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2017-06-24

世界線を越える

人生諦めが悪いというかなんというか、

願ったことは何が何でも取り戻したい性分のようだ。

高校の時に別れた彼女と10年後に再開して、1年後結婚した。

経験/絵も描けないデザイナーなんてと門前払されたのを懲りずに、

3年後同じ会社バイトで潜り込んで学び、独立するまでになった。

20代の時にコンペで勝てなかった、案件を5年だし続けて受注した。

鬱病になって2年引きこもったけど、社会人復帰した。

喧嘩別れした大学親友と30超えて仲直りした。

Fランしか卒業できなかったので、去年から某国立の院に通い始めた。

仕事中毒になり家庭を失ってしまったが、10年かけて説得して帰ってきてもらった。

自分馬鹿なので、何度もなんども転けて

その度に色々失ったり、傷つけたり、こんなはずじゃなかったと後悔したりするんだけど、

から零してしまったものも、諦めなければまた手に入るんだなと思っている。

いろんなものを失った世界線を歩くのだけど、

自分の望む世界線に強引にでもなんでも引きづり戻す。

もちろん、ファンタジーのように死んだ人を取り戻すことはできない。

でも、5年10年という時間、取り戻すことを忘れなければ、

取り戻すチャンスはまた巡ってくる。

たぶん、だいたいの願いは叶う。

取り戻すことも、新しく手に入れることも願えば叶う。

優しさと知性の化身の友人

1人の親友がいる。

お互いの大学進学で離れ、数年に一度しか会わなくなったが、なんでもない会話をして、家で考えを練り直すと、霧が晴れるように悩んでいた答えがわかる、彼と過ごした後なら、3倍くらい脳が回転する、大好きな友人。

まず彼はとても賢い。

学生時代、異常とも思えるくらい数学が強かった。

適切なたとえ話をすると、完璧理解して、それはつまり、と正解を返してくれる。

逆に、間違ったたとえをすると、エラーを吐き出す。

時に、自分が想定しなかった答えをくれ、自分の話のなかに隠れた情報垣間見る

彼と話すということは、自分思考の整理になる。

そして、自分でも気が付かなかった答えを得ることが出来る。

そして、彼は底抜けに優しい。

優秀さゆえか、出し抜こうとか、言いくるめようとか、そういう発想が全くない。

与えられた条件から、答えを吐き出す、本当にそれだけだ。

コンピュータのようだ。

なにを言われても、なにかを強制されても、気にも留めない。

最後にもう一つ、彼の長所は、異常なほど記憶力がない。

よっぽど興味あることでないと、記憶出来ず、どんな話も忘れてしまう。

これらの特性により、先入観や、固定観念経験や勘による補正というものなく、その場で与えられた前提条件からだけ答えを導く。

そして、その会話が終わって、一日経つとすっかり忘れてしまう。

もう少し具体的に話そう。

彼はかなり敬虔クリスチャン結婚した。

マスオさんをして、義理の父の介護をしてる。

彼の底なしのやさしさは、とても好評だそう。

奥さんの家は、折につけて彼にキリスト教教育したが、糠に釘のようで、諦められたようだが、優しさの化身であることはわかってもらえているようだ。

食事の前にお祈りをするくらい、敬虔クリスチャンの家にいて、前に彼に会ったときに話した会話は

ジーザスイエスって同じ人だって知ってた?」

である

見事なまでに、興味がなければ、なにも憶えない。

ひょんな話の流れで、マリア処女懐胎という話になった。

マリア様のことは知っていたけれど、処女懐胎については知らないようだった。

しばらく話して、彼と私の結論はこうなった。

ヨセフは優しい。許婚自分以外の子妊娠したけど、別れずに結婚した」

念のため、そんなことをお前の嫁にいったらぶっ飛ばされるから絶対に言うな、と釘を刺しておいた。

したり顔で議論をふっかけるようなことは絶対にしないタイプだし、それにどうせすぐ忘れるはずだから問題はないと思うけれども。

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

どっちも全力でやれ。

どちらかを選ぶな。

俺は高校の頃ほどほどに勉強してほどほどに遊んだ

両方ほどほどだったせいで後悔がある。仕事をしていて、あのときもっと本気で勉強していたら今の業務もっと効率よくこなせるのにと感じることがある。同窓生とは仲も良く今でもしょっちゅう遊ぶが、親友と呼べるようなやつはいない。

どちらかを選ぶと、いつか後悔する日がくる。かといって両方なんとなくではだめだ。持てるリソースの全てを「高校生活」にぶち込め。そうすれば自ずと道は拓ける。

2017-06-21

幸せが壊れていく・・・」私を絶望に追いやった更年期障害悪夢

更年期障害なんて他人事だと思っていた。



しかし、50歳の春、私は更年期障害になった。正直、更年期障害なんて大したものではないと思っていた。



でも全く簡単病気ではなかった。



更年期障害は私の人生を大きく変えてしまった。
家族、友人、多くの人を傷つけ、大切なものも多く失った。



でも周囲の粘り強い支え、幸運出会いもあって、何とか克服ができた。今では元の幸福を取り戻すことができたと言える。



更年期障害は心身共に症状が現れる。それゆえに知識がないと混乱をしてしまい、治りが遅くなるばかりか、周囲の人を傷つけ更に自分自身を追い込むことになる。



もっとこうしていれば、苦労しなかったのにな・・・」



そう思うことが沢山ある。

それを今更年期障害に悩んでいる人に伝えたくなった。


興味があれば読んでみてください。

普通幸せ、そこに突然訪れた「ある変化」・・・



私は昔から特に見た目、賢さに恵まれたわけではなかったが、健康だけには自信があった。風邪らしい風邪は引いたことがないし、入院したことも出産ときぐらいだ。



子供を産んだときもあまりにあっさりと産んでしまったので、主治医が若干苦笑いをしていたほどだ。



そんな私は、当然、華やかな人生を歩んできたわけではない。しか女性としての普通幸せは手に入れることができているという満足感はあった。



私にはもったいないくらいの優しい夫、26歳の長女は嫁ぎ、23歳の長男社会人に。子供が自立したのと、夫の定年退職もあと数年に迫っていたので、「老後ものんびり楽しく過ごしていこうね。」と仲良く話し合っていた頃だった。



その変化は突然やってきた。



なんだろう。暑い・・・・



最初異変を感じたのは3月事務パートに行く電車の中だった。



暖かくなってきたとはいえ、その日はさほど暑い日ではなかった。



午前10時、電車の中は通勤ラッシュも終わって混雑はしていなかった。それなのに顔がほてり、汗が止まらなかった。私はそんなに汗っかきではないはずなのに。



「なんだろう・・・」



不思議に思いながらもその場は特に深刻に考えることもなかった。



だが、職場に着いても汗は止まらない。クーラーの効いた室内でみんなが涼しそうにしているのに私だけは暑くて汗がでてしまう



「これは何かがおかしいのではないか?」


一瞬そう思ったのだが、仕事が忙しかったため、その心の声をなんとなく流してしまった。

この判断が私を長い苦しみの追いやったのかなーと今でも後悔している。



続く症状、心まで蝕まれていく



汗の症状はその後も続いた。



特に夜に暑くて目が覚めてしまうことは辛かった。パジャマシーツが汗で濡れて冷たくて目が覚めたこともあった。



汗だけであれば慣れてしまえばどうってことはなかったのだが、1ヶ月経つ頃から別の症状も出るようになった。



朝起きるのが辛く感じるようになった。起き抜けから身体がだるく、軽いめまいもあった。なにより気分が重い。仕事行きたくないな-と思い休んでしまうことも増えてきた。



家事に関しても大好きだった料理もする気がおきず、惣菜を買って帰ってしまうことが増えた。

掃除洗濯苦痛になり週末まで溜め込んでしまう日が続いた。

これまで主婦としてしっかり家事をこなしてきたことには自負があったので、そんな自分が許せず、罪悪感でいっぱいだった。



そんな心身ともに不安定な時期が続く中、

あの事件が起きてしまった。

大事ものが次々に壊れていく・・・



さすがの夫も家事が以前のように行われていないことに気がついたのだろう。



「最近家事あんまりできてないみたいだけど、何かあった??」



心優しい夫は気遣いながらもそう聞いた。



夫は優しく聞いているだけだっただろう、ただ罪悪感に追い込まれていた私は夫に対して怒りを露わにして



「何にもわかってないくせに!私を追い詰めるの!!」



と大きな声をあげてしまった。



私が感情的になることなんて結婚してから一度もなかった。昔から気が長い方で怒ることなんて滅多にない。ただこのときの私は感情までコントロールできなくなっていた。



夫の驚いた顔が今でも忘れられない。



ケンカ一つしない、互いを尊重し、問題は優しさで解決するそんな関係を長年続けてきた。でも、その大切に育んだものに大きなヒビが入ってしまった。そう思った瞬間だった。



すぐにフォローをしなくては。そう思うけど心が追いつかない。
一体わたしはどうなってしまったのか。



唯一の相談相手



「何かおかしいんじゃないか?」



夫はそう言ってくれるけど、私は認めたくない気持ちがあった。



こないだの1件で心に溝ができてしまったこともあるんだろう。



夫は最も信頼できる人ではあるけれど、異性ゆえに相談しにくいこともある。特に心や身体のことは打ち明けるのに抵抗があった。



はいえ、私にも明らかにおかしいというの自覚はあった。けどどうしたらいいかからない。追い詰められていた私は遂に親友相談をした。



大学の同期の加奈子だ。大学卒業してからも定期的に会い、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。私の全てを話すことができる唯一の人。それが加奈子だ。



