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はてなキーワード: 初版とは

2020-05-31

東大法学部で読むように言われた塩野宏の本がつまらなかった

 『行政法I 行政法総論』(有斐閣初版1991年・第6版2015年

行政法II 行政救済法』(有斐閣初版1991年・第6版2019年

    行政法学者塩野宏時代昭和時代の全盛期に行政法の分野で活躍しているが、その時代の結果を形式的にまとめただけの上記参考書

いわばババアパンツであって若い学生にとって死ぬほどつまらないものであり、読むに堪えなかった。

  他に行政法の分野で昭和時代活躍したのは、藤田宙靖最高裁判所判事などがいるが、いずれにしても平成時代において、昭和時代における

行政法の華々しい進展を学生向けに公開している教授もいないし、それだけの人格もない

2020-05-17

anond:20200517143210

いちおう先行して通学再開するから初版鑑みて大阪市内高校が、大学進学や高校受験で有利になった場合ペナルティーはないが

不利になってもそれは個人責任ということで、いいんだよね?通学再開したから不利になるということはないもんね。

2020-05-10

スネ夫兄弟を40人挙げないと出られない部屋

今34人までリストアップしたんだけど、残り6人が分からない。

2010年くらいまでのイミダス初版には全部載ってたはずなので、持ってる人は教えて欲しい。

2020-04-19

anond:20200419231943

そんで、保険料が3万を超える年収のやつにとって3万というがくそのもの問題にならないから、問題になってない。

それ以外の部分がどうか?っていうはなしで 初版鑑みて 今の制度のほうが良いというそれだけ

2020-03-24

anond:20200324082137

でも実際売れてないわけですが…

追悼ショップ転売厨が爆死、カフェは予約入ってる気配ない、映画なんかもう無理だろ。

恐らく売れようが売れまいがライセンス料は入るだろうから作者は儲けただろうけど、周囲は赤字じゃね?

書籍初版部数によるだろうけど、この分だと大量に刷ってそうだよな。捌けるのか?

2020-03-11

anond:20200311145807

でも一巻が紙で売れてなくて電子で売れてるってことは、

二巻を出してもやっぱり紙が売れなくて電子が売れるってことじゃん。

二巻の初版部数に電子売上を加味するかって言うとしないでしょ。

2020-02-25

中国新型コロナウイルス治療ガイドライン進化概要

中国では新型冠状病毒肺炎诊疗方案(试行第六版)つまり新型コロナウイルス肺炎の診断と治療計画短期間の間に6回バージョンアップして公開しています

最新は2月19日リリースされました。

全文翻訳しませんが、5から6でどのような修正があったのかをまとめた資料がありますので、それを日本語にしてみました。

急いで翻訳したので、日本語おかしいところもあるかと思いますがご容赦ください。





新型コロナウイルス肺炎の診断と治療計画Version 6)

2020年2月19日に、中国国家保健衛生委員会は「新型コロナウイルス肺炎の診断と治療計画Version 6)」(以下「Ver.6」と呼びます)を発行しました。

I.感染

感染経路が「咳やくしゃみなどの飛沫感染接触感染が主な感染経路」から飛沫感染と密着接触感染が主な感染経路」に変更されました。「接触」の前に「密着」という言葉が追加されました。

また、「比較的閉鎖された環境高濃度エアロゾルに長時間さらされると、エアロゾル感染する可能性」を追加しました。

II.臨床症状

重症患者では、「急性呼吸窮迫症候群(ARDS)、敗血症性ショック、治療が困難な代謝性アシドーシス、凝固機能不全に急速に進行する」ことに加えて、「多臓器不全」も発生します。

臨床検査では、「核酸検出の陽性率を高めるために、できるだけ患者気管挿管を行って下気道分泌物を採取し、採取後できるだけ早く検査に送ることが推奨される」と強調しました。

III.診断基準

Ver.6は、湖北省湖北省外の他の州との区別排除しました。新しく「疑わしい症例」と「確認された症例」の2つのカテゴリに分類されます

「疑わしい症例」には2つあります。 1つ目は、「疫学歴のいずれか1つを持ち、臨床症状のいずれか2つを満たす(発熱および/または呼吸器症状;

上記肺炎画像特性を有する;疾患の初期段階の白血球の総数は正常または減少し、リンパ球数が減少する)。

2つ目は「明確な疫学歴がなく、3つの臨床症状に適合している(発熱および/または呼吸器症状;肺炎の前述の画像特性を伴う;疾患の初期段階における白血球の総数は正常または減少、リンパ球数減少)。

Ⅳ. 臨床分類

依然として「軽度、中等度、重症重篤」に分類され、動脈酸素分圧(PaO2)/酸素濃度(FiO2)≤300mmHg(1mmHg = 0.133kPa)および肺の画像で病変が2448時間以内に50%以上進行している場合重症になります

高度1000メートル以上の場所では PaO2 / FiO2は、次の式に従って修正してください。:PaO2 / FiO2 [[大気圧(mmHg)/ 760] "。]

Ⅴ. 識別診断

軽度感染症と新型コロナウイルス肺炎識別必要です。

まり新型コロナウイルス感染症の軽度の症状は、他のウイルスによって引き起こされる他の呼吸器感染症と区別する必要があります。新しいコロナウイルス肺炎は、主にインフルエンザウイルスアデノウイルス、呼吸器合胞体ウイルスおよびマイコプラズマ肺炎感染症などの他の既知のウイルス肺炎区別される必要があり疑わしい症例は、可能な限り、一般的な呼吸器病原体を検出するための迅速な抗原検出やマルチプレックスPCR核酸検出などの方法テストする必要があります

