はてなキーワード: 多数派とは
経験を積んだがしかし今ひとつ陽の目を見ることのなかった仙人たちが世の中のさまざまなトピックに対して含蓄のある言葉を置いていく、そんなサービスを期待していたが、期待はずれもいいところだった。
実際は、実社会で居場所のない中途半端な無能がやり場のないコンプレックスをぶつけているだけ。
友達が少なく、所属する集団では好かれていない(ただし本人は"割り切っている"と自己洗脳で逃げ道を用意している)。運動も趣味も大した結果が残せず、集団での意図せぬ自分の立ち位置のトラウマから、常に多数派を敵視している。じゃあそれなら知性や高潔さこそ我が武器だ、といわんばかりだが、大した知識もなく独善的なので基本的には少し知っている人が見たら薄寒くなるような知ったかぶり上から目線ブコメで、たびたび増田で捲られている。大喜利なんて特に身の毛がよだつほど面白くない。身分が明かされる場所で言ったら周囲を悪い意味で黙らせる力となるだろう。まず結論ありきなので是々非々とは最も遠いところにいる奴が多い。だから税金の使い道を投資に例えた政治家を叩いていく。普通に投資じゃないか?使い道が気に食わなければ選挙で判断する権利を持つのが有権者だろうに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220523134001
で、この増田のコメントが70件ぐらい付いてる中、元記事のコメントをザッと見ることもせず吊られてフェミ叩いてる人が5名ぐらい。
後は、誰もそんなこと書いてねえだろ的な意見と、zyzyをフェミ代表にするのってどうなのって言ってる人が若干多くて、最多数派は「別に聞かれてない自分のメタ意見をここで述べる」でした。
女性向けはゲームからは離脱してメディアミックスコンテンツだけ追うのがわりと普通になってる とうらぶにしてもあんスタにしてもエムマスにしても
特に刀剣乱舞なんか、ゲームやってないほうが多数派なんじゃないの。あんな脳死周回前提のブラゲーに延々付き合える忍耐力ある人のほうがレア
この国が衰退していく様を眺めている気分は悪くない。
ちょっと前なら、碌にパソコンも扱えないような年寄りがプロジェクトXを観て勘違いしたり、
ブラック企業を礼賛する社畜みたいなのが多数派として君臨、飲み会を断る若者はけしからんという風潮も当たり前だった。
中国の台頭、30年の停滞、急激な円安と、若い世代なら誰でも知ってるような現実を次々と目の当たりにして、
さすがの年寄りでも気合と根性だけでは乗り切れないと薄々気付き始めたようだ。
まあ実際に考えを改めたり、反省したりすることはないだろうが、威張り散らすのを止め、影を潜めていてくれるだけでも大きな進歩といえる。
正義の味方を気取っても手遅れだから、俺が悪人として滅びる側に立つことは構わないが、
まず秋葉原でトラックで暴れた加藤は、中学生の頃に彼女がいましたよね。
その彼女とは毒母に無理やり別れさせられ、毒母から異常な教育を受けて、精神障害になったことが問題でしたよね。
これ恋愛力不足とは何も関係なくて、「異常な母親が息子を虐待していても行政の介入リソースが足りてない」というのが一番の問題で、
というか成人した加藤も親しい女性がなんだかんだでいましたよね?
彼べつにあらゆる女性から無視されてる非モテとかじゃなかったですよね?
「恋愛力」、不足してないですよね?
我田引水やめてください。
あと小田急のサラダ油氏も、非モテどころかサッカー部の人気者→ナンパ師でしたよね。
高校の同級生の証言で、高校時代は運動神経抜群で人気者の長身イケメン陽キャだったことがわかっていますし、
大学時代もテニスサークルで、その後は職が不安定なナンパ師化していった。
むしろコミュ力がワンチャンに特化しているために続かないことが問題で、
あとは雇用環境の問題もありましたね。彼、生活保護になっていたので。
高校時代は陽キャで、理系のそこそこ高学歴で、ナンパ師になるような人間でも、
生活保護になりうるし、生活保護で生命が保証されていても人は小田急線にサラダ油をまくということですよね。
我田引水やめてください。
別れてしまったとはいえ、ラブラブプリクラを撮るような関係を一度は築いているわけですから、
ジョーカー化の原因は恋愛力不足であるとは、これも言い切れなくないですか?
