はてなキーワード: 散見とは
最初に断っとくが、「だから財務省(=行政)もマスコミも喧嘩両成敗」という、更にくだらない詭弁をしたいのではない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00000081-sph-soci
この意見を主張する人は財務省やテレビ朝日と本質的にはおんなじ、しかも始末の悪いことに無自覚な性差別的な連中であるとしか思えん。
なぜそこで「例えば取材対象との間にセクハラ防止ガイドラインを設定する、あるいは『女性記者であるから』ではなく本人の資質から判断し取材させるよう、
マスコミ業界全体で取り組むようにしろ」ぐらいのことが言えないのか。
結局のところ、「女性は『オンナ』売ってナンボでしょ」という、ゲスい考えが根本にあるから「存在できなくなる」等と言う詭弁が出るんじゃねえのか。
その他大多数がこの古市氏の発言に賛同してたからひとまず納得はしてたが、Twitterでも同じようなこと言ってるのがいて、しかもそれが1000以上RTやいいねされて戦慄したので書いたわ。
まあ、以下の意見からすれば今後廃れる手法ではあるんだろうがな。
https://twitter.com/grossherzigkeit/status/986771547804200961
加えて、日本のクラウドファンディングに海外(ネイティブが非日本語)の人たちが出すのってハードル高いですよね。
(精神的なハードルも上がるから、メールでなくクラウドファンディングのインフラにおける「実行者からのお知らせ」でざっくり返したくなる)、
日本のクラウドファンディングがどういう方向性かにも依るけど、海外勢にも参加してもらいたいなら、運営サポートを手厚くしないと一見さんで逃げてっちゃうだろうな。
もっとも、日本の中のリソースだけで回したいのなら別ですし、それならそれでKick StarterやIndiegogoとの差別化という意味ではアリなのかも。海外からどう見えていてもかまわない、と開き直るのも。
そういや、
海外のクラウドファンディングでやっているのを、日本のクラウドファンディングにおけるプロジェクト実行者が日本代理店として引き込む、
代理店として国内の販路を完全に掌握するならまだしも、脇から漏れまくって別ルートで販売されてしまい、価格の制御ができず一部のBackerからクレームの嵐とかいう状況とかありましたし。
日本語サポート(実行者への窓口として)および日本市場のプレゼンス向上(実行者に日本語特有の問題を扱ってもらえるように働きかける)ということに特化して、それを売りにするのならニーズはあると思うのですが、それでも値付けが難しそう。
英語にアレルギーを持っている層のニーズではあるのですが、そういう人たちって色々と歪んだ見方(サポートの負荷を甘く見て、値付けが「高い」とだけ言うとか、販路が独占されていないことをあげつらうとか)をすることが往々にしてあって、場が荒れるんですよね。困ったもんだ。
ともかく、最近はこんなことも思いましたっていう話。
ブコメ見ると「オタク女子は彼氏がいない率高いから、配慮して彼氏という言葉は使わない」という意見が散見されるが
じゃあなんでわざわざオタクがいるところで、変に匂わせつつ惚気るんだ?
本当に配慮する気があるならオタクがいる所では一切話題に出さず、5ちゃんや増田使って匿名で惚気たり、インスタとか普通にリアルの恋愛市場にいそうな友達がいる所で話すだろ。
てかそういう所の方が良い反応とかアドバイスとかくれるだろ。(オタクは表向きはいいね〜とかしつつ、内心惚気とかウザがってるだろうし)
■2 原則NGだが緊急の時(人命が掛かっている時等)は乗っても良い。
■3 あるいはそもそも男女で差をつけること自体ダメ(だから乗ってもOKにすべき)。
もうとにかく3を主張しまくる人を散見して辟易したので、整理した。
今回は土俵だが、
そこには例えば治安上のものもあれば、機能上のものもあるし、サービスの特徴に伴うものもある。
理由があって男女での区別をつけることはありうるし、止むを得ない。
3を主張する人の中には、
土俵に女性が乗ってはいけない理由が分からない、と言う人もいるだろう。
それはもう、その人が理解できないだけであって、
そこには性差を設ける理由や文化があるのだから、あるのである。
理解できない人あるいは理解する気のない人にいくらそれを説明しても、理解は得られない。
理論上は穴の在りまくる理由だからだ。文化とは大抵そういうものだ。
トイレを男女別にすることは良いけれど、土俵はダメだという理屈は、
即ち3の主張者は大抵、
それに賛同できる人たちだけ出資するのだと個人的には捉えているのだけど
(おまけにアイディアのみの勝負ゆえ、少人数のチームであたることもあり、
クラウドファンディングが露出するようになり出資する層が広がった影響で、
高品質に慣れた客層も参加するようになり、
上記のことが飲み込めていないであろうコメントが散見されます。
(もっとも、これらのようなコメントは、海外クラウドファンディングでも一定の割合である印象。定量的に計測していないけど……)
キビシい、キビシすぎるよ!
