はてなキーワード: 危険とは
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし
その批判も浅すぎるというか本当の問題をきちんと洞察できてないというか。
さわ🦕🦕🦕
@sawaaaaaaiii
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし周りと調和も取れていて生物的に優れてない?ってどうしても思ってしまうんだけれど…
社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで??って首を傾げたくなる
この🦖がいつかは人間になるんですかね…
発端の発言はこれ。
これは見た瞬間、発言内容を貫通して
「なんだこの発言?」 「この発言の意図や動機は?」 「発言者の立場は?」
はてブの反応はそこまで行かず、
発言に批判的なコメントにしてもただ「短絡だヘイトだ差別だ」って言ってて
もちろんそれもあるけどそこだけじゃないのよ。
じゃあ何なのか。
わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って。
これはなんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。
主体的なヘイトなのか、誰か別のヘイターへの媚びなのか。このママは後者。
「さわ🦕🦕🦕」
これ何だと思う?
これは恐竜三匹、
キッショイよねえ。
いまはデカい枠組みの話をしてる。
つまり、こうやってなんかしらんけど子供の性別とか年齢とか「基礎情報」的なものを
アカウントやプロフィールの目立つとこに全開示して交流するっていう
この人はそのルールに従ってるわけ。
ごめんもう性差別するわ。
男女の優劣って話に乗るならば、
すぐこういう無駄に細かくて本質的でもないみみっちいゴミルール無限に作って
そこに従わない奴をネチネチいじめて揃えさせていくゴミそのものな非生産的界隈を作りがち
って言うその一点で個人的には女って男より生物的に下だと思う。
しかも女は自分らのそういう不味いとこをせめて自覚や自戒してるならまだしも、
実際には逆にそんなくっだらねえ有害無益なことを「落ち着き」 とか 「周りとの調和」 とか表現して女同士で悦に入っちゃってるわけ。
んでそういう女のゴミなとこを指摘して笑ってやる人が現れると頭おかしくなったみたいにヒスるか黙り込んで泣くでしょ?
そういうコアな批判に反論していくなり指摘を受け入れて改善するなりという事は決してなく、楽ちんで甘美な”被害者”に逃げ込むっしょ?
女同士ですらわりと陰湿で加害的な振る舞いをするのに、それを言われるとひたすら被害者ぶって耳塞ぐ。
だから個人的には女って言葉すら通じねえから適当に調子合せるしかない低能どもだなと思う。心底思う。
うんうんそうだねって合わせてやって、あまり調子に乗るなら怖い顔になってわからせるっていう頭悪いガキの躾みたいに対応するのが一番合理的。
でね、このさわママはそういう女の下劣面たるルール志向やいじめ趣味・差別娯楽にいま苦しめられてる人だと思うんだわ。
昨今、ネット中毒のキチガイ女の界隈内で猛烈な男児叩きの風潮があるわけ。
男児に性加害を受けたというおばさん達の報告がネット上にたくさん上がっててちょっとしたブーム。
その”被害報告”はすげーよ。
道で見知らぬ小学生に迫られキスを要求された子持ちのアラフォーおばさん(小学生は「奥さん」 と呼ばわって口説いてきたそう)だの、
銭湯の女湯でママに連れられた3歳男児に性加害を受けたうえ暴れる3歳児を取り押さえられず脅威を感じた成人女性だの。
まあもう一読して話者の知能やメンタルを疑ってしまうレベルの荒唐無稽な嘘松なんだけど
そういうのが女性に大バズリして5万いいねとかつくようになってるの。
女の界隈の娯楽が行くところまで行ってしまったなという末路に見える。
従来はキモオタとかをダシに使ってたんだけど近年は猛烈に反撃されて怖い思いするようになったので
殴り返してこない男児がターゲットになってきたんじゃないかって言われてる。
で、これを我々は笑ってられるけど
そうではなくて、
ネットに基礎情報(このママの場合は男児ばっか3人育成)開示して社交をしているママが
近年のネットの女界隈での異様な男児叩きとヘイトの空気に恐れをなして
男児叩きに追従しながら「私は”わかっている側”ですから見逃してください」
と言うものだと思う。
マジで。
恐ろしい話でしょ?
