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はてなキーワード: 最優秀賞とは

2022-07-07

anond:20220707144247

その最優秀賞の授賞式が、地元新聞かに載ってれば 

それっぽい記憶として確証できるんと違う。

助けて 【追記:07/11

自分大事にしている記憶第三者的エビデンスが全くなくて怖くなってきた

普通の思い出とか個人間の何かしらのやり取りならそんなものがなくても大丈夫だと思うんだけど

私の今回揺らいでるのは高校生の時に打ち込んだ部活の受賞歴がどこにも残ってないってことに所以してる

自分の才能を客観的裏付け証拠だと思ってたんだ、全国大会で準優勝だったって記憶

でもどこにもない、ネットの海を彷徨っても見つけられない

母校のホームページは近年リニューアルされたみたいで古い情報がない

主催団体もここ5年分しか受賞者を公表してない

どこかの個人ブログやなにかで紹介されてないか躍起になって探したけど無い

怖い

私の覚えてる「これ」は何なんだ

顧問名前も思い出せない、当時の部員の連絡先は悉く知らない

でも確かに行ったんだ、顧問と2人で新幹線に乗って鹿児島に行って開会式遅刻して天文館白くま食べたんだ

準優勝でめちゃくちゃ悔しかったんだ、授賞式は最優秀賞しか行けないって聞いて泣いたんだ

作品とかは実家にあるはずだけど毒親の母が処分たかもしれない、曖昧

こんなに大事な拠り所なのに何もエビデンスがない、全部妄想捏造かもしれない、怖い

写真とかも手元には残ってない、私は本当に部活で成績を残したのか?

私は今まで何を信じてたんだ?


ここから7/11時点での追記

たくさんのトラバブコメありがとう、途中から私じゃない人が返信してて爆笑した、勝手に人を便秘にするな

先週の木曜日、ここに書き込んで母校に電話で問い合わせた

事務員さんに不審がられながらも今現在顧問をしている人に代わってもらえて、色々話した結果調べてまた折り返すと

次の日の夕方電話があり詳細を教えてもらえた、まとめるとこんな感じ

あなた作品はきちんと保管されているし活動裏付けもある

・〇〇大会の全国準優勝ではなく、××大会の準優勝で記録が残っている

そもそも〇〇大会の出場記録は無い

・当時の顧問教職を辞めている

・他にも県大会地区予選の記録もある

ホッとした、なんだか私は大会名や開催地混同していたようだった

正しい大会名と主催団体を教えてもらったので再度検索にかけてみた

何も引っかからない

また怖くなった、何度も調べてまたネットの海を彷徨ったけど、この土日に一度も自分名前を見ることはなかった

大会名はそれっぽいのがあるけれど、主催団体に対する情報そもそもどこにもない

出口だと思っていたのにまた新たな迷宮に足を踏み入れてしまった


私はもうきっと助からない

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

 Permalink | 記事への反応(0) | 23:43

2021-12-31

ブラック話題で笑う電通マン達が笑えない

電通社員過労自殺事件から6年のタイミング

電通マンが【ウルトラブラック】という社名で独立

藤本宗将 Copywriter/Creative Director@fujimotors

12月末で電通退職します。約25年にわたり社内外のみなさまには大変お世話になりありがとうございました。1月から独立し、UltraBlackという会社をつくってやっていきます電通との専属契約などはありませんので、これまで以上に多くの方々とお仕事できれば幸いです。よろしくお願いいたします。

https://twitter.com/fujimotors/status/1473887352691236865

この社名も気持ち悪いが、それに対する電通社員(元電通社員)の反応がまた気持ち悪い

日下慶太 / ケイタタ@keitatata

最高の会社名ですね(笑)

おめでとうございます

藤本宗将

日下さんありがとうございます!さまざまな解釈ができる会社名です(笑)

https://twitter.com/keitatata/status/1473887571629719556

同じ会社人間が亡くなっててよく笑えるな・・・




◆栗田雅俊@kurita_ma

なんとかっこいい社名。。!おめでとうございます

藤本宗将

ありがとう!栗田くんがどっちの意味解釈してほめてくださってるのか気になりますがw そう言ってもらえてうれしいです!

https://twitter.com/kurita_ma/status/1473893208283582465

かっこいいのか?・・・どんな気持ちでwって打ってるんだろう




◆ひ邊千佳@写真は老火鍋@setsukooo

社名かっこいい!早速みんなで由来をあれこれ想像してます笑。おめでとうございます!!!

藤本宗将

なべちかありがとう!年明けよろしくねがいします!解釈がろいろいあるのはいいことだと思っときます

https://twitter.com/setsukooo/status/1473921538856722433

早速みんなで由来をあれこれ想像してます が本当に気持ち悪い

自分会社のことだと思っていないのか?

悪い解釈をされていいことがあるのか?

100ワニやオリンピック問題で悪い解釈されていいことあったのか?




岡部将彦 Que / Quest/Creative Director/CM Planner@okavader

おめでとうございます

最高の社名ですねw

最初からその名前にしておけば、大抵のことが起きても叩かれなさそうw

藤本宗将

ありがとうございます!覚えがないことで叩かれそうな気もしますがw 寝ないでがんばります!(嘘です寝ます

https://twitter.com/okavader/status/1473900728414765059

どんな名前にしようと人が死んだら叩かれるのが当たり前だと思うが

遺族の人が見たらどう思うか?

社会人として当たり前の常識がわかっていない

こういう奴らがいろんな人たちが見る広告を作っていると思うと複雑になる

「人が死んでんのに自虐か知らんが、面白いと思ってるこういう馬鹿がおるからブラックなんだよな。」

という反応があったが、これが普通感覚だと思う

電通社員普通普通じゃない

誰でも見れるツイッターでこんな人格を疑われることを書くのは普通じゃない

全員検索したらプロフィール出てきた

藤本宗将(ふじもと・むねゆき

dentsu zero コピーライタークリエティディレクター1997年電通入社コピーライターとして多くの企業メッセージ開発に携わる。主な仕事は、ベルリッツちゃんとした英語を。仕事ですから。」、本田技研工業「負けるもんか。」、からだすこやか茶W「おいしいものは、脂肪と糖でできている。」、トヨタトヨタイムズ」など。TCC最高新人賞TCC賞・ADCグランプリ・ACCグランプリ毎日広告デザイン賞最高賞など受賞。

日下慶太(くさか・けいた)

電通 マーケティングクリエティセンター コピーライター

1976年大阪まれチベットカシミールアフガニスタンなど世界中を旅をして電通入社コピーライターとして勤務する傍ら、写真家、セルフ実行委員UFOを呼ぶバンド「エンバーン」のリーダーとして活動している。『商店街ポスター展』を仕掛け、佐治敬三賞を受賞。他、東京コピーライタークラブ最高新人賞ゆきのまち幻想文学賞など受賞多数。また、都築響一編集「ROADSIDERS' weekly」でも写真家として執筆中。ツッコミたくなる風景ばかりを集めた『隙ある風景』日々更新中。

栗田雅俊(くりた・まさとし)

電通zeroクリエティディレクターコピーライターCMプランナー

1981年岐阜県まれ早稲田大学教育学部卒業後、電通入社最近の主な仕事に、サントリー「話そう」「デカビタC・元気すぎるご当地キャラ」、宝くじビンゴ5、KINTO、Netflixリラックマとカオルさん」、パートナーエージェントドロンジョブラックジャック」、カシワバラ大規模修繕な人々」など。

渡邊千佳(わたなべ・ちか)

2010年電通入社2016年東京コピーライタークラブ最高新人賞を受賞した長崎自動車長崎バスシリーズ広告は、TCC賞とのダブル受賞となった。他、毎日広告デザイン賞優秀賞、日本民間放送連盟ラジオCM部門最優秀賞FCC賞、CCN賞、CCN最高賞、OCC賞、FCC最高賞、広告電通賞OOH部門最優秀賞など。山梨県出身

岡部将彦(おかべ・まさひこ)

1978年大阪まれ関西大学卒業後、2000年電通入社。 以降17年間、CMプランナーコピーライターとして数多くの広告を手がける。 2005年東京コピーライタークラブ最高新人賞をはじめ、広告賞を多数受賞。 東京コピーライタークラブ審査員、ACCラジオ部門審査員。 主な仕事に、トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のテレビラジオCM。「ほっともっと」のリブランディング「やっぱり、お弁当屋さんのおべんとうはおいしい。」プレイステーション発売20周年特別映像「みんなのゲーム愛にありがとう。」「決断を迫る山田」「山田、全力のモンハンワールドごっこ」他、各種ゲームタイトルテレビCMを多数手がける。 近年は広告に限らず、ロックバンド マキシマム ザ ホルモン映像作品集(DVD)「Deka Vs Deka」の制作コミュニケーションなど、コンテンツ領域でも活動



電通社長社員SNSをやめろと言った方がいいのでは?

