はてなキーワード: 作法とは
https://anond.hatelabo.jp/20241003123135
「私が楽しいと思えないこと」を「おもんない」という言葉で一般化しようとしてるから批判されるんだよな。
ブコメでも否定的な意見が多くてびっくりなんてあるけど、いいかたを「夫との会話を私が楽しいと思えない理由」ってちゃんと限定すればいい。なぜそうしないのか。
書いてある悩みは同意できても、こんな雑なマジョリティ仕草では相手は動かせない。どういうことか。
これにはちゃんと理由があって、増田も元増田も「本当に自分はコミュニケーションが取れる、一般的におもろい話者」だと思ってるからなんだよな。
なんでこんな勘違いが起きるかというと、ブコメでも散々指摘されているけど、楽しさ(おもしろさ)は人それぞれであるという前提がないから。
あるコミュニティの作法の作法が全てに適用可能だと思っているからこんなことになるんだけど、普通はこんな勘違いはしない。
プロの芸人だって家に帰ったら会話に毎回劇場作法のオチつけるような話をしないのと一緒。さんまみたいな例外もいるけどね。
けれどコミュニティに所属する時間が長すぎると、それが一般的なものだと勘違いしてしまう。
性別、職業、地域、国籍。あなたにとって当然で常識であるものは他の人にとっては非常識になり得る。
あなたが正しいと思うことは、幾つもある価値観の一つに過ぎない。
心の中では「おもんない」と思ってもいい。あなたの価値観では、書かれたようなことが本当にイコール面白くないのだろうから。
けれどネットで「ねぇ?おもんないでしょ?」と同意をもとめて、さもこれが唯一の「おもろい」価値観だとばかりに喧伝すれば、そりゃこういわれるよ。
「お前、おもんないよ」(超えちゃいけないライン越えんなやの意)
たとえば暑苦しい気候で会社員がそれでもジャケットを羽織るのは、全くもって気が狂っているとしか思えない。自分もそれは望まない。
さりとて環境にそぐわない服装を要求される場面は多々ある。良い悪いの問題ではなく、いくら暑くともTシャツ一枚で冠婚葬祭に赴くのがズレているのは間違いない。
自覚的であれ無自覚であれ、そういう場面でズレてるとつまらない損をする。馬鹿げたナッシュ均衡でも、崩そうとするよりはそれに従ってテキトーにやり過ごそうとするのはそうおかしな心理でもない。
人生の時間も、(大抵の人間にとっては)一日に絞り出せるやる気も有限だ。アイデンティティなりポリシーなり生きがいなり、よほど強い関心がある訳でもなければラクな方を選ぶ。こういう態度が現状を補強するんだろうなという自覚に蓋をしながら。
「普通」ではない人間を炙り出す対象となるのは自分だけではない。自分の選択だけではなく、鬱陶しいと思っている風習であってもそこから逸脱した他人を白眼視する事さえある。馬鹿げたコードだとは思いつつ、それに敢えて反発するのもラクではない。
ある種のコードだけでは見極められないヤバい奴だっていくらでもいるだろうけれど、少なくともそこで擬態すらしないような人間は判別出来る。逆にそういうとこばっかり見てるとヤバい奴が「まとも」に見えてもしまう。
無自覚でやってるのなら物を知らない奴という事だし、自覚的にやっているのならメンドクサイ奴なんだろう。現状を変える勝ち筋が見えているのならともかくとして。
安全圏の部外者が画面越しである種の内輪ノリを非難するのと、自分の身を以て抗議するのはまるで違う。おれはその手の「メンドクサイ」人間に対する忌避感はあまりない。単に現状を変えようとするコスト(怠惰という錘も含め)が変えて得られるものよりも高くつくと見積もっているのだと思う。
ただその手の奴を強く嫌う人間も少なからずいるようで、そういった連中はむしろ積極的にその構造を補強しようとしているのかもしれない。おれは「べき」に抗議するよりも、そうやって「べき」をそれとなく支持する奴の方がめんどくさいと思う。
TPOに応じたコードには煩わしさと、良い悪いは別にしてこういう特定の機能がある。どこまで共有されているのか分からないような美意識も。
実在するかは知らんけど、初デートでサイゼリヤを選ぶの選ばないのというのもそういう事なんだと思う。
単純にケチであるとか見栄の感覚のギャップだとかの問題ではなく、よりメタ的な部分で品定めするのもそうおかしな事ではない。
初めてのデートで格安チェーンを選ぶという、コードからのズレをどう評価するのかという。
ただデートなら集団ではなくあくまでタイマンな訳で、そこはやっぱり「社会のマナー」と違うよなって思う。
双方が「普通」のデートの作法を煩わしいと感じたのなら、日本中の会社員がいっせーのでスーツを脱ぐよりも遥かに簡単だ。
この令和になっても転勤族の子供病む説がインターネットにあんまり出てこないのが不思議。
まあ、親の側からしたらどうしようもない親の都合で子供を巻き込むわけだし、そらポジティブなことしか見たくないわな。
当事者だけど歪むよー。
