「短編」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 短編とは

2024-07-26

anond:20240726013918

現実寄りの絵柄や話にすればするほど舞台装置に見えるのはしょうがないんじゃないの?

バックグラウンド個性も(比較的あっさりとしか)描かないから。

例えば少年漫画だとナルトドラゴンボールみたいに個性の強いキャラ出してるから

舞台装置であっても機械としての役割が見えにくいからそう思わない。上にキャラの布切れをかぶせてるわけだ

逆に短編シリアスな話だと個性がアクになって本編が入ってこないというのを避けるため、機械の部分が剥き出しに見える

舞台装置に見えるというのはある意味キャラとしては愛されにくくなるから(たまに例外もある)、そのキャラ描写

著者がどれだけ紙面を割けるかという話になってくるので、均して雑に括るなら「著者に愛されているキャラ」と思っている

2024-07-21

パトレイバーリメイクしないでくれ

らんまとかぬーべーとかダイの大冒険とか昭和から平成初期ぐらいのものリメイクされまくってる

もう冒険する余裕が無くなってそういう企画しか通らないんだろう

哀れなもんだ

今後も忍空とかそこら辺がリメイクされそうだけど

パトレイバーリメイクだけはやめてくれ

あれはもう終わったんだ、それで良いんだ

ちょっと前に短編リメイクされてたけどあれで分かっただろ

もう良いんだ

2024-07-17

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

はてな界隈キン肉マン評価低すぎる件

ゆでたまご最高傑作との誉高い完璧超人始祖編のアニメまりましたね。

X、ふたば、5chとロスジェネというか直撃世代の多いコミュニティ

どこもそれなりに話題になってるようで。

ところがはてなはてブでも増田でもロクに感想も流れてこない始末

よく考えたら2012年原作再開以来、あんだけネットを沸かした

ステカセキングマッスルインフェルノやら、悪魔将軍vs超人閻魔の頂上決戦やら

マリポーサやビッグボディの勝利やらジャスティスマンがありえない勢いで

サタン様をボコボコにしたりやら、世代が限られながらも日本ネットをバズらせた

名シーンの数々もここでは不気味なくらい無風なんだよなと

ジャンプラあたりのその場限りでちょっとエモい気分になっても3日も経てば

忘れそうな短編なんかがそこそこバズったりするはてブあたりじゃもうちょい

キン肉マン話題になってもよさそうなもんだが、ユーザー気質でこうも

変わってきたりするもんだろうか

実際のところいる人間なんて上にあげたコミュニティと大差なさそうなもんだが

この点割と不思議しょうがない

追記ブコメ2020年ゆでたまご嶋田氏のTwitterでの感想バズの加熱への苦言の呈し方がちょいイマイチ

炎上した件の関連が指摘されてるけどアレは始祖編終わってだいぶ経った後の出来事だしなぁ

追記2:ゆで嶋田氏も炎上で多少は懲りただろうし実際ネタバレ感想言った読者に妙なアクションとった実績なんてないのにいつまでも擦られるのはチョイ気の毒だなあとブコメを見つつ

2024-07-09

邦画新人監督短編オムニバス企画を観たのだが

特撮アニメはいい。問題は残りの2本だよ。ストーリー演出も「ジャンプ+」の読み切りに勝てていないどころか、拮抗できてもいなかった。

映画業界の人にいわせればいろいろ言い分はあるんだろうけど、これだから実写業界ってダメなんだな、って思ったよ。

2024-07-07

今週の読書感想文

僕の陽気な朝

イヴァン・クリーマの短編

社会主義体制下のチェコ。深い霧。重い空気曇天。街ゆく人の目に映るのは自らのつま先と石畳だけ。

私たちの目に映る彼らの日常は、空虚不条理グロテスクしか体制下で生きる市民にとってそれは笑いあり、涙あり、退屈ありのまさにかけがえのない日常

真実を教えてくれる新聞はないが、体制の網目をくぐり抜けた物語がある。コカコーラはないがブドヴァイゼルがある。ハリウッド映画はないが滑稽劇がある。信頼できる役人警官はいないが自分必要としてくれる友人たちがいる。生きる上で、他に何が必要だと言うのだろうか?

