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はてなキーワード: 作法とは

2024-10-08

anond:20241008234223

それは思った。どうして食事(他の生き物の肉を食べること)や排泄もグロいって認識してしまうんだろう?不可欠なことなのに。

排泄はまあ、出てくるもの有害だし臭いから仕方ないけど、食事は避けては通れないせいかマナー作法が充実してグロくないレベルまで持っていけた。

とすればセックスももしかしたら工夫次第でグロくなく…?いや厳しいか、結局排泄口に近い部分を露出するしなぁ。

臭いグロいよね。臭くないセックスならグロくないのかな。

2024-10-05

「おもんない」という表現が全て悪いだけ

https://anond.hatelabo.jp/20241003123135

「私が楽しいと思えないこと」を「おもんない」という言葉一般化しようとしてるから批判されるんだよな。

ブコメでも否定的意見が多くてびっくりなんてあるけど、いいかたを「夫との会話を私が楽しいと思えない理由」ってちゃん限定すればいい。なぜそうしないのか。

書いてある悩みは同意できても、こんな雑なマジョリティ仕草では相手は動かせない。どういうことか。

これにはちゃん理由があって、増田元増田も「本当に自分コミュニケーションが取れる、一般的におもろい話者」だと思ってるからなんだよな。

なんでこんな勘違いが起きるかというと、ブコメでも散々指摘されているけど、楽しさ(おもしろさ)は人それぞれであるという前提がないから。

あるコミュニティ作法作法が全てに適用可能だと思っているからこんなことになるんだけど、普通はこんな勘違いはしない。

プロ芸人だって家に帰ったら会話に毎回劇場作法オチつけるような話をしないのと一緒。さんまみたいな例外もいるけどね。

けれどコミュニティ所属する時間が長すぎると、それが一般的なものだと勘違いしてしまう。

性別職業地域国籍あなたにとって当然で常識であるものは他の人にとっては非常識になり得る。

自分マジョリティであるといつから錯覚しているだろうか。

安易一般化に逃げてはいけない。

あなたが正しいと思うことは、幾つもある価値観の一つに過ぎない。

心の中では「おもんない」と思ってもいい。あなた価値観では、書かれたようなことが本当にイコール面白くないのだろうから

けれどネットで「ねぇ?おもんないでしょ?」と同意をもとめて、さもこれが唯一の「おもろい」価値観だとばかりに喧伝すれば、そりゃこういわれるよ。

「お前、おもんないよ」(超えちゃいけないラインえんなやの意)

2024-10-03

anond:20241003140013

女性差別だの職場作法だの何とかハラスメントだの女性活躍だの差別のない平等社会の実現だのなんだの それ全部仕事の内容と関係無い無駄な要素だろ

仕事の内容とは関係ないのにいちいち差別したりハラスメントしたりで仕事効率下げてるゴミいるか問題になるわけ

まともに仕事してたら最初から何も問題にならないし、増田はなにが息苦しいと思ってんの?差別とかハラスメントをしないと業務効率下がるの?

仕事ってなんでこんなに窮屈になっちゃったんだ?

女性差別だの職場作法だの何とかハラスメントだの女性活躍だの差別のない平等社会の実現だのなんだの

それ全部仕事の内容と関係無い無駄な要素だろ

なのにそういう話題を見るたびに大抵は不機嫌にさせられる

俺がガキの頃そんな話してる奴いなくてみんな純粋仕事だけしてたよ

もうあの頃には戻れないのか?

これからもムカつく話を聞かされながら仕事をしないといけないのか?

もう仕事自由はないのか?ないんだろうな、今どきの人はそう考えてるから

俺は仕事がしたいんだよそんな何をするにも配慮配慮じゃ疲れるんだよ

2024-10-02

たとえば暑苦しい気候会社員がそれでもジャケット羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。

さりとて環境にそぐわない服装要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。

自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかし心理でもない。

人生時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。

普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。

ある種のコードだけでは見極められないヤバいだっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。

無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。

安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリ非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。

ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。

TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。

実在するかは知らんけど、初デートサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。

単純にケチであるとか見栄の感覚ギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。

初めてのデート格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。

ただデートなら集団ではなくあくまタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会マナー」と違うよなって思う。

双方が「普通」のデート作法を煩わしいと感じたのなら、日本中会社員いっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。

そこでズレがあったのなら擦り合わせる事も出来るし、どちらかが我慢する事だって出来る。

よほど相容れずに別れたところで、別に日本社会のはみ出し者になる訳でもない。

転勤族の子めっちゃ病むよ?

