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2019-03-11

Vtuberが同じゲームや歌をやりがちなのは視聴者が求めてる

Vtuberが好きでけっこう見てるんだけど、同じゲームを色んな人がやる傾向があるんだよな。

あと歌ってみた選曲も似た曲が多い。

新発売のゲームや仲間と一緒にやることに意味があるゲーム、新発表の曲ならまあわかるんだけど、そうではなく発表後何年もたってるのに「定番」みたいに色んな人がやる作品がかなりある

ゲームだったらホームランダービー、ドキド文芸部、ゴートシミュレーター、OUTLASTとか。

歌ならロキ、シャルル、Lemon、命に嫌われている、いけないボーダーラインなど。

他であまり見ないゲームなり歌なりをやってくれてる方が新鮮で面白いのになんでだろうと疑問だった。

もちろん、本人が興味持ったならそれが面白い動画には一番大事なんだけど……でも、興味を持ったゲームが2つあったとしたら、エンタメを重視する配信者としてはあまりやられてない作品をチョイスするだろうに、同じ作品ネタにするのがやたら多くないかとずっと思っていた。

ゲームの方は規約的に許可されてるのが限られてるとかもあるのかもしれないが、歌はボカロに限ってもめちゃくちゃ沢山あるわけでさ。

でも最近気づいた、あれってむしろ視聴者が同じものリクエストするんだな。

○○さんのドキド文芸部実況プレイ面白かったから××さんにもやってほしい、△△さんのロキがよかったから□□さんにも歌ってほしい、という視聴者が多いんだわ。

ミュージシャンライブ新曲やるより定番曲を演奏する方がウケるし、オーケストラも隠れた名曲よりワルキューレの騎行とかボヘミアンラプソディーオーケストラアレンジをする方がウケるみたいなもんなのね。

俺は知らんけど、リアルYoutuberとか歌い手とかも似たようなとこあるのかもな。アニソンカバーバンドGod Knowsやるととりあえず盛り上がるとか。

なので、同じ題材を色んな人がやることは納得するわ。

そのぶん珍しいゲームや歌やる人をすこるわ。

まあもともとゲーム実況や歌ってみたよりフリートーク沢山する人をメインに見てるんだけど。



3月13日追記

折角だから珍しいゲームや歌だなと思った動画を紹介する。

セレクトしはじめたら割と多いのでとても絞った。

あと正直俺は有名処ばっか見てるからブレイク前だけど注目っての知ってるなら各自書いていってください。


金剛いろは

Steamで安いゲームを試しに買ってプレイしてる

月ノ美兎 

ヨーロッパ企画

みるくぷりん

ファイナルファイト




歌。

目新しさで言えばオリジナル曲が最強なんだけど

Vtuber業界大手はだいたいオリジナル自分たちで作ったりファンが作ってくれるというありがたい環境なので

敢えてカバー曲に縛る。


KMNZのLITA

琥珀色の街、上海蟹の朝 /くるり

悪党の詩/D.O

水科葵

PINK/土岐麻子

蒼月エリ

花瓶の花 /石崎ひゅーい

ロボ子さん&樋口

PLATONIC GIRL/みきとP

森中花咲

いかないで/想太

2019-02-27

3大シングルの出来とアルバムの出来の差が激しいバンド

くるり以外にある?

2019-02-16

Number girl再結成する

というニュースtwitterで見て、しばらくなにかの冗談かと思って固まってしまった。

それから自分がまだ京都大学生だった頃、京大西部講堂や、くるりと一緒に京都磔磔でやったライブを見たことを思い出した。

はじめて朝まで徹夜で飲む、という経験をした帰り道。omoide in my headの「気がつくとそこに17歳の俺がいた」って部分を、空が白んで誰もいない街中を、多分そこそこの声出してフラフラ歩きながら歌って、勝手共感してた自分は、今から思うと、まだ二十歳そこそこの若者だったのだ。向井さんが、omoide in my headを作ったのも、二十歳そこそこの若者だったのだから別に間違ってはいないのだが。

最早CDが聴ける機器を所有してないので、Spotifyomoide in my headを聴いた。

今、30代も半ばになって、朝方に17歳自分の幻影を見るという歌詞共感するというのは、もはや罪悪感を抱いてしまレベルで、素直には言えないのだけども……実はこの曲、17歳の時を思い出してる20歳の時をプレイバックしてる30代の自分、という歌だったんじゃないか?と思うくらい、勝手共感して感傷的になってしまった。

これに少しでも似た感情を抱くのが、人生であと何回かでもあるのだろうか、と思うと……。なにかを好きでいるという経験は、本当に捨てたもんじゃないな。

2019-02-01

ほぼ同年代で親しみを感じていたくるりが近寄りがたい存在になってしまった

興味が失せた、ではない。近寄ってはダメだ、という心理的ブレーキがかかってしまう。

そんなの、どう考えても当の御本人方には不本意だろうし、そんなふうになるつもりなんて1mmもないだろうに。

なんでだろうと考えると結局、ある程度人生進んじゃった状態でおれは世間のレールから外れ、落ちこぼれ一般人キャッチアップするのがほぼ絶望的な状況になって、そんな時に同年代比較対象、それも社会的にかなり成功している人々に注目することは自身精神さら破壊することになるので本能的に避けざるをえない、好きだけど避けざるを得ない、という状況なのだろう

2019-01-12

くるりと回って〜ぽーきぽーき

わあああああああああああ

2018-12-30

anond:20181230234043

絶対聴いてないやでマジで

この間も最近の曲上げろっていったら大昔の曲しかあげてこない

あのさぁっていうね

つかワイは アニマルズ とか ジャニス・ジョップリンとか、その他カントリージャズなら聴くやで

ただし現在アーティストカバーしてる版の方が好き

くるりチバユウスケベンジー聴く人間椅子聴くサンボ聴く

矢野顕子聴くEGO-WRAPPINも聴く

その上で最近アーティストフツーに好きだが???

2018-11-01

"オタク"になりたい

自分にはオタク気質がない。オタク気質がないということに絶望する。

何か1つでもいいかものすごく詳しかったり、他のことを放り出してまでも打ち込める何かを持っていたりしたい。オタク気質がある人は話をしていて面白い。どうしてそんなことまで覚えているの。なぜそんな着眼点を持ってそのコンテンツに向き合ってるの。

趣味は何?好きなものは何?と聞かれて、胸を張って答えられるものが何もないということに最近気付く。

音楽がそこそこ好きだ。でもUKロックオタクであるはずもなくビートルズを齧ってるくらいだし、オルタナオタクであるはずもなく友人から教わったWeezerBlurを聞いて気持ちよくなっているだけだ。くるりフジファブリックというバンドが好きだけど、何らオタク視点で語ることのできるものは何もない。歌詞が良いメロディが良い。そんなこと誰でも言えるし知っている。

映画もまあまあ好きだ。じゃあ1番好きな映画は何?と聞かれても答えられる自信がない。LEONライフイズビューティフル?バックトゥザ・フューチャー?全部観たことはあるけど、じゃあ監督は誰?その監督作風は?どういう背景で作られた?あのシーンは何のオマージュ?何のメタファー?知らない知らない知らない。駄目だ語れる映画がない。面白かった、好きだった、とかい感想しかないのだもの

結局のところ中流サブカルとして色々なコンテンツに首を突っ込んでいくしかないし、それが自分的には良いもの純粋に良いと思えるスタイルなのかなと思ってはいるんだけれども。別にオタクになりたいとまでは言わないけれど、でもやっぱり憧れはあるよね。

2018-10-03

退社後の帰り道で聞くシティポップのおススメを教えてください

シティポップっていうのかも分かりませんが・・・私が好きで聞いている曲は以下の通りです

多分、風/サカナクション

エイリアンズ/キリンジ(ようつべに上がってる杏さんがカバーしている方が好きかも)

