はてなキーワード: 推理とは
『平家物語 犬王の巻』とか『きのう何食べた?』とか数冊の本だの漫画だのと平行して読んだので、すごく時間がかかってしまった。最近、年のせいか集中力が続かなくなってしまってなぁ。でも集中力が衰えたからといって本を読む気力がなくなったわけではなく、好奇心旺盛な性格は変わってないお陰で、複数の本をかわるがわるちょっとずつ読むことで気分転換が出来るので、いいんだけど。
暴力団の有力幹部・韮崎が何者かに殺害された。事件には暴力団同士の抗争の痕跡がなかったため、単なる殺人事件として本庁捜査一課が担当することとなった。
事件当時の状況と推定された凶器から、プロの殺し屋の仕業とは考え難い。捜一の係長・麻生龍太郎警部は韮崎の周辺を捜査にあたるが、その過程で韮崎の企業舎弟・山内練と再会する。練は十年前、麻生が担当した強姦未遂事件の犯人だった。
当時は気弱な大学院生でしかなかった練が、なぜヤクザの片棒担ぎに堕ちてしまったのか。麻生は韮崎殺害事件を捜査していくうちに過去の因縁に翻弄されてゆくのだった。
同作者の『RIKO――女神の永遠――』から始まる「緑子シリーズ」のスピンオフ作品。約670ページ、しかも2段組みで細かい文字がびっしり。鈍器のようにずっしりと重い……読む前に見た目に心を折られそうになった。本編よりも分厚いスピンオフってなんなの。でも読み始めてみると、かなりのページターナーぶりで、本の厚みなど気にならなくなる。きっと二十代の頃に読んでいたら徹夜で一気読みしたことだろう。
前半は練ちゃんの章と麻生の章が交互になっていたので、韮崎殺害事件そのものよりは練と麻生のBLがメインなのだろうかと思ったらそうでもなく、ちゃんと骨太サスペンス小説。事件の重要参考人が登場するごとに謎が謎を読んで、なかなか推理のし甲斐のあるストーリーだった。
登場人物の心理描写が巧み。特に、麻生が慣れと惰性から無意識のうちに練ちゃんに自白を強要してしまった事に長年気づかず、担当弁護士から指摘されてもプライドが邪魔をして認められないという所がリアルだった。
練の冤罪事件に関しては麻生はかなりの悪人ぶり。主人公なのにこんなナチュラルに悪い事してていいのかよ……と思いつつも、文章が共感ベースというよりは理解ベースというか、登場人物をちょっと突き放した書きっぷりだから、共感できない事が読書のストレスにならなかった。へぇー、なるほどなるほど。お前はそんな風に思ったからそうしてしまった訳ねー、と他人事として読めるというか。こういう感情移入のし難い主人公も、ありなんだなあ。もし文章が下手な人がそういう主人公を描いたら、ただのイラッとするキャラになるだけなんだろうけど。
女性の登場人物がとても魅力的。麻生の恋人の槙や、韮崎の愛人の皐月、捜査一課の静香など。特に静香は若い女性らしい真面目さと潔癖さと甘さがいい。著者が女性だからなのか、女性の描き方が単純な可愛さやお色気の枠にはまっていない。
しかし一方で、男性の恋愛心理が微妙にリアルじゃないなと思う所もあった。恋人に裏切られたときの男の反応なんかは馳星周の小説の方がいいな。よりバイオレンスだけど。
後半は、韮崎殺しの真犯人は誰なのか、見当がつくくらいにいい案配で小出しに情報が与えられるので、犯人が解らなさすぎて嫌んなったなんて事にならなくてよかった。ラストの犯人との対決シーンも緊張感があってよかった。
○ご飯
朝:なし。昼:True My Heart。夜:納豆。たまご。豆腐。ふりかけ。イワシの缶詰。トマト。キュウリ。チーズ。アップルパイ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなり。
期間限定ストーリーのために最新に追いつくためにガンガンシナリオを読んでた。
・5段階評価:5
・あらすじ
しかし、自身は九尾の尾に過ぎず、九尾の娘ではなく、九尾に食べられてしまう。
という夢を見たセッカは再び母親のところの向かい夢と同じく食べられそうになる、フローゼスやアルザードのアドバイスから自信の強さを思い出す。
ところが、管理者であるフローゼスが停滞させているこの世界は再びまた最初に戻ってしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
