はてなキーワード: バブル崩壊とは
「もし融資を返済できなくても、どうでもいい担保を失うだけですから、いかがですか」
自分が弁護士だったら、手ばなしてもいいような土地の持ち主を探して、融資を受けさせ山分けして
バブル崩壊を待つだろうな
真相じゃね?
1990年代後半の日本は、バブル崩壊の影響で日本経済が低迷し、社会全体に暗い影を落とした時期でした。この時期には、失業率の上昇や貧困の増加など、さまざまな社会問題が起こりました。また、地下鉄サリン事件やオウム真理教事件などのテロ事件も発生し、人々の不安感を高めました。
このような社会情勢の中で、アニメやゲームなどのエンターテインメントにも、暗い雰囲気の作品が多く登場しました。たとえば、1995年に放送されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、人類と使徒との戦いを描いた作品で、その暗い世界観が多くの若者の共感を呼びました。また、1997年に発売されたゲーム「ファイナルファンタジーVII」は、環境破壊や戦争などの社会問題をテーマにした作品で、当時の社会情勢を反映した作品として高い評価を得ました。
1990年代後半の「暗さ」は、バブル崩壊の影響によるものですが、それだけではありません。冷戦の終結や阪神・淡路大震災などの大きな出来事も、この時期の社会情勢に影響を与えました。これらの出来事によって、人々は将来への希望を見失い、社会全体に暗い影を落としたのです。
ここでは、1990年代後半の日本社会の暗さを象徴する作品をいくつか挙げてみたいと思います。
これらの作品は、いずれもバブル崩壊後の社会の暗さを反映した作品です。登場人物たちは、失業や貧困、孤独などの問題に直面し、苦悩しています。しかし、これらの作品は、ただ暗いだけではありません。登場人物たちは、困難に立ち向かいながら、希望を見出そうとしています。
1990年代後半の日本社会は、暗い時代でした。しかし、この時代は、人々が希望を見出そうと努力した時代でもありました。これらの作品は、その時代を生きる人々の姿を映し出しています。
定義上のバブル崩壊は91年から93年ですが、現実に社会情勢として大きな景気後退を招いたのは97年から98年にかけての大手金融機関の経営破綻です。バブル崩壊が現実に不景気として大衆に押し寄せたタイミングと言ってもいいでしょう。就職氷河期が深刻化するのもこの辺りからです。
はっきり言って阪神大震災とオウム真理教事件が立て続けに起こる95年までは景気のピークは過ぎつつも社会情勢は全く暗くないですし、後追いで教科書的な定義だけ見ても当時の情勢は理解できないと思いますよ。97年に書籍、雑誌、CD等の売上のピークがあったことを他の人が言及していますが、言い換えれば97年からピークアウトしているという意味で、完全に上向きのベクトルを失ったタイミングがここなわけです。
バブル崩壊といっても一夜にして全てが崩壊したわけではなく、真綿で首を締めるようにじわじわと崩壊していった。だから庶民まで実感が出るのには何年もかかった。
実質賃金の上昇が止まったのが1996〜1997年ごろで、このころからリストラが激化しだす。それまでは危機感が無かった国民もさすがに「あれ?ひょっとしてこの国ヤバい?」と気づいた。そして1997年に山一證券が破綻。氷河期の底が1999年。
そして、このあと登場したのが小泉内閣。「痛みのある改革を断行すれば日本は復活する!」という小泉の言葉に国民はみんな飛びついた。
https://anond.hatelabo.jp/20230530182341
これ昔から思ってた
不動産価格も半年遅れくらいで追従、これで土地転がししてた人らがバタバタ倒れたのは有名なんだけど
大企業はこの負債だけでは即死せず、かといって公表せず、爆弾を抱えたままゾンビのように生き残っていた
だから一般人にとってバブル崩壊はどこか他人事だった、株価が4年前に戻っただけだからね
例えば日本人の給料のピークが1997年だった、新聞の発行部数も1997年がピークだ
だから個人的には元増田の言う「90年代後半は暗かった」というのは分からない
エンタメも元気だった
例えばFF7発売が1997年だし、アムラーが流行ったのもこの頃、ジブリはもののけ姫を出したし、ハリウッドではインデペンデンス・デイやロストワールド、スピード2が出た年だ
北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻した
ただ、この頃からITバブルが始まっていたこともあり、若者や子供にとってはそんな暗い時代ではなかったと思う
ノストラダムスの大予言に夢中だったのは確かだけどそれはベクトルが違う
じゃあいつ頃日本が暗くなったかといえば、2002年頃から徐々にだと思う
ITバブルが崩壊し、金融政策がうまく行かず、バブル崩壊の負債と金融危機の負債が小出しで爆発した関係で低迷したし
回復してきたかと思ったら2005年に会社法が成立し、会社が健全化する中で膿を出しつつ低迷した
ちなみに2005年に合計特殊出生率が最低をマークしている、ここらへんがどん底だと思う
この頃は小泉政権時代だ、まさに聖域なき構造改革で、膿を出して2007年くらいにはようやく回復したんだが
2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災で追い打ちをされた(これがなかったらどうなってたんだろう)
海外でもゴタゴタあり、結果2002年〜2014年あたりの殆どのタイミングで暗い時代が続いた
