はてなキーワード: 愚痴とは
お前、部下の教育下手だろ。
愚痴なら付きやってやるぜぇ( ´,_ノ` )y━・~~~~
上司にプレッシャーかけられてしんどい時ほど、部下が自分の言うこと聞いてくれないと、胃がキリキリするよな。分かる。
こうやって、ウンウンうなづいてりゃ、女にとっては「理解してる人」だもんな。
コロナになって非正規の仕事しながら就活をしている。かれこれ90社くらい落ちている。もう疲れた。吐き出させてほしい。
40代の女だ。
これまではほぼ正社員だったが、リストラや家族の引越しなんかの理由も含め、転職回数は多いほう。今は「辛うじて収入ゼロではない」状態であり、薄給と貯金を食いつぶしてどうにか生きている。当然リミットはある。最近持病で入院したりもして、空白期間まである始末だ。今後の医療費も稼がないとならない。
ハロワも行って担当さんについて貰って定期相談している。応募書類も見直して貰った。転職サイトも複数登録した。そこからの求人メルマガにも目を通している。隙あらば普通に検索して求人を探している。友人知人にも仕事探していると伝えている。
エージェントと派遣会社は登録したけど無理そうなので放置。年齢が高い、経歴が多いと歯牙にも掛けられないからだ。
公的な氷河期支援は正社員経験者だと受けられなかったりする。氷河期対象の公務員試験は受けたが、自分のような無能が上位極少数の上澄みになど残れるはずがなかった。
今のスキルだけではどうにもならないので、別分野の勉強もしている。ただし習得には年単位がかかる。学んだところで高齢の業界未経験者が出来上がるだけかもしれない。面接では「向上心があるのは結構なことですが…」などと皮肉を言われたりする。よく言われる「意欲があれば年齢なんて」など、ただの美談に過ぎない。現実はこんなものだ。キャリアの一貫性とやらから見ると邪道なのだろう。が、スキルひとつでは現に食い詰めているのだ。
やれる仕事はなくはないが、生活出来る給与水準の仕事につけない。食べていけなければ現状と同じなので、こなせるだけではダメなのだ。歓迎されるのは、今までのスキルを安い労働力として使いたい企業だけ。「この分野には投資してないんで」とか「複数職種の正社員募集ですがあなたの応募したこの職種だけはまず非正規です。正社員登用制度はありますよ(ただし条件無理ゲー)」とかさ。未経験は応募しても全く通らない。年齢だろうな。
あと何をすれば世間に認めて貰えるのだろう。何をしなかったら良いのだろう。わからないから自分はダメなのだろう。
生きてるだけで年齢と職歴という罪状が積み上がっていく。自分は悪いことをしたんだろうか。どうして他の人は生きられるのだろうか。その差は何だったのか。考えても答えはない。疲れた。
更に生きているだけで損失も膨らむ。新卒時に入った生命保険の死亡保険金、この先自分が生きても同額稼げる気がしない。「死んだ方がマシとはこのことか」と絶望している。いっそ病で死んでいればこの苦しみも家族への迷惑もなかったのではないか。なぜ治療してしまったのだろうと後悔することがある。
ほんと消えてなくなってしまいたくなるが、そんな勇気もないから生きている。
メンタルは病んでいるのかもしれない。「しばらく休んだら」だと? 現状が改善されない限り治らない。もう休息や空白は作れない。これ以上不利になりたくない。金もない。
もう友人知人に愚痴も言えない。ずっと同じこと言い尽くしているから。「悩み過ぎじゃねえの」とかウザがられている。知ったこっちゃないよな、そうだよな。
上手くやってる訳があるか!!