証言を見ていくと、コールセンターで働いているときに服部容疑者が悪いわけではない客とのトラブルについて
シャワー室を盗撮したことが発覚してクビになっていますけど、これも「恋愛力不足」とは違うんじゃないですか?
我田引水やめてください。
我田引水やめてください。
個人的な話を付け加えますけど、親族の中で一番問題起こしている40代男性が、
それで職が安定せず、金銭トラブルを複数回起こし、親戚に借りた金を踏み倒して、生活保護になりました。
でも言うてバツ2ですからね。「恋愛力」とやらは足りているんじゃないですか?
こいつの問題は「恋愛力」が不足していることじゃなく、セックスだけ楽しんで、
生まれた子供にかかる費用や親としての責任などを取る能力が一切なく放り投げて、
元妻に全部担わせたあげく、自分の遊ぶ金を親族に借りて踏み倒しているところですよね。
恋愛力なんか鍛えても、無責任な無能の被害に遭う母子が増えるだけです。
不足しているのは親としての能力ですよ。つまり育児・家事の能力であり、稼ぐ能力であり、親としてのマインドです。
京アニに放火した青葉真司についても、恋愛力教育さえ受ければなんとかなったとは思えないですね。
青葉真司の父は6人子供を作ったあと、17歳年下の女と不倫駆け落ちして3人子供を作る。
不倫相手の17歳年下の女(青葉真司の母)は失踪し、現在は別の男と結婚。
青葉真司の父も自殺。(17歳年下の女と不倫駆け落ちするほど「恋愛力」はあったのに自殺!)
青葉真司の妹も自殺。
さて、彼が追い詰められた原因は恋愛力の不足でしょうか?
むしろ「恋愛力は(不倫するほど)高いし、子供を合計9人作るほど繁殖力は高いが、親としての能力が低い人間」の被害者ではないでしょうか。
登戸の通り魔事件も、犯行後に自殺するという無敵の人の犯行でしたが、
置き去りにされた岩崎容疑者は父親の実家の人々に邪魔者扱いされて育った、というのが原因でしたよね。
カリタス小の子供たちが狙われたのも、両親が揃っている同居のいとこは学費の高いカリタス小に入れてもらえて、
蒸発男に押し付けられた邪魔者である岩崎隆一は公立小だった、という待遇の差が憎しみになったからでしたよね。
「恋愛力」どうこうの話ではないですよね?
むしろ「恋愛と中出しと出産だけはできるがまともな親にはなれない無責任な両親」の被害者だったのではないですか?
無敵犯罪者は、「恋愛力だけは足りている社会不適合者」や、そういう親の被害者であることが多くないですか?
ちょろい女を手籠めにすることはできても、上司(同性であることが多い)とトラブルになってすぐ辞めるような、
「性が絡まないコミュニケーション」でむしろ失敗して貧困になっているタイプが多くないですか?
原因は発達か知的か、診断が難しいタイプの脳の障害が先天的にあって、本人も苦しいし周囲はマジで迷惑してるという、
で、このタイプ、恋愛というか性については積極的じゃないですか?
女性を尊重する奥手なタイプどころか、グイグイ行き過ぎて性犯罪スレスレみたいな人間のほうが多くないですか?
無敵犯罪が起こるたびに「恋愛力を国が支援しろ」みたいな意見を言う人いるけど、関係ないですよね。
「父親適性は高く、本人も結婚と育児を希望しているのに、女性にビビッてしまう」
こういう人はそもそも無敵犯罪者とは何も関係がないので、無敵犯罪者と絡めて恋愛力支援云々を語るのは、
的外れかつ不当な犯罪者予備軍呼ばわりであり、「失礼な馬鹿」にも程があるんじゃないですか?
