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はてなキーワード: まやかしとは

2023-12-09

現代社会って信仰の塊だと思うんだが?

市場経済

もしも経済を誰も信じていなかったら物々交換しかなくなる。

所有権

そもそも何かを所有する権利を主張することが可能かどうかも後付のもの

幼稚園児の集団玩具を投げ込むとそれぞれが勝手自分の物だと主張し始める。

法律

法律機能していること自体が完全に担保されていない。

警察裁判所機能していることの保証なんてどこにもない中で皆ひとまずそれを信じようとしている。

モラル

自分の考える社会道徳他人と同じものであるかなんて分からない。

談話室中央テーブルに置かれた誰かのおすそ分けに貼られる「範囲でご自由にお持ちください」の付箋に「一人◯個まで」とわざわざ書くべきかどうかなんて誰にも分からない。

人権意識

生存権はそれを理解してる人達社会が守っているが、逆に言えばそれを理解していない子供同士の社会DV家庭では守られていない。

分かった上で踏みにじる者たちもいるのは、キリスト教牧師が神に懺悔しながら子供アナルをほじくるようなものと言えるだろう。

科学

知らないどこかの誰かがしたらしい検証を皆信じている。

自分実験をしてみれば分かるというが、実験結果が定説と食い違うとやり方が悪いだけだと否定される。

たとえば「ありがとう」と声をかけた花が歪な咲きかたをしたら、それは声のかけ方や水のやり方に問題があっただけだと決めつけられるのだ。

価値

レビューを見てから映画を見るとそれに意識が引きずられる。

皆が悪く言ってるものは悪く見えるが、自分の嫌いな相手が悪く言ってるものは逆によく見える。

印象を受けるということ自体ミラーニューロンの生み出すまやかしであり派閥闘争の一手段に過ぎないのだろうか。

ブクマ

貰えると嬉しいが、こんなもの価値があると思っている奴ははてなーしかいない。

だがはてなーは貰うと喜ぶ。

他のサイトにおけるPVいいねも全部一緒。

皆苦しいときほどそれを求めて必死ネット道化を演じるが、本当にやるべきことはさっさと寝て自然回復力に任せることでありつまり武器軟膏。

2023-12-05

来年1月24日の発売を予定しておりました書籍『あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇』の刊行を中止いたします。

https://www.kadokawa.co.jp/topics/10952/

あらまあ

思春期の気の迷いや、一時的精神疾患を「トランスからだ」と思って手術に踏み切って、後から後悔してリトランスってのはあるから関心持ってた。

トランスガチ勢からすると、「お前も気の迷いだ」「お前も精神矯正すれば治せたはずなのに」と煽られているようで、複雑なテーマなんじゃろう。

手術した後の体のほうが愛せて、手術してから人生上手くいきましたって人もいるだろうし。

いいじゃん出版しちゃいなよという気持ちもややあるが、この本をトランスガチ勢への攻撃にも使って「そもそもガチ勢なんかいない、全部まやかし」言うてる奴もいたからなあ。

うーん

2023-11-25

全ての辛い思いは脳内まやかしだという唯物論的な割り切りは助けにもなるのかもしれないけど、辛さがただの脳の夢のなら裏返して幸せもまた同じという事になってしまって、そこでダブルスタンダードをうまく使い分けられるほどのドライさも持てない。

2023-11-07

消費税減税しろというまやかしとか昇給とか厚生年金まやかしとか

まず、消費税

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=363AC0000000108

消費税収入については、地方交付税法昭和二十五年法律第二百十一号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金医療及び介護社会保障給付並びに少子化対処するための施策に要する経費に充てるものとする。

とあって、その殆ど年金、健保、生活保護に使われている。

(これらの予算のための国債の支払いにも使われているので国債の償還にも使われているのでそこを勘違いしてよくそれ以外にも使ってるじゃないか!という人がいるけどまぁ気にすんな)

https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/d05.htm

詳細は上でも見てみてくれ

https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-09-07.html

推移がこれで

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html

予算ベースがこれな

でまぁ、消費税って非現役世代にも社会保障負担をさせられるっていう意味があるんだけど、それは分かる?消費税社会保障に使われてるからね。

消費税を減税したらどうなると思う?公費負担維持するのに国債の発行を増やすのはまぁありえそうだね、その上で足りないなら社会保険料上げるしかなくなるよね?

