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はてなキーワード: 断罪とは

2020-05-31

なぜ黒人が暴れるのか

白人黒人ほど裁きにあいづらく、同じ犯罪をしても刑が軽いことがままある。白人なんなのふざけんなボケがとなる気持ちはそこからくることも多い。

しか歴史的経緯から黒人には貧乏人が多く、暴れたところで失うものはない。コロナアジア人差別されていたのに今の黒人みたく暴れたりしなかったのは単純にアメリカにいるアジア人相対的に裕福な人が多いからということもある。ただ黒人、こいつらは貧乏でそれ故に教養を持ち合わせていない人も多く、さらに幾多の差別歴史から怒りを爆発させるだけの土壌と背景がある。

暴力を働いたところで逆効果だというのはその通りだし、略奪に走っている人たちがアホなのはその通りだ。ただな、何も知らないあんたらが偉そうに鼻くそほじって断罪できるほど簡単問題じゃないのもまた事実なんだ。

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

実習生依存する農業の是非を、現在進行形でのうのうと安い野菜を食ってるてめえらが断罪すんじゃねえ

高きゃ高いで文句言い、「こうあるべきだ」なんて無責任なクソ文字列を全世界に公開するだけ公開して悦に入ってイイネ乞食

留学生にも農家にもそれぞれの思いがある。[良い|悪い][農家|留学生]もいる。

断罪されるべきはてめえらの魂なんだよ。「知らなかった~知ってたら食べなかった~」っていうならいからもう食うなクソッタレ

現実相手にしている人間を、立場にもねぇ責任もとらねぇヤツが断罪するなんてことしている奴らは、魂が汚れ続けてるわ。イナゴどもが、自分収入最大化のための勉強家族への貢献のために時間を使え。それこそが世界をよくする地道な作業なんだよ。おめーらのやってる「スマホ裁判官」や「イイネ収集」は【トータルで世の中が悪化する行為】でしかないんだよ。救われるべきを救えず苦しむ人間だけ増やすんだからな。

