はてなキーワード: 理念とは
暇空氏は一旦置いておいて、「Colaboの活動だけを支持する」ということはどういうことかよく考えてほしい。
若年女性支援活動の理念に異を唱える人はいない。そこを勘違いしてはいけない。だからこれに反対している藁人形を想定しても意味がない。
ただしその活動が公金のルールに従って、偏りのない思想のもとに運用されるのであれば、という条件付きだ。
森友学園で言うと、学校を新設することに異を唱える人はいない。教育環境が手厚くなるのは良いことだ。
しかし思想的に問題のある活動なら話は別だ。保護女性を辺野古に連れて行くとかな。
さらに有力政治家の影をちらつかせて行政窓口に圧力をかけ、自分たちに有利なように融通を利かせた。
その点でColaboと森友学園は完全に相似形と言える。
豊中市の用地を融通するのも、新宿区役所前の場所を融通するのも、黒塗りされた金銭交渉もまったく同じ構図だ。
「アリスとテレスのまぼろし工場」だけど、本作は言うに及ばず、過去作もフェミニズム、女性の政治的権利にはつながらない人だよねと、いつも見てる人には当たり前の感想を思った。
それもあり、当然ながらヒロイズム喝采な盛り上がり方もできないし、一方でポリティカルテンプレの誉め方で持ち上げようがないし、日本的な意味でも海外的な意味でも売れ筋から背を向けてて、正しく古いオタク向けの人ですよね岡田監督。この人を女性監督という取り上げ方をするのも大概バカみたいだけど、そういう戦略性も含めてオジサンにウケる人。
「少年少女」じゃない。おそらく10年以上なんなら20年近く「中学生として振る舞い続けること」をやってきた、周囲の監視の目もあって童貞処女のままの30代半ば。キモイ。似てる設定というと「スカイ・クロラ」だけど、あちらほど精神状態が終わってないのがまた煮え切らなくてキモイ。
ここで既に物語テンプレのロールや社会的ロールに沿った理解を当てはめようとする人が全員振り落とされる。「十代のドラマなら十代のドラマらしい話にしろよ」も「30代の擦れた男女のドラマならもっとそれっぽく作れよ」も適用されない。イラついて「設定がちゃんとしてないんだよ」と毒づく。
まあね、でも実際そんなだったじゃん90年前半バブル崩壊で取り残された団塊ジュニアども。
保守的な伝統社会はぶっ壊されてたし、理念先行の社会主義なんて信じてないし、経済成長に従ってれば会社が人生のレールを敷いてくれるって幻想も一瞬で消え、2、3学年上の先輩たちの話はまるで参考にならない。稼ぎがないので結婚しないし、景気が悪い上に自分たちの世代が一番人口が多いせいもあって職場に後輩も少ないなんなら後輩いない、なんなら終身雇用と派遣の狭間で企業側もフラフラと方針定まらないまま。いつまで経ってもマンガアニメから卒業しない「子供のまま」だったのが、気が付けば世間の方がマンガアニメに迎合しだしちゃって。
設定らしい設定がないので、子どもなのか親なのか、先輩なのか後輩なのか、若者なのか中年なのか、どういうロールが正しいのかわからん連中が日本の人口のマス層として取り残された。
こういう停滞感、今までも色々と表現されてきたけど、比喩としては一番ダイレクトで何のひねりもなく、分かりやすい。現実に設定がしっかりしてないから、設定ではっきりするほうが噓でしょ、って明け透けな見せ方。これが今回いちばん岡田麿里らしいとこじゃないですかね。
いわゆる岡田監督らしさについては、本人が自覚的に自分の過去作を振り返って他人から言われる評価を参照しつつ作ったってパンフで言ってるし、そこまで評価するとこでも突っかかるとこでもない気がした。上手いですけどね。女と母親とどちらでもある自己っていう振れ幅を一つの台詞に同時に込めるとか、うわーえぐーい。オジサンはこういうのやられると負けるわ。
ただまあ、今回は前よりかすっきり整理してて分かりやすいし、監督そのもの、監督らしさ、岡田マリー節炸裂、とは思わなかった。70%マリーぐらい。200%って言ってる残りの130%は作画スタッフとか役者とか視聴者の思い込みとかだと思う。
ただ、その70%で、ファンタジー世界を作り上げた神たる老人の「俺はこう生きた、君たちはどう生きるか」に対し、ファンタジー世界に囚われた住人の立場から「中年のあたしたち俺たちはこう生きてきたし、こう生きていきますが、それで、何かご質問が?」と打ち返してるのが、マリー持ってんなと。このタイミングでこのカウンターを見逃すのはホント勿体ないので見たほうがいいと思う。
その他。
なんか「あの花」とか最近作しか出てこないので、老害的に付け足し。
この人はファンタジー作家です。現実世界のリアリズムとかの人じゃない。のでリアリズムは求めないほうがいい。
ファンタジー作家としての気質は「砂沙美魔法少女クラブ」で100%発揮されてる。以降もだいたいこんな感じ。
「スカイ・クロラ」を引き合いに出したので繋がりでいうと「シムーン」の後半。シムーンは押井守と仲良しな西村純二監督が「スカイ・クロラ」とほぼ同時期にやった「モラトリアムな人たちの出てくる戦闘機乗りの話」で、シムーンの企画原作やってた人たちの手を離れて後半はマリー西村コンビへ。このコンビの流れで「true tears」に繋がり、そこから「花咲くいろは」へと。
