はてなキーワード: 入社とは
日本の国内法を海外サイトに適用するというのは、正しくは税関の役目であって、通産省の権限が及ぶべきではない
まさに、入社面接でなぜ年齢を聞いた状態 差別する以外の理由で、労働に年齢が必要な法律に成っているのか?
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約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
経験者として中途入社して数年、技術的に一番蓄積があると思われて、柄でもないがテックリードみたいな位置になっている。
しかたないから社内勉強会でもやってみて、社内で知識共有したりアウトプットしたりするの楽しいって一人二人でも思ってくれたらいいなと思って軽く一回やってみたら釘を刺された。
業務に関係ない勉強させろってわけではなく、わりと基礎的な部分をやるから、お目溢し的にいけるかなぁと思っていたから、わりと脱力してる。
もちろんお給料を頂いて働いている立場上、それが「仕事」といえるのか説明できる必要があるというのも分かる。分かるからこそ、諦めてしまった。説明、説得する気力がない。
今の職場で業務効率化とか改善とかっていう仕事をやってみると、その度になんかテンプレのような負の反応が返ってきて、日常の業務も忙しいし、望まれていないなら別にいいかって諦めてしまう。
そこで「これをやれば、これだけ効率化できるんですよ!」とか「こんなの界隈では常識的にやってることですよ!」みたいに強く主張できればいいのだけど、やっぱりそうするほどの気力がない。やってなんとかできる自信もない。
なんというか、私の甘えとして「そのくらいは分かってくれよ…」という気持ちもある。
勉強会にしても、基礎的な部分を知らずにやってる人が多くて、このままだとエンジニア組織として成長がないし、かといってガッツリ研修するぞって意気込んでもみんな疲れちゃうだけだからと思って緩めに始めたのだけど、あまりそういうのも理解されていないようで……。
平均年収1000万円超の企業に入社ってかなり誇っていいことだと思うけどな
俺ってプログラミングの天才、って思ってるような自己評価だけクソみたいに高い奴らが年収600万円で奴隷みたいにアメとムチで働かされてる世の中で、平均年齢近くになったら年収1000万円貰えるんだろ?
入社した時はサービスに金かけたいからCMや余計な広告は打たないとか言っていたんですけどね。
長くなりますが、お付き合いください。
とかくいう自分も数年前に辞めていますが、例の高齢者サポートの問題の時(2016年夏)はまだあの会社で働いてました。
従業員スレとか見ると"バジェット主義"とか"PSとらないと叱咤される"とありましたけど、少なくとも自分がサポート問題前でも半々だったと記憶しています。
というのもサポート問題とは関係ないタイミングで店長が変わった際に前の店長は従業員スレの様なインカムを飛ばすタイプでした。
その後の来た店長は接客、リピート率や現金での売り上げ、商品の整頓など、普通の量販店と変わらぬごく一般的な部分で指導していて、ステレオタイプなPCデポの店長とは違いました。
自分の担当はPSの勧誘がド下手でしたが、パソコンの知識では負けてなかったので、クリニックと中古を経験して、店長が新しくなったタイミングで、適性からDOS/Vパーツを売る部門が定位置になりました。
自分自身はサポートにお金がかかるという考え方には賛同的です。
その人に人件費が発生するのは至極当然です。
パソコンを買ったからと買った店に出向いてやれ「年賀状の印刷の仕方を教えて」やら「レンタルしたDVDをコピーしたい(※場合によっては違法です)」だの、パソコンという比較的高い機器を買ったから許される的な感覚で無償サポートを望まれがちです。
メンテナンスオプションもつけてない車でカーディーラー行って「おたくで買った車だから車検無料でやりなさいよ」って言っているのと本質的には変わらん気がします。
パソコンの代価と売った人の人件費は払っているかもしれんが、サポートする人の人件費をただ乗りするなよと。
この辺はケータイショップも同じ悩みに一周遅れではまっていた所だと思います。
設定講座とか使い方講座とかで受講料取ったり、総務省の値下げ指示からの一連の流れで逆にahamoだのPovoなどサポートレスがくるのはパソコンと同様に追い付いたと言えそうです。
・一般的に高く見積りすぎる(例:非会員の価格とかだとソフマップのワンストップ(掛け捨て)サポートのが安くてオススメできない)
