はてなキーワード: 実在とは
アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並みな結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん(実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。
自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
ラブライブやキズナアイみたいな半架空・半実在の芸能活動家がすでに成し遂げてきた道の延長にある感覚だな
そして同じようなリアルタイムでの成功物語の並走感覚はべつにVtuberでなくとも運営型の覇権ゲームとかでも体験できる
そうしたものと比べると個人を核として展開されるアイドル系芸能の「伏線」のたぐいは割とファン以外には響かない幼稚かつ私的な相互グルーミング主体のパフォーマンスにすぎない
そのことが気になりはじめたあたりでだんだんと疎遠になっていくものだ
もちろん熱中しているうちはその幼稚さを受け入れられるくらいの愛着があるものだし褒めそやしもお約束的なものとして咀嚼できるのだが
よりスケールのデカい立派なことをやっているオタクコンテンツを見つけると色褪せて見えてしまうという寸法
アイドル系というのはその規模ゆえにファン商売に終始せざるを得ない構造から抜け出せず(その閉じコン感を打破するために○○大使だの社会的権威側に進出しようとはするが)
おじ(48)がれいわ新選組に投票したらしい。なんでそんなこと知ってるのかって?おばあちゃんと私の父のLINEにれいわって書いた投票用紙の写真が送られてきたからだ。
昨日選挙に行ったあとに用があって父の実家に帰った時におばあちゃんと父が困ったようにその話をしていたのが印象に残っている。内容的にはれいわがどうって感じじゃなくて投票用紙って写真撮って良いんやね、とか今までそんなことせんかったのにな、みたいな話だった。私はそれを聞いてTwitterでよく見るやつやん、実在すんねやそんなんとしか思わなかったけど、父や祖父母にとってはカルチャーショックだったらしい。(母はツイッタラーなのでそのへんはノーコメント)
その後家に帰ってから開票速報を見ながら父は俺は維新が嫌いやとかこのジジイなんで辞めへんねんとか立民の陰謀論がとかぎゃあぎゃあ騒いでいた。この人は議論、というか自分の意見を言うのが大好きなのだ。うるせぇな……と思っていたがれいわのときには少しトーンダウンしていた。よくわからない感情だけど私もなんかなんとも言えない気持ちになった。
あんまり詳しくないが、確かおじちゃんは職歴に10年弱空白があった。そして未婚。こんな事言うとたぶん怒られるけどれいわ新選組とかそういう政党はそういう人にとっては希望のように見える側面もあるのかなと思う。私はあんまり支持できないけど……。私が人生初選挙で何となく消去法で選んだ1票と、おじちゃんがわざわざ父やおばあちゃんにLINEを送るまで希望を持って選んだ1票は同じ重さなのが不思議だった。
ガンガンの名前は知らなくてもこの作品を知らない人はいない。それくらいに大ヒットした漫画。ガンガンのみならずスクエア・エニックスの漫画でこれほど売れた漫画は後にも先にも無い。
初期連載陣の代表作、可愛いキャラクターとシュールなギャグに目が行きがちだが、伏線回収が見事で作者の構成力の高さが伺える
三度アニメ化され、今なおソーシャルゲームが出るくらい人気のある作品。
初期連載陣の超代表作、ガンガンを創刊から読んでた人は、ドラクエの漫画が読みたいから買っていた。ガンガンという雑誌はこの作品のためにあったといって良い
ジャンプで連載されていたもう一つのコミカライズと比較されつつもややマイナーながら、そっちがドラクエの名前を冠していながらほぼオリジナルなのに対して、ⅢとⅠの間の時代を描く正統派のコミカライズ。
初期連載陣の超々人気作品、これもアニメ化は続編含めて二回している。鳥山明っぽい絵柄で独自の世界観を描いたギャグ漫画。後半は割とシリアス
中期の人気ギャグ漫画、そこはかとなくウェットな人間関係を感じる内容だった。
後にヒット作を何本も出し、実写ドラマ化も果たした「昨夜はお楽しみでしたね」や「ライアー×ライアー」の金田一蓮十郎先生のデビュー作