クラウドファンディングでは高品質を求められないんだって!
高品質の製品を製造出来るのは、既にラインが成熟して大量生産から検品までの体制がしっかり組めている場合なんだって
(超少量生産、職人らによる全家内制手工業で高品質担保とかもあるけど)。
アイデア勝負のものに品質(Q)を求めたら、それこそ出荷が遅れたり(D)、出資額が膨大になっちゃう(C)。
QCDの何を重要視するプロジェクトなのかのお話(大概の事例に則り、全部を満たすのは無理という前提で)。
もちろん、出資金を受け取ったにも関わらず、プロジェクト実行者がドロンできてしまい、
出資者が泣き寝入りするしかないようなファンディングのインフラ提供者が未だにある
(トラブル時の問題解決を当事者に丸投げするような規約を書いているところが、概ね該当)ため、
出資者が監視がてら建設的なコメントを出し、一定のプレッシャーを与えるのは良いと思うのです。
ただ、筋違いのプレッシャーはプロジェクト実行者にもどうしようもない部分があるため、
それなりに汲んであげても良いのでは?
と最近思うのでした。
上野千鶴子の少し前の本なのにもかかわらず今さらちょっと炎上しているやつ、なんか見ていて辛い。
古市くん、社会学を学び直しなさい!という新書を読んでるんだけど、上野千鶴子が「自分に不利なエビデンスはもちろん隠す。それが悪いことだと思ったことはありません。」と述べていてマジ仰天。
これね。
この発言に対して当然のごとくやれ「研究者の風上にもおけん」とかやれ「こんなの活動家じゃねえか」みたいな発言が散見されるし、それを持ってフェミニズム全体をバカにする発言もなされている。まあ、いつもの光景だ。
いやまあ当然その誹りを上野は引き受けなくちゃいけないとは思うんだけどさ、それでも、なんていうかあまりにも学校の先生的に現代の「アカデミック」というのを価値観の頂点においた一方的なマウンティングなんじゃないかと思えて、ちょっと気持ち悪い。
そりゃ学校の先生は「学校に登校するべきだ」と言うわけだけれども、それは学校という規範の中でしか通用しないわけで、その「学校行くべき」というお叱りは学校の中でしか通用しない。
「白河の 清きに魚も 住みかねて」じゃないけど、社会科学として事実と向き合って誠実に着実に知見を出して行くなんていうのは一個の価値観でしかなくて、社会と向き合うっていう側面を大事にして価値判断と微妙に結びついたり結びつかなかったりしながら語って行くっていう人がいてもいいんじゃないの(*)?
