たな売国に 左翼代表

キチガイ 共産党

 

んでこうなる

なので与党左翼右翼批判するのがお門違い

彼らはがっちり握手ビジネスで握ってる

この状態与党を倒しても糞な未来しかない

なおアメリカはこう

 

A 右翼(集権主義派)

B 右翼(分権主義派)

その他 左翼

 

最大政党の2つがどっちも右翼で主張内容が違う

これをずっとニンテンドースイッチしてきた

なので政権交代してもぶっちゃけ政治レベルそこまで変わらない

どっちも方向性が違うだけで有能だから幸せ定義についてモメてるだけ

日本が1人勝ちな上にそいつを倒してもよりクソな未来しかないのが異常なだけ

これって政治自体が終わってるってこと

Cが糞っぷりを露呈したおかげでなおさら糞にも関わらずA・Bが盤石になった

 

※なおなぜ左翼連立政権をよしとしたのか

アメリカの機嫌を損ねることが大局的に見ていいわけがないことを理解してるから

なので表向きは右翼でも主張をねじこめる形にすれば勝利なわけ

なので左翼は今完全に勝利している

今の与党批判するのはキチガイ売国原初に帰った完全な右翼主義者だけ

IQの低い豚もまだ売国に味方してるけどさすがに大多数の豚は痛い眼をみて学習済み

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170608002116

この主張には同意しかねる。なぜなら私にとっての性欲のコントロール先延ばしであり、面倒だからと放っておけば消えるものではない。さらに、人格理念に反して性欲をコントロールできない状況に置かれることがある。君の個別的事例で女性一般論を語る前に、性欲のコントロール問題を抱えている人間もいるということを認識していただきたい。

2017-06-07

会社で働いてみて分かったこと(入社5年目SE

入社してから5年たったので、今時点で考えてる事を書きなぐってみる。今案件が落ち着いてて割と心に余裕があるので、会社への憎しみは低め。

ブラックホワイトについて

昔はホワイト企業というモノにかなり夢を持っていたんだけど、

自分の好きな事を適度にやれる」会社ホワイトだろうというのが今の結論

時間的観点もあるし、金銭観点もある。ブラック企業はその逆。

会社の選び方

中小ベンチャー企業:俺はこれをやるために生まれてきたんだ!みたいなモノがある人向け。ライフステージの変化とか、趣味の変化で興味を失ったら転職することになるのでそれはリスク

大企業:それ以外の人。企業が手広ければ手広い程、やりたい事が見つかった時にやれる可能性が残る。ただし、やりたい事をやらせてもらうには、沢山の上司承認を貰う必要があるのでメンドイ。

ちなみに、就活する時は社訓とか企業理念共感出来るかを見た方が良いかも。

理由は幾つかあるんだけど、マネジメント層は企業理念に沿った思考パターンをすることが結構多いってのが一番かと。

案件が苦しい時、「申し訳ないけど、ここは逃げずにやりきろう」と言われたとして、自分企業理念共感出来ていないとモチベーション沸かない。

後、見栄を張るタイプの人はBtoC選んだら良いと思う。

初対面の人にはほぼ確実に「どこ勤めてますか?」って聞かれるんだけど、

その時に「あぁ、あの企業ね!」って言われてドヤ顔出来る。

収入

収入責任トレードオフ

収入自由時間トレードオフ

…が基本だと思う。

なお、責任軽くて収入高い職は将来的には仕分け整理で真っ先に槍玉に挙がるだろうから注意した方が良いんじゃないかな。

責任重くて収入低いのは転職した方が良いかも。

SEについて

プライムベンダーを狙った方が良いよ!SEに限らないかも知れないけど、孫請、ひ孫請…になるにつれて中間マージンが引かれる。手元に残る額が下がる。

ただし、収入責任トレードオフなので注意。

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606151223

まずなんで2極化が問題なの?

資本主義理念って先に上に到達したもの科学力や経済力権力最適化させて富と恩恵を再分配することが理念構造でしょ?

そして自由主義既得権益が発生して市場が不健全化されることで前述の資本主義による競争理念消失し停滞化することを防止する理念でしょ?

資本主義自由主義が正解だったってのは既にソ連VS合衆国オチてるからさらマルクス主義スターリンの再来を願ったところで意味ないでしょ?

アベノミクス批判してる君たちが一体どこを目指してるのかもうちょっと説明してほしいんだが

 

今当たり前のようにマクドナルドハンバーガー食ったり

松屋牛丼食ってるけど資本主義自由主義がなければ未だに棚田作ったり一向一揆したり大塩平八郎の乱とかしてるはずなんだが

コロリ対策にイワシの頭を飾るのがお望みなのか?

首相のお言葉(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0619speech.html)の感想

私が追い求める日本とは、世界に対してどこまでも、広々と、オープンにつながる日本です。

保守層が支持してるっていうのは嘘くさいよなぁ


私たちは、欧州が、20年以上かけ、電力市場自由化、開放と、発電・送電システムの分離、そして電力市場連携統合を進めてきた歴史に、多くを学びました。

イギリスドイツ自由化は失敗だったってよく言われてるが、それを踏まえた上でこんなこと国際会議(@イギリス)で言っちゃっていいのか?

当てこすりみたいに聞こえてないといいけど



 そして日本でも、つい先日、半世紀以上続いた市場の寡占に終止符を打ち、電力市場自由化と、送配電の分離を進める意思決定をしたのです。

ファッ!!!???

どうしてこうつながる…


あの頃以上の活気を、日本の随所で取り戻したいのです。ですから若い人を、「日本へ行け」と、どうか促してください。

 と、いうのも、国家戦略特区という、総理の私が、直接担当する場所で、徹底的な規制撤廃を図り、世界から資本と、叡智があつまる場を、日本にこしらえるつもりだからです。

なんだ、国家戦略特区ってのは総理自身が直接担当する場所ってちゃんと分かってたんじゃないか。昨日の国会答弁はなんだったんだよ。

というか、国家戦略特区ってもともと、外資日本商売させるための制度だったのかよ…



ロンドンニューヨークといった都市匹敵する、国際的ビジネス環境をつくる。世界中から技術人材資金を集める都市をつくりたい。そう考えています

今治もそうなるんですかね。地元サイドが四国に残る人材が欲しいって言ってるのとは、理念がなんだかそぐわないように見えるんですが



世界の「優秀大学百傑」に、せめて10校、日本大学を入れたいと思っています。まずは国が運営に携わる大学で、外国人教員の数を倍増します。

日本人教員非常勤でもやってろって意味ですか?

研究時間を確保させてあげたほうがランキングには効きそうですがね


まとめ:これは平成25年の講演。結構からヤバイこと言ってたんじゃないか?という感想もっとちゃんと見ておけばよかった…

免責:あくま個人の感想です

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん