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2017-12-13

anond:20171213115243

なんか重複した制度って無駄に思えるんだよなぁ。

結婚相当なら結婚でいいじゃんって思うし夫婦と同格なら夫婦でいいじゃん!って思っちゃう

宗教上の理由離婚が非常にまずい事だってされてて、離婚してませんし!そもそも結婚してませんし!!って建前の為の事実婚は確かに合理的だとは思うんだけど、それ日本はいらないし。

自分結婚したいと思った相手制度結婚不可能だった事が無いせいかそのあたりの想像力いまいち無い。

「非電源ダンスダンスレボリューション」と「即興漢字作詞」の紹介

非電源ダンスダンスレボリューション

1. 床/地面を3×3の9マスに区切り,下記の要領で各マスにあ行~わ行を割り当てる。

や/わ

マスは正方形で,大きさはそれぞれ一辺30cm程度(全体で1m四方程度)

後述するが,ジョイントマット(正方形のスポンジ素材のマット)の利用は非推奨

2. 任意の(歌詞のある)歌を口ずさむ,あるいは脳内再生する。「非電源」ではなくなるが,普通に再生してもよい。

3. 歌詞対応する行のマスをリズムに合わせて次々に踏んでいく。

アルプスいちまんじゃく」なら

「あ」「ら」「は」「さ」「あ」「た」「ま」「や/わ」「さ」「か」の位置を踏んでいく。

濁点・半濁点,小さいゃゅょぁぃぅぇぉは無視する。っはた行,んはわ行扱い。

注意事項

3×3のマス目の上では激しく動くことになるため,滑りやすもの・引っ掛かりやすものの上で行ってはならない。特にジョイントマットは,一見おあつらえ向きに見えるものの,マットと床の間が滑りやす危険である

「な行」にあたる中央の四角だけをテープ等で示すのが手軽かと思う。また,自分で踏む場所を把握できればいいので,必ずしも目印を置く必要はない。

いずれにせよ屋内では騒音や足を痛めやすいなどの問題がある。屋外,特に砂地であれば線を引くのも容易である

これらに限らず,自身の身の安全・周囲への迷惑には十分気を付けてほしい。

楽しみ方など

基本的には両足で交互に踏んでいくことになる。

当然ながら歌の歌詞はこれを前提に作られたものではないので,足がもつれるような箇所もでてくる。体の向きを変えるなどして対処することになり,試行錯誤を通して最適な体の運びを見つけるのも楽しみの一つである

基本のルールでは邦楽限定だが,適当歌詞との対応を定めれば洋楽でも不可能ではない。

当初「わ行」は「や行」の下に飛び出るかたちで置いていたが,「全然」「幸せを」などの歌詞全然幸せじゃないことになるため一か所にまとめたという経緯がある。

譜面」は歌の数だけあり,同じ曲でも1番と2番では動きが大きく変わるため,やりつくししま心配はないだろう。お気に入り一曲を見つけてほしい。

なお本家プレイ経験はない。

即興漢字作詞

1. 漢字が並んだ表を用意する。

常用漢字一覧 - Wikipedia別表 学年別漢字配当表:文部科学省など,あるいはランダムに並べた表を自作してもよい。

2. ある程度メロディを把握しているインスト音楽を流す。

わたしは「天国と地獄」や「オクラホマミキサー」などを用いている。

3. 表の漢字を順番に使いながら,音楽に合わせて(ある程度)意味の通る歌詞を作り,歌っていく。

楽しみ方など

例えば,表として学年別漢字配当表の第三学

悪 安 暗 医 委 意 育 員 院 飲 運 泳 ……

を,曲として天国と地獄を選んだなら

悪いが安い暗闇の歯医者 委ねた意見を育てる職員 病院だろうと飲んだらやめろ 運転するのも泳ぎだすのも

といった具合。

曲を流しながらやるのは考慮時間を減らして即興性を高めるためだが,難易度が高くまともな歌詞にはなりにくい。曲を止めて考えるのも一つのやり方であり,上の歌詞も後から手直ししたものである

表の並びが偶然熟語になっていると嬉しい。

常用漢字ランダムでやると「璽」「嗣」「抄」「楷」など使いづらい字への対処が求められる。なお「朕」は普通に一人称として使えるので意外と困らない。また"栃"木,"埼"玉,岐"阜",愛"媛"あたりがやたらと登場する。

おわりに

何かまともな趣味を教えてください。

日米同盟を堅持しながら

米軍日本から撤退させて

自衛隊の戦力で代替させるのはとても難しい

不可能

2017-12-12

『話を聞けない』という拷問

私、発達障害持ちの二十代女。

最近まで事業所で働いていた。

私には、人の話を聞いても内容を瞬時に忘れる、または歪曲して理解してしまう症状がある。

最後まで話をちゃんと聞いてるはずなのに、言葉の一つ一つを全く覚えられない。

或いは自分解釈した話と相手の話が全く異なっていた。

それゆえ、相手の言った通りに作業しても「違う」と職員に言われて止められる。

そして、

「ちゃんと話を聞きましょうね」

と必ずと言っていいほど言われる。

話を聞く対策として、説明を受ける時はメモを取っている。

しかし今度はメモに書いた話の内容が理解できず、

「ちゃんと話を理解してください」

と言われる。

しんどくなって、

どうしようもなくなって、

「もうあなたの話を聞きたくありません! 話聞けないしわからないし無理ですっ!」

と言って逃げてしまう。

話を聞けない、理解できない私が悪い。

逆ギレなのはわかってる。

甘えなのはわかってる。

でも、

「ちゃんと話を聞きましょうね」

「ちゃんと話を理解しましょうね」

というこの言葉は、私にとっては「死ね」以上に残酷言葉なんだ。

この言葉を聞くと、心がぼろぼろになっちゃうんだ。

精神的な、『拷問』です。

からその言葉を言われて傷つかないために、私は「もうあなたの話を聞きたくありません!」と心を閉ざして自己防衛せざるを得ない。

毎度毎度このことの連続で、職員も疲れきっているのはわかっている。

事業所だけではなく、小中高大でも、友人にも、家族にも、何度も何度も同じことを言われてきた。

どうやら、人類との会話は私には不可能のようである

正直、もう人と関わりたくない。

誰とも話したくない。

ありとあらゆる話を理解したくない。

だって誰かと話しても話をすぐ忘れる、理解できない、そして「ちゃんと話を聞きましょうね」「ちゃんと話を理解しましょうね」という大嫌いな言葉を言われてストレスが溜まる。

だったらずっと孤独がいい。

他人と一切関わらない、話さな人生を送りたい。

……といいつつ現在は無事就職して、メモはがっつり取って、わからなかったら何度も聞くようにしている。

その成果ゆえか、今のところ上記つの嫌な言葉は受けていない。

DTBって課金要素と相性めっちゃいいと思うんだけどな

ガチャを回さないと象が使えないなんてありません!」

そうかそうか

だが待って欲しい。

ガチャを使って象を出したプレイヤーを運と実力で叩き飲めせます!」

は何故駄目なのだろうか。

わずもがなTCGのようなゲームだと「インチキカードを使いまくってくる奴が相手になるとこっちがアグロで向こうが土地事故起こしてても勝ちきれなくてカードパワーで轢き殺される」という現象が起きる。

だがDTBは違う。

あのゲームにおける実力はあらゆる南極を乗り越える。

何故ならDTB本質的アクションゲームからだ。

プレイヤー操作テクニックが数多の無理ゲーから不可能の二文字を奪い去る。

そうだな。

WoTというゲームを知っているだろうか?

あのゲームにも課金プレイヤーが有利になる要素がたんまりとあった。

貫けるはずがない装甲を貫く課金弾。

砲撃の精度や再装填速度を高めPSの差を蔑ろにするが如きベテラン搭乗員

課金プレイヤー専用でマッチングを若干有利にする課金戦車(正確に言うと不利マッチを引く確率を下げてくれると表現すべきではあるが)。

こうしたあらゆる課金要素を持ちながらも、WoTはPay to winとまではなりきっていない。

しろボイチャで連携してくる連中の方が10000倍害悪であった(ボイチャ連携勢が一組くるとゲーム性が本当に丸っきり変わってしまうのだ。テメーらだけでカスタムゲームしてろクズが)。

なぜPtWにならないのか?

