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2021-05-10

anond:20210510205340

ガレがどうしようもないのはそうだしキッズが幼稚なのもそうだけど、全然正義ヅラはしてないと思うよ

ネットの笑いものを見繕っておもちゃにして遊ぼうねって趣旨だよ

anond:20210510153258

特定趣味」は「様々な大衆文化」にかかってるんだろ

「そのような特定趣味」が指し示すのはその直前に例示されている「アニメ漫画玩具映画コスプレゲームアイドル……」だろ。文盲か。

アニメ漫画玩具映画コスプレゲームアイドル……といった特定大衆文化の愛好者」という趣旨だろ。

単一趣味と入ってないだろ、「特定趣味」に当てはまる分類が無いなら「特定趣味を持つ人」なんてどうとでも取れすぎて定義として成立しないってのw

「どうとでも取れすぎて定義として成立しない」と「一般人の大半が当てはまるような趣味カテゴリ存在しない」はまったく別の意味だが。

もちろん細かい部分では議論余地があるが、全体で見れば「オタク趣味」にはある程度の合意がある。

それが「アニメ漫画玩具映画コスプレゲームアイドル……」といった「特定趣味」なんだろ。

有休消化が本当に消化でしかない

シフト制で変形労働時間制の仕事をしている。

この場合1ヶ月の所定労働時間が月ごとに決められていて、これを満たす必要がある。

超えた部分は時間外手当が出る。

さらに法定労働時間を超えれば、割増になる。

ここまでは法律規定通り。

しかし月によってはGW年末年始休業など、そもそもの稼働時間が短い月がある。

また、もろもろの事情で所定労働時間に遠く及ばないシフトしか必要ない月もある。

そのようなとき、所定労働時間に満たないからと、強制的有休を使わされる場合がある。

有休1日あたり○時間と定められ、その時間労働時間に加える。

合計が所定労働時間を満たしていればOK、という考えのようだ。

しかしこれだと休みが増えたわけでもなく、給与が増えたわけでもなく、ただ有休残日数が減るだけである

このような取り扱いが法律的に妥当か否かはさておき、明らかに有給休暇を設定した法制趣旨に反するどの思いを禁じ得ない。

労基署にこっそり相談しようかな。

とにかく腑に落ちない。

anond:20210510110624

何故質問趣旨自分の考えも無い上に

答えても主張の補強にもならないアホな質問に答えてもらえると思ったのかw

2021-05-09

https://anond.hatelabo.jp/20210509185326

町中華チャーハンパラパラしてない(べちょっとしてるわけでもなく、しっとり)のは同意するけど、ホテルに入ってるような中華料理屋(五目チャーハン1500円~の価格帯)だとパラパラしてるよ。そしてパラパラしているほうがおいしいよ。

卵とご飯を先に混ぜるな……という趣旨には特に言うことない。

2021-05-08

オリンピック選手批判は本当に間違っているのか?

最初に断っておく。

今回の主題は「オリンピックを開催するべきか?」ではない。

いや、私はオリンピック開催には否定的なのだが、言いたいのはそこじゃない。

ここでは「オリンピック道義的問題があるときアスリート批判は間違っているのか?」について話す。

下衆の極み俺ら

池江選手ツイッターに長文を投稿したこと話題になった。

どうやら池江選手に「五輪出場を辞退して欲しい」とか「五輪開催に反対して欲しい」というリプライが届いて戸惑ったらしい。

おーけーおーけー。そりゃ確かに戸惑うだろう。

簡単に「じゃあ五輪辞退します!」とはできない。それだけ選手は多くのものを背負っているからだ。

この話題に対して俺らのアルピニスト 野口健が次のような投稿をした。



『下 衆 の 極 み』

凄まじい表現だ。普通は血の通う人間に向かってこんな言葉をチョイスしない。

アルピニストの強い怒りが感じられる御ツイートだが、ちょっと待って欲しい。

本当に五輪開催の有無についてアスリート意見を求めてはいけないのだろうか?

というかアスリート五輪開催について社会的責任を負うのではないだろうか?