煮詰まって先に進まない男女関係だと「とらドラ!」。原作あるけど、まったく前に進まなくてどうすんだこれ、って澱みっぷりは岡田脚本の本領発揮だと思う。秩父三部作だと長井龍雲監督の調整がけっこう入って長井節になってるので、あんま澱まない。
個人的にマリー100%だと思ってるのは「ブラックロックシューター」。ファンタジーで少女バトルでバイオレンス。別に下ネタじゃなくても100%だと思う。気に入ってしまって円盤買って家族に強制的に見せたのは、ちょっと反省している。
まあ脚本家のキャリア長いし、原作ものも当然のように多いし、普通に現場の調整の中で仕事してる人なので、なんもかんもマリーってこたない。
https://smart-flash.jp/entame/240978/1/
とぶち上げている
今年6月の時点でこの有様
【年収1000万円以下の小規模事業者が、消費税10%を新たに納めることになる】のはダウト
あえて書くなら
【年収1000万円以下の小規模事業者が、取引先の圧力で、適正業者にならざるを得ない可能性がある】だろうか
漫画家などが反発していたね
しれっと「消費税10%を新たに納める」とか書いてるけど、それを「させる」のは行政じゃなくて、取引先のオマイラだ
そう6月に至ってだ
単なる政局批判としてなされた批判だから、所詮こんなもんだった
それが、10月を控えた9月の記事ではこう
2500億円税収増にかかるコストは年4兆円…「生産性激落ち」で批判殺到
https://smart-flash.jp/sociopolitics/253480/1/1/
作業時間をベースに経理1人あたりの追加業務負担を計算したところ、月約1~2分、経理以外の従業員でも1人あたり月約7分、日本全体で月約1.4億時間の負担増となった
とか言い始めてる
もう、昔みたいにマスコミが「ドーン」とやって、世論を上書きするとかできなくなってる
結果として、昨今では、君たち国民一人一人が犠牲者足りえるのだとスライドしてきた
それも、零細は税金分を預かってなどいないとまで言ってね
でも、実体としては違う
仕入れた業者側が、免税業者で控除できなくなる、という企業増税だったんだよ
企業増税賛成とぶち上げて、「価格転嫁の違法整備」「圧力の根絶」に振ってれば、世間の反発を得ずに企業に増税をぶちかますという、政党理念にも沿った行動が出来たのに
「ポッケナイナイ」なる言葉が世間に広まってしまい、インボイス反対への批判が発生することになる
そりゃそうだ
消費者たる末端の市民は、商品に対して、10%の消費税が発生しているレシートで決済している
純然と、消費税分を払っている、にも関わらず
この欺瞞を内包したまま、うまく取り繕う言葉もなく、零細目線で闘った結果、どんな矛盾が発生したかと言うと
とかいう
お前らがずっと望んでた企業増税は、市民の生活を破壊するんか?というトンデモ発言
このインボイス騒動を初手から扇動した奴が【もし】いたとしたら
仕組みとしてオカシイ主張を、けれど弱者という立場の者にさせ、まんまと世論を分断せしめた
弱者救済を謳うものは、このオカシナ主張を支持せねばならず、論理が破綻し
このオカシナ主張を批判するものの出現で、視線を弱者攻撃に吸い取られ
誰も彼も、実際どういう手続きで、何が起こり、どう負担が発生するのか
大・勝・利で酒が旨い😋って奴だ
ざんねーん、まんまと踊ったはてなー共
民主主義のために必要な前提条件とは、国民が自由に意見を表明し、政治に参加できることです。また、国家権力が法によって制限され、人権が尊重されることも重要です。
民主主義は古代ギリシャで生まれた政治思想で、多数者の支配を意味します。しかし、その後は衆愚政治や権力の乱用といった問題が起こりました。近代になって、自由主義や社会主義などの思想が民主主義に影響を与えました。
民主主義にはさまざまな形態があります。直接民主制は国民が直接政治に参加する制度です。間接民主制は国民が代表者を選び、その代表者が政治を行う制度です。自由民主主義は個人の自由や市場経済を重視する思想です。社会主義は経済的平等や社会的正義を重視する思想です。
民主主義は世界中で広く受け入れられている政治理念ですが、実際に民主的な国家は少数派です。人口比では3割に過ぎません。民主主義の実現には多くの困難や課題があります。例えば、政治的不安定さや暴力的な紛争、経済的格差や貧困、社会的差別や偏見、教育や情報の不足などです。
民主主義は人間の尊厳や平和を守るための価値ある理念ですが、それを実現するためには国民の意識や行動が必要です。また、国際社会の協力や支援も重要です。民主主義は決して完成したものではなく、常に改善や発展が求められるものです。
Xを眺めていたら、マガポケで連載が始まった「阿武ノーマル」なる漫画の宣伝ポストが目に留まった。
1話が全文読めるようになっていたので、なんとなく気になって読んでみた。マジギレした。
キレすぎてお気持ち長文を書かずにはいられない気持ちになったので、マガポケアプリに登録・課金して2話(最新話)も読んだ(良いお客さん)。
その結果、マジギレするのは第1話のみにとどめることにした。
ここからお気持ちを語っていきたいと思う。ネタバレしかないので、よかったらXなりなんなりで検索して第1話を読んでみてほしい(これが炎上マーケティングなのか?)
