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2017-09-21

MMTA-002

シルエット・ロマンスアラサー独身女の日常SEX

「あっち見てください、ビルに反射してる、きれい。一日が終わる。」

「私なんか撮ってて楽しかったですか?」

「同じことの繰り返し」

友達クラブに行ってて、私やっぱダメかもしんないクラブ

こういうドキュメンタリー系のAVが、すごく寂しくなる。寂しかったころの自分を思い出す。

ベタベタなフックに引っかかってるのは分かってる。

何もしてあげられないのは分かってる。

それでも何かしてあげたくなる。助けたくなる。

きれいな異性に性的欲望を惹起されて消費するのがポルノだ。

であれば、悲田院ポルノ的な要素を持っている。福祉ポルノ

根本に下心があるかどうかは関係ない。

助けたい気持ちがあって、行動に移せば、それは福祉だし、ポルノだ。

あの元官僚が言ってたことは、まんざら嘘でもない気がする。

パパ活だろうがババ活だろうが、

「騙してる/ない」「騙されてる/ない」とか、行為善悪は、

当事者同士の内心という聖域の話だ。他者言及するのは無粋だ。

アイドル(あるいはデータ上のアイドル)を応援して消費してる

みなさんなら分かってくれると思う。

2017-09-16

anond:20170915153747

私もさっきレイトショーで見てきたところ。

時間美人を観る映画でもあったし、性差役割善悪個人がどう使うかの難しい映画でもあった。感想ほとんど同じ。すっきり復習できてよく眠れそう、ありがとう。(教育の意義のところだけひねくれてるように思うけど、たしかに隙はあった)

個人的には、彼女最後まで使う武器が、武器っていうか縄だっのが興味深かった。痛めつけもするけどつなぎ合わせたり引っ張り上げたりもする。事実は一つかもしれないけど、受け止め方によって善悪/信じる疑う/苦楽と二面性を持つ。あと、最後攻撃のシルエットが十字架だったことも、私にはわからない西洋キリスト文化コンテクストがあるのかな、なんて。

女性活躍する映画として面白さで言えば、ゴーストバスターズのが楽しかった。でも十分、見るに値する!映画だったよ。

2017-09-15

anond:20170915153747

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまり白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

いやあ、でもネイティブアメリカンが「俺の土地を奪ったのはこいつらだよ」とさらっと言うのとか、ドイツ側もドクターポイズンいかにも女を捨ててきましたみたいな感じなの良かったじゃん。

古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか?

そこで「第一次世界大戦」なんじゃないのかな。人間だって戦争はする。でもいま起きているのは史上空前の「すべての戦争を終わらせる戦争」なんだぜ。っていう。

スティーブ

「僕は今日を救う、君は世界を救え」良いよねー。

スパイダーマン:ホームカミング

良いよねー。

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-13

平和的な北朝鮮危機終了シナリオ

このほか北朝鮮情勢にも言及米国について「これほど国際法上の根拠固執する組織体はない」と評し、北朝鮮核実験を行っただけでは「先制攻撃をしない」との見方を示した。

北朝鮮についても「米国軍事力行使させるようなばかなことはしない」とみていると語った。

海将伊藤俊幸氏「米国核実験だけでは北朝鮮先制攻撃しない」

http://www.sankei.com/west/news/170913/wst1709130071-n1.html

にあるように、トランプ大統領金正恩将軍も一線は超えない。

北朝鮮危機

(1)北朝鮮に対する警告:もし北朝鮮アメリカ領を先制攻撃し、アメリカ報復として北朝鮮武力攻撃した場合中国中立を保つ。(筆者注:中朝軍事同盟無視する。)

(2)アメリカに対する警告:もしアメリカ米韓同盟の下、北朝鮮先制攻撃すれば、中国絶対にそれを阻止する。中国は決してその結果描かれる「政治的版図」を座視しない。

(3)中国朝鮮半島の核化には絶対に反対するが、しか朝鮮半島戦争が起きることにも同時に反対する。(米韓、朝)どちら側の武力的挑戦にも反対する。この立場において、中国ロシアとの協力を強化する。

