はてなキーワード: 1969年とは
https://anond.hatelabo.jp/20220623080117
1969年5月生まれ、男性、生まれた時からずっと福岡市中央区赤坂(けやき通りの裏手)に住んでいる。近所の人が見たら推定されるかも知れないが。
私は、経済政策は「大きな政府」「福祉主義」指示で、社会政策は「同性愛婚賛成」「男女別姓賛成」のリベラルで、外交・安保政策は「反共主義」「反韓国」「反北朝鮮」「反中国」のタカ派だ。必然的に合致する政党が無い。一番近いのは実は共産党だが、私は再軍備論者で改憲論者なので、そこでも相容れない。
旧政党で一番、理念が近いのは民社党で、今ならば国民民主党だろうが、国民民主党も政策があやふやなので合致しているかどうかもよく分からない。その、生まれついての政党孤児の私が、特に国政選挙でどう言う投票行動をとってきたかを書くので、参考になる部分があったら参考にしてほしい。
福岡市は県庁が郊外に移転したため、現在の小選挙区で言えば、都心選挙区は福岡2区になる。東京で例えるなら、都庁が江戸川区にあって、江戸川区が東京1区、秋葉原や銀座のあたりが東京2区になるみたいな感じだ。私は福岡2区の住民だ。
1994年、小選挙区制が導入されるまではここは旧福岡1区だった。定数は6人。
私が初めて投票したのは1989年7月の参院選挙で、この選挙では、自民党が大きく議席を落とし、社会党が議席68に急増して、野党が過半数を大きく制した。当時の社会党、土井たか子委員長が「山が動いた」と評し、開けて首相指名では、参議院では土井たか子が指名されることになった。私は、外交安保が不安なので、政権を社会党に委ねたいとまでは思っていなかったが、自民党の腐敗もあり、国内政策でリベラル寄りになって貰いたい思いもあり、社会党に投票した。候補は後に参院副議長の小野明氏(日教組系だ)だったと思う。
基本は、「社会党が政権を獲らない範囲内で野党に入れる」のを投票行動にしてきた。
そんな中で、迷いに迷ったのが翌年の衆院選だ。
自民党が、親子セックスの山崎拓、「(レイプを評して)元気があってよろしい」の太田誠一、野党系が同和ヤクザの松本龍、国会の爆弾男の楢崎弥之助、創価学会新人(後に公明党代表)の神崎武法だ。神崎が一番まともに見えるっていうのはどういうことだ? 福岡はかつて、玄洋社を生み出し、戦前の日本政界を大混乱に陥れた。その罰が福岡市民に与えられているのかも知れない、と思った。
あれが今まで一番苦悩した選挙だった。名前も忘れたが、仕方なく共産党の候補に投票した(その人は落選した)。
その次の衆院選は楽だった。定数が1人多くなり、先に名を挙げた人たちは全員当選したうえで、ぶっちぎりでトップ当選したのが日本新党の山崎広太郎だった。私のような投票先を探している人達の票を広太郎氏が吸引したに違いない。広太郎氏はその後、福岡市長を務めた。
その次の衆院選からは小選挙区制になり、私は基本、「民主党系」の候補に投票するのだが、つくづく福岡1区の住民でなくて良かったと思った。福岡1区の民主党代議士は松本龍だったからだ。もし私が東区の住人だったら、泣く泣く自民党の候補に投票していただろう。ここからも分かるように、「誰がまだマシか」「嫌な奴を当選させないためには誰にいれるのが一番効果的か」で投票すればいいと思う。
フィクション作品の影響
息子の義信の謀反、諏訪氏の出身の側室、諏訪御料人(諏訪御寮人)の子の勝頼が武田氏の家督を継いだ史実や、テレビドラマや小説などの創作物の影響により、信玄との不仲説や悪妻説などが流布している。また不器量で暗愚な上に公家の家柄を鼻にかけ、高慢で嫉妬深い悪妻という否定的イメージを持たれることもある。
これらのイメージはほぼ全て新田次郎作の小説『武田信玄』によって作られたものである。ただし、新田原作の映像化である1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』では、紺野美沙子が演じる三条夫人自身は信玄を慕うあまり南野陽子が演じる側室の湖衣姫(諏訪御寮人)への嫉妬心を抱く、「恋敵」としての役回りという感が強い。小説内の悪女要素は小川眞由美が演じる侍女の八重が演じた。また、小説版でも中盤以降は禰津御寮人や嶺松院と良好な関係を築こうと努力したり、自分の意固地さを反省したりするなど善性の面も描かれている。
2007年NHK大河ドラマの『風林火山』(井上靖原作)では、原作とは違い、可憐で繊細な少女というイメージに転換。池脇千鶴が演じる三条夫人は全く高慢なところがなく、ひたすらに晴信を慕いながらも芯の強い女性を演じている。唯一、偶然に晴信から柴本幸が演じる由布姫(諏訪御料人)への恋歌を目にしてしまい、女心から嫌味を言うシーンがあるが、その直後に目に涙を浮かべるなど一貫して純情な乙女として描かれている。また一方では諏訪御料人のイメージも「軟」から「硬」へ180度転換していることから、一般的に浸透してしまった歴史通念に対する、制作側の意図的な挑戦であると言えよう。なお、同じ井上原作の映像化である1969年の邦画『風林火山』では久我美子が演じている。
https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c
面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。
日本人は
受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC
詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
───────────────────
1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー)
その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して
プロヴァンスの言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して
1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン)
1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)
念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギー、スタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して
1907年 ラドヤード・キプリング(英)
真実のための本格的検索、思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生の理想主義的哲学を実証したこと
叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して
多岐にわたる文学活動、特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品が神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする
1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン)
崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して
1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク)
1921年 アナトール・フランス(仏)
1926年 グラツィア・デレッダ(伊)
彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して
ブッデンブローク家の人びと
1931年 エリク・アクセル・カールフェルト(スウェーデン)
林檎の樹
呪われた日々、チェーホフのこと
1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)
月を見つけた
楡の木陰の欲望
1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク)
車輪の下で
1950年 バートランド・ラッセル(英)
哲学入門
バラバ
テレーズ・デスケルウ
我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して
1962年 ジョン・スタインベック(米)
1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)
静かなドン
1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン)
1974年 ハリー・マーティンソン(同時受賞)(スウェーデン)
アニアーラ
偉
人気ブコメがこれだったので調べた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220528/k10013647181000.html
みたいなルサンチマン嫌いなんだよね
とは言え実際どうか調べないとね
いい記事があった
https://president.jp/articles/-/23753
これを見ると1250万〜1499万円くらいが一番子沢山とわかる
いや待て待て
https://president.jp/articles/-/23753?page=2
まあ傾向は同じ感じなんだろうが年代を揃えていない
それって1500万以上が年齢と相関していないだけでは?
https://president.jp/articles/-/23753?page=4
一般人 1.94人
差+0.06
詳細なデータがほしい
やっぱ詳細なデータを用いてバイアスを除いた統計ってあんまないな
子供が居る/居ないで言えば明確に金があったほうがいいという統計は見つかる
http://www.garbagenews.net/archives/683273.html
私にとっては特に必要もないが成り行き上まとめたので、いつか必要になった人のために共有しておく。
なお、分類は以下。
協賛 TOYOTA
発行は2000年4月の「トヨタ春の交通安全キャンペーン」がきっかけの模様。
・ムーミンとあめ
・ムーミンとおばけやしき
・ムーミンとおめんあそび
・ムーミンのおたんじょうび
・ムーミンのそうさくたい
・ムーミンのみんなで遊ぼう
・ムーミンのゆうびんやさん
・あめのひのムーミン
・ヘムレンさんのロボット
・ムーミン 魔法使の巻 - 原作 旧ムーミン第2話 「悪魔のハートをねらえ」
・ムーミン ふしぎなスプーンの巻 - 原作 新ムーミン第8話 「ふしぎなスプーン」
・ムーミン 進め!ぼうけんごうの巻 - 原作 ムーミン第?話
レコードのA面にはムーミンの話が、B面には日本の民話・世界の民話シリーズが挿入されている。
・第一集 ムーミン 月夜に踊る人形 - 原作 旧ムーミン第52話
・第?集 ムーミン 天国からの贈り物 - 原作 旧ムーミン第30話
・テレビ名作劇場5 ムーミン 悪魔がきた - 原作 ムーミン第?話
・テレビ名作劇場6 ムーミン さよならガオガオ - 原作 旧ムーミン第7話
とりあえず、以上。
『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争リトルスターウォーズ 2021』
ドラえもん自体は1969年に始まって原作者が没するまでだけに限っても長い作品なのでサザエさんほどではないが原作と現代で時代背景があわないところもある。
スネ夫が自主映画を撮る話が原作にはいくつかあって、最初は8ミリカメラ(フィルム)なんだけど、本作の原作(1985か)ではビデオテープで撮るカメラ。2022年の本作だと、おそらくSONYの「ハンディカム」等そういう運動会ユースタイプのビデオカメラ(デジタルメディア)で撮ってるように見える。4K、HDMI云々というやつ。
ビデオテープからアップデートしていると言えばそうなんだけど、いまやそのタイプのビデオカメラは絶滅寸前なんだよね。SONYとPanasonic、かろうじてJVCしか作っていない。CANONやSANYO、日立は撤退してる。
なんでかと言えば、皆さんご存じの通り、普通の写真機型カメラおよびスマホの動画撮影機能が進歩したのと、GoPro系の小型カメラに座を奪われたから。(コンデジの衰退と同じだ)
この質問は、ここ知恵袋だけでも、すでに21回出されています。これまでの回答を見るには「チャリンコ 語源」で検索してください。
以前私が2回答えた回答を手直ししたのが次のものです。
「チャリンコ」という言葉自体は、本来「子どものスリ」を意味する日本語で、江戸時代からある言葉です。60年代のやくざ映画でも「子どものスリ」の意味で使われているのを見たので、かなり最近まで「現代語」だったようです。
「ちゃり」には「ふざけた」の意味があり、「ちゃりげ」(もみあげ)もそうですが、もとは歌舞伎の滑稽な場面の「ちゃりば」、おどけた声の「ちゃりごえ」、おどけた女「ちゃりめ」>「おちゃめ」。ふざけたがきが「ちゃりんこ」で、これが「子どものスリ」や「子どものかっぱらい」の意味になりました。
私は1969年には大阪で友人が自転車をチャリンコと呼ぶのを耳にしています。
語源は、朝鮮語済州島方言の自転車「チャルンケ」、朝鮮語標準語の自転車「チャジョンゴ」がベルの「ちゃりんちゃりん」と合わさって、古くからある子どもスリの「チャリンコ」の言葉にかけてできた洒落言葉だったと思われます。
私の推定では、発生は1960年代初頭、発生地は、済州島出身の在日朝鮮人韓国人の多い大阪生野区あたり(ですが確証はなし)。
物理的物体のお片付けじゃなくてファイルの整理。あるリポジトリのルートがすごいこととなっていた。それで整理した。
★ 新しいリポジトリ建立
あと nkf-....mdとかいうわけのわからない名前のファイルに書き込んでたログを一部Wiki化。 あとはルートの下の
ReadMeの中身がごちゃごちゃなのを なんとかし鯛。
1969年以前の論文っていうフォルダ(PCのでなく物理的なもの)が出てきた。こんなものは電子ファイルを保存しておけばよいのであって紙媒体で保管する必要ないよね。そう思った。最近だと、デジタルオブジェクト・・・・さえ、アレすれば、電子ファイルが見つかるよってことで作業を進める。エルバキアン女史にありがとう。そういう感じで次から次から不要不急な紙媒体がでてくる。一生片づけできる。
川崎の奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクのチンコ神輿が有名なやつだ。
あのピンクちんこを奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統の危機だ。
あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋と新宿にあった女装クラブ、エリザベスが奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料も奉納して金山神社を支えていたと思われる。
このエリザベスはアント商事という会社が運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。
アント商事は元々女性用下着の商社だったのが、どうも通販で下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。
同商事はこれはニッチな需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学で安定的生存圏って意味だよ。
しかもこのニッチは下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。
そういう判断で1979年にエリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。
ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。
金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。
んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語のマルクス主義が萎んだあとに小さな物語の日本の伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄のいい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。
当時の金山神社の宮司は民俗学にインスパイアされ、自身の神社の昔の姿、江戸時代の伝統的な祭りを再現しようとした。特に性的な信仰っていうのは明治以降は国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避はナンセンスだ。
それで大根を男性器、女性器、いやそんな言葉の忌避はしちゃいけないな。ちんことまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現は民俗学的表現だからあしからず。
1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。
そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿を寄付ってわけやね。
あの屹立するピンクの怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿はオフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密の趣味っていう暗さもある。
んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代の習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。
因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。
15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。
しかも男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。
因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。
そういう情況でエリザベスの運営会社のアント商事は2020年2月に廃業してしまった。コロナの最初期だ。
一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察が道路使用許可出してくれないからな。
なので同社廃業でピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。
って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。
あと、他の男根神輿は健在だからちんこの消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。
なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。
最後に、はてな事務局諸兄には民俗学的必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題がクリックバイトになった事をお詫びしたい。
どうもすいまんこ。
小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分もイジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。
わたしは1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメの被害を被った。時期的には1980年代末から1990年代はじめごろだ。
小山田圭吾氏は1969年生まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件が1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/)
したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。
数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題がラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたしも投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。
そして、そしてハフィントン・ポストの記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。
確かに、現在は過去の犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。
小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分もイジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。
わたしは1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメの被害を被った。時期的には1980年代末から1990年代はじめごろだ。
小山田圭吾氏は1969年生まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件が1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/)
したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。
数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題がラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたしも投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。
そして、そしてハフィントン・ポストの記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。
確かに、現在は過去の犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。
調べてみました!
ほとんど確実。何故なら、人口統計調査により、ユダヤ人の戦前戦後の人口差は550万人程度はあり、人口統計調査の誤差を踏まえれば600万人程度のユダヤ人が殺されたことはほぼ確実である。別々の研究機関や研究者によって何度も推定は繰り返されているが、めちゃくちゃ極端に低く見積もっても約450万人程度とされており、大差はないと考えて良いだろう。ちなみに、否認派向けに言っておくと確認できる限り、否認派できっちり人口統計調査をした人は存在しないようである。否認論が嘘であるとバレるからか?w 出典は、『ホロコースト大事典』(柏書房)、芝健介『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』など。
これは数字は概ね合っているが、明らかに死亡者数ではない。英語圏でいう「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡ったアフリカ原住民は1500万人以上と一般には言われているが、学界では900万人-1100万人という、1969年のフィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった[注釈 2]、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。ただし、カーティンの説(彼自身は900万人強を提唱していた)には、一次記録が存在しない16世紀 - 17世紀初頭に関しての推定数が少なすぎるという批判もあるが、そうした批判を踏まえても1200万人を大きく超えることはないと考えられている[7]。
んー、これはよくわからん。以下では1000万人は正しいかのように思えるが、はっきりしない。
その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した[29]。
何故はっきりしないかというと、こんな記事を見つけたからである。
さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオの犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。
たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代の研究者の評価でもその人口は100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオが征服戦争の犠牲になったとしているが、当時の人口調査や統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。
16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった[橘玲の世界投資見聞録] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
何にしても一体、1000万人はどこから出てきた値なのか知識がないのでよくわからない。ここに書いてあるように、正確な統計値があるとも思えない時代の数字にどれほど信憑性があると判断すれば良いのだろうか?
んー、これも上と同じで、正確な統計があるとは思えない時代の話だし、ちょっと調べた程度ではさっぱりわからない。しかし以下のような記事を見つけた。人口がもしそうだとするなら、1000万人はあり得ない。
インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在の南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。
追記;↑と思ったが、Wikipedia「インカ帝国」によると、上の記事は間違いの可能性が高いように思われる。
前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ
しかしこの記事でも、虐殺の話はまるで出ておらず、「伝染病が壊滅的な打撃」ともあり、「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」の疑いが強い印象。
英語版Wikipediaを調べた。英語版は流石にやたら詳しい。これによると、1000万人は完全な出鱈目・デマである。デマ源を突き止めたいんだけどなぁ。
2010年のアメリカ合衆国の国勢調査では、自らがアメリカインディアンまたはアラスカ先住民であると認識しているアメリカ人は293万2,248人で、アメリカ人口の約0.9%でした[50]。 2011年のカナダの国勢調査では、自らがファースト・ネーション(またはイヌイットやメティス)であると認識しているカナダ人は183万6,035人で、カナダ人口の約4.3%でした[51]。 ヨーロッパ人が到着する前にアメリカ大陸に住んでいた人の数については意見の一致を見ていませんが、広範な研究が続けられています[52][53]。 52][53]現代の推定では、ヨーロッパによる植民地化以前に北米大陸に住んでいた人々の数は210万人から1800万人とされているが[54]、アメリカ国勢調査局は1894年に、1492年の北米大陸はほとんど何もない大陸であり、インディアンの人口は「50万人をはるかに超えることはなかっただろう」と主張している[55][56]。
インディアンの数は、感染症、ヨーロッパ人との衝突、部族間の戦争、同化、カナダやメキシコへの移住、出生率の低下などにより、19世紀には50万人を下回るまでに減少したという。主な原因はヨーロッパの探検家や商人が運んできた伝染病であった[57][58] 米国国勢調査局(1894年)は1789年から1891年までの102年間の戦争による特別な死亡者の推定値を示しており、その中には「個人的な問題」で殺された8,500人のインディアンと5,000人の白人が含まれていた。