Ⅵ. 症例報告

湖北省における臨床診断症例処遇要請について”を削除します。

“疑似症例基準は削除し、疑い例の隔離解除の基準は“隔離解除基準”と一致させました。

Ⅶ. 治療方法

1. 病状により治療場所を決定する。“疑い例と確定症例”を前バージョンから削除し、“適切な隔離条件と保護条件を備えた指定病院隔離治療を行うべきであり、確定した症例は多くの人が同じ病室で治療することができる。”に変更しました。

2. 抗ウイルス療法:薬剤を試験的に削除。“現在有効な抗新型コロナウイルス治療法は確認されていない。”と、するとともに、追加でリン酸ロロキン(成人500mg,1日2回)とアビドール(成人200mg,1日3回)”を追加しました。

リバビリンインターフェロンまたはロピナビル/リトナビルとの併用が推奨される。治験薬の投与期間はいずれも10日以内である。臨床応用において現在試用している薬物の治療効果を更に評価することを提案する。

3種類以上の抗ウイルス薬を同時に使用することは推奨されず、重篤な毒性、副作用が現れた場合使用を中止すべきである

3. 重症重篤病例の治療。“回復血漿療法”を追加し、進行の速い患者重症患者、および重症患者に推奨する。用法用量については《回復血漿療法(初版)》を参照すること。

4. その他の治療措置:高炎症反応の危篤患者に対し、“条件付きで体外血液浄化技術の利用が考えられる。”を“血漿交換、吸着、灌流、血液/血漿濾過などの体外血液浄化技術使用が条件的に考えられる。”に修正した。

5. 漢方医治療について。患者に対する治療観察を通じ、全国各地の漢方医診療方案をまとめて分析し、各地の漢方医治療経験を整理し、有効な処方を選択した上で、すでに印刷・配布した《新型コロナウイルス感染肺炎に対する中西医結合医療の推奨“清肺排毒湯”の使用に関するお知らせ》、《新型コロナウイルス肺炎重症重症病例の診療方針(第二版)》と《新型コロナウイルス肺炎の軽度、普通型の病例管理規則》などを総合し、《新型コロナウイルス肺炎治療計画(Ver.5)》に対して調整と補充を行った。前の版に引き続き疾病の全過程を分け、漢方医治療医学観察期と臨床治療期(確定症例)に分け、臨床治療期を軽度、中等度、重症重篤回復期に分けた。漢方製剤は医学的観察期間に推奨される。臨床治療期に普遍的処方“清肺排毒湯”を推薦し、そしてそれぞれ軽度、中等度、重症重篤回復期に臨床表現、推薦処方及び投与量、服用方法の三つの方面から説明を行った。同時に、計画重症重篤症例向け中成薬(漢方注射剤を含む)に適用する具体的な用法追記する。各地は病状、現地の気候特徴および異なる体質などの情況により、推薦した計画を参照し、弁証論治を行う。

Ⅷ. 隔離解除と退院後の注意事項

隔離解除の基準は以下の4つの条件を満たす必要がある:

1.平熱に戻って3日以上;

2.呼吸器症状が明らかに好転;

3.肺部画像が急性滲出性病変が明らかに好転したことを示す;

4.連続二回の気道標核酸検査で陰性(少なくとも間1日は空けて);


追加で“退院後の注意事項”を増やす

1.指定病院患者居住地の基層医療機関との連絡をしっかり行い、カルテ資料を共有し、速やかに退院患者情報患者管轄区或いは居住地住民委員会と基層医療衛生機関に送る。

2.患者退院した後、回復期には機体の免疫機能が低下し、その他の病原体感染するリスクがあるため、14日間の自己健康状況の監視測定を続けることを提案し、マスクを着用し、条件が整った風通しの良い個室に居住し、家族との近距離の密接な接触を減少し、食事を分け、手を衛生的に保ち、外出活動を避ける。

3.退院後2週目、4週目のフォローアップ、再診を勧める。

2020-02-16

古今伝授ウイルス

思うところあって中屋敷均『ウイルスは生きている』を再読。走り読みなので細部までは目が行き届いていないが、これを読んだ時に受け取った熱を思い出した。2016年3月初版発行からそう経たぬうちに読んだと思うが、今は随分ここから遠くに来た気がする。本書が今の自分とは縁遠いものという意味ではなく、寧ろ逆にずっと俺の心を捉えて離さなかった。自分世界認識に深く影響を与えた(与えている)ので、もっとずっと昔から自分の中にあったように感じていたが、たった4年前のことなのか。

思うところが何かを明確に言語化するのは難しいが、

古今伝授を真に理解するためには、それが中世社会特質と深く関わっていることを考えなければならない(古今伝授和歌という縦糸だけで説明しようとするからダメなんだ。中世という横糸を忘れている)。中世は壮大なコジツケの体系が構築された時代神仏習合本地垂迹説・卜部神道中世日本紀等々…の奇妙奇天烈世界観!古今伝授もその一環として見るべきではないか。コジツケと言われればそうだけど、それはその時代の人々にとってとても必要なコジツケだったのだ、という。もし積極的な意義を見出すのならその方向から説明しなければならないのだ。(古今伝授を受けた天皇を中心に優れた歌人が輩出された、だから歌学教育として意味があったとかバカか。優れた和歌とは何かという定義評価軸じたいが古今伝授支配圏内形成されるのだから、優れてるかどうかを論じること自体ナンセンス。)