そして実は2014年以降、つまりアベノミクスのタイミングでは世界的に平穏で少しずつ回復して行っていたわけだが
まあコロナで全部壊されて今に至る
1991年1月の中旬だったかな、ニュースでバブルはじけたって騒いでた気がする。
どうでもいいような土地に価値が有るように見せかけて担保にして、
バブル崩壊とは、1991年から1993年頃にかけて起きた株価や地価(土地の値段)の急落のことです。歴史(近現代)の教科書にも載るほどの大きな現象で、長い不況の入り口になりました。バブル崩壊は、投資家や不動産のオーナーだけでなく、企業経営者から会社員にまで広く影響を与えました。バブル崩壊に至るまでの歴史を振り返ります。
バブル崩壊の「バブル」とは泡のこと。泡のような急速な好景気と一瞬ではじけ飛ぶ様子を「バブル景気」と呼びます。日本がバブル景気に入るのは、1980年代後半のことです。
1985年9月、アメリカの貿易赤字を改正するために、先進国5カ国での「プラザ合意」がされました。合意内容は、アメリカの製造業を守る円高ドル安の路線。これを受けて市場は急激な円高になり、それまで順調だった日本経済は、不況に陥りました。
そこで、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行することになり、結果としては企業・個人にお金が余る状況を作り出します。余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、株価は急激に上昇し、土地の価格も高騰しました。いわゆるバブル景気の状態と言えます。
バブル景気は長く続くことはなく崩壊しました。直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。
株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った総量規制です。銀行の不動産融資を実質的に制限する政策でした。総量規制が実施されると、まもなく地価は下がりそれとともに、バブル景気は終焉を迎えました。
総量規制が出されていたのは、1990年から1991年までの1年3カ月間のみです。しかし、この政策は、政府・大蔵省が予想していた以上の結果を招きました。それが「土地神話」の崩壊と90年代後半以降のデフレ経済です。まさに「失われた20年」の原因となった政策でした。
1980年代前半生まれなんだけど、小学校中学年の頃にバブル崩壊して、そこからやたら世の中やれ不景気だ、やれ不良債権だ、やれ就職氷河期だって言い出すようになって、山一も潰れて、銀行もどんどん統廃合していって、なんかもうその頃からずっと今もずっと日本って不景気なんだなって思ってる。
大学に進学した頃には「失われた10年」って言われるようになって、気づいたらそれが20年になり、30年になり、どこまで続くんだろうって眺めてる。
途中ITバブルとかあったらしいけど、全然実感ない。アベノミクスとかも自分の周囲で実感のあるやつは皆無だったろう。
今後も少子高齢社会で日本はどんどん元気なくなっていくんだろうなって思ってる。
違うな、元気がいい日本を想像できない、と言った方が正しいな。
ただ、ゲームの進化と共に成長できたのはいい時代に生まれたと思ってる。ファミコンからスーファミ、ゲームボーイ、プレステ、Wii、DSとかメジャーなハードは一通り触った。今はPS5をしてるけど、映像の進化や操作性の向上、物語の作り込み具合の進歩は凄まじいものがある。
頭の片隅には常に仕事のことがこびりつき、週末であっても業務内容について考えてしまう。
考えない時間を強制的に作り、精神を休めるためには寝るしかない。そして寝るだけの週末ばかりを過ごす。
心の底から楽しい休暇を過ごすためには、日本から時差のある国に行かないと休めない。
自己責任だ。それは知ってる。
社畜だな、その通り。
今の状況が好きなんだろう?そうだね、とドヤ顔で答えられる。
海外旅行に行けるほど給料もらってるんだろう?と言われたら、まあ。というところ。
多分な事件事案解決への祭り感に乗りたい欲を満たし、自己犠牲精神を捧げ、外資企業に所属をするか業務として請け負っている時は
時差を乗り越えないとならない業務にどっぷり浸かりながらいわゆるWeb/IT業界を中心に転々としもう20年以上。
その間、9.11、2018年には初回のドットコム・バブル崩壊、3.11、コロナのパンデミック、ウクライナ紛争、日本元首相の銃撃事件
雇用体系や所属企業が変わっても一貫して24時間365日正常に動いて当たり前のサービスまたは製品を担当しているので
世情にも社内政治にも社内の状況にも全力で振り回される。
気分的にはジェットコースターに乗っているというより、一分一秒途切れず水もなしに高速で脱水している洗濯槽に生身のまま放り込まれている気分。
関内や桜木町あたりはみなとみらいと言って、ウォーターフロント開発が計画的、持続的に進められているから。開発はバブル崩壊前から始まって、万博が起爆剤となり、バブル崩壊で一時停滞したが、その後も延々と続いている。
そもそも海辺は人を惹きつける。みなとみらいの場合、そこに歴史的経緯と環境デザイン的意図が加わって、いっそう人が集まるようになっている。
・官公庁が所在することからビジネス街として発展しやすい素地がある。
・このエリアに官公庁が所在するのは経路依存的で、文明開化以降、日本が外国と交流を持つための玄関口だった名残り。
・歴史的建造物はリノベーションされ、観光資源として街の発展に一役買っている。