まず結論から言うと、「主人公・阿武を明確に発達障害者(自閉症スペクトラム障害・ASDの特性を持った人物)として設定した上で、彼女を不気味で不可解な『アブノーマル』のように描く作劇に、発達障害者として気分を害した」ということである。
作中で「普通」代表のように描かれる阿武の先輩・相田は、学生時代の阿武を次のように表現する。
「阿武英子は単純構造だ/ぶっきらぼう/思った事をすぐ口に出す/人の事を全く考えない/要するに阿武英子は空っぽ人間だ」
ひどいdisられようである。まあdisの内容はASDあるあるだから置いておくとしても、「要するに」の後が全く要せてない気がする。
上記のdisの内容は端的に言えば「コミュニケーション力に欠ける」という点に集約されるのだが、つまり「コミュ障は空っぽ人間」ということになる。
本当にそうだろうか? 私にはそうは思えない。コミュニケーションが取れずに相手に何も伝わらなければ空っぽも同じという意味なのだろうか?
同様に、大人になった阿武が相田に就職先の斡旋を頼むシーンでは、相田は阿武のASD的な行動パターン(感情を無視して問題解決のみを意識する、情緒的な交流ができない)を「思想がない」と指摘する。
これも解せない。相田にとって「思想」とは、なんらかの理念や行動原理を意味する単語ではなく「感情を伴う対人交流によって育まれるコンテクスト」程度の意味合いのワードなのだろうか? だとすれば私の考える「思想」との乖離がかなり大きい。
(もっとも、第2話を読んだ後は、相田のこのような価値観もまた一つの「アブノーマル」として相対化される可能性はあるのかもしれない、と感じている。もしかしたら今作は、色々な登場人物の「アブノーマルさ」を戯画化しつつ「普通」という概念を相対化していく、いわば「普通じゃないは普通だよ」的な方向に進むのかもしれない。とはいえ、無料で読める第1話だけが拡散されていく可能性は高いと思うので、本稿では1話のみに絞ってマジギレしていく)。
そして、セリフでの表現以上に腹立たしかったのが、阿武の「偽物訓練」に端を発した「普通」になるための行動の描かれ方(演出)だ。
「書き物の殺人鬼」のような笑顔しか作れなかった阿武は、「普通のOL」を演じるために、同僚の榊原と相田の会話を録音して分析し、コミュニケーションのパターンを学習しようとしている。また、「変わってる」と言われたことで「何がどう変わっているのか」を確認するため榊原に矢継ぎ早に質問する(はたから見れば詰問だったが)。
これらは漫画的に誇張された行動ではあるが、私を含めたASD者は大なり小なり阿武と同じような方法で「普通」になろうとしている。
他者の会話を聞いてパターンを覚え、それを真似することで「当たり障りのないコミュニケーション」のストックを増やそうとすることも、曖昧な指摘が分からず詳しく具体的に説明してもらおうとする(そうして欲しいなと思う)ことも、私からしてみれば「当たり前の生存戦略」であり、決して「サイコな行動」ではないのだ。
にもかかわらず、上記のシーンは非常にホラー的な演出でもって描かれている。阿武の「アブノーマルさ」を浮き彫りにしようとする意図が感じられ、ASD者としては自分が必死にやっていることを「あなたたちの行動はこんなにホラーなんですよw」と茶化されている気分になってしまった。
(ちなみに、これらの行動が、作中冒頭の「死んだ金魚を食べてみる」描写と同列に扱われているのも極めて遺憾だ。一方で、後から読み返すと「どんなに『普通』を演じても、どうしても定型発達者とは異なる発想になってしまう」という悲哀が感じられるシーンでもあるような気もする)
そして、私が本編以上にキレているのが、この作品の「売り出し方」というかパッケージングの仕方?である。
「阿武英子、29歳、独身、彼氏なし。ものごとの価値基準は「普通」か否か。「普通」に固執するあまり、彼女を取り巻く人間関係が綻び始める。「普通」とは何か、「異常」とは何か、人の倫理を問う戦慄&衝撃の新感覚サイコ・サスペンス、開幕!!」
とある。
先述の通り、第2話、第3話以降の展開によっては、これは単にさまざまな「アブノーマル」なキャラクターによる群像劇ですよ、くらいの意味合いの表現なのかもしれないが、1話時点だと「阿武がいかにサイコな人間か」が焦点になっていると読まれても仕方ない書きぶりだと思う。阿武のような発達障害(の特性を持つ)人間が「普通」になる≒社会に適応するために散々努力していることを「サイコ・サスペンス」扱いされてはたまったものではない。
また、「「普通」に固執する」ということに関しても一言言いたい。これはASDの特性の一つ「こだわりの強さ」で説明できる部分ではあると思うが、私はそれ以上の意味を見出してしまった。あえてクソデカ主語で言うが、発達障害者にとって「普通」という概念は「喉から手が出るほど欲しいけど、決して手に入らないもの」だからだ。
転職する(≒社会に適応する)ために、相田から「普通」に溶け込む方法を学び始めた時から、阿武にとって「普通」になることは至上命題になっている。「普通」でなければ社会には適応できない、というメッセージを、現代日本社会に生きる私たちは物心つく前から嫌というほど浴び続けている。だが、発達障害のそもそもの定義が「脳の発達の偏り方が非定型的(=普通じゃない)」である以上、発達障害者は「普通ではない」。だから社会に適応するのが難しい。頑張って「普通」を演じることができても、素の自分は決して「普通」にはなれないし、少し気を抜いただけで「アブノーマル」な本性が漏れてしまう。