古今伝授古今伝授になっていく過程、つまり古今集という単なる書物が、あるいは勅撰集編纂という律令制国家の一事業が、その枠を超えた何か大きな・尊い民族文化の精髄のように認識されていくそ過程において、付与された様々な言説――三木三鳥だの八雲神詠だの人麻呂がなんちゃらかんちゃら、後世から荒唐無稽とさんざ罵倒されることになるこれらの言説は、あたか胎盤形成におけるシンシチン(syncytin)のような役割果たしていた、と考えることはできないのか。異物を異物と感じさせない、捏造捏造と感じさせない仕掛け。それは、倫理的断罪とか文化価値の優劣の俎上に乗せるのはふさわしくなく、その仕掛けを通じて何が実現されたか、その何かはその仕掛けを用いずには実現され得なかったのか、をこそ見るべきではないのか。

本来ウイルスもつ能力自己の一部として、機能として取り込む。生物自己の維持に必要機能の一部を外部環境依存する。ポータブル外部環境としての細胞生命と非生命境界は我々が思っているほど明確に線引きできるようなものではない。我々の生命定義は、あまりにも我々が日常的に馴れ親しんだもの見方に、「個人」という概念にひきずられてやしないか・・・というのが本書の示唆するものの最も深い所だ。

契沖や子規の批判は分かる。俺も一個人としては古今伝授(に代表されるもったいぶったコジツケ家)はバカジャネーノと思う。が同時に、それは文化・知・個人といったものについてこっちの定義/概念押し付けてるだけじゃないの?とも思う。

根拠がない、合理的でない、和歌質的向上につながっていない、という。では何故根拠がなければならないのか?合理的でなければならないのか?なぜ質を向上させなければならないのか?

これらの批判は、文化とは何か、個人とは何かについての定義をすでに前提にしていて、その立場から加えられている(反論する側(古今伝授擁護する側)にもその立場から反論するやつがいからどうしようもない)。まず始めに個人がある、歌は個人気持ちを詠むものだ、しかるにコレコレの御方に入門しなければ和歌は詠めないのだとはけしからんしかもその御方の教えたるやひたすらややこしい制約ばかり、かつ透明性のかけらもない、おまけにそう教える根拠はどこにあるかと探してみれば無い、要はこいつがでっち上げた妄説じゃねえか、それで偉ぶったり金巻き上げたりするなんて悪どい奴らだ・・・、こういう自他の区別、新旧の区別、真偽の判別をつけずにはいられない、ある意味病的な正義感いかにも科学合理性に偏っている。

しかし、それとは全く異なる評価軸があって、古今伝授は(中世の壮大なコジツケ志向は)その軸からみればもっとずっと整合的に理解できるはずだ。

本書の示唆する構造は、外来文化自家薬籠中の物にする日本文化性質(漢字仏教等々)、中世の遺制としての近世身分制(身分的周縁論)、象徴天皇制(近代国民国家の中の「伝統」)などに比較してみると実に都合がいい。

本来異質な要素を自己の維持に不可欠な一部として取り込み、その「元異質たち」も含めた全体として再生産されていく。あるいは新しい政権が成立する際に、それ以前からあったが途絶えかかっていた慣習を改めて制度化し流用する。取り込まれた方は同一性が失われ単なる機能に解消されてしまことなく、細胞異変があれば細胞生物独立した生物としての振る舞いを取り戻すこともあり得る(少なくともあり得ると見なされる。226事件を想起せよ)。天皇機関説ならぬ天皇ミトコンドリア説。

文化じたいが多かれ少なかれこういう性質を持っているのだが、特に日本はその傾向が顕著というか、世界中に普遍的にみられる文化現象の一例というだけでは説明のつかない点が多い。(なぜ先端技術の粋を凝らした構造物を建てる前に、土地の霊を鎮めるための宗教儀礼をやるのか?なぜ参加者は誰もその宗教信者でないのか?わけがからない。)こういう部分を説明するうえで本書の示唆する構造は役に立つ。その応用系として、古今伝授についても似たようなことが云えるのではないか

2020-02-05

博士号持ちタクシー運転手の小話の起源

毎日新聞空いたポストは若手に…「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望を読んだ。可哀想だなと思ったが、ふと、あまり関係ないが、博士号持ちタクシー運転手の小話を思い出した。曰く、アメリカでは博士号持ちが多すぎて、大学教員になれずにタクシー運転手をしている人もざらだという。

しかし、この小話はどこが初出なのだろうか。漠然と1970-80年代ぐらいのアメリカの話だろうと思っていたが、最近、おそらく初出と思われる文章出会った。

If I took a taxi in New York, I would often find that the driver was a Ph.D., who would start arguing about philosophy at imminent risk to himself and me.