まあー歪むよー。幼稚園もころころ変わり、小学校中学校も入ったところと出たところ違う、トータルで通えたの高校が初めての転勤族の子供だけどさ。
例えば学校のお勉強、習い事、友人関係。頑張っても一定期間でリセットされ続けるわけよ。
そりゃ今大人になって見たら、その経験は次に活かせるわー✨とか綺麗事も言えるけどさ、
進度の差でやってないところが出る、
その度に肩身狭い思いする、
みたいに、短期目線しかない子供からしたら、引越ごとに完全リセットに近いのよ。特に小さい頃ね。
賽の河原にいる状態ですよ。親より先に死んでないどころか、親の都合に頑張って合わせていい子にしてるのに。
自分は成長してから、何かをこつこつ続ける事がすごい苦手。楽しい事ですら、これをやって何になるんだよどうせ意味ねえよって気持ちになるのな。
何でこんな事考えるんだ…?って色々考えたけど、多分頑張っても一定期間経ったらリセットされるって染み付いちゃってるからなんだよな。
しんどいぞー。そこまでいられるかもわからないのに周りから浮かない為に頑張る運動会・発表会の練習。
案の定転勤になって、練習は全部無駄。何も練習してない知らん学校の運動会・発表会に放り込まれて、周りから舌打ちされて、やーめーなーよー引越してきたばっかだからしかたないじゃーん。でももう少し頑張ってくれたらいいかな。きっとできるよーとか言われて、教師へのゴマスリの餌にされる感覚。
こういうの繰り返してきて、なんとかやってきてるから、表面上は適応力のあるいい子なんだけどね。内面ボロボロよ。
家族以外信じられるものはいないせいで、分離不安と家族への依存が高まるから、表面上いい子で反抗期もない、いわゆる「いい子だけど実はやばい子」のど真ん中コース。
小さい頃ぬいぐるみ全部にすずらんテープくくりつけて絶対に迷子にさせないように縛りつけてたエピソードとかも、今思えばだいぶ香ばしいな。
極め付けに、海外の日本人学校という全員転校生で出来てるところに行ったけど、まーーー病んでる病んでる。
自分がいたところが特別そうだったのかもしれんけど、なんかもうテレビドラマか?ってくらいいじめてんの。というかテレビドラマからしか日本の学校生活を学べないからそれを忠実に再現してた可能性もあるので鶏卵論だな。
どうせ3年で全員入れ替わるから、小学校なのに、会社の同僚みたいな当たり障りない接し方してるの。で、水面下で蹴落としあい足の引っ張り合いストレス発散のいじめがすごい。
後にブラック企業に入ったが、みんな顔があの小学校のやつらと同じだったよ。
いじめないと次お前だよって言われて巻き込まれたと思ったら、バチボコにいじめられるし。じゃあいじめない方がよかったじゃん!!ってなるガチモンの地獄。何あれ蠱毒でも作ろうとしてんのか?ってレベルだった。
中学まで持ち上がりでいじめ続いたのもマジで笑った。マジでやばいって転勤族の子。
そこで元気にメンタルやって、中高と太ももの付け根ズッタズタ。
今はさすがにやってないけど、まだ跡はある。軽いけど自○未遂も何回か。まあここまで来るとさすがに転勤のせいだけではないとは思うけど、影響は確実にあるよ。
細かいとこ言うと、リスカとか見えるとこの自傷はしないとこが表面上いい子ぶろうとして、いい顔して取り繕おうとする転勤族の子って感じで本当に嫌ー。親は多分未だに自傷は気付いてないねー。
でも、なんとか生き延びて大人になった今思い返せば、親も子供養う為に仕方なかったことは重々理解してるんだよ。
親の事は尊敬してるし、先述の通りの依存もあれど、仲良しだと思うよ。
だからこそ、苦しいんだよなー。親を憎むことも出来ず、私がダメだったんだなー。もっとうまくやれたんじゃないかなーって自分を責める流れになるからさ。
だから、もし転勤が激しい職についてる親御さんがこれを見たら、どうか子供がでかい闇を抱える可能性があるって理解した上で対処して欲しいと思います。
インターネットで出てくる耳障りのいい言葉だけ聞いて、こんなにいいことばっかり書いてある!うちの子はいい子だから大丈夫!適応力の高い自立心旺盛な子に育つ!って楽観視ばっかりしないで。
大袈裟に言えば、あなたの子供はあなたに見捨てられたら自分は常にアウェーだから餓死すると思ってるので、必死にあなたのお気に召す形に仕上がって媚びてきますよ。歪みを蓄積させながら。
できれば、転校しても大丈夫な家で出来る趣味や好きなことを見つけさせてあげてください。
私はゲームやイラスト制作など立派なオタク方面に進み、それで今一応ご飯を食べています。
音楽でも構いませんが、習い事に行かせるがベースになるものより、家で思い立った時に手慰みでできるものがいいと思います。ギターとかキーボードとか。
幸い今は地元に拘らなくてもインターネットで人と繋がれる時代です。
インターネットの中が故郷だと言うと気持ち悪いと思われるかもしれませんが、そうやって安定を得た人間がここにいます。
危ない目に遭わないように気を配りながらも、好きな事はさせてあげるようにしてあげて欲しいと。難しいとは思いますが、かつて転勤族の子供だった大人からの願いです。