2021-12-15

友人が電車痴漢に遭った。僕が「缶バッジ」で変えたいこと

年は全国126校の学生から、581作品の応募があったなかで、最優秀賞に選ばれたのは、宮崎県高校生ショタさん(16)だ。

ショタさんは、缶バッジデザインしたきっかけは、友人が痴漢被害にあったことだという。

「女友人が痴漢に遭ったと話していて、自分にも何かできることがあればと思いデザインしました」

うーん、オタク・・・

https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/no-chikan-badge

2021-10-31

anond:20211030182355

論文最優秀賞とりながら

同じ大学卒の奴の9割が受かる試験落ちる

なんか変じゃねーか?

2021-10-12

結局こういう人達転売を商魂逞しいと見ているわけね

"炎上したのは最優秀賞を獲得した3人組のチーム。プレゼンでは“コミケ代行”なる業務28万5210円の売上があったと報告し、

イベントに参加したDMM会長CEO亀山敬司さんから「今回のお題『ハイスクールショーバイ!』にふさわしい、商魂たくましいチームだった」と高く評価されていました。"

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2110/11/news140.html

https://twitter.com/kameyama66/status/1447551454743384069


成果物を食い物にしか見ていない日本経営者政治家主語かい?)が、製造業を衰退させた原因の一旦では?

2021-07-25

ラーメンズ界隈はファン演者微塵も反省していなくて草。ほんま『サブカル上級ソシオパス』とそれに群がる『B層なんて言葉で片付けられない深淵なる者』がヤバい

 

もうサブカルを口にすることが恥の時代が来ているかも知れない。

昭和平成、令和と、時代が変われば笑いも変わる。

 

考え方も変わる。

 

人も変わる。

 

ただ、それだけなんですよ。

 

から、信じて前見て歩んでいきましょうね。

 

何も間違っちゃーいない。

 

2:58 AM · Jul 22, 2021·Twitter for iPhone

https://twitter.com/tsujimoto_kouji/status/1417906814239133701?s=20

 

普通に考えて欲しいんだけど、ユダヤ人大量虐殺ギャグで使われてOKだった時代など無い。

雑誌マルコポーロ1995年に『ホロコーストは無かった』と書いて廃刊になっている。

 

ユダヤ人大量虐殺の置き換えで日本人強制収容所空襲原爆がよくあげられるけど、

それらを持ち出すまでもなく『311』や『京アニ』を笑いのネタで使ってイイわけないことくらい小学生でもわかるだろ?

からないならぶっちゃけCU特性として医療案件だ。

ましてやそれを成人後に高等教育(多摩美大卒)を受けた人間TVでやるなんてとても正気じゃない。

そもそもホロコーストが無くたって、障害者バカにしたネタ介護士が老人溺死させるネタ同性愛差別ネタ日本航空事故ネタ

サブカル選民思想クズありがちな不謹慎ネタオンパレードである

ラーメンズ『雀』より「ネイノーさん」

https://youtu.be/ko0UuEgdavc

ラーメンズFLAT』より「ドーデスという男」

https://youtu.be/qzqRFOdER2M

 

けれど、日本には表現の自由がある。

不謹慎ネタを扱うことに確たる信念を持ち、あらゆるものを斜めからぶった斬り、自身作品に生涯責任を持つ覚悟を持っていると言うのであれば、

小劇場規約に反していないならYouTubeなどで理解あるファンたちと楽しむ分には良いだろう。

 

・・・が、まさかのぉぉぉぉ〜〜、NHK仕事やるはオリンピックやるわ、謝ったからいいじゃんって、あのさぁ・・・・・

b:Id:triggerhappysundaymorning  ラーメンズ不謹慎に関してはお山田で例えるとお山田行為不謹慎ジョークネタに使ったレベルなので怒られるべき話だが「謝れば済む話」.