中国が切った「中朝軍事同盟カード」を読み切れなかった日米の失敗

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8375.php

で、中国軍韓国軍に一線を超えた理由を追及しているうちにいろいろ真相暴露されて

アメリカ北朝鮮および世界中呆然としているうちに中国主導で朝鮮半島非核化が達成

って、なるといいね

ちなみに北朝鮮ミサイル名前北極星」にはこんな意味があるそうです。

道教に由来する古代中国思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土擁護せんと欲す」とある

妙見菩薩

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9

2017-09-12

IkaMaruのなろう名軍師レベル発言目に入るたびにヘド

IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪別にしても政治のものがヘタクソすぎないか



なろう小説

主人公側の名軍師・名政治家中世領主を見下しつつ融和融和&融和一本でめっちゃスムーズ善政を敷く展開あるやん

あいレベルの脳と認識をなろうの外に持ち出して生きてる感じのあの人のブコメ

目に入るたびに「うふぅ」ってなります


物事をすごく単純にしか想像できず

門外のことでも「へたくそ過ぎ」と言い切れて

自分処方箋は融和一本これでうまくいんや!みたいなね

あの人の発言て常にそういうレベル

あれ見て「うふぅ」ってならない人はなろう小説にはまれると思う

まり自分責任でめんどくさいタフなことに取り組むようなことがなくてそれゆえの全能感に満ちてる人


俺は無理

https://anond.hatelabo.jp/20170912060013

5分で読めないカタルーニャ情勢の補足

5分でわかるカタルーニャ問題増田です。すごい伸びててビックリしました。増田ブクマ四桁行ったのなんて初めてです。みんなカタルーニャに興味あるんやな……!

https://anond.hatelabo.jp/20170910082231

ということで、補足説明の補足に来ました。

sgo2 東京税金地方にばら撒かれるのはうんざりから独立する!と言ったら他県民がどう思うか考えれば、スペイン中央政府辛辣なのも多少は理解できるかと。(その辺差し引いても愚行とは思うが)

その喩えでいうなら、東京はたくさん税金を払っているのになかなか高速道路は作られないし老朽化した鉄道しか走っていない、しかもどちらも他の地方では整備されているのに、という状況なんですよね(近郊電車整備計画実施率はマドリードがほぼ100%バルセロナでは10%以下)。

さらに、法律では介護費用中央政府自治州が均等に負担することになっているのですが、2014年度のカタルーニャ自治州拠出額は9億ユーロを超えるのに対して中央政府は2億ユーロ弱。2015年度のカタルーニャへの文化予算は凍結されたのですがプラド美術館への予算は増額。最も視聴率の高いカタルーニャ語TV放送局廃止対象として名前が挙がっています(この辺、詳しくは参考文献にある奥野良知「カタルーニャでなぜ独立主義が高まっているのか?」38~40ページを参照してください)。

仮に日本でこんなことされたら都民が怒っても許されるのではないかと。

mahal しか徴税権の上前問題ぶっちゃけバレンシアラマンチャアンダルシア辺りから見ても「ヤツら俺らより金持ってるやんけ」みたいな感情とかはありそうなのが、また難しそうな。

実は2006年カタルーニャ自治州自治憲章は、中央政府だけではなく、ムルシアラ・リオハアラゴンバレンシアバレアレス諸島の5自治州から違憲だとして提訴されていますムルシア自治州ラ・リオハ自治州はご承知の通り1県だけで1自治州構成しているところで、何やら思うところがあったのかもしれません。バレンシア自治州バレアレス諸島自治州というカタルーニャ語圏に属する自治州から提訴されてるのは、カタルーニャ自治州独立運動が単純に言語だけに根ざしたものではないことの証明といえそうです。アラゴン自治州は州内にアラゴン語という少数言語を抱えていますが非常に規模が小さく、むしろカタルーニャとの州境沿いに広がるカタルーニャ語勢力の方が強い州ですね(州としての多数派言語スペイン語)。要するにカタルーニャ隣接する全ての自治州から違憲だと訴えられてることになるわけで、ご指摘のような要素は間違いなくあるだろうなと。

shoot_c_na こういうアプローチだとカタルーニャ可哀想だろうが、視点変えたら「貧乏人の面倒をもう押し付けられたくない。中央が取り立てるから習い事が続けられない」にもなるので、憤る前に深呼吸した方がいい

