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はてなキーワード: 死ぬとは

2023-09-22

anond:20230922024554

今後もドル高続く前提ならそうだよね

為替見る習慣がない奴が馬鹿の一つ覚えみたいに買い増しするといずれ死ぬと思うが

3年間で0から350冊くらいまで本を読んだ話し。

文章支離滅裂になるかと思うけど、許してほしい。

近々図書館司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。

そして誰かの参考になればいいな思う。

タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣与沢翼メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発youtuber、俺的名言集など。

今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノート一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。

今考えたら馬鹿まりない。でもそういう知的レベルだった。

「本なんて読まなくても、youtube動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。

そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。

今思えば、陰謀論者みたいだな。

ちなみにその時の自分は37歳。男性彼女なし。

高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターフリーター人生

それ以外の仕事倉庫作業新聞配達、どぶ板営業

そして35歳で借金風俗など)による自己破産

仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である

毎日AV見てオナニー

あと、精神3級レベル精神疾患を持っている。

どうだ?

みんなよりもクソな人生だろう。

メンタルヘルス精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHDASD系統性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分感覚だと3割くらいはその気があると思う。

話を戻す。

書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。

でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutube自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。

図書館に行くきっか

そんな自分図書館に通うきっかけとなったのはパニック発作

仕事プレッシャー職場人間関係からなるストレスから発症したと思う。

http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347

※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会

症状としては死への恐怖が一番強かったかな。

主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。

しんどいけど、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べてやろう」

それが図書館に行くことの始まりだった。最初ポジティブ理由でもなんでもない。

「この病気自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。

最初メンタルヘルスうつ病パニック発作パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。

本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。

本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)

ちなみに、この時の自分読書の本当に凄さにはまだ気づいていなかった。

ただなんとなく、当時見ていた自己啓発youtubeよりも多種多様情報図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは? 

それくらいの解像度だった。

それから仕事帰りに、ほぼ毎日図書館に通うようになった。

たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。

1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。

いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。

「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。

幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。

パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。

なので自分写真多めの本から読むことにした。

図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記旅行記それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。

旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出してる)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。

それから宗教学入門書を読んだ。

実家宗教が複雑に入り乱れている家庭なので、宗教学には興味があったからだ。

宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。

その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。

その頃のジャンル宗教学人間関係、旅、メンタルヘルスハンディキャップ、働き方、思考方法など。

そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。

余談だが図書館環境も良かったと思う。自分が通っている図書館音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。

読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。

選書もとても良く、新しい本から古い本、海外翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。これの図書館出会えたのは本当に運が良かった。

3年後

そうして3年が経った今年。

3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtube自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンル法律社会学経済学起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。

それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。

https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html

リベラルアーツとは ~ 桜美林大学

そして自己啓発動画現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。

Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサー情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。

自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚図書館偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。

何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。

頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。

この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店平積みされているようなやつ)は読んで来なかったことも大きい。

岡田斗司夫図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんプロ目線有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。

最近は「得た知識抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。

読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。

本当の意味で本が読めるようになったことに感謝したい。

また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。

そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。

今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいく。

自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。

ここから先の人生読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。

そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」

ってひがんじゃう自分がいつかいなくなることを願って。

最後

読書楽しい死ぬまで続けたい。これから自分に心の豊かさもたらしてくれるものだと思っている。

そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報youtubeなどのネットで済む世の中だからだ。

だが、本には本質情報が書かれていることが多く、だからこそ読書他人差別化が図れるものだと思っている。

これからも続けて行きたい。

最後まで読んでくれてありがとう

この世界を生きてることに興味があるか

まらいかどうか,漏れ出るほど作ってるかどうか,これは大切なことである.この世界を生きてることに興味があるか,一瞬一瞬を集中して楽しんで生きているか,寝るときには限界を迎えているか,その繰り返しを生きているかがとても重要だと思う.その中に研究ものづくりがある人なら,「すでにやっている」のである.逆にそれ以外の人々とはどうしても研究のずれが生まれる(そもそも目指しているところが違うのだと思う)