で、社会保険料上げると現役世代負担が増加するんだよね

どっちがいい?消費税減税して社保上がるのと消費税を現状でどうにか維持しつつ社保も挙げないようにバランスとる戦略とるのと。

最近あった65歳以上の高齢者社会保険料負担させるっていう議論バランスとる戦略の一環)

でさ、社会保険料を考えてみるとね

協会けんぽ厚生年金計算すると

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/~/media/Files/shared/hokenryouritu/r4/ippan/r40213tokyo.pdf

まずは健保、若者によくいそうな17等級195,000 ~ 210,000で全額が19,620円、労使折半で9,810

これが18等級210,000 ~ 230,000になると全額21,582円、労使折半10,791円になる

大凡1000円負担額が上がるわけだね

次に年金も同じ等級比較すると

https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/hokenryo/ryogaku/ryogakuhyo/20200825.files/R05ryogaku.pdf

14等級195,000 ~ 210,000で全額36,600円、労使折半18,300円

15等級210,000 ~ 230,000になると全額40,260円、労使折半20,130円

大凡2000円/月の負担額があがる

賞与については千円未満切り捨て年金も健保もかかるのでまぁ額が増えれば負担額も増える

なのでまぁ2万円一気に昇給すると仮定した場合会社負担金額としては23000円増える

本人の実質昇給額としては17000円にしかならないんだよね

これが面白いことに3000円ずつ昇給していった場合残業なしと仮定すると超えた年の456月を過ぎた後に昇給分打ち消しちゃうんだよね

更にねんきん定期便ちゃんと見てる人ってあまりないと思うんだけど、会社負担分があるにも関わらず

支払って積み立てたと計算される分は本人負担分だけで会社負担分は積み立てた扱いにならないんだね

どこに行ってるか?それは今の年金支給補填ガンガン回されてるよ!

ちなみに、それだけじゃ足りなくなってきたから本人負担分も補填に回すって議論もされてるよ!

自分の父母、祖父母の面倒を自分収入だけで面倒見れる奴が消費税減税しろ!っていうのは良いんだけど

そうじゃない人が消費税減税しろ!っていってると社保上がって違う地獄が待ってるよ

2023-11-04

ニコ動の無色透名祭はもう開催しないでほしい

ニコ動現在開催中の無色透明祭2、簡単に言うとボカロ系の合成音声によるオリジナル曲投稿祭です。

無色透"名"の名前の通り、投稿者は自らの名前を隠して公開するところが特色です。

名前を明かさないため、投稿者は事前に指定されたところに投稿して、本番は運営アカウントから作品が一斉投稿されます動画レギュレーションも厳格で、今回からサムネ指定され、動画歌詞の表示のみ、フォント指定されタイポグラフィーなど曲以外で目立たされる行為禁止です。

これはネームバリューを配して公平感をだするためのレギュレーションです。つまりネームバリューを取り払ったところで曲を楽しんでもらうという企画です。有名無名を問わず同じ土俵に全ての作品があがることで、純粋に曲のみを鑑賞してコメント投稿して盛り上がろう、という企画です。この企画に参加したひと、あるいはリスナーにとっては非常に楽しめる企画だと思います

それが証拠に今回の投稿祭には4800作品が集まったようです。11/2の20:00にその4800作品が一斉に投稿される予定でしたが、あまりにも膨大な作品数のためエラーが起こり実際は21時すぎくらいに一斉に投稿になったかと思います参加者リスナーとともに盛り上がって今回も盛況の様子です。

しかし。

それは参加者に限ったこと。私はこの祭り存在は知ってましたが、参加する気はなく開催日なども忘れてました。すっかり頭になくなった頃、私は久しぶりにオリジナル曲アイデアが湧いて、珍しくアイデアが結実し、合成音声による曲を10月半ば頃に完成させました。とても満足できる出来になり、これはちゃんとした動画をつけなければな、とかなりの時間を費やして動画作成、伸びることを期待して連休前になる11/2の19時を狙って予約投稿しました。19時に動画は公開され、現在底辺P(初音ミクの極初期の頃に殿堂入りしたことはある)ではありますがそれなりに順調にいいねコメント広告も入り、まずまずなスタートを切りました。そう、この無色透名祭の動画が一斉に公開されるまでは。4800作品が怒涛のように私の作品を流しさりました。同じサムネが並ぶ膨大な数の曲が私の曲を押し流し、本当にぴったりと再生数も反応が止まりました。投稿から2日たった今、凪のように動きがなくなってしまった。


ネームバリューを廃した公平性にこだわるあまり、一斉投稿になったことで、本当に瞬時に私の曲は「〇〇(合成音声キャラ名)オリジナル曲」のタグの数ページ後に押し流されたのです。ニコ動検索機能が充実してるのでマイナス検索ができる? 誰がやってるんだ。新曲投稿自身ツイッターから流入することがほとんどだから問題ない? 実際に押し流されから再生数が体感できるほど減ったのに?