私は加奈子にこれまで起こった全てのことを打ち明けた。



「それって更年期障害じゃないの??」



加奈子の意外な言葉に私は驚いた。



今まで、病気一つしたことが無い私は、正直更年期障害と言われてもピンと来なかったが、加奈子の言う典型的な症状と私のそれを照らしてみると、確かに当てはまることが多い。



実は加奈子も昨年に経験をしたという、加奈子とは3ヶ月に一回は会っているのに全然気が付かなかった。



「私は軽かったというのもあるけど、職場の友人が更年期障害を疑ってくれて、早めに対処できたのが良かったかもね。まさみも早いうちに病院に行ったほうがいいよ。更年期外来ってのがあるから。」



やっと踏み出せた一歩、しか・・・



友人の話というものはすんなり入ってくるもので、すぐに病院を探し、近くの婦人科に足を運んだ。



その医師によると、更年期障害一般的に2から3年続き症状が収まることが多いとのこと。



「これが2,3年も続くのか」



そう思うとこれから人生が暗く重く感じた。



この医師HRTという療法があると提案をくれた。しかし、あまり病院に慣れていない私は、なんだか大掛かりな治療のように感じ少し抵抗感があると伝えた。



それであれば漢方という方法もあるとのことなので、まずは漢方治療から行うことにした。しばらく加味逍遥散喉、半夏厚朴湯、大防風湯、抑肝酸、を服用し様子をみた。



最初の1ヶ月程度でほてりに関してはだいぶ改善してきた。



しかしながら、3ヶ月経過しても、だるさ、めまい、気分の重さに関しては改善がほぼなかった。これでは辛い生活は続くばかり、夫に対しても感情的になってしまうことが多くなったため会話も減ってしまった。



娘、息子への連絡も減ってしまったし、たまにする電話でも以前より感情的で口うるさくなってしまったのか、前ほど家に寄り付かなくなってしまった。



私の世界がどんどん狭くなり、壊れていくような感覚に包まれていった。居てもたってもいられなくなった私はまたも加奈子相談した。



意外な解決策



加奈子は何で治したの?」



以前はなんとなくプライド邪魔して具体的な治療までは聞けなかったが、今度は率直に聞いた。



「私はHRTをやったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。軽度だったというのもあって大豆製品を中心に食べる食事療法をやってた。途中からちょっとサプリメントも飲んだよ」



漢方にも改善はみられなかった。HRTはやはり抵抗があったので加奈子と同じ治療選択した。



私は加奈子より症状が重いように感じたので、食事療法を中心に最初からサプリメントも服用した。



溢れ出る希望、なくしたものを取り戻すために



友人同士体質が似ているというのはないだろうが、この選択は私にとって正しかった。



効果はわりとすぐに現れた。約2週間程度でずっと持っていたイライラ感が少しずつ減ってきた。それに伴い感情コントロールができるようになり、夫との会話の回数が増えてきた。



1ヶ月経った頃には身体のだるさが改善してきて、家事に対して前向きになれた。



掃除は軽くではあるが毎日洗濯は週2程度、料理は週に1度くらいしか作れなかったが、簡単ものなら毎日作ろうという気分になってきた。



一度改善兆しが見えると気分は晴れやかになってきた。治療に対してどんどん前向きになって大豆食品を多く取り入れた食事を調べたり、サプリメントに関する知識積極的仕入れ、よりよいものを探すようになった。



そして、3ヶ月目には、ほぼ以前の私を取り戻すことができた。



休みがちだった職場の方々も理解をしてくれて、職場にも以前のスケジュールで復帰することができた。



家事も以前のようにしっかりとこなせるようになった。夫も私を気遣って家事を身に着けてくれたので、以前より2人で一緒に家事をやるようになった。



夫との会話も以前のように弾むようになり、信頼関係も戻ってきたように感じた。夫も私が更年期障害であることは理解してくれていたようで、



「症状が収まろうが収まるまいが、ずっと寄り添っていくつもりだったよ」



と言ってくれた時には思わず大泣きをしてしまった。この感情の動きは更年期障害によるものではないと今では確信できる。



結果的に私は友人の進めた食事療法サプリメント民間療法で幸い比較的短い期間で更年期障害を乗り越えることができた。



自分の心と身体が思い通りにならない約半年間は本当に苦しかった。



周囲も理解はしてくれるけど、気持ちが離れていっていることはわかる。その孤独感が特に辛かった。どうにもできない自分も本当に歯がゆかった。



あなたに伝えたいこと。



私が今も後悔していて、あなたに伝えたいのは、一つだ。



ほてりを感じる日が続く、気だるさ、気分の重さがなかなか抜けないといった症状を感じたら、すぐに更年期障害かな?と疑い病院に行くべきだということだ。まずは更年期障害であるということを理解してほしい。



もちろん私に効果のあった治療あなたにとってベストだとは思わない。HRT受診したほうがいい場合もあると思うし、漢方が効くこともあると思う。また他にも治療法があると思う。



なので、どんな治療でも良いと思う。開始することで前向きになれるし、意外と周囲の理解も得られる。更年期障害は早い人は30代後半から、誰もが抱えうる問題であって、決して恥ずかしいものではない。



一人で抱え込んで、症状が悪化し、周りに迷惑をかけることが、孤立を招き更年期障害を非常に辛い病に変えてしまう。



病院が嫌だということであれば、気軽にカウンセリングを行ってくれるNPO法人もある。まずは更年期障害であることを疑い一歩を踏み出してみて欲しい。


はいちばん大事家族という存在を失ってしまう寸前まで精神的に追い詰められてしまい、本当に苦しい体験となってしまった。



あなたには同じ思いを絶対にしてほしくない。



この体験談が役に立ってくれることを願っている。


2017-06-20

叱られた時のショックが消せない

30近い人間の言うことと思えないが、リアルに困ってるので教えて欲しい。

叱られた時、どうやったら叱られた時のショックは蓄積しないで立ち直れるんだ?

