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はてなキーワード: 本来とは

2024-07-27

東京オリンピックでも、オリックス優勝パレードでもそうだけど、本来楽しく喜ばしいイベント成功させようとして無茶をして、または法を犯して無理を通して、人が死ぬことになるというのは、物凄く愚かなことだと思う

古墳の周りに人を埋めていた時代から進歩がない感じだ

2024-07-26

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:anond:20240725222040

GL:これ

GL

ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分ステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。

BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画少女小説摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。

その後、オタクとして成長すると共に、だんだん百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。

覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネ女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。

自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち

そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。

そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。

タイトル 蛇行する川のほと
作者 恩田陸


本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天彼女主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女大人になる。

本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人子供奇跡狭間うつろう毬子、過去を持たない完成された香澄彼女相棒天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさな香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件きっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。

本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手香澄で良かったと思っている。

門外漢自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。

ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。

同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。

物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあん事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去事件因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。

この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしか自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友彼女からこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。

香澄芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。

百合とかGLとか未だよく分からないけど、自分にとってそれらに一番近い感情は、この二人を想うときかなって思った。

ネット民はなんでそんなに弥助問題にこだわるの?

から、どんな分野でも、トンデモを言い出すやつがいトンデモ説が一般に定着するなんてありふれてるじゃん

エセ科学界隈なんてまさにそれ

中学高校範囲教科書読むだけで明らかにおかしいってわかることでも、一般の人は疑わずに信じてちゃってたりするじゃん

そういう内容って、専門家研究者は、いちいち否定するのも馬鹿らしくて基本ノータッチだよね

だって中高の教科書レベルの間違いだよ?

専門家が突っ込むレベルじゃないよね

「はあ、教科書読みはったらよろしいわあ」以上のこと言えないし、言う気も起きないよね

でもたまーに、ネット民は何が気に障ったか、怖いくら固執しだすトピックがたまにある

専門家がアホらしすぎて口をつぐむような話でも、ネット在住の素人たちが大合戦しだす時がある

弥助問題ってまさにそれだなあって思う

俺は素人から何も知らないが、弥助なんて教科書に載らないどうでもいい人物なのにどうしてそんなこだわるかわからない

そして聞くところによると、文献に残っている記述も、ほとんど何もわからないような数点しかないらしいじゃない

何をどう話したってファンタジーだし、「ある」も「ない」もファンタジーな話じゃん

そんなファンタジー合戦によくそこまで情熱燃やせるなと

みんなエセ科学ファンタジー健康被害出ても興味ないのにさ

黒人奴隷どうこうもファンタジーで、あるかもしれないしなかったかもしれないじゃない

そういうファンタジーで誰かを貶めようとするのなんてこの世界日常じゃん

ファンタジーしかできない分野の歴史解釈に正しい史観みたいなので対抗しようとすんのもバカらしすぎるし、それもファンタジーじゃんって思う

興味あんのは歴史的事実ではなくて、党派性から来る自分名誉不名誉だけでしょ

それは政治バトルだよ

政治バトルが本来することなんだろうに、青筋たてて歴史バトルしたがる素人はまじで変な奴らだなって思う

日本アカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・1

日本には大学教授研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭

 

 

あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授研究者賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。

職業年齢おおよそ
の月収
ボーナス
おおよそ
年収
労働者
航空機操縦士43.1138123 1,779 4,970
医師41.69763 1,227 77,920
(男女合計)管理職業従事50.247522 1,086 6,720
大学教授高専含む)★58.066275 1,067 59,530
法務従事49.968176 992 21,150
大学准教授高専含む)★48.955207 867 39,880
歯科医師40.56042 762 15,090
その他の経営金融保険専門職従事39.346156 708 16,000
大学講師助教高専含む)★41.649108 696 56,890
高等学校教員43.143163 679 69,200
研究者39.842156 660 118,450
輸送機器技術者40.141159 651 191,480
小・中学校教員40.342146 650 31,200
システムコンサルタント設計40.44697 649 78,730
電気電子電気通信技術者通信ネットワーク技術者を除く)41.841154 646 285,830

 

 

そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、

ほとんどの人は、大学教授研究者賃金を上げることに賛成しなかった

(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)

 

 

そんでまぁ招いたのが今日日本の状況ですよ

高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人情熱能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった

社会の基礎を担う公立の小中学校先生問題と似てるよね。尊敬に値する素晴らしい先生もいれば、残念ながらどーしようもない先生もいるみたいな
でも、そういった感情はグッと飲み込んで、羽振りのいいヘッジファンド並みのお賃金大学教授研究者に払うべきだったんでしょうね。苛烈競争で質を担保するために

 

 

まずはこれ

"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年東京大学准教授投稿である(成りすましでなければ)

アサシン・クリードシャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽パブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。

 

 

そして、これもまさか2024年日本大学教授(わざわざプロフィール所属身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~

PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?

Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.

(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人人種差別主義者」だけではありません。多くの日本インターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?

アサシン・クリードシャドウズについて日本ネットユーザー意見を表明している例をこの画像確認してください。)

               ↓

南京事件慰安婦問題などに対して配慮のない主張を繰り返す属性の人、某氏信者の人の画像を羅列&投稿)

https://x.com/mrjeffu/status/1816040391990468666?s=61

 

悪いけど、ワイは明確に、南京事件慰安婦問題などに対して配慮のない主張を繰り返す属性の人、某氏信者の人では無いです
だけど、アジア人蔑視日本文化軽視のプロモーション表現を重ねてきた UBI の姿勢と アサクリ シャドウズ は非常に不愉快です😠

 

いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" (←実話・真実物語とされている) などは、

日本文化に対してさらなる誤解を招く可能性があります

それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、

上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSお気持ち勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています

 

 

1. まず、"坂上田村麻呂黒人説" について言及しま

これは、司馬遼太郎氏やカジュアル歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇フィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います

"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前カナダ人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。

米国非営利団体 Internet Archive で原著確認できると思うんですけど、

氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます

 

484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN

[...]

And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.

(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)

 

THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485

the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,

a famous general and a Negro.

(彼らの軍隊の指導者は 坂村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)

 


  Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"

   https://archive.org/stream/jstor-29737886/29737886_djvu.txt

 

まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。

そして、この論文記述全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、

 

As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.

 

(統治者戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王アメンホテプ3世エチオピアカンダケとエルガネススーダンマンサムーサ、ソンニ・アリ、モハメドアスカイ、ブラジルディアスハイチのトゥサン・ルヴェルチュールロシアのハンニバロフ、本の坂村麻呂フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)


The Negro

https://archive.org/details/negro0000dubo_w7n3

 

さらに後続の米国黒人公民権運動活用されたり、歴史フィクションアイデア元になった歴史があります

そのため、一部の児童向けサイト教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります

この界隈では、次のことわざ日本にあるとされています

For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood

"侍が勇敢であるためには、少しの黒人の血を持っていなければならない"

 

日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます

Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora

https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African

 

2. そして、弥助ぇぇぇ~ぇえ🎵↑

弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者黒人の方で、しか剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。

弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。彼は道具持ちを任され、わざわざそのことが記録にも残っています

頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます

というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。

(最近ゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公人種自由に設定できるオプションデフォだけど)

 

ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。

わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。

 

耶蘇会日本年報 第1輯

https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/164

 

弥助は、格 (家柄・役割) が無いため、一般的意味武士(侍)では無いことが、極端に歴史をサボっていない日本人なら誰にでもわかるとだと思います
武器を持てば武士(侍)』、最近そのように日本アカデミアの中で定義を変えたのであれば、お知らせして頂きたいところです。
今まで、農民の子孫という自認だった人は、一度でもご先祖様が戦に参加していれば、これから武士(侍)の子孫です。
あるいは、ご先祖様が用心棒として武器を持ったことがあれば、これから武士(侍)の子孫です。

 

 

『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔

 

それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版Wikipedia 見ると、日本アカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの

ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます

Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.