「今度から外に娘を遊びに連れて行くには、三人の時だけにして欲しい。二人で出るのは出来るだけ避けたい」と申し出を受けた。
何でも少し前に、20分ちょっとかかるけど歩いて行ける距離にある義実家へ娘を連れてでかけた所を
たまたま会社の同僚の女性たちに目撃されたらしく、彼女らに「フェイクメンなんですねw」とからかわれたらしい。
『人前でチヤホヤされる為に人前でだけイクメンを気取っている夫』をそう呼ぶらしい。
旦那は家事も育児もきっちりやってくれるし、勿論仕事もちゃんとこなしている。
元々私はダラで、出産後の体調不良で結局フルタイムには復帰出来なかったしで
旦那には非常に助けられているし、フェイクメンとは程遠いと思うんだけど
以前にも色々と旦那的に心折れる事があって、今回が止めとなってしまったっぽい……
旦那は家事を今までの割合より更に増やすから娘の件はお願いするね、と言ったが、とりあえず外出の件については同意した。
以前にも、ショッピングモールで私の買い物があるから見ていてねとお願いして
小一時間程して待ち合わせ場所に戻ったら、警備員に取り囲まれていたり(他のお客に通報されたらしい)
小学校の通学路が交通量多いので出勤時の旦那に送って貰っていたら、父兄から先生経由でクレームがあったり
PTAに二人で参加したら後で暗に旦那さんの出席はご遠慮願いたいとクレーム受けたり
(別に何を言った訳では無いが、男が参加しているのを威圧的に思う人がいるからという)
公園に娘と二人で遊びに行かせたら、恐らく近所の人に怪しいと通報されたり……と、色々あった。
旦那と娘は私からしたら似ているけど他人が見てもすぐにはわからないだろうし、このご時世だし
男親だから警戒されるのはしょうがないね、とは旦那も言っていたんだけど、さすがに疲れちゃったみたい。
ママ友とかネットの知人とかの家事も育児もロクにしない旦那の愚痴とか聞いていると
SR旦那引けた!よっしゃ!って内心思ってたんだけど、夫の育児を一々腐す様な風潮のせいで
やる気無くしちゃってる旦那を見ていると正直つらいし、他人の事なんか気にするな!とも思いつつ
まあ周りからぶつくさ言われたらそりゃやる気無くなるよねー…とも思ったりもする
私だって、専業主婦気取りの寄生虫wとか言われたら、普通に不愉快だしやる気も失せる。
もちろん派遣先によって差はあるけど、良くも悪くもお客様扱いだからか
正社員の人達からは良くして貰える事が多いし、派遣同士でいがみ合う事もあまり無い。(もちろん無くは無い)
今の派遣先だと、このご時世だからかほぼ在宅勤務も出来ている。
給料もボーナス等は当然無いけど、毎月50万程度、ひとり暮らしだと特に困らない程度には貰えている。
正社員として新卒からそれぞれ3年、2年と2社務めたが、両方とも今考えなくてもブラックだった。
パワハラ・モラハラ・セクハラ・アルハラは当たり前の様にあり、
残業代もロクに出ず、ボーナスも謎の理由でカットされたりされた。交通費が満額出ないのは当然だった。
2社目を退職した時点ですっっかり働くのが嫌になり、半年ほど療養した後、
とりあえず派遣で働き始めたが、これが意外と快適だった。
良くも悪くもお客様扱いだからか、ハラスメントなんかも基本無いし、仕事内容もきちんと評価して貰える。
業務内容もある程度決まってるから、いきなり営業職でも無いのに営業行け、
営業で売上や成果を出せずに怒鳴られる、当然元の仕事は普通にノルマとしてある、という事も無い。
派遣でリハビリしつつ2、3年程働き、自信を取り戻して再び転職活動して正社員に戻ったが、そこがまたブラックだった。
痛い目みた経験から会社選びや雇用契約は慎重にしていた筈なんだけど、それでも
→嘘でした、含み残業代も何故かカットされて実際の給料は20万切っていた
→嘘でした、後出しで色々条件があって、幾つかの項目に該当しないから全然支給してくれなかた
