はてなキーワード: コミカルとは
5月20日にディズニー+で配信された作品のネタバレ有り感想になる。
未見の方は注意してほしい。
前提として、本作は1989年に放送された「チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ」の続編でもリブートでもない。
・現実の人間とアニメのキャラクターが同じ世界に共存しているという「ロジャー・ラビット」風の世界観
・「各アニメ作品はキャラクター達が演じて作られたもの」であり、その舞台裏を描くという「シュガー・ラッシュ」等と似た構造
・チップとデールもお馴染みの高い声やコミカルな動きは演技であり、主演作の「レスキュー・レンジャーズ」終了から時間が経って二人の人気や知名度が落ちている、というところから物語が始まる
以上のような挑戦的な設定ながらストーリーは王道で楽しめたし、ディズニー内外のアニメキャラが大量にカメオ出演するため画面の中から自分が知っているキャラを探すという「シュガー・ラッシュ」や「レディ・プレイヤー1」のような楽しみ方もできる愉快なお祭り作品だった。
しかし、出演キャラや元作品へのリスペクトに欠けると感じる描写が多々あった。
中でも受け入れ難かったのがラスボスに据えられた「ピーター・パン」の描かれ方だ。
永遠の少年であるはずのピーターが中年になり(彼はただの役者なので普通に歳を取る)悪事に手を染めているというだけで元作品のファンにはショッキングだが、メインはそこではない。
彼は「ピーター・パン」への出演で栄光を掴むが、思春期への成長に伴い役者として上手くいかなくなり、犯罪の道へ進む。
これは、「ピーター・パン」の声優であった実在の人物「ボビー・ドリスコール」の生涯を元にしている。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2031989
ボビーは子役として「ピーター・パン」を含む様々なディズニー作品に出演するが、成長して子役でなくなるとディズニーから突如契約を打ち切られ、薬物中毒になり31歳の若さでホームレスとして亡くなる。
これを話のネタとして使い、あまつさえ悪役の人生と重ねて描くのは、あまりにもむごいと感じた。
作中のピーター・パンは何の改心もせず、救いもなく、下衆のまま物語は終わる。
これをよりによってボビーの人生を狂わせた張本人であるディズニーがやるのか?
自社の作品に命を吹き込んでくれた実在の人間に対して、感謝やリスペクトといったものが一切感じられなかった。
本作には「デザイン変更前の(キモいと言われた方の)実写版ソニック」がそこそこ出番のあるキャラクターとして登場しており、彼はこの作品で新たに命を授けてもらったように感じられた。そこには救いがあった。
どうして自社のキャラクターに、それを演じてくれた人にその救いを与えてやれなかったのか。
1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。
地方出身のアーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種のコミックソングの扱いだったようだ。
1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。
おニャン子とモー娘のあいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。
パッと聴いた感じは徳永英明や稲垣潤一と似たような印象を受けた。
1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。
当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルやパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、
このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。
いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。
1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。
1990年9月の18位。レベッカのNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカの解散直前に一曲だけ出したもの。
ギタリストの人がNOKKOのヘアメイクを担当していた繋がりらしい。
1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド。
Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。
1990年11月の20位。テレビドラマ「スクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌「ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。
他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。
1991年1月の18位。NHK「みんなのうた」からヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。
消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。
学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。
先日亡くなった俳優・宝田明の娘らしいが、宝田明もあんまりピンと来ないな…。
1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガー。ビーイング系っぽい(ビーイングではない)。
1991年6月の13位。松任谷正隆のプロデュースでデビューした女性シンガーソングライター。
歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。
1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。
当時からいろんな歌手に楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。
昨年亡くなったらしい。
1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。
テレビの企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。
1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズの桑田佳祐だった。
1991年10月の20位。何だと思ったらウッチャンナンチャンの南原清隆だった。
1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。
ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。
1991年12月の16位。名前で女性かと思ったら男性シンガーだった。
「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。
1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲。
ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。
1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞も英語で洋楽かと思った。
妖しげでトリップ感のあるサイケな楽曲。時代を感じさせない。個人的にいちばん気に入った。
1992年3月の12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。
エリート一家に生まれて英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。
1992年7月の10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別がわからん。
1992年7月の17位。当時としてもオールドスタイルだったのではないかと思われる正統派のロックバンドっぽい感じ。
1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。
ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプの女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。
でも楽曲はあんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。
1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。
当時、ユニコーンのメンバーが連続でソロシングルをリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。
なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。
1993年2月の11位。女性ロックシンガーの草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。
雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。
なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。
1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビー」キャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。