この令和になっても転勤族の子供病む説がインターネットあんまり出てこないのが不思議


まあ、親の側からしたらどうしようもない親の都合で子供を巻き込むわけだし、そらポジティブなことしか見たくないわな。

当事者だけど歪むよー。

まあー歪むよー。幼稚園もころころ変わり、小学校中学校も入ったところと出たところ違う、トータルで通えたの高校が初めての転勤族の子供だけどさ。

例えば学校のお勉強習い事、友人関係。頑張っても一定期間でリセットされ続けるわけよ。

そりゃ今大人になって見たら、その経験は次に活かせるわー✨とか綺麗事も言えるけどさ、

教科書ドリルも変わる、

進度の差でやってないところが出る、

微妙ルールとかお作法が変わる、

その度に肩身狭い思いする、

みたいに、短期目線しかない子供からしたら、引越ごとに完全リセットに近いのよ。特に小さい頃ね。

賽の河原にいる状態ですよ。親より先に死んでないどころか、親の都合に頑張って合わせていい子にしてるのに。

自分は成長してから、何かをこつこつ続ける事がすごい苦手。楽しい事ですら、これをやって何になるんだよどうせ意味ねえよって気持ちになるのな。

何でこんな事考えるんだ…?って色々考えたけど、多分頑張っても一定期間経ったらリセットされるって染み付いちゃってるからなんだよな。

しんどいぞー。そこまでいられるかもわからないのに周りから浮かない為に頑張る運動会・発表会の練習

案の定転勤になって、練習は全部無駄。何も練習してない知らん学校運動会・発表会に放り込まれて、周りから舌打ちされて、やーめーなーよー引越してきたばっかだからしかたないじゃーん。でももう少し頑張ってくれたらいいかな。きっとできるよーとか言われて、教師へのゴマスリの餌にされる感覚


こういうの繰り返してきて、なんとかやってきてるから、表面上は適応力のあるいい子なんだけどね。内面ボロボロよ。

家族以外信じられるものはいないせいで、分離不安家族への依存高まるから、表面上いい子で反抗期もない、いわゆる「いい子だけど実はやばい子」のど真ん中コース

小さい頃ぬいぐるみ全部にすずらんテープくくりつけて絶対迷子にさせないように縛りつけてたエピソードとかも、今思えばだいぶ香ばしいな。



極め付けに、海外日本人学校という全員転校生で出来てるところに行ったけど、まーーー病んでる病んでる。

自分がいたところが特別そうだったのかもしれんけど、なんかもうテレビドラマか?ってくらいいじめてんの。というかテレビドラマからし日本学校生活を学べないからそれを忠実に再現してた可能性もあるので鶏卵論だな。

どうせ3年で全員入れ替わるから小学校なのに、会社の同僚みたいな当たり障りない接し方してるの。で、水面下で蹴落としあい足の引っ張り合いストレス発散のいじめがすごい。

後にブラック企業に入ったが、みんな顔があの小学校のやつらと同じだったよ。

いじめないと次お前だよって言われて巻き込まれたと思ったら、バチボコいじめられるし。じゃあいじめない方がよかったじゃん!!ってなるガチモンの地獄。何あれ蠱毒でも作ろうとしてんのか?ってレベルだった。

中学まで持ち上がりでいじめ続いたのもマジで笑った。マジでやばいって転勤族の子


そこで元気にメンタルやって、中高と太ももの付け根ズッタズタ。

今はさすがにやってないけど、まだ跡はある。軽いけど自○未遂も何回か。まあここまで来るとさすがに転勤のせいだけではないとは思うけど、影響は確実にあるよ。

転校経験が鬱疾患リスクあげるとか見た事あるしな。

かいとこ言うと、リスカとか見えるとこの自傷はしないとこが表面上いい子ぶろうとして、いい顔して取り繕おうとする転勤族の子って感じで本当に嫌ー。親は多分未だに自傷は気付いてないねー。

でも、なんとか生き延びて大人になった今思い返せば、親も子供養う為に仕方なかったことは重々理解してるんだよ。

親の事は尊敬してるし、先述の通りの依存もあれど、仲良しだと思うよ。

からこそ、苦しいんだよなー。親を憎むことも出来ず、私がダメだったんだなー。もっとうまくやれたんじゃないかなーって自分を責める流れになるからさ。


から、もし転勤が激しい職についてる親御さんがこれを見たら、どうか子供がでかい闇を抱える可能性があるって理解した上で対処して欲しいと思います

インターネットで出てくる耳障りのいい言葉だけ聞いて、こんなにいいことばっかり書いてある!うちの子はいい子だから大丈夫適応力の高い自立心旺盛な子に育つ!って楽観視ばっかりしないで。

大袈裟に言えば、あなたの子供はあなたに見捨てられたら自分は常にアウェーから餓死すると思ってるので、必死あなたのお気に召す形に仕上がって媚びてきますよ。歪みを蓄積させながら。

