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はてなキーワード: 普通にとは

2024-07-27

吹奏楽部パート練習みたいなしょーもないアレンジするくらいなら普通にやれよって思っちゃうんだけど

相席居酒屋って女多くね

男の二倍待機とか普通にいるけど、増田フェミニストが言うには女さんは出会いに困ってないなら求めてないらしいし

そこで食事代を浮かせてるのかな

FPSチーター死ぬほど叩いてる人たちって、自分はそのゲームにとって良い客だと思ってるの?

もちろんチートゲームを腐らすからだめだと思う。

でもゲームを腐らして人を減らす行為って他にもあるよね?

トロールプレイとかスマーフとか性差別人種差別だって、そのゲームからプレイヤーを減らすのに十分な行為だと思うんだけど…

けが続いてムカついたかトロールした話しを面白おかしく話したり、意図的に下げランして自分の適性よりしたのランク無双したり、テキストチャットボイスチャット暴言セクハラしたり、それはいいの?

  

トロールスマーフだってそのゲームのラウンドが破壊されるって意味ではチートと同じくらい嫌だし、性差別人種差別ゲーム以前にモラルが低すぎる。

  

  

自分トロールスマーフするし性差別人種差別もするけどチートだけはゲームのために許しませんっておかしくない?

チートだけは絶対にあり得ないみたいな風潮あるけど、普通に全部あり得なくない?

自分は全部ありえないと思ってるからチートだけを批判してトロールスマーフはオッケーだけどチートだけは絶対に許さなダブスタ野郎気持ち悪い。

FPS好きだからもっと民度あがってくれ。

anond:20240727034340

河野太郎リベラルはもちろんネトウヨからも昔から普通に嫌われてるレベルだし売国奴扱いされてきた

蓮舫ほど叩かれてない理由は広範に渡る人間を敵に回してないか

anond:20240727030055

まあ普通に読むと非奴隷として召し抱えたという話なんやろな。弥助も奴隷やなかったんやし。

膝丈のワンピとかスカートが消えた

この世に売ってないんか?

クソ長ロングスカートorミニしか売ってね〜!

ロンスカだとチャリ乗れないし普通にかわいくないから着たくないんだけど

ミニすぎるのも抵抗あるし

普通に膝丈のワンピとかスカートを出してくれたらいいのに

グレイルのランキング見てみ?

本当に間の丈がない

なんなの

絶滅したの?

anond:20240725142420

これは弥助問題元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文ちゃんと読んでください。

っていうか,こういったテーマについては,藤田みどりアフリカ発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。

以下,当該論文について解説します。

そもそもこれは何の論文

注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?

はい問題ありません。なぜならこれは,タイトルアジア人黒人あいだでの人種人種観の利用――日系・アフリカアメリカ人場合からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカアメリカ人主題にした論文からです。

論文にはどんなことが書かれているの?

要するに何の論文なの?

これはどう読んでも,アメリカ黒人日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりアメリカ黒人歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!

こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか?  っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めますhttps://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料英語で書かれた論文典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。

仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説のものについて研究するなら,古い時代英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。

なので,ふつう日本中世史研究者が,この論文典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文引用してるとか)を持ってきてもらわないと……

(もちろん,最近中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)

この論文表象研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文タイトルからアジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくま黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人歴史黒人史の添え物とちゃうねんで。

結論

論文ちゃんと読みましょう。

ちゃんと読むっていうのは,この論文テーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。

タイミーのユーザーだけどタイミーユーザーに30以下の若者が少ないのは当然だと思うの

日本人の0歳から100歳までが同じ割合でいるとして、就労年齢が60までと仮定したとしても、タイミーが利用できる年齢は18歳からなわけで、30歳から60歳と18歳から30歳比較したらそりゃ30歳以下の割合は少なくなるよね。

実際は0から100まで同じ割合で居ることはなくみなさん御存知の通り少子高齢化年寄りの方が多いし、60過ぎようが元気なジジババは普通にいて働いてるわけで上の世代割合のほうが多いのは当たり前じゃん。

しろそれ考えたら若者割合多くない?

とこのまとめをみて思ったけど、そういうのはTwitterでは受けなくて適当に煽っるほうがいいんだよな

悲しいわ。Twitterすらぼっちなんだ俺は

https://togetter.com/li/2408155

タイミーのユーザーだけどタイミーユーザーに30以下の若者が少ないのは当然だと思うの

日本人の0歳から100歳までが同じ割合でいるとして、就労年齢が60までと仮定したとしても、タイミーが利用できる年齢は18歳からなわけで、30歳から60歳と18歳から30歳比較したらそりゃ30歳以下の割合は少なくなるよね。

実際は0から100まで同じ割合で居ることはなくみなさん御存知の通り少子高齢化年寄りの方が多いし、60過ぎようが元気なジジババは普通にいて働いてるわけで上の世代割合のほうが多いのは当たり前じゃん。

しろそれ考えたら若者割合多くない?