初期連載陣の中堅作品、明らかなファンタジー作品なのに実在の作曲家の曲が出てくる。ギャグとシリアスの温度差が激しすぎるがしっかり少年漫画していた。
作者はともかく筆が早く、月間で100P描いて、さらには別作品の原作も平行で務めてた。
作者はガンガンで連載しつつジャンプで赤塚賞も取っていて、その読み切りでちゃっかりガンガン連載作品の宣伝もしてて、事実上ジャンプを蹴ってガンガンを選んだようなもの
その点でも漫画史で重要だと思う。ジャンプが(一時期とはいえ)少年漫画界における唯一絶対の王者ではなくなった転換点として
人を選ぶラブコメ作品。信じられないくらいの長期連載作品でありもうそれだけで歴史として語る価値がある。
作風、作者の名前含めて連載当時、ジャンプ連載のNARUTOとの類似点が多くパクリじゃないかと騒がれた作品
思いついたので追記
もともとジャンプで言うところのヘタッピマンガ研究所枠のコーナーだったが、独自の切り口が人気になり、漫画の描き方漫画からエッセイ漫画になった異色作
作者の才能を思わぬ形で開花させることになったという点では重要な作品だと思う
個人的にはライオンハート(ゆでたまご)とかの王道少年漫画雑誌を作りたかった痕跡を重要な作品として押したい
結局今はマイナー雑誌として一定の矜持を持ってやってると思う。なろうのコミカライズ主体もそれはそれでしっかり需要あるし決して悪いことじゃない
Another World/アウターワールド(1991)
2Dゲームが中心の時代に3Dで繰り出される、異世界転移してしまった学者が元の世界に帰るための冒険譚。
24歳だったフランス人クリエイターが全て一人で作っており、一貫したプロットを築かないままその都度継ぎ足された先の読めない波乱万丈ストーリー、
ヒントのない即死ゲームで種類の多すぎる死に様、直線ばかりの独特なグラフィック、それらから伝説的な怪作となった。
Assassin's Creed/アサシン クリード(2007)
超古代文明の残した奇跡をもたらす遺物を巡って紀元前から争い続ける二大勢力を描く長大なシリーズの第一作目。
当時としては最先端の美麗なグラフィック、フランス発祥とされるパルクールを駆使し作中に登場するあらゆる建物のてっぺんまで登れる超体力でステルスするシステムが受けた。
21世紀の若者が超技術によって、先祖である12世紀エルサレムの暗殺者の視点を追体験させられるという設定で、12世紀の風景を緻密に描写した街並みも評価された。
遺伝子情報から再現された、あくまでも紛い物の風景のため「それっぽい」けど現実とは異なるしバグで有り得ない光景が発生することもあるという設定が、時代考証ミスによる怒られを軽減する効果にもなった。
Dishonored/ディスオナード(2012)
発売は『The Elder Scrolls』などで有名なアメリカのベセスダだが、開発はフランスのArkane Studios。
仕えていた女王を殺され、後継ぎたる王女をさらわれた護衛官が、女王殺しの冤罪をかけられるも、超能力を得て王女を救出し黒幕を倒す話。
「超能力シミュレーター」とも称され、瞬間移動・透視・暴風を起こす・体を乗っ取る、など様々な能力を駆使し、能力同士を上手く使いこなしコンボを決めるなど創意工夫も楽しめる。
例えば敵の体を乗っ取って高所の端まで立たせた後で暴風を起こして墜落死させたりできる。
誰一人殺さず、誰一人に目撃されずに不殺・ステルスでクリアすることも可能で、殺した数に応じた展開分岐もある。
Life Is Strange/ライフ イズ ストレンジ(2015)
現代アメリカが舞台だが、フランス産である。後に、超能力+青春という要素だけ継承してシリーズ化。
タイムリープ能力者になった女子学生が、ちょっとしたミスをするたびに時間を巻き戻し、その積み重ねがやがて大きな事件へ発展していく。
ボタンを長押しすると時間が巻き戻っていくシステムがゲームの手触りとしてもストーリーとしても面白い。
女性主人公が幼馴染の少女とコンビで行動をすることが多く、その子と百合百合することもでき、この作品で百合に目覚めてしまった者も多いという。
Detroit Become Human/デトロイト ビカム ヒューマン(2018)
人間そっくりの外見・思考能力を持ちながらも人権のないロボットたちが、プログラムの制約を破って人間に逆らいだす現象を追っていく。