「性差別的発言してまでそんなもんに追従するぐらいならくだらんネットを絶てよ」って意見もあると思うけど
人によってはネットが社会であり世間だし、基礎情報開示するぐらいネットがリアルである人ならネットのリンチの空気には委縮して追い詰められるよね。
そういう視点でママのログやら昨今の男児叩きの盛り上がりやら裏取ってみてほしい。
家族を守るために先に家族内で処罰を加えて「「この通りです」と社会にアピールする、
そういうエピソードって本とかでは読んだけどさ。
あっ本当にやってる!
愚劣なリンチもそれから逃れるための適応力行動も本当に人類のリアルなんだ!
っていうのを近年のネットのあの界隈は見せてくれるんだよね。
こういう感動を味わうためにも、
人の発言を表面だけの通りいっぺんで処理せずに
「この発言の背景の利害や思考はどんなものかな?」ぐらいまで目を向けたほうが面白いと思う。
おわり。
立憲民主党単独は現実的ではない、自民は減ってもおそらく割れないし、自公で200切るような惨敗もまあ起こらない
この条件だと可能性あるのは
③ははてな的に論外として、①と②ならどちらを望む?
①は維新と立憲左派が同時に政権に入るとか、経済がえらいことになりそうだし、政権運営もかなり迷走して国民の野党アレルギー再発させかねない危険がある
②は自民が政権に残ってしまうが、維新は排除できるし、安倍派排除を進められそう。経済政策は緊縮派の石破が国民と組むことでどうなるかは未知数
どうしても危険な仕事というのはあるけど調べると現場の死亡事故というのはコンプラや安全のためのルールが軽視されたりなあなあになって起こっている物が多い
肉体労働に女性を入れようと頑張っている現場は意識が高いので安全ルールは守るのが当たり前になる
現場ネコが流行したときの初期のノリや、建設現場で工期のためにコンプラが軽視される話などをみたら男性が死ぬ現場はそもそもルールを守らない風潮があることがわかる
3歳児は女湯で見た毛が濃いとか胸が大きいとかを外でくっちゃべる年頃だから殺したいほど嫌なのも当たり前だろ
よっぽど上手く戦わないと「差別主義者」の烙印を押されるのにネットの反トランスの人たちは自滅に向かっているなと思う。
ネットでトランスとされる人たちの奇行や迷惑行為を収集して拡散すれば世論を変えられると信じてるのかもしれないけど、
それを賛美しているような状況で、
問題にしない風潮はそろそろやめようや。
それで渡航は自分らの身の危険を注意しろと言ってるぐらいなんだぜ。
あべこべだろ。
お人よしが過ぎるだろ。
そろそろ目を覚まそうや。
エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
過去の開催
東京都知事2024 https://anond.hatelabo.jp/20240708125841
2024年東京衆院15区の結果を受けての追加ルール。選挙及び競技自体への攻撃とみなし立候補しても今後は競技参加者とみなされない。
2024年は田母神俊雄が3.9%で初優勝、準優勝は2.3%獲得で安野貴博となった
https://anond.hatelabo.jp/20240708125841
前県知事(不信任案決議による失職)、元総務省職員(キャリア官僚)。自民党と維新の会を後ろ盾により前回選挙を勝利したものの、県職員へのパワーハラスメント、公益通報制度制度を無視した違法な処分、セ・パ優勝パレードにおけるキックバック強要、贈答品の強要、などのスキャンダルにより百条委員会設置、県議会の全会一致により不信任という前代未聞の事態で失職する。
普通に考えれば当選どころかエクストリーム競技の入賞も怪しいはずなのだが、候補者7人乱立という乱戦と、2021年の名古屋市長選挙の例もあるため(リコール署名偽造事件があったにも関わらず渦中の河村たかしが当選)供託金返還どころか当選の可能性すらある地獄絵図。今更選挙民の良識に期待することはないものの、「当選はないもののギリギリ供託金が変換される可能性あり」ということで今回は☆をつける。
仮に当選した場合兵庫県庁は退職者が続出し、内定者の入庁辞退も激増することだろう。
ちなみに不信任からの失職で再選挙を当選した知事は、2002年の長野県知事(田中康夫)のみである。
