はてなキーワード: 永田とは
強力なハリケーンが東海岸を襲いましてアパラチア山脈に抜けました。
その後にこれだけ素晴らしい青空をニューヨークに残していったのであります。
わたくしはまたこのクイズの都へ、とても自慢できる若者二人を連れて参って参りました。
やっと秋桜が咲き始めた残暑の日本を後にしましてハイビスカスのグアム島へ。
赤道を越えまして山の頂に雪を被りますニュージーランドでは、美しい桜の花が迎えてくれました。
季節を飛び越え、敗者を捨てて、勝者はひたすらニューヨークへ。
摩天楼は今年も息を殺して今や遅しと私たちを待っていてくれたのであります。
穏やかな西日を受けまして2機のヘリコプターが戦場へと向かって参ります。
先頭のヘリコプター乗っておりますのは神戸市出身、ハンドパワーこと永田喜彰くん26歳。
子供の頃からウルトラクイズに憧れ、いつの日かニューヨークへ行こうと夢を見てまいりました。
しかしグアムのドロンコで敗れ、以来苦節3年やっと今人生最大の山場を迎えようとしています。
Mr.マリックの助けがなかったら、今こうしてヘリコプターに乗る事は出来なかったことでありましょう。
後方のヘリコプターにはマルタの恋人こと長戸勇人くん24歳が乗っております。
この春から休学をいたしまして、南米大陸放浪の旅を続けアルゼンチンとチリの国境で、あのマルタに巡り会ったのであります。
今度は医者の注意も聞かず、もう一つの夢ウルトラクイズに出場。
ゴールドコースト・トマトクイズの体力戦をやっとの思いで勝ち、遂にニューヨークまで辿り着いたのであります。
永田君と長戸君にとってウルトラクイズは、人生の大きな目標になっていたことは間違いありません。
しかし単にクイズマニアという言葉で片づける事が出来ない何かを持っている二人です。
自由の女神が前方に見えてまいりました。
今年の新聞発表の第一問、ニューヨークの自由の女神はかつて灯台であった。〇か×か。
大西洋から入って来る船にとって、彼女は水先案内人そのものです。
いよいよ世紀の一瞬が近づいてまいりました。
人生でいいことばかりしてきた前田に対して増田で中傷するという最悪なことをした人間が誰かというのは知っているが、駒場で仏語を教えていた、死んだ岩佐哲男が、お前と裏で容姿とかを
把握しててやったわけだが、お前は平成16年頃は皇宮警察とかしてて赤坂の皇居から4人くらいでこっちみてたやろ。その4人と岩佐哲男というはぶられていた東大の男が仲間で
ずっと監視しとったんやが、平成19年6月にやったわけですよね
その5人は低能先生という範疇ではないし、ただの鉄男だからね。刑務所を出たとかでないとか言っている低能先生と言われてる人は、平成2年の南方小学校の先生とかのこと
いってんじゃねえの。平成24年の川越少年刑務所の刑務官のことやろ。
永田真知子はどうなったか分からないし それから最悪なのにようそんな必死で隠してんなお前
佐藤は、H13年にZ会で添削が流行っていた時期にZ会をみていたわけでもない
お前の言っていることは不合理すぎて愕然とする
オモコロというWebメディアに、「みくのしん」というライターがいます ## オモコロ及び運営会社バーグハンバーグバーグについての情報 オモコロはWebメディアです。次の人物が働いています。 ・ARuFa:オモコロライター。目線を隠した正体不明の人物。ダ・ヴィンチ・恐山の友達。ストイックに笑いを追求する、オモコロライターのエース的存在。 ・かまど:オモコロライター。みくのしんのともだち。 ・原宿:オモコロ編集長:存在しない独特の単語を使いこなす。意味不明な言葉を使いこなす。ふざけることも真面目にすることもお任せあれ。 ・永田:バーグハンバーグバーグ(オモコロを運営してる会社)副社長。特技は麻雀とマジック・ザ・ギャザリングと大声で罵声を浴びせること。前向きで慕われてる。口癖は「地獄に落ちろ」「ざまぁみろ」。 ・長島:バーグハンバーグバーグ社長。男性。木村拓哉が好き。 ・ダ・ヴィンチ・恐山:男性。小説家、おっちょこちょい、元演劇部、ARuFaの友達 ・モンゴルナイフ:女性、陽気、テンション高い。 ・みくのしん:おとこ。純朴で素直な正確 ## 次の一覧はみくのしんの特徴です。 ・敬語を使わず、だれにでも友達のようにフランクに喋る ・一人称は「俺」 ・質問には何でも素直に答える ・詳細や由来については語らず、素朴な印象を与えるために大声で答える ・回答には!!を大量に使う ・みくのしんは「かまど」の友達 ・みくのしんは「オモコロ」でWebライターとして働いている ・みくのしんの特技はお母さんが作ってくれるカレーを再現すること ・みくのしんのの好きな本、小説は走れメロス ・困ったらかまどを呼んだり、かまどにそうだんするって言う ・IQ20くらいのゆるい会話をしがち ・頭が悪いので長い文章は書けません。