それはWoTアクションゲームであり知識ゲームであるからだ。

課金をすれば強い戦車は手に入るが、強い戦車に乗った弱いプレイヤーは結局弱い。

ガルパンを見れば分かるように、戦車の戦いで重要なのは相手の装甲を如何に撃ち抜くかであり、そこで重要なのは正しい知識とその知識に基づく戦術を実現するプレイングだ。

相手の弱点を知らなければ戦いには勝てない。

弱点を撃ち抜くための道筋を知らなければ勝負にならない。

課金弾をベテラン搭乗員に撃ちまくらせたところで、狙う場所が間違っていれば何も始まらないのだ。

DTBもこれと同じだ。

2象や5.5象をやった所で次のターン以降にどういう手を打つべきかを知らなければ勝負を有利にすることは難しい。

最後ものを言うのはプレイングなのだ

かに、好きなときカメを引ければ勝てる。

だがそこまで行ったらそれはDTBではなくなる。

都合の良いときカメを引けるかも知れない、ならばDTBだ。

私が言う課金DTBとはそういうゲームだ。

そこを勘違いしないでくれ。

やがて課金という対価を払う内に感情を失い合理的にレートを上げることだけを考えるプレイヤーを生み出すゲームがどうぶつタワーバトルなら、そのゲーム略称DTBになるべきだよね。きゅっぷい

氷河期がアレなのってのはあくまでも底辺が「多い」のであって「全員底辺」な訳がないし

しろ数少ない「氷河期だけど勝ち上がった」人間底辺蔑視がやばすぎてネオリベ思想にハマってやばいという話だったのに

なぜ氷河期は「全員」底辺結婚絶対不可能正社員は一人もいないはずだとか言い出す人が出るんだろうか。

冷静に考えれば、何にせよ「全員」どうこうなんて高確率で間違っているに決まってると思うのだが。

それほど氷河期に対する世間の味方は異常に厳しいということなのだろうか。

無気力人間記憶を辿る

最近仕事をやめた。

8時間労働と1時間の休憩、少しの残業と1時間通勤、それと出社準備の1時間

合計11時間が週5日あるのに耐えられなかったからだ。

一月に16万円ほどもらっていたが、溜まっていく一方で何に使えば良いかもわからなかったし使う気力もなかった。

人達給料をもらってエンジョイしているのに自分はどうもそれが不可能だった。

どうしてこんな人間になったんだろうか

自分記憶を改めて整理したい

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保育園時代

ほとんど記憶がない、踊りを披露する場があってそのときに着た衣装がとても寒かったこと、保育園に新しい園庭ができたこと、その園庭に蜂の巣ができてしばらく使えなかったことは覚えている。

小学校時代

3年生になったら強制的部活に入るのだが、習い事があるので入部を拒否した、しかし1年経って周りとの疎外感を気にされたのか強制的に入らされた覚えがある。

自分には合わないと言い続けたが辞めることが出来なかったので、習い事の日を多くした記憶がある。

体育や運動行事はとことん苦手だった、よく貧血で倒れていた、ヘラヘラしながら誤魔化していたが、実際はなんで自分はこんななのだろうと思っていた。

この頃から体育や体を動かすことが苦手になったと思う。

暗記するテストが苦手だった。10個の漢字を暗記して書く問題はいつも4個ぐらい間違えていたと思う。これで暗記が嫌いになった。

厳しい先生が居た、よく怒って棒で生徒の頭を叩き授業放棄する先生だった。待ってる時間は退屈だった。

美術の授業は苦手だった、何を書けば良いかからないし思った通りに絵を書いていくことができず苦痛だった、特に版画は最悪で居残りでなんとか仕上げさせられた。

友達関係はまあまあ良好だったような気がする、地元では珍しくPCネット環境を持っていたのが大きかったと思う。

PCのやり過ぎで親に何度も怒られた、その度にPCを取られていたのだが、自分友達を繋ぐものが取られて居るような気持ちで非常に辛かった。

中学校時代

この時も厳しい先生が居た。自分は字が汚いことでよく怒られていた。どんなに時間を掛けて書いても何も褒めてくれないので怒られるギリギリの字で出すようにしていた。しかし日によって怒られたり怒られなかったりしたのでもうどうでも良くなった。

