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2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

自分高校生に戻るとして、

大学に行く気があり、かつ頑張らなきゃいけないレベル大学目指してるとしたら、

1年のうちは思いっきり遊んで2年時(厳密には1年と2年の間の春休みから勉強に力入れ始めるかな。

もちろん授業時間は集中して勉強聞く(する?)けど、1年生の間はある程度ゆるくてもいい気がする。

もちろん個人能力差とか勉強の仕方とかの差があるわ。

春休みに取り戻せるならだけど。

長期休業中って時間あるから復習の良い機会なんだけどね。

日常でもだけど、わかんないところは先生に聞きに行ったり。

今時の高校重要科目の授業って、

自分が受けたみたいに、家で勉強(予習)してきて学校解説を聞くっていう授業形態から変わってたりするのかね?

ちなみに自分は復習ほとんどしなくて詰んだサボり魔。

ゆとり世代の少し前の世代だけど、今の高校生って自分の時よりめちゃくちゃ授業内容多いんだってな。

正直、自分の時でさえ内容多すぎて頭パンクして死んでたから、自分目標もなかったし、

どっかで頭をまっさらにしたり、リズム変えたかったわ。

ルーチンって上手に乗れるといいんだけど、リズムわかんなくなると悪循環になる。

でもルーチンワークはやめらんないっていう。

今のところ、学校教育は止まるわけには行かないからな。

これは小学校からそういう仕組みで来てるんでしょうがいね

愚痴言った。つまり浪人すりゃ良かった。

目標が見つからないうちは勉強なんか身に入らん。

高校時代までに目標見つかるといいんだけどな。そのために遊んだりするとかな。

目標目指してばっかじゃキツイし、息抜きとかそれ以外のコミュニケーション必要だ。

そのために部活社会友達だとか、手段と言うとアレだけどまぁ楽しく過ごせるといいな。

頑張ってな。

わりと忙しいというか気合い入れすぎて燃え尽きちゃわないようにな。

2017-06-22

大衆音楽作家に貢ぎたがる人たち

ポップミュージックはもう大好きで掘って遡って記憶にたくさんアーカイブしてるし買った(手放した)レコードCDは千枚下らないし自分でも4ピースバンドオリジナル50曲くらいでっち上げたけど。「文化」とも言えるけどそんなに?という思いがあって。興味があって他に方法がなかったから買ったんだよ、聴く方法がたくさんあって「アレのリズムコード進行はアレ、プレイヤークオリティがアレだな歌詞はソレか、間奏にアレオマージュのフック効いてるな」みたいなことが分かるくら聞いたらもう回数もアーカイブ物理じゃいらないから。ミスチルとか桑田とか虎舞流とかにもっと貢ぐのん?ヨレヨレのユーミンお布施のん?「円盤買え」って振り分け著作権協会ドンブリ割り振りに任すのはそーゆーことよ。貢ぎたいならライブ行ってグッズ買うのが21世紀ってなんか河原歌舞伎観に行くみたいな退行だけど真実

https://anond.hatelabo.jp/20170622113156

わかる~。そういう絵作りが流行っているのか何なのか。リアリズムか何か知らんけど、見難くなるだけだから止めて欲しいよ。

個人的に嫌いなのは、小声で喋るみたいなシーンで本当に音量を絞っちゃって、その後にドカーンって大きな爆発があるんだけど、その音の落差で驚かすみたいな映画の音の演出?あれが嫌い。小声で喋るのって、小声で喋ってますよって演技するだけで実際に小さくする必要無いと思うんだよね。会話が聞き取りづらくなるだけなんだよ。そういうのがクソリアリズムだと思う。フィクション現実じゃないんだから、そんなの要らないって・・・