→嘘でした、いきなり会社独自のツールで仕事させられて、使い方聞いても無視かスルーかキレられるし、
業務自体は経験者だから「経験者なのに使えないなぁ!」と更にパワハラされた
→嘘でした、試用期間の3ヶ月が終わると通勤2時間ぐらいかかる現場に転勤させられ、もちろん交通費も全額は出なかった
などと、嘘嘘嘘ばっかりで、1年持たずに退職して、結局派遣に逆戻りになった。
多分自分は正社員運みたいなのが無いんだろうなって感じていて、
このまま派遣でゆるく働いていきたいんだけど
もう年齢も30過ぎだし、結婚とかの問題が出てきてたまに凄く辛くなる。
この歳になると、交際前から結婚するかしないかの話とか出てくるし、
そうなると派遣で働いているという点がネックになってくる。
このまま一生独り身なのかな……と思うと、無性に寂しくなるけど
もし自分が女性なら、結婚相手は正社員で、自分は派遣でゆるく働いて
いけたのかもなって愚痴りたくなるけど
逆の立場なら相手が派遣だと不安になるのは当然だと思うし、自分が結婚できない
弱者男性として死んでいくのは当たり前で、どうにもならない事を羨んでも仕方無いけど
昨日、買い出しに行ったコンビニで、同年代っぽい子連れの家族を見かけてしまい、切なくなった。
苦しくて、眠れない。
なんかフィクション?らしいよ
世は情報化社会である。嘗て分割され知る事のなかった世間を垣間見、ルサンチマンの増殖する気色の悪い社会である。解脱より他に道はない
この気味の悪い隊列のひとパーツを成していた。いや、現在に至るまでもほとほと嫌気がさしたのみで飲み込まれたままとも言える。私は世間の若者と同じく何者かになりたい、正確に言えば既に「何者」かであると思い込もうとしていた。確かに将来に対する希望を持っていた、自分の力で切り拓ける何かがあると信じ、曖昧なまま先へ進もうとした。
小学生であった。H学園では中学入試の過去問すら解けず足切りの点数を宣言されて立ち上がったままの知人を「そういった」カテゴライズを内々に行い、性欲よりも先に歪な承認欲求を覚えた。もとより学校の人間は推して知るべしと言ったところである。
中学生となった。勿論合格した。Twitterを覚えた。これだと思った。学問という何やらクールな物に興味を抱き大学という何やらクールな物の範囲を進める人間へ憧れを抱いた。お受験を終えてお受験へと走り出す医学部志望のサイボーグは命の重みを考えたことが無く、心から見下していた。
高校生に上がった。全国大会へ進んだ。AクラスだのSAクラスだの音声を発しているサイボーグ達が霞んで見えた。学校としての成績は下位を取り続けていたがそもそも興味がなかった。取り柄のない人間のジャパニーズドリームだと思っていた。
日本代表候補になり損ねた。親の代から同じ事をしている人間がいた。ivyに行くのという人間がいた。彼らは資本主義の顔をしていた。美しく寒気のする顔だった。家も学校も港区?にあると言った。
大学に落ちた。勿論日本の大学だった。何もない人間がいた。激しく悔やんだ結果を自己主張としてレイプしぐちゃぐちゃになった精神を持って私大に拾われた私がいた。小学生の頃の知らない同級生と出会った。指定校?で入って来たらしい。頑張って良い大学に入れて満足だと、高校の三年間を頑張って良かったと笑顔で語った。
彼は彼のゲームをプレイした。彼女は彼女のゲームをプレイした。知らぬ間にデバッグでしかないものを行なっていた
久々にInstagramを開いた。珍しく気分の良い日だった。窓から差し込む日の光が綺麗で反射する置いたままの黒いゴミ袋は凪いだ海の様で繁茂した海藻の匂いは気にならなかった。私の散らかって行く人生と違い進んで行く彼らの物語がそこに並んでいた。
結婚式を挙げていた。合コンの愚痴を載せていた。シャンパンを空けていた。白木屋で呑んでいた。資金調達を行なっていた。彼らはゲームを続けていた。半端な脳味噌で博士課程に進みアカハラで見通しが立ち消え、どこの会社にも拾われなかった人間にこのゲームは向いていなかった様だった。しかしながら、彼らなりのヒエラルキーの中で生きてるのに十五秒で忘れられて行く物語は少しばかり滑稽で可笑しかった。私も十五秒で忘れられる。
