「善悪」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 善悪とは

2017-11-22

社会はそんなに善悪スパッと分けられるものじゃない

例えば、あなた生活保護受給申請を受け付ける担当責任者です。ある生活保護受給申請をしてきた人がいるけれども、その人は書類不備でした。しか申請してきた人にはわからないけれども、自分が少し手直しをすれば十分申請を通す事ができる。ルール上本来であれば申請してきた書類に手を加えてはいけないとされている。さて、あなたは手を加えますか?それともそのまま突き返しますか?

もう一つの例として、あなたはある会社財務担当社です。このままではあなた会社資金ショートしてしまうのですが、ある会社が大量に購入してくれると申し入れがありました。しかし、その購入は月末にはキャンセルして、お金を返金してほしいという申し出でした。ただ、月末には銀行から融資の振込があり、資金ショートを免れることができます。加えて黒字だったので、どんどん利益を伸ばすことができます。この場合あなた取引先の申し出を受けますか?断りますか?

サンデル教授正義の話と同じ性質を持つものだが、普通に生きている上でも十分上記のようなことは起こりうる。もちろんルール通り運用することは正しいことであり、避難されることではない。しか自分が少し手心を加えることで、多くの人が救われるという場合も往々にしてある。

まり社会経験を積んできていない人、考える力が足りない人というのはだいたいルール通りやればいいと考えがちだ。それは間違いではないが、ルールを逸脱した人にはそれなりに理由があるということを忘れてはいけない。意見を変えろとは言わないが、自分と違う意見を持つ人の立場に立って考えることも大事だということだ。

ルールどおり生きれば幸せになれるなら、そんな楽なことはないのだから

今日はい夫婦の日

いい夫婦の日があるならい豆腐の日もあるに違いない。

と思ったらなかった。

豆腐の日しかない。

豆腐自身善悪はない、それを決めるのは人の心なのだ

2017-11-20

赤ちゃんは無邪気であり、それとは別にまれた時からである場合がある

子供に罪はないというが本当だろうか。

子供善悪区別はつかないという。

なるほど、子供人生経験知識が乏しいため、そうであるだろうという予測は概ね納得できる。

しかし、善悪区別がつかないということは、善悪性質内包しているという反証である

また、善悪の見境なく生きるという事は、生まれた時は善悪に別れると言って齟齬はないだろう。

まりは、生まれた時から罪の性質に振れた赤ちゃん存在するのだ。

そして生まれ赤ちゃんに罪はないという決めつけこそが、大人エゴであり罪である

罪を認識できない人間を利用しているのだ

2017-11-18

anond:20171118142659

戦争平時の一番の違いは、殺人が悪から善に変わる事。

人間価値観なんて相対的ものに過ぎず、絶対善悪はない。(殺人=悪は絶対ではない?)

 

からこそ、人間戦争ができるんです。殺人事件が起こるんです。

もしも「戦争殺人が善」とならなければ、戦争ゼロでなければおかしい。兵器も廃絶しなければおかしい。

しか現実には戦争が起こっている。新兵器も開発され続けている。(必要悪とは言い方を換えれば消極的な善なんだよね?)

 

人間プライドがあるから善を装っているけど、一皮向けばただの獣。

実際他の動物(牛や豚など)を殺して、毎日その死体バラバラにして食い漁っているでしょう。それが人間の正体なんです。

みんな焼肉が好きなように、殺人戦争も実は大好きなんです。ただ広言すると批判されるので善人ぶっているだけなんです。

普通こういうことは子どもとき理解している常識だと思っていましたが違う人もいるのかな?(煽り

2017-11-16

はてなー善悪境界が分からない

https://anond.hatelabo.jp/20171108201122

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171108201122

の話の件です。

「悪いことはしていない」の合唱

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.skky.jp/entry/2017/11/12/212624