できれば、転校しても大丈夫な家で出来る趣味や好きなことを見つけさせてあげてください。

私はゲームイラスト制作など立派なオタク方面に進み、それで今一応ご飯を食べています

音楽でも構いませんが、習い事に行かせるがベースになるものより、家で思い立った時に手慰みでできるものがいいと思いますギターとかキーボードとか。

幸い今は地元に拘らなくてもインターネットで人と繋がれる時代です。

インターネットの中が故郷だと言うと気持ち悪いと思われるかもしれませんが、そうやって安定を得た人間がここにいます

危ない目に遭わないように気を配りながらも、好きな事はさせてあげるようにしてあげて欲しいと。難しいとは思いますが、かつて転勤族の子供だった大人からの願いです。

あなたの子供が私みたいな大人になりませんように。

2024-10-01

最後にうれしいことを思いついた。美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、 「やっぱり愚弄じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。もし、ある人があって、その女はなんのために君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎はおそらく答ええなかったろう。しいて考えてみろと言われたら、三四郎は愚弄そのものに興味をもっている女だからとまでは答えたかもしれない。自分の己惚れを罰するためとはまったく考ええなかったに違いない。――三四郎は美禰子のために己惚れしめられたんだと信じている。  翌日はさいわい教師が二人欠席して、昼からの授業が休みになった。下宿へ帰るのもめんどうだから、途中で一品料理の腹をこしらえて、美禰子の家へ行った。前を通ったことはなんべんでもある。けれどもはいるのははじめてである。瓦葺の門の柱に里見恭助という標札が出ている。三四郎はここを通るたびに、里見恭助という人はどんな男だろうと思う。まだ会ったことがない。門は締まっている。潜りからはいると玄関までの距離は存外短かい長方形御影石が飛び飛びに敷いてある。玄関は細いきれいな格子でたてきってある。ベルを押す。取次ぎの下女に、「美禰子さんはお宅ですか」と言った時、三四郎自分ながら気恥ずかしいような妙な心持ちがした。ひとの玄関で、妙齢の女の在否を尋ねたことはまだない。はなはだ尋ねにくい気がする。下女のほうは案外まじめであるしかもうやうやしい。いったん奥へはいって、また出て来て、丁寧にお辞儀をして、どうぞと言うからついて上がると応接間へ通した。重い窓掛けの掛かっている西洋である。少し暗い。  下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蝋燭立が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。  すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎バイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリック連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎情緒によく合った。不意に天から二、三粒落ちて来た、でたらめの雹のようである。  三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。 「いらっしゃい」  女の声はうしろで聞こえた。三四郎は振り向かなければならなかった。女と男はじかに顔を見合わせた。その時女は廂の広い髪をちょっと前に動かして礼をした。礼をするにはおよばないくらいに親しい態度であった。男のほうはかえって椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬふうをして、向こうへ回って、鏡を背に、三四郎の正面に腰をおろした。 「とうとういらしった」  同じような親しい調子である三四郎にはこの一言が非常にうれしく聞こえた。女は光る絹を着ている。さっきからだいぶ待たしたところをもってみると、応接間へ出るためにわざわざきれいなのに着換えたのかもしれない。それで端然とすわっている。目と口に笑を帯びて無言のまま三四郎を見守った姿に、男はむしろ甘い苦しみを感じた。じっとして見らるるに堪えない心の起こったのは、そのくせ女の腰をおろすやいなやである三四郎はすぐ口を開いた。ほとんど発作に近い。 「佐々木が」 「佐々木さんが、あなたの所へいらしったでしょう」と言って例の白い歯を現わした。女のうしろにはさきの蝋燭立がマントルピースの左右に並んでいる。金で細工をした妙な形の台である。これを蝋燭立と見たのは三四郎の臆断で、じつはなんだかわからない。この不可思議蝋燭立のうしろに明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛けにさえぎられて、十分にはいらない。そのうえ天気は曇っている。三四郎はこのあいだに美禰子の白い歯を見た。 「佐々木が来ました」 「なんと言っていらっしゃいました」 「ぼくにあなたの所へ行けと言って来ました」 「そうでしょう。――それでいらしったの」とわざわざ聞いた。 「ええ」と言って少し躊躇した。あとから「まあ、そうです」と答えた。女はまったく歯を隠した。静かに席を立って、窓の所へ行って、外面をながめだした。 「曇りましたね。寒いでしょう、戸外は」 「いいえ、存外暖かい。風はまるでありません」 「そう」と言いながら席へ帰って来た。 「じつは佐々木が金を……」と三四郎から言いだした。 「わかってるの」と中途でとめた。三四郎も黙った。すると 「どうしておなくしになったの」と聞いた。 「馬券を買ったのです」  女は「まあ」と言った。まあと言ったわりに顔は驚いていない。かえって笑っている。すこしたって、「悪いかたね」とつけ加えた。三四郎は答えずにいた。 「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなた索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」 「ぼくが馬券を買ったんじゃありません」 「あら。だれが買ったの」 「佐々木が買ったのです」  女は急に笑いだした。三四郎おかしくなった。 「じゃ、あなたお金がお入用じゃなかったのね。ばかばかしい」 「いることはぼくがいるのです」 「ほんとうに?」 「ほんとうに」 「だってそれじゃおかしいわね」 「だから借りなくってもいいんです」 「なぜ。おいやなの?」 「いやじゃないが、お兄いさんに黙って、あなたから借りちゃ、好くないからです」 「どういうわけで? でも兄は承知しているんですもの」 「そうですか。じゃ借りてもいい。――しかし借りないでもいい。