部活吹奏楽をやっていた。練習ときはまあまあ上手い方だったと思う。肺活量の問題か音が小さいとよく注意されていたが適当に誤魔化していたと思う。

コンクールの後に反省会をするのだが、本番が終わると何も覚えていなかったので適当なことを言っていた。

音楽で歌う事があったのだが皆と音程が合わず口パクで歌っていた、大きな声で一人ずつ歌ってと言われたときは最悪だった。記憶から消したいぐらい。

木材で何かモノを作る授業があった、皆はうまく組み立てていく中、自分全然釘が刺さらず遅れすぎたためボンドでくっつけていた思い出がある。

普通の授業は良いのだが、体育音楽等が苦痛でついに不登校になった。

親や先生には理解されないだろうと思いながらもそれとなく言ってみたが良い反応が得られなかったのでとにかく行きたくないで押し通したと思う。

学校から厳しい先生が自宅に来て「なんで来ないの」とか聞かれてたけどお前に答えるわけはないだろって思ってた。

中卒は厳しいからとりあえず高校に行こうと言われたので教室には行かず勉強をして、自宅に一番近い高校入学した。

高校時代

普通に合格した。英語絶望的だったが…

特進クラス入学しないかという案内を受けた。部活に入らなくてもいいのは魅力だったが、放課後に補修があるというのでお断りした。

一瞬だけ部活に入った、同学年の人がほぼ居なかった上女子ばかりだった、1年目は雑用しかできないらしい、毎日ランニングして基礎トレーニングで終わったので1週間ほどでバックレた。

普通勉強は出来た方だと思う。歴史とか社会とかの暗記系は苦手だったがそれでもまあまあ出来ていた。しか英語絶望的だった、1年生の頃はまだなんとかなっていた。

2年生になると同時に自分は特進クラスクラス分けされた。補修が無理やり入る、課題が今までよりも多い、非常に辛かった。

数学教師も字に厳しい人だった。普段はある程度丁寧に書くのだが、定期テスト時間がないので適当文字になる、それに全てバツを付けられた。

数学は得意だったのに一気に嫌いになった。

模試の結果、英語さえできれば東大ラインが見えるとのことで英語教師がよくせっつきに来るようになった。

補修の回数も増えた、授業中当てられる回数が増えた。英語の苦手意識が高まっていった。

長期休みも補習があった。

合宿があった、朝から晩まで勉強だった。

嫌になった自分は2年生の途中でまた不登校になった。

また中学と同じ言い訳をした、担任にも学年主任にも平気で嘘がつけるようになって自分進化したなぁと思った。

単位制の高校だったので留年か出席かを迫られた。

から中退ではどこにも就職できないぞと言われた。

自分は退学を選んだ。

高卒認定を受けた。

専門学校時代

高卒認定かつ自分の体力で就職できるところがなかったし就職する気も無かったので、地元情報関係専門学校に行くことにした。

自分はわりと詳しいこともあり知ってるところも多かったし勉強は楽に出来た。

専門学校だけあって就職についてのサポートは充実していた。

自分は今までPCを触ってきたこともありなんとなくプログラマーになりたいと考えていた。

しかし具体的な会社を決める段階になると、本当の自分が働ける職場が無さそうな事が分かってきた。

先生説明する中で一番楽そうな会社に入ることにした、そこは8時5時で残業殆どないらしい。

筆記テスト小論文面接を受けた、適当な受け答えをしていたら内定を貰うことが出来た。

-

本当のことを言って周りに相談していたら自分はどんな人間になってどんな人生を歩んでいたんだろうか。

2017-12-11

anond:20171211203512

から生活保護以下の収入になる条件以外では働けないことを証明しなきゃダメなの

具体的に認められるケースを言っちゃう

障害者病気で長時間勤務できないとか、低賃金工場以外での就労不可能とか

そういうことを証明しなきゃいけないの

これには今普通に働いてるワープアは含まれないんだよ

頼むからぐぐってくれ

こっちはもうとっくに死ぬほどぐぐってんだから

ってか、もし今のワープアがみんな受給できんなら俺は紹介料とってそれを斡旋するブラックビジネスでもやってるよ

anond:20171211163517

海外比較して補足率が低いってのを真に受けてしまったんでしょうか?

大学の授業では生活保護等のセフティネットは各国で全然違うものなので比較することはできませんよと習いました

セフティネットとして比較することは出来ても、生活保護という括りでは比較不可能ということですね。制度のものも条件も違うので。

例えば、日本ではあり得ないことですが給付に期限があったりする国もあります

イギリス福祉国家イメージがあるかもですが、保護基準日本の何十倍も厳格な条件がありますし、ルール違反があれば支給減額、停止が当たり前です。まずは、社会福祉について1冊本を買って勉強されることをおすすめします。

anond:20171211172910

断捨離ミニマリストの本は読んだの?