を見ると、「悪いことはしていない」という主張が

このブロガーの身内の擁護のほかに、そうでない連中からも出ている。

上を見れば誰が言っているかは分かるため、該当するコメントだけ抜粋する。

しっきー 生きていたのか?!俺だーっ!ま、まあ、確かにウェブゲキ含め2回失敗はした。しかし、失敗しただけで悪いことはしてない。その通り。結局、イケダハヤトは偉大さ。彼は失敗し馬鹿にされても続けたんだ 

ものすごい実験結果…。ブクマの件だって返報性の原理利用しただけだしそんな悪いことと思えない。ゴミって言ってるけど売上があるってことは需要があるからだし、誰かの役に立ってたって事じゃないのかなぁ。 

かに一般に言う「悪い事」ではないと思うが、ゴミだと認識していながら「ルール問題ない」「金になる」を理由に量産を続けていた事はやっぱり嫌われる行為になるよなと。ゴミじゃないものを作れば大勝利なのにね 

ほとんどのネットユーザーリアルライフネット上で人格を使い分けているのに、ネット上でペルソナを使い分けるのが悪いことや恥ずべきことだとは思わない。

はてなブログ、公開していた記事の再更新が最新記事扱いされないように変わってたんだ。/ これは手法の公開も、現在の心境吐露としても良記事実際何も悪いことはしていないと思う。

かに悪いことはしていない。けれどやはり「しっきーで稼ぐ」という選択肢がなかったのは後ろめたいことなんだろうなという気がした。

とにかく「悪いことはしていない」と主張を繰り返している。

理解できない。

物を紹介して売る際、身元を詐称していた

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.skky.jp/entry/2017/11/12/212624しか互助会特有気持ち悪さはあって、自意識と結びついた状態ブクマ営業がんばるのは精神的にキツい。オンラインゲームネカマをするようなノリが必要。(クラシックスは女性という設定でやってた。)

アフィサイトでひたすら商品オススメして売ることで利益を得る際に、「ネカマをするようなノリ」で身分を偽っていた。


http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:f1kJmdeDPfsJ:www.kurashix.com/entry/1+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 

軽く自己紹介

年齢、性別はご想像におまかせします♪
好きな言葉は、「幸福に暮らすことが最高の復讐である」……スペインことわざですね。これをモットーに行きています趣味は、家具ガラクタあさりDIY料理、小物作り、フィギュアなどです。
作るのも買うのも好きな消費大好きっ子です。もう少し若かったらブログじゃなくてYouTubeをやっていたかもしれません。
しかし、残念ながら機械に弱いのと人前に出るのが苦手なので、ブログやらせてもらおうと思っています文章を書くのは大好きで、仕事をしている間も小説エッセイなどをたまに書いたりしていました。