視線の合わせ方が難しい

人の目を見るタイミングがわからない。


1対1の会話であれば、ある程度視線を外すリズムをつけて自然にできるけど、

コンビニで支払う時とか、会社で同僚とすれ違う時とか、

急なコンタクトとか別にしっかり会話する必要がない時とかは、

どうすればいいかからない。


しっかり相手を見て話さなきゃと思う一方、見すぎたら失礼かな、とか

逆に相手視線を送ってる場合は気づく程度に自然にしないと、とか



色々考えすぎる。そして、余計おかしな感じになる。

ごく普通に社会人してて、コミュ障でもないとは思うのに。

人前に出るのは苦手だけど。


から好感度の高い人の視線の合わせ方を観察してると、

「ああ、この人は自然に、相手不快にさせない程度に、

かつしっかりと相手の目を見てはなしているなあ」と気づく。

でも、それがあまりにも自然すぎて、

きっと目を合わせるタイミングはどれが正解かなんてこれっぽっちも考えてないと思う。

一種の才能なのだろうか。



なんだか最近よく考える。視線の合わせ方。

2017-06-21

ひとりでカラオケへ行ってきた。

カラオケは一人に限る。

最近、なにに対してもイライラし、何をやっても満足できない日が続いていた。

カラオケはいい。

防音の効いた薄暗い個室で、ただ流れる音楽だけに身を委ねられる非日常感。

音程など気にせず、好きな曲のリズムにのってとにかく叫ぶように歌う。

マイクなど必要ない。

途中から、なんでもない曲なのに涙が止まらず、まるで大声で泣いているかのように歌った。

私は泣きたかったのだとやっと気付く。

ただ、子供に返って、理不尽でままならない現実を泣いてわめきたかっただけなのだ

昼間っからひとりでカラオケして、ワーワー涙流してる自分、きもっ…と思うとまた泣けてきたが、それもまたよい。

たまにこんな時間を持てる自分は贅沢で幸せ者だとやっと思うことができた。

すっきりした!