家へそう言ってやりさえすれば、一週間ぐらいすると来ますから」 「御迷惑なら、しいて……」  美禰子は急に冷淡になった。今までそばにいたものが一町ばかり遠のいた気がする。三四郎は借りておけばよかったと思った。けれども、もうしかたがない。蝋燭立を見てすましている。三四郎自分から進んで、ひとのきげんをとったことのない男である。女も遠ざかったぎり近づいて来ない。しばらくするとまた立ち上がった。窓から戸外をすかして見て、 「降りそうもありませんね」と言う。三四郎も同じ調子で、「降りそうもありません」と答えた。 「降らなければ、私ちょっと出て来ようかしら」と窓の所で立ったまま言う。三四郎は帰ってくれという意味解釈した。光る絹を着換えたのも自分のためではなかった。 「もう帰りましょう」と立ち上がった。美禰子は玄関まで送って来た。沓脱へ降りて、靴をはいていると、上から美禰子が、 「そこまでごいっしょに出ましょう。いいでしょう」と言った。三四郎は靴の紐を結びながら、「ええ、どうでも」と答えた。女はいつのまにか、和土の上へ下りた。下りながら三四郎の耳のそばへ口を持ってきて、「おこっていらっしゃるの」とささやいた。ところへ下女があわてながら、送りに出て来た。  二人は半町ほど無言のまま連れだって来た。そのあい三四郎はしじゅう美禰子の事を考えている。この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通女性以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義から、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田のお光さんのような生活を送れと言ったら、どうする気かしらん。東京はいなかと違って、万事があけ放しだからこちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。  そのうち本郷の通りへ出た。いっしょに歩いている二人は、いっしょに歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、まったく知らない。今までに横町を三つばかり曲がった。曲がるたびに、二人の足は申し合わせたように無言のまま同じ方角へ曲がった。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。 「どこへいらっしゃるの」 「あなたはどこへ行くんです」  二人はちょっと顔を見合わせた。三四郎はしごくまじめである。女はこらえきれずにまた白い歯をあらわした。 「いっしょにいらっしゃい」  二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間ほど行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子はその前にとまった。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、 「お願い」と言った。 「なんですか」 「これでお金を取ってちょうだい」  三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座預金通帳とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。 「三十円」と女が金高を言った。あたか毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津まで出かけたことがある。すぐ石段を上って、戸をあけて、銀行の中へはいった。帳面と印形を係りの者に渡して、必要金額を受け取って出てみると、美禰子は待っていない。もう切り通しの方へ二十間ばかり歩きだしている。三四郎は急いで追いついた。すぐ受け取ったものを渡そうとして、ポッケットへ手を入れると、美禰子が、 「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。 「まだ見ません」 「招待券を二枚もらったんですけれども、つい暇がなかったものからまだ行かずにいたんですが、行ってみましょうか」 「行ってもいいです」 「行きましょう。もうじき閉会になりますから。私、一ぺんは見ておかないと原口さんに済まないのです」 「原口さんが招待券をくれたんですか」 「ええ。あなた原口さんを御存じなの?」 「広田先生の所で一度会いました」 「おもしろいかたでしょう。馬鹿囃子稽古なさるんですって」 「このあいだは鼓をならいたいと言っていました。それから――」 「それから?」 「それからあなた肖像をかくとか言っていました。本当ですか」 「ええ、高等モデルなの」と言った。男はこれより以上に気の利いたことが言えない性質である。それで黙ってしまった。女はなんとか言ってもらいたかったらしい。  三四郎はまた隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間にはさんでおいたはずであるしかるに女が、 「お金は」と言った。見ると、間にはない。三四郎はまたポッケットを探った。中から手ずれのした札をつかみ出した。女は手を出さない。 「預かっておいてちょうだい」と言った。三四郎はいささか迷惑のような気がした。しかしこんな時に争うことを好まぬ男である。そのうえ往来だからなおさら遠慮をした。せっかく握った札をまたもとの所へ収めて、妙な女だと思った。  学生が多く通る。すれ違う時にきっと二人を見る。なかには遠くから目をつけて来る者もある。三四郎は池の端へ出るまでの道をすこぶる長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人とものそのそ歩いている。会場へ着いたのはほとんど三時近くである。妙な看板が出ている。丹青会という字も、字の周囲についている図案も、三四郎の目にはことごとく新しい。しか熊本では見ることのできない意味で新しいので、むしろ一種異様の感がある。中はなおさらである三四郎の目にはただ油絵水彩画区別が判然と映ずるくらいのものにすぎない。  それでも好悪はある。買ってもいいと思うのもある。しか巧拙はまったくわからない。したがって鑑別力のないものと、初手からあきらめた三四郎は、いっこう口をあかない。  美禰子がこれはどうですかと言うと、そうですなという。これはおもしろいじゃありませんかと言うと、おもしろそうですなという。まるで張り合いがない。話のできないばかか、こっちを相手にしない偉い男か、どっちかにみえる。ばかとすればてらわないところに愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならないところが憎らしい。  長い間外国旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。