この文章バートランド・ラッセルの The Impact of Science on Societyからのもので、驚くなかれ1951年初版なのであるもっと仮定過去で書かれているので、タクシー運転手にも博士号持ちがいると思わせるくらい、アメリカ教育環境は恵まれている、と言いたいのだろうが。

万が一、アメリカの話とはいえ1950年代から博士漂流問題存在していたとしたら、ちょっとやりきれない。

2020-01-24

自称読書オタクこんまり書籍断捨離を叩く謎

またTwitterに出てきた。「こんまりは本を捨てろと言うから本読みの敵だ」と盛り上がってる人達こんまり叩く暇があったら本読めばいいのに。

彼らがこんまりを叩くのが甚だ謎。本をたくさん持っていたいと言う気持ちこんまりの考えは全く矛盾しない。なのにどうしてあんなに吹き上がるものか。

こんまりは確かに本の捨て方について語っている。他のものと同様、触れてときめかなくなったら捨て時だと言っている。でもそれは、本好きの人に本を捨てることを命じるものではない。

こんまりの本にはこう書いてある。「人それぞれ思い入れのある物は異なる。私も他人から見ればただのゴミに見える古いTシャツを捨てられない。ときめくならば捨てなくて良い。」。普通に書いてある。当たり前に書いてある。袋とじにもなってない。初版から書いてある。

捨て方のわからないものこんまり教義に従って、捨てたくないものは持っていればいいのだ。

こんまりの本には服の捨て方が書いてある。化粧品の捨て方も書いてある。しかし服を好きな人こんまりを叩かない。化粧品好きな人こんまりを叩かない。「こんまりは我々の敵」と大騒ぎしているのは本好きだけだ。

本を読むのが好きだと自称している人が、こんまりの本をろくに読もせずにこんまりを叩いている。活字を見ると落ち着くの。と言っている人たちが、ネット仕入れ曖昧イメージをもとにこんまりを叩いている。

自分の知らないことを知りたい」と抜かしながら、彼らが本当にしたいのは自分価値観の裏づけなのだこんまりを叩く本が出版されたら、彼らはきっと持ち上げるだろう。例えそれがこんまり反語で称賛するものだとしても気付かない。彼らは自分意見に沿った活字を求めているだけなんだから

2020-01-18

anond:20200118025021

10巻になるまえまでは初版で読んでるよ

でも五月雨式すぎて結末読んだかさえ覚えてない

登場人数が多いのなら最近だと天冥の標がもうね・・だった

2019-12-11

anond:20191211134560

営利目的書物日本出版されたのは寛永年間(17世紀前半)の京都からまり、貞享2年(1685年)に刊行された書物は約6千種になり(『新訂総合国語便覧』 第一学習改訂281998年 (初版78年) p69)、17世紀末になると京都では1万点近く発行された。

ということなので東海道中膝栗毛ではないだろう。

あと写本の購入についても(源氏物語の例だが)

室町時代中期以降には地方権力者源氏物語の写本を持つことを欲し、没落したり財政的に困窮した京都公家から貴重な古写本を譲り受けたり、地方権力者の注文に応じて写本が作成されるといった事例も生じるようになる。

らしいか枕草子の購入もありえないとは言い切れないのでは。

2019-11-28

anond:20191128194332

https://kotobank.jp/word/%E5%B7%BB%E6%88%BB-2083400

① 巻いてもとの状態にもどす。まきかえす。〔和英語林集成初版)(1867)〕

内地雑居未来之夢(1886)〈坪内逍遙〉五「娘は落たりし手紙を拾ひて、そっと巻戻(マキモド)して、六七行文の中程をよみたりしが」

② 奪い返す。他人の手に渡っていたものなどを取りもどす。

人情本明烏後正夢(1821‐24)初「あとで後(うしろ)の見られぬ工風、そのうへ金は巻(マキ)もどし、丸くまとまる百両は、フンこうと」

2019-11-27

anond:20191127190650

ONE PIECE1997年

HUNTER×HUNTER1998年

テニスの王子様1999年

NARUTO -ナルト-1999年

このあたり初版100万部超えたの2000年代でしょ。

ちなみにONE PIECE初版が史上最多を記録したのは2010年代に入ってから

80年代後半連載開始のジャンプ黄金期の連載陣が初版100万部を超えたのも90年代に入ってからだろう。

ざっくりで70年代1作品80年代5作品90年代7作品00年代6作品10年代3作品くらいと見るべき。

で、90年代半ば連載開始組は暗黒期でるろ剣くらいしかいないし、00年代後半から10年代前半はワンピナルトブリーチ三本柱が盤石で新連載があまり出てこなかった時期。

まりコミックスの売上どうこう以前にラインナップにムラがある。

まあ景気低迷や少子化による「単調減少」はあるとしても、ジャンプ本誌の事情がかなり大きいってこった。

いずれにせよ、元増田の「昔は雑魚でも100万部くらいは出てた」みたいな書きぶりはどう転んでも言い過ぎでしょ。

anond:20191127144123

ブコメにあったwikipedia見てみたけど

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#%E5%88%9D%E7%89%88%E7%99%BA%E8%A1%8C%E9%83%A8%E6%95%B0%E3%81%A7100%E4%B8%87%E9%83%A8%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%82%92%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7

初版100万部超えは80年代は9作品90年代は7作品あるのに10年代暗殺教室と鬼滅の2作品だけ(恐らく)、って辺り

漫画が売れなくなった」のは事実やん。

(これはジャンプだけなのでジャンプ以外は売れてるかもしれないが。多分売れてないだろうけど)

あと巻割だと途中で人気落ちてグダグダになって打ち切り、って作品場合

売上落ちた後の巻も含めるから平均数は最盛期より落ちて当たり前だしな。

んで(言っちゃ悪いけど)鬼滅って今がまさに最盛期だろ恐らく。アニメも終わったし。

それでも初版100万部程度なんだなと。

鬼滅の刃腐向け…?