スペイン語という習い事カタルーニャ人押し付けているのはスペイン政府の側なのですがそれは。

スペイン語を「学ぶのが当然」、カタルーニャ語を「地方しか通じない特殊言語で学ぶ必要特にない」扱いする態度こそがカタルーニャ人の怒りを買ってきたわけで。

IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪別にしても政治のものがヘタクソすぎないか

これはもう統治技法問題じゃなくて、国民党(や市民党からしてみたら国家のあり方の根幹に関わる問題なので、妥協できないんだろうなーと思います。彼らからすれば憲法無視国家統一破壊する暴挙を阻止しようと懸命なのでしょう。

hahiho これ中央政府側もカタルーニャに甘い顔した奴は失脚一直線みたいな空気感すごそう

ていうか、スペイン中央ではけっこう反カタルーニャ雰囲気が強いんですね。彼らにはカタルーニャ要求が反スペイン的なものに見えていて、カタルーニャへの反感が政治家だけでなく市民レベルでも見られるっぽいんです。正直それがどの程度「ふつう市民」の感覚を反映しているかは疑問ではありますが、与党国民党の台頭にあわせてそういう風潮も増大したとか。

もちろんカタルーニャ側もけっこう強引なことをやってたりするんですが、それでもカタルーニャ民意をそれなりに反映しているわけです。独立派独立するかどうかは別にして住民の声を聞くべきだよね派で議会のかなりの数を占めていますし。ところがマドリードの側は「一部の煽動政治家によって国家分裂が試みられている」という認識なんですね。これは話通じませんわ。

あと、分離独立ということで、カタルーニャ独立運動フランス国民戦線みたいな国粋主義的・排外主義運動だと誤解する人も結構ます。実際には既に指摘したように移民出自独立に賛成している人も大勢ますし、普段スペイン語生活してる人の中にも独立派がいますし、そもそもカタルーニャ独自ネーションと認めないのってスペイン国主義以外の何物でもないと思うんですが。カタルーニャ移住した子どもが無理やりカタルーニャ語を学ばされている! と憤るスペイン人も多いようです。自分たちカタルーニャの子どもにスペイン語を学ばせていることは気にならないみたいですね。

以下のような体験をした人もいて、割とナチュラルカタルーニャ人のことを下に見てるカスティーリャ人って多いんだろうなぁと。

これに関して、「みんながカタルーニャのこと悪く言うけど、実際に住んでみたら全然違うじゃん!」という内容の動画ようつべで人気になってたみたいです(上で挙げた論文の注9で紹介されています)。

https://www.youtube.com/watch?v=M14ebPJ-AtM

こちらの論文も参考になります

  • Kathryn Crameri, “Anti-Catalanism, Moral Panics and the Catalan Language: The Case of Ciudadanos de segunda,” Journal of Iberian and Latin American Research, vol.21, no.2 (2015)

atahara なぜそんなにカタルーニャには、民族的アイデンティティがあるのか?という辺りに興味がある。例えばフランスも強力に言語統一して、国を維持してるよね。イギリススペインよりうまくいってないし。

いや、フランスバッチリ少数言語アイデンティティは残ってますよ。公用語としての地位こそないですが、オクシタンでは地名の二言語表記なんかもされるようになってますし、フランス領バスクではバスク語が話されていますし、ブルターニュではブレイス語を公用語にしようという主張が昔からあります。そしてコルシカ島では第2次世界大戦後に分離独立主義者テロが絶えなかった時期がありました。かつて少数言語絶対認めないマンとして有名だったフランスですら、最近地域語の存在を徐々に認めるようになってきてます(まあ、それでも地域公用語にすら指定してなかったりするので、かつての面影は健在というか)。

