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はてなキーワード: カウントとは

2018-10-18

anond:20181018001056

社会に騙されたり洗脳されたり抵抗を諦めた結果、専業主婦になってしまうんやろ

まさに統計上も弱者カウントされてしかるべきマイノリティ

専業主婦になりたくてなった人まで弱者カウントされる統計なんなの

男の自殺率見ろやコラァ

運悪く性魅力0な無能に生まれしまった男はガチで生きるか死ぬかの世界なんや

2018-10-16

anond:20181016181716

線量が高すぎて回収できなかった遺体って放射能で死んだんでしょ

100000カウントとか言ってたぞ

あれがあるのに安全とか言ってる連中の厚顔無恥にあきれるばかり

2018-10-15

バカ女とバカ男がバカ娘やバカ息子を生むのは出生数にカウントするな

学力の高い子ども、親の習慣や家庭環境に「共通の傾向」…文科省調査で判明

https://biz-journal.jp/2018/10/post_25094.html

単純にバカ子どもを産んでもバカが生まれて、そいつ人殺しをしたら結局それだけ納税額は減って余計な税金を使われるのだからノーカンにしてほしい。

DQN子ども産むだけで偉そうな顔するけど、それは全く世の中にとってプラスにはならない。

教養を身に付けている人だけが子どもを産めるような社会になってほしい。

2018-10-14

20年前から小説家を目指してる

だが肝心の小説本文はまだ1文字も書いていない

設定とかキャラクターとかストーリー展開とか引用文とかに関するメモは少なくとも小説15作くらい(ファンタジー3部作、ノンシリーズSF現代物など)書ける程度の分量になっているし、それらの小説ネタ元(参考文献)としてこれまでに少なくとも500冊くらいは科学書とか小説とか詩集とか買って読んできたんだが(日常読書とは別、参考文献として使うだけの本についてのカウント)、それを完成された小説文章として表現するステップに入れない

それを書き始めたら自分小説家としての第一歩を踏み出してしまうことになると思うと怖くて指が動かなくなる

執筆環境としてScrivnerインストールして解説本買ったりも何年も前にしたんだけどまったく起動すらしてない

メモけが無駄に大量に溜まっていく

しかしたら小説を書くという口実で勉強したいだけなのかもしれない

本をいくら読んでもメモいくら書いても文章修行にはならない

一作を最後まで書ききるという経験を積み重ねることだけが経験値となるのだと思う

から私は小説家を目指してから20年、小説家としての経験値はゼロのままだ

たぶん次の20年も同様に1文字も書けないのだろう

2018-10-13

断ったらこの人を傷つけてしまうから……。

彼氏がいる自分が好きなだけ。

恋に恋してるような馬鹿女を利用するくらいのドス黒さが自分に欲しかったなー。

から見ればそういう人間こそモテてるように見えるんだよなー。

まぁその人の人生の過ちの一つにカウントされるのも釈然としないが。

2018-10-11

野菜もしっかり食べよう

🌽←こいつは野菜カウントでいいなら

🍟←こいつも野菜カウントになるのでは

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

https://anond.hatelabo.jp/20181010164531

撃った弾をカウントする描写は珍しくもないよ。 あまりにもありふれ過ぎていて、わざわざあらためて描写するのは陳腐に感じるくらいだ。

ちょっとひねって、わざと早いタイミングリロードすることを繰返して装填数を誤解させるような展開とかもあるけど、それももう今となっては陳腐という印象がある。

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兵器というのは信頼性絶対

銃器の全てが兵器というわけでもなく競技用の銃というのも存在するが、そういう繊細なのを除けば対象が人であれ獣であれ、引き金を引いたときに弾が出ないと話にならない。

射程だとか威力だとか精度だとかいたことは銃の性能を表す数値として重要だけど、それよりもまずは「弾が発射できる」のは大前提

弾が出ないときは射手が死の危険さらされるんだから品質管理ものすごい厳しい。

ものによってはそれなりにメンテナンス必要だけど、銃があって弾があるなら原則としては撃てる。

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物語にするにあたって銃を撃てない状況に説得力を持たせるなら、そんないいかげんな知識ではどうにもならん。

2018-10-10

anond:20181010085141

根拠のないお気持ち表明

まず法的な根拠微塵もないけど異常者に配慮しなきゃいけない状況を表現の自由カウントしてるのもおかしいが

異常者が暴れ続けてれば法が変わってくれるという妄想がどうしようもないな

そんなのよりフェミニズムに公金の補助が出なくなって単なる偽学問として扱われる方が早そうだぞ

anond:20181010040054

その高校生の50%を占める「女子高校生」は?