完全にノリの違うキャラを演じている。

身元を詐称して商取引をする事は悪いことではないのか

ネットゲームネット人格ネカマをして遊んでいる分にはタチの悪いジョークで済むだろう。

だがこれは、物事金銭で商取引をする上で詐称していたことになる。

もう少し整理しよう。

-人畜無害そうな女性を装って
-思ってもいないものオススメと称して売る

これは悪いことではないのか。

実際は互助会奨励するブロガー

本人もゴミ認識している記事を量産していた

これは悪いことではないのか。


たとえば「消防署の方から来ました」と称して消火器を売るのは

経歴を誤認させた上でまがいものを売る詐欺行為である

-消防署から来た人物のように装って
-思ってもいないもの必要ものと称して売る

これは実際は「~の方から来ました」と言っているため

明確な詐称はしていない。それでもこれは悪い商法として認識されている。


しかし今回の場合はそのボーダーを1歩踏み越えて

「明確な意図を持って明らかな身元詐称をして」 品質を誤認させるやり口で物を売っている。

これはなぜ悪いことにならないのか。

私の中では善悪境界で見たら消火器販売詐欺より悪質だと認識している。

だがはてなー達では今回の件は「悪いことではない」という認識がそれなりの数まかり通っている。

身元詐称で誤認させた商品購入の被害にあっても同じことが言えるのか

「悪いことではない」と言っている連中は、自分家族自分のご両親が

こういった身元を詐称した人物が紹介する、品質を誤認させた紹介で物を購入したと判明した時

怒りを感じないのだろうか。

不愉快に思わないのだろうか。

身内が被害に巻き込まれても、それでも「悪いことではない」と言えるのだろうか。


もし自分が、同じようなオススメや紹介を真に受けて商品を購入して

実際はオススメの内容なんかまったくあてにならない商品だった場合

怒りを感じないのだろうか。

不愉快に思わないのだろうか。

自分自身被害に巻き込まれても、それでも「悪いことではない」と言えるのだろうか。


詐欺紛いの行為は、ネットの上では赦されるのか。

詐欺紛いの行為は、特定人物では赦されるのか。

はてなー善悪境界が分からない。

2017-11-13

[] #41-4「注文の多い客」

俺はオサカの話を思い出していた。

バイト仲間のオサカは映像コンテンツが大好きで、自前のサイトレビューもちょくちょくやっている。

そんなオサカにレビューの是非について何気なく尋ねたことがあった。

皆なんで、他人評価をそこまで求めるのか俺には分からなかったのである

結局、自分にとって最も信頼できるレビュアーは、自分自身じゃないかと思うからだ。

理由は人の数だけある。意見を分かち合いたい、何らかの指標が欲しい、千差万別さ。それでも言えるのは、レビューを求める人間がいて、レビューを書きたい人間がいるのは間違いない以上、無下にするのも難しいということ」

レビューそれ自体にも価値があるってことか?」

「そう言ってしまっていいだろうし、自分もそう思ってレビューに臨んでいる。だからこそ下手なことは書かないよう心がけているわけだし」

「お前の考えは分かったが、みんながそこまでレビューに対して何らかの志を持っているとは俺には到底思えない」

「まあ……そういう人も含めての“千差万別”だから

レビューを書いているオサカですら、芳しくない答えだった。

そんなものにガキの弟が関わることを、俺はとてつもなく危険だと感じたんだ。


…………

弟がトイレに行っている間に、俺はタイナイに詰問した。

タイナイ、どういうつもりだ?」

「え? 何が」

とぼけるなよ。弟をあんなにレビュアー気取りにさせて、どういうつもりだって聞いているんだ」

「マスダが何を問題にしているのかよく分からないよ」

「本気で言ってんのか? 弟のような実績もない人間に見せかけだけの権威を持たせて、そんな人間発言大勢の前に発信する。弟だけじゃなく、大衆や店を弄ぶ行為に何の疑問も持たないのか?」

レビューというもの本質的には個人意見だ。それを他人にも理解できるよう体系化することがレビューだよ。是非もなし、だ」

「何がレビューだ。こんなネガティブヘイトにまみれたものが。何かを貶したりすることをわざわざ書かなくても、もっと誉めることばかり書いたっていいだろ」

「それは大した理屈じゃないね。貶してばっかりのレビュアーダメだというなら、誉めてばっかりのレビュアーだって同じことだろ。マスダはそもそも前提の段階で誤解している」

「俺が何を誤解しているっていうんだ」

価値には絶対的もの相対的ものの側面がある。何かを誉めることは何かを貶すことに繋がるし、何かを貶すことは何かを誉めることに繋がるんだ。それを言語化することも批評の一形態なわけ。なのにダメだって思うのはマスダの気持ち問題しかない」

「その批評安易に振り回される人間がいることを知っていてもか? そんなものがなければ起きなかったトラブルだってたくさんあるはずだ」

「この大衆文化個人の確固たる意志だけでは止まらないし、止めるものでもない。できるのは個々人がそれをどう受け止めるかのみだ」

「それって要は自分レビュー責任はないし、持つ気もないってことだろ。なのに発言権だけは行使するなんてムシがよすぎる」

「だからネットってのはそういうもんなんだってネガティブヘイトを許容も順応もできず、無視することすらできないなら、レビューはもちろん他人意見巣窟であるネットのものを利用しない方がいい。マスダは僕たちの批評スタイルが気に入らないのを、善悪問題に摩り替えているだけだ!」