式を挙げたのかは定かでない。陽は暮れていた
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。
住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。
父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。
父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。
子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。
母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。
子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。
そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。
わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら布団を抱きしめて毎晩過ごした。
わたしは体が小さく、運動はできなかった、また容姿もよくなかった。しかし勉強はそれなりにできた。
わたしは近くの中学校を経て、県立の進学校に進学した。わたしは少しだけやっていたスポーツをやめ、ガリ勉になった。
わたしの学力は上がった。地元の医学部の推薦を受けることの出来る成績であったし、父はわたしに医者になってほしかったようだった。
しかしわたしは官僚になりたかった。文部科学省で、子供の未来を司る教育を作りたかった。思い返すと、子供である自分が満たされていないことの代償行為かもしれない。
慶応には受かったのでそちらに行くことにした。当時は家がおかしいとは思っていなかったが、家で浪人はできる精神状態ではなかったというのは無自覚ながらあったのかもしれない。
滑り止めは大阪大学の予定だったが受けなかった。そのとき父が単身赴任で大阪に行っていたので、やはり避けたかった思いがあったのかもしれない。
大学は刺激的だった。
わたしはいわゆる陽キャに分類されるであろうサークルに所属し、おそらく人生で一番楽しく充実した毎日を送っていたと思う。
そこにいた彼らはみな優秀で誠実で、親の愛と期待、また財力もあった。彼らのほとんどは期待と自信に満ちあふれていた。
彼らは本当に善性に満ちあふれていて、世の中を肯定的に見ることが出来るのだ。育ちが違うというのはこういう事を言うのだろう。昔話題になった低学歴の世界と高学歴の世界はまさしくこれである。
そのうち、わたしに初めての彼女ができた。今思うと浅はかな考えだが、わたしは全くもてなかった、だから当時、彼女さえいればバラ色の人生とは行かずとも人生が好転すると信じていた。
しかし、それは何も自分の渇きを癒やしてくれなかった。自分の持っている悩みは解決されないまま恋愛関係という新たな悩みをわたしにもたらした。
わたしは彼女と別れた。そして気まずくなりあまりサークルに行かなくなった。
年次が進みわたしは就活に向けて、大学向けの官僚の話を聞きに行った。そしてショックを受けた。そこに来たのはみな東大出身だった。自分の大学向けの講演であったにもかかわらずだ。少しは慶応出身のひともいるはずなのに。
わたしは後悔し、東大に行けなかった自分を恥じた。そして受ける努力もせず官僚を諦めた。
わたしは堕落し、成績はどんどん低下した。お金もなかったが留学するだけのGPAも全く確保できていなかったと思う。卒業はぎりぎりだった。