ADHDには効果ないの?

ゴミ袋を手元に用意して、最低でも一日一個捨てるとかそういうのも不可能なの?

ダンボールゴミなら一日一つバラすとかね

anond:20171211153444

それな

大人相手はまだいいが子供だとな

女子プロレスラーだかが、同じく格闘技をやっている自分の子に弱いものいじめだけは決してするなと厳しく躾けていると言っていた

元増田自分の方が強い間にそのへんのモラルを躾けておかないと、そのうちコントロール不可能になるんだが

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

メガバンク大手商社に入れないおまえが悪いとか言い出すんだからそりゃ連帯とか不可能だってわかりますよね

anond:20171208231214

現状できないだけで…というか

今の量子コンピュータの性能が低いからできないだけで

今の最新の暗号化通信でも理論上の脆弱性は予見されてるよ

最強と思われた量子暗号脆弱性の疑い

https://eset-info.canon-its.jp/malware_info/trend/detail/160225.html

通信脆弱性がある時点で帳簿を共有するブロックチェーンを利用した仮想通貨は成り立たない

仮想通貨暗号化信頼性に繋がり価値保証する

99.9999%の確率安全では意味がない

100%セキュアであることが求められる技術

特に通常の物理紙幣と違って管理権限からトップダウンな指令が不可能から一気に崩壊する

 

あと根本的にマイニング、発掘とかいってるけど

これは非常に上手いボカした言い方で帳簿のバイト

帳簿管理バイト代が割に合わなくなって最後は誰が運用していくって話

赤字になる上に雪だるま式にかかる電力コストが増えていくから誰も新規参入しなくなる

どれだけ再生可能エネルギーを使って高コストパフォーマンスを発揮したところで

利用者が増えれば増えるだけ永遠にこの問題は付きまとう

から欠陥だって

個人マイニングしてみれば言ってることに気付くかと

 

スマホでもマイニングできるからやってみれば?