弟にレビュアー気取りをやめさせたくて、タイナイのほうを説得してみたが完全に失敗だった。

タイナイにとって、ネットリアルと地続きであることを忘れていた。

人は現実に対してどんなに不平不満をもったところで、それとなあなあに付き合って時には自ら楽しさを見出す。

タイナイにとってのネットもまたそう変わらないことなのだ。

「いやー、いまトイレ入ったらさ。今どき和式だったんだよ。この店サイテーだ」

「なるほど、レビューに書いておかなきゃね」

このままじゃ組合に目をつけられて、大事になるのも時間問題だ。

タイナイは承知の上かもしれないが、弟までそれに巻き込まれるのはよろしくない。

どうにかできないものか。

(#41-5へ続く)

2017-11-12

子供顔写真ネットあげるやつ

自分顔写真は決して晒さないのに、子供のは嫌というほどSNSなどにあげる奴。

せめて子供善悪判断できる年齢になってから、本人に許可をとってからあげてほしい。

2017-11-03

https://anond.hatelabo.jp/20171103212946

お前の目的は、良いハロウィンと悪いハロウィン比較だろ?

その比較をしてるのは俺じゃなくて、@ideno1111な

お前がそいつツイッター貼ったんじゃねーか

健忘症か?


俺は

「ideno1111はこういうことを言ってるんだよ、お前は論点ズレてるよ馬鹿

って解説してあげただけ。

馬鹿の混乱した頭を整理してあげようという善意第三者

まさか更に混乱してideno1111と俺を混同してしまうとは思わなかった。

馬鹿の脳のメモリの貧弱さを舐めてたよ。


そこで、明らかにかく乱要因の素材を持ってくるやつが悪い。頭悪いのはお前だろ?

ideno1111の「正しいハロウィンは」ってだけの論点

山口組は悪い奴等なんだから」という変な素材を持ってきたのはお前。

頭が悪いのはお前。

健忘は勘弁してくれ。


もっとも、これが「山口組はいいんだよ!」という比較をするために持ってきたのならこざかしい。それぐらいで山口組の良さをアピールできると思ってるお前の頭が悪い

ideno1111も俺も山口組善悪の話なんかしてない。

山口組善悪の話を持ち出したのはお前。

ハロウィンの話しかしてないideno1111に対してね。


お前は最初に思った以上に脳が壊れてるな。

2017-11-02

プラごみという概念が私をダメにする

ごみ分別が厳しいことで有名な横浜市で生まれ育ち、この度プラごみという概念存在しない地域引っ越した。

燃える燃えいか、ただそれでしか判断しない。楽だが少しずつ罪悪感に心が蝕まれていく。

燃えるか否かでごみをわけるのは、ものごとを善悪判断するのではなく、その利益しか判断できないということなのではないだろうか。

私はもう悪い人間だ。もう悪い人間なのだから何をしたっていいのだ。これ以上落ちることはないのだから

でもプラごみ生ごみ混ぜるとプラごみが潰しにくくてスペース取るから結局分別してまとめて出してます

2017-10-24

こんなにアニメがあるとテーマとかどうでもよくなってくる

クールこんなにアニメがあって、多かれ少なかれそれぞれにファンがいて、

そう考えると、物語によって描かれた何かの善悪とか、主義主張みたいなものも、全て相対化することが出来てしまうんだなと思えてしまって、

物語テーマっていうやつに拘るのが凄く馬鹿らしく思えてくる。

映像の美しさとか、キャラクターの可愛さみたいなもの自分感情に訴えるから裏切らないから、

段々そういうものでばかり作品を選んでしまうんんだなあ。

2017-10-22

anond:20171022083613

書いた者です

私も現代の諸問題が複雑になっていて、且つ右左のような立場では割り切れなくなっていると思い、このようなことを書きました。

いっきり整理して、経験主義に基づくか基づかないか、それのみを分類に採用しようと思います

なせならば、教会権威知を否定し、知識を疑いながら信じ、その手法を自ら所有するという科学思考と営みは、経験主義に基づくものであり

敵味方ではなく、個物と普遍眼差しを向けるのは、このような思考からです。理屈っぽく言うと。なお、私は聖書所有主義のようなプロテスタント宗教こちらに含めます

庶民への啓蒙机上の空論、などと言わず科学思考、というか敵味方で善悪判断してしまう傾向論と、個物つまり個人をちゃんと区別すること、などといった根本的なことを疎かにしてはいけないのではないか、と思います