「石で散った火のように、誰より疾くこの世を駆け抜けるんだ。」
母親からは「雪華」という漢字をあてられ、雪に消える幻と呼ばれていたからこその激るシーン。
・印象に残ったキャラ
セッカ。
母親大好きなのに裏切られてかわいそう、からの実はセッカこそは強いの流れいいね、
・感想
僕は母親が大好きな子供の話に弱いので、セッカが大好きになった。(あと数日でローテ落ちだけど)
さらに母親から自立して自身の名前に新たな意味を付与するくだりは、たまらないね、たぎった、大好き。
けど、管理者の人たちのせいでこの世界はループしてるみたいなので、どうなるんだろう。
あれだよね、フローゼスってTwitter二次創作でよく手で輪っか作るえちえちなことする人だよね。エッチじゃん。
・5段階評価:1
・あらすじ
ドラゴニュート族の若頭ドラークは、自身の長としての責任に悩んでいた。
酒場で出会ったアルザード、親代わりのグレイツや、通りすがりのフローゼス等との対話を経て、ようやく自身の本当の目指す場所を見つけるのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
グレイツ。
ただどうも話に乗り切れなかった。
・感想
人型ドラゴンが仁義の組織っていう面白さはあるものの、しっくりこなかった。
もう少し、ドラークが悩みを自覚していなかったら良いのかもだけど、序盤から認識していながらウジウジしてて、ちょっと好みじゃないシナリオだった。
・5段階評価:2
・あらすじ
ツキカゲという刀を使う男と対峙するカゲロウ。カゲロウは記憶を失いながらもツキカゲが誰彼構わず人を切るたちを止めようとする。
そして、自身がツキカゲと対をなす鞘の妖怪だと知った上でカゲロウは鞘としての収める力を使いツキカゲの秘剣末世死化粧を破るのだった。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
間違った例えを書くけど、スパイラル推理の絆の小説版ソードマスターの犯罪を彷彿とさせるような秘剣を巡るやりとりの妙が面白い、のかな?
正直ちょっと文章が読みづらくて、なんかそっちに一生懸命になってしまって、ツキカゲやカゲロウの気持ちに乗り切れなかった。
あと、もうそれこそ10代の頃からこの手のゲーム遊んでるのに、未だに文章読むタイプの2Dゲームで剣と剣がぶつかり合う画面演出とか、魔法を放つ画面演出とか見ると、もうそれだけで気持ちがスーッと冷めちゃうの、マジで反省してるんだけど、どうしても乗りきれない。
なんか、こう、文章を読む邪魔をしないで欲しいんだよね…… エフェクトOFF機能が欲しい。
・5段階評価:1
・あらすじ
輪廻に囚われ幾度も暗黒世界が滅亡するまでを繰り返すアルザード。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
モブなのだけど、妙に世話焼きだし、ループの始点にいる人なので印象深かった。
・感想
ループものなんだけど、打開のために知恵を絞るとかではなく、単に諦念していることを示す退屈なシーンが多くて、ふーんって感じ。
・5段階評価:3
・あらすじ
繰り返される輪廻の中で、セッカたちはアルザードに本心を伝え、もう一度暗黒の王に立ち向うことになる。
しかし、暗黒の王より先に意味深な言動を繰り返すフローゼスと対話をすることに。
フリーゼスが興味を持たなかったモノであるカゲロウが切り札になり一行は勝利する。
そこでウェルサがレヴィールの未来であり、暗黒の王誕生のキッカケはレヴィールに時代にこそあり、ウェルサはもう詰んでいる事実を知る。
ドラークの率直な意見により、一行は過去であるレヴィールに向かいアイシンと戦うことになるのだった。
・印象に残ったセリフ
えっろ。
・印象に残ったキャラ
フローゼス。
親指と人差し指の輪っか…… すこ。
・感想
なんというか、流石に匂わせが強すぎて予定調和なんだよなあ。
文学賞 | 締め切り | 400字詰め原稿用紙 | 賞金 | 応募総数 | 発表 | ウェブ応募 | 条件 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
