はてなキーワード: 実在とは
日本だと「A男とB男の関係は同性愛にしか見えないからA×Bは公式。文句は言わせない」
ってのは腐女子界隈に実在するけど(んでB×A派と争ってたりするが「A男とB男の関係は公式に同性愛である」って認識だってのはどっちみち共通なわけで)
「前作では同性愛者ではないが、続編では同性愛者にしろ」ってのは見ないなあ
まあ「前作では恋人はいないが続編では恋人を用意しろ」ってのなら履いて捨てるほどいるし
別にエルサが異性愛者であるとは表現されてないんだからそれが同性でもいいだろ、ってのは別に一つの意見としてあってもいいと思うけど
ただアメリカはともかく、日本だとアナ雪前作は「異性愛至上主義からの解放」ではなく「恋愛至上主義からの解放」として受け取られた感があるし
もしエルサに同性の恋人が出来たら「結局相手が王子様から女に変わっただけで恋愛至上主義である事には変わらないのかよ」
と批判する人多そうだし、ディズニーもそういう意見があるのは十分承知だろ
モアナやシュガラ2でヒロインに男の恋人作らなかったのもその辺の配慮だろうし
それに基本的にアナ雪は家族愛がテーマだから(その後発表された短編もそうだし)
そこに他の人間が入ってくる事は考えにくいと思うけどな
「婚前交渉禁止」の家庭で育った戸田真琴は、なぜ【AV女優】になったのか?|転職サファリ https://tenshoku-web.jp/av-career/
「こんなにひたむきにAV女優をやっていらっしゃったんだ」と理解すると同時に、内心自分が「AV女優がひたむきなことを意外だと思った」ことを実感したというか……まさに、職業で偏見を持っていたなと反省いたしました。
この取材者は、本当にAVが立派な職業だと見直したのなら、憧れの仕事として、そのうちAV女優に転職するでしょう。
それとも、これは仕事の原稿に過ぎないから、口先だけは褒めているけど、実際にはやりたくない職業だと思ってる?
もし嘘ついてるだけなら、この人はAV女優にはならないでしょう。
本稿では、現在の「ファン/オタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的な視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品・概念・グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブな言葉として用いる。拡散し多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像を画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルやジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。
「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数の女性キャラの日常生活を描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメは2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的にドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系」カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみ「らき☆すた」(2004)や、なもり「ゆるゆり」(2008)などが代表的なものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語を想像して消費することができるからなのではないだろうか。
関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティの担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D/3Dの二次元的アバターを現実の肉体の動きとシンクロ(トラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況や雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそも「YouTuber」の動画には前提とされる物語や世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在の人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである。難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナ、キャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナとキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。
そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNSや動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物の画像を投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名の存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女・美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダーと次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。
つまり、「実在の人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系・関係性」が、液晶内のキャラクタバターと動画配信という形態の手軽さにより、オタクの関係性消費への志向は次元を超えてさらに加速していくと予想できる。
