はてなキーワード: 小学生とは
私は頭が悪い。しかし新聞を読む習慣がある家で育ったおかげで、一人暮らしを始めてからもしばらく紙の新聞をとっていた。大学時代はわからないなりに読んで、わからないところを調べた。就職して日経に変えた。とりあえずトップニュースと業界や顧客に関係するところだけ読んだ。そのうち仕事が忙しくなって、電子版になり、NewsPicksに移行し、最終的にはYahooニュースまでになった。
その後、職場の色々でまあメンタルがやられ、過労で寝れず、新聞をはじめ本や記事や文字を読むことがキツくなり、動画が見れなくなり、けれどなんとか社会の知識は入れなければとNHKのラジオニュースだけをただ流し続ける(ただし頭には入ってない)状態が続いた。三ヶ月の休職を挟み、一念発起で転職した。給料も仕事のレベルも下がり、退屈ささえ感じるけれど(前の仕事自体は楽しかった)、割と穏やかな人たちに囲まれて定時で帰れるようになった。嫌味な人やモラハラ気味の人はいるが、少なくとも人を狂ったように怒鳴り続ける役員も、暇さえあればマウントと嫌がらせに精を出すお局もいない。悪口と噂話をするためだけに呼び出す人間もいない。それがこんなにも心と身体を回復させるものだとは思わなかった。
それで、本当に久々に「新聞を読みたい」という気持ちになった。とはいえもうすっかりブランクがあり、そもそも元々頭が悪い自分にとって、いきなり普通の新聞はキツすぎる気がする。読売KODOMO新聞とか、朝日中高生新聞とか、そういうのからやり直すかと思って見本記事を読んだけど、それは少しだけ物足りなかった。やはり適切なのは日経だろうと思った。電子版だ。初心にかえって、昔のように「わからなければ調べる」を繰り返せばいいと思った。それくらいに心と頭に余裕ができていた。
読み始めたら一面から全くわからなかった。「〇〇が進めば××になる懸念がある」と書かれていても、その文字は読めるが、なぜそうなるかがわからない。それでも日経は進んでいく。「〇〇は××と関連し〜〜になる」いや、なんで?が続いていく。結局総合3の途中まで読んでリタイアした。いくら休んでいたとはいえ、三十歳をすぎてこの状態ってまずいんじゃないかと本気で焦った。要はみんなが説明せずとも理解できる常識がないのだ。どうすればわかるんだ。いきなり100%理解するのは無理でも、なんとか記事の概要だけでも理解したい。あと、自分の疑問を解決したい。
そこでchatGPTに文章を投げた。まるっと投げるというよりは、とにかくわからないところを質問する形で投げた。なんで移民政策を強化すると建設費高騰するの、とか。恥ずかしながらそのレベルなのだ。chatGPTは優秀なのでめちゃくちゃ簡潔かつ丁寧に答えてくれる。その答えすらわからなければ、さらにそれを引用して質問する。もちろんリアルタイムの政権の動きとかを答えるのは向いてないけど、政策の一般的なこととかは回答してもらえる。シンプルに助かる。
chatGPTのおかげで、新聞を読めている。わからないことがあったらすぐに質問できる。小学生になった気分だ。恥ずかしいけど、なるほどと腹落ちした状態で次の文を読める快適さには変えられない。ありがとうchatGPT。
子供が熱を出して早退したりする時に、「仕事の代わりはいくらでもいるけど、親の代わりはいないんだから」って言われるとモヤモヤする。
大前提として、この言葉は育児しながら仕事してる人間に対して最大限の配慮を伴ったものであり、感謝してるし、言った本人にとやかく言う気は全くない。
でも、モヤモヤする。それって「私はあなたの子供の『親の代わり』はしませんよ」という表明じゃないか。
なんとなく、私はうす〜〜〜〜く広く、全ての人の親でありたい、という気持ちがあるんだと思う。
この気持ちは、めちゃくちゃな家庭環境で育ったことが起因していると思う。
いろんな人が、薄く広く「親の代わり」をしてくれた。
小学生の頃、私の家の状況を心配して優しく見守ってくれていた友達のお母さん。
高校の頃、保健室に入り浸っていた私の話を聞いてくれた保健の先生。
新卒の頃、どうしようもない新人だった私を育ててくれた周りの人たち。
親が教えてくれなかったこと、教えられなかったことをいろんな人から学んだ。
それでなんとか今、こうして社会的な生活を送ることができている。そういう気持ちがある。
だから「親の代わりはいない」という表現に納得ができないし、逆に「仕事の代わりはいくらでもいる」というのも、しっくりこない。たぶん仕事で関わる人に対しても「薄く広く親」の意識なんだろう。今この人のプラスになるために何ができるか、考えて仕事しているから、「代わりがいる」と言われると残念なのだ。