ちなみに欧州の少数言語Wikipedia作りが盛んで、バスク語オック語などの有名どころだけじゃなく、コルシカ語版(https://co.wikipedia.org/wiki/Pagina_maestra)やピカルディ語版(https://pcd.wikipedia.org/wiki/Accueul)のWikipediaも作られてますね。

参考文献はこちらです。

stet "逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲"ここの論理おかしいと思った。後段を見ても「それ以外の言語のみを「義務」とする」のが違憲ということでは。

私もこの辺の法律論争は詳しくないので、具体的にどういう理屈違憲とされたのかは参考文献で挙げた『現代スペインの諸相』を見てほしいのですが、たぶんこれは「知る義務」との兼ね合いじゃなくて「使う権利」の方に引っかかってるんだと思います。「カタルーニャ語を使う義務」があったとしたら、それは「スペイン語を使う権利が侵されている」ということになりますよね。

anus3710223 仮に独立した際、ビルバオ処置は如何に/いいまとめ。元々カタルーニャには興味あったので、参考文献読んでみたい。

mrescape 独立したらリーガバルセロナとかビルバオも脱退なのか?それだけはやめてほしい。アメリカMLSにもカナダのチームあるよね?そんなイメージ

ビルバオバスク自治州のチームなので、今回の住民投票カタルーニャ独立宣言しても問題なくリーガ・エスパニョーラには残れますね……。バルサに関しては、スペイン側が「リーガには参加できない」と言明してたような。カタルーニャ共和国リーグを作るか、あるいはリーグ・アンに参加するか、になるんじゃないかと思いますhttps://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20151028/364245.html)。まあ、もしリーガ側が計算高ければ、独立が確定して覆せなくなった段階で残留してもいいとか言い出す可能性もありますけど。

gomaaji バスクはかなりの自治権を認められて停戦したのかなとぼんやり思ってたが、これを読むとバスク自治権なさそうで、あちらの解説もお願いしたい。

whirl 5分でわかるバスク地方もお願いしま

バスク自治州ナバラ自治州自治制度に関しては

が詳しく説明してくれているので、ぜひ読みましょう。かなりオススメです。

yogasa 権限委譲をしてしまっているのと教育なのかな。それと比べると本邦はおおよそ全ての国民47都道府県単一民族と思ってるだろうし統治成功しているんだなあ

いやだなあ、日本にもあるじゃないですか。選挙で示された県民民意中央政府にガン無視され続け、県民の怒りを逆撫でするような政策発言ばっかりされている、独自文化歴史を持つ県が。

最後

「5分じゃ読めない」って反応だらけだったの何なの!? ちゃんと5分でわかるまとめパートと補足説明パートは分けてたでしょ!? はてな民、読解力だけは信じてたのにがっかりだよ!1!!!

2017-09-11

幽白』対六遊怪T戦至高説

直前まで戸愚呂20%に頑張って剣さしたりとか船の上とかでよくわからない変な形の有象無象妖怪と戦ってたとは思えない洗練ぶり

各メインキャラスタイルがここで確立し、

幽遊白書』は六遊怪T戦で化けたと断言できる

  

桑原vs.鈴駒 妖怪鈴駒がほぼ人間に近い形態感性と判明し、漫画としてそれまでの残虐妖怪vs主人公Tの構図が崩れ善悪でなく対等の戦いに。そして戦力として不安視された桑原が対妖戦においても第一級の耐久&根性を持っていることを証明

飛影vs.是流 それまで強さをさんざんアピールしてきた最強敵が二番手に出て来る意外性、さらに味方がそれを上回る技で瞬殺。バトル漫画王道を粉砕するカタルシス

蔵馬vs.呂屠 母親人質に取った呂屠に対し蔵馬「今まで呆れ返るほど言い続けたセリフを言い直そう。最も危険な賭けなんだよ、お前が一番手っ取り早いと思っている手段は」頭脳戦のカタルシス

浦飯vs.酎  お互いに技を明かし、全力の力比べを心から楽しむバトルジャンキー気持ちの良い死闘

覆面     かわいいと後で判明

暗黒武術会編良い。

 

追記

calca 呂屠が次鋒で是流は中堅じゃなかったっけ?