 

(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバル大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)

 


Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf

 

Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)

 

更にこれに加えて、日大教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国まれ武士(侍)となった、

弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますから

例えば、大手ニュースメディアCNNとかで

African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal JapanCNN

https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html

そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアル歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇フィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います

 

 

文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2

 

 

 

関連増田

ケンモメンセルフトトカマグモリーのままキッズドアに対しては随分と違いなさる

てめえらがさんざ無数にジャパン蔑称啼き喚いてきた

結果たるロンクハラライスへの仕打ちが答ェっての

変えられたつもりなどではあるまいねマジホント

外面重点様の牛後にはなれるが

自分自身所業の結果に向き合うことで

鶏口になることはできませぇぇぇぇぇぇん気取りマラサイミフ

腐っても、本来の順番違えても、矜持とやらの筋を通すのは

いつまで御留守?いつ御戻りに?

できませぇぇぇぇぇぇんとか日和らないのだけは

証明なすったろうに

https://x.com/narafukarusio/status/1816057786448724430

anond:20240726101737

『校庭で高齢者にぶつかる、当時小学生の2人に賠償命令ひろゆきさんは判決疑問視子供優先にしないと」「骨折はやり過ぎ」反応さまざま

https://www.chunichi.co.jp/article/933604?rct=societynews

小学生グラウンドを走るの当たり前やん、、、」

から過失6割相殺なんだよ

ちゃん記事読めよ


子どもが校庭を自由に走り回るより、高齢者の愛好会を優先する国」

子供集団下校で、【空いた時間】だから高齢者に貸したんだよ


「今回は学校管理する市だけが賠償すべき案件。何かのいびつさを感じる判決

子供集団下校と指導されていたんだよ

集団下校と指導された

本来手本となるべき最高学年の生徒が

それを無視してグラウンドではしゃいでいた

この責任学校、ひいては市にあるって?

愛好会にグラウンドを貸したら、そこで小学生から骨折させられるかもしれないとして、万全の対応を取らないと学校責任

そこまでの責任学校が負わなきゃならないんなら

4桁万払ってやれよ

責任に見合う待遇しろ

日本におけるリベラルってどういう意味

リベラルリベラルって言うけど、日本におけるリベラルって本来意味とはちょっと違うよね?

それこそ日本リベラル簡単他人説明するにはなんて言えばいいんだろう?

アサクリ最新作にトマスロックリー関係なくて草

IGNの記者がアサクリ最新作の記事書くときトマスロックリー引用しただけで、アサクリはとばっちりやん。

文句言うならIGNの記者だろ。

まぁ、扇動する側としてはIGNなんていうあまり知られてないWebメディアより日本支社もあるゲーム会社の最新作が生け贄として望ましかったんだろうな

畳が正方形という文句ゲームプレイトレイラー見たらちゃんとした畳だし、どっちかというと「Fukuchiyama Castle の Load Hayashi って誰だよ」とかそっちの方が気になったな。

弥助をサムライにしてる事に対する文句も「ダヴィンチ暗殺者武器職人にしたのは脇役だから良いけど、弥助をサムライにするのは主人公からダメ」とか支離滅裂いちゃもん書かれてて笑ったわ。

「弥助という黒人信長の元にいた」って事しか確定してない弥助をサムライとして創作するのと、「ダヴィンチ暗殺者武器職人」っていう明確に史実に反する創作してるのとで前者の方が罪深いってのは共感できないな。

博物館モードを売りにするゲームでそういう描写は許されん、みたいなみたいな寝言も視界に入ったけど、博物館モードでフィーチャーしたのは今となっては見ることの出来ない歴史上の建造物本来の姿を3Dモデルでいろんな角度から見たり出来ることを売りにしていたし、そこでの解説ゲーム内の創作を混ぜ込んで誤解させるような見せ方してなかったよ。

批判の中に「歴史戦」とかきな臭いワードが混じってたかまぁこういうもんだろうなという気はするが、UBISOFTは大変だね。

年寄り時間より早く集まる習性問題があったに違いない

あいつら集合時間の30分以上前に来てるから

本来集団下校の子どもたちと校庭で出会うことはないはずだったのに、年寄りが早く集まりすぎるせいでこんな悲劇が起こったんだ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nhkbook-hiraku.com/n/nab78a263743f

