はてなキーワード: 祈りとは
免罪符(indulgentia)は、中世カトリック教会が発行していた宗教的な許しの特権を表す証書で、特に煉獄での罪の償いの一部または全部を免除するものとされました。この制度は、当初は信徒の信仰を深め、善行を奨励するための宗教的な手段として始まりましたが、時代とともにその運用や目的が変質し、議論や批判の的となりました。
カトリック教会の教義によれば、罪を犯した信徒は神の赦しを得るために懺悔と告解を行いますが、その後も「煉獄」という状態で罪に応じた浄化を経験すると考えられていました。免罪符は、懺悔後に課される「償い」の一部を軽減する手段として導入されました。
最初期の免罪符は、巡礼や十字軍への参加、教会の慈善事業への貢献など、信仰に基づく行動を奨励するものでした。
11世紀頃から、教皇や司教が特定の条件を満たした信徒に対して免罪符を発行する習慣が始まりました。これには、以下のような目的が含まれていました:
しかし、14世紀以降、免罪符の販売が広がり、次第に金銭で購入できるものと認識されるようになりました。この実態は、教会の財政難を背景にしたもので、多くの批判を招きました。
16世紀に入ると、免罪符の商業化が極端な形をとりました。有名な例として、ドイツの教区で行われた免罪符の販売キャンペーンがあります。このキャンペーンでは、「金貨が箱の中で鳴るたびに、魂が煉獄から解放される」と説教され、多くの信徒が金銭を支払いました。
これに反発したのが、宗教改革を引き起こしたマルティン・ルターです。彼は1517年に「95か条の論題」を掲げ、免罪符の乱用を厳しく批判しました。この出来事は、プロテスタントの誕生とカトリック教会の大きな改革の契機となりました。
カトリック教会はトリエント公会議(1545年-1563年)を通じて、免罪符の商業的乱用を廃止し、その霊的意義を回復するための措置を講じました。現代のカトリック教会では、免罪符は金銭と結びつくことはなく、祈りや善行を通じて信徒が霊的な恵みを受ける手段として位置づけられています。
🐈うまくいくようにお祈りしてるよ!
・絵柄を保護する
→既存のイラストレーターまで巻き添えくらうので無理です。また、AI絵師を狙い撃ちすると職業差別になるので倫理的にアウトです。
→申告罪なので親AI派が絵を提供するので意味ないです。また、「絵柄の保護」もセットで行わないと、親AI派は、特定の絵師の絵柄を真似ることで商売できるので反AI派が割を食うことになります。
→ウォーターマークやnightshade等。しかし、汚染されていない学習データを持ち寄って再始動すれば解決する話。
→現状、これしか反AIの勝ち目はないが、禁止するほどの正当性は未だに示せていない。「著作物が含まれてないならいいよね?」に対する反論も聞いたことがない。
→絵師に勝ち目がないので、共存の道を模索するのが賢い選択だと思います。また、AI絵師がどれだけ偉そうにしようと、彼らが神絵師の絵を欲しているのも確かなので、商機はあると思います。AI絵師、親AI派の絵師たちの一人勝ちにはさせない市場作りをしていくことが、今、最も重要だと思います。イラストレーターの皆様のご清栄をお祈り申し上げます。
脳噛ネウロ、ヒカルの碁、暗殺教室、それでも町は廻っている(これは最終回がない感あるから例外かな?)が好きです。
最終回に向けて強かったキャラクターが、弱かったけど強くなったキャラクターに支えられるという展開が良かった。それを飽きさせずに続けているからすごいこと。
ミステリーの皮を被ったドタバタヒューマンコメディ短編と見せかけた長編なので、絵柄気にしない方は読んで欲しいなぁと思う。
読んだのが昔過ぎてなんとも言えないが、すごい良かったぜんぶ!という記憶しかないから良い作品だったのであろう。
成長物語。読み終わった後はうおー!人生頑張るぞー!と思えるような最終回で素敵。
なんというか
「さぞかし常日頃から従業員の皆様へ素晴らしい教育を施されていらっしゃるのですね。
私なんぞが今後足を踏み入れるのははばかられるような一流ホテルですので、遠巻きながら益々のご発展をお祈り申し上げます。」
みたいな。
結構アレだなぁ、と思う日記があったのでちょっとツッコミをしてみる。
私は2桁年ほど漫画やイラストに携わって細々と生活しているクリエイターの端くれだが、正直言ってこの1ヶ月の絵描き界隈の道化っぷりにはひたすら「呆れ返る」以外の感想が持てない。
↑Xの話をしていると思うのだけど、「絵描き界隈」と主語を大きくしているように思う。まあ、Xが絵かきにとって一番大きなコミュニティとは思うけれど。
「11/15にX(元Twitter)の規約が変わる、私達はAI学習に否応無しに同意させられる事になる」
そんなポストが大バズリしたのがつい先月。
実際には、Xのプライバシーポリシーには元々「投稿者のポストをXのAIトレーニングに利用する事に同意する」旨が2023年9月時点で既に記載されている。そもそも日本の法において、学習そのものを拒否する権利は最初から無い。
しかし、その自明であったルールが「聡明な」反AIさんによって「新発見」され、反AIさん達は空が落ちてくるかのように大騒ぎ。
↑「今更そんなことを騒ぎ立てるなんて、情報が遅いねぇ」程度の嫌味ならわかる。ただ自分としては知らなかった人間もそりゃあ居るだろうなくらいに感じていた(利用規約とか改定とか読まない人間も多かろう、特にXを頻繁に見るような人間でないなら今回のバズリで初めて知った人もいるだろうなぁくらいの意味)。
AIに反対してるくせにそんなことも知らないのか、という意見なら一理あるかもしれないけど、2023年9月以降にAIに反対することを決めた人間は最初の改定を知らなくてもおかしくないように思う。
だから空が落ちてくるかのように云々は、新しく知った人が中心になって騒がれているのだから主語は「反AIさん」ではなく「9月頃にあった規約を読んでいなかったので、初めてその規約を知って危機感を持った絵の生成AIに反対する人間」が正しいと思う(長いから略したくなる気持ちはわかるが)。
そもそも深層学習の構造を考えると、億単位の画像を学習している基盤モデルに自分の作品が数十枚食われた程度で、個人の絵柄が再現できるはずもない。そのため当然、特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない。
↑狙い撃ちLoraの話を後半でしているのに「特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない」と主張をするのはちょっと無理があるかなと思う。となるとここは、それこそ後半でも語っている通りまだAIについての知識が浅いのだろう。
それは1年以上前から自分の作品がAIに既に食われ続けているという事実を鑑みれば、今後も影響が無いことぐらい少し考えれば予想もつくだろう。
↑例えば狙い撃ちLoraは作家に悪影響を及ぼしているのでは?あとソースは忘れたので無いものとして扱って貰って構わない意見だが、一部絵描きの名前をプロンプトで指定できるという仕組みがどこかにあったように思う。
……と、思っていたのだが。
「自分の絵がAIに好き勝手されるのは嫌だ」(人間も好き勝手二次創作して金稼ぎしてるが?)←そも二次創作の場合では一次側に拒否されたり、差し止められる事がある。その事を考えると「好き勝手」「金稼ぎ」は少々悪意のある表現だろう。二次創作ではなく勝手に着彩されるとかトレスのほが絵かきの感覚に近いのではないか。
「AIを許容してると思われるのが嫌だ」(そんな個人の主義思想で差別するような人間の集団にいるの?付き合う友達選んだ方がいいですよ)←多分絵描きの友達が少ない、それか本気で本音を語り合える友人がいないんだろうなと感じた。それは勝手な感想だから流すとして、現状絵の生成AIについて静観していた否定寄り中庸派の人がそう言っていただけでは?と思う。自分の立場を勘違いされたくなくて出た言葉なのでは?と。まぁここは自分がそういう立場の人間ばかり見たというだけの話だとも思うが。後半を見るにこの方はそういう集団から抜けた人なのかなと思いついた。
などなど、AIアレルギーと思しき絵描き達の断末魔と、それら1つ1つを数千リポストまでせっせと拡散して「自分達はこんなに苦しんでるんだ」「こんなに多くの人達が賛同しているから自分達は正しいんだ」とアピールする人達。
↑淡々と言えばいいのに、変なところに悪意が漏れている。群れたって何の意味もないのに、程度の意見で良いように思う。
ある者はGlazeやらNightshadeやらで絵を汚すことで安心(=プラセボ効果)を得ようとし、
↑別にXに上げる絵を汚しても(自分はそこまで汚れてるとも思わないが)、学習のされにくい他サイトにオリジナルの絵を上げればよいのだから別にこれを愚かとは思わない。安心のためにやっている人間も居るだろうが、そもそれは悪いことではない。
ある者はXに見限りをつけて他のSNSを探し始め、
ある者は「何故私達が出ていかないと行けないんだ」(お前達がそうしようと決めた事なのに?)と恨み言。
私は、彼らが自分の絵を汚す事で安心や自己肯定感が得られるなら別にそれでも良いと思う。
このへんはファッションと一緒かもしれない。自己満足でしかなくとも、ちょっと高い服やネイル等を身に着けることによって「自分がこの場に居ても良い」という確信が得られる。そうして得た自信や承認が、例え虚栄であろうとも人生をプラス方向に持ち上げていく、そういった側面は少なからずあると思う。
ただ、私が観測する限りにおいては、それら学習阻害技術なりウォーターマークなりが具体的にAI学習の何に対してどういった効力を示すのか、などの技術面を踏み込んで理解している/しようとする絵描きはほぼ居なかった。
↑https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3とかを見ればそれを調べてる人もいる。まだ知らない人たちに教えてあげればいい。例えしようとしていなくても、知らせることはできるのだから。
ただただ何となく「それをすることでAI野郎が離れてくれるおまじない」程度の、Xでバズっていた誰かの噂話を鵜呑みにすることでしか技術を理解できない、その程度の浅いリテラシーの人達ばかり。
一部の絵描きは「何で苦労して描いた絵をこうして汚さなきゃいけないの」と被害感情をむき出しにしながらノイズを乗せている体たらくだ。辛いなら汚さなきゃ良いのに。
↑多分自分はリテラシーが高い側だと思っているんだろうけど、そうでもない。「辛いなら汚さなきゃ良いのに」には少し共感するが、それも他サイトに誘導して見てもらえればいいだけの話だと思う。
本当にAIを自分の生業を脅かす技術だと思うなら、何故敵のことを正しく知ろうともせず、自己流で対処しようとするのか。
無学の人間が無い知恵を絞って対策を講じても、的外れにしかならない。
↑自分は知識があると思っている無学の人間が、無い知恵を絞って批判をしようと、的外れにしかならない。自己流で対処というのはどういうことか、敵を知るとは何を指しているのか、何故あなたの観測した絵描きという限られた範囲の話でここまで悪意を噴出させられるのかがわからない。仮に正しい対処をしている人を見つけても、結局この方は認めないだろう。「間違っている」というばかりで、正しいことを広める努力は特にしていないだろう(してたら申し訳ない)。勝手な決めつけをしたあとで言うのは説得力に大きく欠けるが、相手をあまり決めつけで愚かと思わないほうがいい。あなたの観測した範囲の中にも、対処法を探ったり生成AIについて正しく勉強をしている人もいるかもしれない。あなたなりの「正しい方法」とやらがあるのなら周りにそれを伝えれば良い。愚痴が吐きたいだけの人には重すぎるかもしれないが。
「マスクなんて意味がない」「コロナワクチンは人を殺す、イベルメクチンを使おう」
そんなエセ科学で吹き上がる陰謀論のデタラメを、かつて私達は知識を以て一蹴してきた筈なのに、今では絵描きとその信者達が同じ穴の狢となっている。根底は感情論でしかないという点でこれらは同一のものだ。「ワクチンが嫌い」「技術者が嫌い」「AIが嫌い」
↑根底は感情論、の何がいけないかを示していない。感情論であっても、「マスクには意味がある」「コロナワクチンは人を救う」からそれを激しく推奨するという感情論があったとするならそれは正しいと褒められるべきことである。この方は生成AIへの知識がほんの少しだけあり、かつ周囲の人間を自分より知識がないと見下しているから、自分の意見に沿わない人間を「愚かである」「(自分の意に沿わない)感情論である」と言えるのだろう。だから同じ穴のムジナであるのは(一連の行動がまだ正しいことであるか判然としていない今であれば)あなたかもしれないことは注意すべきである。
そして、正しい意見の啓蒙にさえ「冷笑系」とレッテルを貼って、冷笑されたと被害者アピールの火種に焚べ、エコーチェンバーの中に閉じこもる。
↑こういう人間は実際にいる、がこの方はそれを全てだと思ってしまっている。正しい意見とやらがどんなものかはわからないが、この方にとっては正しいもので、それを拒否している人間を見て激しく失望したのだろう。自分にとっても、そういった耳を傾けない自分の殻に閉じこもった人間は好ましくない。
ああ、今日もまた「ぼくの考えた最強のウォーターマーク」が木っ端の絵描きから上がってくる。
それを使うことで学習阻害効果がどれだけあるかどうかの比較検証は?
そんなのある訳がない。これは洗剤のCMじゃなくてただのおまじないなんだから。
↑https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3をみればいい。そんなのある訳がある。おまじないだとおもっている人間は誰なのか。
「もちろんやる訳がない。AI無法者は会話の通じない土人達だからな」
「何故AI使用者をモラルが低い、会話の通じない者と断じるのですか?」
「俺のタイムラインじゃみんながそう言ってる!俺も生成AI使用者を犯罪者と罵ったら著作権がどうこうで激詰めされた!」
「著作権違反行為ではない行為を端から犯罪扱いしたら反発を食らうのは当然では?」
「うるさいうるさい!俺達から何も奪うな!AI推進者は全員敵だ!俺達だけが正しいんだ!!」
ああ、私と相互フォローになってくれていた、素敵な絵師サマの先生の中に、こんなにも愚かな思想の持ち主がたくさん紛れていたなんて。自分の人を見る目の無さが恥ずかしい。(全員ではない。数百人フォローしていた中での体感5~6割ぐらいだが……女性の絵描きの方の界隈ではもっと多いだろうね)
↑これで失望したのだろう。まあ著作権違反については議論の余地があるとして、この方は周りの意見に流される人間を軽蔑しているようだ。
完全な決めつけだが数百人フォロー云々の下りは半分嘘だろう。過激な反対派が10人足らずいてそれ以外の反対派も少しだけ見て足して5~6割とみなしたか、そもそもアカウントを過激な反対派の人以外ほぼ見ていないかのどちらかだろう。
過激な人の言動は確かに自分もどうかと思う部分はあるが、数百人のうち5~6割がその愚かな思想とやらを持っているとは思えない。多分この方の体感的には本当に「たくさん」だったのだろう。
私自身の絵描きの視点として生成AIを考えると、生成AI及びAI作品はライバルではありこそすれ、クリエイター業そのものを脅かすほどの力はないと考えている。
↑自分は絵の生成AIはライバルではなくノイズだと考える。クリエイター業はクオリティの面で脅かされるのではなく、生成物の物量と誰でも触れられるという手軽さで脅かされる。個人の作品に触れづらくなり、触れる必要もなくなってしまうという方が正しい。
pixivなどを見るに顕著だが、生成AIの登場後に作品数は急増した。今はAIタグというものがあるが、それをつけていない作品もちらほらある。これが続くと、供給量と需要が釣り合わず、作品は誰かに探されなくなり、探されないうちに埋もれてしまう。
クオリティではなく数が問題で、作品の展示場をゴミまみれにするという意味では商売敵というよりただの敵である(ゴミと感じるかどうかは人によるが展示場に参加した人間にとっては不愉快だろう)。
作品ではなく使う人間と、その人間が生み出せる数こそがクリエイター業の人間にとっての脅威になると、自分は考える。
誰にも見てもらえないなら、どんなに素晴らしい作品も評価されないのだから。
恥ずかしながら私はまだまだAIについて無学のためCNの使い方すらまともに理解していないのだが……少なくとも自分で使った時は決まったキャラクターやシチュエーションを安定して生み出すことはなかなかに難しく、描き手が表現したい物語を過不足なく表現するにはかなり制御が難しいツールだと感じた。ランダムなアイデア出しにはかなり便利だけどね。
↑ここでAIについて無学と言っている。いままでのこき下ろしはなんだったのか。
DLSiteにおける販売数などを見ても、AI主体作品はまだまだ下火で、手描きのイラスト集と比べて1~2桁は販売数が下回る。2年前からずっと、手描きの価値は毀損されてなどいない。私自身、収益も減ったりはしていない。
↑なぜ今しか見えていないのか、生成AIが誰の反感も買わず受け入れられるようになってからでないといずれ収益や価値に影響が出ると思えないのだろうか。
今AI作品が下火なのは、生成AIに対する問題点が完全に払拭されていないからである。現状ではグレーな行為だと認識されているからまだクリエイターへの影響が軽微なだけであると自分は考える。
タグなどを用いて徹底した棲み分けが行えない場合は、現行のクリエイターが殆ど滅びるだろう。
ただ、少なくとも革新的技術であることは間違いないんだから、「無断学習」などというよくわからないレッテルを貼って排除するべき存在ではない。ましてや法を侵さず生成AIを使用している者まで問答無用で簒奪者という扱いにして社会から排除しようとするのは、暴力や差別に他ならない。
↑これも分かる。簒奪者扱いをするは良くない。ソフトの倫理面に問題はあれど、現状ではまだ規制されていないのだから。ただし、革新的技術であることと保護すべきかどうかは別の話である。ソースは忘れたので無価値に等しいが、欧州では規制の流れができつつあるそうだ。そして保護するべきかどうかを決めるのは個人というより社会や時流であり、今はその主張を自分の意に沿うよう引っ張ろうとしている個人が多くいるだけである。我々は意見を主張しながらも、決定に従うほかない。だから現状では否定派肯定派の正しさとやらは存在しない、未決定なのだから。当然倫理は守るべきとは思うので、社会から排除しようという風潮自体は好ましくないが、それにしたって決定に従うほかない。明日にはひっくり返るかもしれない決定に。
インターネットに転がっているものを無断で学習し、個人を特定できない形に組み替えて再利用するのなんて、AIだろうと人間だろうと当たり前にやっていることなんだから。
↑AIと人間の学習は違うものである。@VoQnさんのポストでも遡ると分かる。
生成AIには確かにまだまだ法的な課題もある。狙い打ちLoRAと呼ばれる特定作家個人に絞った学習モデルや、ディープフェイクなんかがそうだね。
しかしそれらの問題を掲げた時、私達が論ずるべきは「それらの問題をどのように規制し、どうすれば安全に生成AIを社会利用できる仕組みを構築するか」のはずだ。
↑同意するが、主語は「絵や動画の生成AI」であり、生成AIではない。それ以外は絵の分野から論じても意味がない。
過度に互いの派閥を敵視しすぎるというのは問題だと自分も思う。が、絵かきの中には食い扶持を減らされると思う人間も居るだろう。そしてその可能性は的はずれなものではないと考える。
排斥はいけないことだが、それを行う人間の感情はどうしたって消せないものだ。
もっとも、話し合いが成り立たないのは陣頭に立つ人間がいないからだと思うが。
個人個人が話し合っても意味はない。チラシの裏の落書きに過ぎないからだ。界隈だの派閥だの言われてはいるが、その実意見を発表する人間が居るだけで、誰も責任をとろうとしていないのだから価値ある疑問にも回答にも意味がなくなってしまう。
だから我々が個人としてするべきなのは、然るべき機関への署名提出や意見提出であって、レスバではない(この日記を否定したくて書いている自分が言えた義理ではないが)。
例えばスマホだって本邦では年間数千件の盗撮被害が発生しているが、それら問題を以て「スマホorカメラを世から根絶しよう」なんて言い出したらただの狂人だ。
しかし絵描き達は、あろうことか「どうすれば生成AIを根絶できるか」「どうすれば絶対に学習されないか」といった妄言を唱え始めた。
残念だけどそれはもう、歩いて月まで行くぐらいには無理な願いだ。イラスト生成に限らず、翻訳、検索機能、ChatGPT等、大規模言語モデルによる生成技術は既に社会の根幹を為すインフラの一部になっている。
↑イラスト系以外の生成AIも規制しようとしている人がいれば、それは生成AIへの拒絶反応だと思うが、現状イラスト系に対して学習を阻害するというのはある種効果的である。
この阻害をスタンダードにしてしまえば、例えば新規IPのキャラは生成AIで生み出しづらくなるだろう。その妄言とやらが案外的を射ていたりするものである。
私は2桁年ほど漫画やイラストに携わって細々と生活しているクリエイターの端くれだが、正直言ってこの1ヶ月の絵描き界隈の道化っぷりにはひたすら「呆れ返る」以外の感想が持てない。
────────────
そんなポストが大バズリしたのがつい先月。
実際には、Xのプライバシーポリシーには元々「投稿者のポストをXのAIトレーニングに利用する事に同意する」旨が2023年9月時点で既に記載されている。そもそも日本の法において、学習そのものを拒否する権利は最初から無い。
しかし、その自明であったルールが「聡明な」反AIさんによって「新発見」され、反AIさん達は空が落ちてくるかのように大騒ぎ。
そもそも深層学習の構造を考えると、億単位の画像を学習している基盤モデルに自分の作品が数十枚食われた程度で、個人の絵柄が再現できるはずもない。そのため当然、特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない。
それは1年以上前から自分の作品がAIに既に食われ続けているという事実を鑑みれば、今後も影響が無いことぐらい少し考えれば予想もつくだろう。
……と、思っていたのだが。
「自分の絵がAIに好き勝手されるのは嫌だ」(人間も好き勝手二次創作して金稼ぎしてるが?)
「AIを許容してると思われるのが嫌だ」(そんな個人の主義思想で差別するような人間の集団にいるの?付き合う友達選んだ方がいいですよ)
などなど、AIアレルギーと思しき絵描き達の断末魔と、それら1つ1つを数千リポストまでせっせと拡散して「自分達はこんなに苦しんでるんだ」「こんなに多くの人達が賛同しているから自分達は正しいんだ」とアピールする人達。
ある者はGlazeやらNightshadeやらで絵を汚すことで安心(=プラセボ効果)を得ようとし、
ある者はXに見限りをつけて他のSNSを探し始め、
ある者は「何故私達が出ていかないと行けないんだ」(お前達がそうしようと決めた事なのに?)と恨み言。
私は、彼らが自分の絵を汚す事で安心や自己肯定感が得られるなら別にそれでも良いと思う。
このへんはファッションと一緒かもしれない。自己満足でしかなくとも、ちょっと高い服やネイル等を身に着けることによって「自分がこの場に居ても良い」という確信が得られる。そうして得た自信や承認が、例え虚栄であろうとも人生をプラス方向に持ち上げていく、そういった側面は少なからずあると思う。
ただ、私が観測する限りにおいては、それら学習阻害技術なりウォーターマークなりが具体的にAI学習の何に対してどういった効力を示すのか、などの技術面を踏み込んで理解している/しようとする絵描きはほぼ居なかった。
ただただ何となく「それをすることでAI野郎が離れてくれるおまじない」程度の、Xでバズっていた誰かの噂話を鵜呑みにすることでしか技術を理解できない、その程度の浅いリテラシーの人達ばかり。
一部の絵描きは「何で苦労して描いた絵をこうして汚さなきゃいけないの」と被害感情をむき出しにしながらノイズを乗せている体たらくだ。辛いなら汚さなきゃ良いのに。
本当にAIを自分の生業を脅かす技術だと思うなら、何故敵のことを正しく知ろうともせず、自己流で対処しようとするのか。
無学の人間が無い知恵を絞って対策を講じても、的外れにしかならない。
そんなエセ科学で吹き上がる陰謀論のデタラメを、かつて私達は知識を以て一蹴してきた筈なのに、今では絵描きとその信者達が同じ穴の狢となっている。根底は感情論でしかないという点でこれらは同一のものだ。「ワクチンが嫌い」「技術者が嫌い」「AIが嫌い」
そして、正しい意見の啓蒙にさえ「冷笑系」とレッテルを貼って、冷笑されたと被害者アピールの火種に焚べ、エコーチェンバーの中に閉じこもる。
ああ、今日もまた「ぼくの考えた最強のウォーターマーク」が木っ端の絵描きから上がってくる。
それを使うことで学習阻害効果がどれだけあるかどうかの比較検証は?
そんなのある訳がない。これは洗剤のCMじゃなくてただのおまじないなんだから。
「もちろんやる訳がない。AI無法者は会話の通じない土人達だからな」
「何故AI使用者をモラルが低い、会話の通じない者と断じるのですか?」
「俺のタイムラインじゃみんながそう言ってる!俺も生成AI使用者を犯罪者と罵ったら著作権がどうこうで激詰めされた!」
「著作権違反行為ではない行為を端から犯罪扱いしたら反発を食らうのは当然では?」
ああ、私と相互フォローになってくれていた、素敵な絵師サマの先生の中に、こんなにも愚かな思想の持ち主がたくさん紛れていたなんて。自分の人を見る目の無さが恥ずかしい。(全員ではない。数百人フォローしていた中での体感5~6割ぐらいだが……女性の絵描きの方の界隈ではもっと多いだろうね)
────────────
私自身の絵描きの視点として生成AIを考えると、生成AI及びAI作品はライバルではありこそすれ、クリエイター業そのものを脅かすほどの力はないと考えている。
恥ずかしながら私はまだまだAIについて無学のためCNの使い方すらまともに理解していないのだが……少なくとも自分で使った時は決まったキャラクターやシチュエーションを安定して生み出すことはなかなかに難しく、描き手が表現したい物語を過不足なく表現するにはかなり制御が難しいツールだと感じた。ランダムなアイデア出しにはかなり便利だけどね。
DLSiteにおける販売数などを見ても、AI主体作品はまだまだ下火で、手描きのイラスト集と比べて1~2桁は販売数が下回る。2年前からずっと、手描きの価値は毀損されてなどいない。私自身、収益も減ったりはしていない。
ただ、少なくとも革新的技術であることは間違いないんだから、「無断学習」などというよくわからないレッテルを貼って排除するべき存在ではない。ましてや法を侵さず生成AIを使用している者まで問答無用で簒奪者という扱いにして社会から排除しようとするのは、暴力や差別に他ならない。
インターネットに転がっているものを無断で学習し、個人を特定できない形に組み替えて再利用するのなんて、AIだろうと人間だろうと当たり前にやっていることなんだから。
生成AIには確かにまだまだ法的な課題もある。狙い打ちLoRAと呼ばれる特定作家個人に絞った学習モデルや、ディープフェイクなんかがそうだね。
しかしそれらの問題を掲げた時、私達が論ずるべきは「それらの問題をどのように規制し、どうすれば安全に生成AIを社会利用できる仕組みを構築するか」のはずだ。
例えばスマホだって本邦では年間数千件の盗撮被害が発生しているが、それら問題を以て「スマホorカメラを世から根絶しよう」なんて言い出したらただの狂人だ。
残念だけどそれはもう、歩いて月まで行くぐらいには無理な願いだ。イラスト生成に限らず、翻訳、検索機能、ChatGPT等、大規模言語モデルによる生成技術は既に社会の根幹を為すインフラの一部になっている。
イラスト生成のみを排除する法規制を願うことは、「無断学習」によって成り立っているそれらを真っ向から否定することになる。そんな無茶苦茶が通るはずもない以上、その願いはただのワガママでしか無いだろう。
それを受け入れられない絵描き達は、今も #NOMORE無断生成AI などのタグ付けでさも自分たちが正義の側にいるかのように喧伝する。
著作権の大前提たる類似性や依拠性の話をすっ飛ばし「人のものを取ったらどろぼう!」程度の解像度で、自分達の意にそぐわない者をネットリンチで黙らせる。
法で論破されて涙目になりながら、生成AI根絶法などという、来るはずもないスーパーヒーローが颯爽と現れてAIロジハラ野郎共をやっつけてくれる事を夢想する。
AI生成者にフォローされたと見るや「泥棒にフォローされた。気持ち悪いからブロックしました……」などと、その人が具体的に何の罪を犯しているかも示さず、まるでアリを潰すかのような勢いで名誉毀損を仕掛けながら被害者アピールをポストし、お仲間にヨシヨシしてもらおうとする。
そして、「自分の作品を削除する」「ノイズ(学習されないおまじない)をかける」などの行動よって、社会にとって既に当然として受け入れられている生成技術に一矢を報いているつもりになる。
Xの規約は11/15前後で何も変わっていない、もう既にあなたの作品は学習され尽くしているというのに。
生成AIに対する誤解とデマに踊らされた彼らは、癇癪の勢いのまま自らの作品を傷つけ破壊し、最も拡散力のあるSNSの1つを捨て去る道を選んだ。この幼稚な結末は、集団自滅以外の何者でもないだろう。
そうしてこの騒動は、ただただインフルエンサーという名の親鳥が生成AIを嫌いになるための餌を運んでくれるのを待つことしかしなかった、司法への働きかけを怠った反AI達のラダイト運動未満のキャンセルカルチャーの末路として、10年後には笑い種として教科書に記載されるのだろう。
────────────
私が細々と絵を描き続けてきた人生で、私は多くの仲間に支えられ、いつしか自身のIPを抱えるまで成長させてもらった。
「この人、素敵な絵を描く人だな。いつかこの方にお金を払ってゲストイラストとか依頼してみたいな」
そう思っていた絵描きの先生方は、反AI思想に狂って皆おかしくなり、私の人生で決して関わりたくない者リストの一員に堕してしまった。
2年前にNovelAIが登場してその生成物を見たとき、こんな性癖も主題もあやふやな作品達にはあまり魅力を感じないな、と思っていた。
しかし今では正直、AI作品の方が見ていて落ち着くよ。生成ユーザーが技術的な向上心を以て日々クオリティアップに励んだ努力の結果が作品に表れているのもそうだが、一番の理由は……彼らは「AI学習禁止」などという存在しない権利を振りかざして、無実の集団を犯罪者呼ばわりするレイシストじゃないからね。
正直、推しの作家さんが作品を消してしまうのは悲しい。が、技術の進歩にとって有害なデマを撒き散らし、自作を切り付けるリスカによって無知蒙昧を晒す痴態を眺めるぐらいなら、これからはもう私が保存したアルバムの中だけの「素敵な絵を描いていたあの先生」という思い出でいて欲しい。
反AI、改め「名誉毀損&差別&キャンセルカルチャーだいすきならず者集団」の皆様へ。
どんなにダブスタだオキモチだと批判されても己が道を貫き、お引越し先の方では心穏やかに創作活動を続けられる事をお祈り申し上げます。
お前ら読まないだろうから
「世の中キモい」
すぐ身の回りで性的に嫌な思いする人多すぎて性欲は生命の源であると共に諸悪の根源のような気もしてきた。性のエネルギー良くも悪くも強すぎる。
まぁ価値観の相違がある以上、今地球上に生きているすべての人間にとって素晴らしい世界、素晴らしい時代なんてものは来ないので
あくまで私はこっち側として戦いますよという事です。身近に性被害により苦しむ人がいるとなると、今後同じ事が繰り返されないように立ち上がらないとなと思うのです
レスバしたりリプが沢山来るのでわかるんだけど松本さんを擁護してる人って殆ど彼が「面白い」から信じて庇ってるの。そうだね彼は面白いよね。けど今その話関係ない。私達は『アンチ』ではなくて性犯罪がなかった事にされたり軽視される事に怒っている。そこに彼の芸人としての資質は関係ない。
思想の強い事書くと、一定数のフォロワーが離れ、一定数のフォロワーが増える。これは危ないと思った。自分と反対意見者は去り賛同者が増えるとまるで王国を築くように、賛成意見しか集まらなくなるから自分の意見が絶対に正しいと自分を過信する原因になる。これ、現代のSNSでいくらでも起きてるよね
証拠を交えた時系列と主張をまとめた文書を書こうかと思ったのですが、あくまで第三者目線でのカムアウトであることと、誹謗中傷が酷く脅しと取れる文書も届き、身の危険を感じたため何の媒体も通さず生身での発信はこれにて終了します。
当初からの考えは今も何も変わりませんが、私も現在真偽不明の所を断定する形で発言してしまった点は軽率でした。
申し訳ございません。全てには返信できておりませんがDMにて温かいお声をいただいおります。ありがとうございます。本件とは関係なく、性被害も冤罪もなくなる世の中になる事を祈ります
ソースはX.com
面接でうまくいかなくてメンタルしんどいからつけ始めた。できれば転職のアドバイスや、メンタルの保ち方を教えてくれると助かる。お疲れ様の一言だけでもすごく助かる
■今日の結果
2件面接結果のお祈りメールが来た。面接のフィードバック付きである。
一社目のフィードバッグを読む。ボロくそである。書類審査の次に何の書類も書かせずに1時間程度の面接だからアンマッチでも仕方ない。
面接官の雰囲気が合わないと思っているのでこちらからもお祈りである。
二社目のフィードバッグを読む。こちらもボロくそである。事前に適性検査や、別途書類審査があった。
初めての面接で何を用意すればいいかわからないから仕方ないと思う。
おそらく最初から採る気はなかったのだろうけど、和やかな雰囲気で、やってくれたのは感謝しかない。
また縁があれば受けたい。
面接が1件。メンタルボロボロで行きたくなかったけど、お祈りメールが届いたのが朝ではない時間帯で、そんな時間にドタキャンするわけもいかないので行くことに。
業務説明が長かった。志望動機に始まり、具体的に何したいかといったことを聞かれた。
お祈りメールで心折られた。暇さえあらば泣いてた。お祈りされて悔しいというよりも、フィードバッグを読んで自分の未熟さを突きつけられたほうが悔しかった。
今の職場嫌いなわけではないので、転職しないという選択肢もあるけど、自分が未熟なまま歳をとるのは怖いと感じた。だから、転職しなきゃ。
②25歳以上の結婚禁止
③30歳を超えたら子宮摘出
を提案し、これを仮定の話、表現の自由として正当化しています。女性から学問や婚姻の自由を奪い、早婚と早期出産を強制する日本保守党に、私は反対します。日本保守党は危険です。
飯山陽さん、ついに福島みずほさんと同じ曲解(聞き違え)をされるようになりましたか。将来は社民党さんから立候補ですかね。ご健闘をお祈りします。保守党の党員で、飯山さんに寄附したお金について問合せしている方々がおられます。答えてあげてくださいね。
よもや飯山陽氏と和田政宗参院議員がまったく同じ歪曲をXでポストする日が来ようとは。昨年の今頃、和田さんは私に電話してきて、クルド問題での飯山さんの発信がいかに酷いかを口を極めて訴えておられたのに
はい。
クルド人をはじめ外国人犯罪の摘発に取り組んで来た私に対し、事実に反する発言をした飯山陽氏について、朝8の司会である有本香さんに、電話で事実に全く反する事を伝えました。
有本香さんからは様々な人の悪口や、その悪口に加わるお誘いを私も受けました。某議員の時もそうでしたが、百田尚樹が目立ってましたが、一番熱心に動いていたのは彼女。それなりの期間彼女と一緒にいて、悪口仲間に誘われなかった人はいる?私は何度も百田尚樹の悪口を言う様に誘導されました。
人類が宗教や信仰について考え始めて以来、神の公平性と偏愛の問題は常に議論の的となってきました。
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」というこの言葉は、多くの人々が密かに感じている、しかし口に出すのをためらう思いを端的に表現しています。
多くの宗教では、神は全知全能で公平無私であるとされています。すべての信者を平等に扱い、誰も差別せず、すべての祈りに耳を傾けるという考えは、信仰の根幹を成す重要な要素です。この考えは、人々に希望を与え、正義の観念を育むのに役立ってきました。
しかし、現実の世界を見渡すと、人々の間に不平等が存在し、ある人々は他の人々よりも恵まれているように見えることがあります。これは、以下のような形で現れることがあります:
これらの現象を目にすると、「神は一部の人々を贔屓しているのではないか」という疑問が生じるのも無理はありません。
しかし、この「贔屓」という感覚は、必ずしも神の不公平さを示すものではないかもしれません。むしろ、以下のような解釈も可能です:
1. 試練としての不平等:困難を乗り越えることで成長の機会を与えられている
2. 自由意志の結果:人間の選択の結果が不平等を生み出している
3. 大局的な視点:個人の人生を超えた、より大きな計画の一部である
4. 人間の理解の限界:神の意図を完全に理解することは人間には不可能である
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」という言葉は、人間の視点から見た世界の不公平さと、神の公平性という理想の間の緊張関係を表現しています。この問いに対する答えは、個人の信仰や哲学観によって異なるでしょう。
重要なのは、この問いを通じて自分の信念を深く考え、他者の経験や視点を理解しようとする姿勢を持つことかもしれません。そして、たとえ「贔屓」があるように見えても、それぞれの人生に意味と価値があると信じ、自分にできることを精一杯行うことが、この難解な問いに対する一つの答えとなるのかもしれません。
私が合わなかった職種に従業してる人達からもちゃんとした反論がある上で「こういう現場もあるよ」みたいな具体的な意見が集まるのが理想だったのですが、
ブコメ含めて9割が腕組論評してる人ばかりでゲンナリしていた所、工場増田さんの投稿があって滅茶苦茶嬉しかったです。
もう6,7年前の話になりだいぶ朧げな記憶になりますが、ご賢察の通り、私が担当していたのは自動車工場のライン工でした。
その為、ライン工と物資運搬(フォークリフトもあったのかもしれませんが私が工場内でよく見かけたのはバッテリー式牽引車に4,5台ぐらいの荷台が連結していたモノで、倉庫のピッキングバイトでは見たことのない乗り物でした)ぐらいしか知らず、
作業台が低いのに慣れるのはもっと評価されるべき才能だと思います。(郵便局で年賀状の仕分けのバイトをしてた時の作業台が低く、背中が痛気持ち悪くなり、勤務日数は約2週間ほどでしたが契約終了後背中のこりと肩こりと吐き気で寝込んだ記憶があります)
私は注意力散漫で手先が不器用なので技能工は難しそうですが、機械オペレーターという仕事はとても魅力的に思えました。(注意力散漫の為、検査工程での見落としに不安は残りますが)
また転職することがあって工場を視野に入れたとき、工場増田さんの投稿を参考にすると思います。
工場2週間でこのアプトプットはお世辞抜きで理解力の高さを感じます。
工場増田さんの次の職場が決まり、楽しく働ける事を心よりお祈り申し上げます。
https://jp.ign.com/nintendo-switch/77180/opinion/rpg-2
日本のゲームメディアはほとんどがタイアップ記事で、批評的レビューが発信されることはあまりない。だからゲームの出来に異を唱えるレビューがあること自体は歓迎したい。
原作は2桁周回ぐらいしたうえで、このリメイクは素晴らしい出来だった。そういう立場での反論だ。
マスクデータやガイダンスの不十分さはサガシリーズの個性ではない。
昔のゲームはだいたいそんな感じだったのだ。そして不親切な上につまらないゲームも多くあった。
サガシリーズは不親切な中でも抜群に面白い要素があった。だから不親切な部分も含めて、ファンを獲得していった。
面白いゲームにはおいしいトロの部分(トロ嫌いはごめんなさい)がある。トロの部分を探し当てるまで忍耐強く検証を重ねるのは、確かにゲーマー的ではある。しかしそんなゲーマーはごく一部である。
独創的なゲームシステムがあり、音楽があり、シナリオがあり、デザインがあり…様々な要素があってサガシリーズは成り立っている。サガシリーズは一部のゲーマーだけに愛されたのではなく、だから過去作キャラの魅力掘り下げに特化したロマサガリユニバースのようなタイトルも愛されている。
マスクデータ的なものの読み解きを魅力とするなら、サガ以外にも魅力的なゲームはある。説明不十分な部分も、サガシリーズだから許されたというだけであって、その部分を尖らせてもゲームの面白さに直結しない。
たとえば私はアンリミテッドサガ(アンサガ)が好きだ。だが同時に、アンサガは多くのサガファンをふるいにかけてサガシリーズの縮小を決定づけたタイトルだと思っている。アンサガは説明不足のあまり、分厚い攻略本(解体新書)が本来は備え付けで必要な「説明書」だと揶揄されるほどに難解だった。あれはレビュワーのいう“サガらしさ”が詰まったゲームではないだろうか。
私はアンサガ好きだといったが、自分でいちから検証することは(余暇がたくさんあった学生時代ですら)かなり難しく、先人の攻略を見て仕様を把握してはじめて面白さを味わえた。
それはロマサガ2においても同様だ。小学生時代に敵とのエンカウントにうんざりし退却を繰り返した結果、勝てるザコ敵がいなくなり進行を諦める…その後、攻略情報を見てクイックタイムありで七英雄を攻略したあと、クイックタイムなしで挑戦して…と段階を踏んでロマサガ2の魅力に取り憑かれていった。
それは河津秋敏率いるサガチームの挑戦だ。音楽、シナリオ、デザインなどもあるが、ここではゲームシステムに絞る。
ではロマサガ2において挑戦的な部分はどの点にあるか。主には「ひらめき」「フリーシナリオ」「皇帝継承システム」だろう。
このうち、ひらめきとフリーシナリオは他のシリーズにも共通している要素だ。つまりサガらしさから踏み込んで、“ロマサガ2”らしさを求めれば皇帝継承こそが本作の肝だと思う。
もちろん世代引き継ぎだけに限れば他ゲーにも類似システムはある。そこでひらめきやフリーシナリオといった他要素との化学反応により、ロマサガ2の魅力が生まれている。
ロマサガ2は皇帝継承により世代交代で強くなるゲームだ。主人公は次々と変わっていく。それが楽しい。
皇帝継承が発生する条件は例外を除いて「全滅」「皇帝のLPロスト」「年代ジャンプ」に分かれる。
つまり必然的にキャラロストするのだが、ウィザードリィなどと違い、全滅してもロストする要素はほとんどない。当代でひらめいた技を使えなくなることぐらいだ。全滅は悲しいし、面倒もあるが、避けるべきものではなく積極的に行うものだ。なお、年代ジャンプを行うことに成功すれば技や術を引き継ぐことができる。次代に技を引き継ぐことができたときの達成感もまた楽しい。
なのだが、件のレビュワーがソフトリセットがないことに文句を行っていることに驚いた。
レビュワーのいう「何度も挑戦して強敵に打ち勝つのも「サガ」の醍醐味のひとつといえるのだが、本作ではそれをさせる意図を感じない」は誤解である。
リセット・ロードを行うのはプレイヤーの自由だ。しかし、リメイクにおいてソフトリセットを仕様から外した理由は明確だ。なぜなら、全滅時に「バトル直前に戻る」や「最後のセーブポイントに戻る」を入れることもできたはずだから。(実際、皇帝継承が行えないゲーム序盤の仕様はそうなっている)
つまり全滅してもリセットせずに皇帝継承させることに肝がある。
皇帝継承して反省を活かして、陣形やメンバーを変えて「先帝の無念を晴らす」のだ。
まあ、ソフトリセットはレアドロップ狙いに便利なので残されていてもよかったとは思う。しかし、それを残してしまうと「先帝の無念を晴らさない」プレイヤーが多く生まれてしまう。だから仕様から外してよかったのだと思う。
ひらめきについても、レビュワーのいう偶発性は減ったにしても、ひらめいた技を継承するという醍醐味は失われていない。加えて、原作と比べて可視化されるようになったHPや行動順、ひらめきアイコンはオプションで表示オフにできる。
まあ確かに、ボス相手に思わぬタイミングでひらめいた技で勝った! そういう楽しみは確かに薄まったと思う。しかし、ひらめきは戦闘のテンポを悪くするという一面もある。原作では、派生技を完璧に把握しているならともかく、強敵相手に祈りながら通常攻撃をふるゲームになっていた。しかし普通は強敵相手には強力な技を使いたい。このちぐはぐさが戦闘のテンポを悪くする。
本作は技・術の演出・SEもテンポ感を重視してよく作られているように感じた。だから通常攻撃ばかりふるプレイイングはもったいないし、リメイクのゲーム性とは合っていない。常に全力で派生技を視認しながら様々な技を使うプレイイングにおいては、ひらめきアイコンの可視化は全然ありだと感じた。
本作はLPが削れないようにガンガンBPを消費して連携ゲージを溜めるゲームだ。
件のレビューでは回復行動もやり玉に挙げられていたがピンとこなかった。
これは難易度によって変わるからなんとも言えないが、一周目の最高難易度(「オリジナル」難易度)なら少なくとも回復して地道に耐久戦を行うゲームではない。
敵のワンパンでHPが吹き飛ぶことはざらにある。だからLPが削れることは前提で、こちらも高火力行動を押し付けていく。繰り返すが、この高火力の応酬はSFC的なテンポ感を現代風にリファインできていると思う。
また、筆者は育成のための稼ぎが好きではないが、本作では意識的な稼ぎを行わなくてもオリジナル難易度の七英雄までまっすぐ攻略できた。もちろん原作知識があったためでもあるが…。
少なくとも地道な育成を行って、回復しながら耐久戦を行って…そういう攻略でなくてもラスボスを倒せる。攻略の幅があるのもロマサガ2の魅力であることを伝えておきたい。
なお、高難易度が解放されても裏ボス以外の戦闘が作業になりがちだった某大作RPGと比べて、ロマサガ2Rはニ周目以降もしっかり楽しい。
一周目で手に入った最強の装備、アビリティを駆使してなお、歯ごたえのある戦闘が楽しめる点も評価したい。(技・術の周回引き継ぎをなくしたのはナイス判断)
本作はサガシリーズという素晴らしいIPを世に広めるために外部の開発会社がリメイクした作品だ。
SFC版の原作はおよそ120万本?売れているらしい。現代でサガシリーズがこれほど売れるだろうか。もし過去作を買った人が再び本作を手にすれば…
今年の東京ゲームショウで、本作のプロデューサー・田付信一氏は次のようなコメントを残している。
「サガシリーズはかつて4本のミリオンセラーを出すほど大きなタイトルでした。ただ、近年はそうした状況から遠ざかっています。なので、この素晴らしいタイトルをより多くの人たちにプレイしていただきたいと思いリメイクしました」
かつて攻略を諦めたのは私だけではなくプロデューサーも同じだったのだ。本作を実際にプレイして、より多くの人に届けたいプロデューサーの気持ちは確かに伝わった。
当たり前のことだが、ゲームに無尽蔵の理解と愛を捧げるユーザーばかりではないのだ。
サガシリーズの挑戦が、毎回単発で終わり、縮小再生産のスパイラルに陥っていることを私は悲しく感じていた。
ゲーム制作はビジネスだから売れないシリーズタイトルは予算がつかなくなる。予算がつかなくなればクオリティを担保するのが難しくなる。加えて、カジュアル層を惹きつけるリッチな要素(声優、美麗なグラフィック、ボリューム)をつけられないし、プロモーションも行えない。ますます売れない。
近年のサガスカ、サガエメは光るシステムを持ちながら、結局売れなかった。
予算がつけば、挑戦的なシステムをより多くのユーザーに届けることもできる。最近のサガシリーズは売れなさすぎだ。もっと売れろ。
以下は余談。
細かい部分の不満は全くないわけではない。たとえば大人になってプレイしてみると、行く先々で「帝国の支配にくだります」と現地民があっさり国を明け渡すのがややシュールに感じる。
しかし、ゲーム内で数百年と時が経ち…大学で学んでいるらしきサラマンダー族や、アバロンに観光に来ているヤウダ地方の武士を見て、「ああ、アバロンが国際都市になっていく」と感動した。
細かい部分で、オリジナル版では見えなかった部分の解像度が高くなっている。間違いなくロマサガ2好きが作ったリメイク作だ。
システムをかなりの部分で変えているにもかかわらずロマサガ2らしさを感じる、まるで夢のようなリメイクだ。旧作ファンも新規もぜひプレイしてみてもらいたい。
「虹の橋を渡った」という表現は、特にペットが亡くなった際によく使われる言葉で、愛された存在が安らかな場所へ旅立ったという意味が込められています。しかし、近しい関係にあった人の訃報について使う場合、やや違和感が生じることもあります。日本語の表現としては、厳粛さや尊重を重んじるものが多いため、相手の家族やファンに配慮する意味で、もっと一般的な表現(「ご冥福をお祈りします」「天国へ旅立たれました」など)の方がより適切と感じる人もいるでしょう。
ただし、故人と親しい間柄だった場合、その人なりの表現で伝えたい思いを言葉にしたいという気持ちも理解できます。
「虹の橋を渡った」という表現は、主にペットが亡くなった際に使われることが多いですが、人間に対しても使われることがあります。哀悼の意を伝えるための表現としては、一部の人々には優しさや慰めの意図が伝わるかもしれませんが、他の人々には違和感を感じる可能性もあります。
こうした表現の適切性は、文化や個人の感覚に左右されるものです。そのため、どのような表現が最も適しているかを考える際には、故人やその家族の感情、そしてコミュニティの文化的背景を考慮することが重要です。
芸能人の訃報に対して親交のあるタレントが「彼は虹の橋を渡った」と表現した件ですね。この表現の適切性について、様々な側面から考えてみましょう。
由来: この表現は、ペットの死を悼む際に使われることが多いものです。虹の橋は、天国へ続く架け橋という象徴的な意味を持ち、亡くなったペットが虹の橋を渡って天国へ行ったという温かいイメージを与えます。
広がり: 近年では、ペットだけでなく、人間にもこの表現が使われることが増えてきました。特に、家族や親しい間柄の人を亡くした際に、その人の冥福を祈り、安らかな旅立ちを願う気持ちを表す言葉として定着しつつあります。
故人の霊魂が安らかに天国へ行ったことを連想させ、温かい気持ちになれる。
親しい間柄だからこそ、故人を想う気持ちがストレートに伝わる。
一般的な「ご冥福をお祈りします」という表現よりも、個性的で印象に残る。
芸能人という公の立場の人物であるため、よりフォーマルな表現が求められる場合もある。
故人との関係性: 親しい間柄であれば、個人的な感情を込めて表現しても良いでしょう。
故人の宗教観や家族の意向: 故人や家族が宗教を深く信仰している場合などは、その宗教観に配慮した表現を選ぶべきです。
発信する場の雰囲気: プライベートな場で親しい人に伝える場合と、公の場で多くの人に伝える場合とでは、適切な表現が異なります。
周囲の反応: 自分の言葉が周囲の人にどう受け止められるかを考えて、表現を選ぶことが大切です。
まとめ
「彼は虹の橋を渡った」という表現は、決して間違いではありませんが、状況や相手によって適切な表現は異なります。故人への敬意を払い、周囲への配慮を忘れずに、言葉を選ぶことが大切です。
もし、より適切な表現を探したい場合は、以下のような表現も検討できます。
安らかに眠ってください。
「虹の橋を渡った」という表現は、決して悪い表現ではありませんが、状況に応じて適切な表現を選ぶことが大切です。故人への思いやりを込めて、温かい言葉で故人を偲ぶことが、最も大切なことと言えるでしょう。
補足
Switch版で直しておいて欲しいところを思いついただけ書く。もちろん購入予定なので発売されたら実際に直ってたかどうか検証したい。
「もう二度とやりたくねえ、ふざけるなよ開発した奴なんでこれで世に出そうと思ったんだ」とプレイ時間の6〜7割をブチ切れながらやっていたので正直あのストレスをまた感じるのかと思うと非常に不安だ。
それでも取り憑かれたように最後までプレイしてやり込んだ思い出があるので、いいところはそのまま残しつつ、悪いところはきちんと改善されていることを祈りたい。