少し考えていこう。

抗議のために試合を辞退した大阪なおみ選手

今回の報道を受けて思い出したのは昨年のW&Sオープンを辞退した大阪なおみ選手

彼女人種差別に抗議するために試合を辞退し、これを受けた大会側が正式人種差別に抗議することで一件落着となった。

当時も散々議論になった大阪選手のこの行動について強調しておきたいことが2つある。

ひとつは、これは大阪選手だけでなくバスケ野球など多くのスポーツ同時多発的に起きたムーブメントであること。

そしてもうひとつは、別に大会主催者人種差別を行ったわけではないということだ。

まり大阪選手を含むアスリートたちは「大会人種差別への抗議声明を出さないのは道義に反する」と考え行動を起こしたのだ。

もう少し視野を広げてスポーツの外も見てみると、このような話はたくさん出てくることがわかる。

例えば今年の3月に、グラミー賞会長女性蔑視発言人種差別的な審査基準理由に、3組のアーティストグラミー賞ノミネートを辞退した。

(元会長女性蔑視発言ときいて何かを思い出さずにはいられない)

主催者側に道義的問題があるとき参加者がその問題について黙っていていいのだろうか?

少なくとも海外アスリートアーティストは「No」だと答えるだろう。

沈黙したまま大会に参加するのは道義的問題肯定していると考えるからだ。

感染拡大におけるアスリート責任は?

森前会長が辞めたことで、女性差別という問題は(建前上の)解決となった。

寒々しい解決ではあるが解決解決。これで五輪に参加するアスリート差別加担者の誹りを免れることができた。

ならこれで万事OKだろうか?もちろんそうではない。

いま問題になっているのは五輪開催による感染拡大、つまり大会主催者側の人命軽視の姿勢

この感染拡大問題アスリートにとってより直接的な道義的責任が発生する。

なぜなら人々はあなたたちアスリート応援するために密になり、感染が拡大し、人が死ぬからだ。

アスリートはそのことをわかっているはずだ。わかっていて、しかし見てみぬふりをしながら大会に参加する。

そして、人が死ぬ

もちろんそうはならないかもしれない。

五輪開催時にはコロナはすっかり収まっていて、みんなで肩組んで国歌を歌いながら応援するかもしれない。

だがそんな馬鹿げた楽観論で行動するようならアスリート失格だと言わざるを得ない。

そもそもアスリートのための大会なはず

いまはすっかり寒々しい響きになってしまったが、五輪は「アスリートファーストである

建前上は頑張るアスリートのために五輪は開かれるのだ。

アスリートのための大会なのに、アスリート五輪開催について意見を求めるのが"下衆の極み"なのだろうか?

いつからアスリートはそんな特権的職業になったのだろう?

まだ幼い高校野球青年ならいざ知らず、いい大人自分の行動によって与える社会的影響について無知でいていいはずがない。

五輪あなたたちアスリートのために開催されるイベントだ。

そしてあなたたちアスリートには、海外アスリートがそう示したように、大会主催者を動かすだけの影響力がある。

その責任と影響力を認識しておきながら「自分たちはただ競技に集中するだけです」という態度は許されて、

アスリートにその影響力を行使して欲しいと願うことは"下衆の極み"なのだろうか?

私は"下衆の極み"だと切り捨てられた人々の気持ちがわかる。

もうすぐ90歳になる私の祖母はい東京に住んでいる。その東京にいま五輪という名の変異フェスがやってこようとしている。

それをなんとかして阻止したい。その気持ちが私には痛いほどわかる。

オリンピックは聖域

言いたいことは大体言ったので少し感情的なことを書き殴る。

ここまで読んでくれてありがとう。以下は読まないでもいいよ。

オリンピックのむかつきポイントは多すぎて何から言っていいかからないが、

ひとつには「オリンピックを聖域にしていること」が挙げられると思う。

私たちはこれまでどれほど「オリンピックから」と我慢を強いられてきたのだろうか。

オリンピックから」の一言で我々は楽しみを奪われ、ただ働きさせられ、汚職利権沈黙させられ、そしていま命までもが軽んじられている。

オリンピックを聖域にした結果がこれだ。

そして野口健の「最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること」という発言も、その聖域の延長にあると私は考える。

