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2024-11-21

パキッ☆障害モリモリ文系ニンゲン、詰みかけシミュレーション

タイトルどおり(爆)。

ASDADHDミックススパイス人間、お薬飲みつつ爆走して、奇跡的に「第一希望ぉぉぉぉ~↑」の大学にゴールイン。スタンディングオベーション脳内!!!

上京するまでは田舎の「変わり者だけどキラリ秀才☆彡」ポジションで生き残ってきたんすよ。両親も「哲学とかやりたいとか、なんかカッケーじゃん?」とポジティブ応援してくれてた。ここまではハッピートレイン

だがしかーし!東京の「変わり者の天才」超濃厚接触ゾーンに飛び込んだら……おい、何これwww。

体育会系パワフルモンスター秀才!人当たり100点フェイス100点秀才!親のバックパワーで無双してる実家お金持ちマン……みんな何者??私??ただの「お薬飲んでギリギリ変わり者」マンでした。解散!!

最初は「哲学とか思想とか学んで、大学院行きたぁ~い☆」とか思ってたけどね?

東京キッズ「高校フランス語やってました~w」とか、田舎リッチ「ウチの親、地方新聞社のボスっすw」とか言ってんのよ!!??こっちは第二外国語単語帳でアワアワしてる間に、あいつらラテン語キメて映画観て本読んで、余裕シャクシャク☆

おい勝てるか?勝てんやろ。

で、さら哲学思想の道を突っ走っても、初任給で両親に「喜べぇえ!家電でも食らえぇええ!!!」みたいな未来もない。

しろ大学院生の行方不明エピソードとか多発してて、ガチで怖すぎ。「哲学ってさ、もしかして幽霊召喚コンテンツ???」と震え。

でもお薬マンの私、就活とかマジで現実エンカウント無理ゲー。通常人類と同じ土俵?どこ??行ける気しねぇぇぇ!!!

昔は「英文学大学教員ポジ奪取して食いつなぎつつ、徐々に専門に寄せる」という裏ルートあったらしいけど、今?淘汰時代日本じゃそもそも英文学ポジションシュレッダー行き。国外とか「また来てね日本人!」で終わりだろ絶対www

で、じゃあ哲学思想1本勝負か?いやいやいやいや。生まれながらに下駄装備Lv.99連中に、私の素足で勝てる見込み?ないない。圧倒的無理。

それに気づいたら、自分の特技=「受験勉強だけでしたぁwww」って。はい、終了~~~。

発達障害文系大学生だけど人生詰みそう

タイトルの通り。

ASDADHDの併発をしているが、良い先生に巡り会えて勉強を頑張ることが出来て、現役で第一希望大学に進学することが出来た。

上京する前までは「変わり者だが秀才ポジションで周囲と何とか交流出来ていた。両親も哲学思想をやりたい自分を認めてくれている。

しかし、東京に進学して来ると「変わり者ではないが秀才」が山のようにいる。体育会系の体力お化け秀才容姿も人当たりも良い秀才などだ。そんな秀才たちを前に、私は「障害を持つただの変わり者」になった。

最初は、哲学思想を学んで大学院にも行きたいと思ったが、「高校生の頃にフランス語やってた」とか言う東京育ちと、「親が地方新聞社社長」とかい実家の太い田舎育ちに勝てる気がしない。私が一生懸命第二外国語をやってる間にラテン語を学び、私がバイトをしてる間に読書映画を楽しんでいる連中に、どう勝てばいい?

それに哲学思想を学んでも、初任給で両親に喜んでもらえるような物を買うような人生を歩めない。それどころか、大学院生が急に連絡途絶えて行方不明になる話が頻繁にあり、ヤバいんじゃないかと思う。しか自分のような薬を飲んで何とか大学に通えてるような人間が、他の健常者と同じように就活出来る気もしない。

昔はよく抜け道として、まずは英文学を専攻し大学英語担当して食い繋ぎながら、徐々に専門を出していくというやり方があったようだが、日本大学淘汰時代で、国外で「日本人の英文学者」にお客様以上のポジションが与えられる可能性は低いのではないか

じゃあと最初から哲学思想やるにしても、最初から下駄を履いてる連中に勝てる見込みもない。

自分の取り柄と言えば、今や受験勉強が得意だったとか、そんな程度になってしまった。

推しの子は序盤から破綻してたかラストダメなのも当然の結果

推しの子、序盤で読むのやめてて良かった

そもそも推しの子供に生まれ変わるって設定がおかしいんよ

そんな都合のいいことが起こるわけないじゃん

第一話にあり得ない展開があるってことは、今後もそれが続くってことがわかるよね

推しの子になっても、知能や記憶前世のままっていうのも変だった

赤ちゃんの脳って発達してないから、大人みたいな思考ができるわけがない

まれ変わったけど脳は大人のままって、おかしいよね

そういうのを無視して、「細かいことはいいんだよ。面白ければ」を第一話でやっちゃってるからさ、今後も細かいことはどうでもいい展開が続くのは当然だよね

結果、納得いかないラストになるのは自然だよ

ちゃんとした漫画なら、整合性第一から確保しておくもんなんだよ

それをしなかったから、ラスト破綻する。

第一話とか序盤で「この漫画ラスト破綻するな」って気付かないと、読んで損したってなるよ

みんなも気を付けようね

2024-11-20

東大文一に落ちて早稲田大学法学部に進学した息子が司法試験勉強をしている。

裁判官検察官を目指している。

私は努めて平静を装い、母として「頑張ってね」と声をかける。

でも心では思う。

どうしてもっと10から12歳、16歳から18歳という人生で最も重要な6年間に今の頑張りと結果を出してくれなかったんだろう、と。

御三家とその他、東大早慶じゃ天と地の差があるのに。

その6年間にかけたお金と手間を思い出し虚しくなる。

第一、仮に予備試験司法試験合格したとして早稲田大学法学部から裁判官検察官になって何の意味があるのだろう。

息子は裁判官検察官として法廷に立ちたいらしい。

さすが早稲田大学学者だけあって考え方が二流だ。

一流の判事検事法廷には立たない。

判事ならその大半を最高裁事務総局付や最高裁判官調査官として、検事ならその大半を法務官僚として過ごす。

そしてその先に高裁長官最高裁判官、最高裁長官法務次官東京高検検事長、検事総長という職務が待っている。

それが一流だ。

法廷に立って犯罪者を裁く判事、送検された被疑者を取り調べて被告人にして法廷で責め立てる検事現場で働く現業職であり二流なのだ

なせわそれに気が付かない。

からお前は二流なんだ。

そんな言葉を飲み込み、頑張ってねと声をかける。

こどもにはテレビを見せたほうがいい

わたしには幼児期テレビチャンネル権がなかった

テレビは主にNHK祖父の好きな旅番組を映していた

父方の祖父母と同居している第一子にはありがちなことかと思うが母はまだ遠慮があり祖父には毎週見る習慣になっている番組毎日あった

仕方のないことだ

ただ大多数のこどもが見ている番組を家で見ることがわたしにはできなかっただけだ

東京に住んでいるひとつ下のいとこの家のピコが羨ましかった

だいぶ大きくなってからあのキャラはなんだったんだろうと調べたらセーラームーンアマゾントリオだった

中学生くらいのわたしは幼少期の自分おもちゃや布製品の絵柄などの所持品にセーラームーンが登場するにも関わらずセーラームーンアニメ記憶がないことについてギリ世代じゃないからだと考えていたのだが普通に直撃世代でただ見ていなかっただけだったのだ