米国政府の下で行われたインディアン戦争は40回以上にも及びます。彼らは、個人的な戦闘で殺された人を含めて、約19,000人の白人男性、女性、子供の命を奪い、約30,000人のインディアンの命を奪ってきました。実際に死傷したインディアンの数は、この数字よりもはるかに多いに違いありません。5割増しというのが安全な見積もりだろう[59]。
スターリンが粛清により大量の処刑者を出したのは史実であろうが、一千万人はいくらなんでも盛り過ぎである(実際には明らかにあり得ない非現実的な無茶苦茶誇張された数字もあったくらいであるが)。これは冷戦末期以降にソ連・ロシアが情報公開をしていて、確定はしていないが、概ねの数字はわかっている。おそらく粛清で処刑されたのは90万〜120万人程度と考えられる。
ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフの時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が「スターリンが支配した1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたこと」を公式に認めた。さらにソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年に作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年と1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。ソ連時代の統計[16]の開示[17]や、第三者による検証[18]を経ても、粛清された人物の合計数は今もなお公式に確定していない。
ウクライナへの人工飢餓として、ジェノサイド認定をしたらしいが、ジェノサイドと言えるのかどうかは議論の余地がある。しかし、何にしても、ホロコーストのように殺戮を目的とはしておらず、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉の犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある[7][2]。
この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナのユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同調を募った。一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。
全然知らない話だが、以下を読む限り、「2000万人」は盛っていると思われる。しかもその大半は天然痘などの疫病であるようだ。しかし、相当規模の残虐行為を働いたのは事実であろう。
自由国政府は当初は象牙を、後には貴重な商品となっていったゴムなどの天然資源を開拓した。自由国の軍隊である公安軍(Force Publique)の支援を受け、その領土は複数の私的な採掘利権に分割された。英白インド・ゴム会社(英語版)はとりわけ、その領土から利益を得るために武力と残虐行為を用いた。コンゴにおけるその政権は強制労働をさせ、ゴム収集のノルマを満たしていないコンゴ先住民を殺害し切断した。何百万人ものコンゴ人がこの期間に犠牲となったが[4]、死者の多くはコンゴ川下流地域の人口の半数近くが死亡した天然痘を含む、ヨーロッパ人入植者との接触によってもたらされた新しい病気が原因だとも特定されている[5]。
自由国時代には過剰死によってコンゴ人口が急減したが、死者数の推定値にはかなりのばらつきがある。数字は推定値であるものの、この時期に死亡したコンゴ人は人口のおよそ5分の1にあたる1000万人にのぼるとされている[6][7][8][9]。最初の人口調査が実施されたのは1924年であるためこの期間の人口減少を数量化することは困難であり、ウィリアム・ルービンスタイン(英語版)のように、アダム・ホックシールドが引証した数値はほとんど証拠に基づかない推測であると主張する者らによって、これらの数字は議論されてきた[10]。
これは適当な解説サイトが見当たらないので、自分の知識だけで言うけど、これも飢餓でしょ。数値は知らないけど、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」。
残り二つの中国のは自分で調べて。文字数制限で書けない。ともかく、人数の精度に問題あり過ぎだし、ホロコーストと同レベルで比較対象にできるものはない。ホロコーストはほんとに民族抹殺を狙った大量虐殺で、そんなものは人類史上見当たりません。かのアドルフ・アイヒマンは「欧州すべてのユダヤ人、1030万人を殺したかった」と述べたアルゼンチン逃亡中の録音記録があったりしますが、そこからもわかるようにユダヤ人絶滅は本気だったのです。
オランダで年金生活を送る男性が、出会いの可能性を高めるため、年齢を法的に変更する法廷闘争を
始めた。
エミール・ラテルバンドさん(69)は、1949年3月11日から1969年3月11日へ、出生日の変更を求めている。
ラテルバンドさんは自身の要求を、トランスジェンダー(出生時の身体的性別と性自認が異なる人)の
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「名前は変えられる。性別も変えられる。年齢はなぜだめなのか?」とラテルバンドさんはオランダ紙デ
・テレフラーフに語った。
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首都アムステルダムの南東に位置するアーネムの地方裁判所は5日、公聴会を開いた。4週間以内に
