はてなキーワード: 保護とは
(追記あり。一番下)
↑書いた人です。この件でもう一つ気になっていたことがあって追加で調べていたんだけど、ある記事で驚いてしまったんで見てほしい。
https://woman.excite.co.jp/article/child/rid_Enfant_537708/
「「ドイツではまだ授乳室が少なく(中略)みんな普通にどこでも授乳していますよ」(中略)授乳時には授乳ケープもつけません。カフェのテラス席で与えているママもいるし、公園でも普通に与えていて、“青空おっぱい”と呼んでいるそうです。」
「オーストラリアから2歳と0歳の子どもを連れて帰国し、東京での生活が始まったときの逆カルチャーショックは、まだ心に焼きついています。それまでは自由にどこでも授乳をしていたのに、日本に帰ると周囲の目を気にして授乳する場所を探さなければならない、授乳ケープをつけないと恥ずかしい。」
「ワシントン州は2001年に女性が公共の場で授乳する権利を保護し、授乳や母乳を搾る行為は公然わいせつ罪にあたらないとする法律を施行しました」
自分、授乳室っていうのは「(母親が)見られないようにする」ためのものなんだなって普通に思ってたんだけど、ここ見ると「(通行人が)見せられないようにする」ためのものであり、むしろどこでも授乳できるようにしろ、ってことの方が論点になっている。で、そうやって見ると、なんかどうも後者の方がスタンダードなのでは……?と思うような記述がちょくちょく見つかるんですよね。他にもいくつか挙げてみると、
スウェーデン(2018)
https://laxmedpotatis.weebly.com/home/9168928
「スウェーデンは公共の場での授乳に比較的寛容と言われており、実際に授乳している人もたまに見かけますが、所構わず授乳することに関しては過去にエチケット専門家の発言をきっかけとしてSNS上などで議論にもなったりしているようです。」
フィンランド(2020)
http://baby-trip.jpn.org/top/interview/010-2
「ただし「ここの授乳室には扉がなく、外から丸見え状態でした(笑)」。 扉がない授乳室は他にも結構あったようです。」
別に外国の事例を持ち出してきて日本もこうしろって言いたいわけじゃないし、見えていない文化的背景もあると思う。だけどはてブでは1ミリも存在しなかった観点なので、とにかく書いてみる。
いくつか気になったコメントがあったので追加調査。なんかこの話題って、想像で批判したり(しかも事実と違う)、調べればわかりそうなことを言いっぱなしで放置する人がいつにも増して多い。
「日本は母乳AVがジャンルとして確立してるけど海外はどうなの?」
pornhubにmilkって入れて検索してみた。全28499件中、日本人475件、ラテン人4001件(フランス人、ロシア人など各国名500件程度)。これだけだとカバーされてない件数がかなり多そうなんで、人気順でソートしてみると日本語と英語でだいたい半々くらいかなあという印象。ちなみに「母乳」は229件。日本固有の特殊性癖と主張するのは無理がありそうだ、くらいは言えるだろうか。
というかpornhub初めて見たよ……。正直きついんで、誰か詳しい人追ってほしい。
「性的に見ようとする視線と「あくまで体のパーツであって授乳は隠すものでもない生活の一部」という当事者の視点の戦いなので、海外がこうだから……と安直に取り入れられない。時間がかかると思う。」
まあそうですね、と思うんですが、ウーマンエキサイト記事の「授乳室が増設、完備されることは素晴らしいことですが、逆にそちらに追いやられ、ますます外での制限が増えてしまうのではないかということが心配なのです。」も当事者の視点ですよね。なんで今回だけこっちの視点一色になってるのかは気になる。
「儒教国で比較したらどうか知りたいと思ってしまった。授乳中にじいさんばあさんに話しかけられたらちょっとしんどいのではないだろうか。」
↑には書かなかったんですが、韓国、台湾は設置が進んでいるような印象を受けました。それでも地方の普及はまだ少ないようです。この調子だと誰かが言ってた「外国人が日本の授乳室の多さに驚く記事」、本当にあるんじゃないだろうか。
「文化がちがーう」
まあ女に対するカウンターとしてあれの写真を出して「男の人権なんてないんですよ・・・」って言うのは勝手だけど
そう言ってると結局基準が高まっていくだけで、男ももっと整った設備を求めよう!!が正しい流れになっちゃうじゃないですか。
僕はそうじゃなくて、「本来は外から丸見えでも問題ない程度のことだろ?そっちの基準でいいじゃん。女性が今まで過剰に保護されてきたんだよ。」って話なんですよね。
まず鏡を見ようか。
相当な金持ちか人格者でないと取り戻せないハンデがそこにあるだろ?
