はてなキーワード: 領分とは
この度、プリウスの派生形であるプリウスPHV(PHV・・・プラグインハイブリッドの略。ハイブリッド車の一種であるが、通常のハイブリッド車よりも大容量のバッテリーを積んでいる。電力のみを使用して走るEV走行が可能だったり、災害時に住居に給電出来たりと、ガソリンエンジンを搭載しながらもEV的な使い方が出来る)の新型を開発することになったのだが(大嘘)、
まあ略称なんてなんでもいいとは思うんだが、プリウスPHVの略称が「ハイブリッド」はセンスが無さすぎだろう。
確かにプリウスPHVという名前は長い。長い上に言いにくい。会議でいちいちプリウスPHVなんて言っていられない。会議中に舌を噛み切って死ぬ奴が続出することだろう。だからプリウスPHVの略称は絶対に必要なんだが、命名するにしても絶対ほかにあったと思う。
例えばプリピーとか、PHV3とか(いま開発しているプリウスPHVは3代目だ)、プリプラとか、まあ良いのは思い浮かばないけど、それにしたってもっとマシな略語があったはずだ。
それが「ハイブリッド」だなんて!
確かにプリウスPHVはハイブリッド車の一種かもしれないが、おれの会社はハイブリッド車が強みだから他にもハイブリッド車はたくさんある。そもそも派生形でない元のプリウスがハイブリッド車の元祖として世界的に有名だ。ハイブリッドという略称はプリウスPHVを一意に示す略称ではない上に、本家のプリウスの領分を侵害している。
しかも、この略称からは重要な「ベースがプリウスである」という情報が消え失せてしまっている。略語において重要な「聞いたことがなくてもなんとなく意味がわかる」という性能が極めて低い。宇宙よりも遠い場所を「場所」と略したり、パリピ孔明を「孔明」と略したり、リズと青い鳥を「鳥」と略すようなセンスの無さだ。なんてこった。
しかも「ぷりうすぴーえいちぶい」と「はいぶりっど」では11文字VS6文字だ。大して縮んでいない。せっかく略すなら4文字か4文字にしたいところではないか。「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」を見習ってほしい。28文字もあるのに略すと「おちんこ」で4文字だ。
少し言い訳をしてほしい。実は「ハイブリッド」は偉い人に「新製品どうなってる?」と聞かれた俺が、ぷりうすぴーえいちぶいは長いな略すか、と思って2秒で考えて「あー新型のハイブリッドは、・・・」と口にしてしまったのが発祥だ。それを聞いていたおれの後輩が恐る恐るハイブリッドと略すようになり、おれも今更ほかの略称なんて使えなくなってしまい、社内で広まってしまった。
しかも深刻なのが、課長以上は「ハイブリッド」なんて呼んでおらず、「ニューPP」呼んでいる点だ。なんて良い略称なんだ、ニューPP。社内でPPと言えばプリウスPHVのことを指すのは常識だから(大嘘)、ニューPPと言えばどんな商品なのかが一発でわかる。
とはいえ今更ニューPPなんて呼ぶのはなんとなく恥ずかしい。「ニュー」の部分になんとなくいけすかなさもある。同じことを後輩たちも思っているようで、ニューPPという略語の素晴らしさに反して課長未満は誰も使っていない。みんなハイブリッドって略してる。ちくしょう。
なんとなく恥ずかしい故に誰も使わず、そのまま数ヶ月経過してしまったからなおさら使いづらい空気が蔓延している。センパイ、ハイブリッドの件なんですけど!って言われるたびに鳥肌が立つ。どうしてこうなった。
何度か読み返した結果、「話にノれれば俺も十分に楽しめたが、話にノれない要素が多かった」という仮説が今のところ有力。
めちゃくちゃ露悪的に言えば俺に不親切だった。
以下、俺が俺に不親切だと感じた要素
・ふざけた見た目をした超高性能AI
手垢ついてる!