2017-10-18

anond:20171018142053

パクるのはさ、嫌だけどまあいいさ。

ただこっちが色々経験して最終的に「問題は何か悪者がいるわけではなくそういう世の中だから」っていう結論になったのに、あのエントリ書いた無職バカ物事善悪の二分の一の話に雑にまとめて対立を煽ってるだけだってのが気持ち悪いし死んでほしいと思う理由

どうせパクるならもうちょっとましなパクり方してもらいたかったね、糞野郎。まじで死ね

とりあえずお前はもうパクるな、死ね

2017-10-15

早寝早起きが偉いという固定観念否定したい

朝型夜型の違いは右利き左利き程度の違いでしかなく善悪はない

2017-10-13

寓話

昔、ある特撮番組について語るネット掲示板を見ていた。

その作品自分が生まれる前のもので、自分はそこまで詳しくはないのだが、今なお不朽の名作として高く評価されている。

この作品を手がけた脚本家だか監督だかが、インタビューで、

「僕は子どもたちに、親や先生や偉い人の言うことだから、周りの皆がそう言っているから、と鵜呑みにするのではなく、自分の頭でものを考え、善悪判断できる人間になってほしかった。だからこの作品をつくったんだ」

といったようなことを語っていたのを、今も覚えている。

さて、自分がこの掲示板を見ていると、ある人がこう書き込んだ。

「この作品世間ではやたら高く評価されているけど、粗の多い内容だし話の展開も強引だし、そんなに名作かねぇ?」

すると、

「お前、世間評価の高い名作に文句をつければカッコいいとでも思ってるのか?中二乙www

「変わったことを言う自分自己アピールしたいんだろ?単にお前は空気を読めなくてウザがられてるだけだwww

「偉い人の意見鵜呑みにしない、周りに流されない、自分の頭でものを考える俺スゲー!とか思ってるんだろ?浅はかな奴www

などと、よってたかってバッシングが始まったのだった。

自分はこの様子を見て、「ああ、こりゃあかんわ」とため息をついた。

2017-10-12

山本寛さま

新章を貶すツイートリツイートしたり、放送時間の裏で内容にケチつける生放送したり、もう醜悪すぎるからやめてほしいです。

あなた委員会から酷い仕打ちを受けたのかもしれないし、元々の正義あなたにあったのかもしれないけれど、過剰な暴力によって善悪が逆転して見えます

テロリストみたいな状態です。(彼らも自らが正義だと信じながら、その活動は世の中から邪悪存在として認識されている)

それでもなお、あなたが受けた痛みに比べれば足りない、まだ続けるというのなら、せめて内輪でやって頂けないでしょうか。

相手が抵抗しない(我々には見えない)から最近はただあなた一方的攻撃を加えているようにすら見えます

あなた作品でない新章のことは切り捨てましょう。

不遜な言い方になりますが、それがあなたの為だと思うのです。

何より私は、あなたが何かを破壊する行為より、あなたが作るものがみたい。

いまは薄暮というプロジェクト、そしてまたそこに賛同してくれる新しい仲間を得たのだからあなたの新しい明るい未来を見せてください。

2017-10-10

フクロウカフェ別にいいじゃん

フクロウカフェ残酷なのだそうだ。劣悪な環境猫カフェ残酷なのだそうだ。犬や猫のペットショップ販売は悪なのだそうだ。たしかフクロウや猫が死ぬのかかなしい。かわいいから。でも同じ口で,金魚すくいは風情があっていいねなんて言うひとも見かける。金魚すくい水槽は,たいていが劣悪な環境なので,一部の強靭な(そして幸運な)個体を除けば,どんどん病気で死んでしまうのに。