・定形に当てはめるばかりに局所的に欲しいサポートが上位プランにしかなく、他の部分は下位プラン相当でいいのに上位プランに入れ込みすぎる(例:パソコンは使えんがスマホはバリバリ使えるとかその逆だったり、iPadを一人暮らしでも使いたいのに付帯プランがなかったり。)
・上層部がそれを良しとして上位プランにバジェット(実売上とは別にPSの売上高を独自の指数にしたもの)を優遇しすぎる (例:下位プランを3件とっても上位プラン1件に劣る等)
・月額のPSだと使わなかった人が不利になる為、逆に毎日の様に来て元をとろうとする余り、回転率が落ちる(≒お得意様が居座るクソ客になりやすい)
は非常に痛感しました。
この辺が問題点であり、従業員の重荷になっている部分です(さらに辞めた後に変なPSが増えてて問題化してるかもしれませんが)
店によっても変わりますが、自分がいた店は大変良かったと感じています。
相互評価だったり、トーゼンカードだったりでライバルになる側面ありましたが、たまに先輩社員が決めた案件をトーゼン報告わけてもらったり、インカムフォローや時に励ましなどもありました。
比較的売れる店だったのでギスギスしにくかったなと後になると思うところはあります。
・例のサポート問題後、PS営業自粛としながらも抜本的な対策に至らず、いくつかは名称を変えて旧態依然のままな部分がある(トーゼンカード→ヤッタネカードだっけ。)
・バジェットの引き算(いわゆる将来解約)がキツい(店舗で阻止してもコールセンター解約があったりする)
・上層部がマジでクソ(現場が顧客満足を得ながら苦戦した売上をなんだと思っているのか)
・成績の振るわない社員を本社人事部に呼び出して退職勧奨(なんかアルファベット2文字+面談みたいな呼ばれ方されてたやつ、忘れた)
みたいなのを見聞きするうちに「今ならやり直せる」って感じで店舗異動時にちょうど遠くなるのと同期で一人やめるのも例の問題の年に相まって辞めました。
神奈川新聞によると移動式のキャラバンカーみたいなので店舗空白地に売り込みをかけるみたいです。https://www.kanaloco.jp/news/economy/article-339184.html
人材があるならコロナ禍に対して有力な方法かもしれませんけど、実店舗のが疎かになりそうな予感がします。加えてうまく実店舗への導線になりうるのか、PSコール部の受け皿は足りてるのか。心配ですね(棒読み)
20代半ば。男。
起床。枕と布団が臭い。抜け毛あり。身体が怠い。朝日を眺めながら、軽く絶望。
眼鏡を探り当て、何とか装着。目がとても悪い。自分の家はゲーム禁止家庭だった。皆の話題についていけない事がコンプレックスで、親の金を盗んでゲーム購入。夜に電気もつけず、隠れてやっていたら3か月で視力が0.1以下になった。
散らかった部屋をかき分ける。片付けが出来ない。幼少期は極端な潔癖で、好いていた姉の机まで片付けていたら怒鳴られた事がある。良かれと思ってやっていたのだが、完全な有難迷惑だった。それ以来、片付け=悪と刷り込まれてしまった。言い訳ですかね、はい。
洗面台へ。毛深く醜い容姿と対面。「気持ち悪い...」。そう、ポツリと呟く。この容姿で、学生時代はよく虐められた。整形や脱毛を考えたが、金が無いのと遺伝子は変える事が出来ない事実に打ちひしがれた。歯は虫歯だらけ。裏には小4から無理やり通わされていた矯正歯科の器具。大事に磨いてきた歯を、何本も抜歯させられた。痛い。怖い。苦しい。矯正をしてくれた両親に本来は感謝すべきなんだろうけど、結局自分で全て無駄にしてしまった。歯並びが絶望的な家庭に生まれた自分を呪った。もう5年は行っていないか。他人に歯を見せるのが怖い。
軽くシャワーを浴びて、新聞とニュースを見る。何を言っているのか、さっぱり分からない。
着替え。体型もファッションセンスもダメダメだ。「チビでガリガリで顔もキモい。ファッションなんて雀の涙。あんな布切れに何前何万も出したって無駄だ。努力したところで自分はダメなんだ」と全て放棄してしまった。
会社に到着。平均年収1000万超えの大企業だ。何故、こんな所にいるのだろう。自分でも不思議だ。学生時代、極度の学歴コンプレックスで、結局院でロンダリング。学部からいなかった事と、周りとの実力差で更にコンプレックスは悪化。教授やラボメンバーには裏で悪口を言われ、研究も苦しくて2度の鬱発症。仕事で続ける気は無くなった。就活は、これまで馬鹿にしてきた奴らを見返したくて、色んな業界の大手だけ受けた。合計90社近く落ちたが、この会社には就活面接で適当な嘘や綺麗事を吐いていたら内定を貰えた内の1社だった。