ハッチポッチステーションを初めて見た日のことは覚えている

わたし田舎保育所に通っていた

同い年の子は8人、保育所全体でも30人に満たない人数だっただろう小さな保育所

母は保育所を利用しているのに仕事といえば農作業か内職かという専業主婦だった

から迎えが遅くなるということはなかった

お迎え時間に来ていたよそのお母さんの記憶もあるのでほとんどの家庭は似たような環境だったのではないかと思う

ある日母の迎えが遅くなった

理由はわからない

その日に所長先生給食室と職員室の間の畳の部屋でハッチポッチステーションを初めて見た

所長先生がオープニング映像エスカレーターであることとその頃エスカレーターでの事故があったので真似をしたら危ないことを話している様子を覚えている

テレビには人形が斜めの板の後ろを移動している様子が映っていた

記憶にある所長先生発言から推測するとわたしがこれはなんなのかのような質問をしたのだろう

ハッチポッチステーションのオープニングのエスカレーターを登る人形の様子を見たことがなかったわたし理解できなかったのだ

幼児は戦いごっこなるものをやる

わたしの通っていた保育所場合は個々人が各々自分が何であるかを宣言していた

戦隊のなにかセーラーなんとか悟空……

ごちゃ混ぜのドリームマッチである

そんな中わたし赤ずきんチャチャ宣言した

恥ずかしながら何かで聞いた名前だったのだろう

赤ずきんチャチャ?強くないよ」「強いもん」「全然強くない」

わたし保育所ブランコで泣いた

大変に不快になってそれ以降家庭外でテレビ番組の話をするのをやめた

小学校に上がってもそれ以降も話さなかった

何なら社会人になった今でも一瞬知らない振りをしてしま

ちなみに赤ずきんチャチャは未だ見ていないので今も戦って強いと思っている

わたし場合は30年近く前の話だが現代においてもこどもの会話といえば映像だろうと思う

テレビ番組にこだわるわけではない

YouTubeとかでもいい

こどもの間で流行っているものは見せた方がいい

そのほうが本人が歪まないんじゃないか

最低限未就学児にはNHK教育を見せといたほうがいいと思う

こどもにはテレビを見せたほうがいい

わたしには幼児期テレビチャンネル権がなかった

テレビは主にNHK祖父の好きな旅番組を映していた

父方の祖父母と同居している第一子にはありがちなことかと思うが母はまだ遠慮があり祖父には毎週見る習慣になっている番組毎日あった

仕方のないことだ

ただ大多数のこどもが見ている番組を家で見ることがわたしにはできなかっただけだ

東京に住んでいるひとつ下のいとこの家のピコが羨ましかった

だいぶ大きくなってからあのキャラはなんだったんだろうと調べたらセーラームーンアマゾントリオだった

中学生くらいのわたしは幼少期の自分おもちゃや布製品の絵柄などの所持品にセーラームーンが登場するにも関わらずセーラームーンアニメ記憶がないことについてギリ世代じゃないからだと考えていたのだが普通に直撃世代でただ見ていなかっただけだったのだ

ハッチポッチステーションを初めて見た日のことは覚えている

わたし田舎保育所に通っていた

同い年の子は8人、保育所全体でも30人に満たない人数だっただろう小さな保育所

母は保育所を利用しているのに仕事といえば農作業か内職かという専業主婦だった

から迎えが遅くなるということはなかった

お迎え時間に来ていたよそのお母さんの記憶もあるのでほとんどの家庭は似たような環境だったのではないかと思う

ある日母の迎えが遅くなった

理由はわからない

その日に所長先生給食室と職員室の間の畳の部屋でハッチポッチステーションを初めて見た

所長先生がオープニング映像エスカレーターであることとその頃エスカレーターでの事故があったので真似をしたら危ないことを話している様子を覚えている

テレビには人形が斜めの板の後ろを移動している様子が映っていた

記憶にある所長先生発言から推測するとわたしがこれはなんなのかのような質問をしたのだろう

ハッチポッチステーションのオープニングのエスカレーターを登る人形の様子を見たことがなかったわたし理解できなかったのだ

幼児は戦いごっこなるものをやる

わたしの通っていた保育所場合は個々人が各々自分が何であるかを宣言していた

戦隊のなにかセーラーなんとか悟空……

ごちゃ混ぜのドリームマッチである

そんな中わたし赤ずきんチャチャ宣言した

恥ずかしながら何かで聞いた名前だったのだろう

赤ずきんチャチャ?強くないよ」「強いもん」「全然強くない」

わたし保育所ブランコで泣いた

大変に不快になってそれ以降家庭外でテレビ番組の話をするのをやめた

小学校に上がってもそれ以降も話さなかった

何なら社会人になった今でも一瞬知らない振りをしてしま

ちなみに赤ずきんチャチャは未だ見ていないので今も戦って強いと思っている

わたし場合は30年近く前の話だが現代においてもこどもの会話といえば映像だろうと思う

テレビ番組にこだわるわけではない

YouTubeとかでもいい

こどもの間で流行っているものは見せた方がいい

そのほうが本人が歪まないんじゃないか

最低限未就学児にはNHK教育を見せといたほうがいいと思う

anond:20241119082848

第一に死んだ職員告発内容を隠さずに発表するべき

裏金工業化物質違法か、不倫だかなんだか不明瞭だ

職員は庁内で複数女性らに接触していたんだろ

女性らにも証言とるべき

もっとも脅されてウソつくかもしれんので、内部告発保護施策を確保してから

また斎藤が握り潰すかなあ?