フェミニズム及びジェンダースタディが社会運動の側面を持って入るのも紛れもない事実だし、現代社会はその社会運動の成果によって支えられて入る部分もあるんじゃないのかなと。社会科学が、その性質上その側面を切り捨てることの方が欺瞞だと思うけれど。
偶々今のアカデミックが「エビデンス」とやらを重視するという機運が高まっているだけで、上野が活躍した時代に「エビデンスがー」とか言っていていても「目の前の不正義を看過するんですか?」って言われておしまいでしょう。
出来ないなあ
―追記―
https://anond.hatelabo.jp/20180320234214
―追記2―
2万円かけて2万円かけてることがわかるスニーカーないかなってところが肝です。5000円そこらで売ってる靴たちから(見た目で)抜きん出られる靴が欲しいのです。具体名を挙げてくれるひとはとてもありがたい。
―追記3―
買おうとしたけどヴェイパーマックスXオフホワイト漏れたわ。教えてくれた有能ブクマカありがとう。こんな感じでいいやつどしどし教えてくれ~。
2万にケチつけてる典型的老害おっさんが散見されるけど、こういうこと言ってるおっさんら絶対スニーカー持ってないだろ。
スニーカーに興味あるひとは名前あげてくれるし、持ってる自慢したがるし、興味ある俺みたいな奴に予算内でいいやつきちんと教えてくれる(越えるのも教えてくれるけどそれもありがたい)。
北朝鮮の金正恩が中国を訪問したというニュースのブックマークコメントに「日本が孤立する」というような事を当てこすっているコメントが散見される
たとえば以下のようなもの
http://b.hatena.ne.jp/entry/361159842/comment/murasakizaru
ネトウヨって、北朝鮮の毎度の好戦ブラフは真に受けたふりして大騒ぎするくせに和平に向けた発言は嘘だ信じるなコール。こりゃ日本ハブられるわ。少しでも流血を減らすため薄紙重ねる努力する全世界の敵。
http://b.hatena.ne.jp/entry/361159842/comment/kitamati
http://b.hatena.ne.jp/entry/361162574/comment/tomoya1983
アメリカとの対談前に中国との接近、外交戦略としてこの上ない妙手。かたや置き去りで八方塞がりの日本、拉致問題の進展が見出だせず。このまま列強に食い物にされ続けてよいのか
http://b.hatena.ne.jp/entry/361155015/comment/murasakizaru
本当、日本抜きだと協議が建設的な方向に向かうなあ。日本はなんでハブられたのか自覚と反省をもって黙ってようね。この期に及んで分断とヘイト煽ってたら、日本が世界の敵認定されちゃうよ?
(1)北朝鮮が本当に核を放棄するなら日本を含む全世界にとって望ましいことなのに、それを「孤立」「ハブられる」と、あたかも日本の不利益になるかのように考える理由
(2)北朝鮮が近いうちに本当に自主的に核を放棄すると信じられる理由
この辺誰か分かる暇な人いたら教えて欲しい
まず、原作者およびイラストレーター(以下絵師)がアニメ制作に参加するかは、ケースバイケースである。
ほとんどのアニメでは原作者が多少の口出しをする程度で終わるが、近年は原作者がアニメの脚本を書いたりするケースも増えてきた。
ただ、基本的にアニメの制作は制作会社におまかせするものであって、原作者および編集部が主導権を握っているわけではない。
アニメ化の企画も、出版社が立てているわけではなく、まずアニメ制作会社が立案して、それから出版社に打診している。
(でもカドカワが主導してそうなアニメ化前提のメディアミックス企画とかはどうなってるんだろう? 教えて偉い人!)