 

 

加えて身内をオリンピックに集めてこれですよ。私物化といって良いですよねマジで ↓ 
日刊スポーツ小林賢太郎コント公演メンバー開会式出演終え「喜んでくれてた」と投稿 [2021年7月24日12時6分]

パフォーマンスを行うなだぎ武(後方)ら(撮影河野匠)

パフォーマンスを行うなだぎ武(後方)ら(撮影河野匠)

23日の東京オリンピック五輪開会式で、なだぎ武(50)とともに撮影クルーに扮(ふん)し寸劇を披露した辻本耕志(44)は24未明ツイッターに「泣けてきた。でも、喜んでくれてた。くそったれめ」と投稿した。コメントには、「喜んでくれていた」人物は、開会式直前にショーディレクターを解任された小林賢太郎(48)だと察するファン書き込みが相次いだ。

 

なだぎ、辻本は、小林が立ち上げたコント公演「カジャラ」のメンバーでもある。寸劇パート以外でもカジャラ出演のメンバーが出演していた。

 

辻本は「開会式、無事に終わりました。いろんな意見があるけども、たくさんの事があったけども、僕たちは、責任を持って、たくさんの人の想いを込めて、やれる事をやった。見てくれた人たち、ありがとうございました」と感謝をつづっている。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/fc9e354e4f497c69217abd1f5805be5b3e2137b5

 

 

一事が万事と申します。そしてそれは大抵間違ってはいない。サブカル選民思想クズは許すな(anond:20210722171528)

 

 

ほんま『B層なんて言葉で片付けられない深淵なる者』はどうしようもない ↓

anond:20210725200722 anond:20210725203059 anond:20210725202546 anond:20210726193523 anond:20210726193211 anond:20210726081714 anond:20210726144349

 

2008年北京 <チャン・イーモウ

カンヌ映画祭審査員グランプリ

ヴェネツィア映画祭金獅子賞×2

代表

紅いコーリャン

初恋のきた道

HERO

 

2012年ロンドン <ダニー・ボイル

アカデミー賞監督賞

代表

スラムドッグ$ミリオネア

127時間』

イエスタデイ』

 

2016年リオ <フェルナンド・メイレレス

アカデミー賞監督賞ノミネート

ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞

代表

シティ・オブ・ゴッド

ナイロビの蜂

ブラインドネス

 

2021年東京 <小林賢太郎

ATP賞テレビグランプリ最優秀賞

代表

爆笑オンエアバトル

※開催前日に解任

2021-07-24

その結果をご覧ください

FOX葬式のような開会式

 

This looks like the rehearsal! Hard to watch !

(これはリハーサルのようですね!見てて辛いです!)

 

[FOX SPORTS] ‘Like attending a funeral’: Fans slamworst ever’ Opening Ceremony

https://www.foxsports.com.au/tokyo-olympics-2021/tokyo-2020-olympics-opening-ceremony-reaction-covid19-coronavirus-news-social-media/news-story/bbc05cf5d1e5ac930bb839a9104891fd

 

 

USAトゥデイ 「それは奇妙な、時には気まずい、そして非常に不協和な4時間プレゼンテーションでした」

 

But in another – especially considering the controversy behind the Games and the toll they are taking on Japan and the world – this lackluster ceremony is a huge letdown. What's the point of all the risk, all the testing and quarantining and masks, if this is the best emotion and spectacle we can muster?

(しかし、大会の背景にある論争や、大会日本世界に与えている影響を考えると、このつまらない式典は大きな失望です。これが私たちが集めることができる最高の感情光景(スペクタル)であるならば、すべてのリスク、すべてのテスト隔離マスクに何の意味があるのでしょうか?)

 

[USA TODAY] Review: The Tokyo Olympics opening ceremony was more of a whimper than a bang

http://www.usatoday.com/story/entertainment/tv/2021/07/23/olympics-opening-ceremony-review-2021-whimper-not-bang-tokyo/8067253002/

他もこんな感じ 

NBCアスリートファーストはいずこへ」

CNNTOKYOは50年前から変わっていないようだった」

ABC日本風のコメディ、我々には理解不能

CBS「史上最低の開会式

NYタイムズ権力にまみれた開会式

ワシントンポストIOCによる、IOCのための開会式

 

2008年北京 <チャン・イーモウ

カンヌ映画祭審査員グランプリ

ヴェネツィア映画祭金獅子賞×2

代表

紅いコーリャン

初恋のきた道

HERO

 

2012年ロンドン <ダニー・ボイル

アカデミー賞監督賞

代表

スラムドッグ$ミリオネア

127時間

イエスタデイ』

 

2016年リオ <フェルナンド・メイレレス

アカデミー賞監督賞ノミネート

ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞

代表

シティ・オブ・ゴッド

ナイロビの蜂

ブラインドネス

 

