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はてなキーワード: 作法とは

2018-11-18

社会に出て10年経ってから、体育に感謝する日が来たよ

学生時代は本当に体育が苦手で苦手で。

小5くらいから、運動した後は必ず頭が痛くなって、体育の後は毎回保健室

辛うじて筆記や提出物で、1を取ることはは免れつつ、2とか3とかばっか。

走ればビリ、球技やればボールが回ってこない、二人組は作れない、逆立ちはできない。

典型的な「体育なんてイラネ」側の人間として大学まで過ごして、体育なんてイラネのまま社会に出た。

そんで、社会に出て10年ばかりしたところ、つまり三十路を越えたあたりで、段々身体にガタが出てきた。

運動の習慣がないから当然体力も筋力も無い。肉付きが良くなってきた。体重が増えて関節が痛い。あかんやばい

この年になって初めて自発的に「身体を動かさなくては!!!!」と強く思った。

自分が「身体を動かしたい!!」と思う日が来るなんて、学生時代は全く予想していなかった。

運動なんてかったるい」のまま年を取るんだと思ってた。

でも違ったんだよ!身体・・・動かさなくては・・・!!と思う日は来るんだよ・・・

お金に余裕があるならジムでも行こうかって思うんだろうけど、所詮キモくて金のないオタクなので、続くかも分からん運動にそんな金は掛けたくない。

筋トレもなんか、変なやり方するとダメとか聞くしよく分からん

となれば出来ることは一つ、ランニング!!!

持ってる中で一番動きやすい服を引っ張り出してきて、後はスニーカーさえあればすぐ出来る。ヨッシャ走ろう。

いきなり調子に乗って長距離走ると心が挫けると聞いたので、初日目標は5分。目標は挫けないこと。

で、走り出そうと外に出て、ここで気付く訳ですよ、「おっとまずは準備運動」と。

屈伸して伸脚して、アキレス腱ひとつも伸ばして、軽くジャンプして・・・って、これ学校で習った事じゃねえか!!と。

そしてのたのたと走ること4分、当然既にヘロヘロになっている訳だけど、そこで鮮やかに蘇る学生時代の持久走大会記憶

「あと少しのところで休んで歩いてしまうと、走り出す時にもっとしんどい

「ペースを落としてもいいから、とにかく走り続けた方がしんどくない」

中学時代自分が教えてくれる。諦めなければゴールにたどり着けるのだと・・・

そして苦しい息の下やっとたどり着いたゴール!

たった5分のランニングで既にへとへとになっている訳だが、ここで立ち止まってはいけない・・・!って先生が言っていた・・・

息が整うまで歩き、その後整理体操をしてメニュー終了・・・ってやっぱりこれ全部学校で習った事じゃねーか!!!

そうか・・・あの辛く苦しいばかりだった体育の授業、身体が若々しかった当時は無意味に思えた準備体操に整理体操企画者を散々恨んだ持久走大会・・・それらは全て、大人になってから突然、運動しなければ!という気持ちに目覚めた瞬間に、身体を痛めずに適切な運動ができるよう、運動のお作法身体に叩き込む為に存在していたんだ・・・とその時気付き、生まれて初めて体育の授業の存在感謝し、どいつもこいつも腹立つ奴ばっかりだった体育教師にも少しだけ感謝した。

から、「今」役に立たないことでも、十年後、二十年後、三十年後にふっと役に立つ瞬間がくるかもしれない。どんなことであれ、学んでおくと言うことは良いことである

ちなみに、ランニングの習慣はなんと三日も続いた。

・・・やっぱり若いうちに運動の習慣を身につけておくのって大事だと思う。後付けするのはなかなか大変だよほんとマジで

2018-11-17

外資系から転職してきたやつが礼儀作法ひとつも弁えてないのだけれど

同じ会社内だからと部屋に入るときに失礼しますも言えない。

指摘すればそれだから日本生産性は~とかほざき出す。

外資系に通じる日本礼儀作法の仕込み方、知りたい。

2018-11-16

anond:20181116110347

その辺って便利な道具ってだけだからなあ。

DOS時代は便利な機能を利用するためにパソコンお約束的な部分を学ばなきゃならないってあったけど(データはどこフォルダに整理するとか、送信や受取の作法がとか)いまはそんなこともないし、単機能アプリならそれで完結だし。

