はてなキーワード: 物理とは
地方のテレビ局で働いている。クリエイティブな仕事がしたくて、なんて薄っぺらい志望理由を提げて、6年前、就活に臨んだ。サクサクっと内定をもらって、働き始めて早5年。薄っぺらい私は、番組も作らせてもらえず、寝て、起きて、その繰り返しで、クリエイティブなんて程遠い生活をしている。もう長尺のドキュメンタリー番組を作った同期もいるのに、私は回ってきた仕事をこなすだけの生活をしてきた。何をしたら、いいのか。どういう努力が正しいのか。この世界で名を残すためにどうすればいいのか、わからない。
昔からお勉強はできたので、皆が知るようないい大学を出た。数で評価される世界は簡単でよかった。物理が苦手だから強化しようとか、この勉強の仕方は点数につながらなかったとか、PDCAがわかりやすい。正しい努力の方向も、必要な努力量もわかりやすい。
でも番組は違う。面白いという人もいればつまらないという人もいて、面と向かって言われるお世辞に塗れた感想など当てにならないし、今の自分に何が足りていないのかわからないまま、面白いとか面白くないとかわからないまま、5年が経ってしまった。
そんなことを気にする時点で向いていないと思う。でも辞める選択肢はない。無駄に高い学歴が生み出した、私の高いプライドがそれを許してくれない。クリエイティブの世界で認められたい。認められたい世界で、認めてもらえる方法がわからない。
ドキュメンタリーが撮りたいです。
なんでもいいのなら…
しばらくすると汚くなるとで嫌になって入る…かな。
まぁ平気な人には効果ないんですけどね。
朝起きた時の、湿度計の値が徐々に上がってきた。もうすぐ梅雨がやってくる。毎年のこととはいえ、よくまぁこんなにジメジメするものだと驚き呆れる、日本の風物詩。本棚の本がいつもよりうねっているのが気に入らない。
本棚の漫画を見てふと思ったのは、ジョジョの奇妙な冒険第四部は、なんとも梅雨にぴったりだということ。
第四部はじめての敵は、水分を操るスタンド使いアンジェロ。こいつは主人公の家を狙い、雨と共に襲ってくる。家の中で水気と湿気を活用して、主人公を追い詰める。
そもそも第四部は、第三部からのコントラストで発想されている。宿敵を倒すため、エジプトの砂漠での闘いが繰り広げられる第三部と、愛する町を守るため、襲いくる敵と闘う第四部。カラッとした海外の風景から、湿り気のある日常の風景へ。
アンジェロの能力が水分なのも、当然の帰着だ。それは日本の家の中に潜む、感情的な湿度、抑圧された攻撃性の暗示でもある。これを発展させた敵が、吉良吉影だった。
税金をジャブジャブ無駄遣いした世界規模の軍人さんごっことそれにかこつけた侵略準備ゲームに参加してるだけなのに……
自衛隊は事あるごとに「人を守る」「守りたい人がいる」と口にするが、実際彼らが本当に他の誰か以上に人を守ることに貢献したことがあるのだろうか?
災害が起きれば被災地に駆けつけこそするが、それが可能なのは誰かが道路を整備し、誰かが車両を製造し、誰かが情報網を維持し、そうして無数の誰かの仕事が積み上がった果てにようやくではないが。
座りしままに食うは家康のごとく最後の最後に美味しいところどりをしてヒーローを気取っているだけではないのか?
一生の内における「日本人が日本人の生命や生活を救うのに貢献した度合い」を合計したら、自衛隊員などは全然下から数えたほうが早いような順位にあるのでは?
心が壊れそうな時に美味しい料理に救われた人、ドラマやアニメを通して孤独を紛らわした人、日常生活が変わらず続いていたから立ち上がるまでの時間を生き延びられた人、多くの人が多くの人を救っている。
分かりやすく物理的な形でたまたま災害活動に参加しただけで「人を救う」というのはどうなんだろうか?