2021年東京 <小林賢太郎

ATP賞テレビグランプリ最優秀賞

代表

爆笑オンエアバトル

※開催前日に解任

 

anond:20210724011639 anond:20210725195249

2021-07-21

2021年上半期芸能人アワードもっとスキップされた芸能人部門

見事、最優秀賞に輝いたのは――

 

――松本人志さん、おめでとうございます

2020-11-18

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-16

ホームレス異文化扱いの件

https://note.com/ikeay/n/nad1517232125

これね。ホームレスという異文化からは学ぶところがある、差別などではなく素直に見習いたいと思う、というやつ。

これを書いた人は差別意識が一切ないって言ってるけど、あるじゃん、と思ってしまった。

「あるものや拾ったものだけで欲しい物を作る」「なんでも直して使う」って、

別に家持ちでもやってる人はいると思うんだよね。

でもそれを記事にしたところで最優秀賞にはならないし、この人も採り上げようと思わないはず。

なんでかって、やっぱり「ホームレス」というラベル価値があるからなんだよね。

普通の人でもやれる徹底的なDIYも、ホームレスがやると「素晴らしい異文化」になる。

そこに差別的な意識がないと、どうやって言えるんだろう。

ホームレスなんてどうしようもない存在だと思ってたけど実は学ぶところがあった、すごい!」

自分無意識下には、そんな「捨て犬に優しくする不良が必要以上によく見えるギャップ萌え」的な思考があるんじゃないか

そういう自問を行った形跡でもあれば、まだ良かったけどね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

まあ実際、ホームレスになんてなりたくないし、近寄りたくもないよ。

一方でホームレス生活に興味がないと言えば嘘になる。

冬場とかどうしてんのかな、とか思うし。

工夫して何とかしてると分かれば「へー!」と思うだろう。

でもそれは、下世話な部類の興味だよね。

せめて自分の興味が下世話なものだと自覚したうえで生きていたい。

上の記事の人はその自覚がまったくなくて、

しろ自分清廉潔白さに深い自信を持っているように見えるから、とてもイラっとした。

2020-09-01

ずっと歯ぎしりに悩んでた

嫁に言わせれば、下手くそギロとか、なにか石のようなものコンクリを削るような音だそうだ。

歯ぎしりを撮った動画を見せてもらったけど、たぶんかなりひどい。

窓を開けて寝るなんてとんでもないくらいの大音量

今年33歳だけど、ありがたいことに虫歯も詰め物もない。

中学生の頃に、よい歯のコンクール最優秀賞もらう程度には歯並びもいい。

それなのにこの歯ぎしり

朝起きるとだいたい頭痛がするし、顎の関節あたりが熱を持ってて、昼くらいまでこれが続く。

おかげで顎関節周りの筋肉がずいぶん発達して顔のシルエットがデカくなった。

自分の昔の写真と比べると違いが明らかにわかる。

エラがはってるなあ、とは思ってたけど、たぶん筋肉

10年位前に、どうにかしなくちゃってことで歯医者に言ってマウスピースを作ってもらった。

前歯にハメるタイプの硬いマウスピース

これはだめだった。

歯にジャストフィットこそするのだけれど、寝ているとどうにも歯がうずくようで心地が悪い。

数日もしないうちに引き出しの奥に追いやられた。

歯ぎしりの原因をネットで調べても、ストレスだの寝る前の飲酒がいけないだの、そんな当たり障りのないことしか書いていない。

断酒はまったくもって歯ぎしり根本改善にはならなかったが、数日続けた後の朝起きたときの体の軽さは大きなメリットだった。これはまた別に書いてみようと思う。

そのうち、検索画面は広告記事うさんくさいまとめページ汚染され、歯ぎしりについて調べることすらやめてしまった。

気がつくと右の犬歯の先が平らになっていた。

今思えば、ここでさっさと本腰を入れて対策をするべきだった。当時は、なにか噛み合わせが悪くて欠けちゃったのかな、なんて思ってた。