小説すばる新人賞 | 3月31日 | 200枚以上500枚まで | 200万円 | 1300前後 | 小説すばる11月号 | × | エンターテインメント小説。ジャンル不問。日本語で書かれた自作の作品に限ります。 |
日経小説大賞 | 6月30日 | 300枚から400枚程度 | 500万円 | 300前後 | 12月の日本経済新聞朝刊 | × | 日本語による自作未発表作品。新人に限らない。二重投稿は失格(他の文学賞で公表された最終候補作も応募不可)。 |
ポプラ社小説新人賞 | 6月30日 | 200枚~500枚 | 200万円 | 700前後 | ホームページにて2月下旬ごろ | × | エンターテインメント小説を求めます。ジャンルは問いません。日本語で書かれた自作の未発表作品に限ります。 |
小説現代長編新人賞 | 7月31日 | 250枚以上500枚以内 | 300万円 | 1000前後 | 小説現代3月号 | 〇 | 自作未発表の小説(現代、時代、恋愛、推理、サスペンス、SFなどジャンルを問わず) |
メフィスト賞 | 8月末、2月末 | 40字×40行で50枚以上 | 印税 | 不明 | 11月、5月発表 | 〇 | エンタテインメント作品(ミステリー、ファンタジー、SF、伝奇など)。書き下ろし未発表作品に限ります。 |
小説野生時代新人賞 | 8月31日 | 200枚~400枚 | 100万円 | 600前後 | 小説野生時代5月号 | 〇 | 広義のエンターテインメント小説。恋愛、ミステリ、冒険、青春、歴史、時代、ファンタジーなど、ジャンルは問いません |
松本清張賞 | 10月31日 | 40字×30行、100ページ以上200ページ以内 | 500万円 | 700前後 | オール讀物6月号 | 〇 | ジャンルを問わない広義のエンタテインメント小説。日本語で書かれた自作未発表の作品に限ります。 |
角川春樹小説賞 | 11月28日 | 300枚以上550枚以下 | 100万円 | 400前後 | 読書情報誌「ランティエ」誌上、ホームページ上7月 | × | エンターテインメント全般(ミステリー、時代小説、ホラー、ファンタジー、SF 他) |
わたし読解力すごいあるケドぜんぜんワカラナイこの文章すごいよアナタ
同居中の弱者男性
弱者男性と同居している「私」はいったい何者?ルームシェアかな?
お義母さん
お義母さん??!!
つまりこの「お義母さん」は「私」の配偶者の母親であることが予想される。
これは「弱者男性」の母親で確定か?では「お義母さん」とはいったい…?
自分の母親ではない世の中の母親のことを「お義母さん」と呼んでいる?
親父が二回出てきた??!!
親父は早く亡くなり、かつ親父は単身赴任している?
あ!実の父親が早くに亡くなり、再婚した父親が単身赴任しているということか?
「じゃあ、せめて自分で持てよ!」
「弱者男性」は自分の荷物も「お義母さん」に持たせているんだな。ひどいやつだ
と怒ったら、
「わかったよ。じゃあ持ってやるよ」
と言って、自分の買い物袋を渡していました。
「自分の買い物袋を渡していました」?え?自分で持ってたの?何を「持ってやるよ」って言ったの?
とりあえず読み取れることをまとめると
2.「自分で持て」と「私」から言われ、「弱者男性」は承諾し、「弱者男性」の買い物袋を「お義母さん」に渡した。
うーん。もともと「弱者男性」の買い物袋を「私」が持っていたなら辻褄が合うのかな。
「お義母さん」は「お義母さん」の荷物を持っている。それを「弱者男性」が持たないことに腹を立てている。
「弱者男性」の買い物袋を「私」が持っている。「自分で持て」と「弱者男性」に渡し、「弱者男性」はそれをそのまま「お義母さん」に持たせた。
こういうことか。
「お義母さん」と「お母さん」を書き分けていることから、「お義母さん」と呼ばれている女性は「弱者男性」の母親であることはほぼ確定。
同様に「お義母さん」は「弱者男性」にとっての「お義母さん」ではなく、私にとって「お義母さん」の関係にあることがわかる。
なるほど、わかったぞ!この謎、解けた!
