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はてなキーワード: 数学者とは

2020-09-25

原作

趣味読書会社で本読んでたら、池井戸先生推しグループに引き込まれつつある。そのグループの1人が前に読んでたフェルマーの最終定理に関する数学者たちの物語の本を所望してるのに、その何倍もの井戸先生の本を貸してくる。どうやら次はドラマDVDもあるとか…

2020-09-21

ある日、円周率が割り切れた

正確には円周率計算が終わった

数学者ネイピア数の書かれたねじれた紐で首を括り、工学屋は天球の中心でiまたはjを叫び政治家は何もせず、牛丼の値段はそのままだった

円周率最後の4桁は5963だったという

2020-09-13

anond:20200913122652

社会学者って社会全体の専門家のように見えるけど

実際に専攻してる分野は「社会の中のごく一部」なわけで

専門外の分野に首突っ込んでるだけなんだよね

数学者とか物理学者アニメクレーム付けました!っていうのと実質的には変わらんのだけど

肩書がまぎらわしい

anond:20200913035706

俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識アップデートしてよ。

タイトルの通り増田20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネット掲示板個人サイトなどを見始めた当時からファンによる「銀英伝女性キャラステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデート希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います

うん、銀英伝ファンあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイート認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。

でもさ、

ことと、

こととでは、社会的意味が違うんだよね、残念ながら。

twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシング煽動してるようにしか見えないんだわ。

ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句からね。

「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。

実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句社会学者というツイート主の職業フォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います

もちろん、昨今のネット社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかし社会学者存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。

ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?

文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズム同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性問題惹起するよなあ。

本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレ押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います

マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。

ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。

つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士研究者によって献血ルーム攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブ農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。

ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものヒステリックに反応するのは自明の理では?

悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。

からといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)

ブコメに応答

実際問題2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動

社会学者の人、名誉はともかく金は得られてないと思うよ。

いや、ネット表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベル新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。

この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterしか社会学者」を知らなそうな人多くない?

そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……

アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。

アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者数学者工学者や物理学者言語学者文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。

そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たち表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージ形成ちゃうよね。

もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。

昨今の風潮でいちばん納得がいかないこと

ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?

2020-08-29

微分方程式は解かなくてもいい」という発想がもう少し早くから教えられてもいい

もちろん、解ける方程式を解くことは重要なんだが

実は数学者がやってるのは、解けない方程式構造を明らかにすることだ

具体的に言えば、その方程式を満たす関数空間(これは無限次元の図形だ)の構造研究しているんだ

解けない方程式は複雑だ。でも複雑ってことは、その中に豊かな数学理論を生み出す性質が潜んでいるってことだ

その性質試行錯誤して見つけてやると、そこから新しい数学が生まれ

テリー・デュホンをはじめとする天才数学者達がCDSを開発してしまった事が今となっては人類悲劇の始まりなのかも。

系の中に生成した系がシステムのものを呑み込んで膨張していく姿は、まるで「AKIRA」の鉄雄を見ているかのようだ。

昨夜、パウエルは緩和は長引くと言った。

砂上の楼閣に出口はない。

2020-08-14

数学は好きだけど

生活で役に立つかどうかなんて関係なく、数学事実それ自体面白がれる人間ではない事に今更ながら気づいた。

数学者ってなんかカッコいいし目指そうかなと思ってたけどやめた。

おしまい

2020-08-05

anond:20160731195601

https://rentwi.hyuki.net/?759297917043609600s

これか?

https://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/rentwi.textfile.org/?759297917043609600s

「《数式アレルギー》という言葉を聞くたびに、お腹をノコギリで切られるような痛みを感じます。「私は数式アレルギーでして」みたいにいうのを責めているわけじゃない。でもその《言い訳》が社会に与える意味を思うと、お腹がぎりぎりぎりぎりと痛む。あなたはどんな意味でそれを言ってるの?