歯医者に行く習慣もないので、放置していた。

年月が過ぎ、次に気づいたときには左前歯の先が削れて穴が空いていた。

舌でなぞると、舌の味蕾が歯先の穴にひっかかる。

この時、歯ぎしりによって自分の歯が減り、歯に影響しはじめていることにようやく気がついた。

同時に頭痛と顎の痛みと歯ぎしり関係について理解した。

慌ててドラッグストアマウスピースを買った。

お湯で温めて歯型を取る半透明の安いやつだ。なかなかうまくできなくて、何度も作り直した。

慣れるまで苦労した。とにかくすごい異物感だ。

寝にくいのもそうだが、些細な突起が、寝ている間に口腔内に跡を作りそこから口内炎になるということがたびたび起こるのである

ハサミで小さく切ってみたりもしたが、切り口の角が立つとやっぱりそこから口内炎になった。ぴえん。

数ヶ月かけてトライアンドエラーを繰り返したマウスピースだが、4号くらいになると、どういうマウスピース自分にあっているのかがだんだんわかってきた。

どうも歯型を取るとき無意識に上の歯と下の歯をくっつけるように噛み合わせていた。

これではだめだ。眠っている時、人はかなり下顎を後ろにひっこめた状態になる。

4号は今も使っている。非常に出来がいいので見せたいくらいだ。

さらに、いつの間にか、寝落ちする瞬間にマウスピースをハメるなどの小技も身につけていた。

ようやくマウスピースを健やかな睡眠に取り入れることができるようになったのだ。努力勝利

ちなみにマウスピースをつけると唇は閉まらない。よって、うつ伏せになって寝るともれなくよだれが垂れる。仰向けで寝るように心がけている。

マウスピースの出来の良さは歯ぎしり対策継続に係る。

大げさかもしれないが、納得の一品を手に入れたことは大きな自信になった。

そして、継続してみることでマウスピースメリットを実感し始めた。

朝の頭痛がなくなったのだ。もちろん顎関節の熱もなくなった。

これ以上歯が減らないようにと始めたマウスピースは、4号は、睡眠には欠かせないものになっていた。

半年続けると、副産物的なメリットも見つけた。顎が細くなったのだ。

慢性的に炎症をおこしてこわばっていた顎関節周りの筋肉もすっかり鎮まり、あるべき居場所に落ち着いた。

ここ最近、久しぶりにあった人からは「痩せた?」と聞かれる。どうかな、と返す。

顔のシルエットは自分でもわかるくらい変わっている。

ちなみに1kgも痩せてない。

今週末、歯医者に行く。欠けた歯を埋めてもらうために。

2020-08-25

読書感想文の思い出 木の家編

この時期だからなのか、読書感想文云々な書き込みが目に留まったかはわからないが、小学生ときの思い出が蘇った。

あれはわしが小学5年生とかそのくらいのときのことである

夏休みの恒例となって久しい読書感想文だか作文の宿題をやっつけていたときテーマは「木の家」で、まだ幼きわしは図書館へ行って木の家の利点をくまなく調べて作文用紙へしたためたもんである

いわく、木は木材となった後でも気温や湿度に応じて収縮したり湿気を吸ったりだの、冬暖かく夏涼しいだの、耐久性があるので長持ちだの。まあ木の家のメリットを調べ上げて、木の家のいいところをまとめた文章をモリモリ書き込んで肩の重荷を1つ降ろすことに成功したんだよ。

そんな作文を無事提出し終わり、特に待ってもなかった結果発表。なんの賞も貰えなかったけどこれもまた日常しかしふと入賞した作文が気になったのだな。だって結構木の家のメリット調べあげた訳だし、かすりもしなかったわし文章を尻目に賞もらったやつの文章、んまあ気になりますわな。

んで読んでみたわけさ、金賞だか最優秀賞だか忘れたけど「1番」のやつをさ。そしたらさぁ、

「木の家」「おじいちゃんとおばあちゃんの家」「柱に傷」「お父さんの背を図った跡」「当時の様子が目に浮かぶ」「私の背の跡」「私の背の跡とお父さんの背の跡が柱にどうたらこうたら」

大体こんな感じ

もう20年前くらいの話だからちょっと違うかもしれないけど大体こんな感じ。

もうこれ母親か誰かが書いたやつだろ。少なくとも小学生が書いたシナリオじゃねーわ。文章力はともかく。(どんな文章だったかは覚えてないけど)