「弱者男性」にはその定義上、配偶者は存在しない。しかしその「弱者男性」と同居しており、「弱者男性」の母親を「お義母さん」と呼ぶ「私」は何者なのか。
この謎を解く鍵は「弱者男性」のセリフにある二人の「親父」の存在である。
真相はこうだ。
「弱者男性」の実父は早逝しており、「弱者男性」とその弟を「お義母さん」(「弱者男性」の実母)が独力で育てていた。
「親父の代わりみたいなもんかな」という「弱者男性」の言葉は、おそらくこのことを指してのことだろう。
そしておそらく最近のことではないだろうか。「お義母さん」は「私」の父親と再婚した。
「弱者男性」のいう一人目の「親父」は「弱者男性」の早逝した実父、そして二人目の「親父」は「私」の父親のことだったのだ!
そういう経緯で、「お義母さん」は「私」の義理の母となり、「私」は「弱者男性」たちと同居することになった。
同居せざるを得ないところを見るに、「私」はまだ未成年なのかもしれない。単身赴任で置いていくな、父よ。
昔はやったネットスラングに「レベルを上げて物理で殴ればいい」というのがあったが、結局レベルを上げるゲームはどれもそこへと収束してしまう。
ゲーム内のあらゆる行為がプレイヤー自身の成長によって成し遂げたものではなく、キャラクターのレベルを上げた結果になってしまう。
それが凄い無駄に感じるようになった。
キャラクターの成長を概念的に感じるためのシステムだと説明されても、俺はプレイヤーとして成長の実感をシンクロして味わいたいと思ってしまう。
勝利とは「レベルを上げたことで物理で殴れた」のマイナーチェンジであり、敗北さえも「レベルが足りてないので物理で殴りきれなかった」となる。
PDCAサイクルを回して試行錯誤しようにもその裏にはいつも「そもそもレベルを上げればいいだけでは?」という疑問と「どんなに頑張ってもレベルが足りてなければクリア出来ないのでは?」という不安がつきまとう。
凄まじいストレスだ。
あんぐりと口を開けてメタルスライムを狩ったり、ポチポチとスキチケを消費してクエストを集会したり、そういった作業の多寡を示す指標でしかないのならそんな攻略に何の意味があるのか。
紙とクレヨンを渡されて紙を全部同じ色で塗れと言われた作業の進捗でしかないじゃないか。
その昔、TRPGにおいて最初に産まれた頃は、それは挑戦の指標、世界における自分たちの立ち位置を示す大事な役割を持っていた。
1人で遊ぶゲームにおいては序盤に出てきた護衛隊のレベルが10なのに魔王城の前の村人はレベル100で、もはやレベルなんてものはゲームの進行度以外何も示さなくなっていく。
ネットゲームですらレベルキャップに対してカンストした状態になってからボスに挑むのが当たり前になり、そこに挑戦の難易度を示す要素なんて消え失せているのだ。
もうだめだ。
簡単に「ゲームとして成立させた感」を出せる魔法の薬に依存しきっていまや多くのゲームが壊れてしまった。
もういらないんだ。
戦後の小学校が帝国陸軍を真似て運動中に水を飲むなと命じた無意味なルールのように、やってる感を出すためだけの無価値なごっこ遊びにいつまでも付き合わせないでくれ。
マリオを見ろ。
スプラトゥーンにはウデマエというレートはあってもレベルはない。
偽物共よ、消え去れ
承前。
ソースとしては、これ。 https://togetter.com/li/1821002
お断りとして、facebookとか、クラファン出資者へのメッセージとかは検索していない。
ASE(V陣) 板倉節子の誠実さには疑問を持っているので、そこにバイアスがあるかもしれない。
>なぜそれが知りたいのかわからん。
twitterとかで吹き上がっちゃう人の中には、何百件も来てる!って思い込んでる人もいる。
なので、その印象操作にはまってないか、聞いてみたかっただけ。
議員から、と言っても、新京成バスもそれなりに古い会社だから、社内で検討し、申込者に説明する、位のガバナンスはあるよね。
「クレームは、ASEで対応します」→「第一審査通りました!」→「また分かり次第、ツイートをさせていただきます」
これ以降のtwitterも見たんだけど、経過を報告しない、と言う不誠実さ。
ASEでクレームを巻き取って、第一審査通したんだから、それ以降もクレームに関係なく第二審査に臨んで、落ちた、と見るのが自然じゃないかな。