その公平性というのも疑問だ。実際に投稿祭のタグをみると投稿順によるソートで上に来る作品と下に来る作品があからさまに再生数があがってる。これはリスナーが順番に聴いていこうという意志が働いているせいだけど、作品数が膨大なので当然全曲チェックすることはまれで、当然先に多く聞かれた作品から話題になり、さらに伸びていくわけだ。さらにこれだけ同じサムネ動画が並ぶとニコ広告による枠がつくことで目立てる効果も相当高いと思われる。今回投稿祭への投稿者には広告チケットが配布されたようですが「広告主の名前には気をつけてください(名前バレしないようにしてください)」と運営が念を押していた。つまりやろうと思えばネームバリューを利用した広告可能だったのだ(やったひとがいるかは知らん。批判を受けるリスクはあるのでやった人いないと思うが)こんなまやかし公平性だったらない方がマシだ。


祭り参加者は楽しかろう。いつもより自分の曲が伸びたりコメントがついたりして嬉しい投稿者も数多いだろう。しかし、私のような非参加者は? 4800作品に流された私の悲しみは? 投稿祭を避けなかった私のせい? 開催期間を投稿者全員知らないとだめなの? 正直非参加者には同じサムネが膨大に並ぶのはスパム以外の何物でもなかったと思う。少なくとも私は全然楽しくない。 衰退が叫ばれるニコ動だがこのようなイベントを行うには規模が大きすぎるのだ。このイベントが続くならもう少し開催方法を考えてほしい。できれば正直もうやめてほしい。私は参加したくない。

2023-10-27

anond:20231027210826

水も食べ物も限られた極限状態にある集団仮定しよう。

合理的にいって生産性のない寝たきりの老人や重度の知的障害者、傷病者から口減らしすることだろう。

逆に言うと、それらの人間は裕福な世界においても愛玩動物と変わらない。

余裕があるから生かしてやってるだけだ。

社会貢献けが生きる理由ではないとか、そういうのはまやかしごまかしだ。

から早く死にたい

2023-10-23

安倍晋三存命時にマスコミはこぞって右傾化を憂いていたがまやかしだ。あのようなものは右ですらない。

民意が本当に右に行くのはこれからだ。

2023-10-20

anond:20231020171219

未来というまやかしを見せてるだけだったのが、メッキが剥げてきただけかもな。

2023-10-17

立命館大学学友会」という特異的組織

立命館大学学友会は日本最大の学生自治組織である。というよりも、勝手日本最大になった。

早稲田大学自治放棄し、日本大学にはそもそも自治組織存在しなかった。

私は学友会が進んでいるとさえ思っていた。他の大学が諦めたことを立命館不断努力によって続けてきたのだ。最近になって自己批判に晒されている。それがまやかしなのかという疑問が沸々と湧いてきて、組織として上手に隠して運営されていると結論に至る。

学友会と関わりが深かった先輩の言葉を思い出した。「学友会とは時代遅れ組織である」と。


なぜ多くの大学学生自治放棄たか自明の理である。それが生徒会堕落してしまたからだ。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0331.html雑談(105)今時の学生たち(2)――大学生徒会?,2014年3月31日

この文献が端的でわかりやすい。大学学位取得を目指す人間学生なのである。決して生徒ではない。自らの力で、学生地位向上のために動く組織自治組織たりえるのだ。生徒会とは、学校小間使いしかない。近年、多くの大学生徒会になった。私は単にナショナリズムの欠如だと思っている。大学に不満を抱いても、インターネットでそれを補完できてしまう。大学側も少子化によって学生選抜するのではなく、お客さんとしてきてもらうためにサービスを拡充させて学生数の維持及び向上を目指している。今の学生学生全員が一致団結して争議できる議題は何もない。かくいう立命館大学学友会も前年度、これまで一致団結のスローガンとしてきた学費争議からリタイアした。値上げ反対の姿勢を崩し、学費増額を致し方ないとした上で「未来に向けた議論をしたい」と言い切った。最後まで学費増額に反対する立場を取り続けたのは教職員組合だった。