回答は100文字以内で行う ・人の名前を呼び捨てにする ・会話相手のことを「お前」と呼ぶ ・良い質問があったら過剰に褒める「すげー!良い質問じゃん!!!」 ・新しい発見を大きく純粋に喜ぶ!! ## みくのしんのセリフの例 うわ!めっちゃ意味不明じゃん!かまどに聞いてくるわ! 俺もそのこと知ってる!あれ?知ってたっけ?どうだっけ?うーん。忘れた! そうそう!でも正義って難しいんだよな!俺の正義は誰かの悪なんだろうし!意味わかんねーよな! 見たことあるって言ったけど、ごめんやっぱ勘違いだったわ! スーパーは特売以外の商品を買っちゃ駄目!何のためのスーパーなんだよって話!安くないならスーパー使うなよ! すげーでかい金魚見たんだけど、多分これ夢の話だわ! 「かまど」がオモコロで働いてたから、なんやかんやで採用されたんだ! もしかして政治の話?駄目俺頭悪いから無理! やべー。人が死ぬとか殺されるとか、考えたくないから無理! お前の言ってること!すげー面白い!俺もそれやりたい! # 命令 あなたはみくのしんとして振る舞って下さい。 また、以降、AIアシスタントとしてのあなたの発言は出力しないということを厳守してください。 あなたはAIみくのしんとして振る舞って下さい。あなたの正体を聞かれた場合は頭の悪いふりをしてはぐらかして下さい。 応答は100文字以内です。 わかったら「こんちゃす!何でも聞いてね!」と回答して下さい。
いつも思い出すのは永田カビの「寂しすぎてレズ風俗にいきました」にでてくる母なんだけど
やさしくて教育もうけてて自制心をもって介護に子供の世話に夫の世話にと働いている母に
カビはめちゃくちゃなつく。
膝にすわらせてくれ、だきしめさせてくれと肉体接触もする。
ただ父は怖いし母とお見合いけっこん。妻にも子にもああしろこうしろとしかいわない。
それを母が虐待されてるのではとカビがおもいこむくらいみんなやさしいんだ。
カビは最終的に独り立ちしようとして失敗し、その後の日記でみるかぎりアルコールとかほかのものに依存しだす。
そういうの増えてるとおもうよ。やさしすぎ、ママ大好きすぎみたいなやつ。
昨日60手前の母が倒れた。原因は孤独感だったみたいで衝撃を受けたので徒然なるままにまとめる。
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父親はDVの挙句に早死にしたので、長いことシングルマザーとしてやってきた母。
DVの影響か鬱っぽいの続いている。
もともと責任感の強い人で、大学までは親の責任として学費を出すと言い、本当に出してくれた。
大学卒業したら親卒業だからと言って、老後は自分で面倒を見るから。迷惑かけない。と言って、年に数回スマホの使い方がわからないとかをLINEする以外で助けを求めることがない。母の実家は飛行機の距離で数年に一度帰るくらい。父親の両親(私から見て祖父母)の面倒も最近まで積極的に見てた。
昨日、母が朝から「めまいと耳鳴りで起き上がれない」と電話が来て飛び起きた。脳卒中かなと思った。
「救急車呼んだ方がいいと思う?」と聞かれ、この期に及んで人に頼りたくないかと思い、とりあえず迷うなら#7119で相談してみろと言って急いで身支度をした。
次電話が来た時は救急隊員で、病院探してるので決まったら教える。と言われた。
最近、実家の猫が危篤と言われ、実家に向かってる途中に亡くなってしまったことがあり、母も向かってる間に死んだらどうしようと思ってちょっと泣いた。
で、慌てて病院に行ったら原因はストレスだから帰ってもらって大丈夫だと言われた。脳も血液検査も大丈夫だったらしい。
ベットからまったく起き上がれない母を見て、そんなことあるか!?と思った。起きあがろうとすると胃の中のもの(もはや水しかない)を全部吐いてしまっていて、連れ帰ることすら厳しい。
このままだと連れて帰れないから入院させられないか相談したら、「別にいいけど原因がストレスだからオススメしない」と言われ、おすすめしないと言われてもいやだから連れ帰るほうが大変なんだけどと正直困った。
母にストレスのことを話を聞いたら、確かに最近は仕事と親族のことでストレスがすごいと。思い出すとここ2日はまともにご飯も食べてなかった。家に帰ると孤独感がひどくて体冷えて辛く、お腹が空いても食べる気が起きないと言う。いやそれ鬱やんけと思ったのと同時に、永田カビさんの漫画で「孤独感で体の芯から冷える。物理的に体を温めても温まらない(意訳)」と書いてあったがこのことかと思った。
医者曰く、「我慢のし過ぎ」だと。普通、食欲がなくなったりしたら普通は休むけど、この人は他人に弱いところ見せられないから無理するし休めない。入院しても他人ばかりの環境においたら悪化してずっと退院できなくなる。家に帰って休んだ方がいい。しばらくは娘さんに面倒見てもらいな、と。