お前らと同じかそれ以上のクズでも、顔が良い奴は女に養ってもらってるんだよ。
謎のフィルターでイケメンが目に入らないからお前らが知らないだけで。
イケメンは仔猫みたいなもんで、放っては置けないから保護される。
お前らみたいな弱者男性は干からびかけたミミズとか弱ったカメムシみたいなもんで、視界に入るだけで不快なの。
下方婚が避けられてるんじゃなくて、お前らが避けられてんの。
底辺弱者男性にたまたまそういうのが集まってるから下方婚を避けてるように見えるけど、実際はそうじゃないの。
下方婚はすでに存在してるし、それがもっと増えたとして、お前らは選ばれないから。
鏡見たら分かるだろ?
でも経産省の女子トイレを使わせろ起訴をしたトランス女性は、ペドフィリア露出狂サディストもLGBTみたいに守られるべきって主張していたし、その弁護士は児童ポルノ所持で犯罪になるのはおかしいってツイートしてたから、あの界隈は和月のように違法児童ポルノ消費するだけなのは保護されるべきって思想なんだよね。
じゃあ私が例に出した人は全員レイプ犯人ではないから全員保護されるべきペドフィリアか。
当然チャイルドマレスターだろうと除外していたしまぶーも児童買春でレイプではないし、アクタージュ作者も襲って触っただけでレイプはしてないからチャイルドマレスターではないのかな?
なんならジャニーもさせなければデビューさせないって感じで圧かけて、同意は得てから手を出してたからレイプではないとかになる?
しばらくトラバしないことで相手が「もうトラバしてこないだろう」と安心したタイミングを狙ってトラバぶつける手法もあるし、俺もすることあるんだけど、「気にならない」か。そうかそうか。
あと相手にレベルを合わせて返してると言ってるけど、思い上がり甚だしいね。自分よりレベル高いのが相手じゃ、近づけることはできても合わせようがないよな。
以下お前がそこまでのレベルに達してないことが読み取れる事例をお前の今までの投稿から挙げていく。
まず「お前社会人やったことあんの?」みたいなこと言ってるトラバしたすぐ後のトラバで、増田のボリューム層は40代無職大卒と言ってるところ。
これが60代無職だったらまだ定年年齢なので理解できるが、40代で無職なら氷河期の影響もあるかもしれんが、だいたいは本人に致命的な問題があって一度も雇用されずに今に至ってる人たちと読み取るよね。
つまりお前は「社会経験がない」とレッテル貼りする貶め方をしたすぐ後で「社会経験がないやつ」がボリューム層であってそいつらが俺より優っていると言ってるわけだ。支離滅裂だろう。
多分出まかせで適当言ってるからこうやって書き込み間の整合性が疑わしい状態になっていくんだろう。今俺がこう書いた後で「実はお前の言った通りのことを考えていた上であえてそうした投稿をしていた」と書いてもクソダサ後出しじゃんけんでしかないからな〜。
しかも無職がボリューム層と言ってる一方で「職は見つかった?」とさも無職が劣ったものであると言う前提の指摘をするのもちぐはぐしてるね。
そもそもはてなの統計を参考・準用にしてるんだとしても、もし「無職」がボリューム層なら、年収の統計が所得0で最大になってなきゃおかしいだろっていう…。
焦点を合わせてるのはお前しかいないってのも何言ってるんだって話よ。
「相手のレベルに合わせて返す」を要素分解して「投稿は返す」かつ「投稿を相手のレベルに返す」と解釈したとき、前者に焦点を当てればお前は必ずトラバを返す人間なんだなって解釈できると言ってるだけの話なんだが。つまり「相手のレベルに合わせて」という修飾語句がついてようがなかろうが、「返す」という文言だけ見ればお前の執拗性が読み取れるって意味だよ。焦点を当てても当てなくても結局は「お前は投稿を返す」ということが読み取れるのは論理的に同じなのに(焦点を当てるという手法の有無の差でしかない)、俺以外の誰かが焦点を当ててるかどうかになんの意味があるんだって話になる。揚げ足取りにすらなってない。