自分空気があまり読めず、読めないが故に無礼発言や過剰な発言が多い。KYなんて可愛いものではなく、基本的発想が自己中心的で無神経の域だと思う。

自己中の自覚はあり、人を不快にさせる発言改善したい気持ちもあり、微々たるものだが改善してはいる。指摘してくれた相手には感謝しかない。

自己啓発系の本を読んで、失敗も経験といった考え方や、落ち込まないように抑制すると逆効果からX時までとことん落ち込むと時間で区切る方法を学んだ。

実践してみてそれなりに効果はあったと思う。

「何で自分は言う前に気づけ無いんだ」と自責して終わりにせず、「これが駄目だったのならこう変えよう」と改善に繋げられるようになった。

なのに「またやってしまった!」と気づいた時のショックだけが脂肪みたいに蓄積して困っている。

もう改善策も見つけて実行できて同じケースでの失敗はしてないのに、ふとした時にショックだけがフラッシュバックしてくる。

フラッシュバック時の変化

昔は「何で自分はこんなに馬鹿なんだろう」って心中で落ち込むだけだった。

次にやけ酒・やけ食い、もしくは1日まったく食欲がわかないの、食欲の両極端化が起きた。

二年くらい前からトイレの個室の方にこもって泣くようになった。家でも職場でも外出先でも一旦泣かないと立ち直れなくなった。

で、ついに最近「もう死にたい」って思うようになった。

今日トイレの個室で「死にたい」と声に出してしまった。

蓄積と悪化を顕著に感じている。

ストレス要因の有無

仕事給与は適量で、人間関係会社全体で良好なホワイト企業だと思う。特に上司には恩義を感じている。

どんなにムカついても見捨てないでくれる古くから親友もいる。

心底楽しいと思える趣味もあり、好奇心は旺盛。

結婚を前提に交際している女性もいる。

家庭環境特筆点はなく、両親共に健在で、社会に出てから感謝することも多いのでしっかり育ててくれた良い両親だと思う。

自身の外見は上中下なら「下」だが、幸い特徴的部位はなく、いじめ対象となったことはない。

完璧主義責任感や真面目なんて言葉とは対極の性格

将来の目標もあり現時点は目標への延長線上に立てている。

彼女親友は、遊んでる最中自分唐突トイレにこもり、目を赤くして帰って来たら心配し、話を聞いてくれる。励まし、慰めてくれる。

悩みを打ち明ける相手がいないことはない。

現状にストレス要因はないと推定している。

フラッシュバックが起きやすタイミング

上位3位は就寝前、入浴時、調理時。主に脳内が「無」の状態の時に起きやすい。

なので、気の置けない相手との雑談の合間や、慣れている仕事を行っている際も上位に入る。

圧倒的なのは就寝前で、暗い部屋でいい歳した大人が泣いていると、思考マイナスに寄ってしまい、蓄積されていたショックが増幅して帰ってくる。

睡眠時間が削られるのも困るが、頻度は低めでも仕事中にも起きてしまうのが本当に悩みどころだ。

精神科はすでに行った

就寝前のフラッシュバックで不眠気味になり、仕事に影響が出たので、精神科受診した。

不眠症の傾向があるとは診断されたが、うつ病の傾向は見られないとのことだった。さもありなんと思った。

フラッシュバックが起きていない時は、70まで生きれるとしてもあと40年余りしかないことを悔やむほど楽しく生きている。

からこそフラッシュバックが起きる意味は皆目見当もつかず、また発生時の自分の落ち込み様にも理解が出来ない。

睡眠薬は処方してもらったが、嫌なことを思い出さずに入浴できる薬などあるわけもなく、現状はできるだけ脳を「無」にしないことしか対策がない。

そんなの交通事故防止に対し「注意して運転しましょう」と言うだけのようなものだ。

軽減はできても根治はできない。

カウンセリングも受けてみた

顔が見える相手だと緊張してしまい、3回受けて3回とも効果や収穫はなかった。

「小さいことは気にしないようにしましょう」と言われ、それができないから受けているのにとがっかりしただけだった。

異常に打たれ弱い人間として生きるしかないのか

学生時代には、まだ自分精神的に幼く、叱られた経験も少ないから強いショックを受けるだけで、大人になれば緩和されると思っていた。

だがむしろ悪化している。

今でも叱られるのがとにかく怖くて嫌だ。

経験として成長に繋がっている実感があっても、「怒られてしまった」というショックの蓄積はなくならない。

新たな注意点の発覚(によるショック)が怖いので、職場の昼食時の雑談などには入らなくなった。

幼少~少年期は腕白で、乱暴な子だったように思う。滅多に叱られない優等生では決してない。

しかしたらその頃から蓄積されていて段々臆病になり、今、「死にたい」まで到達してしまったのかもしれない。

だとすれば自分は生まれつき異常に打たれ弱く、それは一生改善されることがないのだろうか。

一番怖いこと

積もり積もって「死にたい」が「死のう」になり、本当に自殺したら、自分としては残念ではある。まだ「こち亀の最終巻を読む」しか夢を達成できていない。

だが自分決断して実行したのであれば自己責任だ。

でもフラッシュバックは本当にいつ来るか分からないので、例えば彼女と買い物に出てる最中に「死のう」に到達するほどのフラッシュバックが起きたらと思うと非常に怖い。

自分死にたいなら死ねばいいが、真面目な両親や、責任感の強い彼女にはどんな迷惑をかけるか分からない。

常日頃から自殺の二文字が頭に浮かんでいるならまだしも、現状では「人生楽しい」という時間の方が長いので、いつ死んでも良いようにと孤独状態を作り出すことはできない。自分勝手だが。

それでもいつかポーンと自殺してしまいかねないと怯えるほど、フラッシュバックとショックの蓄積が怖い。

今日起きたフラッシュバック

これだけ長々と書いたが、そう言えばまだ先週叱られたことを書いていなかった。

その日は趣味繋がりのLINEグループの場で失敗した。

女性メンバー自分デブからモテないと自虐ネタを入れて来たのだ。

過去に似たようなケースで「太っているより痩せている方がモテやすくはある」と返したら叱られたので、女性自虐ネタ否定するのが正解なのだと思っていた。

別に太っていると思ったことはない」といった旨を返すと「嘘だ~w」というレスが来た。

会話の雰囲気やスタンから向こうも会話に乗ってきてくれているのだと思ってしばらく会話していたら、後ほど別のメンバーから個別LINEで指摘が来た。

「軽く終わらせて欲しい自虐ネタを、稚拙な嘘でフォローされて、長々とそのネタで会話を継続されると精神的に辛いものだよ」といった内容だった。

時を置いて読み返してみると、たしか相手女性からは早く会話を切り上げたい雰囲気が漂っていたし、他のメンバーからも会話をやめるようヒントが飛ばされていた。

自分はむしろ相手女性に、女性として十分魅力的であるフォローしていたつもりで、良いことを言っているつもりだった。

冷静になってみたらただのセクハラだった。

ただこれだけだ。

自己中が、女性の前で格好つけたかったものの、ただ空回りしただけだ。

「気をつけよう」で終わらせていい話だし、すでに「自虐ネタ対応は、自分のような人間にはまだレベルが高いので、もっとコミュ力が高い人に任せ勉強させてもらおう」と改善案自分の中で明示した。

もう一週間も前の話だ。

なのに今日会社でこの一件を指摘された時のショックがフラッシュバックした。

急に心臓が圧迫されたような感覚になり、トイレの個室でひたすら「死にたい」と呟いた。

こんなに死にたいと思ったのは初めてだったので驚いたし、怖くなった。

前回のフラッシュバックの時は、死にたいとは思ったが口には出さなかった。

今回は呪詛のように呟いていたので、いよいよもって危険だと感じた。

皆はどうしてるんだ?

まとまりがなく、長々とすまない。

皆はどうしてるんだ?

こんなフラッシュバックは起きないのだろうか?

それとも慢性的死にたい気持ちと戦ってるのか?

ここまで読んでくれた人がいたなら、まずは貴重な時間ありがとう

異常に打たれ弱いと言っておいて説得力もなにもないだろうが、このフラッシュバックを根治したいので、何かあれば是非教えてほしい。

追記6/21 13時

情けないと叩かれて終わるかと思っていたから、今本当に嬉しい。皆どうもありがとう

もう昼休憩終わるから、ひとまずお礼だけ言いたかった。

帰宅したら教えてくれた病気や本を調べてみる。ブコメも一つ一つ拝読する。

本当にありがとう

追記6/22 2時

お礼と、情報をまとめた。

http://flashbackshock.hatenablog.com/entry/2017/06/22/023926

https://anond.hatelabo.jp/20170620055552

女の善し悪しを言うのに料理の上手い下手を言うな。飯ぐらい自分で作れ、作ってやれ。女の仕事だと思うな。

それはともかく、その彼女が性に淡泊でないなら別れた方がよい。レス彼女を悲しませることになる。

セックスがないことを気にしない人なら結婚するがよい。親友相棒同士のような関係の良い夫婦になるであろう。(託宣終わり)

人類消滅ボタン

そーゆーボタンがあったら間違いなく推す人間だった。

そもそも家族愛情を感じたこともなかった。

親友と呼べるようなやつは何人かいたけど所詮他人

森を護れーと叫ぶわけじゃないけど動物たちに罪はないか地球破壊ボタンは押さない。

結婚して子供が出来てからも変わらなかった。

遺伝子を残す意味なんてない

ところが数年前から事情が変わってくる。

推しアイドル)が消滅してしまうなんて考えられない。

毎期毎期沢山のゴミアニメと神アニメが生れてくる。

漫画だって小説だってそうだ。

知らんかっただけで人間には創造性ってもんがあるらしい。

文化カルチャーだ。

相変わらず人間ゴミだし、アイドルだって幻想産物だとわかってるけど

くさいものにふたをすればそこそこ楽しい人生を送れるような気はしてる。

酷い精神状態とそれでも文化に騙されて娯楽を得てなんとか生きながらえている綱渡り状態だけど。

今の僕は全人類消滅ボタンは押さない。

推し未来を失わせたくないのがそのうちのほとんどの理由だとしても。

2017-06-19

親友の不幸を悲しめない

彼氏ができた、って聞いた時は素直に嬉しかったのに。

初めてセックスするんだ、とか言って相談してきた時はとても可愛くて、その彼氏が羨ましくてぶっ飛ばしたくなったりしたのに。

いざ二人が別れるとなると、気持ちが妙に浮き立つ。

嫉妬もあるけど、私はやっぱり彼女のことが好きらしい。

あーあ、こんなことなら、この間泊まりに来た時に胸揉んどけばよかった。彼女もいいって言ってたのに。彼氏結婚も考えてる、なんて言うから、理性総動員して頑張ったのに。馬鹿みたいだ。

また彼氏でも作って紛らわしたいな。いや、彼氏でも彼女でもいいんだけど、彼氏の方が作るの簡単から彼氏欲しいと言っておく。バイのこういうとこ、ビアンさんから嫌われるんだろうな。