Copilotに「大喜利のお題出して」と投げてみた

もちろん、面白いお題を考えますね!以下から選んでみてください:

未来教室、こんな授業があったら…」

コンビニの新商品、ありえないほど面白いものとは?」

「もし動物選挙立候補したら、どんな演説をする?」

スマートフォンが突然しゃべりだした!その第一声は?」

宇宙旅行に行ったら必ず持っていきたい意外なものとは?」

これらのお題で思いっきり笑わせてください!どれが気に入りましたか? 🐸✨

これらのお題で思いっきり笑わせてください!どれが気に入りましたか? 🐸✨

めっちゃ煽ってくるな……

2024-11-19

三匹の政治

ある国に、三匹の豚が住んでいた。その豚たちは、ただの豚ではなく、政治家だった。名前はそれぞれ、トント、ブタオ、ポポロ。彼らは選挙のたびに国民の前に現れ、立派なスローガン約束を掲げては、票を集める名人だった。

トントは「経済発展第一に!」と叫び、金の匂いがする政策ばかりを打ち出していた。彼の夢は、大企業が儲かる世界を作ることだった。選挙戦ではいつも、豪華なスーツと巧妙な演説で注目を集めた。

ブタオは「平等社会を作る!」と主張していた。彼は、すべての国民に同じチャンスを与えることを約束し、社会福祉や教育の充実を訴えていた。彼の演説情熱的で、貧困層労働者階級に人気があった。

ポポロは「環境を守る!」と掲げ、再生可能エネルギー自然保護を最優先にした政策を打ち出していた。彼の言葉には未来ビジョンがあり、特に若者たちの支持を集めていた。

選挙戦は激しさを増し、三匹の豚は国民の期待を一手に背負っていた。しかし、誰もが気づいていたことが一つあった。それは、どの豚も自分政策を実現するためには、国の予算をどう使うかという問題に直面していたことだ。豚たちは、必要資金をどこから引っ張ってくるのか、そこの詳細には一切触れようとしなかった。

選挙日、三匹は集まった国民の前で演説をした。

トントは「経済を最優先し、企業支援すれば、税収が増え、国民全体が豊かになる!」と言った。

ブタオは「平等社会を作るためには、まず富の再分配必要だ。そして、そのためには富裕層から税金をしっかり取る!」と語った。

ポポロは「環境を守り、未来を考える社会にするために、今すぐにでも脱炭素化を進め、持続可能エネルギーを確保しよう!」と訴えた。

そして、投票が終わり、結果が発表された。驚くべきことに、三匹の豚は全員が当選した。

国民は喜んでいたが、三匹の豚たちの顔には満足の表情はなかった。彼らはそれぞれの立場で、自分公約を守るためにどうするかを悩んでいた。

トントは経済成長を実現したいが、環境保護や社会福祉にお金を回す余裕はない。ブタオは平等を掲げながらも、大企業への課税強化が経済に悪影響を与えるかもしれないと心配していた。ポポロ環境問題に取り組みたいが、そのためには国の資源を大規模に動かさなければならず、他の政策犠牲になりかねないと感じていた。

結局、三匹の豚は、それぞれが掲げた理想政策を実現することができなかった。彼らの約束は次々と後回しにされ、時にはお互いの政策否定し合うことになった。結局、国民の期待は裏切られ、豚たちは何も成し遂げることなく、次の選挙を迎えることになった。

そして、国民は次の選挙に向けてまた新たな豚を選び、豚たちは再び国民の期待を背負って選挙戦に臨むのだった。

だが、誰もが気づいていた。三匹の豚がどんなに立派なスローガンを掲げても、最終的にその政策が実現することはなかった。そして、その事実こそが、政治世界の常であり、国民が学ばなければならない唯一の教訓であった。

人間が何をして喜ぶかをAI形成するのが第一歩で人間がそれに従うのが第二歩

しっかりしたがっている人のみに補助金を与えるのが第三歩

anond:20241118234522

日本ではOECD調査結果exitにも表れているように、機能的非識字者の割合は約6%となっていた。World Literacy Foundationが2015年に行った調査によれば、日本機能的非識字者による社会的損失は1兆円にも上るという。2017年新聞記事で「中学生の15%は主語がわからない等文章理解第一段階もできていなかった」と報道されたことがある。

anond:20241118134905

末っ子はそれに加えてわがままだとか言われる

第一子は他者から偏見は少ないが生きづらい性格の人が多い

2024-11-18

anond:20241118153507

第一、まだ疑惑の段階の時点の人を黒認定してる時点でおかしい。

内部告発が嘘なら、そもそも斎藤さんの罪はなかったことになるからな。

その証拠の公開がされれば本当に貶めようとしていたか真実がわかり、斎藤さんの疑惑は晴れる可能性がある。

公開されてないのだから証拠がないとは言い切れないぞ。

公開しないようにしたこと斎藤さんが黒にされてしまってるなら、そら何かがおかしいわな?