いまでもPC使えないって言ってるお年寄りは、イメージで怖がってるだけだと思う。

2018-11-15

anond:20181115135219

俺は少なくとも何十年も社会に溶け込んでるオタ紳士なので、自分の好きなものをことさら誇示するような嗜みは無作法だと思うし、ラブライバー的なイキりオタクに対しての反感は強いよ

それをオタのオタによる偏見だと評するのは自由だが主語デカでこっちを巻き込むな

何より表現の自由戦士はしつこい

うんこをする前の作法

良くうんこを漏らしたり、うんこ話題が好きなやつら!元気か!

うんこをする前の作法って何かあるか?

俺は、うんこする前に余裕があればティッシュ便器に落としている。

うんこが、便器に、つかかないようにするためだ!!!

人は何故ラノベしか異世界ものから書き始めるのか?

(あらかじめ断わっておきますが、文章纏めるのへたくそです。一応そこそこの小説書きなんですけどね!)

なんか最後にまとめたとこだけで良いような気もします。それ以外はお暇な方だけ。


大前提

1)流行ってる! ≒読者人口が多い ので、当然フォロワーが増えるわけです。

 そう、BOØWYに憧れバンドを始めるように。後述しますが、コピーやすい(それほど難易度が高くないことも理由の一つ)

2)流行りすぎ! ということは、異世界ものしかほとんど読まない読者も沢山いるということ

 井の中野蛙がその世界で満足するように、異世界どっぷり読者は他のジャンルに手を出す必要性がないのです。

 異世界とひとくくりにしてもその中でもジャンル分けは多数あってオリジナリティのある作品も多い。

 いろんな作品を知ってる書き手差別化を図りつつも人気ジャンルに参入してきたからでしょう。

ということで、とりあえず人口が多く、その世界で完結してしまってる人も多いというのが一因。

環境要因】

そもそも異世界系はアマチュアによって発展してきた経緯があると思います商業有名作もありますが。

すごく作者と読者の距離が近いです。

(ほら、もう箇条書きとか諦めた。閑話休題

何かの賞を取ってデビューした”僕にはとてもできない”作家が書いた作品ではないのです。

そして、最大手である”某になろう”でユーザー登録して読者であるということは、書き手としてのアカウントを持っている状態でもあります

読み手であったはずが、いつのまにやら書き手権限を与えられているのです。

ニコ動とかで”ジャガーマンシリーズ流行った時とかと似てますね。お前が作るんだ! (なろうではそれほど強調されてませんが)

バンドを組むなら、CD買って、曲やバンドが気に入って、スコア楽器買って、メンバー集めて……

となかなか準備に時間がかかってさあ、演奏しよう! とはなかなかなりません。

また小説家になろうと思っても、応募に10万文字とか。無理ってなりますが。

WEB小説なら、すぐそこに投稿するボタンがあるのです。

タイトル、あらすじ、第一プロローグ。とりあえず投稿する環境が整った状態なのです。

さらに言えば、求められるのは日本語入力スキルのみ。誰でもありますよね。

大体一話って2000文字とか、原稿用紙ビッチ理解ても5枚と多く感じられますが、頭の中に妄想が膨らんでるので筆は進みます。(最初の数話は特に

たった15ツイート分だと考えたらハードル低い。


テンプレがある】

これも重要プロローグの時点では、

日常生活を送ってる

・なんらかの要因で死ぬなりなんなり

神様女神様かちくわ敬称略)に出会

チートゲットだぜ!