anond:20200530062157

こういうとき被害者の過失をまず第一に責める人は、いわゆる正義厨だと思ってる。

被害者の言い分には耳は貸さず、そこにある過失のみを責める。

まりそこにある「悪」断罪せずにいられない。

おそらくSNSで見ず知らずの人に批判という名の誹謗中傷を浴びせ自殺に追い込むような人は、こういうタイプじゃねーかな。

2020-05-28

小児性愛者を擁護している」のではなく、「あなたがたを糾弾している」ことがわかってもらえないのだなぁ。どこまでいっても他人事

子供小児性愛者を俎上に上げて、自分たち安全なところから断罪ゲームを楽しむことに慣れすぎて、自分たちこそが俎上に上がったことにまだ気付いていない。

2020-05-27

死人を煽る内容の書き込みを近頃頻繁に見かけて、どういう意図があるんだ…?と思ってたが、

ここ最近誹謗中傷断罪ムードに対するアンチテーゼのつもりなのか。

2020-05-25

anond:20200525021609

そりゃそれが悪だと認定して断罪するのが正義の役目だもの

正義自分対立物として悪を作り出すから正義なの

2020-05-19

anond:20200518233929

報道ジャーナリズムの何たるかを微塵も分かってない人でも報道文句言える時代こわいな

良い悪いと断罪するのがみたいなら週刊紙ワイドショーだけみてればいいのに

2020-05-18

anond:20200517222730

実際に連鎖事故加害者として糾弾される立場に置かれている、大津保育園児が死んだ事故の原因になったおばはんとかに対する反応とかみても、

やっぱこいつと俺は別人種からっていうコメントしてる奴らの自意識は拭い去れないよな。

生涯にわたって絶対信号無視しないとか、右折時に周囲の確認絶対忘れないって、それ守り切れてる奴ほぼほぼ皆無なんだよな実際のところ。

免許持ってなくたって、自分自転車歩行者立場自分を避けようとした車が近くの子どもをひき殺す事故が起こる可能性はある。

そのとき「お前のせいで」って断罪されたとして、どんなに償う気持ちももっていたとしてもまるで人でないはないかのように非難され続ける日々が続くとして、

あのおばはんのように錯乱しないという自信はちゃんと考えたら持てないと思うんだ。

あの人の目線に立てば自分の車に突っ込んできた車が脇にそれていって近くにいた子どもをひき殺したってことになる。

子どもがいなくて当事者間の事故で済んでいて、保険屋がうまいことやれば4:6ぐらいの比率相手が悪いってことになってもおかしくない事故ではある。

そりゃ「100%私が悪いわけじゃない」とか「不運」だとか言いたくもなる。当然傍で聞いているのはすごく不快だけど人間心理としてそういう反応になることはそんなおかしことなんだろうか。

おばはんも罪の重さに耐えきれなかったからああいう反応するわけで反省していないともいいきれない。

からとて情状酌量を施すのも違うわけで結局こういう刑事事件に聴衆が気軽に口出しするもんじゃないんだな。

2020-05-17

日本人は超絶絶対凶悪色狂い激臭膣だからだよ

  みんな自分のことしか考えていないからそうなる、他に理由がない。

   特段の事情のない限り、誰にも他人断罪できる権利はない。

2020-05-16

若おかみは小学生!」見た

正直、陳腐な内容だな、と思った。

公開当初はすごい絶賛されてたけど、ストーリーも展開も意外性がないし、児童小説だとよくある説教くさい内容だな、と。

て思ってたんだけど、なんかひっかかりがあるのでちょっと考えてた。

それで思い付いたのは、「赦し」をテーマにした作品は数あれど、その「赦し」の対象特に善人ではない、というのはすこし珍しいかもな、と。

割とこの手の作品は、「赦せない」相手が善人で、価値観を揺さぶられて「赦し」に転じるものが多い気がするんだけど(浅学なもんで咄嗟に例が出てこないが)、『若おかみ』は相手善悪関係なく、職業意識(つまり自分の誇りとかアイデンティティーとして?)で「赦し」に至るのは、あんまりたことないかもしれない。

悪人でも「赦す」。まさしく、「誰でも受け入れる」というのは、よくあるテーマの、「善人だから赦す」(相手悪人なら断罪してもいいのか?)「敵にも善人がいる」(悪人の敵はどう扱うのか?)とかをふんわりとアンチテーゼしているみたいですこし面白い

ところで、この「誰でも赦す」というテーマ作品が、この現代の、「嫌いな奴は骨まで燃やす」「すこしでも落ち度を見つけるとよってたかって叩きのめす」という社会で絶賛されたというのがまた面白い

というのも、主人公のおっこは、(まるで現代サービス業従事者のように)面倒な客に振り回され、屈辱を飲んで堪え忍び、その上で(決して善人ではない)両親の仇を「赦す」わけで、その壮絶さに我々はカタルシスを覚えるわけである

それは一種メサイアコンプレックスのようなもので、自分を傷つけることで他者を救うという妄想は大変な快楽なわけだ。(正確には赦しているのはおっこだけで、私達はなにもしていないのだが、我々は主人公感情移入しているので)

その敵を「赦す」ことの快楽は、敵を「叩きのめす」快楽に、根元の部分では繋がっているように見えるので、なんとなくそういう現代人のコンプレックスとかを感じられて面白いなと思った。

2020-05-15

anond:20200512223158

夫は妻の行動を逐一監督しておかなければならないとか、家族に変な人がいると仕事評価に影響が出る、というのは今の時代感覚に合ってなさそうとかそういったこと。

安倍首相断罪する武器は、そのまま他の人にも適用される可能性を常に留意すべき。

2020-05-11

anond:20200511115621

でも平田オリザ断罪していたフリーランスライターたちは「我々はサラリーマンとは違うので別の支援を用意してくれ」と泣きついていますよね?