寅子(伊藤沙莉)が穂高先生小林薫)を怒鳴りつけたシーン、割と否が多めの賛否両論になってたんだよなー

その後寅子がどんどん増長していく展開になるので、その前振りとして寅子の傲慢さをわざと表したかったのか?と思ったけど

インタビューとか見るに、どうもそういう意図ではなかったようだし

それまでの伊藤沙莉の「実年齢より年上の女性」の演技と、小林薫の「死期が近い弱った老人」の演技がうますぎて

「いい年こいたアラフォーがよぼよぼ老人を怒鳴りつけた」構図に見えちゃったんだよな

どちらも演技が下手なら「小娘が偉い人を怒鳴りつけた」になってさほど違和感なかっただろうに

(当時の伊藤沙莉インタビューでも「疑似親子喧嘩」「遅れてきた反抗期」的な事を言っていたので、多分脚本家本来意図もこっち)

演技がうますぎる故にズレてしま視聴者の反発を食らってしまうという

anond:20240725235542

マジョリティは強い

マイノリティは弱い

ここから中立を目指すとと、実質的マジョリティ制限してマイノリティ擁護する形にならざるをえない

そして過激思想のやつがいるせいで行き過ぎな行為も目立つから嫌われる

我々は物心ついた時から社会が歪んでいたことを認識し、本来ならばそもそもありえなかった利益を手放す精神必要である

てかこの動画ブライアンかと思ったら違うんだな

2024-07-25

自分の嫌いな人間を多くの人が嫌っていることに喜びを見出す人間は、他者の不幸や失敗にしか満足感を得られない自己中心的性格の持ち主です。彼らは、自分価値や優位性を他者との比較しか確認できないため、他者が嫌われることで一時的な満足感を得ることしかできません。そのような態度は、深い不安自己嫌悪の現れであり、自分自身正当化するために他人貶めるという行為に走るのです。結局のところ、そのような行動は人間関係破壊し、自らの孤立を招くことにしかなりません。社会的成熟していないこのような人間は、他者との共感や協力を重視せず、結果として信頼や尊敬を失うのです。

他人の不幸を喜ぶような浅はかな心性の持ち主だと言えます自分価値他人評価依存させており、真の自信や自尊心が欠如していることの表れです。

このような態度は、自己中心的で幼稚な思考の表れであり、人間的な成長が止まっていることを示唆しています他者への共感能力が著しく低く、社会性に乏しい人物だと評価せざるを得ません。

さらに、このような考え方は長期的には自身孤立させ、人間関係を毒し、精神的な成長の妨げとなります。結果として、さらなる不満や憎しみの循環に陥る可能性が高いでしょう。

真に成熟した人間であれば、他者評価一喜一憂するのではなく、自身内面的な価値観や成長に焦点を当てるはずです。このような態度は、人格的にも社会的にも望ましくないものだと断じざるを得ません。

そのような人々は同じような感情を持つ仲間を見つけることで共感を得ることができるかもしれません。しかし、それは真の共感とは言えません。本来共感は、他者感情や状況を理解し、助け合うことを目的とするものです。彼らの共感は、他者貶めることによって自己満足を得るという歪んだ形のものであり、健全人間関係の基盤となるものではありません。

このような人々の共感は、他者の失敗や不幸に対して共鳴し、それを喜ぶというネガティブ感情に基づいているため、長期的には自分自身精神的な健康にも悪影響を及ぼします。また、そのような関係本質的破壊的であり、長続きしないことが多いです。

これは真の意味での共感能力とは言えません。むしろ、狭い価値観の中での「共犯関係」や「エコーチェンバー」を形成しているに過ぎません。

真の共感能力とは、自分とは異なる立場や考えを持つ人の感情や状況を理解し、受容する能力を指します。単に同じ否定的感情を共有することは、むしろ共感能力の欠如や歪みを示唆していると言えるでしょう。

このような「共感」は、個人の成長や社会健全な発展にとってむしろ有害である可能性が高いのです。

好きな人間に対しては共感やすいというのは自然なことですが、嫌いな人に対しても公平に接することができるかどうかが、真の共感能力を測る指標となります。偏った共感は、自己中心的であり、他者自分の好悪で判断する傾向が強いことを示しています