また、生育環境における重い問題(先祖代々の自殺、子捨て、虐待等)を無視して「恋愛力教育があれば事件は起きなかった」かのように解釈するのは
強烈な矮小化であり、ただの我田引水を超えて「当事者への侮辱」のようにすら感じますね。
あと去年ですけど30代の元同僚が電車に飛び込んで死んだみたいです。
死んだのは去年で、知ったのは今年に入ってからでしたけどね。
彼は既婚で、当時3歳・現在4歳になったはずの子供がいましたよ。
既婚男性ならわかると思いますが、妻子って、「男性のあらゆる問題を解決してくれるマジカルアイテム」ではないんで。
むしろ仕事が辛い場合は妻子の存在がプレッシャーを増大させて男性をより死に追いやる場合もあるんじゃないですか。
https://togetter.com/li/1888551
オレの学生時代だった頃もう既に、露出を避けようと丈が長くなる傾向になっていた。
いつかは止まるだろうと思っていたが、まさかここまで身体のラインを隠したがるとは。
コメント欄によると、
ラッシュガードって、プールサイドで腕を怪我した事あったか? いや無い。ガードする必要はないはずだ。日焼け防止なら日焼け止めクリームを塗ればいい。脚も顔も保護できる。
なぜ、長袖にこだわるのか。その本音はやっぱり恥ずかしいからでしょう。
注意深く考えてほしい。ロリコンだからと言って無遠慮に視線を投げかける訳じゃないし、クラスメイトの体毛イジリもぽっちゃりしている男子へのいじめも、スク水を過保護化する事では、
最近の人気記事を思い出してくれ。“社会の歪み” 問題を提起した良記事だ。
ヘアドネーションという罪。「いいこと」がもたらす社会の歪みについて | ランドリーボックス
ヘアドネーションが善意で行われているのに疑いはないが、そこには多数派が少数派に圧力を掛けて、多数派に合わせるコストを薄毛の人たちに負わせてる側面がある。
オレが近ごろ主張してる、「女子ニュースキャスターを VTuber にすればいい、っていう考えは大間違い」にも通底する。男性ニュースキャスターに比べて女性ニュースキャスターは、美人だとか、スタイルがどうとか言う邪悪な基準でジャッジされてしまいがちだ。でも、「だから VTuber を雇用して完ぺきな見た目を与えれば、VTuber の人気にもあやかれるしwin-winだ。」…という考えは短絡的にすぎる。
恥ずかしさの問題から目を背けて、ただ隠すのを当然とするだけでは、事態はより悪化するだろう。
「男性に限る」「女性に限る」と言うことが無い状態。現状では男性が制度的に排除されていることはあってもその逆は無いので、女性が加害者であると言う意味において男女平等ではない。
つまり結果の平等は求めていないし、求めるべきでもないと思っている。男女の格差は制度的な悪意設計によるものではなく、単純に女の不適合さによるものだと見なしている。
女の不適合さは最終的には「産む性である」と言うことに帰結するが、当たり前の話だが男性は「それは別に俺のせいでは無いし」と考えている。基本はこういう考え方だ。ただしそこからの対応は分かれる。
第一は障害者を保護するように女を保護するのを受け入れようとする考え。女性性を障害と見なす考えだ。
第二はそれは生まれつきのものであるし、多数派の女性は多数派であるがゆえに障害者ではないので、女性性を能力(の欠如)と見なす考え。究極、嫌ならば子宮をとっちゃえばいいのに、と言う考えである。
いずれにしても女性を被害者とみなし、「男はゲタを履かされている論」はかなり限界に来ている。フェミニズムの理屈は事実そのままではなく、単に女性の劣等性と女性の自尊心を両立するためのプロパガンダに過ぎないと男性が気づきつつあるからだ。
基本、他のありとあらゆる能力は生まれつきの要因に起因し、それらが肯定されているのに、なぜ女性性のみを生まれつきの能力として扱えないのか、実はアプリオリな根拠はない。自分たちは公共の福祉から受益をしながら、別の弱者の公共の福祉への負担(胎児など)に対しては女性が拒否するのであれば、女性を障碍者と見なす「優しい女性容認主義」も存立を危うくするだろう。
日本のリベラルの大半は、いわゆる(無知蒙昧な大衆である)多数派とは異なる意見を言って俺ら私達KAKKEEEEEEEしたいだけの逆張り煽り厨だから仕方ない
ブコメのアホ共見てれば分かるっしょ
価値観のアップデートの強制って「進捗的な価値観なんだから従え」と「世間がそうなったんだから従え」という、革新と保守のご都合主義的な使い分けを内包しているから嫌なんだよな。