2017-06-20

疲れているときは、爆音ライブに行かないほうが、いいかもよ

この前の日曜日ライブハウスに行ったら難聴になりました。

自分普段そんなに積極的音楽を聞く方ではなくて、大好きなミュージシャンもおらず、

からこれが初めての音楽ライブでした。

ですが、なかなか会えない地方在住のドラマー友達が、東京ライブをやるということなので、

いい機会だと思って渋谷の小さなライブハウスに足を運んでみたのです。

それは複数バンドが出演する形式ライブでした。

友達の出番はスタートしてから何組かが演奏した後だったのですが、

せっかくなのでライブハウス空気を味わってみたいと思い、最初から行ってみることにしました。

雑居ビルの地下に降り受付をすませると、薄暗いフロアにはまばらな客、

その誰もが所在無さげに立っていて、気だるい空気が流れていました。

しばらくそんな空気に浸っていると、定刻になり、フロアの照明が落とされました。

そしてたぶん、難聴の原因となったバンド演奏が始まりました。

そのとき私は運悪く、スピーカーの前に立ってしまっていたのです。

フロアはそんなに混雑していなかったのですが、そのバンドボーカルは、客の海の中を泳ぐタイプの人だったようでした。

それを知っているらしき人たちが、なんとなくステージ近くのスペースを空ける動きを取りました。

ライブ素人たる私はそれに流されてよくわからないままに移動してしまい、

スピーカー前のポジション取りをしてしまったのでした。

そして始まった演奏はシャウトの連続リズム結構好みでしたが、何を言ってるのかわかりませんでした。

耳がピリピリする感覚。これがライブか、と高揚しつつも、若干の不快感は否めませんでした。

その後友達バンド演奏も聞いて(前までのバンドたちと対照的に、落ち着いた曲調でとても良かった)、

ライブハウスを後にしたのですが、その時はまだ耳に異状が生じていることに気づきませんでした。

なぜならライブハウスを出るとそこは休日渋谷で、ざわざわの嵐だからです。異常な音空間では、耳の異状が際立たないのです。

何かがおかしいな、と思ったのは帰宅してからでした。

何も動かない、テレビラジオもつけていない一人暮らしの家なのに、キーンと響く音。

それは耳の中から聞こえていました。耳鳴りです。

うるさいところから静かなところに移動したからかな、と考えましたが、一時間、二時間たっても消えません。

不安に思いつつも、とにかく寝れば治るだろうと思い、その日はいつもより早めに床につきました。

しかし翌朝、耳鳴りは収まっていませんでした。

危機を感じて、その日は平日でしたが勤め先に一報を入れて、最寄りの病院にかけこみました。

急な訪問?だったため、病院では3時間待ちました。

その間は、スマホライブ後の耳鳴り意味を調べて戦慄していました。

そしてようやく先生に話を聞いてもらい、耳の検査

結果は、まさにライブ爆音さらされた影響からくる難聴だとのこと。

左耳が、高音域をキャッチできなくなっているようです。詳細は省かれましたが、その影響が耳鳴りという症状で出ているらしい。

とにかく早めの対策大事だ、と言われて薬を処方されました。血流を良くする顆粒タイプの薬と、ビタミン剤。一日3回。

飲み続けました。良くなると信じて。常に耳の中でキーンと鳴る音を打ち消すために、暑くもないのに、扇風機を回し続けました。

最近やっと落ち着いてきましたが、それでもベッドに入ると気になる時があります

思うに、あのライブの日は疲れていた気がします。午前中から別の用事都内を飛び回った挙句ライブ参戦。

いくら無知だったと言っても、スピーカー前にいたら音が大きいことはわかるはずです。そして体力低下。悪い条件が重なりました。

仮に好きなバンドがあったとして、そのライブでこうなっていたら、好きなものを嫌いになるという一番苦しい体験をしてしまうところでした。

たいして音楽が好きじゃなくてよかった。でもたぶん、ライブはもう行かない。もう二度とごめんだ。結構お金かかったし。

から、疲れているときは、爆音ライブに行かないほうが、いいかもよ。

2017-06-19

プーさんは人前で着ぐるみを脱がない」という意味の分からないアイドル批判

とあるエントリー名言だの格言だのと絶賛されていたが、この例えを聞くたびに「はあああああ?」ってイライラする。全然上手くねーだろ。

プーさんを控室まで追いかけて写真を撮るパパラッチいるかパレード最中に「中の人人間だよ」って大声でプーさんを指差す奴がいるか?居ないだろ。居たとしても、そいつ史上最強空気読めない馬鹿プーさんは悪くないってことになるだろ。

よってこの例えは不適切。これからこれ言う奴は皆ファッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーク!

追記3:色々とっ散らかったが言いたいことはこうだ。今回のことに限らず、一般アイドルスキャンダルを起こした時にタイトルみたいなこと言う奴。お前は頭スカスカ馬鹿だ。

プーさんであることと、アイドルであることのどっちが難しいと思う?ファンタジーを暴き立てようと手ぐすね引いてる奴らがいる分アイドルの方がよっぽど大変だろうが。その点を理解せずに、プーさんプロ意識があるのにあのアイドル覚悟がないねっていうのはアホなんだよ。着ぐるみ脱いだら好きにブリブリ&パコパコできるのと一緒にすんな。

追記1:書いてから気付いたけどプーさんじゃなくてミッキーだった…。

追記2:

いやいや「パレードの真っ最中自分から着ぐるみを脱いだ」から問題になってるんだが

いやいやいや、そうなったのは文春砲のせいだというのは確定的に明らかだろうが。アイドルうんこもするしパコパコもするって皆うっすら知ってるのに、馬鹿正直に暴いちゃう空気の読めない記者いるからこんな悲劇が生まれるんだ。

例えっていうのは勘所だけ押さえてればいいんだよ。全部が言い換えられるわけないんだから、そこ突っ込み出すとキリない。

着ぐるみ脱いだら普通おっさんに戻れるプーさんと、幻想ぶち壊そうとする記者に四六時中付きまとわれるアイドルを比べること自体が失礼だろうが。アイドルプロフェッショナリズムの難しさを軽んじて腐しておいて、「例えなんて適当でいいんだよ」って随分勝手だな、おい。

2017-06-17

ライムスターMummy-D歌詞と歌い方と声とリズムタイミング

別格だと思っている。

歌詞人間臭くて好きなんだよ。

味があるんだよ、あの人。

絶妙リズムタイミングで発する歌詞とか声も好きだし、なんでもっと注目されないのか不思議でならない。

世の中、わからん奴だらけだなと思っている。

https://anond.hatelabo.jp/20170617121505

加齢と生活習慣

生活リズムを整えるのが最適

それでも駄目ならあきらめも大事

じゃないとストレスで禿げるよ

2017-06-14

若い子に気を遣わせるようなおっさんになりたくねえ

まだ20そこらだけど、話がつまらない、話がやたら長い、説教臭いおっさんにはなりたくないと心底思う。

女友達などからたまにおっさん愚痴を聞くことがあるんだけど、上述した様なことがだいたいの理由だ。

実際にそんなおっさんらと話してる彼女達を見たことがあるが、不快な様子を欠片も見せないどころか、普段自分に見せてくれるような「あなたと一緒にいて、私は今、とても気分がいい」と言わずとも心に訴えかけんばかりの笑顔(ここまで書いてなんだか自分不安になってきた)を振りまいている。

そしておっさんが立ち去った後、少し疲れた顔でポツりと愚痴をこぼすのだ。

彼女曰く、

1.女の子に対して、知識をひけらかす欲求のはけ口にしている人ははっきりと感覚で分かる。

2.彼らに共通する特徴は、ニュアンスとしては「こちらが喋り終わる前に『もう既に出す答えを決めている』ような」空気を醸し出てしまっているような人、つまり会話の中身やリズム、表情の機微相互性がないということ。

3.自身無意識にもあるかもしれず注意しているが、見た目がイケてないおっさんというだけでコミュニケーションシャットアウトする女の子一定数いるということ。

4.逆に過度に謙って、相手の表情を伺い過ぎて逆に気を使わせてしまったり。自虐をしてそれを否定してもらうことで自尊心を満たすやり方をする人もよく見るが、「そんなことないですよ〜」と言ってもらいたいという圧も感じてしまうし、いい歳をして安全地帯から石を投げるようなことはすべきではないということ。

大事なのは、身を整えて、ヘンに見栄をはったり、へんに謙ったりせずに、等身大のまま相手の話を聞いてそれを1度自分の中で噛み砕いて発言すればいいのだということ(相手がその言葉を欲しがっているかどうかを考えられると尚良い)