「ベニスでしょう」
これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、
「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。
「兄さんとは……」
「この絵は兄さんのほうでしょう」
「だれの?」
「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」
三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。
「違うんですか」
「一人と思っていらしったの」
「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、
「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。
美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、
「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。
「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。
「その代りここん所へかけるつもりです」
原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。
「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。
「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。
「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」
原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。
「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。
「まだ」
「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」
美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。
「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」
「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」
「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。
女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。
「これもベニスですね」と女が寄って来た。
「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。
「さっき何を言ったんですか」
女は「さっき?」と聞き返した。
「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」
女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。
「用でなければ聞かなくってもいいです」
「用じゃないのよ」
三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。
「野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」
「わかったでしょう」
美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
「野々宮さんを愚弄したのですか」
「なんで?」
女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。
「あなたを愚弄したんじゃないのよ」
三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。
「それでいいです」
「なぜ悪いの?」
「だからいいです」
女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。
「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。
「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。
「精養軒へ行きますか」
美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。
「あの木の陰へはいりましょう」
少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。
「悪くって? さっきのこと」
「いいです」
「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、
「だから、いいです」と答えた。
雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、
「さっきのお金をお使いなさい」と言った。
「借りましょう。要るだけ」と答えた。
「みんな、お使いなさい」と言った。
マイナンバーカードの電子証明の更新に役所に行く。混雑のなかカードと書類を渡して手続きを行う。ちょっとした住所表記の変更があったので新住所印字のためにしばらく待つ。
別の窓口から返ってきたカードを受け取るが裸で返されケースがない。
ケースを求めると窓口に置いてあったケースの束から無作法に1つ渡され職員は慌ただしく次の市民対応に当たり始めた。
ケースにカードを入れてみるがどうもしっくりこない。変な位置にマスキングがしてあり、どう入れても今まで隠れていた部分が隠れない。
ちょうど別の職員が通りかかったので「マイナンバーが隠れないんですが」と聞いてみると「あら大変」と対応してくれたのだが「今はカードのデザインが変わってこのケースしかない」のだそうだ。いつの間にかマイナカードのデザインが変わってしまって自分は古いカードになっていたらしい。
「前に使ってたケースはどこかにありませんか。あの窓口で最初に手続きしたのですが」と言うと職員は探しに行ってくれて元のケースを見つけてきてくれた。
感謝して帰途についたがケースを預ける時には古いカードの人は注意したい。
と、ここまで思って調べてみると、マイナンバーカードのデザインは今まで変わったことはなかった。変わっていたのはマイナンバーを隠す方針のほうで、2年前にマイナンバーが他人にバレても問題ないことを周知するためにケース配布廃止が検討されているとニュースになっていた。そういえば耳にしただ記憶がある。
その後にどうなったのかのニュースは全く見つからないが結局ケース配布自体は続けられ、今はマイナンバー部分にマスキングをしていないケースが配布されていて自分が今回もらったものもそれだったようだ。性別と臓器提供部分だけが隠されている。
昔のケースのままでいたい人は更新で窓口に預ける時に注意されたし
ナントカ道って付く競技はだいたい上下関係の中で礼儀作法も一緒に叩き込まれるからギリなんとかなるみたいだけど
そういうのがない新しい分野は意識的に自分を律してないとモラルが壊れていく
まず言葉遣いが変わる
次に立ち居振る舞いが変わる
最後に人相が変わる
遠隔で見てみると、不正アプリがずらり、
もはや板型の持ち運べるマルウェア
まあ聞いている気がしなかった。
買い物系は、ネットスーパーアプリと食品デリバリー以外はいれないよう念を押した。
その年の冬
実家に行ったらパーティーでもするのかってくらいのプラ食器が山積みだった。ああやっぱり。
パソコンからっきし、この前までガラスマだった人がどうしてこうなっちゃったんだろう。
この時ばかりは
このECサイト/アプリは今のあなたが使うにはハードルが高い、海外通販のお作法を教えるからきちんと話を聞くか、アプリを消して、もう買い物しないでほしいとお願いした。もうやらないと言っていた。
今朝LINEが届いた。
"無料商品を5点をもらえるように、招待を受入れてくれませんか?超最新ショッピングアプリの○○○○は現在、皆様に無料ギフトをプレゼント中!
https://(略)"
俺はまともに大人の活動し始めたのは40歳間近になってからだよ
それから趣味の友だちができて旅行行ったり、美味い飯食ったりとやっと追いついてきたけど
30歳で取り返しがつかないってのは早すぎないかな?
Windowsの画面右下になんかアイコンのできたcopilot君、話が同じところでぐるぐる回ることにかけては有名生成AIの中でも特に一流と私の中でもっぱらの話題なんだが、つい先日は本当にマジで典型をやってくれて笑ってしまった。
markdownでメールアドレス書く時のお作法とかある?みたいに聞いたのよ。素で書いてみたらVSCodeがなんか波線ひいて警告だしてきたからさ。
そしたらcopilot君のウインドウ内でわーっと文字単位で出力が始まってな、markdownの書式を書き出してくれて、書式が閉じた瞬間URL記法なので危険と判断したのか表示に解釈が入って書式ごと撤去された。ブロックが分けられてコピーボタンまで表示されたが、それをクリックしてもクリップボードに入るのは例になる仮のメールアドレスだけ。
だからcopilotに文句言ってやったのよ。「お前それちゃんと表示されてねえんだけど」ってな。
「わかりました!コードブロックで表示しますね!」とか嬉々として再出力始めたんだけどな。
そしたら伝わらなかったようですね!とか言いながら元気にもう一度失敗してくれたよ。もうなんか可愛いわ。