タイトルから逸れ過ぎた。今週彼女と会うんだよな。なんて声かけようかな。

2017-06-18

お金で買える欲しいもの全然ない

ボーナスがそこそこ入ったので

気分転換に何か買い物でもしようかと、通販サイトを色々と見て回った

綺麗な服やアクセサリー、便利家電、素敵な家具や美味しそうなお取り寄せ旅行ツアー

いつもふらふらと見に行くサイトで、いいなと思っていた物が、いざ買おうとすると全然欲しくなくなっていた

元々それほど物に執着もなければ、収集する癖もない

年代女友達は、流行の服とか、ブランドバッグとか、ちょっといい値段のするアクセサリーとか、海外旅行とか

欲しいものやしたいことをあげるとキリがない、と言って、いつも新しい物を身につけて色んな所へ遊びに行っている

私は家で本を読んだり映画を見るのが好きだし

1度気に入った物があれば壊れるまでずっと使い続けるたちで

装飾品など身の回りのものは、もう買い換える必要性を感じない

それは良いことのように思えていたけれど、欲しいものが何もない、となると少し違う気がする

貯金をするのは将来のために大事だと思う

少しずつ増えていく数字を見るのは楽しい

でも消費する先を失ったお金は、なんだか虚しく思えた

何かを買うことで少しでも楽しいとか幸せとか、そういう感情を消費したい

何か欲しいもの、と考えて考えて

親友が欲しい、と思った

一緒に楽しさを消費してくれる、私のことを一番大事と言ってくれる親友

ももう二十代半ば、この年になってそんな関係性を誰かと築くことができるのだろうか

偽善のススメ

実家リフォームするというので、

10年ぶりに物置化した自分の部屋の荷物を整理した。

高校の頃に買ったベージュの糞ダサいダブルジャケット

中学校体操服や履き古した上履き

図工の時間に作ったであろう謎の粘土の花瓶などなど。

まあ、よくこんなものを捨てずに取っておいたもんだと、

黒歴史の出土品の発掘を楽しんでいたら

使い古された小さなリングノートが1冊出てきた。

偽善のススメ」

子供の拙い字で書かれた、そのノートを俺はよく知っていた。

中学校1年生の時、女子から酷いイジメにあった。

もともと俺が鼻炎持ちで授業中に大きな音で鼻をかんだのがキッカケだった。

それから無視される、ものを隠される、汚物扱いされると

一通りのイジメを受け、そのうち男子も巻き込み、

最後葬式ゲーム。そして、学校に行けなくなった。

中学2年に学年が変わるタイミングで、俺の転校が決まった。

偽善のススメ」はその時に書かれたものだった。

1.自分の事ばかり話さない。

「俺は〜」「俺なら〜」という話し方はしない。

相手のことをとにかく聞こう。

2.褒める。とにかく褒める。

すごいと、とにかく言おう。すごいと言われて嫌な奴はいない。

とにかくすごい。すごいと言おう。

3.自分から積極的に話しかけない。

自分から動くのは目立つ。話に来てくれる人を待とう。

話してきてくれた人には、全力で感謝するふりをしよう。

4.優しい人を演じよう。

誰かが物を落としたら、率先して拾う。

落ち込んでる人がいたら励ます

優しい人のイメージ自分に貼り付ける。

5.女子には特に優しく。

クラスの評判を握っているのは女子

女子にはとにかく優しく接する。重いものを持っていたら、持つなど。

6.絶対に好きにならない。

女子に優しくしても、決して惚れない。

惚れたらそこから全てが崩壊する。絶対に惚れない。

万が一にも惚れられたら友達と言い続ける。

7.悪口を言わない。

悪口絶対伝わる。悪口同意もしない。

悪口を誰かが言い始めたら、できるだけその場を離れる。

8.親友は作らない。

学校に仲良すぎる友達を作るのは危ない。

全員とそれなりに仲良くなる事を目指す。

9.卑下しない

自分ができない事を愚痴らない。人を羨ましがらない。

情けない人間は好かれない。


10.勉強で1番をとる

自分クラスで1番勉強ができれば、人を褒めた時に喜んでもらえる。

できない人から褒められても人は嬉しくない。

11.誘いは断らない

誘われたら、できるかぎり参加する。

それも1番最初積極的に参加するのではなく、

人参加することが見えたら、俺も行くよ。というような自然な感じで。

12.汚いに気をつける

鼻をかむ音、くちゃくちゃ食べる音。

鼻をほじったり、トイレで大きい方をしたり。

「汚い」行動はしない。どうしてもしないといけない時は隠れてする。


13.見た目に気をつける

毎日髪を洗う。ワックスをつける。爪を切る。

制服にフケが落ちてないか毎日チェックする。

汚物にならないように気を使う。

などなど。最後の「ススメ」は59番まであった。

俺は中1の春休みにこれを何回も読んで、泣いて、

新しい項目を書いてを繰り返していた。

もう二度とイジメられたくなかった。

新しい中学校では、とにかく「偽善のススメ」を守った。

半年もしないうちに気づけば人気者になり、上位グループに入っていた。

イジメられない幸せを噛み締めていたのだが、

同時に学校にいる自分は「偽善自分」ではないかと思い始めた。

光が濃くなればなるほど、闇は深くなる。

本当の自分が見えなくなり「偽善のススメ」にのっとられていく。

そんな感覚に囚われていった。でも、いじめられたくなかった。

偽善を止める事はできなかった。

20年以上も前の事なのに、感覚が昨日の事のようだ。

すっかり忘れていたが、たぶん今も偽善のススメをやっている。

今の俺は本当の俺なのか、偽善のススメを演じる俺なのか。

59.自分は捨てる

新しい学校に行ったら、今までの自分は全部捨てる。

偽善のススメにしたがって生きること。

2017-06-15

大人になったら、友達はいなくなるものだと思ってた

私には親友がいる。同い年で小学校からの付き合いだから、もう20年は超える付き合いだ。

彼女と私は、たまたま家が近くだったかたまたまよく遊ぶようになっただけだ。中学高校くらいまではそう思っていた。

けれども社会に出て10年ほど経ち、それでも付き合いは続いている。生徒の頃のように毎日顔をあわせるわけではなくなったけど、半年に1回くらいは一緒に飲みに行っている。

これがとんでもなく貴重なものだとわかってきたのが5年くらい前からだ。

私と彼女は、多分、特別気が合うわけでは無いと思う。趣味共通点は一切ない。仕事も全く違う仕事をしている。今はお互い結婚して、そんなに遠くはないけど別の場所に住んでいる。

けれども、会えば話は尽きない。

ここまで長い付き合いになったせいなのか、歳をとってきたせいなのかはわからないけれど、お互いに過ごしてきた時間のものが話の肴になったりする。いわゆる思い出話というやつで、飲みながらそんな話をしていると、ついしみじみしてしまう。

大人になったら、友達はいなくなるものだと思っていた。私の両親には友達がいた様子はなかったからだ。

私の夫も、自分には今も友達と言える人がいないから大切にするといいよ、と言ったりする。

けれども、私は思う。両親にも夫にも友達はいると。そのご縁は遠くなっているだけで、実は今でも切れていないご縁というのはあるのではないかと思うのだ。

彼女とは、20代の頃2年くらい全く連絡を取らない期間があった。彼女だけではない。その他の友人たちとも縁が切れていると思っていた2年間だった。両親と同じように、私も大人になって友達がいなくなったのだと思っていた。

けれども違った。数年ぶりであろうと連絡は簡単に取れた。そして会ってみると、普通に友達であった。時間は何の壁にもならなかった。

この経験からするに、友達のご縁とは遠くはなっても切ろうと思わずに切れるものでもなく、何かのきっかけで元どおり近づくものなのだと思う。

でも、その何かのきっかけというのが本当に貴重で、つまるところ有難い。

そう、本当に本当に有難いのだ。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-06-10

終末なにしてますか?(略)のサブヒロインサブヒロインすぎる

もうちょっと頑張ってもいいんじゃないの?