https://note.com/ochyai/n/n781fb2209af4

「この世界に生きることに興味がある?」という言葉ちょっと痺れた。

前にヨーロッパ旅行に行ったとき散歩しながら、今後生きていくときの指針について考えていて、技術を愛しながらまずまず仕事をして、芸術を嗜んでささやかに生きていこうと考えて帰ってきた。自分時間現代の常としてお金を稼ぐために働くことは妥協して、人類の暇の使い方として時の試練の中で精錬された芸術せっかくだからほどほどに触れ、自分も拙く芸術制作側(自分の中では音楽)もやろうと考えた。なんにも目標がないふわふわした未来をどうやって生きるか、生きる価値があるのかを考えて、せっかくなら人生の楽しさや人々の過去の営みの中で生まれた大切なもの摂取して生きようと消費者的な思考を持った 。(生産者側の視点として、他人生活に影響を与えることを目標にするような人生を考えたが、自分はそういう価値観は持ち合わせていなかった。まだ若いだけかもしれない)

「この世界を生きることに興味があるか」はこれに似ている。落合さんもせっかく生きるなら興味のあることを、楽しいことをやろうと思っているようであるしかし、自分と違うことはここでさらに「熱中」という概念が入っていることにある気がする。自分はなにかに熱中できるほどの熱量と矛先は持ち合わせていなくて、熱中することがある人は(退屈や空虚)を忘れられて幸いだねという斜に構えてしまスタンスだ。人生根本的に退屈と空虚でできているのだ。熱中できることがある人は、それは幸いなことだ。

中高のカトリック学校で、その時の先生が「人はひとりひとりが使命を持っていて、人生のある時に天から掲示のように心の中に現れる。そこでそれを自分が受け入れられるかどうかが問題で、一度受け容れられなかった使命はもう二度と同じものはやってこないのだ」(意訳) と言っていたことを思い出す。熱中できることがある人は自分の使命にしたがって生きている人なのだろう。そういう人が身近にいると羨ましいなと思ってしまう。

とはいえ、ほどほどに生きていくこと。それだけでも生きる価値があると思う。今日は帰りにデパートに寄って、美味しい和菓子屋さんの店 (榮太樓總本鋪)を知ったのだ。これを知らずに死ぬなんてもったいない

2023-09-21

なんでみんなどうせ死ぬのにそんなに律儀なんだろう

anond:20230921222402

じゃあそいとげるには死ぬまでウン十年、

ずっといい状態でいないといけないね

悪い関係の時にどうリカバーするか、あるいはやりすごすかということも大事だと思うけど

anond:20230921191405

ウイルスである必要はない

健康食事を摂らせることで間接的に死に追い込む等の方法もある

白人ちょっと太ると糖尿病になって死ぬのでハイカロリージャンクフードをどんどん食べさせよう

アジア人はそのような下品食べ物は好まないので絶滅しない

anond:20230921181532

から代々受けづいた卑怯マインド

ぜったいに死ぬまではなさんぞ!

ブス自身がブスは死ぬべきだし報われてはならないと思ってるやん

増田は決めた

車内にwifi必要

スマホテザリングポケットwifiなど定額系、リチャージwifiなどの定量系、メーカーの〇〇コネクト+docomo、いやもうwifiいらないじゃねとまで考えた結果

コネクト+docomoとすることにした

結局俺は安定を選ぶ人間なんだなと再認識した

スマホテザリング → スマホ死ぬ。2台いる。無意味

ポケットwifi → 家に固定回線あって、車内除く外出時にwifi使う頻度が少なすぎるから割高。セキュリティ無視すると外出先で使えるwifi結構飛んでるし

チャージwifi → 初期費用高い。使用状況によってはデータ単価が高い。親会社潰れたらオワオワリ

とりあえず1年コネクトにして様子見るという日和った結果になってしまった

anond:20230921150543

馬場に住んでたけど早稲田学生死ぬほど吸い込まれてってるのみると、両方必要だと思う

anond:20230917134622

どうしてるか?