喜ぶはずの人間としてカウントされてんの?

女子高生なら「オタク」じゃなくて「腐女子」だからみなくていいの?

そういうとこも含めて根深い男女不平等だよね。

男子科学者の卵は釣れたらうれしいけど女子高校生は見なくていいよって、

科学に対しても、女性に対しても、高校生に対しても、

もともとキズナアイファンだったオタクに対しても失礼じゃないの。

露出(出演機会)さえ増えりゃファンは喜ぶだろなんて見くびられたものだ。

2018-10-09

anond:20181008215814

metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想

お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数ヨーロッパ言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数ヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.

kyuuzyuu9yen じゃあ文系論文妥当性はどうやって担保しているのかと。仲間内でも議論はしているのか?

dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系ローカルルールという言説には面食らう。記述言語査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。

slimebeth この問題英語査読不要理系絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…

本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要であるしか査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.

ていうかこういうひとたち,普段査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文批判的・懐疑的に読まれ瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.

reuteri ペレルマン査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界科学ではないのですよ。日本語については同意

藁人形叩かれても困るんですよねぇ.

theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。

こういうレベル説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人ドイツ研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本西洋史研究日本歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本西洋史研究独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクト独自問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカソ連研究典型的かな).日本中国学はフランス台湾中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.

kingate だとして。最先端は何処よ?学術研究論文最先端批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。

分野によるとしか言いようがないし,別に最先端複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究最先端だけど,私は現地での最先端研究フォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).

iyochoo 国内アカデミアを重視するか、世界アカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。

世界アカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.

(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)

anond:20181009154937

ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.

そもそも査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的解釈するとして.

当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれ雑誌,というもの存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.

なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれ媒体論文投稿すればよろしい.というか人文系研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.

そもそも文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由ひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分論文他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも引用されてむっちゃdisられてても1回引用カウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?

(……)一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)

それはアメリカ社会学者自国語で論文を書いているだけでは……?

というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学学術誌,探すとあちこちにありましたよー.

韓国語http://www.ksa21.or.kr/kjs/

中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/

中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php

ロシア語http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html

フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html

ポーランド語https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240

リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027

カタルーニャ語https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index

ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃん英文学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781

いやほんと,テキトー知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?

death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ

理系研究事情査読制度を知りもせず「理系研究権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系事情を知りもしないのに思い込み的外れ批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.

zu2 琉球歴史琉球語でかける日はいつか。文化侵略ってこういうものだよな

これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラムまりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系事情積極的活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.

quick_past だったら方言で書いてもいいし、絶滅言語で書いても良いのでは。

それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者日本語論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁研究する者のほぼ全てが標準語論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).

第2に.もちろん書いていいです.少数民族独自民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族学術誌に少数言語論文を載せてる日本研究者もいる).それに,言語方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学常識であり,実際に気仙沼方言方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語日本語バイリンガルコラムを載せている学術誌もある(コラムまりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学薩摩弁を公用語にした紀要出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.

abll 「過小評価しすぎ」は重言。「過小評価している」か「軽く評価しすぎ」が正しい。

きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.

anond:20181009110756

商品棚に合法的商品が陳列されてるには見せつけるのにカウントされないわけだが

まさかお気持ちで見せつけにカウントちゃう

anond:20181009051334

残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。

論文の内容の正しさはどうやって保証されてるの?

出版すること自体が業績になるなら、金持ち妄言論文だって言って出版したらそれも業績になっちゃうんだけどいいの?

それがだめなら出版たから業績ってカウントの仕方がそもそも問題だってことになるよね?