anond:20241001222935

ベニスでしょう」

 これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、

「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。

「兄さんとは……」

「この絵は兄さんのほうでしょう」

「だれの?」

 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。

だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」

 三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国景色かいものが幾点となくかかっている。

「違うんですか」

「一人と思っていらしったの」

「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、

「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。

里見さん」

 だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。

 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎そばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、

「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、

「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。

「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。

「その代りここん所へかけるつもりです」

 原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。

「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。

「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。

三井です。三井もっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものから、うまくいかいね

 原口は首を曲げた。三四郎原口の首を曲げたところを見ていた。

「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。

「まだ」

「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャー相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」

 美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。

「せっかく来たものから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」

 三四郎はええと言った。

「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから

「ありがとう」

「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。

 女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。

「これもベニスですね」と女が寄って来た。

「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。

「さっき何を言ったんですか」

 女は「さっき?」と聞き返した。

「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」

 女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。

「用でなければ聞かなくってもいいです」

「用じゃないのよ」

 三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎真正面に立った。

「野々宮さん。ね、ね」

「野々宮さん……」

「わかったでしょう」

 美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。

「野々宮さんを愚弄したのですか」

「なんで?」

 女の語気はまったく無邪気である三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。

あなたを愚弄したんじゃないのよ」

 三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。

「それでいいです」

「なぜ悪いの?」

「だからいいです」

 女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。

「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。

「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。

「精養軒へ行きますか」

 美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。

「あの木の陰へはいりましょう」

 少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。

「悪くって? さっきのこと」

「いいです」

だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」

 女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、

「だから、いいです」と答えた。

 雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所わずしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、

「さっきのお金をお使いなさい」と言った。

「借りましょう。要るだけ」と答えた。

「みんな、お使いなさい」と言った。

anond:20241001013712

あの元ポストに投げかけたタイミングの「イワシちゃん、どうぞご無事で」が通常人の読み方においては『ばっちぃ〇〇菌に触れないようにね!』という快哉でありエールしか読み取れんのだが

A「オタク君のフィギュア汚ねぇ〜w めっちゃ臭そう」

B「うはwゴム手袋で触るし念の為マスクつけとくわ。きめー」

C「ちょ、飛び散るかも知れんから鞄にかけるんじゃねぞw」

このCが純粋に『(物理的な)鞄の心配』だけしてるように見えるか?

どう見てもオタク君のフィギュアを何かが感染するような汚物扱いした上で、それを忌避するよう囃し立てるじゃんって思うよな?

これらは徹頭徹尾イジメ文法に則った作法なんだよ

2024-09-22

パパはその地域で一番格上のパパに教育をまかせなさい

スポーツチームに入れたりして格上家から礼儀作法を教えてもらえばよい

人任せに出来ない人は人に頼られることもなく、部下からの信頼も低いので出世の見込みはないためショボいでしょう

2024-09-20

マイナンバーカード更新の罠

マイナンバーカード電子証明更新役所に行く。混雑のなかカード書類を渡して手続きを行う。ちょっとした住所表記の変更があったので新住所印字のためにしばらく待つ。

別の窓口から返ってきたカードを受け取るが裸で返されケースがない。

ケースを求めると窓口に置いてあったケースの束から作法に1つ渡され職員は慌ただしく次の市民対応に当たり始めた。

ケースにカードを入れてみるがどうもしっくりこない。変な位置マスキングがしてあり、どう入れても今まで隠れていた部分が隠れない。

ちょうど別の職員が通りかかったので「マイナンバーが隠れないんですが」と聞いてみると「あら大変」と対応してくれたのだが「今はカードデザインが変わってこのケースしかない」のだそうだ。いつの間にかマイナカードデザインが変わってしまって自分は古いカードになっていたらしい。

「前に使ってたケースはどこかにありませんか。あの窓口で最初手続きしたのですが」と言うと職員は探しに行ってくれて元のケースを見つけてきてくれた。

感謝して帰途についたがケースを預ける時には古いカードの人は注意したい。

 

と、ここまで思って調べてみると、マイナンバーカードデザインは今まで変わったことはなかった。変わっていたのはマイナンバーを隠す方針のほうで、2年前にマイナンバー他人にバレても問題ないことを周知するためにケース配布廃止検討されているとニュースになっていた。そういえば耳にしただ記憶がある。

その後にどうなったのかのニュースは全く見つからないが結局ケース配布自体は続けられ、今はマイナンバー部分にマスキングをしていないケースが配布されていて自分が今回もらったものもそれだったようだ。性別と臓器提供部分だけが隠されている。

昔のケースのままでいたい人は更新で窓口に預ける時に注意されたし

2024-09-15

anond:20240915015037

人間、本気で勝ちを追求するとやっぱ人格が変わっていく

ナントカ道って付く競技はだいたい上下関係の中で礼儀作法も一緒に叩き込まれからギリなんとかなるみたいだけど

そういうのがない新しい分野は意識的自分を律してないとモラルが壊れていく

 

まず言葉遣いが変わる

次に立ち居振る舞いが変わる

最後に人相が変わる

"年金で賭け事"とどっちがまし

田舎母親が某億万長者気分中毒になっていた。

正直時間問題だとは思っていた。





以前、スマホが壊れたから見てほしいと相談を受けた。

遠隔で見てみると、不正アプリがずらり、

もはや板型の持ち運べるマルウェア




リカバリーして、どうしてこうなったのか

どうすれば回避できるのか、を説明したけれど

まあ聞いている気がしなかった。

買い物系は、ネットスーパーアプリ食品デリバリー以外はいれないよう念を押した。






その年の冬

実家に行ったらパーティーでもするのかってくらいのプラ食器が山積みだった。ああやっぱり。

パソコンからっきし、この前までガラスマだった人がどうしてこうなっちゃったんだろう。







この時ばかりは

このECサイト/アプリは今のあなたが使うにはハードルが高い、海外通販のお作法を教えるからきちんと話を聞くか、アプリを消して、もう買い物しないでほしいとお願いした。もうやらないと言っていた。







