「ゴッホ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ゴッホとは

2022-12-06

AIによるイラスト生成技術文化レベルにまで発展させたいなら、必要なのは人間の絵を描かせる時に、猫要素をひとつまみ入れる」とか、「ロボットの絵を描かせる時に、重機要素をひとつまみ入れる」とか、「アニメ絵を描かせる時に、ゴッホ要素をひとつまみ入れる」とか、一種コラージュ的なセンステクニックだろうね。

2022-11-22

anond:20221122163551

フランスとかゴッホとか書いといたら文っておしゃれになると思ってたけどやっぱ文章能力がないとおしゃれにはならないなと思い知った

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-09

やめろー!正しさを定義する権利はお前らにだけあるんじゃねー!正しさバトルしようぜ!

俺が勝ったらお前の正しさ「ゴッホキャンベルスープ」以下な!!!


ってことでいいの?

馬鹿から3行でお願いします。

2022-11-08

https://toyokeizai.net/articles/-/631285

テロリズムとどう違うのかがよくわからなかった。

気候変動抑止のためなら無差別殺人も辞さない」という主張にしか見えなかったが。

かに人権があるということは、あらゆる他人がその人の自由意思尊重する、ということだ。

ゴッホの絵にケチャップかけて「私たち意見を学び、共感し、同調しろ!」と主張することは他人自由意思尊重という態度に真向から対立する態度であり、

最終的に無差別殺人も辞さない(そして血濡れのナイフを突きつけながら「私たち意見を学び共感同調しろ!」と主張する)という見解に届くのに対して遠くないと、私は理解する。

それはテロリズムだ。

他人自由尊重しよう!

あなた方が特に倫理的に優れていて、他人扇動し正しい道に修正させる権利を持っている」というわけではない。

私は人間自由を脅かすテロリズム批判するのであって、声をあげることを批判するのではない。

そしてゴッホの絵にケチャップ投げてなにかわめくのはテロリズムだ。

なんで全然違うものをいっしょくたにするんだろ

環境問題を訴えるためにゴッホ絵画スープをかける事に否定的感想を持つ日本人沖縄基地反対の座り込み運動にも否定的だって決めつけをよく見掛けるけれど

えーー?それらって全然違う問題じゃない?

自分左翼を自認しているし、反原発安保反対のデモ沖縄基地反対運動での座り込みなどは普通に支持してる

だけど絵画スープをかけるのに対しては否定的感情以外湧かないんだけど…

政治家大企業に向けてデモ意思表示をするのと、何ら関係のない絵画毀損するのって全然別じゃない?なんで全く違うものをいっしょくたにするんだろうか

anond:20221108183326

環境問題解決方法はわからないけどゴッホの絵のゴッホの絵の汚損未遂が異常行動なことはわかるから

パーキンソンの凡俗法則だよ。

anond:20221108181550

思想と行動がつながってないのが気持ち悪いっていうのはなるほど!って思った。

でもさ、環境活動家批判している人も自分には直接関係ないゴッホの絵の汚損未遂激怒するほどの高い倫理観教養を持っているのに、

環境問題の解決方法についてはほとんど全員だんまりなのも「思想と行動がつながってない」と思うんだよね。

はてなー貧乏人の人権よりゴッホの絵を重要視するわけだよね

貧乏人は死ねと思ってるのがはてなー本音だよね。

anond:20221108172605

ゴッホとかどうでもいいしスープもどうでもいいけど思想と行動が全くつながってないか気持ち悪いし怖い。

基地建設に反対するなら基地の前に座り込むし政権に不満があるなら国会の周りでデモをするならわかるんだよね。思想は全く理解できないけど納得はできる。

でも地球温暖化なりなんなりとゴッホスープは全くつながってないじゃん。だから意味わかんなくて怖いって話。

アベやめろーって言いながら大阪城落書きしてたら異常者でしょ。

anond:20221108175128

ゴッホ騒動はまったく知らないけど、環境問題とセットで話題になってるの?

それとも増田がここに引っ張り出してきただけ?

増田独自なら心配

anond:20221108172605

ゴッホの絵じゃなくて、そこらへんの無名の人が描いた落書きでも、誰かのカバンとかでも、他人の持ち物にスープかけたらいかんでしょ

ついでにゴッホの絵にスープかけたらなんか不思議な力で環境が良くなる謎の技術があるわけでもないので、ただただ意味のない迷惑犯罪行為しかない

まりあの人たちは何かの要望を通す手法として無関係な他害を用いてるってことになるんだけど、そういう行為非難されてしかるべきだ

ゴッホの絵にスープぶっかけるのは炎上商法

炎上商法を嫌う奴はアホ」っていうのやってる当事者が言うのは分かるんだけど

気持ち悪い信者勝手お気持ち代弁してこれ言うのかなりしょうもないな、信者の質西野ひろゆき以下じゃん

anond:20221108172605

俺はゴッホの絵にスープぶっかけた件でgrgds君が「保守系日本人」を叩き始めたことにびっくりしてる

保守系日本人想像力を求めても無駄ですね。彼らのような人たちにとっては、豚になって唯々諾々と従うことが美徳ですから。/ 彼らは犯罪者在日外国人と決めつけるような弱者抑圧につながる妄想力は得意ですが。

2022/11/08

anond:20221108172605

環境団体よりもゴッホ絵画世界に与える影響のほうが大きいので。

anond:20221108172605

大切なものは人によって違うからな。ゴッホの絵にスープかけられても怒らないけど、自分の机の上のフィギュアを捨てられたら烈火のように怒る人もいるだろう。

ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本欠点

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

同じ人文系でも、社会学者マルクス学者フェミニズム学者の界隈は素晴らしい取り組みとして高らかに賞賛し、西洋美術史学者とかは嘆きそう。

ほんで活動派の学生大学所蔵の作品で同じことをやってみたいと名乗りをあげたあたりで、文学部内の議論が紛糾する。

ゴッホの絵にスープぶっかけただけでこんなに怒る人がいるのは正直びっくりしてる。

みんなゴッホ好きだよね。私は別に嫌いじゃないけどわりとどうでもいいかな。

それよりは海面上昇とか環境問題が何とかなってくれた方が私にメリットがあるよね。

ゴッホの絵にスープぶっかけるのが間違いなのは分かる。八つ当たりだし。

でもみんなが何でそんな熱意をもって環境活動家の人に怒ってるのかがよく分からない。

すごい熱意と高潔正義感を持った怒りの意見がいっぱい書き込まれてる。

なんで?

ゴッホの絵が一枚二枚どうにかなっちゃっても私になんのメリットデメリットも無いけど

彼らの活動が支持されてなんか環境問題が良い感じになったら私にもメリットある。

みんなはそうじゃないの?

しかも今回の事件ゴッホの絵は全然汚れてないじゃん。

マジでみんな何にそんな熱心に怒ってるの?

食べ物無駄にって言ってる人多いけど、カップ一杯のスープでこれだけの宣伝効果あったらコスパ良いじゃん。

怒ってる皆の近所のファミレス今日出た廃棄スープの方が多分ずっと多いよ?同じテンションで怒ってるの?

きっと魂のレベルが高いんだね。

私は低レベルの魂だから自分では環境問題になんか具体的なアクションをする気はないけど、だれかが頑張ってくれるのは大賛成だよ。

2022-11-01

anond:20221101065800

最終形態がなんのことかしらんけど、ゴッホデッサン美大受験生のお手本にはできないけどピカソのはできる

まぁでもああいリアル調の絵は後年は描いてないと思う

2022-10-25

魔術に著作権は発生するのだろうか

 NN関連技術の発展が著しい。ことさら理論構築から実用に杯が降りたことで民の関心は盛況を極めている。さるに、聡明高潔な筆者の戯となるは、未来予測である

 一歩戻ろう、いや二歩か三歩かはるか前か。我々はプログラムという化物に出会った。そいつの血肉であるソースコードには著作権が発生する。勝手にパクって利用したのがバレて権利者が親告すれば罪となる。我々は化物の親としての権利を主張できたのだ。

 時は進み、歩は歩み、化物は化物を産んだ。言葉を紡げば、人の子を模した化物が誕生するようになったのである。さて、賢明諸君、この化物の親は誰だろうか?

 言葉著作権はあるか。無い。商標権が近くの海で泳いでいる程度である詩歌にはあるか。有る。創造的で文化的活動の成果である。では、詠唱にはどうか。婚活やら発達障害やらの話題に懸命な諸君はどう思うだろうか。聡明高潔法律に疎くJASRACヘッドハンティングされるも固辞した筆者は、これになんと答えよう。

 元素法典は偉大である詠唱価値を知らしめる、表現を綴った書物だ。詠唱とは詩である言葉の羅列が少し違うだけで、創造される表現が別次元触手を伸ばす。遺伝子配列のように、崩れても堅固でありながら、少し違うだけで別物なのだ聡明高潔生物学に疎い私は遺伝子のようだと例えたが、神経のようだと喩えた方が実態には則しているのかも知れない。ニューラルなネットワークだし。

 閑話休題、詩に著作権は発生する。さて一方。絵柄に著作権はあるか。無い。おや、雲行きが怪しくなってきた。詠唱が発露する回路の先には、似た絵柄の羅列が待つ。詠唱は似た表現を産む一つの言葉のようである。"火"を描くのに著作権は発生しない。詠唱の持つ力はその程度ということだろうか。詠唱とは柄であるゴッホの絵柄で暴走族を描いても赦されるように、唱えた結果は表現ではなく柄なのだ。まるで比喩のようだ。比喩はどこかの誰かが産んでも、親としては認められないのだ。んあぁ、閑話休題しかし、ソースコード著作権は発生する。入力と出力は守られず、近くの海に特許が泳いでいる程度であるが、回路には著作権がある。確か第何条かで小難しい詠唱がなされていた記憶がある。詠唱とはソースコードかもしれない。そう思うと、守りたくなってくる。

 さてはて、話題は発展する。聡明高潔漫画が大好きな筆者は、今後に起こるちょっとした予測を楽しんでいる。詠唱著作権については皆様のような専門家による今後の議論を楽しませていただくとして、もう一つ思いを馳せるは、仮に詠唱公共財産見立て世界線に乗ったとして、その船の先にある、連続詠唱のことだ。

 今後、詠唱士と呼ばれるだろうか、あるいはプロンプターだろうか、3Dモデラーアニメ業界活躍しているように、AI技術を駆使できる者が表現界隈で一部に幅を利かせることだろう。そこで生まれる予感がするのが魔術書である詠唱士が参加した作品詠唱文を参画した他者が公開することに、法に触れる要素はあるだろうか。連続詠唱に、果たして著作権は発生するだろうか。

 仮に詠唱著作権が発生しない世界分岐したとしても、漫画コマ一つに著作権が発生しない世界だったとしても、コマの並び、言葉の並び、知的に紡げば、それことが表現である連続詠唱が産む表現はどうか。出力は安定しない。作画監督による修正もある。詠唱文に魅力はない。しか詠唱一つ一つがそれでなければ産まれ得なかったものになろう。しか連続詠唱が産む表現にはばらつきがある。回路に与えるシードまでパクられないと権利として認められないだろうか。父ちゃんがわからなくても、彼は歴としたか連続詠唱の子なのに。

 魔術の申し子に、君は何と声かけよう。平凡でたまにホッテンに上がる著作権がらみの記事も読まずしか文化の発展を心より願う筆者は、親の幸せを願いつつ、子が伸び伸びと育つ恵まれ社会となることを祈って、今日を眠ろう。

……あれ、火曜の朝やん。仕事つら!!!

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