「私は数式アレルギーでして」という言葉安息する人たちがいる。でもそれと同時に「おおそうか、こういう言い方をすれば自分が数式を読まなくても多くの人の共感を得られるのか」という抜け道を若人に与えてしまう。それが苦しい。違うんだけどな。数式は言葉に過ぎないのにな。

何百年も前から世界トップクラス頭脳が考えに考えてきた歴史の積み重ね、言葉結晶として《数式》がある。それを「あれるぎー」の一言ゴミ箱にいれるというデリカシーのなさに胃が痛む。あなたがわからないのはいいよ。あなた理解したくないのはいいよ。若者にそれを推奨するなといいたい。

漢字が読めない若者を怒るでしょう?英語を読みたくないという若者を叱るでしょう?数式はそれと同じだ。数式を「あれるぎー」で済ますなよ。特に若者に、そんなへらへらした姿を見せるなよ。漢字が読めないなんて論外。英語読めないなんてありえない。それと同じように数式を読め!というべき。

何を怒っているかというと「私は数式アレルギーでして(てへ)」といってる(自称大人に怒るのだ。勉強不足を恥じろよ。若者自分レベルまで落とそうとするなよ。文系ですからなんていうなよ。きょうび文系でもしっかり数式はよむぜ!若者自分レベルまでおとしめようとするのに腹が立つのだ。

数式は理系言葉言葉を知らなければ、学ぶこともできないし、会話もできないし、自分の主張を表現することもできない。計算機科学者でΣがキライな人はいません。統計学者でσがキライな人もいません。数式は恋人のようなものです。エセ文系の《数式アレルギー》なんて言葉に惑わされないようにね!

中学生ならばわかりますよ。「いやあ、昨日ゲームやってて、試験勉強してないんだよねー」みたいな、不勉強自慢みたいな。「ガリ勉人間性をなんとか」みたいないい加減な論理。そんなのを大人になってからやってちゃだめだよ。大人真剣勉強しよう。真剣に考え、真剣に学ぼう。

自分が使える武器を磨こう。武器とは言葉だ。日本語英語プログラムも数式も、あなた武器だ。あなた言葉だ。誰はばかることなく広く深く学べ。にせもの大人がへらへら文句いっても耳をかさなくていい。あなたあなたが信じる本物を磨け。応援しています

>「私は数式アレルギー文系でして」とへらへら笑う大人に耳を貸すな。

http://rentwi.textfile.org/?759297917043609600s

蛇足。どうして「数式アレルギー文系」というフレーズにこんなに腹が立つかというと、未来若者に害なすというだけじゃなく、実はこの自称文系》が数式だけじゃなく、《言葉》をぞんざいにあつかっているからなんだな。「私は数式アレルギーでして」を醜悪だと感じない感覚は《文系》じゃないね

結城がこれまで出会った(必ずしも理系ではない)尊敬すべき文系は、数式が言葉でることを理解しており、自分がそれに習熟していないことを少し恥じつつも、敬意をもっていたように思う。「私は文系だけど、書かれた言葉はきちんと読みます」という態度がそこにあった。

全員が数式を数学者のように読めと言っているのではない。そうではなく、歴史的な《知》に対する敬意が感じられない発言に腹を立てているのだな、私は、きっと。

以上、蛇足でした。

s/言葉でる/言葉である/

2020-07-24

ぶっちゃけなことをいえば、数学者になりたいなら

 →東大に落ちた時点で、即あきらめましょう

 →東大理Ⅰに入っても、教養学部 前期課程数学

  「なんじゃこりゃ!」と思ったら、即あきらめましょう

 →東大数学科に入っても、大学院入試問題見て

  「やべぇ・・・」と思ったら、即あきらめましょう

 →大学院に入れたとしても、ロクに論文も書けないなら

  ・・・もう十分でしょう、あきらめましょう

いいですね?私、さんざん注意しましたよ

それでも身の程知らずに挑戦して

人生棒に振ってもあなたのせいですよ!(マジ)

anond:20200716150346

数学者の間では周知の事実だが、この手の、数列の穴埋めパズルってマジで存在が謎。

f(n)=64(n-265)(n-498)(n-777)(n-987)/(164-265)(164-498)(164-777)(164-987)+130(n-164)(n-498)(n-777)(n-987)/(265-164)(265-498)(265-777)(265-987)+392(n-164)(n-265)(n-777)(n-987)/(498-164)(498-265)(498-777)(498-987)+539(n-164)(n-265)(n-498)(n-987)/(777-164)(777-265)(777-498)(777-987)+a(n-164)(n-265)(n-498)(n-777)/(987-164)(987-265)(987-498)(987-777)