少なくとも私にとっては、「普通」になりたいと願うのは至極当たり前のことだし、そのために自分なりに努力している阿武に共感こそすれ「サイコw w w w」などと嗤うことは絶対できない。できないし、そういう感想を見ると少し悲しくなってしまう(これは私が勝手に悲しくなってるだけなのでそういう感想を書くなという話ではないです)。
以上、本当に長々とお気持ちを表明してしまった。こういうことをしてしまう時点で私が「アブノーマル」なのは証明されていると思うが、それでも書かずにはいられなかった。対戦ありがとうございました。
消費税はモノ・サービスを消費する人が払っている。1,000円のおさかなを食べる人が80円払っている。1,000円のおさかなを食べるのがオットセイでイートインで食う場合は100円払っている。
(「反対論がほとんどなにもかも正しいと思えない」けど唯一それは理解できるわと思うのが、この軽減税率がインボイスの元凶だからそもそも軽減税率なんかやるべきじゃないんだという話だ)
で、消費者が消費税を100円払ったとして、このおさかなを漁師が釣って魚屋に660円(600円+税)で売り、魚屋がオットセイに1,100円(1,000円+税)で売ったなら、漁師が60円、魚屋が40円を納税すると辻褄が合うのが消費税で、漁師が免税だと消費者が100円払ったのに魚屋からの40円しか納税されないのが「益税」といわれる問題だ。
「消費税は預かり金ではない」
→現行制度で売上の中身が会計上どう区分されるかと、理念的にこの売上に課税するのが望ましいかどうかは話が違う。
これからこうしましょうという話をしているときに、現在は自動的にこうなっていますということは、だから何だ?でしかない。
冒頭の例で「本来は、漁師が60円、魚屋が40円を納税するべき」以外のところから出発することは考えづらいだろう。
→1千万円に達しないような売上の人は、通常、簡易課税になるだろう。
簡易課税だと、自分が出す請求書類に登録番号を載せる様式変更をするのと、1年に1度つくる確定申告に追加の数ページが増えるだけだ。
個人事業なら税理士に頼む必要もないと思うが、私はとても事務能力が低くてできないという主張を覆すことはできないのでそこは措いておく。
とはいえ、簡易課税の消費税による増分は、小学生でもできるような掛け算くらいしか要求されない。
通常の確定申告ができるなら消費税にも対応できるし、消費税に対応できないならそもそも通常の税務が自力で出来ないだろう。
→3%の消費税ができたとき、零細事業者の経理は電卓弾いて手書きの帳簿つけてたわけだから、
当時と今とでは「この程度の益税のために事務量を課すのは酷である」の水準は違ってしかるべきだろうし、
税率が上がるほど、テクノロジーが発達するほど、「これだけ小さい事業者は対応できなくても仕方ないですね」のラインは下がるんだ。
簡易課税でも対応できませんと言うのは「もうそろそろ無理」なんじゃないかなあ。
「いままで消費税を請求していなかったのに、課税事業者になると税込みで請求していた計算をしなければならなくなる」
近所の競合の駐車場が税込11,000円であなたが10,000円でやってたなら11,000円にすればいいし、11,000円でやってたから競争上12,100円にできないならそれはいままで消費税取って懐に入れてたんだろう。
→それって仮に消費税が0だったらやっていけないということだから、すごくいびつな状態ですよね。
3%, 5%, 8%, 10% になる過程で価格に転嫁できてなかったからそうなってる。
ところで、5%→8%→10% のところでは、消費税転嫁対策特別措置法ってあって、価格転嫁しなければならないことになっていて、
零細事業者に至るまで「やっほー!ちゃんと価格転嫁してる?拒否する元請とかいない?」って調査来てたじゃないですか。
一方、サービス業で課税事業者になって簡易課税にすると見なし仕入れ率50%だから、実質消費税が5%のころの収支になるわけです。
法律で強制されて調査まで来た価格転嫁分が相殺されると生活できなくなるって、さすがに筋が通らないと思うんですよ。
法律の要請も役所の調査も無視して元請とフリーランスの間で消費税相当分を不当に元請がチューチュー吸っちゃってるみたいな取引をしてるなら、
さすがにそれは当事者の間で是正してくれんかって国としてはなるんじゃねーかと思うわけです。
※※※
インボイス反対っていう人たちぜんぜん正しいとは思えないけど、ぶっちゃけなるべく税金払いたくないので頭が悪くなったふりをして無茶なゴネ方をするというのもひとつの形であるから、それはそれでいいとは思う。勝てるなら。そういう意味では、なんか勢いがあるみたいにある程度見せてるところを「すごい」とは思ってる。
でも、これって本質的に「消費税があるほうが嬉しい人たちのポジショントーク」であるし、納税者から見れば「自分が取られる税金が一部抜かれている話」であるし、国から見たら「これから増税していきたいけど、消費税率に比例して大きくなる問題が温存されてしまっているからできるだけ早く潰さなければいけない」であるわけだから、なんか勝てる要素があると思えないんすよね。普通の人たちはどう思ってるんですかね。
創作するとき、今まで生きてきた中で触れた様々な要素が素材として使われる。
それは当たり前のことだ。
権利が有る者と無い者がいるんじゃなくて、二次創作する権利と作品を独占する権利が衝突しているというのが法的構造なんだよ。