もしも自衛隊なんてものがなくて、それによって使われていた税金が福祉に使われていたら、それでもっと大勢の人が救われたんじゃないのか?
軍人ごっこのおまけで災害派遣の練習をする自衛隊ではなく、本当の災害現場のプロである消防隊員の育成や装備拡充に自衛隊で浪費されていた予算が回されていたら……。
道路を始めとしたインフラの修繕、家屋の最新の耐震基準への適応、金と人手があれば未来で誰かの命を救うのに役立てられる場所はいくらでもある。
軍人ごっこから日本だけが降りたらその途端に日本の国土はなくなるというのは分かる。
そこは分かる。
でもそれは「国を守っている」でしかないのだということを誤魔化さないで欲しい。
堂々と胸を張って「日本という国、国土を守っている。国民が守られるのはその結果だ。災害派遣は鍛えた肉体でついでにやる副業でしかない」と言って見せてくれ。
それが出来ないということは……ことあるごとに「人を守っている」という言葉を並べるというのは、「自分たちが本当に国民の役に立っているのか?」という疑問がいつも渦巻いているからなのでは?
旧軍のように「軍人が偉いのは当たり前だ。偉い人間が存在するだけで社会の役に立っているのは当たり前だ」とえばり散らしてないだけまだ立派ではあるのだろう。
自分たちの存在意義に疑問を持ちながら国土を守るという曖昧なあり方が自衛隊らしさなのだろうとは思う。
ならばそれを貫いてみろ。
そのくせ実際には身内の隊員さえもいじめ抜いて人間を壊し続けているのが実態ではないか。
一人の人間を破壊すれば、その毒は次々に蔓延していくということを閉鎖的コミュニティの住民である君たちが知らないはずがないだろうに。
なぜ、「人を守る」と口では言いながら、その裏では「人を壊し」続けているのか?
「人を壊すこと」が君たちにとっての「日本社会への貢献」であり、「人を守る」ことなのか?
教えてくれ
特段ファンというわけではなく、先月急逝した祖母がチケットをとっていたので代理で参加。
私は草加健康センターをホームサウナとしているものの、このグループについての予備知識がなく「つい最近LiLiCoの旦那さんがメンバーから卒業し、新メンバーが加入した」くらいのふわっと感だったが
会場に着き、賑わうマダムたちのものすごい熱気を見て、テンションが上がった。
ホールに入場する際にスタッフからあるものを手渡された。健康食品のサンプルだった。高麗人参のゼリーである。
同封のチラシにはメンバーの写真も掲載され、PR動画視聴用のQRコードが載っていた。
ファンの年齢層に合わせてこんなPRもあるのか、と感心していたら、開演。
2,3曲歌ってMCに入ると雑談?はそこそこに先ほど配られた高麗人参ゼリーの話を始めた。
というかがっつりPRだった。
リーダーの話術でファンサービスも盛り込んでありったが、内容はまぎれもなくPRだった。
…。
これ、観客はチケット7,000円(高い席は11,000円くらい?)払って広告見せられてるの?
2回目のMCが始まったと思ったら、また高麗人参ゼリーの話が始まった。
プレゼンのスライドも用意されていた(A4くらいの紙で物理的にやってたので資料内容は見えなかったw)
いや、話の内容もファンに楽しんで聞いてもらおうという気概は感じるけども。
私はQVCを見ているのか?
