はてなキーワード: 爆誕とは
それじゃあまりにも天才しかできないだろうということでニーモニックというのを持ったアセンブリ言語ができた
多分当時の人の中にあった議論は、こんなの1と0の羅列に名前つけただけだろ、なんかいいことあんの?という人たちと、まさにブレークスルーだ世界が変わるとエキサイトした人たちだろう。
色々あったが、人にも読めるソースをアセンブリ言語に変換してくれるCが出来た。
多分このときも単なるアセンブリのスーパーセットだろ?なんか意味あんのか?っていう人たちと、やばいレベルでプログラミング書きやすくなったとエキサイトする人たちに分かれたことだろう。
このときも、構造化プログラミングに毛が生えた程度のもんだろ?何が嬉しいんだ?という人と、オブジェクト指向なら何でもできる!とエキサイトした人たちで溢れかえったことだろう。
Java以降のIT界隈ではもはやオブジェクト指向抜きには語ることはできなくなった。
何が何でも継承でカプセル化でポリモーフィズムだとオレオレフレームワークが雨後の筍のごとに開発され結局Strutsに一網打尽にされた。
その後RoRによるCoCによってXMLなんかいらねーわとなったがアノテーションを使う方に進んでいった。
もはやこの時点で継承だのポリモーフィズムだのはそれほど重要なものではなくなったと言ってもよく、このあたりからEoDだとか、再利用性、メンテナンスのしやすさに主軸は移っていったと感じている。
人月の神話の時代から語られた銀の弾丸はないというたった一つの真理は忘れ去られオブジェクト指向ならなんとかなる、オブジェクト指向だという人々もまたこのときに誕生している。DI?ファクトリとリフレクションでなんとでもなることでしょ?何が嬉しいの?と。
その後関数型プログラミングが誕生する。
これを見た人々の中には、関数型プログラミングなんかJavaよりもそけつこうにしたていどのものだろ?小さいクラス作ればJavaでもできることをなんでわざわざ関数型プログラミングに移行しなくてはならんのだときっとそうなったることだろう。
マシン語からアセンブリ、CからOOPとトレンドが移り変わる中で起きているのは、技術革新であり、もうこのままじゃきついからこっちにしようというムーブメントであり、それに乗る人、抗う人というのは必ず現れる。
抗う人の中には、新しい技術に対するモチベーションは失われているがポジションを失うのだけはごめんたといういわゆる老害と呼ばれる人たちや、本気でシフトする意味がわからないくらいに思考が固まった人、はたまたこの技術なら全て解決できるのだから他のものはいらないという信仰を持った人などがいるし、乗る人もこの対極にいるのだろう。
多分20年後には関数型プログラミングとは違うなにかが天才たちの中から爆誕し、同じような議論が起きることは想像に難くない。
しかし人類はどうすれば簡単に1と0をコンピュータに保存できるのかということをひたすらに追い求めているのだから不思議なものだ。
たしかに極端な話1と0だけ打ち込めれば同じことはできるかもしれないが、その難易度は遥かに高くなっているし、現実的には不可能だろう。
企業がシステムにせいぜい20台程度のホストを導入するようなものだった。
今は百や千のオーダーでは聞かない仮想ホストにDockerコンテナが複数動きこれらが協調しなくてはならない、もしくは各自独立で動いても問題が起きてはいけないので、ここには関数型のデザインが合うと思うし、一方でデータにアクセスするところではトランザクションに強いJavaというように適材適所住み分ける必要がある時代になった。
当然Javaだけでもできるし、関数型たけでもてきるかもしれないが、こういう形の議論をする人はその技術が目的になっている。
継承やポリモーフィズムをする以上はスーパークラスのライブラリもなくてはならないが、それも億劫になっているのかもしれない。
今後関数型プログラミングがあらゆるものを席巻する時代になるかもしれない、OOPがそうであったように。
それとも人々はもうそういう不毛なことはしないのかもしれない。もはやそういう時代は過去のものになったと考えたほうが良いだろう。
関数型プログラミングの理解よりも、オブジェクト指向の習得よりも、目的を達成する最小のコードをエレガントに書くといういわゆる画力が何よりも先に求められる時代に入ったのではないだろうか。
そういう意味では業界としてだいぶ健全になったようにも思える。
あまりにもポエミーで恥ずかしくなったので増田に書くことにした
***追記
何も調べないで主観のみで適当に書き連ねた文章にどうもすごそうな人たちがやたらまじめに反応していて申し訳ない気分でいっぱいになった。
この文章を書くにあたって全く頭は使われておらず、裏もとられておらず、確認もされていないことだけは付け加えておかないとマジレスしてくれた人たちに申し訳ない気持ちがすごいので書いておくことにします。
それじゃあまりにも天才しかできないだろうということでニーモニックというのを持ったアセンブリ言語ができた
多分当時の人の中にあった議論は、こんなの1と0の羅列に名前つけただけだろ、なんかいいことあんの?という人たちと、まさにブレークスルーだ世界が変わるとエキサイトした人たちだろう。