告発する→自殺するか精神死ぬまでセカンドレイプされる

または

告発しない→泣き寝入りして加害者社会的ステータスを得ながらのうのうとのびのびと生活するのを眺めながら死にそうな気持ち無駄に生き延びる

どちらかしかないよ

実家の太さが違うと色々大変

ローン完済済みの家に手を付けていない退職金年金不労所得だけで日々の生活が成り立っている自分実家

賃貸に住み年金を切り崩しながら生活をしている妻の実家

外食すれば両親が払ってくれる(自分が出すこともあるが)自分実家と、

(何なら実家に帰った時の日用品なども)妻が全部払う妻の実家

妻の言い分で言えば「自分が一番稼いでいるから」なのだが、

良い大人が3人(妻の両親と祖母)もいて、娘に経済的依存するのもどうなんだという思いがある

妻の実家が切り詰めて生活しているのかと思えば、

恐らく毎月のコスト(家賃を覗いた生活費)は自分実家の方がたぶん安いし

やめてくれと言っても子供に何でもない日におもちゃお菓子を買い与える

定期的にあるわけではないが、大きな出費があった時に妻がいくらか支払っているのを見たこともある

正直妻の実家にはキャッシュフロー見直して、死ぬまでにお金がなくならないか

毎月いくらまでなら使えるか、誰かが亡くなった時などにどういう風に生活が変わるのかなどを考えてほしい

その上である程度の資金援助ならやってもいいが、ズルズルとお金がなくて...で払うようなことはしたくない

妻にもやんわりと伝えているし、妻からもそれとなく義実家にそういう話題を出すこともあるが、まあ状況は変わっていない

どこかで1回ちゃんとした話はしたいと思っているのだが

「お前の実家金持ちから私や私の家族気持ちはわからない」と言われたらどうあっても平行線だなと感じている

とは言え、自分の両親がそれなりの資産を持っているのは小さい時から倹約してきた部分も大きいと思うし、

今でも義実家が浪費している上でそのセリフを吐かれることには違和感がある

お金の話ってナイーブだけど、近いうちにしなきゃならないんだよな...似たような境遇の人っている?

女は若いうちに死ね人生イージーモードのままなのだろうか?

女性が羨ましいです」といった話題でちょくちょく見かける、「そう思えるのは若いうちだけ」とか、「女性は失いつつ老いていくが、男性は得つつ老いていくのだ」

といった意見。もちろん正しいとは思うし、それ以外でも女性が苦労しているのは知っている。

知っているつもりなのだが、「じゃあ、女は若いうちに死ね人生のいい部分だけ味わえるのか、ちょっといいな。」と思ってしまう。あまりにも極端なのは理解しているし、だから滅多に言ったりもしない。

多くの人間は生きるのが好きで、自ら死を選ぶということが頭の片隅にもないことを、私はよく知っている。一般的には、死は解決法ではない。みんな長生きしたがっている。

人生のいいとこだけを遊んで、後はさっさ死ぬなんてことを実行できる人間がいないことも、よく分かっている。

anond:20230921001802

女装家共がくたばれとか言ってた性同一性障害利用して、トランス女性を女スペースに受け入れないとトランス女性死ぬーとか言いまくってんの卑劣だなぁ。

anond:20230921000533

俺が、俺が、の自己中心的人生を生きた結果が、これ

いつでも「俺が」しかないごみおじの思想って、まさに「鬼滅の刃」の鬼側の思想なんだよね

俺が生きるために

俺が若さを保つために

そんな自己中心的思想で、人を平気で傷つけ、恬として恥じない

映画では、それを煉獄さんが喝破する

煉獄さん 「老いることも死ぬことも人間という儚(はかな)い生き物の美しさだ。老いからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊いのだ」

2023-09-20

恋ができないことがコンプレックス

根っから陰キャで生まれから16年間一度も恋人ができなかった。

田舎デカ中学によくある苛烈カーストで溺れ死ぬことを防ぐべく無理して作った友人はみんな陽キャで当たり前のように恋バナをしていた。

いや陽キャじゃなくたって陰キャ陰キャ同士でよろしくやっている。私に恋人ができないのは私が陰キャからではなくて、私がちょっとおかしいからだ。私は人間として失格に違いない。みんなが当たり前に他人に恋をして、距離を詰めて、付き合って、デートしているのに私にはその当たり前のことすらできないんだから