新卒で挫折して休職中、全部自分のせいにしたら頭がおかしくなりそうだったから、毎日8時間他責をしていた。
小さい頃に虐待を受けて、義務教育も不登校で、なんとか資格をとって社会に出ても、求められる仕事はできなかった。
人一倍早く出勤した、残業した、家でも勉強をした、でもその場でパニックになり水の泡。
最初は親切にしてくれていた同僚からも、あの人は障害者じゃないかと噂をされた。
噂が広まってからは問題なく出来ていた業務も疑いの目で見られ始め、見張られていると感じて緊張でさらにミスが増えた。
こんな育ちで障害かもしれない自分が何を言っても信用がないだろうと自分が一番分かっていたので、何も言えずただ謝り、次からはこうこうして気をつけます…!と反省までした。
大人なのに、ありがとうとごめんなさいくらいしか出来る事がない。
努力しても要領の悪さと一度抱かれた不信感は埋められず、周りに迷惑をかけてしまった。
一年半で辞めた。
障害の事を調べる内に、自分を虐待して出て行った母親も発達障害だったんじゃないかと疑った。(あらゆる特徴が一致していた為)
その時に、堰き止めていた思いが一気に崩れた。
母親自身も両親に虐待を受けていたから、繰り返してしまっても仕方ない。
人より出来る事が少ないのも全部自分のせいだ。
親の事は関係ない、自分がとにかく頑張れば、普通の人生になるはずだーーーと思って
信じて生きてきたのに。
今まで困ってきた事は全部親のせいだったのか。
生まれた時から頭が変だったんだ、だから頑張っても上手くいかなかったんだ…今からどうやっても、障害だったら治らないじゃん…
絶望。
産むな!!!!
学もない貧乏が、被虐待児が、障害者が、責任とれない奴が、産むなよ。
中出しセックスして、結婚出産を自分が何者かになるための道具にして。
子どもに障害なすりつけて、虐待連鎖で自己肯定感までめちゃくちゃにして。
まともに1人育てられないのに兄弟がいないと将来可哀想〜!って偽善で兄弟ポンポン産んで結局逃げて。
自分の人生を彩るために産んだり、病気や障害の可能性を深く考えずに産む人間が全員、気持ち悪くなった。
だんだん自分の事を飛び越えて、虐待やヤングケアラーの問題、遺伝する病気や障害、兄弟児の苦悩、いじめ、貧困、戦争、性犯罪がある世界に産む人間達、ニュースやSNSで話題を見るたびに心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて全て許せなくなった。
どんどん自他の境界がなくなって、もう人間自体が居なきゃいいとすら思った。もっと少子化になって滅亡したらいい。優生保護法が続いていれば自分は生まれずに済んだのかもしれない。安楽死の制度が出来て辛い人がどんどんいなくなったらいい。
死のうとしても直前で怖くて死ねなくて、失敗して余計に苦しむのも怖かった。
こっちは産んでくれと頼んでない、親が勝手に産んだのに、自分で本能的な死の恐怖に打ち勝たないと死ねない。
産みたい人が産む自由は尊重され賞賛され、自殺は非難される、楽に死ぬ手段もない。
怒りの行き場がなくSNSで毒親を叩き、レスバに時間をついやした、同じ思想の人からいいねをされて一瞬スッキリした。
自分の主張は正しいと思って、スッキリしたはずなのに、それを繰り返すたびにさらに自分の存在が気持ち悪くなって自分以外も全員気持ち悪くなって、苦しくて苦しくてたまらなかった。
それでも街中で知らない人とちょっと話したりお礼を言い合ったり、そんな事が不思議とうれしかった。
バイトして仕事覚えようと悩んでいる方がまだましだし、たまに感謝されたら普通にうれしかった。
(まぁスキルなしの障害者でも出来る仕事ってなったら毎日ゲロとかマナーおかしい人糞掃除するしかなくて、よく変な人にも話しかけられてキツくてやめてしまったけど。そんな仕事に同性の若者1人もいないし、たしかにもし健常者だったらこの仕事しないわ!ガハハ!ってまた落ち込んだ)
脱線したけど、結局あんなに社会が許せなかったのに実際に顔が見える人と会った時には、今生きてるみんなが幸せだったらいいなと思ってしまった。
親子を見ても文句を言いたくはならず、障害者やホームレスの様な社会貢献度が低そうな人を見ても、この人も死にたいだろうなーと勝手に決めつけたり、その人を産んだ人を責め立てようとは思えなかった、もし目の前で死のうとしてる人がいたら普通に心配になるとも思う。
結局は他人が許せないんじゃなくて、自分が自分の存在を許せなくて苦しかった。
人に傷つけられても、相手がそうした背景を思うと文句を言えない、その人なりにそうした理由があったと思うと責められない。