・腐の購買力だけで初版100万部は無理

・今、男児が○○の呼吸とかを真似している

ヤンキー(?)も読んでる↓こんな感じのやつ

https://www.youtube.com/watch?v=ljcVF-MvbLM

単行本4巻は冨樫義博、5巻は秋本治10巻は奈須きのこが帯コメント

鬼滅の刃スピンオフ外伝を描いているBOZEBEATSの平野稜二も鬼滅ファン

鬼滅の刃の炭治郎役声優主人公になる前から鬼滅ファン

めちゃくちゃ広く刺さってる。ONE PIECEクラスではないけど暗殺教室クラスの当たりではある。

鬼滅の刃、品薄レベルで売れまくってると聞いたけどそれでも初版100万なのか

電子もあるとは言え、漫画売れなくなったよなあ

昔はジャンプのヒット作つったら100万なんて当たり前じゃなかった?

速攻重版されるかもしれないが

2019-11-03

「すぐ打ち切る」のは悪なのか?

この前、「すぐ打ち切る出版社はクソ。作品を想うならもっと続けてから判断しろ」というような意見ツイッターで見かけた。

流行りのWEB小説書籍化という流れで、1巻の売上が芳しくなく続刊が打ち切られたパターンだったと記憶している。

別に打ち切り作家八つ当たりはよくある話なのだが、俺が暇なので分析する。ブログでやってもいいんだけど、割とテキトーからここでいいや。あとなげーし。


なお、打ち切りにも数種類の理由があるが……作家女子高生に手を出したとか、レ〇プ描写で連載が続けられなくなったとか、そういうのは排除

「売れなかったか打ち切り」という場合についてだけピックアップする。

あと、ジャンプみたいに「人気がないと打ち切り」ってのも除外。アンケ至上主義は実は特殊で、ほとんどの出版社は売上で打ち切るか判断している。

人気があるから売れるというナイーブな考えは捨てろ。最近ジャンプですら懐疑的になってきたのがアンケ至上主義ってやつだ。

さてさて、「すぐに打ち切る」というものは悪なのか、という問題だ。ここからは真面目に書く。

仮に悪だったとして、打ち切りは、「誰に対する悪なのか」という部分を考える。

まず、「出版社にとって悪」かというとYESでありNOだ。

会社員作品を打ち切っても給料が出る、直接的に生活に響くわけではない。不公平だ」という論法をよく聞く。

これはかなり偏った見方だ。まるで出版社冷血な売上主義者で、作家を駒のようにしか考えていなくて、創作者を鵜飼いの鵜に過ぎないと小馬鹿にしているようにすら聞こえる。

だが仮にそうだとしても、だ。打ち切り出版社にとっても手痛い。

ある程度売れる見込みがあったからわざわざ編集作家コミュニケーションを取り、内容を読み、校正部によって校正がなされ、デザイナーパッケージを作り、印刷所が刷り、取次が配本し、書店が売るのだ。

電子書籍だって手軽に見えて、コストとしてはかなりのものだ。

そんな初期投資が「売れなかった」という理由で全部おじゃんになるのだから、当然「打ち切り」とは即ち「損」となる。

よって、冷血なる出版社様にとって打ち切りは悪だ。「損」は「企業」にとっての絶対悪からだ。

だが悪ではない面もある。

初期投資が回収できなかったとしても、売れない作品を続けて赤字を垂れ流すよりはずっとマシだからだ。

作品を打ち切れる自由」は出版社側に担保されているべきものだ。

多用なジャンルの本を作るのも、出版物を多くだすのも、返本制度を利用するのも、立派なリスクヘッジだ。

打ち切り可能」というのも、そのリスクヘッジ重要一角である

あらゆる点で、出版社というのは「作品が売れない」ことでダメージが受けないように工夫をしているのである。そうじゃなかったら怖くて誰も本なんか出せない。

「多くの作品が売れないのは問題だが、1本の作品が売れなかった程度で揺らぐ」ということはない。それを支えているのは「打ち切り」だ。

「売れない作品を、作家がNOと言えばコストを支払ってでも続けなければならない」という慣習が基本的にないことは、実はものすごく健全ことなのだ。

付記:上の文章作品を完全に商品としてとらえていて、作品に対しての情や尊敬が全くないように見えるが、

そもそも「情」や「尊敬」なんてのはあるのが前提のもので、「特定作品特別好き」でなければ仕事をしない編集など出版人失格だということは抑えておいてほしい。

面白いと思ったか出版するのだ。売れると思ったか出版するのだ。社会人として可能な限りの努力をした上で売れなかったから、打ち切るのだ。

まあ純粋クズもいるけど。人間からね。

次に「打ち切り」が「読者に対する悪」かというとNOだ。

何故なら売れていない作品というのは、それを商品として欲しがる人間が少ないということ。

だったらその作品を続ける労力を売れる作品=読者が欲しい作品に回した方が多くの人を幸せにできる。

かに好みの作品が打ち切られてしまうのは悲しい。

正直、続きが見たかった作品が打ち切られたら出版社を恨む。キャラクター達の行く末をずっと見ていたかったのに!と怒り狂う。

だが、そこはその分の労力を作家編集も「よりレベルの高い好みの作品」を提供するための準備であると割り切るのが互いにとって一番いいと思う。

とはいえ権利だけ抑えてWEBから作品削除させて続き打ち切るようなのはマジ許せんがな!うおお!