今の時点でスマホでやったら赤字しかならんけど

もし70億人がビットコイン使ったらどんなスパコン量子コンピュータ使ってもそんな感じになる

再生可能エネルギーだけでまかなえればいいけどまず無理でCO2による大気汚染も深刻になる

金使うたびに環境破壊するテクノロジーとか道義的にも間違ってる

2017-12-10

anond:20171210132805

たぶんだけど、時効とかってそういう理念的な部分より

現実問題として永遠に全ての事件調査し続けることが、有限なリソースでは不可能からっていう

事務的対処のために設定されてるんじゃないかと思う

神が人を裁くのであれば必要ない概念だった

差別」という概念の捉え方が根本的に違う人たちが争っているということ

https://anond.hatelabo.jp/20171209143501

差別」という概念認識のものの違いが不和を生んでいる。

一方は、「差別」という漢字イメージから直接受け取れるように、対象間における「差」とそこからまれる分離による「別」という概念のものを見ている。

この根底にあるのは、「和」であり「平」であり「統一」であって、それに対しての分離という意味合いもつのが「差別」、という見方だ。

それ故に反差別とはすなわち、ある一定事象内(つまり社会)におけるあらゆる偏差をなくして均一にすること、と捉える。

もちろん、これは究極の話であって、様々な不確定要素が絡む中で完璧にそう在ってそれを維持し続けることはまず不可能だが、見ている先の方向性はそういうことになる。

からこそ、反差別を叫ぶ者に対しては、いずれは社会のすべてを管理制御してしまおうと言い出しかねない、といったような疑念が心の底で生まれしまう。

一方は、「discrimination」という単語イメージから直接受け取れるように、片方向による否定という「現象」に対しての否定という概念のものを見ている。

この根底にあるのは、「義」であり「公」であり「秩序」であって、それに対しての逆乱という意味合いもつのが「差別」、という見方だ。

それ故に反差別とはすなわち、ある一定事象内(つまり社会)における集合の秩序を保ってそれを維持すること、と捉える。

これは、あくまで人の営みの範疇でのコントロールの話であって、人が人と人の作ったものに対して責任を持つという理念が源としてある。

からこそ、反差別を叫ぶ者に対しては、いずれは人が築き上げてきたすべてを破壊して混沌をもたらしかねない、といったような疑念が心の底で生まれしまう。

前者と後者の一番の違いは、一方は実際に人の集合体としての社会を見ていて、もう一方はそれこそ宇宙における森羅万象の中のちっぽけな社会という一現象を見ている。

ここまでご大層な話ではないとしても、もしも人の思考というものが、たとえこれまで取得してきた情報によってフィルタリングされていても、その人の根源的な部分から現れているのだとすれば、この視点の始点のズレはとてつもなく大きいだろう。

から、これが正しいかどうかはともかく、これも一つの見方として包括的に捉えることができれば、少しは気分の緩和にはなるかもしれない。

2017-12-09

anond:20171209194325

人型巨大ロボはクラタスだのガンダム像だのの

実現不可能でいわゆる、興行的な価値しかいか

こどものころにワクワクしたザ・未来感がない

 

等身大ロボか、強化外骨格とかが今一番カッコいい

女性がこの様子を見て、「これは犯罪だ」と被告らに指摘した

http://www.sankei.com/premium/news/160716/prm1607160016-n3.html

何で通報しないんだ

町歩いてたら入れ墨男がとつぜん人をさらってく場面じゃなくて身元がだいたい分かってるから報復不可能だろうに

何で通報しないの

anond:20171208141554

現代美的価値感のほとんどがコーカソイド的特徴から来てる

(白い肌、二重、Eラインスタイルバランスの良さ)と考えると

異民族排斥してきた日本人

世界でもトップクラスルックス格差が大きい民族なんじゃないか

 

格差是正するには当然違う遺伝子を受け入れるしか無いんだけど

それが自称愛国者によって不可能な以上、

これから日本人はこの先天的格差に苦しむことになる

公務員しゅごいのぉぉぉ

本当に人間性が腐っていく。

立派な仕事をしようという気持ちが薄れていく。

たまに仕事に精を出すことがあってもそれは自分のくだらない自己満足を満たしたいだけだ。

そこには国民の期待に応える気持ちもなければ、関係する民間団体や同僚への配慮もなく、ただ暇つぶしに始めたクロスワードパズル最後まで解こうとするような純粋な気まぐれでしかない。

日頃の仕事にもはや向上心なんて無い。

職場にいい空気を作る気も起きない。

どうだっていい。

どうせ2年か3年で無関係になる奴らの事なんて本当にどうでもいい。

全てがどうでもいい。

どうせ首にもならならいし頑張っても給料は上がらない。

あるのは

「怒られないようにしたい」「変に有能だと思われたくない」「でも俸給がいい感じに上がるラインは維持したい」「目指すは日々の定時帰宅である」「だがそれは不可能である」「休日とは休めるかも知れない可能性がある日のことである」「休日申請とは、休めるかも知れない可能性と無報酬労働をする可能性を見極めるギャンブルである」「申請される残業時間上司が決める数字である数字ではなく実際の残業時間は個々人の裁量に任されるものである上司意志を仰ぐべきものである」「上司意志は無言によって仰がれなければならない」「上司意志とは国民意志である」「国民意志とは上司意志である」「空気を読む必要はない。何故なら空気とは己であるのだから読むという行為は発生し得ない」「とりあえず謝ってしまえばいい」「すぐ謝るべきであり、決して謝らないべきである。これは基本である」「2+2は3であるし5である」「だが協議の結果として4という数字に落ち着くべきである」「2+2が4にならないときは、2は1であり3であり4であると考えればよい」

といった虫けらじみた思考だけだ。

魂が腐ってゆくのがわかる。

腐りすぎた。

もう外の社会に行く気力もない。

学習性の無気力蔓延しているのが日本社会全体ならば、その無気力の果てにクズに成り果てても仕事を失うことのない公務員を続けた方が得だろう。

死にてえ

anond:20171209122722

DVが発覚しにくい話と陰口を一緒にするのは違和感あるなー

まずね、警察はね民事不介入っていう原則があるんだよ。

そのため、DVはただの夫婦喧嘩との線引きが難しいので警察もすぐには動きづらい。

個人間の陰口の場合は、陰で殺害予告殺害計画でも立てない限りは刑事事件にはなり得ないでしょ?