2020-05-09

木曜深夜の例の件について

出発点はアレな発言とはいえ、その発言根底にあるもの断罪されて、じゃあなんでその話が出てきたんだろうみたいな話を

ずっとしてるのってたとえコンビ間の問題矮小化した、としても、俺には反省しか聞こえないんだけど、謝罪降板だ表舞台から

消え失せろだ言ってる方面人達批判ってどこからきてるんだろう。

少なくとも当事者ではないように見える人々が、あたか自分たちは正当な代弁者です、みたいな顔をして、当事者が望んでいるか

望んでいないかはよくわからない、代弁者自身の望みを「謝罪」や「反省」に組み込ませようとする姿は「ゆすり」「たかり」の類に見えて

ドン引きしている。

謝罪を受けるべき人々っていうのがそもそも誰かよくわからないし、この件に接して不快になった人々のその理由も各々様々な感じ方が

あるからそれぞれに対して必要十分な謝罪というのは現実的ではないと感じる。

から反省」を公開説教根本を糾すことで示すのは一つのやり方だと思うし、根本を糾すこと自体相方が「どうかしている」と思うことを

掘り下げる形で進めていくというアプローチを用いたのもよかったと思う。

浮き彫りにされた「どうかしてる」立ち振舞いが詳らかになっていく上で、ヘビーリスナー野次馬も、さらなる断罪に繋げようとしている人々も

内包される問題をそれぞれの感じ方や揚げ足のとり方として受け止めたはずだ。

特定相手がいない、人としてどうかしてる発言に対する真摯謝罪や、反省をする機会があるのならば、どうしてその発言をしてしまたか

というところに立ち返るのは割と自然な流れだと思う。

炎上した事によって貼り付けられた「人としてどうかしてる」というレッテルを剥がすためではなく、何が問題だったかゆっくりとでいいか

確実に理解していくためだ。だからゆっくりと様々なことを語っていく中でたどり着いた、「結婚のすすめ」も理解できるものだった。

結婚」することの副産物として、「他者への感謝がない」「社会的責任感の欠如」「逃げ癖」等の機会点の改善につながるのでは?

との提案は、自分自身結婚を契機に自身の変化を感じた経験からくる発言だろうと想像つくし、本気で結婚する決断に至るまでの思考

や行動は相手を慮ることも含め、避けて来たことに正面から取り組むことになるだろう、との考えからだろう。

普段から聖人君主をキメている人たちの中では「コンビ間の話に矮小化した」という批判を見かけたけれど、今回の話で、自分に言われているか

のような思いをして身につまされる思いをしている人がいるのは象徴的な話なのだと思う。

反省してるなら金を出せ」「死ぬまで謝罪しろ」って言ってる弱者の味方勢(は自分罵声さえ鳴り響けば反省しようがしまいが見えないふり

するしどうでもいいと思っていると思うけど)が思っているよりも大きな規模で、今回のことがどれだけのことだったか自分の性根を見直そう

という啓蒙が行われたんじゃないかと感じている。

また、発言した張本人が何が問題かわかってないと評されてるのも尤もな話で、おっしゃるとおり何もわかってないと思う。

これから知るのかもしれないし、一生わからないのかもしれない。こっちもわかってるつもりでわかってないかもしれないし、とにかくわからんのだけど

逆に実はちゃんとわかってたら本当にヤバいやつじゃん、サイコパスじゃんって思ったりはする。

そう考えたら俺はなんか、許せてしまった。サイコパスに騙されてるのかもしれないけど。

怒る人はこれからも怒ればいいし、署名集めて失職させて芸能界から追放したいと思って行動するならそれもありだし、この件を利用して

政治活動やら人権運動やらなんやらすればいい。ただまあ、見てる人は見てるってだけだ。

まあ、最後の「わーわー言うとります」を久しぶりに聞いて泣いた勢なので単なる贔屓の引き倒しなんですけどね。

2020-05-08

anond:20200508224734

でもそんなん今更だよね

その道の大家であっても不適切言動をした奴は即刻引きずり下ろして断罪するっていうのこそ、まさにリベラルさんがずっとやってきたことじゃん

相撲だのアメフトだのボクシングだのテコンドーだの

左派のお仲間だからってこの流れから逃れられるわけがないのに

何かあればすぐ「特定」だ

何かやらかした、何か酷いことを発言した、何か起こしてしまった

そうしたら罪の大小を問わずにお前たちはすぐに個人情報を探って晒し上げようとする

その個人情報で何するんだ?どうせ各所に貼り付けて「コイツ悪人だぞ!!」って周知したり、家にイタズラやキチガイしかけるんだろ?