ひたすら人間を馬鹿にしてくるのも手垢! って感じで引っかかった。
本来は崇高なイメージになるが主人公の頭が悪くてイメージングに失敗した、という設定は好き。
ケンタウロスが出てきた時は特に引っかからなかったので俺がうんこたれ蔵に個人的な嫌悪感を抱いている可能性はある。
あれだけ「これ実は意味ないんですよ」「この姿に実は意味がないんですよ」を繰り返してるのは「シミュレーション上で告白しても意味ないんですよ」への導線であり、恐らくそれが最後の主人公の発言に繋がるのだが、読んでいる最中はずっと「シミュレーション上で告白しても意味なくない?」「シミュレーション上で生き返っても意味なくない?」と思っていた。
人生とか世界とかを変える話でなく、主人公のけじめとか魂の慰撫の話だったのだが、その事に気付くのが読んだ後というか、「なんであの話あんな褒められてんの?」と考えた段だったので読んでる最中はずっと駄目な気持ちで読んでいた……。
ただAIを存続させるための恐怖政治として支持しなかった人間の意識のコピーを永遠に拷問する、ってところは本気で無意味では? と思った。
本人との意識の連続性がない自分への拷問、流石に意味なくない……? 2084年の人間の感性が2022年とはかなり異なってる可能性はある。
・ヒロインの設定重すぎない?
正直に言うと、なんかヒロインの設定が重すぎてそれを何とかする話だと思っちゃったんだよな……。
父親の酒代のために客を取らされている女を前に主人公のけじめとか魂の慰撫とかやってる場合か! とは思うがヒロインは死んでるしシミュレーションだしな……。
あと母親が死に対して強い反応を示さなかったのにヒロインの話に強く反応したのはちょっと違和感があった。
多分これが何かを変える話ではないと示す為の導線だったんだと思うんだけど(死の撤回ではなく告白のために動く、と言う事を証明するために死者を出す必要があった)これもヒロインの死が重すぎて何かを変える話だと俺が誤認した、のが恐らく俺の敗因。
作者のせいにするなら、AIが提供する報酬は本来主人公に対する「自己完結した楽園」だったのにも関わらず、その領分から外れた「他者への救済」を報酬の一部に提供しようとしたので読者が誤認してしまった、という形になる。
でもあれだけ他の人が褒めてるという事は俺以外の読者だいたい誤認せずに読んでるんだよな……と思うと責任は俺にあり。
AIがAIでなく真実神であり、提供できるのがシミュレーションでなく本当の蘇生だった場合、主人公は母親の死の段階で挑戦を決意したのかな、みたいなことは少し考える。
ただ遺影持ってるのもセーラー服の女だったので主人公の家庭環境もどっこいどっこいで特段気にしなかった、という可能性はある。いや流石に考えすぎだわ。
・技術的特異点を迎えた後の存在が過去視点からの特異点を特異点と呼ぶことにすごい違和感あるんだけど俺は理系じゃないのでこの違和感が正しいか分からねえ……。
・今気づいたんだけど未成年を殺害しておいて三年以内に出所して娘を殺害する父親何!?
気付いたから書いたけどこれは本質的にいちゃもんであり、話にノれてればあまり気にならない部分なので別にいいです。
恋愛をしたい場合は清潔感、良い見た目が不可欠なのは合意する。
でも、モテないって必ずしも恋愛ができないって意味ではないでしょう。
女性が、彼を異性としてみられなかったとしてもカップリングは成立しうる。
男性としては及第点に達していなかった場合でも、家庭の守り手として、あるいは自分の背中を預けられるバディ(相棒)に適しているなら、家族形成は可能だ。
実際、そういった恋愛抜きの結婚は、最近よく話題になっているよね。
在宅中も化粧をする家庭は存在しないでしょう。
真面目に人殺しをしようとすればあの形にはならないはずでしょう。
ヒト型にはノイズが多すぎる。
ククリやカラシニコフやバイラクタルTB2には、その形の向こう側の殺意のイデアに触れたような気にさせてくれる何かがある。