だからしばらくして親に会った時も、何も怒れなかったよ。
絶対許さないし、心を傷つけてやる!と思っていたのに、泣いて謝られてたら不思議と笑って許してしまった。
母親が受けた虐待を話されても、ただひたすら酷いね、辛かったねと聴いていた。
こっちの方が泣きたかったけど。
でも自分自身の存在を許したいから、形だけでも親を許す事にした。許さずに傷付ける事を言っても、またスッキリするのは一瞬だろう。
自分が追い詰められて苦しかったのに人を追い詰めるなんて、もっと自分が嫌いになりそうだった。
思えば親にも社会にも認められなかったけど、優しい人だとか真面目だとか褒められた事だけはあった。それがあったからこそ、人に優しく真面目に頑張れば大丈夫!と根拠のない希望を持てていたんだと思う。
自分の中で唯一認められた長所を捨ててまで親や他人を責めても、考え方を変えさせるなんて出来やしない。誰に理解されたって苦しさは消えないし、自分が生まれなかった世界線になんて行けない。
どうせ死ぬ勇気もないなら、せめて人に好かれる行動だけとってた方がお得だと決めた。
たとえ社会に不必要でも、そのマイナスを優しいとか良い人だとかで0.1でも誤魔化せるならそうするしかない。捻くれ障害者なのに最低限のマナーや愛嬌まで捨てたら最悪のまま終わりだ。
自分の為に生きれなくても、現実にいる目の前の人に喜ばれる事があるならやっていこう。
弱者の立場や優しさを都合良く搾取されるかもしれないけど、単に褒められたら気持ちがいいから、人生気持ち悪くならないで済むわ。
シンプルに目の前の人にありがたがられたいよねー!生きる意味あるじゃんって一瞬錯覚できるから!偽善最高ー!
※他責を辞めようという内容では無いです。
自分も苦しかった時はそうしないと生きれなかった。今も気にしない様にした気でいても、具合が悪い時は心の中で他責に逆戻りしているから。人はそう簡単に変わらない。
※産み育てる事に様々な懸念や責任が伴うという意見を訴える事は意味ある事なので、正しく反出生を訴えている方の非難ではありません。
夫側だけど、「今ならナマでできるよ」って誘われてしばらくしてた。でも中の赤ちゃんにどんな影響あるかわからないから不安半分だったな。
お腹が大きくなってからは「口でしようか?」って言ってくれた。
子どもはもう小学生だけど今でも夫婦円満。「女は〇〇歳からよくなる」とかってほんとみたいで、最近は妻のほうが乗り気。
と言ってものほほんと円満でいられたわけじゃなくて、子育て期間は戦場のようだった。おれもめちゃくちゃがんばった。戦友として一緒に乗り越えたから円満なんだと思う。
そうなんだよ。反対意見と危惧がまるで流れてこないのがとても怖い。この話って現時点の点でしか見てないけど線で見た時になにかがすごく変容しちゃうような気がする。今の小学生の動画学習と同じで、理屈ではわかるけどそれやったらダメだったんだな、ってことってあるでしょ。日本の歴史学者とかに、姓が変わることで100年後何が変容するか聞いてみたい。EUとか先行事例はあるけど日本とは違う前提だし。
アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並みな結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん(実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。
自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
この日記のタイトルは、少し前にTwitterで話題になった「はてな匿名ダイアリー」から頂いたものである。
https://anond.hatelabo.jp/20241021131553
なぜこの日記が話題になったかというと、内容が「嘘くさい」、「弱者男性を装った女が書いたに違いない」と多くの人が感じたからで、いわゆる炎上に近い形でTwitter上で議論が白熱した。
私も当該日記をよく読んでみたのだが、確かに「女性が書いた」ということもさもありなんといった印象だった。というのも、自分自身も過去は「弱者男性」であったが、色々と経験を積み、今は結婚もできているというステータスで、まさにタイトルの当事者であったからだ。
そこで、(元の日記の真偽はさておき)タイトルの当事者を自覚している筆者が、「弱者男性としての恋愛観」を綴ってみるとどんな感じの文章になるのかやってみた、というのがこの日記の目的である。この日記をたまたま見つけてくださった皆さんも、ちょっとした実験に付き合うつもりで読んでいただけると幸いである。
