はてなキーワード: 眠るとは
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
GL:これ
ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念(もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分のステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。
BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画や少女小説を摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別な名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。
その後、オタクとして成長すると共に、だんだんと百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。
覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネの女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。
自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家の小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係。女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛、嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち。
そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。
そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係は友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸の小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。
タイトル | 蛇行する川のほとり |
作者 | 恩田陸 |
本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天で彼女が主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女の過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女は大人になる。
本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人と子供の奇跡の狭間をうつろう毬子、過去を持たない完成された香澄、彼女の相棒で天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさない香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件がきっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。
本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄と芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手が香澄で良かったと思っている。
門外漢の自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄の肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。
ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。
同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生の恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄と芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。
物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあんな事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去の事件に因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。
この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしかし自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友の彼女だからこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。
香澄と芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生の親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
目次
タイトル | シェーラひめのぼうけん |
作者 | 村山早紀 |
挿絵 | 佐竹美帆 |
筆者と同世代か、もう少し下ならば読んだことがあるかもしれない児童文学。たぶん、自分の記憶の最も深くにある恋愛観についての思い出は、このシリーズのとあるシーン。
当時、筆者はたぶんまだ小学生。隣町の図書館に足しげく通う図書館っ子でまだまだ児童向け書架の常連だった頃だと思う。ローワンシリーズや、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの魔法使いシリーズやハウルの動く城シリーズなどにハマっていた。佐竹美帆さんの挿絵が好きだったので、シェーラひめのぼうけんを手にとったのも、挿絵繋がりだったかもしれない(正直まったく覚えていない)。その中で、胸に響くロマンス表現に出会った。
シェーラひめのぼうけんは、主人公の少女シェーラが幼馴染でお供で子分の少年ファリードを怪力で振り回しながら、大人でも解決が難しい問題を剛腕で切り開いていくような物語。世界のあちこちへ旅をして、仲間たちとワクワクドキドキの冒険をしながら、悪い魔術師に石にされてしまった故郷の王国を復活させる方法を探し出すシェーラたちの話が紡がれる。
恋愛表現に疎かった当時の自分にとって、魔法が使えるけどひ弱なファリードがひめさまとシェーラを慕い、シェーラは幼馴染の兄貴分として彼の面倒を見るという二人の関係性は友情のものとして好ましく感じられた。もちろん男女の恋愛はちびっこが見るディズニー映画の中でも散々と描写されていたので、なんか男の子と女の子は仲良くなったらキスするんだ〜程度の認識はあった。だけどそれは「そうなるもの」であり、自分の中で情緒に紐づいて腑に落ちる描写ではなかった。だから、当時は恋愛でキャッキャするよりも、男女の友情関係の方がずっと自然に思えていた。ウブなボーイだったからね。(今から考えたら、ハイルとミリアム辺りとかは恋愛描写があった気がするけど)。
そんな中で胸がドキッとするような出会いがあったのが、最終巻近く。記憶だけを頼りに書いているので、間違っているかもしれないけど、確か、最終巻の一つ前の巻で、それまで一緒に旅をしてきたファリードが、実はシェーラの王国を崩壊に導いた邪悪な魔法使いの血筋で、彼もその強大で忌まわしき力を宿していると判明する展開がある。この時、確か、ファリードが敬愛するひめさまをその力で傷つけてしまい、自分の力に絶望して力を開放してドラゴンとなって空の彼方へ消え去ろうとするけど、当のひめさまからあなたが必要だと説得され、再び仲間になる的なエピソードがあった(はず)。
シェーラの目の前でドラゴンから人間の姿に戻った幼馴染のファリード。旅に出る前は少女の自分より身体が小さくてひょろひょろしていたのに、旅の終わりに近づいた今では、自分の方が彼を見上げるくらいに彼が成長していたことに気が付く。その時、シェーラのなかで、ファリードが頼りなくて守ってあげなければならない幼馴染ではなくなった……的な描写がある(ったはず)。
これがクリーンヒットだった。ここで以後の人生に永劫に刻まれる体格差萌えを発症してしまった。挿絵があったかは忘れたけど、自分の心の奥底には、ファリードと彼を見上げるシェーラの二人の姿が佐竹絵で深く刻まれている。
その後、図書館のティーンズコーナーで少女小説(主に小林深雪先生)にハマったり、同時進行で大人向けの棚の新宿鮫などのサスペンスやあとがきでいつも自作を傑作と書く夢枕獏の作品(闇狩り師とか陰陽師)を開拓していったりした。
実はシェーラひめのぼうけん2は途中までしか読んでいなんだよな〜。これを書いている今、サウードおじさまの便利キャラっぷりを最後まで確かめたくなってきてしまった。
最近なぜか中々寝付けなくて手持ち無沙汰にスマホを眺め続け うっかりこのエントリを見つけたそこのお前 そう、お前だ
明日も仕事があるくせに寝付けないからとか言ってダラダラスマホを眺めてこんな新着エントリをわざわざ開いてるそこのお前だ
早く寝ないとどうせ明日になって後悔する事は お前も分かっている事だろう
だからな 2つでいい 試してみて欲しいことがある
①足を暖めろ
いいか 最近急に猛暑になって 日中は勿論だがお前は夜中もエアコンをつけっぱなしで寝ているはずだ
(逆にエアコンをつけていないのなら熱中症で死ぬから今すぐつけろ ニュースの主役になりたくないのならな いいな?)