移動祝祭日

アーネスト・ヘミングウェイエッセイ

冒険する作家アーネスト・ヘミングウェイロスト・ジェネレーションからまれアメリカの父。誰もが認める大作家となったものの、晩年の彼は自らの老い自覚し、苦悩し、そして闘っていた。広い海の中、たった1人で無数のサメと戦う老漁師のように。

そんな彼の心に蘇るのは、記者として赴き作家としての歩みを始めた若き日のパリでの生活。そして最初の妻ハドリーであった。

「もし、きみが、幸運にも、青年時代パリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日からだ.」

個人的体験

大江健三郎小説

不良少年官立大学学生大学院生、そして教授の婿。紆余曲折を経ながらも順風満帆に見えたバード明るい人生はアルコールによって閉ざされた。義父や妻、かつての学友たちの憐れみ視線から目を背けながら予備校講師で食いつなぐ日々。しかし若きバードアフリカ冒険を夢見ていた。広大なジャングル。壮大な夕焼け。見たことのない動物たち。それらは想像するだけで彼の目を輝かせた。そんな中、彼は妻の出産により現実に引き戻される。

ヘルニアを抱えた新生児、妻、義父、職場。苦悩するバードが向かった先はアルコールと女。青年現実を受け入れられるのか。それともさらなる深い闇に落ちていくのか。

大江健三郎長男は脳に障害を抱えて生まれており、その時の心境を基にして執筆された作品

ロビンソン・クルーソー

ダニエル・デフォーによる言わずと知れた冒険小説

中産階級青年ロビンソン大海原に駆り立てられ、父の忠告無視して旅に出る。案の定、彼の船は嵐に遭遇し、無人島に漂着する。たった一人で無人島に投げ出されたロビンソンを襲う疲労病気、空腹そして孤独と後悔。

しかロビンソン自分を奮い立てる。この島は私の国だ。私を邪魔する者は誰もいない。ロビンソンは今やこの島の君主であり法であるトンネルを掘り、家を建て、家畜を飼い慣らし、その生活を豊かなものにしていく。

そんなある日、ロビンソンが浜辺を探索していると自分以外の足跡があることに気付く。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と共に読んでほしい。なぜ世界辺境である西欧諸国地球上のほとんどの土地支配することができたのか。ロビンソン・クルーソーにはその問いに対するヒントがロビンソンの行動の随所に散りばめられている。

2024-07-06

anond:20240705210751

銃夢無印を読もう!