そこからコミュニケーションが始まり、それで合う合わないはもうおっさんからとかは関係ないのだと

http://anond.hatelabo.jp/20170613211847

生活

挨拶

ドアの開閉

照明スイッチオンオフ

蛇口の開閉

衣服を畳む(洗濯物含む)

鏡を見る

箸で物をつまむ

食器に口をつける

食べ物を噛む

食べ物を飲む

液体を飲む

冷蔵庫を開閉する

椅子に座る

テレビチャンネルを切り替える

時計を見る

デスク

ペンを持つ

芯を出し入れする

マウスクリックする

ブラウザのタブを切り替える

del、backspase、enter、spaceキーを叩く

サイトを最新に更新する

・癖

ため息

各部位のストレッチ

関節を鳴らす

貧乏ゆすり

鼻をすする

指で机をリズムよく叩く

独り言

爪をかじる

頭をかく

鼻を触る

ホリック

スマホを手に取る

SNSリロードする。もしくは最新を表示する

SNSアクションを起こす

ソーシャルゲームを起動する

メールの受信ボタンクリックする

伸び続ける増田ブコメ確認する(僕の増田は一日平均100ブコメは確実)

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-06-09

高専奨学金でなんとか高学歴?になって、感じた・思ったこととか

社会人3年目が終わったので、どうやってここまで来たのか書いてみることにする


一応ほぼ自分の金? で高等教育?の高専大学大学院までは卒業したので

金がなくて大学とかどうしよって思っている人とか

金がなくて子供学校にやれねーなと思っている親とかが見てくれればと思う



まず最初自分の家庭環境とか進学時の経済状況とかだけど

中学高校を選ぶときにまず、私立にはとてもじゃないけどやれないと言われた

まあ兄弟が5人いてその長男から仕方ない感じはあった

よくもまあこのご時世に5人も作ったって話ではあるんだけど

で進学先は公立国立しか選べんかった

国立高校近畿の某大都市までいかないとなかったし

公立高校県内だと最高70くらいの偏差値場所しかなかったか

対して偏差値も変わらなくてお得な工業高等専門学校とやらに行くことにした

からしたら早く働いて欲しかったみたいだからそこを進められたってのはあったんだろうけど


この『高等専門学校』略して『高専』は工業高校短大を組み合わせた?みたいな感じの学校

だいたい全国の都道府県には1つづつ(ないとこやいっぱいあるとこもある)あって

基本的工学系の学科電気電子機械情報建築物質化学なんて種類がある

五年間勉強して、そっから就職か進学することになる


卒業できれば工業高校とか工学部と同じくらいに就職はしやす

どのくらいしやすいかて言えば面接一回で受けた次の日に内定が決まるとか

学生一人あたりへの求人件数が30~100倍とかそんな感じ

基本的大企業(メーカインフラ)の現場職として就職する

でこれが就職の話で次に進学の話



高専からの進学は基本的国立大学工学部への3年次編入になる

難易度的には普通にセンター試験?(私は受けたことがないのでわからない)で入るよりも簡単らしい

それと高専学費自体普通高校よりも高いんだけど

大学4年間と高専の4・5年+大学3・4年だと高専大学の方が安くなる

高校大学高専大学でみても後者の方が安い

(具体的な額とかはだんだん変わるだろうから調べてください)

あと高専には専攻科っていうのがあって

高専+2年間、高専勉強することで大学相当資格を貰える

ぶっちゃけ難易度お金の面で言えば専攻科+大学院の方が簡単で安い

ただ、人や金の面で言えばあんまり専攻科はお勧めはしない

しょぼい国立大学でも専攻科よりはましだと思うので




で、高専5年間で感じたことを書いていきます

まず自分には工学自分で選んだ学科がクソほどつまらなかった

交流とか電磁気とかやるわけなんだけど

とにかくつまらん、数学もつまらない

歴史とか語学講義もないことはないんだけど

高専カリキュラムではそういう講義二の次三の次

ぶっちゃけ中学の時点で道を狭めたことは後悔したし

そもそもあってないことを続けるというのはかなりの苦痛だった

もし高専に進もうとか考えている中学生とか

高専に行かせようとか考えている親御さんがいらっしゃるのなら

この先40年近くそういうことと付き合うことになるということを考えてから進学して欲しい


とにかくつまらんかった

高専先生が良く言うのが君たちは技術者になるんだっていうこと

この技術者ってのが私にはすごくつまらなく聞こえた

高専を出て、キャリアを積むこともできずにこのままつまらない技術者になるのは嫌だった

(技術者の人には申し訳ありません)

かといって研究者になろうとか起業しようとかそういう考えがあったわけじゃないけどとりあえず進学することにした






さっき高専大学はお得っていいました

でも、親は当然大学お金なんてだしてくれません

それどころか高専4・5年のお金自分でなんとかしろって言われました

さて学生の私はどんな手を使ってお金を集めればよいのか?