こんな感じです。それぞれ4~5ツイート分。

ほら、書けそう。

その後は、王様と話したり、初めてのモンスターと遭遇したり、襲われてる馬車的なのを助けたりと分岐していきますが、まあ素材は沢山あります

いうならばプロローグの時点ではカレーシチューの前段階。

んで、みんなテンプレを使いまくってるからテンプレに沿う罪悪感ゼロです。パクリじゃないです、オマージュ、あるいは作法です。

【玉石混合】

WEB小説なので、いろいろあります

ストーリーは良いが文章力がだめ。またはその逆。どっちも良い、どっちもダメ

だめな作品のだめなところだけに注目してしまうと、あたしってもう少しマシなんじゃね? と思えます


【俺の考えた最強の……】

俺の考えた最高の推理小説。どんなにミステリ精通してる人でも書けないでしょう。

トリックなんて思いつかないから。伏線の張り方とかわかんないから。

俺の考えた最強の日常。これは流行ってないけれど目はありますブームが来てもおかしくない。ただそこまで書きたいかい? って問題はあります

俺の考えた最強のロボットバトル。これも楽しいですね。でも、バトルって難しいし、鬱展開だったりカタルシスだったり難易度が高いです。

 俺の考えた最強のスーパーロボット系だったら書けそうですよね。俺のロボットtuee。でも幼稚か。まあ最近スーパー系でもストーリーすごく力入ってて、長くなるので割愛

俺の考えた(略)俺ツエエエ、俺(略)ハーレム

これがあまりにも簡単なんです。

で、意外と選択肢が多い。まだやってない職業とかもある。

ファンタジーゲームやって異世界小説読んでたら組み合わせはまだまだ残ってます

異世界での)職業ジョブクラス)、現実世界での職業(その知識経験を元にチートする)、スキル、成長特性、仲間、神様から貰えるチート、等特別に持ちこめるもの全般


【まとめ】

まとめると、(アニメとかは見てても小説では)異世界というジャンルしか知らなくて、かつゲームとかで似たような世界知識や設定への理解は多数あって、すぐに投稿できる環境が整ってて、自分にも書けそうなレベル作品ごろごろしてて、妄想やら新たなパターンやらが思いつきやすくて、つまりは書いてみたら人気でるんじゃね? って妄想もできて、テンプレがあって、要素を少しアレンジしながらパズルのように組み立てるだけで、15ツイートブンの文字数で1話が書ける。

みんなやってみたくなりますよね。

2018-11-12

日本はいつまで徴兵制を続けるのか

徴兵制度。それは就職採用活動と名を変えて今でも日本社会に延々と受け継がれている。

卒業年度の翌日である4月1日。この日に正社員の職を得ていない者は社会の枠からはみだした者とみなされ、批難・嘲笑の的だ。徴兵検査で落とされた者、良心徴兵拒否をしたものには社会は徹底的に厳しい。再チャレンジの芽は徹底的に摘まれる。

大学卒業後に半年世界放浪してリフレッシュした気分で仕事を探すなんてとんでもない。「ちょっと旅行に行くから徴兵検査先延ばしにしてくれない?」なんて戦時中に言う奴がいるだろうか。

我先にと徴兵検査の列に並んで、上官殿に踊れと言えば踊り、歌えといわば歌う。兵士を目指す者として当然だ。徴用されるまでには何度も何度も別の列に並ぶのは極めて一般的である

苦労して徴兵検査合格したとしても彼らを待っているのは帝国陸軍ゆずりの初年兵いじめだ。古年兵は初年兵より常に偉く、常に正しい。

北斗の拳ジャギ様も言っているではないか

「兄より優れた弟なぞ存在しねえ!!」と。

一流大学コンパイラ最適化研究していた初年兵よりも、HTMLすらまともに書けない古年兵の方が圧倒的に正しい。よって彼らから礼儀作法精神論などを徹底的に叩き込まれる。おじぎの角度や名刺の渡し方が何よりも重要なのは言うまでもない。

この過程によって「新人自分のほうが優秀な部分もあるはずだ」といった反逆思想矯正され、「大学で学んだ事など社会ではなんの役にも立たない事が分かりました。先輩のやり方をそっくり踏襲させていただきます。」といった優秀な兵士に育っていくのだ。

そうした思想矯正研修を無事に修了したら初めて配属部署が決まる。間違っても初年兵が自分のやりたい事を選べるなどと思いあがってはいけない。

仕事よりも面子大事なので、それを守るためにルールが沢山あるのは当たり前。上司や先輩が残業しているのに先に帰るなどはもっての他だ。毎日夕方に家に着いて家族ご飯を食べるなんて夢は諦めた方がいい。そんなのはサザエさん世界の話だ。マスオさんしか許されない幻想だ。初年兵諸君は決して惑わされてはいけない。