とこのまとめをみて思ったけど、そういうのはTwitterでは受けなくて適当に煽っるほうがいいんだよな

悲しいわ。Twitterすらぼっちなんだ俺は

https://togetter.com/li/2408155

2024-07-26

anond:20240726223713

うーん、そういうものかね…女の子はるかちゃんが拓哉くん殴った後の二人のことがあんまり描かれてないから、どうなのかが…

と思ったけど、最初のところは普通に初恋してるし、無理矢理したところが特殊なだけで、それ以外はよくある喧嘩別れなのかね…はるかちゃん大分冷めた顔してたし…冷めた顔かわいいけど…

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:anond:20240725222040

GL:これ

GL

ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分ステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。

BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画少女小説摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。

その後、オタクとして成長すると共に、だんだん百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。

覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネ女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。

自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち

そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。

そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。

タイトル 蛇行する川のほと
作者 恩田陸


本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天彼女主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女大人になる。

本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人子供奇跡狭間うつろう毬子、過去を持たない完成された香澄彼女相棒天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさな香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件きっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。

本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手香澄で良かったと思っている。

門外漢自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。

ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。

同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。

物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあん事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去事件因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。

この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしか自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友彼女からこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。

香澄芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。

百合とかGLとか未だよく分からないけど、自分にとってそれらに一番近い感情は、この二人を想うときかなって思った。

ニコニコ動画は復旧しても、まあもう使わんかなぁ…って気分だけど

Youtubeがランサム情報漏洩からの復旧でも、普通に使い続けるだろうなぁという予感がある

さて、何故でしょう

anond:20240726213801

誇大広告ってどこに基準があるんだろうね?

俺、子供の頃、アロンアルファCM普通に信じてたよ。

めっちゃくっつくんだ!スゲー!って。

たくさん食べる人が苦手かもしれない

実家飲食店営業してる。帰省時に手伝いをしていたある日から、たくさん食べる人について思ったことがある

モヤっとほどではないけど、GWに気になることがあった。ちょっと怖いな、という人に出会った……

両親が中華料理店をしている(町中華いちばん近い)。帰省した時にお店を手伝うことがあって、その時は冬の寒い日だった

夜に、作業服?姿の30才くらいの男性が来店した。普通に注文をして、食事をして出て行った。初めて見る人だった。近所の人ではなさそうだ

うちのお店のお客様は、皆さん千~二千円くらいお食事をしていかれる。食事1~2品とビールの人が多い

でも、その人は、自分だけで七千円以上も注文して、すべて平らげていった。飲み物紹興酒3杯だけ。残りはぜんぶ食べ物だった

正直、あの人が食べている時が怖かった。最初から揚げとラーメンの後、天津飯を注文したあたりでおかしいって思ったけど、なんであんなに食べられるんだろうと思った……

会計の時、私の母が料金の収受をした。普段は父と母の2人だけで店を営んでいる

母は、その作業服のお客さんからお金をもらって、お釣りを返す時に、その男性の両手を握って「また来てください」と言ってた

父も、わざわざカウンターの奥からありがとうございました」って……すごく、尊敬してる感じだった

からすると、その人の食欲に違和感を覚えた。あんなに食べる人はちょっと怖いよ……

しかしたら、私の感覚が変で、実際は、たくさん食べる人ってみんな尊敬するものなの?

言うまでもなくわたしは若輩であり、人生の先輩方からするとヘンな意見かもしれないけど、聞いてみたい

なんで父も母も、あんなにあの人に心を近づいていったのだろう。教えていただけるとありがたいです

anond:20240726212145

普通に照れだと思う。

それよりブクマカがよくする〇〇は嫌いだけどこの意見に賛成みたいなコメントの方がきもい

https://x.com/teshimakairei/status/1816204581657010287?s=46

こういう何かを褒める時、

「〇〇とか興味無いし知らないんだけど」って前置きするのメチャクチャ嫌い。

普通にストレートに褒めれば良くないか

ツンデレみたいな演出かけて注目させようとしてんのがわざとらしい。

anond:20240726212003

980円のうな玉ありがたがる方が負け惜しみ感強いぞ。普通にうな重食うって。

anond:20240726205943

近所に汁なし担々麺の名店があるんやけど普通に冷凍食品の汁なし担々麺の方が美味かったやで。

人間が歪んだ瞬間

10年以上前の話なんだけど、友人のOがひょんなきっかであるテレビ番組に出る事になった

Oはどちらかと言えば今で言う所のチー牛タイプ

友達として付き合う分には普通に気の優しい良い奴だったけど、異性からモテるタイプでは無かった


何でそんなOがテレビに…と思ってたけど(本人も「何で(沢山いたサークルメンバーの中から選ばれたのが)俺なんだろ?」なんて言ってたけど)