クロノスタシス/きのこ帝国

琥珀色の街、上海蟹の朝/くるり

接吻/Original Love

愛を伝えたいだとか/あいみょん


tofu beatsとかキリンジもうちょい聞けとか言われなくもないラインナップですね。夜っぽい曲が好きなのかもしれない。

ほんとに好きなアーティストスピッツ

2018-09-19

チャリ事故った

今朝の話。

いつものようにだるい気持ち通勤のためのチャリにまたがる。

クロスバイクという街乗りに向いてる少し速いチャリ毎日相棒だ。

苛立つ車の往来の中で生き残るためにはバックミラー必須で、ハンドルの端に刺さるようなミラーをつけている。

ぶつかっても危なくないようにか、ちょっとした衝撃でくるりと曲がるミラーは、駐輪場から出してくると大抵そっぽを向いていた。

それを乗り始めてから直すのだけど、覗き込んだときにちょうど真上を向いていた小さなミラーに映された空の青さにはっとなった。

向かう先の空はどんよりとした雲が多いけど、私の頭上だけすっかりと晴れているようだった。

いつもの角度に戻そうとする手を止め、今日はそのまま空を見ながら走るのも悪くないかなと思った。

意地悪な車に幅寄せされても、要塞みたいな電動ママチャリが逆走してきても、ちょっとミラーを見るだけで心が和んだ。

でもそれがよくなかった。

少し空に見とれていた瞬間に、縁石に斜めに乗り上げてバランスを崩して電信柱に激突。

そのまま歩道で仰向けに倒れ込むと、視界にはこれでもかというほど青い空が飛び込んできた。

なんだ。はじめからこうすればよかったのか。

痛みで涙が溢れたけど、あまりにも当たり前な方法を見落としていた自分が可笑しくて大声で笑った。

要塞みたいな電動ママチャリから怪訝そうな顔をした主婦が覗き込もうとしたが、笑っているわたしに気づくと早々に走り去っていった。

今は河川敷に寝そべりながらこれを書いている。

2018-09-04

無言で買い物

爽やかな好青年商品レジに置くと、さっそうとした態度で親指を横にたて、自分Tシャツを指し示した。

TシャツTポイントカード持ってません」

明朝体で書かれたTシャツ前面のプリントを見た店員は、一瞬の間を挟んで、会計を済ました。

店員「1248円になります。」

すると青年くるりとまわって背中を見せ、輝く笑顔とともに、肩越しにTシャツ背面を指し示した。

TシャツEdyで」

店員が手慣れた手つきでEdyタッチ画面を表示させると、青年はまたたく間にEdyタッチを済ませレジを通り過ぎていった。

anond:20180903183046

2018-08-28

ちびまる子ちゃん」の連載開始時、私は『りぼん』を既に読み始めて

いただろうか?

さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。

当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎女児ぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。

その『りぼん』で、明らかに異質だった作品が二つあった。

言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症である

私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。

逆に「ちびまる子ちゃん」は癒し作品だった。恋愛もの息切れした女児オアシスのように、まる子はただただ普通に家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカル空気を携えて、毎月私の所へやってきた。

そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃん引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。

お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。

乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん作品は、基本的には未来指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。

そういう理想の学園生活キラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。

女の子はいつか好きなひとが現れる」

「今よりももっとかわいくなれる」

その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。

作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。

その点で、「ちびまる子ちゃん」はラクだった。

前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代モデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。