メインヒロインルート一直線だから仕方ないよねって態度で何もかも諦めすぎでしょ。

滑り台の前で失恋同盟作るレベルは求めてないんだけどさ、もうちょっと自分にもルート分岐可能性を感じてもいいんじゃないのかな。

うん、お前らのことだよネフレン・アイセア。

そこそこ出番貰ってるのに攻略対象としては壁の花も良い所じゃん。

ロリ組のティアットにすらヒロインポイント負けてる状態である自分に何か違和感覚えないのかと。

クトリとナイグラートの二択に絞られきってる現状を何かおかしいと思わないのかと。

エロマンガ先生を見てみろよ。

完全にエロマンガ先生ルート分岐固定されてる状態なのに、食らい付くように自分の方にルートを向けようと足掻くヒロイン達の姿を見ろよ。

とにかく当たるだけ当たって砕けるだけ砕けてこその青春だろ。

自分の思いをぶつけることそのもの意味見出してみせろよ。

何諦めてんだよ。

道を譲ることに自分立場見出しすぎだろ。

遠回しにチラチラとチャンスの薄さを確認してる時間なんてもうないぞ。

ヒロインとして生まれた以上は愛に飢えてみせろ。

当たれ、砕けろ、出会った順番が違っていたら自分こそがメインヒロインだったと言い張れるような散り際を見せろ。

最初から可能性を捨ててるヒロインなんてヒロインじゃねえ。

モブモブ

親友ポジション上司ポジションのオッサン達の方がまだ目立ってるぞ。

2017-06-09

腐女子ってやっぱり銀河鉄道の夜でシコるのかな?

小生、男。

ふと銀河鉄道の夜登場人物性別を変えたらめっちゃシコれることに気づく。

大好きな弟が死んだことにショックを受けた少女は、仲の良かった同級生に誘われ失楽園への度に出る。

旅の仲最高に仲が高まるも、最後最後親友希死念慮について行けなくなり離れ離れになってしまう。

その時期、作者は実際に弟を失い同性愛に走っていたこから主人公親友レズであったことは確定的に明らか。

うん、シコれる。

性別を反対にした途端、男の自分がシコれるようになったということは、元の性別のままのストーリーを読んで腐女子はシコっていたのではと疑わざるをえないよね。

つうか文学として高い評価を得てる作品って単にBLとして人気だった作品も多いんじゃねって気がする。

車輪の下とか最後蟹工船みたいになるけど途中までマリみてじゃん

2017-06-04

プリキュアを見るのがしんどい

 小学生の頃、自分はいつか魔女見習いになるのだと思っていた。周りにそんな子はいなかったが、それは隠しているからだと理解していた。もちろん当時放映していたアニメの影響である魔女見習いになって、一緒にお店をやるような友達ができて、胸いっぱいの子時代を過ごすのだと信じていた。

 しかし私は魔女見習いになることもなければ一緒にお店をやるような友達もできないまま大人になってしまった。競争の中で埋もれるモブという立ち位置に辿り着いた。こんなはずではなかった。

 私はダメ人間である。そういう自意識根底に、魔女見習いに選ばれなかったことが深く居付いている。どこまでも夢見がちで愚かな人間である

 特別な力を持ち、親友と呼べる存在とともに学外活動で成長する天真爛漫な少女になりたかった。平凡で浅い人間関係しか築けない卑屈なモブ女の心の傷をプリキュアは激しく抉ってくる。他の女児アニメより威力があるのは、単純にかつての憧れと同じ放映時間だろうか。

 ゆかりさんみたいな強くて美しい女になりたい。

反省項目が分からない

しかしたら何か反省しなければいけないのかもしれない。

28歳になった。

友人の結婚式二次会帰りの電車で、親友から月末にハワイで挙式を挙げると聞いた。

呼ばれていない。

親友と思っていたのは自分だけだったのかもしれない。

大学時代はそれなりに悩みを分かち合い、楽しみを分け合った。遊ぶときの楽しさは他の友人とは比にならないほどだ。

新婦大学時代の友人だ。新婦の友人は呼ばれている。

なんだか親友との距離を感じた。もしかしたらもう友人ではないのかもしれない。

28歳にもなって卑屈な感情支配されたくない。

幸せになりたい。

28独身、数少ない友人を失う。

彼女候補すらいない田舎に帰る電車の中で、今までの人生を振り返ってみる。

人として何かが足りていなかったのかもしれない。

格好つけて悲劇映画主人公のふりをして色々な人間関係を浪費してきた。

失うものなんて何もないのに、何を守ろうとして変わらずにいるのだろうか。

暖かい人生を送りたかった。

結婚式に呼ぶ友人なんて私にはいない。

反省すべきことは何か。

この歳にもなって、受け入れがたい嫉妬心と未だに折り合いをつけられていない。

人間としての懐の深さが足りんのか。

追記

確かに新郎は友人を呼んでいないかもしれない。詳しくは聞けなかった。

しか新婦の友人もまた共通の友人であるが故に悔しいのかもしれない。

私も呼ばれたかった。

祝ってやりたかった。

今となっては独りよがりしかならない気持ちのやりばに困ってしまった。

伝えるわけにもいかないのでここで聞いてもらった。

ありがとう

2017-05-30

安倍政権とかどうでもいいんですけど

ちょっと、現政権よりな意見を言うとすぐネトウヨネトウヨ言われるのは何なの?

政権関係なく、世の出来事には色んな利害関係があるのが普通

いろんな感じ方があるのが普通

たまたま、いくつかの事象で、政権擁護的な意見を持つことのどこが右翼なんだ?

どこが安倍親衛隊なんだ?

やりづらいわ

獣医関係者大学関係者、当該地域関係者文科省関係者与党野党、色んなステークホルダーがいてしか

親戚、親友、親兄弟、恩師、上司、教え子、そんなのが利害関係者になってることも多々

大抵の人は信念じゃなくて利害関係で物を言ってるよ

安倍政権とかどうでもいい

幸子のいない12月キャスティング

主人公:愛海

 女の子の柔らかい部分大好きつながり

透子:くるみ

 頼まれたら断れなさそうつながり

透子の保護者:思いつかない

 そもそもどんなキャラか思い出せない、おしっこプレイがあった気がする

親友彼女ラクロス新田さん

 ラクロスつながり、新田さんがセックスを嫌がるキャラを演じるのがなんともな味を出せる

ギターの子:なつきち

 ギターだし、自殺大好き願望の部分は頑張って演じるんだろう

バイト先のお姉さん:麻理菜さん

 先輩だし?


幸子の出番ないけど、原作にも天使の出番はないか問題ないよ

人の彼女を寝取ろうとした人間の戯言 1

あれは去年の冬、僕が22歳の時だった。大学が嫌になってしまって実家帰省していた僕は地元バイトをしたりしながら、フラフラしていた。課題もたまっていたしやるべきことが溜まっていたけれど、そう言うことから逃げるために実家に帰っていた。そして毎日毎日意味もなくバイトをする中でインターネットけが僕の癒しで、特にSNSを楽しんでいた。

そんなある日、僕の元に知らないアカウントから連絡が来た。なんでも自分高校の5つ下、17歳の後輩の女子しかったけども、プロフィール出身校など書いていない僕をどこで知ってなぜ連絡が来たのかはっきりわからなかった。けれども、とりあえず連絡を取り合って見た。

そして彼女から話を聞いていく中で、僕は驚きの事実を知った。高校の同期の非リア非モテ童貞だと思っていた友人が実はその5つ下の後輩と付き合っていた上にすでにセックスをしていたと言うことが明らかになったのだ。リア充童貞だったわけだ。ただ彼は彼女に対し自分高校時代について多くを語ろうとしなかった。だから親友である僕に彼の高校時代などについて一度話を聞いて見たいと連絡が来たのだ。

正直彼は容姿いいわけではなく、オタク権化みたいな見た目で、彼自身も非リア芸をSNSで展開していたし、それは疑うことのない事実だと思っていた。しかしそうではなかったんだ。正直裏切られたと同時に、やることやってんだな、とも思った。

高校の同期が女子高生交際している上にセックスまでしている、それだけなら同期で集まった時にみんなで話して盛り上がるゴシップの一つに過ぎなかったのかもしれない。でも話を聞いていくと同期のクズっぷりが少しずつ明らかになった。

初のセックスに関しても彼の童貞卒業、そして彼女初体験にもかかわらず全く愛がないセックスでげんなりしてそれ以来セックスはしていないと聞いたし、記念日プレゼントもなければ普段愛情表現もなくて、一方的彼女が彼に奉仕している、そういう関係だった。髪型彼氏指定する髪型強制させられていて、彼女はなぜ自分彼氏のことを好きなのか理解できないとすら言っていた。それを聞いた僕は奴隷だな、と言うのが素直な感想で、僕は義憤に駆られたけれども、どうすればいいかからなかった。そんな折、彼女から二人でカラオケにでも行って一度彼氏愚痴を聞いて欲しいとの誘いが来た。

行くべきか悩んだ末、興味本位で僕は行くことにした。

カラオケボックス彼女から話を聞くにつれ、彼女の健気さに僕は惹かれた。正直可愛かった。可愛いと言う感情は弱い生き物に対して抱く感情のそれであると以前聞いたことがあるんだが、まさにそれだ。それに僕と彼女は本当に馬が合った。本当に盛り上がって、かなり長時間カラオケボックスに居たものの全く飽きることなく、そしてカラオケにもかかわらず全く歌を歌うことなく終わった。