たとえば適当査読誌をでっち上げ査読してますと謳って実質無査読論文を垂れ流すことは同じく金があれば誰でもできますが、そうやって出来上がったもの研究者コミュニティにおいて信用を得られるか、というとまた別の問題

著者がこれまでアカデミックキャリアを積んでこなかった人だったりしたら、「あっ……(察し)」となって黙殺ルート一直線でしょうね。アカデミックキャリアを持つ人が書いたダメな本だったら、どこかの書評フルボッコにされた後になかったこ認定かな。学術誌って書評欄ありますよね? あそこ見るといいですよ。雑誌によるけど、権威のある雑誌だったらあれが足りないこれが欠けてる○○語も読めねえのかとか言いたい放題してます。もちろん後発の論文や本の中で批判されまくることもあるでしょうね。当たり前ですけど先行研究批判ちゃんとやるわけで。

出版だって、長年良質な学術書を出版してきた、ある分野での定評のある出版社、みたいなやつがあるわけですよ(cf. anond:20180828185404)。日本語圏でも英語圏でもそうです。そういうとこは慣れた編集さんがきちんとチェックするし、まあたまに事故ることはあります基本的に変なもの学術であるかのように装って出したりはしないわけで。あと最近科研費出版助成とかもあるんで、あんまりにもダメ研究助成されないし、単著出版に際して査読を科す出版社さんも出てきてますね。

まー、こういう評価の仕方は数量化しにくいですねえ。権威主義とか職人芸とか言われても仕方ないかもしれない。

ただ、こんな当たり前のことを説明しなければいけないのかと若干徒労感があるのですが、文系にも研究の出来不出来による評価軸というものはあり、また信頼性を重み付けしようというインセンティブ存在するわけですよ。

査読論文なら盲目的に信奉する理系の人なんていないでしょ? それと同じですよ。単著からって無条件でありがたがったりはしない。だいたい単著ほどのボリュームのものを書く以上はどこかに土台となるような論文(群)が存在し、それは何らかの形で人目にさらされていることが多いわけで(もちろんなんの予兆もなしに単著出しちゃう化物がいないわけじゃないですけど。あとはドイツとか特殊事情がある国もあるので、まあ……)、信頼に値する業績を挙げてきた著者なら「おっ! ついにアイツが単著を出すのか!」「あの研究ようやく本になったのか!」みたいに迎えられるでしょうし、怪しい著者はその段階でお察しな扱いを受けるんじゃないですか。実際に出来上がったものの出来は、それまでの研究の出来からある程度予想つくのはわかっていただけますよね。

もしもこれが日本だけの慣行なら、あるいは社会学だけの話なら、ガラパゴス非難されても仕方ないかもしれない。けれど実際には、アカデミック単著を業績にカウントするのは英語圏ロシア語圏も同じです。フランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが、単著学術的論集の1章は立派な研究業績。私の本棚には英仏独語で出た外国人の著書が並んでますが、どれもそれぞれの国で研究業績として立派に通用しています。私は社会学だけじゃなく歴史学文化人類学政治学学術書も読んだことがありますが、どれもちゃん研究業績として扱われていますし、内容もまっとうな研究でしたよ(ハズレがないとは言いませんが)。

文系出版したがりになんの問題もないかというとそれは違って、文系の中でも色々議論はあります。そしてその議論は非「文系」にも開かれているべきでしょう。ただ、そもそも論として、このへんの文系事情をろくに知らない人が自分野のローカルルールを振りかざして口を出してるのはほんとムカつきますね。文系研究書を1冊でも読んだことがあるのかと。外国語文系論文を手に取ったことがあるのかと。文系論文を読みもせず、英語やその他の言語での学術書を触ったこともない人たちに、文系慣行ジャッジする資格なんてあるはずがない。

追記

id:yuimoke ふむ。文系論文質的担保について。

論文じゃなくて著書の話です。ちゃんと読んで……

id:n314 えっと、内容の正しさの保証は、つまりどういうこと?著書、どこかの書評定評のある出版社、編集さん、出版助成査読、土台の論文群、過去の業績、これらから総合的に判断するということかな?

