はてなキーワード: 登場人物とは
恥ずかしながら、アラサーになってはじめてちゃんと人を好きになって、振られた。
オタクなので好きなアイドルや漫画のキャラクターはたくさんいるが、現実的に誰かを好きになることなんて中学生以来なかったから、どうすればいいかわからず空回りしてしまった。
まあそんなことはいいんだけど、失恋ってこんな辛いのか、と思った。みんな知ってると思うけど。
好きなアイドルに恋人ができたり、結婚したりしてそれなりに苦しかったり、思いが相手に届かなかったドラマや映画の登場人物に感情移入して辛くなったりしてきたけど、すべて想像上の話だった。
友達の失恋話にそれは辛いよね…って共感したつもりで、その友達の悲しみを思う気持ちに嘘はなかったけど、今考えたらなんもわかってなかったかも。
失恋ソングきいてかなしいね…とおもうことはあったけど、ほんとうになにもわかってなかった。
経験した人のみがなにかその物語を生み出せるとは思わないんだけど(魔法が使えなくても魔法使いの話で人を感動させることができるように)、失恋した今なら名曲失恋ソング作詞してこの世の人々を共感の渦に巻き込める気がしてるわ。
わたしがいま女子高生ならインスタストーリー真っ黒背景にちいこ文字で振られた悲しみ綴ってるとこだわ。そういうのいまでもするのかな?しらんけど、アラサーなので…
でもまあこうして匿名のブログに書き込む時点で同じようなものだし…
こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった、という有名な言葉があるが、今ならあの気持ちわかります。あれ以上に苦しい気持ち表す言葉知らん。歌詞とかでこれより共感するものあるのかな?ていうかおたくだからそもそも失恋ソングなんてそんなしらん。きかん。最初に失恋ソングに共感したつもりで…みたいなはなししたけどべつにもとからたいしてきいてないわ。いまだに通勤中はカードキャプターさくらとかおジャ魔女どれみのOPとかきいてるわ。
こんなに悩んでもどうにもならないから、さっさと別の人間を好きになって、失恋ソングでTikTokで若者に大バズりして今年の紅白でよ。
今全然言わなくなったけど2000年前後の松本人志はトークとかの最中に鬼の形相で
と絶叫して爆笑を搔っ攫うことがよくあった(特にガキ使のフリートークで)。
おかげで周りで「死ね」を使う奴が激増した。読者を笑わせる意図で登場人物に「死ね」と言わせるギャグ漫画なんかもあった(木多康明の「泣くようぐいす」など)。
みたいな感覚の持ち主は痛い人、変な人と見なされ同年代から軽く引かれてたものだ。
さて令和の世の中になって俺はあることを危惧している。
それは……
「詐欺なんて人として一線踏み越えるようなとんでもないマネだ!
自分のジイちゃんやバアちゃんが詐欺に遭ったら悲しいとかそういう想像力や道徳観念もないのか!」
って道徳観が『痛い』と見なされるようになるのではという危惧だ。
給付金詐欺やオレオレ詐欺の受け子が衣食住足りた環境で育った現役大学生のあいだで流行ってる現実を見て思うようになった(慶應体育会の、しかも上級一族で育った学生すらやって捕まってた)。
オレオレ詐欺集団のリーダーが青年実業家としてもてはやされていたり、有名芸能人と強いコネクション持ってたり、レゲエミュージシャンとして界隈で名を馳せ普通にレーベルと契約を結べちゃってるような昨今の現実を見て思うようになった。
オレオレ詐欺軍団のリーダーをカッコいい主人公にする青年漫画やイケメン芸能人主演連続ドラマが撮られたらもうヤバいと思う。
俺の危惧がどうか当たらない世の中であってほしい。
https://comic-days.com/episode/4856001361249018766
(*入れ込むってのは競馬用語でウマが畜生特有の脈絡のない興奮で空回りして自滅へ向かっちゃう状態のこと)
その上で、俺この主人公の黒い女の子みたいなのがすげー納得いかんのな。