今朝LINEが届いた。



"無料商品を5点をもらえるように、招待を受入れてくれませんか?超最新ショッピングアプリの○○○○は現在、皆様に無料ギフトプレゼント中!

https://(略)"

2024-09-14

anond:20240910012217

俺はまともに大人活動し始めたのは40歳間近になってからだよ

それから趣味の友だちができて旅行行ったり、美味い飯食ったりとやっと追いついてきたけど

30歳で取り返しがつかないってのは早すぎないかな?

住む場所変えたら交友関係も変わるし遊び方も変わるよ

40歳でも全然取り返しはつくし、そんなの考え方次第だよ

今じゃ大人作法も身について冠婚葬祭も堂々としてられる

copilot君、とてもじゃないがpilotを任せられない

Windowsの画面右下になんかアイコンのできたcopilot君、話が同じところでぐるぐる回ることにかけては有名生成AIの中でも特に一流と私の中でもっぱらの話題なんだが、つい先日は本当にマジで典型をやってくれて笑ってしまった。

markdownメールアドレス書く時のお作法とかある?みたいに聞いたのよ。素で書いてみたらVSCodeがなんか波線ひいて警告だしてきたからさ。

そしたらcopilot君のウインドウ内でわーっと文字単位で出力が始まってな、markdownの書式を書き出してくれて、書式が閉じた瞬間URL記法なので危険判断したのか表示に解釈が入って書式ごと撤去された。ブロックが分けられてコピーボタンまで表示されたが、それをクリックしてもクリップボードに入るのは例になる仮のメールアドレスだけ。

からcopilotに文句言ってやったのよ。「お前それちゃんと表示されてねえんだけど」ってな。

「わかりました!コードブロックで表示しますね!」とか嬉々として再出力始めたんだけどな。

やっぱり記法の書式が閉じた瞬間無事元の木阿弥ですわ。

だめだこりゃ…って思わず打ち込んだね。

そしたら伝わらなかったようですね!とか言いながら元気にもう一度失敗してくれたよ。もうなんか可愛いわ。

だいぶ前なんかバッチファイルの中身の書き方を聞こうとして、copilot君、cmd.exeでこれこれこういうことしたいんだけどさあ、って書き込んだらなんかどっかに突き刺さってしまったらしくずっとなんか表示がぐるぐる待機中のまま帰ってこなくなった。

いやー生成AI面白い

2024-09-13

麻薬取締法改正メモ

麻薬取締法改正するわけだが

2条1号が変わる

 

旧:一麻薬 別表第一に掲げる物をいう。

新:一麻薬 別表第一に掲げる物及び大麻をいう。

 

トリッキー改正で、「別表第一」には様々な麻薬の成分がリストアップされているんだけど

大麻をこのリストに加えればいいのに、わざわざ2条1号の文言修正している。

 

なぜかと言えばできない、このリストに加えると大麻麻薬扱いしなきゃならない

意味わかんないよね

今回の改正大麻麻薬指定はしてないんだわ、

いやいやいや、単語定義で明瞭に麻薬指定しているではないか

これね、麻薬指定してないの、指定するなら別表1に加えなきゃならない。

 

法律最初には単語定義を示すものが多いんだけど、これはエイリアス

もしくはC言語#defineのようなもの動作作用定義するものではない

 

まりあくまでも麻薬取締法の条文中の麻薬という単語エイリアス定義しているにすぎない

その目的は読みやすくする。

例えば「麻薬製剤業者」は法律中に28箇所出てくるが、ここで全て

厚生労働大臣免許を受けて、麻薬を製剤すること(麻薬化学的変化を加えないで他の麻薬にすることをいう。ただし、調剤を除く。以下同じ。)、又は麻薬を小分けすること(他人から譲り受けた麻薬を分割して容器に収めることをいう。以下同じ。)を業とする者」

と書いていたら読みづらくてかなわん、だから#define

 

麻薬製剤業者」を短命定義する。

 

例えば、道路法道路交通法ではそれぞれの法律の中において「道路」の定義は異なる。

道路交通法道路法スーパークラス継承しつつオーバーライドしている。

こういうことはよくある。

(ところがこれがややこしくて、道路法では道路のもの定義をしている、道路交通法では道路エイリアスにすぎない)

 

ともかく法律は1条で立法目的趣旨を書いて、2条で法律中の単語エイリアス定義するのが作法

 

ともかく、ところが、「麻薬 別表第一に掲げる物及び大麻をいう。」と書けばあたか

法は大麻麻薬と同等に扱っているかのように誤読するだろう。

大麻麻薬だぁと、国家権力定義したぁと

 

ちゃうちゃう麻薬指定をしてるんじゃない、麻薬という単語エイリアス定義にすぎない。

これを

 

ニャオハ 別表第一に掲げる物及び大麻をいう。

 