はっきりいって、これがオリンピックでなかったら多くの選手が声を上げていたはずだ。

しかオリンピックからオリンピック特別しかたのないことだからアスリートは人命軽視にすら抗議しない。

それどころかオリンピック選手までもを聖域化して、それを批判する行為を"下衆の極み"だと断ずる。

アスリートがなぜそんな特権的地位にあるのか私は理解に苦しむ。

頑張っているから?頑張っていれば批判されない特権を得るのか?

ちがう。

アスリート経験的に、頑張ってさえいれば自分批判されにくいことを知っているのだ。

批判されないか五輪道義的問題があっても目を瞑る。

どうせ日本人馬鹿から始まってしまえば感動して自分たちを称賛するだろうとわかっているのだ。

だが、少なくとも私は、もしも五輪開催によって私の大切な人の命が失われたら、全てのアスリート軽蔑スポーツを強く憎むだろう。

追記(5月10日

読んでくれて、そしてコメントをくれてありがとう

上記文章最後に「全てのアスリート軽蔑スポーツを強く憎む」と書いたせいか

スポーツマンvsスポーツ苦手マンといった構図のコメントがついてしまった。

やっぱ軽率な書き方をすると良くないね反省

この構図は、当然ながら私が意図したものとは違う。

個人の話をするならスポーツは好きだ。素朴に体を動かすことを楽しいと感じる。

ではなく、私が言いたいのは「見る人に元気を与える」という名目の元で行われている産業スポーツ

それらスポーツに関わる者は本当に批判してはならない聖域なのだろうか?ということだ。

個人スポーツ好きだろうが嫌いだろうがそんなことはどうでもいい。

私は、普段は「見る人に元気を与えたい」などと吹聴しているアスリート

元気以外に与える自分の影響力には無関心であることを、たまらなく気持ち悪いと感じるのだ。

[]

・再投稿

・非公開セルクマ

ブクマカ弄り

・すでにされているブコメと同じ趣旨トラバをしてしまうこと

・あと一つは?ネタ

2021-05-06

anond:20210505233745

なるほど、横入りで、トピック趣旨理解できなかったのですね。そりゃしょうがない。

茨城県土浦市にある「ほたて食堂てんぷらのお店

初代・保立伊助の苗字屋号とした保立食堂現在、その暖簾を守るのは6代目夫さん

食堂厨房修行を重ね、同級生だった妻さんと共に六代目として受け継いでいます

ランチ時にお邪魔しました。コロナの影響もあって地元の人らしき人が各テーブル

1人ずつ座っている。

見るからカツラとわかる高齢女性が注文を聞きに来た。

てんぷら定食刺身単品を注文したところ、提供されたのは

てんぷら定食刺身定食!!

刺身は単品で注文しましたよって言うと、

おばあちゃんは注文の仕方が悪いという趣旨で言い返された。

家族経営で、おばあちゃんがしゃしゃり出てきて混乱させられる

夫さんと妻さんに言いたい。

そろそろおばあちゃん引退させてください。

もうリピートはないかな。

anond:20210506114557

あれは同じネタばかりなんじゃなくて、同じネタでもガワを変えて提供すればそれなりに面白い、という趣旨コンテンツなんだよ。

 

なんとかメーカーかいって作るやつ。

2021-05-04

anond:20210504100922

誰も聞いてない趣旨関係ないこと言うな

空気読めないって言われるだろ?