すみません そのとおりでした

中堅是流が蒸発してビビって逃げ出した雑魚の首をはねて酎が登場という流れ

2017-09-09

anond:20170909215254

こういう話のとき経済や損得でしか語れない人がリアルと教えてきた日本道徳教育は罪が重いと思う

脱原発ときと同じ

善悪倫理は建前ですら語られずものの見事にみんな経済の話しかしない

ロボット日本の目指す頂きならモノホンのロボには勝てないんだからそんな民族はこのまま滅びるのが正しいと思う

2017-09-08

外道の歌だか善悪クズだかどっちだったかは忘れたけど、

~できないねえのグラサン過去話でちょっとカルチャーショック受けたことがあった

グラサンの妻が夜料理するのめんどいってことで冷食ですませようとしてたシーンで、弁当に入れる用の小さなコロッケの冷食を出してて、

弁当でなく冷食ですませるときにも食うもんなんだというカルチャーショック

弁当以外でたべちゃいかん法はないけど、あんなちっこいおかずを家でのメイン主食にするってのがどうもなあと思った

と、同時に、冷たい熱帯魚の冒頭で冷食をばんばん買い物かごに入れて、家では冷食チンしまくって、でも一応ごはんは茶碗にうつして、暗い食卓で3人でかちゃかちゃメシ食ってたのも思い出した

冷食ですませようとすると、調理の手間はないけどめっちゃお金かかるよなあと思ったシーン

2017-09-05

芸能人コミケの件で思ったこと

「いつからコミケはそんなにハードルが高くなったんだ。村社会的でよくない!」

的な意見が流れてきたのを見て思ったんだけど

コミケってそもそもけっこう前からハードル高いものじゃないのか?

黎明期の話とかはしらないけど、コミケといえば一般参加ですら軽い気持ち適当には出来ないというイメージが強いんだが。

芸能人だろうがオタクだろうが、そのへんの小規模な即売会やるのとは感覚が違うっていう空気はだいぶ前からあった気がするんだが、違ったということなのだろうか?

いかいかは別として、コミケがある種の「特別性」を持っていたのは事実だと思うし、

なんかコミケハードルを異常に低く表現した上で何か言うってのは

なんかかなりの違和感があるんだよなあ……


勿論、ハードルが高いことの善悪を論ずるのは必要なことだとは思うけどその善悪の論じ方が

コミケハードル低いはずだ、みたいなのが根拠になってるとアレっぽい的な意味で。

ハードでコアなオタクならともかく、一般人どころかそこまで深くないオタクオタクとしては深くても即売会には縁のない層、

そのあたりから見れば十二分にハードル高いとみなされてるのが現実じゃないのか。

それを無視して、コミケなんてハードル低いものだってある意味一部の深いオタク視点で語ってる人が

キモイオタクと違って常識がわかってる!」と評価されるってのはよく意味がわからない。

2017-09-03

インチキ療法への道は些細な実感で舗装されている

みかんの薄皮があまりにあっけなく溶けるのを見て、ふと重曹水で頭を洗うことにしてみた。増田、恥ずかしながらややふけ症なのである

さて、実際にやってみると、理屈はわからないが湯ですすぐよりは汚れの落ちがいいような気がする。尾籠な話で恐縮だが、湯船につかって頭に重曹水を振りまくと、時に米のとぎ汁の如き水がしたたり落ちるのだ。そして、その状態から普通の湯ですすぐと、今度は何かが固まったような感覚があり、それは普通にシャンプーを使って頭を洗うと溶け落ちる。

無論、何らかの理論があるわけでもないし(アルカリが何かと反応して鹸化するのではないかといういい加減な仮説はあるが)あくま体感に過ぎぬ。そして肝心なことは、数値化された改善度というものもないのであるある意味ですべては気のせいだ。ただし、善悪なり全くの無害なりはわからないせよ、何かが起きている実感はある。

