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はてなキーワード: 教科書とは

2017-06-24

https://anond.hatelabo.jp/20170624093754

ここまで書けるなら「ハマータウンの野郎ども」を一度読んでおくといいよ

今となっては否定する者も多いけど、やっぱり教科書から

これも面白い

http://synodos.jp/society/19337

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170623124332

80

 足軽禁止に賛成しますか、反対しますか

もっと活躍したといっているのは、教科書です。当時の関白一条兼良は、

将軍足利義尚への意見書足軽禁止をあげています自分邸宅文庫

焼かれたこともあったと思いますが、なぜでしょうね。』

足軽は、京都の内外で敵のこもっているところは攻めず、社寺や貴族邸宅

放火略奪する。しかも、武士足軽の矢で命を落とすとあっては、末代の恥

である足軽は厳重に禁止すべきで、そのため奉公人出身足軽は主人に命じ、

農民商人出身者は出身地域の領主に命じて、処罰すべきだ。このような足

軽は、日本の恥だ、などと怒りをぶちまけている。」

資料に書いてあることをそのまま読んでくれました。とにかく一条兼良は、

禁止すべきだといっている。そこで、きみたちに足軽禁止に賛成しますか、

反対しますかと聞いてみます。賛成の人から理由を発表してもらいましょう。』

「もしも自分武士であったら、この足軽はとても恥さらしであり、この恥さ

らしに矢で命を断たれては死んでも死にきれないために賛成する。」

足軽むちゃくちゃすぎる。戦いをするにしたってきちんとした掟みたいな

ものを作らないと、世の中ぐちゃぐちゃになりそうだから。」

「家を壊されるのはいやだからいくら強くても、こんな人たちに殺されたら、

武士の恥だと思う。」

『賛成する人は、実際に戦う武士立場や家を壊される貴族寺社立場に立

って意見をのべているようです。それでは続いて反対の意見。』

「苦しい戦乱の中で、生活が成り立たなくなってしまった民衆など妻子を養う

ために、危険だとわかっているのに、お金になるという仕事から仕方なくや

っているのでやむをえないと思う。」

「なぜ日本の恥なのかわからないけれど、これはこれでとてもうまい戦法では

いか。軽装備の足軽武士がやられるようではなさけない。」

『反対の人は、民衆立場にたち、そして足軽の戦法をうまい戦法だと認めて

いるようです。とにかく賛成するにしろ、反対するにしろ当時の状況をよく理

解して判断してみましょう。今までよりずっと応仁の乱時代像がくっきりと

https://anond.hatelabo.jp/20170623122744

79

『立派なものはないんです。それでは、そういう農民たちは、応仁の乱で何を

しているのでしょうね。それじっくり見つめてもらうために、先日1枚の絵

を見て”普通合戦比較して変だなぁと思うこと”を探してもらいました。

”変だなぁ”と思ったことを発表してもらいましょう。』

「敵との殺しあいではなく、家のようなものを壊している。」

「刀を使っていない、鎧をつけていない、屋敷のものを盗んでいる。」

「障子や木材などを持って逃げている。」

普通合戦なら殺しあうが、この合戦ものを壊したり盗んだりする合戦

と思った。」

『確かに、身軽な姿で障子や木材を奪っています。続いて、この場面にふさわ

しい題名タイトルを発表してもらいましょう。』

生徒は、「急げ、足軽解体屋の足軽くん。盗賊兵士足軽集団のかっぱら

い。家財どろぼう。足軽たちの屋敷荒らし。とりこわし。ぶちこわし」など、

次々と発表する。ここまでで、足軽が略奪行為をしていることはどの生徒にも

理解されてくる。

 そこを見計らって、教科書には、「応仁の乱市街戦が中心だったので、軽装

歩兵である足軽活躍した」と書いてあるが、なぜ略奪行為活躍したと書

いてあるのか、問いかけてみる。数人、指名してみても首をふるか、沈黙のみ。

そこで、『真如堂縁起絵巻』のなかの「陣地をつくっている場面」の絵を資料

して配布し、「何をしているか」と問いかけ、しばし見させる。

「陣地みたいなものをつくっている。」

『そうなんです。略奪してきた障子や木材使用して陣地をつくっているので

す。戦争は、いつもいつも刀を交えた合戦をしているばかりではありません。

陣地をつくったり、食料の補給をしたりすることもあるのです。守護大名は、

多数の農民を動員してこうした労働従事させていたのです。こういう仕事

農業で鍛えた体力がものをいいます。そこで、足軽ならではの仕事に注目し

活躍としたのでしょう。』

2017-06-22

歴史教科書を読むのは苦痛だったのにwikipedia歴史の項目が読めてしまうのは何故だろう

教科書スマホだったらスラスラ読めるのかな

2017-06-20

https://anond.hatelabo.jp/20170620203800

ユダヤ人とかバラエティではよく話題にはなるのに歴史教科書だと虐殺された程度の話しか聞かない

俺もよくわかってないし金持ちくらいの認識しかない

意図的情報が伏せられてるように感じるけど実際どういった民族でどこで何をしているのかとかまるで分からない

結局のところ実際の生活に直結する段階で使えそうな情報学校歴史だと得られそうで得られない

自分で調べて初めて見えてくるとしても自分で調べてそれが正しいかどうかの裏付け自分でしないといけない

ひどすぎる作業だな

現役時代に余裕で通った教養試験だけど今年落ちそう

化学物理覚えてねー

せめて教科書とっとけば。。。

頑張るか。。。

https://anond.hatelabo.jp/20170620103356

絵画文学は、歴史があって評論が定着していて、教科書などにも載るくらいだから、そういう共通認識ができているだけ。

漫画アニメはまだそこまでいってない。

そういった共通認識形成の場としては、

せいぜい「テレビ番組バラエティアンケートを取った懐かし名作アニメ特集」みたいなのがあるくらいで、

そこで人気なのはそれこそ攻殻AKIRAではなくドラゴンボールONE PIECEのほう。

しろ絵画文学のように実体より評価が先行しているというほうがイレギュラーなんだよ。

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170619201822

昔のおおらかな学校小学一年生で退学になってる人だよ、かなり重度の発達だよ

計算学習障害があったこともカミングアウトしてるし

学習障害とは、基本的には全般的知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算するまたは推論する能力のうち特定のものの修得と使用に著しい困難を示すさまざまな状態を指すものである

まず、授業中に、机のフタを、百ペんくらい、開けたり閉めたりするんです。そこで私が、『用事がないのに、開けたり閉めたりしてはいけません』と申しますと、おたくお嬢さんは、ノー卜から、筆箱、教科書、全部を机の中にしまってしまって、ひとつひとつ取り出すんです。

窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫

私はこの退学になった理由を、子どもらしい好奇心の旺盛な元気な子どもだったから、という率直な気持ちですべて本当のことを書いた。ところが、(中略)『窓ぎわのトットちゃん』をLD学習障害の子を多く診ていらっしゃる専門家研究者から見れば、何もかもがLDに当てはまるということだった。こんなこと私は思ってもいなかった。

小さいときから考えてきたこと (新潮文庫

2017-06-15

将来の教科書に今の日本はどう載るの

とにかく政治メチャクチャだった時代という扱いになるのかな

2017-06-14

うなぎ絶滅させるマン

この時期になるとはてなに頻出するうなぎ警察の皆様には申し訳ないけど、

人間うなぎを食べ尽くして絶滅させてしまったとしても、

それはそれで構わないと思ってる自分がいる

というか、絶滅させられるなら積極的絶滅させたいとすら思う

「あまりに美味かったので日本人に乱獲されて絶滅しました」とか

人類の愚行の1ページとして未来教科書に載るといいな

うなぎの味を忘れられない人々の手によってクローンうなぎが開発されるんだけど、

「こんなのはうなぎじゃない。本物のうなぎもっと美味かった」って言ってみたいな

ここで断っておくがみんなが習った冷戦捏造だ。

結論から言うと昭和50年代後半に始まった京王線小田急線の戦いなのだ

まりにも壮絶で死者も28787389278327人出たため

教科書ではこの事実は隠されている。

僕は同居といっても1週間に一回京王線に乗って京王稲田堤駅の自宅へ行く。

彼の自宅は小田急線登戸

京王永山で乗り換えればすぐ。

しか冷戦のせいでこの行き来は不可能となった。

私鉄の壁が建設されたのだ。

京王という堂々とした王者たるべし名前にたいし

さりげなく見せる控えめな名前優雅イメージを呼ぶ小田急

顧客は米にヘコヘコするような日本にはない堂々とした態度を求め京王に流れ出る。

この流出に歯止めを掛けるべくできたのが私鉄の壁だ。

宅配便でその覇権を伸ばしてきたクロネコヤマトの量産ダンボールによる壁。

もはや誰にも破れるものはいなかった。

かくして彼と僕は引き裂かれた

http://anond.hatelabo.jp/20170614132307

昔(芦部先生教科書とかの時代)はそんな感じだったけど、最近は割とマシな判例が出るようになってきたぞ。

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-06-09

少子化とか晩婚化とか未婚率とか調べたりしてる時ってエロいこと考えてるけどおかしい?

俺だけだろうか

最終的に女がもっとセックスして子供を産む社会に!!って結論に至る問題が堂々と新聞教科書ニュースで流れてるのが興奮する

学校保険体育のセックス実習が行われるシチュエロ漫画が好きなせいだろうか

好きな人の前でお腹が鳴った

隣の席に好きな人が座っている。

弁当前に好きな人の前でお腹が鳴ってしまい、

「ふふ。私のお弁当食べる?」

教科書で顔を隠しながらこっそり俺に言ってくれたところで目が覚めた。


久しぶりの平日休み。もうこんな時間か。

食堂にでも行くか。ビール飲もう


会社員 39歳(男・独身) 

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170607013123

こちらは元増田についたブコメに対する反射的な返信コメント。随時追加。

少しずつ書いたのでキャラや主張に一貫性がないかもしれないがご勘弁を。

一部気まぐれで煽ってみたり、俺が見たときあとで読む」の人は飛ばししまった。あとひょっとしたらIDなどに誤記あるかも…不満があったらトラバで教えて。

あと

この件についていろんな人の意見が聞いてみたかった。トラバブコメの皆ありがとう

とくに反応薄かった最初のほうでもトラバブクマしてくれた方々には特別感謝です。




追記:この増田へのブコメ返信は以下に。随時更新

http://anond.hatelabo.jp/20170608123253




*****以下返信*****

cloq センス光る働いてるフリ

kurakano こゝろ の先生みたいな?彼はあまり幸せそうじゃなかったけどね。

msdbkm あ、それすごい気になる。そんな漫画あったっけ

teebeetee ちょっと別の話だけど相続フリーだと富は固定されるね。まあ重税課しても富裕層は最大限の税対策で切り抜けるだろうが。

masudamaster たしかに何やってんのかな、ヒマだろうに。創作活動かいそしんでるならうらやましい。

mementm0ri いい意味で「頑張らないことを頑張る」のやつね

sumika_09 けんきょ

btei すでに働いたアリの話?誰かの遺産ならうらやましい。

sds-page 願望では?でもたしかにそれくらいならいいか感ある。ネトゲネトゲで何か生まれものもあるらしいしね。

quix_que 不労所得は駄目なの?じゃあ生活保護はいらんなぁ

locust0138 すがすがしいなぁ。少しずつ前向きになれるといいね

BIFF 素晴らしいこと。こういう人が摩耗しない社会が良い。

mcgomez ベーシック現物支給の手がかり?コンビニ側にもメリット必要だな。

demcoe なんていい言葉美味しんぼか。ちょっと見直した。

mazmot なんか妥当な考え方かも。とりあえず生きていけて再就職もかなうならみんなつらい環境に縛られずに済むな。

yosukegatz そうなのか。金の管理がうまくできない人ってのも少しいるみたいだな。それはほっとくしかない?

cleome088 よくわからん子どもはいろんな経験させてあげたいけど。義務教育中の遠足じゃ不十分って話?

teto2645 そうだね。俺の理想は好きなことやって対価得て生きていくこと。動画配信はしない。

wow64 (たしかにそうかも)

masumizaru 現時点でワープアだけどね。頑張り方変えて頑張ろうぜ!はマッチョすぎ?

oakrw ほんとそれって言いたいけど俺は営業仕事できそうにないから実はちょっと尊敬してる。

tanicochang その通り。でも人は自分自分の周りの人が死ぬのはイヤって気持ちをわかりあって、だれも死なずに済む仕組みを作ろうとしてるんだね。

Palantir 説明不足だった。その中身を自分なりに詰めたいって話。与えられた基準思考停止するならこんな増田書かないよ。

enemyoffreedom (どきっ)

htb48 ほんとにそうか?誰かに決められた基準に合わせて自分を納得させるのが正しいか自分の考えはいらんのか。そしてできれば限られたリソースの中で現実的理想を語りたいんだが。ちなみに働くと頑張るは確かに別のことだな笑 頭の中で対象無職受給者に絞り込んでしまっていたわ。

gazi4 なん…だと…

zund4 まじで?てっきりやらない理由探しで文句しかわず努力しないダメ人間かと…

sumena ほんとそれ。俺は金銭管理に自信ないか現物支給がいいなぁ。実現が待たれる。

htbman たしかに。働きたいけど働けない人を生かせないのは損失だよな。

ma_yu_mi_net 俺は大人にも言わないでおくよ。

htnmiki その境目の判断は難しい。自分で働けないって思ってる働かない人も、その逆で苛む人もいるだろう。

kamayan1980 俺は自分理想の実現につながる生産活動のことを「頑張る」言ってることに気付いた。全然一般的じゃなかった。少なくとも我慢作業時間の切り売りを直接指していない。

rekp (ちょっとあこがれる)

sekisetsu_ibuki 実際裕福で不幸な人もいるんだろう。ザッカーバーグの「目的意識を持った人生」の話を思い出すな。

guinshaly たべたいよ…ハッ

Nihonjin 興味深い。生きるために必要ものが増えすぎた?それともやはり貨幣の寡占のせいなのか。

kkzy9 今の延長線上がお前の理想か?こっちは現実的理想を探してんだけど、興味ないなら無理しなくていいよ。

Kil 同意。でも果たして働かない人が同じことを言うだろうか、とも。

bigapple11 たしか言葉定義あいまいだったと反省。というか想定を無職生活保護自給者に絞り込んでしまっていた。共産主義体験したことないのでわからんが、チェブラーシカ見てると楽しくなさそう。

miki3k その内容の話ね。あなたの最低限文化的はどんな感じ?

kaeuta 労働環境の話か。たしかに頑張る人がつらくなく頑張り続けられる環境づくりは今一番の緊急課題。そういう政治家応援しよう。

outroad そうなのか。俺は実態を知らないな。ただ保護から抜け出せない仕組みはクソだと思う。

TANSTAAFL えっ過酷

sugikota それは資産教育格差の話?そのことと働かない人への保護に関係が?

deep_one 説明が足りんかった。その中身を話したい。正解ではなく、いろんな人の話を聞きたいのです。

tinpoppo 君も現国教科書を読め。お互い頑張ろう。

beerbeerkun ないだろうな。本当に依存度の高い人は「基本的人権!」「最低限度文化的!」を我が物顔で振り回す。

hiby それはすごい応援したくなるな!!

monobako2 (ぼく破産しそう)

yoiIT 別の話だけどその通りなのかも。人を人として見るのも限界があるのかな。

sekreto そうだね。頑張ってる生産的な人が報われるといいって気持ちが俺にもあるわ。

shinonomen そうそう、そういう話がしたい。でもそんな違いを尊重する余裕は少なくともこの国にはなさそう

AKIMOTO たしか相続による資産の固定は問題だよね。世界一斉に紙幣刷って大インフレ起こそう!(適当)

shinagaki もしかしてとんかつ

akihiko810 何をひどいと感じたの?寒さ?アリ?

aceraceae 虚無感すげえな。資産家と立場逆転とはいかんでも、食うくらい頑張ればできるし食うなら頑張れよってのは俺の思い込みなのだろうか。

ysyncysync いらっしゃい

midastouch レーニンはそう言ったらしいね。ところで何かと理由つけて働かない人をレーニンはどうするんだろう?

DukeK うわー十分。俺だったら松屋でもうれしいもん。

yarukimedesu おお、情報ありがとう。たしかに米なら政府主導でもできそうだよな。できないとしたらなぜだろう?

kakaku01 支給額見たらそのへんで働いてる人より手取り多いのザラだからな。実際はそんなことない?

richest21 wikipediaでは聖書あたりらしいからまあ古いわな。現代人を導く新しい寓話があったらどんな感じになるだろう?

otihateten3510 たしかに働かない・働けないの区別は難しいよな。じゃあどうカテゴリ分けするのがよさそう?

ustam マジレスすると罪悪感はいいか感謝は忘れず生きてほしいよな。

ryokujya 休める期間やそのためのセーフティネットがあるのは素晴らしいけど、人と関わらず一生何も生み出さない人がいたら正直「よく生きてられるな、人権以外に生きる支えが無いじゃないか」と怖く感じる。

ex02xx こいつ良いトンカツ食ってんな…

guru_guru それはそれで不自由だが、その心配がないか自由なんでしょ

h20p 本当にそう。このブコメでも頑張る=つらいことっていう認識があるとよくわかった。

myogab 俺は人に向かって死ねという勇気ないな。

primedesignworks そいつらの問題は別の話な気はするな。そっちも今度問題提起してみるわ。

shiju_kago アリのシステム有能だな。しかしその被害者意識はなんとかならない?

IkaMaru 正直最低賃金ってのがどこまで状況改善するのかわからないんだが、潰れる会社が増えて不景気になったりはしないの?知りたい

rag_en 俺自身は頑張ってるほうが精神的に健康というか、家族依存しているときに立つ瀬がなくてつらかった。人によるだろうけど。

go_kuma よくわからん理由特権階級握ってぬくぬくな奴らもいるからな。そっちの話もしよう。

GOGOGG 俺もそう思う。でもそれが当り前じゃないみたいなんだ。

Waspkissing いぢめないよぉ

dekasasaki それ。そういう仕組み作りに金が使われたらいいなぁ。

lbtmplzlbtmplz 不労所得がいらないってんなら生活保護・BIも

atoh ここでは意見が聞きたかったんだ。でも読むわ。

dogear1988 まじで?それもこわい

skythief えっそういう意識あった?ほとんどのいい思いしたいし周りの人に役立ちたくて働いてるものかと思ってたが。

yomo_w5_3 まあ商品の価値が下がってしまうから経営判断理解できるけど、でもなんかもっとできそうだよな。

quwachy BIも医療トレードオフになったりするなら弱者切り捨てだけどな。

mugi-yama 俺もそれが自然に感じるな。その時自分が取れる気はあまりしないけど。

hxd9 元増田は切り捨てろって意見にはしなかったつもりだが。発達障害一枚岩ではないから難しいんだよな。

sakurako_nya その切り分けは難しいのが実際だよな。誰がその可不可を正しく判断できるだろうか。

t_massann 俺も普通にいいコメントだと思ったけどセリフっぽいからぐぐったら美味しんぼだった。でもいい言葉知った。

snaflot そうさな

rAdio ありがとう

toppogg それ相当苛酷じゃない?広さはともかくエアコン生存を分けてしまいそう。

u06nh それが本当の喫緊課題だよな。アリが働き場所を選べるようになるといい。

Galaxy42 こっちがよくわからんわ…

nemuiumen え、それ実現可能?もし実現するとしたらどれだけの「頑張り」がいるだろうか。

potohud そっか。ちょっと思い違いをしたわ。でも反応見れたし聞いてみてよかった。

takayaarishima "頑張ってる人が報われる社会でありますよう。"同意。ただの好みなんだけど、そういう社会がいいと思う。

lli 21世紀中にそんな社会を実現したいなら、今の世代が頑張んないといかんだろうね。

tohima 何不自由なくってすごいな。資源は限られてるけどな。

k2wanko ドン勝つというすごい勝ちそうでいてドンケツにもなりそうな絶妙なネーミング

homarara 働けないと働かないの区別は難しいだろうな。でも病気の人は例外にしたいって感覚結構ひとつの大きな論点だと思う

nowa_s いいね。そういう感じが当たり前なら納得感ある。やっぱ医療ターニングポイントとも。

algot そうなん?まあこう読み替えてもらって構わんよ。「働かない人に配られても納得感のあるリソースとは」

gabill 資本主義の要素がわからんかったが、現物支給の様子を想像できた。服のくだりはちょっと怖いな。

oudoon そうだね。何が足りない?どこが足りる足りないの分岐点なんだろう。

hate_flag またトンカツの話してる。しかしそうか、じゃあ今頑張れる人は未来社会で頑張らなくてもいい人が増える方向に頑張ればいいんだね!

mangakoji あっ全然わかんねえ。頭よすぎ。よく言われるでしょ

wdnsdy そうだな。俺も現実人間区分けすることができるとは思ってない。でも考えてみるとちょっと面白いだろ?

shoh8 はいはいトンカツトンカツ

assaulter そうだな。車もしばらく空を走る予定もなさそうさ

roja123 もちろん俺自身はそうする。あ、そういう考え方もあるのか。

chikoshoot いやほんとなんの話なの…

nakamuramakoto それは確かに。頑張る人には生命維持より(マズロー的に)高いレベルインセンティブが与えられればいい気もする。

genkaiwave それ働かざる者の話?むっちゃ働いてるように見える

Nobeee それはそうさな言葉定義がいまだ曖昧だ。

hatekun_b え、今あるものを活かして頑張ることまで否定する?原始に還れと?

gattsu09 その意味では我々はすでにそこそこ素敵な経済社会に生きているともいえる?

ore_de_work あ、俺死ぬかも。冗談でもなく、そういうことの話だな。

watapoco そこまで言われると俺も読まねばなるまい

nokogiring 優しいブコメを見よ。

Dai44 たしかに人は環境で育つ生き物だよな。その意味では親が働かなくても子が好きに立身できるような仕組みが必要ということか?

j3q じゃあ何が大事なんだ?どうなればポーラ人生は変わったの?お前の言葉を聞かせてくれ。

sato-gc 「いやだなぁ、頑張れない人なんているわけないじゃないですか!」さておき、社会復帰スムーズにするのに役立つなら職業訓練全然ありだと思う

h5dhn9k 数値が出たら正確でいいけど、実際には苦しむ人が増えそうなイメージだな…

ntnajp605 死ねとはさすがに言えない。そんなこと書いてたか?まあ読んでないんだろうけど

younari それが現実だわな。じゃあ改めて問いについて考えてほしいんだけど…

hungchang 素直。でも問いと真逆。まるで働くくらいなら死んでやるとでもいわんばかり…死ぬなよ

minoton あの世界観には素直に憧れる。実現できるといいよな

fuck-it 共産主義ってのは労働強制したんだな。さすがにシベリア送りにもできないが…

broccomini 揚げ物上手につくれるのいいね(そこじゃない)

tokatongtong ではその件はまた別の増田でお会いしましょう。ちょっと待っとれ

gameloser せめていい音楽を奏でてほしいものだ。(適当)

perl-o-pal 彼はほら、モテモテ王国を神に約束されているらしいから…(wikipedia)

neco22b 供給者と消費者は兼役できるでしょ。消費増やすのがムズイってのは別問題だけど、どうしたらいいかは気になるね。

rocoroco3310 生きていけるのがいいとは俺も思う。もともとはどのくらいの水準で生きていけるのがいい?って話だったんだ。

qoqoqo そうかもしれんな。飢える人はいないほうがいい。

hide_nico 同意晒しわからん引用サンキュー

ghrnghrn すべからくって難しいよね。誤用やすいし…

nobby81nobby81 野菜350gが云々 なにげに高等な食事だな。羨ましいくらいだぞ

daibutsuda そういう話してたっけ?

nisisinjuku いいよな。あれがあんな値段で売ってるなんてキセキ

kasugano まあそうだな。少なくともその理想に至るまでの努力については想像できない人も多いだろう。

hebereke2017 そうだね。そこで気になるのは、それを選ぶくらいの自由は働かない人にも与えられるべきなのか?(べきだと思うけど)

takeshi1479 リベラル宗教背景もよく知らんけど、頑張る人が報われてほしいのは同意だね。

hashigohinan ホームレスだって家があるほうがいいと思うけどね。そうでもないんかな

sayuremix きっつー

suna_kago 本当にそうなの?たんにソ連ではそう使われたって話じゃなくて?

pmintpmint 食える人少なそうだな…。隠すのが美徳って悪習じゃね?

mu_minnnida そう考えるとやはりセーフティが充実し過ぎても損失あるな

bedtown 縦関係を脱出して横関係を築こうってことか。そうなれないのはなぜなんだろうな。

sukekyo なんかわかりやすい…

warulaw そうだね。てか何かと理由つけて絶対やらないだろう。配布する側にもメリット必要

kibarashi9 ここは良くはなくとも優しいインターネットあなたはいつも悪いものを探しているね。

cybo BIいいよな。すがすがしいほど自己責任だけど。本読むわ。

nenesan0102 また死ぬ話してる…。安楽死制度化するのは賛成だけどね。どうしたら実現できるだろう?

legnum それは少ない…。生活保護じゃなくて働いてる人のほうが。そう考えると生活保護最低賃金は連動してもよさそうなものだね。実際はどうなんだろ?

ak148 そうだね。実際は頑張ってれば食えるってわけでもなく、自分で考えて動いて初めて欲しいものが得られる可能性がある、ちょっと厳しい社会

jou2 三点リーダいらない

http://anond.hatelabo.jp/20170605170259

整理されつつあるって……。「お前の中では(以下略)」としか

せめて学部ジェンダー論の授業で使われる教科書にニ、三冊は目を通してみて下さい。全部読み込めなんて言わないから。

ジェンダーシラバス」で検索して、参考文献の欄にある本を手に取ってみて下さい。

インターネット勉強のために利用したり、参考にしたりするのはいいけど、“インターネットでおべんきょう”は良くない。

2017-06-05

これ突っ込み方でレベルを測定できる(アピールできる)良エントリじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20170605014204

kenjou なかなかおもしろいですけど、突っ込みどころは多いですね。「徳川」は新田源氏の「得川」から来ており、でっちあげではないです。早雲の伝説が生まれたのは江戸時代で、後北条氏自体は関与してないです。などなど。

リンク2017/06/05 Add Star

damae 徳川家康源氏だって時点で独自研究どころかただの妄想だよ。徳川家康家系図いじって源氏の末だと名乗っただけで、徳川氏松平氏)は清和源氏だなんて証拠は今の今まで一つも見つかっていない

リンク2017/06/05 Add Startsutsumi154

たとえばこの徳川に突っ込んでる2つ

どっちも間違ったことは書いてないけどいろいろわかってるのは圧倒的にkenjouのほうだよね

徳川家系は怪しい」なんてのは歴史まとめレベル知識で、そこで立ち止まって大威張りということは下の人全然それ以上のものがない

徳川新田系名乗ったか徳川なんやで」って知識アピールしたがるほうは、まだそれ以上のことも知ってそう

operator 平清盛伊勢平氏平氏の本流じゃないというのがポイントなのかなぁ?

リンク2017/06/05 Add Star

平家平氏のいち庶流」まあ歴史まとめレベル

death6coin だが、平将門本人には独立志向はなかったという説が

リンク2017/06/05 Add Star

ぶっきらぼうすぎるけどこの話へのツッコミとしては核心であり

そこを選べるということはわかってる人っぽい

瑣末な知識アピしないとこも大物感(シッタカが真似して失敗すると臭みが凄くなる)

Cunliffe 「(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)」うん「真田丸」あたりから変わったよね。

リンク2017/06/05 Add Star

素朴なにわかなのでいじめたくならないにわか

真田丸()から変わった。お前がそう思うんなら(略)

one-chance 教科書全然書いてなかった部分。面白かった。忌み名なのは知らなかった! 鎌倉幕府

リンク2017/06/05 Add Star

にわかですらない、戦うつもりのない素直な感想 ただなんかこういう感想見ると互助会みたいに感じるようになったこちらの心のヨゴレ


かい

「この話をするなら北条なんて木っ端じゃなく千葉一族スポットライト当たるべきだろJK

かな

北条全然関東盟主なんかやれてないのはいちいち指摘しないのがスマートであり(眼鏡クイー)

高校世界史を選んだ

山川日本史話題見てふと思い出したので書く

15年前くらいの高校普通科で1年次は世界史Bは全員履修で日本史B地理Bが選択科目だった

日本史好きだったし、当然のごとく日本史を選んだ

1年次にその選択をしたときは、2年次でも当然日本史を選ぶものだと思ってた

(2年次で、最終選択として世界史B日本史B地理Bからどれかひとつを選ぶというルールだった

でも歴史科目が2つあるのはめっちゃしんどかった

テストのたびにひーひーいってた

結局2年次は、迷わず世界史にした

なんでかというと日本史肥料名前まで覚えるってのが出てきてもう限界だと思ったか

肥料とかどーでもえーやろと

でもそのインパクトのおかげでいまだにその肥料名前覚えてる

草木灰

世界史は楽しかった

各国の様子を広くあさーくやる感じがちょうどよかった

漢字めっちゃ少ないから、カタカナで覚えたままテストで書けばよかった

うそうこの程度でいいんだよという感じ

でも教科書は国・地域ごとになってるから時代の横のリンクを考えるような問題は苦手だった

あと現代史は苦手だった

授業が受験モードに入るくらいのタイミングだったせいで授業自体がかなり飛ばし気味だったし

ややこしい漢字用語略語がたくさんでてくるようになったか

結局センター試験現代史ほとんどわからないまま臨んだ

でもその年はたまたま現代史がまったくでなかったおかげで、まさかの98点だった

(最終的にはその年の国語自分と相性悪くて点数低かったかトータルだとどっこいどっこいだった

世界史しかったなあ

スーパーセールにいそうな声の甲高い普通のおばちゃんって感じの先生だったんだけど、世界史雑学をたくさん知ってて、授業がめっちゃしかった

その言葉をならったときからずいぶんたった授業で「ずっと前のあれなんだったか答えて」ってあてられて、それを思い出せて答えられた自分がすごく誇らしくてうれしくて楽しかった

胡語・胡服の禁・・・今でも覚えてます先生

鎌倉戦国時代に燦然と輝く北条家は、日本史教科書では分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

日本史教科書いくら見ても本当のところは理解できないんですよ。

なぜ北条家が坂東武士の頂点に立ち、鎌倉幕府頼朝が作ったにも関わらず、北条がその後の支配権を握り続けたのか。そして戦国時代に「後北条家」が、北条家と特に関係がないのに成立し、関東盟主足り得たか源氏とは、北条とは何か。

北条は、坂東平氏の家柄である坂東平氏とは、桓武天皇の血を引く、関東にやってきた平氏総称であり、その五世である平将門新皇自称して、朝廷に対して関東支配権を主張して反乱を起こし、敗れた後に祟りを起こして神となったことで、関東に決定的な影響力を及ぼすようになった。

平将門は神である。そこを間違えてはいけない。平将門怨念とされるものは畏敬の対象として、現代人に対しても深く印象づけられているが、関東ではほぼすべての神社平将門を祀っていたほどに力があった。坂東武士たちにとっては、平将門は実際に神であり、朝廷反旗を翻し関東独立した政権を、坂東平氏が頂点となって打ち立てることは坂東武士の念願であった。平忠常というそのへんの平氏関東で反乱を起こしただけで一大ムーブメントになってしまうぐらい、平氏関東支配朝廷から独立するという夢は坂東武士の間に広がっていた。元記事に書かれている関東の有力豪族千葉氏上総氏は、平忠常の子孫とされている。

そこにやってきたのが源頼朝である源頼朝清和源氏事実上嫡流である清和源氏桓武平氏といった用語を知らない人のために説明すると、天皇家は偉いわけだが、子孫がいつまでも皇族だと皇族が際限なく増えてしまい、現代で言う宮内庁予算が際限なく増えてしまうので、どこかで平民になってもらわなければならない。平民になる時に、皇族には名字がないので、名字を与える必要がある。その時に、源、平の名字が与えられた。天皇の血を引くスゴイ人たち、という意味が源、平という姓には込められている。清和源氏清和天皇の子孫で源姓を名乗った人たち、桓武平氏桓武天皇の子孫で平姓を名乗った人たちである

たとえば足利も、徳川も、本姓は源である。源尊氏源家康が本名だ。なぜ足利とか徳川というかと言えば、源が増えすぎて区別必要が出てきたというのもあるが、源というスゴイ名字を出すのは気が引けたから、という要素が大きいように思う。本当の名字は避け、住んでる所を名字にする、といったことをして、木曽義仲とか、足利尊氏とか、あるいは自分でっち上げ徳川という名字を使った家康のような人もいる。これを説明するには、武士にとって本名いかに大切であったか述べなければならないが、面倒だ。武士の下の名前は諱(忌み名、呼んではいけない名前)とされていたということを考えれば、上の名前もそれなりに大事だということはわかると思う。(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)

平忠常の乱を平定しようとした、桓武平氏嫡流平直方は、乱の平定に失敗するが、清和源氏事実上嫡流である源頼義を婿に迎え、領地であった鎌倉を譲り渡す。この時、鎌倉坂東源氏拠点であると同時に、平氏源氏嫡流が交わった聖地という意味が生じた。そこから八幡太郎義家が生まれ源氏の声望が高まり、その嫡流である頼朝権威づけていく。

ここまでくれば、坂東平氏である北条家が頼朝を婿にとり鎌倉本拠地に据えた意味が分かるだろう。平家源氏が交わり、鎌倉拠点とするというのは故実に則った神聖儀式なのだ。ちなみに、北条家が坂東平氏の由緒正しい血筋だというのはおそらく自称であり、フィクションである。だが坂東武士は将門の祟りの方が怖いので、血筋の細かい所は気にしないのだ。

鎌倉に作られた幕府は初めから天皇を中心とする朝廷対立関係にあり、承久の乱勝利することで朝廷の上位に立ち、皇位継承操作するまでになった。それはなぜかといえば、平将門朝廷から独立志向していたかである平将門怨念が実際に実を結んだのが鎌倉幕府である頼朝の下で働いた北条梶原三浦和田千葉熊谷などは、みな坂東平氏である。そして役割を終えた源氏はどこかに消えて、坂東平氏北条家による支配が行われた。

そして戦国時代、後北条家の話になるが、後北条家は伊勢新九郎盛時、北条早雲によって立ち上げられる。伊勢氏室町幕府政所執事の家柄で、ものすごく偉い。ちなみに桓武平氏である

室町幕府というのは北条家に牛耳られた鎌倉幕府を倒して出来た政権である鎌倉幕府内の源氏で最高の血筋だった足利鎌倉幕府を倒し、北条家はほぼ滅亡してしまう。そして源氏である足利京都朝廷とベッタリの幕府を作った。平氏による独立志向関東幕府から180度の転換である

史実ではものすごく偉かった伊勢新九郎盛時であるが、実家室町幕府の偉い家柄で、関東を牛耳りに来たというのは、いかにも坂東武士には都合が悪い。仕方ないので、先祖を辿れば同じ坂東平氏という縁にあやかって、北条の名を名乗ることにした。ちなみに名乗ったのは息子の氏綱の代である。そこで、おそらく後北条家のプロパガンダによって、歴史改変が行われ、謎の素浪人北条早雲が、下克上嚆矢となり関東に覇を唱えたという、我々のよく知るストーリーが現れる。よく調べると、全てデタラメである

これにより、なぜ後北条家が秀吉と争い、滅亡への道を歩んだかも分かるだろう。秀吉関白天皇代理である天皇と対抗する存在である坂東武士にとって、秀吉に降ることは、平将門祟りを招きかねない決断であった。そのため、天下の趨勢が決しても、徳川伊達の援軍が得られなくても、単身で秀吉と抗い、滅びたのである。それだけ将門の祟りへの畏れや、坂東武士の誇り、天皇家という存在に対する対抗心が強かったのだ。

平将門武士の始まりであり、武士スピリット体現する存在である武士は武装し土地を守り、権力に抵抗する存在であると同時に、一族で争い、殺し合う存在である。その構図は徳川家康武士を飼いならすことでご破産になり、そこにあった本質は見えにくくなってしまっているが、武士を知りたければまず平将門を見て欲しい。

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

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