自分たち正義で、断罪を行ってるつもりだろうがな、最高に醜いよお前たちは

すぐ特定して村八分いじめに持っていこうとする姿勢陰湿まりない、日本人の一番嫌な部分だ

2020-05-05

コロナ時代に自らゲシュタポへ志願するみんなへ

コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブ匿名掲示板等でぶっ叩かれている。

Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。

今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。

個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。

でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。

実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会自分生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。

先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。

もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会人間ほとんどは衝動的で非論理的判断をし、「失敗」するものからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアル100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれしまったりといったたぐいの「失敗」だ。

でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政社会システム存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。

また、「失敗」がある種意図的ものであったり、他の人の人権侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。

「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。

こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素大気排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球生態系がまだ大量絶滅経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。

はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。

ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。

考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?

その「目的」は、はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。

私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。

この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離行政仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?

こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。

この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活補償保障なく自粛を「要請」されるという構造欺瞞に気づくことができない。

愚かな我々を、救済にしろ罰則しろ本来受け止めるかべきバッファ機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人問題還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。

それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。

私は持つことができない。

社会の中からオロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者為政者として選出し、その愚か者扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。

ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。

それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。

anond:20200505004304

→こっちは言葉定義から説明したので、あなたが「ルール」という言葉を使うことを諦めるか、言葉定義から反証を述べるべき。会話してるのだから言葉意味は揃えよう。

雰囲気で決めているから、それこそ君の提示したルール定義合致してないし、ルールじゃないじゃん。

意味を揃えているからこそ、「倫理道徳ルールではない」って言ってんのに。

→それは私の意見に賛成します。という宣言だが、そう受け取っていいのかな?「個人的ルール断罪するのはなんだかなぁ」と同じこと言ってるよね。

いや逆でしょ。断罪していいルール(ここではパブリックルール)なんかないのに、個人的感情スタート断罪している時点で首尾一貫してないでしょうと言ってるんだけど。

善悪判断倫理道徳が使われているのに、法を使ってはいけない理由が聞きたいのよ。

について言うなら、端的に言うと「法を使う意味がないから」だよ。

裁判官なり司法人間が法に基づいて処理するのならともかく、一般の人が法で断罪する立場にもないのに法を用いている時点で、そこに何らの一貫性ロジックも発生しないので。

「法に基づいていない」のに「法を使う」っても特に意味をなさないじゃん。

意味をなさな行為から、それは感情ベース断罪範疇に収まるものだと処理しているだけ。

anond:20200504202657

ここまで話がかみ合わない人は久しぶりだ。本当に流れ読んだ?全引用レスするよ。

”繰り返しになるけど、道徳倫理ルールじゃないよ。雰囲気、と言って悪ければ感情ベースのもの。”

→こっちは言葉定義から説明したので、あなたが「ルール」という言葉を使うことを諦めるか、言葉定義から反証を述べるべき。会話してるのだから言葉意味は揃えよう。


”ちなみに、君が「個人的ルール断罪するのはなんだかなぁ」と思ってしまうのも、ルールではなく感情。”

→ここについてはこちらは何も言ってないのでノーサイド感情だと思ってるよ。あんた何に反応したのさ。


断罪ってのは、どこまで行ってもそういう感情ベースで行われる行為なわけ。断罪のもの仕事でないならば。”

断罪を持ち出したのは元増田であるわけだが、私は断罪感情ベースではないなどと述べていない。感情で行われる断罪(=自粛警察)が叩かれる意味がわからないということから始まったので、私は感情の種類(ここでは倫理道徳、法)があるからだということを指摘している。繰り返すが、感情ベースであることを否定していない。ルールうんぬんの下りだけ見て勝手に話の内容を決めつけてない?ルールという言葉を持ち出したのも私ではないよ。


”そういう意味ルールに基づいて断罪しようとするスタンスは歪に見える。感情ベースのものを無理にルール違反として処理することもそうだし、”