個別に裁判する以外の方法では明瞭な線は決まらないので当事者が裁判を起こすまでは何も決まらない。
民法の根本理念のひとつとして「保護する価値があるものを保護する」というものがある。
そして日本では懲罰的賠償を認めていない。 (損失を埋める以上の賠償を求めることは出来ない。)
つまり二次創作によって損 (金銭的な損失以外も含む) したという事実が証明できないと権利者が訴えても何も得られんのだ。
非営利なファン活動で作品の作者がどんな損をしたと言えるだろう?
2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部名から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています。
・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。
・福祉専門職に必要なものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。
・学生相談室の設置案に「教員が自分の仕事を押し付けるつもりか」と理事が却下。
・心理学、経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。
・国家試験受験勉強のため、卒論が選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。
・人権、労働、差別、エスニシティ、ジェンダーなどのテーマの授業が皆無。
・専攻に関係なく、宗教家だから宗教学、教職免許を持っているから教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準で事務が授業担当教員を決める。
・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。
・雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。
・障害学生はできる限り受け入れないよう画策。
・エレベーターは車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。
・2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向の教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。
・研究してる人には散々辞められているからか、募集停止校からヘッド(?)ハンティングしてくる。
・研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)
・理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学に履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。
・入試問題の現代国語を併設高の教員に外注しているらしいのだが、常に昭和の文章。
・卒業式で理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とか熱弁。
・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸に敬礼させられる。
・東日本大地震は地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員に陰謀論が蔓延。
・北欧は高齢者の安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義で解説する教員がいる。
・家業で保育士を雇っていることから保育士の給料が高すぎると言及する教員がいる。
・事務の女性が若く、皆美人(併設短大で卒業時に声をかけ採用している)。
・卒業パーティで男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。
・有志で実施した教職員対象のハラスメント実態調査が握りつぶされた。
・朝礼がある。
・オプキャンや入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。
・部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。
・部活顧問柄全国大会へのバスの運転まで全部やらされており椎間板ヘルニアを発症した。
・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。
「福祉の時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるからと学部を作って、梯子を外されたんだな。
(追記)ちなみに私(旧帝大卒博士号持ち)の場合、就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。
左←——————————————————————→右
だいたいこんなイメージなんだけどややこしい点もあって、
まず「リベラル」って言葉は自由を表す言葉で新自由主義も「ネオリベラリズム」とリベラルの単語が入っているのだが、