わたしはインフラ企業に就職した。安定した企業で地方転勤がない会社に入りたかった。NGだけがあってやりたいことが思いつかなかったので公益性などを考えた、いや就職のための美辞麗句として使用しただけかもしれない。自分でもわからない。なんだかんだで父を尊敬していたのかもしれない。
しかし、コンプレックスは拭えなかった。先輩方はみな電通や博報堂に入社していた。そもそもわたしは受けもしていない。
同じサークル出身でまさに文部科学省に入った同期もいた。ハンデを乗り越えて入省した彼は本当にすごいと思う。しかしわたしは怖くて彼と連絡をとることはできなかった。
わたしは会社で体育会系の部署に配属され、不眠症になった。不眠症は一項に改善されず処方される薬はどんどん増えていった。
わたしは仕事にやりがいも見いだせず、また傍目にも優秀とは言えなかった。当然ながら、出世コースに乗ることはできなかった。
他の会社は違うのかもしれないが、この会社は出世ルートから1度でも遅れたらもう二度と追いつくことはできない仕組みになっている。
しかしやる気はでなかった。そもそも出世したいかしたくないかもわからなかった。しかしお金は必要だった。
わたしはそのうち花形部署に配属された。それなりの残業代を得て、それらはすべてソーシャルゲームに消えた。
そこではわたしの評価は勝手に上がるようになった。私は上位の等級に選ばれ、少し位が上がって係長になった。同期では真ん中くらいか少し遅いほうかもしれない。
昔の部署で自分より年下の後輩が係長になっていたのを見て、ショックを受けていたわたしは少し持ち直した。
そもそもそれでショックを受けるまで出世がしたいとも思っていなかった。もはや取り返しのつかないことだが。
わたしは奨学金を借りていた。そして、借りたお金を利子がつかないよう両親が建て替えて両親に返す形になっていた。
なぜかそれが親の好意みたいな形になっていたし、そもそも払えるじゃないかとも今は思う。そして母は利子をつけない代わりに、支援機構の倍の速度での支払いを要求した。
わたしは10年かけてそれを返した。そして最後に振り込みをした日に両親と絶縁した。
わたしは外から見たら、おそらくそこそこ恵まれているように見えているのではないかと思う。
部屋は最新のガジェットとデザイナーズ家具で溢れている。椅子はアーロンだし、キーボードもRealforceだ。Alexaは一声かけるだけでシャンデリアを操作してくれる。なのに、わたしは大枚はたいた高級ベッドの上で、大の字で寝ることもできず、子供の時と変わらず隅っこで布団を抱いて眠ることしかできない。しかも大量の睡眠薬が必要だ。
わたしは人の顔を思い出すことができない。父も母も妹も昨日あった同僚でさえもゼロから顔を思い浮かべることができない。
この間、しょっちゅう配信のアーカイブを残さないことがあるVが「毎日がんばって配信してるのに伸びなくて辛い」とか言ってて変な笑い出たわ。
歌枠で上手く歌えなかったから配信のアーカイブ残しません!だの、ゲームで上手く立ち回れなかったからアーカイブ残しません!だのやってたら、後から知った人間がチャンネルの動画ページ見ても配信頻度低い怠け者なんだなとしか思わないだろ。
視聴者のうち誰もお前が歌ウマだともゲーム上級者だとも思ってねーよ。
> あら…お疲れ様でした。それにしても、サイト閉鎖で記事が読めなくなるってのは、電子化の脆さを感じる。紙の本なら作成後の維持費はかからないけど、ウェブサイトはどうしても維持費が継続的にかかるからなぁ
いや、紙でも維持コストかかってるよ。君が見ていないだけ、出版という形態をとっているのなら保管維持のコストは各自で分散して支払っている形。
最初っから電子形態のメディアに対して「電子化の脆さ」とか言い出すのはどうなんよ。
> 急でびっくりした。サービス終了で記事ごと消えるのはホントリスクだなぁ。ネット図書館みたいなものの整備が待たれる。インターネットアーカイブとかあるけど有料サービスは見れないよね?