メンツは小田和正、チャゲアスの飛鳥、カールスモーキー石井、玉置浩二、徳永英明、浜田麻里、山本潤子となかなか豪華。
1993年4月の17位。こちらはチャゲアスのチャゲを中心としたユニットらしい。
1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。
1993年6月の3位。グループ名と曲名でビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。
デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。
1993年6月の20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。
1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。
1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん。
1993年9月の17位。男性二人組ユニット。双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。
1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞がおもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。
もともとZYYGのベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。
ちなみにZYYGのベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。
1993年12月の16位。ほのかに90年代後半っぽさが混じってきた気がする。
何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。
1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。
1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガー。いかにも90年代っぽいバラード調の曲。
いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報とラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントがおもしろい。
1994年3月の12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。
この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。
1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。
1994年3月の20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系のDEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。
1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカルの岡田浩暉は俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。
1994年5月の12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチで森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。
しかもボーカルの女性以外のメンバーは、中西圭三・池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。
点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。
暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。
1994年8月の17位。お笑い芸人のダウンタウンが白塗りで芸者のコスプレして歌うという企画らしい。作曲は坂本龍一。
見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか。
少しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。
1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。
この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。
Wikipediaによると「胸キュン」という言葉を最初に発した人物だとか。マジかよ。
シン・ゴジラが面白かったのでシン・ウルトラマンも期待出来る!
と思い初日に観てきました。
参考になれば幸いです
・アラサーの男
・ウルトラマンほぼ未見
特に、自分みたいにシン・ゴジラで期待値を高めた人には合わないだろう
禍特対の連中は怪獣の襲撃中でも軽口を叩いているし
戯けた演技で怯えたり喚いたりしている
全てに「本気感」が見えるし、そこが観客のストレスをなくして良かったと思ったんだけど
シンウルトラマンではノリの軽さからか「本気感」が見えず観ててイライラしてしまった
説明が説明としか機能しておらず、ストーリーの動きを兼ねていないので退屈に感じる
話している内容そのものが興味を引く部分ではなかったりして
登場人物が意味ありげに喋りだすと「止まってしまう」感じがある
さらにセリフの退屈さを補うためか、妙なカメラアングルを多用するのだけど
より退屈さを際立たせてしまっていると感じた
(この辺りはもしかしたら自分の分からないコンテクストがあるのかもしれない)
シンゴジでは(特に序盤の会議シーン)そのあたりの処理が非常に上手く
矢継早に状況の説明をしながら登場人物の立ち位置、物語の動きをスマートにこなしていて
当然構図や絵面なんかも演出意図に応じてビシッとキマっているから
これはエヴァでもそうなので庵野監督の力量によるところが大きいのかな…と
樋口監督、進撃の実写でも説明シーンやセリフが退屈に感じられたので…
禍特対の面々も、いかにも変人でございってなセリフや演技をしてキャラクター性を作ろうとしてるんだけど
いかんせんそれが物語で登場人物がこなす役割と一致していないので「ただ変なことを言う人たち」でしかない
極端な話、神永以外の禍特対の面々の性格が全員違ってても物語が成り立ってしまう
主要人物がその内面性故に物語の役割を果たす場面がとても少ない
怪獣や異星人の行動に驚いたりするくらいで、それも皆一様に同じ反応
禍特対の面々って終盤まで単なる驚き要因でしかないんですよ
当然キャラクター同士のアンサンブルも生まれないし、物語の動きも生まれないし
それが前述のセリフの退屈さにつながってくる
おまけに端役の愚かなキャラが順当に愚かな行為で足を引っ張るので
「強大で狡猾な異星人の策略に右往左往する地球人(日本人)」でしかなく
取り付く島もない異星人同士の喧嘩が終盤までずっと続く
ゴジラの襲撃という受動的な立場ながらも人が話を動かしていく様子がちゃんと描かれている
職務としての役割をメインに描いてるので一般的なキャラクター作劇とは少し違うのかもしれないけど…
人間ドラマなんてなくても良いものは作れる、という評はシンゴジ放映当時しきりに聞かれたことではあるけど
それはよほど上手く作られた群像劇だからこそ成り立つ手法であって
作品との兼ね合いが悪ければただ単につまらないだけのモノになってしまう
無いからこそどの登場人物にも思い入れを持てないモノになっている
ただ物語自体は理解しやすいし前知識も要らないので間口を広く作った映画だとは思っている
ただ作劇の本質的な部分で弱さや粗さを感じて残念だったし
https://www.pixiv.net/artworks/97652638
ともかく、今回の話は凄かった
杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる
「ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる
これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と
とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする
【ネタバレ要素】
ちょびっツ、ブルーピリオド、物語シリーズ、ライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス
【4コマ目】
「真剣に聞かないでどうするの」
最後のコマのセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで
【5コマ目】
個人的に好きな所
【6コマ目】
ここは難しいところ
家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか
答えはない
【7コマ目】
今回のメイン
表情も含めて、本当に苦しい
「ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」
自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然”であると感じる
誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く
ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性をネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った
ひとにすがたを 見せられぬ
「早く人間になりたい!!」
【8コマ目】
「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」
