はてなキーワード: 適応とは
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
恐怖のアルコール その1 (酢を昼間から飲んでいた酒豪のクラスメートの謎がようやく解けた)
http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/28140763.html
大学時代に酒豪のクラスメートがいたが、彼はよく酢を飲んでいた。
彼の机には酢の瓶がいつも置いてあり、コップについではガブガブと飲んでいた。
彼が言うには、酢がすごくうまいのだという。
しかも酢を飲むと集中力が高まり勉強がはかどるのだという(そんなことあるかいな)。
しかし、この謎が30年以上も経ってようやく解けたのであった。
アルコールを飲み続けると、脳の神経細胞はアルコールの代謝産物である酢酸ばかりをエネルギー源として利用するように変化してしまうという論文が出たのである。
彼は、ブトウ糖よりも酢酸を好んで消費するようになった脳の命令に従って、昼間から脳のエネルギー源として酢を好んで飲んでいたのだ。
今、ようやくクラスメートの謎が解けたのであった。
「Increased brain uptake and oxidation of acetate in heavy drinkers」
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3613911/
.....................
もはや、脳が酢酸ばかりを利用し、ブドウ糖を積極的に利用しなくなっており、断酒によりエネルギー源にしていた酢酸が絶たれ、神経細胞のエネルギー産生が激減し、断酒が逆にアポトーシスを早めてしまったのだ・・・・・(;゚Д゚)。
ウェルニッケ脳症前段階(認知症移行段階)+断酒による酢酸の供給停止に伴う脳へのエネルギー源の途絶→(ウェルニッケ脳症へ発展。しかも、このステージをいっきに飛び越えて)→完全なる認知症(コルサコフ症候群やアルツハイマー病を含む認知機能低下をきたす病態の複雑な合併)へワープ完了。
そこに、もし、脳血管性の変化も加われば、病態は、さらに複雑なことになるであろう。脳へのエネルギー供給の激減によって、認知症へのワープ速度はさらに加速することだろう。
.....................
さらに、論文では、深酒を繰り返すことは、脳が酢酸ばかりを消費するようになるこの適応メカニズムが促進されるから非常に危険であり、深酒はやめねばならないと警告している。これらの現象を防ぐには、酒を飲む時はちゃんと食事も食べてブドウ糖を減少させないようにすることが大切だと著者らは述べている。
そして、この論文では、最後に、アルコール依存症の解毒時の禁断症状などを緩和するために酢酸を供給することが有益になるだろう。と締めくくられていた。
うむ、わらわが説明してやるのじゃ♡
まず、「新卒一括採用」が廃止される世界というのは、現在の日本の雇用慣習が大きく変わることを意味するのじゃ。
新卒一括採用がなくなると言っても、企業が中途採用しかしなくなるわけではないのじゃ。
例えば、インターンシップやアルバイト期間を通じて企業と学生が互いを評価し合うシステムが広がるかもしれんのじゃ。
さて、30歳で社会人経験なしの者についてじゃが、欧米のように年齢や経験に関わらずスキルや適性を重視する文化が浸透すれば、年齢による偏見は減るじゃろう。
人事がそういう人を採用する理由は、その人が持つ能力やポテンシャル、またはその人の特有な経験や視点に期待できるからじゃ。
さらには、企業は業務内容やチームの構成に合わせて多様な背景を持つ人材を求めるようになるじゃろう。
つまり、社会経験がない30歳の者でも、その人が持つ特技やスキルを活かせるポジションが提供されるのじゃ。
選考基準についても、「スキル」や「適応力」、または「チームワーク」などが重視されるようになるのじゃ。
目覚めはここにあるWokeness Is Here To Stay / スラヴォイ・ジジェクSlavoj Žižek
ttps://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
ウォークネス[ “wokeness”]は衰退しつつあると主張する人もいる。
だが実際には、それは徐々に常態化され、内心疑っている人々でさえ従い、学術機関、企業、国家機関の大多数によって実践されている。
だからこそ、ウォークネスはこれまで以上に批判されるべきであり、その反対側にある新しいポピュリズムと宗教原理主義の猥褻さと共に、批判されるべきである。
スコットランドではニコラ・スタージョン政権が覚醒主義woke-ismとLGBT運動を(ほぼ)最後まで押し進めた。
2022年12月、スコットランド議会が個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、新しい自己認識システムを16歳と17歳に拡大したことを受けて、
スコットランドは「平等にとって歴史的な日」と称賛した。基本的に、自分がどう感じているかを宣言し、自分がどうありたいかを登録する制度だ。
レイプで有罪判決を受けた生物学的に男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に送致されたとき、予想通りの問題が浮上した。
ブライソンは、強姦罪で法廷に出廷して初めて、自分はもはや男性ではないと確信した。
つまり、女性であると自認する人物が、自分のペニスを使って2人の女性を強姦したのだ。
男らしさや女らしさが身体とは何の関係もなく、すべては主観的な自己定義に関係するのなら、
ペニスを持つ強姦犯は、捕らえられた女性たちと一緒に刑務所に入れられなければならない。
[ところが]数々の抗議があった後で、ブライソンは男性刑務所に入れられた。
しかし先ほど[の決定]と同様に、この決定もスコットランドの[先ほどの]法律下で問題となる。なぜなら女性を自認する人が、男性刑務所に収監されているのだから。
Again, this is problematic under Scottish law, since we have now a self-identified woman in male prison.
スタージョン氏が辞任したのは、国民のなかで「LGBTに反対しているわけではないが、さきほどのような措置に単純に反対している人々」を疎外したためだ。
なぜなら、性的アイデンティティはそれ自体が単純なアイデンティティではなく、
矛盾や無意識の特徴に満ちた複雑な次元であり、私たちがどう感じているかを直接参照するだけでは、決して証明できないものだからだ。
いわゆる思春期ブロッカーPuberty blockersの使用をめぐる最近の論争は、この同じ複雑さの別の側面に関係している。
乳房などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期ブロッカーの使用を、
タヴィストックは、性的アイデンティティを選択できないように見える 9 歳から 16 歳の若者にこれらの薬を投与していた。
タヴィストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者は、環境からのプレッシャーで強いられた選択を行い、その結果、
彼らの本当の傾向 (主にトランスジェンダーであること) が抑圧される危険性があると推論した。
思春期ブロッカーは、そのような若者が思春期に入るのを遅らせ、
より成熟した年齢で決定する前に、性的アイデンティティについて熟考する時間を与えるために必要だった。
思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、「性的指向がはっきりしない」という誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、「性別の悩みを抱える子供には、時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない」のだ。
矛盾は明らかだ。
思春期ブロッカーは、若者が成熟を一時停止し、性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために投与されたが、
これらの薬は、他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性がある。
誰も、若者にそのような結果をもたらす薬を服用する準備ができているかどうかを尋ねることは無かった。
批判者のひとりであるヒラリー・キャス博士は、「思春期ブロッカーが意思決定の時間を稼ぐのではなく、その意思決定プロセスを混乱させる可能性があるかどうか、私たちには知る術がない。
脳の成熟が一時的あるいは永続的に阻害されるかもしれない」と書いている。
キャスの批判をさらに一歩進めて、性的アイデンティティーへの到達は、成熟した自由選択の問題であるという、非常に基本的な主張に疑問を呈すべきである。
性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない。
西側諸国の多くのジェンダークリニックでは、医師たちは「無条件の肯定的アプローチ」を取らざるを得ないと感じている。
子供たちを悩ませている、他の根本的な精神的危機にはほとんど配慮していない…と、ある批評家は指摘している。
実際のところ、プレッシャーは二重にある。
彼らは、思春期ブロッカーに対する懐疑論を、トランスジェンダーの人々が性的アイデンティティを実現することをより困難にしようとする保守的試みと解釈している。
これに金銭的な強迫観念が加わって、この状況はさらに悪化している。
例えば、タヴィストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療によるものだった。
つまり、ここで起きているのは、政治的に正しいしつこい勧誘と、金銭的利益の冷酷な計算の最悪の組み合わせだ。
思春期ブロッカーの使用は、ウォーク資本主義woke capitalismのもう一つの例である。
確かに、この 2 つの論争は、少なくとも反「ウォーク」勢力に部分的勝利をもたらした。
スタージョンは辞任し、タヴィストック・クリニックは閉鎖されたのだから。
しかし現在働いている勢力は、個々の政治家の見解や、特定の機関の力学をはるかに超える勢いを持っている。
むしろ個人や機関は、上から押し付けるのではなく、常に他所から来る規制に適応しようとしている。
したがって、同様のスキャンダルが今後も増え続けることは間違いない。
(以下省略)
【※参考】