まる子も成長し、恋愛や友人関係自分コンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ

私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。

勿論リアルタイムで読んでいた小学時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。

クラスのどのカースト女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品代表格だった。

その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配コラボ掲載巻は実家にあると思う。

成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。

そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。

私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。

しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。

どうか、ご冥福をお祈りいたします。

ただ、訃報に触れて思い出してしまった「ちびまる子ちゃん おこづかい作戦!」。

てめーはお年玉をつぎこんでしまった元小学女児として許さねえよ……という気持ちは、今も捨てられないようだ。

2018-07-19

国道246号沿いにティシャツパン姿のおっさんが5秒に1回とてつもないくしゃみをしながら歩いていく。

周りの人たちはおっさんからまれないようにと、くしゃみに気づいてない風に装って素通りする。

そんな中、私は反対車線の遠くからおっさんを観察して、変なおっさんおるなーとにやにやしていた。

歩道橋を渡っておっさんの後ろに回りこんだ。やはりおっさんは5秒に1回とてつもないくしゃみをしている。

私はにやにやしながらおっさんの後をつけていったが、ふと、おっさんが立ち止まった。

おっさんくるりと向きを変えてこちら側に引き返してきた。

にやにやしていた私は何とかおっさんから視線を外し、なぜだろう、私も向きを変えておっさんから逃げるように歩き出したのだ。

時々後ろを振り向いておっさん確認すると、振り向くたびにおっさんの姿が大きくなっている。

私は焦った。おっさんは私に気づいてしまったのではないか

私は走った。おっさんも走った。

そんな夢を見た。こわい。

2018-07-04

チャットモンチーの完結、マスドレの復活

チャットモンチーが「完結」する一方で、マスドレ今日7月4日、8年ぶりにオリジナルアルバムを発売した。タイトルは「No New World」

マスドレことMASS OF THE FERMENTING DREGSは知る人ぞ知るガールズバンドだ。厳密に言えば元ガールズバンドだが。

もともと3人の女性構成されていたこバンドは、11年前にEMIミュージックジャパン主催オーディションにて高評価を受けデビューアルバム発売の機会を得たことで注目された。ナンバーガール見出し加茂啓太郎が関わったこオーディションは、特典としてこれまたナンバーガールプロデュースで知られたデイヴフリッドマンと共にレコーディングが出来るというもので、ロキノン系ファンの関心を引くものだったのだ。

今はどうだか知らないが概してロキノン系ファンというものは、流行ものが嫌いだが権威主義であるMステ常連バンドリア充に食わせて、自分雑誌経由で知ったビクターのSpeedStarやEMIのGreatHuntingが激推ししているバンド洒落込んだつもりでいる。

当時はサカナクション相対性理論ニューカマーとして取り上げられていて、マスドレ含めそんなバンドたちの曲を僕は下校途中にMP3プレーヤーリピート再生していたものだ。

マスドレデビュー前にドラマーが脱退したためサポートメンバーを迎えて活動していたものの勢いは衰えることなく、くるりトリビュートアルバムに参加したり2ndアルバムを発表したりしていよいよ2010年メジャーデビューが決まった。同時にサポートメンバーであった吉野功が正式バンドに加入し、いよいよこれからと思った矢先、同年12月ギター石本知恵美が脱退した。

ディストーションディレイきらきらした轟音を体から絞り出すようにかき鳴らしていたそのギタリストは持病の治療のために離脱してしまった。「ひきずるビート」という曲にて歌われる

足を止めずにどこへ行くのか

ここがどこかも分からないまま

加速していくだけのビート

いま、消えそうだよ

という一節が疾走感のあるバンド雰囲気と相まって悲痛な叫びのように聞こえた。

オリジナルメンバーVo/Ba宮本菜津子だけになったマスドレはぱたりと話題にあがらなくなった。追い討ちをかけるように一年後に吉野功もバンドから離れた。事実上解散である

バンドの持ち味であるこだまする様に響くギターベースの音、牧歌的にもシャウトしているようにも聞こえるボーカル破滅的な歌詞。それら全てがこのバンド燃え尽きてしまうことを暗示していたかのように聞こえて、長い間僕はマスドレ聴くことを避けるようになってしまった。

チャットと同じようにマスドレメンバー離脱で空いた穴に悩まされたバンドだ。

チャットモンチー2011年高橋久美子の脱退でそれまでの様な活動ができなくなりさまざまなスタイル紆余曲折した。マスドレ宮本菜津子が砕け散ったピースを少しずつ再構築していた。2組のバンドにとって時代2011年で一旦終わっていて、それから2018年までの7年間は次の時代のための模索期間だった。

僕が好きだったのは3人のチャットモンチーであり、石本知恵美のいるマスドレだった。でももう全て変わってしまった。

マスドレの「終わりのはじまり」という曲にはこんな一節がある。

歩いて行けば

ここから続いていく道は

君の思い描く色に染まっていくよ

さよならこんにちは

繰り返しているんだ

君もぼくも同じ今日のもと

バンド解散メンバー同士の別れではあるが、各メンバーのこれまでの功績と今後の活動は同一線上にあって決して分断されない。別れや出会いで区切られているように見えるだけ。「No New World」"新世界ではない"というようにマスドレメンバーが変わっても、かつてと地続きで繋がっている。

僕はチャットモンチーメンバーがすっぱり別れていくのを見届けるため「誕生」をちゃんと聴き直したい。

そして戻ってきたマスドレを迎えるためにはやく「No New World」を聴きたい。

anond:20180703230839

2018-05-09

アニメとがゲームのオープニングムービーでよくある「キャラが横を向いてて、また別のあらぬ方向にくるりと振り返る」やつ、好き

2018-03-09

音楽を聴かなくなった

タイトルの通りです。

いま30代前半なんだけど、10から20代前半の頃はよく聴いてたのよ。毎日新聞配達しながらMDプレーヤーくるり図鑑とかradioheadkid Aとかミッシェルサブリナヘブンとか聴いてさ、ド田舎から街全体がカラオケみたいなもんなわけよ。夜明け前国道カブかっ飛ばしながら爆音で聴いて、爆音で歌ってさ。そんときの全能感ったら半端なかった。まさにワールドイズマインって感じだった。