学歴ロンダリングや大手企業へ入社した理由は、異性にモテたいといった理由も大きかった。でも、これからもし自分に寄ってくる異性がいたとしても年収狙いは確実。自分の中身まで見てくれる方はいないだろう。そして、これまで、イケメンでコミュ強で気の効く強そうな男を愛し抱かれていたのだろう。そんな過去の男達と自分は比べられるのだ。怖い。果てしなく怖い。それに、無理やり年収だけ上げても、そこでは更なるハイスペ達が競争相手だ。勿論、容姿端麗コミュ力抜群みたいな上位互換はゴロゴロいる。そんなことを考えていたら、もう疲れてしまった。
仕事、開始。自分は無能だ。作業が遅い。よく怒られる。まともなコミュニケーションが取れない。人が怖い。かといって、人と関わらなくて良い職業には、当然ながら実力不足で就けない。頭がキレ、他者と良好な関係を保ち、仕事が出来る社員たちはどんどん成果を出していく。上司も、雑用以外で自分を頼る事は無くなった。きっと、裏で自分は馬鹿にされているに違いない。針の筵だ。最近は資格取得を推奨されているが、どうせ落ちるし、無能な自分と向き合わなくて済むから、何も手をつけていない。
昼休み。当然ながら、友達は0。デスクで1人の昼食。学生時代からそうだった。必死になって部活やサークルに入った事もあったが、皆の話題についていけず、周囲との溝を感じて苦しくなって、結局何処も続かなかった。そんな中、自分に優しくしてくれる人もいたが、関係が深まると、自分すら認識していなかった醜い性格や行動が出現した。そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて自分から距離を取るか、相手が愛想を尽かして去っていった。
LINE交換してくれた人達もいたが、卒業する度にアカウントを削除し、中途半端な縁を断ち切ってきた。巷では、これを人間関係リセット癖と呼ぶらしい。
そんなこんなで、仕事終わり。今日も何の進捗も無し。「お疲れ様です」と呟いて、退社。誰からも返事は無い。「無能は疲れなくて良いな」とでも思われているのだろう。
帰宅途中。街を歩くカップル。楽しそうな親子連れ。いいなぁ。自分は、一度も恋人というものが出来た事が無い。学生時代、マッチングアプリに2年程度手を出した事もあったが、誰とも会話が続かなかった。相手の話はある程度聞き出せても、肝心な自分自身にアピールできる事が無かったから。3回ほど、女性と会う機会があったが、全員が「たくさんの男からアプローチされる」と言っていた。「無料で、色んな男から誘いを受け、ご飯やプレゼントを奢ってもらえる。何て羨ましいんだ」と思っていたが、彼女らは彼女らで何かしら悩みを抱えているのだろう。
帰宅。自己研鑽はしない。自分がやったところで、どうせ無意味だから。成功した試しが無いから。何もかも、中途半端に放棄して逃げてきたから。
コンビニで買ってきたご飯を食べ、服を脱いで布団に潜り込む。最近、脂っこいものがキツく、食も細くなってきた。無能のまま、立派に歳だけは着実に重ねている。
SNSを閲覧。陰キャ御用達、Twitter。同じ業界のインフルエンサーや海外のニュースアカウントをフォローしているが、自分の知識不足で、何を言っているのかサッパリ分からない。また、これまで色んな界隈にいたが、結局誰かとイザコザを起こし、アカウント削除。しかし、依存症から何度もアカウントを作り直し、現在に至る。時たま、Instagram。同級生をフォローだけしている。皆、幸せそうなキラキラした写真をアップしている。友達や恋人との旅行、煌びやかな料理、結婚している人たちもいる。幸せそうだ。
YouTubeを閲覧。最近は、ひろゆきさんの生放送編集版や、外国人が編集したであろうタイトルやカット割りのアニメを脳死状態で眺めている。時たま、イケメンや美人の実況がおすすめで流れてくると、凄く悲しくなる。何て神様は残酷なんだろう。人間は、生まれながらに不平等だ。
SNSの影響で、他人と比べる事がより増えた気がする。凄く辛い。止めれば良いのにと自分でも思うが、依存していて止めれない。昔から、リアルでは社会と繋がっていないに等しいから、拠り所を求めて居座ってしまうのだろう。
そんなこんなで深夜。電池が切れるかの様に、いつも勝手に眠っている。薄れゆく意識の中で思う。「誰か寝ている間に殺してくれないかな」。「パッと存在ごと消えないかな」。皆、何をモチベーションに生きているか不思議だった。自分が消えたところで、誰も悲しむ人なんていない。むしろ、Co2排出が抑えられて、感謝されるだろう。これまで、何度も自殺しようと思った事があったが、結局自分1人で実行出来なかった。森の奥の木にくくった縄。果てしない大海原が広がった断崖絶壁。いざ目の前にすると、無様に生にしがみついて涙を流した。
こんなくそったれ人生を送っている自分にも、2つの夢がある。1つ目は、同窓会で、自分を虐めたり馬鹿にした奴らに、「どうだ!自分はこんなに立派になったぞ!」と見せつけてやる事だ。相手は覚えていないだろうけど。