「追い出すということは その先で壊されることも あります」
後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね
久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ
厳しく辛い道である
もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と
【9コマ目】
「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」
「ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」
「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」
“自分(自分たち)と違う相手を排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚
この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる
ここが、この話の本質だ
頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ
意地悪な人より、優しい人が好きだ
醜い人より、美しい人が好きだ
自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ
自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ
至極当たり前の人だ
自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか
それをなしに、我々は我々を規定できない
その町には 誰もいなかったの
お家もあるし
窓から明かりも見える
でも 道には誰もいない
窓から中をのぞいてみた
ヒトがいた でもアレといっしょだった
ほかの家もみた
やっぱりアレといっしょだった
この町も ほかの町とおんなじだった
みんなはもう外には出てこない
この町には誰もいない
「最初は 好き好き言っててもさ」
これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる
自然だとどうして良いんですか
「裸も」
「幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」
【14~15コマ目】
「死ぬほど頑張って 恋人も友達も 出来ない人は どうするんですか?」
「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」
「… 振り向いて もらえなくても 努力は無駄に ならないはずです」
「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」
「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」
「言います…」
「人でなし!」
ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い
皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある
そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である
もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。
私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。
それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。
――坂口安吾「余は弁明ス」
【16コマ目】
「文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」
「お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います」
「ロボットが居る事で 私たちは 必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」
「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」
「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」
「でも私は そうするべきだと 思います」
「心が満たされた あとの社会」
「その向こう側に 行けると 信じているからです」
「ロボットと 一緒ならね」
ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ
以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた
究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない
その向こう側に行けるのだろうか
「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい
機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える
「…………どの真実をだね?」
「あの時代 どれほどの憎悪と絶望が 世界を満たしていたかを 想像したことがあるかな?」
「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」
「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」
「とるべき道はいくつもなかったのだよ」
私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。
そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
「ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」
「? そうですね」
「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」
「私 ブロックになりたいの」
全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回しだ
「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」
「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」
「大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」
「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」
「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」
「子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」
「一日中僕はそれだけをしてる」
「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」
――J・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
【18コマ目】
「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」
「今回の件は保留ということにします」
地味に好きポイント
やはりフェア
「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」
「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面を 否定することになる」
「どちらにしても 勇さんは救われない」
「どうすれば…」
やはり誠実だ
そして、ここのテーゼ・アンチテーゼが次のコマからアウフヘーベンの布石となる
「あなたが誰かを 傷つけても」
「人やロボットを 殺しちゃっても」
「自分を 殺しちゃっても」
「私は そのとき 一緒にいたいの」
「殺していいって言ってます?」
「久永先輩 いいんですか? こんなの」
「いいわけ ないでしょ」
「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」
これがジンテーゼとなる
否定も肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者
これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセプタンスである
ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在を承認」してもらうこと
「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」
「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。
ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。
これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。
あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら
あたしはどう致しましょう
【27-27コマ目】
「みんなが」
「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ」
もう、なんというか
ズルいと思う、このセリフは
これをやられたらもう何も言えない
いやおれが見たのは本当にダンスだったのかなあ?