膨大なシナリオ分岐が最大の特徴であり、プレイした人によって全く違う展開・結末を辿るようになっている。
シナリオ分岐量の多さ、実在俳優を用いたリアルな映像表現は制作会社Quantic Dreamの過去作にも見られたが、その集大成的作品。
窓を叩く激しい雨の音に目が覚め、深い闇の中、ただ時計の針が進む微かな音が響く。
真夜中のはずなのに、異様な緊張感が部屋を包んでいた。
胸騒ぎがし、なにかに引き寄せられるようにベッドから起き上がると、窓の外に薄ぼんやりと人影が見えた。
「…誰かいるのか?」
そうつぶやいても返事があるわけもない。
だが、なぜかその影は視線を外せないほど、異様な存在感を放っていた。
そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
ずぶ濡れの髪が雨に濡れて闇に溶け込み、ただ大きく見開いた目がぎらぎらとこちらを見つめている。
そのまなざしに囚われた瞬間、体が動かなくなった。
「助けて…」彼女が低い声で呟いた。唇が微かに震えていたが、それ以外に彼女の感情は読み取れなかった。
動けないまま、なぜかその声には抗えないものがあった。
ドアを開けると、彼女はふらりと室内に入り、ソファに崩れ落ちた。
薄いドレスに包まれた彼女の体は冷たく、触れた指先が驚くほどの冷気を帯びていた。
意識は朦朧としているのか、彼女はただぼんやりと空を見つめていた。
「…どうしてこんなところに?」
彼女は答えなかった。
細かな彫刻が施されたそのペンダントを手に取ると、不思議な既視感が湧き上がった。
「このペンダント…知ってる気がする」
突然、彼女がぼそりと囁く。「…あの夜、私もそう思った…」
奇妙な言葉に身震いする。まるでこの場にいるはずのない、彼女の存在そのものが、どこか歪んだ記憶の一部であるように思えてきた。
「あなたは…誰なんだ?」
彼女はぼんやりと笑みを浮かべ、目を細めた。「…ただ、戻ってきただけ」
心臓が跳ね上がった。
しかし尋ねようとするたび、彼女はただ微笑むばかりで、言葉を交わすことはなかった。
雨が止み、夜が明け始めると、彼女は薄れるようにその姿を失い、消え去った。
握りしめると、手の中に残る冷たい感触に彼女の存在が実在していたことを示しているようで、胸の奥に重く沈む何かが残された。
彼女は何者だったのか、何を求めていたのか。
みんな祠壊して祟られてみたいんだねぇ。
祟られてみたいって人、案外多いんじゃないかな。そういう現象があるって、わくわく空想膨らませて楽しむくらいだから、人が体験してるの見るより自分で体験してみたいんじゃないかな。
で、なんでみんながそういう空想に夢中になるかって考えたんだけど、祠壊して祟られるのって、楽なんじゃないかなって。
仕事とか親とか諸々の、頑張ればなんとかなるって思われがちな生きてる人とのトラブルよりも、神様とかよくわかんないものとのトラブルの方が、どうしようもなさすぎて気が楽なんじゃないかなって。
実際祟られて変な感じになっちゃったら、周りの人も仕事とか家族とかの問題をなんとかしろってあんまり言わないだろうし。まあその場合精神病院行きとかかもしれないけど、でもそっちの方が生きてる人との問題を解決するよりマシな気がするなぁ、そうなってみたいなぁって、無意識に思ってる人、結構いるんじゃないかな。
もしも祟られてもこうすればすっきり解決しますよ、とか、そもそも祠壊しても誰も祟られませんよ、ていうことになったら、そういう人たちにとっては困るんだろうなぁ。祟りあって欲しい訳だから。
いつか実際祠壊した人の体験談(モキュメンタリーじゃなくて本当に本物の)を読むなり聴くなりしてみたいなぁって思うけど、本当に祟られちゃったら文字書けなくなる・話せなくなる可能性もあるからそんなに真剣な望みじゃないよ。
でももし祠壊して祟られて、何があったか書き残せる人がこれ読んでる人の中にいたら(フェイクじゃなくてしっかり実在するリアルな人)どっかで書いてみたらどうかな。YouTubeで語るのでもいい。そしたらきっとみんなの人気者になれるから私のところにも届くはず。その時は出来れば顔出し実名でお願いしたいけど流石に無理かな……。
いやほんと、そんなに真剣な望みじゃないよ。もしかしたらそういう人がいないかなぁって、ふんわり思ってるだけ。
でも考えてみたら、神様のいる祠を壊して祟りが起きることを空想して楽しむ、っていうことそのものが、もう神様への無礼で不敬で縁起悪くない?