出資者に返金する際、経緯報告するだろうから、いつか分からないけど、その時真実は分かるってことなのかな。
ざっと見た、自分の推理では「クレームを巻き取って、第一審査通過、でも、第二審査通りませんでした。説明は控えさせていただきます。真実は返金時に分かる」かな。
https://anond.hatelabo.jp/20150616100638
に対する返答だ。
まず冒頭の部分だが、
「ほにゃららはゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」
ここまで来るのだ。
(中略)
それはゲーム自体の本質が悪いのではなく、あなたたちの人間関係がヤバいだけだろう。くだらない。あなたたちの人間性のクソさをゲームに転嫁しないでいただきたいものだ。
さて、読んでいくと、ゲームに関しての考え方や、そもそも人狼についてなにかしら誤解しているように感じる。見ていると
と根本的にゲーム性を勘違いしているからだ。もちろん推理要素もあるが推理ゲームではない、推理ゲームがしたいなら、他にも良いゲームはたくさんある。それはあなたのやりたいことであって、このゲームは推理以上のものが求められる。
人狼は推理要素だけで成りたっているわけではない。人狼の面白さ(これをゲーム性とも言おうか)とは何か? それは様々なものが考えられるだろう。たとえば、ドラマ的な要素、劇的な要素が上げられるだろう。近年ではTRPGなんかは持て囃されているが、共通している面がある。それは、演劇をすることによる楽しさである。最近の幼児を観察することは無いけれども、幼児の遊びにも「おままごと」「ヒーローごっこ」などするだろう。これらは、家庭やヒーローを模倣する遊びであり、演じることの楽しみである。演じながらも、ストーリーを楽しむ意味でドラマ的でもあるのだ。 つまり劇的であったり、演じたりするのは、人間に共通する楽しみでありエンタメである。人狼に話を戻すと、たとえば人狼がいて、人々がいなくなっていくなか、怯えながら、誰かを吊す投票をする村人を演じるわけで、そして、その展開の様相は劇的でもあろうだろう。初期の人狼は、役職なんて、村人か人狼か占い師しかいなかったのだ。それでも14人で遊んだりしたものだが、なぜそれらが楽しいかといえば、そこに表われる劇的なものに、みんなが目を離せなかったからだ。
ほかにも人狼が面白い要素がある。村人からの視点を見てみようか。たとえば、村人はだれが、人狼かを考えなければならない。そこで、多くの「ガチ人狼ゲーマー」は、「論理性」を武器に叩かう。つまり、人狼や人狼側の役職における、矛盾点を突いたり、人狼側の視点にたって、有利な展開を予想したりするわけだ。それは一つの「戦略」だ。しかしながら、根本的にそれらは一つの戦略でしなく、他にも、人狼は嘘を付かないといけないわけである立場上、どれだけ、上手くロジックを取り繕っていたとしても、その挙動や所作、発言の仕方などから、「嘘」を突いているというものをなんとなくだが、見わけられる可能性がある。人間は論理を思いつくには、どれだけ頭の回転がかかろうと、時間がかかるのだ。つまり多くの「嘘」をつかせるために、より多くの質問をしたり、また、 考える時間を観察したり、そのときの所作を観察したりして、見ぬくのもまた、戦略であり、それは、弁論内容の正当性とは関係のない、論理性と無関係な一つの戦略でもあるのだ。ただ、多くの日本人 における「ガチ人狼プレイヤー」とくに、ネットを介して行なわれているものは、「論理性」のみを戦略をしてしまうところがある。それはプレイヤー同士で、ゲームの戦略性の多くを失なわせる結果となり、ゲーム性をゲームプレイヤーが失なわせているだけなのだ。
また、これら以外にも村人の視点として「情報提供のジレンマ」もあるだろう。たとえば、ある人が「怪しいな」とするとすると、それに気づいたとして。それに生き残っている村人に同調して、その人達に投票してもらわなければならない。気づきを共有しようにしても、タイミングによっては、こちらが疑われるかもしれない。また、人狼に目をつけられるかもしれない。一方で、気づきを早く共有しなければ、村人側は不利になるだけだ。もしかしたら、人狼や投票によって、予想外に退場させられ、気づきを得ながらも共有できなくなるリスクだってある。そのところが、人狼をゲームとして非常に面白くする側面でもあるのだ。人間は正論を吐いたとしても、認めてもらうわけではなく、信頼を如何にして勝ち取っていくゲームか?みたいなものである。それは、プレイヤー間で互いによく理解しあうための社会性のゲームでもあるのだ。