ここを書きだすと原稿用紙100枚くらいになるからやめることにする。

さて。最後に、「作家に対する悪」なのか。これが本題だ。

実はこれ、明確にNOと言いたい。

暖かい理由と、冷たい理由がある。

冷たい言葉から言う。

「売れないものしか作れないのに人生を浪費するな」という言葉だ。

実は本が売れないと、作家生活できないのだ。「知っとるわ」と言われるかもしれない。

だが、原稿料は、安い。本当に安い。原稿料だけでは食っていけない。

なろうのようなWEB小説をまとめて単行本化するものに関しては、そもそも原稿料というものすらない。

からこそ印税がある。印税があるから作家は食っていける。いや、大体の作家が食っていけない。だから兼業だったりバイトをしていたりする。

根本的に、

出版社が採算のとれる売上<作家の食っていける売上

なのだ。実は、金額という意味だと作家出版社の最低目標釣り合っていない。

初版2万部の本を1000円で刷るとする。これ、今の大抵の出版社にとっては悪くない話である全然採算がとれる。(初歩の話をすると、出版は「刷った段階で」、その分の「刷った部数だけ」売上と印税出版社作家に発生する)

だが、作家はそうも言えない。印税10%だとして、200万円しか収入がないことになる。(かなり単純な計算だが論点がズレるのでカットする。そもそもみんな10印税もらえてるんですかね……)

からこそ作家業というのは割に合わない。ものすごく残酷なことを言うと、打ち切りレベル作家、そして打ち切りラインとまではいかないまでも、

なんとか食らいついていけるレベル作家は、早めに諦めた方が人生有益にする可能性が高い。価値観は人それぞれだが……

暖かい言葉は、「次の執筆のために早めに損切ができたね」という言葉だ。

実はダラダラ続けた場合の方が、作家にとってダメージデカいのだ。

大きな前提がある。

『ありとあらゆる作品は、同じタイトルである限り1巻が一番売れる』

これは絶対だ。例外はない。あったとしても、マジで例外中の例外サンプルにするべきではない。

作品の売上は、どんなに売れる作品でも絶対に1巻を先に逓減していく。

から「1巻2巻が全然売れなくても、打ち切らないでくれ。続ければ売れるかもしれないだろ」という話は、まず破綻している。

もちろん、例えば続けているうちに時事ネタと噛み合ったとか、SNSでバズったとか、そういう意味で続けている途中で「1巻から」売れることはある。

だが、そんな「続けているうちに売れた」とか言える程度の時間が確保できている時点で、速攻打ち切られる作品よりずっと多くの売上は叩きだしていたということは覚えておいてほしい。

要するに、「続けたら売れる可能性がある」なんてのは初めから全ての作品の前提に入っていて、その上で見込みなしだという最低ラインを割ったと判断されたから打ち切るのだ。

加える。

初版を決める上で重要なのは出版社ではなく数字しか判断材料にしない取次」

「取次と出版社はほぼ全ての出版社の出す本の売上を共有している」

これは、まあ最近は知れ渡っている話なので別に細かく説明することはないだろう。

だが、もう一つの事実がある。それは「取次は最新刊データを元に交渉をする」ということである

上の二つを組み合わせて、「最初の方売れなかったけど打ち切らず続けた場合」どうなるか、ということを考えてみる。


『2万部の本を刷った。だが20しか売れなかった。よって取次と出版社会議の結果、2巻は刷り部数を減らし6000部で出すことにした。

2巻、6000部のうち10しか売れなかった。しかし、打ち切らずに3巻は3000部で出すことにした。

3000部のうち、8%しか売れなかった。しかし、打ち切らずに4巻を出すことにした。部数は1000部……3%しか売れなかった』


上の流れを経た後、例えば別の出版社企画をやろうとするとしよう。すると、取次的に見るデータはこうなる。


1000部刷って、売上率は3%』


散々な数字だ。ちなみに上の数字はかなり極端に書いている。1000部の本とか紙代や印刷代すらペイできないから、まず刷ることはないし、%もかなり適当だ。

さて、話は戻るが売上率というのは、刷り部数が少ないと減るのだ。

書店そもそも並ばないのだから露出も減るためである

上の事例を経た作家が次の作品を出す、となった時起こる事態はこうだ。

出版社的にも、次の作品を出すとき企画立案する時、「でも1000部刷って3%の売上しか出てないけど今度は売れるの?」という追求を躱さなければならない』

『そして、取次はもっとシビアに、最新の数字だけを見て、そもそも初版を刷ることを許してくれない』


長くなったが、要するに「残念な数字を残すくらいなら傷が浅いうちに撤退した方が次に繋がる」構造なのだ

よって、「早めの打ち切り判断」は実は作家のためでもある。


おっと、賢明な人なら気づくだろう。「でもそれって電子書籍版の売上が入らないよね?」と。

説明すると長くなるから、この場では結論だけ書く。

「8割方、電子版の売上は打ち切り判断プラス材料にならない。何故ならほとんどの出版社には、各ストアの電子売上を合算しデータとして参照できる能力がないから」

これは怠慢というよりも、現状の電子書籍ストアと出版社の、さらに言うなら業界全体のシステマチック問題で、解決するには多大なコストがかかる。言いたいことはあるだろうが、すぐには是正できなさそうだ。