アニメの「キャラクターデザイン」とは、原作のキャラクターデザインをもとに、アニメで動かしやすいよう、アニメーターがアレンジすることである。
「漫画家や絵師がいちからキャラクターをデザインする」という意味でのキャラクターデザインは「キャラクター原案」と呼ばれる。
ライトノベルの場合、キャラクター原案が作家なのか絵師なのか曖昧なところもあるので、「キャラクター原案」ではなく「原作イラスト」としてクレジットすることも多いようだ。
今回の騒動ではこのあたりを混同して、「緒方のキャラ原案を廃止して新たに別人がキャラ原案を作った」と勘違いしている人が散見された。
余談ながら、オリジナルアニメの場合でも、キャラクター原案は有名絵師、キャラクターデザインはアニメーターと、分担していることは多い。
『俺妹』や『魔法科』のように、もともとアニメーターが絵師として起用されていたので、そのままアニメのキャラクターデザインも担当した、という特殊なケースもある。
以上を踏まえた上で、今回の問題を整理しよう。
緒方剛志がアニメ化発表時に素直に反応していることもあり、アニメ化の話が通っていなかったということは考えづらい。
「見たことねえ」「認めてねえ」というのは、あくまで「キャラクターデザインの確認が回ってこなかった」ということについてだと思われる。
既に説明したとおり、原作者および原作絵師がアニメ制作に「参加していない」ことそのものは異常事態ではない。
「参加したかったのに外された」のか、「納得の上で外れた」のかは、現状では判断しづらいように思われる。
そもそもアニメのキャラクターデザインは「元のデザイン」から変える仕事である。
今回はかなりキャラデザの癖が出ているが、このくらい原案と変わってしまうことはそう珍しくない。
緒方剛志は「ブレザー着たヤツに日程を合わせる為に短期間で絵を描かなきゃいけないからムカつく」と言っているのであって、
「ブレザー着たヤツにキャラデザを合わせて絵を描かなきゃいけないからムカつく」とは書いていない。
印象論だが、緒方剛志の怒りは「連絡がなかったこと」よりも「キャラデザがダメなこと」に向いているように思う。
つまりキャラクターデザインの仕事に対する怒りなのだから、マッドハウスと話をつけようとしたのではないか。
マッドハウスの広報アカウントにリプライを送ったあと「無視ということでよろしいんですね?」からの「監督辞めるってよ」なので、
「監督が辞めると言った」という話し合いはリプライの前に行われていたはず。
アニメ化発表→緒方がキャラデザを見て怒る→マッドハウスと話し合うも決裂→広報アカウントにリプライ→返答がなかったのでぶちまけてすっきり
という順番なのではないか。
この場合、緒方とマッドハウスの話し合いをカドカワがセッティングした可能性があるので、
本件で「カドカワが働いてない」と断言するのは保留したほうがいいのではないかと思います。
知らん。
いまのところの印象では「アニメの制作からは納得の上で外れたがその結果として出てきたキャラクターデザインが(緒方目線で)あまりに酷かったので後から文句を言っている」の可能性が高いと思っている。
ただし、私はそんな極まったアニオタではないので、アニメ制作のところについては間違いがあるかもしれない。
詳しい人のさらなる詳説があったら嬉しい。
特に「キャラデザってどのくらい原作サイドに確認するの?」「キャラデザの決定を原作絵師に伝えないってありうるの?」というのが分からない。
・決定直前に確認を取るだけ
・決定後に知らせるだけ
など、いろいろ考えられる。
「現場による」って言われそうだけど。
各所で議論がなされているが、個人的には「どっちもどっち」って感じ。
なぜこうした結論に至るかというと、情報過多で正しい取捨選択ができず、疲弊したから。
データにも結論ありきの恣意的な統計が散見されるし、感情論はその当人が思うことで反論のしようが無いし、もう何が正しくて何が間違っているか判断するのに疲れた。
キャラデザが統一されないばかりか、歪みに歪んだ作画が散見された8話で、
案の定、その回のEDで、制作体勢の立て直しを理由に9話の放送を3週間後に延期することが告知される。
ああ、ついに万策尽きたか……とネガティブにとらえる人がいた一方で、
とポジティブにとらえる人もいただろう。少なくとも私は後者のように思っていた。
それがどうしたことか、本日、8話より不揃いで歪み切った作画による9話が放映されてしまいましたよ。
作画崩壊とか放送事故とかそんな生易しいものじゃない。そこには虚無が存在していた。
複数シーンに渡ってアップ絵で崩れるヒロイン、引き絵でやべえ目つきになるキャラたち、
体形はシーンごとに歪んでは戻り、動きは酔っ払いの千鳥足のごとし。
建物の内装外装は手抜き工事かと思うレベルで、食べ物はそれと言い張るサムシングでしかなかった。
声だけ聞けば笑えるギャグシーンなのに、画面を見ると他に気になるところがあり過ぎてに笑う余裕がない。
こんなの初めてだよ……
お話大好きなのに何でこんなことになったんだ……
今からでいいので、全話1年以上かけて作りなおしてくれねえかな……
https://anond.hatelabo.jp/20170911110731
昨年、はてブでバズりまくったエントリにまんまと乗せられた実務経験なしのプログラミング初心者が
N予備校プログラミングコースのプログラミング入門 Webアプリコース(有料のプログラミングコースで一番最初にやるコース)を修了したので知見をまとめておきます。
そんな感じです。以下、理由。