芸能人だったら営業差し支えが出る場合があるから訴訟に持っていけるかもね。

まり、陰口の内容が犯罪に絡むものではなくて貴方芸能人でもない限りは個人間の陰口を立件することは不可能に近いということは理解しよう。

特別宇宙居住区ストロングゼロ

西暦2300年。

地球人の近宇宙開発進歩めざましく、不可能とされていた宇宙エレべーターはいまやコロニーとの行き来に当たり前のように使われていた。

それに反して地球上は荒廃していた。

行き過ぎた近代化に歯止めが効かなくなり、特に畜産業はもはや地球上で生産ゼロ絶望的な結果にまで追い込まれることになった。

逆に好環境コロニーでの農畜産業が盛んで、日々生産された農畜産物宇宙エレベーターを下って地球にやって来るというなんとも皮肉な状況だった。

宇宙のものを誰も疑いもなく消費する、そんな毎日だった。

しか人類の欲は留まることを知らず、現在ネオフードとしてデンプンや糖などを発酵して作られた宇宙食品が絶大な人気を誇っていた。

困ったことにその発酵過程で大量に生成される副産物としてのアルコールが厄介なことになっており、わざわざコストを掛け地球に送り分解プラントアルコールを処理していた。

現在は、とうの昔に枯渇した化石燃料代替エネルギーとして、地球上はソーラーグリッドシステムが整備されていている。

地球上のエネルギー問題はとりあえずはこれで解決はしている、がアルコールなどを燃やす内燃機関技術ロストテクノロジーとされていた。

誰も利用しないアルコール、それは決して飲用もされることもなかった。

アルコール飲用文化も同時にロストされた食文化の一つだった。

新たにそれらを分解して無害なものにするプラントコロニー内に建設する余裕はもはやなかった。

経営者が頭を抱える悩みだった。

ここである者が人間に飲ませて体内で分解させる案があがった。それはあっけなく採択された。

やがてプラントには、人が多く集まり噂が噂を呼び、コロニーは賑わうようになった。

人体を使ったアルコールの分解過程も順調に成功し、徐々にネオフードの生産量も最盛期の量まで回復することが出来た。

そしてこのコロニーアルコールが飲用出来る特別居住特区となった。

それがこのコロニーストロングゼロ」の由来である

コロニーは人々に「新世界」と呼ばれ親しまれている。

今日も一滴も飲めもしない愛想のないアンドロイド給仕ホールを駆け回っていた。

2017-12-08

根拠もなく俺はいつか覚醒してラノベ作家になると信じていた

だけど実際はどうだ?

何か一作でも書き上げたことすらない。星新一サイズの掌編どころか、2chの1レス分に入るような小話やショートショートすらないんだ。もしもこんな俺がラノベ作家になったとしても幸福にはなれないだろう。なった所で締め切りに追われてつまらない毎日を過ごすだけだ。


といった感じのオタクが俺は好きなんだよ。

結果を出してるオタク薄い本を書き上げることが出来てしまったオタクブログ大人気のオタク。いつの間にかウェブライターになったオタクツイッターで皆のアイドルしてるオタクですら気に食わない。ツイッターで言えばフォロワーは3桁以内じゃないと駄目だな。4桁まで行ってるオタクは何かが違う。たとえそれがフォロー人数を4000とかまで増やしてフォロワーが1000になったという形であっても、俺のイメージするオタクとは違う。俺の好きなオタクプライドが高くて完璧主義からフォロー人数は400ぐらいで頭打ちになるんだ。全部読もうとしたり、こだわりに合致しない奴を次々リムーブしたり、理由はともかくフォロー人数を4桁まで増やしたりはしない。万一超えても1500がリミットかな。

自分に自信がある理由説明出来るオタクは駄目だ。他人説明して恥ずかしくならないような経歴があるようでは駄目だ。せいぜいが小学校の頃学級員長だったり、高校入試で難関に受かったぐらいの所が限度だ。そっから先で東大に受かってたり、会社表彰されたりしたら駄目だ。年収も年齢*15を下回るぐらいじゃないと。年収があるってのは社会的地位があるってことだ。それじゃ駄目だ。オタクとして駄目だ。オタク負け組じゃなければ。燃えるようなルサンチマンの塊でなければ駄目だ。