長文になってしまったが、「打ち切り」には多くの事情が絡んでいることが分かったと思う。

打ち切り」そのものは、残念なものだ。できれば、そうならないでほしい。

出版社努力不足、作家努力不足、書店努力不足。言い始めたらキリがない。

でも、過去に打ち切られた作品ケアよりも、未来を見据えて新しい作品を創る方が、現環境には見合っているように思える。

作品にとっては悲しいことだが、逆に言うと売れない作品キャラクターと話に縋らないといけないのなら、それは商業作家ではない。残酷ながら。

書きたいものだけ書いていたいなら、同人誌でやるなり、それこそなろうにでも再び投稿して、自分を満たしていけばいいと考えている。

(本当、権利だけ持っていくのやめてほしいんだけどね)




長々と雑に書いちまったけど俺の持論は、「打ち切りは悪ではない」だ。おっぱい

2019-09-20

anond:20190920105823

やあ、フェミニズムを飯の種にしてる増田だよ。

まず最初に、こちフェミニスト業界では、昨今の性教育関連エントリの各所でのプチブームを、大変嬉しく思っていることをお伝えしておくよ。

本当は、性教育を語るには、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(性と生殖に関する健康権利から入らなきゃいけないんだけど、ちゃんと書くとそれだけで元田が眠くなるくらいの長い記事になるので、ここでは簡単に触れるだけにするよ。

セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(SRHR)とは、男性女性も、それ以外の性別の人も、同性愛者も異性愛者もそれ以外の性指向の人も、とにかくあらゆる人が性(性欲を満たすこと。以下、セックスとしよう)や生殖子どもを産み育てること、以下、出産育児としよう)に関して自分意思を持つことが許され、その意思尊重され、セックス出産育児についてのやり方を自分で決めることができる権利のことだ。

例えば、親や親戚、近所の人に「あん長男なんだから、はよ結婚して子ども産みなさいよー」って言われて無理やり見合い結婚させられるのは、SRHRの侵害だ。逆に、結婚して子どもを産み育てたいのに、「あんたには家事介護をして欲しいか結婚は許さない」とか、望まない妊娠(これ自体がまずSRHRの侵害だ)をした時に、産もうと決心した女性を無理やり中絶させたり、逆に中絶しようと思った女性法律や説得で無理やり出産させるのはSRHRの侵害だ。

セックス出産に関する体の部品男性なら主にペニス女性なら主に子宮)の使い方、政治家さんの好きな言葉を流用するなら「子どもを産む機械」は、持ち主である男女が自分意思自由に使い道や使い方(使わないことも含めて)を決める権利だ、と言ってもいいかな。

純潔も、淫乱も、本人の好きにすればいい。ただし、他人迷惑をかけない(他人の道具を相手同意を得ずに使わない)ことが条件だよ。ってことね。あと、好きに使うためのメンテ性感染症の予防や、妊娠出産に伴う医療リスクの軽減)ができる環境が、全ての人に与えられなければならない、っていうのが、SHRHの考え方だ。

そんでね、性教育っていうのは、この権利について学ぶ、人権教育なんよ。

元田も、多分これを読んでくれる多くの人も、日本で育っていれば性教育っていうのはほとんど受けたことがないと思う。保健体育でちょこっと生殖の仕組みについてやったり、性感染症について学んだり、あと女性なら初潮が来る頃に生理について学んで生理用品のサンプルもらうくらいかな。

でも、実はこれは国際的に見るとかなり遅れている。

国際的に、って言ったな。うん、言った。

実は、ユネスコが「性教育国際的ガイドライン」を出してるんだ。英語フランス語中国語などはここで見れるよ(これは2018年改訂版初版2008年に出されている)

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000260770

無料じゃないけど、日本語訳もあるよ。

https://www.akashi.co.jp/book/b297731.html

性教育は、「性の認知感情身体社会的な側面を学ぶこと」というのが、ユネスコ定義だよ。これは通称包括的性教育」と呼ばれる。

日本でやることは、あくま身体面の、生物学的な性(というか生殖)についての教育しかないんだよね。でも、「包括的性教育」では、自分他人の体の仕組みを学び、それに自信を持つことから他人尊重すること(ここには、シスヘテロでない少数派の人たちの多様性理解し、尊重することも含まれる)、自分他人感情理解尊重することなども含まれる。当然、セックスの前の合意確認の仕方や、嫌なら嫌と言っていい(むしろ言うべき)っていうことも教わる。

この手の問題になるとよく「セックス同意書ないと安心してセックスもできない」と言い出す人達がいるけど、その発言自体日本包括的性教育が欠けているということの証明になってるわけだね。(日本では性犯罪構成条件が難しすぎて現実的無罪になりやすい、というのは、それとはまた別の問題だ)

そう考えると、男子生理を含む「女性生殖器の特性について知ること」と、女子勃起射精を含む「男性生殖器の特性について知ること」は、表裏一体なんだ。

同時に、男女それぞれが自分生殖器について理解し、例えば男性なら「仮性包茎問題ない」とか、女性なら「生理の辛さには個人差があるから必要なら産婦人科に診てもらう」とか、知識を持ってきちんと自己管理することを学ぶのも、性教育の大切な意義だ。