入門コースの実践編となる3章からは各講義の最後に課題が出されて、
N予備校のGitHubリポジトリにプルリクエストを出すことで課題の提出に変えて、
学習を進めていくのですが、
https://github.com/progedu/intro-curriculum-3001
https://github.com/progedu/intro-curriculum-4023
ちゃんと内容を理解できている人の割合はさらに低いと思われます。
なぜそんなに脱落していくかというと、まあ難易度だったり色々あるとは思うのですが
~をするにはこういうプログラムを書けばいい!ということは教えてくれるのですが、
なぜ、こういうプログラムを書けば~ができるのかということについての説明が少ないです。
感覚としては、途中の式と解答だけが書いてある数学の参考書を読み進めているような感じで、学習者には途中の式の意味を自力で読み解く能力が求められます。
その過程でドキュメントをあたったり、自ら調べて解決する能力が必要です。
またアロー関数式だったり、三項演算子や論理演算子を用いた代入などの省略記法を多用する割にソースコード中にほとんどコメントを書かないことも初学者には難しいかなと感じました。
体系的な学習にも不向きです。
あとオブジェクト指向の説明をせずに、JavaScriptのオブジェクトを扱っていたり、
データベースの学習をする前に、MVCパターンを扱っていたり、ちぐはぐさを感じるところも多かったです。
ということで(他にもいろいろあるのですが)、未経験者が独学で進めていくのは厳しいんじゃないかな~というのが入門コースを終えての結論です。
たとえば保護者の方が専門のエンジニアで分からないことがすぐに聞けるような環境にあればよい教材になるかもしれません。
ただ中級者へのステップアップを目指している初心者がきっかけをつかむには良い教材になりえるとも感じました。
私自身、GitHub、Linux(Ubuntu)、Node.js、Expressフレームワークなど、自主的にはなかなか食指が動かなかった分野の知識を得ることができたと思います。
難易度は高いですが、中級者向けのまとまった教材というのはネット上にもあまりないと思いますので、ある程度経験のあるプログラマが知識を深めるために利用するのはありだと思います。
ただ社会人が学習を進めるにはまとまった時間の確保というのがネックになるとは思います。
N予備校の入門コースの想定学習時間は180時間だったと思いますが、私はこのコースを修了するのに400時間前後かかったと思います。
(今年の1月初頭からほぼ毎日午後を勉強時間に充てて、ようやく昨日入門コースを修了しました)
コースを終わらせることだけを目標にするならもっと短くできるとは思いますが、ある程度知識をつけて今後にいかすことを目標にするとなると、想定学習時間内でコースを終わらせるのは難しい気がします。
色々書きましたが、それでも月1,000円というのは破格の価格設定だと思いますので、気になっている方は挑戦してみてもよいのではないでしょうか。
などがおすすめです。 「「分かりそう」で~」のサイトには本当にお世話になりました。m(_ _)m
ただ特にプログラミング経験の浅い方に伝えたいのですが、N予備校の入門コースが理解できなかった、挫折したからといって、プログラミングができないということはまったくないです。
私自身、SEやプログラマとしての実務経験はありませんが、趣味でも仕事でもガンガンプログラムを活用しています。
ぜひ挫けずにプログラミングの学習を続けていただきたいなと思っています。
あとネット上にはN予備校のプログラミングコースのレビューも散見されますが、無料コースしかやってないんじゃないかなーというものが多いのでお気をつけください。
基本的に無料コースと有料コースは別物と考えたほうがよいと思います。
参考になれば幸いです。
ところで、N予備校のニコニコ動画再現コースが2017年度中公開予定になってるんですけど、本当に公開されるんですよね・・・?(※)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180320-00000156-jij-pol
前もって対応出来ないと断られたにもかかわらず、マスコミを大勢引き連れての面会強制。
こういうのは共産党や社民党のような泡沫政党がパフォーマンスでやる事であって、政権を狙う野党第一党がやる事じゃない。
そして支持者のブコメが酷い
bronson69 いやいや、「押しかけるなんて野党は非常識」よりまず「対応を断るなんて財務省は非常識」でないの?虚偽と改ざんと隠蔽ばっかなんだから、文書管理システムの現物示して説明しろ、ってのも当然の要求でしょ。
mechpencil 与党議員だったら視察の申し入れも断らなかっただろうし、野党だから小馬鹿にしていると思われても仕方がない。政権交代が起きたら自分の上司になるかもしれない人間を相手にしているという認識はあるのだろうか
allezvous 普段ならパフォーマンスだねと言うんだけど、今回は言っても全然出さないし、現場に乗り込んでいかないとどう隠滅されるか分からんからなあ
mamezou_plus2 籠池氏の様に理財職員数、全員を留置書にぶっこんだうえ、証拠隠滅出来ないように理財局を封鎖すれば良いのに。
押しかけるのは非常識では無く、断る方が悪いという理屈らしい。
与党議員なら断られないとの説は、野党議員はアポの取り方も知らないと言ってるのと同じですけど自覚ありますか?