この状態我流で辿り着いて理屈効果不明である、という事は一点の疑念もない。

しかし、これが何らかのインチキ療法の類で、藁にも縋る思いで始めた儀式だったらどうだろう。

効き目は不明だが、始めれば確かに多少の実感がある。その先改善が待っているのだ、快癒は近い、悪化していると見えるのは好転反応でやがて反転してよくなるのだ、と吹き込まれしまえば、信じてしまうこともあり得べし、と得心が行った。なにせ変わった実感だけはしっかりとあるである。それを上手く型をはめてしまえば、信仰心を獲得することはたやすそうだ。成程、この手の商売が尽きぬわけである

まあしかし、とりあえずは1袋買ってしまった(900グラム入りらしい)重曹尽きるまで、この意味がないかもしれない、下手をすれば逆効果かもしれない儀式を繰り返さなければならないのである

2017-09-02

相手が悪いか悪事である暴力体罰の形で許されるなら

より悪いことをして、相手を黙らせたほうが勝ちって言う力の世界

規則なんていらないし、善悪概念もいらない。

2017-08-31

コミケは閉鎖的」と認めたオタクは、ビッグサイト20年開催問題ふいにした

政府世界の風潮である多様性〟を少なくとも

オリンピックの期間中だけはアピールせねばならない

そのために様々な標識につたない英語表記したり

ヘイトクライムが無いと世界喧伝している訳だが

 

オタクが閉鎖的である当人が認めた今、

間違いなく彼らの中で、このイベントは都合が悪くなってしまった

 

閉鎖性ゆえに、コミケで「外人お断り」などの意見表明

あるいはコミケ不文律を知らぬ外人排斥しては

善悪はともかく、国際社会から批判が間違いなく巻き起こるだろう

 

このようなリスク承知の上、オタクに景気よくビッグサイトを貸し出すよりも

五輪の開催に注力するのは想像に難くない

2017-08-30

「どんなことがあっても殺しちゃだめなんだよ」の気持ち悪さ

https://anond.hatelabo.jp/20170830204145

わたしを殺すな」という主張ならばわかりやすい。そこには倫理正義もない。死に抗うあらゆる生物の剥き出しの本能である。これが他者も含め「どんなことがあっても殺しちゃだめなんだよ」と拡大されると途端に気持ち悪くなる。

食用、素材、害獣駆除スポーツハンティング等。人の都合であらゆる動植物の命を奪っておきながら人は殺すなという。それは人間至上主義である。今話題白人至上主義との違いは何か?どこで線を引くかだ。「白人とそれ以外」なのか「人間とそれ以外」なのか。

人間至上主義結構白人至上主義結構エゴ丸出しで生きるのもいいだろう。不利益があっても批難されてもそれが貴方主義であるならば貫き通せばいい。それを絶対的正義正論であるかのように主張するから気持ち悪いのだ。

人は人を殺しても構わない。群れにとって不利益であるから群れの理屈によって処罰されるだけのことである善悪問題ではない、損得の問題なのだ。そこを履き違えて正義を気取るからおかしくなる。