日々乗っている快適な満員電車人身事故で遅れたとしても会社遅刻するのは決して許されない。長い列に並んで遅延証明書なるものを貰っても効果はあまりない。叱責のセリフが「遅刻した事には変わりがない。2本前の電車に乗っていれば間に合っていた。」などといったありがたい小言に変化するぐらいである。

ちなみに開始時間には非常に厳しいが終了時間には無頓着だ。仕事が長引いても延長証明書などは発行してくれないのでプライベートの予定は最初から入れないように気を付けよう。

もし君が「荷物が家に届く予定なのでそれまで自宅で作業してから出社します」なんてメールを送ろうもんなら、係長課長部長クラスまで集まって反逆思想矯正のための対策会議が開かれることだろう。

(他にも上司より高いランチを注文してはいけないなど、数限りないルールがあるのだがキリがないので割愛させていただく。)

さて・・・このような数限りない理不尽に耐えている会社員はさぞかし高い給料を貰っているに違いないと皆は考えるだろう。

否っ!全くの反対っ・・!

しろ驚きの安さであるっっ!!

過去20年で他の先進国賃金がどんどん上昇して行っているのに比べて、我が国賃金はどんどん下降している。

専門職にいたってはわが国の賃金は他の先進国の半分以下といった水準である大企業でも昇給はすずめの涙。入社二年目になったら住民税が引かれるので手取りはむしろ減るのが当たり前だ。

じゃあいったいどうしたらこの状況は変わるだろうか・・??

答えは簡単。ここまで書いた全ての事を逆にすればいいだけだ。

え?そんな無茶苦茶会社あるの?と思うかもしれないが普通アメリカ企業はこんな感じだ。

給料日本の数倍だし、昇給スピードも早い。

日本はいつまでこんな徴兵制度を続けるんだろうか?

こんなままでは生産性賃金いつまでも上がらないと思うのだが。

2018-11-08

anond:20181108201728

韓国過去の約作を守らないなら日本だって在日人権配慮する義理はないわけじゃん?

そんなだから人権後進国言われるんじゃねえかな…

そもそも韓国約束を守らないのと、在日人権が守られるのは全く別問題因果関係がない。

仮にあったとしても、「相手が守らないので僕も守りません」ていうのは相手と同じレベルに堕する行為で、極めて幼稚。

相手の不作法に関わらず在日人権は守ります」というのが大人な態度ですよ(というより当たり前なので実質ゼロ地点に立ったに過ぎないが)