ルール(ここでは倫理道徳)に基づいて断罪をしていると持ち出したのは私ではない。ちゃんと呼んでるかチェック次にレスするならいいねから書き始めて。歪に見えることを攻めるのは私ではない。それから、話の流れは、感情ベースのものを無理にルール違反としている話ではなく、ルール(ここでは倫理道徳)を基に感情を決める話だ。順序が逆。


そもそも私的断罪して構わないというルールはいったいどこから来てるんだ?ってとこにも疑問があるし。”

→それは私の意見に賛成します。という宣言だが、そう受け取っていいのかな?「個人的ルール断罪するのはなんだかなぁ」と同じこと言ってるよね。


言及してくれるのはうれしいけど、話全然かみ合ってないよ。横から入りたいなら少しは前提を揃えないとだめだね。

2020-05-04

anond:20200504181913

繰り返しになるけど、道徳倫理ルールじゃないよ。雰囲気、と言って悪ければ感情ベースのもの

ちなみに、君が「個人的ルール断罪するのはなんだかなぁ」と思ってしまうのも、ルールではなく感情

断罪ってのは、どこまで行ってもそういう感情ベースで行われる行為なわけ。断罪のもの仕事でないならば。

そういう意味ルールに基づいて断罪しようとするスタンスは歪に見える。感情ベースのものを無理にルール違反として処理することもそうだし、

そもそも私的断罪して構わないというルールはいったいどこから来てるんだ?ってとこにも疑問があるし。

anond:20200504145058

言葉確認をするよ。

ルール規則=それに基づいて行為手続き操作が行われるように定めた規準。きまり。おきて。

"なぜなら善悪概念法体系を超えたところにある。

たとえば倫理道徳がある。"

→これは倫理道徳規準善悪を決めると言ってるよね。だったら倫理道徳ルールとして使ってると言って問題ないじゃない。倫理道徳に基づいて善悪を決めて自粛警察という行為をとると言ってるのだから

あなたの言う通り厳密に運用されてないから私は「倫理道徳個人ルールルールという視点から言えばむしろ個人ルール他者善悪断罪する方がおかしいと思うなぁ。」

と言ってるのだけど、おかしな話かね?

というか、倫理道徳ルールかなんてどうでもいいんだけど。

善悪判断倫理道徳が使われているのに、法を使ってはいけない理由が聞きたいのよ。

anond:20200503224939

法はルールねぇ。倫理道徳ルールでしょ?法は他者と共有されたルール倫理道徳個人ルールルールという視点から言えばむしろ個人ルール他者善悪断罪する方がおかしいと思うなぁ。

そういう理屈で~以下は、”そういう理屈”が意味からないのでちょっといいや

2020-05-03

安倍辞めろツイートがまじで苦手

まず前提として私は安倍信者じゃない。

そして今回のコロナの件では、対応の遅さや補償内容の薄さにうんざりしてるし全く良い評価は出来ないと思ってる。そもそも今までも色々とモリカケや桜の会などの問題も数多いし安倍総理に対してどちらかといえば総合してマイナスの印象を持ってる。

とはいえ安倍辞めろツイートデモにもほとほとうんざりしている。

単純に疑問なんだけどなんで野党信者はこんなにも攻撃性の高い人が多いの?

野党信者にはインフルエンサー著名人が数多いけど、目につくツイート安倍総理批判ばかりで、時には総理人格にまで罵詈雑言の数々…。

(某星野さんとの動画の時はさすがに私もふざけてるのか?くらいはつぶやいた)(すみません)

第三者から見て普通に怖い。

なんでそんなに1人に執着して毎日毎日怒れるのかが全く理解できない。

正義を振りかざして人を断罪する時快楽物質脳内に生成されるらしいけど、その快楽に酔いしれた人達の集まりしか見えない。

安倍総理全然辞めてもらって構わない。

でも、こんな安倍総理にも良い評価を付けれるところがあると言おうものならネトウヨ乙で済まされそうな会話できなそうな人達の集まり普通に怖いんだよ。

逆に安倍信者も同じようなもんであたおかだけど、定期的にトレンド攻撃的なハシュタグが上がってこないだけまだマシという感じ。

正直安倍総理に親や子供でも殺されたのかってくらい牙向いてる人達ってライフワークの一環でもはや楽しいんだろうな…って思ってしまうし、よくよくツイート見ると野党賛美でも無かったりするんだよね。

不思議。やっぱり趣味なんかな?