リスク解消に係るコストをあなたが支払いなさいよ。何を他人任せにして「ネット図書館みたいなものの整備」やねん。
有料サービスの購読などでは賄いきれんということでしょう。
> 思い入れある記事とかがあるわけでもないし維持コストもわかるんだけど、見られなくなるのはnoteを提供する会社としてそれでいいのかというか、やっぱちょっともにょるな(はてなグループのときと似た気持ち)
提供の役目を終えたと言っているのに「noteを提供する会社としてそれでいいのか」とか返しなさんな。
維持コストが分かるんだったら君が支払いなさい。
おはよう。突然ですが切れ端のスペース借りてゴミ羅列していくね。
フォロワーの元フォロワーってだけで絡んだことない知らない他人だった、
例の界隈のAさんのクローンのような人種(他責思考100%・認知が歪みきった365日どのツラ被害者仕草続けてる妖怪)にブロされた。
わざわざ書きにきたのは、フォロワーが妖怪に逆恨みされたついでに私までそいつの誹謗中傷ターゲットで人格攻撃ツイートされまくって鬱憤溜まったせい。
(妖怪によればあくまで愚痴なんだってw自分は誹謗中傷なんかしたことない清らかな人間wって思いこんでる認知がまさに妖怪)
いつまで続ける気だいい加減にせえやこのゴミがって言いたい。言った
言語化するとストレスぶり返してくるから避けてたんだけど書いた。
ツイート報告してるから妖怪には何らかの処理が動いてるらしいけど、
妖怪は過去の粘着野郎(正しくは妖怪に誹謗中傷された過去の被害者)の仕業って勘違いしてる。おめでてぇ頭だな。
妖怪自身が界隈で絶対に近づいてはいけない・「名前を言ってはいけないあの人」扱いなのに(定期的にツイ消しするから何も知らずに近づく被害者が後を絶たない)
妖怪こそが誰よりも精神医療のお世話にならなきゃいけない誹謗中傷人格攻撃ピッチングマシンなのに、
妖怪は、自分自身のことを民度が低い界隈からいつも苛められる清廉潔白な被害者って認知してる。一足早い真夏の怪談か。
(信じてるなんてチャチなもんじゃねえ彼女の中ではそれが現実ってことだマジで病院行け)
相手じゃなく自分の側に0.1%でも非がある可能性は、0.01%も省みない。だって彼女は人間じゃなく妖怪だから。
そういうマジでヤバイ人間の存在から妖怪の概念って生まれたんじゃないかと真剣に考えちゃったw
実家の借金が分かってる範囲で4桁万円ギリギリある事が分かった時は、
本当に目の前が真っ暗になってブッ倒れた。
倒れたのが自宅で本当に良かった。
母親は一応正社員の仕事してたけど余裕は無いって言うんで、大学は奨学金とバイトで乗り切った。
上の妹が大学に進学するというので、それは母親が全部出すと言って、何で俺は奨学金なんだ?
と思ったけど、元々母は妹達との方が仲良かったし俺は長男だしで仕方無いなとは思ったんだけど
妹の学費に関しては「貯金も無い」からと、入学金その他諸々は親戚からの借金で賄った、
それ以外にも親戚や親しい知人(自分も知ってる人)に多額の借金があると言われた。
何で言わなかったのか?って言うと、○○君(自分)が頑張ってるのに水を差したくは無かったと。
でもこちらも生活があるので、待ってはいたけど返済が無いから催促したとまで言われた。
借用書もあり、言い逃れも出来なかったし、母は下の妹と自分達の生活費だけで精一杯だと言うので、自分が肩代わりする事になった。
新卒当時、年収の手取りを計算すると240~50万ほど。借り上げのアパートで家は安く住めたので、生活費削れば月10万、120万でいける。
そうしたら100万以上返済出来るから、10年頑張れば返せると踏んだ。
本当にギリギリなので、病院にも行けなかった。コロナがはやってなくて本当に良かった。
風邪になった時は会社に備え付けの薬を貰ってたけど、あまりに自分が使うものだから、たまには自分で買って下さいと
若い事務の人に嫌味を言われ、本当にお金無いんです病院にも行けなくてでも働かないと給料下がってしまうのですみませんと
事情を話したら、一緒に聞いていた事務のおばちゃんが同情してくれて、以後は使いすぎなければOKという事になった。