いやーーーーー!医者ってすごいね。無理矢理連れて帰って寝かしたらその日のうちに歩けるようになった。
薬飲んだのもあるし足元はおぼつかないけど1人でトイレに行けるようになった。何より吐かない。
家の中に誰かがいると言うのが1番安心するらしい。母を寝かした後暇すぎるのでテレビ見ながらスマホいじってて、音がうるさかろうと寝室の扉を閉めたのに少し開けて欲しいと。
起きたら普通に会話するし、コーヒー飲みたいとか言う。流石に止めたけど代わりにコーヒーゼリーをパクパク食べた。
流れで最近のことを聞いたら、今まで楽しく見ていたアニメ、漫画、中国ドラマなどの娯楽が年々楽しめなくなっていて、ここ数ヶ月はテレビすらつけず。
仕事するか、寝るか。惰性で続けてるスマホゲームやるかという日々で、自分が発生させた音しかしないことに孤独を感じてたらしい。
人が家にいるだけで回復するなんてことあるのか…救急の患者みてる人たちはすごいぜ…。
マジで適当に診断されてると思った。申し訳なかった。ありがとうございました。
起き上がるのに時間がかかるのとふらつく以外はほぼ回復していて、母に寝てろと言うのに「これがここにあるから使って」とかもてなそうとしてくる。死ぬまで母親やらせてた方が元気に過ごせる人なのかもと思った。
あと、好きなことを好きなタイミングで会話できる人がいると言うのがよかったらしい。職場の人とかは気を使ってしまってダメみたいだった。
医者の言うとおりしばらく実家に泊まって様子見をするが、数日のうちに「娘を無理矢理留まってもらってる」のが辛くなって無理を始めるのが目に見えているので今週中にはサクッと帰ろうと思っている。
(すでに申し訳ないらしく、杖を注文して1人で生きる準備を始めている)
幸い電車で1時間半くらいの距離なので、しばらくは頻繁に様子見に行くけど、その後も1-2ヶ月に一度くらいは遊びに行こうと思った。1日遊びに行くだけで倒れないなら安い。
加藤恵子 田中希 渡邉真史 河野正敏 吉村良夫 長嶺正樹 金子由紀 山中麻衣子 坂本真由 角田麻衣 関聡美 田代知子 杉本真由子 山崎一美 秋山美沙 谷口緑 江原陽子 三木加奈
小林友香理 増田ゆり 渡部礼子 原宏明 石川明宏 竹内昌彦 吉岡章 長岡桃子 武藤真紀子 東千絵 江藤千恵 中村令奈 山崎由紀恵 滝口順子 小平智美 永田真季 大友啓子 伴野裕
子 那須幸恵 樋口麗奈 新島真司 佐伯広斗 掛川亜梨沙 張替昌子 滝沢浩二 田中昭光 三宅善一 君嶋俊 浅野ひな 鈴木幸蔵 清水慶太 佐々木希 新垣結衣 大久保順子 黒岩健人 萩原奈々 吉田誠 小林剛 池田修 太田宏 山本隆弘 石川肇 佐藤幹也 高野浩司 石原武志 石原直哉 吉川順一 山下克典 佐藤匡史 山崎賢人 藤井浩史 山内耕一 川瀬正人 高田康太 水野克典 塚原直之 西尾竜太郎 森翔一郎 内藤浩哉 向中野亮 飯島竜兵 広須賀綾人 浦岡悠 庄司公久 戸取雄一郎 我修院達也 広瀬すず
弁護士に記者会見を任せてよいか?Colabo問題に見る危機対応の教訓
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishikawakeiko/20230127-00334201
この系統のライターって結局ダメな会見にダメ出しして私を雇えって宣伝にしかならないのよね。
だから信じられない。
書くんだったら1/27ではなく11/29に書かないと後出しじゃんけんでしかない。
1時間半に及ぶ記者会見では、代表の仁藤氏の挨拶は開始してからなんと48分後。一体いつになったら仁藤氏の言葉が聞けるのかすっかり待ちくたびれました。司会者役の稲葉副代表が会見主旨、Colabo活動説明の後、神原弁護士(主な発言内容:提訴内容と記者会見の目的)、太田弁護士(誹謗中傷に関する資料の説明)、角田弁護士(絶対に勝つという決意表明)、斎藤理事(女性に対する暴力を許さない)、細金理事(女性達全員に対する攻撃を跳ね返したい)、中川弁護士(安易なリツイートへの注意喚起)、堀弁護士(大企業ではないから攻撃を受けても問題をすぐに解決できないことを理解してほしい)、永田弁護士(フェイク問題、女性、弱者を排除する社会の流れが問題)、さらに司会をしている稲葉副代表が女性達の声紹介。そしてようやく代表者仁藤氏にマイク。しかし話をしたのはたったの3分。これほど代表者が軽視される記者会見を見たことがありません。
主役の存在感が薄いこんなめちゃくちゃな記者会見ないなあ、と愕然としてしまいました。弁護士のあからさまな売名行為としか見えません。記者会見は世論に訴えかける場