でもめちゃくちゃ趣味いからそれこそ辞めた方がいいと思うよ。

あと個人的には野党信者には野党政策議論を活発にして欲しいです。

対案あるのは知ってるんだけどその善し悪しま議論されてるの見たことないんだ。

2020-05-01

岡村の話

はじめにすごく飛躍した話になることを言っておきます


個人的なことは政治的なこと」といったのはフェミニズムからだが、このテーマはいまやフェミニズムの域に収まっていないと思っている。


結婚しろセクハラ」これはアウトな感覚は私にもあるのだが、それが職場政治的言説(議会や討論など)、アカデミズムの場で言われたら文句なしにアウトだと賛同する。

しかし、職場ではないコミュニケーションの場で同僚に言われたら?あるいは友人に言われたら?

仮に不快に思った私がSNSにそれをアップしたら?その言説が共感して多数にシェアされたら?

あるいはSNSで誰かから言われたら?その反論が広くシェアされたら?

もし、多数の人間社会的関係性に影響をあたえる言説が政治的言説だとすれば、この世の中の仕組みそのものがすでにいやおうなしに「個人的なことは政治的なこと」なしくみになっているんだと、思う。

(多分、もともとそんな境界などなかった。遠かっただけ。SNS政治的言説と個人的言説の距離を近づけただけだ。)


ここにポリティカル・コレクトネスとして、ありとあらゆるコミュニケーションの場を政治的正しさで塗り替えようとする言説がある。

行政統治よりも先に、個人間のコミュニケーションSNSのような一対多のコミュニケーション芸術表現私小説表現などありとあらゆるところに浸透している。

それを支持している人たちの一部は、個人的な苦悩やトラウマをなにか政治的言説に仮託しているように感じる。


これの行きつくさきはなにか。



私小説政治的文脈抜きで語ることはできず、私の日記ですら政治的である可能性がある。


奨学金返済で苦しんだ私は政治によって苦しんだのか。

40手前にもなって結婚できない私は政治的不策の積み上げによって生み出されたのか。

他人コミュニケーションがとれず、友人がほとんどいないのは私の人格障害政治的に見逃されたからなのか。

毒親に生まれたのに救済がなかったのは政治のせいなのか。

私の苦しみは政治的ものなのか。

私の人生政治的配慮からまれたのか。


違う、と思いたい。


私の苦しみは私のものだと、多分5%くらいは政治かもしれないが、残りは単なる不条理だと。

もしくは不条理是正するのが政治仕事か?


違う、と思いたい。


俺は岡村の歪んだ人生観にどうしても共感してしまう。

歪んでてもいいんだと、思わせてくれる、もしくは許しかもしれない。

あいつが断罪されている姿は俺が断罪されているようだ。

人とのコミュニケーションを拒んできたお前が共感できる言説はもうどこにも残されるべきではない、とされ、

深夜のラジオから駆逐され、

せいぜい5chか増田に行き、

それすらもやがて叩かれるようになり、

俺の人生だけ残して世の中から消えるんだろう。


死にたい

ナイナイ岡村まれすぎ説

コロナ貧困に落ちた女が風俗流れるのを期待する発言をしたのを矢部は「元々おかしいのよ」「スタッフからリスナーまで甘やかした」「あん病気可哀想さんにされてるけど、お金もらって、家住めて、欲しい車乗れて全然可哀想さんちゃうもん」から断罪

ここまで勘違いおじさんを増長させ、かばってくれるリスナースタッフがいること自体ありがたいのに、50のおっさんにこうやってガッツリ説教してくれる相方がいるって何?

どっちも普通手に入らないよ。50なんて欠点があっても嫌味言われたり、スルーで陰口言われるだけだよ。

誰も手を出してくんない。

岡村はこの環境を分かった方がいい。

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