この子とそれを取り巻くすべての状況が不条理かつ低能過ぎて呆れちゃうというか。
ここまでで何言いたいかピンと来たって人が居たら教えて欲しい。あんたは俺の仲間だ。
まずさあ、
大事件か?NO。
そもそも文化祭のクラスの出し物なんて初期状態では誰もコミットしてないわけじゃん。
頑張りましょうねなんて誰も思ってないし責任もない。
誰もそんなたまたま選ばれた人に期待してないし、と言うことはその人の責任もねーのよ。
やる気なく流したっていいし、凄いビジョンを持って取り組んだっていい。
LINEでボケーっと何の足場も提示せずにアイデア募集しました、そりゃなんもこんわ。
無能なのはいいけど感情的なのはやめて欲しい。意味わからんから。
「クラスの出し物が一定の成果を出せなければ全員死にます」なんていう
マガジンのクソ漫画みたいな状況にあるならまだわかるよキレるの。
みんな自分の命がかかってるのに人任せにするなよ!ってことだよね。
でもそうじゃないじゃん。
そのことで責めてくる奴もいない(もし責められたらLINE見せて「お前もなんもしてへんやろボケェ!」ってキレ返せばいい)。
どういう感情で「実行委員という役割」や「文化祭というイベント」に臨んでるわけ?
「有能な自分がやる以上は何らかの成果を必ず出すのだ」っていう自負があるならそれはいいと思うよ。
そういう自負で取り組んだのに上手く行きませんでした、自分の能力の低さに涙が出ました。
でもこの子ってなんか周りへの恨みみたいなものが見えるじゃん?
いやいやいや、別にクラスメートは文化祭のクラスの出し物にコミットするなんて約束してねえじゃん。
そんな意思表示は一度もしてないわけじゃん。
だから実行委員としてはやるもやらないも自分のコントロールで勝手にやってよって話じゃね?
みんなに合わせて適当に流すのはわかる。
我がこととして主体的に取り組んで失敗して涙もわかる。
でもこの子は変な風に当事者意識は強いのにイベントの行方についてはクラスメートに任せてるんだよね。
でもこういう奴マジでいたよな。
ありもしない責任を捏造して他人を糾弾したがる人間がウザくてたまらん。
実行委員にあるのは(人間にあるのは)自分がやると決めて主体的に取り組んだ時の成功や失敗だけだろ。
実行委員は流すことも出来るしすげー頑張ることも出来る。
だからこの子だけじゃなくて終盤の「いい子になった」描写らしいクラスメートも意味わからん。
黒い子が仮にあんま参加してなかったとして、たぬきちゃんに詫びを入れなきゃいけない理由なんかあるか?
「文化祭のクラスの出し物が成功したらクラスメート全員の口座に100万円ふりこまれます」みたいな
クラス全員、お前も利益を受け取るからにはちゃんと労力分担しろやって感情はわかる。
でもクラスの出し物なんてそうじゃないわけじゃん。
やった人間がまあなんか達成感とか良かったねっていう思い出とかの報酬を受け取るだけ。
どっちも自由であって、どっちかがどっかに怒るとか恨むとか詫びるとかマジで意味がわからん。
黒い子が反省すべき点があるとしたら
LINEで「アイデア募集ー!」ってのは到底コミットが集まるようなアプローチではねーよなとか
やりたそうなやつに目を付けて直で話しに行って折衝すべきだったなとか
全員無理矢理追い込むなら教師を動かして説教させてコミット圧を高める手もあったなとか
そういうことじゃねーの?
俺は学校の出し物のたびに思ってたわ。
ここには感情的にならんといけない要素なんかどこにもねーじゃんと。
楽しく自分の裁量でやったりやらなかったり成功したり挫折したりすりゃいいだけじゃんと。
例えば「私はここで結果出すと内申点よくなると睨んでて私の将来のために協力してほしいの!」ってキレるならそれはよくわかるわけ。
おもしれ―女だなってちょっと協力したくもなる。
でも実際はそんなおもしれ―女もいいなくて、ただぼんやりした他人任せの進捗と挫折があるだけで
なんでそこでいちいち感情を持ち込むの?