ロボットものは兵器があのような体たらくだから、なぜその殺し方なのか、お前の殺意はその程度かとなる。
(追記)
戦争で勝つことが目的なら人を殺すより負傷させるほうがいい。1人戦えなくなるだけでなく、傷病兵を運んだり救護したり食糧を与えたりしないといけないので、1人分+αの戦力を奪える。殺意なんかいらない。
これはあるね。
敢えて殺傷力を弱めた地雷だとか、特定の遺伝的グループだけに発病するウィルスだとかね。
ただ命を数値で計る領域に行くとそれはヒトが抱えられる殺意からは取りこぼれた何かになるよねって気がして、
そのへんに自分のフィクションを楽しめるNot for meのラインがあるように思う。
日本刀の美しさみたいなものもまた殺意の領分を超えた別の領域にある気がするなぁ。
端的に言えば命を刈り取る形みたいなものへの憧憬が自分の根底にあるかも。
「カエシ」がついてたりね。
「表現の自由戦士」と揶揄されるような人々によくみられるのが、「そのような表現はよくない」と批判をしただけで、「表現への弾圧だ!自由の侵害だ!」と騒ぎ立てることです。表現に対し批判をすることも表現の自由のはずなのですが、批判すること自体を攻撃するのです。打たれ弱いにも程がある。
一部の「オタク」、表現の自由戦士と揶揄されるような人々の求めているものは、表現の自由ではなく「表現の無責任」なんじゃないかと私は思うのです。それは、自分の領分と思い込んだ表現を批判されたくない、というものです。それは「ありのままの自分」を受け入れてほしいという欲求なのです。
「表現の無責任」というのは、コンテンツ化して表現物と一体化した自己を、無批判に受け入れてほしいという、たいへん虫のいい、傍迷惑な考えといえます。当然、社会的責任などは埒外となります。
先の日曜日、(もう怒られる表現なのだろうが)妻の家の掃除を手伝っていた。
妻は大層しっかりものの人物できっかりかっちり物事をこなしてくれてとても助かっている。
私はどちらかというと陰キャオタクでぐーたらだから。妻は明るくもある。
本題。
何回しゅこしゅこしてもらめぇもうでないよぉな状態になったのでプラスチックゴミの袋に捨てた。
妻曰く「洗剤の容器を洗ってから捨てなさい」と。
私もゴミ捨てのルールは記憶していた。確かにプラスチックゴミは「汚れを軽く洗い流して捨ててください」と書かれている。ひどい汚れ付きは燃えるゴミだ。
このスプレーボトルの内部に付着しているのは洗剤だ。洗剤は"汚れ"ではない。仮に汚れだとしたら汚れで汚れを落とすことになるよね。と反論した。ついでに口が滑って「それは血で血を洗うような不毛なことだよね」ともにやけながら言ってしまった。書いていてもわかるがこれはとても余計な発言だった。思いついたら言ってしまった。
それに対しては妻曰く「捨てる段階での付着物は汚れである」。"食べ物"が"汚れ"になる瞬間と"洗剤"が"汚れ"になる瞬間は等しく同じなのかな?と私は理解したし、少し得心もした。
ではと「仮に洗剤が汚れであったとしても、それは許容範囲の汚れである。ゴミのルールも完璧な洗浄を求めていない」と。これも振り返ると争点を下げると言うかずらすというか。とにかく日常、トレーの油感などは完璧に拭わないし、さっと水で流す程度の洗浄をよしとするならば"洗剤"は"汚れ"であっても"許容できる汚れ"ではないかと。
私だってボトルに満杯の洗剤が入った状態でプラスチックゴミに出すようなことはしない。捨てるなら排水溝に中身を捨てるか今回のように使い切ってから中を洗わずに捨てる。きっとそうする。軽く振って垂れきらない水分はOKだろう。
だがこれも却下された。
「洗った結果の残留物は許容できるが、君はすすぐことすらしていない」
汚れは結果だったのだ。妻が汚れを受け入れるためには水で流すという努力が必要なのであった。そう、妻は洗剤が汚れかどうかのレベルを争ってはいなかった。私が容器を洗うという作業を手抜いたことが違反だと言っていたのである!