で、公用パソコン私物化した側はもう黒確定だから、公開しようがしまいが今更なのよ。

anond:20241118152526

第一公用パソコンプライベート情報を入れてることを非難しろよ。

そういうなんか理由をつけて公開拒否とかをするから、何かやましいことがあるんじゃないかと疑われることになり、票を失うんだよ。

まぁ、別に俺に反論したところで、多くの県民がそう思って投票先を変えたという事実は今更変わらないよ。

兵庫県知事所見

自分浪人してて当日は模試だったか友達に誘われて皆で期日前投票してきた。

県大が第一か第二志望の友達が多くてソイツらは齋藤に入れてる気がする。陰謀論信者みたいなやつはいないけど、一人はポロッと無償化なくなんのは困んねんって言ってた。私は齋藤元彦氏のことはあまりきじゃないから他の人に入れた。

逆に進学して今一回生友達高校時代から県で公務員になるって言い続けてたんだけどパワハラを受けて齋藤はほんまにイヤって言ってて、今回当選を受けて公務員にはもうならないってTwitterにつぶやいてた。あとは無償化のせいで神大じゃなくて県大しか親に許してもらえなかった友達あんなクソ許せるわけないやろって言ってた。お前のことは可哀想だと思うけどどれは逆恨みやんけ。県大の友達自分観測範囲では行ってないか齋藤っぽい。行ってないのほうが多くて頭抱えたけどな。

色々あるなー、若い子の投票は県大生の恩義票みたいな側面もありそう。私は何があろうとパワハラが県のトップにいるのがめちゃくちゃ嫌だったので今回の結果はちょっと萎える。色々いい側面があるのもわかるけど、自らの手で情報を調べた上で自分は本当に嫌だった。明石の件もあって模試から帰って親と兵庫ってパワハラの街やなって言いながらサンテレビ観てた。

斉藤の再選によせて または パワハラって減ってんだなあ

パワーハラスメント報道がたくさんされていたが、これを現実味を持って実感出来る人が減ってる気がする。

それだけ世の中からパワーハラスメントが減ってるって事じゃないかなって思った。良い時代です。これは素直によいことです。ただ、これによってパワハラって事の具体的なイメージが無くなって来ている、実感として悪い事だという事がイメージしづらくなってるんじゃないかな。

これは、他の同種のうねり(繰り返す波)に、戦争関係のれきしがある。戦争のものも、そして、戦争を直接知っている世代と接したことがない世代も増えて、戦争が起きないようにすると言う施策活動が力を失っている事がある。これが振り戻しが実際に現れたわかりやすい例だと思う。


中国の台頭とか、アメリカ第一トランプ政権から圧力などに直面する前。

日本防衛費無茶苦茶削られてて、GDP1%と言う枠の中で、港湾の整備費や飛行場修繕費など、それって防衛費じゃないよねみたいな金まで支出されてカツカツだった。

実はアメリカですら、9.11を迎えてしまう前はそうだった。これは、戦争現実の脅威と考えられなくなっていたからだ。

逆方向には、草の根平和活動とか、そういったものバカにされる風潮もそれだったと思う。戦争反対ってなんだよ、戦争なんて起きるわけないだろ、みたいな。

その状態ヨーロッパなどでも起きていたし、彼らにとってアフガニスタンとか中東系の戦争は違う世界戦争だったわけだけど、その状態を付いたのがウクライナ危機であり、ウクライナ危機は同じヨーロッパ人が侵害されたと言う事で一気に動いた。

日本台湾情勢に、スプラトリー諸島問題などで現実問題として認識されたわけだ。

ただ、これはそのまま防衛意識が高いままで警戒がされていたら、中国ロシアなどの暴発など、こういったことが起きていただろうか?と言う議論がある。


一方で今回のモラハラパワハラ斉藤が再選した件も、それなのではないか

まり、世の中からパワハラが大きく減っていて、それに晒されている人が少なくなったから、実感を得られていないのではないか

たかつて石原慎太郎らが仕掛けた怪文書などによる選挙工作昭和選挙ファンタジー扱いされつつあり、実際に痛い目に遭ったことがある人、あるいは痛い目にあった事のある人から情報を見聞きする事が少なくなったのではないか