あの手の出し物で感情的になる女子を見てた時、或いは俺が直で吠えられた時、
「この低能な生物には何をどうしてあげたらいいのかなあ・・・」という感慨しか湧かなかった。
俺はいい奴だから現実的なアイデア出して付き添ったりしたことがある
最初「大喜利」とか言ってたからこいつらスゲーなどんなバカだよと。
世間にキャラを知られたプロの人気芸人がネタを仕込んで台本組んでようやく面白くなるものをお前等がやってどんな勝算が?
しかももちろんネタも出ないしろくに練習する予定もないうえにネタ候補ってのが内輪ネタばっかなの。
それを誰に見せる気なんですかウギャーと。お前等のことなんか何も知らない人達がくるんですよと。
なのに上手く行きそうにないことや狭い友達以外積極的でないことに感情的なの。
んでえーそれは難しいよーつって何で暴発するかわからん感情を刺激しないよーにやめさせて
元から高校生レベルじゃない芸を持ってるやつがいたのでそいつを頼ることにしてそいつ中心の指導で地獄大喜利改めお遊戯発表会くらいにはなって
高校生がみんなで努力した跡は見れるから結構評判が良くてみんな達成感出ましたねーみたいになった。
軌道に乗って以降のクラスには最後までこの漫画みたいな低能丸出しの感情が横溢してた。
いい人とか悪い人とかじゃなくてその低能さと混乱しきった感情を何とかしてくれってずっと思ってた。
最終的にその女子やそいつの友達から「増田くん有難う!」とか言われちゃったんだけど
この低能な生物達とは最後まで疎通が出来なかったなという挫折が俺の手にしたものだった。
俺にとっては自分のミッションとして頑張った結果の挫折っていう満足のいく成果だったからいいんだけど、
自分が一体何に対して感情的になってるのか、一度でいいからきちんと整理してみて欲しいんだけど
一生そういうこともせずにああいう感じに生きていくんだろうな。
登場人物の名前を自分の名前に変換して漫画キャラと恋愛したり、作品内で自分が活躍したりする内容の小説、いわゆる「夢小説」って女性向けが圧倒的に多い。自分の観測範囲だけだけど、名前変換対象のキャラが男性でお相手が女性の夢小説は数えられるほどしか見たことがない。
アイマスでいうところのプロデューサーとか、ブルアカの先生みたいな自分の分身が出る同人誌はメジャーだから夢小説も普及してるかと思ってた。
でもどの作品でも共感できるわけじゃなく、共感できる、もしくはそれに憧れる、というところからその作品が好きになる。
僕はどの作品を見ても共感できるなあと感じる。もちろんすべての作品とはいわないけど、ほかの人よりも比較的共感しているほうだと自分では思っている。なんとなくそう感じているだけで、実際のところはわからないけどね。
まず共感ってなんだろう。
頑張っているシーンや感動するシーンを見たとき、心の奥底からふつふつと湧いてくる。目の前で焚き火をしたとき顔や首や胸元に感じる熱風みたいにじーんとくる。自分だったらしないことでも、登場人物がなにを見てどう考えるのかを知っていくと、その登場人物を理解できることがあって(理解したっていうのは言い過ぎかな?なんとなくわかる、みたいな)、そいういときはその行動に納得できる。僕の中の共感は、こんな感じで捉えてる。
泣かせにきていると作者の意図を感じたとき、そんなことあるわけないじゃんとチグハグなとき、自分はそうは思わないしなんでそう思ったのか理解できないと感じたとき、こういうことを感じたときに共感できないと思う。
ざっくりまとめると、共感しているときはスーッと作品を受け入れられるときで、共感できないときはその流れを止まってしまったときなんだろう。ほかにも理由は全然あると思うけど、僕のなかでは共感できるできないの判断に大きく関わっている部分なので、まあこんな感じでまとめることにした。
ここでちょっと自分の話をするんだけど、僕は人の話を聞いたときに、いい話でも悪い話でも「へえ、そうなんだ」という感想をもつことが多い。別に興味がないというわけじゃなくて、言葉の意味どおりそうなんだって思っているんだ。そう考えるんだな、そう思ったんだねなるほどと、その言動や感情に興味を持っているんだと思う。
人が変なことをしたとき、それがやばいかったときは「引く、、」っていう言うよね。引いたと思う感情は僕もわかる。けどそれと同時にへえ〜っても思う。だから僕の中では最終的にそれは引いたじゃなくてへえという印象になる。
あとは、表の顔とか裏の顔とか、これも言いたいことはわかるけど、だからなんだ?という感想を抱いてる。だって人って多面的だもん。上司か部下かでも違うし、家族か、恋人か、ネット上の友達なのかとかでも変わる。人によって持っている価値観が違うから、同じ人でも、その人を捉える人によってもその人の印象は変わるし。そもそも相手がどんな人かわかるわけなくない?