物価高だから、チケットの収入だけではコンサートの収益が出ないのだろうか
とか
チケ代上げると売れないのだろうか
とか。
エンタメを利益につなげる難しさを想像してしまい、ひとり世知辛い気持ちになった。
私はここ数年はもっぱらIP(知的財産のほう)のオケコン的な音楽イベントにしか参加しておらず、アーティストが歌うライブやコンサートには10年くらい足が遠のいていた。
うーん、まぁ番宣はメンバーの活躍を見れるファン側のメリットがあるものの。
この番宣もファンが参加する仕組みが取り入れられてて、喜ばれている様子に見えたけど。
私は、コンサートって歌や音楽などのパフォーマンスを楽しむ場だと思っていたので、かなり面食らった。
メンバー同士の雑談なんかを楽しむ時間で。多少台本はあるんだろうけど。
一緒に参加した両親(本来は祖母の付き添い要員)も驚いた様子だった。
父が「純〇は歌える営業マンなんだな…w」と形容していたので、なるほどと思った。
ビジュアルや歌だけでなく、PRのスキルがあるので替えの利かない存在なのだろうと。
ファンでない私が「番宣してた番組は見てみようかな」と思ったくらいには面白いMCだったので
ファンの人たちからすると、あのMCはCMとして認識しないか、あるいはコンテンツとして満足しているのだろう。
一概にコンサートと言ってもアーティストによって内容は様々なんだな。
さだまさしはMCのまとめだけのCD作っちゃうくらいらしいし。
カルチャーショックを受けた1日だった。
IQが出るかも、と思ったのはQ Remasteredってゲーム
https://store.steampowered.com/app/2246110/Q_REMASTERED/
大きな物体を高いところから落とす(重いものを速い速度で当てる)ほど、大きな力が発生するとか、支点、力点、作用点を作ってテコの原理を利用するとか、そういうレベルの小学生物理が全くわかってないやつが結構いる
これ多分日本での事を言ってるんだと思うけど
会社内でのパワハラの多さとか店員に絡むクソ客の多さとか煽り運転する猿の多さ見てれば
寧ろ男の方が何やっても俺たちは反撃されないと思ってる傾向高いだろ
何に必要なのですか
沢山の可能性というのか、能力が未知の子供達の脳の発達に必要なんじゃ?
これからどの道に進むのか分からない子供達の行く末に必要になるかもしれない、
若しくは、今はまだ開花していないが、何らかの学問を進める事でその道(例えば数学や物理)で
開花するかもしれない子供達の為に、高等教育に到達する前の準備として、
んー、言葉にしようとすると長たらしくなってめんどくさい。
多くの人達は、三角比とか三角関数とか、微積分なんて卒業したら使わないよ。
(俺は仕事で少々使ったけど、学問の範囲から言ったらそれは微々たるものだと思う。)
だからと言って学ばなくて良いものかといったら、そうではないと思うよ。
色んな人が可能性を持ってい居て、誰が数学に関心が有るとか、数学の方面で伸びるとか、誰にも分からないだろうし。
それに、脳みその発達の為にも色々な事を勉強する事で脳に刺激を与えることになって、発達が促進されるとか言われてなかったっけ。
同じ事ばかりやってても脳の発達は促進されないような事を言われてたと思う。
筋力トレーニングも同じようなもので、毎回同じようなトレーニングばかりしていると、
筋肉に対する刺激が少なくて、発達しにくくなるから違うメニューを取り入れるとか。
家の子は将来音楽家になりますから数学は不要です、という親がいたとしたら、その通りにさせてみたい。
嫌いな親戚が頻繁に泊まりにくることが嫌だったり、他の原因もあって年内には引っ越したいと思ってる増田だけど、その親戚が引っ越す可能性(うちに居座らなくなる)が出てきて、それだったらこっちが出ていく必要性が下がるが……?!となり、早く言えよ………になってるし、そういうことを言うのが遅いところも含めて改めて嫌いだなぁと思っているところ。
不確定要素が多く具体的にいつになるかは分からないんだろうけど。
まぁいつかはいなくなる(はず)と思ってたけど、その可能性が高まったのは良いことだな。
