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2024-11-10

anond:20241110162043

思考時間思考の質は関係ないし、かりに関係あるとするなら逆に自分入社して提案するのでも同じことだよね

はい論破

anond:20241110161025

なんでそんな非効率なことしないといけないの?

不特定多数が見てくれるこういうところで訴求していった方が何事も変化が起こる可能性高いだろ。なかには俺よりラジオ局入社できる可能性や既にラジオ局発言権持ってる人が見る可能性もあるわけでどう考えてもこのやり方の方が社会が変わる期待値は高いな

2024-11-09

anond:20241109134310

こっちは手に職つけてものづくりがしたくて設計職についたけど先輩は口ばっかり達者で社内政治に忙しく、コロナでは近いからという理由で出勤と雑用押し付けられ、入社して20年以上給料が上がらず実家も出れず結婚できなくて寂しいよ。先輩の怠慢から炎上した仕事の尻拭いを押し付けられてメンタル崩したり、初めから赤字の儲からない仕事押し付けられて毎日サービス残業で倒れそうになって何とか仕上げた仕事の成果は横取りされて、査定仕事が遅いという理由で最低だったよ。期待の工学女子はすぐに辞めてしまったし、昨日JIMTOF行ってお客さんのメーカーあいさつしに行ったら、お宅の会社サービスいから使わないって言われてショックだったよ。俺もやめたいよこんな仕事

まれた時から生活保護を受けているうつ病

まれた時から生活保護を受けている。

正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家生活保護だったと思う。

父親母親離婚しており、シングルマザー姉妹で育ててもらった。

母は精神的に不安定な部分があり、よく姉と衝突していた。

私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまりわず従っておりそのたびに母親に褒められていた。

母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。

母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。

保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。

そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。

この頃から不眠症の気があったのだと思う。

アパート暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。

姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。

私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。

地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由農業高校に入った。

から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。

高校入学の時点で、選択肢を間違えたんだと思う。

小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。

そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。

高校二年のとき大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。

最悪の出会いだった。

腹をよく下すのは睡眠不足からと言われ、眠剤を処方された。

医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。

この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存けが残った。

この頃からうつ病意識し始めていた気がする。

この医者には「自律神経失調症」と診断されていた。

母親お金のことは気にしなくていいか大学に通って良い、と言われた。

底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたか奨学金を借りなかった。

そのまま栄養士育成の短期大学入学した。

母親は言ったことを反故にした。

入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。

そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。

もう大学入学してしまたからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。

から入ってから奨学金を借りた。奨学金二種だった。

利子が60万ついた。

私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。

親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。

しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族生活保護を抜けて生活をしていた。

短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。

この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。

ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。

学校カウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。

栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。

管理栄養士と違ってただの栄養士調理系が9割なのだ

私は勝手実験系の仕事イメージしていた。

考えなしの馬鹿だった。

勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。

なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業就職した。

実家からどうしても離れたくて地元以外の場所店舗希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。

実家から店舗への距離10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパート引っ越した。

その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。

勿論私も実家を離れるときに散々恨み節を吐かれた。

母親からしたらそう言いたくなるかもなと思った。

ここまで話には出してこなかったが、母方の実家祖母は気狂いだ。

宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。

昔の人だからいたこともなく、祖父お金だけで暮らしてきた人だった。

私は祖母友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母たまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手友達の家に侵入してきたことがあった。

ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。

こういう人だから、いつ学校不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。

中学の時に祖父が亡くなり、母の精神さら不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。

母にとって唯一頼れる身内が、祖父だけだったからだ。

からより子どもに依存するようになったのだと思う。

母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。

そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。

から祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。

話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラセクハラが横行するブラックだった。

ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。

エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。

また、登録販売者資格入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。

月一で勉強会が開かれ、その度にテストをした。

その結果は上司に送られる。

そこで結果が悪いと、休憩時間休日店舗強制出勤させ、勉強をさせられた。

家に帰ってもずっと勉強をしていた。

私は馬鹿記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。

仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイト大学生と比べられることが多かった。

社員なのにバイトと比べられることがとにかく嫌だった。

店長は2つの店舗兼任しており、ほとんど私のいる店舗はいなかった。

店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。

二ヶ月ほど経って、精神限界に達し、出勤できなくなった。

出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑から休むなら休むで帰って」と言われるようになった。

後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。

期待するな。

まり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。

こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。

「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。

仕事を辞めた。新卒カードを捨てて3ヶ月だった。

すぐに転職をした。医療事務だった。

院内いじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。

辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。

ここから1年ぐらい実家ニートをしていた。

生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。

その後生保護を受けることにした。

実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒暮らしてるだけになってしまうから

生活保護は案外すんなり通った。

そこから生活保護を受けながらアルバイトをした。

その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。

しかメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。

ここで生活保護を抜けた。

2年ほどだった。

父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。

毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。

居候立場だったから断れなかった。断る権利がなかった。

叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病判断する検査をした。

うつ病だった。

そこから新しい病院で大量の薬を出され、過ごすことになった。

その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。

結果的に私は自殺未遂をした。

希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手ベランダから落ちようとするのだ。

海が近くにあったから、海に沈もうとしたこともあった。

流石にそのことを姉たちに打ち上けた。

ひどく失望された。

これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。

私は逃げるようにまた生活保護申請した。

通った。

生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。

色々あって、結果的新卒会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。

メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持状態が続いていた。

外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホyoutubeを流して横になっていた。

最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモート営業を二ヶ月だけやった。

何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。

全部メールチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。

時々寝坊もした。社会不適合者過ぎた。

下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保医療費を払っている。

ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。

ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。

猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病治療費がちょうど9万だった。

たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。

偶然に助けられた。

正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。

だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。

不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用人間に比べたら大したことなかった。

でも働いていなかったら?どうなっていたかからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。

話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。

現在28から。残り2年だ。

欲が出た。

ルームシェアをしたいと思った。

ただそのためには生活保護はいけないし、貯金100万以上ないと引っ越しは難しい。

私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。

100件ほどエントリーしたと思う。面接は30件強したかな。

どこも受からなかった。

クローズ就労ほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。

選ばなければ仕事はあるだろう。介護とか接客業とか色々。

でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。

色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。

このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。

今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。

だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。

派遣事務常勤だが、受かれば働きたいと思っている。

7年の空白期間はでかすぎた。

正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブ喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。

そもそも精神不安定自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。

田舎なのでまともなB型A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。

もう諦めるしかないのかな。

就労支援事業所バスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神不安定になる。

それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。

フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。

生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。

ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。

障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。

13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。

何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。

駄目人間だ。

本当に毎日飯だけは人一倍食い、糞して寝る。ウンコ製造機だ。

生きるだけなら生活保護生活できる。

だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。

親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。

というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか未来のことを考えると憂鬱になる。

隣の芝生は青いというが、

毒親田舎環境が悪い、無能デブス、

せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。

ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。

糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。

正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。

本当にどうしよう。

恐らくここから辿った未来が少し前ネット流行った「美緒48歳」なんだと思う。

美緒、あと20年でお前に追いつくぞ。

世の中のうつ病金無し人間はここからどう働くんだ

誰か教えてくれ

2024-11-08

anond:20241108151526

〇肉〇食は旧ナムコ入社試験問題だったという話を読んだことがあるやで

焼肉定食と答えた人は合格したそうやで

昭和の方がトリリオンゲームみたいな夢のある話があったかもしれんのやで…😟

最近生活が苦しいの中身

とりあえずIT系仕事がしたい!→能力がないから土方より儲からないIT土方

職場の近く、駅の近く→地主家賃を納めるだけの人生

子供教育費が高い→塾通わせて私立に入れさせようとしている

物価が高い、家賃が高い、駐車場が高い→東京に住んでいる

貯金も少ししかできない→そもそも赤字じゃないから苦しくない

まとめ

苦しさの中身は欲に能力が追いついていないのが大半

高卒トヨタ自動車入社したライン工が30で一国一城の主になって奥さんが働きたいなら働けるけど旦那の儲け的に専業主婦でも問題なくて子供オール公立なのに1年河合大学に通って旧帝に入学しちゃったりする世界も知るべき

アメリカ大統領選の時と同じで上流階級生活しか分かってない奴が多すぎる

ある程度モチベの高くなる環境を構築する

お気持ち程度の話かもしれないけど、職場とかは環境と捉えるとして

適応するとか字面的には間違ってないかもしれないけど、俺は"構築"するという認識で生きていきたいと思った。

適応とか、もっといえば会社入社するとかは多分俺の中だと駄目だ。他人が悪いと頭をよぎるようになる。言い訳になる。

俺が構築する。会社自体への権限もほぼない下っ端でも、会社自体雰囲気を変えることもなくても

俺の周りの環境は、俺が作ると考える。

別のところに行くこともある意味構築作業に含まれるわけだ。

会社が悪いとか、社会が悪いとか俺は俺に言わないほうがいい。

悪いのは俺だ。

2024-11-07

男性嫌悪を拗らせていた頃の恋愛

タイトルはこの増田から

anond:20241021131553

黒歴史大公開してるのを読んで共感性羞恥で死にそうになった

それといっしょに、

モテているやつは底の浅い馬鹿ばかり」「俺はそんな底の浅い恋愛ではなく真の恋愛を成し遂げるのだ」と思うようになった

この部分を読んだとき男性にもそういうのあるんだなーと安心感を覚えた

大学生の頃の私は本当にこの通りの考え方をしていたし、そういうのを拗らせて男性嫌悪にもなっていた

元の増田勇気をもらったので誰かの参考になったらいいなと思いながら大学に通っていた4年間の間にこじらせていた男性嫌悪とその時から今にかけての恋愛価値観を書いていこうと思う



男性嫌悪を拗らせていた時にしてたこ

大学に通ってた4年の間、私は色々と痛い行動をし続けていた

テンプレだけど、好きな言葉はクソオス、ミソオス、ジャッポス

X(当時はTwitterだったけど)で頻繁に男性批判を展開していいねリツイートを稼いでいた

男の性犯罪報道に引リツをして「#また男か」「クソオスは去勢しろ」等と投稿し怒りを募らせ、たまに絡んでくる弱者男性系のアカウントレスバする毎日を送っていた

ネット上に溢れる『特定の』愚かな男性の振る舞いをあげつらって笑い、それを男性全体に当てはめて見下していた

私の脳内では男性のすべてが潜在的モラハラセクハラクソ野郎であり、女性より劣った低知能のカスなんだと本当に信じていた


じゃあリアの日常はどうかというと基本的になるべく男性に関わらないようにして生きていた

大学サークルには入らなかったし、ゼミや必修で一緒になる男子もなるべく話さないようにした

けど、リアで痛いことをしていなかったかといえばそんなことはない

最大の黒歴史を例にするなら、たとえば食堂で面識のない男子二人組にいきなり口論をふっかけたこともある

(恥ずかしすぎて記憶もおぼろげなんだけど、たしかその男子たちは萌え絵か何かのネット上の議論を話していて、ひとりが口走った萌え絵擁護意見に腹が立って「それってどいうこと!?」って突っかかりに行ったはず…)

なんでそんな振る舞いをしていたのか

少し自分語りになるけど、男性嫌悪を拗らせたときの振る舞いの根源なので、私の過去ネット上での振る舞いについても触れておきたい

私は中学の頃からオタク腐女子だった

しかも拗らせている腐女子だったので、高校の頃からはいわゆる自治厨的な『愚痴垢』での活動を始めていた

知らない人のために補足しておくと、愚痴垢というのは自分の気に入らない人に粘着して陰湿監視し陰口を言いまくって共有する誹謗中傷垢のことだ

例えば鍵垢にせずR18のBL絵をTwitter投稿してる人を片端から引リツして仲間内晒し上げた

(当時未成年なのにエロ絵を見て回っていた自分のことは棚上げだ)

カプ名や地雷展開をタグ付けせずに投稿してる人にも粘着してひたすら叩きまくった

いわゆる『腐女子の村の掟』を破る人をいちいち監視してぐちぐちぐちぐちぐちぐちXで文句を言いまくっていた

BLの掟にとどまらず、例えば露出の多いコスプレイヤーなんかも晒し上げまくっていた

鍵垢の引リツで「芋女調子乗ってる」「キャラが汚れる」とめちゃくちゃに叩く

その人がBOOTHエロ系のコンテンツを売っていればすかさずサンプルを晒し上げて「お腹に手を当ててデブなのを隠したいのかな〜????笑」とか「デブ風俗パネルみたいw」とか普通に訴えられたら全面敗北するような誹謗中傷投稿しまくっていた

私が嫌悪していたのは男ではなく『女らしい女』だった

大学生の頃は通常の垢、愚痴垢用の垢、男性嫌悪投稿用の垢の3つを使い回していて、段々と男性嫌悪垢の運用時間が長くなっていっているような状況だった

「今にして思えば……」ってやつだけど、私の男性嫌悪愚痴メンタルは根っこの部分で繋がっていたのだ

例の初デートサイゼリヤ論争のとき、私は論争そのものよりもその後に現れた、イラストパロディーしたコスプレイヤー女性に対して憎悪を募らせた

初デートサイゼイラストと同じ構図で胸の谷間を強調しながらフォークを口に運ぶ女性画像

お察しの通り「ブスが調子に乗ってる!!!!!」「弱者男性ときチヤホヤされたいとかブスの承認欲求終わってんな!!!!!」系の誹謗中傷をぐちぐちしまくった

論争よりもその女性存在が許せなかった

私は男性嫌悪系の投稿もそうだけど弱者男性擁護する女性への嫌悪を強めていった

気づきの人もいるかもしれないけど、実は私は男性嫌悪している以上に「男性にちやほやされている女性」に嫌悪を持っていたのだ

多分私のこのメンタルが形作られたのは小学校の頃だ

別にいじめというほどのいじめはなかったけどカースト上位の女から強いられる同調圧力に私は苦しめられていた

カースト下位の私は上位の女が我が物顔でクラス支配してる中でタンスに隠れる虫か何かのように息を潜めていた(という自意識を拗らせている)

からカースト上位の女が嫌いだった

オタク仲間の女子連帯してそういう女の愚痴を言い合った

別にカーストトップブトップ、陰キャにも優しい美人完璧超人とかはいいんだけど、いわゆるギャル系の女は嫌いだったし、カースト上位でもないくせに妙に男子と仲の良いサブカル女なんかはもう本っっっっっっ当に嫌いだった

嫉妬と言ってしまうと私のプライドがズタズタになって耐えられないので否定したい

とにかく男子に媚びを売る中〜下くらいの女が嫌いだった

そういう自意識を拗らせていたか自分男子距離を置いていた

可愛い服を身に着けていいのはカーストトップブトップの女子だけ、中途半端女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない

・化粧をしていいのは可愛い子だけ、ブス女の努力ほど見苦しいことはない

彼氏を作っていいのは綺麗な子だけ、ブサイクと付き合ってるブサイクは何がしたいの?目が腐るんですけど???

元の増田も触れていたけど、こういう選民思想を拗らせていた

当然私は『選ばれなかった方の女』だから身分相応に地味な格好をして地味な化粧をしていた

そして、私と同じかそれ以下の女が彼氏を作ったり男子と仲良くしてると殺意を抱いた

世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手カテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた

要は酸っぱい葡萄だと思う

・私の嫌いなあの女たちが好きになっている「男」なんてのは本来大したものじゃないのだ

・大したものじゃない「男」に必死尻尾を振っておしゃれして金をかけて取り入ろうとするなんてあの女たちはバカ

・私はああいう尻軽クソビッチ低脳女とは違う賢い女だから本質を見抜いている

書いてて本当に恥ずかしい

でも当時の私の脳内思想はきっとこの程度のものだった

から男は全般叩きまくっていたし、男に媚びている(ように見えた)女も叩きまくっていた

叩かれる方じゃなく叩く方にいるために腐女子界隈の同調圧力に身を浸し、小学校の頃にできなかった「〇〇さんが悪いことしてました!良くないと思います!」みたいな振る舞いをTwitterの仲間内に行って自尊心を慰めていた

男性嫌悪が治ったきっか

そういうわけで大学生間中はひたすら男(と腐女子の掟を破る者と男に媚びている女)を叩きまくっていた私だけど、社会人になってからこの嫌悪感は一気に解消された

それは新卒で入った会社リアル等身大男性コミュニケーションを取る機会が増えたからだ

流石に学生の頃とは違って会社では同僚男性と密に話さないといけない機会も増えた

入社前の私は男性嫌悪の拗らせが最高潮になっていたので「私に舐めた口を聞いてきた男は公衆面前論破して泣かせてやる!」「場合によっては金玉を蹴り上げて潰してやる!正当防衛だ!」ぐらいに高ぶっていた(全盛期の宇◯美里かな?)

ところが職場の同僚の男性はみんないい人ばかりだった

セクハラパワハラも行われなかったし恋愛的なアプローチも一切なかった

職場会議ではこっちの意見尊重してくれるし、昼休み飲み会の席でもこっちの気持ちを察して適切な距離感を維持してくれた

当たり前といえば当たり前の話なんだけど、世の中には尊敬に値する男性もいるという現実を目の前にして男性嫌悪も段々と自然に薄まってきた

Twitterから拾ってきた情報だけを頼りに脳みその中でこねくり回して発酵させていた男性像は実在男性とはかけ離れていた

大学生間中ずっと動かしてきた男性嫌悪垢のフォロワーさんのつぶやきに対して「いやそれは言いすぎでしょ」とか「この人イメージだけで男を叩いてそう」といった感想を持つようになって、結局社会人になって一年経たないうちにアカウントを消した

男性嫌悪を拗らせたことによる後悔

普通に自慢だけど最近彼氏ができた

さっき書いたことの繰り返しになるけど、尊敬に値する普通男性

ただ、男性嫌悪を拗らせてあれこれ自分自分に抑圧をしていたせいで、彼氏ができてからかえって失ってしまたことへの後悔がとんでもないことになってきている

世の中尊敬できる男の人もいるのだと早く気が付きたかった

10代のうちに異性関係普通青春を送りたかった

彼氏の好きなポイント発見するたびにそういう後悔で胸が苦しくなる

高校生のとき男子と付き合ってみたかった

体育祭上着の袖をまくってノースリーブみたいにしてハチマキカチューシャみたいに縛って可愛い子ぶりたかった

制服ディズニーに行ってみたかった

何の恥じらいも無く放課後制服でデパコスを物色してイブサンローランのコスメを買いたかった

シーブリーズの蓋を交換したかった

何ならこういうカーストトップ女子でなくても良い

今の私はかつてあれほど憎んでいたサブカル系女子にすら憧れている始末だ

ハニーシナモン地雷系の服を身に着けてみたかった

男子のいるバンドに入ってちやほやされたかった

ギターのケースを背負ったまま帰り道にアイスを食べたりとかしたかった

ももういまさらそんなことはできない

男性嫌悪を拗らせていたせいで貴重な10代を棒に振ったという後悔で本当に胸が苦しい

私の顔面じゃキラキラした青春を送れたのかわからないけど、それに挑戦することはいくらでもできたはずだった

だけど現実の私が精を出していたのは愚痴垢での誹謗中傷


段々何を言いたいのかわからなくなってきた

幸い私は元の増田のように精神科にかかるほど重症化していたわけじゃなかった

でも、例えば新卒で入った会社が悪かったら?

もしあのとき新卒で入った会社セクハラなり何なりされていたらもっと男性嫌悪を拗らせて酷いことになってたかもしれない

男女問わず非モテ弱者的な拗らせに陥る原因は環境によるところが大きいんだろうなって思う

何の参考になるかわからないけど、もし私のこの黒歴史を読んだ誰かの拗らせがほどけたなら嬉しい

鬱病予備軍

鬱病中学2年生のころに発症し今も続いているが、明確な原因があって患ったというか、なるべくしてなった。鬱病になる素質が生まれつきあったと言うほうが納得いく。

鬱病は誰にでもなりうる病でるが、なりやすさは人の性質によって異なるだろう。どうやら自分はなりやすい人の中でもかなりピーキーな”生まれつきの鬱病予備軍“だったのであろう。

これに関しては、受け入れるしかない。困るのは自分性質上、一回発症したら一生付きまとう可能性が高いことだ。実際2〜3年の周期でかなり鬱が悪化自殺未遂入院までした。幸い閉鎖病棟生活人間関係に恵まれかなり回復して退院できたのは良かった。

しろかなりスマホパソコンもなかったのに楽しくて今でも退院ときすごく寂しかったのを覚えている。調子のいい時期は、負の感情に晒されることが少ないとき

ストレス耐える。これができない。普通以上につらくて感じてしまう。初就職の前職では1週間で鬱病悪化し、辞職することになった。入社3日目あたりから職場や家、食事ときもまったくリラックスできず、動機息切れや怒りが収まらず嫌なことがひたすら脳内に、意思関係なく四六時中反芻される。

抗うつ病薬のおかげで朝だけは無の感情でなんとか出社はできたが、怖すぎて言葉や声を発することができなくなったこともある。

寛解はしない。負の感情に過敏ですぐ抑うつになってしまうのは、自分自身の個性だ。

明日も起きたらまた生きます

2024-11-06

女性優遇」ではなく、「妊娠出産した女性へのキャリアへの優遇ならいいんじゃないか

今の若い世代は、「女性優遇され過ぎている、これは男性への差別だ!」と言う意見があるとのこと。

正直、自分は30半ばのオッサンなので、この感覚理解していない。

ただ、若い世代も、「女性妊娠出産したあと、どうやってキャリアを再構築すればいいのか?」と言う問題があるんだろうというのは理解できると思う。

  

もちろん、公務員なんかは、育休とかあるだろう。

しかし、ホワイト大企業を除く、中小企業では、2、3人目ってなるとなかなか厳しくなる。

自分は、医者なので、女医さんが妊娠出産したら、専門医取れなくなったりするのを見てるから、やっぱそれはおかしいんじゃないのと感じている。

  

そこで、「妊娠出産した女性へのキャリアへの優遇」にしたらどうかと思ってる。

これやると、「妊娠女性強制するのか!」とフェミから叩かれるのかもしれないが。

普通に考えて、「妊娠出産した女性は偉い」じゃん。そこは優遇することに心理的抵抗普通はないんじゃないの。フェミ子供産むのすら反対なのかもしれないが、普通子供産んでくれてありがとうメデタイってなるだろうが。

  

なぜ、「妊娠出産した女性へのキャリアへの優遇」を打ち出さないのかなあ。

妊娠出産した女性へのキャリアへの優遇」って、例えば、入試の枠を作ったり、入社の枠作ったり、女性管理職の中でも、妊娠出産した人を何割以上とかにするって感じ。

anond:20241106173328

夜なべといえば…

…あれはゼロ年代、中企業くらいの写真屋に勤めていたころ、社の忘年会鍋料理が饗されて、新米途中入社社員だった私はその豚肉と魚と海老が豪華にも盛られて煮えていた内容に「これって何鍋なんでしょうね?フヒヒ」と無い会話力を総動員して同じ卓のまだ知り合って間もない同部門面子に訊いてみたが、そこで返ってきた返事は意外にも、偶々参加していた出入りの用品業者の同世代からで、「『寄せ鍋』でいいんじゃないでしょうか?アッ,横から口出しして申し訳ありません」という内容になるほどと胸中で膝を打った()のであった

なおその後その業者殿は数週間と経たず社に顔を出さなくなり、彼の前任である彼の元上司によると、通勤電車の車内で知り合いと同席中に顧客について不満をつい漏らしてしまい、それが不幸にも回り回って当の客の耳に入りアウトとなったそうな😢

anond:20241106074724

上司から矯正されたいアピだな

きっちりハラスメントして回復不能してあげればいい

そうすると噂がまわってADHD入社は減るだろう

Twitterじゃいつも通りSES経営者が顔真っ赤にしてるわけだけど、

しっかりした技術があって面接対策もしなきゃ入れない自社開発企業と、日本語喋れれば入れるようなSESじゃどっちが格上か火を見るより明らかだろうとしか

お前のSESだって肩書き経験2~3年ぐらいあれば入社フリーパスみたいなもんだろ笑

2024-11-05

anond:20241105092337

民間建築が大変なのはそりゃそうだろう。

頂点に立つ地主様には誰も逆らえないのだから

公共工事も某政党のお陰でメッタメタにぶっ潰されました、ありがとう、本当にありがとう

インフラ享受している皆さまには申し訳ないですが

あと数年したら能登どころじゃない場所でもインフラ修繕できませーん!

って地方都市がじゃんじゃん出てくると思う。

インフラ系の土木会社現場監督してるけど、ここ数年でホワイト化がすごいぜ。

逆に仕事にならないくらホワイト化。

現場が完全週休2日するようになったか会社もそれに追随

夏は暑すぎて連続で働かせられないし、悪天候を避けるためにすぐ現場休み

その分はきちんと補填される仕組みがある。

入社した20年くらい前には残業100時間とか当たり前だったけどな

※毎月ではない

田舎で季節によってやること無い期間は別の仕事手伝ったりしてるし。

社長仕事さえきちんとこなしていれば緩いから助かる。

社長によるだろうけど、バブル期に変なことしなかった会社なら内部留保そこそこあるだろうし。

外車乗り回したり、毎晩個人的に飲み歩いているような社長なんて面接すりゃすぐ分かるし。

そのあたりのあくどい会社バブルリーマンで大体淘汰されるかどこかとくっついてる。

あとは跡継ぎ次第。

跡継ぎで若いのがいて、放蕩どら息子の出戻りじゃないのなら当たり。

跡継ぎがいない会社問題外

外資反社フロント企業みたいなのに買われたりして社風がガラリと変わって辞めた知り合いは多い。

というわけで、大手建設会社に行って役員まで上り詰めたいなどの出社欲が無いのなら

地方でもいいか地元インフラ関連の会社の門戸を叩いてみよう。

学生時代競争させられて、会社入ってからもずっと競争なんて嫌だろ?

大手企業に入って自分仕事の出来なさに気付かされて地方の暇な事務所に飛ばされるのも嫌だろ?

上司がクソでも、今なら資格を取るまでの期間も短くなったか資格だけとってオサラバもできる。

昔は7年くらい在籍していないと取れなかったからな。

自分バカ過ぎて10年くらいかかったけど。

2024-11-02

うちの会社にいるインドのS君

S君が入社したのは1年くらい前。最初ほとんど日本語が話せなくて、基本的には英語オンリー

でも、挨拶とかそういった基本的ものは頑張って覚えてきてくれてて、「おはよございます!」とか、やたら元気よく言うんだよね。

ちょっとアクセントが独特で面白いんだけど、まあ言いたいことは分かるし、そんな風に少しでも日本語で話そうっていう姿勢に、周りも「S君、頑張ってるなー」って応援モードだった。

しかし、そんなS君の日本語の中で唯一謎だったのが、「ありがとう」を「クロコダイル」って言うこと。

最初にそれを聞いたのは、私がコーヒーをいれてあげた時だった。

「どうぞ」ってカップを渡したら、S君が真剣な顔で「クロコダイル!」って言うんだよね。

え?クロコダイル?…と思って聞き返したんだけど、彼はにこにこして、特に訂正する様子もなく去って行った。

で、その後も、彼は何かしてもらうたびに「クロコダイル!」って言うの。

普通に考えて、なんでクロコダイル?って感じでしょ。私だけじゃなくて、社内でもちょっとした話題になってて、みんな「S君ってワニ好きなのかな?」とか、「クロコダイルカバンでも持ってるのかな?」とか、そんな推測が飛び交ってた。

そんな状態も1カ月もすると収まって、S君とランチを食べに行ったときに、とうとう聞いてみた。

「ねえ、S君、そういえば『クロコダイル』ってどういう意味で言ってるの?」

そしたらS君、ハッとした顔して、それから顔をちょっと赤らめて笑いながら話してくれた。

S君が日本語勉強してた時、どうも「ありがとう」発音を「アリゲーター」に近い感じで覚えたらしくて、頭の中で「お礼の言葉=ワニ」っていう結びつきができちゃったらしい。

で、日本に来て、初めて会社の人にお礼を言おうとした時に、緊張してて、どうしても「ありがとう」が思い出せなかったんだって

でも「確かワニの名前だったはず!」って、そこだけは覚えてたから、咄嗟に「クロコダイル!」って言ってしまったらしい。

何だか微笑ましエピソードで、思わず笑ってしまった。

意識高い系が30歳に近くなって思うこと

先日、フリーランスとして手伝っていた会社倒産した。この業界20代後半まで活動してきて、感じることがたくさんあるので、思うままに書いてみたい。

学生時代の私は、「"死んだ目をして満員電車に乗って働く"なんて絶対嫌だ」と思っていた。いわゆる意識高い系で、海外ボランティアに参加したり、地方創生を掲げて学生ながらイベントを開催したりしていた。あの頃、周りの謎めいた大人たちを妙に尊敬していたし、なぜ社会世界が変わらないのか、本気で嘆いていたように思う。

就活時には「スーツを着て面接なんてダサい」と反抗的姿勢をとり、仲間とそんなスタンスを共有しながら、迫る社会への不安を分かち合っていた。

それから10年近く経ち、振り返ってみると、自分も変わったなと感じる。大学時代自分をこうして振り返ると、つい冷笑してしまうし、同じような学生出会うと、自分が昔嫌っていた皮肉なおじさん的な振る舞いをしていることに気づき、少し恥ずかしくなる。

あの頃の私は、卒業後も「Twitter話題Webエンジニアブーム」に乗り、プログラミングスクールに通い、新卒ベンチャー企業入社して海外で働く――まさに意識高い系トレンドを突き進む、典型的ミーハーだった。今振り返ると、当時の自分が滑稽に思える。

この記事で伝えたいのは、「誰もが成功するわけではない」という、当たり前だけれど大切なことだ。学生時代意識高い系の友人たちも、今ではその勢いを失った人が多い。ワーホリ海外をさまよう者、鬱で社会復帰が難しい者、愚痴ばかり言う者、死んだ目をして満員電車に乗って働く者――それが現実だ。

また、当時関わっていた大人たちも、学生をうまく利用したい人や、社会第一から退いた人が多かった。地方創生行政にとっては「メリットのないことをやってくれる人材」を求める施策に過ぎず、学生をおだてて地方移住させる行政職員を見ると、なんとも言えない気持ちになる。

スタートアップ上場して億万長者になる」という夢物語簡単には実現しない。私が関わった3社も、事業整理で撤退コロナで身売り、倒産と、どれも悲惨な結末を迎えた。資金調達熱狂が終わり、エクイティ関係撤退もできずゾンビのように続ける社長たちも多く見てきた。VC学生をそそのかして起業させる光景にも、時折やりきれない思いが湧く。

「いい加減、俺にも夢を見させてくれ」と叫ぶ過去自分と、「これが現実か」と冷静に受け止める今の自分がいる。

債権者集会で、髪が乱れ、うつむいたままの社長を見たとき言葉にできない感情がこみ上げてきた。

そんな中、スモールビジネスブームに乗り、私はのらりくらりと会社を始めた。先日決算が終わり、売上は3000万、年収は2500万ほどになった。ミーハー意識高い系バンザイ

こいつ生きてて恥ずかしくないの?

尾中 香尚里(おなか・かおり)

ジャーナリスト

福岡県まれ1988年毎日新聞入社し、政治部で主に野党国会を中心に取材政治部副部長などを経て、現在フリー活動している。著書に『安倍晋三菅直人 非常事態リーダーシップ』(集英社新書)、『野党第1党 「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)。

2024-10-31

まじで昔から勉強できなさすぎて大変だったんだけどたまたま引っかかった大企業入社したらなんかわりと仕事できて評価されて学生の頃の自分が見たらびっくりなほどトントン拍子で出世してる

でもやるべにことやってるだけで何がそんなに評価されてるのかもよく分からない

勉強もできない頭も悪いやつを評価することで周りの危機感煽るために出世させられてるのかもしれないし、何かあった時に全部自分責任押し付ける為かもしれない

怖い

F井電機の思い出

昔の職場が派手に爆発四散したので思い出を語ってみる。

とっくの昔に退職たから、今回の件の内部事情全然知らない。

期待して開いた人はごめんね。


大学の推薦で選考受けた。

写真やってたかカメラ関係メーカーに行きたかった。

一次面接で志望理由説明したら「うちカメラやってないけど?」

募 集 要 項 に 書 い て あ っ た ん で す け ど ?


調べてみたら2ちゃんねるブラック企業リストにも載ってた。

大学の推薦で受けてるから無碍に扱う事も出来ず、真面目に選考受けつつも落ちる事を祈っていた。

無 事 採 用 。


リーマンショックの影響が色濃い時代だったので、内定出ただけマシかって事で入社

本社入社式と新人研修だけ受けて、そこから中国工場に3か月間放り込まれる。


F井電機は「FPS」と言われる生産方式採用していて、カンバン方式カイゼンによる効率化が特徴。

要は昔えらい人たちがトヨタ工場研修を受けて「すげぇ!」ってなったトヨタ生産方式(TPS)をまんまなぞってるだけ。

FPS無限改善」とか言ってたけど「無限ではねぇだろ」といつも思ってた。

このFPSを学ぶために新人中国工場ライン工として送り込まれる。


工場広東省のド田舎にあるので娯楽はなく、自動的工場の寮に缶詰状態になる。

休みの日はたまに先輩が深圳に連れてってくれたりはあったけど、基本的工場周辺の飲食店スーパーに行くぐらいしか出来なかった。

工場で一緒に働くのは更にド田舎から出稼ぎに来てる兄ちゃんちゃんで、自分中国語話せなかったけどメモ帳漢字筆談で割となんとかコミュニケーションできてた。

無愛想な人もいたけど、フレンドリーな人も多くて異文化交流が楽しかった思い出がある。

ただ、自分たちがその辺の工員の10倍の給料を貰ってる事だけは絶対黙っとけと言われてたので、交流しながらずっと心にわだかまりがあった。


肝心の研修の方は、まぁキツいながらも面白かったかな。

ただ、それ以上の学びはそんなになく「こんなに金と時間かけてやるほどの研修か?」と思った。

研修の終わりに配属希望を聞かれたので、ライン担当していた製品部署希望した。(当然カメラじゃない)

最後送別会では白酒をアホほど飲まされ、みんなで寮のロビーで死んでた。掃除のおばちゃんごめん。


で、本社に戻って配属先発表。

全く別製品部署に配属が決定。

流石に3か月も工場にいるとその製品について詳しくなるわけで、それを活かす部署に配属されるのかと思いきや、全く別の部署

いよいよ何のための研修だったのかわからなくなる。


部署に配属されて、先輩のもとOJTで色々と学んでいった。

人に関しては良い人が多かったかなーと思う。

ただ、雑談で話す内容が基本「社内の噂話」「ゴルフ」「女」「酒」ばっかりで、全然水が合わなかった。

技術職ってもっとオタクがいるのかと思いきやめっちゃ体育会系

そういう意味では情に厚く面倒見のいい人が多かったかもしれない。

飲み会の後に興味ないおっパブに呼び出された挙句自分の分自腹で払わされたのは未だに納得してないけどな。


仕事の方は流石にアレコレと具体的には書けないけど、とにかく会社ケチだった。

年間休日数は業界内でぶっちぎりの最下位祝日のある週は土曜出勤ってパターン

出勤日数多いか給料いかっていうと全くそんなことなはい

しか残業代はフルで出てた。定時は22時みたいな感じだったけど満額支給だった。謎。


仕事で使う文房具や工具類は買って貰えないので基本自腹。

外注するような部品は流石に経費申請するけど、ホームセンターで買えるような材料は自腹。

外注先への見積もり依頼も基本的相見積もりを取って、必ず価格交渉するようにと厳命されていた。

地元のおじいちゃんがやってるような町工場に毎回価格交渉するのが本当に嫌だった。

良い仕事してくれる相手を買い叩こうとする会社が嫌いだった。

挙句、値段だけみて中国の激安工場発注して、とんでもない品質で上がって来た部品社員が手作業リワークすんの。バカかと。


そういえば、全国にある某施設に収めた製品不具合があるのが分かって、暇そうな社員集めて全国修理行脚するなんてイベントがあった。

北海道沖縄案件に誰が行くかでザワザワしてた気がする。

自分青森担当になって、往復の飛行機ホテル2泊の事前申請?をしたんだけども、

「往路は丸一日かけて青森まで新幹線で行ってください」「復路はホテルに泊まら夜行列車で帰ってきてそのまま出社して下さい」って言われた。

行きはバカみたいに時間かけて行くくせに、帰りそんな急いでホテル代までケチ必要あるんか???(帰着日に急ぎの案件があるわけでもない

ちなみにその夜行列車普通に遅延したので、出社したのは朝の予定が昼過ぎ。なんなんだよ。

出張の時はどれだけ時間かけてもいいから1円でも安い交通手段を探せってのがルールになってて、人件費って知っとる????って感じだった。本当にアホ。

自分が辞める直前の頃は業績も悪くて出張行くのは管理職以上ばっかりで

その管理職自身役員が納得するような安い飛行機めっちゃ時間使って探すような状況だった。あのさぁ人件費って(ry


まぁ、こんな感じで人にもモノにも金払い悪いし、本当にセンスないなって思った。


あと、おじいちゃん会長自分会社を好きすぎ。

会長が本書く度に社内で配ってた。誰も興味ないのに。

「業績悪いかボーナス減らすね」って言いながら自分の功績をまとめたWebサイトとか社史とか作ってた。マジそういうとこやぞ。

社長から会長になっても、新社長の影が超薄い。裏で牛耳ってるのは結局会長

社内行事があっても「会長は、会長でないと対応できない案件のため欠席です」ばっかり。

波乱万丈なAV機器業界で90歳のおじいちゃんが舵取りしてて生き残れるわけないじゃん。


辞める決意をした一番の理由やりがいの無さだったかな。

自分設計したもの工場で量産されて市場に出ていくのは確かにおもろいよ。

でも、

自分日本設計して、

行った事もない中国工場で量産されて、

アメリカのどこぞのウォルマートで売られて、

全然知らん人達が手に取っていく

って一見すると技術者として幸せなようで、全くやりがいがなかった。

自分仕事がどこにどう繋がってるのか、自分の目や肌で感じる事が自分の中では大切な事なんだなって気付いた。

から辞めた。


会社ものづくりしても何も面白くねぇわ!!!ってなって、今は全く別の業界で生きてる。

辞める時は上司が「そんなんで世間通用するとは思えない」って言ってたけど、普通に年収増えてるしノー残業だよ。

一緒に仕事してた人たちはどうしてるだろうなぁ。無事に逃げられてたらいいけど。

追記

嘘松認定されてて草

まぁ話半分で読んでくれたらいいよ。

編集画面開いたついでに小ネタ書いとくわ

2024-10-27

まんがタイムきらら系史上最も重要マンガ10

流行っているのでそのうち誰か書くだろと思っていたけど、誰も書かないので書く

定義は「芳文社萌え4コマ漫画誌まんがタイムきらら』とその系列誌(キャラットMAX・ミラクフォワード・COMIC FUZ)」

4コマではないフォワードとCOMIC FUZもここでは便宜上含む。

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

ひだまりスケッチ2004年4月号-)

芳文社萌え4コマの大看板元祖とも言える存在日常系4コマという一大ジャンル開拓者だが、アニメ蒼樹うめ新房昭之シャフトという組合せは後に「魔法少女まどか☆マギカ」を生み出しており、実はアニメ史的にも重要作品

なお2024年10月現在未完結。このリストに出てくる後発作品のほうが先に完結を迎えている。ゆの宮古卒業はいつになるのか。

けいおん!2007年5月号-2012年8月号)

涼宮ハルヒらき☆すたに続く京アニブームで一躍有名になった作品山田尚子出世作。また、近年の大ガールズバンド時代の前史、あるいは「おっさん趣味女子高生やらせる系」のさきがけとも言える作品

2018年より事実上の後継作品けいおん!Shuffle」が連載中。

キルミーベイベー2008年7月号-)

まんがタイムきらら系としては異色のシュールギャグ漫画キャラ4コマ中心のきらら系としてはやはり異色の登場人物2〜3人で構成される世界観

アニメ化で円盤が記録的爆死で話題になったり、出演声優麻薬逮捕されたりとその不遇さもネタにされつつカルト的に愛される作品

ゆゆ式2008年2月号-)

女子高生教室や部室、自宅に集まってしょうもない会話をしている」「男性が一切登場しない」「ゆるいボケにゆるいツッコミ」という、きらら系の様式の完成形。

きんいろモザイク2010年6月号 - 20205月号)

こちらもゆゆ式と同じく「女子高生のゆるい会話と日常」というきらら系の王道アニメED中塚武担当していてやたら洒落ていた。

ご注文はうさぎですか?2011年3月号 -)

こちらも「女子高生のゆるい会話と日常主体だが、世界設定が「登場人物日本人だが街並みが欧州の古い街」という独特の世界観

主人公たちが別々の学校で別々の学年で別々の店でバイトしているというのも、ゆゆ式きんモザと一線を画すところ。どちらかというとARIAかに近い世界観

現在絶賛終盤展開中。

NEW GAME!2013年3月号 - 2021年10月号)

主人公たちは社会人(途中で成人して飲酒するようになる)でデスマーチハードワークや仕事での挫折、昇進と後輩の入社プロジェクト危機とその克服などきらら系としては相当異色。「社畜おっさん日常可愛い女の子やらせる」系とも言える。きららSHIROBAKO

ゆるキャン△2015年5月23日 -)

おっさん趣味女子高生やらせる系」の完成形。フォワード掲載の非4コマストーリ漫画アウトドアブームキャンプブーム火付け役とも言われている。きらら系としては初の実写ドラマ化。

原作者あfろゆるキャン△以前はシュールレアリズム作風で、この作品が転換点とも言える。原作アニメドラマのいずれもロケハンと背景作画に莫大なコストを掛けている。

まちカドまぞく(2014年8月号 -)

主人公の魔族の末裔魔法少女が手を組み街の平和を守るという話。ギャグの走り方はいかにきらら4コマっぽいが、バックグラウンド結構暗くて、まどか☆マギカからバイオレンスを抜いてギャグを注入したような世界である

先日2.5次元舞台化が発表される。危機管理フォームはどうすんだろか。

ぼっち・ざ・ろっく!(2018年2月号-)

「大ガールズバンド時代」の一作品けいおんが「90年代J-POP(ラルクGLAY)の薄めの引用」、「陽キャコミュ強だけど楽器初心者主人公」、「学校軽音部で特にプロは目指していない」のに対して、ぼざろは「2000年代初頭の邦ロック(ロキノン系)の強めの引用」、「陰キャコミュ障だけど有名配信者の主人公」、「ライブハウス活動するインディーズバンド」と真逆の設定。大ガールズバンド時代はそういう空気であるガルクラとかMyGoもその傾向だし)。

2024-10-26

飲み会の断り方が難しい

部署飲み会とかの話ではない

そういうのはむしろ積極的に参加するんだけど

なんか同時期入社メンバー飲み会とかそういうのがだるい

いつまでやんねんというか

ぶっちゃけ役職無い他部署の女とかと飲んでも疲れる割にメリットが無いんですよ

「その日予定があってェ...(嘘)」だとリスケされるし、

行きたくないです(正直)」だと印象が悪すぎて仕事に支障が出る

我慢するしかないのかな

2024-10-25

親に捨てられて5年経った

私のことについて書きます

1.捨てられたきっか

まず、親に捨てられたきっかけは私のニート生活でした。ニート中は模範的深夜アニメゲームをしながら過ごしていました。ところが実家ニートを始めて1年ほどたったある日急に家から親が居なくなっていました。

急すぎる。

何も連絡なしに急に家から誰もいなくなってしまった。食べるご飯もなく、収入もない。これではどうしようもないので近くのネットカフェバイトに応募しました。そのすぐ後にアパート契約して一人暮らしを始めることにしました。

実家はあるからアパートは借りる必要がないと思われるかもしれないが一点だけ補足させてほしい。私の世帯構成は父母姉私の4人だが、そのうち家から突然出ていったのは母と姉である。すると、父と2人になるがこれは厳しいのです。元々、父のだらしなさが原因で夫婦関係が悪く、父は別居していました。しかし、母と姉がいなくなったことで父が実家にINしてくることになってしまった。父はだらしない人間実家に戻ってきたときには無職だったので、家に無職2人生活は耐えられないものがあります。だから、早く家を出ていく必要がありました。ニートニートを支えられない。

話を戻すと、家を飛び出した私は、アパートを借りてバイトではあるが収入を貰い自立した生活を始めることになりました。収入は少ないが、1人だから生活管理できることが何よりも楽だし嬉しい。ニート時代では、収入を限りなく抑えるために外出をしなくなったし、友達と遊びに行くことを全くしなくなった。とにかくひっそり生きていた。

2.ニートの頃の生活

起床が大体お昼前、昼食は冷蔵庫から物を頂戴してよく自炊していました。そして昼食後から夕方まではオンラインゲームをよくしていました。夕方ごろになると姉や母が帰宅するので音を立てないよう仮眠していました。0時過ぎたころに寝静まるので、そこから深夜アニメゴールデンタイム。毎クールごとに時間割を作ってリアルタイム視聴して楽しんでいました。そして見終わると3時ごろで、またゲームを始める。ゲームに夢中になって朝日が昇り始めると就寝という生活をひたすら毎日続けていました。ニートの才能あり。

余談ですが、ゲームは原神という無料オンラインゲームプレイしていました。ニート始めたてのころは何をしていいかからニュースニート特集を見漁ると、ほとんどのニートが原神をプレイしていたから、それを真似して始めました。無料プレイできるのに遊べる要素が多くて、ありあまる時間をつぎ込んでもアップデートが来るため永遠と遊べました。ありがとう原神。

3.会社をクビになりニート

閑話休題そもそもニートになったきっかけは、会社をクビになったことです。大学卒業後、新卒会社に入ったが、あまりにも仕事ができないため3ヶ月でクビになりました。試用期間内正式に職を失った。ショック!仕事のできなさ具合の詳細は省くが、あまりにも仕事ができていないことは、自分上司、同僚からみても明らかでした。働かない方が人に迷惑をかけないで済むからという点で、働くべきでない人もいると思いました。それがたまたま自分だっただけ。入社1日目で自分辞めるなという予感がありました。仕事を始めて、環境がかわり精神的にとても不安定でした。実際に2日目には精神科を初めて受診して、仕事に行ったあとは病院に通う生活をしていました。こんなのじゃ働いて精神不安定にさせて、お金をもらっても結局病院代に消えて意味が無い。そう思って壊れて破綻してしまった。

4.さいごに

それでも、今はバイトを5年続けられていて、生活も低水準ながら維持できている。家族との縁は完全に切れているが、不安定な時期を支えられないなら関係性の修復をすることは今後ない。たかだか血の繋がりだけで、縁があるように見えるが、家族であっても得体の知れない他人だと思う。先日、戸籍を分籍して、一切の他人であることを公的にした。もう記憶からも無くなって欲しいので、断捨離としてこの文を書きました。

消えてなくなれ

2024-10-23

29歳転職事情

29歳 女 1年半前に転職した会社にいる。

完全在宅(業界的に完全在宅は恐らく珍しい)かつ、正社員であることが決め手だった。

28歳まで働いていた前職は公務員で、正直「公務員」でしかない仕事内容・キャリアだったので

そんな自分民間で雇ってくれることが嬉しかったし、

会社の人も担当であるため、なかなか関わる人が限られているけれど

公務員時代とは考えられないほど優しい人ばかりで精一杯頑張ろうと思っていた。


ただ、最近会社に信用を置けなくなってきた。

理由複数ある。


① 退職者が多い

2・3カ月に1人は退職する。

中小企業なので1人退職するだけで結構ダメージだし、自分の後に入社した半数は退職した。

またその退職者のほとんどは仕事が滞り、体調不良でそのまま復帰することなくいきなり退職パターンである

新人同士で多く交流するわけでもないため詳細は不明だが、なんとなく精神を病んでしまったのかなと思う。


② 昇給・見える評価制度がない

入社時の説明では不定期だが昇給はあると説明を受けていた。

だが現在に至るまで昇給はない(これはわたしが至らないからという理由はありそうだが)。

そしてなにより「見える評価制度」がない。

わたしが知らないだけで中小企業にはあるあるかもしれないがこれといった指標がない。

面談は年1で社長オンライン面談をするが、それも実務に関わらない社長と話してもなんのためにもならず

なのに社長昇給指示をするらしい。今年はその面談すら実施されない。

ほか、資格取得して昇給をしたときの先輩の話をきいたら、

社長に直接お礼を言うように言われてこの会社やばいかもと思った(笑)」と言われてちょっと会社にひいた。

さな会社からコミュニケーションの1個かもしれないけど、業務に大きく関連する資格だし、昇給になって当然だと思ったので結構ひいた。


③ 給料が低い

これは業界自体の平均給与から見ても相場若しくは少し低いくらいだから多くは語れないが、

物価が上がり続けようが昇給や手当はないし、なにより手取り20万以下で賞与がない。

地方在住でそんなにお金を使うタイプではないため、貯金が出来ないほどではないが

すごく余裕があるわけではないな、と思うようになってきた。

なによりこれだけしか貰ってないし評価制度昇給もないのにモチベが維持できなくなってきた


④ 仕事プロセスについて

顧客ごとに柔軟に対応しているといえば聞こえはいいが、柔軟すぎて二転三転する。

スケジューリングしても、またスケジューリングしての繰り返しである

また、柔軟すぎるが故顧客ごとにルール作業が異なるため複数社の担当を割り振られていると

お金に関わることなので精密性があるのに、細かいルールの把握がすべて網羅できておらず、1つ1つの作業時間がかかる。


⑤ 仕事量について

前述したとおり退職者が相次いでいる上、

突然退職にいたるため不十分なまま引継ぎがされる。

初めの頃は先輩に仕事が割り振られていたか所詮他人事だったが

最近自分にも割り振られるようになって年始の頃から業務量が単純に倍になった。


これだけ書き連ねているんだから転職すれば?」と思われそうだが、

完全在宅でかつ正社員、なんだかんだ自分はおおむね定時に退勤が出来ている。(残業は月に20時間くらい)

土日祝もきっか休みだし、有給も都合がつけば自分スケジュールをいれるだけでなんのストレスもなくとれる。

高圧的な人や、電話対応などはない。

わたしでも「これ以上」を望んでいいのかがわからない。


特別つらいことはない。そのはずだ。


退職金は出ないし、長くいる会社ではないとわかりつつ辞める決め手にもかけていた。

けれど退職者が相次ぐ中自分にもしわ寄せが寄り始めているので、もしかして今なんじゃないかとも思う。

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