ラストオーダーとか、無印以外は作画力は凄いけど、無印の頃の面白さには敵わんと思ってる

無印銃夢ラスト打ち切りへの早急感、絵柄の変化が否めないが、急いで話を畳むことになった割には、あれはあれで普通に面白く思ってる

まあ、途端に紙芝居っぽいというか、プロット書き並べた感は否めないが

木城ゆきと作品過去読み切りの時点で自分には天才だと思える漫画家のひとりなのだけど、

自分が一番最初木城ゆきと漫画を読んだのは、地元田舎本屋で買った雑誌の「宇宙海賊少年団」だったと思う

あれを読んだ感想としては、絵は凄いんだが、物語対象雑誌の読者の年齢層よりちょっと下に設定されてる感じ、

悪く言えば物語が幼稚というか子供対象になってる感じがして、自分もその雑誌の読者層の年齢だったので、物語あんまりに思ったのだけど、

それでも、それから銃夢を知るまで、ずーっと印象には残ってて、

ビジネスジャンプ銃夢初めて読んで、夢中になって、あの「宇宙海賊少年団」の作者だと知って、あー、画力は間違いない、

でも、掲載であるビジネスジャンプの読者層である年齢向けにちゃんとなってるどころか、

スナッフビデオ撮影する殺人鬼は出てくるわ、でも、その殺人鬼人生の悲哀に泣いてしまうわ、

主人公愛する人バラバラ死体が箱詰めになって出てくるわ、ビジネスジャンプビジネスとは?と思ってしまうぐらい、ぶっ飛んだネタもあって面白かった

なんとなくであるが、木城氏は普段からネタ帳みたいなのを書いているとか、ネタを集めていて、

銃夢は屑鉄町とかモータボールとかザレムとか、バラバラ漫画として描いても面白いんだろうけど、

そのバラバラの話を~編みたいにして、主人公ガリィで串刺しにする感じで描かれていて、当然ガリィの旅とか成長としても描かれるわけで、

話がバラバラ短編だったとしても十分面白いのに、ガリィの話として無理なく統一されてる感じがして、そこも非常に良かった

でも、水中騎士なんかは、宇宙海賊少年団のような、読者層の年齢を低く見積もりすぎてない?と思う感じがしたんだよなぁ

正直なところ、最近銃夢ときどきしか読んでないので、無印以降もちゃんと読んでみようかなぁ

2024-07-05

百年の孤独関係なくただ逆張りがしたい奴に薦める海外文学5冊+α

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

https://anond.hatelabo.jp/20240704181200

岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)

早速だが大同生命がやってる“アジア現代文芸”シリーズマジですげえよ。インドネシアとかスリランカラオスイランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだからしか電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代まれまで、ガチ現代作家短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジア現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。

キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)

同じく大同生命の“アジア現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマー文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバス短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュース報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。

カルロスフランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)

これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者チャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。

ジェス・ウォルター/上岡伸雄「ザ・ゼロ」(アメリカ)

この人はどっちか言うと、サスペンス小説方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズムパラノイア不条理……訳者上岡伸雄、実際デリーロ訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。

レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)

レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。

にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。

http://iuraichiro.com/perkthim.htm

あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロアゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。

2024-07-02

異世界恋愛作品を「ハイファンタジー」に投稿すな

小説家になろうランキング上位が異世界恋愛ジャンル作品占拠されて幾星霜

奴らはいま他ランキングに侵攻している

ハイファンタジーと言えば転スラとか無職転生とか異世界放浪メシとか

文字通りファンタジー強めで冒険要素が入ってくる作品が集まっていた

それが最近になってどう見ても異世界恋愛99%でちょろっと魔法が出てくる程度の短編・中編がハイファンに投稿されている

そして異世界恋愛スキーそいつらをハイファランキング上位に押し上げている

どうも「最終的に結ばれないなら異世界恋愛ではない」「婚約破棄だけなら異世界恋愛ではない」と

作者にカテゴリ違いを指摘する層がいるらしい

やめろ迷惑

どう考えても婚約破棄はそれだけでれっきとした恋愛ドラマだろ

百歩譲って異世界恋愛じゃないとしても移るとしたら文芸カテゴリだろうがよ

ハイファンに誘導するな

2024-06-27

anond:20240627011250

今やってるやつだとアニメ映画の『数分間のエールを』がおすすめ

60分くらいの短編映画なんだけど感動して泣いたしエールもらったよ

2024-06-25

anond:20240624145905

ユーフォは、アニメ一期最初の滝による変な二択強制とその後の「お前らが自分コンクールに向けて努力すると決めたんだからな」と言わんばかりのパワハラがまず引っかかり、当時出ていた四冊(長編三、短編集一)を読んで、一期の最後の方で見なくなった。短編集で、葵へあすかが笑いながら言った言葉(「あんたが辞めてもコンクールには影響ないから止めなかった」みたいなやつ)が決定打だったかな。美少女とか音楽とかはガワに過ぎず、部活舞台にした権力闘争とか権謀術数とかの話という認識

今回の騒ぎで少し感想サイトとかを見た。

>今回の真由の勝利とかありえん。

しろアニメは一期の落とし前ちゃんとつけたんだといい意味で驚いたよ。三年生の最後の晴れ舞台コンクールで勝ち上がるためと実力を盾に奪い取った面々が、自分たちが三年になった時にコンクールで勝つためには実力を無視できず不本意最後を強いられる。秦の商鞅の末路みたいで皮肉が効いてるじゃないか小説読んだ時の俺は二年後に麗奈よりすごい新入生がやってきたらどうすんだろうね程度の妄想しかしてなかったけど、一年時に支持者だった久美子が三年では当事者になってそこに麗奈が苦渋の思いでとどめを刺すというのはさらに凝っている。