だいぶ前なんかバッチファイルの中身の書き方を聞こうとして、copilot君、cmd.exeでこれこれこういうことしたいんだけどさあ、って書き込んだらなんかどっかに突き刺さってしまったらしくずっとなんか表示がぐるぐる待機中のまま帰ってこなくなった。
2条1号が変わる
↓
トリッキーな改正で、「別表第一」には様々な麻薬の成分がリストアップされているんだけど
大麻をこのリストに加えればいいのに、わざわざ2条1号の文言修正している。
なぜかと言えばできない、このリストに加えると大麻を麻薬扱いしなきゃならない
意味わかんないよね
いやいやいや、単語の定義で明瞭に麻薬と指定しているではないか
これね、麻薬に指定してないの、指定するなら別表1に加えなきゃならない。
法律の最初には単語の定義を示すものが多いんだけど、これはエイリアス
もしくはC言語の#defineのようなもの、動作や作用を定義するものではない
つまりあくまでも麻薬取締法の条文中の麻薬という単語のエイリアスを定義しているにすぎない
例えば「麻薬製剤業者」は法律中に28箇所出てくるが、ここで全て
「厚生労働大臣の免許を受けて、麻薬を製剤すること(麻薬に化学的変化を加えないで他の麻薬にすることをいう。ただし、調剤を除く。以下同じ。)、又は麻薬を小分けすること(他人から譲り受けた麻薬を分割して容器に収めることをいう。以下同じ。)を業とする者」
例えば、道路法と道路交通法ではそれぞれの法律の中において「道路」の定義は異なる。
道路交通法は道路法のスーパークラスを継承しつつオーバーライドしている。
こういうことはよくある。
(ところがこれがややこしくて、道路法では道路そのものを定義をしている、道路交通法では道路のエイリアスにすぎない)
ともかく法律は1条で立法目的や趣旨を書いて、2条で法律中の単語のエイリアスを定義するのが作法。
ともかく、ところが、「麻薬 別表第一に掲げる物及び大麻をいう。」と書けばあたかも
ちゃうちゃう、麻薬の指定をしてるんじゃない、麻薬という単語のエイリアス定義にすぎない。
これを
と定義しても法律中の論理構造は崩れない。ただのエイリアスだから。
「麻薬及び向精神薬の濫用による保健衛生上の危害を防止し、もつて公共の福祉の増進を図る」
大麻によって「保健衛生上の危害」が生じていることを立法事実として示さなければならない。
ところがね、これが無いのよ。
我が国に大麻による健康被害、保健衛生上の危害が生じているという立証がされてない。
ともかく、とはいえかなりこじつけ矛盾をはらんだずさんな改正で、今後のこの定義周辺を突いた違憲訴訟が楽しみだが、どうせ立法裁量内で括られるんだろうけどw
インターネッツの話。
いろんなサービスが金を絞るため、依存性が高すぎる状態だし、娯楽に関しては全体的に、分別にある大人向け、だと思う。
ただ、いろんなことがインターネットを通じてできるようになり、子供もツールとして使う練習をするようになり、何もかもが、大きな過渡期とおもう。
むかしは詳しい大人向けの世界で、ふいに、子供が混じってきたら、たしなめられたりしながら、お作法を覚えるみたいな感じだった部分もあるんだろうけど、いまはあんまりそういうのもないように感じるし、1発アウトな感じで事故る、みたいなのが多すぎる。
まともな感性を持ってたら、そういうのも起きないんだろうけど、まともな感性も、結構上澄みしか持ってなさそうだし、(自分も持ってるかどうかわからん)、危なっかしい子供は誰かに止めてもらえるようなブレーキなく事故るか、事故ったことないけど敷地内の庭でしか遊べず、経験値が多大に足りないかの2択かもなぁと思う。
厳しい世の中だぜ。
(まぁ、フィルタリングがそれだけど、もっとこう、ローカルな範囲しか行けず使えずみたいな練習場があったらいいのにな、みたいなね)
(詳しく書けない分、ぼんやりしててごめんね)
(まぁ色々あって、イタチごっこ状態ゆえに愚痴だよ、やさしくしてほしい)
(うちはできる範囲でイタチごっこやってるけど、詳しくなくて、与えるだけの家と、そうでない家を比べて、どっちが危なくねえかみたいな話とか、まぁわかるわけねえよなぁ)
誰からも相手にされないしょーもない低知能中高年が延々と誰かの悪口言ってるだけの空間になってしまった。
これから伸びていく可能性の満ちた空間から、終わってしまった可能性が吹き溜まった空間へ。
ゴールドラッシュが終わった後の廃鉱山もこんな空気だったんだろうか。
出遅れたツルハシ売りは詐欺を繰り返し、店じまいする寸前の洗濯屋は情弱に店一式を高値で売りつけようとしている。
新しい時代の風を読める人間がもういなくなった町並み、何よりの違いはいる人間の顔つきから漂う知性の低さ。
正直、俺が今のインターネットで一番クソだと思っているのがインターネット老人会なる連中がのさばっていることだ。
奴らはことあるごとに「俺達こそがインターネットを大きくしていったのだ」と偉そうに語る。
本当にそうか?