このように、人狼がゲームとして、楽しめる要素は無数にある。だから人狼は遊ばれているわけだ。単純な推理ゲームではないのだ。というか、単に推理ゲームとして、見るのはとても浅く、見識が狭く、とてももったいない、残念な見方である。もちろん、論理性だけを楽しむのもありではある。精巧な弁論のを探索し、矛盾点を突いていくのもそれはそれで非常に楽しいことではある。しかしながら、それだけで、ゲームは成り立っていないのだ。また、ガチ勢人狼プレイヤーの多くがそのような見識の狭いゲーマーだと言うつもりではない。しかしながら、見識が狭すぎるプレイヤーが居るのは事実だろう。とても残念だ。
また、「人狼はクソゲー」 に書いているのも人狼ゲーム自体じゃなくて、 そうかくあなたがた(あえて「あなたがた」と対面ぽく書くとしよう)「ゲーム」に対する捉え方もやはり原因があるように感じる。 チームゲームに関することである。まず、思うのだが、「戦犯」を見つけたがるのだ。どうして、「○○のがこういうミスした、せいで負けた」 という、ゲームの敗北の責任転嫁をしているのだろうか。どうして、その人が「無能な存在」だと決めつけるのだろうか? 彼らは協力者である。彼等を無能だと決めつけ、ゲームの敗北の責任だとする、あなたがたもまた無能のように私は思える。「チームが負けた」という事実に対して、 そういう捉え方をするのであれば、そもそも「チームゲーム」にあなたがたは向いてないだけなのだ。
『チ ー ム 戦 だ か ら だ』
とかくように、チーム戦だからクソゲーだという。 違う。チーム戦だからクソゲーではなく、何度も言うが「あなたがたがチームゲームに向いていない」だけなのだとはっきり言わせてもらう。
また、あなたがたの「勝ち負け至上主義」にも根本があるように感じる。 人狼は本来負けたとしても楽しいものだ。 たとえそれが「理不尽な負け」であっても、その場の人間皆が演出したドラマティックな展開なのだ。なぜ、それを楽しもうとしないのだろうか? 確かに勝つ努力をするのがゲームだ。しかし、「最善の努力をした(つもり)にもかかわらず、ドラマティックな展開に巻き込まれて、それで負ける」 ことも人狼はありえるし、それが一つの人狼の楽しむべき価値なのだ。
結局、先程、敢げたような無数にあるゲーム性を無視し、自分達が想定する楽しみ方ができないから、あなたがたは「人狼」をクソゲーとするのだ。ただ、それは、単にあなたがたが「not for me」であるだけで、ゲーム性の問題ではない。
この間、灘中高出身の人たちが中心のグループで、推理クイズで遊ぶ機会があった。それは前提知識とかはいらない推理クイズで、純粋に推論力が試されるようなものだった。
いやもう、理解力が別次元よねあの人らほんと。処理と推理の速さに全くついていけない。ワイが一週間ずっと考えてやっとたどり着きそうな正解を2分くらいでポンポン出しまくる。仮にワイの能力が平均以下なだけだとしても、本当に異次元の能力だった。ワイはこの人らには逆立ちしても勝てんな、と静かに悟った。
もちろん、一般的に勝負というのは推論や理解力だけでは決まらないので何かしらワイが勝つものもあるかもしれない。それでも圧倒的な力の差にただただ絶望するしかなかったわよね……
受け入れられないとかじゃなくて、考えられる作者は頭いいなぁと思ってるだけ
将軍キャラとかだと調べてみたら明らかに過去の名将の戦略とかをアレンジしていてよく勉強しているなぁと思うし、オリジナルならその戦術や戦略は作者の頭からひねり出されたものなわけじゃない?
驚くような洞察力でトリックを見破る名探偵もそのトリックを考えて、それを推理する隙を敢えて作ったのもその作者なわけで、やっぱり作者の頭の範囲を出ない。
天才詐欺師が法律の穴や人の認知のズレを利用して大きな詐欺を働くときに、じゃあその仕組みを考えるのは誰なの?作者じゃないの? みたいな話をしたかったんだけどね。