お父さんが子供の頃の風景が〜〜〜みたいなことが書いてあんの。当時のわしもこれゼッテー嘘だわ思いましたわ。今でもこれゼッテー嘘だわ思ってます

とは言え誰が書いたとかは当時のわし的には割とどうでも良くて、このとき抱いた感情ってのが怒りでも呆れでもなんでもなくて、

「あーーーーー……こういう感じかぁ……」

っていう、わしの視点がズレてたんだなぁ、求められてるのはこういうのだったんだなぁっていう、単なる、ただただ「はぇ〜」っていう感情だった。

別に関心したわけでもないけど。あーこういうのね、あーそっか、はぁ。みたいな

呆れもてないんだけどね。はぇはぇみたいな。やっぱなんか調べた事実の羅列よりもお話〜〜みたいな、感情〜〜みたいなのが「いい」んだなぁってしみじみ思いました。

そんな思い出の夏でした

おわり

2019-06-02

Twitter引用RT機能あるじゃん

あれ、引用RTの中にリプライ(@anond_masudaみたいなやつ)が入ってたらその人にも通知飛ぶから

ご丁寧にも書いた内容まで通知欄に表示される

例えばイラストコンテストやってるアカウントが「今月の最優秀賞は@anond_masudaさんの作品です!」と発表したとする

その発表を引用RTしながら「クッソ下手じゃん」「俺の方がうまい」などとツイートしようもんなら

その文面まるごとイラストコンテストアカウントだけじゃなくてanond_masudaの通知欄に表示されるから

何が言いたいかというと、引用RTはツリーに表示されないか

"自分言及したこと当事者第三者にバレにくい"イメージがあるけど

実は陰口には最も向いていない機能だぞということ

2019-04-12

anond:20190412164334

山本かよの出産動画

1993年、当時リポーターを務めていたKBCテレビドォーモ」で

山本かよの妊娠出産日記スペシャル

という企画放送されました。

これは妊娠出産までを

ドキュメンタリーとしたものであり、

いたことに、その出産シーンは

無修正状態で放映されました。


結果、この作品

日本民間放送連盟賞・

テレビ娯楽番組最優秀賞」を受賞。

当時は非常に大きな話題になりました。

そしてこのビデオはその後、

多くの中学校高校での

保健教育の授業で上映されました。

「命の神秘を学べる作品

「心から感動できます

「親にありがとうって言いたくなります

自分出産シーンを

あえて公表するという山本かよさんの

勇気に、多くの女性から感動の声があがりました。

2019-01-05

どうして貴方増田になったの?THE ORIGIN

あなた増田なったきっかけ、エピソード募集します。

最優秀賞書籍化コミカライズに向けた活動、賞金100万円が授与されます

それぞれが胸に秘める切なく激しい物語小説にしてみませんか?

皆さんのご応募お待ちしております

っていうコンテストがあったとして

リアル増田では太刀打ちできないだろうなぁ・・・

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2017-12-26

anond:20171226161445

新人賞最優秀賞って書いてるからMF文庫Jかと思われる。

んで、この手のファンがつきそうなのっつったら変態王子と笑わない猫くらいしか思いつかんけどどうなんだろ。

2017-03-04

アニメ業界脚本レベル上がり過ぎでは?

オタク君の名はとか作画だけの映画音楽もまあ悪くないかもね」

一般人脚本すげえええええええええええええええええ最優秀賞!!!!!」

2017-01-08

ロールケーキのことしか考えられなくなった女の、ロールケーキランキング

あるときふと、ロールケーキのことしか考えられなくなった。

仕事睡眠以外の9割の時間ロールケーキ情報を探していたといっても過言ではない。

休日はつねにロールケーキのために存在した。

はっきりいって狂っていた。

それなのに先週ふと、覚めてしまった。

べつにロールケーキじゃなくてもいいじゃん、

という気分になってしまった。

ブログもやってないし、この膨大なロールケーキ情報経験値、どうすんだよ。

ということで、ここでロールケーキランキング東京を記しておく。


#なお、私はクリームよりも圧倒的に生地を重視している。

堂島ロール系統には全く魅力を感じない。

#家に持って帰ると集中力が失われるためイートインできるところに限定している。



●山の上ロール(御茶ノ水山の上ホテル

http://www.cakechef.info/special/shohei_yasuzaki/roule/index.html

ジャパンケーキショー最優秀賞農林水産大臣賞受賞したらしい。

このロールは生地が最高。

なぜかユーハイムフランクフルタークランツに近い味わいを感じるのだが

バタクリは使われていない。なぜだ。

老舗ホテルカフェクラシカルな店内で食べられるのがまた最高。



小川軒ロール(新橋小川軒)