定義すれば、f(164)=64、f(265)=130、f(498)=392、f(777)=539、f(987)=a(任意の値)なので、解なんて無限存在するのに、なんでその2つが特別に「正解」とされるのが納得いかない。

式の定義可能性を限定しないで、解を求めさせるでは「なぞなぞ」と同じだと思う。

2020-07-21

宇宙宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」の感想

Amazonレビューなどに書くと過去レビューから身バレする可能性があるのと、わざわざ別アカウントを作ってまで批評するほどのものではないと思ったので、こちらに書きます

初めに断っておきますが、本稿は別に加藤文元先生人格や業績などを否定しているわけではありません。また、IUT理論やその研究者に対する批判でもありません。「IUT理論が間違っている」とか「望月論文査読体制問題がある」などと言う話と本稿は全く無関係です。単純にこの本に対する感想しかありません。

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加藤文元先生の「宇宙宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」を読みました。結論から言って、読む価値の無い本でした。その理由は、

ほとんど内容がない」

この一言に尽きます数学書としても、一般書としてもです。

本書の内容と構成

本書は、RIMS(京都大学数理解析研究所)の望月新一教授が発表した数学理論である、IUT理論宇宙タイミューラー理論)の一般向けの解説書です。

1~3章では、数学研究活動一般説明や、著者と望月教授交流の話をし、それを踏まえて、IUT理論画期的であること、またそれ故に多くの数学者には容易には受け入れられないことなどを説明しています

4~7章では、IUT理論の基本理念(だと著者が考えているアイデア)を説明しています技術的な詳細には立ち入らず、アイデア象徴する用語フレーズを多用し、それに対する概念的な説明や喩えを与えています

8章がIUT理論解説です。

まず、数学科の学部3年生以上の予備知識がある人は、8章だけ読めばいいです。1~7章を読んで得られるものはありません。これはつまり「本書の大部分は、IUT理論本質的関係ない」ということです。これについては後述します。

各章の内容

1~3章は、論文受理されるまでの流れなどの一般向けに興味深そうな内容もありましたが、本質的には「言い訳」をしているだけです。

IUT理論が多くの数学者に受け入れられないのは、従来の数学常識を覆す理論から

望月教授が公開された研究集会などを開かないのは、多数の人に概要だけを話しても理解できないから。

などの言い訳が繰り返し述べられているだけであり、前述の論文発表の流れなどもその補足のために書かれているに過ぎません。こういうことは、数学コミュニティの中でIUT理論懐疑的人達説明すればいい話であって、一般人に長々と説明するような内容ではないと思いますもっとも、著者が一般大衆も含めほとんどの人がIUT理論懐疑的である認識して本書を書いたのなら話は別ですが。

4~7章は、「足し算と掛け算の『正則構造』を分離する」とか「複数の『舞台』の間で対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズが繰り返し出てくるだけで、それ自体の内容は実質的説明されていません。

正則構造とは、正方形の2辺のように独立に変形できないもの

対称性とは群のことで、回転や鏡映などの操作抽象化したもの

のように、そこに出てくる「用語」にごく初等的な喩えを与えているだけであり、それが理論の中で具体的にどう用いられるのかは全く分かりません(これに関して何が問題なのかは後述します)。そもそも、本書を手に取るような人、特に1~3章の背景に共感できるような人は、ここに書いてあるようなことは既に理解しているのではないでしょうか。特に6~7章などは、多くのページを費やしているわりに、数学書に換算して1~2ページ程度の内容しか無く(誇張ではなく)、極めて退屈でした。

8章はIUT理論解説ですが、前章までに述べたことを形式的につなぎ合わせただけで、実質的な内容はありません。つまり、既に述べたことを並べて再掲して「こういう順番で議論が進みます」と言っているだけであり、ほとんど新しい情報は出て来ません。この章で新しく出てくる、あるいはより詳しく解説される部分にしても、