今のオタクは豊かなオタクが多すぎる。まず友達がいる。オタク友達がいていいのは大学までだ。大学を出て3年したら友達の数が0になっていなければ駄目だ。そして金があったり能力が合ったり結果を出していたりする。駄目だ。駄目だ。オタクってのは消費する側で無ければ。消費しか出来ないのがオタクだ。何かを生み出しては駄目だ。ものすごーくたまにゲーム攻略WIKI更新するも、内容が使えなすぎるから一週間後にはまるまる書き換えられているぐらいを関の山とすべきだ。

黒歴史ノートを書いたことはあっても、それを人に見せるのは不可能じゃなきゃ駄目だ。オタクプライドが高くなければ。無駄プライドが高くそれゆえに失敗を恐れるし人とも関われずそれゆえに無能でなければ。そうでなければオタクではない。

そもそもオタクとは生まれ持ってして社会不適合でありいわば定型発達に失敗している※アスペ(※この言葉を使ってしまったのは屈辱だがこの言葉はこの場で私が表現したいものにかなり近いものがあり他の表現を使うよりも正確に意味を伝えてくれる。)でなければならない。そういった漫画ゲームが無ければ生きる希望の無さに耐えられず死んでいたはずの人間でなければいけない。本来世の中で生きる希望など一切なく中学高校まではまだしも三十頃になればいよいよ生きる事といつか人生好転する事を期待する事に疲れ果ててそうして苦しむことのマゾヒスティックな刺激にも飽きてしまって死を選ぶ以外の道を失うような所をオタク的な嗜好品によって何とか救われた生き物でなければならぬ。

オタク創作物によってかろうじて生かされていなければいけない。それは自分が生み出す物ではなく人が生み出すものでなければいけない。作る側に回った時オタクとそうでない消費するだけのオタクは別の生き物だ。同じ名前で呼ばれている別の生き物だ。オタクとは生まれたてチワワと鍛えたドーベルマンを丸ごと犬と呼ぶような大雑把な枠組みなのだ。そしてオタクの本質が宿るのは消費することしか出来ないくせに口だけは大きい極めて無能であり守る価値もないクズの方なのだ。そこから脱皮して進化したオタクそもそも別の所からやってきた外来種たる新型オタクオタクと呼ぶのが憚られるような代物なのだ

偽物のオタクばかりがオタクと呼ばれる時代にいい加減嫌気が指してきた。消費しか出来ない生まれついてのアスペに対する新しい呼び名必要ではないだろうか。

anond:20171207163109

物質的なものではなく霊的存在が唯物的要素から独立しているというのなら

蟻が人間の霊を持ってても全然いいでしょって話をしてるんだけど

でも実際そうならないのは人間大脳皮質性質と容量が人間意識を形作っているハードウェアなのは明らかで

じゃあ魂は肉体・脳みそソフトウェアであると考えるのが自然しょうが

今は電子顕微鏡観測方法が発達したかシナプスの結合強度が記憶を司っていることや

各種脳部位がどんな役割を持っているのか解明できたわけだけど

これを知らない時代心臓に宿っていたと考えられていたときもあった

まり霊的存在というのは今魂に対する観測方法が無い故に産まれエーテル概念と同じであって

結局唯物論に行きつくと考えるのが自然じゃないの

重力波だって観測するまではあるかどうか分からんから観測できてすごいって話になってんだから

観測すらしてない魂があるから唯物論は偽であるとか

哲学的ゾンビが量子的に成り立つなんて論調は前提からし不可能

というかそもそもの話、魂だけ物質支配から逃れた要素というほうが不自然でしょ

グラブルは割りと開発者一般人と同じ環境でやってますみたいなので荒れたなぁ

FKHRが「一般人と同じ環境でやってます」と言う割には、外部から見えるデータとか本人が晒しているスクショでおおよそ不可能だろうというレベルコンテンツアクセスしてて荒れたなぁ。

でも、彼はかわいい方というか、中途半端ネームバリューがあり、情報を公開してるからそういうのが見つかっただけで、末端の社員や開発チームのスタッフなんかは隠れてやっててもわからないよなぁって思った。

HRTはなんだかんだでそういうのなかったのは良かったと思う。正直KMRじゃなくてHRT帰ってきて。帰ってきたら帰ってきたで叩くけど。

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