・関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味さ
前章で関係性消費への志向がさらに高まると予想したが、本章ではオタクのジェンダー格差について女性向けジャンル・男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態に差異があるのだろうか。
もちろんHL(異性愛)文化を扱う少女マンガ・少年マンガにおいても恋愛・友情・ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BL/GL文化ではそれ以外の登場人物の関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉の意味合いについて掘り下げ、BL/GL(同性愛)ファンの文化それぞれの特徴から考察してみたい。
女性オタクの人文学/社会学的研究に関しては、特に「腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的な女性の性的欲望の解放」といった視座からの言説であった。特に「腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全な領域において、性的な表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったものも存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在の日本の混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。
今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からのマイナスイメージを払拭しようとしたり、イベントやSNSでの趣味やスラングの共有による特殊な連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティの特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛を排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドやレズビアン連続体、ホモソーシャルな関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。
では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望やコミケでのゆるやかなホモソーシャルな交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツは受け手のジェンダーによって大きくその意味合いが変化してしまう場合があるからである。そして男性のGL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別は限定されていない。これはGLというジャンルを男性だけが消費することに対することが上記の齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称が流行ったのはBLというジャンルを女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。
また、百合厨コミュニティにおける異性愛忌避の姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造は腐女子のジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。
こうして述べてきたように、同性愛コンテンツのファンの構造は非常に複雑で特殊なルールの基に成立している。しかし、上記の性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファンは異性愛を忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものがオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物と消費者のセクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊な連帯がプラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuberの関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuberの関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性、ペルソナがシス女性、キャラクタがシス女性のキャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンはキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象はアニメ・漫画においても進んできており、創作物と受け手のジェンダーが必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。
【続きと参考文献リスト】
百歩譲って、神は存在する。そこまではいいだろう。なら、神を呼び出して、俺の目の前に連れて来いよ?無理だろ?だから、人間のような実在としての「神」は存在していないことは自明。
じゃあ、西洋人が言う「唯一神」って一体何なのか?そこで彼らが捻り出した屁理屈が「理神論」というわけ。
「理神論」を論理的に分析すれば、神が一人しかいない、と定義していることが矛盾の原因であることが分かる。つまり、日本人が言うところの「八百万の神」が正解。
神=自分と定義を修正すれば、宗教の矛盾は修正できる。でも、そうしない理由は何か?それは、宗教を人類を支配する道具として利用している連中がいて、そいつらが嘘をついているから。