純粋に正しさだけを志向しているなら世間の多数派がどう考えているかなんて関係ないハズだし、逆に世の中に合わせるべきという現状追認的な考え方を是とするならそもそもアップデート先の"新しい価値観"なんてものは生まれてこなかったハズで、価値観のアップデートの強制という行為にはどうあがいて矛盾が発生するんだよ。
結局、この矛盾を解決する理屈は「正しいから正しい」という本人達の中でしか通じない信仰的な正義の理屈しか存在しない。
だから、他の正しさを考える人の立場からすると「価値観のアップデート」なんて言われても反発せざるを得ないんだよな。
それで双方どうしても譲らないなら、改めて論戦を張るしかないわけで、アップロードなんて考え方自体がそもそも最初から必要ない。
最近よく言われる「リベラルの宗教保守化」なんかも、根底にあるのはこの歪みだと思う。
※追記
あれさ、散々科学的根拠ないとか迷信だとか言われてるのに、未だに話題に出すやつが多くて謎だったんだよ。
正直、頭悪いなーってバカにしてた。
けどわかっちまったわ。
→定型発達
いわゆるO型:おおらか、ルーズ、時間を守れない、片付けられない
→ADHD(多動、注意欠陥)
友達に血液型きかれて答えた時、「あ~O型なんだ~やっぱりね~」っていわれる奴は周りからADHDだと思われてる。
自己紹介で「A型なんですけど、よくAB型っぽいっていわれます」といってるやつは自分がASDであることをさりげなく告白してる。
血液型当てゲームは定型の中から発達を見つけ出すゲームなんだ。
本当の血液型がなにであるかはどうでもよくて、初対面でインスタントに発達を見分けるための簡易チェッカーだったんだ。
「コイツ、まだそんな迷信信じてんのかよw」って内心バカにしながら、馬鹿正直に「O型ってよく言わます」とか答えてた俺がバカだったわ。
※全然、リプがつかなかったので再掲。やっぱり、引きのある政策ってない?
日本において一番の多数派は、自民党でもなければ立憲民主党でもない
無党派層なわけだよ
じゃあ、引きのある政策、ウケの良い政策を取り込めばいいのだけど、そもそも日本においてそんな政策があるのかって言うのが知りたいわけや
どう思うよ
ひきこもりになるケースは全体から見て実は少ないと記事で見たんですが
昨今ひきこもりの括りを大きく広げてた気がするんですが
それで全体の数が増えた結果、いじめや不登校、過去の事案に関連する
と思うんですが合ってますか?
また、いじめ等がネックの方は対人スキルが未発達のまま社会不安障害や対人恐怖症など対人に対する弊害を抱えている為
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
「妄想だ」と叩かれることが多いけど、「女の子が降ってくる」に近い事態というのは現実にあって、
20代前半の頃、ぼんやり生きていたら、積極的な女の子が急にグイグイ来て、悪い気はしないので受け身に付き合った。
でもその女の子が美少女なわけではなく、普通のルックスで、会話がかみあわないことがある子だったりして、
「結婚したいという気は起らないなあ」なんて上から目線のことを考えながらぼんやり付き合っていたら、
唐突に振られて(本当は唐突ではなく、サインが出ていたのに、気づかなかったか、面倒だから無視していただけなのだろう)、
振られたあとは20年、あらゆる女性から「人間」としては会話してもらえるけど、「恋人・配偶者候補」としては無視されて、
元彼女の一件は「奇跡」であったことを、10年20年経って、さすがに直視しなくてはならなくなる。
元彼女は今でも自分のことを好きでいてくれるはずという幻想にも浸れない。とっくに既婚者になっており2児の母だ。
ぼうっとしている人間が、ラッキーで女性の好意を得られても、ぼうっとしているままなら、逃す。
ラッキーがあったときは、ラッキーが途切れないうちに、運の流れが来ていると感じているうちに、
死ぬ気で、自分を作り替える勢いで、求められることができる人間になれるよう学ぶべきで、
そうでないと流れが途切れたときに、全部が元通りになる。
プライベートの人間関係だけではなく、仕事でもなんでも、人間が関係するものはすべてそうなのではないか。
女性についてだけ書いているようだが同性の友達もいない。積極性やサービス精神がないと同性にも相手にはされない。
分かれ道は、まず「運の有無」があって、次に「運に乗って学習するか否か」がある。
ひたすら運がない、本当に運がなくてすべての機会が絶たれている場合は気の毒だ。
でも、多数派は俺みたいに、運がもたらした機会を怠惰によって台無しにしているのではないか。
本当は怠惰が原因なのに、運がなかったと思い込んで、努力家が享受しているものだけを、あいつは運がいいと言って、ねたんでいるのではないか。