自分で読んで判断しましょうよ……理系だって査読を通ったんだから正しいに違いない! なんて思わず批判検討するっしょ? それともそういうプロセスをサボって無批判論文の内容を受け売りしてたひとたちが文系慣行ケチつけてるってことなんですか?

id:uturi 文系学問では査読するのは出版社ってこと? そういう文化なのか。

文系基準でも出版社の編集によるチェックは査読とは呼ばないです(査読をする出版社もあります。たとえば→https://twitter.com/saisenreiha/status/1049653174045270021)。一度もそのプロセス査読とは呼んでいないでしょ? 頼むからきちんと読んでください……

id:napsucks でも批判的な観点でチェックされてるかは疑問かな。堂々と立派なところから本出してた旧石器捏造みたいな例だってあるし。

そんなこと言ったら理系査読だって小保方晴子黄禹錫ヘンドリック・シェーンを見抜けなかったんだから、たいした意味ないんじゃないの? って話になりませんか。この3人、NatureScienceに堂々と載ってたんですが。

id:junmk2 金だけで動く会社から出版専門家からフルボッコにされても、そんな情報一般人アクセスしないので、論文があります単著があります権威は十分通用する。「まともな」専門家形式的には変わらない。

たとえばJournal of Nutritional and Environmental Medicineみたいに?(cf. http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20150220#p1

id:himakao この出版不況の中、論文の中身まで編集がしっかりチェックする余裕があるようにはとても思えないんだけど、文系研究者論文本って界隈で質が高いと評価されるとそんなに売れるもんなのか?

売れるわけないでしょ(涙)……とだけ言うのはアレなので補足すると、もちろんこれは本の内容によります現代思想とか戦国時代とか、一般読書家にもファンが多いテーマならひょっとしたらワンチャンあるかもしれませんが、マニアック文化人類学研究とかだったらまあまず売れないです。だから出版助成もらうわけですけど。著者にも金銭負担が生じることは結構あると思いますよ。

id:Dragoonriders なるほど。徒労感はあろうかと思われるけど、畑が違えば、みんなよく知らないんですよ。

徒労感があるのは、文系評価基準を知らない人が多いことに対してじゃなくて、文系の中にも研究の出来不出来があり論文や著書の信頼性を重み付けするメカニズムはある……という至極当然のことに思い至らない人が多いことに対してです。査読が重視されないならあらゆる研究フラットということになりその中で優良な研究を見分ける作業時間を取られるのだから効率だ! みたいな論を立ててる人とかね。人間社会なんだから何らかの形で評価システムが生まれてくる、ってことくらい、別に具体的な事情を知らなくてもちょっと想像力があればわかりそうなもんだけどなぁ。

id:hisawooo その「お前らはよく調べて論文読んでからじゃないとジャッジしちゃいけないけど俺たちは見た目だけで判断して良い」という奢りはどっからくるの?

ちょっとこのブコメで堪忍袋の緒が切れた。

あのなー! 俺はキズナアイ服装なんて公共の場に出して全然オッケーな露出度だと思ってるわ! 特設サイトだけじゃなくてNHKの夜のニュースに出てても批判せんわ! ラノベの表紙におっぱいを強調したチャンネーがいて何が悪いって思ってるわ! 社会学全体や文系全般を叩くやつがいたか反論してるだけ!

もうほんとふざけんな。どっち側もクソすぎて付き合ってられねえわ。

anond:20181009040817

残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。

論文の内容の正しさはどうやって保証されてるの?

出版すること自体が業績になるなら、金持ち妄言論文だって言って出版したらそれも業績になっちゃうんだけどいいの?

それがだめなら出版たから業績ってカウントの仕方がそもそも問題だってことになるよね?

anond:20181009025322

しがない人文系研究者だが、被引用数ってどうやって数えりゃいいの?

以前、英語論文ネットの片隅に載せたんだよね。査読つきのやつ。そうしたら外国の人から引用された。1回は英語査読誌で、まあこれはいいとして(しか引用されても別に俺に通知とか来ねえんだよな)、残り2つは、ヨーロッパのそれぞれ別々の国で発行された論文集に載った現地語の論文。私が執念深く自分研究と直接関係のない国での研究まで調べてなければ気付かなかった(イタリア研究者ポルトガル語論文見つけた感じだと思って。もしくはイギリス研究者ノルウェー語の先行研究見つけたみたいな)。うち1つはネットにアップされてないやつを現地の書店ゲッツしてようやく引用されてることを知ったレベル