定義しても法律中の論理構造は崩れない。ただのエイリアスから

 

で、なぜこのようなトリッキー改正をしたかというと

立法目的

麻薬及び向精神薬濫用による保健衛生上の危害を防止し、もつ公共の福祉の増進を図る」

 

こっちと干渉してしまう。

 

大麻麻薬として扱う、つまり別表1に加えてしまうと、

大麻によって「保健衛生上の危害」が生じていることを立法事実として示さなければならない。

 

ところがね、これが無いのよ。

我が国大麻による健康被害、保健衛生上の危害が生じているという立証がされてない。

だって危害生じてないんだもん。

 

まり今回の改正国家大麻危険ものと認めたのではなく

大麻危険が無いと認めた、と読むのが正しい

 

大麻危険ものだとするなら別表1に加えりゃいいんです

ともかく、とはいえかなりこじつけ矛盾はらんだずさんな改正で、今後のこの定義周辺を突いた違憲訴訟が楽しみだが、どうせ立法裁量内で括られるんだろうけどw

法治国家バンザイ

2024-09-12

anond:20240912230806

すごい!!!本当にフランスに住んでいるお姉さん!?からコメント!!!ありがとうございます!!!

4年ほど前のことだからまり覚えてないけど、たしかにぬ〜と店に入ってしまったような気はする!!向こうからにいはお〜と言われてにいはお...(声ちっちゃ)で返していた気がする!!!

フランス語の先生とあとマリアントワネットが好きで憧れが強すぎて、その落差に完全にビビってしまったのはある...ちゃんお金貯めてもしまた行く機会あればだけど、その時はもう少し言葉とお作法勉強して楽しめたらいいな..

2024-09-11

たしなめられる、みたいな経験

インターネッツの話。

いろんなサービスが金を絞るため、依存性が高すぎる状態だし、娯楽に関しては全体的に、分別にある大人向け、だと思う。

ただ、いろんなことがインターネットを通じてできるようになり、子供ツールとして使う練習をするようになり、何もかもが、大きな過渡期とおもう。

むかしは詳しい大人向けの世界で、ふいに子供が混じってきたら、たしなめられたりしながら、お作法を覚えるみたいな感じだった部分もあるんだろうけど、いまはあんまりそういうのもないように感じるし、1発アウトな感じで事故る、みたいなのが多すぎる。

まともな感性を持ってたら、そういうのも起きないんだろうけど、まともな感性も、結構上澄みしか持ってなさそうだし、(自分も持ってるかどうかわからん)、危なっかしい子供は誰かに止めてもらえるようなブレーキなく事故るか、事故たことないけど敷地内の庭でしか遊べず、経験値が多大に足りないかの2択かもなぁと思う。

厳しい世の中だぜ。

子供用のインターネッツサンドボックスがあればなぁ。

(まぁ、フィルタリングがそれだけど、もっとこう、ローカル範囲しか行けず使えずみたいな練習場があったらいいのにな、みたいなね)

(詳しく書けない分、ぼんやりしててごめんね)

(まぁ色々あって、イタチごっこ状態ゆえに愚痴だよ、やさしくしてほしい)

(うちはできる範囲イタチごっこやってるけど、詳しくなくて、与えるだけの家と、そうでない家を比べて、どっちが危なくねえかみたいな話とか、まぁわかるわけねえよなぁ)

2024-09-10

コミュ強のエスパー文章作法?についていけない

仕事発注先にシステム仕様について質問するとき自分仕様書を読み込むなどしてなるべく同じ立場メールしたいが、

バカの振りして聞けばいいじゃん」とか、

会社同期会をしようとして、10人中3人しか予定が合わなかったときに、3人のうち1人が仕事ドタキャン

そういうこともよくある部署なのに、「この会メンツ微妙から○○はたぶん来たくなかったんでしょw」

コミュ()ってこういうエスパーみたいなこと考えてるの?むりむりむりついてけない

それとも自分おかし?????

