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はてなキーワード: 教科書とは

2021-05-18

anond:20210516225443

科学リテラシー」と呼ぶべきものがあるとしたら、その根幹は「何かを盲信しない」ということじゃないですかね。

ただ、これだけだといわゆる定説といわゆる疑似科学区別がつかないと思うので、

二次的なルールとして「仮説の信頼性はどれだけの検証に耐えたかによって生まれる」ということも強調されるべきだと思う。

 

とはいえ、そこそこの大学生でも、この程度のことも分かっていないけどね。

大抵の学生実験を仮説の確認くらいに思っていて、実験レポートを書かせたら教科書通りの結果にならないとやり直したりするし。

義務教育不要だと感じた

義務教育を受けて、世間的に良いと言われる(高偏差値の)大学に現役入学し、ストレート卒業をした上で、義務教育不要だと感じている。不要どころか場合によっては害悪ですらあると思う。

「良い学歴を手に入れること」「金を稼ぐこと」「良好な人間関係の構築」いずれの役にも立たなかった。

「良い学歴を手に入れること」に関しては、正直教科書配布と全国統一中間期末テスト実施質問があるとき質問できる環境の3点があれば事足りる。しか学校がなければ自分の進度で学習できるため圧倒的に良い。

中間期末テスト制度教科書配布は、一般的子供自分の力で「ある時期までに学習すべきこと」そのものを取捨選択するのは難しいという想像から必要であると感じている。

「金を稼ぐこと」に関しては、向き不向きが大きいことや、手段多様性があること、どうせ学校ではほとんど教えていないことなからほとんど役に立ってない。また勉強ができると勝手に知らない間に進路が狭まる。教師価値観押し付けてくるので害悪になる可能性さえある。

「良好な人間関係の構築」に関しては、大量のチー牛を見れば一目瞭然だ。比較的真面目に学校に行っていた彼らはコミュ障チー牛で、学校なんてろくにいかないDQNコミュ力の塊だ。あと同じ空間に閉じ込めておくのはいじめが発生する主原因のため寧ろ逆効果ともいえる。せめて教室という概念をなくすべき。

少なくとも私は義務教育をまともに受けたことを後悔している。

2021-05-17

anond:20210517183655

実際の論文理解してなくて、著名な科学者の間で意見割れているので判断を保留したということだよね?

意見割れてるとかではなく専門家の間でも検証中という話だから判断を保留している。保留しても何の実害もないしね。

「著名」ってとこを強調したいようだけどそれは特に関係ない。

追記: ごめん正確には単に論文の内容を理解できないから、判断保留。ってだけだわ。結局オープン議論に何年耐えたか、ってことでしか俺には判断できない。

https://anond.hatelabo.jp/20210516225443

科学リテラシーって要するに権威主義って認識であってる?

違うんじゃない?

知識はもしかしたら教科書レベルでもいいのかもしれん。教科書に乗っているってことはまあ、数十年レベルでの検証に耐えたんだろうということは論理的に推察できる。

インターネットのおかげで調査やすいけど、調査した結果の情報が正しいかどうかも判断するには知識論理的推論の能力必要になる。

https://anond.hatelabo.jp/20210517173113

じゃあ結局科学リテラシーってのはその個人限界を超えたら何の役にも立たんのだな

科学リテラシー個人限界を超えて無限に役に立つものではない。

しかしだから訳に立たないわけではない。

運転免許を取ったからって自動車を100台同時に走らせられないけど、運転免許はとても役に立つのは変わらない。

これも論理的思考能力があればわかる。

https://anond.hatelabo.jp/20210516225443

 これは科学検証可能性反証可能性についての議論ではない。

 「権威」という言葉に納得できないのであれば、われわれは、ある話題について、誰を、どの程度まで信じることができるか、という「実践感覚」を持って生活していると言い換えてもよいだろうか。