そもそも「弱者男性」は最近出てきたネットスラングで、色々と定義があるだろうが、ここではめんどくさい話に踏み込まず、弱者男性を単純に「モテない男性」、いわゆる「恋愛市場における弱者」と定義することとする。
自分はその意味で、過去はバリバリの弱者男性であり、ともかくモテなかった。詳しいことは後述するのだが、高校卒業まで女子と話したことはほとんどなく、当然彼女が出来たり、バレンタインチョコをもらったりなんてことは経験したことがなかった。
自分なりにモテなかった理由を分析してみると、至極単純な2つのことに集約される。
①顔が悪い
①に関して、やはり顔が悪いのは大きかったと思う。恋愛において「顔」の良し悪しは世間で言われているよりもずっとずっと重要な要因だと感じる。イケメンに生まれていたら、恋愛における立ち回りも大きく違っていただろう。ただ、このことをうだうだ言っても仕方がないので、次に行くとしよう。
②に関しては自分の家庭内環境が大きかったと思う。自分の家族構成は、父母、自分と弟の4人家族で、家庭内に母親を除くと男しかいない。なので、昔は女子が普段どんなことを考えて生活しているか、どんなことが好きなのか、全くわからなかった(実は今でもよくわかっていない)。これは女子と恋愛していくうえで、大きなハンデだったと感じる。
前述のように、男兄弟で育ち女子が何を考えているか全く分からない自分は、モテるモテない以前に「女友達」というものすら全く作れずに育った。
小学生の頃に自分が好きだったものと言えば、ドラクエ、ガンプラ、カードゲームなどであり(あまり特定すると年がバレそう)、友達になるきっかけとして、「あのゲーム好き?」「君もガンダム好きなの?」みたいなアプローチ法は知っていたが、逆に言うとそれ以外の術を全く知らなかった。よって、必然的に女子とどんな話をすればいいか分からず、全く女子と話さない学校生活をつづけた。
小学校のころまではそれでも特にストレスを感じずに来られていたが、中学に上がるとそうもいかなかった。自分も思春期真っ只中になって女子への関心と性欲が出てきたし、何よりもクラスの中の会話がほぼ恋バナになり、「誰と誰がやった/やらない」という噂が飛び交うようになっていた。
そんな中で自分は相変わらず女子と話す方法が分からずにいたので、どんどん自信がなくなり卑屈になっていった。そのオドオドした態度が女子にも伝わっていたのか、徐々に女子から嫌われているのを感じるようになり、覚えているのは、罰ゲームで女子が「自分と握手する」というのをやっていたことだ(まあこれくらいは弱者男性あるあるだよね)。
さらに、この頃から女子に対するヘイトも強まっていった。上記のようなひどい扱いをされたこともあるのだが、それ以上に、自分が行っていた中学はいわゆる「スクールカースト」が強くあり、「ヤンキーしか女子と話せない空気感」が強くあった。このころ女子と話したことがないので噂の情報しかないのだが、どうやら「クラスの可愛い子がヤンキーと付き合ってひどい目にあったらしい」みたいな情報だけはたくさん入ってきた。そのことから、「女子はヤンキーしか好きにならない」=「女子はバカだ」という考えが自分の中で熟成されていった。
しかし、なんせ思春期真っ只中なので(というか男の生理として)、女子にはめちゃくちゃ関心があったし、性欲も人一倍強かった。よって、「女子は嫌いだけど、女体には(死ぬほど)触れたい」という思春期のベタな感情を抱いて悶々とした日々を送っていた。
そんなこんなで中学生活を過ごしていたが、高校進学のタイミングで希望の共学の高校に落ちて、不本意ながら男子校に通うことになった。
高校では当然学校内に男子しかいないので、中学時代のような自己矛盾からくるストレスは減っていったが、女子と話す経験、恋愛する経験は一向に積まれないまま、18歳を迎えた。
高校生活は特に楽しいこともつらいこともなく、学校に行って帰るだけの生活で、よく言えば非常に穏やかな日々だった。ただ、3年次の受験勉強だけはそこそこ頑張って、何とか第一志望群の大学に合格できた。
自分が行っていた大学はいわゆる私立文系のマンモス大学で、当然可愛い女子もたくさんいた。中学時代の女子ヘイトを経て、高校三年間男子校という監獄に閉じ込められた自分には刺激が強すぎる環境だった。しかし女子と話す経験値が致命的に足りていないので、入学後の3か月くらいは、昔と同じで女子を遠ざけるような生活を送っていた。
転機となったのは、英語のクラスで好きな人ができたことである(思えば初恋だったかもしれない)。その時、男友達はそこそこ出来ていたので、親切にも色んな人が恋愛テクを教えてくれた。どうやらメール(その時にLINEはなかった、また年がバレそう)をこまめにやって、頃合いを見て二人でご飯に誘うのがいい、という今考えれば当たり前の恋愛プロセスもその時はじめて知った。