当然だが エアコンは体を冷やす機械だ 部屋が暑すぎて寝苦しいなんてことはなくなるだろう
だがな それじゃダメなんだ
本来眠気ってのは 日中の高い体温から夜中の低い体温に移り変わることで「眠気」が来て そして「交感神経」から「副交感神経」に切り替り体が眠るモードになるんだ
どういう事かって?
つまりな 日中も夜中もエアコンの冷気にキンキンに冷やされた体じゃ眠るモードにならないんだよ
だが先に書いた通りエアコンをつけて冷やさないと熱中症で死ぬだろ
だからな 足を暖めろ
それでもうるさく言うなら養命酒のホームページに書いてある 詳しくはそこを読め
ああそうだ、お前の家には布団乾燥機はあるか?
それでタオルケットを軽く温めてから足元にかけてみろ そのうち眠くなるぞ
勿論スマホは見るなよ
つまるところ子守唄だ
まあ別にいい 騙されたと思ってやってみてくれ
この検索キーワードで検索すると「〜㎐のヒーリングミュージック」みたいなのが出るはずだ
それを流して目を瞑れ そして体から力を抜いてなるべく頭を空っぽにしろ 5分でいい
大体それで眠れる
「ジ◯リの癒しのオルゴール」みたいなのは聞くなよ あれは何の意味もねえ ただスマホのバッテリーを徒に浪費するだけだ
おっと iPhoneのやつは時計アプリを開いて「タイマー」の項目からいい感じに時間を設定し タイマー終了時の設定を「再生停止」にするのを忘れるな スマホのバッテリーに優しくな
③とにかく目を瞑る
最初に2つって言ったが、嘘だ すまねえ
いいか 寝られないならそれはそれで仕方ないんだ
睡眠改善の為に たとえば日中運動でもして体を疲れさせるとか、もしくは睡眠薬でも貰えばいい
だが 今のお前に必要なのは明日を乗り切るための最低限の体力回復方法だ
だからな、目を瞑れ
それだけでも疲れは多少マシになる
言っとくが 眠らなきゃとか思わなくていいぞ
目を瞑るだけでいいんだ
目を瞑る、それだけでお前は100点だ いいな?
ここまで読んでくれてありがとうな
お前が心地よく寝付けるように願ってるよ、おやすみ
あとな ここまで読んでまだ布団に横になったまま他のエントリを閲覧しようとしてるそこのお前
奇声上げながらでもいい 無理矢理にでも起き上がって実行してみるんだ
自分では7〜8時間で十分だと思ってても、実はロングスリーパーの可能性があるから、なんとか時間作って1週間(できれば1ヶ月くらい)9〜10時間くらい限界まで眠るの試してみてほしい
とある人気バラエティ番組内のミニゲームの景品としてよく登場した。
その番組は今も放送中だが、ミニゲームじたいはもう行われていない。コーナーがなくなったのである。
そのミニゲームは、トランプの神経衰弱の要領で、伏せられたパネル(景品写真が隠されている)の中から任意の2枚を開き、同じパネルを引き当てるとその景品を獲得できるという趣向だった。
海外旅行や家電、日用品などさまざまなものが景品として供されたが、そのうちのひとつがYES/NO枕だった。
旅行や家電などに比べれば安価なので、ゲーム内では「スカ」に近い扱いだったと思う。
私は子供の頃、このYES/NO枕のデザインの本当の意味をまったく理解していなかった。
YES/NOは単なるデザインで、それはIN/OUTでもUP/DOWNでもONE/TWOでも別に構わない程度のものだと考えていた。
しかし結婚した今、私はYES/NO枕の意味をはっきりと悟った。
もちろんこれを読んでいる人々も全員わかっていることだろう。夜の営みの可否を意思表示するためのYES/NOであることを。
が、可否の意思表示がこれほど微妙で切実なものだとは、結婚するまで理解していなかった。表層的には理解していても、深い理解に達していなかったのである。
結婚する前はそれぞれ違う家に住み、営むのはデートの時だけだ。というか、デートする日は必ず営むし、むしろそのためにデートしていた。日中のデートは夜の営みに向けた長く穏やかな前戯と言えた。
しかし、結婚して毎日毎晩同じベッドで眠るようになると、営みはあの渇望や高まりとは無縁のものになる。日常になるのだ。
だが、妊活しているのでもなければ、そう毎日がんばって行うようなものでもない。
むしろ、インターバルを空けて互いに渇望感を高め、互いに気力体力ともに充実したタイミングで行いたい。そう思うようになった。