たとえば金魚よりもニワトリが,ニワトリよりもフクロウや犬や猫が,人間から見て命が価値が重いのだと考えてみる。それはそれで仕方がないように思う。賢い生き物はかわいい特に犬や猫などは,その歴史的経緯から人間以外の動物の中では最も人間に近い権利を持つ。人間は生き物を恣意的に線引きしてきた。善悪はともかく,それは事実だし,そしてそのうえに今の平和で便利な世界がある。

フクロウカフェ犬猫ペットショップ販売の話は,「動物権利」の話ではなく,「フクロウ権利」や「犬の権利」「猫の権利」についての話だ。なのになぜか,「動物権利」などと主語を広げ,あたかもそれが絶対的正義であるかのように信じている人間もいる。恣意的に命の線引きをしたうえで,まるで平等であるかのように話をしている。傲慢だ。けれど人間はいだって傲慢なのかもしれない。

フクロウカフェ猫カフェ経営者傲慢なのだろう。

ペットショップ経営者傲慢なのだろう。

では,産業動物の肉を食べ,牛革の靴を履き,家猫を愛で,アニマルカフェペットショップ批判する,それは傲慢ではないのか?

厳格なヴィーガンなどは,ペット飼育についても反対するのだと聞いたことがある。そこまで厳格でなければ,批判一つ言ってはならない――それは窮屈だ。だから,身勝手に,批判をぶちあげればいいと思う。身勝手であることは権利だ。けれどペットショップフクロウカフェに石を投げているひとびとがいる場所は,果たして安全地帯なのだろうか。善なのだろうか。彼らが知らないだけで,あるいは気付かないふりをしているだけで,その背中には無数の石が投げられているのではないかフクロウカフェ残酷なのかもしれないが,フクロウカフェに石を投げているひとのことを,残酷でないとは自分には思えない。