実際には何も壊していなくても「あいつは祠を壊すことを娯楽とする奴だな」って神様に見抜かれて、それで祟られちゃうってことも、あるんじゃない?
そんなお話、誰か作らない?
実在する人間に危害与えないなら好きにすればええ!って思ったけど
ってフィクションじゃなくて近場にいる少年に結構切迫して欲情してるみたいだしわりと危険じゃない?
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誰かがやるだろうと思って放置していたが誰も書かないので。
異論反論は大いに受け付けたい。特に1970年代と2020年代はほとんど読めていないので追記があれば是非。
近代麻雀だけでなく、その前身の別冊近代麻雀やその他関係誌(近代麻雀オリジナル等)も含む。
思いついたままに描いたので順不同で。
当時(80年代)、麻雀のイメージは裏社会(反社)と表裏一体。それを舞台にしたものとして最も有名と思われるこれを選定。
「あンた背中が煤けてるぜ」
の名台詞を生み出しただけでも十分に価値のある漫画。何故「ン」がカタカナなのか、煤けているからなんなのかの意味はわからないがなにやら凄い説得力があり、当時の男子大学生がこぞって真似をしていた。
途中から完全にサブキャラのアカギに主役が取って代わられ、スピンオフ作品の「アカギ」の方が長期連載・人気作になったのは御愛嬌。
ただ、まがりなりにも完結させたのは他の福本作品よりも評価し得るのではないだろうか。
この後、近代麻雀以外でも「銀と金」(アクションピザッツ)、「賭博黙示録カイジ」(ヤングマガジン)など立て続けにヒット作を出し、人気漫画家となっていった。
西原理恵子が悪いお友達に唆されて麻雀を覚えていくマンガ。西原理恵子はこの連載開始時は完全に無名な漫画家だった。
絵もお世辞にも上手いものではなかったが、ギャンブルをする人には分かる悲喜交交は素晴らしく面白い。
西原理恵子の出世作であり、西原理恵子を世に送り出したのは功罪両面で影響が大きい。
お金をかけて麻雀をやったことがある人向け、ならば間違いなく西原理恵子の最高傑作とオススメできる(これ以降の西原理恵子が合わない人もこれだけは別、手に入るのであれば是非読んでほしい)。
車が買えるほど負けたと笑っていたら家が買えるほど負けていた、という笑えなく笑える漫画。
出世作という意味では他誌だが「ぎゅわんぶらあ自己中心派」(ヤングマガジン)、近代麻雀での出世作は「スーパーヅガン」の両ギャグ漫画かもしれないが。
本作も当初はギャグとしてはじまり、キャラが勝手に動いていってストーリー漫画になった印象が強い。
本作に限らないが、裏社会との関わりがイメージされる麻雀を題材にしながら、ほぼそういったものを登場させずに描いているのも好印象で、今のプロ麻雀の隆盛に貢献していると思われる。
更に、麻雀漫画の主役敵役は超能力じみた能力を持っていることが多いが、それを可能な限り排除しようとしているのも特徴的。
リアルな闘牌も見どころ(馬場裕一プロが協力していたそうな)で、他作品と一線を画す。
片チン自身はこのかなり後に描いた「打姫オバカミーコ」を代表作としているし、「牌賊! オカルティ」、「ミリオンシャンテンさだめだ!!」なども面白いが、新境地を切り開いたという意味でやはりこれで。
個人的には麻雀と関係ないが「SWEET三国志」がかなり好き。
どう見ても実在の政治家をモデル(主役が小泉ジュンイチローだし)にしながら、各種の政治的課題を麻雀で解決していく怪作。
大和田秀樹といえば「大魔法峠」や「ガンダムさん」の方が有名かもしれないが、個人的にはムダヅモの方が面白い。
今やったら大炎上間違いなし(安倍シンゾーの切腹など)な政治ネタ満載だが、当時はおおらかな時代だったのだろう。
2017年から続編が発表されているが、登場人物の多くが過去の人になっているのも炎上対策なのだろうか。
「この作品はフィクションです。実在の人物とは“あまり”関係ありません」