2021-05-03

中野信子の言っていることはおかしい、具体的に何がおかしいか挙げる

きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた

酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観

彼女がいつも言う「日本人セロトニントランスポーターが少ないか不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーター機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり彼女理論SSRI作用機序についての理論正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対解釈というのは流石におかしい。神経科学専門家はどう思っているのだろうか。

些細なことから飛躍して「日本人の脳」を論じる。

空気を読む脳」で日本人サイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。

ついでに「不倫」では日本人保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。

戦国武将精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人理想モデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか

美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。

不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人オキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかからないのであるオキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査国内調査比較していたが)

更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人セロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。

彼女日本人論は矛盾だらけだ。

更に中国韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的リスクを好まない形質の持ち主らしい。

サイコパス」でフロイトトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドー無意識という概念の代わりにセロトニンオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。

この記事でも指摘されているように、彼女不要場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。

人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネマウスプレーリータネズミサバクトビバッタと…

「脳・戦争ナショナリズム 近代人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネ容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係いかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。

戦国武将精神分析」でマウスを取り上げて人間テレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシング批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い

不倫」でプレーリータネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間ボノボで「ほぼ」同じだからといって人間本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。

そのわずかな違いが重要な違いであ可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリータネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようであるhttps://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。

空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタ集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。

文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォータールールに触れておきながら小池百合子ドナルド・トランプサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである

ペルソナ」でセクハラ告発していたが、「脳・戦争ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。

ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である

そして最後に「不倫」で書いていた、不倫遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別優生学に繋がるという主張について批判しておこう。

別に不倫遺伝子とはあれば絶対不倫するという因果律支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人レイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人レイプ断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシング遺伝子のせいだとすれば不倫バッシング差別優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。

思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。

橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人レベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。


この記事おかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。

追記:2021/5/8

https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666

2000年論文で「この損害回避セロトニントランスポータープロモーター領域遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究存在し,今後さらなる検討必要である」とあり、2009年メタ分析論文で少なくともフィンランド人サンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだからセロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”

https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf

さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である

https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747

ざっとこんな趣旨記事だが、先に書いたようにそんな気質のものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーター気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。

こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーター気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”

https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html

SNP品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝近傍SNPストレスフルライフイベント相互作用が、統計学的有意うつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”

どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的反論するべきだろう。

2021-05-02

anond:20210502182019

そもそもインターネットネイティブもっとちゃんとやろうという趣旨なんで、ネットから断絶してるとか論外なんじゃないか

確か一応、学校教育委員会wwwの順にはなってると、何にかで読んだような?

anond:20210501234043

「知られざる神メニュー」って話なのになんで有名なメニュー出してくるん?

すけそう鱈と野菜黒酢あん定食なんて定番中の定番よ?

ランキングで必ず3位以内に入る人気メニューよ?

趣旨分かっとるんか?

大戸屋は週5で利用してるけどばくだん小鉢一択だろ?

これにご飯一口カレー付けてばくだんカレー定食が出来るじゃん

定食メニューを注文するにわかは引っ込んでろってこった

コロナ対応改憲必要」57%、一理あるかもしれない

コロナ対応改憲必要」57% 共同通信世論調査

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee

共同通信社は30日、憲法記念日5月3日を前に憲法に関する郵送方式世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。

ちょっと長めになってしまったので、はじめに要約すると、

改憲なくとも法を生かせば緊急時行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去公害の教訓を思い起こしてみると立法行政不作為が目立つ。

憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法指導する上位の規律必要で、「今まさに緊急時シフトチェンジしろ

行政立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法役割なのかもしれない。

という趣旨


+++++++

改憲の是非でいえば、基本的スタンスはノーだ。

内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から

これ以上の内閣官房の強化などナンセンスだと思うし、

現行の制度運用できないのか?と言われれば、

公害立法歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法余地もある。

実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。

そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在感染症コントロール問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。