またその友達が他の女子と自分を繋いでくれて、恋愛相談をするという形で、女友達を何人か作ることができた。この頃には、「女子とどんな話をすればいいか」がなんとなくわかるようになっていた。
ただ、肝心な好きになった子とは全くうまくいかず、それもそのはずで、その子には既に彼氏がいて分かれる気配もなかった。しかし恋愛というものを全く分かっていなかった自分は「彼氏がいても好きなら諦めないのが純愛だろ!」などと痛いことを考えていて、ちょこちょことアプローチを続けていた。
(AKBの歌詞みたいだね。好きって気持ちが大事なんだーって。さすが秋元康は童貞の気持ちをよくわかっている)
ただまあ当然うまくいくわけもなく、早まって告白をし、あえなく振られた。そんな感じで傷心状態が1~2か月続いたが、そのタイミングで同じサークルのある女の子と仲良くなった。
その子は正直言ってあまりタイプではなかったが、傷心を癒してくれたし、何よりなんだか付き合えそうな雰囲気があった。そこでやりたい気持ち半分、癒してほしい気持ち半分でなし崩し的に告白をして付き合うことになった。
後から振り返って思うのは、やはりn=1でも女子と付き合ったことがあるかないかはとても重要で、一人の女性からでもその生態を深く知ることができた。
そこからの話はあまり面白くないので詳細は省くが、人並みに大学生らしい恋愛をした後、別れたりくっついたりして、やがてそれも終わり、その後新しい彼女が出来たりして…といった感じで、徐々に「弱者男性」だった自分は薄まっていった。
ここで、弱者男性だった頃の、下手で、精神的に未熟で、痛くて、という恋愛観を経て、今思うことを綴ってみる。
まず、弱者男性になるきっかけは、ほとんどの場合、先天的なものと家庭環境だとおもう。冒頭にも述べたが、イケメンに生まれて弱者男性になる人は少ないだろう。あとこれも経験則でしかないが、家庭内に女兄弟がいたら弱者男性になる確率はぐっと低くなるだろう。
次に、弱者男性から抜け出す方法は、月並みだが女子と接する「経験」をともかくつむしかない。なので、今自分が弱者男性であると自覚していて、かつそこから抜け出したいと思っている人は、勇気をもって踏み出してみるしかない。当然傷つくことも多いし、自信を無くすかもしれないが、多くの男性がそれを乗り越えて幸せをつかんでいるのだ。こんなことを書くと精神論になって胡散臭いセミナーみたいなので、最後に具体的な方法を2つ示して、弱者男性から抜け出せる確率を少しでも上げられるように考えてみる。だれが読んでいるか分からないが、少しでも参考になれば幸いである。
恋愛において顔が重要なことは何度も述べたが、顔は整形でもしない限り変えることができない。しかし、髪型やファッションは変えることができる。今となっては、自分も他人の恋愛相談に乗ることも多いのだが、モテない人はだいたいダサい髪型とダサいファッションをしている。そういう人はたいてい我が強い。自分のこだわりが強すぎて世間の流行からかけ離れているか、もしくはすごくケチで美容院やファッションに金をかけたくないと思っている(趣味に金をかけすぎで、髪型やファッションに金を回したくない人も含む)。
そして、女子は男が思っているより何倍も外見で様々なことを判断する。男の何倍も髪型やファッションに関する関心が高く、自分が思っているよりかなり細かく髪型やファッションを見られていると思ったほうがいい。こんなことを書くと、「外見で判断する女は嫌だ」なんて反論が聞こえてきそうだが、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。流行りの髪型やファッションを雑誌やSNSで学び、カネをかけるべきである。
自分はと言うと、なぜか中学くらいからファッションにだけは関心があり、ファッション誌を読み漁り、誰に見せるわけでもないのに(高校生にしては)そこそこ高い服を買っていた。それもあってか、大学入学後は髪型やファッションに関してダサいと言われることは無かった。このことは弱者男性を抜け出すための大きな要因だったと思う。
これは、弱者男性が恋愛をすると初めに陥りがちなパターンである。つまり、好きになった女子の要望をなんでもかなえてあげたいという思考だ。
「どこ行きたいの?」「何が食べたい?」「次どうする?」。こういったことを逐一聞いていると女子は貴方のことを優しいとは思わず、むしろ「頼りない」=「魅力を感じない」となってしまうらしい。(自分もこういうことを言っていたので気持ちは痛いほどわかる…)