2017-10-04

[] #38-2「危ないアニメ

そうして、とある描写が物議を醸す。

主人公たちの使う武器凶器子供が真似すると危険だと苦情が来たのだ。

父たちはその対応におわれていた。

「『私はヴァリオリが好きです。だが、ああ、なんてことだ。登場人物たちが凶器を持っている。青少年健全な成長を妨げる。これはよくないことだ』とのことです」

同僚のフォンさんが苦情内容の一部を読み上げる。

監督シューゴさんは鼻で笑った。

一見すると尤もらしいことを並べてはいるが、その実は抽象的なテーマに対して恣意的判断を下しているに過ぎないことは見え見えだったからだ。

「いつも通りの、杓子定規意見だ」

「とはいえ、これも“一つの立派な批判”です」

それでも厄介なのが、このテーマについて知らない人間反論しにくい程度のレトリックは使われていることだ。

「的確ではないが間違ってはいない」要素を抽出し、それを根拠自分の主張と織り交ぜてロジカルに語れば、いちゃもんは“一つの立派な批判”になる。

無視したいのに、無視するわけにもいかない非常に目障りな存在となわるわけだ。

「そうだな。言論のもの自由だ。そして、その内容をオレがどう解釈するかも、な」

「その結果は?」

「その意見自身の好悪の問題善悪混同している。それを正論に摩り替えて、意見押し付けてくるばかりの頭でっかちな輩だ」

シューゴさんの吐く毒がいつにも増して強い。

とあるごとにこういった“ご意見”がきていたためウンザリしていたためだ。

彼のストレス悪態は日々増すばかりだった。

「まあ、いつもどおり“前向きに検討”しておけばいいんじゃねえの?」

社会における“検討”というものは、得てして結論とはさして関係がないことは周知の事実だ。

シューゴさんの立場から見れば、その意見いくら論理的に見えても、そもそもの“目的”が同意しかねるものなのだ

その意見を「一つの批判」として了承し、真面目に取り合うこと自体が思う壺だと判断したのだろう。

そうして、今回もシューゴさんたちはスルーを決め込むつもりだった。

だが、やや神経症気味なフォンさんは疲弊していた。

「それが……今回は随分と大事になりかけていて、非常に面倒な状態に。“上”の数名からも『ウゼェから何とかしろ』とお達しが」

「は~ん……」

フォンさんの濁しつつも含みのある言い方に、シューゴさんは何となく察したらしい。

この時期、裏では『ヴァリオリ』の表現問題だと思っている人間たちが徒党を組んで、親会社に直訴していたのだ。

それに耐えかねた会社代表は、とうとう父たちのスタジオ通達を出したのである

「不服ではありますが、こうなるとガン無視というわけにもいきませんね……」

「そうですよ。それに一番困るのは、そんな理由で親が子供たちにアニメのものを見せないようにすることです」

「“子供のことも考えて”か。そのセリフを言うのはいだって一部の大人だよな」

しか子供を盾にされると、さすがのシューゴさんもバツが悪い。

シューゴさんの両親は厳格な人物で、そのため彼は少年時代を娯楽に飢えて過ごさざるを得なかった。

その経験から、親の理想子供犠牲になることほど悲しいものはないと思っていたのだ。

「……ちっ、分かったよ。もめ事が起こると疲れるだけだから、とりあえず従っておくか」

それは納得したわけではない、消極的判断だった。

シューゴさんは作り手として、多少の批判を恐れていてはモノ作りなんてできないと考えていた。

それを汲み取りたい気持ちは父やフォンさんにもあったが、上の声が大きくなったとき無視はいかないのが企業の常だ。

大人しく従ってくれるシューゴさんにホッとしたと同時に、彼の鬱屈とした想いが手に取るように分かることもあって父は複雑な気持ちだったらしい。

「では早速対応……と行きたい所ですが、スケジュール的に数話分の大幅な修正はもう無理ですね」

「そうですね。なのでオープニングの前に、ひとまず“あのカット”を挟みましょう」

「うげえ……“アレ”かよ」

(#38-3へ続く)

2017-10-01

https://anond.hatelabo.jp/20170930093744

男性同性愛者は一時期評価あがったのだと思います

女性に対して危害を加えず理解があるとか、美的センスが高いとか。

けど結局地に落ちてるのは公衆浴場などで見境なく乱行するところがあるなどの有害性が情報として流れてるからではないでしょうか。

なんでもそうだけど個人我欲を満たせる量的なもの善悪がきまるのかもしれません。

合成保存料AVも、一番人を殺してる車も、個人欲求を束ねることができたから。

同性愛者が自分たちの欲を束ねても、それを安寧を求めている束と対決するためにつかうと結局どちらかが折れる。

共存っていうのは対決じゃないでしょ。

お互いの束が接しなければ潰し合うこともなかったのに。

その切り込み隊長になるテレビの新キャラクターをつかって、境界線を引くのか攻め込んでくるのかで既存の安住者は態度をきめるでしょう。

ほかのマイノリティもいじっていいのか、もちろんだめだろみたいなことになってるけど逆効果だと思います

まず電気を入れたらむりやり情報が流れてくる媒体で、どんな形でも登場させて既存環境に適合させるストーリーをみせなくて存在し得ない。

存在していないものを突然理解しようとか日常にあらわれたらそれは異物として反応されて当然ではないですか。

どこかで喫水域をつくって、全員ではないにしても一部が両方を行き来できるようにする、広義の一般マイノリティを。

できるのはそこまでじゃないですか。

それ以上まぜて選択肢を用意する必要も、実際それが常態化して社会が成り立つとマイノリティの方も思ってないのではないですか。

いまの、いままでに形成されてきた人間生物生存環境がすべて間違っている、自分の愛こそが人のあるべきだ、とはどのマイノリティの方も思ってないですよね?