撮影が終わった後のOの落ち込み具合と、実際に放送された番組理由は判明した


なんとOは、カメラの前で徹底的に女から侮辱されていた

今で言う非モテキモオタを弄って嘲笑う、という趣旨の内容だった

明らかにキャラ作りを超えて弄る(虐める)行為に「手慣れている」様なグラビアアイドルだかモデルだかやあまり売れて無さそうな芸人らに徹底的に愚弄されていた

今だったら大炎上だし、当時ですら掲示板の一部の片隅では少し話題になってた

なんであん趣味の悪い番組放送したのか分からない


その時からOは、異性を憎む頭のおかしい奴になった

今まで男女問わず見せていた気遣いや優しさが異性相手には無くなり、明らかに女性不審憎悪を拗らせて敵意を見せる様になった

そんなOに対し「世間あんなクソ女ばかりじゃないよ」なんて励ましてたけど

例のテレビの件で近寄ってきた女も居て、その殆どがわざわざOをからかいに来た様な女達ばかりだったこともあり

遂にOは完全に壊れた

女性への憎悪をむき出しにする様になり、彼の周囲からは人々が離れていった


あれから何年も経ったけど、Oに恋人が出来たとか結婚した、なんて話は当然聞いた事がない

そんなOの名前を久々に見かけたのは、大学同級生が「これ、Oじゃないか?」とシェアしてきた、ある事件犯人としてのニュース記事だった…


自分の知る限り、元のOはさえないタイプかも知れないけど、真面目で心優しく親切な人間だった

そんなOが、あの番組きっかけに、完全にブッ壊れたミソジニー男になってしまった

まるでイジメ被害者が歪んで加害者になっていく経緯そのものだった


他人に優しくない人は他人から優しくされるわけがない」みたいな言葉があり

「だから弱者男性他人に優しく無いから異性から相手にされないんだよ!」と弱者男性差別肯定する論調で使われているけれど

女性からあそこまで悪意をぶつけられ、優しくされなかった人間が、女性に優しく出来るわけないだろって今でも思う


あん経験があったら誰でも歪むし、そもそもロクに優しくされなかった人間が、他人に優しくなんて出来るんだろうか

そんな余裕のある聖人なんて殆どいない

聖人を超えた聖人としての振る舞いを、そこらの男性に求める女性精神性は、到底聖人とは程遠いのにね

日本アカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・1

日本には大学教授研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭

 

 

あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授研究者賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。

職業年齢おおよそ
の月収
ボーナス
おおよそ
年収
労働者
航空機操縦士43.1138123 1,779 4,970
医師41.69763 1,227 77,920
(男女合計)管理職業従事50.247522 1,086 6,720
大学教授高専含む)★58.066275 1,067 59,530
法務従事49.968176 992 21,150
大学准教授高専含む)★48.955207 867 39,880
歯科医師40.56042 762 15,090
その他の経営金融保険専門職従事39.346156 708 16,000
大学講師助教高専含む)★41.649108 696 56,890
高等学校教員43.143163 679 69,200
研究者39.842156 660 118,450
輸送機器技術者40.141159 651 191,480
小・中学校教員40.342146 650 31,200
システムコンサルタント設計40.44697 649 78,730
電気電子電気通信技術者通信ネットワーク技術者を除く)41.841154 646 285,830

 

 

そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、

ほとんどの人は、大学教授研究者賃金を上げることに賛成しなかった

(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)

 

 

そんでまぁ招いたのが今日日本の状況ですよ

高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人情熱能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった

社会の基礎を担う公立の小中学校先生問題と似てるよね。尊敬に値する素晴らしい先生もいれば、残念ながらどーしようもない先生もいるみたいな
でも、そういった感情はグッと飲み込んで、羽振りのいいヘッジファンド並みのお賃金大学教授研究者に払うべきだったんでしょうね。苛烈競争で質を担保するために

 

 

まずはこれ

"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年東京大学准教授投稿である(成りすましでなければ)

アサシン・クリードシャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽パブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。

 

 

そして、これもまさか2024年日本大学教授(わざわざプロフィール所属身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~

PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?

Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.

(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人人種差別主義者」だけではありません。多くの日本インターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?

アサシン・クリードシャドウズについて日本ネットユーザー意見を表明している例をこの画像確認してください。)

               ↓

南京事件慰安婦問題などに対して配慮のない主張を繰り返す属性の人、某氏信者の人の画像を羅列&投稿)

https://x.com/mrjeffu/status/1816040391990468666?s=61

 

悪いけど、ワイは明確に、南京事件慰安婦問題などに対して配慮のない主張を繰り返す属性の人、某氏信者の人では無いです
だけど、アジア人蔑視日本文化軽視のプロモーション表現を重ねてきた UBI の姿勢と アサクリ シャドウズ は非常に不愉快です😠

 

いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" (←実話・真実物語とされている) などは、

日本文化に対してさらなる誤解を招く可能性があります

それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、

上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSお気持ち勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています

 

 

1. まず、"坂上田村麻呂黒人説" について言及しま

これは、司馬遼太郎氏やカジュアル歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇フィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います

"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前カナダ人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。

米国非営利団体 Internet Archive で原著確認できると思うんですけど、

氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます

 

484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN

[...]