2024-06-23

anond:20240622145228

akira以前の短編から業界に衝撃を与えていたぞ

なんなら衝撃でいうと童夢あたりが1番凄かった

anond:20240622145228

一発屋」という言葉不適切なんで大喜利化してるけど、AKIRA以降見るべき仕事をしていないとは誰かがはっきり言うべき。

特に映像作家と称してやったアニメ仕事はみんな並以下のできばえで、だからいつまで経っても「AKIRA大友」でしかない。

逆に言えばAKIRA以前の、漫画家としてやった仕事AKIRA童夢は言うに及ばず、ショートピースハイウェイスターさよならにっぽんに気分はもう戦争にその他諸々、

どれをとっても傑作揃いだった。あのキレッキレの大友凡作以下のアニメをたまに作って無理に褒められてるのはやはり見るに堪えない。

言いたかないが、裸の王様という言葉が頭をよぎる。

ただ、この理由について、ちょっと興味深いブコメがあった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4755264594165445344/comment/ffggmm

かにその通りだと思う。大友の発想や資質には無秩序・無軌道ものに対する憧憬が強くあって、

それは初期の短編群におけるモラトリアム青年たちの人物造形からAKIRA健康優良不良少年達に至るまで一貫してるんだけど、

やはりこのベクトルは歳を重ねると厳しいのではないか

しか当人世界的な名声を得てしまっていて、今さらモラトリアム生年の続きを気取ることもできない。

実際、スチームボーイではより明朗な少年漫画主人公に舵を切ろうとしたが、あまりうまくいっていなかった。

しろ、迫り来る老い不能直視した、短編漫画を読んでみたかった。

正直なところ、数年前に単発で掲載された「気分はもう戦争」の続編を見たときには、(……絵が衰えてない?)と思えて辛かった。

でもそういうところ含め、かつてとんでもない輝きを放った才人の悪あがきをみてみたいんだよ、無責任な読者の一人としては。

2024-06-21

anond:20240621062505

糞尿譚は日本文学系譜

芥川龍之介短編に、恋焦がれる美女ウンコを食べて思いを断ち切ろうとする話があったな。

anond:20240621121909

またアシモフの話でごめんなんだけど

短編集で「最後質問」っていうのがあって

AI人類の終末を描いた話で

増田が言ったみたいなことの末路なのね。

読んだ?

あれ面白かったー!

anond:20240621111913

アシモフロボット短編もの

ロボット三原則がなければロボットは必ず人類を見下す」って

ロボット心理学者が言ってたの思い出した。

嘘をつくロボットの回。

2024-06-15

anond:20240614213954

高橋留美子漫画キモいブサメンって誰がいたっけって考えたけど、ぱっと思いついたのが犬夜叉に出てくる桃果人(普通人間だったけど仙人の秘術を奪って妖怪のようなものになってしまキモいデブ男)、七人隊の霧骨(土偶みたいな顔したキモいデブ男でヒロインのかごめをレイプしようとする場面もある)

ずっと敵として立ちはだかっていた奈落女性看護師に惚れてしまった青葉みたいに、大怪我して死ぬのを待つばかりだった時に博愛精神自分を看病してくれた巫女一方的に惚れた弱男だった

スピリッツ不定掲載される短編だと冴えないおっさんもよく出てくる印象

虎に翼みたいにドラマ脚本家でもありなら「相棒」の太田愛の回とかどうだろう

ずっとひとりぼっちで売れない画家を続けている偏屈な老人、都市開発により居場所を奪われるホームレスとか弱者が出てくる話がけっこうある

あとさんざん挙がってるけどちびまる子ちゃん

クラスメイトほとんどが不細工性格も悪い、特に男子不細工率が高い

永沢のその後を描くスピンオフ作品では中学生になっても相変わらずあの見た目で、3年時には偏差値低めの高校受験したのに落ちてしまさらに下の滑り止めに行くことになったそうだ

成人向け作品だったら知的障害を持つ少年暴走する性欲を描いた知るかバカうどん女性だね


ぱっと思いついたのがこれってだけだから小林靖子宮部みゆきあさのあつこ小野不由美とかも探せばあるだろうし

漫画でも最近現実的社会派な感じの読み切りが定期的にバズってるからいくらでもありそう

元増田が何を思って「女性作家はたとえ敵キャラでも弱者男性を描かない!」と思ったのか

そもそも普段からあんまり何も見てないんじゃないか

2024-06-14

最恐の幽霊屋敷を読んだ!