んでこの僕の性質?をふまえると、今まで自分が思っていた”共感できる”には2種類あることに気づいた。体の奥底から感情が湧いてくるような共感と、そのシーンをそのまま受け入れられるという共感、この2つがあるということだ。
共感してるつもりになっていた訳なんだけど、そのシーンをそのまま受け入れられるというのは「共感」というのか?もしかして「理解」って言葉のほうが正しいのかな。
こういうこと言っていると、共感しなくてもいいんだよ、と言ってくれる人がいるんじゃないかと思ったんだけどそれは大丈夫。単純に自分のなかの共感ってなんだろうというのを掘り下げてみてるだけで、共感できないのはダメだとか、そういうことはべつに思ってないよ。
ここまで書いていて感じたことがでてきた。書いてみる。
捉える人によって見え方は違ってくる。いまこの文章を書いている僕は僕一人だけだ。でもこれはほんとにそうかな?と。ちょっと前に登場人物を理解するって話をした。その登場人物がなにを見てどう感じたのか、それらを追っていくことでその人を理解できる(ときがある)という話だ。
このとき、僕にその登場人物が憑依しているということになる。すると捉える人は、いま文章を書いている僕じゃなくて、登場人物が憑依した僕、なのではないだろうか。
つまりどちらも僕で、僕の中に2人いるという感じ。ということは、2人の人格を持っている”僕”の視点だと「共感」になる。”いま文章を書いている僕”の視点だと「理解」ってことになるね。
上の方で「自分が思っていた”共感できる”には2種類あることに気づいた」と言った。このときは共感していると思っているけど、その中には、共感じゃなくて「理解」も含まてれているんじゃないかって。けどそこから掘り下げてみたところ、その「理解」も視点によって「共感」とも「理解」とも言えるんだろうなってことがわかった。
ってことでこれで終わりです。ここまで読んでくれてありがとう。
登場人物が皆真摯で、真面目で、現実社会への目配りもあって、みたいなやつ。
「(創作作品内の)現実は辛いし、一筋縄ではいかないトラブルは起こるし、社会の問題ごとは多いけれど(特に主人公陣営の)登場人物は前向きだし、真面目だし、諦めません。出来得る限りの最善を尽くして頑張ります!』ってノリの話がどうしても読めなくなってしまった。
以前はそういう「真面目」で「真摯」な話にこそ励まされていたような気がするのに。
なんか「作品内の登場人物は凄いな、努力して偉いな、それに比べて画面の前で物語を消費しているだけの自分は……」とどうしてもクサクサしてしまう。
結局自分がクサクサしているだけで何も行動せず、物語の登場人物たちのように真摯に生きれていないのが根本原因なのは分かりきっている。結局自分のメンタルの問題なだけなのだが。
どうしようもない人たちが肩を寄せ合ってどうしようもないなりに生きる、みたいな物語を読んだ方がいいんだろうな。単にそういう時期なんだろう。
昔の話だ。もうその人とは一切連絡を取れないしどこにいるのかも分からない。でも忘れられない体験だったため、ふとここに書いてみようと思った。