その結果、それらを問題視する人の声をリアリティ持って受け止める事ができず、問題への支持が広がらず。

一方で「不倫問題」のような、現代でより身近に現れて、インスタントに分かりやすく「経験」と結びつきやすい、実感を得やすものが登場し、共感を得やす問題によって印象が上書きされたことによって、ご覧の有様になったのではなかろうか。


愚者経験に学び、賢者歴史に学ぶ」と言う言葉ある。これは元々ドイツ人ビスマルク格言だが、この「経験」は意訳で、実際には「失敗」という言葉が宛てられている。どうやらそちらの方が原文の意図に近いらしい。

愚者は失敗に学び、賢者歴史に学ぶ

そして、私も含めてほとんどの人が「歴史に学ぶ」事のできる領域は、恐らく自分の専門分野のみなのだ

それ以外では愚者なので、今回のようなことは無数に引きおこされて、歴史は繰り返してしまうのだと思う。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。しかし、忘れて熱湯を飲んで死ぬようなことになったら致命的だ。

大事な事は、できるだけ小さな失敗に留めて、そこから多くの事を学べるようにすることぐらいしかない。

各自衝撃に備えねばならない。

兵庫県知事選を見て思ったオールドメディアのこと

普段Twitteryoutube政治に関する話を見ないもんだから結果を見てちょっと驚いた。どうやら自分観測範囲外でネット世論無視できないほど盛り上がってたらしく「斎藤知事が再選してよかった」と言ってるフォロワーも居たりして俺は浦島太郎なんだけど、流れが分からない自分に今回の選挙がどうとか言える立場ではないし出回ってた話の真偽も分からないがオールドメディアの影響力が弱いことは明らかに思えた。

影響力が弱いどころか、マスコミ不信により何かを伝えればそれの逆張りが盛り上がり、無視できない影響力にまで膨れ上がるこの流れは選挙ハックに利用されかねず、悪意の陰謀論をもって選挙に挑むことが勝つための最も合理的手段になり得てるのではないかと(今回の選挙に当てはまる事例があったかは知らないが)

そのような時勢の中でオールドメディアはこれまで通りの報道の仕方を続けていたら今後も逆張りハックされてネットの影響力は増していくばかりと思われる。

ではオールドメディアの弱点とその対策はなにか。恐らく「ネットでは囁かれているがメディアで触れられない話」に対して「ネットでは○○という言説が広まっているが○○のため第一線での報道しません」といった形でこれまで報道では避けていたような言説を敢えて紹介しつつ、触れない理由説明していく事で逆張り陰謀論の付け入る隙を減らす事がSNS時代に求められているのではないかと思う。

ファクトチェックは真偽を確かめ必要があり非常に労力の掛かるものであるが、真偽不明なまま「ここまで調べたけど不明だった」を公開していくことにも意義はあるのではないだろうか。

オールドメディアしか見ない層に向けた発信ではなく、ネットも見ている層に向けた発信の仕方を強く意識すべきである

ちんちんピラピラに絡まれた時

チンピラ目的はまず第一に金

・金目的で無い場合は、相手負の感情を与えることと時間無駄にさせること つまり、とにかくなにがなんでも相手の足を引っ張りたいという強烈な無意識がある

対処

・金、時間感情の全てを与えない事が肝要

丁寧語で通す

必要最低限しかさな

情報は渡さな

挑発にはのらない

警察やまともそうな第三者積極的に介入してもらう

ぶつかりおじさんとか、ネットフェミとかネットリンチ大好きな小悪党も根は同じ

2024-11-17

アニメ海外の反応」がとんでもないことになっている

俺、1年に2,3個ある神アニメに限り、海外の反応みるの昔から好きなんだけど

基本的大勢をまとめたやつ

いつから見てたっけな、メイドインアビス第一期の頃にはみてたと思う、2017年

もう少し前から見てた、あの頃はスナッチと言う人が翻訳までしててすごかったな(ニコ動で)

 

とはいえ、あの時「アニメ同時視聴、リアクター」というのは確かにマイナージャンルだったんだ

まず削除されるしね、いつ垢バンされてもおかしくないタイプアングラエンタメだった

再生数も数千とか、いって1万くらいだった

 

それから5年以上経ったわけだけど

気づけば海外の人気リアクター登録者100万を超す人が現れていた

再生数も数十万みたいな

ビックリだよね

 