色々あったが、人にも読めるソースをアセンブリ言語に変換してくれるCが出来た。
多分このときも単なるアセンブリのスーパーセットだろ?なんか意味あんのか?っていう人たちと、やばいレベルでプログラミング書きやすくなったとエキサイトする人たちに分かれたことだろう。
このときも、構造化プログラミングに毛が生えた程度のもんだろ?何が嬉しいんだ?という人と、オブジェクト指向なら何でもできる!とエキサイトした人たちで溢れかえったことだろう。
Java以降のIT界隈ではもはやオブジェクト指向抜きには語ることはできなくなった。
何が何でも継承でカプセル化でポリモーフィズムだとオレオレフレームワークが雨後の筍のごとに開発され結局Strutsに一網打尽にされた。
その後RoRによるCoCによってXMLなんかいらねーわとなったがアノテーションを使う方に進んでいった。
もはやこの時点で継承だのポリモーフィズムだのはそれほど重要なものではなくなったと言ってもよく、このあたりからEoDだとか、再利用性、メンテナンスのしやすさに主軸は移っていったと感じている。
人月の神話の時代から語られた銀の弾丸はないというたった一つの真理は忘れ去られオブジェクト指向ならなんとかなる、オブジェクト指向だという人々もまたこのときに誕生している。DI?ファクトリとリフレクションでなんとでもなることでしょ?何が嬉しいの?と。
その後関数型プログラミングが誕生する。
これを見た人々の中には、関数型プログラミングなんかJavaよりもそけつこうにしたていどのものだろ?小さいクラス作ればJavaでもできることをなんでわざわざ関数型プログラミングに移行しなくてはならんのだときっとそうなったることだろう。
マシン語からアセンブリ、CからOOPとトレンドが移り変わる中で起きているのは、技術革新であり、もうこのままじゃきついからこっちにしようというムーブメントであり、それに乗る人、抗う人というのは必ず現れる。
抗う人の中には、新しい技術に対するモチベーションは失われているがポジションを失うのだけはごめんたといういわゆる老害と呼ばれる人たちや、本気でシフトする意味がわからないくらいに思考が固まった人、はたまたこの技術なら全て解決できるのだから他のものはいらないという信仰を持った人などがいるし、乗る人もこの対極にいるのだろう。
多分20年後には関数型プログラミングとは違うなにかが天才たちの中から爆誕し、同じような議論が起きることは想像に難くない。
しかし人類はどうすれば簡単に1と0をコンピュータに保存できるのかということをひたすらに追い求めているのだから不思議なものだ。
たしかに極端な話1と0だけ打ち込めれば同じことはできるかもしれないが、その難易度は遥かに高くなっているし、現実的には不可能だろう。
企業がシステムにせいぜい20台程度のホストを導入するようなものだった。
今は百や千のオーダーでは聞かない仮想ホストにDockerコンテナが複数動きこれらが協調しなくてはならない、もしくは各自独立で動いても問題が起きてはいけないので、ここには関数型のデザインが合うと思うし、一方でデータにアクセスするところではトランザクションに強いJavaというように適材適所住み分ける必要がある時代になった。
当然Javaだけでもできるし、関数型たけでもてきるかもしれないが、こういう形の議論をする人はその技術が目的になっている。
継承やポリモーフィズムをする以上はスーパークラスのライブラリもなくてはならないが、それも億劫になっているのかもしれない。
今後関数型プログラミングがあらゆるものを席巻する時代になるかもしれない、OOPがそうであったように。
それとも人々はもうそういう不毛なことはしないのかもしれない。もはやそういう時代は過去のものになったと考えたほうが良いだろう。
関数型プログラミングの理解よりも、オブジェクト指向の習得よりも、目的を達成する最小のコードをエレガントに書くといういわゆる画力が何よりも先に求められる時代に入ったのではないだろうか。
みたいなこと言ってたけど
12世代の12100Fをつかってみて思うんだけど最高すぎて感動すると同時に
i5いらないじゃんっておもったしインテルも大変だろうなって思う
sandyおじさんが爆誕してもう数年だけど俺はAlderおじさんになるかもしれない
何が何でも240fpsに張り付かせたい人とか、CGやるひとじゃないとi7いらないだろうね
そうなってくるとワードエクセル、ネットブラウジング、程度だとi5いらない
ハイパフォーマンス必要な層と、カジュアルな層が必要とする能力はどんどん乖離していきそう
まぁAMDに勝つとは思うけど
いろんなバンドがあれやこれやして頂点を目指すよくあるストーリー、メインストーリーもイベストも虚無なので最早読もうが読むまいが大差ない
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「ガチャローテ」
月刊どこゆびの次は月刊シンガン、もう一回月刊どこゆびやって間に月刊ましゅましゅ挟んだと思ったらまた月刊どこゆび。それしかねえのか?
つい先週実装されたペイペインは実に2年ぶりの新SSR。サ開当初からいるキャラなのに。SSR枚数ようやく2枚になった(内一枚は初期恒常)。まあ限定じゃなかったですけど(なんで?)
ちなみにどこゆびのSSR枚数はヤス10枚ハッチン8枚ジョウ5枚犬6枚。バーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッカじゃねえの?
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「早すぎる復刻ガチャ」
ちょうど今さっき次のガチャの予告がでたんだけど、文面そのまま引用するね。
感想:何言ってんの?
2周年って、ついこないだなんですよ。日付忘れたけど2022年3月の何日か。該当ガチャもその辺でやってたやつ(イベ2回分なのでちょうど1か月くらいやってた)。
ちょうどこの頃インフレクソ強スキルが爆誕したころだったしアニバーサリーってこともあって結構回ったわけ。いつも圏外だったセルランが地味に復活するくらいには。それがさあ。
一か月後に即復刻(しかも確定)(しかも有償)って何?タイムリープ?
驚くべきことに、これが初めてじゃないんだよね。いやこんなハイスピードは初めてだけど、限定商法で釣っといて半年もたたないうちに有償確定復刻するっていう。そんなん普段から回らんくなるに決まってるやろ。バカじゃん。
でもさすがに一か月後に復刻とは思わなくて天井してアニバハッチン引いたの俺じゃん。本当ふざけんなよ。フェス限入ってないなら餌にもできんから引く意味ないわ(さすがにフェス限入ってる方がまずいのは分かる)
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フェス限ならもう諦めつくよ。いいよ分かったよ。引けってことでしょ。クソ強なの分かってるもん引くよ。アニバほわんはちょっと微妙な性能だったけど。
でもさあ、それするならなんで強化イベ(ダクモン討伐とか)なくすわけ?卵泥率あげないわけ?おまけにアルマースの必要個数本当何?開発チーム、ゲームプレイしたことある?
インフレはいいよ、仕方ないよ。でもそれに見合う素材回収の機会をくれよ。金出しても時間かけても集まらんじゃんこんなの。
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インフレはいいよって言ったけどさっきの嘘な。リンクスキル考えた奴全員バーーーーーーーーーーーーーーーーーカ!
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まあこれはゲーム開発(スクエニ)というよりは本営(サンリオとポニキャ)へのお言葉になるんですが…あなた方にいってるんですよ町田と松岡。
最近は嵐の前の静けさか?ってくらいましゅごり押しないけど、まだキャラクター大賞も中盤だからいくつか地雷抱えてそうなのがなんとも言えん。
ここの恐ろしいところはよくある運営オキニキャラ贔屓と思いきや、それさえ中の人たちの踏み台でしかないというところ。よくわからない人は中の人の制服イメクラMVでも見てくれ。いや再生数上げたくないからサムネだけでキツッて言っていいよ。
直近の生放送(それこそ2周年アニバの)でも地獄みたいなましゅ声優接待だったし、まあ本質は変わっていないんだろうな、というところ。
今年のマニフェストが楽しみですね(棒)
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とりあえずこれだけはやれポイント
「3969にプラマジとシンガンくらい揃えろ」
ましゅ揃えてんほってる場合じゃないんだよ。暇だろその人たちは4人とも。プラマジとシンガンにあわせろよ、誰のおかげでコンテンツが10年続いてると思ってるんだ?
10周年でシアンとクロウの曲作っておきながら全く披露する気なくて呆れた笑い出たわ。そもそもその曲自体全然プッシュしてなかったもんね。実写MVもキャラMVも作らなかったもんね。ましゅちゃんいないからどうでもいいって?はいはい。
とか言ってたらシンガンのボーカルが本業ライブと重なってしまってサプライズ登場もありえなくなって泣いた。じゃあせめてプラマジ揃えろや。
がるフェスでプラマジ3人呼べた(当時ぬーはたぶん産休)のなんだったんだ?7月くらいのアイマスライブ出るっぽいんだからぬーだってもう呼べるだろ?そこから日程合わせてけや!
特別出演蒼井翔太とかやってる場合じゃないんだよ。その人8年目くらいのポッと出キャラだろ。いやこんな斜陽コンテンツに来てくれるのはありがてえけども。
まりんか呼べてすごい!偉い!で、最初期からいるのに長いことでてない宮野は?
追加出演者決定!とか聞くまでもなくやきそば汁のいつメンだろハイハイくらいに思うの毎回申し訳ねーんだよ。いつもありがとな!いや3969って何?
あと念のため言っておくけどいい加減他出演者をましゅちゃんの前座にして満を持して大トリましゅちゃん!ってやるのいい加減やめた方が良いよ。マジで全員ズコーッだから。や、本当に。これ親切心な。
いやいや声優だからいいんですよ。そんなそんな楽器とか無理してやんなくていいし、普通にキャラ声で歌ってくれればいいんですよ。魂のボーカル()を手に入れたはずの喉クソ弱いへろっへろボーカルの人に言ってるんですけどね。
んで、and moreってどこに消えたんですか?
ウォーターフォールモデルという硬直したパワーバランスですべてが決まっていく開発手法の最底辺で使い捨ての部品としてしか見られていなかった開発者たちにとって、美辞麗句が並べ立てられたアジャイルはさぞや美しいものに思えたことだろう。
今やウォーターフォールモデルなどというのは過去のロストテクノロジーでしかなくなり、アジャイルという言葉しか見えなくなった。
そんなアジャイルという開発手法は生産性の名のもとに政治力をベースに物事が決められていくという形で力のない開発者たちにウォーターフォールよりも悲惨な形で牙を向くようになった。
アジャイルにおいて大事なものの一つにコミュニケーションがある。
コンセンサスベースに物事が進んでいき、開発者たちにとって風通しの良い風土が作られるかと思ったら、単なる政治ゲームの世界になってしまった。
ルールなどは政治力によってエクストリームな改善の名のもとに形骸化していき、口の上手い人間によってその変更はYAGNIとなり、どう考えても不要な設計は柔軟な保守を可能にする良い設計だとされることになった。
やたらとアジャイル用語は飛び交うがそのままどこかに飛んでいく。
顧客たちによってタスクは毎日のようにスコープが変わり、コンセンサスはいつの間にか小うるさい開発者のいないところで取られるようになった。
アジャイルによって政治力を身に着けた上層部は、開発者を排除することはしない、コンセンサスに絡みたいならぜひどうぞ、ただし孤軍奮闘する羽目になるけどね、という構図を作り上げている。今のロシアみたいなもんだ。
アジャイル開発が夢見たものは一体何だったのか、結局狡猾なやつが政治力を身につけるかどうかのゲームでしかなくなりもはや開発にとっての単なる害悪になった。
この原因の一つが大規模なチームへのアジャイルの導入というものだ。
おそらく10人がいいところだ。
10人のチームを10個作って開発させるのであれば、チーム感のプログラム的な結合はとにかく疎でなくてはならないが、アジャイルになる前の癒着と言ってもいいレベルの結合は解決されないままに移行される、つまりアジャイルへの移行に対する投資はとことん削られるということであるが、癒着したままアジャイルになるので結局余計に泥沼な政治ゲームの舞台がそこに広がることになる。
そして偉い人たちは対外的には我社はアジャイル開発を採用しているので高い生産性を誇っていますというのだ。
結局アジャイルとは何だったのか、ウォーターフォールの何がまずかったのか、ウォーターフォールはぶっちゃけわるくない。周りで踊る奴らが権力闘争に明け暮れたのがまずかった。
アジャイルになって権力闘争に明け暮れていた奴らが今度は政治ゲームをはじめたが、ウォーターフォールなんかうんこだ、アジャイルこそ至高!と言ってアジャイルをやってると言ってはばからないしエコーチェンバーによってやってることの懐疑論はかき消されるがゆえにたちが悪い。
彼らは絶対に外に学ばない、第三者に評価を求めない。そんなのはアジャイルじゃない、うちには専門家がいる、だから十分なのだと無意識に今日も既得権益を守り続けている。
ボスはアジャイルをやってるのになんで生産性が上がらないのだと文句を言う。
アジャイル統括部門のリーダーは言う、アジャイルに特に重要なコミュニケーションが回っていません。もっと密にコミュニケーションを取りましょう。
その結果ミーティングは増え、作業前に書くドキュメントはより厚みを増す。
彼らが叡智を結集してアジャイルの原則に立ち返るとこうなるらしい。
そしてアジャイルという名のウォーターフォールが組織に爆誕した。
やってることはウォーターフォールなのに名前がアジャイルだからたちが悪い。
アジャイルの柔軟性を獲得したウォーターフォールなど単なる地獄だ。