https://www.youtube.com/watch?v=i826SBcDF_I
やあ、みんな!今日はちょっと真面目な話を馴れ馴れしく語ってみるよ。俺は反反反AIの立場なんだけど、要するにAIに対して中立寄りで、良いところも悪いところも認めてるんだ。でも、反反AI派の連中の理屈にはどうも納得いかないことが多いんだよね。だから、今日はその辺りをぶっちゃけてみようと思う。
まず、反反AIってのは「AI反対派に反対する」ってこと。つまり、AI推進派ってわけだ。AIの進化にワクワクしてるし、AIが社会を良くすると信じてる人たちね。もちろん、AIには素晴らしい可能性があるって俺も思うけど、反反AIの理屈にはツッコミどころがいっぱいあるんだよ。
反反AI派は、AIがあれば全ての問題が解決できるって信じてるみたいだけど、そんなことないって。確かにAIは強力なツールだけど、万能じゃない。クリエイティブな領域でAIがどれだけ役立つかって話もあるけど、人間の感性や独自のアイデアを完全に再現できるわけじゃないんだよね。AIは創造性を補完することはできても、全てを代替することはできないんだ。
よく聞くのが、AIが人間の仕事を奪うって話。反反AI派は「新しい仕事が生まれるから問題ない」って言うけど、そんなに単純な話じゃないよね。新しい仕事も出てくるけど、適応できない人もいるわけで、その人たちの支援がどうなるかって問題は無視できないんだ。AIの導入には慎重にならないといけないってことだよ。
反反AIの理屈には、倫理的な問題が抜けてることが多いんだよね。AIがどんなデータを学習するか、どう使われるかっていうのはめちゃくちゃ重要な問題なんだ。AIが偏見を学習してしまったら、その影響は甚大だよ。反反AI派は「そんなこと心配しなくても大丈夫」って言うけど、実際に問題が起きたらどうするんだよ?先を見据えた議論が必要だろ。
さて、ここで登場するのが反反反反AI派。これまたややこしいけど、要するにAIを全面的に支持する立場だ。彼らはAIの進化を最大限に活用して、社会をより良くしていこうって考えてるんだ。俺としては、AIに対して全面的に賛成するのもどうかと思うけど、彼らの意見も一理あると思うんだよね。まあこの記事で書いたような問題点を無視するような意見には納得できないけどね。
結局のところ、俺が言いたいのは、AIにはメリットもデメリットもあるってこと。反反AI派の理屈には偏りがあって、問題を過小評価してる部分が多いんだ。AIの進化を享受しつつも、その影響をしっかりと考えて、適切に使っていくことが必要だってことを忘れちゃいけないんだよ。
だからさ、みんなもAIについてもっと多角的に考えてみようぜ。反反反AIとしての俺の立場から言うと、盲信するんじゃなくて、しっかり考えて使っていくことが大事なんだ。じゃあまたな、次の記事で会おうぜ!
エンジニアと違って大した専門性も無いくせに特権意識むき出しで
技術の進歩に対して自分達だけ特別保護しろと騒ぎ続けてたら死ねとなるわ
しかも絵師界隈なんてプロ含め程度の差こそあれ反AIばっかじゃねえか
ラッダイト運動の教訓は、技術革新と社会変革のバランスを取る重要性に尽きると思う。
この運動は、19世紀初頭のイギリスの織工たちが機械化に反対し、労働条件の悪化や失業問題に抗議して機械を破壊したことから始まった。
教訓の一つは、技術進歩が労働者に与える影響を無視してはいけないということ。
技術革新がもたらす効率化や生産性向上は企業にとっては利益だが、それが労働者の失業や賃金低下につながる場合がある。
このような影響をしっかりとモニターし、適切な対策を取る必要がある。
また、労働者の声を無視せず、彼らとの対話を重視することも重要。
ラッダイト運動は、労働者が自分たちの生活を守るために最後の手段として過激な行動に出た結果だ。
現代では、労使間の対話や労働条件の改善が早期に行われることで、同様の衝突を防ぐことができる。
さらに、経済の変化に対応できるスキルを労働者に提供する教育や研修も重要。
技術革新が避けられない現代において、スキルアップや再教育の機会を広げることで、労働者が新しい環境に適応できるよう支援することが求められる。
いやいや、そんな綺麗な話で済ませるなよ!君が仕事を奪われたのは自分の怠慢とか時代遅れのせいじゃない。
技術の進歩だとか新しい時代に適応しなきゃだとか綺麗事ばっかり言ってるけど、結局はAIによって俺たちの生きる道が奪われたんだ。