このような人々は、自分感情に基づいて他者評価するため、感情の浮き沈みが激しく、安定した人間関係を築くのが難しいです。彼らが嫌いな人の不幸を喜ぶ理由は、自己優越感を感じるためであり、それは根本的な自尊心の欠如を示しています

他者成功幸福を心から祝福し、嫌いな人であっても公正で尊重する態度を持つことが、人間関係をより健全にし、自分自身内面的な成長にもつながります

朕述書について著者の成長が全く見られないことがわかった

朕述書について著者の成長が全く見られないことがわかったとき、どうしようもない焦燥感に襲われた。本来であれば批判すべき立場にあるはずの私の文章を、専門家にはそうでない異様な王ラ漂うお前がブクマし、どんどんいろんな方向に引用されていくはずだ。ただ同時に、私が書いたはずの文章を称賛する人間が今まだいるんだな、ということも気付かされたのだ。そういう意味では、今回の件は私の文章の在り方に大きなダメージを与えたと言える。

Anond AI作成

日本生産性の低さが凝縮された画像」として挙げられた天ぷら屋での10年の修行→むしろ現代ではこういう自分の力で見て覚える技術が衰退しているのでは

https://togetter.com/li/2407392

ブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2407392

ブコメがいまだに古い価値観を引きずってる人が多くて萎える。

そんな考えだから伝統工芸は廃れていく。

最悪本来目的意味理解できなくても幅広い人材に教えていけば後継者は残る。

もちろん熱心な人にはより深く教える。

文化なんてそんなもんだろ。

例えば年中行事(なんでもいい。七五三クリスマス等々)が始まった当初の由来を知らなくてもその行事に参加する人がいるから続いてるわけで。

続けないことには忘れられていく。

まり切った基礎の部分は誰でもできるようにネットにアップしておくなど気軽に情報に触れられるようにし、それを見て個人でもできるような環境にしておくのが望ましい。

それを伝統がなんだ、技術がなんだと騒いでまるで一子相伝北斗神拳のように扱っているとやがて後継者はどこかで絶える。

天ぷらも同じ。その店が美味しくて評判なら尚の事その味を続けるために教えるべき。

見て覚えろというのは教えるのが下手なだけ。もしくは自分技術既得権益からともったいぶってるだけ。

そんな理由なら10年かかるのも納得できるが評価はできない。

anond:20240725043353

ファンボックスとかSkebみたいなのが絵師おかしくしたんだろうなー

趣味実益を兼ねて~とか好きな事を仕事に~とか本来言語道断

社会舐めてんのかって妄言から

anond:20240725041328

AI絵師とかイラストレーターなんかは典型的趣味を金に変えようとしておかしくなったパターンだと思ってる

本来なら対価なんか求めず好きだから描く(作る)わけで、

見てもらえるだけでも嬉しいし何らかの形で活用されるのは歓迎しないとおかしいんだよ

  

仕事は食べていく為の手段しかいから変に絵で金を稼ぐ事を考えてる絵師は考えを改めないとやばい

ツイッターでよく見る「ヤバいオット」製法

ツイッターでよく見るヤバいオット。ヤバ男。ツイッターなんて混沌の掃き溜めだか特にヤバいやつが濃縮還元されてるだけで、そうそうヤバ男なんていてたまるかと思っていた。しかしながらこれがなかなかにいるものである

仕事で様々な人と関わり、「ヤバいオット精製器」には3つ特徴があるな……と思ったので個人的メモ。もちろんこれが全てではないけど、今まで関わってきた中で「こいつ(の息子)マジでやべぇ!」となった人の八割程が当てはまっていたのでどんなものだろうかと。

①「ヤバいオット」精製母は「しごでき」が多い

いまや共働きが基本になりつつあるのでこういうことを書くのはどうかとは思うが、夫一馬力では何とかならないorシングルのため、仕事を頑張っている人が多い。で、その中でも「かゆいところに手が届く」タイプのしごできはヤバ男精製器の可能性が高い。要するに先回りして手を貸してくれたり仕事を片付けてくれるタイプの人だ。これが家庭にも現れて「コーヒー!」の言葉だけで、濃いめに入れたコーヒーに氷を3個いれてお砂糖ひとつフレッシュひとつを入れたアイスコーヒーを渡してしまうのだ。こうして名詞しか喋れないタイプ人間爆誕する。