から金がでない場合

奨学金

授業料免除

アルバイト

この辺が妥当だと思う

ということで奨学金を借りてアルバイトして授業料免除申請しま

これが割と辛い

まず肉体労働して勉強するのは想像以上に辛い

夜中のバイト生活リズムが崩れて講義中辛いし

割のいい肉体労働(引越し配達仕訳)なんかは肉体的に辛い

勉強面では

授業料免除しようとおもったらまあクラス5番以内には入っておきたい

奨学金一種(利子無し)を貰おうとすると10番以内には入っておきたい

さて、肉体労働も頑張って、成績でも頑張って

自分に残るのは?

奨学金で膨らんだ借金だけです

親にははよ働いて欲しいといわれて

いくらバイトしても金は残んなくて

周りのみんなはバイト代バイク買ったり

スキーやらスノボに行き初めます

マジで辛い

私も車の免許みんなと合宿で取りに行きたかったし

バススノボに行きたかった

でけえバイクにも乗りたかった

携帯も新しくしたかった

なのに残るのは借金いくら万円なわけです

とういことで自分の金で大学に行くというのは中々辛い

高専からルートなので高校からルートよりは楽だと思いますがいやあ辛かった

なのでもし自分の金で大学に行きたい人とか

金がないのに大学に行かせたい親とかがいたら

まあ覚悟して頑張って下さい

さて、ここまでは高専の話です

次は大学編入のお話です

高専から大学編入は正直私には難しくありませんでした

自分で金を稼いで高専に行っていた二年間の間の勉強で十分大学には入れました

ちなみに基本的大学編入は3年次編入なのですが

某T大学とK大学高専生には『教養』が足りないとうことなので

2年次編入になります

自分は2年次は嫌だったので別の大学しましたが

あと、高専生が良く行く大学技術科学大学があります

愛知県豊橋新潟県長岡にあるのですが

この二つの大学高専時代の席次が3番以内だと入学料・授業料全額免除特待生になれる可能性があります

自分も割と迷って結局いきませんでしたが、お金に困っている場合はかなりアリな選択だと思います

ちなみに編入試験は国立大学でも試験日程さえ被らなければいくらでも併願可能です

そのため、ぶっちゃけ余程勉強していないような同級生でも

国立大学バンバン編入していたので国立大に入りたいだけなら高専コスパがいいと言えると思います

普通高校からだと大学受験時に予備校や塾に行くのが普通だと聞いているので

そういう場所に全く行かない高専生は大学に行かしたい親から見れば凄くお得な教育機関だと言えます




では晴れて、高専かい監獄を抜け出して

工学部とは言えなんとか歴史ある国立総合大学様に編入できたわけですが

まあ工学部隔離されてましたので

はいねえし、高専生を少しお上品にしたみたいなやつらでいっぱいでした

サークルってやつにも3年生ながらに参加させて貰って楽しかった

ただ、高専とは別の意味で色々辛いことがありました


まず研究室です

理系学部の人はだいたい4年次、早ければ3年次に研究室に入ることになります

研究室によって辛さは変わります

まあ電気とか機械とかこの辺はだいたい辛いです

就職のしやすさと研究室の辛さはだいたい比例です

とにかくコアタイムとか辛いし

週報とか辛いし

実験はつらいし

論文はつらいし

学会とかつらいし

講義でて、バイトして、研究して、なんとかサークルして・・・

からだがいくつあっても足りません

正直就職したら楽になったって人の方が多いです

なんで自分金工面して理系でやっていくというのはマジのマジで辛いと思います

(文系とか工学系以外はやったことないので比べようがないですけど)