抗議するのはよいですけど、先に占領している一般攻撃するかたちで何度攻め入っても犠牲者を増やすだけで、みなその犠牲者を苗床に爪先立ちでバランスをとる形で社会付近依存するだけだと思います

なぜ共存を選ばないのか、という視点から口うるさく抗議してくるマイノリティの方は境界線を腐敗させそこに巣食うことを目的とした問題性のある他生物というイメージがつきがちだと思います

お互いの束ねた安住の領域を行き来するために傷つけあい、傷口同士を結びつけることで異なる環境社会拡張として得るならば、その傷口をつないだ管はとても清潔であるべきだと思いませんか。

輸血する二人の心がどういう形であれ、つないだ管が腐敗していたら両者の被害が甚大だと思うのですが。

どちらかが正しく、吸い取るために噛み付くような対話はいつまでたっても平行線だと思うのですがまずマイノリティ社会的マイナーである理由危険性ではなく少ないだけとか、安全であるとか、そういう交流はできないものなのでしょうか。

強弱で人を判断する人って

善悪で人を見る人と強弱で人を評価する人と、2種類いるなと最近思う

強弱で人を見る人は、強い相手が何をしても怒ろうとしない

そして媚を売る

でも弱い相手には平気で迷惑かけたり何もしてなくても怒る

から見てるとそんな理不尽な事をしているにも関わらず、自覚してない人がほとんど

2017-09-27

anond:20170927144221

善悪の話じゃなくてさ、

身を滅ぼすだけの条件反射感情的暴力ヤバいみたいな話。

2017-09-21

MMTA-002

シルエット・ロマンスアラサー独身女の日常SEX

「あっち見てください、ビルに反射してる、きれい。一日が終わる。」

「私なんか撮ってて楽しかったですか?」

「同じことの繰り返し」

友達クラブに行ってて、私やっぱダメかもしんないクラブ

こういうドキュメンタリー系のAVが、すごく寂しくなる。寂しかったころの自分を思い出す。

ベタベタなフックに引っかかってるのは分かってる。

何もしてあげられないのは分かってる。

それでも何かしてあげたくなる。助けたくなる。

きれいな異性に性的欲望を惹起されて消費するのがポルノだ。

であれば、悲田院ポルノ的な要素を持っている。福祉ポルノ

根本に下心があるかどうかは関係ない。

助けたい気持ちがあって、行動に移せば、それは福祉だし、ポルノだ。

あの元官僚が言ってたことは、まんざら嘘でもない気がする。

パパ活だろうがババ活だろうが、

「騙してる/ない」「騙されてる/ない」とか、行為善悪は、

当事者同士の内心という聖域の話だ。他者言及するのは無粋だ。

アイドル(あるいはデータ上のアイドル)を応援して消費してる

みなさんなら分かってくれると思う。

2017-09-16

anond:20170915153747

私もさっきレイトショーで見てきたところ。

時間美人を観る映画でもあったし、性差役割善悪個人がどう使うかの難しい映画でもあった。感想ほとんど同じ。すっきり復習できてよく眠れそう、ありがとう。(教育の意義のところだけひねくれてるように思うけど、たしかに隙はあった)

個人的には、彼女最後まで使う武器が、武器っていうか縄だっのが興味深かった。痛めつけもするけどつなぎ合わせたり引っ張り上げたりもする。事実は一つかもしれないけど、受け止め方によって善悪/信じる疑う/苦楽と二面性を持つ。あと、最後攻撃のシルエットが十字架だったことも、私にはわからない西洋キリスト文化コンテクストがあるのかな、なんて。

女性活躍する映画として面白さで言えば、ゴーストバスターズのが楽しかった。でも十分、見るに値する!映画だったよ。

2017-09-15

anond:20170915153747

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまり白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

いやあ、でもネイティブアメリカンが「俺の土地を奪ったのはこいつらだよ」とさらっと言うのとか、ドイツ側もドクターポイズンいかにも女を捨ててきましたみたいな感じなの良かったじゃん。

古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか?

そこで「第一次世界大戦」なんじゃないのかな。人間だって戦争はする。でもいま起きているのは史上空前の「すべての戦争を終わらせる戦争」なんだぜ。っていう。

スティーブ

「僕は今日を救う、君は世界を救え」良いよねー。

スパイダーマン:ホームカミング

良いよねー。

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

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