はっきり申し上げれば私は無駄な作業が嫌いなのです。地域でゴミの分別が甘いご家庭があることも汚れたプラスチックゴミを出すご家庭があることも存じています。そういった中でプラスチックのリサイクルにはおそらく洗浄のプロセスもあるでしょう。その中でボトル一本の表面についた中性洗剤の存在感たるや…。ひとりひとりが頑張らなければならないけれど、ひとりが完璧にこなしても全体は絶対に完璧にならない。そういった世の中のいろんなことに頑張ったり妥協したり生きていくわけです。
今回で言えば洗剤のボトルを洗うことは私にとっては無駄でした。無駄なことはしたくない。ああしたくない。徒労な口論をしてでも無駄な作業はしたくない。
ただただ妻とはOKライン、妥協ラインが異なる、いえ私が妻よりずぼらなだけなのですけれど。そういったことが今回の問題なのでした。
結末としましては私が折れて容器を水ですすいで捨てました。
私もとっても頑固な男です。自分の領分では自説を絶対に曲げないでしょう。それがわかっているから。ここは妻の領分であるから。私が折れました。
わかったことは今回の点では妻とはいろんな面で考えが合わなかったということ。妥協点が見出せなかった点が残念。嘘。本心はまあ論破できなくて自論を通せず残念とかでしょう。しかたない。私はそういう人間だもの。
あーだけど多少の洗剤ぐらい洗いたくないよー!洗濯用の洗剤ボトルも洗ってるのかよー!だるーい!
追伸
世間でいう麦茶やトイレットペーパー少し残す人間みたいに私も「洗剤ボトル少し残す人間」になるかもしれない。
たぶんならないと思う。
ならないんじゃないかな。
吉野家の件。そりゃそうだよな。牛肉煮込んでメシにぶっかけた食い物なんて、江戸時代まで遡れば穢多非人の領分なわけだよ。100年変わらず卑しい貧乏人向けの土方メシなんだからさ、そんなもん売ってる会社がしっかりとしたコンプライアンス意識とか持ってる訳ないよな。そもそもまっとうな親に育てられてちゃんとした大学出た人間は就職先に選ばないもん。
中の人間の質がたかが知れてる下賤な企業の、その中でも左遷先でしょ?クレーム処理係なんて。そりゃ双極性障害の怒り中風が室長として何年ものさばっててもおかしくないわ。客のことだって社員全員バカにしてるんだろうしな。
根本が卑しい会社なんだから、こんなことで何か改善したりなんてことは絶対にありえないわけで。まだどんぶりに名前何入れるみたいなことだったら良いけど、賞味期限切れの肉食わされたり農薬とか混入してた時でも、同じように謝罪も対応もしてくんない可能性があるから死にたくなければ吉野家で飯は食わない方が良いってことだわな。
あからさまなデマの拡散を助長するな!という批判は理解できる。
でも、「あからさまなデマ」って何を指すの?それを私企業が個別に判断していいの?
ロシアの件については、明らかにロシアの侵略に理がないからまだマシな状況だけど、
世界を二つ、三つに割るような問題だった場合にどうなるんだろう?
お互いの勢力に属する企業が個別に判断して勢力間の戦争に経済面から加担するんだろうか?
他国の戦争に直接乗り込むのを忌避する空気が出来つつあるけど、
これがこの先も続くなら、実効的な攻撃はむしろ私企業の経済的攻撃の方になるだろう。
いくら他国を実際の軍隊で侵略しても、私企業が寄ってたかって経済的攻撃で潰しにかかれば
軍事的に勝ったとしても本国が経済的につぶされることが今回証明されつつある。
じゃあ軍隊の意味って何だ?経済的攻撃よりも即効性がある、ぐらいか?
今ウクライナが侵略され破壊された命や建物等は、全世界からの経済攻撃でロシアが潰れたって元には戻らない。
今回のロシア侵攻に対抗するためのロシアへの経済攻撃に加担してる私企業は、
国家予算を食い潰さず自分で独立採算取って、攻撃参加も個別判断する私設軍隊みたいなもんじゃないか。
個々の企業の経済攻撃判断は、国家の判断も多分に影響があるとはいえ、最終的には個々の私企業が判断している。
経済攻撃に加担しようとしない私企業は批判にさらされてるから参加しないことが私企業のリスクになったりしてる。
こんな怖い事あるか?商売人にどこまで求めるんだよ?
口ぶりじゃなくて明確にそう書いてるのだけど?
いいえ
自分のことを賢いと思っていない人は自分のことを賢いと思えない、
これのどこに引っかかる要素があるのか疑問です
これはね。
凄い簡単なんだ。
テーマソングを聞けばいいんだよ。
『ファイター/BUMP OF CHICKEN』を。
迷い多き人生の中でありたい自分としてあろうとする少年の心とそれに呼応するように花開く才能、これこそが3月のライオンという作品であり、少年漫画なのだ。
多様な人間模様の中で素晴らしい恋人や友人と共に社会の一員としてお互いにすれ違い認めあいを繰り返す、これが3月のライオンの少女漫画部分。
この両者の違いは物語の主軸・主体が「自分の中」にあるか「他人との関係の中」にあるかなんだな。
物語においてジェットコースターが乱高下を繰り広げる時、少年漫画における嵐の中心は個々の少年少女の心の中にこそあるけど、少女漫画の嵐の中心はお互いの関係性の中にこそある。
少年漫画では心の嵐に対して悟りの境地を見出すことで解決を図るが、少女漫画の場合は時にはその嵐さえお互いの共感のための道具として関係を育んでいく。
3月のライオンではこの両者を取り扱っているので、緩く見れば「少年漫画であるし、少女漫画でもある」が答えになる。
なぜなら作中における嵐の多くは個々のキャラクターの内面において巻き起こっているから。
複雑で厄介な人間模様も繰り広げられるが、それ以上にフォーカスされるのはこの世界の中で強く生きることを求められ続け人間たちの叫びだよ。
棋士は強くなくちゃいけないし、将棋はメンタルが影響するから精神的な強さを求められる。
でもそうじゃない人もそれぞれの戦いの中に居て、それぞれが強くなくちゃ生きていけないって強いられ続けている。
「人生って強くなることを強要されるか負けて全てを投げ出させられるかの連続じゃん」って話の中で「その中でもめっちゃ強くないといけない棋士はすげーな」って話なわけ。
究極を言えば作品がフォーカスしてるのは将棋棋士一人一人の内面に吹き荒れていく執念とそれに振り回される一個人としての人間性なんよ。
一人の人間の中で起きている感情の大渦に少年や老人たちが立ち向かっていく姿こそが3月のライオンの本筋なんだ。
ファイターなんだよ。
3月のライオンが描いてるのは。
ワクチンに限らず、『薬害エイズ』『睡眠薬のサリドマイド』『胃腸薬のキノホルム』『腎臓病治療薬のクロロキ』などなど、
ただ単に物知らずかバカなんだなって感想。安全を連呼したら空気を読んで安全になってくれたりしないぞ
"Current SARS-CoV-2 vaccines appear to be providing protection with high antibody titers; the possibility of ADE risks associated with waning titers of antibodies over time remains unknown. "
物知らずかバカなのに一丁前に積み重ね云々とかほざいてるが、
日本政府と日本のアカデミアがしてきたのは、2大学術誌に日本の不正研究を名指しされた話を持ち出すまでもなく、
PCR検査は意味がない、ワクチンを使わずに集団免疫、小児は感染しない、コロナはただの風邪、空気感染しない、満員電車は安全、
ほか、政府や科学に対する信頼を毀損するようなロクでもない事ばかりだ
(もちろん、正しい声をあげてくれた大学や病院やアカデミアの人間や政治家もいることは認識している。都度、書いてる)
反知性や専門家の否定は、政治家・研究者・医者自身が生んでいることを強く強く自覚を持たれた方がよろしいと思います
https://anond.hatelabo.jp/20210121191413
けどそれはそれとして、日本と違って透明性が高い国でも、論文バンバン出して覇権争いしている国でも、
研究を含めてあらゆることを自分一人でするつもりがないのであれば、現時点では重症化については信用して良いのではないかと
アメリカや海外で接種を拒否しているのは、宗教・信条上の都合が多いと思うよ
あらゆる強制を厭う、あらゆることを自分ひとりでやるって言う、究極の個人主義者や厭世家いるからね
中には独立国作っちゃう人もいるくらいだし、人がいない地域で暮らすのでワクチン打ちませんくらい想定の範囲
https://www.huffingtonpost.jp/kenji-ando/principality-of-sealand_a_23194493/
もちろん過去の薬害の歴史から心配して接種を控えている人もる。何事も絶対はないし子どもへの接種には否定的な科学者も多い
コロナの致死率は高く無いし様子見るわはまぁフツーの判断じゃないかな
感染を防ぐ効果については調査方法・機関によってまちまちというか
フツーにブレイクスルーするみたいだけど(実際、2回接種済みの親(医療従事者)もフツーに感染した)
感染を防ぐ壁を作らないやつはフリーライドという誹りはまぁ致し方ない
お前は何を言ってるんだ?
まるで男女の境がなくなったんじゃなくて女の領分が増えたみたいに言うんだな。
個食的な文化として他には音楽も当てはまるはずだけど、こちらはたとえば「jpop 男性向け」とかで検索しても男性に歌いやすいカラオケ曲という意味合いの記事しか出てこない。男性が好きな曲女性が好きな曲というのは結果論しては存在するだろうが、はなから性別でターゲティングして作られたり広告されたりする曲というのはないんだよな。西野カナみたいなのがむしろ特殊で文化全体として漫画みたいに性別で排他的にすみ分けようとするような傾向はない。(その西野カナとてゴールデンタイムの歌番組で公然と流されるぐらいで、男が聴いていたとしてもハーレクイン読む男が受けるような異端視を受けることはない)インストゥルメンタルならなおさら。
ガソリンは風呂釜1杯ちょいで法規制を受ける。灯油は5杯。でもサラダ油は50杯!全然大したことない危険性だってこと。単純計算でガソリンの50倍も危険性が低いってお墨付きが消防庁から出てるわけ。
「サラダ油(動植物油)ってガチで危険性が低いんだな」「第4石油類よりナメられてるって相当だな」って思って、そのイメージを今日まで覚えてるわけ。
だったら何なんだよw そんなフワフワしたイメージでサラダ油が燃焼するかどうかが判断できるわけがないだろ。そもそも危険性が低いかどうかなんてお前以外誰も気にしてない。
なんて書いてあったかもう一度よく読んでみろ。「想像はつくが、即答はできん。」って言ってるだろ。論点は最初から、サラダ油を当てたライターで着火できるか否か、だった。ブコメにも専門家に殴られてるなどと誤解してる奴がいるが、専門家どころか、お前は大学でまともに議論したことさえないだろ。何について議論してるか理解できないアホは、邪魔以外の何者でもないからだ。真面目に勉強するってのはペーパーテストに受かるために知識を詰め込むことに収まらない。なんで今までそんなことも知らなかったんだ? お前こそが、真剣に勉強しましたなどと自分にウソをついている。
指定数量からどれほど危険性が低いかを類推するにしたって、それは妄想に過ぎない。指定数量はサラダ油にライターで着火しないことを保証する値ではない。確かに現実にライターでは火がつかなかった。だがそれは「たまたま現実に当てはまった」だけに過ぎない。お前は類推で空想を広げて自分は理解しているなどと思い込んでいるだけだ。わかるか? 山を張って当たっただけなのはお前の方なんだよ。それに気づかないでブーメランを晒してネットに残してしまったのは、アンラッキーなアホ、としか言いようがない。知らないことを知らないと言いきるには勇気がいる。学問の素養のない奴はそれをみて「不勉強への開き直りだ」などと言うだろうが、無知を隠そうとするのは子どもの態度であって、そういうやつは自分の領分への責任を持てない。あるいは本人は無責任でも、まわりがいつも尻を拭くために苦労してるような状況になる。よりタチの悪いのは、迷惑かけてるのに気づかないどころか自分は責任感に溢れる人間だと思い込んでるケースだ。専門家ぶってるお前は、どっちだ?
あと、普通言うまでもないことだが今は必要だから言っておく。消防庁からナメられてるから安全だなどと考えるのは権威主義であって、科学ではない。
それに化学の博士なら、サラダ油は分子量が大きくて蒸気圧が低いから引火しにくいこともなんとなくわかるだろ?わからないのか?
「化学の博士はサラダ油の分子量だってよく知っている。」子どもの考える博士のイデア。
てか「てか、蒸気に引火はせずとも油本体に火をつければ燃えるのでは?」って何?
…
液体の火災は、液体そのものが燃えてるのではなく、液体から出る蒸気が燃えてる...ってのは、それこそ化学やってたら常識だろ。
そりゃそうだろ。ライターの火を油本体に当てたとき、接触点での気化が進んでその場で発火するかも、って想定だろ。バカが得意げに語ってる引火点は液体全体を徐々に加熱していって蒸気に着火するギリギリの温度だ。条件がまったく異なる2つの温度は当然同じになるとは限らない。「お前は危険物甲種名乗んな」? 笑うわ。お前はエアプを名乗れ。まずは学位を返上してから。いや、博士号の返上は要求しない。元々ないものは返上できないだろ。危険物の免許もそのまま空想の中で抱えておけ。迷惑をかけるのさえやめてくれれば好きに幸せでいてくれて構わない。
みんな真面目に勉強してるんだよ。本当の意味で。成績の上下に関わらず。その上で議論して知を向上させようとしてるの。お願いだから部外者が足を引っ張るのはやめて。
その記事の全文は読めないが、それは専門家会議の見解というよりも、専門家会議を構成する一個人の見解なんじゃないの?
もし大多数の国民や事業者の皆様が、人と人との接触をできる限り絶つ努力、「3 つの条件が同時に重なる場」を避けていただく努力を続けていただけない場合には、既に複数の国で報告されているように、感染に気づかない人たちによるクラスター(患者集団)が断続的に発生し、その大規模化や連鎖が生じえます。そして、ある日、オーバーシュート(爆発的患者急増)が起こりかねないと考えます。そして、そうした事態が生じた場合には、その時点で取り得る政策的な選択肢は、我が国でも、幾つかの国で実施されているロックダウンに類する措置を講じる以外にほとんどない、ということも、国民の皆様にあらかじめ、ご理解いただいておく必要があります。
【新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020 年 3 月 19 日) 】
あと、"そもそもコロナ舐めきって対策怠った"のをアベ・スガ内閣以外のせいにするのは無理筋よ。昨年2月14日の毎日新聞の記事の段階で、すでに後手後手であると与野党それぞれから指摘されている。与党内から"政府の対応は後手後手だ。首相官邸の意思決定に医師の意見が入っていない"なんて言われているし、公明党が感染症対策などの専門家会議の設置を政府側に要請している。これらの指摘を受けてか、専門家会議が発足したのも別の資料によれば2月14日だ。
新型コロナウイルスによる感染症で国内初の死者や感染経路が不明な患者が確認されたことを受け、与野党は14日、それぞれ対策本部の会合を開いた。各党とも「フェーズ(段階)が変わった」との認識を示し、感染拡大への危機感を募らせている。
(略)
自民党の対策本部会合では、入国拒否の対象を中国全土に拡大すべきだとの意見が相次ぎ、医療機関向けのガイドライン策定を求める声なども出た。会合後、ある出席者は「政府の対応は後手後手だ。首相官邸の意思決定に医師の意見が入っていない」と不満を漏らした。
連立を組む公明党は対策本部の会合で、感染症対策などの専門家会議の設置と、感染の現状や対応などについて安倍晋三首相が記者会見で国民向けのメッセージを発するよう政府側の出席者に要請。政府与党連絡会議では、山口那津男代表が「引き続き水際対策や国内感染症対策の強化、適時適切な情報発信など万全の対策を講じてほしい」と首相らに求めた。
一方、野党側は「政府は初動対応の遅れに加え、感染の封じ込めに失敗している」として、追及を強める構えだ。国民民主党の玉木雄一郎代表は、党の対策本部役員会後、記者団に「ざるのような水際対策で、国内感染も抑え切れていない」と指摘。中国全土を渡航中止と入国拒否の対象にするとともに、経済対策として消費税率を8%に引き下げるよう政府に求める考えを示した。
共産党の小池晃書記局長も記者団に「政府の対応は後手後手に回っている。ちぐはぐなことが起きている」と批判。政府の緊急対策では不十分だとして、補正予算の追加編成と集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗員の早期下船を加藤勝信厚生労働相に電話で直接要請した。
(略)
それ以降の専門家会議について言えば、専門家会議はコロナを舐めていたどころか、とりわけ初期においては、危機感のあまりにむしろ前のめり気味で現状分析と対策案を打ち出すようになり、助言の域を超えているのではないか?と政治家との領分について問題視されるほどだった。
https://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2020/11/nichinaishi-109-11-article_18.pdf