対策としては、デートまでの日時とデートプランはこちらである程度固めて、リードしなければならない。いちいち女子の要望を聞いていてはいけない。迷ったら、お互いの休日を合わせて、映画に行ってちょっとおしゃれなお店(頑張って調べよう)で食事をする、とかで良いと思う。面白味は無いが、女子が貴方を査定するには必要十分なセッティングだ。
いかがだっただろうか?この日記は特に推敲もせずに思いつくままに書きなぐったので、読みにくい部分もあるかもしれない。
自分もまだやっていないのだが、自分の日記と元の日記(https://anond.hatelabo.jp/20241021131553)を読み比べてみて、どのような違いがあるのか考えてみよう。
もしこの辺境の地の日記をたまたま読んでくれた人は、元日記との違いやざっくばらんな感想を教えてもらえれば幸いである。
では。
警察による容疑者射殺シーンとか乱射事件の動画が散発的に出てくる程度であまり存在感はない
あとは集団乱闘やホームレス同士の喧嘩、麻薬中毒者がバーガーショップで働いてる動画や万引き(窃盗無罪の件)など割と世相を反映している感じはある
首や四肢まで切断するのは怨恨か見せしめか脅迫か。グロ度も高いので人気コンテンツだが飽きられつつある気もする
戦争開始時はイスラエル内の動画もそれなりに見られたが最近はあまりない
犯罪者を私刑にする動画が定番。車のタイヤを首に掛けて火を放つタイヤネックレスが有名だが、やられる方があばれて外れるのでうまく機能していないことがほとんど
軍か民族的なあれなのか不明だが、戦闘で敵を殺害したあと内臓をえぐり出して食べるなどする独特の行動が見られる
ほかは謎の宗教の儀式的なもので死体を損壊・喫食するものや、事故ったガソリン輸送車に群がった連中が燃える動画が結構出てくる
プロパガンダ的なやつは綺麗に編集されておりBGMやSEまでついているがグロ度はあまり高くない
小学生ぐらいの少年兵が大人の捕虜を殺害するものはどういうわけか別格で人気がある
戦争関連以外でも暴行、事故、飛び降りなどさまざまな種類の動画がコンスタントに提供されているが
マフィアによる女性への制裁を記録したものが特徴的。内容としては雪上で脱がせる→殴る→髪を刈る→青いインクを顔や身体に塗らせるといったものでマニュアル化されている模様
ドローン対人爆撃のほか、ミサイル着弾動画、まれに塹壕内での直接戦闘動画が見られる。ほか銃撃戦は戦争開始直後に少数出回った程度
伝説のウクライナ21のフォロワーが未だにいるらしく、青少年がホームレスと思しき人々を襲撃する動画が話題になることも
そのほかには電車の屋根に乗っていて事故死するものや、なぜか電線に接触して死亡する人の動画がちょくちょく出てくる
相当強い怨恨が背後にあるのか凶暴性が高く死体の損壊程度もちょっと引くレベル
最近インドネシアを中心として、走行中のトラックの前に躍り出て停車させるチャレンジが流行っているようであり、失敗して死にましたという動画がちらほら見られる
中華包丁を用いた路上での襲撃、自動車で群衆に突撃し多数死傷せしむるもの、飲食店における事故・喧嘩、女子学生による性的ないじめ、小動物の虐待などなどバラエティに富んだコンテンツが提供され、画質が高いこともあり人気を博している
トー横で醜態をさらす若者や大久保公園の動画のほか、飛び降りや電車への飛び込みが稀に出る程度であまり存在感はない。たまにAVの一部を切り抜いたものがレイプ動画として紹介されている
選挙とか見てても「国が俺を救ってくれー」みたいなしょうもないクレクレが増えすぎてて最悪
俺は小学生のころから必死に勉強して良い大学いってと努力してきて今年収800万だ
遊びまくって仕事も真面目にやらずにお金だけもらえるなんてありえないんだよ
世の中舐めてるわ
当時小学生ですらこれは売れないって思ったもんなあ
その外国人が英語で喋りかけたら子供は英語で返答してじゃれていたんだが最近の子は本当に英語力が上がっていて…ある種騙されやすいのではと。
子どもたちも外国人と喋れるからウキウキで寄ってきて警戒心なく話していた。
だって大体みんな英語喋れないし、ここまで外国人も多くなかったので慣れていなかった。
たしかに教育で外国人を無視しろなんていうのは道徳的にもやばいと思うのだが「知らない大人に話しかけられても無視しろ。ついていくな」というのは徹底してほしいし、多分好奇心に負けて無意識的に「知らない人」枠から外国人がすっぽり抜けてしまってるのではないだろうかと思うので
【知らない大人(外国人含む)に話しかけられても無視しろ。ついていくな】