でもその中で、彼女と僕は盛り上がりすぎた。最初ソファの端と端に座っていた僕らは少しずつ距離が縮まっていって、いつしか隣同士になった。健気な彼女努力と、彼氏愚痴を聞いていく中で彼女努力を褒めるために彼女の頭を撫でると、彼女は甘えた声を出し始めて、一気に触れ合う面積が増えた。少しずつ彼女の息も荒くなって、彼女は「キスしよ?」と禁断の提案をして来た。

その頃僕は東京彼女が居た。でもその彼女とはただ単に互いに異性が欲しいから仕方なく繋がっていただけの、愛のない関係だった。実際実家帰省していたからといって寂しいと言う感情もなく、こまめに連絡を取り合うこともなかった。そういうある意味冷めた距離感というのが居心地が良かったのでもあるが、まあとにかくそういう関係だった。

それでも僕は彼女持ちだ。僕は迷うべきだっただろう。しかし僕は全く迷わなかった。正直に言うが全く迷うことなく、僕は彼女と唇を重ねた。彼女は小刻みに震えながら、僕と濃密なキスをした。いろんな女性キスをして来たが、今までで最高のキスだった。もう僕は止まることはできなかった。彼女の小さな体を抱きしめ、何度も何度もキスをした。

22歳にして、17歳の女子高生カラオケボックスで抱きしめ、キスをした。彼女親友恋人でもある。でも僕はもう、彼女が好きになっていた。たった数時間会っただけにもかかわらず。禁断の関係だった。もはや漫画小説かと言うレベルの話である

そして彼女も、「もし先輩に先に出会っていたら、先輩を好きになってたと思う」と言って来た。もう僕たちは停車位置を大きくオーバーランして、暴走していた。

最後彼女は「これは『共犯』だからね」と言って、互いに今日カラオケボックスで何があったかは互いの恋人に対してだけでなく、多くの関係者や友人に対しても秘密にすることを約束した。

そして僕たちは『共犯』という名の元に、互いに恋人がいるにもかかわらず、いわば「セックス抜きのセフレ」として、今後もイチャイチャして行くことにした。僕たちは互いに本命恋人いるから本気にならないようにしながらも、イチャイチャしていこうという約束だった。でも僕はすでに本気だった。しかし同時に彼女親友彼女でもある。

この感情相談するのに適切な人間はなかなかいない。高校同期の友人に相談しても手を出すことを制止されるに決まっている。そんなわかりきった綺麗事なんて僕は欲してないんだ。ただ、この複雑な状況において、この僕の走り出した熱情に対し、手を出しちゃいけないならなぜいけないのかを納得させてくれる、そう言う人間必要だった。

から僕は恋愛経験豊富な年上の知人男性にどうすべきかを聞いた。その時その人は「その女子高生を落とすしかない」と言った。その知人は僕と東京彼女の冷めた関係についても知っていたので、そこまで本気で好きになったのなら、いくところまでいくべきだと言った。そして両方を目指すのはダメだ、どっちかにしないといけないとも言われた。

僕はそれを聞いた数日後に、東京彼女に対して別れ話を提示した。色々あったけれども、互いに冷めた関係でもあったので大きく揉めることもなく、すんなりと別れた。

また同じ時期に東京飲み会に参加した時のこと。普段占いなんて気にしない僕だったけれども、飲みの席で占い勉強していると言うとある女性自分運勢を占ってもらった。すると、恋愛運はあまり良くない。そして運命の人とはまだ出会っていないと出た。ちょっと参ったな、と思いつつもその時はあまり気にしなかった。

そして実家に戻った僕は、「高校同期と彼女関係健全化を図る」という名目のもと、彼女会合を重ねた。その時の僕は同期との友情も維持しつつ、あわよくばJKと仲良くしたい、付き合いたい、そういう感情だった。ただ僕はまだ本気で彼女のことを狙っていることを明かしていないのでそこまでガツガツ行くこともなかった。

JK彼氏(そして僕の高校同期)のことをここでKと呼ぶことにする。

バイトの合間を縫って彼女の家に行ったり、カフェで待ち合わせしたりして僕は彼女愚痴を聞いたり、彼女がKにどういうことを求めているのかなどを聞いて、Kと彼女関係を取り持とうとした。とにかく僕は目的だけは真面目だったので彼女の家に行く際もマナーや態度にも最大限を気を使っていて、彼女のご両親からも認められていた。今の彼氏(K)よりも僕の方がいいんじゃないか、みたいなジョークすら言われていた。

そんな後ろ盾を得た状況だったので今思えばKに対してなかなかひどいことも言って、申し訳ないことをしたとは思う。でもあの時僕は義憤に駆られていたし、間違ったことを言ったとは思っていない。ただもう少し表現方法は色々あったかもしれないなと今反省している。

しかし僕はいずれ彼女のことを本気で好きであることを明かさねばならないとは思っていた。そして彼女もある程度察していたのか素直に自分欲求を言ってみて、と聞いてきた。だから僕は素直に彼女のことが好きであると言うこと、そして東京彼女と別れたことを説明した。彼女特に驚くことはなく、「それなら奪い取るために頑張ってみて」と、対立構造明確化させた。こうなった以上僕も男だ。やるしかない。

僕は彼女の家にしょっちゅう通った。行くのは彼女から来て欲しいと言う相談がある時だけで、僕から行きたいと言い出すことはない。もちろん目的彼女と話をしてKのどういうところが問題なのかを聞き、そしてより良いKと彼女関係の構築を目指してどこを着地点にするのかということを僕が第三者的視点から検討するという目的だった。

役人出会い系バーに行って問題になったりもしているけれど、僕の場合は本当に調査目的だった。それは事実

でもカラオケボックス燃え上がった僕と彼女関係簡単に消え去るほど弱い火ではなかった。

彼女と会うたびに僕は彼女を抱いた。とにかく抱いた。それは彼女から求めて来た。僕が先に手を出すのは良心の呵責に堪えなかったからだ。でも僕が彼女に求めていたことでもある。互いに『共犯』という名目のもと、とにかくイチャイチャした。それに僕は少なくともKよりはセックスが上手いという自信があった。実際彼女は僕とイチャイチャしてる時、ものすごく感じていた。そしてある時には一緒にホテルに泊まってイチャイチャすらした。

体の相性って存在するんだな、と思った。多分体の相性が良かったんだと思う。とにかく楽しくて、正直離れられそうになかった。

肉体関係だけじゃなく、普通に喋っていても楽しかった。しょうもないことから大事なことまで、いろんなことを話している中で僕と彼女の考えは非常に近かったし、話していて本当に楽しかった。ここまで女性と話していて楽しかったことはない。彼女は聡明で年上の僕の話にもついてきて自分なりの考えを臆することなく話すので、話していて楽しかった。女の子と話しているのではなく、一人の大人と会話している感覚だった。正直尊敬の念すら抱いた。

イマドキのJKみたいなくだらないこと、当たり障りのないことをグダグダ喋るようなタイプではなかった。例えるならPulp Fictionのミアみたいな女性だった。気まずい沈黙は嫌うけれど、それを回避するためのつまらない話も好まない。そう言う、少しめんどくさいタイプではあったけれど、考えが近かったぶん色々話しやすかった。

やがて僕は彼女とKと僕の3人で集まって話す機会を何度かセッティングし、関係改善突破口としようとした。表向き僕はレフェリーとしてその場に存在していた。その中でKは幾度となく彼女を泣かせた。僕の目の前で僕の好きになった女を泣かせるKという男が僕は憎かった。幾度となく傷つけ、そして傷つけたことへのリカバリーも十分ではなく、それがまた彼女を傷つけた。なんで、なぜ、そんなにも無神経になれるんだと。なぜわかってあげることができないんだと。本当に僕は怒りで体が震えた。

そんな状況だから僕と彼女は本当の意味で互いに好きになり始めていた。最初は僕が一方的に本気になっていただけなのに、彼女の方も本気になりかけていた。本当に幸せ時間だったし、僕は彼女のあらゆるものを欲した。

そうして僕たちは幸せイチャイチャし続けていた。でもそれと同時に僕はKと彼女関係改善のための努力も続けていて、Kは確実に良い方向へと変化し始めていた。僕は完全な悪にはなりきれなかったから、Kと僕との関係も守りたかったし、Kと彼女関係最初の対等じゃない関係を改めて改善するつもりだったし、僕と彼女関係に関してもこのまま幸せになりたいと思っていた。

しかしその3つは最初からどうあがいても両立できないものだと今ならわかる。でもあの時の僕はとにかく今Kと彼女関係マイナスになっているのでそれを僕の努力で0にまで戻してやり、その間に僕が彼女との関係で大きくプラスを稼げば彼女は確実に僕を好きになるだろうと。そしてその結果僕とKとの関係が多少冷え込んだとしても僕の努力についてKは僕に感謝するだろうし、長い付き合いだから関係が切れることはないと考えていた。それにもしKとの関係が切れたとしても彼女を手に入れることができればそれでいいとすら思っていた。