から問題はできることをしない、立法不作為行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。

しかし。

それこそ公害の教訓を振り返れば、という話なのだが、

改憲世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。

もちろん、行政立法性善説に立てば。。という留保はつくが。

というのも、水俣病を例にとって、公害被害を振り返ってみると。

なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。

チッソ工場への排水をやめさせる権限のある水質二法の適用

漁業法による禁止措置漁民への補償食品安全法による有機水銀汚染された可能性のある魚類販売禁止

すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。

こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年

国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限行使しなかった、というのが結論

これは初期の対応が間違っていたことを指摘したものだ。

1970年代公害社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として

そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。

法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政責任が厳しく断罪されたわけだ。

ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず

なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題

それは経済を優先した政治意思決定メカニズムだ。

そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、

シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか

かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、

通勤している乗客枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について

日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、

惰性で日常論理で動こうとする「慣性イナーシャ)」が働いているといったが、

ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。

この問題解決されない限り、改憲による緊急事態条項検討など、全く意味をなさない。

日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。


いや、だけど一方で、

緊急事態条項のようなシフトチェンジトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。

どっちなのだろう。

そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長インタビュー記事を目にしたからだ。

尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン

――東京都墨田区長野県松本医療圏など、基幹病院支援に回る地域病院医師連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師民間病院に強い指示が出せないものか。

尾身 医師病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本厚労省というのは公立民間などさまざまなステークホルダー意向尊重する必要があって、上から目線はいわない。平時はそれも大切ですが、危機局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります

――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?

尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います



平時から非常時へのシフトチェンジ

これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応問題もつながっているように思えた。

それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存立法行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。

改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。

しかし、憲法踏み込むのではなく、

危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつ方法。非常時のガバナンス体制を整備する。

米国FEMAアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDCアメリカ疾病予防管理センター)のように。

現在のように、菅、西村田村河野小池、、、、、みたいに

船頭多くして船、山に登る、という問題への処方箋となろう。

そうすれば、現在河野太郎のような感染症素人新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。

彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、

ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民心配に答えるのは基礎自治体役割だ。

大臣仕事じゃない。本当の危機管理はそういうことではない。

危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、

集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチン効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。

目的ロードマップ国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定ベースとなったリーダーシップ重要だ。

今は「高齢者の接種」そればっか。もっと全体の話をすべき。

ガバナンスの基本は、法、規則基準科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。

これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して

能力評価している。

説明責任財政リソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。

テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。

いずれにしても、緊急時ガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。

現在菅政権は、こうしたガバナンスの観点から落第点であり、

首相が何を考えているかからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。

急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。


国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップ注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップ問題錯覚してしまうが

本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンス問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて

どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。

国民にとって予測可能でなければ、国民自身計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。

水木しげる漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウル本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップ象徴する話だと思う。)

しかし、一方、リーダーシップ問題は残る。

緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガー必要なのではないか

憲法、というのも、民主的意思決定の根源として、

そこに非常時へのシフトチェンジ記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。

もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさん首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、

それが立法危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダー聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。

日本政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。

そんなことをインタビューの印象として持った。

2021-04-30

anond:20210430150007

anond:20210430152129

こういうことを書いたんだけど、どこが事実でどこが感情か分かりづらいだろうから解説するね。


まず、「こういう結論しかならない」のは単なる事実。私がどんなに優しい言葉をかけたとしても、論理的帰結としては「現状の議論のまま進むなら、対人性愛はいずれ淘汰される」のは必然であって、私や非対人性愛者の感情が入り込むまでもなく、そうならざるを得ないだろう。

ただ、一般論として、「何のフォローもなく事実を指摘する」ことそれ自体には間違いなく政治性がある。その意味では、この議論において私の感情によるところも少なからずある。だからそこを少しでもフラットにするために、「対人性愛セクシュアリティについて議論する方針も有り得るのではないか?」と提案している。これは一方的善意であって、揶揄目的としている訳でも何でもない。