日本で「リベラル」と言うと再分配・格差解消を重視するむしろアンチネオリベラリズムの思想を指していたりする。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/02/post-808.php
あと本来的には左翼というと「大きな政府」、つまり社会保障などを政府が手厚くサポートし、
究極的には計画経済、なんなら農業なんかの生産活動も全部政府がコントロールしようというのが左翼(社会主義)の思想のはずだが、
文鮮明と統一教会のヤバさ(カルト、洗脳、北、麻薬)についてChatGPTに聞いてみた。
ChatGPT:文鮮明と彼の組織である統一教会に対する評価は多様で主観的である。彼らに対する意見は様々であり、支持者と批判者の両方がいることに注意することが重要である。ここでは、文鮮明と統一教会について提起されている一般的な批判や懸念のいくつかを紹介しよう:
論争の的となっている信仰 文鮮明氏の教えは、しばしば異端視され、様々な宗教界や学界から懐疑的な目で見られてきた。文鮮明自身を「真の父母」や「メシア」とする考えなど、彼の神学的概念のいくつかは、論争を呼ぶ型破りなものとみなされてきた。
カルトの告発: 統一教会は、その階層的な構造、会員の生活に対する厳格な管理、操作や孤立の事例が報告されていることから、カルトであるという非難に直面してきた。しかし、どのような宗教団体であれ、「カルト」であるというレッテルを貼ることは、複雑で論争の的となる問題であることに注意することが重要である。
財務上の懸念: 資金調達、什分の一、財務の透明性に関する問題を含め、統一教会内では財務上の不正行為が疑われている。一部の元会員は、組織に多額の寄付をするよう圧力をかけられたと主張している。
勧誘戦術: 統一教会はその勧誘方法について批判されており、その勧誘方法には新会員を引き付け、維持するための欺瞞的あるいは高圧的な戦術が含まれていると主張する者もいる。このような勧誘方法は、インフォームド・コンセントや個人の自主性についての懸念を引き起こしている。
孤立と家族への影響: 元会員からの報告によれば、統一教会への関与は、その偏狭な性質と集団のアイデンティティを強調するために、時には組織外の家族や友人との緊張した関係につながることがある。
(略)
増田:統一教会が信者に行ってきたマインドコントロールについて教えて
ChatGPT:「マインド・コントロール」という用語は複雑で物議を醸すものであり、宗教的あるいはイデオロギー的なグループ内の様々な心理的・社会的力学を説明するためにしばしば用いられる。統一教会がその信者たちに対してマインド・コントロールと考えられるような行為を行っているという疑惑や懸念がある一方で、ニュアンスをもってこのトピックに接近し、大雑把な一般化を避けることが重要である。
統一教会の一部の批評家や元信者は、統一教会が操作的あるいは支配的と解釈され得る特定の実践を採用していると主張している。以下は、強調されているいくつかの側面である:
外部からの影響からの隔離: 一部の元信者は、統一教会に属していない友人や家族から距離を置くように勧められたと報告している。このような外部からの影響からの孤立は、潜在的にグループとその教えに対する依存感を助長する可能性がある。
集団のアイデンティティーと忠誠心: 統一教会は強い共同体意識とグループの使命に対する忠誠心を強調する。これは個人のアイデンティティよりも集団のアイデンティティを優先させることにつながり、信者の信念や行動に影響を与える可能性がある。
情報の統制: 批評家たちは、特に統一教会に関する否定的な報道や批判に関連して、統一教会が信者が入手できる情報を統制していると主張してきた。異なる視点に触れることを制限することは、信者たちが十分な情報に基づいた意思決定を行う能力に影響を与えるかもしれない。
認知的不協和: 認知的不協和とは、自分の信念や行動が互いに矛盾するときに、個人が不快感を経験する心理現象である。統一教会は、組織の教えを採用し、反対意見を退けることによって認知的不協和を解消するよう信者を奨励しているのではないかという意見もある。
要求の高い行動: 元メンバーからの報告によれば、大規模な資金集めや勧誘活動など、高レベルの献身に従事するようプレッシャーがあったことが示唆されており、これはグループに対する義務感や依存につながる可能性がある。
(略)
ChatGPT:文鮮明と統一教会は、北朝鮮と複雑かつ多面的な関係を築いてきた。この関係は時を経て発展してきたものであり、さまざまな解釈が可能であることに注意することが重要である。以下は考慮すべき重要なポイントである:
初期の関わり: 文鮮明はもともと北朝鮮出身で、朝鮮戦争中に韓国に逃れてきた。宗教活動の初期において、彼は分断された朝鮮半島を和解させたいという願望を表明し、その過程において自らの運動が役割を果たすと考えた。
北朝鮮の指導者との関わり: 文鮮明と統一教会は、北朝鮮と韓国のより良い関係を促進することを目的とした様々なイニシアチブに関与した。これらのイニシアティブには、文化交流、人道的努力、南北朝鮮間の対話を促進する試みなどが含まれる。
ビジネス・ベンチャー: 文鮮明と統一教会は、観光業、製造業、農業など、北朝鮮におけるさまざまな事業に投資した。これらの事業は、南北朝鮮間の経済協力を促進し、統一朝鮮の理念を推進することを目的としていた。