前尼崎市市長、元兵庫県議会議員。緑の党出身のリベラル系政治家だが立憲民主党や旧民主党系の政党からの推薦は受けたことがない。尼崎市長時代から共産党から対立候補をたてられており、いわゆる「野党共闘」からは距離をおいている。
今回も主要政党からの支援を受けず勝手連からの要請により立候補。県知事選の有力候補であるためエクストリーム競技とは無縁と思われる。
元経済産業省職員(キャリア官僚)、大学客員教授。経産省退官後ははてなー大嫌いパソナグループに天下りと大変わかりやすい経歴。
自民党兵庫県連が推薦を検討していたものの断念したのは、前任者の悪事の影響だろうか。
元官僚といえば都道府県知事選挙では有力候補になるはずなのに、東京や大阪では連敗中の上に兵庫県でこの体たらくなので、今後は元官僚という肩書はマイナスになるかもしれない。流石に供託金は戻ってくると思われるので無印。
整形外科医、病院長、兵庫県民主医療機関連合会会長。日本共産党推薦候補。東京都知事選での蓮舫の敗北以降、「野党共闘」の枠組みは実質破綻しており、今回は共産党組織の候補を立ててきた。そもそも、兵庫県知事選挙は毎回候補を立てているが。
野党共闘の枠組みで誕生した県知事は複数いるものの、共産党員の県知事は現在存在しないうえ、近年の当運営への批判と相次ぐ除名騒動もあるが、ギリギリ供託金は戻ってくるか?
参院議員(日本維新の会)、元朝日放送アナウンサー。今回は離党しての立候補で維新の会の推薦もなし。
去年までであれば有力候補であったはずだが、今年に入り維新の会は万博と斎藤元彦のスキャンダル、所属議員の不祥事連発により支持率を低下させており、近畿圏での基礎自治体首長選挙で連敗している。
ここ最近の近畿の基礎自治体首長選の維新の連敗を見ると、大沢との供託金返還ポジション争いとなりそう。
元加西市長、大阪北区区長。加西市長時代は不信任も経験し(議会解散も再議決により失職)。北区区長就任は悪名高い公募区長。その後様々な選挙に出馬するも1度も当選はない。「当選経験のある名物泡沫候補」という変わり種。反ワクチン。
2016年の東京都知事選挙はエクストリーム競技での入賞もなし。2021年の兵庫県知事選挙は、仮にエクストリーム競技が開催されていれば優勝だった(7.68%)。エクストリーム競技最有力候補。
レコード会社代表。7月の東京都知事選挙にも出馬していたが、3245票で供託金は没収となっている。選挙への立候補は都知事選が初。
マック赤坂や又吉イエス、現代における後藤輝樹に連なるいわゆる「伝統的泡沫候補」。供託金返還は厳しいが、この調子でエクストリーム競技を盛り上げていただきたい。
これだけ話題の選挙にも関わらず、N国やつばさの党からの立候補表明がないのは意外である。衆議院が解散され総選挙と重なった影響だろうか。ただ告示が10/31なのでまだまだ立候補者が出る可能性はある。N国以外にも日本保守党や参政党の動向も注目したい。
エクストリーム競技は現時点では中川暢三が最有力候補。一方で「当選経験のある反ワクチン候補」といえば、東京15区の須藤元気のような例もあるので、番狂わせで供託金が戻ってくるかもしれない。違った意味で危険な兆候である。
イスラエルが国連軍を襲撃、危害射撃した事で批判されてるが、今更なんだよなぁ。イスラエルは過去に何度も国連軍を攻撃してて、兵士を殺したことも勿論ある。
普通、PKFなどの国連派遣軍と交戦するっていうのは国内が平定されていないならず者国家や馬賊、民兵集団ってのが相場だが、それ日常的にやってるのがイスラエル。
平和維持活動や停戦監視の場合、陣地は双方の進軍ルートを阻害する場所に作られるんだが、イスラエルはその邪魔な陣地を砲撃して兵士を殺している。
んで、攻撃の合間に陣地からの負傷者の救出を行ったのだが、そこを狙って再度攻撃。
日本はこのイスラエル国境付近のPKOに自衛官を派遣している。いわゆるゴラン高原PKOで、正式名称はUNDOF、国連兵力引き離し監視軍という。和訳がちょっとダサい。
こっちはレバノンとは別方面の対シリア停戦監視だったが、何しろシリア国内が内戦でメチャクチャになった為に危険と判断して撤退させてしまった。民主の野田政権の時だ。
イスラエル国境地帯にPKO派遣していた日本にとってイスラエルの政治判断のおかしさというのは他人事ではなかったはずだ。なんで忘れられているのだろう?