荻野さんのツイート趣旨はここまでだが、私はそこに「でもそういう優しさにすら反応無いじゃん」という恨み節を込めているので、そこは100%私の下らない感情

2021-04-29

anond:20210429125922

あー読んでないブクマほど星つくのわかるわ

「AはBだと思います」って書いた記事に1000ブクマくらいついたんだけどトップブコメ

「CはBだと考えるのはいいよね」ってものだった。

別にそれに星が集まる分には元の投稿よりもその発言のが評価されたというだけなのでいいのだが

それを見て元の投稿も「CはBだと思います」って趣旨だと曲解する人が多いので

有名人とかはこんな感じで発言が誤解されて大変なんだろーなって思った。

2021-04-27

昭和時代業務効率

毎々お世話になっております

スター拝受いたしました。

↑でメールスタートするおなじみの企業にいるが、古い書類を見ると面白い

当社グループは初代だか3代目だかの社長が「書類漢字人名を書いていては業務が遅れる」と言い出し、ある一定役職者以上はカタカナ文字にするというルールを作ったらしい。

佐藤だとサト、田中だとタナ。同じ名字が二人いたら、下の名前の一文字を取る。鈴木一郎と鈴木善幸がいたら、スズイとスズゼという三文字表記となる。

さらに細かいことを言うと、役員未満はカタカナのあとに部署名の略号がつく。情報システムにいる佐藤さんならサト情。

この二文字略号も色々エピソードがあるらしく、何年か前にはクズという役員がいたとか。役員に向かっていきなり「クズ」と宛先を書いてメールを始めるのだから、下で働く者にとっては痛快だったかもしれない。余談だがコンプライアンス本部に吽野課長という人がいたとかいないとか、都市伝説めいた話もある。

本題なんだが、「様」や「部長」等の敬称を、上記カタカナをマルで囲うことで表すんだ。

コレ自体業務効率化を図る良いルールだと思うんだよ。手書き時代なら。

ただ古い書類を見ていると、手書き書類も、マルが定規で書いてあったりするんだ。お前それ、どう考えても業務効率化という趣旨に逆行しているだろ、と。

おまけにワープロだかWord黎明期には、なんとかしてマルの中にカタカナを収めようとして悪戦苦闘した後が見られる。さっきの例でいえば、サトやタナなどは、まだ何とかマルで囲めている。しかし、「スズイ」とか三文字になるとマルが歪んでたりして、一文字の半分がはみ出ていたりして、もう目も当てられない。どうせWordで「図の挿入」→マルがなかなか上手く動かない・・・とかを繰り返していたのだろう。まったく時間無駄だ。

後年、マルの代わりに「()」で良いという新ルールができたらしく、平成中頃からは(サト)(タナ)(スズイ)という表記に変わるのだが、もはや手書きの消えた今、このカタカナルールを維持する必要はあるのだろうか。

というわけで、とあるルール規則化された趣旨が徐々に忘れ去られ、形式けが生き残り、みんながそれに盲従している・・というのは校則に限らず、社会のいたるところにあるのかもな、と思った。知らんけど。

2021-04-25

anond:20210425143531

なるほど

"大雑把な人はもう緊急事態宣言なんかなかったように路上飲みしている"という人たちも、金を配れば路上飲みもしなくなるという趣旨だったのですね。あまり釈然しませんが

2021-04-24

anond:20210421172633

発掘あるある大辞典と同じなんだよな。

納豆身体に良い ⇒ 納豆をたくさん食べれば良い

みたいな短絡的な情報しか受け付けない思考回路

別にすべての記述の裏を取れとは言わないが、文章を読んで、

  • どういう趣旨のことを言っているのか
  • どういう論理の組み立てになっているのか

と言ったことすら考えない。だから騙されんだよ。知識とか関係ない。

恋人がいたり既婚者だったら生まれてくる子供気持ち程度のことは分かるんだよ

KKO弱者男性はこう考えているに違いない」という趣旨書き込みはたくさんある

いっぽうで弱者側は強者がどうしてそうふるまうのか理解できず苦しんでいる

anond:20210424102945

2021-04-23

マツコデラックスについては数年前にビッグダディの子供が可哀想という話題に対して「可哀想かどうかは本人たちが決めること」という趣旨発言しててすごく納得したので今後少々の失言しても大丈夫という保険自分の中にある

コロナ死ぬのは寝たきり老人がほとんど、という事実

コロナ死ぬのは寝たきり老人がほとんど、という事実

東洋経済にこういう趣旨記事が出ていた

結局いままで、患者家族からインフル移されて死んでた人たちが、こんどはコロナで死んでるだけ

騒ぐ意味事実ナッシング

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