俺たちが一生懸命積み上げてきた技術や感性を、AIに簡単に奪われてしまうのは不公平だ。
クライアントがAIのイラストを選ぶのはコスト削減ってだけで、本当に価値あるものが分かってないんだよ。
「自分のスタイルが時代遅れ」なんて言われてそれに納得するのもおかしい。
むしろクライアントが俺たちの本物の技術をただ理解してないだけ。
俺たちが悪いわけじゃないし、こんな状況に追い込まれたのは、世の中が技術ばっかり進歩させて、大事なものを見失っているからだ。
君が諦めるのは時期尚早だし、他に解決策が無いわけじゃない。
noteを見て俺も最後に区切りをつけようと思ったのでここに書く。
イラストレーターとしての俺のキャリアは、ここで終わりにしようと思う。
幼い頃から絵を描くことが好きで、気づけばそれが職業になっていた。
描いたイラストが人々の目に触れ、喜んでくれるのが俺の生きがいだった。
始めは俺も生成AIには反対だったが、次第に周りのAIに反対する声がヒートアップしていくに連れて
冷静になり、絵を描く事自体の喜びも次第に薄れていくのを感じるようになった。
最初に生成AIの存在を知った時は、ただの技術の進歩だと軽く見ていた。
でも、その能力に直面するたびに、自分の力が無力に思えてきた。
AIは驚くほどのスピードで、しかも精度の高いイラストを描き上げる。
俺が数日かけて描く絵が、AIの手にかかると数分で完成するなんて、まるで悪い夢のようだった。
俺が描くイラストは、どこかで見たようなものばかりで独自性が無いと。
自分のスタイルが時代遅れになっていることに気づかされた瞬間だった。
悔しかった。自分が長年積み上げてきた技術や感性が、時代の波に飲み込まれていくのを感じた。
でも、それ以上に痛感したのは、俺たち絵描き自身の限界だった。
技術の進歩に抗うことはできないし、それに感情的になって素早く適応できなかったのは俺たち自身の問題だ。
生成AIの登場が、俺たちイラストレーターにとっての終わりを意味するわけではないと思う。
でも、今の絵描き惨状は俺たち自身が撒いた種だ。新しい技術に対して柔軟に対応できなかった、
進化を恐れていた俺たちの責任だ。AIに他責するのは簡単だが、結局は自分の力不足だった。
俺はこの二年しばらくの間は仕事を続けたが、次第にその意味を見失っていった。
描くこと自体が楽しくなくなり、絵を描く手が重く感じるようになった。これでは本末転倒だ。
自分が楽しむために始めたはずの絵描きが、今や苦痛の種になってしまった。
だから、ここで決断した。イラストレーターとしてのキャリアを終えることにした。
悔しいし、寂しいけれど、これも一つの時代の流れなんだろう。技術の進歩を前に抗うのは愚かだし、無意味だ。
これからは別の道を模索しながら、自惚れていた自分と向き合って堅実に働いて行こうと思う。
捨て鉢にならず、前を向いて心を切り替えるのが俺のこれからの課題だ。
あなたたちのおかげで、俺はイラストレーターとしての人生を楽しむことができた。
最近連写性能が120コマのカメラなどが出てきて、120コマ全てでオートフォーカスによる微調整が入るそうで、
また大体のフォーカスだけを合わせてあとはトラッキングで自動追尾なんてのもできるし、
明らかにオートフォーカスによってスポーツ関連の取れ高が増えたらしい
プロは100点の1枚の写真より、どんな場合でも80点を量産する「取れ高」がそのまま収入になるらしく
マニュアルフォーカスで決められた位置だけに置きピンしてその数枚だけを撮る人よりも
オートフォーカスでバンバンいろんなシーンを撮る人の方が仕事上有利だとは言っていた
(ただし、その人はソニープロだからバイアスはあるかもだけど)
単純にMFのプロは、最新テクノロジーによって自分のMF技術が否定されたような気持ちになって
テクノロジーに意地でも適応しようとしないというのはあるんだろうなと思ってる
3.5くんやね
インドの仏教学者たちが日本の変質した仏教についてどう考えているかは、多様な見解が存在します。以下に代表的な意見を示します:
一部の仏教学者は、日本の仏教が日本の文化や歴史に適応して独自の形で発展したことを理解し、それを肯定的に評価しています。仏教が異なる文化に根付くためには、現地の文化や習慣に適応することが必要であり、日本の仏教もその一例として見られます。