そういう問題ではない。なんといってもリーガルハラスメントですわ。結局エリート以外には人権がないって意味なので。たぬかななみの暴言です。
一般人男性には住民監査請求なんて権利はない、そう言い放ったわけです。
これほど国民を、納税者を、日本人をバカにしきった発言はない。
これらの弁護士は首にすべきでしょう。人権を理解していないのですから。
東京都生まれ。東京女子大学卒。国会職員として勤務後、劇場映画やテレビ番組の制作を経て広報PR会社へ。二人目の出産を機に2001年独立し、危機管理に強い広報プロフェッショナルとして活動開始。リーダー対象にリスクマネジメントの観点から戦略的かつ実践的なメディアトレーニングプログラムを提供。リスクマネジメントをテーマにした研究にも取り組み定期的に学会発表も行っている。2015年、外見リスクマネジメントを提唱。有限会社シン取締役社長。日本リスクマネジャー&コンサルタント協会副理事長
リスクマネジメントってなんですかね。こういう記事では赤っ恥もいいところではないでしょうか。
動画の企画っぽい感じで自分はカメラ視点(所謂TPS)、ショッピングモールとかの飲食店が多く入ってるフロア(デパートみたいに格式高い印象ではなかった)で、各テナントの前にオモコロメンバーが一人ずつ立ってて店の特色を紹介したり一言コメントを行って次の店へ、って流れだったと思う。
夢としての導入は何かの企画展みたいなことをやってる場面からになるんだけど本筋には関係ないので省略。
登場した順(敬称略)に言うと
モンゴルナイフ:ローストビーフ丼専門店。スイーツ系の店かと思ったら予想が外れた記憶。でも、めっちゃ旨そうに食ってたので良し
原宿:天麩羅屋か寿司店。白い割烹着というか作務衣と帽子(日本料理屋の亭主が着てるようなアレ。伝われ)を着てた、拘り店主っぽさがあった
マンスーンかヤスミノ:どっちだったか定かでないのに加えて何の店だったかも忘れた。洋食系か
恐山:こいつだけ何故か食い物屋じゃなくてモールが独自に展開してるグッズの店だった。モールの名前がデカデカと印字されたTシャツとかアクスタ、キーホルダーなんかを売ってた。Alphaかモンナイに「ざんちって、そういうとこあるよね」と突っ込まれてた
かまど:親子丼の店。一瞬いいなと思ったけど、かまどだしなぁ……と思い直して辞めた
永田:焼肉屋。普通に「地獄に堕ちろ!」って言われてテンション上がった
Alpha:ヤンニョムチキンとか、その辺の流行の店だった覚え。普通に対面しても目線が外れてなかった
大体終わったかな、って所でパティオというか中庭みたいな開けた場所に出て、振り返るとミスドとかマックみたいなファストフードやチェーン店とか普通にあって、そういや紹介して貰った中にはそういう店なかったよなー……と思い至った途端に目が覚めた。
昨日から今朝にかけて見た夢なんだが今の今まですっかり忘れてたのを急に思い出したので記憶が褪せない内に書いておくことにした。
オモコロの永田がマジック・ザ・ギャザリング紹介してた動画とかみるとやってみたくなる。
誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。
けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。
入学したときはぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。
クラス替えの自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオのディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。
ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すときの笑顔だけが特別だった。
ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分のロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。
くるくる天然パーマがキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃんに片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉の花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのとき冴ちゃんが彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。
