はてなキーワード: 祈りとは
この国に不可欠な施設なら、なんでキチンと金かけて環境整備しないんだろう?
せっかく、電力逼迫とかで「電力で不自由するのは困る」って意識が沢山の人に植え付けられたのに、
どうせ今後一世紀ぐらいは総人口が減り続けて海岸平野部に土地が余りだすから、避難計画なんか必要ない原発はいくらでも建てられるのに。
原発村には寿命間際の老人しかいないのかってぐらい近視眼的な自滅策ばっかり選択するんだよな。
まぁ、原発の周りに住んでる人達はご愁傷様だけど、事故が起こらないことを祈りながら生きていって欲しい。
案外、ご愁傷様でもないのかな?
経済的な拠り所になってる原発が停止したままだといつ廃止になるか分からんから不安なのかな?
なくなったらそれこそ致命傷だから、どんなボロ施設でも無理矢理にでも稼働して欲しいのかな?
だとしたら既に地獄だ。
さらにそんな無駄撃ちする余裕はない。戦争のイロハも知らない。
たられば
@tarareba722
「ウクライナ全土がミサイル攻撃を受けていると言っている人がいるが、呑気にマクドナルドを食べている画像があるぞ」というツイートを見て、太宰治が(太宰作品の中でもひときわ明るく読みやすく皮肉の効いた)『お伽草子』を書いたのが、ひどい空襲を受けていた真っ最中だった話を思い出している。
·https://twitter.com/tarareba722/status/1663354372926099456?s=20
347.1万
件
@tarareba722
·
『お伽草子』の執筆は1945年3月〜7月で、太宰は東京〜甲府で米軍機による空襲を受け家を焼け出されており、作品の一部は防空壕で書かれたとされています。人間は戦時下でも普段通りに過ごせるものだし、戦時だからこそ普段通り過ごしたいと思うもので、時にその行為は平和への願いや祈りに繋がります。
silentflame
@silentflame_
https://insiderpaper.com/russia-issues-arrest-warrant-for-lindsey-graham/
動き回ってたうちの お一人よね
これはね、僕もずっと疑問に思ってたんですよ。
ハンバーガーはあるのに、ホットドッグはない。どうしてだろうと。
そこでね、僕は色々調べてみたんですよ。
そしたらね、なんと驚くことに、ホットドッグは一度だけメニューにあったんですよ。
一度だけ。しかもね、それは2009年の夏限定のキャンペーン商品だったんですよ。夏限定。キャンペーン商品。
つまりね、日本マクドナルドはホットドッグをレギュラー化する気が全くないということなんですよ。
全くない。どうしてかというとね、僕は思うんですけどね、日本人はホットドッグに対して抵抗感があるんじゃないかと。抵抗感がある。
なんでかというとね、僕は思うんですけどね、ホットドッグっていうのはね、パンにソーセージを挟むだけじゃないんですよ。
パンにソーセージを挟むだけなら簡単なんですよ。でもね、ホットドッグっていうのはね、パンにソーセージを挟むだけじゃなくて、その上に色々トッピングするんですよ。色々トッピングする。
例えばね、マスタードとかケチャップとかレリッシュとかチリビーンズとかチーズとかオニオンとかピクルスとかサワークラウトとかコールスローとかバーベキューソースとかメイプルシロップとかチョコレートソースとかアイスクリームとか……
そうなんですよ。これがね、アメリカでは普通に食べられてるんですよ。普通に食べられてる。信じられますか?信じられませんよね。
でもね、これがね、アメリカでは美味しいと言われてるんですよ。美味しいと言われてる。どういう味覚なんでしょうね。どういう味覚なんでしょう。
僕は思うんですけどね、これはね、日本人には受け入れられないものなんじゃないかと。受け入れられないもの。
だからね、日本マクドナルドはホットドッグをレギュラー化しないし、日本でホットドッグ屋が普及しないんじゃないかと。そう思うんですよ。
僕はね、正直言ってね、一度も食べたことがありませんよ。食べたことがありません。食べたくもありませんよ。食べたくもありません。
でもね、もしかしたらね、これがね、すごく美味しいものなのかもしれませんよ。すごく美味しいもの。
だからね、僕は勇気を出してみようと思いますよ。勇気を出してみよう。
今度アメリカに行ったらね、ホットドッグを食べてみますよ。ホットドッグを食べてみます。
それはね、そのホットドッグを食べる前に、僕は必死に祈りますよ。必死に祈ります。
このホットドッグを食べた後に……
僕が死なないで済みますように……
最近ようやく結婚というのを諦めるというか意識しないようになってきた
それは年齢がというのもあるけど、諦めて女遊びを始めた結果、「結婚は普通するもの」という思考ロックが外れたのかもしれない
あるいは酸っぱい葡萄になっているのかもしれないが
恋愛は気持ち悪くないんだ、子作りも素晴らしいものだと思う、それらは今でも是非したい
恋愛も子育ても基本的には夫婦間に閉じていて、あるいは一族の間で閉じている問題なはずなのに
たぶんそこが一番気持ち悪い
要はプロトコルだ
それがないと揉めるだろうし、社会ー一族ー夫婦ー子というものを結びつけるのに必要な設計だったと分かる
それは社会・一族・パートナーに対する宣誓であり、それをしているから一人前に認められるというのも分かる
翻って現代を考えると、個々人はうまく社会と結びつけは作られているし、一族というのはもう希薄だ
じゃあ結婚って何なんだ?