さらにいうと、男女問わず子ども性的なパーツを触られた時に、「それは犯罪であり、拒否する/拒否できなかった(暴行された)時は、大人に報告するべきだ」という理解を持つことに持つことにもつながる。

実際のところ、未成年性的虐待っていうのは、当初は「子ども自身おかしいと気づけないから」表に出ないっていうことがすごく多い。たまたま性について学んだことがきっかけで、気づいて病院訪問するケースが、かなり多いそうだ。

さて、ユネスコ定義に戻ろう。性教育とは、「性の認知感情身体社会的な側面を学ぶこと」だったね。

元田のいう(1)は、「性の感情面の理解」という文脈に含まれる。これは明確だからいいよね。

(3)は、身体面と社会面になるかな。例えばテクノブレイク都市伝説だし、AV男優ペニスの形が違う(=包茎)も大抵は問題ないし、手マンは爪を切って手を洗ってからやらないと膣を傷つけて女性が大変なことになるし、潮吹きAV女優側が水とかいっぱい飲んで頑張って出してるもの普通は起きない。そういうことをきちんと知ったり、あとは「女性男性に従うもの、好きなら生でセックスさせて当然」みたいな社会的規範おかしいというのも、当然教える前提になる。

(4)は、身体面だね。マスターベーション普通だし、テクノブレイクなんて存在しないし、女性だってオナニーしていい。オナニーって言い方がなんかやだったらセルフプレジャーって言おう、みたいな。

(5)は、社会面認知面かな。恋愛工学なんて典型的認知の歪み(自己中心性バイアス投影バイアス、多集団同質性バイアスあたりか)に基づく行動原理だしね。

さて、問題は(2)なんだけど、これは典型的権利自由)に関する問題だ。

日本人は自由を「無制限に好き勝手する権利」と考えがちなんだけど、実は自由というのは、近代では「他人迷惑をかけない範囲で、自分の好き勝手をする権利バカなことも含む)」だと定義されている。フランス人権宣言第4条とか、ジョン・スチュアート・ミル自由論とかが、この辺の定義として著名なソースだね。

そこに基づいて考えると、「他人自由を害さなければ、好きにセックスしたりオナニーしたりしていい」し、逆に「他人自由を害するならば、セックスオナニーをしてはならない」ってことになる。

こういう部分は当然、包括的性教育にも含まれるわけだけど、それ以前に「社会生活をする人間としての常識」なんだよね。

たとえば私は「SRHRは最終的にはKKOインセルも救うことを目的としている」と思っているんだけど、それは「KKOインセルに彼らの望む可愛い恋人をあてがう」という形では実現し得ない。なぜなら、それは「恋人としてあてがわれる個人」の自由侵害してしまうからだ。他人自由侵害する自由は、存在しないのだ。

彼らを救うには、「モテないことが悪いことではない」という認知を全ての人が持つように働きかけることや、相手感情理解合意の取り方を知ることで交際入り口をなだらかにすること、同時に他人尊重し、断る権利・断られたら(少なくともその時は)諦める責任を腹落ちしてもらうこと、などが必要だろう。

これらは全部、包括的性教育カリキュラムに含まれものでもある。

包括的性教育は、男性の性欲を管理するだけのものでも、女性の性欲を解放するだけのものでもない。これまで、日本を含む多くの社会男性の性欲に寛容・女性の性欲に抑圧的であったがために、一見そう見えるけれども、本来は「あらゆる人が、自分セックス出産育児について、自分決断できるようなライフスキルを身につけること」なんだ。

から増田意識しているものは当然のように含まれるけれど一部でしかない、ということと、そういうことを教えるためのノウハウ欧米諸国を中心にすごく普及しているよ、ということを伝えたくて、長々と書いちゃったよ。

本当は日本女性のSRHR、特にヘルスではなくライツの部分が世界でもかなりやばい状況にあるとか、そういう話もしたいんだけど、若干オフトピックなので今回はぐっと我慢するよ。

2019-09-18

くどい

ダール - Wikipedia

ダールヒンディー語:दाल/ウルドゥー語:دال dāl/マラーティー語:डाळ ḍāḷ/カンナダ語:ಬೇಳೆ bēḷe/マラヤーラム語:പരിപ്പ് parippu/タミル語:பருப்பு paruppu/テルグ語:పప్పు pappu/オリヤー語 : ଡାଲି ḍāli)、またはダルネパール語:दाल dāl/ベンガル語:ডাল dāl)とは、剥いた小粒の

でようやく本文。

左下メニューの他言語版では、くどさのかけらもなく簡潔な感じ。(ブラウザ翻訳ボタンぽちぽち


初版からくどかった模様。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB&oldid=30161325

直後に微調整的な意味でふたつ追加。初期の段階ですでに完成されていたと言っていい。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB&diff=30161502&oldid=30161325

ささいな編集はあるものの、くどさをそのままに6年と少しの歳月を経る。

アカウントの方が前任の意志を受け継いでちょっと追加。磨きがかかる。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB&diff=59855705&oldid=57558037


wikipediaは広大だ、さらにくどい表記もあるだろう。

ないことを願いたい。

2019-09-09

anond:20190909103200

それ別にパチンコ以外でもよくある話じゃ…

初版限定でおまけに外伝つけてどこにも再収録しないとか

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