PKO、PKFは交戦国の軍の活動を阻害するのが仕事だ。普通の文明国なら阻害されてそれが国連決議に基づくものなら諦める。でも馬賊や野良軍閥や国家承認されていない自称政府とかならそんなの関係ねぇと攻撃する。イスラエルは後者に属すって事やね。
イスラエルは国連PKFの存在が邪魔だとも公言している。国連が作った国家なのに。
この度の紛争の後に新たなPKOが組織されたり、PKF増援って事になる可能性は高い。政権が変わってナショナリズム鼓舞から国際貢献に戻り、日本がそこに自衛官を派遣するって事もあるかもしれない。
危険なぎろんですね
弱者男性だが、それはないと思う
仮に国内ぐちゃぐちゃ台湾有事発生で男が大量に死ぬことになっても女はポリコレDEIすけべジジイリベラルとフェミニストの力で「どしたん?話きこか?」ってなるから
ノルウェイの森がキモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代に映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたことしか覚えていない)。
そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反のキモい小説が禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。
それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶が曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。
恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアルに留年するレベルで卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。
昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月に大学を早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。
挨拶やら近況報告やらを経て、話題はA先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生は退職理由について「学内の過剰な『コンプラ・ポリコレ』意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。
私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラ・ポリコレ重視派」というか、フェミニズムに共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから、尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。
私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生の言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。
A先生は、最近の学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。
そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHKの地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写、暴力、自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。
「大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキングな経験を咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」
といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学の講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。
また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代の私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。
「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」
と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。
「ポリコレ」つまり「ポリティカル・コレクトネス」とは本来「政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮の対象となるのはあくまで現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクションの評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品は非難の対象となっている。
だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味で危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生の言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為も差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラやポリコレを意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションだけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。
1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生の発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。
最後に、フィクションが受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。
私は昔から小説や漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物がクラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定のグループに所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み、自己肯定感が下がっていった気がする。
それでも、私の基本的なスタンスは「傷つくのは受け手の事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的なフィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクションと同義ではないのか。
以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。
その人が「どれだけリスクを好むか」という変数、確実にあると思う
例えば、次のような期待値が同じくじ引きがあったらどれをやるか?
C. 1%の確率で1億円がもらえるクジ
(もっと言えば、リスク選好が大きい人は期待値が減ったとしてもリターンが大きい選択をする)
このリスク選好って大人なら誰しも「自分はこんくらい」っていうの分かってると思うんだけどどうなんだろう?