おばちゃんはそれ以降も良くしてくれて、差し入れと称して色々おすそ分けをくれたり、
仲が良いという上司に「あの子、頑張ってるみたいだから評価して上げてね」とか言ってくれたりしてくれた。
おばちゃんは後1年で定年退職という時に、体調を崩してそのまま退職する事になったと言われた。
葬式にも行った。おばちゃんの家族は号泣していた。自分も泣いていた。
自分も仕事を頑張って、(おばちゃんの口添えもあったのかもだけど)評価も給料も上がっていった。
でも、今度は下の妹も進学すると、やはり女の子だから苦労はかけさせられないと、でも進学させるお金は無いからと言われ
その費用も追加で負担。正直、羨ましいとか何で俺だけ?と思う事もあったけど
将来の為だからと思う事にした。
昨年、ようやく借金が全て完済した。
と言っても、自分の奨学金は支払い猶予ばかりで全然返済出来ておらず、自分の借金は残ってる状態。
でもようやく肩の荷が下りた気分だった。
最終的には、1000万じゃきかないぐらいの借金とか学費とか払っていると思う。
年収は当時の3倍近くになったけど、ずっと10万ちょっとの生活が続いていた。
仕事と家の往復、ネットとネットの無料コンテンツだけが楽しみだった。
とても30代の趣味・生活とは言えないけど、お金が本当に無かったから仕方が無い。
何故か実家はかなり綺麗になっていた。聞けば色々リフォームしたのだと言う。
妹達も帰省していたが、家族もいるから2、3日しかいれないね、という話。
俺は知らなかった。
薬剤師として県外の病院に就職した筈の上の妹は、そこで旦那に見初められて、結婚したという。
コロナ前だったから、結婚式も盛大にあげて、一生の思い出になったと母は嬉しそうに語った。
下の妹も結婚していた。
コロナが流行るギリギリの頃に披露宴が出来てラッキーだったと。
互いの友人知人達を呼んで、100人規模になったから、今じゃ絶対出来ないと語っていた。
俺は本当に知らなかった。何で教えてくれなかっのか?と言うと
母も、俺は仕事人間だし、つまらない人間だから、あっちの旦那家族と合わせて
変な顔されると嫌だったのよねぇ、と言った。
俺が無言になると
「金を出してるからって、恩着せがましく思わないで。浅ましいのよ」と上の妹に言われた。
男なら細かい事に愚痴愚痴言うな女々しいと、母に怒鳴られた。下の妹は大笑いしていた。
俺はそのまま家に帰った。
しばらくは在宅メインに切り替えたい意向も示した、体調が最近優れないからと。
コロナってある意味便利だな、こういうのが通りやすくなってるから。
今は誰にも会いたく無かった、といっても特別仲の良い同僚とか上司もいないけど。
誰も話す人がいないから、こんな事を吐き捨てている。
俺の人生なんだったんだろう?
せめて、口先だけでも、感謝まではいかないけど、俺の存在を家族にぐらいは認めて欲しかったけど
こういう所が女々しくて嫌われたのかも知れないな。
実家は居心地が悪いので家を出たいためフルタイムでの障害者枠を探していました。なかなかないんですねフルタイムは。
短期バイトを繰り返しながら2年、やっと見つけた会社。一人暮らしも賞与でギリギリやっていける給料です。
就職して2年がたとうとしていましたが今だに仕事になれず毎日心が折れそうです。1日1日を生きて行くのが大変。
そんな中、発達障害者同士で話のできる茶会?のようなイベントがあるということで参加しました。
このイベント、仕方がないのですが古参の人が楽しそうに喋っています。
その中で生活保護をもらっている方が魚をさばいて食でいるですとか服が多く置いておく場所がないという話を明るく話していました。
私は服なんここ数年てスーツかYシャツを数枚買うくらい。私服なんて買えません。食事もできるだけ安く自炊するため肉、魚は月1回食べられればいい方です。
私自身も生活保護は申請して落ちました。仕送りももらっていません。
もしかしたら苦しいことも沢山あるのかもしれないのですが、楽しそうに喋るその方の話を聞いてるとなんだか泣きそうになりました。
世の中に大勢私より苦しい人もいると思いますしわかっているのですが、生活保護を受けて楽しそうにしているその人を見てとても悔しいです。
そんな話。