いまは全く聴かないなあ。歳食ったからなのか、環境が変わったからなのか。好きなバンド新譜出したら初日に買って、とかもしなくなった。てかそういう情報も全く調べなくなった。なんでだろうなあ。寂しいなあ。

2018-01-12

ギャップに勝るものはないという話

くるりcoccoコラボバンド、SHINGER SONGERの初花凛々という曲がある。

私は、coccoという女性を「怖い人」だと思っていた。拒食症自傷癖を告白した雑誌の表紙でしか彼女を知らなかったから。偶然「カウントダウン」という曲を聴いたとき、「やっぱり怖い人じゃないか!」と思った。charaの「やさしい気持ち」を暴力的にした感じの曲だからだ。

しかし、「初花凛々」という曲はあまりにも透き通っていた。癖のないメロディに伸びやかな歌声。ドス黒い愛憎歌を歌っていた人と同じ人とは思えなかった。思ったのは、同じ人がこんなに違う歌詞を書けるんだ、ミュージシャンはすごいな、という率直な感想だった。

同じことをシルベスター・スタローンでも思った。

80年代的な筋肉バカ映画英雄、というイメージは、『ランボー』に粉砕された。ロボットのような殺人マシーンのベトナム帰還兵が、小さな町を破壊し尽くしたあとでメソメソと泣く。彼をマシーンに仕立てた上司に付き添われてパトカーに乗り込む姿は、ちっともシュワちゃん的ではなかったのだ。

そして、『コブラ』でスタローン萌えに目覚めだ。ボブルヘッドの動きにあわせて頭を振るスタローン可愛いこと。クソ映画だけどスタローンかわいいというパターンが多いことにもまた気付いた。シュワちゃんも、ヴァンダムもよく見ると可愛いマッチョマン可愛いのだ。『ランボー』を観る前に、マッチョマン可愛いと思ったことはなかった。私の未熟な価値観を、泣き虫ジョン・ランボーが変えてくれた。

coccoに対して抱いていた恐怖心のすべてが消えたわけではない。coccoの怖い一面は魅力の一つだということに気付いただけでも成長なのだろう。「初花凛々」を聞いていると心が安らぐ。エンヤに癒やされたことはないけど、coccoには癒やされた。ギャップは素晴らしい。この驚きが味付けの一つになっていることは否めない。

 

初花凛々のリンク貼っとくわ。Mステ動画らしい。coccoめちゃくちゃ緊張してんの。でも歌声は伸びやかで透き通ってるのよ…このギャップもいいのよ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm27590409

2017-12-05

くるりのJubilee

Jubileeって曲知ってますか?

どなたも、チオビタ牧歌的CMで耳にしたことがあると思う。

語源ヘブライ語のヨベルに持つ言葉で、歓喜記念日、祝祭とかそういう意味

Jubilee 歓びとは 誰かが去る悲しみを 胸に抱きながらあふれた 一粒の雫なんだろう なんで僕は戻らないんだろう

この部分だけ抜き出してどうこういうのは野暮くさいとも思うけれど、どうしてもこの部分が胸に引っかかる。

心地いいんだと思う。響くんだと思う。でも「誰かが去る悲しみ」からあふれるものが、どうして「歓び」なんだろう。

「誰か」との出会いがもたらしてくれた、素晴らしい何らかを胸に、僕がこの先にまた進める歓び、ということなんだろうか。

「あふれた雫」は、その出会いに対する、後になってからしみじみくる感動、とか、そういうものなのかな。

自分はなんて安直で短絡的な考えしか(そしてそれをうまく言語化すること)できないんだ、と絶望しながらもいつもこの部分でいつも泣きそうになる。

この、どうしてなんだろうというクエスチョンが浮かんでいるのに、理屈じゃ説明できないけど泣きたくなるくらいに心が動いてるこの現状!

このバランスのままでいるのがいいのかもしれない。案外これが心地いいのかもしれない。

だけどだけど、周りの人がどんな風にこの歌とか言葉を受け取るのか、とても知りたい。

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