インターネットは勝手に大きくなっていったものだし、そこに貢献していた人間がいるとすれば、それは通信事業者と広告業界だと思う。
でもインターネットにいた住民の多くは、通信事業者に異常な負荷をかけては「契約では使い放題になっている!詐欺だ!」と迷惑をかけていた。
広告業界に対しても敵意を剥き出しにし、Adblockを使うのが正しい作法だと吹聴して回っていたが、自分たちは広告売り上げを前提にしたサービスに依存し続けた。
ネット住民たちがネチケットやウィルスからの防衛術を広めいったのも、治安の悪い世界で自分を守るための護身術でしかなく、ネットの発展を目指していたかといえば疑問だ。
ただあの時代のインターネットを好き放題に楽しむ以外なにもやってこず、そして最後はSEO最適化合戦に取り込まれて、今のインターネットが出来上がった。
そうして生まれた今のインターネットを蔑みながら「昔は本当に楽しかった」と愚痴り続けるのは鬱陶しいだろう。
昔からのインターネット空間は、こうして愚痴り合う声ばかりが響き合っていてドンヨリしている。
最新のインターネットにちゃんと染まれる人間にとっては、今のインターネットも変わらず楽しい。
それには新しいSNSサービスが出てきたら次々とアカウントを乗り換えていけるだけのエネルギーが必要だし、自分から配信して相互に情報交換していくだけの勇気も求められる。
VR空間を楽しむためにもAI生成を楽しむためにもマシンパワーは必須なのでここをケチっていては始まらない。
自分から発信し、気軽に生成し、気軽にマネタイズして、気軽にマネタイズされたものに金を払う。
最近のインターネットは有料と無料の境界線が昔とは様変わりしている。
昔は企業が作ったものは有料で、素人が作ったものは無料だった。
今はそういった形で境界線は引かれていない。
素人が作ろうがプロが作ろうが、誰にでも無料で配られている部分と、一部に有料で配られている部分がある。
その基準は昔よりもずっと曖昧になっているんだが、「昔ながらの人達」はそういうのに対して「なんでもマネタイズかよゼニゲバだな」と騒ぎ回る。
実際のところは、無料で手に入るモノの質やレベルは昔より上がっているので割り切って無料で味わえるものだけで済ませるなら昔よりいい暮らしが出来る。
何に金を出すのかを自分で選び、要らないと思ったものは買わなきゃ良いだけの話なのに昔ながらの平等を求める人達はそれについていけていない。
自分が変化を拒んでいるくせに、他人ににだけ新しい試みを求めていると矛盾で頭がおかしくなる。
昔ながらのインターネットにしがみついて延々と愚痴ってる人達がまさにそうだ。
変化し続ける世界、今まで見たこともない世界をインターネットに求めていると口ではいいながら、いざ新しいものが出てくると拒否反応を示す。
自分が若い時に生まれたものはイノベーティブで素晴らしく、歳を食ってから生まれたものは間違った存在だと。
そう感じる根拠としてあげているあらゆる言葉は単なる言い訳で、自分が変化についていける靭やかさを失ったことを認めることさえ出来ないから文句をいうだけの壊れたラジオになっているのに。
昔ながらのインターネットは壊れたラジオが延々と文句を垂れているばかりでつまらない。
最新のITがつまらなくなったと感じるひとも、きっとそういう空間に張り付いてそこに染まっているからつまらなく感じるんだろうな。
あえて言っておくが、こんなのは無数の時代で、あらゆる技術が繰り返してきたことだ。
別にインターネットが特別だから、インターネットでだけ特別に起きていることじゃない。
QueenがRADION GA GAを発表してから40年、テレビがGAGAって今度はインターネットの番が来たってことだよ。