And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.

(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)

 

THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485

the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,

a famous general and a Negro.

(彼らの軍隊の指導者は 坂村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)

 


  Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"

   https://archive.org/stream/jstor-29737886/29737886_djvu.txt

 

まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。

そして、この論文記述全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、

 

As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.

 

(統治者戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王アメンホテプ3世エチオピアカンダケとエルガネススーダンマンサムーサ、ソンニ・アリ、モハメドアスカイ、ブラジルディアスハイチのトゥサン・ルヴェルチュールロシアのハンニバロフ、本の坂村麻呂フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)


The Negro

https://archive.org/details/negro0000dubo_w7n3

 

さらに後続の米国黒人公民権運動活用されたり、歴史フィクションアイデア元になった歴史があります

そのため、一部の児童向けサイト教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります

この界隈では、次のことわざ日本にあるとされています

For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood

"侍が勇敢であるためには、少しの黒人の血を持っていなければならない"

 

日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます

Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora

https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African

 

2. そして、弥助ぇぇぇ~ぇえ🎵↑

弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者黒人の方で、しか剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。

弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。彼は道具持ちを任され、わざわざそのことが記録にも残っています

頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます

というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。

(最近ゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公人種自由に設定できるオプションデフォだけど)

 

ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。

わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。

 

耶蘇会日本年報 第1輯

https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/164

 

弥助は、格 (家柄・役割) が無いため、一般的意味武士(侍)では無いことが、極端に歴史をサボっていない日本人なら誰にでもわかるとだと思います
武器を持てば武士(侍)』、最近そのように日本アカデミアの中で定義を変えたのであれば、お知らせして頂きたいところです。
今まで、農民の子孫という自認だった人は、一度でもご先祖様が戦に参加していれば、これから武士(侍)の子孫です。
あるいは、ご先祖様が用心棒として武器を持ったことがあれば、これから武士(侍)の子孫です。

 

 

『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔

 

それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版Wikipedia 見ると、日本アカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの

ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます

Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.

 

(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバル大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)

 


Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf

 

Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)

 

更にこれに加えて、日大教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国まれ武士(侍)となった、

弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますから

例えば、大手ニュースメディアCNNとかで

African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal JapanCNN

https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html

そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアル歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇フィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います

 

 

文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2

 

 

 

関連増田

出~女性特有の「善意から受け入れるべき」圧力・・・キッショ!

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240726103729

女性は互いに深く情報を共有することで連帯感を築くので、これは新人会社コミュニティにいち早く入れさてあげるための善意による一種手続きだよ。許す圧力という発想が見当違い。私は質問されたら嬉しい。

たこいつか。女性特有のコミュニケーションを認めないやつ


やっぱり普通におなじ女性から否定されとんじゃん。

私のいるコミュニティグループでは不躾な質問ほぼ無いし、失礼な質問する人は似た人達とつるむか孤立する

女ってなぜ自分ロジックがほかでもおなじだと思ってんだ。アホなのか

クラフトワーク津田

フジロック配信スケジュールを見てると、クラフトワーク配信が無いとの事だったのでXでその事をぼんやり検索していると、

https://twitter.com/tsuda/status/1816127190721061137?t=vMksfaHyQiugSPFJuQb7ww&s=19

このツイートが目に入って、何かモヤモヤするので書こうと思った。

あいちトリエンナーレクラフトワーク

普通に考えてトリエンナーレっていう税金の補助があるイベントそもそもクラフトワーク呼ぼうとする発想がおかしいと思わないの?

クラフトワーク坂本龍一が呼びかけた反原発イベントNonukesにも出演した経緯があるから思想共感してあいちトリエンナーレにもいけると思ったのか?

俺は別に政治芸術も詳しいわけじゃない。

ただ、あいちトリエンナーレの件で同様の目が向けられた余波でトリエンナーレが中止になったり打ち切られた所に住んでいる地方民だ。

津田が思う以上に地方芸術文化に触れる機会って貴重で楽しみにしていたし、担当者だって一生懸命やっていたと思う。

このモヤモヤはそういう機会を奪っておいて、言うに事欠いて俺の好きなクラフトワークは出演料が高いだの呟いていること。

唯一の救いはクラフトワークが出なかったので、あのゴタゴタに巻き込まれながら無かったことだと思う。

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