 われわれは義務教育教科書に書かれていることは概ね正しいと認識している。義務教育で教える内容はいわゆる「定説」として確立されたものであり、すでに複数専門家による批判検証を経て正統な保守本流知識としての共通認識が成立したものである理解しているためだ。初等教育過程で学ぶ知識の体系はほぼ権威による学びである。もちろん理科であれば実験をおこなうことによって、社会科であればフィールドワークを行うことによって、学んだことを経験によって確認する機会は設けられている。しかし学ぶ知識のすべてについてそのような検証を行うわけではない。教えられる知識検証可能であることを示し正当性担保するためと、検証する方法論を学ぶためである

 われわれは新聞TVというメディア情報が概ね信頼できることを知っている。しか100%信頼できないことも知っている。各メディアごとに信頼度は異なり、同じメディアの中でも話題や分野によって信頼度が異なるという感覚も持っている。BBCCNNのいうことは信頼できるがスプートニク大紀元トンデモだとか、岩波書店の出す書籍の内容は信頼できるが幻冬社の本は紙くずだとか、われわれはこのような無数の相場感覚実践感覚を日々の生活で養いつつ、またそれを以って触れる情報の真偽のグラデーション判断しているのだ。ここで見落とすべきでないのはそれら相場感覚実践感覚あくまでも「感覚」であって客観的基準ではないということである

 元増田への反論論文査読再現可能性、反証可能性を持ち出すのは筋違い議論である。それらは原理的な主張としては正しい。しかしわれわれは全ての情報についてそのような判断をしているわけではない。例えば「SARS-CoV-2は空気感染する」という言説を聞いた時、それを主張する論文に当たり、誰が書いたものか、査読は誰が行ったか、それぞれの研究者の業績等を調べて真偽度を判定するというのは「原理的には」可能であるしかしそのようなことをあらゆる情報について行うことは余程の暇人でなければやっていられない。多くの場合はその分野の権威とみなされる研究者論文信頼性があると判断した(あるいは信頼性がないと判断した)という事実をもって自身判断の参考にするだろう。すなわち権威による判断である

 初等教育で学ぶ知識の体系に照らして真偽を判断するということは可能であろう。しか初等教育で学ぶ知識の体系というのは権威による学びであったことを忘れるべきではない。その知識の体系全てについて実験などによる経験として検証したと主張できる人は少ないだろう。(あとで、検証することが原理的に可能であるとしても)我々はそのように<権威によって>「定説」として与えられたものをもとに真偽を判断し、その真偽の判断が他の人の言説にどのように現れるかを以ってその人に対する信頼度評価し、その信頼度においてその人の言説に現れた事象の真偽を評価するのである。そのような信頼と評価の積み重ねから真偽のグラデーション判断する実践感覚が生まれているのだということ、多くの生活の場においてその感覚依存しているのだということを忘れるべきではない。

anond:20210517182144

外国の、民主主義の国の教科書にも、日本と同じ内容が書いてあったら、それが本当に科学である可能性が高いのでは

anond:20210517093120

そうだとしても、もしもそのうちの一部を確かめて間違えを見つけたら、それを発表して受け入れ、全体の構造を変更することができる。

 

今まで何度もそれをしてきた。

お前が生きているだけでもどれくらい教科書が書き換わってきたことか。

 

一方、普通宗教普通権威主義2000年もの間なにも書き換わらない。

思い出した

国語教科書に載ってた「一つの花」って嫌いだったんだよな

おにぎりくれっつって泣いてんのに花で誤魔化されて泣き止む描写が大嫌いだった

泣き止むわけねーだろ食欲バカにしてんのか

 

作中のお父さんが花を渡さざるを得ない状況だったのはわかる

お父さんの愛で泣き止んで感動のお別れにしたかったのもわかる

でもその辺で摘んできた花ごときで泣き止むのが本当に嫌いだった

 

作者が「子供なんて空腹でも花で誤魔化されるくらいちょろい存在」って思ってるのが透けて見える気がした

いやそこは他の方法考えてよ作者

花じゃ空腹に打ち勝てないよ

こんなもんでええやろ的な手抜き感がして嫌なんだよな

 

子供なりに空気を読んだ、とかならわかるんだけど、それまでの文章主人公空気を読める描写が無いんだよね

それどころか「赤ちゃんから本能のままにちょうだいちょうだい言う」描写しかないんだよね

 

わず泣き止むほど花が超珍しい時代だった、とかでもいいんだけど、そこら辺からパッと摘んできた花なんだよね

 

あー嫌いー

 

でも当時それを伝える語彙力が無くて、普通に戦争はいけないと思いました的感想を書いてた

ちいちゃんかげおくりはそういう「こんなもんでええやろ感」は無かった気がする

あんまり覚えてないけど

2021-05-16

anond:20210516054724

着替え別部屋でも教科書忘れたから部屋の中入っていってたわ

教科書忘れたんだから仕方ない

anond:20210516003927

田中派言うたら

貧乏人のための政治

これにつきる。

池田勇人所得倍増

小泉竹中所得半減

なんでそんなんが未だおんねん。

歴史教科書の汚点やで。

雇用が守られない派遣法主流で、最低賃金上げたかて来月切られたら仕舞いやわ。失業保険保証されてないし。派遣やったら解雇予告手当も要らんしな。

何も分かっとらんがな。

大臣クラスでまともなん何人おるん?一体この国。

2021-05-15

もしかして今の政府って国語数学英語理科社会ぜんぶ出来ないのでは

という気がしている。大卒レベルではなく、中学教科書レベルができないんじゃないだろうか。

もしできるなら進研ゼミとかの模擬試験を受けてみてほしい。ベネッセとかお友達だろ?

国語ができない

質問されたことに答えないのはいものこと。そもそも質問意味がわからない。

官僚が答弁を作ってくれるので、読むことはできるが、何を書いているのか理解していない。

から日本語の受け答えができない。

追記) わざと論理破綻させて時間稼ぎして、のらりくらりして熱り醒めるのを待つのは知性が足りない。「何故問題か」が理解できないか論理的な反論ができず、やり過ごすしかない。

数学ができない

何も微分積分しろとは言わない。でも足し算引き算かけ算割り算ができない。

単位あたりという密度割合概念理解できないので、飲食店に一律の営業自粛時短営業要請してしまう。

密度概念があれば、店舗面積あたりの客の数は何人までといった指標要請すればいいのに、そんな発想に至らない。

英語ができない

不要不急でアメリカ行ってみたけど、挨拶すらまともにできない。

閣僚海外要人通約なしで意思疎通できるのって河野太郎くらいじゃないかな。進次郎もセクシー挨拶くらいはできるか。

理科ができない

科学的な考察判断ができない。

空間除菌とか言ってしまってる。

社会ができない

法の下の平等三権分立といった法学的な知識理解できない。

イスラエルで何が起きているのか知らないし、どうしてこうなったかという歴史も分からない。

何が言いたいかというと

客観的データ、追跡可能ファクト、それらから導かれるロジックというものがないから、恫喝お気持ち表明と言い逃れ言葉遊びしか語れない。

学校のお勉強って大事だね!

anond:20210515085652

まずロシアみたく教科書がタダになることからまらないとだめだろうね。

ちゃんと覚えれば済む話だから

覚えたら「聴きたい」「観たい」ってのにつながるから

誰でもそうだし、どこの世界でも似たようなものです。

2021-05-14

anond:20210514141049

そりゃ隣の国の教科書まで細かくチェックしちゃう人たちより

勉強嫌いだから日本語下手かもね

2021-05-13

生活すること

生きることの大変さって人によって全然カラーが違うと思う、健康面、経済面自尊心愛情などなど、いろんな大変さがあるだろう。

自分の大変さは、生活することの大変さが大きい、大きすぎる。

一定時間に寝て起きて決まったとおり暮らすというのがまず苦痛。それと同じで、物を定位置に戻すのもできないし、同じ教室の同じ席に座り続けるのも、90分黒板や教科書を見てるのも、決められた敷地内で半日以上何年も過ごすのも、ごわごわの制服を着てるのも苦痛だった。ゴミを決まった日に出すのも無理。料理なんて無理すぎるし、すぐ包丁落とすし、冷蔵庫のものを腐らせないのも無理。でもこれらの一つ一つ、本人的にはめちゃくちゃ努力している。ルーティンを紙に何回も書き出して頭に叩き込んだり、効率の良いやり方とか動線を考えたりすることに莫大な時間を使った。家事の本とか数十冊読んでノウハウ理解した。冷蔵庫内の配置とかね。でもできない。結局ぐちゃぐちゃになる。訳がわからない。とにかく、気づけばぐちゃぐちゃになっている。それが自然の理だ。人並みになんかできないんだ。人が3秒で叩き込めるルーティンを3年かかっても叩き込めない。家に帰ってから先に風呂なのか飯なのかみたいなところからルーティンにできない。飯を食いたいときしか食えないし風呂に入りたくないときは入れないんだよ。

同じことを決めたとおり続けるのが自分にとっては不自然で、そのときそのとき、目に入ったものに気を取られてしまう。雲が綺麗なら雲に見惚れてしまう。

思えば学生の頃は良かった。サボりたいときはサボって、ぎりぎりで集中的に単位を取り、浪費したりバイトで稼いだり、時には外で遊び時には引きこもったりしていた。アパートは薄暗く宇宙みたいにぐちゃぐちゃで床が見えなかったけど心地よかった。計画的なことは全くできないけど、計画するのは好きで、そのとき頭に浮かんだことを集中して形にしたり、一気に文章にしたり、「気が向いたときに過集中して一気にやる」というやり方ならできることは多い、受験とかもそれで乗り切ってきた。まともな人間になろうという欲と引き換えに何かが変になっちゃったんだ。

無理して、人の真似をして、普通っぽい顔をして普通暮らしをして表面的には適応してるけどいわゆる注意欠陥多動傾向があると思う。仕事をまともにこなすために私生活全然ダメでくたくた、家に帰ったらのびてる。自分に言わせればこれが当たり前だよ。どうしてみんな分刻みに間違えられない管理状態の「まとも」な生活を平気な顔してできるんだろうか。はあ。

リファレンスの取捨選択

リファレンスリストは「論文の完成度が一発で分かる」らしいので細心の注意を払う。

リファレンスの著者に査読が行く場合がある。

・故に、全く論文を読んでいないのに引用する行為自殺行為

大原則は「論文を読むのに「必要十分」な物」。「勉強したことを示す場」ではない。プチレビューをイントロで書いている論文を時々(頻繁に?)見かけるが、推奨しない。例えば光学特性について議論しない論文において、「この物質バンドギャップはx eVである。」という文章はたいてい、不要論文は短ければ短いほど良い。引用文献も同じ。

・とは言っても参考文献もページ数も短いと、怒る人が多いのも事実。某雑誌など投稿規定に「典型的引用文献数は20程度」と指示がある。次のように論文最初の辺りのジェネラルイントロ付近引用で調整する。本当に重要引用20を超える事はほとんどない。(多い場合は、通常、優秀なレビュー教科書出版されているので。)

ジェネラルイントロの先行研究を紹介する箇所は、通常は「多すぎて全て書けない」ので、(1)「レビューand/or教科書」(2)「先駆的な研究」(3)「最近研究特に重要な物」(4)「自分たち論文」(5)「査読に行って欲しい人の論文(投稿時に好ましい査読者、好ましくない査読リストを出すことが出来る。)」そして大きく優先順位が下がって(6)「投稿雑誌(特に最近の)の物)」

(6)は正直、馬鹿らしい話ではあるが、「この論文は貴誌にふさわしい(からエディタキックしないでね。)」というアピールが出来る。

「女から教育を奪えば少子化改善される」という言説は間違っている

正しくは「女は少子化改善するための教育を受けていない」である

有権者投票者数はともに女性の方が多く、この国の政治女性によって方針を決められていることに言及した教科書存在しない。

・「女性加害者男性被害者」となっているセクハラ事例が、加害⇔被害性別が逆の例と同じかそれ以上の頻度で登場する教科書存在しない。

男性保育士問題など男性差別について述べられ、かつその加害者女性であるパターンを取り扱った教科書存在しない。

男女平等格差対策少子化対策トリレンマ(https://crossacross.org/ky/Tradeoffs+among+gender+equality+and+birth+rate) のような理論を紹介する教科書存在しない。

恋愛において男性に片務的に課せられている現実的ノルマ男性性の強要(根強く残るエスコート、奢り問題、男女の利用料格差など)を具体的に紹介し、モラルをもって否定している教科書存在しない。

・女>男の賃金下降婚肯定的に紹介したり、強者になった女性社会的責務を強調し、女性それ自身意識変革を促す教科書存在しない。

かように、社会問題における女性責任を問う言説は、教育シーンにおいて一切紹介されず、普通に義務教育を受け終わった女の意識は「社会男性が牛耳っている」「女性は常に弱者被害者」という歪んだ認知で固定される。

すなわち、そもそも奪うべき教育存在しない。教育を受けていないのだから男女平等的な意識が女の中に根付く訳が無い。

やることは、

性別のみを理由とした賃金格差を設けている企業2021年現在では1社も存在しない」

であるとか

女性参政権を得てすでに長く、十分に社会意思決定参与しており、諸問題に対して主体的に行動し解決する責務を持つ」

「現状のままの女性自由意志尊重することで必然的に生まれ淘汰圧男女平等思想は致命的に相性が悪く両立不可能

男女平等世界ではセクハラなどのハラスメント女性加害者になることもあり、努々意識すべきである

などといった、女の意識アップデートさせる教育であり、こういった内容を教科書記載し、義務教育に組み込むべきである

https://anond.hatelabo.jp/20210512203001

オリンピックってAKBより有名?総理大臣とどっちがえらい?

あのオリンピックって全力でありさえすれば良い

というのはあるが

これ

全力でなければ許されない、国際であり世界である

というのをなめてる馬鹿がいて、前回の東京オリンピックとかと同じで歴史教科書に100%載るイベントなんだ

というのをなめている馬鹿がいるんだが

オリンピック歴史教科書にのレベルって なめてる馬鹿をどうしたらいいんだろうな

2021-05-12

anond:20210511165700

そんなシステム私立に通ってたよ。

HR、体育、美術あたりはクラスでやってたので普通にいじめっぽいことは行われてました。

女子からまぁ無視くらいだけど。

私は英語が壊滅的で一番下のクラスに落ちたら教科書レベル低いやつに代わって、授業は推薦運動部ばっかりで動物園だったので死ぬ気で這い上がった。

得意教科はトップクラスだったのでレベル高い授業で楽しかたかな。

陰キャからか他クラス友達はびっくりするほどできなかった。

anond:20210511165700

ただの生贄じゃん。最初学力検査の時点で低ランク教室に分けられてその子大人しい性格だった場合そこからずっと抜け出せない。

一度いじめが行われると生徒は教科書を破損されたり服をボロボロにされたり、身体的な暴力勉強もできないし

そういうクラスは授業中も生徒がおサルさん状態でまともに教師の声も届かないことがほとんど、最悪の場合だと授業中もずっと子供でいたずらしまくってる状態が発生する

学力を上げて抜け出そうにも、まともな授業が受けられないから落ちる一方で永遠にいじめクラスから抜け出せなくなる

塾に通えばいいって言うけど、ちゃん学校の授業も受けてその後数時間塾で勉強する生徒と、学校の授業は受けられなくて塾でしか勉強できない生徒、学力で追いつけるわけがない

2021-05-11

なぜクソみたいな体育指導が無くならないのか?

答え:感覚でやってみたらそれなりに出来た人間が体育指導をやっているか

まり自分のやっていることを正確に言語化出来てないから、言葉として伝えなければならない指導ができない。

例えばだけど「どうやったらクリボーを正確に踏めるんですか?」とゲーム慣れしている人が聞かれたとして、自分がどうやってクリボーを踏んでいるのか言語化できる人は少ないはず。

それと同じように、どうやったら野球ボールを捕球できるんですかと聞かれても、言語化することがうまく出来ない。

そうなったとき、人が頼るのは「昔から何となく言われている通説」みたいな指導になってしまう。

ボールを良く見て捕る」「クリボー位置をよく見てジャンプする」

実際はボールを良く見たり、クリボーをよく見たところで、できない人間ができるようになることはない。あれはタイミングの逆算と人体の連動なので、ただ見るだけではまったくもって意味はない。

それどころか見ることにリソースが集中するので、動きがよりぎこちなくなり下手になってしまう。体育の授業で「ボールを良く見ろ!」と怒声に近い声を浴びせられて、よりひどい動きになってしまうあれ。

さらに言えばボールを良く見て捕るのは悪手で、野球しろサッカーしろバスケットしろ球技全般は他プレイヤーの動きを把握する必要があるので、良く見ないで捕ることが最終目的地点なのに、良く見るという悪癖がついてさらプレー全般が下手になっていく。マリオも同じ話でクリボーをよく見て踏んづけたところで、周りの状況が見えてなかったら他の敵に被弾して終わり。

運動ができるやつ、ゲームができるやつ。そういう人たちは感覚的にこれらのことが出来ている場合が多く、感覚的に出来たことは誰かに教える場面になるとか、真剣自分の実力を磨かないと上に行けないと思ったときでなければ、言語化しようという機会がない。

から、いざ教える側に立ったとき、とりあえず先人たちが行っていたクソ指導をすることになる。

このクソ指導採用の強いところは、責任をあまり負う必要がないということ。

自分経験最先端指導方法ベースしたことで誰かを指導したとき、失敗したならその責任はすべて自分に降り掛かってくることになるけれど、通説を採用したのであれば責任自分だけでなくその通説自体にも分散する。

から教育という責任のある立場についた人間は、不安や保身から通説を採用する。それに効果が本当にあるのかわからなくても、とりあえず野球選手に走り込みをさせて、本当に必要筋肉量を減らすという暴挙に出る。

Youtubeを通じてメジャーリーガー教育動画作成したり、プロゲーマーが勝つための方法言語化してくれたり、情報高速道路は日々進化しているけれど、今指導者の立場にいる体育分野の人間は、まだまだ機械に弱いし新しいことに対しての抵抗感も持っている。

これから自動的小学校に行って、中学校に行って、高校に行って…。大学で古臭い教科書から学んだ体育理論ベース指導する体育教師に、これまた古臭い体育の授業を受けさせられて、運動嫌いの生活習慣病患者予備軍が生産されると思うととても物悲しいものがある。

リングフィットアドベンチャーが示したけど、運動は楽しく提供されれば楽しいし、クソみたいなやり方をさせられたら反吐が出るほどつまらない。その上指導者や運動への憎悪すら抱くことになる。

とりあえず声を張り上げて5文字ぐらいのワードを叫んで指導した気になってるやつらが明日から川崎宗則みたいに合理的かつ楽しい指導方法採用できるような脳みそになってくれないかなと思う。

2021-05-10

今でも時折、高校時代悪夢を見る

夢の中で俺は高校生になっている。

ただし俺は高校生なので高校生であることは不思議なことではない、と思ったり思わなかったりする。

大抵自宅からスタートで、とりあえず学校に行かなければならないという強迫観念がある。

時計を見れば明らかに遅刻

家に家族はいない。

部屋にカバンはない。教科書時間割も何もない。

それでも高校には行かなければならない。

つのまにか着替えた学ランで、自転車に乗って、登校する。

街にはだれもいない。信号はすべて青だ。

あっという間に到着。

だがそこから問題だ。

当然自分クラスもわからない。

廊下適当に歩き回る。休み時間なのか楽し気な生徒らとすれ違う。

俺は楽しくない。俺の教室はどこだ。

からないので適当教室侵入する。

知り合いは一人もいないが気にしてはいられない。

「なんだこいつ?」と言いたげな顔、顔、顔は、しかしすぐに談笑に戻る。

俺はビクビクしながら自分の席を探すがそんなものは当然ない。

すでに授業が始まっている。俺は空いている席に勝手に座る。

英語先生のようだ。席順に指名された生徒が、すらすらと答えていく。

何を答えているのか俺にはわからない。

俺は教科書も筆記用語ノートも何も持っていない。

どうすればいいのかわからない。

今答えているのはどこの席のやつだ、俺に順番は回ってくるのか、考えるのはそればかり。

ついに俺の番だ。

何も答えられない。

立たされる。

世界が暗転する。

気づくとだれもいない。

すぐ人がいなくなるな。

なぜ俺は一人なんだ。

そうだ、体育だ。今は体育の時間だ。

体操着など持っていない。学ランのまま校庭に急ぐ。

下駄箱はどこだ。

来た時に履いていたはずの靴はどこにいった。

仕方ないので上履きで外に出る。

ラグビーをやっているようだ。

でもどこのチームに入ればいい?

呆然と立ち尽くす。

時は俺を無視して進む。

2021-05-09

専門書は読書のうちにはいるか?

例えばJAVA入門、みたいなプログラミングの本を読んだとする。

これって読書になるのか?趣味読書ですってのじゃなくて、

必要に駆られて読む本は読書じゃなく調べものってイメージなんだが。

もっと簡単にいうと学校教科書を読むのは読書っていうの?

    昭和58年に生まれたが、親がクソだった。保育所のいくころから保育所の色々なプログラムに参加しないとして特異にみられていた。平成2年から小学校に入るが

  母親借金をして家におらず、父親はDVだった。漢字の書き取りや算数はやっていたが、体育をしていなかった。母親出稼ぎにいっていて家におらず祖母が育てていた。

   平成6年に田舎小学校に転校になるが、算数理科水泳行事などの参加を拒み、作文などはよくできた。平成8年に中学校に入りサッカー部に入るが、

 サッカー自体にはついていけずランニングをすることで痩せた。平成10年の中3から突然勉強すると言って教科書をひっぱり出して勉強するようになり中学を成績上位で

  卒業した。平成11年に地区高校に入ったが体育以外は成績上位で、平成12年にはZ会なども受けていた。しかし、平成13年の現役受験時に、こんな高校では東大など

  いけないと担任などにこぼすようになり、現役不合格平成14年に福岡予備校に入って自主勉強し、平成15年に東大文Ⅰ合格した。大学内ではよく勉強していたほか

    サークルにも入っていたが法律はつまらないというようになり平成17年に旧司法試験を受けたが受からなかった。法学部では分かったような分からないような勉強

  していたが、平成18年からインターネットが混乱してから頭がおかしくなった。平成19年9月に法学部卒業したが意識朦朧した状態だった。平成20年11月に様々な

   社会事件インターネットが混乱していたときHP脅迫をして捕まった。釈放後は田舎に帰ってインターネットの様々なサイトを見て遊んでいたがその最中

  2ちゃんねるに書いたことで警察業務妨害して逮捕平成24年10月18日に違法実刑判決下り平成25年6月11日から26年4月24日まで黒羽刑務所で働いた。

   出てきてからは一日に4時間くらい走るなどのアスペルガー行動が目立ち、生活保護を受けている。

ある氷河期世代の妄言

いつも自分に何かが足りないような気がしている。

高校入試ときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。

大学に入ってからも、トップ学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。

その一方で、努力をしてこなかった。

頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。

高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。

図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。

計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。

実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。

何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。

社会人になってからも同じだ。

学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。

もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。

医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。

ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。

成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。

とはいえ成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。

自分社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまりまれ職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。

だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。

自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。

仕事を見つけるにしても、自分就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかいからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験お断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。

フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。

それなのにいつも夢を見てしまう。

実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスからこれは違うのか。

それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまたことだ。

いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。

自分人生はこんなもんだと、得られたもの感謝して生きることができない。

今とは違う景色がどこかにあるんじゃないか

そういえば、あの坂を登ればって国語教科書で読んだな。

あれはこんな感じなんだろうか。

あの話がミッドライクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。

研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。

なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。

頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分

そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。

後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。

どうすりゃいいんだ。

こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかいか

もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。

なんなんだ自分

本当に馬鹿だな。

こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのとき一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。

どうして自分ことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。

これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。

人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。

どうだろうな。

何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。

だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。

今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場幸せに働けるって思っていたいんだ。

適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。

どこかに自分理想職場があって、理想仕事がある。自分天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。

仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそ理想仕事なんてないんだから仕事仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。

でも、なんで自分人生時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分自分を不幸にしている。

頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。

いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。

2021-05-08

貞操逆転世界フェミニズム入門とか言ってる腐れマンコがイたけど

マジで本当に全くわかってなかったんだな

主人公市川は、貞操逆転後の世界基本的に馴染めず、良いとは全く思ってないんだよ

ただ戸惑いながらも順応しようとしてでもダメだー!というのが面白キモなわけで

2巻のアオリなんて「女としての自分価値がどんどん暴落していく」という表現があるわけで、

要は女の性的魅力は貞操観念に依存してて、そして自分の女としてのアイデンティティ貞操観念に支えられた妄想産物依拠している部分が多分にあるのでは、というのが主題なんだよね。

少なくともフェミマンコどもが言いたくてうずうずしている「男の抑圧がない!『サイコー!!』」ではまったくないということ。

たまに男の性的視線を逆転させるとどれほど滑稽かってのがあって、フェミマンコはそこにだけフォーカスしたがるけれど、

まあマンコでものを考える女の浅はかに見方、ってことなんだろうなー。

女のマンコにどれだけ価値が置かれているのかってことを客観視させるための道具立てなんだよこの漫画は。

もともとエロ本でズリネタに利用されていたのだが、

そのズリネタあくま男目線

男のチンポに価値のある世界だったらウヒョー!!となる。

男目線ならズリネタになる。

これは女目線

女目線だと、貞操観念が逆転しても、女はウヒョーにはならないよねということ。

ってことは、今の世界がウヒョーなんじゃね?って反問が想定されるわけで。

まあもちろん漫画からね、女の実社会の不利な要素なんて排除してるただの娯楽なわけだから

女=即ウヒョーなわけねーだろってのは百も承知

だが、そんな単純で表層的で一面的な娯楽に過ぎないこの漫画フェミ教科書とか言っちゃうバカマンコって、

どれだけ単純で表層的で一面的なモノの見方しかしてないんだろ、って話になるわけなんだよねー。

そもそもフェミ価値観によって貞操逆転世界を作っても、

娯楽にも社会作品にもならないだろうな。

単純で表層的で一面的しかいから、物語面白みや厚みを加えることなんて絶対できないもの

ま、…そういう意味じゃ、単純で表層的で一面的価値観一本槍で、よくぞここまで権力拡張できたなってところだと思う。

進化袋小路にハマった文化には、ある意味ここまで粗雑でも利用価値が見いだされるということなのかもしれないね

義務教育が成長しなさすぎててワロタ

今年中学になった子がいるが

・このデジタル時代にもかかわらず、相変わらずの教科書利権すごいな。「子どもには重い教科書を背負わせて成長曲線を緩やかに!かつ苦痛を味わせるべし!」みたいな二宮金次郎崇拝でもあるのかと思うレベル

宿題無理やりやらせてると本当に勉強嫌いになる可能性見えてます?(あっ、そもそも奴隷勉強きじゃなくてもいいのか)そしてスクールGIGA構想で一体何がしたいんすか?SDGs掲げてるんだったらもうちょっと多様的用途あるでしょ?(そうか格好だけでやってんのか〜現場大変だしね〜)

・「連帯責任」という大義名分を掲げ、同調圧力を煽るなよ

・人様の子どもに主観的評価を下す内申制度、まだあるんですね?笑っちゃいます

ここまで書いても腹立たしいけど、文科省経産省仲良くやってるくせにこれは酷いわ。イーター計画ムーンショットなんかぶっ飛んだ構想掲げているくせにこれはあんまりじゃないの。相変わらずの「奴隷教育

考えるな!従え!!

そしてよき駒であれ!!

(我が子には、無理だとおもったら直ちに抜けろと伝えてある)

追記

予想通りゆだぼんアンチ沸いててワロタ

もっと真面目に言うと、支配構図が変わらない限り日本公教育はまず良くはならない。これが分からないなら話にならない。おそらく大多数はこの話の意味すら分からんだろう。可能なら親(自分)がかけられるだけの金を子ども投資するもよし、(但し将来見返りがなくても子どもを責めるなよ)支配構図の影響が出来るだけ及ばない生き方模索するもよし。ちゃん自分の頭で考えましょう。

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