知名度としては5選に入るべき作品だが、近代麻雀以外にも複数誌で連載した後に完全にまんがライフ誌に移籍してしまったので選外に。
近代麻雀発とは言え、近代麻雀の作品と見ている人はほとんどいないのでは(「フリテン」という麻雀用語がタイトルになっていることから名残はあるが。)。
「麻雀放浪記」で有名な阿佐田哲也(色川武大)をモデルに戦後すぐの社会を描いた作品。
2000年に第24回講談社漫画賞少年部門を受賞しており、間違いなく当時の麻雀人口の増加に貢献した作品だが、連載誌が週刊少年マガジン(講談社)であり、選には入らない。
麻雀漫画と言えば男ばかりまたは絵が個性的(オブラート)な作品が多い中、メインに美少女を並べ裾野を拡大した功績は極めて大きい。
が、連載誌はなんとヤングガンガン(スクウェア・エニックス)、近代麻雀連載なら間違いなく選に入っていた。
これ以降、近代麻雀にもかわいい絵柄の麻雀漫画が大幅に増え、影響は大きい。
安藤満プロ(連載中に逝去)の協力の元、バブルの頃の高レートを舞台に活躍した「傀」を主人公に当時の世界を描いていた。
連載が長くなり間延びしている感はあるものの、「傀」の決め台詞である「御無礼」を真似て点棒を投げ付けられた人も多いのでは。
多数のスピンオフを生み出した人気作で面白いが、漫画として特筆する物があるとまでは思えないので次点で。
ムダヅモと入れ替える人も多いかもしれない。
当時は正直言って、絵も内容も箸にも棒にもかからない作品が多かったが、「沈黙の艦隊」(モーニング)で一躍人気漫画家に。
近代麻雀がなければ漫画家として成功していなかったかもしれない。
近代麻雀内の人気作ではあり、たしかに面白いが、重要かどうかという点からは選外かと。
80年代から90年代にかけて異様に人気があり、雀鬼・桜井章一を主役とする作品が大量に(10や20ではない)作られた。その意味で、桜井章一は麻雀漫画史に重要かもしれないが、見るべき漫画はほぼないと思われるので選外に。
完全に忘れていた。選外の「近代麻雀内の人気作」に分類したい。
単行本にできない各種パロディは面白いし錦ソクラがシティーハンターのスピンオフを描くきっかけになったという意味でも重要だけど、これを入れるならムダヅモを入れたい。
単行本化したら買うけどね
週刊少年ジャンプでさえ20選にまで絞ってるのだから近代麻雀なら最大にしても5選かなぁと。
7までひろげていいならむこうぶちと兎を入れたい
いろんな意見は大歓迎だけど本文を読めてないのは勘弁してくれ
本文に書いてあるとおり近代麻雀及び系列誌からのラインナップになっているから天牌とかは入りようがない。
選外で取り上げても良かったかもとは思うが。
昨日の帰り道のこと。
仕事が終わって、ちょっと気だるい気持ちでいつもの道を歩いていた。
もうすっかり日が暮れていて、最近は日が沈むのが早くなったよなぁなんて考えながら、閑静な住宅街をぼーっと歩いていたんだ。
そしたら、ふと向こうの方から人の気配がして、なんとなく視線をそっちに向けた。
で、その瞬間、私は完全に動けなくなった。
「え、ちょっと待って、今見間違えたかな?」と自分の目を疑った。
普通の歩幅で堂々と歩いてくるのは、40歳を超えたぐらいのおじさん。
その人がどんどんこっちに近づいてくる。でも、服を着ていない。いやいやいや、そんなわけないでしょ?と心の中で叫びつつ、パニック状態でしばらくその場に立ち尽くしていた。
体が石みたいに硬くなっちゃって、どうすればいいのか分からないまま、その全裸おじさんを凝視してた。
頭の中はもう混乱しっぱなし。全裸のおじさんなんてそんな存在、本当にいるの?って思ってドキドキしてた。
あの瞬間、私は現実感を失ったような気がした。
おじさんは、まるで何事もなかったかのように私の横を通り過ぎていった。
私の存在なんて完全に無視して、ただの通りすがりの普通の人みたいに。
それがまた怖かった。おじさんはどこから来て、どこに行こうとしていたんだろう?