ならば公務員は税金を使って働いているのだから、その業務の妨害は国民に対する背信とも言えるぞ。
悪いものは悪いと言わなければ、支持は広がらない。
枝野はその点を理解していると思っていたが、こんな事を言い出した。
https://www.asahi.com/articles/ASL3P6V9HL3PUTFK009.html
はずがない。大事なことなのでもう一回言いますが「はずがない。」
はずがないからのコレ。
佐川氏が、政権に都合の悪い何らかの秘密を抱えて黙秘していると決めつけている。
こういうの、見込み捜査って言いません?
最後にコレ
少なくとも財務省の方が1人命を亡くされ、空前の文書偽造問題にまで発展した。この問題のキーマンが、安倍昭恵さんであることは誰がどう見ても間違いない。後ろめたいことがないなら、さっさと国会で証言してもらえればいい。
「後ろめたいことがないなら、さっさと国会で証言してもらえればいい。」
リピートアフターミー「後ろめたいことがないなら、さっさと国会で証言してもらえればいい。」
後ろめたい事が無い人は裁判所にも国会にも呼ばれるべきでは無い。
そんな人物が見込み捜査を肯定し、無実だったとしても国会に呼べと吠える。(誤読よけに俺は無実かどうかの判断はしてない事を明記しておく)
明らかに異常だ。
mustelidae よくわかんないブコメが散見されるが、記憶通りのことをしゃべってくれれば国民のためになるのでそうして頂ければいい。あと野党はくれぐれも、演説じゃなくて質問をする人を質問者に立てて頂けますよう。
vox_populi 佐川については「1人でやったはずがない。佐川さんに期待しましょうよ。国民のために証言してくれ」。安倍昭恵については「後ろめたいことがないなら、さっさと国会で証言してもらえればいい」。正しい重みづけだ。
正しい重みづけ(謎理論)
ちなみに冷静な人もいる
daigan ちょ、ちょっと待て。安倍昭恵が関与している事は間違いないという、自分が期待しているストーリー通りに証言してくれって、いいのかこれ!? 枝野さんには期待してるのだから、道を踏み外さないでくれ。
さすがにマズいとわかる人も、そりゃ居るよな。
ある程度の知性が有れば、見込み捜査や証言誘導がマズい事くらい知っている。
俺にとって、枝野は選択肢になりえるかも?と若干の期待はあったんだよ。
でもさ、どうやら期待はずれだったみたいだ。
枝野は弁護士資格を持ちながら、明らかに法を逸脱した発言をするような運動家に成り下がってしまった。
残念ですわ。
以上の理由から立憲民主党及び枝野は終わったと判断しそうなのだが、そんな事無いよって意見の人います?