というのを徹底してほしいと思った。
海外のインフルエンサーがこの動画を上げることで日本の子供がチョロいのが世界中に広がって、被害に合う確率は上がっているとも思う。
親切な日本人ならこうする みたいな実験動画も多いが犯罪に直結する可能性も高いだろう。
あと教えておいてほしいことがもう一つある。
創作活動、とりわけ「一次創作(完全オリジナル)」の創作が趣味な人で、こんな人を見かけたことはないですか?
・キャラクター設定はあるが、肝心の「お話(本編)」がない。
・マンガや小説等の形になった「お話」は無いが、設定だけは延々と語る。
・他者が作ったオリキャラ(よその子)と絡みたがる。
今はもう見かけることは無いと思いますが、昔はこういう「キャラしか作れない創作屋」がたくさんいました。
「うちの子厨」とも呼ばれ、界隈の一部からは「痛々しい」と影で叩かれることもありました。
確かに、「創作」と言うよりかは、「ネット版お人形遊び」と言った方が正しいでしょう。
とは言えこういう人種はネット上だけの存在。
……と思われるでしょうが、現実でいました。こういう人。
ふと思い出したのでこちらに記しておきたいと思います。
心当たりがある方に読んでもらえたら幸いです。
A子と知り合ったのは、確か入学したばかりの頃、友達の紹介であったかと思います。所属する部活動を選んでいる最中の時だったか…すみません記憶があいまいです。
当時は私も恥ずかしながらマンガを描くのが趣味で、それで一度意気投合したかと。
そのA子の痛さを簡単にまとめると。
私が部活で短いマンガを描いたとき、読んでくれたはいいものの、感想は無くA子は「この後はこうした方が良い」「この案はどうですか!?」ってすごい勢いで迫られました。
描いたのはただ現代日本が部隊のほんわかな雰囲気のギャグ漫画なのですが、彼女の提案した設定は「このキャラは実は侵略のためにやってきた異世界人」「異世界を救うためにやがては主人公をその世界に連れていく」等などのトンデモ話ばかり。苦笑いするしかなかったです。
A子の設定話は帰りのバスの中でよく聞かされました。しかも同じキャラクターの同じ設定の話を。私は虫が大の苦手なんですけど、そのキャラの虫に関する設定をだらだらと話していたのは覚えています。
語り方も手をわきわき動かしながらで、今となっても本当にキモかった。
後は「このキャラは超美少女で暗い過去があって~」「このキャラは神と同等の力を持つ武器を持ってて~」と厨二病全開の設定祭りです。
異世界の話を盛りたがるあたりそういうのが好きだったんでしょうね。
A子も小説という形でキャラクターを動かしていたようですが、その話が原稿用紙1枚分程度の長さしかありませんでしたね。しかも序盤。
そんなもの読まされてもって感じなんですけど、いきなりそれ書かれた紙渡されて「読む?」って言われて…断れるわけないですよね。
突然クライマックスですが、何故そうなったのか、これから主人公はどうするのか、さっぱりわかりません。帰り道散々聞かされた設定は、どこにも記されていません。
起承転結も無い作文に「どう?」って聞いてくるものですから、何とか当たり障りのない感想を言ってあげました。
ある日A子から「合作しませんか!?」ってこれまた勢いよく言われました。
その時私は「まだ自分の作品だって満足に作れてないのに合作は難し過ぎる」といって断ったのですが…
A子は「何で?二人で考えればいいもの作れるのに!」「案を出し合った方が効率もいいですよ!」「何でダメなんですか!?」的なことをまくし立てるように言ってきて、こちらの話には聞く耳持たず。さすがにうんざりしました。
合作はしなくて済みましたが、それ以来私はA子と距離を取ることにしました。
彼女は携帯サイトを作っていました。今となっては懐かしいコンテンツですね。(彼女と交流していた同じ部活内の人が教えてくれました)
サイトを作ってようやく創作活動を本格的にやり始めたのかと思いきや。
彼女の作ったオリキャラがイマジナリーフレンドとして掛け合いをブログに投じている。
鬱々とした管理人(彼女)をイマジナリーフレンドが懸命に慰めている。
イマジナリーフレンドとは、小さい子どもが遊び相手として作る空想上の友達のことです。空想の一人遊びです。
普通であれば小学生までの子どもが楽しむもので、中学生のうちに自然消滅するものです。
初めて見ました、イマジナリーフレンドをネット上で公開するの。
彼女にとって、創作とはなんだったのか。ともかく距離置いて良かったなと心から思いました。
(現在このサイトは完全削除されていると思います)
最後にこの話、いつの頃の話だと思いましたか?