多数の視点で語られる、最恐の幽霊屋敷真実とは…

現場に詳しそうな人から一般人まで。実話風に語られる恐怖体験はとても恐ろしい。一短編つのクオリティは良い!

https://kakuyomu.jp/works/16817330659537744304

カクヨムで読んで、続きが読みたい!と本書をゲットしてよんだ。

が、収束した先がイマイチ

壺の由来は語られないし、最後のおおオチにあの人を持ってくるなら、そいつをグーパンするためにキィさんが出てきてもいい気がするんだが…。

探偵役は他所から持ってこないで、亡くなってしまった霊能者により覚醒したライターとか、手前でなくなってしまったホラー作家を素直に探偵役に持ってきた方がよかったかなあ。

でもホラーとしてはとても良かった。怖かったよ!

#読書感想文

2024-06-12

ジャンプ編集が一番ジャンプを解ってない

最近早すぎる打ち切りを連打してるけどその後釜もさら打ち切り早すぎて全く紙面がそそられない

ジャンプ短編集の寄せ集めじゃねーんだぞ

話はキリのいい所で終わらせろ

逆に終わった話をズルズルと伸ばすな

編集無能から数字出てねえんだぞ理解しろ

2024-06-09

「嫌い」をわざわざ同じコミュニティで言わなきゃいい

同人SNSと口は災いの元って話。余談はマジでただの個人的愚痴

日も経ったのでチラ裏こと増田で雑まとめ。ROMワイはヲチ気質があるのでAのきたねえ花火待ち。

前提条件:主人公キャラメイクが出来るゲーム二次。規模はたぶん小さい。

先日、わざわざ「嫌い」シチュ公言+多方面に微喧嘩売った人(以下A)がいた。

界隈小さいのでこのシチュ作ってるって時点で数名しかいない。微喧嘩の方はみんなやんわりスルー。生きてる相互結構いそうなんだけど無風。

「嫌い」シチュで作ってて、直撃というか狙って言われたとしか見えない人(以下B)が色々あっておこに進化ROMワイ的にも、怒るよなーの所感。

なお、Aの発言時AとBは相互。AからBをフォローしに行った(見てた)。

Aはフォローする前からBの作品文句言ってたらしい。この辺りは追えてない。

「嫌い」は構わないけど、家族とか全然被らないコミュニティで言えば事故んないのにね?

そんな家族いない?友達もいない?職場愚痴すら聞いてくれない労役砂漠

じゃあ金払ってカウンターつきの飲み屋で管巻いt、それも迷惑だな。増田で吐きな。

ほんとはこんな注意を親にも周りにもされてこなかったカワイソAたそでうまい酒飲みたいかもっと花火あげて、が本音

面白ポイント

・少し遡った範囲でもAはしょっちゅう「嫌い」を発言してる。

 結構デカ範囲の嫌いも言ってたんでこの事故は起こるべくして起きた。記憶と合わせても、その都度界隈にやんわり空リプ反対運動起きてたはず。

 だけど空リプ反対運動は一切気にしてなかったくさい。え??

・今回事故ったAの発言への周囲反応。

 インプレ回ってるのに一切誰も反応してなくて草。元々フォロワー数の割に反応少ないし自分から行かなきゃ交流もなさそう。

 事故発言ガチ無風。界隈の民度良すぎ。ちょっとまらん。

・Aが事故発言を消さない。

 なんで?ヲチ的には嬉しいけど訳分からん。一切無風なのに火種になりかねないもの残してどうすんだろ。

 無風なうちに早く消した方がいいと思うんだけど、もしかしてきたねえ花火飛ばしたい?お空飛びたいの?