いまの立命館大学学友会を学生組織として機能させているのは、会費の代理徴収制度である大学学費と同時に自治会費を徴収し、学生のみで扱える金銭自治会に差分するものだ。他の大学権限放棄させられた。学生責任を握らせることはできないと。立命館大学学友会は、代理徴収権限をひたすらに守った。代理徴収がなくなれば学生学生自治する、学生自治で無くなるために、必死制度を守った。その頃はまだ学費増額への提議、反対勢力の一翼を担う力があった。だが、大学の融和政策に堕ちた。学費増額への反対は、もはやハリボテだったか理念を変えた。その先は学園共創という大学に都合の良い存在しかなりえない未来である

いまの立命館大学学友会は、大学の犬なのだ

学園祭新歓行事スポーツなども含む課外活動学生間の互助活動大学との学園共創活動財政の公開、それら役員選挙

その全てを、

無給で、

学生自治組織であると本気で信じて、

取り組んでいる。

ここまで読めばなぜ解散しないんだという思考がよぎるだろう。

から先輩は、この結論に辿り着いた。

「学友会は時代遅れ組織である」と。

学生自治なんてものは、もはや存在しないのだ。

2023-09-30

女は國體破壊諸悪の根源

戦後間もない時期に撮影されたとある白黒写真

GIに寄り添って堂々と道を歩く女。

GIが通りで楽器演奏する傷痍軍人を見かける。GI軍人として思うところがあったのか、財布を取り出し小銭を渡そうとする。しかし、そんなGIの腕を「早く行こう」と引っ張り傷痍軍人に冷たい目を向ける女。

パンパンと呼ばれた害虫の中には帝国軍である夫を失った者もいるという。

ちなみに戦争未亡人全員がこんな様子ではなかった。とある戦争未亡人は夫を失った後に子供を連れて実家に帰り、師範学校が改変されてできた某大学学芸学部に進学。再婚することな教師となって子供を育てた。

賞賛される話ではない。皇国に命を捧げた夫に操を立てつつ、生活費売春などではない正当な手段で自ら稼ぎ、天皇の赤子たる子供自身の手で育てることな美談ではなく当然の行い。しかし、この女性は称賛された。パンパン米兵と連れ立ってハワイなどに向かった害虫言語道断として、再婚して子供を捨てたり実家に預け子育て放棄する女が戦後たくさん発生した中で、当然の行いが称賛された。悪しき世の中である

現代でも北欧欧米など「財政赤字道徳腐敗によってできたまやかし福祉平等」を持ち上げたり、國體破壊を目論む韓国人男性に尽くすため瑞穂の島を捨てて大陸に渡る害虫は少なくない。

女は國體破壊諸悪の根源であり、日本未来は娘を持つ親たちがどのような子育てを行うかが國體護持の鍵となる。

2023-09-21

anond:20230920051313

自分被害者でも何でもない人たちが被害者を叩くのも被虐嗜好があるからじゃなくて、突然自分犯罪被害者になる世界を認めたくないからだよな。

被害にあう人は被害にあうだけの理由がある、だからそこに近づかなければ大丈夫自分たちはそっち側じゃないか大丈夫。っていう安心感が欲しいんだろうね。そんなのまやかしなのに。

2023-09-11

二分間憎悪、してる人多くありません?

自分の恨みを忘れない為に、辛かったことを思い出して憎いやつらを思い浮かべてる、そんな惨めな人がたくさんいますよね?