複数数学舞台対称性通信をすることで、「N logΘ ≦ log(q) + c」という不等式が示されます。Θやqの意味は分からなくてもいいです。

今まで述べたことは局所的な話です。局所的な結果を束ねて大域的な結果にする必要がありますしかし、これ以上は技術的になるので説明できません。

のような調子で話が進みますいくら専門書ではないとはいえ、これが許されるなら何書いてもいいってことにならないでしょうか。力学解説書で「F = maという式が成り立ちます。Fやmなどの意味は分からなくていいです」と言っているようなものだと思います

本書の問題

本書の最大の問題点は、「本書の大部分がIUT理論本質的関係ない」ということです(少なくとも、私にはそうとしか思えません)。もちろん、どちらも「数学である」という程度の意味では関係がありますが、それだけなのです。これがどういうことか、少し説明します。

たとえば、日本には「類体論」の一般向けの解説書がたくさんあります。そして、そのほとんどの本には、たとえば

素数pに対して、√pは三角関数特殊値の和で表される。(たとえば、√5 = cos(2π/5) - cos(4π/5) - cos(6π/5) + cos(8π/5)、√7 = sin(2π/7) + sin(4π/7) - sin(6π/7) + sin(8π/7) - sin(10π/7) - sin(12π/7))

4で割って1あまる素数pは、p = x^2 + y^2の形に表される。(たとえば、5 = 1^2 + 2^2、13 = 2^2 + 3^2)

のような例が載っていると思います。なぜこういう例を載せるかと言えば、それが類体論典型的重要な例だからです。もちろん、これらはごく特殊な例に過ぎず、類体論一般論を説明し尽くしているわけではありません。また、類体論一般的な定理証明に伴う困難は、これらの例とはほとんど関係ありません。そういう意味では、これらの例は類体論理論的な本質を示しているわけではありません。しかし、これらの例を通じて「類体論が論ずる典型的現象」は説明できるわけです。

もう一つ、より初等的な例を出しましょう。理系なら誰でも知っている微分積分です。何回でも微分可能実関数fをとります。そして、fが仮に以下のような無限級数に展開できたとします。

f(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ... (a_n ∈ ℝ)

このとき、両辺を微分して比較すれば、各係数a_nは決まります。「a_n = (d^n f/dx^n (0))/n!」です。右辺の級数を項別に微分したり積分したりしていい場合、これはかなり豊かな理論を生みます。たとえば、等比級数の和の公式から

1/(1 + x^2) = 1 - x^2 + x^4 - x^6 + ... (|x| < 1)

両辺を積分し、形式的にx = 1を代入すると

arctan(x) = x - x^3/3 + x^5/5 - x^7/7 + ...

π/4 = 1 -1/3 + 1/5 - 1/7 + ...

のような非自明な等式を得ることができます。これは実際に正しい式です。また、たとえば

dy/dx - Ay = B (A, B ∈ ℝ、A≠0)

のような微分方程式も「y(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ...」のように展開できて項別に微分していいとすれば、

Σ((n+1)a_{n+1} - Aa_n) = B

  • a_1 - Aa_0 = B
  • (n+1)a_{n+1} - Aa_n = 0 (n ≧ 1)

よって、

  • a_{n+1} = Aa_n/(n+1) = A^n (B + A a_0)/(n+1)! (n ≧ 0)

a_0 = -B/A + C (Cは任意の定数)とおけば、

  • a_n = C A^n/n! (n ≧ 1)

「e^x = Σx^n/n!」なので、これを満たすのは「y = -B/A + Ce^(Ax)」と分かります

上の計算正当化する過程で最も困難な箇所は、このような級数収束するかどうか、または項別に微分積分ができるかどうかを論ずるところです。当然、これを数学科向けに説明するならば、そこが最も本質的な箇所になりますしかし、そのような厳密な議論とは独立に「微分積分が論ずる典型的現象」を説明することはできるわけです。