でもそれはそれとして、増田はマジで家族から物理的に離れるべきではあるので、引越し諸々がめんどくさいとか、嫌いな人間から離れるためにこっちに余計な金銭的負担がかかるの嫌だなぁとかごちゃごちゃ言ってないで、親戚がどう動こうが関係なく、年内には引っ越してほしい。それにしてもペットと離れるのが1番嫌。
増田自信も、実はかなりありえないファンタジーを楽しんでるはずやで。別ジャンルで。
増田はガキの誕生と生育について専門?で一家言あるから、なんか気になるだけやろ
俺はAIとか好きだから、ロボが反乱とか簡単にしだすと腹立つところあるわ。
でもこれ、専門を深めていくとむしろ一周回るぜ
立憲との共闘がそこそこ成功したのが脅威に受け取られたんだと思う
立憲との共闘のやり方は、自民を支援する公明党の手法のパクリだなとは思っていて、そこそこ成功する可能性は高いと見てた
共産党も公明党も勢力衰退し続ける古参なのは似たような立ち位置だし
コケたのは、実際に選挙結果で成果を出したのに、共産との連携は失敗って言いだした立憲側の内部のゴタゴタからだと思ってる
当然、立憲内部に対する外からの働きかけはあったと思うけど、
それ以上に立憲が組織として脆弱なままの寄り合い所帯なのを理解しないで選挙協力に共産党の未来を賭けちゃった共産党上層部の読みが甘かったって話かなと
(あるいは寄り合い所帯だからこそ共産党からの影響力を強められると踏んだのかもしれないけど、一般レベルでの共産アレルギーの強さを自覚してないってことよね)
そこから崩れて、あとはやられっぱなしって感じか
僕は共産党のいいとこは、昭和のままの、自民党みたいな玉虫色の、何でもアリな政党であることだと思ってる
環境とか教育とか、赤旗でなんか偉そうなことを書いてるときは、だいたい自民党でも似たような偉そうなことを言ってる
共産党がネットで叩かれる原因になるような話題にしてもそうでさ。活動層はどうせどの政党への同じように働きかけてるからね
そして、そういう様々な活動層に全方位にいい顔をしてるのも自民党も共産党も同じこと
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
そういえば黒髪だった時はどんなにモサモサの格好でも話しかけられたな…。毛を染める+ずっとスマホみてる(ここまではまだ湧く)+人を待つ時は集団のとなりで待ち続ける(物理的に隙間がないと奴らはそうそう来れない)+イヤホンする(聞こえないふり作戦)+それでも話しかけてきたら日本アムウェイの話をする
これで面倒は無くなった
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
オタクを含めて、何か特定の対象に肩入れする人たちが、外野である第三者の批判などに対して激怒するのかが分かった。
まず、外野の第三者じゃない人というのは、たとえばファン(消費者)とか、制作に関わるスタッフなど。こういう人たちの、批判については、内容にもよるけど、激怒して炎上とか、批判殺到とか、Colabo騒ぎみたいなことにはあまりならない。
対して、特別な関係が無い第三者、たとえばフェミニズム団体がコンテンツを批判した場合などは、大炎上騒ぎになったり、激烈な対立が社会的な影響を及ぼすことがある。
これは何が違うのか。
ファン(消費者)や制作スタッフ(労働者)の要求というのは、基本的に、単なる要求に過ぎないのであって、せいぜい交渉の材料であり、基本的に相対化できる。どんなに状況が悪くても、関係を断つ(ファンをやめるとか、仕事をやめるとか)で解決できる。法律上、使用者と労働者、制作・製造・販売者と消費者、こういった関係はあくまで対等であって、その要求はどっちが偉いとか、正しいというものではない。
これに対して、第三者による要求は、労使関係や売買関係のようなものは無いのだから、その要求は普遍的な道徳や倫理に基づくものとなる。例えば、吉野家役員の「生娘シャブ漬け」発言に対する批判は、商品の値段や味、賃金や労働環境の話のような交渉材料の話ではなく、普遍的な道徳や倫理に反するから問題視され、批判が殺到した。
しかし、この普遍的な道徳や倫理は重大な欠陥がある。それは、真に普遍的で万人に共有されているのかということは証明が不可能であり、普遍性の担保の為には逆らう者に強制をするしかないということである。