口には出さなかったけどそういう気持ち中学生活を送っていた。

息苦しい中学卒業して高校に入り、生まれから16年と1か月たったころ。中学同級生だった男友達から毎日LINEが来ていて、私もその子のことは趣味が合う貴重な陰の友達として大好きだったから返事を返すのが楽しかった。ゲームのこと、勉強のこと、Twitterのこと。

でもやりとりを続けているうちに、あれ?と思った。もしかしてこいつ、私のことが好きなのか? BL小説ばかり読んでいて恋愛実践経験ゼロの残念な私にでもわかるくらいあからさまな好意だった。

コンプレックスが溜まって恋に恋する状態だった私は必死相手から告白言葉をひきだした。これで私にも彼氏ができる! 人並みの高校生になれるチャンスを逃してなるものか! 今思うと本当に失礼だな。自分コンプレックスを解消するために友達を完全に利用している。アクセサリーじゃねえんだぞ。

交際関係にある人間たちは密に連絡を取り合ってイチャイチャするっていうのが当時の自分にはイメージとしてあったから、5日間くらいは毎日夜遅くまでLINEをしていた。こっぱずかしいやり取りをしていた気がする。でも1週間たつと、友達時代は楽しめていた毎日の連絡がなぜかちょっと面倒になってきた。結局6か月後の別れる直前には、LINEは週一で会うのは月一くらいの頻度になっていた。とにかく相手から熱量のある感情を向けられるのがつらかった。同じものを返せないし、重荷だし。

ここで恋愛経験値が0から1になった私は学んだ。お付き合いっていうのは相手との関係を維持するために努力する意気がある人どうしでするものなんだ。当たり前のことだけどどんな人間関係でも築くにあたっていろんな制約が生まれるわけで、その中でも恋人関係なんていうトップクラスに密な関係を築くなら心身にそれ相応のコストがかかる。私のような自己中でちゃらんぽらんな女は恋人を作るなんて人並みの生活にふさわしくないんだ。

それからしばらくは恋愛向いてないかしょうがないよねとわかったようなふりをして生きていたけど、身をもってお付き合いの大変さや世のカップルたちが他人に費やすエネルギーの大きさ尊さを知ってしまった分、それができない自分に対するコンプレックスはどんどんどんどんふくらんでいった。

次の転換期は大学に入ってからだった。上京してきた私はさまざまな人の新しい考えに触れて、地元いたころより視野が少し広がった。その恩恵かはわからないけど、どうやら自分男性より女性に性欲を抱くらしいということも分かった。

で、相変わらず本当にバカなんだけど、今まで恋ができなかったのは対象を間違えていただけで女性なら好きになれるかもしれない! とか考えて、2丁目通いだのLGBTサークルだの始めてみた。どれもそれなりに楽しく過ごせるんだけど、一回会ったらもう次はいいや、相手に会う時間より自分時間大事だし……と思って2回目には続かなかった。問題対象性別じゃなくて出会いより自分を優先しちゃうその態度だろうが。

しばらくしたら大学サークル(LGBTではない普通課外活動)ですごく気になる子ができた。趣味価値観も合って、一人暮らしの私の家によく泊まりにくる子。運動してるかられい筋肉がついて引き締まった体をしてるけど、太股はむちむちしててかわいい。いつもその子のことをつい目で追ってしまって、なにしろ今までそんな経験なかったからもうこれが恋なのね!! って信じてしまい、私も恋ができるんだ、他人に熱烈な懸想ができるんだとすごく救われた気持ちになった。我ながらばかばかしいと思うけど本当にこれだけで自分真人間になれたと本気で思っていた。相手ノンケから付き合えたりはしないけど、一番近い友達でいたい。結婚式でこの子の友人代表としてスピーチができたら幸せだなぁなんて完全に自分に酔っぱらっていた。