若者の言う「結婚したい」というのはあくまで「好きなパートナーと共同生活したい」であって、結婚制度のことは言ってないだろう
昔と意味合いがぜんぜん違う
こんなこと言うのは私だけではなく
https://honkawa2.sakura.ne.jp/1520.html
よく見ると、日本、韓国、あとイタリアとか、少子化で有名な国ほどちゃんと真面目に結婚していることがわかる(ちゃんと調べたわけじゃないけど)
(※追記:婚外子率と合計特殊出生率をプロットしてみた、まぁまぁの相関? https://i.ibb.co/fF7shLM/2023-05-26-21-13-28.png)
まあそれは今はいいけど
_____
「フランスは婚外子の社会保障が厚い」みたいなブコメあるだけど
同じ認識で
日本も個人メインの制度設計に変化させるべきじゃない?、って書きたかった
フランスほどとは言わないけどさ
鶏が先か卵が先かなんだけど、おかげで結婚制度に縛られてしまってる
何か問題があったときに「会社がどうにかしろ」か「家族がどうにかしろ」で、責任丸投げにするやつ
年取るとこういうのに一回は直面すると思うんだけど、その度に意味わからん・キモいってなる
現代人がそれだけ個人主義になってるのに、制度や責任の所在が追いついてない格好なんだと思う
こういうの10年以上前からこれは認識していて、その時は単に日本が遅れているからだと思ってたんだけど
一向に変わる様子がないし、韓国も似た所あるから民族性・宗教性なところがあるんだろうか?と疑っている
自分が独身で経営者だから余計に強く感じるのかもしれないけど、徐々にそのズレは大きくなっているはず
あと、離婚する時の係争とか見ると「結婚って一体なんなんだ??」ってなるからオススメしたい
百歩譲って、結婚を自然現象のような「そういうもの」と捉えても良いんだけど、じゃあ何で子供作る前に必ず結婚するの?ってところが気味悪いと感じる
まるでそれはイスラム教徒が「そりゃ毎日お祈りするだろ」って言ってるような感じで
ただ20代後半ではそんな発想に至らないよね、捻くれ者の自分ですらそんな考えなかったし知らなかった
「なんか良いもの」「なんか皆が祝福してくれるもの」「皆が喜ぶ」「ハッピーエンド」
そういうイメージだったから、制度や社会的位置づけなんて考えなかった
わかるかな、一度そういうのって疑いはじめると「怖い、気持ち悪い」が出るんだよ
ゲシュタルト崩壊に近い
ただ数人と名前のついていない関係を築いているだけ、ここ2年ちょい
まあそういうところだよね
_____
もうちょい考えてみたけど
結婚って「愛し合ってない男女における一族同士の契約」と見ると非常にしっくり来ると気づいた
今の「愛し合った男女における個人間の契約」としての結婚ってソレ要る??と思ってしまう
もちろん細かいメリットはあるんだろうけど、二人に閉じてみればやはりエンゲージリング程度のものだと思う
夫婦別姓なんかも、そもそも嫌なら結婚しなくてよくね?くらいに思えてしまう
何なら「子供は結婚してから作るもので、じゃないと社会的な信用が落ちる」みたいな風潮は少子化に加担してないか
だから色々考えると「結婚の仕組みって今何かの役に立ってるの?」ってなって「気持ち悪い風習・制度」という見え方になってしまう
結婚は良いぞ、みたいな記事なんかも、それって恋人でもできるくない?って思えるし
まるで結婚したら何か二人の関係が変わるかのような幻想が未だに強く根付いてしまってることに危惧する(昔はあったんだろうけど)
ああそうか、ここ5年くらいで自分が
シングルマザー、シングルファザー、奥さん3人目で子供7人居るイケメン爺さん(子供同士は仲良い)
みたいな人と知り合ったからこういう考え出てきたのもありそう
家族構成と幸不幸は相関してないように見えたから、結婚=ハッピーエンドの幻想が消えたのかも
色々考えるためには日本は多様性に乏しいんだよなあ、100人の知り合いが100人とも同じこと言ってたらそれを否定するのって難しいし勇気がいる
そうして人生が腐り果てた結果に対して「過去の自分から懺悔を聞かされる」人生がどこまでも続いていく。
本当に辛い……。
俺はどこで間違えたんだろう……。
割りと聞き分けのいい子供だったので「残さず食べて大きくなろう」と親がいうものだからどんなに味覚に合わないものでも必死に食べていた。
好きじゃなかったはずのニンジンやピーマンがいつの間にか私の好物であることにされ、親戚の集まりに行くと従姉妹連中が私の皿にニンジンを次々に投げ込んできて、私はそれを黙々と食べ続けていた。
そんな人生がずっと続いていた。
でも心の中では本当に辛かったから、即物的な快楽に身を委ねることが多かった。
将来のために頑張って受験勉強をして、とにかく今すぐ気持ちよくなりたいからゲームやオナニーをしまくった。
スポーツや趣味と言える思い出はなくただただ学生時代は勉強してオナニーしてゲームしていただけだった。
でも勉強は苦手だったんだよな。
自分事として勉強に向かってないから、全く興味が湧かなくていつだってただただ苦しいだけで全然頭に入らなかった。
二流の中学に入って、エスカレーターして、そのあとは3流の大学に入り、3流の人間なりに「将来」を考えて公務員に就職することを選び、今は毎日後悔している。
過去の自分なりに頑張って積み上げたはずの「未来」の姿は、ただただ辛い辛いと毎日言いながら意味を感じられない仕事をするだけの人生だった。
今を考えることを無視しすぎた。
「未来の自分」はいつか「今の自分」になるし、「今の自分」が「過去の自分」になったとき過去を変えることはもう出来ない。
未来のためにすり潰される苦痛の中でそれを紛らわすための痛み止めのような行為ばかりをして過ごした過去が無数に積み上がっていく。
今もただただ辛い……安定しているだけの仕事だけど、その安定は「苦行のような人生」が安定して続くことしか居意味してねえ。
何も見えねえ。
俺の人生は完全に失敗した。
「今を生きた結果として、素晴らしい過去と、それなりの未来が手に入った」という形に人生をどうにか作り込めなきゃ行けなかったんだ。
頑張ってニンジンを食べ続けた結果、好きなんかじゃないと今更言う事も出来ずに親戚中からディスポーザーにされていた幼少期がそのまま自分の人生の延長線なんだ。
しんどすぎる……なんでこんな人生になったんだろう……。
今からどうやって軌道修正すれば良いのか全く思いつかない……。
自分が何をしたいのかもよくわからないし、それほど辛くもなく出来ることで金を稼げそうなものはない。
ダラダラゲームをしてダラダラとネットで駄弁るぐらいしか出来ねえ。
程度の低い人間は程度の低い人間としかコミュニケーションの機会を得られないっていう階級固定のシステムがだいぶインターネットでも強くなってきた。
そしてそのことにはもう辟易している。
若さから来る勢いと柔軟さを失って、下ネタとパワハラの押収に頼ることしかできなくなった人間とのコミュニケーションはもうしたくない。
職場で無理やりつきあわされるのだけでもう十分だ。
インターネットに疲れたと言ってる人の気持ちがやっと分かってきた。
「ウェーイ!肩パンウェーイ!」「ちょwww今季の深夜アニメがマジシコwwww」みたいなコミュニケーションを50年も100年も続けられるのはある種の天才なんだよ。
多分大抵の人は人生において下劣さとか高潔さとか清純とか外道とか善良とかそういう属性を貫いて生きることさえ出来ないんだろうな。
同じキャラを続ける才能がないんだ。
多分俺の悩みも、30年続けてきた「将来の自分のために」を旗印として粛々と過ごしながら溜まったストレスはシコシコして吐き出す生き方にいい加減飽きたんだ。
恐ろしいな……公務員何て「ダラダラと同じ生き方を続ける権利が得られること」だけがメリットみたいな仕事を選んじまってこんなことになるとは。
でも今更辞めるのは怖いんだよ。
俺は要領が悪いからさ、たった10年そこらでももうショーシャンクの爺さんみたいになっちまったんだ。
外は怖いんだ。
自分が本当は人の役には立てないのを認めたくねえ。
業務処理能力として身につけたと言い張ってるものが単にくだらん身内ルールに対しての慣れでしかないことを直視したくねえ。
でもこんなことをあと30年も続けるなんて気が狂っちまいそうだ。
つい1時間前に帰ってきたような生活をもうずっと続けてるんだ。
疲れたよ……せめて時間が欲しい……仕事をしている時間が安らぎもなく楽しみもないならせめてそれ以外の時間を作るための時間をくれ……。
俺は本当に人生を間違えたと思う。
今なあらハッキリ分かる。
安直な道を進んだ俺の罪だ。
罰が重すぎること以外は納得している。
人がひねり出した💩の大きさのギネス記録はあるのか調べてみた。めちゃくちゃ笑った。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12271494507
回答
ギネス非公認ですが人間のうんこの長さ世界一は7m25cmであり、1995年2月にアメリカのミッシェル・ハインズさんがミシガン大学の栄養士たちの協力を得、同じくミシガン州Cranbrook-Kingswood高校にあるボウリングのレーンでチャレンジしたものとされております。
27年も前にそのような偉大な記録が存在していたとは驚きですね。
ウンがあればこの記録を塗り替えることも夢ではないかも?
失敗しても笑い話として水に流せば良いだけの話です。
手を洗うのを忘れずに。
あなたが私にした質問を自分に問うてみて下さい。どのような答えが思い浮かびますか?
社会経験が殆どない大学生と比較して、さぞ素晴らしい回答が出てくるのでしょうね(笑)
安全圏から重箱の隅を突くのが好きな日本企業の全ての面接官がなるべく苦しく辛い人生を送ることができますようお祈り申し上げます。
あなたの奥さんや旦那さんが嫌いな上司や部下に寝取られますように。
あなたの実子がいじめられて自殺したり、或いは高齢者の運転する暴走自動車に轢かれて死にますように。
親の死に目に会えませんように。
健康診断で転移した癌が見つかって痛みに悶え、モルヒネで人生を振り返ることもできない朦朧とした意識のまま死にますように。
ここにいるニートの皆様。就職を諦めた大学生です。親の資産が尽きるまでは生きるつもりですのでこれからよろしくお願いします。
将来は地方公務員になれればいいかと思っていたけど、入れるから東大に入った
一応受けた国家総合職は最終合格するけど意識が低すぎて官庁訪問はお祈り祭
最初から思っていた通りに地元の市役所にいるけど、東大卒が知れ渡ってしまい何かとやりづらい
飛び抜けた優秀さもなければ、とんでもないポンコツの意外性もなく、普通に仕事をしているだけなのにあんまり面白くないなと失望される
こんにち、インターネットにつながる端末を所持している者は常にネタバレのリスクに晒されている。
話題の新作などネットの海には断片的な情報が漂い、発信者個々人にその気はなくとも、知って/知らされてしまうことが多々ある。
私はアンサイクロペディアを許さない。
私は基本的に映画・漫画・小説、事前情報を極力断つようにしている。
シン・ゴジラ シンウルトラマン シン仮面ライダー すべて回避に成功してきた。結果、すべてドハマリして周回した。
失敗もある。
グリッドマンユニバースは映画の公開自体を忘れ、公開前日に気づいた。なんとか初日の公開に駆けつけた結果、5ユニバースした。
プライベートの問題もある。生後間もない子どもを抱え、昼夜問わずの授乳に体が悲鳴を上げている。
10年前よりたるんだ体、シワの増えた顔。
濁流の如きトレンドの流れに追いつこうとするのは20億の針に等しく無謀だ。
正直に言おう。バズれアリスも発売日の後に気づいた。
出版業界では初動の売上が続巻に大きく影響することは知っていた。
迂闊!何たる失態!
慌てて書店で買い求め(Amazonで買うよりもリアル店舗で購入したほうが出版社的側には覚えがめでたいらしい)、先程読了した。
先生のツイートをたどるとリツイートキャンペーンを開催していることに気づいた。まだ間に合う。
普段はネットの大海を深く静かに潜航している私だが、以前から追っていた作者となれば話は別だ。
以下、感想
例えば「帰ってきたウルトラマン」 最終回、伊吹隊長の「ウルトラマンを援護しろ!」というセリフに燃えた。
例えば「劇場版仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ」 住民の声援と風の力を受けてパワーアップしたWの姿にイオンシネマで嗚咽した。
例えば「ドラゴンボール」 元気玉の力を集めるにはMr.サタンの助力無くしては成功しなかったところに鳥山明の漫画力の真髄を見た。
女の子が一人で頑張る姿を見る/読むだけで泣けるのは齢を重ねたせいか。
配信者と視聴者の関係が宗教と信者に形容されることはままあるが、それを商業作品のエンタメとして成立させた富士先生の手腕と着眼点の鋭さに敬服する。
最後にいちばん重要なことだが、昔から知っている作者の方が今も活動を続けているのを見ると、嬉しくなる。
続刊期待してます!
ちなみにプロンプトは全く同じ
以下のエピソードを良い感じの馴れ初めエピソードにしてください
```
```
で、ChatGPT(GPT-3.5)で生成するとこんな感じ。
新郎、新婦、ご列席の皆様、本日はお二人の結婚式にお集まりいただき、誠にありがとうございます。私はスピーチライターとして、お二人の馴れ初めエピソードをお伝えいたします。
この馴れ初めエピソードは、高校時代の思い出深い出来事から始まります。新郎であるA男さんと、新婦であるA子さんが出会ったのは、ある日の放課後のことでした。
高校では、いつもスカートが短くてちょっとお茶目な3人組のギャルがいました。彼女たちは男子に向かって「ほれ」と言ってパンツを見せては、笑い合っていました。男子たちは「うるせーな。お前のパンツなんか」と煙たがる一方で、心の中では実は嬉しくて、内心何度も家で増田したことがあったのです。
ある日、いつものように3人組がパンツを見せて笑っていると、普段はあまり喋らない物静かなA男さんがギャルの中でも一番可愛いと思っていたA子さんに向かって突然「俺はおまえのパンツが見れて嬉しいけどな」と言ってしまったのです。その言葉に皆は驚きましたが、A子さんは「ちょwなにwきもw」と笑いながらも、少し照れた様子を見せました。その瞬間、皆は何か特別なものを感じたのです。
そして、高校2年の夏が訪れ、A男さんとA子さんは付き合うことになりました。誰もが驚きましたが、彼らの関係は着実に深まっていきました。お互いに支え合い、共に成長していく姿は、まさに青春の象徴でした。
そして、今日、私たちは彼らの結婚式に立ち会うこととなりました。思い出深い馴れ初めエピソードが、幸せな結婚の始まりへと続いたのです。彼らの愛は高校時代から育まれ、時間を経て結実したものです。
A男さんとA子さん、お二人は本当に素晴らしいカップルです。お互いを支え、励まし合いながら、これまで歩んできた道のりはきっと他の誰にも理解されないでしょうが、私の存在が彼らにとって特別な関わりを持っているわけではありません。ですが、私は彼らの結婚式のスピーチライターとして、お二人の物語を美しく表現することに責任を感じています。
お二人の結婚式に立ち会う皆様には、彼らの愛がどれほど真実で深いものであるかを伝えたいと思います。彼らは高校時代からの友情を越えて、お互いの心を掴み合い、愛を育んできたのです。
思い出深いあの日から始まった彼らの出会いは、ひとつのきっかけにすぎませんでした。彼らは一緒に成長し、多くの困難を乗り越えてきました。彼らの関係は純粋で真摯であり、お互いを理解し、受け入れることで強く結ばれています。
彼らの結婚式は、単なる結びつきの証ではありません。それは、お互いを選び、絆を深め、未来への共同の約束をする神聖な儀式なのです。新郎新婦は、結婚生活の喜びや困難を共有しながら、いつも助け合い、支え合うことで、より大きな幸福を築いていくでしょう。
新郎新婦、お二人は本当に素晴らしいカップルです。皆様も彼らの愛と結びつきに感動し、彼らの未来に幸せを願ってください。彼らの結婚式は、青春の思い出とともに、新たな人生の始まりです。
労働条件の話ばかりに終始している人は、
自分自分の自分ばっかりでそれと合わない周りやら影やらを呪っていても惨めな気持ちになりませんか。
いやいや、大上段から何か言いたいのではなくて、自戒と自分への叱咤の意味で書くのですけれど。
働き始めるとどんな仕事でもそうなのだと思っているのですけれど、自分が日々を行っている仕事は苦役よりなのか祈りよりなのかってぼんやりでもわかってくるように思います。
公立学校の教員って祈りよりで割と濃い目の仕事なんだとわかってきました。
この仕事は、祈りの部分で言うと、目の前のこの人がどのような人になっていくのか寄り添いながら幸を祈ったり、祈った上で最善を尽くせたり、
尽くせず歯がゆい思いをしたり、そんな日々です。それを何かのせいにしたり、誰かのせいにしてしまったり、誰かのせいにした自分を情けなく恥ずかしく思う日々です。
苦役なんだとしか思えず、不貞腐れたり、苦役だからと居直ったりしている人からは何か学びたいと思う人は少なく思います。
そのため、陰では汚物みたいに扱われたり、避けられたりするのをよく目にしてきました。度がすぎると卒業式終了後に保護者に怒鳴り込まれたりしていました。
その怒鳴り込まれた本人は強がってましたが、職場の同僚からも好かれてはなかったようで、より一層惨めな人だなあと思っていました。
自分がそうなると、ただただ悲しいです。そこでキレ散らかしたとて何か事態が良い風に変わるわけではありません。
労働条件整備については、組合の中堅以上(青年部でなくなったあたり以上の人たち)に任せるのが肝要だと思います。
自分がその順番になって初めて先輩からのバトンを受け取ればいいのだと思っています。
私たち現場の労働条件が良くなるかどうかは、勤務校の管理職や自治体の教育委員会で決まることが多くその鍵を握っているのが組合です。
入ってない人は、組合に入った方がいいですよ。組合費かかりますけれど、必要なお金なのかなと折り合いをつけています。
入ってないのに労働条件について何のかんの不満を垂れたり、全世界に発信してもあなたの目の前の労働環境は変わらんです。
組合は確かにイデオロギーの癖が強く、何言ってんだろこの人たちと面食らうこともあります。
でも、組合があるから労働条件が長い変遷を経ながら向上してきた側面はあります。
組合の出入り(お抱え?)の学者もいて、労働条件については、声をあげてくれています。
組合の中での活動員の活動的に、twitter上で労働条件のことをイキリ散らかしているのならば、お勤めご苦労様です。ありがとうございます。
そうでもない非組合で未成年がやっているウラ垢的にイキリ散らかしているのなら、慎みましょう。
保護者や児童生徒はイキリ散らかしてるの見てるし、そこからトラブルを招きます。
デジタルタトゥーになっても構わないようなつぶやきを心がけましょう。
修学旅行の見積もりについては、私は数社見積もりを依頼して業者を選定しています。
数社投げても半分くらいは音信不通です。年々ゆるやかに回答が苦しくなり渋くなってもいます。
業者さんの方に旨みがないし、抱えるリスクの方が年々大きくなっているのだという話は中にいて聞くことがあります。
旅行会社の方を詰めるというよりもどうしても納得いかないのであれば、自身に縁のある地元の議員さんに陳状にいく案件だと思います。
私が属する自治体では、全額を負担されているご家庭は少ない印象です。
自治体から補助が出るご家庭も多いです。どうしても、経済的に負担が難しければ自治体に相談しても良いのかもしれません。
おそらく件のツイートの方も、
もしこの前のバレンタインジャンボで1等当選していれば業者を詰めようという思いに駆られたり、
全世界に発信してこのおかしさを糾してやろうなどどいう思いに駆られることはなかったでしょう。
もし、そうなのであれば、地道にゆかりのある地元の議員さんに陳状に通ってください。
労働条件が悪いからと不平を言ったり、そっち(保護者サイド)がいちゃもんつけるなら止めましょうと
その中を覗いていると、修学旅行について業務的な視点でしか語らない人ばかりで、
修学旅行の意義を真摯に門外漢の人に自分の言葉で話している人がいなくて残念でした。
私は修学旅行は教師が意義をブレずに持つことが大切だと感じながら日々を過ごしています。
この意義は自分の中でブレずに持っていないといけなくて持っていて、
自分がブレないものであれば何でもいいと思います。でも、持ってないとダメです。
それを持った上でどのように一つ一つの体験活動を教材化するかです。
このあたりを教えてくれる先輩がいないまま権利権利、〇〇ハラスメント〇〇ハラスメントと真顔で言っている人は、
本当に不幸な日々だと思います。
生徒や保護者目線であれば「旅行代高え、金ねえよそんなに」「ですよねー」で構いませんが
教師であればそれしか言葉を持っていないとなると日々が辛かろうなあと思います。
公立学校の教員としては「ハイハイ、意識が高くて本当に素晴らしいですね」でいいです。
そんなのは現場からほど遠いお役人や現場を知らないどこかの大学教授が己の欲望を叶えるために勝手にやってくれます。
大事なことは目の前のこの児童生徒にしてやれることが本当に少ない惨めさを噛み締めながら前に進もうとすることと
この人のことで自分は真に祈ることができるかどうかです。
こんな事件あってはいけないことだし、ソープ嬢だから仕方ないとか言うつもりはまったくないけど。
これに対する女のコメントで
「女性たちはお店からキモい色恋営業を"やらされていた"。被害にあうのはいつも女性。男優遇ヘルジャパンで生きなければならないことに涙が止まらない。」
みたいなのが多いけど、
ソープ嬢だってそのキモキモ色恋営業でおいしい思いしてきたわけだろ。
売上下がること覚悟で色恋営業しない選択肢もあるし、店の方針が嫌だから他店に移ることだってソープ嬢ではよくあることだよ。
そのキモい色恋営業を続けてきたのも嬢自身の判断なんですけどね。
まあ今回の事件の動機が色恋営業によるものなのかは不明だけど。
ストリートファイター6、通称スト6で導入されたワンボタンで必殺技が出る操作形式・モダン操作の是非をめぐる論争だ。
個人的には自分が格ゲーやる上で躓いた部分に配慮された素晴らしいシステムだと思ってる。
この操作方法については肯定・否定いろんな意見があるが、挫折しかけつつも浅瀬でぱちゃぱちゃしてる底辺ゲーマーからの意見があまりないなと思ったので書くことにした。
一応実力を書いておくと、スマブラをきっかけに格ゲーを始めて実力は
スト5 ・・・ リュウ→キャミィでシルバーまで あまり肌に合わなくてしばらくトレモしか触ってない
ぐらい。
コマンドや基礎コンボならある程度は安定してるし、完璧に読んだ上で噛み合えば対空昇竜も出せなくはない…程度。
スト6はベータテストには参加せず、体験版が出てからモダン操作で始めた。今はCPU Lv.7にまあまあ勝てるぐらい。
まず、モダン操作で素晴らしいなと思ったことは「モダンのまま上手くなる道筋が用意されていること」と「コマンドを否定していないこと」だ。
一部出せない必殺技こそあるものの、基本的にコマンド入力することで普段よりも強力なダメージの必殺技が出せるし、弱中強の使い分けもできる。
つまり、最終的にはある程度はコマンド入力をすることを想定して設計されている。
コマンドは格ゲーの醍醐味だというのは自分もある程度は正しいと思っているし、実際にコマンドを入力して技を出すのは気持ちいい。
コマンド技が出るようになる → トレモでコマンド技が安定する → 実戦でコマンド技が安定する
という3段階が必要だ。
特に2番目と3番目の間が厄介で、実戦で緊張せずにコマンドが出せるようになるまでは、暴発や不発を受け入れ続けなければならない。
しかも、入力を失敗すると相手に至近距離で巨大な隙をさらして負けるというオマケがついてくる。(GGSTはこの辺はまだ入りやすかった)
そういうしょうもないミスを拾って勝つのを楽しいと思う人もいるかもしれないが、少なくとも自分はそうではない。
この「しょうもない負けをする期間」が減るだけでもモダンの価値はあると思った。
咄嗟の時にでもワンボタン必殺を出せるという保険があるのはものすごくありがたい。
さらに、昔はどうだったか知らないが、今はまずコマンド技が出ることが前提でゲームの基礎が構築されているため、コマンド技が出せたところでそれはスタートラインに立っただけで勝てるわけじゃない。
格ゲー経験者からすれば慣れ親しんだ基礎システムの上に新システムが乗っかっているのかもしれないが、初心者からすればまずその基礎システムが複雑で、読み合いすらわからずにしばかれる。
「勝つために練習するのは当たり前だ」という意見をよく目にするし、実際に自分もそう思う。
だが、それを楽しめるのは「これを克服すれば勝率が上がる」という明確なビジョンがあるからだ。
土俵に立った人間が練習して上手くなるのと、まず練習しないと土俵にすら立てないのでは話が違うと思った。
自分が格ゲーにすんなり入っていけたのは、スマブラで格ゲーキャラを触っていたおかげで最低限コマンドの技術は安定していたからだと思う。
上にも書いたが、自分が格ゲーを触ったきっかけはスマブラのテリーを使ったことだった。
テリーである程度勝てたので「これなら本家の格ゲーもいけんじゃね?」と思い上がってスト5を買った。
ちなみにスマブラのテリーはひたすら密着で回避と弱攻撃を入れ込んでお手軽コンボを擦りまくるキャラで、スマブラ勢には割と嫌われているキャラだ。
だが、このキャラには「コマンドさえ安定すれば(ある程度のランク帯までは)手軽に勝てるようになる」という特性がある。
しかも、コマンドが不発でも弱攻撃は最終段まで出るため、相手は吹っ飛んで状況がリセットされ、クソデカリスクを背負うことも滅多にない。
つまりミスしても致命的に結果が悪くことはなく、でもコマンドさえ安定して出せれば絶対に勝てたという反省ができるキャラなのだ。
練習すれば勝てるという希望が見えたからこそ、自分は喜んでコマンドとコンボを練習したし、それで勝率を安定させられた。
実はスマブラのテリーとカズヤという存在は、格ゲー界にすごく貢献してると思う。スマブラにおける影響はノーコメント。
最初は中攻撃連打や強攻撃連打でコンボが出るため、それで最低限試合になる。
しかもアシストボタンを使えばゲージまでちゃんと吐いてくれる。
これだけでもコマンド暴発やコンボミスで致命傷を負うことがなくなる。
人間、パニくった時は連打をする生き物なので、それだけで最低限の火力と仕切り直しまで行けるのはありがたい。
だが、これで最大リターンまで取れてしまっていたら、間違いなくこのゲームをすぐにやめていたと思う。
モダン操作の素晴らしいのは、「モダン操作のまま強くなれる道筋があること」だ。
簡単なところでは、コンボの締めだけをコマンド技にすることで少しずつリターンを伸ばしていける。
波動拳をコマンド入力で出すことで、弱中強の使い分けができるようになる。
自分も今はCPU相手に中攻撃→アシスト中攻撃→OD足刀→コマンド昇竜みたいなコンボ決めて楽しんでいる。
なんだかんだコマンドで技が出るのは気持ちいい。その楽しみを奪っていないのがモダン操作のよくできたところだと思う。
さらには高等テクニックとして、ドライブラッシュを絡めたコンボまで習得すればモダンでも十分に高火力を狙いに行ける。
(ドライブラッシュについては、入力の難しさに加えて、出せたところでCPUにほぼほぼ技を置かれてつぶされたので、今の自分には不要なものと判断して触ってない)
このように少しずつ練習を積み重ねて上達する余地があるというのが、モチベとして大きい。
もし、これでモダンの経験値を捨ててクラシックに移行する以外の成長の道が残されていなかったとしたら「じゃあ卒業でいいや」って言ってたと思う。
なので、「結局やり込むならクラシック」とか「クラシックでやってるやつだけが本物」という風潮にはなってほしくないと思ってる。
あくまで「初心者救済お手軽モード」ではなく「モダン操作」としてデザインされているのが個人的にはすごくデカかったし、しかもコマンド入力自体も否定されていないのがとてもいいバランスだった。
あと、巷で言われているワンボタン無敵技について。
上級者帯でどうなるかは知らないが、ゲージさえ溜まっていれば何とか仕切り直せる技が出せるというのは個人的にはありがたい。
画面端や起き攻めのタイミングでどう打開していいかわからずにそのまま殺されるというのは初心者あるあるだと思う。
また、少なくともリュウとルークを使っている時点では無敵技は何かしらのゲージを払っているし、ガードされるとガッツリリスクがある。
少なくとも相手のコンボ中にEX昇竜入れ込みまくってお祈りしたり、ひたすらコマンドだけ入れて待って覚醒必殺ぶっぱなしてきた身としては、根本的にやってることは変わらない。
(逆にそんなプレイをしているので、モダンは発生を遅らせれば平等じゃない? という意見については、そんな単純な話じゃないなと思った)
そんなわけで、自分は今のところGGSTでいうバーストのような感覚で使っている。
特に今作はラッシュにインパクトに飛び込みにと非常に相手の攻めの選択肢が非常に多く、非常時にその大半に対応できる「なんとかなるボタン」の存在は非常に助かっている。
(自分はSA発動を右スティック押し込みに設定しているため本当にワンボタン)
バーストと違って無視できないレベルのダメージがついてくるため、単純比較できないのはわかる。そこは調整のし甲斐がある部分だと思う。
モダンとクラシックにあえて絶対に超えられない火力差が設定されてる理由はむしろこっちなんじゃないの?って思った。
ワンボタンSAの存在が上級者のレベルでどんな影響をもたらすかについては、当然自分は上手くないので何とも言えない。
ただ、スマブラでPVだけ見て「ぶっ壊れ!」と上位層が的外れに騒ぐ文化を見まくってきた自分としては、今の時点で決めつけるのは早いんじゃないかと思った。
(大体の場合はわかりやすく派手な技にはしっかり対処法が存在していて、むしろ騒がれた部分以外の強みが徐々に明らかになっていく。経験者の「予言」はあてにならない)
結局、ワンボタン無敵で待つという行為がどの程度強い行動になるのか、それを打開する術があるのかないのかは、発売してしばらくしないとわからない。
少なくとも、発売してないゲームのゲーム性を知ったような口で叩くのは、見ていていい気分はしなかった。
余談だが、「初心者救済用のシステムを設けたら、上級者がそれを悪用してさらに勝つようになる」という話がある。
だが、上級者が初心者用のシステムを悪用して勝つ分には、自分はあまり気にならない。
なぜなら、ゲームシステムをうまく使いこなす人が勝つのは当然だと思っているし、その上手い人たちの活用方法を学べば、自分でも勝てるようになるかもという希望が見えるからだ。
むしろ、「共通知識」である基礎システム関連の経験値の差でメタメタにされたほうが心に来る。
これに関しては、どちらが評価されるのが絶対に正義とも思わないので何とも言えないけど。
色々言ってきたが、言いたいのは「モダンは入門者の学習曲線まで考え抜かれた素晴らしい独立した操作大系」だということだ。
スト6運営にはこれが新しいスタンダードだという姿勢は崩さないでほしいし、モダンは初心者のための補助輪、クラシックに移行するのが正義、という風潮にはならないでほしいと思う。
自分も最初はモダンの操作感に馴染めず戸惑ったが、モダンが強いと思うのならば、せっかくだから「勝つために地道に練習」してみるのも一興ではないか。
これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。
ちなみに現在のフォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。
これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。
それでも読み進める酔狂な紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。
(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)
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これはノートにシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感と承認欲求と生きがいにまみれた記録である。
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かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。
「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分に気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場・イラスト垢である。
絵を描くのは物心ついたころから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。
それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!
ということでTwitterにイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。
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なんか最初は気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折、上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。
当時は「ハッシュタグは馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。
そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。
当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログ民である。イイネもRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。
そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネとRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。
というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。
フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!
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ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの?4コマ?みたいなやつとか描いてた。
衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間と睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!
そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。
うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。
社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。
一度だけドハマりした作品で版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。
というかその直前のコミティアで頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチのマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である。
でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。
無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。
この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。
あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げます。あなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)
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こうして3年ほど経った頃……
「伸びねーーーー増えねーーー」
と思っていた。
当然である。
絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであんま練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である。特定の性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。
伸びるワケがない。
「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。
無理やぞ????
たまーにいるけどね、そういう良い意味で無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。
けどな、俺ザコキャラだから!!!絵上手くないくせに承認欲求は人一倍だから!!!豆腐メンタルで麻婆豆腐だから!!!!
とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトのポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ、10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。
けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。
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そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。
俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイでインターネットに繋いだら絶対に
高額請求が来る」と信じて疑わない母から生まれた生粋のデジタル音痴である。アナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。
ヨドバシカメラでペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。
かといって液タブとかいう神のツールは10万フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。
かつて「描線をデジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。
もともと速記用のペンをイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビューが全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味でダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである。
絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。
死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。
ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである。
初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。
当然である。
周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである。
もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉を金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。
が、爆睡と家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。
そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングでコロナ禍が始まった。
実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。
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一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。
ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。
UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。
そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託の申請をしてみたことがある。
規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。
問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。
5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。
がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。
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……が、余計に病んだ。
しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。
自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報の摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。
(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)
ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。
なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイトを作ってみたい」とかいう思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。
なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。
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進むも地獄、戻るも地獄な精神状態が半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中にとあるバズツイを目にする。
さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっちの根暗オタクで社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。
知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。
お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UIが直感的でツールとアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。
ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。
フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである。
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それが×年前のこと。
ここから「オリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。
といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。
フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)
デジタルのバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。
やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。
いつでもどこででも描けるiPadは社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。
デジタル作画はワンタッチで消しゴムが使えるので描くこと自体のハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムかけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法で自分なりに学ぼうとした。
だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。
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数ヶ月後、それらの勢いでオリジナルの同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後の人間にそういう話するか?)。
実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ちで申請。
が、思ったよりあっさり通った。
同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルのエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。
やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託。そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロの仕事ぶりに、尊敬と畏敬の念しかない。
みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。
そもそもド底辺の自分がなぜ身分不相応にも書店委託や電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、
「そこでの売上が決して0冊ではない」
作品も作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。
コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である。
ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。
そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である。
しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。
そんな嬉しいことある?
紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。
とはいえピコ手もピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?
俺とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。
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フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。
頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。
1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである。
普段の活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわとフォロワーを増やしていった。
ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まり、RTしてもらえることも出てきた。
その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。
まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である。
「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。
UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。
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コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。
開場して10分20分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて
「新刊1冊ください」
と言い放った。
新刊1冊ください…
しんかんいっさつください…?
それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?!
つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??
シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???
あったかくなってきたからかサヨクツイッターが我がTLにもなんか流れ込むようになってきた。
なんか若い人もいるし。若いと左翼にかぶれる、あると思います。
彼らの定番の煽りに「氷河期のおっさんと一緒にしてくれるな」とか「氷河期の奴らが頑張んないから日本はダメになったんだ」とか「今まで何してたの?」とかあります
小泉政権が成立しさえすれば国の運営から腐敗が一掃されて税金も郵貯のお金も正しく使われるようになって世間がよくなる!っていうから投票したら新聞とテレビは熱狂したけど仕事がなくなっていきました
自民党がどんどん税金を上げている!これ以上上がったらもうやっていけなくなる!民主党政権が救世主だ!っていうから投票したらあいつら税金上げました。それどころか税金上げたうえで支出も絞ったんで仕事がなくなりました。なんなら災害対策もめちゃくちゃでした。
もうこんなんどうしようもないじゃん。
それでもほとんどの人は我慢して武装蜂起とかしなかったんだけど。
我慢して我慢して頑張って生活する先には事故死と餓死しかなさそうだな。
マスコミに文句をつけるなら、いかなる不正でも国内で浪費してたんだったらそれ景気対策になってるから緊縮よりマシだってわかってくれよ、いまは金本位制じゃなくて管理通貨制度なんだ、蓄財が悪徳なんであって浪費は美徳の方なんだよって言ってあげたい
世間に何を物申してもダメだったし裏目に出たから、毎日毎日「新聞社とテレビ局と財務省に隕石が落ちますように」ってお祈りするだけにして自分の生活だけに注力しています