誰もいない暗い住宅街で、あの謎の全裸おじさんが通り過ぎた後、私の心臓はバクバクして、冷や汗が背中をつたっていた。
その晩は、家に帰っても全然眠れなかった。
お布団に入って目をつむっても、あのおじさんの姿が頭にこびりついて離れない。
窓の外でガサッと音がするたびに「まさか、また全裸おじさんが...?」って思っちゃって、余計に怖くなる。
でも、不思議なことに、怖さと同時に何かドキドキするような興奮も感じてたんだ。
まるで都市伝説が現実のものとなって、私だけがその「非日常」をちょっとだけ体験したみたいな感覚。
実際あの全裸おじさんを見た後から、なんとなく世の中の見方が変わった気がする。
もしかして、世の中にはまだ知らないことがたくさんあるんじゃないか?っていう風に。
全裸オジサンが実在するなら、ドラゴンとか、ラピュタなんかも、もしかしたらどこかに存在してるんじゃないか?ってそう思えるようになった。
人気漫画やアニメやソシャゲや歌手やドラマには、まあ悲しいかな相応にアンチがいるわけだけど、そういう作品を口汚く罵る人って、その作品が多くの人に受け入れられてることをなんで無視する・無視できるんだろう?
人気作じゃなかったらどうなんだという話はおいといて、ここでは人気作に対しての話。
「あれを遊んでる奴ら頭おかしい、どうかしてる」
「こんなもん面白いと思う連中はまともじゃないんだろうな」
みたいなこと言うのが全く理解できない…だって実際その作品は好きで遊んでいる人がいて、特に人気作は文字通り人気があるわけで…
その作品を嫌悪する自分1人に対して、その作品を楽しんでる人が数万、数十万、数百万人いるのが客観的な数字として表れてるわけでしょ? 何をどうしたら「面白いと思う奴おらんやろ」になるの…?あれはどういう発想なの?
好き嫌いと人気規模は別。そこは分かる。
どれだけ大ヒットしてたって個人として好きか嫌いかは別の問題。
私だって誰もが知る大人気作品の1つに大嫌いなものがある。絵柄もキャラクターデザインも気持ち悪くて生理的にどうしても受け付けない、見るだけでウエッてなる、ストーリーもいまいち面白いと思えない、価値観が根本的に噛み合わない。
私は体調を崩すほど嫌いでも、一定の人気があって多くの人が受け入れてるんだから標準から価値観がズレてるのは私の方であるはず。そこは数字が表してるんだから感情で否定しようがない。一般的な価値観はあの作品を面白いと思っているらしい。はず。自分の好みとは別に、世間的な価値観と言う軸を手放してはいけないと思う。
だから「俺は」嫌いだ、「私は」あれを駄作だと思う、なら分かる。自分の言葉を自分で引き受けるのも偉い。
でも「あれやってる奴ら何が面白いか解ってないんだろうな」みたいな楽しんでる人を否定できる理屈はどこからでてくるの?だって数字で出てるじゃん、数字に表れるファン人口のほぼ全員がどうかしてるってこと?現実的にそんなことある?
私が絶対の正解だとは思わないけど、単純に疑問でならない…。
これが更に進むと、周りの実在を疑い始めて「まあユーザー数は金で買ってるだけだろうな」「金で買える数を喜んでるアホなユーザーしかいねえよな」などとしきりに言いだす印象だけど、こうなると…難しいですね色々と…