文系で被引用数とか本気で数えんの無理っすわ。そういうのを評価対象にするのは理系の皆さんだけで頑張って。

後の査読なし論文、著書の執筆、講演、紀要などはレジュメの賑やかしでしかない。無価値

文系では、日本語だろうが英語だろうが、博士論文を著書として出版したり、既発表の査読論文をまとめて+@して著書として出版したりすることが普通にあって、それは業績としてカウントされるわけだし(英語圏でも既発表論文継ぎ接ぎの不格好な著書なんて普通にあるわボケ)、なんなら日本学術書海外翻訳されて海外研究者に読まれたりしてるわけですが、そういうの全部スルーですか、そうですか。

柄谷行人世界史構造』の英訳https://www.dukeupress.edu/the-structure-of-world-history

小熊英二『〈日本人〉の境界』の英訳https://www.amazon.com/Boundaries-Japanese-1818-1972-Inclusion-Exclusion/dp/1920901485

お前の分野のローカルルールを他分野に押し付けるのやめよう、な?

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

https://anond.hatelabo.jp/20181008102122

そもそもおかしな人ははてサですらなくネトウヨから

韓国全力擁護だが何故か韓国左派に詳しくなく韓国右派スピーカーになってるスコ犬氏とか中国人権侵害記事ときだけ人権侵害に抗議せず記事信憑性を疑いだしたりブコメ数少ないアカウント自民党工作垢と決めつけてidコールする癖があるアルトゥロ氏とかをはてサではなくネトウヨ側にカウントする流れがはてなリベラルの間で定着してきている

あの辺は仲間同士でスター付けあってるからちょっと追ってみればグループ全体像がすぐ分かる

中にはスター付け専門の人もいるけど基本的には互助会

そして、互助会的手口で勢力維持しようとするのは言論で戦うリベラルではなく声の大きさで戦うネトウヨのやり方

からちゃんネトウヨと呼んであげるべき

そういう日々の地道な自浄作用の結果として綺麗で健全はてなリベラルが維持されてる

2018-10-07

バイト日記

久しぶりにバイト日記日記というか、最近あった色々とか考えた事とか。

ここ半月ばかりはバイト以外の日常生活が忙しく、しかバイトの翌日に早起きしなきゃならない日が多かったので、日記書いてるどころじゃなかった。

・数ヵ月ぶりに新人バイト採用される。

・この店結構バイトの人数いる方だけどバイト募集は常時しているんだよなぁ。人数集まったら篩にかける気なのだろうか?

・現時点では、今まで勤めた職場の中で最も居心地がいいが、クビを切られない様に、よりいっそう気を引き締めよう。

プロアルバイター氏がさっそくクビになるという噂だが本当かどうか不明ソース相棒だし。

相棒プロアルバイター氏の勤務時間が変更になったり休暇が数日続く度に「あいつはクビだ」と言ってるのだが、プロアルバイター氏憎しのせいでなんか白昼夢でも見たのかな?というくらい、相棒の「奴はクビになった」は当たらないのであった。

新人バイト君初出勤の日に大遅刻かますイケメン正社員氏。第一印象……。

・そういえば以前書いたバイト日記に「イケメン正社員氏はどんだけイケメンなの?」というブコメを頂いたのだけれど、「イケメン」という呼称はなんというか便宜上そう呼んでるだけに近いかもしれないが、私基準ではイケメンと言っていいのではないでしょうか?くらいの感じ。

イケメン氏が異常なまでに人気者なのは本当だが、本人曰く「彼女募集中」らしい。そう言っとくとお客様パートの御姉様方が喜ぶから言ってるだけなのではないかという気がしないでもないが。