2つ目は、「普通を享受して幸せになる事」だ。"普通"とは、自分の目に映る同世代の上位50%が体験するイベントと定義している。これがまあ難しい。凄く難しい。凄まじい量のコンプレックスを持っている反動で、他人の良い所を見抜く癖があり、それらを逐一比べて。どんなコミュニティに属していも、自分は最底辺だと感じている。一生、幸せに何てなれないだろうな、自分は。
人生初の匿名ダイアリー、3,000字超え。こんな感情任せに書いた歪で長く乱れた文章など、どうせ誰も読んではくれず、山のような記事の内の1つとなって消えるのだろう。それでも、良いんだ。こんな寂しい夜は酒を飲みながら、何か書きたかった。何事も中途半端で、何も成しえた事が無かった自分が、自分の気持ちを文章にして書き終えた。凄く小さな、誰でも出来る事かもしれないけれど、1つの物事を完結させる事が出来た。見ている皆さんには、「こんな事で(笑)」と笑われるかもしれないが、ちょっとだけ誇らしい。
「外資系」という響きは、曖昧で、業種も様々だが、とりあえずキャッチーなので使ってしまった。あまり好きではない。
言いたいのは、日本の企業、つまりjob採用をしていない会社は脱しようぜ。ということ。
なお、新卒でいきなり入社するのは、個人的にはオススメしない。日本語が書けないノータリンになるからだ。
新卒後、中央官庁勤務後、銀行に転職、その後29歳で外資系企業に転職して5年が経過した。
官庁での年収は400万円強くらいだ。銀行もしょっぱくて、辞めるときで600万円くらいだ。
昨年の年俸は1700万円だった。今年の年俸通知は今月どこかであるが、また伸びたらいいな。
高等教育を受けたからには、専門分野が有る訳で、それを生かす仕事をすることが、専門性を伸ばし好循環を生むと思う。
もちろん、社内(他国を含む)の別部署からオファーが来て、社内異動することはあるが、本人の意思に反して行われることは無いと思う(自分の会社はそう。)。仮にあったら辞めて転職してしまうからね。
毎年の業績目標は、抽象的な目標はトップダウンで定まるが、具体的に何をするかは自分で決めてマネジャーと合意する。
職場で昼寝してもいいし、バナナ食いながら会議に出てもいい。有給を使い切った後にさらに休んでも良い。
これは、人員整理をしていることと、それから余剰人員が少ない≒一人で処理する仕事量は多いことの裏返しではある。
なお、製造業系などより、やはり金融系や、コンサルティング業などの方が相対的に給与は良いですね。
役職員の能力を最大限発揮させることに投資するので、インフラは恵まれている。
今はリモートワーク(work from homeと呼ぶことが多い)だが、34インチモニタ、WEBカメラ、昇降デスクなどを買ってもらった。
他人の意見、他人のパーソナリティを尊重して、多様なメンバー(人種という意味でも、出身も、意見も。)が集まることを良しとしている。自由な発言、自由な発想が尊敬される。
中央官庁は、文章を書く練習にはなった。 ただ、毎朝、新聞の切り抜きを作らされる。ある意味勉強にもなったが、最悪である。合田一人かよ。
銀行は、個性を殺すことを求められる組織だった。最悪である。茶色い革靴履いて行っただけで目を付けられるのである。ウンコね。
新卒で入るのはオススメしない。基本的に自分の仕事で忙しい人間ばかりで、手をかけて育ててもらえない。
それから、これは現在の日本の人材マーケットの質が低いせいだと思うが、英語が出来る分日本語が下手くそすぎる人間が多い。ので、将来的に違う企業や、日本語でかたい文章を書く場合(役所関係など。)苦労する人間が出来上がる。
会社は、だいたい年に10%強の人員が消えていき(自分で辞める奴も含んでいる。なお、日本法人においては、基本的には「合意退職」の形でまとまっている。)、そして新しい人が入ってくる。
いきなり呼び出されて会社の人に会えないで帰らされることは、ある。(見た。まだ俺は犠牲になってないが、今年とか怖いね。)
なお、専門性に自信があれば、また他の会社に就業できるから、そんなに心配はいらない。
社内で仲良い人とは、その後も付き合いが続いたりもする。
入った瞬間は、1年残れるのだろうか?と思ったが、一年また一年と乗り切ってきた。
米国系だとさらに多くを”リストラ”する会社もあるし、欧州系だともう少し少ない会社もあると聞く。新興諸国の会社の状況は知らない。
入社当初より10年間コツコツ積立で買っているとかならともかく
ある時期に買ったら、突如として値上がりして、ラッキーと売りましたなどというのが説明しづらいから
普通は買わない。かうなら、上にあるように積立にして何年も買う