そしてしごできということは結構時間仕事をしていることが多い。つまり子供に寂しい思いをさせている……せめて一緒にいる時はめいっぱい甘やかしてあげようの精神思春期を超えて高校とか大学になっても続いている。のでいつまで経っても自立しない人間の出来上がりである

②「ヤバいオット」精製母は「奉仕精神」が強い

付きっきりで「お世話してあげる」のは小学生までで十分だ。それ以上はかえって子の意志個性を潰してしまうと思う。ただ、付きっきりでお世話してくれる人がいたら甘えるのが人というもの。それが毎日確定されたものなら余計にだ。毎日当たり前にあったものが突然なくなったら不満に思うのは当たり前で、例えば毎日母が着替えを用意していたなら、着替えが用意されなかった日「着替えまだ?」となるものである。こうして相方風邪ひいた時に「ご飯まだ?」と聞いてしま人間爆誕する。

③「ヤバいオット」精製母は「メンヘラ気質」が多い

要するに依存体質ということだ。子供依存しているのである本来子供とは、血の繋がりこそあれど「自分とは違う別の一個体」であって、家族であっても他人としてお互いに尊重しあわなければならないのだが、子供依存しているので「好きだからなんでもしてあげたい、全部が全部大好き」と妄信的になっている。推ししか勝たんぴえん地雷対象が子に全振りといった感じだろうか。悪いことでは無いけど、依存先が分散されていないというのは「寂しいから家からでていかないでほしい、結婚しても一緒に住んで欲しい」と同居を求める親になってしまう。親もこう言ってるし②で言った通りお世話もしてくれるし、となったら自立して一人暮らしするメリットなどそうそうない。むしろ一人暮らししたらお世話してくれる人がいなくなるのだ。そうなれば次は「交際」を始めて、母親代わりの人間を探し始める。

なんとなくこんな特徴があるなと思った。あと、個人的ヤバいオンナ精製母は、家庭環境が荒んでいる/愛情不足なことが多い気がする。オトコもそうだが。

2024-07-24

ハチミツ精液混入事件派遣元アデコ株式会社がたったの損害賠償請求金1,595,111円で示談を成立させているってのも異常だよな

本来ならば(払えるかどうかは別として)何億円も請求していい事案なのに。

やはり派遣会社の中の奴等も男だから自分達も同様の事件を起こしたいと考えているのだろうか。

カマラハリス

https://www.youtube.com/watch?v=QKaCFmNefHA&t=963s

不登校児の親を刑事起訴出来るようにしましたって話してるんだけど、笑いながら話してて結構サイコパスみを感じる。

俺はリスニングろくに出来ないからアレなんだけど、英語できる人や現地民的には笑える理由あるんだろうか。

ブクマカがぽつぽつパワハラ言ってるし、はてサ(俺もそこそこ)とは本来水と油な感じがするんだよな…。

30代独身女性が増えまくってる問題

東京ハイスペ男のセフレしてた女が田舎に帰るという選択を今さら取れるわけがないんだよね

本来なら田舎普通に暮らしてたら幸せになってたはずの女が東京で壊れていくと


これ、時限爆弾のようなものから今後急激に問題化するやろなぁ

anond:20240724172930

脚本家から上がってくる脚本は大幅改変がされていたが、その都度、原作者修正を申し入れて、1〜8話の脚本はほぼ原作通りに作られた。

そこで原作者が「9話・10話は脚本家を変えてほしい」と言って、脚本家が降り、最終的に9話・10話は原作者脚本を書くことになった。

するとファンが「9話・10話だけ脚本が変だった」と騒ぎはじめたので、原作者がそれまでの事情を明かして謝罪

原作者の主張は全面的に受け入れられてますよね。脚本家を降ろすなんて本来ならありえない要求でも通ってますし。

アサシンブレードを使うためには薬指を切除する必要があるので薬指を隠すポーズアサシンサインなのだ

改良したからもう薬指落とす必要なくなったわ…

そもそも薬指を切断したのは事故なので本来は切断する必要ねンだわ…

ていうか手の甲側に装着すれば普通に使えンだわ…

なにこれ?