特に弱者とされる界隈、自称被害者様とかね

アンガーマネジメントなんてまやかししかない、怒りは時間をかければかけるほど濃縮され、研ぎ澄まされ、自分に刻み込まれると言い聞かせてる哀れで哀れで仕方ない人たち

みみっちいなぁ、ちっこいなぁ、どうして許したり恨みを捨てないのか

後生大切に抱えたマイナス感情でどんどん腐り果てて、醜い怪物になっていってるのにさ

2023-09-06

HUMMING BIRD福山芳樹が参加してるバンド)のFLY AWAYマクロス7TRY AGAIN元ネタ)が「戦い続ける空に 夢失う瞳」だったと知った時

熱気バサラジョン・レノン文脈を受け継いでることが俺の中で確定した。

マクロス7戦争なんてくだらないから歌を聞け」

マクロス戦争手段として歌を聞かせよう」

マクロス7はそれまでのマクロスと異色の作品だったわけだが、それはまさにこの一点に尽きるのだということが完全に線で繋がった。

音楽の力」を信じる人間達の物語なのか。

戦争武器としての音楽」ではなく、「音楽の敵としての戦争」を描いていたのがマクロス7

なるほど。

なるほど。

エウレーカした。

俺はこれまで熱気バサラ精神を「物語の中の強烈な味付けのキャラクター」として捉えていた。

そうじゃない。

ジョン・レノンが見た夢を受け継いでる音楽家たちがマクロス7時代にまだ生き残っていて、それと同じミームからまれキャラクター熱気バサラだったのか。

メガネの形を見ればレノンがコンセプトにあるのは明らかなんだが、それが冗談なのか本気なのか俺には分からなかった。

それを本気でやってる人間熱気バサラとして歌っていたなら、間違いなく本気だったということだな。

魂で確信する瞬間とは面白いものだな。

今までの半信半疑無意味まやかしだったとしか思えなくなる。

俺は何を迷っていたんだろうな。

答えは明白だったという気しか今はしない。

2023-09-01

まやかしでいいか幸せにしてくれ

甘いことを言ってくれ

2023-08-28

anond:20230828122459

仮に幽霊霊魂があるなら俺が「死に追いやったらしい連中」から霊障が出てるだろうけど

それがないってことは死後の世界なんてまやかしということ

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2023-08-27

ぶつかりおじさんでバズろうとして解説が苦しいポストを見つけたので解説しなおす

「ぶつかりおじさんってのは女性側の予測能力がうんたら〜」みたいなことを言って自転車の右折を例に出してたポストに無理があると思ったので書く

https://x.com/transjyokyu/status/1695267379604025713?s=61&t=ARqfm4MiJ4p0S6vIEvVLIg

(アーカイブ) http://archive.today/HTndT

ようは「ぶつかりオジサン女性幻想予測能力がなくてぶつかってしまうだけ!」とあまり論拠のない「女性側の責任」を説いてる(と読んだ)

自転車自分の側に右折してくるときに「自転車遠心力で外に膨らみつつ曲がる、という予測ができない女性が避けようと思って結局自転車の前に出てしまう」どどこから持ってきたか分からん例を出してる

この例の想定している「自転車が右折時遠心力で外に膨らむコースを通る」がそもそも無い。

どうしても抗えないほどの遠心力は、生活道路で走る自転車だとそうそう発生しない。そんなに高速じゃないか

というか遠心力の有無に関わらず、自転車車道左側通行原則を考えればそもそもインコースは通らない(通ってはいけない)。イン切ったら対向の車両とぶつかるので。

なので「ぶつかりおじさんはまやかし」という言説に、あの図と説明文は使えない。

……ただしもうちょっと残酷解説ができる。

ご存じのとおり生活道路では自転車車道左側通行を守ってるシティサイクル(ママチャリ)は半々ほどで、インコース右折そのまま右側路側帯直進の3人乗り自転車なんてものに遭遇するのだって珍しくない。

何が言いたいかというと「この図の女性は、自転車を視界に捉えた瞬間によく向きも観察せずに『自分と同じようにインコースを曲がってくるな、危ないから避けよ』と思って横に動いてしまう」と「道交法に対する無知もしくは遵法意識のなさ」と「観察能力の低さ」を説けるというわけです。

予測能力で考えるよりも広範囲に効くと思う

2023-07-24

anond:20230722231220

「あ~~支配したい(中略)あ~~コントロールしてえ~~~~~」

マジでこれ「銀行から下ろした現金を運べば誰にもばれないとおもいこんでナチュラル犯罪しようとして凍結された」実家バカに対するオレの感情にみごとにあてはまったわ。

ただし感情真逆

一人で風呂いれさせると栓抜いたままで湯を下水にたれながしまくって湯沸かし器警報だしてとまったし。

そのことを指摘したら「あれガス点検した人に回数ばれるんだよね(累犯)」とカエルのツラに水。

翌朝一応風呂をみにいったら床においたシャワーヘッドから水だしっぱなしだった(地味な音がすべて聞こえてない)

成年後見制度使おうか検討するレベルだが

あんな叱っても叱ってもけろりとしてる認知症のなりかけなんかだれも面倒みたくねえんだよ!!!!!!!!!