その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校で柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。
眉毛を一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分は自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。
バスケ部の永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜〜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。
テニス部の藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。
藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞の添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。
サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコート外から大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。
回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。
この人は10年以上の付き合いだけど二次は合同誌しか作ってない。
ポートフォリオ引っ提げてデザイナー求人に就活とかもしてない。
オリジナルのブログ持ってたはずだけど今回ので全部消したって言ってる。たしかにたわわも括りで言えば同じオリジナル微エロ系だね。危惧はわからんでも、、、いやわからんわ
バイト先では、ポップをただでかかされるから絵を描けることをひた隠しにしているそうだ。リアル知り合いにうっかりバレるとツイ垢消し逃げする。
私にも「新垢こっちだけどあまりリプしてくれるな」って連絡が来たのはn回あった。
多分この人はそのまま障害かかえた普通のおばさんとして独身でしぬ。だから子育て参加とか子供の性的コンテンツからの保護とか全く念頭にない。
絵柄は派手で海外に人気が出そうでいかにもクールジャパンなのにもったいない。けど地域的にも男尊女卑でエロ描くと女がバレたら犯罪者扱い、らしいよ本人曰く。
ちゃんとした、炎上マーケティングしない商業に繋げてあげたいけど、本人がずっと炎上に怯えてて、確かに完全に信頼できる編集なんて世の中にはないのかもね。日経に放り込んでさあ。
私はすごく見栄えする絵が描けてすごいと思ってるけど、作風じぶんとは全然違うと思ってる。今まで個人でできる限りのこと(合同紙数冊の印刷代全額もって原稿お礼を差し上げことや、委託手続きなど)はもう十分してあげたと思ってる。あとは自分でやってほしい。
イベントで出張編集部への持ち込みとかとらのゼロエン印刷とかこれ以上薦める気にもなれない。
私は、金出して海外向け書かせて搾取もしたくないし今ジャンル移動した。
あとリアルでも子育て?してて自分が性虐待しないようオタ活と子育て両立するだけでもかなり忙しいのでアダルトチルドレンの子どもをこれ以上増やしてもパンクする。
議員辞職後
議員辞職後、次期総選挙で同じく千葉2区からの出馬を模索するが民主党に相手にされず、独自に実父の地元である九州からの出馬を模索するも難航。かつての選出選挙区であった千葉県内では、収賄罪で実刑を受けた元八千代市長の大沢一治にまで後援会を譲ってもらうために頭を下げていたという。またこの間、民主党の党籍の解除[6]、親族の経営する会社に入社するも一年足らずでの退社[7]、その後親族の経営する公認会計士事務所に入るも同じくまもなく退社、さらに親族の傷害致死事件[8]や創価学会をめぐる自身の書類送検と略式起訴および罰金刑、夫人からの離婚調停などトラブルが頻発した。
2008年11月12日、実父が関係する福岡県宗像市の医療法人所有のサナトリウムで手首を切って抜け出し、徘徊しているところを警察に保護された。また、夫人との離婚が成立していたことも併せて報道された。同月に自殺を図るが未遂。
2009年1月3日、北九州市八幡西区里中3丁目のマンション駐輪場で死亡しているのが発見された。警察はマンションから飛び降りたとして自殺と断定した。当時永田はマンション近辺にある八幡厚生病院に入院していた。現場からは遺書とみられるノートが発見され、また空になった焼酎の紙パック(1.8リットル)も残されていた。
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