配信で近藤良平という人の「夜のカフェテラス」というのを見た。
近藤良平という人はコンテンポラリーダンサーというはなしだから、きっとこれはコンテンポラリーダンスなのだろうと思うのだけれど、自分が想像するダンスの枠の外すぎてわからなくなっている。
赤ちゃんが初めて立ち上がる瞬間の演技や、雌鶏が走り回って卵を生む演技なんかはぱっと見でそれとわかってすごいなあと思ったし、たまにあるちゃんとしたダンスっぽいのもよかったと思う。所々のコミカルなパントマイム的な演技もそれはそれで面白かったのだけれど、大中小のクマのぬいぐるみとのダンス?とか、笛やラッパを吹いているところとかはこれは一体何を見ているのだろうと不思議な気持ちになった。
たぶん理解できないんだろうなあというのは覚悟して見始めたものだからそれはそれでいいのだけれど。でもできれば自分が見たものが何なのかもう少し理解したいという気持ちもある。
2期が始まったと聞いて未視聴の俺は1期から見始めて今1期9話まで観たけどつまらなすぎてヤバい。
話がつまらない。
アニメウマ娘を作ったサイゲームスだから冒険ドラマ的なのを期待したら、美食ギルド???
1話ごとに新キャラ出すせいで話の大筋を入れ込めない1話完結(しかも面白くない)構成ばかり。
特に6話のアオイの登場とか酷すぎる。いきなり初対面同士なのにモンスターから助けた後に聞いてもないのに「私友達がいないんですぅ!」。
こんなのソシャゲプレイ済みじゃなければニチャニチャした笑顔で迎える事は到底不可能なシーンでしょ。目が点になったから腋だけ見てたわ。だからプリコネやってそうとか言われるんだよ。
主人公のユウキにしては男を活躍させたりしゃべらすとオタクがうるさいから記憶喪失にして、
まともに会話できないけど性欲はないみたいな去勢型池沼キャラにされてる。これってソシャゲの方でも同じなのか?一生やらんからどうでもいいか。
視聴者に好かれる試みすらしない主人公とか斬新だけど、誰もしなかった理由くらい察しろよ。鬼滅ほどじゃなくていいけどタンジェロくらい好かれるキャラにするトライくらいしたら?