するとこれがなかなかうまくいかないのだ。
まず、ふたりのタイミングがなかなか一致しない。両者ともにしたくてたまらない状態で臨みたいのに、なかなかその条件が訪れない。
そして意思表示もまた難しい。
どうしても照れや遠慮があるし、なにより勇気を出して意思表示したのに相手にその気がなかった時の空振り感はダメージが大きく、積極的な意思表示をためらわせてしまう。
なので、意思表示をよりカジュアルに日常的に行えるようにしてくれるYES/NO枕はとても重宝なのだ、というのが結婚してからの気づき。
民法724条後段の除斥期間20年は、健康管理支援士のざちゃんもたまに、2で除した数とか、20で除した数で計算すると書いていたので除斥期間であろうとは思うが
平成元年11月22日最高裁判決の言っていることは、3年の時効消滅には立法者が説明する色々な趣旨があるとか、20年は、弱い除斥期間であるとか難しいことが
書いているので分からないが私の感想では、709条の損害賠償請求権の消滅を全うしようという一般的な規定でどれくらいハイレベルな規定かといってもコンメンタールとかにしか
書いてないと思うし、権利の上に眠る者は保護しないことを原則とし、後段は法的安定性のために、20年で除するというようなことで趣旨が違う。除斥と言うのは、法律関係が安定しないから
省くという意味であり、
消滅時効という概念は民法総則の100条以下のどこかの規定で定めている、物権等が、20年の消滅時効にかかる、というもので、この20年で権利が消滅するというのは、
権利の上に眠る者は許さない、とか、奨学金を払っているのに家賃を払っているからずっと家にいた方がよくない?といった怠惰を許さないという趣旨から、権利があっても20年も
行使しなければ行使していない時点でクズだよねという判断から権利を消滅させる規定である。これに対して、民法724条後段の20年の除斥期間は、法律関係の速やかな確定
という趣旨で、消滅時効とは、法的趣旨が異なる。 法律関係の速やかな確定というのは、法律は元々、社会的な法的安定性を目的にしているので、20年で区切って決め打ちをして
ひねくれた見方をしますと「故人の冥福を祈ります」ということは「死後の暗闇の世界で迷っているあなたが、幸せになれますように」という意味になります。
浄土真宗では阿弥陀仏より「必ず救うぞ」「浄土に生まれさせてさとりを得させるぞ」という呼びかけがあり、それに順ってお念仏を称えます。
そのような方に向かって「あなたが暗闇の世界に生まれてしまったかもしれない」と心配して祈ることはかえって失礼にあたるのではないでしょうか。
故人の死後の幸福を祈るということは追善供養ということになります。
簡単に説明すると、善い行いをして功徳を積み、それを故人へと回向して(分け与えて)救うということです。
浄土真宗では煩悩まみれの私たちにそれは不可能であると考えます。
また、親鸞聖人は『正信念仏偈』の中で阿弥陀仏の徳を「無礙光」(何ものにもさえぎられることのない光)と讃えられています。
ガリガリノリアキからビーチでいい身体してるっすねって声かけられる程度にはなったワイの経験談として
1.飲む
食えないなら飲めばええねん。
プロテインとマルトデキストリン混ぜたドリンクを適当なタイミングで摂取する。
量は任せるけどプロテイン20gデキストリン30g入れるだけで200kcalを1杯で摂取できる。
朝昼晩1杯ずつ飲むだけで+600kcal。激アツ。
プロテインはいろんな味あるので味にうるさい元増田でも気に入る味があるだろう知らんけど。
更に効果を狙うならMCTオイルみたいな無味無臭で身体に悪くない油足すのもオススメ。
2.筋トレする
筋トレガッツリするとお腹空いてなんか食べようって気持ちになるので筋トレはしよう。
3.よく眠る
寝る子は育つって言うしね。
4.意識を高める
別にそんなお腹空いてる感じもしないしな~と思ったとしても朝昼晩とりあえず飯を食う意識を高める。
体内で一番拡縮する臓器と言われるだけあって、食わなければ食わないだけ胃は縮む。
逆に言えば毎日毎日それなりに突っ込んどけばジワジワ広がっていく。
5.いろんな食べ物を試してみる
これだったら食えるなって食べ物を試してみる。
俺はニチレイのエビピラフだったら食えたので一時期3食それ食ってた。