2017-08-28

[]落合尚之罪と罰」全10巻

資格さえあれば殺人も許されると考えていて、自分にはその資格があると思った中二病引きこもり大学生主人公

援助交際をしきってる女子高生リーダーを殺して金を奪い、援助交際グループの中でカツアゲされてる女子高生も殺す

完全犯罪のつもりだけど穴だらけでびびってる

主人公入院したベッドの横の患者も死んでその妻と仲良くなったりする

面白くなかった・・・

中盤までは全部セリフも読んでたけど、もう途中から終盤まではかなりななめ読みした・・・

10巻もあるけどほんと退屈だった・・・

お金のために殺して奪うってのが罪と罰と同じだってのはなんとなくわかったけどそれ以降がどれくらい原作をふまえて昇華されてるのかよくわかんなかった

主人公自分の罪を受け入れるまでの物語・・・?なのかなあ・・・

警察ひぐらし大石蔵人ビジュアル似てた

あと蔵人って名前もあったしオマージュかな

人二人も殺した人間が、レイプされて風俗に落とされてレイプの原因作った男の子供のためにお金稼いでる人間を責めてるところとかほんと理解できんかったわ

最後いい感じで話まとめてる感あるけど、全然解決してねー

クズのまま自己解決した主人公がほんと胸糞わるい

それを受け入れる女もも意味不明

数年前だったと思うけどホッテントリにあがってた記事で絶賛されてたから読んでみたんだけど、正直期待外れどころかひどい時間無駄だった

まだ渡邉ダイスケ漫画善悪の屑」のほうが、単純なカタルシスを楽しめるって点では上だわ

二次創作自体コンテンツ悪用しか言いようがないんだから

善悪で語られてもなあっていう

そんなこと言ったらコミケ二次創作だけじゃないとか屁理屈言うんだろうけど

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820160350

ポリコレは道具でしかない

その部分に関してだけは同意する

棒を振り回すのがポリコレだとは思わないが、ポリコレあくまで道具だ

道具そのもの善悪は宿らないのにポリコレが善か悪かを語るのは馬鹿馬鹿しい

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818112103

究極的かつ哲学的に言えば、自と他を分けること自体差別と同じ心の動きでもある。

まりすべての人間には、自ではないもの差別する種は、抱えているということになる。

からこそ、増田が言っているようなことも含めて、矛盾あいまいさも、そのままに話し続ける、コミュニケーションを続けることこそが大事なのです、みたいなことを、学生時代の恩師が言うておったよ。つまり意味がないなんてことはない。

白黒善悪の話ではなくて、あなたわたしの心のありようの話というか。白黒善悪にしちゃうとこんがらがるんだよな。

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817200113

ん?善悪両方するのが人間だろ?

差別は悪で、自分悪人で、だけど理想を持って善へと進もうぜ、っていうのが基本だろ。

なに高二病にはまってるのさw

俺の方だけ

返信が来た。実家帰省するタイミングで遊びに行こうと思って連絡したが、やっぱり泊めることはできない、と。「申し訳ないけども、そんな事情です。」とのことだ。彼氏が居ても『あなたがいい』と俺のもとに来た君の拒否は、本当の拒否だ。

君のことを一番だと思ってた。でもそれは、俺の方だけだった。

あなた以上の男はいない」とアゲてくれた。信じてしまっていた。半年ちょっとで新しく彼氏ができて、これである。でも思い返してみれば、熱しやすく冷めやすいような、そういうところのある女だった。過ぎ去ったことは箱の中。別にこれは善悪とかそういう話ではない。言葉は必ずそのコンテキストを反映するものである。だから『そういう人間だったね』という気持ちになる。

いや、ズルいよ。

確かに俺はこんな遠距離ならちゃんと別れようって言った。でもそれはお互い辛い思いをしないためで、いつかどっちもまだ気持ちが残ってればまた一緒になればいい、とも言ったし、本当にそう思ってた。実際は半年ちょっとでこう。結局君は俺の言葉とおり自分のために選択した。その結果俺は選ばれなかった。それだけのことである。だけど、置いて行かれたのは俺の方。あんなに好きだと言っていたけど、今も好きだと思っていたのは、俺の方だけだった。一番深いところでまだ繋がっていると思っていたのは、俺の方だけだった。

本当に女々しいと思う。

その晩は眠れないことがすぐにわかった。だからそのままチャリに乗って、河川敷を走りに行った。言葉にしきれない思いが多すぎた。

明け方河川敷は人が少なくて、涼しかった。雲の向こうの鈍い朝日が美しかった。鳥のさえずり、川の水音の響き、沿道に咲く花の鮮やかのすべてが心地よかった。ひたすらに身体を動かして、風を切ることに身を任せれば何か変わるかもしれないと思った。

でも全く気持ちも、考え方も、当然事実も、変わることはなかった。どうやっても思考の隙間に君への思いが入りこんできて、俺をかき乱す。

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810010142

痛快な作品って、漫画みたいに善悪分かれてて

悪を滅し、ハッピーエンドで終わる作品だろ?