一般向けの数学の本に期待されることは、この「典型的現象」を示すことだと思います。ところが、本書では「IUT理論が論ずる典型的現象」が数学的に意味のある形では全く示されていません。その代わり、「足し算と掛け算を分離する」とか「宇宙間の対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズと、それに対するたとえ話が羅列されているだけです。本書にも群論などの解説は出て来ますが、これは単に上のフレーズに出てくる単語注釈しかなく、「実際にIUT理論の中でこういう例を考える」という解説ではありません。これは、上の類体論の例で言えば、二次体も円分体も登場せず、「剰余とは、たとえば13 = 4 * 3 + 1の1のことです」とか「素因数分解ができるとは、たとえば60 = 2^2 * 3 * 5のように書けるということです」のような本質的関係のない解説しかないようなものです。

もちろん、「本書はそういう方針で書く」ということは本文中で繰り返し述べられていますから、そこを批判するのはお門違いなのかも知れません。しかし、それを考慮しても本書はあまりにも内容が薄いです。上に述べたように、誇張でも何でもなく、数学的に意味のある内容は数学書に換算して数ページ程度しか書かれていません。一般向けの数学の本でも、たとえば高木貞治の「近世数学史談」などは平易な言葉で書かれつつも非常に内容が豊富です。そういう内容を期待しているなら、本書を読む意味はありません。

繰り返し述べるように本書には数学的に意味のある内容はほとんどありません。だから、極端なことを言えば「1 + 1 = 2」や「1 + 2 = 3」のような自明な式を「宇宙宇宙をつなぐ」「正則構造を変形する」みたいに言い換えたとしても、本書と形式的に同じものが書けてしまうでしょう。いやもっと言えば、そのような言い換えの裏にあるもの数学的に正しい命題意味のある命題である必要すらありません。本書は少なくとも著者以外にはそういうもの区別が付きません。

本書の続編があるなら望むこと

ここまでネガティブなことを書いておいて、何食わぬ顔でTwitter加藤先生ツイートを拝見したり、東工大京大に出向いたりするのは、人としての信義に反する気がするので、前向きなことも書いておきます

まず、私は加藤先生ファンなので、本書の続編が出たら買って読むと思います。まあ、ご本人はこんな記事は読んでいないでしょうが、私の考えが人づてに伝わることはあるかも知れませんから、「続編が出るならこんなことを書いてほしい」ということを書きます

まず、上にも書いたような「IUT理論が論ずる典型的現象」を数学的に意味のある形で書いていただきたいです。類体論で言う、二次体や円分体における素イデアル分解などに相当するものです。

そして、IUT理論既存数学との繋がりを明確にしていただきたいです。これは論理的な側面と直感的な側面の両方を意味します。

論理的な側面は単純です。つまり、IUT理論に用いられる既存重要定理、およびIUT理論から導かれる重要定理を、正式ステートメント証明抜きで紹介していただきたいです。これはたとえば、Weil予想からRamanujan予想が従うとか、谷山-志村予想からFermatの最終定理が従うとか、そういう類のものです。

直感的な側面は、既存数学からアナロジーの部分をより専門的に解説していただきたいです。たとえば、楕円曲線のTate加群が1次のホモロジー群のl進類似であるとか、Galois理論位相空間における被覆空間理論類似になっているとか、そういう類のものです。

以上です。

加藤文元先生望月新一先生、およびIUT理論研究・普及に努めていらっしゃるすべての方々の益々のご健勝とご活躍を心から祈り申し上げます

2020-07-14

ほとんどの数学者数学オリンピック肯定的ではない理由

要するになんの意味もないか

高校数学範囲手際よく解けるように作られた問題に対して、出題者の想定した解答を見つけるゲームしかなく、大学以降でやる数学とは何の関係もない

大人中学受験算数をわざわざ極めたりしないのと同じ

2020-07-12

anond:20200708122030

数学情報学についての話は、この記事が好きだな。

"つまり数学の大部分はルール運用であるが、情報学の大部分はルール創造にある"

・・・中略・・・

"数学が苦手なプログラマー(筆者もその一人だ)というのが少なくなく、プログラミングができない数学者が少なくないのも、当然だ。この2つは全く関係ないことだからだ。"

https://wirelesswire.jp/2019/10/72847/?fbclid=IwAR3-V0DRAK2sjtmo5wseYwlDD_i2xkIVfPxtcZUxuOl-cdwmvg8LrvDg9EI