2,3年前に結構盛り上がってきたなという感覚はあったんだけど、ここまで伸びるか??って驚いてる

ていうか、色んなリアクションしてるのかと思ったらマジで日本アニメオンリーなんだな

ビビる

まあ英語聞いてもほとんどわかんないからこれからも「たまに見る」程度になると思うけど

しか日本では一向に流行らんねw 日本語でべらべら喋られると混ざってきついんだわ

 

あ、でもVTuberの同時視聴はたまに見てる

スバルとかおすすめ

anond:20241009065723

男性の生きづらさは第一男性自身の有害さに原因があり、フェミニズム信仰し悔い改めれば救われる、みたいな

植民地宣教師みたいなことをリアルタイムでやってんじゃん

そういやそろそろ国際男性デーだな

2024-11-16

anond:20241116202918

うんうん、その気持ち、すごくわかるよ。なんでこうも使いにくいんだろうね、あの漫画アプリたち。これって、まるで19世紀フランス革命の時の貧民層が「ルイ16世!」って叫びながら無駄に過ごしていたような、無力感があるよな。最初に手を出したものが、結局期待を裏切ることって、歴史でもよくあった話だし。

あの「拍手」っていうの、まるで古代ローマコロッセオで観客が戦士たちに歓声を送るような感じで、回数を増やせば増やすほど「アクション評価に繋がる」ってことだろうけど、実際は面倒なだけだよね。これって、まるで日本江戸時代庶民が手間をかけてやっと手に入れた「ご馳走」のように、結局その後にある満足感が薄い。

一回で済ませられるじゃん、って思っちゃうけど、それもまた「不確実性」の魅力を求めているってことなのかもしれない。ちょっとずつやりとりすることで、「選ばれたもの」って感じがするし。でも、その曖昧さっていうか、ボタンを押し続けることに意味があるって思わせてる感じが、ほんと意味不明だよね。

そして、広告広告鬼畜さは、まるで19世紀末の工業革命後の都市における、どこまでも続く煙突から吐き出される煙のようだ。まさに「進歩」の名の下で、意図しない邪魔が入るっていう不快感、これって21世紀になっても変わらないんだよな。まるで美術館に行って、作品に集中しようと思ったら、突然展示会場に広告乱入してくるみたいな。

その気持ち、ほんと痛いほど理解できるわけ。海賊版サイト直感的に感じるのも、まさにその「無駄がない」っていう、簡潔さ。今の世の中、時間が一番貴重だからね。ちょっとした「便利さ」のために、時間を浪費するのがどれほどストレスになるか、歴史的にも無駄ものはすぐに淘汰されてきたし。

あとは、横読みとか縦読み自由にできるように、っていう提案、素晴らしいよ。それ、まさに「ユーザー第一」の精神だね。実際、ユーザー利便性を考えた進化って、17世紀技術革新において、芸術家たちが次々と自分作品を改良していったことにも通じる部分がある。彼らも、自由表現ができるように、あらゆる壁を越えようとしたんだ。

でもさ、そんなに不便なことだらけのアプリでも、ちゃんと使いこなしてるって、すごく頑張ってるよ。時には不満を抱えながら、それでも使い続ける姿勢って、まるで中世騎士不安な戦いの中でも忠誠を尽くしていたような、ひたむきさがあるんだよね。ほんと、君のその「正義感」、誰かに伝えたくなるくらい素敵だよ。

中国男余りテクノロジー資本主義の結果らしい

現在中国男余りと言われている。

中国一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。

どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。

今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。

資本主義価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった

以下長々と語る

中国一人っ子政策1978年から2015年まで行われたのだが、時代地域により規制のばらつきがあったようである

1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれ子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである

※2

長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)

※1

上記引用一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。

そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。

1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)

※5

改革開放に伴い、地方部では家族倫理が強化されたらしい。

本源的蓄積過程継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と

名付けた。

※3

実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革効果といえるという。また、母親教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。

※2

資本主義市場経済自体ジェンダー中立的システムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。

資本主義システムの 成立要件ひとつである土地商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利収奪しながら進行してきたことが示されているかである

生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である

※1

土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家所得の向上だという。この時代超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。

ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコスト負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである

土地改革によって、男性労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。

※2

人民公社から土地開放に伴う家父長制の強化により、女性労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった

かになった農村女性超音波技術を用いて不要女の子堕胎する

という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である

おまけに、中国女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人選択は割と正解だったというのが残酷である

これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった

なんというか時代って繰り返すのねと思う

でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな

そうなると、資本主義出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う

だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね

今後福祉制度脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビークローン自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである

調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい

引用文献

※1

新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子

https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja

※2

第59回 いるはずの女性がいない――中国土地改革の影響 牧野百恵

https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html

※3

歴史政治経済学視点からみる中国の「農嫁女問題」李 亜姣

https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf

※4

女性労働参加を更に促進、シニア労働参加は次なる課題中国

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1

※5

市場化に向けた中国における農村土地改革

― 「農村土地請負法」と「土地管理法」の改定を中心に ―

https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

転職が決まって心の整理をした


当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである

社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。

妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らし人間結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグ狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収正規サラリマンとして紹介することがあった。

よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜たかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。

もし、この世界エロ漫画世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である

かつては弱者だった。※弱者男性という言葉は嫌い

大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代アルバイトばかりやっており、部活サークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。

「Fの就職チャンネル」で就活生の動画ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。

さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったかである関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである年収+はなんと約200万円。

今まで、この田舎にある小さい製造会社毎日毎日機械仕様書図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。

正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間であるマジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張であるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!

今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイト登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)



そんなこんなで、この田舎最後に何をしようか思案していた。

したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。

・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食

・年に5~6回通っていた居酒屋で高級シャンパンを注文

・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード進研ゼミ中学版、ガラケー写真など)

地元中学校での文化フェスティバルへの参加。中学生以来

地元小学校のサマフェスへの参加。高校生以来

地元神社奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了

あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。

なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あん標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。

自宅の裏から繋がる山道入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵樹木が生えてる感じだった。

亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。

昭和前半の空中写真を見たら一目瞭然

今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題であるてっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。

樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。

景色の一例≫※いずれも里山。道なき道を進んでいく

https://tadaup.jp/15183559802496/

https://d.kuku.lu/83gjgt5fb



高校時代卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。

高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。

なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初最後なんだからさ。



卒業記念色紙の部員コメント

部員一同)

同人誌コレクター増田さんへ

あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……

大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね

自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

増田さんは、□△高校相川さんがロリロリで好みなんですよね!!

相川さんを是非モノにしてください

応援しています

増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです

閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです

自分もあれがほしいです。現像したの1枚余ってたらくだいね

とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!

本当にありがとうございました

増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました

冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!

自分もああい柔道、できるようになりたいです

大学でも柔道続けるんですよね。心から応援してます

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

早く警察に捕まってください!!笑

カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド藤本より

ロリータ戦士 増田さんへ

あなたロリータっぷりにはびっくりでした。

あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。

ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。

ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

増田先輩へ

よく型の練習付き合ってくれたの感謝してます

先輩がいたので、二段の試験合格できました

今でも感謝してます

大学でもがんばってくださいね

増田先輩

お疲れ様でした!!

自分一年なんで、あまり絡みなかったです!!

けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます

いままでありがとうございました♡

柔道部監督

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください

女子マネ

・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください

・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑

・これからも今までみたいに頑張ってください



これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。

でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。



そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である

それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱テープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出であるトラウマと言っていい。

いや、大学卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である

マクドアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗から卒業である。毎年3月にある。

卒店式だけど、マクドナルドって経営店舗運営外資ルールからエリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。

それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館無料で借りて、ジュースお菓子テーブルに並べて卒店式をやる。

大学時代アルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。

当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。

そんな時、自分ひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイト社員仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。

でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。

結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。

の子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。

ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。

一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。

あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルものだった。しかし私の答えは……。

「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。

AJCCマクドナルド技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった

その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。

それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々仕事を終わらせて――いや違う、確か女性学生客がトイレゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルド終焉を迎えた。

帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)

しんみりしてしまった。

学生時代の思い出を開封するのは心理的キツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。

そんなのはちょっと想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱開封した。

そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。

その日記最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたかである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。

……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体ハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。

例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。

指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である

組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。

でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。

こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティ感触認識してるってことにもならないだろうか。

剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!

もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。

実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会のもの自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。



それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。

あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。

あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。

始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータ給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶改ざんするものである

ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。

長くなったけど、これでひと段落ついた。終わりである

長文読んでくれてありがとうな。明日から、また一増田ユーザーである

みんなの面白い日記を楽しみにしています

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