ガソリンスタンド店員がクーラーオイル補充するなんて整備まがいなことはしないのに適当言っちゃうのもスタンド店員エアプがでしゃばったバカ発言でしかない。車体を拭くのを整備に含めるなら整備まがいと言うと語弊が出るけどその辺がせいぜいだよ。
「法学生の尻馬に乗ってる」もなかなか支離滅裂なレッテル貼りだったなあ。
これって法律談義を素人がすると悪影響とトラバしてる増田と、著作権が保護させられて可哀想と言ってる増田が同一人物という前提がなきゃ成立し得ないことなんだが過去にも俺はそこ突いたのにお前はスルーしてるんだから今に至るまでのトラバも役割的に「逃げ口上」と解釈できる状態になっちゃってるというね。
「保護させられて」と書いてあるだけで法律わかってないと勝手に察するのも意味不明だったな。
たとえば「ごりらがりんごを食べる」と「ゴリラにりんごが食べられる」は、文法的な構造は違っても、その指し示す物理的・現象的な在り方としては同一の事態を指している。書き手の視点が違うだけ。
となれば「著作権を保護する」「著作権が保護させられる」も物理的というのは語弊が出るが現象としては同じだ。お前の言ったなんちゃら法理を理解してようがしてなからろうが、ものをいう時の視点が独特なせいで「させられる」って言い回しになってる可能性は否定できないよねって話。
ひじきのたとえも、確かにひじきのような食べ物に関しては一生断続的には食べ続けることが前提だから次いつ食べるかなど予測がつかないけど、増田の場合どのぐらいの期間までツリーに書き込みした後その後は見てもいないってことはある(俺でもある)からそうした過去の事例からぼんやりとでも自分が同一ツリーにどれだけ飽きずに入れ込めるかって予測が立てられるものだろ。なのにひじきをいつ食べるかと同列にして常識が無いって発想になる方が頓珍漢だ。
無意味な投稿をすることがあるのもライフワークとしてこういうことを続けるのにいつでも意味にある投稿をする意味がないからだな。俺にとってはとりあえず相手が黙るまで投稿できたら自分の中で勝ちすなわち満足なので、投稿の内容にそこまでこだわる意味は価値観上ないんだよ。だったら無意味な投稿の方が手間がかからないしライフワークとして続けやすいってことはわかるだろ
むしろ馬鹿か馬鹿のふりしてるみたいな可能性よりこっちの方がよほど自然でシンプルな心理なのに、この心理に思い至らないってのは常識がないとか以前に根本的に頭悪いよね。
だから、俺の投稿がAIみたいとお前はいったが、なんなら言及を検知するたたびにAIが自動投稿するようにしても別にいいわけよ。
でもAIだと警察が動くこと書きかねないことかんがえつと現時点で運用は難しいよねって話。
小女子の事例みたいになりうる文章を人間だったらそれそのものじゃなくてもそうなりうるかの判断ができるが、AIに投稿を任せっきりにするってことはこうした判断まで任せっきりにしてしまうってことだからな。
まあそういうわけで俺も大した頭じゃないと思うけど少なくともこんな粗だらけののこと言ってるお前ごときが俺より頭いいなんてのは天地がひっくり返る可能性よりも低いかなと。
納得したら言い返さない?お前レベルの発言には納得する要素がないってだけしゃん。(納得してても言い返すこと自体はするけどね。そういう意味で自己紹介ってのはその通りだが俺の紹介になってるからお前の紹介になってないとは限らないので反論になってない。だから、お前はどうなの?)