2018-11-06

みんな『差別して良い存在』と『正しい差別のお作法』を欲しがっている

なんというかそんな気はする。

安部支持者と反安部主義者トランプ支持者と反トランプ支持者

所謂オタク』と『フェミニズム論者』、右と左、上と下。

互いが互いを差別したいし、そのための理屈が欲しいし、賛同を得ておおっぴらに『差別と名をつけずに差別したい』

そんな欲望が押さえ切れてない。そう感じる。

まぁ、今更なんですが。俺もあんたもそうなんですよ、結局の所。

anond:20181106112428

鼻をすするのは無作法

日本では食事時等、その場で鼻をかむのは無作法かも。

一言お断りして席をはずして鼻をかめ問題は無いかと。

ただ、人前でずーっと鼻をすすってるのは無作法も何も論外でしょ。

不愉快まりいね

anond:20181106112242

人前で鼻をかむ方が不作法だろ・・・って考え

2018-10-31

anond:20181031153141

キジも鳴かずば撃たれまいに。

きっと人命に関わる事故さえ嬉々としてタイトル出しに頭をひねり、朝な夕なの PV 稼ぎに余念がなかったのだろう。

作法も知らずに増田で自慢話とは聞いて呆れる。

2018-10-30

安倍総理の箸の持ち方まで気に入らないパヨク

https://togetter.com/li/847990 

こういう連中が焼き肉屋で箸をおく場所がないからとりあえず白飯に箸を立てていたらそれは葬式だとか言って因縁つけるんだ

飯をどう食おうが自由だろがよ

飯の時もびくびく怯えながら作法押し付けられないといけない社会を望んでるなら左翼はやはり国民の敵だ

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-19

anond:20181017234055

女が漢語を使うことを無作法とされた時代もあったようだが。

2018-10-13

anond:20181012144629

小説家武器はいくつかある。

大きい視点では、物語構成・話のネタ

ミステリーだったらトリックとか。

小さい視点では、シーンの組み立て方とか、

セリフ所作機微とか、レトリックとか。

近代的なアニメとかラノベ作法に親しんでるなら、

物語構成セリフ機微レトリックとかが重要かな。

もしそっちに親しむようであれば、

そうした小手先を憎め。嫌え。

それを小手先として受け入れてる限りは、

いつまでたっても小手先で終わるから

最初のうちは書くだけでいいよ。

たいていの人はその書くだけが続かないから。

書いてるうちに「自分はなぜ書くのか?」を

考えずにはいられなくなってくる。

そこで答えを出せないとどうせ書けなくなる。

表現する人には、楽しむ人と

それを己の使命と課す人が出てくるけど、

使命型になると人生終わる可能性あるから

気をつけてね。

めめんともりかるぺでぃえむ。

anond:20181012223436

元増田だが、この人のは単なる下手な罵倒だ。

おそらく時系列でみれば、20181012223001のような罵倒芸を真に受けて、それをこの場の作法と誤解した増田初心者仕業だろう。

たぶん、関東の隅の方の住人か、あるいは関東人ですらないかもしれない。

本当に済まない。

2018-10-12

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

2018-10-10

anond:20181010184023

銃で殴るというのは軍隊格闘技に盛り込まれている場合があるけど、そういう格闘技では銃を壊してまうような殴り方をしないような作法がある

2018-10-09

ところで増田のみんなは査読依頼うけたときはどれくらいちゃんと読んでる?

分野によってお作法が違うだろうけど、よほどツッコミどころ既存論文とやってる内容が全く同じとか教科書演習問題レベルとかただの感想文とか)が無い限りは、普通にセミナー学会発表とき質疑応答と同じくらいの強度のコメントしかさなくね?

anond:20181009071921

社会学に修辞的な要素が大きく、また国ごと、分野ごとにお作法が大きく違うのは事実だと思う(だから他国ジャーナルにはその国の言語に堪能なだけでは出しにくい)。

ただ、「個人体験談感想」を書くことが論文だ、ってのはちょっと違う。

しろ、そこから出発して、それを突き放して客体化する、みたいなプロセスがあると評価される。

そのやり方で「異化効果」「否定的弁証法」「脱構築」「再帰性」みたいな表現がされる(それらが「どう違うのか」という説明も、分野や流派のお作法があると思うけど、ざっくり言えばみんな同じことを言っている)。

anond:20181009000122

違う分野には違う分野のお作法文化相場ってものがあるので、安易disらないでくれませんかねぇ。

学問学問たらしめている、その作法文化ってのを教えて欲しい。

増田ではあちこち議論拡散して、英語じゃないと価値がない云々とかあるけど、そんなのは瑣末なことで、大本togetterにある、

ポイント本来学問」の生命である「専門知識を持った第3者らによる検証システムちゃんと構築されているか」であり、その辺が査読論文システムとは別のシステムちゃん担保されてますって話ならそれはそれで分野の固有文化で良いとは思うんだけど、

その反論が「論文誌にたくさんコラム載ってるし!」じゃ全く反論になっとらんやろ。その依頼論文を頼まれるようになる為の学術業績はどう上げてんだよっつう。それが単著売り上げとか講演会人気とかだったら冗談みたいな話になんぞ。

https://togetter.com/li/1274544

これに対する答えを教えて欲しい。

査読システムも万能ではない以上、それに代わるもしくは補完するシステムがあるのであれば、

それについてまじめに知りたいし、取り入れるべきだと思う。

anond:20181009000122

作法の中に主張内容の正しさの検証が入ってないもの

そもそも学問とは呼べない

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