判断を下す予定。
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オランダ紙アルヘメーン・ダグブラドは5日、この訴えが認められるか裁判所は懐疑的だと報じた。
裁判所によると、個人に出生日の変更を認める法的仕組みがオランダには存在しないという。
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しかしラテルバンドさんは、年齢によって自分が差別されていると感じると述べた。また、自分の雇用機会や
マッチングアプリ「ティンダー」での成功率に、年齢が影響しているとした。
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「年齢が69歳では、制限を受ける。もし49歳なら、私は新しい家を買えるし、今とは別の車にも乗れる。
「ティンダーで69歳だと言うと、もう返事が来ない。49歳で私のこの顔なら、上等な位置につけるだろう」
ラテルバンドさんはさらに、医師によれば自分の肉体年齢は45歳だと主張し、自身を「若き神」だと説明した。
また、もし出生日を変更した場合、ラテルバンドさんは年金を放棄すると語った。
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オランダの憲法は、年齢を基準にした雇用上の差別を明確に禁止している。
ラテルバンドさんはメディア司会者で、やる気向上の講演も行っている。神経言語プログラミングの
教育者でもある。
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アニメ大手ピクサーが制作した映画「カーズ2」のオランダ語版で、登場キャラクター「ウラジミール・
トランコフ」の声も演じた。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%8E%9F%E9%80%8F%E8%80%B6
立原 透耶(たちはら とうや、1969年2月8日[1][2] - )は、日本の小説家、翻訳家(中国語)、北星学園大学文学部准教授(中国文学)[3][4][5]。2000年までは立原とうや名義を使用していた。本名は山本範子[6]。
1991年、『夢売りのたまご』でコバルト読者大賞を受賞する[2][4]。翌年コバルト文庫からデビュー。ファンタジー、ホラー、怪談などを執筆。日本SF作家クラブ会員。王晋康など中国SFの翻訳も行う。
立原透耶『拡散希望』|北海道ミステリークロスマッチ|note
ネタバレ前提で語るので、できればリンク先の作品を読んでから進んでもらいたい。短編なのですぐ読めるだろう。
猫かと思ったら人間で、人間かと思ったら猫(又)だった、というミステリとしてのオチ部分は別にいい(正直この叙述トリックもそんなに上手くハマってない気はするが)
俺が気になったのはこの小説で、犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人が描かれていることだ。
犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人を描いて何か悪いのか?ただの小説だしヒョーゲンのジユーだろ!?という声もあるかもしれない。もっともな意見だ。
たしかに、犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人なんてものは、これまで小説でも漫画でも映画でも腐るほど描かれてきた。現実でも実際にこのまんまな事件が存在するかどうかは知らないが世間一般の感覚では、犯罪加害者家族やイジメ被害者や知的障害や引きこもりや動画配信者や独身男性は犯罪を犯して当然の存在であり、フィクション内で描かれる彼らの女児誘拐監禁レイプ殺人も、何の違和感もないごく自然なイベントの一つでしかないのだろう。
だからもし作者が、大衆の感覚に迎合するようなスカッと露悪エンタメとしてこの作品=犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人を書いたつもりなのであれば、それはまあそういう需要もあるよねと納得はできる。売文稼業も大変ですねと労ってあげたいぐらいだ。
しかし、作者である立原透耶氏のTwitterを見てみると、過去にはこんな発言をしていることが分かった。
ttps://twitter.com/ttouya/status/987722368012316672?s=19
某テレビに出ている人が、ご自身のセクハラ被害など様々な不快な事を不快だと宣言された。しかしその方の発言により多くの方々が不快であると表明されている件についてはどう思われるのだろうか?間違った知識を広めたり、差別を助長する発言をされたりとか。被害意識はわかった。次は加害意識をぜひに
ttps://twitter.com/ttouya/status/988930817454784512?s=19
以前、わたしと同年代の独身女性が亡くなったとき、彼女を悼んだある女性が、あの人はちゃんと彼氏もいた、いわゆる結婚できない女ではなかった、まともな、素晴らしい女性だった、と言った。一瞬、悼む気持ちが吹っ飛んで目が点になった。判断基準が謎すぎる。
ttps://twitter.com/ttouya/status/988931421300375552?s=19
自称フェミニストの女性が、わたしに対して、何かあるたびに、結婚してない人にはわからないわ!子供を産み育ててないあなたには理解できないわ!あなたはしょせんその程度の経験値なのよ!と仰る。独身なら独身の、子供がいないなら子供がいない、そういう経験値を積んでいる。互いに尊重すべきでは?