あ、そういう人は外資に行くんだよ。
小中学校は変わってるけど、勉強ができる人ってのを扱う方法を知らないなとは思う。多分、元増田はそういう時代に悲しい思いをしたのかなと思った。
ある程度進学して、教員が「〇〇大学〇人」みたいなことを意識するところまで来ると、そういう子たちを金の卵を生む鵞鳥だと思って保護する人たちが出てくるんだけどね。
一定レベル以上の大学はそれなりにそういうやつらがいるし、共感もそっち系だから、変わってても浮くことなく楽しく過ごせるんじゃないかな。そのまま入院しても楽しく過ごせるだろう。
学位を取って企業に入ると、打って変わって普通を求められる。JTCだとね。
外資だといろんな国の人がいて当たり前なので基本的にローコンテキストカルチャー。
むしろ、オーバーコミュニケーションが求められるので、顔色が読めないでも全然困らない。
善きサマリア人の法(よきサマリアびとのほう、(英語: Good Samaritan laws)とは、「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗しても結果責任を問われない」という趣旨の法である。良きサマリア人法、よきサマリア人法ともいう。
誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人(バイスタンダー)による傷病者の救護者の合理的な救護行為を法的に保護し、またそのような救護を促進しよう、との意図がある。
アメリカやカナダ、オーストラリアなどで施行されており、2023年現在日本でも立法化すべきか否かという議論がなされている。
心肺停止状態の人がいて手元にAEDがあったら自分なら躊躇なく使うけどね?男も女も関係ない。
他人を見殺しにしたい人は自己中のサイコパスなので、救助の邪魔さえしなければそれでいい。できれば地球から退場してくれると助かるね?
大前提として未婚者同士の間で起こるデートDVや暴力、性暴力は許されないことであり、もし被害に遭っている人がいたら老若男女問わず守られるべきである。
しかし、法的なパートナーからDV被害を受けている場合は別だ。
責任は加害行為を行った者と、選別眼がなくそのような人物を法的な配偶者に選んだ被害者で分担されるべきである。
法的な配偶者からDV被害を受けた者がいたら、我々は涙をのんで彼らを笑い物にしなければならない。選別眼がなく自らが自らの責任で選んだ配偶者から暴力を受ける者は決して保護されてはならず、行政には見捨てられ、周囲の人からは笑われなければならない。
そして選別眼のない被害者は自業自得によって配偶者に殺され、配偶者は傷害致死か殺人で刑務所にぶち込まれる。こうして、暴力を振るうクズと相手を見る目のないクズ2人がこの世から消える。
配偶者の選別に失敗し、生命の危険に晒されたとしても誰も助けてはくれないという現実を全ての人に見せつけることによって、みんな配偶者の選別に慎重になるだろう。
https://web.archive.org/web/20230925234049/https://anond.hatelabo.jp/20230926082207
約 574,000 件ということは、ワンチャン有名人の扱いで増田に名前を書いてもいいのかな?
知名度に関わらず、何か実名で情報発信とか活動をしていれば、公人の扱いになるのかな?
公人(こうじん)とは、公務員や議員などのように公務についている者や、社会的な立場を持った人、社会的な影響力を持った人物を指して用いられる言葉。対義語は私人。
公人について言及した法令は存在しておらず、裁判所の判決等で言及される際にも明確な定義はおこなわれず、幅がある状態となる。
一般に私人に対してはそのプライバシー権が強く保護されるが、公人は社会的に及ぼす影響が大きいため、私生活であっても『公共の利害』に及ぼす影響が大きい公人の場合にはその保護が行われないことがある。
暇空氏は一旦置いておいて、「Colaboの活動だけを支持する」ということはどういうことかよく考えてほしい。
若年女性支援活動の理念に異を唱える人はいない。そこを勘違いしてはいけない。だからこれに反対している藁人形を想定しても意味がない。
ただしその活動が公金のルールに従って、偏りのない思想のもとに運用されるのであれば、という条件付きだ。
森友学園で言うと、学校を新設することに異を唱える人はいない。教育環境が手厚くなるのは良いことだ。