でもそうじゃなかった。初めて女の人と寝てからわかった、私があの子に抱いているのは恋心なんかじゃなくてただの性欲だ。性欲を視線に乗せてあの子身体を追っていただけだったんだ。それに気づいて、しょっちゅうまりに来てくれるような大事友達に性欲を抱いていた自分を心底気持ち悪いと思った。それと同時にやっぱり私は恋ができないんだなあと実感して、もういいかげん人並みであることを諦めて欠陥品の自覚を持たないといけないと思った。女性に性欲が向く人間であることについては臓腑ストンと降りてきてなんの葛藤もなかったのに、恋愛ができないことについてはめちゃめちゃしんどい

これ読んでる人は恋愛とき人間失格とかバカじゃねーのかって思ってるよね。私もそう思う。アセクシャルの人にも怒られそう。

でもコンプレックスってそういうものじゃない? 他人意見なんかどうでもよくて、私個人劣等感で完結してる。理性では取るに足らない差異だとわかってても心がそれを受け入れられるとは限らない。

寂しいか恋人がほしいとか、生活の中にウキウキができるように好きな人がほしいとかじゃなくて、みんなが当たり前にできていることを全くできずむしろ苦痛にすら感じるのがほんとうに恥ずかしくて悲しくて、悔しいから恋をしたい。片思いでも何でもいいから人を好きになってみたい。友達として大好きな人は何人もいるけどその先のときめきを感じられたことが一度もない。恋バナを聞いていても相手感情想像できなくて退屈にすら感じる。他人なんか面倒なら縁を切ればいい、つらいなら二度と会わなければいいと思うんだけどきっとみんな「そういうことじゃない」って言う。

失恋した友達は私のことを「恋愛に左右されずに生きててかっこいい、うらやましい」って言うけど、私は能力的に劣ったかっこ悪い人間だよ。私からすれば失恋して泣いちゃうくらい他人真摯に愛していたあなたのほうがかっこいい、うらやましいよ。

anond:20230920230820

保育も医療介護もだけど

「多くの人手がかかるので本来人件費が超絶かかりまくるが流石にそこまでの金はかけられない、そもそも金あっても出来る人がそんなにいない」

「なのに生産性がない」

いくら職員が頑張ったって死ぬ奴は死ぬ、なのに無事故を強いられる」

普段施設に放り込んで無関心な癖に何かがあるとしゃしゃり出てくるモンスター家族職員メンタルを削る」

仕事ってどうあってもホワイトにはならんと思う

精々真っ黒かグレーかの違い

不満を抑えるなら札束で頬叩くしかないが、それが叶えられるほどの収入を得てるのは医者くらい(医者も分野によっては時給換算したらごく低収入って人もいるし)

ウクライナ降伏してロシア支配下になった方がいいみたいな

橋下徹とかが言う意見あるじゃん

勝ち目のない戦いを続けても死ぬだけ。

さっさと降伏して支配された方がいいって

実際その通りだと思うんだよね。

特に一般庶民にとっては。

ロシア支配下になっても庶民生活はそう変わらないでしょ。中国人だってロシアだってまあまあ幸せに生きてるよ。

なんなら戦地に送られる今の方がひどいまである

じゃあウクライナの誰がロシアに負けたら困るかと言うと、まあ支配者層だよね。政治家とか財閥とか。そいつらがプロパガンダロシア支配されるなんてまっぴらというアピールを行い、ウクライナ国民や他の国々が煽動されてる。

日本戦争もこれだったよね。国がなくなって本当に困るのは支配者層だけ。支配者層の権力維持のために庶民戦地に送られるのが戦争(でも実際のところアメリカ支配されて財閥解体されたけどやつらは君臨し続けたよね。結局新しい支配者が来たところでそれまでの支配構造をまるきり変えるまでにはなかなか至らないんだよね)。そういう現実を目の当たりにして、戦力放棄戦争放棄固辞するものとして70年くらい生きてきたのに私達はもう忘れようとしている。国体護持が大事なんだと思わされようとしている。