他の仏教学者は、日本の仏教があまりにも日本の文化や習慣に影響されて、本来の仏教の教義や実践から離れてしまったと懸念する声もあります。特に、日本の神道や民間信仰との融合が、仏教の本質的な教えを曖昧にしてしまう可能性があると指摘されます。
日本の仏教の変容は歴史的背景や社会的要因によるものであると理解し、その経緯を学ぶことを重視する仏教学者もいます。特に、奈良時代や平安時代の日本仏教の発展、鎌倉時代の新仏教運動、江戸時代の仏教改革などについて研究し、比較宗教学的な視点から評価しています。
インドと日本の仏教学者間での対話と交流を重視し、互いの仏教理解を深めることを推奨する声もあります。相互理解を通じて、共通の仏教的価値観を再確認し、新たな仏教の発展可能性を模索する姿勢です。
日本の仏教が日本社会においてどのように実践されているかに注目し、その具体的な影響や貢献について評価する仏教学者もいます。特に、禅仏教の修行や精神文化、浄土宗や真宗の信仰実践、日蓮宗の社会活動などが日本社会に与える影響について研究しています。
これらの見解は仏教学者や学派によって異なるため、具体的な評価は多岐にわたりますが、共通しているのは、異文化間での仏教の変容や適応に対する深い関心と、そのプロセスにおける課題と可能性を探る姿勢です。
すり抜けへの呪詛があふれるのは、途中参加勢の方が圧倒的に多いのも一因だろう
長期プレイヤーと比べると引きたいガチャに復刻も入ってくるため数年くらいは微課金じゃ慢性的な石不足になるはず
もちろん微課金以下なのに推し愛などの影響で凸や餅に浮気しちゃう人が多いのもある
そのへんはコツコツプレイが重要な中華ゲーへのキャッチアップが遅れた分と自分のこだわりを貫いた分により自縄自縛してるせいで、ギャンブル性や課金圧に問題があるわけではない
すり抜け仕様がほぼ唯一にして最大のギャンブル性だからそこをなくしたほうが良心的というケチはつけられるが、PU確保の期待値・金額的にはすでに十分良心的な部類なので、(武器ガチャ仕様以外は)受け入れられる範囲だろう
俺はギャンブル性というかランダム性を完全に排除するべきだとは思わない、多くの人にとってハンドリングしやすく収束させやすい範囲にとどめて残す分にはユーザーにとってもメリットがあると思ってる
それ前提で細かい実費用や獲得数の差はあれ、現実的な予算で十分遊び尽くせることに相違はないと思う
どうしても性に合わないキャラをスキップしたり、楽しめない戦闘イベントをスキップしたりと個々で計画を調整しながら柔軟にプレイしていけばいいと思うし、そうできるだけの懐の広さはあると感じてる
そもそもキャラ引けてるか否かはゲーム体験としてそこまで核じゃないとも言える
隔verごとに過去のネトゲ前例からは考えられない規模のマップ追加がきたり、美術や音楽に意趣を凝らしたゲーム内外のコンテンツに触れられているなら、それだけで月額+αくらいは余裕で元がとれた感覚になるユーザーも多いはずだ
あまりこういう感覚を得られるゲームはなくて上位の中華ゲーやのめり込んでいるときのアイドルゲーくらいだと思うが、リアルタイム体験とかメディアミックスとかが鍵なんだろうな
日本ユーザーはガチャにばかり目を向けすぎてゲームを楽しむことに関して本質を見失ってると思う
石集めのためだけに労役のようにコンテンツを消費しようとする人の多さを見るに、悪い意味でソシャゲ文化に適応してしまった代償をまさに支払っているように見える
逆説的だけど、恵まれた環境に置かれた人間のしんどさってあるなって思う。社会制度がどうのとかじゃなく個々人の姿勢の話ね。内的にも対外的にも逃げられる言い訳の無さと言うか。
恵まれなかった人間なら多少弱音を吐いても「かわいそう、仕方なかった」で、頑張れば「あんな境遇からとても偉い」になる。
恵まれた人間が同じ事を言えば「贅沢な悩み」とでも言われて矮小化されがち。例え本人の感じている苦痛が本物だったとしても、まやかしや甘えの扱いを受ける。
全ては自分の意志次第、の自己責任マンは知らん。自分の思想を客観視した上で環境に不平を垂れる人間を見なくてもいいようにしていない、そういう人間を排除する社会へと変えられないお前の自己責任。まあ自分も構造主義より実存主義の方が好きだしあまり強くは言えない。
基準がなければ不満は際限なく増大するから目安として他人の水準を考える、というのも分からんでもないけど。にしても上はいるし。
もっと辛い境遇の人がいるから相対的に幸福、が通るならもっと恵まれた人もいるから相対的に不幸も通るのにね。そもそも自分の話になんでお前がしゃしゃり出てくる訳?下手すりゃ自分ですらなくどこかの恵まれない誰かを引き合いに出して。