みんな騙されちゃってる。というよりも、その嘘を魅力的なものだと感じて、嘘だとは分かっているのに、信じたいと思うものなんだよね。騙す方も騙される方も、嘘を維持した方がWin-Winだから、みんなで共同幻想を維持している。
でも、歴史を宗教を調査したら分かると思うけど、西洋型の一神教だけが宗教ってわけじゃない。そういう嘘、共同幻想の欠陥を採用しない宗教もある。日本の土着主教もその類。
そういう唯一神は、人間の想像の産物であり、実在していない。言い方を換えれば、神が起こす奇跡=偶然という要素はこの宇宙の自然法則では発生しない、ということ。
神が間違いなら、正解は何か?というと、それが「グノーシス」主義。一言で言えば、神に相当するものは自分ってわけ。神=自分と定義して、論理を組み立てたら、宗教ってのは無矛盾にできる。
神=自分だと、宗教を支配の道具として使えなくなるから、西洋の宗教では、グノーシスは異端=間違いだと糾弾している。
その点日本人は先見の明があった。天皇は現人神だと言っていたけど、実はこれ、天皇だけじゃなくて、人間が全員現人神なんだよね。人間だけじゃなくて他の生物にも神の要素がある。
そう考えればいいんだけど、西洋人はみんな勘違いしてる。東洋人も西洋文明化が浸透することで、勘違いをする人が増えているようだ。
日本人なら、神=自分という理解で、西洋文明の間違いを正していこう。
そう。厳密には、現状はどちらでもないから、神が(実在するとしたら)捕獲できるような(全能ではない)神として考えるのが現実的で、
君の言うような全能の神の存在を想定してしまうと、先に述べたように、既に現世が終末後の世界であるか、全人類が精神支配を受けているような無理筋な線を真面目に考えなくてはならないから、その線で議論するべきではないと言っているんだよ。
つまり「捕獲なんかできるわけないだろ神なんだから」というのは、神を理想化しすぎて考える気のない思考停止の論で、そんな下らないツッコミをするなと言っているんだよ。
神を神格化している限り、言葉に洗脳されているも同様の愚昧な状況であり、何度も言うようだが君には神の実在性を考察する資格がない。
捕獲できないタイプの神だったらもう人類は滅びているか、あるいは精神支配下にあるかのどちらかになる。
先に述べたように神は異能者のことだから、全能とは限らない。というかフィクションの神ですら全能でないことが多々ある。
それでもあくまで神に人間が敵うはずがない、という観念上理想上の神を信じ続けるのであれば、君には神の実在性を考察する資格がない。
神が実在したら、何を言おうが問答無用で捕縛監禁されて研究施設に送られるか、殺されるよ。
実態は現代科学を超越した異能者だから、人間側からしたら脅威でしかなく、その原理を解明しない限り封殺するしかない存在だからね。
神って名前はそうされるのを避け、敵意を信仰へ転化させるマインドコントロールのために、異能者側が自称している単語にすぎないよ。
Vtuberに飽きてきた。
流行り始めてからVtuberを沢山ではないが気になったやつを選んで見てきた。
ツイッターに関しては面倒なので全く見てない。youtube上で見れる範囲で追っかけてた。
最初はたしかに面白かった。でも結局、散々言われてるがアニメアイコンの生主と変わらなかった。
元々はゆっくり実況とかが好きで生声実況とかは全然見ないほうだった。
Vtuberは生声がもたらす現実世界の存在をキャラのガワで中和してくれた。
最初のうちは数少ないVtuber同士だったから仲間意識も芽生えてコラボ等のやりとりで盛り上がったろう。
しかしVtuberという肩書きが外のVtuberと絡む口実になる事実を作ってしまった。
界隈は盛り上がっていて数字を取るならとにかく始めろという風潮まで出来上がってた。
とりあえずキャラ紹介動画だけ出すならマシな方だった。酷いとキャラだけ決めて動画もないのにツイッター上で「Vtuberです」なんて呟くやつもいた。
たぶんVtuberになれば人気のあの人にお近づきになれるかもとかいう考えでVtuberになった奴ばっかだったんだろう。
昔から今でもVtuber限定で凸待ち配信とかやってるけどこれは悪しき風習だと思う。配信主を見に来てんのに視聴者退けて知らんやつとの放送見させられて面白くないんだよ。
とにかくVtuberはコラボが大事と芸能界かよと思えるような状況だった。
それ故、視聴者よりもVtuberのほうが大事にされてる気がして嫌気がさす。疎外感が半端ない。
配信ではキャラ崩壊は当たり前どころか大前提でそれが笑いの種にもなっていた。
一応キャラのガワと設定はあるが中身が透けて見えるような言動があれば視聴者はいじっていた。
そんなのを見続けているとキャラのガワを貫通して、カメラに向かって喋りかけている生主の姿が当然思い起こされる。結局は実在の人間なのだと。
いつの間にかVtuber=自分と同じ人間というのが頭の中に根付いてしまった。
Vtuberが流行り始めた頃は多種多様なオリキャラがゆっくり実況のような動画を出していくんだろうなと期待していた。でも主流とかを追っかけていたら生身の人間が喋るのを聞いてるだけだった。
現実世界は透けて見えないし演劇動画でさえ彼らの日常の一部であるらしい。
こんなに飽き飽きしたのは追ってたVtuberが週6投稿といいながらオンゲーに現をぬかし、新モデル公開は遅れるわ、興味ない奴らとapexやってるわで嫌気が差したから。
あとVtuberの炎上まとめ動画を最近いくつも見たせいでもともと冷めかかってた熱が潰えたのもある。
Vtuberはスキャンダルありませんしとかいっといて、アズマリムるとかいう糞ムーブが存在したりするし、Vtuber限定凸待ちとかいう視聴者の得しない風習はあるし辟易したからかな。
1.色々すぎて書けませんが、だいたい最終的に自己嫌悪に陥ります
2.ドラマでも漫画でも本でもなんでもいいので、とにかく一回自分以外のことを考えて過ごす。この「自分以外」はアイドルでも二次元キャラでもアスリートでもなんでもいいんですが、実在する人間だと利用してる後ろめたさ(自分が勝手に感じてるだけでそういうので発散する人はそれでいいと思います)があるから、個人的には架空の存在や物語で現実逃避して、一回寝てれば解決します。それでもダメなときは、ワードに愚痴を書きなぐる。どうしても人に伝えたかったら匿名でネットに投稿。
3.罪悪感がすごい