・Bにロング謝罪文送付したらしい。

 謝罪文普通そこまでロングにならないので、自己弁護でかさ増しするという謝罪意味がないうましかムーブが考えられる。

 読みてえwwけどBが晒す気配なし。うまい酒飲めそうなのにな。Bそういうとこまともなんだよね。

事故ったあとも「嫌いはこれから発言しまぁす」

 なんでだよ。これほんと訳分からん。垢分けとかしないの…?もしかしてこれからドンドン揉めて花火飛ばしたいのカナ?!

 他人に向けてない発言他人が読むかもしれないって配慮した発言は両立すると思うし、愚痴垢じゃねえんだから両立させないか

・BにブロられてるはずなのにBの発言引っ張ってきて被害者ムーブするA。

  「見に行った自分が悪いケド…」って、当たり屋が何言ってんだ?新手のMなのか??

 わざわざブロック掻い潜って被害者ぶったのにこっちも無風。草。




































余談:Bが筆折んなくて良かったね

Aはイラストhtr(htr=ヲタ語で下手くそ、の意味)。小学生落書きPCに取り込んでバケツ塗りした的なの想像しといて。

なんか周りにおだてられたのかこの前SS書いてたけど下手すぎてそっ閉じした。htrのエロって日本語書いてあるのに脳が理解を拒絶すんのな…。

(ROM的に嬉しい)作品がないという意味ではほぼROMと同じだが、本人の名誉のためにhtrと呼ぼう。

Bは、ジャンル小さすぎてよく分からんけどROMからすれば普通短編書き。少なくともhtrではない。

今回Bが筆折んなかったし、界隈が年齢層高めだからか焼けてないけど、前ジャンルだったら同じ小規模ジャンルでも裏でDMもくり回りまくってたかもなー。

htrイラストもhtrSSも無いのと一緒だからhtrなんていてもいなくてもROMと変わんねーくらいの感覚だけど、生産者減るとROMとしちゃ困るんだよね。

htrは折るほどの筆もねえから居座りがちだし、早いとこきたねえ花火になって実害出す前に消えるかジャンル移るかしてほしいけど無理だよなー。

愚痴垢作ればいいのに作んないのは、無駄10選手アカウントで生死不明の3桁フォロワーいるから反応期待してなのかね。ってゲスパー

実際嫌いをわざわざ言っちゃあ現実無風なんだから痰壺に隔離したって同じだろ。と思えない客観性のなさがうましかから仕方ないねちゃんちゃん

[]2012.3

https://anond.hatelabo.jp/20240609080313

https://web.archive.org/web/20170710062324/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201203

@TOHOシネマズ 六本木

2012.03.29 Thursday16:43

僕等がいた」観てきましたよ~。

うっかりレディースデーに行っちゃって、すごい人。

すごいなー。大ヒットだな!

脚本演出も、とても丁寧に作り込んであって、

少女漫画世界、そのまんまでしたよ。

主演お二人の組み合わせが、自然でとても良かった。

若い女の子結構泣いてた。

私は最近乙女心的な物をどっかに置き忘れてやしないかと、

映画を観ながら、ちょっと反省

この仕事してる限り、いくつになっても必需品だよなあ。

まあ、連載途中で反省して作風わっちゃっても困るので、

Piece」終わったら、思い出そう。乙女心。必需品。

予告で、「テルマエ・ロマエ」流れて、笑っちゃった。

阿部寛さんが、日本人に見えないのがスゴイ!!

漫画原作多いなあ~~。

帰りに、ギロッポンで桜のお酒を飲んだよ。

2012032901430000.jpg

開花楽しみだな

1

本・映画---

カフェラテ

2012.03.27 Tuesday19:17

コーヒー苦手なんですけど、スタバカフェラテだけは

美味しく飲めるんですけど(苦くないから。)、

今、最寄駅にスタバが無いので、うちで苦くないカフェラテ

自分好みに淹れようと。。。

コンパクトエスプレッソマシーンを買ってみたよ。

早速物欲に負けとるがな。

仕事中の飲み物は、妙に大事なので、まあいっか

ジョージ・クルーニーCMしとるやつね。

試しに全種類飲み比べて、酸味が少なくてあんま苦く感じない物を厳選。

子供舌で雑に厳選。おいしい

何でもやりたがりなので、案の定ラテアートに挑んでみる。

抽出量変えたり、ミルク温度変えてみたり。だが、しかし。。

 