いやまあ客観的というか一般的な基準で恵まれてると言えるような環境への文句に苦言を呈するのは分からんでもないけど。ガキの頃月3万の小遣い貰ってたけど足りなくて不満だった。もっと楽しいティーンエイジを送れたはずなのに損した、とか。
でもそういう外との関係がある問題とは違った内的な悩みについてまで、環境を持ち出して矮小化するのは違うんじゃないんですか。下手に恵まれてるからいらん事ばっかり考える、だとか。
もっと言えば世間の基準や外野の感想がどうだろうが、小遣いが足りないと思ったのならその人にとっての不満は本物なんだろうし。
でも何かこう、「客観的には恵まれてるけどそんなの関係なく自分は辛いからこうしてくれ」と、「妥当」であれそうでないんであれ不満が不満で終わらずに待遇改善を求めて、求められた側が「甘えるな、そんな悩みは贅沢だ」と突っぱねるなら全然分かるんだけど。
そんな要求が罷り通るほど世の中は云々、とかそういう事じゃなくてね。共感出来もしない悩みに対して助ける道理なんかないだろうし。そもそも共感出来ようが出来まいが助ける義務なんかないと思ってるけど。助けたれば助ければいいし、強いられる道理もない。協力ゲームの理屈は置いといて、道徳の話としては。
そういう場面でなく、別に助けを求める訳じゃないけどポロッとこぼした言葉を責め立てられるのは鬱陶しいよねって思う。
こぼすな鬱陶しいって話なのかもしれんけど。生き辛ない?そういう「意味のある」会話しか求めないの。
あとなんかジョジョでも幸福は絶対的なものじゃなく、スタート地点をゼロとする相対的なものだ、的な話があった。
環境の幸福度なんか逓減していくもんだろうから、このスタンスで言えばただでさえ恵まれる環境に生まれればそこから更に上に行くのはしんどくなる。
わざわざ自分が不利に置かれる価値観に与するのもマヌケっぽいけど、この考え方が特段変わったものだとも思えない。
そりゃ全くの一人で生きてる訳じゃないから、多少は他人の人生と比べて家庭の経済状況や親との相性とかを客観的に相対化するものだとは思うけど。
でも基本的には環境なんて所与のものであって、自分にとっては少なからず当たり前だと思ってる部分がある。
マジで辛い環境にいる人は、こんなんが当たり前でたまるか!って思ってんのかもしれんけど。
幸せになれない価値観なんか捨てて思考を矯正すればいいんだけど、それをやるならもう何でもアリじゃんって気もする。
新興宗教にハマり新しい価値観を得て、本人は幸せだと言っている。これは哀れ。
いつまでも仕事か辛いとばかり言って、価値観を変えて少しでも楽しもうという姿勢を持たない。これはワガママで子供じみてる。
これってダブルスタンダードだよね。どちらも幸せを求めた適応の話なのに。結局自分が信じてる価値規範を共有したいだけじゃんっていう。
おれは客観的に恵まれた環境にあって不満だらけの人間なので、態度次第では世間からの当たりが強くなる。
内面化された「環境に感謝」の規範をこそぎ落とし、「いやおれが辛いと思ってんならおれにとって間違いなく辛い事だし、他人の感想や、他の境遇を持ち出した相対化なんて関係ない」と開き直る事でせめて自分の中では居心地の良さを確保する。
その上で、「だからといって別に他人がおれを助ける道理はない。生まれ育った普通か恵まれてるくらいの環境を恨むこともない」とも思うことで社会との関係を維持する。そもそもおれの抱える悩みの大半が他人の助けでどうこうなるもんじゃないし。
自分なりに整合性を取った態度のつもりなんだけど、おれの言葉から言ってもいないスタンスを勝手に一義的に導き出す人もいるし、歪なのかもしれない。
まあこんなのも恵まれた人間の思考回路が前提になってるもので、そうでない実際の人間はまるで別の世界観を持ってるのかも分からんけど。分かった所で悩みが消える訳でもないし、どうでもいいや。
【悲】自分に自信が無い、優しいけどナメられてしまう、人間関係に疲れてしまったって人専用のスレ
2024/07/15(月) 01:32:45.973 ID:hyFTj8wU9
もし最後まで付き合ってくれたら今日から少しでも変われる方法を教える
ただ辛いだろうけど今の現状を見つめ直すことから始めていく
根幹にある部分の話
2024/07/15(月) 01:32:53.176 ID:hyFTj8wU9
ええか?