芸能人にいそうなくらい美人で、しかも頭がよく難易度の高い国際資格も持っていた。あと英語と中国語ができるため、仕事には困ってなさそうだった。その頃は「人間関係リセット癖」という言葉が話題になっていたため、その類かと思って聞き流していた。でもどうやら事情はもっと深刻らしい。
彼女は職場も住む場所も半年経つ度に変えていた。最初はネタかと思ったが、履歴書を見せてもらうと確かに半年経つ前に転職していて、そのタイミングで住所も変えている。さすがに短期間で転職を繰り返せば面接で突っ込まれるのではないかと聞いてみたが、一つの国ではなくいろんな国に住んでいるようで、「世界を飛び回っている」という印象を植え付ければ必ずしもマイナスイメージにはならないらしい。また、終身雇用が前提とされている企業でもなければ似たような経歴の人はたくさんいると。実際食いっぱぐれのないスキルと資格を持っていたため、仕事には困ってなさそうだった。
仕事だけでなく、趣味も同じように変えていると言っていた。アニメや漫画が好きで、好きな作品ができるとTwitterや公式サイトにアカウントを作るらしい。詳しくは聞いてないが、たぶん二次創作とか腐女子的な活動をして、その界隈の人とも交流し仲良くなる。でもその活動も半年が限界で、時期がくればいわゆる「ジャンル移動」したりアカウントごと削除してしまう。
そして離れる時は、連絡先も全て変えてしまい、SNSはアカウント削除とブロック機能を使って関係を絶つのだという。別れが辛くなるのでどんな相手でも必要以上に仲良くならない。結婚どころか恋愛すらしないと話していたのが印象的だった。唯一彼女が辛そうに話していたのがこの「人との別れ」の部分だった。
何故そんなことをするのか、理由は聞けなかった。そこまで踏み込んでいいのか分からなかった。しかし、今思えば聞いておけば良かったと思う。強迫性なんとか症とかの精神病なのかとも思ったが、仕事してる態度を見ると普通の常識的な人だった。話す限りでは、宗教やオカルト的なものを盲信するタイプにも見えない。
彼女は今も半年ごとに身を置く場所を変えて生きているんだろうか。もしこれを見ていたら、人生の半年ごとに変わる登場人物の中で、一瞬人生が交わっただけの人々の中で、それでも幸せを願っている奴がここにいることを知ってほしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/4856001361289959475
冒頭でページを割いて「この女は異常者です」ということを本人にすごい勢いで自己紹介させてる上にそもそもタイトルに「クソ」インベーダーズとはっきり親切に書いてあるのに、
その異常者の言動をおかしいものとして描いてない、作者がこれを現実で許されるものとして登場人物に言わせてると思うのさすがにあまりにも漫画読めてなさすぎじゃない?って思っちゃった
どう考えても信用するに値しない人物の信用するべきでない言として描かれてるよね?
おかしいクソな人を描いてるおかしなナンセンス漫画であってむしろ令和の価値観あるからこそこの漫画のおかしいところがさらにおかしいこととして強烈に描かれてない?