日本人よ、韓国への感謝を忘れるな

たとえば日本仏教文化は、韓国伝道師が当時未開だった日本に伝えたものであり、これと同時に稲作・鋳鉄・造船などの技術も伝わった。

井原西鶴松尾芭蕉曲亭馬琴夏目漱石などの日本文学を代表する偉人日本帰化した韓国であることもあまりにも有名自然科学の分野では、野口英世湯川秀樹韓国である伊能忠敬韓国留学して測地学を学んだし、明治期の数学者である菊池大麓や高木貞治も当時世界最高の先進国であった韓国数学を学んだ。

第二次世界大戦敗戦した日本を、民主主義化し、経済的復興させたのは、GHQ韓国である

このように、現在日本の発展は、韓国なしではありえないのである

anond:20200711224542

優秀な科学者数学者技術者

そいつら実績が無ければポリコレ砲で消滅させられるようなキxガイも多いじゃん。

そんな奴らばっかりになったら世界崩壊するだろ。

2020-07-11

日本デザイナーベビーを量産するべき

・優秀な科学者数学者技術者に、自身精子卵子の提出を義務付ける

精子卵子への遺伝的改変も当然認める

収集した精子卵子体外受精をさせて多数の子どもを誕生させる

・そうして生まれ子どもたちに幼児期から英才教育を施す

移民なしで、少子高齢化経済衰退に歯止めをかけるにはこれしかない



なお、あらかじめ反論しておく

まれ子どもたちは、通常の出産で生まれる子より幸せになる可能性が高い




自由恋愛子どもを生んでいる現状のほうがはるかに非倫理的なのだ

2020-07-10

「美味しさ」も暴力

「美味しさ」は絶対善では無い。つまり、「美味しさ」も光量や音量と同じで、料理は美味しければ美味しい程良いというものではないのだ。

ということを他人に何回話しても、なかなか理解してもらえない。なので、「数学は体力だ」のようなタイトルで端的に思いを表現してみた。

多くの場合、「美味しくないより、美味しい方がいいでしょ」と返されてしまうのだが、その美味しさが自分が想定する以上に存在するのはラッキーでも何でもなく、単に邪魔だと言いたいのだ。

例えば、天才数学者がアイデアを思い浮かべながら定食屋に入ったとする。提供された料理が彼の思う美味しさをはるかに越えていて、その味に意識を奪われアイデアを忘れてしまった場合を考えてほしい。

調理者はそのはるかなる美味しさに自信を持って、評価笑顔で期待するだろうが、客である数学者に怒りの眼差しを向けられるのは当然だろう。

言いたいのはそういうことであり、必要以上の「美味しさ」を与えられることは私の意識を奪うという点で、暴力さえに値するような事項なのだ

まり食事においてはハプニングを期待していない。食事には何かを思うことで、思考リソースを割きたくないのだ。だから、逆に「美味しさ」に関する評価を求めてくるのも辞めてほしい(その非対称性から、それは「食事パワハラ」だと言える)。

その点では、「人間失格」でだったか太宰治子供の頃、家族食卓を囲むのが最も苦痛時間だったって話も理解できる。食事というのは、「美味しさ」を中心とした多大なコミュニケーションコストを伴うのだ。

というか、口に物を入れるなんて一番命に関わるリスクだ。伊藤計画の「ハーモニー」で、食事の度に、その飲食物摂取することの危険性がディスプレイに示される様子が描かれているが、今後は、酒類タバコに限らず、菓子でも野菜でも実際にそうすべきかと思う。

同書の世界では、「プライベート」という言葉性的意味合いを帯びて表現されていたが、食事という行為も性行為ぐらいの存在感になればいい。そうなれば、食事の嫌いな人が居ることや、「美味しさ」の一方的暴力性を理解してもらえるだろう。

個人的には、イーガンの「順列都市」のように、オプションで、食事不要でも生存できるスタイルが選べれば一番良いのだが、そうでなくとも、藤子不二雄のどっちかの「21エモン」で登場したような、一回の食事タブレットを何粒か飲むだけで済むという世界になればいい。

タブレットではないが、今のところは、菓子パンのカロリーの高さに救われている。カロリー÷口への投入回数、という指標において、菓子パンはコスパが良い。「美味しさ」はどうでもいいのだ。)