まあ日本中国支配下になった時何が問題かってアメリカと戦う時の弾除けにされそうってことかね。

anond:20230920115915

小学生くらいのとき夜行バス七夕まつりを見にいったところかも。

そんなところで遊佐未森かかってたらエモすぎて死ぬわ。

anond:20230919201045

もうこれは自分が書いてる事を伝えた方がいいと思う。

俺も逝こうかの部分ではなく、お前が逝ったら誰と遊べばいいんだの部分。

あと旅行に行った方がいい。おすすめは綺麗な景色を見れる所。目に焼き付く景色は宝物。

死ぬ前に自分のことを思ってくれる奴が居たんだってことを知っておくだけで違うと思う。

anond:20230920045935

ゼレンスキーウクライナ)が抵抗せず、黙って侵略されてりゃ死ぬ人間が少なくて済んだのは確か。かと言って、ロシアのやり口を認めるわけにもいかんので、ウクライナ国民移民として各国(NATO加盟国)で受け入れて、ロシアには経済制裁加え続けるって形で良かったと思うわ。

anond:20230920115952

女性が弱いってのが性差別じゃね?

力が強いって言っても思いっきりぶん殴れるわけないじゃん

男同士の喧嘩だって死ぬようなことはしないわけで

ホームレスでもいいし首をつって死ぬでもいいやってなると頑張る動機がない

滑稽なお婆さんだなあ

anond:20230920075319

必死否定してるブクマカ滑稽だなあ

しかもその多くが男

「ぼくちんの子供を産んでぼくちんとぼくちんの子供を世話する事はうちの嫁にとって至上の幸せのはず!」って幻想崩されたくないんだね

いねーよそんな幻想()あるやつ

「専業なら家事子育てぐらいやれ」ならいるだろうが

こんなの別に最近」の話でもなくて、昔から母親ばっかの育児コミュニティ行けば「育児が辛いか保育園に預けて息抜きする為に働いてる」みたいな人沢山いたよ

昔の方が妊娠出産したら首って人多かったけど、専業主婦が辛すぎるから働くって話はよく聞いた

多数派では絶対いね

日本は未だに専業主婦希望する人が多い

ずっと働きたいです稼げますって女は婚活でも人気あるよ

「男が専業させてる」っていうのは他責陰謀論である上に

それがなんとか通用してたのももう昔だよお婆ちゃん

 

保育園待機児童で入れないから子が幼稚園入れるまで待って幼稚園入れたら延長保育も入れて自分パートでようやく解放された!って人も多かった

長保育入れてパート大草

保育園代もったいねえだろバカ

 

現実でもママだけの集まりだとそういう事言う人いるしみんなわかるーって感じ

男がいる場だとそういうのがタブーとされてただけで、女だけの場だと割と本音は出る

長保育園入れてパートは草萌ゆるのみだが

ガッツリ共働き女がどう男からタブー視されてるのよ

働きたくないで御座る!専業主婦志望で御座る!が実際の女性多数派(いまだに!)

  

つーかだから最近は男も育児しろの大合唱でしょ

あれ、育児しなくても許されてる男が羨ましくて妬ましいからお前らもこの地獄味わえや!ってなってるだけだよ

地獄

じゃあ女も男と同じように死ぬまで同じぐらいの稼得責任背負って働きなさいよ

それなら堂々と育児折半要求すればいいし保育園にも入れればいい

「最低65歳まで何があっても逃げずに責任ある仕事家計を支え続けること」が

育児に比べて天国ならそっちを選べばいいじゃん男からも歓迎されると思うよ

   

 

そもそも育児が本当に楽しいならわざわざ他人になんてやらせない、楽しくないかやらせたいんだよ

男の仕事だって同じだわ

妻子を路頭に迷わせない責任背負って外で働き続けるのは好きでやってると思ってんのか

自分の大変さは極大に強調するのに

他者担当パートの苦労は想像すらできないのは何故なんだ

 

どうしてそんなに自分のことだけで頭がいっぱいで

客観視とか相対視とかが出来ないんだ

いい歳のおばさんやお婆さんでそれは本当に幼稚じゃないんか

何歳で人間が完成するんだお前らは

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