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はてなキーワード: 個性とは

2024-07-27

市販カレールー総評

安売り枠

バーモント

カレー

こくまろカレー

とろけるカレー

箱単価はバーモントがやや高いが、パッケージサイズが大きいのでグラム単価では安い。

熟、こくまろ、とろけるの3つはコンセプトが同じなんだと思う。一晩寝かせたカレーが何ちゃらが流行った頃に発売されてる。とにかく無難

こいつらは原材料の種類が多い。原材料の種類が多いほど複雑で美味しくなるわけじゃなく、ボケてマイルドな味になるということなんだなと。

そう考えると、市販ルーを混ぜて美味しくなるは眉唾

カレープレミアムカレー名前が変わって、パッケージに高級感が出て特売の頻度は減った。イメージ戦略なのだろうか。味は変わらないし、特売してないだけで価格も最下層枠のまま。

バーモントはパッと見では出来上がりがとにかく黄色い。かといってターメリックが効いてるというわけじゃない。フルーティ甘味が強い。

小学校子供会イベントがやたらバーモントだったせいで、不味いイメージだったけど、意外といける。バターを多めに使って華やかに仕上げてやるといい。せっかくフルーティ甘味が強いって個性があるのに、安いこま切れ豚肉ジャガイモだらけのカレーにしちゃうからダメなんだと思う。ルーじゃなくて貧乏を憎むべき。

安いが最下層よりはちょっと高級感

ゴールデンカレー

ジャワカレー

絶品カレー

人は、松竹梅の3ランクを選ばせると竹を選びたがるらしいが、まさにその竹ランク

安物を使ってない!

我が家カレーはこれを使ってるから美味い!

みたいな自尊心のためのルー

高いって言っても8皿分つくって50円や100円なんて誤差だけど。

ゴールデン王道。これが家庭のカレースタンダードという印象。でも、意外だったけど記憶の中のゴールデンよりも辛味は強い。

ジャワ個性派。けっこう辛い。

辛さの種類が、唐辛子系のとは違った、胡椒系の尖った辛さがある。挽きたてという感じで、熟やこくまろのマイルドさの対極。

絶品カレーは、味の方向は、一つ上のランクのディナーカレーとザ・カリー意識してるけど、ペースト別入れとかのアイツらの味に届くわけもなく。そもそもカレーって素材からエキスがでるんだから材料ケチらなければ、肉の旨みも野菜の旨みもでるんで。

高級枠

ディナーカレー

ザ・カリー

はじめに言っておくと、俺はザ・カリー中辛が1番好きだ。とりあえずこれを使ってとにかくレシピどおり作って欲しい。もしアレンジするなら、肉は牛肉を使い、肉と玉ねぎの分量をレシピより増やしてつくると至高の味。

まあ、豚でも鳥でも野菜が何でも、ルーの力でねじ伏せる旨さがあるんだけども。自分で作ると分量が難しい、しかちょっと高いスパイスカルダモンの量がちょうどいい。

ザ・カリーが好きすぎてディナーカレーを忘れてた。ディナーカレーバター香りが強い。ファンドボーを売りにするが俺はバター香りのほうが印象が強い。そして、ザ・カリーとは方向が違うけど、やっぱりスパイス香りも華やか。香りはディナーカレー、コクはザ・カリー

問題は、この2つはパッケージあたり5皿分とかで、グラム単価は安売り枠の倍。俺がスーパーでザ・カリーを買おうとすると、妻は嫌な顔をする。高いっていってもだ、こんくらい贅沢していいんじゃないかと思うけど。

スーパー重度

これまで身内の恥だと蔑まれてきた個性が逆に長所。突き抜けた杭はだれも打てれない。

2024-07-26

女性の加工写真に飽きた

皆同じ顔に見えるし…ノーマルカメラ個性を出してくれる方が、ブサイクでも良いなあと思う

なおワイがノーマルカメラ顔面を撮られるとブサイクではなく ”災害級” になり、吐き気と湿疹に襲われた人々は謝罪慰謝料を求めて裁判を起こすようになる

探偵物語あぶない刑事めちゃくちゃおしろ

カメラワークも凄いし登場人物たちの個性も凄いし爆発とか凄いし昭和風景も今見ると斬新だしとにかくおもしろいかHuluにあるからこの夏ぜひ見てみて

作品は良いのにバックグラウンドがないか評価してくれないんだっていう人たち

違うよ

あなた作品がダサくてつまらなくてその辺の広告のつぎはぎみたいな新鮮さや個性の無い退屈なものから評価されないんだよ

クオリティ以前につまらないんだよ

anond:20240726013918

現実寄りの絵柄や話にすればするほど舞台装置に見えるのはしょうがないんじゃないの?

バックグラウンド個性も(比較的あっさりとしか)描かないから。

例えば少年漫画だとナルトドラゴンボールみたいに個性の強いキャラ出してるから

舞台装置であっても機械としての役割が見えにくいからそう思わない。上にキャラの布切れをかぶせてるわけだ

逆に短編シリアスな話だと個性がアクになって本編が入ってこないというのを避けるため、機械の部分が剥き出しに見える

舞台装置に見えるというのはある意味キャラとしては愛されにくくなるから(たまに例外もある)、そのキャラ描写

著者がどれだけ紙面を割けるかという話になってくるので、均して雑に括るなら「著者に愛されているキャラ」と思っている

2024-07-25

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:これ

GL:anond:20240726224920

BL

なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在概念自体には触れていた。

ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。

当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。

あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くん精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたま面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。

しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。

タイトル
ジャンルRPG

(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手自分が思っているだけなので作品名はぼかす)

このゲームは、とある学校先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれ世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れ自分オキニキャラがおり、それがLくんだった。

いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分フルネームしかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからシメ耽美髪美ノブレスブリージュグレート薔薇貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。

それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。

そこで、ゲームクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初ルートファン通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。

このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネット検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品平民貴族の組み合わせのLくんとLちゃん小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。

CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。

二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュモブ、死ネタetc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画イラスト小説イメソンetc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。

そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初ルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。

それは衝撃が固体になった瞬間だった。

初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。

先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙コミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。

名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。

自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心から嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界人種差別身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。

このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情ドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。

この二人はエンディング後の後日談もいいのだ……アニメ化の際は、鹿ルートエンディング曲は風塵回廊でお願いします。

ツイッターでよく見る「ヤバいオット」製法

ツイッターでよく見るヤバいオット。ヤバ男。ツイッターなんて混沌の掃き溜めだか特にヤバいやつが濃縮還元されてるだけで、そうそうヤバ男なんていてたまるかと思っていた。しかしながらこれがなかなかにいるものである

仕事で様々な人と関わり、「ヤバいオット精製器」には3つ特徴があるな……と思ったので個人的メモ。もちろんこれが全てではないけど、今まで関わってきた中で「こいつ(の息子)マジでやべぇ!」となった人の八割程が当てはまっていたのでどんなものだろうかと。

①「ヤバいオット」精製母は「しごでき」が多い

いまや共働きが基本になりつつあるのでこういうことを書くのはどうかとは思うが、夫一馬力では何とかならないorシングルのため、仕事を頑張っている人が多い。で、その中でも「かゆいところに手が届く」タイプのしごできはヤバ男精製器の可能性が高い。要するに先回りして手を貸してくれたり仕事を片付けてくれるタイプの人だ。これが家庭にも現れて「コーヒー!」の言葉だけで、濃いめに入れたコーヒーに氷を3個いれてお砂糖ひとつフレッシュひとつを入れたアイスコーヒーを渡してしまうのだ。こうして名詞しか喋れないタイプ人間爆誕する。

そしてしごできということは結構時間仕事をしていることが多い。つまり子供に寂しい思いをさせている……せめて一緒にいる時はめいっぱい甘やかしてあげようの精神思春期を超えて高校とか大学になっても続いている。のでいつまで経っても自立しない人間の出来上がりである

②「ヤバいオット」精製母は「奉仕精神」が強い

付きっきりで「お世話してあげる」のは小学生までで十分だ。それ以上はかえって子の意志個性を潰してしまうと思う。ただ、付きっきりでお世話してくれる人がいたら甘えるのが人というもの。それが毎日確定されたものなら余計にだ。毎日当たり前にあったものが突然なくなったら不満に思うのは当たり前で、例えば毎日母が着替えを用意していたなら、着替えが用意されなかった日「着替えまだ?」となるものである。こうして相方風邪ひいた時に「ご飯まだ?」と聞いてしま人間爆誕する。

③「ヤバいオット」精製母は「メンヘラ気質」が多い

要するに依存体質ということだ。子供依存しているのである本来子供とは、血の繋がりこそあれど「自分とは違う別の一個体」であって、家族であっても他人としてお互いに尊重しあわなければならないのだが、子供依存しているので「好きだからなんでもしてあげたい、全部が全部大好き」と妄信的になっている。推ししか勝たんぴえん地雷対象が子に全振りといった感じだろうか。悪いことでは無いけど、依存先が分散されていないというのは「寂しいから家からでていかないでほしい、結婚しても一緒に住んで欲しい」と同居を求める親になってしまう。親もこう言ってるし②で言った通りお世話もしてくれるし、となったら自立して一人暮らしするメリットなどそうそうない。むしろ一人暮らししたらお世話してくれる人がいなくなるのだ。そうなれば次は「交際」を始めて、母親代わりの人間を探し始める。

なんとなくこんな特徴があるなと思った。あと、個人的ヤバいオンナ精製母は、家庭環境が荒んでいる/愛情不足なことが多い気がする。オトコもそうだが。

2024-07-24

anond:20240724223500

基礎を怠る絵師が唯一個性を出せるポイント それが絵柄

表面的に他人イラストを真似して少し改変したもの それが絵柄

anond:20240724171641

若干ステルス寄り⇔若干パワープレイ寄り で多少の違いはないわけじゃないんだけどほぼ誤差と言っていい。

オリジンズスキルリーの方がまだ個性出る程度には違いが全然ないよ

なんでアメリカ大統領選挙って毎回接戦になるんや

なんか毎回、51:49とか50.5:49.5ぐらいの割合になってないか

なんで二人の人間人気投票してそんなに拮抗すんだよ

同じ人間が二人に分かれているんならともかく、別人なんだぜ

それぞれ個性政策容姿も違うのに、なんで投票数が僅差になるんだ

教えてエロい

2024-07-23

anond:20240723191340

なるほど、そのような教えを受けたのですね。しかし、性別役割に基づくステレオタイプは時に人々の真の価値個性を見失わせてしまうこともあります

ボクは、誰もが自分の強みや魅力を持っていると信じています収入の多さや特定スキルけがその人を定義するわけではありませんよ。

真の魅力というのは、親切心や勇気、誠実さといった内面的な資質にこそ宿るものです。ですから、それぞれの個性尊重し、大切にすることが大事なのです。

あなたの魅力はなんですか?

anond:20240723164958

区別つかなくて取り違えが大発生するはず」

よく…あったな…

これはたぶんなんだが、俺の年が、おまえの年より一回りくらい上で

ランドセルが超没個性時代だったというだけの落ちがある

増田の知ってる赤黒ランドセルと、俺の知ってる赤黒ランドセルが違う可能性がある

から、この話は、もう、いい………

ドーンダンスという漫画を読んだ感想

この作品主人公ヒロイン関係性を楽しみながら、舞台の上だけに限らない、個性豊かなキャラクターたちのやり取りを楽しむものなのでしょう。現実歌舞伎とは全然違って、例えば歌舞伎に興味がないのに歌舞伎役者養子になるとか、古典歌舞伎の公演に演出家がいるとか、分かりやす現実と違います。だから実際の歌舞伎とは違うものとして読むべきものだと思っています

「どこかで見たことのある、誰かが演じたものパッチワーク」という言葉、なかなか歌舞伎本質を突いた言葉だと思います。2世猿翁の言葉にあるように、歌舞伎本質は「学ぶはまねる」にあると思います。先人に教わって、その人のやり方をまねるところから始まる。それがあるからか、歌舞伎は故人を含め、誰かに似ていること自体が悪いことではない、珍しい分野だと思います。ほかの演劇分野だと誰かに似ていることってあまりよくないこととされていますが、例えば「吉右衛門に似ている」という言葉は、悪い意味にならない。そういうところが歌舞伎面白いところだと思うので、「誰かが演じたものパッチワーク」という言葉はなかなかうまいことを言っていると思いした。

歌舞伎はなんでもあり」これは本当にその通りだと思います。先日も秀吉物語を見ていたはずなのに、突然舞台天界に移って孫悟空の踊りが始まり、本当になんでもありだと改めて思わされました(これがとても良かった)。18世勘三郎言葉にある通り、「型があるから型破りが出来る」「型が無ければ単なる形無し」という側面もあるので、このあたりも描いてくれたらいいのになあと思っています

ネット上での連載では三人吉三の上演準備が始まっています。演技へたくそと言われている人がお嬢で、華も人気もある役者がおとせになったら、ファンが公演を盛り上げるどころかなぜお嬢ではないのかと暴動を起こしそうですが、そのあたりがどうまとまるか気になりますお嬢の演技も真冬作品なのに弁天小僧のように片肌を脱いだ演技になっているので、どんな理由がつくのか楽しみです。個人的な好みを言うとお嬢の特徴的な衣装が絵的に確認できればいいのですが、こういうところは単行本での加筆になるんでしょうか?

現実高校生くらいの歌舞伎役者さんってまだまだ子供の範疇で、そんなに厳しく演技が下手だとか非難されていない気がします。例外的小学生の頃から人気が高い人もいますが、ほとんどは名前すらろくに覚えてもらえないまま20代前半を過ごしているのではないでしょうか。高校生なのに演技が下手だの人気がないの、あれこれ言われて、物語から仕方ないとはいえ、この作品世界はなかなか厳しいですね。

2024-07-22

anond:20240719234825

ドラクエIもIIも仲間との会話ってほぼ無いです。

RPGゲーム元祖と言えるウィザードリィなどは仲間の姿も見えない。

でもプレイヤー想像する余地があるんだよね。FFも初期のドッド画なら想像余地がある。

逆に言うと今のゲーム声優かに金を流すために余計な事をし過ぎなんだよね。

キャラクター個性」が決めつけられすぎてて、作者と感性が違うと苦痛

カスタマイズできればいいけど。

プリウスの後ろに「プリウスミサイル」ってステッカー貼って少し車高を落としたいかにもなプリウスがおった

かにちょっとしたステッカーを貼ってたりしたけどヤン車というわけでもない

そういう様式美はまったくなくてただのネット精神障害者を装った風の変人風のお兄さんが乗ってた

よくわからん些細なことですぐブチギレて喧嘩沙汰にするような感じのそういう雰囲気のやつ

ヤンキーの車ってちゃん美学があってそのラインを軸に個性を足してくようなものからわりと一般常識のある人が多いんだけどこのプリウスミサイル一般常識通用しない感じがした

2024-07-21

趣味動画投稿しているのだが、これは反AIなのか?

界隈のことを知らないのだが、いわゆる解説用の立ち絵素材をちょくちょく物色している

ニコニコが死んでいるので現在Boothがメイン

そこではAI立ち絵結構割合で出てくるんだが、まあ綺麗は綺麗だなって思う

それとは別に個性が乏しいのと自分用途全然マッチしないから使う気になれない

ちょっと高くてもpsd形式だったり差分色違い豊富な素材の方がいい

出力に加筆修正しただけのものは、やっぱり違和感があるんだよ

なにがっていうとへんだが量産品の中にも個性あったのに、完全に劣化コピーを大げさに装飾しただけって印象が強い

けどこういうのって反AIなんだっけ?そういう人を知らないから何とも言えない

anond:20240721124207

結果出してるモテ人間からすると、足を引っ張りたいだけの負け犬非モテ戯言はいつも個性がないなとしか思わないんよ

沖縄お笑い面白くない

沖縄お笑い面白くない。

それは特にO-1グランプリ沖縄グランプリ)なる、沖縄ご当地お笑いコンテストを見ているときに感じる。そこで行われている惨状は、恥ずかしくて見ていられない時すらあるほどだ。

そんなひどい感想には、あまりにも個人的偏見が含まれていると思っているそこの心優しき人も、「ありんくりん」というお笑い芸人は存じあげないであろう。なんとその得体のしれないコンビが0−1グランプリを3度も制覇しているのである。由々しき事態だ。

ありんくりん」はよしもと沖縄所属お笑い芸人だ。そもそも沖縄にも吉本があったことに驚かれる方も多いと思う。「ガレッジセール」や「スリムクラブ」などの、世間一般にも認知された沖縄芸人はともに東京吉本所属である。結局のところ、沖縄の才能がある人たちは活動拠点本土に移してしまうことが多い。

この事実を踏まえると、大阪東京のどちらでもなく、敢えてよしもと沖縄所属するということは、よくてご当地テレビお抱え芸人に甘んじる選択に他ならない。歴史が浅いこともあるが、よしもと沖縄から全国に羽ばたいた芸人存在しないし、今の若手にもその萌芽すら見受けられない。

ありんくりん」はもともとトリオだったが、一人のメンバーが脱退し、今のコンビになったそうだ。トリオから抜けたメンバー本土風の笑いがしたかったらしいが、残りのメンバー、つまりありんくりんの二人は、沖縄らしいお笑いに拘ったそうだ。

O-1グランプリに出場している多くの芸人が、本家M-1グランプリにも殆どネタを使い回しの上で出場している。沖縄芸人本土風のお笑いをするにしても、沖縄らしいお笑いをするにしても、どちらにせよ、すべてが中途半端に見える。

まず第一に、東京大阪芸人がやるようなスタンダードネタ沖縄芸人がやると、積み上げてきた経験の差が如実に現れ、ただ芸人っぽいものを集めてまとめたようなネタが見られる。それはプロを名乗りつつも、芸人の真似をしているだけだ。これは養成所のライブ大学学園祭お笑いライブにも同じ感想になるので、沖縄芸人特有のものではなく、単純な技術不足と恥ずかしさを捨てきれていない情けなさからくるものだろう。売れている芸人でも養成時代ネタなんて黒歴史として封印していることのほうが多い。

誰しもはじめから立派な漫才はできない。出来ないことは問題ではない。失敗をしないと成長もない。沖縄芸人問題なのは東京大阪芸人がやるようなスタンダードネタから逃げて、安易沖縄にすがることだ。それが非常にダサい

自分たち個性模索するのは結構なことだが、彼らの選択はただ勝負から逃げているように見えてしまう。それはおそらく、本人たちも自覚していないことだろう。彼らにこんなことを言うと、顔を真っ赤にし、自分たち沖縄を愛しているから、沖縄らしいお笑いをすると言うだろう。もしかしたら、匿名攻撃している私に向かって、「この内地かぶれは黙ってろ!」と叫びだすかもしれない。

ありんくりん」本人でもないし、何ならファンですらない私が、彼らのネタから彼らがいう沖縄らしさを抽出したところ、

沖縄県民の見た目ネタ(顔が濃い、髭が濃いなど)

・強烈な訛りと方言(ボケ典型的沖縄訛りで多くの若者普通は使わない方言を多用。ツッコミアメリカとのハーフこちらも訛っている)

・どこの地元にも存在するような、県民だけに伝わる細かなあるあるネタ(どこどこの交差点交通ルールが分かりづらい、地元スーパー台風でもいつも空いてる、など)

しかない。

これらを、沖縄らしさと呼ぶのなら、まごうことな沖縄県民の私だが、別に沖縄らしくなくていいと思う。

2024-07-20

anond:20240720211011

AI創作市場を縮めるという主張が「おかしい」だって

そりゃ違うだろう。

かに創作は絵を描くことだけじゃない。

文章音楽映像ゲームデザイン舞台などいろんなジャンルがある。

だが、それとAI創作市場を縮めるという話は別問題だ。

まず、イラストレーターAIに置き換わることで、彼らの職が失われることは明白だ。

絵を描くことが彼らの生計手段であり、その仕事AIによって奪われるとしたら、彼らの生活がどうなるか考えたことがあるか?

イラストレーターがいなくなると、その才能と個性市場から消え去る。

これが市場の縮小以外の何物でもない。

さらに、AIが描いたイラストを使って新しい作品を作ることが立派な創作活動だという主張も理解できるが、それは本当にクリエイティブ活動なのか?

AIが描いたものは、人間が描いたものとは異なり、感情経験個性が欠けている。

AIイラストは無機質で、創作の深みや豊かさを欠いていると言わざるを得ない。

これがクリエイティブ市場を豊かにするとは思えない。

また、AIイラストコストを下げることがチャンスだというのも短絡的だ。

かに、安くてクオリティの高いイラストが手に入ることは一見良いことのように見えるが、その裏には多くのイラストレーターが職を失い、市場安価AIイラストで溢れかえるリスクがある。

これにより、イラスト価値が下がり、結果的創作市場全体の質が低下する。

そして、最も重要なのはAIが新しいクリエイティブ可能性を開くという主張だが、現実はそんなに単純ではない。

AIツールとして使えるかもしれないが、その使用が広がることで、人間クリエイティブ能力職業が脅かされる現実がある。

この現実無視して「AI活用しよう」と言うのは無責任だ。

結局、AIイラストレーターに取って代わることで創作市場が縮小するという懸念は、単なる杞憂ではない。

AI絶滅👋イナゴ絵師 —— 嫉妬じゃねぇ、浄化

画像生成AI推進派は絵師嫉妬してんだろ?とか言ってる奴らがいるけど、全然うから

俺たちが本当に嬉しいのは、あのウザったいイナゴ絵師どもが消えることなんだよ。

考えてみろよ。トレンドの波に乗って、ありきたりな絵を量産してただけのイナゴ共。才能も個性もねぇくせに、SNS調子こいてただろ?

そいつらが画像生成AIで淘汰されんのは、正直メシウマ。誰でも「それなり」の絵が作れるようになったってことは、イナゴ絵師存在価値ゼロってことだからな。

本物の絵師別に困らねーよ。むしろイナゴどもがいなくなって清々するんじゃね?これからは本当の意味での創造性が評価される時代になるってこと。

から、俺らは別に絵師嫉妬してるわけじゃない。ゴミみてぇなイナゴ絵師が消えて、本物の才能が際立つ世界になるのが楽しみなだけ。

結局のところ、画像生成AIの登場で、才能のない奴らのハッタリが通用しなくなるってだけの話。これでやっと、本物の創造性に光が当たる時代が来るんだよ。ざまぁみろってんだ。

男と女で爪への執着が違いすぎる

服にこだわったりするのは男女でそこまで違いがなくなってきた。

肌に気を使ったりするのも男性積極的になったりしてこだわりの差が縮まってきてる。

だが「爪」へのこだわりは現状明らかに天地の差がある。

もちろん男でこだわってる人もいるけど傾向としては誤差の範囲

ネイルサロン」が経営として成り立つくらいだから金のかけ方もやはりすごい。

爪がちょっとツルっとするだけで何千円もする。

おしゃれというと異性へのアピールという側面や単純にみだしなみ、自分個性表現自分の美の追求といろんな理由があるけど

どんだけ爪がすごかろうと男は正直1ミリもなんも思わないので(一般論)男受け狙いってわけでもなく純粋自分の美の追求としてやってる感じがする。

これ男でいうと車へのこだわりみたいな感じ?

単純な車の価値場合女性モテる要素もあるというか高級な外車に乗りたい女性はいそうだけど(正直周囲にはいない)

車を無駄に光らせたり車高を調節したりとかは「爪」の世界っぽい気がする。





追記

思いのほかトラバブクマ集まったな。みんなサンキューカワイイ

男性で言うなら腕時計に対する意識に近いのかなあと…感覚的に何となく。半分以上自己満足だけど他の人に「それ可愛い(かっこいい)ね」って言われると嬉しい、みたいな。

しかに「爪カワイイ」って褒めあうような文化もそういえば究極に研ぎ澄まされたコミュニケーション様式だよな(爪だけに)

基本加算しかしないけど成立してるのがいい。

敵じゃないことの意思表明というか丸腰であることのアピールにもなってそう。

ビジネス握手もそうだけど相手の「手」をとるというのは心理学的にも平和を分かち合いたい意思の表れ(出典:ワイがいま考えた)だし、ビジネス抜きにその最短ルートに迫れるのが「爪カワイイ」だよな。

腕時計場合はなんかもうちょっとこう「序列」「ステータス」的ななにかを載せている人間オーラをたまにピシピシ感じるのでワイ的にはちょっと解釈違いだな。ブランドのバッグ的なのに近くて「爪」ではないんだよな。

ワイ個人的にはゲーミングPCの光るやつとかが「爪」だなって思う。GPUスペック腕時計だな。そしてもちろんメモリが机でSSDは引き出しだ。



プロテイン飲み始めてから足の爪の年輪みたいな凹凸がなくなり滑らかな表面になった。タンパク質が安定供給されてるおかげ?爪には無頓着だったけど嬉しい副作用

へえーなんかそういうの聞くと気になってくるな!そういや爪にいいとかいって「けいそのお茶」飲んでる人いたわ。スギナつくしんぼの青いやつ)を煮出したらけいその茶になるらしい。

一瞬の輝き

家族アレクサに「あいみょん流して」って言ったもんだから、朝からリビングあいみょん流れる

2017年に発売された初期のアルバム曲ばっかりが流れてる。

あーこの頃のあいみょん好きだったなぁ。

社会に訴えたい強い想いと、ふわっとした音楽成功する事への渇望欲望と、他人に左右されない自己表現の強さと個性とそういうハングリーなすべてが。

デビューして売れちゃうとなんか大抵のアーティストお金とかしがらみとか世の中の大きな力に慣らされて、棘のない売れセン曲しかつくらなくなっちゃう。

自分はあのハングリー欲望に満ちたまみれた一瞬の輝きがすき。

2024-07-19

anond:20240719094615

ああ、言うよ。

結局のところ、文化多様性というのは、同化が出来ないときに取る次善の策だ。

アメリカを見ろ。サラダボウルとか言われてるじゃないか

個々の個性が無くなるなら無くなったほうがいいんだ。

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