がんばってみた痕跡。(これでも)

どうにもなってない。不器用なんか。私。

ミルクの泡立て具合の問題かな~。

もっと簡単に出来るんかと思ってた。きぃっ!(負けず嫌い

挑戦は、続く続く。

Piece」の合間に、短編読み切りを描けないものかと

たくらんでるんですけど、

読み切りネタ2本と、「Piece」の次号プロットを同時進行させてたら

さすがに脳みそ疲労困憊。

動いてないのに消耗するって、なんか割に合わないです。

来月、旅に出るので、今がんばらないと!

ラテアートで、ストレスためてる場合じゃないです!

1

日記---

頂きもの編集部

2012.03.21 Wednesday14:23

完成原稿持って、編集部へ。

「取りに伺いますよ~」と言ってくださるのだけれど、

引き籠りに飽きてるので、自分で持ってく。

担当さん物欲について語る。

結論:「波があるよねえ~~」(結論出てない!)

担当さんに、アメリカ旅行土産を頂きました♡

激辛ソースレンジでチンするポップコーン

激辛・・危険って書いてあるよ。注意しな!って書いてあるよ。

今度、誰かのごはんにそっとしのばせてみる。

あと、「僕等がいた」のタダ券(また、タダで貰うのか!)

ベツコミ友達誘って行ったら楽しいかな♪

あとは、萩尾望都先生「なのはな」

原発事故後のフクシマで生きる女の子物語と、

放射性物質擬人化して描かれたSF三部作

原発に関しては、半端な知識感情論では語れない、

冷静に客観的に冷静に冷静に、、、とか言いながら

徐々にフェードアウト、結果思考停止に陥る人も多いんじゃないかな。

たぶん、私なんかはそのタイプ

「頭良くないし。」を言い訳に。

事故後、すぐにこの作品を発表された萩尾先生は、

からすごいお方なんだなあ、、と改めて思った。

逃れられない「絶望」を、「希望」でサンド

そんな作品構成になってますよ。

のろまな私は、物欲結論も、持越し。

1

本・映画---

もうちょっと

2012.03.16 Friday23:20

地震多くて、さすがにちょっと怖いなあ。。

仕事中、アシさんがくれた「東北限定・すんだじゃがりこ」と、

完成間近の原稿

2012031615100000.jpg

今回、背景少なかったので、予定より早めにアシスタントさんに

あがってもらう。いつもどうもありがとう

私の作業はまだ少し残ってる。あともうちょっとで完成。

まりまだ終わってないわけですが。。。

天気も良いし、春めいてきたし、土日の人混みは避けたいし、

〆切まだだしね~!とかなんとか言い訳しながら、新宿に買い物に出てしまう。

最近物欲減ったな~とか思ってたのに、久々伊勢丹に行ったら、欲しいモノが溢れてた。

春らしいショートブーツミュールを買って、満足満足。

春物可愛いな~♡

新宿伊勢丹に行く度、平日でも人が溢れてて、「不景気ってほんとう。。?」

とか疑いたくなるよ。

出版業界も、例にもれず「不況だ!不況だ!」言われ続けてますけども、、

全体的には、勿論そうなんでしょうけども。

私の周りには、不況?ナニソレ?的に右肩上がりに売れ続けてる作家さんも

結構いるので、どんな時代であっても、作品次第なんだろうな。きっと。

私もがんばろー。

さっき、テレビで「第9地区」やってましたね。映画観に行ったなー。

良い意味でB級感たっぷりで、皮肉めいてて、深読み甲斐があって、

可笑しいのに笑えなくって面白い。これ好き。

フィクション様様。人vs人で描いたら目を背けたくなるけど、

vsエイリアンなら物語として楽しめてしまう。

それも勝手な話だなあ。

エイリアンクリストファー親子が一番人間らしいけど、

そもそも人間らしい」って何だろ。

1

日記---

3.11

2012.03.11 Sunday23:56

阪神大震災当時、私はまだ地元関西にいて、

神戸に親戚や友人が沢山住んでいて。

見慣れた景色が無惨に崩れゆく様をテレビで観ながら、

呆然と、少なからずショックを受けたわけですが。。