http://www.ogawaken.co.jp/cake/item_08.html

生地クリームの配分が見事。完璧

生地たまご感にあふれしっとり甘く、

クリームカスタード生クリームのW構成

新橋駅ビルという新橋感満載なビルの奥に

ひっそりと光り輝いている小川軒の看板は最高に美しい。

なお週末は土曜しかやっていないが、夕方はほぼ売り切れなので注意。


上原ロール(代々木上原アステリスク

http://www.asterisque-izumi.com/index.html

しっとりした生地に生クリを巻いた超絶シンプルなロールなのに

なぜこんなにうまいのか、ちょっとよくわからない。

生クリはミルク感を強めに感じる。

上記2店に比べ、いまどき感ある華やかパティスリーであり

派手できららかなケーキが多いが、

ロールとモンブランといった定番ケーキから攻めてほしい。


●広達ロール(新江古田ロートンヌ)

http://www.lautomne.jp/products/index01.html

スペシャリテだけあって、隙のないロール。

これもカスタード生クリームの二段構成だが

小川軒よりどっしりもっちりと食べ応えがあり、

中央に充填されたカスタードも多い。

なおイートインがあるのが新江古田中野店だが

予約しないとロールケーキカットは置いていないことが多いので注意。

このクオリティなのに、1000円前後ケーキセットで

なんと2コのケーキが食べられるコスパたるや。



スーパークラシックツインロール(四谷SATSUKI

http://www.newotani.co.jp/tokyo/restaurant/p_satsuki/index.html?Psubid=71&DispTab=5

ひとつ800円+税+サービス料の高級ロールだが

まったく高くない。

クリームはもちろん、生地まで2種類なんである

ふわふわふんわりと、カステラ感あるどっしり

生地が主役といって過言でなく

それを最大限引き立てる、控えめな生クリームカスタード

サツキといえばスーパーショートが圧倒的に有名だが

私は断然こちらを推す。



以上、ランキングと言いつつ順位がつけられなかった。

順位なんてつけられない。みんな違ってみんないい。

やっぱりロールケーキ大好き。

このレコメンド異論があれば

どうかもっとおいしいロールケーキを教えてください。

2016-12-11

アルハラセクハラなんでもござれ忘年会に参加してきた

先日、自分バイトしているITベンチャー企業忘年会に参加してきたのだがありえんぐらい最悪だったので書く

(このITベンチャー企業は前にもネットで少し話題になってたみたいなので知ってる人もいるかもしれない)

参加者は30人くらいで、社員10人弱、残りは学生バイトくらい。

で、学生が多いゆえに毎年学生がやらかすらしいんだが、

今年は大学を出たばっかで最近入社した関西人新入社員が中心となって最悪の事態を巻き起こしていた。

まずはアルハラ

とりあえずビール瓶を両手に持って新入生バイトを中心に回ってきて、無理やりグラスについで飲ませてくる。

グラスがなくなると次をついで、更に飲ませる。これの繰り返し。

死んだ学生がいなかったことが幸いである。

次はセクハラ

まず女性への抱きつき行為からまり

AVパッケージ女性に見せつける。

この会社では毎週やってるプレゼンの年間最優秀賞プレゼンター忘年会表彰されるのだが、その賞品にAV関西人新入社員が持ってきており、

それを女性に見せつけていた。

そして極めつけは脱ぎだす。

最初シャツになり、ズボンを脱ぎ、ついには全裸(さすがにこれは限られた空間だけでやっていた)

ほかにも学生(男)にキスをしたり、ツバを吐いたり、疑似フェラ、疑似セックス暴言

いつまで大学生気分なのかはしらんけど。ありえなさすぎる。

社長はあまり関わらんとしていた様子から、めんどくさいのをいれてしまったと後悔をしていたのだろうと読める

おわり

2016-04-04

雨が上がった。

文化祭ロミオとジュリエットをやることになった。

ジュリエット役は立候補で決まったが、ロミオ役は男子全員のじゃんけんで決めることになった。

私がじゃんけんで負けた瞬間、ジュリエットの子が泣き出した。

私は降りると言ったが、クラス総出で叩かれた。私は1ヶ月学校に行くのをやめた。

クラスは劇をやめて展示会をやったようだ。修学旅行は、1人で回った。

次の年は学校に行かなかった。クラスは、劇で最優秀賞を取ったようだ。

あれから15年以上経った。それからもずっと、集団からはじかれて孤立するのを繰り返して、転職回数も2桁になった。

また無職になってしまったし、今日はいい天気だし、家にいよう。お金がなくなるまで。

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