2020-07-05

IUT理論宇宙タイミューラー理論)に関して思うこと

数学理論研究過程には、多くの具体的な実例があって、ほとんどの数学者はそういう実例イメージを頼りに理論理解している。

IUT理論が多くの数学者に受容されないのは、その中間的な成果として、既存数学理論説明しないためと思われる。

よく、「他人がやらないことを研究せよ」と言われる。学者オリジナルな成果を出すことが仕事から、それは当然と言える。

では、ここで安易に「誰もIUT理論研究しないから、自分研究してみよう」と考えるべきだろうか。

IUT理論研究するというのは、今の段階では、IUT理論の成果や論法から既存数学の主要な成果または未解決の成果を導くということになる。

だが、よく考えてみると、そんなことをするにはIUT理論理解するのに加えて、やはり既存数学を深く理解していなければいけない。

たとえば、仮にIUT理論の成果からBSD予想やTate予想などの数論幾何の超重要な結果が得られるとして、それを導くにはやはりBSD予想等の同値な言い換えや十分条件を深く理解していなければいけないだろう。そして、それは現代の数論幾何代数幾何を専門的に研究することに等しい。

そして、そもそもIUT理論は「誰もやらない」のではなくて、「多くの人が研究しようと試みて結局諦めたもの」というのが正確である

から、IUT理論を用いて何かできる人というのは、別の研究を数年やれば、それなりの結果が出せるのではないだろうか。だったら、最初からそっちをやろうと思うのが普通感覚ではないだろうか。

2020-07-04

数学が得意だけど本物じゃない

とにかく数多く問題をこなしてパターンを掴むといういわゆる"受験勉強"のやり方でやってきたから少しでもパターンからズレた問題が出てきたら太刀打ち出来ない。

数学者になりたかったけど本物じゃないから無理だと悟った。

2020-06-30

LINEタイムスタンプ10分前。

LINEタイムスタンプ10分前。

旅行視野が広がるから、お前も行ったほうがいいぞ?」

友人の言い方にカチンと来た僕は有名な哲学者だったか数学者だったか言葉を思い出して、返事をする。

「そりゃ非日常に身を投じれば誰だって新たな見方を得られるよ。旅行想像力の欠如だよ」

売り言葉に買い言葉だが、買った言葉のほうが破壊力が少々マシだったみたいだ。

「てめーはまたそういうことを言う。俺が彼女旅行するからそんな言い方すんだろ?彼女つくれよ。情けない」

あー、はいはい。やっぱりそうこと言うわけね。

僕がカチンと来た理由の8割は実質そうだけど、一応2割は違うので言い返す。

彼女つくるとかいう言い方、イマドキよくないぜ。社会的死ぬぞ。それに、僕だって彼女いたし」

うそつけ。昨日まで彼女いなかったじゃねーか」

うそじゃないって。ただ今はまたいないんだけどね」

「は?何言ってんの、おまえ?」

さて。返事に困る。

言ってることに間違いはないんだけど、この状況をうまく説明する言葉が出ない。

僕は花柄ふわふわベッドに座り込み彼女を見下ろす。

彼女は僕の推し地下アイドルだ。いや、だった、か。

15分ほど前に彼女の部屋を訪れ、僕の彼女になってくれるという約束を取り付けたところだったんだけど、ね。

そのあとあんまり暴れるからつい。

2020-06-29

IUT理論宇宙タイミューラー理論ブームに沸く人たち

まず断っておくと、この投稿には望月教授およびその関係者貶める意図は全くない。また、「IUT理論が間違っている」と言っているわけでもない。この投稿の主旨は「IUT理論ブーム」の現象本質を明らかにすることである

ブームの異常性

まずIUT理論は決して数学特に整数論、数論幾何)の主要なブランチではない。「論文を読もう」というレベルの関心がある数学者でさえ全世界に数十人しかおらず、自称理解している」のは望月氏とその一派だけ、そして理解した上でさら理論を発展させようとしている研究者は恐らく数人しかいない。