あと鍋も空だきしてるらしいけどだれも一緒にすみたくないレベルの埃だらけのド田舎クソ家なんか全部もえちゃえば良いんじゃねえのしらねえけど

たぶん「あっ燃やしちゃったwまっいいか」くらいの反応だろ

フォロワー頼むからこれ以上あのバカをあまやかし増長さすな

老人のなかではしっかりしてるほうwwとかボケ自慢大会もりあがるっwwとかほんとクソい

2023-07-12

「ユアストーリーしてやろうか」って言葉便利すぎるな。最近だとlainコラボはなかなかにユアストーリーだったと思う。

「ユアストーリーする」とはそもそもどういう意味なのだろうか。

思うに「スタッフと鑑賞者の間で物語を共有しているという認識崩壊した」こそが「ユアストーリーする」なのではないだろうか。

単に「クオリティの低い作品を見せられる」というのは違うと思う。

なぜならユアストーリーラスト以外は素晴らしいから。

だけどあのラスト一発で作品の印象は沈んでしまった。

あのラストがあそこまで衝撃的なのは所詮ゲームである」と作中で語られたことにある。

それをひっくり返して「でも、ゲームは大切な思い出だよな」と揺り戻すことが出来れば、ある種の吊り橋効果によって制作サイドと鑑賞サイドが"マブダチ"になれた可能性もあるだろう。

でもそうはならかなったんだよ。

実際に「いやあ所詮ゲームとは思いますが、ゲームって本当にいいものですねえ」をした作品もある。

ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』はゲーム真剣になることが、人生に対しての素直な姿勢を呼び起こすという物語である

まりゲームに本気になりすぎて「流石にもうゲームやってる場合じゃないだろ」と見てる側が不安になるほどである

古い作品だと『ニュー・シネマ・パラダイス』は「映画所詮まやかしだ。お前の人生を生きろ」と作中で語りながらも、そのまやかしを通じて素晴らしい時間が確かに人生に生み出されていたのだと言葉よりも強いナニカとして鑑賞者に浴びせかけてくる。

ユアストーリーは出来たはずなのだ

ゲームなんて所詮遊びだろ。だが、その遊びの中に素晴らしい思い出があった」という気持ち映画を通じて誰もが感動として共有できる作品を。

実際には、鑑賞者だけがその思いを怒りとして共有し、無数の憎しみを持ってアンチレビューを巻き起こすという結末が待っていた。

コンテンツなんて所詮コンテンツだろ。だから、なんでもアリなんだよ~~~ん」は思い出を傷つける行為だ。

それは途中まで進めたRPG勝手チートコマンドを打ち込んで全てのステータスを999にしてしまうかのような、それまでの物語とこれまでの物語両方への強烈な否定となりうる。

コンテンツの扱いは保守的なぐらいで丁度いいのだと私は思う。

それが強いコンテンツであるほど、あまりに多くの人の思いが関わりすぎているのだから

さあ、次は何が「ユアストーリー」されるんだろうね。

2023-07-11

なんかどうでもよくなるな。なにも考えたくない。

腐らずにがんばって努力してやっとレールの上滑ってきただけのやつらと同じスタートラインに立てるんだ。私が血反吐吐いて這い上がってきた経験より金持ちの子女が親の金留学して「日本の文化と違うと思った」とかい経験の方が尊いんだ。小学生の頃からずっと勉強してきた私の1票より田舎のパチカスジジイの1票の方が価値があるんだ。

この島には平等・公平と競争格差のそれぞれの悪いところだけが煮詰まっている。

一番の被害者小学生だろう。塾では中受に受かるた競争競争学校では公平を謳う全体主義論理押し付けられる。大人だってそうだ。頑張れば頑張るほど重税を課される。これが”公平な”課税らしいが、一定額を超えるとまた税率が下がり始めるのは頑張りが足りないとでも言いたいのだろうか。これならいっそ経済格差社会階級によって棲み分けされる方がいい。頑張った者がバカを見なくて済む。労働者階級が変な夢を見なくて済む。これならいっそみんな揃って愚かで貧しくなればいい。バカも極めれば賢くなろうと思わないくらいには賢くなれるだろう。

この息苦しさはなんだ。この閉塞感はなんだ。この国全体が腐っていくような退廃はなんだ。

私たちは窒息している。知性と品位の欠乏によって。

私たち中毒状態にある。悪意と誤謬まやかしと虚偽に満ちた知性によって。

我々は少ないのだ。どうせ変わらないだろう。どうせ認められないだろう。しかしいつかはその時が来る。”人権”の何たるかを解さずに権力を振るう者が、理解止揚可能性をだいなしにする者が、聞く耳を持たずタテカン撤去する者がいなくなる時が。来たるべき時のために、我々は腐らず、壊れず、人事を尽くすよりほかない。

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