2024-09-02

anond:20240901152824

つけ麺はうま味も甘味も辛味も酸味も熱いのも冷たいのも同時に楽しめる、俺にとっては至高の料理

だけど太けりゃいいって風潮は嫌い。個人的には細めの方がいい。

最近はどこも似たような味で差をつけるのは温度管理

上手いつけ麺屋はつけ汁が濃い。麺を全部浸さずにつけるのがいい。そうすることでつけ汁は熱いまま。

出された麺自体がぬるいと怒っちゃいそうになる。

つけ麺の食べ方は顔を器に近づけるのが作法。汁が飛ばないようにする方がマナー

最近は麺自体胡椒を振るのが好き。

一番うまかったつけ麺は、マグロ出汁の濃味噌つけ麺。ピりっとした玉ねぎが良かった。もうお店がなくて食べれない。

2024-08-28

anond:20240828175458

2〜3年かけて延々とレスバを続けているバカがいるけど。令和最新のネットのお作法だったのね。しらんかった。

2024-08-26

[] リファクタリング作法

実際のところ、リファクタリング不可能ではない。ただ、やり方がある。

「この機能修正して」「バグがあるから修正して」「新しい機能を追加して」と要求が挙がることがあるだろう。これがチャンスだ。

この要求関係する部分(全体ではない)を、リファクタリングすればいいのである

地道な作業になるが、「修正に伴うリファクタリング」を繰り返せば徐々に波及してくる。

ただし、最低限として、以下を満たす必要がある。

anond:20240826103709

2024-08-25

昔ながらのインターネットってクソつまらなくなったな

失われた開拓の町

昔のインターネットにあった知性や若さがなくなった。

から相手にされないしょーもない低知能中高年が延々と誰かの悪口言ってるだけの空間になってしまった。

これから伸びていく可能性の満ちた空間から、終わってしまった可能性が吹き溜まった空間へ。

ゴールドラッシュが終わった後の廃鉱山もこんな空気だったんだろうか。

出遅れツルハシ売りは詐欺を繰り返し、店じまいする寸前の洗濯屋は情弱に店一式を高値で売りつけようとしている。

新しい時代の風を読める人間がもういなくなった町並み、何よりの違いはい人間の顔つきから漂う知性の低さ。

インターネットはそんな空間になった。

人達は語る「俺達は素晴らし時代を生きた」

正直、俺が今のインターネットで一番クソだと思っているのがインターネット老人会なる連中がのさばっていることだ。

奴らはことあるごとに「俺達こそがインターネットを大きくしていったのだ」と偉そうに語る。

本当にそうか?

インターネット勝手に大きくなっていったものだし、そこに貢献していた人間がいるとすれば、それは通信事業者広告業界だと思う。

でもインターネットにいた住民の多くは、通信事業者に異常な負荷をかけては「契約では使い放題になっている!詐欺だ!」と迷惑をかけていた。

広告業界に対しても敵意を剥き出しにし、Adblockを使うのが正しい作法だと吹聴して回っていたが、自分たち広告売り上げを前提にしたサービス依存し続けた。

ネット住民たちがネチケットウィルスから防衛術を広めいったのも、治安の悪い世界自分を守るための護身術しかなく、ネットの発展を目指していたかといえば疑問だ。

ただあの時代インターネットを好き放題に楽しむ以外なにもやってこず、そして最後SEO最適化合戦に取り込まれて、今のインターネットが出来上がった。

そうして生まれた今のインターネットを蔑みながら「昔は本当に楽しかった」と愚痴り続けるのは鬱陶しいだろう。

からインターネット空間は、こうして愚痴り合う声ばかりが響き合っていてドンヨリしている。

今時のインターネットは変わらず楽しい

最新のインターネットちゃんと染まれ人間にとっては、今のインターネットも変わらず楽しい

それには新しいSNSサービスが出てきたら次々とアカウントを乗り換えていけるだけのエネルギー必要だし、自分から配信して相互情報交換していくだけの勇気も求められる。

VR空間を楽しむためにもAI生成を楽しむためにもマシンパワーは必須なのでここをケチっていては始まらない。

自分から発信し、気軽に生成し、気軽にマネタイズして、気軽にマネタイズされたものに金を払う。

最近インターネットは有料と無料境界線が昔とは様変わりしている。

昔は企業が作ったものは有料で、素人が作ったもの無料だった。

今はそういった形で境界線は引かれていない。

素人が作ろうがプロが作ろうが、誰にでも無料で配られている部分と、一部に有料で配られている部分がある。

その基準は昔よりもずっと曖昧になっているんだが、「昔ながらの人達」はそういうのに対して「なんでもマネタイズかよゼニゲバだな」と騒ぎ回る。

実際のところは、無料で手に入るモノの質やレベルは昔より上がっているので割り切って無料で味わえるものだけで済ませるなら昔よりいい暮らしが出来る。

何に金を出すのかを自分で選び、要らないと思ったものは買わなきゃ良いだけの話なのに昔ながらの平等を求める人達はそれについていけていない。

インターネットに新しさを求めるなら自分も変わっていかないといけない

自分が変化を拒んでいるくせに、他人ににだけ新しい試みを求めていると矛盾で頭がおかしくなる。

昔ながらのインターネットにしがみついて延々と愚痴ってる人達がまさにそうだ。

変化し続ける世界、今まで見たこともない世界インターネットに求めていると口ではいいながら、いざ新しいものが出てくると拒否反応を示す。

まさにダグラス・アダムス法則のものだ。

自分若い時に生まれものはイノベーティブで素晴らしく、歳を食ってからまれものは間違った存在だと。

そう感じる根拠としてあげているあらゆる言葉は単なる言い訳で、自分が変化についていける靭やかさを失ったことを認めることさえ出来ないか文句をいうだけの壊れたラジオになっているのに。

昔ながらのインターネットは壊れたラジオが延々と文句を垂れているばかりでつまらない。

最新のITがつまらなくなったと感じるひとも、きっとそういう空間に張り付いてそこに染まっているからつまらなく感じるんだろうな。

あえて言っておくが、こんなのは無数の時代で、あらゆる技術が繰り返してきたことだ。

別にインターネット特別からインターネットでだけ特別に起きていることじゃない。

QueenがRADION GA GAを発表してから40年、テレビGAGAって今度はインターネットの番が来たってことだよ。

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