しかし思想的に問題のある活動なら話は別だ。保護女性を辺野古に連れて行くとかな。
さらに有力政治家の影をちらつかせて行政窓口に圧力をかけ、自分たちに有利なように融通を利かせた。
その点でColaboと森友学園は完全に相似形と言える。
豊中市の用地を融通するのも、新宿区役所前の場所を融通するのも、黒塗りされた金銭交渉もまったく同じ構図だ。
「人間と違って動物は下等なので痛みとか苦しみとか無視でええんやでー」という逆流防止弁によって防がれているカタストロフィの多さをキチンと想像して欲しい。
動物にも権利があると主張し続けると神聖不可侵たるものとして人間様と動物を切り分けるのが難しくなっていく。
すると「クジラはダメだけど虫は下等だから痛めつけてもセーフ」といった差別基準が人間の方にも波及してくる。
「黒人は白人と違ってモンキーよりだから人間扱いしなくてセーフ」をやっていた時代に逆戻りするということだ。
すべての動植物に人間と同じ権利を認める余裕が産まれるまでは「権利は人間様だけにある。器物損壊や環境破壊は気にしなきゃだが、動物の尊厳や感情は今は気にするな」で貫き通すべき。
もし今後人間の余裕が失われ動物に分け与えすぎた優しさみたいなものが足りなくなったとき、それを動物から取り上げられるかどうかで争うことになるだろう。
そのとき「犬は人間の役に立つけどモニャムニャ族は単なる野蛮な山賊で文明社会の敵みたいなもんだから権利を認めるのをやめよう。まあ面白いから保護はするけど人間扱いはせんでええやん?」「せやせや!」「ほんまやなんで気づかんかったんやろ」「じゃあお猿さんの代わりに薬の試験とかもしてええんか?」「ええんちゃう」「せやなーお猿さんは頑張ってるのにモニャモニャ族は単なる臑齧りみたいなもんやしカスだよなあ」「わかるわー」みたいになりかねん。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR9R6JFHR9RUTFL00G.html
「未成年性犯罪の再犯率は非常に高く、学校や保育園という勤務先を変えて再犯を繰り返すパターンが後を絶たない。これを解決するために、専用の犯罪歴データベースシステムによる認証が必要だ」
これがようやく形になるのだから、弱者保護が大好きなはてなーは好意的な反応を示すだろうと思っていた
ところが上位コメントには未成年の人権より犯罪者の人権を重視したコメントが並ぶ
何が起こってるんだ???
わが国には昭和54から怖い人が居続けるという意見があるが、疑問なしとしない。根拠
(1)昭和60年8月に日航機が落ちたときの犠牲者有名人が盛り上がっていた時代は、仮にそういう怖い人がいたとしても、あまりにもドクソ貧乏なので世間から知られていなかった。
(2)平成4年に鹿児島地裁で再審請求事件があったが棄却された。しかし、その当事者も、ドクソ貧乏で当時から誰も相手にされていなかった。
(3)確かにその当時頃からでも富美山で寝ていると夜中に怖い車が走り抜けていくこともあったし、青葉台を走りにけて行く自動車は昔から見ていたのでそういう人がいたかもしれないが
意味不明化する令和 田舎には女装コスプレデリヘルがあるので、東京やさいたまにはないので、東京から田舎の方に帰りたいという人が続出しました。それはそれでいいことだと思うのですが
なんか万事が万事うまくいかなかった。第一に現在の東京に住んでいても自慢にも何もならない。生活保護を受けてると移管制度があってどこでも好きなところに転居
できます。これは福祉事務所に移管したいというだけで通るのでしかし、移管したとなったら移管したとなったでもう都会には戻れない、仮にそこに移管するという判断をする
理由が分からない。例えば栃木の山の中に移管したいという場合に保護費をもらいつつ山の中で散々エロができます。新しい土地にも行ける。しかしその代わりに
都会にはほとんど戻れない。北海道でもいい。しかし実際には通らないから面倒くさくなって生産性がなくみんな寝ているわけです。どこでもいいから身体が動かない。
逆に高度テクノロジーや東京の発達した都市へのあこがれはいつまでも残り続けるので、更に、法学部へのあこがれとか、法を利用した生活をしたいという願望もあるので
それでどこでもいいという判断になってくる。最近はとにかく法学部がいい。延岡市でも誰も一回も行ったところがない町として一ヶ岡などがあります。