2024/07/15(月) 01:33:36.308 ID:hyFTj8wU9
ではまずそういう人は承認欲求(人に自分を認めて欲しい、評価して欲しい)と親和欲求(人との繋がりを感じていたい)が比較的高い傾向にあるということを覚えておいてほしい
自分を評価して欲しい&人に嫌われたくないという願望が強くなってしまって相手に過度に尽くしてしまうんだ
2024/07/15(月) 01:34:19.734 ID:aLnGSCFtO
なるほど
2024/07/15(月) 01:34:25.405 ID:hyFTj8wU9
今、一時的にでも目の前にいる人に認められることが評価されることが自分の全てなんだという誤認
自ら相手の奴隷になりにいくというか「優しさ」ではなく「媚び」の側面が強くなっていく、相手の機嫌を伺う媚びるようになってしまう
2024/07/15(月) 01:34:58.362 ID:hyFTj8wU9
その結果相手からナメられ、こいつには失礼なことをしてもいい奴なんだという評価をされてしまう
都合の良い人、ナメられる人、優しいだけの芯のない人の完成ってわけだ
2024/07/15(月) 01:35:42.839 ID:hyFTj8wU9
そうなると自信の喪失、自分に自信が無くなりアイデンティティが崩壊し、更に他人に認めて欲しい=他人に更に優しくしなきゃダメだ(媚びなきゃ)
2024/07/15(月) 01:36:26.881 ID:hyFTj8wU9
もう都合のいい存在でもいいから嫌わないで!側にいて!という風になり、自己を正当化して「都合良く扱われること」にいつの間にか心地良さを感じるようになる
更にそれが進むと「都合良く扱われること」で自分は他人に必要とされてるんだ!と歪んだ認識をするようになってしまう
2024/07/15(月) 01:37:20.407 ID:hyFTj8wU9
2024/07/15(月) 01:38:15.077 ID:hyFTj8wU9
→当然認識が歪んでるのでその時は気持ちが良くても無意識にストレスが溜まっていき
でも人とは繋がっていたい、評価はされたい=SNSや掲示板等でそれを紛らわすようになる
2024/07/15(月) 01:38:27.314 ID:hvzHSq.HG
なるほど
2024/07/15(月) 01:39:16.547 ID:ZmOpcl9An
めんどい奴やな
2024/07/15(月) 01:39:21.285 ID:hyFTj8wU9
自分は相手からどう思われてるかな、ここでこう言ったら自分はどう思われるかな、相手に対し自分は何か失礼をしてないかな等々
2024/07/15(月) 01:39:23.422 ID:0Snm8y3rS
それでどうしたらいいの?
くるちいお
2024/07/15(月) 01:40:12.216 ID:hyFTj8wU9
2024/07/15(月) 01:40:29.419 ID:hyFTj8wU9
初スレ建てなんですけど!
2024/07/15(月) 01:40:58.128 ID:hyFTj8wU9
もうちょっと待ってくれ
2024/07/15(月) 01:41:33.153 ID:hyFTj8wU9
その結果人間関係が深まらない、浅い人間関係、上辺だけの関係、傷付くのが怖いから自分の深いところには入ってきて欲しくない、興味が無いので相手の深いところにも入りたくない、無意識にバリアを張るようになってしまう
そして人といても気を使ってばっかりで苦痛に感じるようになる
2024/07/15(月) 01:42:01.957 ID:axYgMFW4i
ワイやん
2024/07/15(月) 01:42:20.539 ID:hyFTj8wU9
でも他人とは一緒にいたい、評価されたい(認めて欲しい)、嫌われたくない、傷付きたくない、だから相手の機嫌を伺う、媚びる、もはや奴隷になる
2024/07/15(月) 01:43:51.317 ID:7RRgUkbf0
2024/07/15(月) 01:43:56.650 ID:hyFTj8wU9
これの根本的なところにあるのは"自分の心が傷付きたくない"、という深層心理
過去に(特に幼少期~学生時代)人間関係で失敗した、他人と喧嘩してしまって心に何か深い傷やストレスがかかった経験がある人になりやすい傾向ということなんだ
2024/07/15(月) 01:45:46.462 ID:hyFTj8wU9
これは科学的にいうとドーパミンが出なくなっちゃったってことなんだよ
一番の原因は全て"想定内"で何の変化も無いってことだろうね
2024/07/15(月) 01:46:38.554 ID:hyFTj8wU9
ではここから
2024/07/15(月) 01:47:08.687 ID:7RRgUkbf0
2024/07/15(月) 01:48:22.118 ID:hyFTj8wU9
相手のことを考えてどうしたらこの人は喜んでくれるかを考えて動くということ