ttps://twitter.com/ttouya/status/988932416608780288?s=19
わたしの年代で独身、子供なしだと、そりゃうもう罵詈雑言浴びせられまくっているわけで。若い頃は独身だから手頃に遊べる相手とみなされたセクハラが多く、一定年齢越えると、結婚できない哀れな人、問題のある人扱い。いやまあ変わり者だけどね、実際。でも言っていいこと悪いことはありますよ。
ttps://twitter.com/ttouya/status/988967869395316738?s=19
あー良くありますよね。独身男性にはゲイだろ!発言。側で聞いても不愉快です。その発言の中に何重もの差別が含まれていることに、なぜ気づかないのか。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1004857467312922624?s=19
亡くなった父は昭和7年生まれで、子供の時に戦争を体験して、周辺に死が当たり前のように蔓延していたのをいつも語ってくれた。だから戦争反対で言論や思想の自由を唱え、教育の大切さを常に主張、あらゆる差別に対しても猛然と憤っていた。さらに禁煙権も主張していた。つくづく新しかったと思う。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1004857961670250496?s=19
うっかり差別的な発言をしようものならこっぴどく叱られ、お前が言われる立場になったらどう思うんだ?と考えさせられた。専業主婦の母に給料を手渡す時には必ず、君が家庭をしっかり守ってくれているから稼げた、半分は君の稼ぎだ、と伝えていた。当時は本当に珍しいひとだった
ttps://twitter.com/ttouya/status/1045864270565539840?s=19
生きてたら87歳になる父は、わたしが幼い時から、娘さんをください、とか売れ残り、という言葉をテレビなんかで聞くたびに激怒して、俺の娘はモノじゃない!俺の妻もモノじゃない!女性はモノじゃない!こんなこと言う奴がもし来ても絶対に結婚認めないぞ!と吠えていましたが、父よ安心したまえ。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1045864786842374144?s=19
娘、ずっと独り身だからw
折に触れて思い返すけれども、亡き父は本当に差別とか大嫌いだったし、人はその人個人で判断せよ、という一本筋の通った人はでした。頑固な面もあったけれど、思想的にはとても柔軟で進歩的。わたしが大学院生の時に急死してしまったのが、本当に悔しい。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1048772034803560449?s=19
家庭内で女性差別がという書き込みをよく見るんですが、我が家は父と弟がたこ焼きやらすき焼き等担当し、さらに蟹とか面倒な食べ物はぜんぶ身を取り出す役目で、母が一番に、そのあとで姉とわたしがもしゃもしゃ食べていた。なので、一人暮らし始めたら、結構な確率で何もできないことに気がついた
ttps://twitter.com/ttouya/status/1048776023209197568?s=19
ちなみに生きてたら、今年87歳ですよ、うちの父。差別が嫌いであらゆる差別に敏感だった。私たち子供の何気ない一言にも、それは差別意識がある!傲慢だ!と叱ってくれた。こういう大人になりたかったけれど、わたし自身はかなり抜けてるので、頭がいい人にはなれず、器用な人にもなれず。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1099938651717300224?s=19
『ヒョンナムオッパへ』読了。作品として楽しめたのは後半二作でサスペンスとSF。もっとも激しい衝撃を受けたのは「更年」で、女性差別を実感しながらも男の子の母親として女の子差別する、娘がいるのに!その娘にはこれからの苦難を思って涙するという激しい矛盾
ttps://twitter.com/ttouya/status/1099939185115320321?s=19
韓国社会における根深い女性差別の実態が正面からぶつかってきて、息ができなくなった。読み終えてしばらく息ができなくなり、かなり精神的に落ち込んだほど。これは韓国だけの問題ではない。日本の、世界が抱える問題で、私の、私たちの問題だ。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1165136503548203009?s=19
タクシーの運転手さんがいろんな意味で差別的な発言を繰り返すので、1つ1つ丁寧に反論した。一番ムカついたのは理由のない嫌韓、嫌中で、思わず「中国人の親友も韓国人の尊敬する友人もいます。どちらの文学も素晴らしいですよ!ご飯も美味しいし!中国はわたしにとって心の故郷なんです!」て言った
ttps://twitter.com/ttouya/status/1206575439310770177?s=19
そういや高校の時の人権作文の宿題で、古事記や日本書記における差別意識について書いたら、社会科の先生に呼び出され、同時はそのような考えだから仕方がない、それを差別というのはおかしいと懇々と説教された思い出が。もちろん当時も今も納得してませんw
ttps://twitter.com/ttouya/status/1247098426510036992?s=19
ttps://twitter.com/ttouya/status/1247104386179821568?s=19
なるほど、作家の基準で見ても、差別問題、特に女性差別や外国人差別には普段からかなり敏感な方らしい。「あらゆる差別に対しても猛然と憤っていた」御父上の薫陶のたまものだろうか。
いやいやいや……
ここまで差別問題に敏感なはずの作家が、高菜、食べてしまったんですか犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人なんていうステレオタイプを、何の注釈も留保も無しにストレートに書いてしまったんですか!!!!????