たとえば、月曜日のたわわの日経の広告問題を見てみよう。そもそも、月曜日のたわわという作品は、未成年を含む胸の大きい女性を性的にまなざすということを主題に据えた作品である。この作品のファンは、恐らく、「未成年を含む胸の大きい女性を性的にまなざすということ」に対して問題意識を感じていない。現実の街中で他人の胸をジロジロ見るのはマナー違反である、と思う人は少なくないとしても、フィクションの作中で面白おかしくネタにしたり、エロスを感じたりすることに対して、全く問題視をしていないだろう。対して、この広告の批判側は、そのように未成年を性的にまなざすこと、身体的特徴を面白おかしくネタにすること、そういったことを肯定する作品が社会に出回ることで社会のステレオタイプが助長されるかもしれないことに対して強い憤りと、普遍的な道徳や倫理への挑戦として考えてい居るだろう。
そして、先ほどから言う通り、第三者が口を出すということは、「普遍的」であることを意味する。月曜日のたわわの青色版の価格が不当に高い、と不満を持つ消費者がいたとしても、その問題意識は基本的に普遍的な物ではない。嫌なら買わなければいいだけである。しかし、第三者が未成年を性的にまなざすことを問題視するのは、「普遍的」な問題だからこそである。
この問題が「普遍的」であるならば、これを問題視しない制作者やファンの思想は矯正されなければならない。ジェノサイドが許されない、人種差別が許されない、といった考えと同様に、それは普遍的な価値観として強制されるべきであるということを必然的に含意することになる。
そして、だからこそ、ファンは徹底的な反発をする。おそらく、ファンは反対に「フィクションの中は自由であり、何をやってもよい」といった思想を普遍的な倫理・道徳として内面化しており、それは双方とも「普遍的」であるからこそ、両立不可能である。
道徳や倫理という概念は、具体的に正しさを証明することが不可能なタイプの主張である。これを理由に、直接的な関係のない相手に対して主張する場合、その主張が「普遍的」であると主張することになる。もし、普遍的ではない、個人のお気持ちだとすれば他人に対して主張することはできない。人を殺してはいけないという主張が普遍的であると信じているからこそ、加害者でも被害者でもない第三者が、人殺しに対して批判をすることができる。これが、共有できていないときに、人はその普遍性を担保するために、政治的、経済的ないし物理的力により強制するしかなくなるのであり、であるからこそ対立は無限にエスカレートするのである。
最近思うが、社会人になってしばらくしてから何らかのやらかしをするのは慶応大卒が多いように思う。あまりいい噂を聞かない。
慶応大卒や在学中の普通の人には本当に申し訳ないが、そう思う。もちろん自分は慶応大卒の素晴らしい人たちもたくさん知っているので、全員が全員そうだというわけではない。一部のおかしな奴らが出張ってきているのだろう。
しかし、今までうっすらと感じていたのが最近顕在化し表層意識に上がってきて、確信レベルになった。
完全に偏見であるため統計をとったわけではないが、昔感じていた「慶応」という雰囲気はもはやなく、GMARCHどころか日東駒専あたりに感じている。話の内容のレベルも低く、幼稚である。
そのため「慶応卒です」と言われても「学力が高いのだろう」とは全く思えない。そうではなく「頭がいいと思い込んで驕り高ぶっているけれど、そんなにでもない」というふうに見えて、まず嫌なイメージを受ける。
つまり「学力は日大レベルだけれど、プライドは慶応」というような印象を受ける。そのため、日東駒専と比較するのはかえって日東駒専に失礼かもしれない。
少し調べたが、慶応大の受験科目はかなり偏っている。まあ別に他大学もそうで、慶応大も昔からそうだと思うが、「英語ができる」という点でかなり通過できることが多い。
参考情報として、記事の最後に入試情報を転記しておく。見たい人だけ見てほしい。
入試情報を見ると、どの学部でも合格最低点が60%付近であるが、これはどこの大学でもそうであるから特にこれ以降言及しない。