そうして僕の計画軌道に乗り始めたところで僕は年度末が迫って来て忙しくなり、東京に戻って大学職場関連の手続きなどに追われ、彼女にあまり会えなくなった。それでも僕はずっと彼女のことは好きだったし、片時も忘れることはなかった。

そして僕がつらい時期を乗り越えることができたのも、彼女のおかげだと今も思う。彼女からもらった励ましの言葉や時には彼女に叱責されたことも思い出して、そうして僕はつらい時期を乗り越えた。ただ優しくするだけなら誰にでもできる。僕のためを思って叱ってすらくれる彼女を僕は本当に心の支えにして、必死に生きた。必死だった。

僕はその頃メンタル面に問題を抱えていて、父からもそのことについてよく怒られていた中で、彼女が本当に僕のメンタル面の改善において決め手となる後押しをしてくれた。これが僕の中では本当に嬉しくて、Kも変わっただろうけども僕も変わったぞと、はっきり胸を張って言えると思っていた。

そうしていつしか冬が終わり、春になった頃。Kと彼女関係改善に関しては僕の努力によりある程度目処が立って、一時かなり冷え込んでいた二人の関係も多少回復していた。

それでも僕は絶対彼女が選ぶのは僕に違いないと信じていた。そこに根拠はない。でも僕は絶対にKよりも僕の方が彼女幸せにできると確信していた。それは内面もそうだし、就職も決まっていて収入もそこそこ確保されていて、より現実的選択肢だと自分のことを思っていたからだ。

しばらく会えなかった中で彼女3月末に久々に会うことになり、一緒に花見をしながら互いの話をする中で僕と彼女はやっぱり馬が合うなと確信したし、彼女公園であるにもかかわらず僕にすり寄ってきて、僕のことを好きだと言った。僕はほぼ勝利確信した。

そして新年度が始まり、ある程度忙しさの峠を越えて、先日僕が久々に彼女とまとまった時間話す機会を得た。と言うより彼女から話したいと言って来た。久しぶりだ。「今話しても大丈夫?」と聞いて来たので僕は少し嫌な予感がした。でも僕は大丈夫だと答えた。

内容はKと彼女と僕、3人の関係についてだった。

↓続き

http://anond.hatelabo.jp/20170530080621

2017-05-29

一番古い記憶

確実に年齢覚えてるのは4歳のとき

保育園のきりんぐみの教室いたことを覚えてる

それより古いのだとリヤカー?押し車?みたいなやつに立った状態でおしこめられて散歩にいった記憶

たぶん3歳とかかな

その次はもう5歳のぞうぐみだ

おやつに出たピーナッツを食べたら鼻血が出た記憶

6歳のくじらぐみになると一気に記憶はふえる

せんせいと結婚するといっていたこ

せんせいのお手伝いをして荷物をもって後ろからついていってるとき先生ジャージのおしりのところに1cmくらいの穴があいてて教えてあげたら先生が恥ずかしそうにしてたこと

手編みの毛糸マフラーもどきが数mくらいまでになったとき自分のひきだしにいれといたらなくなってしまったこと(当時は盗まれたとは思わずになくなっちゃったがっかりしてただけだったけど今思えば盗まれたんだなあと