そのうえで不快だなとか面白くないとか合わなかったなーとかネタとして普通におもんないとか今こういうのやるのスベってるよねって意見はわかるんだけど現実のこととして誤読するのはなんかな
女児向けの実写コンテンツ、あるいは男児向けのアニメとかは子供が主人公なことが多いです。
あと海外産の実写コンテンツも子供主体が多い感じがします。MXで今やっている韓国産の恐竜ロボドラマも主人公は子供ですし。
なんで男児向け実写コンテンツだけ子供向けなのに主人公が大人なんだろう?と感じます。
自分はその手のコンテンツには全く詳しくないので、もしかしたら子供主役のものもあるかもしれませんが。
別になにか意図があって(著作権者の許諾を得た上で)登場人物などにアレンジを加えるのは表現として基本有りであるのは前提として
ただ、指輪物語はトールキンが色々な民族とその民話を見聞きし、考察して取り入れ作り上げた架空の民族的神話であり
それを、例えば「水木しげるが指輪物語とは無関係に海外の民話を自分で見て、結果独自のエルフが表現されている」みたいな、その構築過程に自分自身の解釈が入っているのならまだしも
肌の色を変えた事に関して「平等にするべきだから」という民族性の何も感じられない動機に基づき改変を加えた挙げ句、その(建前上の)理由に「トールキンはエルフの肌を「基本明るい色」とは言っているが白とは記載していないから」なんて事を初手で言ってる辺りに、トールキンへのリスペクトが何も感じられない
それどころか、「トールキンの作品なんてなろう作品と変わらない」みたいな解釈をしているとしか思えない、なんていうかアレな作品観しか見えてこない
1990年代後半の日本は、バブル崩壊の影響で日本経済が低迷し、社会全体に暗い影を落とした時期でした。この時期には、失業率の上昇や貧困の増加など、さまざまな社会問題が起こりました。また、地下鉄サリン事件やオウム真理教事件などのテロ事件も発生し、人々の不安感を高めました。
このような社会情勢の中で、アニメやゲームなどのエンターテインメントにも、暗い雰囲気の作品が多く登場しました。たとえば、1995年に放送されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、人類と使徒との戦いを描いた作品で、その暗い世界観が多くの若者の共感を呼びました。また、1997年に発売されたゲーム「ファイナルファンタジーVII」は、環境破壊や戦争などの社会問題をテーマにした作品で、当時の社会情勢を反映した作品として高い評価を得ました。
1990年代後半の「暗さ」は、バブル崩壊の影響によるものですが、それだけではありません。冷戦の終結や阪神・淡路大震災などの大きな出来事も、この時期の社会情勢に影響を与えました。これらの出来事によって、人々は将来への希望を見失い、社会全体に暗い影を落としたのです。
ここでは、1990年代後半の日本社会の暗さを象徴する作品をいくつか挙げてみたいと思います。
これらの作品は、いずれもバブル崩壊後の社会の暗さを反映した作品です。登場人物たちは、失業や貧困、孤独などの問題に直面し、苦悩しています。しかし、これらの作品は、ただ暗いだけではありません。登場人物たちは、困難に立ち向かいながら、希望を見出そうとしています。
1990年代後半の日本社会は、暗い時代でした。しかし、この時代は、人々が希望を見出そうと努力した時代でもありました。これらの作品は、その時代を生きる人々の姿を映し出しています。
【登場人物】
手コキ医者(てこきいしゃ)
男性(だんせい)
【舞台セット】
【脚本】
手コキ医者:(颯爽と登場)ほら、ほら、次の方、どうぞどうぞ。
男性:(緊張しながら)あ、あの、手コキ医者さん、よろしくお願いします。
手コキ医者:おお、初めての方かい?安心してください、私があなたの悩みを解決してみせますよ。
男性:(恥ずかしそうに)実は、最近、性的なトラブルに悩んでいまして…
手コキ医者:おお、それは大変ですね。しかし、私の治療法ならきっとお力になれるでしょう。
手コキ医者:それは秘密ですよ、お楽しみに。さあ、今から治療を始めます。
(手コキ医者が男性の悩みを手コキによって解決していく様子を演じる)
男性:(驚きながら)な、なんてことだ…!これは奇跡的な効果です!
手コキ医者:ふふ、そう言っていただけるとうれしいですね。手コキ医者として、あなたの悩みを取り除くことが私の喜びです。
男性:手コキ医者さん、あなたの技術は本当にすごいです。友人たちにも教えてあげたいです!
手コキ医者:そうですか、それは光栄です。私の名前を広めていただけるとありがたいですね。
男性:絶対に広めます!江戸中に手コキ医者の名を轟かせましょう!
(男性たちが次々と手コキ医者の診察を受けに来る場面を演じる)
手コキ医者:(感謝の気持ちを込めて)ありがとうございます、皆さんのお力になれることを願っています。
(手コキ医者が男性たちを次々と手コキによる治療で助ける様子を演じる)
男性:(感激しながら)手コキ医者さん、本当にあなたは素晴らしいです!私たちの救世主です!