次に世界の違いです

高専はまあ偏差値自体はそれほど低くもないのでいうほどアレな人はいません

私は高専の中でも割と貧乏でしたが、高専の連中とは割と話とかは合いました

しかし、まあ大学で会う多くの連中は『違う』気がしました

そりゃあ私と同じく奨学金を借りて、授業料免除を受けて大学に通ってるやつもいます

でも大多数の人間基本的に割と裕福な人が多いです

そして努力もするし、自分投資しま

なぜなら彼らはそれが帰ってくることを知っているからです

それが価値あることだと思い知っているからです

私の地元中学同級生には彼らのように勉学にお金努力を賭ける人はあまりいません

そんなことするくらいならヴェルファイアでも買っていると思います

私の地元同級生と何が違うのか

なんで、頭のいい大学生がそういう風な考え方でやっていけるのか考えれば

やっぱり親とか友達とか周りの皆がそのように考えて

彼らがやったことを褒めて価値を認めるからだと思います

そんな下地がある上に個人個人能力も高いのです

から私はすごく視点が違う場所に来たと感じました

そして、私はそれを凄く羨ましいと感じました

それで自分と彼らを比べてスゴク辛くなってきます

私もそんな環境ならもっと上にいけたんじゃないかとか情けないことを考えてしまます

彼らは普通のことをやっているだけなのに環境や考えの違いを思い知らされます

彼らは私と普通に接しで普通に喋っているだけなのに

その結果、家賃携帯代を学費を食費を『自分時間』を払っていることにやるせさなや怒りを感じて

まあ中々辛いです

色々思い知らされて

そんなこんなで大学卒業しました

それでまあ工学自体は嫌いでしたが結局大学院までいくことになりました






大学院までいくころにはもう親はあんまり何も言わなくなりました

からすれば大学院なんてもう聞いたこともないような世界だとかなんとか

自分の金で行ってるんだから勝手しろとのことでした

さて、大学院基本的研究をする場所です

高専のころに言われた『技術者から離れて

技術者の『マネージャー』とか『研究者』になることが現実的になってきます

また、学会海外に行ったり

海外雑誌論文投稿して自分名前を載せることができたり

ついに勉強してきたことと実際の世界がしっかりとリンクしていることを感じることができます

やっとこさ高専のころのクソ詰まんなかった電磁気イオンの動きやなんやかんやがついに意味を帯びてきます

まあつまんないことに変わりはなかったんですけども

ただ大学院研究成果は奨学金免除に直接影響しま

英語論文2本出しとけば修士の分の奨学金は全額免除くらいは行けるでしょう

なんで貧乏場合は割と大学院は楽です

研究成果も出しやすくなっていますので

ただ、研究自体さらにきつくなります

正直、バイトよりも奨学金借りるだけ借りて研究して

免除を狙った方がコスパがいい気がしま

就活です

正直言って、工学部なら就活は余裕です

工学部には学校推薦制度があってかなりの確率内々定を貰うことができます

大手でも推薦一本でも十分行けます

ただ、私は工学あんま好きじゃなかったので自由でいろんな企業を受けてたら

夜行バス学割在来線を使っても交通費10マンくらいかかってしまいました

あとスーツとかカバンとか靴とか色々高いです

ただなんだかんだ言って高いモノかっても安いモノかっても就活には影響しないのかなという感じです

私は某巨大スーパースーツに某ブラックで有名なチェーンのシャツニット帽で有名なチェーンのネクタイとかで

就活してましたがなんだかんだ大手5社くらいから早々に内定者はもらえました

でまああとは研究頑張って修論書いて終わりです

修論は無茶クソ辛いです

就活の百倍辛かった



こんな感じですね

就職してから三年たってやっとこさ奨学金を返し切りました

だいたいアクアが二台くらいですかね?

そのくらいの金額でした

やっとこさ同期のみんなと同じスタート地点に立った感じです

高専の同期は結婚したり、でかい車かったり、下手をすれば家を建ててます

大学大学院の4年間と奨学金を返し切る3年間で高専の同期とどれだけの差が開いてしまったのか

大学院の同期に三年間でどれだけおいて行かれてしまったのかわかりません

でも高専から現場技術者になってもそもそもなにか違うという考えがずっとよぎっていたのではと感じます

原チャ廊下を走り回っている中学ちょっと頭のいい高専、頭のいい大学とたどってきたおかげで

いろんなことを考えることができたと思います

学歴がなくても生きていけますけど学歴がないと見えない世界もあります

逆に学歴があると見えなくなる世界

からもし、貧乏だけど大学にいくとか、今勉強してることがなにか違うと感じてるとか

そういう人に見てもらえればと思って書きました

私の通所している就労支援事業所B型

私はうつ病を患い、現在就労支援事業所B型に通所している。

精神3級の手帳交付されている。

役所的にはちょいキチガイって感じだ。

就労支援事業所には3つ種類がある。

A型 雇用契約を結び一般就労を目指す

B型 雇用契約を結ばず一般就労またはA型を目指す

移行支援 障害者一般就労を目指す、ただし利用期間に二年の期限あり

B→A→移行支援の順番で通所しているやつのキチガイ率が高くなる。

今通所している事業所は元々移行支援事業所だった。

ただ途中でB型と移行支援の多機能型というよく訳の分からない形態事業所になった。

私は元々移行支援ときに入所したが多機能型への移行のタイミングB型所属にしてもらった。

生活リズム改善目標だったため、また2年の期限が気になったためだ。

私の事業所では軽作業精神療法的アプローチプログラムなどを行っている。

当初はモリモリと回復していき、これ就職もいけるなーなんて思っていた。

移行支援利用者だけの時はコミュニケーションを取れる、空気を読めるなど障害を言われないと分からいくらいの人が多かったせいもあり、自分自身課題解決就労に向けての努力をすることが出来た。