批判と論争: 文鮮明と北朝鮮との交流は、支持と批判の両方にさらされた。批評家たちは、文鮮明のイニシアチブは北朝鮮の体制を正当化する試みと見なされる可能性があると主張し、一方支持者たちは、平和と和解に貢献するための努力と見なした。
政治的・宗教的配慮: 文鮮明が朝鮮半島の統一を提唱し、北朝鮮の指導者たちと関わったのは、政治的動機と宗教的動機の両方によるものであった。文鮮明は、統一朝鮮が世界的な調和と平和のビジョンにおいて中心的な役割を果たすと信じていた。
力学の変化: 時間の経過とともに、文鮮明と統一教会、そして北朝鮮との関係は変化していった。北朝鮮と国際社会との間の緊張を含む外交的、地政学的な動きが、両者の相互作用の性質に影響を与えた。
文鮮明の死: 文鮮明は2012年に死去し、その死は統一教会の北朝鮮との関わりにおける転換点となった。対話と和解を促進するための教会の努力は続いているが、それらは現在、文鮮明の後継者たちによって率いられている。
(略)
増田:南米で犯罪組織が行ってきた麻薬ビジネスの歴史と規模を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織は歴史的に、麻薬取引のさまざまな側面、特にコカインや、それほどではないがマリファナなどの違法薬物の生産と取引に関与してきた。麻薬取引は、この地域に大きな社会的、経済的、政治的影響を及ぼしてきた。ここでは、南米の犯罪組織が行う麻薬ビジネスの歴史と規模について概観する:
コカイン生産ブーム:20世紀後半、南米諸国、特にコロンビア、ペルー、ボリビアでは、コカ栽培とコカイン生産が急増した。1970年代と1980年代がこの拡大のピークであった。
カルテルの支配 この時期、パブロ・エスコバル率いるメデジン・カルテルやコロンビアのカリ・カルテルなど、強力な麻薬カルテルが台頭した。これらのカルテルはコカイン取引の大部分を支配し、暴力と汚職を駆使して事業を維持した。
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規模
コカイン生産: 南米諸国、特にコロンビアは依然としてコカインの主要生産国である。コカインは主にアンデス地域で栽培されるコカ植物から得られる。
ルートと密売: 犯罪組織は、南米から国際市場へ麻薬を移動させる複雑な密売ルートを確立しており、多くの場合、中米やカリブ海諸国を経由地としている。
暴力と腐敗: 麻薬取引は暴力、組織犯罪、汚職と結びついている。犯罪組織は自分たちの利益を守り、競争相手を排除するために武力を行使してきた。
社会への影響: 麻薬取引は暴力を煽り、統治を弱体化させ、南米の一部地域では社会的不安定を助長してきた。また、コカ栽培や麻薬生産活動による環境悪化にもつながっている。
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増田:南米の犯罪組織による麻薬ビジネスによるアメリカ国民の麻薬中毒への影響を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織が行う麻薬取引は、特にアメリカ国民の薬物中毒や関連問題に大きな影響を与えている。麻薬取引が薬物中毒に与える影響は多面的で、薬物の入手可能性、価格、効能、社会的力学などの要因が含まれます。ここでは、南米の犯罪組織による麻薬ビジネスが、アメリカ国民の薬物中毒にどのような影響を及ぼしているかをいくつか紹介します:
南米の犯罪組織は、米国への違法薬物、特にコカインの主要な供給者である。大量に麻薬を生産し流通させる彼らの能力は、アメリカの地域社会でこれらの麻薬を入手しやすくする一因となっている。
南米からのコカインやその他の薬物の大量供給は、時として価格の低下につながり、潜在的な使用者にとって、これらの薬物をより手頃な価格で入手しやすくしている。
南米の犯罪組織が製造するコカインやその他の薬物の効能は、中毒のリスクを高める可能性がある。より強力な薬物は、より迅速かつ強烈な効果をもたらし、使用者が依存症を発症する可能性を高める可能性がある。
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増田:ロバート・パリー氏のメディアサイト内の記事「Dark Side of Rev. Moon (Cont.): Drug Allies」(https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html)の内容を箇条書きで説明して
ChatGPT:ロバート・パリーによる記事 "Dark Side of Rev. Moon (Cont.): 1997年に掲載されたロバート・パリーによる記事「麻薬の盟友たち」は、文鮮明と麻薬関連活動、および政治的影響力の買収活動との間に疑惑があることを強調している。この記事は、文師と南米の麻薬密売人や右翼政治家とのつながりに焦点を当て、文の影の金融慣行や疑わしい団体に光を当てている。記事の要点は以下の通り:
文鮮明の政治的影響力買収作戦: 記事はまず、文鮮明の膨大な政治的影響力買収活動に対する関心の高さを取り上げている。記事は、文の組織が主要な政治家への秘密裏の支払いによって影響力を購入し、『ワシントン・タイムズ』のようなメディアに資金を提供していることを示唆している。
文師の財務慣行に関する疑惑: 記事では、文氏の組織が資金洗浄や、文氏の息子であるヒョジン氏のためにコカインを購入するなど、個人的な贅沢のために資金を流用していると非難されていることを強調している。これらの行為は、1982年に文氏が脱税で有罪判決を受けた犯罪になぞらえられる。