道端にはえてるむかごを食べたこと

おさんぽで近くの公園にいってBB弾を拾ったこと

ぷらものランナーゴミがきみどりの透明なやつでめちゃくちゃきれいで持って帰ったこと

そんで銃の形っぽくして宝物にしてたこと

コマ回しをしたこと

あやとりが得意だったこと

折り紙で難しいやつ(ライオン)があったからみんなが順番に先生に折ってもらっていて、自分も折ってもらいたかったけど、結局卒園まで折ってもらえなかったこと

女友達の家に遊びに行ったら室内にブランコとか滑り台があって驚いたこ

動物ビスケットをもらってめちゃくちゃおいしかったこと

夕食でしいたけが出て食べたら友達の親にほめられたこと

お泊りの予定だったのにさびしくなって押入れの中で鳴いてたら親よばれて結局泊まらずに帰ったこと

お昼の休職は卵のキッシュみたいなやつが好きだったこと

おやつ動物まるぼうろが好きだったこと

冬はかんぷまさつをして上半身全裸マラソンをした

冬の散歩中にまだ熱かったバイクマフラーに足があたってふくらはぎの横にみずぶくれができた

水疱瘡ができて医者にいったらはさみで切られまくって血だらけになった

夏祭りできつねの化粧をしてソーラン節を踊った

親友まーくんと二人で焼却炉の上でいろいろ話した

友達の家にお泊りにいったときに夜寝る前にじごくのそうべえを読み聞かせてもらった

めっきらもっきらどおんどんのもちが食べたくてしょうがなかった

2017-05-27

菅田将暉制服童貞の焦燥

少し前にネットニュース俳優菅田将暉くんが

制服を着るような役を卒業したい」と周囲に漏らしている、みたいな記事を見かけた。

よくあるどうでも良い芸能ニュースだ。そもそも嘘なのか本当なのかも分からないし、第一興味もない。

ドラマ邦画殆ど見ないので、彼に何の思い入れもない。最近人気の俳優で元仮面ライダー、くらいの認識だ。

記事内の年齢の()表記を見ると、どうやら彼は俺と同い年らしい。

調べてみると俺は92年、彼は93年早生まれなので正確には同学年だった。

その彼が制服を着る役、すなわち高校生役をやめたいと漏らしているらしい。

もう24歳。まあ、当然と言えば当然である

成熟した役柄にステップアップしたいだろうし、何より制服姿に無理が出てきている。

ふと思い立ち、同学年の俳優女優を調べてみる。

本田翼剛力彩芽桜庭ななみ有村架純・・・

なんか女の子しか出てこなかったけど、なるほど。みんなかわいいけど、高校生役はさすがにしんどい。

彼女らが高校生役という映画ドラマCMも、ここ数年は見聞きしないような気もする。

日本中の同学年の中でトップクラス容姿を持つであろう彼女達ですら緩やかに年を取っていく。

容貌こそまるで違えど俺とて同じ人間。俺の若さも同じように日々着実に目減りしており、刻一刻と失われつつあるのだ。

至極当たり前のことだが、「加齢」という厳然たる事実を胸元にドンと突きつけられて狼狽えてしまった。

そしていつも抱えている焦燥感が更に膨らんでしまって、気分が滅入ってきた。

このナメクジの裏っ側を腐らせたようなネチっこい文章から

お分かりの通り、俺は彼女いない歴=年齢の童貞である

色恋沙汰に一切無縁の純粋培養・温室育ちだ。

友達ゼロ高校もろくに行かず、なんとか受かった大学もつまらなくてすぐ辞めた。5年前の話だ。

死ぬのは怖いから、跡形もなく消えてなくなりたいな。」

そんな事を考えつつ、アルバイト転々とする日々。

でも、紆余曲折を経てホワイト中小企業に潜り込むことができ、なんと正社員登用された。

給料は安いが良い上司にも恵まれたし、残業もほぼ無い。ボーナスも出る。運が良かったとしか言いようがない。

仕事に慣れたころ、「このままじゃ人生ダメだ」と思って義務的に何個か始めた趣味

ほとんどが長続きしなかったが、1個だけガッチリ自分にハマる趣味もできた。

趣味経由で片手で足りるほどではあるが、親友と呼べるような友達(同性)もできた。

明るい彼らのおかげで俺のコミュ障気質は劇的に改善された。

酒も飲めるようになったし、イベントなどにも出向くようになった。

16~20歳の間の自暴自棄だった自分バラバラに散らかしてしまった人生パズルピース

ここ数年を掛けて一生懸命拾い集めて、この1年でようやく一枚の絵になってきたような印象だ。

しかし、パズルにはゴッソリと抜け落ちている箇所がある。

そう、恋愛である。この箇所に関しては清々しいほどに真っ白である

ここで冒頭の話に繋がる。

俺はパズルピース必死で拾い集めている間に貴重な若さを随分と消費してしまっていたのだ。

まだまだ若いだろ、と自分に言い聞かせているうちに、20代の折り返し地点に到達してしまった。

冒頭のネットニュースは、その事実を俺にずいぶん遠回しな形で伝えてくれた。

俺はピースを拾う優先度を間違えてしまったのではないか。そんな悔恨がふつふつと涌いて出てくる。

友人や定職といったピースを血眼で探しているうちに出来上がったのが24歳の童貞である

友人や定職、確かに重要だ。でも、恋愛すらできずに何が人生だ、と考え込んでしまうようになった。

知人にフリーターなのに彼女婚約しようとしている大馬鹿者がいるが、彼の方が俺より幸せそうに見える。

まずは血眼になって恋愛すべきではなかったのか。とりあえず何事を差し置いてでも。

最愛パートナーと泣いたり笑ったりしつつ、友人や定職を探しても遅くなかったのではないか

これは隣の芝生を青く感じてるだけなのか。無い物ねだりなのか。

何度も反芻するたびに、どんどん気分が沈み、胸から喉にかけての辺りがずっしりと重くなってくる。

人達女性を紹介してもらえば?もちろん何人か紹介してもらったさ、でも誰とも話が噛み合わなかった。

コミュ障気質は治ったつもりだったんだけどな。数を熟せばいいのかな。どこに出向けばいいんだ?もうよく分からない。

飲みの席でも年を経るごとに「彼女が出来たことがない。」という主張が容認されなくなってきたのを肌を持って感じる。

最近ではヘラヘラしつつ、「ずっと居ないんですよw誰か良い娘いないっすか?」と笑って誤魔化す悪癖ができた。

同僚の中年独身男性の一挙手一投足や悲惨孤独死ニュースにばかり目がいくようになった。俺もああなるのかね。

もう最近恋愛を飛び越して結婚したくなってきてしまっている。子供も欲しいなぁ。どうしたものかね。

とりあえず今年の目標体重を落とし、女性比率の多いイベントに参加することだ。

こんな努力をしている間にも若さはジリジリと目減りしていってる。若さを浪費せぬようにキビキビと生きていきたい。

2017-05-26

「僕」と性別

自分性別がわからないというお話


僕の身体は女です。成人して数年経ちます

身体にはささやかながらも胸がありますし、脚の間にご立派様は御座いません。

僕には昔から一つ苦手だったことがあります

それは女らしく振る舞うことです。

特に女の格好をすることに、強い抵抗を感じました。

スカートヒール靴、淡い色の服。

その抵抗感は、年齢を経るごとに強くなっていきました。

少しでも女性らしさを感じる服は絶対買わない、絶対着ない。

結局手持ちの服はTシャツパーカージーンズばかりです。

テレビに映る男性芸能人

失礼な感想ですが、イケメンなわけでも、センスが凄い良いわけでもありません。

ただ、さり気なく着られているその服がよくお似合いなのが、羨ましくて仕方ないのです。

男になりたいわけではないのです。

身長155センチ。ご立派様もない。

学生時代制服の着用を強制される。

男になれないことは、嫌でもわかってしまます

ただ、自分が女だと自覚するのが、気持ち悪くて仕方ないのです。


であることが、耐えがたいまでの苦痛になったのは1年弱ほど前の事です。

所謂ナンパに遭い、異性の目に女として写っていることを知ってしまったのです。

根暗オタク臭いのでチョロそうに見えたのでしょう。今時は田舎でも油断はできませんね。

村社会で噂が広まりやすいため、地元の人はまずそんな手には出ませんが

勝手に喋ってくれた情報によると都会から越して来たばかりのようでした。

しつこく付きまとわれ、なんとか撒いて遠回りしながら家に帰りました。

友達や同居の母に相談して、ギャンギャン泣きました。

不審者に声を掛けられただけでも十分にショックだったのですが(無事で良かったなマジで)

念のためおまわりさんに相談して、周囲には気を付けるように、外出は控えるように…と注意を頂き

担当の方に直接連絡できる番号を頂いてひとまず今のところ平和に過ごしています

しかし、不審者の影は僕の中から消えてくれません。

決して男にはなれないと、お前は女なのだと。

この苦痛友達や親にも相談できないまま、今の今まで蟠っています


LGBTグラデーションと言いますが、その中にXという分類があります

男性でも女性でもない、縛られない性別として生きようという人たちのことです。

自認だけならそれでいいかもしれない。

事実、女の服を着なくても、「僕」という一人称を使っても

変わった奴だとは思われます苦痛なく生きていけます

無理して女の格好をするより幸せです。

しか他人からは女に、もしくは男に見えている事実

そればかりは覆せません。

僕は男らしくしたいとは思わない。けど女ではありたくない。

先日、台湾での同性婚合法化されたこともあり、

LGBTへの理解は深まるべきだし、活動応援したいとは思うけど、

「僕は死ぬまで女に見られながら生きるしかないのだろう」という諦念が

全てを暗く覆っている感じがします。


恋愛にも興味がなかったので、恋愛対象もよくわからないのです。

アニメゲーム――所謂二次元で好きなキャラクター男性です。

線の細いイケメンより、強くてかっこいい男前戦士キャラが好きです。

だけど可愛い女の子が出る少女向けアニメも好きです。

見た目だけなら男性のほうが好みなのです。

ただ、恋愛感情を抱かれることがもはや恐怖でしかない。

単に女性嫌いなのかな、とも思いました。

実際女性同士の慣れ合いやぎすぎすした感じは嫌いです。

一般女性に対し、性的に魅力を感じることもありません。

しかし、この思いを恋愛感情定義するなら、今好きなのは女性の方です。

情けないですが初恋です。

特別関係になりたいとはめちゃくちゃ激しく思いますが、現実になれるとは思ってません。

今の親友という関係を壊したくもありません。

第一理解はあれど彼女ヘテロでしょうし、互いに幸せにならないでしょう。

実はさりげなく告白して華麗にスルーされましたが、それでもお慕いしております


頭の中を整理するつもりが、余計ごちゃごちゃとしてしまいました。

人類の半数に対する身勝手な恐怖と、ただ一人に対する身勝手な思いと、

そして失望と諦念を抱えたまま、また新しい朝が来てしまった。

僕はまた、「僕」という欠陥をしまい込んで生きるのだろうな。

もし誰か読んでくれてたらありがとうございます

不快に思ったならごめんなさい。

ただ、世の中にはいろんな人が居るのです。

ああ、性別なんて無ければいいのに。

2017-05-24

17歳の私は、休日の早朝に人の少ない場所音楽聴くのが好きだった。何故かはわからない、非現実感を味わいたい厨二病一種だったかもしれない

その日向かったのは近所の小さな駅。しかし、この日はスポーツウェアを着た女子高生スーツを来た大人普段より多く居た

私はがっかりしてコンビニお菓子でも買って帰る事に決めた。購入した物をさっさとリュックに詰めた私は家に向かって歩き出す

記憶が飛んだ。ここはテーブル中央に大きな鉄板のある飲食店のようだ。どうやら私は中学の頃の同級生と昼飯を食べようと待っているらしい

遅れてもう1人来て元気に挨拶をした、私のすぐ隣に座る。お互いの腕が触れそうになる距離に動揺してしまうが、彼女は気にしていないようだ

先に料理が届いた友人が食べ始めた。今気づいたが私は何を注文したか覚えていない

もんじゃ焼きらしい。隣の彼女と一緒に食べるらしい。彼女は終始距離が近かった。私に好意でもあるように勘違いしそうだった

結局、最後まで友人達は私を茶化したりしなかった。解散するようだが、昼までの記憶がない私は皆が居なくなるまで店の前で立ち尽くしていた

肩を叩かれた。彼女がいた。次までの過程は忘れた

こんな簡単に初めて捨てちゃうなんて不思議だね、と言われる。行為感想より、動機の方が気になってしま

いきなりごめんね、と謝り彼女は身なりを整えて帰ってしまった。電話してみたが出ることはなかった

それっきり彼女と会うことも話すこともなかった。成人式で3年ぶりに会う

野暮だが当時の事を尋ねた。私に興味があったとか、私が何を考えているのか知りたかったとか、側にいたらどう感じるかとか、抽象的で理解できなかった

成人式から7年後、彼女結婚すると聞いた。安心した

少なから運命を感じてはいた、もしかしたら親友になれる気がしていた、その機会がうしなわれた事を私は残念に思った

2017-05-23

なんで女ってあんなに馬鹿なんだろうね

俺と付き合っていた彼女が俺と別れた後、わりとすぐに俺とめっちゃ仲の良かった先輩と付き合った。

その先輩はただやりたいだけなのが見え見えなのにその女は普通に付き合ったふりされてやり捨てられてた。

そんなのに騙されるか?ってかなんでわざわざ仲のいい先輩と、しかも先輩の彼女とも仲良かったのに。

まぁ先輩も屑なんだけど、その女も屑過ぎない?

先輩も女も俺の気持ち考えなさすぎじゃね?

なんでそんなことできるのか不思議しかない。

不倫みたいなのが楽しいのか?

綺麗ごとじゃなくて今後も友人・親友として付き合っていきたいと思うならそんなことできないよなーって思ったところで、

あ、俺とは今後も付き合っていきたい人じゃないんだなって気が付いて距離をとった。

俺は親友の奥さんとか彼女がやれる状況があってもやらない自信がある。

他の人ってそういう自信ないのか?

ってわけで不倫にも当然反対している派閥です。

結婚する前にやれるだけやって、結婚するときは嫁以外としないと決めたとき

ちなみに週21回ペースでオナニーするので性欲は強い方だと思います

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