が、多機能型への事業形態変更。これがガンとなった。

発達障害利用者が急激に増え、恐らく健常者がイメージしてるであろう「福祉作業所」に変わってしまった。

病態がまるで違う人達が一つの場所作業を強いられる。

独り言空気を読めない、軽作業でさえ出来ない、話しかけても反応がない、こだわりが強すぎなどなど。

これにより利用者間のトラブルが多発。

つかみ合いの喧嘩になりそうになったり、急激に怒りを爆発させたり。

カオス

支援者の手も圧倒的に足りてない。質もバラバラ

支援者改善を訴えても「障害には程度があるので理解を」と言われるのみ。

私の通所している就労支援事業所B型では精神障害者理解は十二分に学べる。

何の役にも立たないが。私は他人障害なんてハッキリ言ってどうでもいい。

寛解状態になりかけていた私は利用者が大声を上げて喧嘩を始めた時にパニック発作を起こしてしまった。

それからうつも再発。

今は違う作業所への変更も視野に入れているが、うつの時は重大な決断はしないほうがいいといわれている。

本当に困り果てている。

2017-06-08

有名人結婚

ミランダ・カーが、エバン・スピーゲル結婚というのを聞いて思ったんだけど

アナウンサープロ野球選手でも良いが)

結局、好きとか嫌いとか、生活リズムが合うとか合わないとかは二の次で、功名心が優位なんだろうな。

企業タイアップ広告みたいな考え方で、相手によって自分がどう見えるかが重要というか。

成功者としての証みたいなものを欲しがっているというか。

そしてそれが強いから更にビジネスでも成功しているんだろうなとか。

結婚して、芸能人やめる女優とかも「私は功名心ではないんですよ」みたいな正義を出すためのなのだろうな。と思ったこの頃。

2017-06-03

音痴ってわけじゃないけど歌下手な奴これやってみろ、5秒で上手くなる

腹式呼吸とか喉を開くとか色々言われてるけどんなもんどーでもいい。

歌聞いて、歌詞見ながら、テンポリズムつけて音読するような感覚で、それを読み上げる。

これだけ。歌う感じじゃない、あくまでも歌詞音読

俺のように声ちゃんと張れてなかった奴は、多分声じゃなくて息で音程取ろうとしてる。

から音読(声出す感覚)で歌うだけで、発声見違えるはず。

裏声とかに関しては、もともとある程度出せてたし、別に劇的に上手くなったとかではないから、

そういうのを期待してた奴には申し訳ない。

[]6月2日

○朝食:ヨーグルト

○昼食:つくねおにぎり、焼きアジご飯

○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁フリーズドライ)、4種の香味野菜大根サラダツナ缶

調子

はややー。

仕事体調不良の人や出張の人が多くてオフィスが静かで落ち着いた感じだったので、ゆっくり仕事ができた。

時間際にちょっと難しい質問をされて苦戦するなどしたけど、一時間ぐらいの残業で済んだのでいい感じ。

ただ、暑くなってきたから、妙に疲れてしまい家に帰ってからすぐに寝てしまって、少し前に起きてご飯を食べるという、変なリズムを作ってしまった。

3DS

スマブラfor3DS

ポケモンピカチュウプリンリザードンゲッコウガルカリオ)の必殺技パネル集め。

リザードンゲッコウガは集め終わっている。

今日は、プリンルカリオを終わらせたので、残るはピカチュウのみ。

ポケとる

ログボとデイリー要素のみ。

iPhone

○はねろコイキング

トレーナーランク20

コイキングは、20代目で、CPは259k。

飽きて来たからか、初めて1日の間に世代交代しなかった。

コマスター

ログボのみ。

2017-06-02

生活リズムってなんだ

仕事が終わって、疲れ切っているのにねれない日がある。2時間しか寝てねえわw状態で出勤し、さらに疲れ切って帰ってもねれない。翌日吐き気頭痛に耐えながら働き終えて帰ると、やっと倒れるようにして眠る食事すら取らない。頭痛で目が覚め、市販の鎮痛剤でおさめる。ボーとする頭で働き、また寝れない日々が始まる。