追記
証人喚問は無実の人を呼んでも良い説のブコメが多いですが、ある程度の根拠がなければ徳田要請問題の二の舞になりかねません。
少なくとも「後ろめたいことがないなら、さっさと国会で証言してもらえればいい。」程度でカジュアルに呼んで良い場所では無いと考えています。
追記2
危うい所もあるけれど成長を待つ価値があるとのご指摘、ありがとうございます。
確かに完璧な存在など有るはずも無く、立憲民主党が現在の野党の中では一番マシである事も事実です。
ただ、ダメな事はダメ、危うい所は危ういと指摘する事も大事なのではないでしょうか?
危ういけれど目をつぶろうという姿勢は、長期的に見て誰のためにもならないと考えます。
今回の件については、超えてはいけないラインを踏み越えたと思いましたが、ブコメで教えていただいた立憲民主党フェイスブックページの全文を読み、若干印象を変えました。(それでもとても容認は出来ませんが)
https://www.facebook.com/rikkenminshu/posts/156079648411652
今少し、様子を見ようと思います。
ちなみにアベガーとかミンシュガーといった方々には全く興味が有りません。
ノイジーな方はどうぞ他所で盛り上がって下さい。
増田さん本人への言及というよりは、トラバやブクマを見て思ったこと。ブクマでは書ききれなかったので追記。
なんだか元記事への反応を見ていると、「風俗に行く⇒病気もらう可能性があるんだからいけない」って言ってる人が散見されるんだけど、それはセックスワーカーの人を病原菌と見なす態度のようにも見えて違和感を感じてしまう。
もっと言えば、増田さんの彼氏が取ったような「セックスワーカーの人を汚いもの」と見なす態度と同根ではないかと思えてしまうからだ。
もちろん、セックスワークをしている以上は性病にかかる可能性が一般人よりも高いという考えは自然だと思う。だけどセックスワーカーの人たちはそういうリスクを意識した上で、こまめに検査を行っているしセーフセックスも心がけている。
潜伏期間が長い性病があることも考えれば、「素人」とのセックスの方が危険性が高いかもしれない。そしてこの「素人」の範疇には、もちろんパートナーだって含まれうる。
そういう危険性を可能なかぎり減らそうと思えば、結局のところ「過去に性的経験がない人が望ましい」という価値観に至ってしまって、「処女厨は生物学的に自然な欲求」みたいな考え方と紙一重になってしまわないかなという懸念がある。
それにそもそも、とくに危険なセックスをせずに暮らしていたって病気にはかかるし、その病気をセックスを通じてパートナーに感染させる危険性だってあり得る。
だったら「セックスから病気に感染する」ことを回避する考え方って、最終的には、「病気にかからなくて健康な相手とのセックスが一番」的な考えに行き着いてしまうんじゃないか。それはやっぱり「処女厨」ないしは「体が強くて子供ぎょうさん産める女 or 健康的でたくましい男がやっぱいいわー」的な考えとそんなに変わらないと思う。
もちろんこういう考え方は極論で、単に「風俗で性病にかかったパートナーから病気をもらうことに対する拒否反応が強い」という話なのかもしれない。けれどそういうことなら、病気の感染リスクとはまた異なる次元の話だと思う。
ちなみに私は、だから「風俗に行くのが問題ない」ということを言いたいわけでは一切ありません。増田さんの彼氏はヒドいことをしたと思うし、そのことについて各人がそれぞれの感想を抱くこともまた自由だ。
結構生活にも影響するはずなのに異常なほどに興味を持たないのは、なんでかしら?