手コキ医者:(謙虚に)いえいえ、私はただの医者にすぎません。ただ、皆さんが笑顔になれるように、私の技術を最大限に活かしたいと思っています。
男性:手コキ医者さん、私たちの間で伝説となってください!手コキ医者の治療法は、江戸の男たちにとって希望の光です!
手コキ医者:(微笑みながら)あなたの言葉に感謝します。私の治療法が多くの人々にとって希望の光となれることを願っています。
【終わり】
作:グプティ亭笑魚
例えば巨悪や天災に抗い続ける人がどこかでぽきっと折れてしまったり、悪役が尊厳も何もなく命乞いをする姿とか。主人公にも誰かを傷付けた経験があるのに、時が経ったらもうそんなこと忘れてしまうみたいなこと。車に轢かれた動物を見て見ぬふりしたとか、歩いて潰した虫に気付かないみたいなことも。
宗教みたいに美しい人格者ももちろん好きですが、上記のような悪辣さというのか、裏の部分?とでも言うんでしょうか。悪気は無く、ただ無意識のうちに聖人君子ではないと証明できてしまう部分。ここに心惹かれます。
登場人物に非白人の外国ルーツのキャラクターを出しただけで「配慮し過ぎ」と言われるなんて本当にある?被害妄想じゃない?
https://togetter.com/li/2156504
BLEACHのチャドとかテニプリのジャッカルとかハイキューのアランとかプリキュアのえれなとか、
「配慮し過ぎ」なんて言われていたっけか?少なくとも私は記憶にない
ていうか、仮に本当に「配慮し過ぎ」と言われたとしても
そんなの気にせずに描けばいいじゃん。描く権利はあるよ。
もしも読者からの否定的な感想への懸念を理由にして外国ルーツのキャラクターを描く事を止められているならば
仮想敵にしている読者ではないと思うんだけど。
表現者だったらどんどん新しい表現を開拓していって、それで流れを変えていけばいいじゃん
みんなそうやって戦ってきたんでしょ
俺は高校生くらいまではまさにそんな感じだったんだけど、世界観や話の流れは理解していたな。
ただ、物語の登場人物の感情の理解というのは、ある程度の前提知識が必要だし、ASDではない子供が物語の登場人物の心情を理解しているかというと微妙な感じがする。
日本優勝という華々しい結果で幕を閉じた2023年WBCだが、一部である選手同士の仲の良さが話題になった。
いつもじゃれあっているような微笑ましい動画が多数youtubeやTikTokなどのSNSに投稿され、人気のようだ。
コメントは大喜利大会となりネタが溢れるのだが、ごく一部異様なものを目にする。どうやらその選手たちが本当に同性愛だと思い込んでいるようで、あの行動は浮気、あの仕草は息を吹きかけているとか、選手の一挙手一投足を同性愛に結び付けてつとつとと自分の脳内設定を書き連ねているのだ。何度も頻繁に。
なかなか伝わらないが、実際にコメントを見るとその不気味さが分かると思う。
スティーブン・キングの「ミザリー」以前、ある日本の小説家がエッセイか何かで語っていたことだが、新聞に連載している小説に熱心に感想を送ってくれるファンがいたそうだ。特にある登場人物に執心していたらしいが、それが自分の気に入らない状況の展開になると激しい怒りの手紙をよこしてきて気味が悪かったという。
また以前、ある漫画の登場人物が処女でないと判明した時、怒りでその漫画本をズタズタにした画像をSNSに投稿した者がいた。
要するにフィクションやエンターテインメントの世界に自分に都合の良い設定を投影しそれに浸りきり、自分の空想世界と現実世界の境界分けができない。冷静に指摘されたり、現実に自分の設定通りでないと知ると異常に怒り狂うという「ミザリー」は昔から少数存在する。
「ミザリー」が自分の設定通りではない現実を目の当たりにした場合、どんな狂気に走るのか…