生活リズム大事!なんていうけれど、それってどうすればいいんだ?どうなおすんだ?就寝前1時間にはスマホテレビも見ないようにしているのに。軽いストレッチをしているのに。何が問題なんだ?変わりたい!と思って見ても、なかなかうまく行かずに困っている。5時間ベッドで横になりながら、寝れねえなあと1人しりとりを始めるのはもう嫌だ。

http://anond.hatelabo.jp/20170529064047

優しくしてあげたいけど優しくするネタが今ない。

というかこういう当面解決できそうにない不幸を語られた時に慰める方法が全くわからない。

マスキュリズム弱すぎるよね。

生活リズム家族と揃えない弟に苛立つ

学生で、不規則生活リズム

基本的に何時に帰るか連絡はしない。

日付も変わる頃に帰ってきて、ひとりで勝手に好きなものを食べてそのまま居間で寝る。

帰ってこないこともある。もちろん連絡はない。

家族の中で家を出るのが1番遅い日は、お昼を食べたあとの食器を出しっぱなしで出かけることも。

風呂に入らず居間で寝るのも不潔感があるし、何より食器の片付けをしないのが理解できない。

家族みんなで住んでる家を汚さないでほしい。

どんなに片付けろ、出ていけと言っても全く聞かない。

自分は正しいと思いこんでいて、もう教育し直すことも難しい。両親も諦め気味。

どうしたら改善してくれるのかもうわからない。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170530101549

車は確かにいいですよね、

でもお金かかかるのも一理。

あと、ぶっちゃけ地方からすると4車線怖いです…。

自転車も汗かくよな~~。

季節変動だってあきらめるしかないのかな。

筋肉は丸1日寝るとなくなるって聞いてるのでたぶんもうない。。

エアリズムかゆいって聞いたことあるんだけど、あれはデマなんですかね?

2017-05-25

アイマスのイェッタイガー論争は本質を~」は本質を捉えていない

アイマスライブのイェッタイガー論争は本質を捉えていない http://blog.livedoor.jp/ryo7927/archives/71019923.html


概ね同意なんですが、この意見こそ「議論論点ずらし」、本質を捉えていないというか無理やり話をそらしているように感じます


まずそもそも「コール」自体本来「好ましいものではない」です。理由はもちろん、「歌手邪魔をするから」であり、「客が気持ちよくなるため行われる行為から」です。

しかし、コールには「歌手テンションをあげる」という面あります。「客」にも「歌手」にもメリットがある。なので、「ライブ中に声を出すコールという行為は受けいれられている」というのが、基本的な状況です。


基本のコールであるハイ!」や「フゥー!」は合いの手であり、リズムに合わせて入れるものです。ライブだけでなく、パーティーなどで囃し立てる時にも言ったりしますね。

また、元々の曲に入っている台詞合いの手などを入れるのも、リズムに合わせて入れるものです。なので、一応基本的に曲の邪魔しません(例外もありますし、声の大きさで歌声が聞こえないなどもありますが)。


さて、問題は歌い出しから次の歌い出しまで、つまり歌がなく会場が曲だけになる場面で入れるコールです。「イエッタイガー」もこれにあたりますね。

アイマス曲で言うと、「乙女よ対しを抱け」の「急がばまっすぐ進んじゃおう!」や「s(mile)ING」の「はっしー!」や「恋のレッスン初級編」の「LOVEラブリーマチコ!」など(ちょっと違う気がしますが、わかりやすい例として一括りに)。


これが許されているのは、意味があるからです。「歌手名前」「キャラ名前」「歌詞に対するリアクション」などなど。しかし、「イエッタイガー」には意味がありません。

はい」「フゥー」と同じく意味が無い合いの手としてスルーできるほど短くないですし、歌と歌の合間に入れるため目立ちます


前述したものは、「歌手テンションをあげる」面がありますしかし、「イエッタイガー!」という意味不明単語を叫ばれてテンションの上がる歌手はまずいません。さらに、これは「客が気持ちよくなるため」という面が他のコールよりも大きい。

「お水おいしいー?」と同じで、「静かな場面で自分叫び声を響かせたい」「とにかく長めの言葉叫びたい」という感情から行われる行為です。「イエッタイガー」が成立した経緯は知りませんが、「はい」や「フー」を入れられない場面でもとにかくコールが入れたい!っていう理由からまれたのではないでしょうか?それが成立するのは、「とにかく歌手も客も大騒ぎしたい」というタイプ現場だけです。


アイマス現場どうでしょうか?現状だと「はい!」や「フー!」とは違い、「イエッタイガー!」は「今言った奴がいるな」と分かるくらいに目立っています。ということは、受け入れられていないのでしょう。

好ましく思われているなら、「恋のレッスン初級編」の「LOVEラブリーマチコ!」の様にいつの間にか大多数の人が言うようになり、目立たなくなることでしょう(歌手本人が私の名前ではなくキャラ名を言って欲しいと明言されていたそうですが、すでに浸透い過ぎていてそのまま)。


偉そうにつらつらと書いて来ましたが、「絶対禁止だ!!」と言っているわけではありません。

ただ現状、アイマスライブにおける「イエッタイガー」は「好ましく思われていない」というのは事実です。

その事実を踏まえた上で、「周りなんかしらねぇ、とにかく俺は自分気持ちよければいい」という考えの人。私は、好ましくは思えません。

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