2024/07/15(月) 01:48:52.350 ID:hyFTj8wU9
人に「気を使わなくちゃいけない」では無くて
「気を使ってあげたい」って風に変えてあげること
2024/07/15(月) 01:48:58.374 ID:iMPpvbwcg
喜んでくれなかったらどうするんだよ😫
2024/07/15(月) 01:49:10.254 ID:axYgMFW4i
2024/07/15(月) 01:51:36.249 ID:hyFTj8wU9
しばらく期間を空けるのが一番早いか
2024/07/15(月) 01:52:51.872 ID:hyFTj8wU9
他者評価を気にするなって凄く難しいよ、他者があってこその自分だから
でもそれは自分の肯定感をすり減らすだけってこと、自分の自信を削いでいくだけ
世の中上には上がいて、それをSNSで簡単に見られてしまう時代だから
2024/07/15(月) 01:53:07.416 ID:Jt3hgw2sj
でも周りの人はワイが喜んでくれることしてくれないやん
2024/07/15(月) 01:53:22.006 ID:hyFTj8wU9
昨日の自分に出来なかったことが、昨日の自分がしなかったことが
今日できた、出来るようになった
2024/07/15(月) 01:54:05.646 ID:hyFTj8wU9
そう言われても中々難しいよね
いつも自ら媚びに行ってるあの人の横に自分を置く
自分のことを一番理解してる親友のポジションのように他人と自分を同じ場所においてほしい
2024/07/15(月) 01:56:00.913 ID:7RRgUkbf0
2024/07/15(月) 01:56:02.076 ID:hyFTj8wU9
それはナメられてるから
人は何かをされたら、それを返そうとする
でもお菓子をもらって当然と思われてる相手にわざわざお菓子を買いに行ったりはしない
2024/07/15(月) 01:57:00.977 ID:hyFTj8wU9
他人と自分では無く、他人と自分と自分って風に他人の隣にもう一人の自分を置くんだ
常にそれが出来るようになればもうほとんど他人の評価なんて気にならない
2024/07/15(月) 01:59:29.867 ID:2RWUuHHtW
難しい概念やな
2024/07/15(月) 01:59:37.118 ID:hyFTj8wU9
嫌われるのを恐れないということ
よく言われるよね、嫌われるのを恐れないなんて身勝手すぎる、人間関係が壊れたらどうするんだ、他人事だから言えるんだ、と
少しでも自我を出した時点で嫌われ、壊れるような人間関係が正常だと思っているのか
2024/07/15(月) 02:00:27.728 ID:dMAQpkrjE
これは良スレ
2024/07/15(月) 02:01:37.999 ID:hyFTj8wU9
自我を出して嫌われるって怖いよね
でも心を殺して他人に媚びを売る性質って心が痛いってレベルじゃなくて、本当に心を殺してるってことを理解しないと心が死んでしまう
2024/07/15(月) 02:02:48.106 ID:2RWUuHHtW
過剰適応ンゴね
2024/07/15(月) 02:03:11.955 ID:hyFTj8wU9
上司に媚びたり、上役に気を使ったりね
でも日常レベルでそんなことをしてたら心が壊れてしまう、死んでしまう、枯れてしまう
2024/07/15(月) 02:06:06.004 ID:hyFTj8wU9
以上何か質問があれば
2024/07/15(月) 02:07:45.590 ID:ntVTu/5lt
親和欲求、承認欲求を下げる方法はないんか?もしあればそれぞれおしえてほしい
2024/07/15(月) 02:07:51.733 ID:KE6lfPHzv
ないです
ありがとうございました
アニメは近年とてもスタイリッシュになり、より万人に見られるようになった。
年齢が上の人は昔のアニメの方がという人もいると思うが、表現技術はアニメ畑の人たちが一生懸命耕した結果格段に向上しているように感じる。
しかし、その一方でスタイリッシュさが必須になったとも感じる。
ストーリーは入り組んだもの、作画は高精細、主題歌はおしゃれな人気バンド。
現代において「ダサい」というものはもうあまり許される余地はないように感じる。
勿論それは人間社会においてもそれは適応されており、要求される容姿はこの10年間でうなぎ上り、マルチタスク必須、長時間労働必須など世の中の「普通」の水準がどんどん向上している。
正直自分もZ世代に適応できるように頑張ってはいるけれど、要領や容姿のいい人にどれだけ努力しても置いて行かれる。勝てない。
そして昔の人と違って今の人は洗練されている人が多い。またそういう人たちは性格が良い人が多い。二重につらい。
自分のような人間は昭和では「宇宙」を求め、平成では「超能力」を求め、令和では「異世界」を求めていたけれど、この先どこに行きつくのだろうか。