中学生?高校生?
大学生です。
18歳を超えた大学生のお話です。
冒頭で記した現実版「うちの子厨」の末路の1つです。
しかし今にして思えば、昔流行った「うちの子」文化は、「イマジナリーフレンド」と紙一重の存在だったかもしれません。
今でも「うちの子」文化を楽しんでいる人がいるなら、彼女のような痛々しい人はいないことを願うばかりです。
この人は昔の恋人に優しくしたくて、たくさんのお金をあげていたけど、最終的にはその恋人にフラれてしまいました。優しい気持ちから助けたのに、今では「あのときのお金、もったいなかったな」と思うことがあるそうです。
でも、その経験のおかげで、今一緒にいる夫のことがとても大切に思えるようになりました。今の夫との生活はとても幸せで、過去の苦い経験があったからこそ、今の幸せが一層大事に感じられるようです。
そして、この人は「誰かに大金をあげ続けると後悔することが多いから、同じことをしないほうがいいよ」と、他の人にアドバイスしています。
今、ゲーム作っている。
『アンダーテイル』って、知ってるだろ?
俺みたいにゲームをあんまりしない人でも名前は聞いたことあるぐらいに有名だ。
しかもあれを一人で作ったゲームって知ったときの衝撃と言ったら、もう!正直、それだけでやる気に火がついたわけ。
それで、俺もやってみようって思って、ユニティでゲームを作り始めた。最初は難しくて何度も「無理だろこれ…」って思ったけど、やり始めたら止まらなかった。
アセットも使いながらだけど、自分で一から組み立てていく感じがおもしろいんだよ。テストプレイして動くたびに「これ、俺が作ったやつなんだぞ!」って気分になるもいい。
内容は今までにない斬新なものっていうか、簡単に言えば「タクシー乗り回しゲーム」だ。
なんだそれ?って思うかもしれないけど、聞いてくれよ。
普通のタクシーじゃないんだ。車道なんて気にせずにどこでも走れるタクシーで、ガンガン加速して、制限時間内にできるだけ多くの乗客を拾って目的地に届けるって感じのゲーム!
「どこでも走れる」ってのがポイントで、普通の道路だけじゃなくて、例えば広場とか丘とか、ありえない場所でも走れるんだ。
自由度がめっちゃ高いから、自分の好きなルートを見つけ出すのもこのゲームの楽しみ方の一つだし、スピードも出し放題!
でっかい坂をドリフトで駆け上がるとか、道なき道を突っ走る爽快感っていうのかな、そんな爽快感を味わえるゲームにしたかったんだ。
それに、乗客が出現する場所もランダムに設定してるから、毎回違うプレイが楽しめる。
俺が考えたのは、どんなにプレイしても飽きがこない、繰り返し楽しめる構造にすることなんだ。
それに自分で言うのもなんだけどセンスあると思ってるんだ。まぁ、根拠もないわけじゃないぞ。
それで「俺ってもしかして才能あるんじゃない?」とか思っちゃったわけ。
毎日少しずつ作って、それでようやく完成が見えてきたから、宣伝も兼ねて言うんだけど、マジで面白いと思うんだよ、このゲーム!!
作ってる俺が言うんだから、信じてくれ!