例えば、リスク選好が大きい人の特徴
・チャレンジするのが好き
・芸能界や創作、Youtuberなど、極一部の人しか成功しない仕事でもチャレンジする
・ギャンブルが好き(やるかどうかは別で)
・夢見がち
・会社を立ち上げたりする
・犯罪を犯しがち
・誰もやってない→チャンスと考える
・確実なことが好き
・公務員とかサラリーマンとかを好む(相対的に独立するよりはいいと思っている)
・チャレンジをしない
・真面目でルールを守る
・貯金好き
・協調性がある
・誰もやってない→危険と考える
どっちが人として優れているかというのはない、どっちも必要なんだと思う
だから結果的に会社の創業者、発明家、前人未到なことをする人なんかは男ばっかりになる
代わりにルールを守ったり、今あるものをアップデートしたりするのが得意な人に女が多くなる
たまに、この発想があるだけで解決する疑問を抱いてる人が居てモヤモヤする
フリーランスになったとき、皆も同じようになるんだろうなと思って調べたら、同業者でさえたった10%しか居なくて驚いた
かといって小説家になろうとも思わないし、前人未到の山に登ろうとか、バックパッカーの旅に出ようとかは思わないから、彼らほどではないなという感じもしている
大抵リスク選好小から大をみると「こいつ馬鹿じゃねーか?」と思っちゃうんだよね、同時に嫉妬もするけど
例えば次のくじ引きのうち一つを選ぶとする
A. 100%の確率で100万円がもらえるクジ(期待値100万円)
B. 1%の確率で1000万円がもらえるクジ(期待値10万円)
C. 0.01%の確率で1億円がもらえるクジ(期待値1万円)
※お金に困ってない人は別の何かで読み替えてほしい
これでCを選ぶのはバカだと思うけど、期待値を分かった上で選んでるめっちゃリスク選好大なギャンブラーか、単に期待値を計算できてないかがわからないんだよね
今は期待値がわかりやすいけど、世の中の事象、例えば独立するべきか否かとかは複雑すぎて読めないじゃん?
だから一応いろいろ考えて選択はするんだけど、自分がただのバカなのかリスク選好が大きいのかわかんないことあるよね
まあリスク選好が小さい人はそもそも選択肢から外すんだけどね、チャレンジを選択肢に入れてる時点でリスク選好は高い方
例えば「銀行強盗をするべきか否か」を検討してる時点でちょっとアレでしょ?俺は昔したことあるけどね、子供の頃、びっくりするくらい割に合わなくて現代社会の完成度の高さに感心した
あと面白いのが、リスク選好が大きい人は、自分でよく考えて自分ルールで生きてるから、小さい人を見下してるよね
「なんでYoutubeやらないの?儲かるのに」みたいなセリフ、真顔で言ってる人いるけどリスク選好が高いんだ
逆にリスク選好が小さい人は、リスク選好が大きい人を「考えなしのバカ」と見下してるよね
そういえば「やらずに後悔するより、やって後悔するほうがいい」みたいなセリフ受け入れられがちだけど、これ賛成できる人実は少数派なのではと思う
漫画家は賛成だろうけどさ
キックボードとの比較対象として自動車や人を挙げるのはズレている。自動車にはデメリットに対してありあまる利便性があり、人はそもそも乗り物ですらない。
自転車、電動アシスト付き自転車、スケートボードあたりが比較対象として妥当だろう。
■キックボード排斥の流れは、交通マジョリティ(自動車or歩行者)によるマイノリティ排除の一環なのだと思う
法令遵守で言ったら、キックボードよりも歩行者の方が不適切である。
そして、そもそも論として、自動車による環境汚染は無視できないものだろう(EV化しても、過剰なサイズゆえ資源開発の問題が消えることはない)。
一部キックボード利用者の行動を問題視するなら、同時に、自動車利用者の問題行動も議論されるべきだろう。
それができないのは、自動車は交通マジョリティであり、自分がその利用者であるがゆえに、その問題に踏み込めないからだ。
あたかも、客観的にキックボードの問題を論じているように見えて、その実態は、自動車利用者という点において利益関係者なのである。
法令遵守で言ったら、キックボードよりも歩行者の方が不適切である。
そして、そもそも論として、自動車による環境汚染は無視できないものだろう(EV化しても、過剰なサイズゆえ資源開発の問題が消えることはない)。
一部キックボード利用者の行動を問題視するなら、同時に、自動車利用者の問題行動も議論されるべきだろう。
それができないのは、自動車は交通マジョリティであり、自分がその利用者であるがゆえに、その問題に踏み込めないからだ。
あたかも、客観的にキックボードの問題を論じているように見えて、その実態は、自動車利用者という点において利益関係者なのである。