反社会性思想武器として使われるこどももいる

はっきり言っておきたいのだが、子ども自身に罪はない。全くもって。

問題はその親である。一部の特殊な親が、子どもを使って免罪符のようにして社会迷惑をかけるのだ。

子どもは親から下された指令に逆らえない。Twitterなどでいうファンネルのような存在として扱われている。

本来親がしたい迷惑行為を子ども移譲すると大変都合がいい。

何か言われても「子どもしたことなのに!」だとか「少子化問題に貢献しているのに!」だとか「子ども攻撃する大人ってやばー」だとか「子ども迷惑をかけるもの!」だとかで反撃できるからだ。

赤の他人などどうなろうが知ったこっちゃない、自分のために我慢しろと考えている。

から本来は親に怒らなければならない。親を殴らなければならない。

親に「おたくはどんな教育をしてんだ?自分の子どもを愛していないのか?」と圧をかけられるような大人大人のような存在がいなくなった。模範となるような大人が少ない。

もうガキがガキを育てているようなものだ。

子どもの声は騒音ではないとかなんとかというのは、次元が異なる問題である子どもの声がうるさいのは親がうるさいのと同じである。親は「うちのがうるさくてすみません」と我が事として責任をもって謝り、受け手は「いやいやいいんですよ。子どもは騒ぐのが仕事ですから」といって我慢することで、うるさいけれどまああそこの感じのいい親の子どもだから仕方ないなと、双方が丸く収まるのが本来あるべき姿だ。それが逆になっていれば、いくら法律保護されていようがバチバチと恨みはできる。

うるさいもんはうるさいもんだ。

ましてや嫌いな家のクソガキの金切り声など、家を燃やしたくなるのも頷けるだろう。人生で最も嫌いな人物シミュレーションすればそれは容易に想像つくはずだ。

今の世の中の風潮は「子育てしている者はエラい」という、なんだかおかしなことになっている。子どもがいるというだけで権力を得ているかのようだ。

「おうおう、そこを通せぃ! この子どもが目に入らぬか! 将来のお主等を支える偉大なる存在であるぞ! 図が高い! 控えおろう!」とこの調子である

ハッキリ言って、こういう輩はウザいのである。そして、そういう輩がバカそうであればあるほどウザいのである。世の中、バカクズが偉そうにしているのが一番ムカつくのだ。

だいたいバカの子どもはいくら少子化とはいえ治安が悪くなるだけなのでいらんのではないか。我々がほしいのは親の余裕資産によって完成された次世代戦闘サイボーグであって、ろくに税金も払えないような無教養足引っ張り治安悪化貢献人材ではない。

バカがパコパコした結果、なんか権力っぽいものを手にしてしまって、その刀を振り回している姿は現代喜劇だ。

こういう親を「子ども使い」などのようにちゃん蔑視しておかなければならない。

だというのに、なぜかその子ども自体存在について議論されていることが多い。子どもに罪はない。その子ものイカレ親こそが問題なのである

これは子育てしている家庭ほどしっかり考えなければならない。「チーム子育て」と考えて彼らと同一化して考えてはならない。彼らはモンペである

「しっかり子育てしているあなた」とは全く別の人間なのである

彼らは子どもに愛など持っていない。

彼らにとっては、子どもなどただの自分ストレスを発散するための道具でしかない。全然愛でもなんでもないものを愛と名付けて子どもから尊厳収奪し、子どもの自立精神を妨げるモンペである

そういう毒親は「わたしたちもチーム子育てですよ〜!」と入り込むのが非常に上手だ。そして弱者ぶる、被害者ぶる、ノイジーマイノリティなのだ

注意して見分けなければならない。

子ども武器にするな。子どもの話をしているわけではない。大人大人トラブルの話をしているのだ。

anond:20240724135809

男の友情!は腐女子の餌だよ

本来押し出すものでもないさり気ないものだろう

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