朝井リョウエッセイに「若者特有の隙」について書かれていたのを読んで、なるほどと思った。イケメン氏は隙だらけ。納得。

気候のせいか最近変な客多い。

外国人実習生男の子達が着払い荷物を持ってきた日は決まって、「今日は色々な事があって嫌んなった」と言う相棒。色々って、それしかないでしょ。

相棒が何故そんなに嫌んなってしまうのかというと、外国人実習生お客様は、送り状の荷物の内容を書く欄に日本語で書けなくて、代筆してくれと言うからである

・でも代筆は絶対しちゃいけないのでそれは断るんだけど、中々粘り強いのだった。

・だが相棒にはすごく粘る外国人実習生お客様も、私が相手だとあっさり退くのだけれど、どうやら私は日本語が通じないと思われているっぽい。訛ってるからかな。

・袋詰めって悩ましい。基本は大きいものや重いものを下にするものなのだけど、1000mlの牛乳1本とペペロンチーノ(器がでかくて薄い)と崩れ易いデザート1個とかどうしたもんだろう?と思う。

・そういう明らかにバランスい組合わせでも全部一つの袋に入れないと不機嫌になるお客様いる。

・逆に細かく別けて欲しいお客様もいる。

・一々確認すればいいだけだが、確認するとあからさまに煩わしそうなお客様達。

・そういう時、何故か一つも文句言われずにサックリ綺麗に袋詰めしているプロアルバイター氏。さりげなく「崩れ易いデザートこちらに別けて入れさせて頂きました」と言うなど、すごくプロなのである(語彙力

・「袋要らない」は袋出す前に言って頂けると有り難いですな。

・以前、Twitterコンビニスーパーで働いている人が客の悪口を吐きまくっているのを見た。そのヒトは「卵のパックを袋の一番底に入れるとキレる客がいる」と呟いていたが、私は今のところそういうお客様にはエンカウントしていない。

1000mlの牛乳1本と10個入の卵1パックのみをお買い上げのお客様に「袋一緒でいい」って言われると背中と足の裏に嫌な汗出る。

クリスマスケーキ年賀葉書おせちの受付が始まった。

ノルマはないというけど一件も受注取れなかったらオーナーから説教されるそうだ。

・店外で家族親戚や友人知人にお願いして買ってもらうのは成績にカウントしないという。

・そんな事したら嫌われるからしないけど。

クリスマスケーキ売り込めって言われたって夕勤には不利すぎる。

だって、独り身ぽい男性客ばっかりだもん。

・その他のお客様常連さんばかりなので、受注開始当日に誰か他の従業員カタログ渡しちゃっている。

クリスマスケーキを購入する意欲と決定権を持つお客様(小学生以下の子供がいる家庭の主婦)が全然来店しないし。

・という訳で既に諦めモード年賀葉書おせちに賭けよう。

・それも無理めー。

anond:20181007165846

ならばまずその数をカウントしなければな。

狂信的なファン自分を頭数に含めちゃう事象名前はあるのか?

昔、ゲーム情報が欲しくて2chゲハ板ROMっていたことがあるんだけど、

「先にこういうことを言い出したのはそっちの陣営だろw」

みたいな書き込みを見て、びっくりしたことがある。

何かの話題について、各ゲームメーカーファンが言い合いしている中での書き込みだったと思う。

これが「そっちのセカンドパーティー開発者が先に、こっちのゲーム機を批判する発言したんだろ」という意味ならわかるけど、

「そっちのゲーム機のファンが先に、このゲハ板に同じようなことを書いただろ」という趣旨のようだった。

陣営」って。

メーカーあなたを身内としてはカウントしてないと思いますよ?

単純に「陣営」という言葉意味がよくわかってないのかもと思っていたけど、その後、ゲームと全く関係ない別の話題でも、

狂信的なファン自分は味方の頭数に入っていると思い込んでいる例をいくつか見て、普遍的現象なのではと思い始めた。

もう少し間接的な例で言うと、中小ブラック企業で、酒の席なんかで会社方針に対して良くない点を指摘したら、

他の社員が「社長はこの会社をよくしようとしてる。みんなのことを考えてくれてる」などと擁護に回ることが、たぶんよくある。

なんなら「それはお前が仕事できてないからそう思うのだ。俺はこの会社のおかげで、いい仕事をさせてもらってる」とか。

いや、たぶんその社長は、あなたのこともできるだけたくさん働かせてたっぷり搾取することだけ考えていますよ。

こういう、「自分は味方に含まれている」「お前は違うかもしれないが自分は守ってもらえる側だ」みたいな思い込みは、

なんて呼ぶんだろうか。なんかもう名前ついてると思うんだけど。

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