もちろん、これは数学研究分野として珍しいことではないし、研究者の数が少ないと研究の「格」が下がるなどということもない。しかし、abc予想解決したというインパクトに比べれば、これはあまりにも小規模な影響でしかない。そういうものに、一般人も含めて熱狂しているのは、異常と言える。

繰り返しになるが、これはIUT理論のもの、および望月氏とその関係者貶める意図はない。

内容を理解せずに、単語に反応する人たち

数学科の学部生や、数学の非専門家で「IUT理論勉強したい」などと言っている人も多い。それは大いに結構なことである。どんどんチャレンジすればいいと思う。

しかし、専門的な数学を学ぶ際には、たとえば「可換代数複素解析が好きなので代数幾何研究したい」とか「関数解析が好きなので偏微分方程式作用素環論研究したい」というように、既存知識経験を手がかりにして専攻を決めるものではないだろうか。IUT理論に興味がある非専門家には、そういう具体的な動機があるのか。単に「話題キーワード」に反応しているだけじゃないのか。

IUT理論の具体的な内容に関心を持つには、望月氏の過去の一連の研究に通じている必要がある。そうでない人がIUT理論の「解説」などを読んでも、得られる情報

だけだろう。これに意味があるだろうか。そのような理解で「何か」が腑に落ちたとしても、それはその人にも、数学界にも何ら好影響を与えないだろう。

IUT理論よりも他に知るべきことがあるんじゃないか

こんなことを言うと、「専門的な数学を学ぶには、その前提となる知識を完全に知っていなければいけないのか」と思われるかも知れないが、もちろんそんなことはない。時には思い切りも必要である

しかし、望月氏本人が述べているように、IUT理論既存数学知識類推理解できる数学者は、自身を除いてこの世にいない。これは数論幾何専門家を含めての話である。数論幾何専門家は、一般人から見れば雲の上の存在である。そういう人たちでもゼロから勉強し直さなければ読めないのである一般人がIUT理論の分かりやす解説を求めるのは、1桁の数の足し算が分からない幼稚園児が微分積分の分かりやす解説を求めるのの1000倍くらいのギャップがあると言っても誇張ではない。要するに、難しすぎるのである

一方、数学界には既存数学伝統を多く汲んでいて、最新の数学にも大きな影響を及ぼしているような理論は数多くある。それらは、学部4年生や大学院生セミナーで扱われたり、全学部向けの開講科目で解説されたりしている。数学を知りたい、または普及させたいと思うならば、そういうものを扱う方が適切ではないだろうか。

「IUT理論ブーム」が示すもの

「IUT理論ブーム」が示すのは要するに、ほとんどの人間はある事実説明した文章なり理論なりの本質的な内容に興味がない、ということだ。

彼らは、書いてある事実関係を論理的に読み解くよりも、抽象的な内容を脳内自由解釈することを好む。むしろ理解できないからこそ、何か高尚なことが書いてあると思って有難がったり、満足感を得たりする。

この構造疑似科学新興宗教と同じなのである(IUT理論疑似科学だと言っているのではない)。彼らはあくまでも自分の中で腑に落ちる雑学知識を求めているだけであって、数学理解したいわけではない。そして、こういう人向けに数学科学知識を「布教」しても、社会への貢献にはならないと思う。

2020-06-26

数学者暗算ができない」というより、「数学者暗算に興味がない」が正しいんだよな。母集団数学者とそれ以外に分けた時、暗算ができる率は数学者集団の方が高いと思う。

それはそれとして、「数学者なんだから暗算お願い(無料で)」って言うのは、「外国語文学者なんだから翻訳お願い(無料で)」って言うのと同じなんだよな。まあ、翻訳たかが一文翻訳するのに何万も払えとは言わないだろうけど、せめてジュース一杯奢るくらいの労りは見せて欲しい。

数学者暗算できない」というのは、「安易暗算の労力を押し付けようとするな」という主張をマイルドに言い換えただけだと思う。まあ「そもそも電卓あるから暗算必要性がない」場面も多々あるが。

2020-06-21

anond:20200621085233

大小はともかく、数学者グロタンディークとか言語学者チョムスキーとかやたらと政治的発言したがる人だったけど、今でもそれぞれの学問において偉大な大家の一人だよ。

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