年代にも依るのだと思うけど、自分(30代末)が受けてきた小中高の教育では、ほとんど近代政治には触れてなかった。
まあこれは対立したときに引きずって面倒くさいからかもしれないけど。
20年くらい前は
「誰が首相になっても同じだし、自分一人が投票しても変わらないだろうから選挙にも行かない」
とかいう、とぼけた奴もそれなりに居たけど、さすがに今はそこまでの馬鹿はいないと信じたい(投票率のバラツキが大きいので、なんとも言えないものの)。
そういや池上彰氏の政治・経済関連の番組は、乱暴なまとめ方も散見されるけど、結構な頻度で放送しているし、興味を持ってもらうという点では貢献しているのかな。
個人的には興味深く視聴しているし。
例のエマ・ワトソンのスピーチに関連してキモカネ論陣で多く見られる主張に、次のようなものがある。
「男性性から解放されろというが、女は男性に権力や経済力を求めている。モテるためには権力や経済力といった男性性を獲得せねばならないので、女が上昇婚をやめない限り、我々も男性性に拘り続ける。」
男性性からの解放が話題に上がるたびトラバなりブコメなりで散見される「女の方が男に男性性の呪いをかけているのだ」論。見かける度疑問に感じていたので、少し整理したい。
これは筋が通らない。そもそも「モテたい・モテなければ男ではない・女を獲得してこそ男である」という発想自体が、男性性に起因するものだからだ。
男性性からの解放は、友達と楽しくゲームしたりライブに行ったり、女を獲得せずともハッピーな人生を送る自分を肯定しようぜ!ってこと。女にモテなくてもかっこいいヒーローじゃなくても、あなたはあなたの明るく楽しい人生を謳歌できる。実際、独身貴族で趣味に生き、結婚している人よりハッピーに生きている人なんてたくさんいる。まず「僕はモテなければならない。モテなければ幸せになれない」って思い込みを捨てよう。
と、ここまで書いて思ったのは、そうは言っても異性からの承認を一切得られない人生はつらいだろうなということ。同じ男として気持ちはわからないでもない。
それでも言うに事欠いて「女は上昇婚をやめろ」は無理筋だろう。上昇婚をやめろというのは
「僕はモテたい。でも金も地位も何もない。だから女の方が好みを変えて、金も地位もない魅力度の低い男と積極的に付き合え」
と言ってるのと同義。男の側も若くて綺麗な女性を嗜好しているけど、だからといって「若い綺麗な女性を嗜好するのはブスに不公平だからブサイクババアと積極的に付き合え」と言われて従うか?
いつか地位や権力・経済力のような男性性を獲得できる見込みがあるならそこに拘る理由もあるけれど、そもそもキモカネおじさんはそれら男性性を獲得できなかったからこそキモカネおじさんなわけで。これまでもこれからも地位・権力・経済力は手に入らない、顔もブサイクなまま、だったら女を獲得することにこだわらないで趣味に生きる人生を選択して自分を肯定した方がずっと楽だと思うんだけど、それが出来ないからこそキモカネおじさんなのかなぁ。異性からの承認を得られなくてつらい気持ちはなんとなく理解できても、男性性に拘り続ける理由まではわからない。
女は女は〜って文句を言い続けるより、男友達とボイチャしながらモンハンする人生も悪くないんじゃない?エマ・ワトソンのいう男性性から解放って、そういうことだと思うよ。
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
◆
個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
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そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
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男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
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「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015
石井淳平氏の文章がバズってるけどどうかと思うアホアホっブコメが散見される。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/@junpei9/30c20561f812
石井淳平氏って北海道の厚沢部の石井淳平氏でしょ。少し調べたらわかると思うけど。考古関係中心に学芸員やってて組合に異動したこともあるぽいってのは調べるとすぐ出てくる。
http://www.hk-curators.jp/archives/author/ishii
https://assabu.exblog.jp/15193880/
http://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_miyagi36/08/0801_jre/index.htm
その人に「公務員像がぼんやり」とか「内容がガバガバ」とか「表層しかみてない」とか。少なくとも石井氏の来歴や置かれた職場環境(北海道の地方公務員)ぐらいは判るはずだ。そこから文章で想定される射程(やその限界)も公務員問題にブコメするならある程度は類推しうるだろう。
職歴や来歴をはっきり書かず、焦点を絞り切らなかった石井氏もそれなりに悪いけど、事情を何も知らない人が書いたわけではないことは、何度も繰り返すが「調べると」「すぐに」わかる。
文章に対して批判をするなと言いたいわけではない。「現役公務員なのにこういう文章はいかがなものか」「現役だがこの視点が足りない」とかなら批判として成り立つ。北海道の地方公務員が知り得た事例をどこまで敷衍できるのか、の辺りに批判があれば、それは良い議論を生むのではなかろうか。