全体が「ソシャゲの既存プレイヤーに向けたものにするためにできるだけ沢山キャラを出そう」ありきのもので、「プリコネ自体の知識がゼロ」の俺からしたら全く楽しめないアニメになってる。
ドラマ性で言えばスポコンを下地に描いたアニメウマ娘の方が構成が良かったし無理にキャラを沢山出せて喋らそうとしなかったのは英断だった。
キャラの表情や動きは多彩ではあるけどそれが面白さに繋がっていない、それでいえばこのすばのようにキャラの個性と人格が行動やアクションに直結して場面内で完結しているアニメの方が面白い。
何よりキャラを沢山出すせいでメインキャラクターの内面を掘り下げる場面がほとんどない。
ペコリーヌも天然無邪気キャラなのは分かったから、彼女がそうなった理由を半分の6話までにちゃんと描くべきだろ。過去を描け過去を。主人公を池沼にした弊害だろこれ。
ドラマとしてもギャグとしてもキャラとしても冒険ものとしてもどの方面からも微妙すぎる。1期アニメ放送中も話題になってても全く観る気がしなかったのは視聴者のレビューからストーリー性をまるで感じなかったせいだろう。
サイゲームスは本当にこのアニメでプリコネユーザー増えると思って作ったんか?2期は1話と最終話だけ観ようと思う。
1つだけ褒めるとしたらリマのキャラだけは良かった。コミカルで人格も入っていて動きも可愛らしかったし話を回せるパワーがあった。
テレビは仮面ライダーとプリキュアくらいしか見ていないのになぜかお笑い番組に文句をつけるオタクのみなさんは知らないだろうけど
ここ数年、お笑い界は物凄い勢いで価値観のアップデート(笑)が進んでいて
コミカルな容姿、要するにデブスだからこそ面白がられてテレビに出ている田辺さんやあんりやかなでがデブ、ブスと男性芸人から罵られることは一切と言っていいほどなくなっている
(ダウンタウンの浜田だけはそういうことを言う、そして浜田だから……と何となく許されている)
第七世代の芸人の中には宮下草薙・EXITをはじめ「乳首NG」を正直に表明して
水泳の企画だけど上半身裸になるのが嫌な人は海パン一丁ではなく半袖Tシャツを着用している場面もある
コロナの影響もあって出川・上島ですらノリでキスをしたりズボンを脱がして局部を晒すようなこともなくなった
タライの位置は痛みのリアクションを取れないほど近くになり寿司の下のワサビは甘口かつごく適量になりハズレなのかどうか判別できないほどになった
ゴールデンタイムはコンビニスイーツを紹介したりみんなで健康体操をしたり節約レシピを紹介したりコストコを巡る主婦と老人向けの番組が中心になっている
雛壇でブラマヨとチュートリアルがお互いを罵り合い暴露大会を繰り広げているようなのは遠い遠い昔の出来事なんだよ
今はもうなくなってる状態なの、何年も前に
でも人間は稲ちゃんを「肌きたねぇな」「ハゲてるな」「すげえアゴだな」って思うことを止められないし
あさこや光浦さんを女性として愛する男は現れないし
サンドウィッチマンや鬼越に「人殺してそうな顔」という印象を持つし
対する松陰寺がツッコミ、かと思いきや突っ込まない、っていう二段階の裏切りを用意するギミックがあるから
「ダブルボケ」の笑い飯、「ボケツッコミ」のオードリーみたいにセオリーを崩すのが斬新だっただけ
どうせテレビなんか見ないポリコレ戦士に勘違いされて勝手に持ち上げてるけど
お笑いだって小説や漫画みたいにプロットから書き起こして舞台みたいに「台本」を作ってそれを覚えて2人が喋ってるんだよ
キャラクターなんだよ
フェミニストが漫画やアニメなんか見ないくせに横から文句言ってくるのと同じでお前らオタクくんが見もしない番組に文句つけてやってることは表現の規制なの
お笑い芸人も視聴者もいいかげんお前らみたいなのにうんざりしてて今は相当フラストレーションがたまってる状態だから
「不細工の社会進出の機会を奪うな!」「腫れ物に触るみたいにするな!」「面白い物は面白いだろ!!」って蜂起する時が近々来ると思う
ももの台頭はこれを機にテレビ業界がルッキズムを見直して云々ではなく
とっくに見直している上で揺り戻しの時期が来ることを示唆しているのだと思う
もうお笑い番組は全部ある程度の大人向けってことにして注意書きをすればいい
不快になる表現が含まれている場合があります、了承できる人だけご覧くださいってさ
チャンネル替えればいいんだからそんなこといちいち言わなくても了承してる人だけが見てるのが前提なんだけどな、本来
ミルクボーイの漫才だってコーンフレークが好きで好きでたまらない人が見たら傷つくんだろうから
人を傷つけない表現なんて無理だよ
わかったら増田はもうこれから仮面ライダーとプリキュアしか見ないでね
美男美女しか選ばれない世界ではなくハゲた歯無しのおっさんや糸目のブスが主役になって楽しむことができる世界であってほしいから