麻薬に汚染された暴力団とのつながり: アジアの組織犯罪やラテンアメリカの麻薬取引とつながりのある極右主義者との文氏のつながりが議論されている。文氏の麻薬密輸や組織犯罪に関わる人物とのつながりは、アジアにおける統一教会の初期にまでさかのぼる。
文鮮明とヤクザの関係 文氏の組織は、日本のヤクザ組織のリーダーであった笹川良一氏から支援を受けていた。この支援は、麻薬密輸やその他の犯罪活動とつながりのあった日本と韓国で、文氏の組織が進出していくのに役立った。
世界反共産主義者同盟(WACL)との結びつき: 文の組織は、世界反共産主義者同盟のような組織で重要な役割を果たした。世界反共産主義者同盟は、元ナチスや右翼の人物とつながりがあった。文の信奉者たちは、これらの組織を通じてCIAと密接な関係を保っていた。
南米における文鮮明の活動 南米や右翼の軍事指導者たちとのつながりを探る。ボリビアやアルゼンチンといった国々における文の存在は、右翼政権の台頭や麻薬密売活動の疑惑と重なる。
コカインクーデターへの文の関与: この記事では、1980年にボリビアで起きた「コカイン・クーデター」への文鮮明の関与について詳述している。クーデター後、文の組織は主要なクーデター実行者や麻薬密売人とつながりがあると報告されている。
文鮮明の拡大と影響力 ウルグアイやアルゼンチンへの投資を含め、南米における文鮮明の継続的な拡大について記事は論じている。文氏の経済的、政治的基盤の拡大が、監視の目を逃れるための活動の変化とともに指摘されている。
文の政治的コネクションの意味するもの: この記事は、文が影響力を買い、アメリカの有力政治家とのコネクションを持つことで、立ち入った調査から文を守ることができるかもしれないと示唆している。(後略)
解釈:文鮮明は脱北後も北の工作員同然の活動を続け、南米のコカイン利権に食い込み宗教団体に偽装した巨大な犯罪シンジケートを構築。日米他の有力政治家に利益供与を行い庇護を受けつつ、国際政治に大きな影響を与える反米親北の大物フィクサーに成長。死後、妻の韓鶴子(マザームーン)に権力が移行。
チャットで重要な依頼はしない、フォーマットを定める、定義・解釈の分かれる表現は避ける、とか「当たり前」に対する共通認識がないとこんなに話が進まないものなんだな
一人二人ならともかく会社単位で話が通じないとは予想だにしなかった
まともに働く環境に達してないから他社では1のコストで出来ることを5~10のコストを払ってやってて
無駄だなあ、馬鹿らしいなあって思ってるから無駄なくそうぜって言うんだけど、本当に通じないんだよなあ
まあ通じないからこの現状なんだろうけど
でも社外向けに発信してる理念は立派だから結構いい人材入ってくるんだよ?
その人が力を発揮する環境を構築できないから猫に小判なんだけどさ
有能な人たちは有能だから環境をごっそり整備する知識や経験もあって外注の伝手とかもあるのに
なんで「また五月蠅いこと言い出した」って雰囲気だして提案を無視するんだろうねー
有能を雇っていながら飼い潰して放流するって贅沢
このタイトルを見て「あっ……まさにその通りだ……俺はなんて愚かなことを言っていたんだろう……」となった方々、大丈夫ですよ貴方達の知性は日本においては間違いなく上澄みです。
もしも夏がそんなに暑くなかったら夏休みはもっと短くなっています。
そしたら甲子園なんて出来ないわけですよ。
2週間丸々です。
こんなに長い期間を一気に休むには長期休暇が必須なんです。
教育を掲げているはずの甲子園が「学校なんて休んじまえば良いんだよ!!!」なんて簡単に言えますか?
無理ですね。
地方予選の日程を見れば分かりますが、最初のうちは土日にやっていき夏休みになったら一気に試合を進めています。
その後、地方予選の疲れを取るために少し時間を開けて本大会です。
地方予選をダラダラと長い期間をかけてやってしまってはその間に成長出来た選手が可愛そうじゃありませんか?
夏に向けてギリギリまで力を蓄え、それを一気にぶつけることが出来るタイミングで甲子園の日程は組まれています。
地方予選から本大会までの期間を短くしてしまえば怪我からの復帰が難しくなり、地方で燃え尽きてしまう学校がいくつも出てきてしょーもない甲子園になるのは目に見えています。
日本の長い夏休みが、甲子園という最高の大会を完成させるわけです。
「あれれ~~~?じゃあなんで春のセンバツは出来るんだ~~~」となった人達、考えは浅いけど方向性のセンスは良いですね。
何故、春の甲子園は短い春休みで出来るのか、それは地方予選がないから。
更には年度の切り替わりによって元々その時期は学校行事やカリキュラムもスカスカになって休みやすいからです。
日本の夏はうだるような暑さが長く続く
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長い夏休みだから成立するような全国区のスポーツ大会を開催できる
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結果的に、甲子園は「うだるような暑さの中での長期戦」になってしまう
ここまで言っても理解できずに「甲子園を夏にやるのはおかしい。秋にずらしたら?」と言ってる人達は頭が悪すぎますよね。
長期休暇シーズンでもないのに勉強をすっぽかして一ヶ月野球に打ち込めば良いんだよって事ですか?