 

そんな二元論コンテンツはわざわざ学校で学ばんでも

プライベートいくらでも見れるし

大人になってもそんな脳みそ

街宣車乗り回してるアホな方々沢山おるやん

 

多感な時期だからこそ 

多少苦痛でもグレーゾーン作品に触れて

色んな価値観を涵養すべきだろ?

抽象的な思考身に着けて、善悪分かれてるのが当たり前の世界

疑問呈せられるようトレーニングすべきじゃないの?

それが将来役立つかはまた別の話だ

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170807153630

道徳観というよりも、言葉用途の違いでしょ

ことの善悪を裁く意味使用するのか、相手諌めるつつ慰める意味使用するのか、諦めて気持ち整理するために使用するのか。なぐさめるために使用するのか。

1番目の意味で使ってる人は少ないと思うが

2017-08-07

道徳観の違い

道徳観と倫理観の使い分けを間違ってたらすまん。

落とし物をして、それが誰かに盗られてしまった経験はないだろうか?そういった状況で「それは落としたあなたが悪い」と言う人がいると思う。自分はそのセリフを「もちろん盗んだヤツが一番悪いが、注意を怠ったあなたにも若干の責任があるとも言える」ぐらいのニュアンスだと思っていて、「落とした人が悪い」という言葉は主に「自分にも責任があると思って諦めろ」という、盗人に対しての憤りを落ち着かせるために自分に言い聞かせるものであって、基本的被害者に対して掛ける言葉では無いと思っていた。もし同じ様な言葉を誰かに言うとしても「あなたが悪い」という表現は使わない。何故なら基本的に9:1の割合で盗んだやつが悪いと思っているから。

先日自分の不注意で図書館suicaを忘れてしまったのだが、気がついて取りに戻ったときにはもう無かった。落とし物として届けられてもいないそうなので、多分盗られたのだと思う。そのことを連れ合い愚痴ったところ「落としたあんたが悪い」と言われた。その時に違和感を感じたので詳しく聞いてみた所、どうやら彼女は落とした本人が100%悪いのであって、別に落とし物を盗む(というか、拾う)人は悪いと思わないそうだ。「私なら落とし物は届けるけれどね」とは言っていたけれど、人のものを取ることは非常に悪いことだと教えられて育った私としては、非常に衝撃的な意見であった。

しかし世の中には「人に物を盗ませるきっかけを作った落とし主が一番悪い」という考えを持つ、自分からしたら菩薩のような考えの人もいるわけで、そんな人からしてみたら、「人のものを盗みやがって!」と憤っている私は自分勝手なやつなのだろう。

自分はごく普通の、一般的道徳観というか、善悪判断基準を持っていると思っていた。けれどそれはどうやら傲慢勘違いだったらしい。そしてそれを勘違いと気づいていなかったことは、とても危険ことなのではないだろうか。

2017-08-04

なんでみんな悪をさばけるの

メロンに罪はないし、出来事は不幸だと思うけど、どうして直接関係のない人たちが、犯人を推察したり特定文化を悪いもの評価できるの。そんな発言責任持つ勇気があるの。一方の発表だけをもとに自分意見を発信しちゃうのって怖くないの。もし宇宙人仕業だったら、農協や内部スタッフや同郷同業者村社会や、その他揶揄されている存在にどお詫びできるの。

集団ヒステリー私的リンチしか見えない。白黒はっきりつけるのは司法の場ではないの。今日まで存在を知らなかった他人に起きた出来事の、罪を断罪する立場にあるか、わきまえる賢さをどこに置いてきちゃったの。

インターネットはいからこんなに煽動的になったんだっけ。大勢が振りかざすインスタント正義の集中砲火、それがまかり通る風潮、善悪関係なく恐怖だよ。発信できる人だけが強者になってしまう。

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