慶応大学は、基本的に英語科目がかなりの位置を占めている。もともとは福澤先生が漢学ののち蘭学、蘭学から英語に切り替えて学び、海外で学ばれたあとに慶應義塾を創設された流れから、英語が尊ばれているというのは理解できる。
そして世界をリードするような存在を鍛え上げるというような精神でこれまでやってきた大学なのだと思う。
しかしながら、しっかりと英語ができるような人材はもういきなり海外に行ってしまうような時代になった。「なった」というより、とっくの昔にそうなっていた。国内の経済学部でMBAを目指しにいくというよりも、すぐにでも海外でMBAを取りたいのだ。その海外のMBAにも影が差しているかもしれないがそれは今回の話ではない。
「慶応というのは頭がよい」というブランドが確立されていたため、こうした受験科目等を見ると、そのブランドを手っ取り早く手に入れるにはかなり穴場になっているように思う。そして「私立最高峰」のようなプライドがあるためなのか、非常に嫌な人間が多い大学だなと考えている。「俺/私は、頭が非常に良い」と驕る雰囲気を感じるのだ。自信があるというよりも、人を見下す態度が凄まじいのである。他の私立大学や国公立大学卒にはあまり無い共通性である。
これは、以前であれば問題は無かったのかもしれない。そのプライドに見合った学力・努力・精神があるため、多少のわんぱくは許容されていた。しかし、その驕りはそのままに、学力と精神だけが落ちてきているのではないか。
驕り高ぶっている人を見ると「慶応っぽいな」と思う。そしてそれが当たっていることが多い。
つまり、「英語はある程度できるんだけれども、海外留学できるほどではなく、他の科目はよくわからない。でも人からはすごいねと承認されたい」という人には「慶応」というブランドは魅力的なものに映るらしいのだ。特に今の子どもたちの親よりも少し上の世代や祖父母世代にとってはそうだ。少子化もあるのかもしれない。
慶応というブランドを作り上げてきた人たちが少なくなってしまい、ブランドへのフリーライダーの数が閾値を越えてしまったのかもしれない。ブランドが食い尽くされたように思う。
随分前からジョークとして「おれ、ケーオー!」などのように少し小馬鹿にされてネタとして使われることがあったが、徐々に「おれ、ケーオー!」しか無いのではないか、と思うようになってきた。
見ていてこちらの方が恥ずかしくなる。
今はまだいいのかもしれないが、そのうち「慶応か……慶応は英語ができるだけで無知なんだよな……プライドは高いし……」とされて、他の私立大学にその座をドンドン奪われるのではないかと思う。
「1万円札だけが好きな人が行く大学」のようになっているようで、福沢諭吉先生が好きな自分としては残念な気持ちだ。
もちろん、自分のことをルサンチマンや学歴コンプレックス保持者だと笑ってもよい。そういうところも、慶応っぽいのだし。
https://passnavi.obunsha.co.jp/univ/2370/subject
https://www.keio.ac.jp/ja/admissions/docs/tokuten2023.pdf
合格最低点: 205(58.5%)
合格最低点: 266(63.3%)
合格最低点: 247(61.7%)
省略
合格最低点: 290(58%)
合格最低点: 257(64.2%)
合格最低点: 246(61.5%)
合格最低点: 294(58.8%)
合格最低点: 169(48.2%)
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
文章学習させるときに、ランダムでマスクかけて穴埋めできるように学習させるのだから、そういう問題は解けるのはわかる。
でも文章を理解しているわけでもない。数字計算も理解してない。物理法則も理解してない。
「今は出来ないけど将来出来るようになる」とよく言われるけど、これが今の延長で出来ることなのかどうかわからん。
単に精度の問題だと出来るようになるのだろう。
でも今の延長で出来ないこともあるはずだ。
コンピュータやネットのデータ内で処理出来るのは、AIで出来るようになるのはわかる。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。