「住み慣れた家も思い出の品も何もかも失って、逆にすっきりして

腹が据わった。がんばるよ。」と淡々と語る知人に、

当時、かける言葉がなかった。

自分経験してない誰かの経験を、想像で補おうとしても

あっという間に限界にぶつかるし、

励ましも同情も違う気がして困惑するばかり。

基本、甘ったれ受け身なんですが、あの頃より

少しは大人になってるはずなので、

何にも出来ないなりに、意志を持って人や世界

関わっていけたらいいなと、思います

黙祷

1

日記---

寝かす。。

2012.03.07 Wednesday23:22

今日アシスタントさんがお休みだったので、

堂々とサボってやるぜ!!とか思ってたら、

すんごい寝すぎてびっくりです。何時間寝てんの、アンタ。。。

我ながら、凄まじい有言実行ぶり。

冷蔵庫に、賞味期限間近の無塩バターがあったので、

バターケーキを焼いてみたよ。(サボり続行中)

大人なので、ラム酒もドバドバ。

中央で、綺麗に割れなかった。最初温度低かったのかな。

なんかボコッとしてはる。失敗。まあ、いいか

冷蔵庫で1カ月くらい余裕で持つので、暫く寝かせてちょっとづつ食べる。

バター系は、しっかり寝かせた方が絶対美味しいと思うよ!

とか言いつつ、一切れだけ味見。

ふかふかで心許ない。。やっぱ寝かす寝かす。

90ページもあると、「ペン入れ、あと何枚!!」とか数えてたら

気が遠くなっちゃうんですよ。

なので敢えて数えない、、!!そこは男らしく(?)気分で描き進む、、!!

ペース配分なんて知らねえよ、、、!!!

みたいな、わりかし適当仕事の進め方です。

毎度毎度、ちゃんと締め切り前にあがってるのが、超不思議

仕事しよっと。

1

おやつ---

うぃ---

2012.03.03 Saturday22:03

ロールキャベツの残りスープソース?でペンネ

引きこもってるのに、カロリー高いもん食べちゃった。

今更ながらWii を買ってみたよ。

アシさんと、食後にひたすらピンポンチャンバラ

運動してるつもりになってみるつもり。

腕、筋肉痛。。。ペン入れに支障が。ダメじゃん。

雛祭りなので、アシさんが道明寺買って来てくれました~。

桜の花の塩漬けちゃんとのってる。嬉しい

2012030321210000.jpg

1

日記---

雪つもった!

2012.03.01 Thursday02:24

屋上に。少し。

今日は(昨日か)作家友達二人と、アシスタントさん達が

ちょっくら家に遊びに来てくれる予定だったので、

遅れてる下絵をそっと見て見ぬふりしつつ待機してたんですが。。

からカドカ雪が降ったので、敢え無く延期。

が、うっかり(?)家まで辿り着いてしまったアシちゃん約一名と、

だらだら2時間ほどお茶を飲み、本日の予定終了~!

。。。おかげで、遅れてた下絵描きわっちゃった。

来てくれる予定だった作家友達の一人=彬聖子サンからの。。

「アシパラ邸に行く日に、ピンポイント大雪。アシパラの雨女ぶり

パネェ!って妹に話したら、『あの人、日照りの土地に行ったら

神になれるんじゃない?』って言ってた。」ってメールを読んで、

自分雨女キャラだったことを思い出しました。

都合よく忘れてた!

あ、アシパラってのは、彬さんがつけた私のあだ名です。

どうかと思うよ。。?

明日からペン入れ&アシさん入り!

がんばるぞー!

(下絵終わったら、いきなり元気)

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-06-05

anond:20240605140320

氷菓」はあれは雑誌連載用の短編連作で、ストーリーの繋がりとか、あんまそういうのじゃないから。

アニメではそこを上手くまとめてたけどね。

 

だいたい、ストーリーがあるんだったら俺はもっと続きも読みたいよ。ほーたろーが朝チュンする回があるだろ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん