はてなキーワード: 適応とは
女性が男性の振る舞いに対してアレルギー反応のようなものを見せるとき、そこには自閉傾向のサインが隠れていることが多い。
たとえば食券式飲食店以外に入店できないとか(事前にシステムが分からず、臨機応変な対応ができず、店でパニックを起こすので)。
たとえばポケモンカードやゲームの高額課金は否定しないのに、衣類・食品・住居に対する日常支出についてはかなりケチで、常識的な金額の消費であっても「節約を怠っている愚かな浪費」とみなして全否定するとか。
自閉があると生活の傾向としてあらわれる特徴があって、それを察知すると女性は激烈に拒絶したりする。
自閉は遺伝しやすいし、他者を手酷く否定してしまうことが多いという加害性を伴う障害なので社会適応がかなり難しくて、
IQが高く偶然フィットする職業(研究職や芸術など)が見つからない限り、不幸な人生になる確率がものすごく高い「個性」。
アメリカでは自閉だと職が得られないことが多い、自殺率が何倍も高いなど、まったく希望がない統計データが出てる。
どういう振る舞いをしようがモテる生まれつきの上位15%の美形でも、何をやっても無駄な下位15%の不細工でもない、
真ん中70%のゾーンの容姿の人がやっている「モテテク」みたいなものって、ほとんどは「自分は自閉じゃないです」っていうシグナリングみたいなものなんだよね。
忍耐力・自己抑制・社交性・精神安定のポイントが高いです、自閉傾向ないです、人に興味あるし、パニック起こさないです、みたいなサインを出してる。
婚活エージェントみたいな人のアドバイスも、自閉っぽく見えないようなふるまいを会員にさせようとしている。
でもまあ、偽装なんだよね。
軽度の人については「モテテク」や婚活エージェントのアドバイスに従ってみたり、従っているうちに自然と発達したりして(そういうことも軽度なら結構ある)、
偽装がきっかけになった発達で、徐々に定型寄りになっていくかもしれない。そうなったら幸せな結婚生活なども可能かも。軽度の当事者からのこういう報告は存在する。
こういう人が努力厨みたいになるケースもあるけど、スタート地点が軽度だっただけだよ。生まれつき定型の人と比べたら努力が必要だったかもしれないけど、
軽度だから努力でなんとかなったっていう生存者バイアスみたいなもんだから。
重度だったらアドバイスに意味なんかまったくない。努力も無駄。療育と努力でなんとかなった軽度が、重度にマウントとるのはやめようね。
そもそも結婚の手前、人としてただ生活していくところで躓くのが重度の自閉というものだし。そして治療の方法は無いわけだし。
強度行動障害の患者の動画とか見てください。ドキュメンタリーあるので。あれ打つ手ないです。
「初心者向け婚活アドバイス」みたいなものに対して初手で怒りの気持ちがわく人は、傾向として自閉だと思う。これは女性向けアドバイスに怒る女性であってもそう。
怒る反応って正常じゃない。男性でも女性でも。ツイフェミもアンチフェミも四六時中正義の議論をしすぎで、被害者意識も強すぎるので、自閉の特性がありそうなのを感じる。
重度の自閉の人はそのまま「結婚」そのものを否定していてほしい。「定型発達者のほうが間違っている」という認識のままでいい。
「すっぱいぶどう」みたいな揶揄は無視していい。異性ヘイターのまま生きてもらって結構。
実際、「結婚は正しい」というのもおかしい考え方だと思うし。向いている人だけがすればいいんだよ元々。
重度の人は結婚しても不幸だし、相手も不幸にするし、何より子供ができてしまうと子供が一番苦しむことになる。
親ガチャに失敗した、親から虐待を受けた、モラハラを受けた、こういう投稿を見ていると自閉親と自閉子がどっちも折れることができずパニックを起こしあって憎悪しあってることが多い。
そういう人が、「結婚には価値がない、異性に搾取されるだけ、馬鹿がする行為」って考えていたほうが、社会・個人双方のメリットになる。
人生の地獄はきっと誰にでもあるが、自分にとっては「健常な社会」こそが人生の地獄だった。
「健常な社会」に適応するくらいなら犯罪を犯すか自死した方がまだ自分の人生を手に入れられる。そう思う人間が生まれる必然は「健常な社会」を維持するシステムに組み込まれており、つまるところ何をしても堂々巡りな訳で、やっぱり世の中の未熟さと本能のどうしようもなさに揺さぶられながら、忘却を繰り返して日和見主義で他人に干渉しすぎず生きていくのが幸せなんだろうなという結論に達する。
健常な社会が設けた「児童養護施設」というシステムは、内部で虐待が横行しており、児童の中でもイジメがあり、「何のための施設なのだろう」と気を病んだ私に何度も「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」と声をかける健常な社会人であるところの職員は、気を病んだ私から見てもキチガイであった。
養護施設では勉強時間が確保できないので勉強して逆転するような子は少ない。
施設の規則に従って規律正しい生活を送れば、自由時間などほとんどないに等しい。
自分の部屋でダラダラ夜更かししてゲームしたり、本を読んだり、そんな時間も個人の発達には必要であることも全く理解されていない。家畜や囚人以下の扱いである。一般家庭の人間の特権が羨ましくて仕方ない。
さて、こんなひねくれた性格であったせいか、基本子供嫌いな施設職員からも取り分け嫌われていた私は、さらに人に対する恨み辛みを募らせて、どんどん人格が歪んだ。
信頼できる人間に悩みや苦痛を打ち明けても、「辛かったね、大丈夫だよ」と声をかけられても救われない事は明白で、というかあの時の私にアドバイスをするなら「悩み相談をするなら優しい人間ではなく、態度が悪くても解決する能力を持った人間を見極めて選べ。それ以外は屑のようなもの」という事だろうか。こういう境遇の人間は頷くと思うが、「人に優しくしよう」なんて考える人間にロクな奴はいない。
自死を何度も考えた。正直、世に生きる価値があるとは全く思わなかったし、自分より恵まれた人間から受ける説教ほど価値のないものはなかった。恵まれた人間に、人を救済できるだけの知性があればこんなことにはならなかった、肥えただけだろうが。頼むから今後、人命に関わる組織の運営は全てAIとかにやらせて欲しい。その方がまだマシな社会になるだろう。
「普通の人間」にアレルギー反応が出てしまった私は、行政や福祉や一般就労のようなものからなるべく遠い所で生きて行きたいと思い、案の定水商売を始めた。
あらゆる業種を転々としたが、1番面白かったのは性産業で、取り分け「客もキャストもどんな職種の人間でも脱げば同じ」「美人でもブサイクでもどんな人間にも扉が開かれている」という世界が、私に人間性を取り戻させた。ここは誰に対しても優しく、最も平等で、寛容で、安心をくれる社会そのものだ。
私の在籍していた店は多様で、子供に当たり前の生活を渡すために稼ぐシングルマザー、奨学金を返すために働く高学歴の大学生、障害があるけど作業所で働きたくない女の子、銀行に頼らず起業資金を集めたい50代の女性、若いうちに好きに海外に行きたいアラサーの女性など、あらゆる年齢の人が自分の自由と自立のために働いていた。そんなキャストさん達と話す穏やかで豊かな時間が私は好きだ。
ネットでは風俗業の過激さに目が当てられがちな為、ふとこういう話もしてみたくなった。
「死ねば同じ、脱げば同じ」
この仕事で体得したそんな精神は、私の人生にとって大きな慰めであり、今は生きる意味にもなっている。
私の指名客は官僚からホームレスまで様々だ。普通の人間なんて、私の幻想だった。
幼い頃の痛みも恨みも悲しみも、きっと一生癒えることはないけれどしばらくここで頑張ってみようと思う。
本気でダイエットを考えてた頃、オートミールを代替食品として採用して、
最初は不味くて食が細くなって食べる量が減って一時期的に体重は減ったんだけど、
一ヶ月もすると普通に美味しく食べられるようになって推奨量の3倍食べるようになり、
体重はすぐに元に戻った上、単価が高いオートミールのお陰で食費もあがったりと散々だった。
私も10代の頃はこんな感じだったな。
神聖3文字:ウクライナ東部の前線に進出していたウクライナ軍のパトリオット防空システムの発射機が撃破された可能性。ロシア軍のイスカンデルM弾道ミサイルによるもの。
Twitter環境に過剰適応してしまい、無駄に強い断言が多すぎるんだよなあ・・・
偵察や攻撃の手段そのものは特段変わっていない(アセットそのものは以前から存在していた)ので、
おそらくはボトルネックになっていた「捕捉→打撃(火力発揮)」のループを改善する何らかのブレークスルーがあった+配備量の増加で試行回数が増えたx宇軍の運用変化による暴露量増加の影響ってとこかな
能登の震災の時、子供が地震ごっこをして遊ぶのは非日常を精一杯受け止めるためのロールプレイングだってポストがバズってた。
あれを見てまさにブラック企業も同じだと思った。
ブラック企業が怒号と息詰まるような雰囲気ってのは確かにあるにはあるんだけど、それはあくまで一部の側面なんだよね。
むしろブラック企業で何年か働いている人は通常はヘラヘラ笑ってる。
メンタルでやられたとか、自殺したとか、逮捕されたとか、不貞行為したとか、そういうのをヘラヘラ笑ってお喋りして「どうだ、自分はこんな事当たり前に受け止めてる大人だぜ!ビビってないぜ!」とマウントを取り合う本当に救いようのない雰囲気にあふれてる。
ボーダーライン・カップル Ver 1.0 1999/05/31
境界例の人は自己愛型の人と相性がいいようで、このような男女の組み合わせを見かけることが多い。いくつかのパターンを見て見よう。
夫が自己中心的な亭主関白で、見捨てられ不安を持った妻が、まるで女中のように夫に従うような場合。我々の周囲を見渡せば、このような組み合わせのカップルをすぐに思い浮かべることが出来るのではないか。あるいは、自分の親がこのタイプだったりする。夫婦関係が主従の関係になり、極端な場合はSMの世界のご主人様と女奴隷のようになる。夫は自分の誇大感が実現していていいのだが、妻はかまってもらえない寂しさを抱えていることが多く、その寂しさゆえに子供にしがみついたりすると子供が境界例になる可能性がでてくる。自己中心的な夫が自分の子供を虐待したり、娘を犯したりしても、妻は自分が見捨てられる事の方が恐いので、夫の行為を黙認し、子供を犠牲にしでても夫にしがみつこうとする。虐待された子供の方は、母親から見捨てられたことによって、さらに傷つく。
夫婦の年齢差が大きくて、妻がまるで母親に甘えるように夫に寄り添っているケース。妻の依存心が夫の誇大感を支えているので強い結びつきを示すが、子供が産まれたりすると家族内で三角関係が出来て不安定になることがある。今まで二者関係の世界で安定していたのに、夫が赤ん坊を可愛がることによって、妻は見捨てられたような不安に囚われ、赤ん坊を憎むようになることがある。ひどい場合は赤ん坊を放り投げたりといった虐待行為をするようになる。
弱者と救済者という関係もよく見られる。夫は救済者という役割を引き受けることによって自分の自己愛を満たそうとする。妻から見捨てられる心配がなく、しかも自分は絶対的に必要とされているのだという安心感がある。妻からしがみつかれることで自己愛の満足が得られる。そして、自分が守ってやらなければという思いから献身的に尽くしたりする。夫が社会的に適応して安定した生活を送っていると、両者の緊密な関係は続いてゆく。不安定で激しく変化する妻の行動が、安定した夫によって支えられるという構図である。この関係の中で、妻の不安定さがそのまま保存され、二人の間ではドラマチックで不安定な出来事が安定的に繰り返されてゆく。
症例研究などを読むと、治療途中でこのような安定した男性と結婚することによって妻の状態が改善し、境界例が治ってゆくというケースを見かけることもある。
同じように救済者としての使命感に燃えていても、自己愛的な誇大感が強すぎたりする場合は、二人の関係は長続きしなくなる。苦しんでいる人を救うキリストのような全能の救済者という誇大感を抱いて境界例の女性に近付いてゆくのだが、誇大感が強すぎるために相手の心が見えていない。自分の描いた弱者のイメージに合わないと不機嫌になる。思い通りの救済劇を演じられなくなると、相手の女性をなじったり虐待的な事をしたりする。あくまでも、救済者としての誇大な自己愛の輝きに浸っていたいのだ。彼にとって女性の存在とは、自己陶酔のシナリオ通りに事を進めるための道具でしかなくなってしまう。そうなると、女性の方はしがみつきたい気持ちと、自分勝手な夫から見放されるのではないかという恐怖感との葛藤に苦しむことになる。そして、思い通りにしがみつかせてくれないことで夫を非難したりする。そして二人の関係は、男性の方が思い通りにならない女性に愛想を尽かしたり、女性の方が見捨てられる不安に耐えられずに身を引いたりして関係が壊れてしまう。あるいは関係が続いたとしても、救済者になるはずだったのが、いつの間にか虐待者になったりすることもある。
境界例でも感情が極端から極端に揺れ動くタイプの人と一緒になる人は大変だ。相手を理想化することによって熱烈な愛情を示したかと思うと、すぐその後で愛し方が不十分だという理由で相手をこき下ろしたりする。よほど忍耐力の強い救済者でないと付き合いきれない。カップルとして成立するのは難しいかもしれない。
価値観や人生観がころころ変わったり、物事がうまくいきそうになると自分でぶちこわしてしまうタイプの、行動的な境界例は、波乱万丈の人生を送ることになる。結婚までいきそうになると浮気して自分でぶちこわそうとしたりする。安定した状態に我慢できなくて、自ら不安定でドラマチックな展開を求めているように見える。
「ボーダーライン・カップルの世界では、熱烈な愛や理想化や誇大自己の満たし合い、その傷つき、怒りや破綻、償いがドラマ的に繰り返される。平凡な普通の穏やかな人々の世界に比べて、劇的で休む暇もない。それにもかかわらず、ボーダーライン・カップルはホメオスターシスを持った組み合わせである。それは、「不安定の中の安定(stable in unstability, Schmideberg, M)」というボーダーライン特有の状態をその夫に支えられて限りなく続けてゆくのである」
―― 「精神医学ハンドブック」 小此木啓吾 より (ホメオスターシス=恒常性)
自己愛の人が支持的で安定した人ならいいのだが、自己愛が強すぎて搾取的で傷つくことの多いような関係は、境界例にとっては好ましくない。症例研究などを読むと、治療過程でしがみつきや、見捨てられる不安を直面化することによって、現実検討能力を強化する。そうすると、このような関係が自分のためにならないことに気付くようになり、二人の関係は自然と解消されるようである。
一方の過大な自己愛を持った人にとっては、あくまでも自分は善意の人であり、悪いのは相手の方なのである。自分が正しくて相手が誤解しているのである。自分で自分の誇大感に気付くのは難しい。本人が二人の関係において何を望んでいるのかを解釈する必要がある。救済者を演ずることで賞賛や感謝を求めているのか、あるいは弱者と接することで優越感を持ちたいのか。優越性を獲得することで、自分自身の持っている見捨てられ感を埋め合わせようとしているのか。こういう隠された願望を理解することで、態度が修正されてゆく。大切なのは健全な自己愛である。
そう言えば、福祉関係の本を読んでいたとき、ボランティアの人のこんな言葉が心に残った。「自分より不幸な人を見ると、なぜかほっとする。その人が悲惨であればあるほど、自分の不幸が救われたような気持ちになる」
研究職みたいなザ・知識労働でもある程度のコミュニケーション能力とチームワークが求められるから、相当の実力者でもない限り発達障害は業務上でも障害になる。
ただ同時にみんな世間的にはお勉強ができる部類で、下品だけど具体的に言うと全員早慶以上の大学は出ている。そして私も含む全員が知識労働に従事しており、平均年収よりは良い給与を頂いている。
本当にめちゃくちゃラッキーな事例だと思う。
私はこれまでいわゆる学歴厨的な考えは持っていなかった。半年でスマホ3台無くしたり、鍋を空焚きしてボヤ騒動を起こすような人間が、たまたまペーパーテストが得意だったというだけで世間的には有能判定されるなんておかしい。
しかし自分が結婚・出産を視野に入れるようになって、「高学歴」という一点だけにどれだけ私や家族が支えられていたのか、逆にこんな人間に学歴がなければ一体どうやって生きていけたのだろうか、と考えるようになった。
実際、大学時代にやったカフェや居酒屋のバイトは無能すぎて飛びまくった。
自分の子どもに発達障害が遺伝した場合(家系的に高い確率で遺伝すると思われる)、知識労働の道が閉ざされてしまえばかなり辛い思いをさせてしまうだろう。
こうした考えから、結婚相手も高学歴でなければ……と学歴厨的な思想に支配されるようになってしまった。これも特性の白黒思考によるものだという自覚はある。
インターネット上では「発達は子に遺伝するのだから、発達持ちは子どもを作るな」という意見が多いが、既述の通り自分を含め発達持ちの家族は皆かなり幸せに生きているし、私はあまり同調できない。
とはいえ自分の現在の幸せが運によって成り立っていることも自覚しているから、生まれてくる子が幸せになれる確率を少しでも上げられるように、よく考えて行動を選択しなければならないと思っている。
その結果、自分が嫌っていた学歴至上主義や優生思想に依ってしまっている現状に悔しさを感じる。
───
追記(2024/03/04)
思いの外たくさん反応があってびっくり、ありがとう。いくつか補足しておきたい。
・どうせ自称発達やろ
子どもから遡って受診していったら尽く黒だった。発達障害界のサラブレッド。特に診断を嫌がるタイプの人はおらず、「ワシもADHDやったわ!ガハハ」みたいなノリが多かった。こんな感じだったから二次障害になりにくかったことは助かった。
→現実的に苦境に立たされている人たちへの支援をより厚くすべきという意見には同意するけど、それでも障害であることに変わりはないと思う。ここに書いてないけど特性由来の苦労もたくさんしてるし、周りの理解と支援がなければ生活できていない。だからといって発達障害=不幸、とはなっていないと言うだけの話。周りに感謝だね。
ちなみに私の場合服薬はしてるけど就労はできるような状態なので障害年金は受給してない。初診も未成年だったし。一口に障害と言っても色々なパターンがあるよー。
・できれば発達傾向がなくて勉強もできる人間の方が望ましいよね
→相手が私や親族(もしかすると生まれてくる子)の異様さに耐えられないと思う。理解ある彼君をさせるのは申し訳ないし……。
あと出身大学の友だち見ると明らかに特性持ちが多くて、(自然に相手ができず婚活をしている)高学歴に絞って選ぶと発達傾向ない人を探すのが難しいのかもしれない。個人的な体感だけど。
→改めて考えると、①学歴に加えて、
②ASD+ADHDの特性の出方と職業適性 も大きな要因だったと思う。
例えばコンサルやってる親族は多動衝動型ADHDのパワフルさをうまく活かしてるように見えるし、理系大学教授の親族はASDの過集中とかデータへの執着の賜物って感じ。前者にASDの疲れやすさやコミュ力が出てたら大変だっただろうけど、自分の特性にあった職種の見極めも比較的上手いのだろうな。
でも言い方悪いけど全部の項目で社会に適応しにくいほうの特性を引いちゃう可能性もあるわけで(コミュ力無!不注意!体力無!衝動性!とかね)、それはどれだけ慎重に相手を選ぼうと分からない部分だから、いつまでこの「運」が続くのかこわい……という点から元記事では「運」で雑にまとめてしまった。
あと私は評価しかねるけど、高学歴に至る高IQゆえの優秀さ?は普通にあるのかもね。身内や当事者としてやらかしを見まくっていると疑問符が付く……。私からすれば居酒屋ホールぶん回せたほうが優秀だよ。
・知的障害や他害が加わったらどうするの
→②にも近いけど、特性の出方や重複障害の有無による差は本当に大きいよなあ。自分の子どもがそうした障害を持っていても当然責任をもって面倒見るつもりだけど、当事者の大変さを前にして軽々しくは言えない。
ただこれは健常者の子でも可能性はあるわけで、私の中で直ちに子どもを諦める理由にはなっていないかな。今できるのはどうなっても最善の対応ができるようにとにかくお金を貯めておくこと……。
もう分断を煽るのはやめませんか
現在混乱を招いている要因は、おそらく以下の二つ
AI利用に向けて改正されたとされる著作権法30条の4は AIならなんでも許されるというわけではない。以下のように条件がついている。
著作物は,次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には,その必要と認められる限度において,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。ただし,当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は,この限りでない。
この辺りの解釈について紛糾している様子。
同30条の 4 は平成30年当時、事業者や研究者によるAI利用を想定していた。現在では一般市民にAIが広く普及し状況が変わってきたことから、同条の適応範囲について再整理を図るという趣旨で公開されたのが「AIと著作権に関する考え方について(素案)」
そして素案に対するパブリックコメントを募集した、というのが現在の流れ。
たぶん、CLIPのこと。テキストと画像の翻訳を行う。犬の画像を見て「犬」と識別することができる。
ネット上のあらゆる画像とテキストを学習することで作られた。OpenAIによって公開。画像生成だけではなくいろんなところに使われている。
画像生成AIはテキストエンコーダ(CLIP)と画像生成器の組み合わせでできている。stable diffusion等は拡散モデルを使っている。
1. イラストを用意する
学習を繰り返しノイズを増やしていくと最後はただのノイズから画像を出力する 連想ゲーム絵師が誕生する。連想ゲーム絵師は連想しかできないので自分が描いたものが何かわからない。犬を描いてといっても車を描いてくる。なので CLIPが誘導したりダメ出ししたりする。
どこかのイラストサイトかデータベースを使っているはず。「著作権的に安全な〜」みたいな触れ込みのやつはどこかのデータベースを購入して使っているんだと思う。
Pixivの主張は別におかしくない。このあたりは「AIと著作権に関する考え方について(素案)p7」(エ)において解説されている。"robot.txt"への記述によりAI学習を行うクローラーのアクセスを制限しているにも関わらず、勝手に学習に使うことは「データベースの著作物の潜在的販路を阻害する行為」として著作権違反になる(Pixivが将来的に本当に販売するかどうかは置いておく)
既存のモデルに数枚のイラストを追加学習させることで絵柄を模倣(ファインチューニング)する。
特定の絵師さんのイラストを勝手に使う者がいるようでトラブルになっている。
絵柄に著作権はない。学習の際に行われる複製が著作権侵害にあたるかどうかが争点になっている。
著作権法30条の4 より
この辺りは「AIと著作権に関する考え方について(素案)」及びパブコメの返答に現状の解釈が示されているので興味のある方はどうぞ。
(p6. 特定のクリエイターの著作物のみを用いてファインチューニングを行う場合〜を参照)
※ここははっきりとは断定していないので自分で読んだ方が良いと思う。
(私の読解:)
程度問題ぽい。よくある画風なら問題にならないけれどはっきりと特定絵師さんとわかる感じだとダメそうですね
(私の読解終わり)
別にプロフィールなんて「トイレから出たら手を洗ってください」でも「フォローする際には五体投地してください」でも好きに書いてよいだろう。
それが法律に記されているかどうかは関係ない。ただのお願いだ。
「AI学習禁止」と書くなと騒いでいる人は何を考えているのかよくわからん。
「AIと著作権に関する考え方について(素案)」にも再三出てくるがAI学習を技術的に回避することは禁止していない。30条の4は権利の制限であって、イラストを差し出せという強制ではない。
見ればわかりますが個人よりも一般企業による意見が多く、返答とあわせてとても読み応えのあるものです。
このファイルを読んで個人の頭の悪そうな意見だけ抜粋してくるのは非常に違和感があります。
声優のビジュアルが求められるようになり、SNSで私生活を小出しにするまでが商材になり市場は拡大した。
そんなものは機械で打ち出せば何百メートルでも何キロでも飛ばせる
人々は競技者に付随するロマンと文脈とストーリーに価値を見出す
適応できた奴が生き残る
絵師は成果物の技工で、その中ですべてを表現し、そこに価値がある
うまい飯が食いたけりゃ知恵を絞れ
少なくとも上手に絵が描けるだけではもはや無価値だ、諦めろ
絵師の相当数が不要になる、さっさと転職するか、知恵を絞った生き残り策に掛けるか
でもこれお前らにだけ降りかかった不幸じゃねぇよ
港には大量の港湾労働者が働いていたが、コンテナとICTの発明で駆逐された
業界の変化と斜陽を指くわえて眺めるだけでは愚痴愚痴駆逐される
無駄w
先天的な容姿レベル上位15%が若いころは何の努力もしなくても爆モテ、16~84%が脳機能次第、下位15%がごめんだけど後天的に何をやってもどうしようもないゾーンだと思う。美容整形しても「う、うん…」って感じの仕上がりにしかならない人はいる。骨が終わっていると厳しい。現代の美容整形技術では正直、もともと並以上に生まれている人が美のレベルを上昇させるようなものしか実装されてない。ビューティーコロシアムの類似企画動画、だいたいそういう現実を見せてくれる。
脳機能次第で恋愛・結婚可能性が決定されるゾーンに7割の人が属している。脳機能の内訳をいうと、忍耐力・自己抑制・社交性・精神安定あたりになってくる。「人間は中身が大事」とか言われるときの「中身」ってやつ。これも努力次第のようで、先天的に結構決まっていると最近の研究でわかってきてる。つまり親が二人とも貧乏で低学歴でメンヘラのデブの離婚家庭だったりした場合は、子供の脳機能も高確率でそんな感じになってしまうということ。結局、容姿+脳の合わせ技で決まる真ん中70%のゾーンでも、脳機能もだいたい先天的に決まってるから、親ガチャの時点で終わってる決定論ってことになる。
そして、生まれつきの容姿のレベルが高さが若い時に無双するのに対して、忍耐力・自己抑制・社交性・精神安定あたりの脳の強みは年をとるほどきいてくる。あと収入に影響するのもこれ。異性だけじゃなく同性に好かれるかどうかもこれ。人生の幸福を決定してんのもこれ。上司・同僚・恋人・家族など、長時間を一緒に過ごす相手にこそ高スキルであってほしいのがこれ。逆にここが壊滅していると自分自身も不幸だし、相手も不幸にする呪いの存在になる。先天的に非常に美形に生まれ、芸能人になった男女が、反社と付き合って容姿も精神もボロボロになるケースがあるけど、あれは脳のほうの防御力が低かったためにこうなってしまうパターン。生まれつき容姿に恵まれていても、脳が追い付いてないとせっかくの強みを守り切れないことがある。もちろん、両方恵まれている人もいるし、そういう人こそが最強。どっちも悲惨な人は生まれてきても何も良いことがないはず。
女性が男性の振る舞いに対してアレルギー反応のようなものを見せるとき、そこには自閉傾向のサインが隠れていることが多い。たとえば食券式飲食店以外に入店できないとか(システムが分からずパニックを起こす)。たとえばポケモンカードやゲームの高額課金は否定しないのに、衣類・食品・住居に対する日常支出についてはかなりケチで他者の常識的な金額の消費であっても、節約を怠っている愚かな浪費とみなして全否定するとか。自閉があると生活の傾向としてあらわれる特徴があって、それを察知すると女性は激烈に拒絶したりする。自閉は遺伝しやすいし、キャパの小ささにより他者を否定してしまうことが多い障害なので社会適応がかなり難しくて、IQが高く偶然フィットする職業が見つからない限り、不幸な人生になる確率がものすごく高い「個性」だから。アメリカでは自閉だと職が得られないことが多い、自殺率が何倍も高いなど、まったく希望がない統計データが出てる。
だから生まれつきの上位15%の美形ではない、真ん中70%のゾーンの人がやっているモテテクみたいなものって、ほとんどは自分は自閉じゃないですっていうシグナリングみたいなものなんだよね。忍耐力・自己抑制・社交性・精神安定のポイントが高いです、自閉傾向ないです、人に興味あるしパニック起こさないです、みたいなサインを出してる。婚活エージェントみたいな人のアドバイスも、自閉っぽく見えないようなふるまいを会員にさせようとしている。でもまあ、偽装なんだよね。自閉もスペクトラムで、重症から軽症までいる。軽症の人についてはエージェントのアドバイスに従ってみたり、従っているうちに自然と発達したりして(そういうことも軽度なら結構ある)、徐々に健常寄りになっていくかもしれない。そうなったら幸せな結婚生活なども可能かも。でも重症だったらアドバイスなんかまず無意味。そもそも結婚の手前、人としてただ生活していくところで躓くのが重度の自閉というものだし。そして治療の方法は無いわけだし。「初心者向け婚活アドバイス」みたいなものに対して初手で怒りの気持ちがわく人は、傾向として自閉持ちが多いと思う。これは女性向けアドバイスに怒る女性であってもそう。重度の人はそのまま結婚を否定してほしい。定型発達者のほうが間違っていると思っているままでいい。「すっぱいぶどう」みたいな揶揄は無視して。重度の人は結婚しても不幸だし、相手も不幸にするし、何より子供ができてしまうと子供が一番苦しむことになる。そういう人が、結婚には価値がないって考えていたほうが、社会・個人双方のメリットになる。
労働力がなくなって税収も少なくなってインフラの維持も難しくなって、ってのは理屈としてはまあ分かるよ?
でもどうにも今大騒ぎしてる人たちってさ、そういう時代になる頃にはほんとんどが死に絶えてるか棺桶に半分足突っ込んでる状態なわけだろ
自分の子供が大きくなる頃のことが心配というのなら、別にその時はその時でその瞬間に生きる人たちがそれに適応して生きていくよ
ぶっちゃけ余計なお世話も甚だしいし、そもそもそんなに日本の未来が心配なら今になってあーだこーだ言うこと自体がおかしいだろ
そんなある日突然示し合わせたかのように、そんな自分たちに関係のない未来のことなんか心配し始めるなんてどういうことだよ
こういうこと言うと、これまでもずっと問題提起し続けていたからとか言う人が出てくるけど、でも実際にはそれも口だけだったからこその今現在の状況なわけでしょ
とりあえず直近のそれっぽい問題に対してしかめっ面することで政治に参加してる気分になってるだけじゃないのか
今まで何も行動に移さなかった人たちが、何かやった感だけ残すために今になってあれこれ制度を弄り回して、すまんけど政治ごっこで遊んでるようにしか見えんわ
どうせ既婚と未婚、子持ちと子無しとで争わせてお互いの溝を広げるような結果しかならんし、余計なことしないで欲しいな
本当に余計なことしないでくれよ
干渉してこないでくれ
遊びに無理やり付き合わせてこようとするの正直キツいわ
緩やかな発展ではなくて急速な種としての死☠️だぞ
以下再放送 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
無限に同じこと言ってますよね。キミみたいな人はChatGPTに聞いても問題無いです
https://anond.hatelabo.jp/2023061215434#
かわりに聞いておきました。あと自然界は親個体が子どもを育てられ無いを判断したら割とサクッと捨てるので、その認識は正しくありません
- 生物の多様性と進化: 生物の世界は非常に多様であり、子孫を残す方法も多様です。一部の生物は子孫を残すことを主な目的とする社会的な仕組みを持っていますが、それだけが生物の存在理由ではありません。生物は進化のプロセスを通じて、さまざまな形態や生態的戦略を発展させてきました。
- 生物の目的の多様性: 生物は単に子孫を残すだけでなく、さまざまな目的や生活戦略を持っています。食物の摂取、環境への適応、社会的な相互作用、自己保護など、生物はさまざまな目的を追求しています。子孫を残すことは生物の一部の目的の一つであると言えますが、全てではありません。
- 社会的な生物の例: 蟻や蜂、狼などの社会的な生物は、集団での生活や子孫の繁殖において特化した戦略を持っています。ただし、社会的な生物でなくても、個体単独で子孫を残す生物も存在します。たとえば、単為生殖を行う生物やクローンを作る生物もいます。生物の多様性を通じて、生殖戦略は様々な形態を取っていることが示されています。
- 自己組織化と無機物の例: 生物に限らず、無機物の世界でも自己組織化という概念があります。例えば、結晶の成長や物理的なシステムの秩序形成など、無機物の中でも自己組織化現象が観察されます。生物の子孫を残すことに焦点を当てる一方で、自然界全体を見渡すと、さまざまな自己組織化現象が存在することを認識することが重要です。
今でこそ勉強でいい高校だの大学だの行こうって奴は基本みんな塾に行くけどさ、昔は学校の勉強と自習だけなんて奴も結構いたわけじゃん。
それと同じで、今は自分の力で恋愛して結婚するのが一応主流ってことになってるが、今後しばらくしたら自分の力でそういうコミュニケーションを身につける奴の方が珍しいみたいになるんじゃないかね?
30過ぎて結婚相談所に駆け込んでから人生を取り戻すように異性との付き合い方やそもそも人としての所作なんかを金払って学ぶんじゃもう遅い。中学校やら高校やらの頃から「他人との適切なコミュニケーションの取り方」を教える塾みたいな所にある程度通って、その辺りのことが整った状態で社会に出てくるようにそのうちなる。
だってガチの非モテって結局「モテないけど友達は多い」とかじゃなくてそもそもコミュニケーションがおかしくて友達もまともにいない奴ばっかりじゃないか。
言ってしまえば幼児の療育や小学校以降の情緒学級なんてのは他人とのコミュニケーションの取り方が大きく普通と異なる子にその齟齬を減らすための教育を施す場なんだし、精神科でやる認知行動療法なんかもその側面はあるから、その手法自体はすでにこの世の中に存在するわけで。
あとはそういった内容を薄く広く皆に適応するような教材にして、コミュニケーション塾として中高生やその親に売り込めば出来上がりじゃないか?
30超えてからいきなりコミュニケーションの勉強しようったって大変だもん。突然今までと別分野の勉強してすぐに身になるような年じゃもうないだろ。
リクルートやベネッセあたりがそのことに気づいて真面目にセミナーや教材にしはじめたらもう流れは止まらないんじゃないかと思う。ていうかもうはじまっているんじゃないか。
どちらも法の規制以上に民意を無視した独自の規則を押し付ける方法ではありませんか。
Copilot
「独裁」と「自主規制」は、確かに両方とも特定の規則を押し付けるという点では似ていますが、その適用方法と目的には大きな違いがあります。
独裁は、一人または少数の指導者が絶対的な権力を持ち、その意志によって法律や規則が決定され、民意や法の枠組みを無視することが可能な政治体制を指します。独裁者はしばしば自己の利益や視点を優先し、異なる意見や反対派を弾圧する傾向があります。
一方、自主規制は、特定の業界や団体が自らの行動規範を設定し、その規範に従うことを約束するシステムを指します。自主規制は、法律が追いつかない新しい技術や問題に対応するため、または公共の利益を守るために行われます。自主規制は、その業界や団体のメンバーが自発的に参加し、通常は民主的なプロセスを通じて規則が決定されます。
したがって、独裁と自主規制は、規則の制定と適用の方法、目的、そしてそれがどの程度民主的であるかという点で、大きく異なります。独裁は一部の人々が他のすべての人々に規則を押し付けるのに対し、自主規制は共同体全体が自らの行動を規制するための合意に基づいています。自主規制は、その参加者が自発的に規則を受け入れ、それに従うことを約束するため、民意を無視するものではありません。それはむしろ、その共同体の価値観や目標を反映したものであるべきです。しかし、自主規制が不適切に行われると、それは確かに独裁的に見えるかもしれません。そのため、自主規制のプロセスは透明で公正であることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。
ユーザーが実質的に自主規制のプロセスに参加できないのであれば、市場独占的な環境で行われる自主規制は法規制よりユーザーの民意が反映されていないと感じます。「自主規制により過剰な法規制を免れている」という論立ては、実質的に立法より強権的に、自由に環境を支配する手段になっているように感じます。
Copilot
あなたの意見は非常に重要で、自主規制の問題点を明確に示しています。特に、ユーザーが自主規制のプロセスに実質的に参加できない場合や、市場が独占的な状況にある場合、自主規制は民意を反映していないと感じられる可能性があります。
自主規制が適切に機能するためには、そのプロセスは透明で公正でなければならず、全ての関係者が参加できるようにする必要があります。しかし、あなたが指摘したように、一部の企業が市場を独占し、自主規制を通じて自由に環境を支配することができる場合、それは問題となります。このような状況では、自主規制は「過剰な法規制を免れる」手段というよりも、市場の支配手段となり得ます。
したがって、自主規制が公正で民主的なものであるためには、そのプロセスには適切なチェックとバランスが必要です。これには、独立した監視機関による監督や、法律による補完が含まれます。また、自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。
あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
Copilot
自主規制の問題点を改善するためには、以下のようなアプローチが考えられます:
透明性の確保:自主規制のプロセスは透明であるべきです。これにより、関係者は自主規制の決定過程を理解し、必要に応じてそれに影響を与えることができます。
公正な参加機会:全ての関係者が自主規制のプロセスに参加できるようにすることが重要です。これにより、自主規制が一部の強力な利害関係者によって支配されることを防ぐことができます。
独立した監視:自主規制のプロセスと結果は、独立した第三者によって監視されるべきです。これにより、自主規制が公正かつ効果的に行われていることを確認することができます。
法的補完:自主規制は、法律の補完として機能するべきです。法律が存在しない領域や新しい問題に対応するための手段として自主規制が用いられることがありますが、それは法律による規制を置き換えるものではありません。
教育と啓発:自主規制の目的とプロセスを理解するための教育と啓発活動が必要です。これにより、関係者は自主規制により適切に参加し、その結果を評価することができます。
これらのアプローチは、自主規制が公正で民主的なものであるための基本的なガイドラインを提供します。しかし、具体的な実施方法は、その業界や団体、そして対象となる問題によって異なる可能性があります。自主規制の成功は、そのプロセスが公正で透明であること、そして全ての関係者が適切に参加できることに大きく依存します。それはまた、自主規制が公共の利益を守るためにどのように設計され、実施されるかにも依存します。
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という極論の評価・問題点の指摘をしてください。
Copilot
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という見解は、法の優位性と民主主義の原則を強調しています。これは、法が公正で公平な社会を保証し、全ての市民がその作成に参加できるという考え方に基づいています。
柔軟性の欠如:法律はしばしば時間をかけて作成され、新しい技術や状況に迅速に対応することが難しいです。一方、自主規制はより迅速に適応し、新しい問題に対処することができます。
専門知識の不足:立法者は多くの場合、特定の業界や技術についての専門知識を持っていない可能性があります。自主規制は、その業界の専門家が規則を作成し、適用することを可能にします。
過剰な法規制のリスク:全ての規制を法律に依存させると、過剰な法規制のリスクがあります。これは、イノベーションを阻害し、経済的な負担を生じる可能性があります。
したがって、自主規制は、法律の補完として、または新しい問題に対応するための有効な手段となることがあります。
先の論は長期・慣習的な自主規制を批判したものであり、回答には「業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」と限定的に限り認めている文脈を見落としていると感じます。自主規制による即効性や専門性のメリットは認めますが、慣例化してしまっていることに害はありませんか。
Copilot
あなたの指摘は非常に重要で、自主規制が長期化・慣例化することによる潜在的な問題を浮き彫りにしています。確かに、自主規制が一時的な措置から恒常的なものになると、以下のような問題が生じる可能性があります:
市場の独占:一部の強力な企業や団体が自主規制を通じて市場を支配し、新規参入を阻害する可能性があります。これは競争を妨げ、消費者の選択肢を制限する可能性があります。
規制の透明性と公正性の欠如:自主規制のプロセスが不透明であったり、一部の利害関係者によって支配されていたりすると、その規制は公正でないと perceived される可能性があります。
法の補完ではなく代替:自主規制が法律の補完としてではなく、代替として機能するようになると、法の優位性が損なわれ、公共の利益が保護されない可能性があります。
したがって、自主規制が長期化・慣例化することには確かに潜在的な問題があります。これらの問題を解決するためには、自主規制のプロセスが透明で公正であること、そして全ての関係者が適切に参加できることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
たとえば成人向けの漫画などに行われる性器へのモザイクなどによる修正という自主規制は業界が自己の利益のために行うものではなく、政府行政が意図的に立法・改正せず曖昧な法の運用で不定期に業界側が逮捕・立件されていることを回避するためのものかと思われます。法規制をわざとせず、防御的に自主規制を行うしかないという悪習について論じてください。
Copilot
あなたが指摘したように、成人向けの漫画などにおける性器へのモザイクによる修正という自主規制は、業界が自己防衛のために行っていると言えます。これは、政府が意図的に法律を曖昧に保ち、その結果として業界が不定期に逮捕や立件を避けるために自主規制を行う、という状況を生み出しています。
法の不確実性:法が曖昧であると、その適用は恣意的になり、法の公正性と予測可能性が損なわれます。これは、制作者や消費者にとって不確実性を生み出し、表現の自由を不必要に制限する可能性があります。
自主規制の過度な負担:業界が自己防衛のために自主規制を行うと、その負担は業界に不公平に負担される可能性があります。これは、特に小規模な制作者や新規参入者にとって、創造性やイノベーションを阻害する可能性があります。