それは、なんていうか、さすがにマズくない?
この作品の中に何重もの差別が含まれていることに、なぜ気づかないのか!!!そしてこれを差別と意識されてない方も多いように感じます!!!!!ってなもんよ。
敢えて最大限好意的に解釈するなら、加害の連鎖がより弱い方に向かう問題や、たとえ弱者であっても成人男性と女児では決定的な非対称性が存在することを強調したかった可能性はある。しかしそれで「犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人」の差別性が、完全にチャラになるような書き方をされているとは到底思えん。
ここまで露骨で極端なケースはなかなかないだろうが、反差別・リベラル・フェミ寄りな人々が、自分たちの認識できる「差別」の範囲から外れたところでは差別に加担していること自体は実はありふれている。たとえば、イジメ被害者が根性ひん曲がって凶悪な犯罪者・悪役になるというような展開は、「拡散希望」に限らず反差別リベラルフェミ的な作家でも平然と(しばしば揶揄的に)書くことが多いし、反差別リベラルフェミ的な読者も抵抗なく受け入れているようだ。
現実で実際そういうことがあるからそれを反映して書いているだけ、といった反論が予想されるが、それを言うなら外国人による凶悪犯罪なんかにしたって、現在の日本でも(件数や割合はともかく)普通に存在するし、世界全体を見ても一般的に移民が増えると治安が悪化する傾向がある(とされている)。それでも、外国人犯罪の脅威を煽るような内容は差別的であり軽々しく書かれるべきではない、という認識が反差別リベラルフェミ勢力の間では共有されてるんじゃなかったのか。俗悪なステレオタイプにタダ乗りすることで対象を追い込みただでさえ巨大な生き辛さをいっそう加速させるという点で、イジメ被害者、そして犯罪加害者家族や知的障害者や引きこもりの凶悪犯罪展開は、外国人犯罪と何が違うのか。
こういうことを指摘すると、反差別側だけが一方的に高い義務を課される不公平さが語られたりするが、さすがにこれは本当に反差別の側に立ってるつもりなら当然非難されてしかるべきレベルの瑕疵でしかないでしょ。守られるべき弱者と思う存分石を投げていい弱者の間に恣意的に線を引いておいて、反差別もクソもないだろう(まさか、犯罪加害者家族やイジメ被害者や知的障害者や引きこもりが「弱者」であることまでは否定しないよね?)
もしもここまで言われても自作の問題に全く気づけないとしたら、立原透耶氏は二度と差別について語るべきではないし、作家としても筆を折るべきだとすら思う。自らの加害性に無自覚な人間がプロ作家の立場で無邪気に反差別ゴッコを続けるのは、社会にとっては無益を超えてはっきりと有害だからだ。
立原透耶氏および「拡散希望」を無条件に公開した北海道ミステリークロスマッチには、猛省を求める。
(猛省を求めるというのは猛烈に反省してくれというだけの意味であって、作品の公開停止などを要求するものではない)
(この増田は、犯罪加害者家族でイジメ被害者で軽度の知的障害がある引きこもりで動画配信者で独身男性の女児誘拐監禁レイプ殺人犯によって書かれました)