いま、私たちは情報の多くを文字から受け取っています。メディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字がコミュニケーションのひとつの要であることは変わりません。
「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推し”フォント」では、さまざまなジャンルのデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字・フォントをデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体を選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推し”フォントを紹介いただきます。
第1回は、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。
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色部義昭
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンターに入社。2011年より色部デザイン研究所を主宰。
主な仕事にOsaka MetroのCI、国立公園ブランディング、市原湖畔美術館・須賀川市民交流センターtetteなどのVIとサイン計画から、パッケージ、展覧会デザインまで、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。
目次
ブランディングやサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。
個性も違えば役割も異なる、多種多様な仕事のなかで、文字、書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。 web
いま、私たちは情報の多くを文字から受け取っています。メディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字がコミュニケーションのひとつの要であることは変わりません。
「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推し”フォント」では、さまざまなジャンルのデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字・フォントをデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体を選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推し”フォントを紹介いただきます。
第1回は、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。
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色部義昭
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンターに入社。2011年より色部デザイン研究所を主宰。
主な仕事にOsaka MetroのCI、国立公園ブランディング、市原湖畔美術館・須賀川市民交流センターtetteなどのVIとサイン計画から、パッケージ、展覧会デザインまで、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。
目次
ブランディングやサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。
個性も違えば役割も異なる、多種多様な仕事のなかで、文字、書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。
「私は文字を素材と捉えて使っています。文字情報というのはあらゆるコミュニケーションに使われるものなので、あるブランドのための書体をひとつ選んだら、目に見える部分以外の情報も発信していくことができます。
たとえば、ブランドが人の身体だとしたら、書体は血液のようなもので、ブランドの隅々にまで意思やフィロソフィーといったものを循環させていくことができる。書体はそういった要素を担っている重要な素材だと思っています」
目に見える部分以外の情報も担う書体。それはつまり、ブランドやメッセージをより正確に、ふさわしいトーンで伝えるための役割を書体に持たせているということになります。
こうしたとき、色部さんはどのような視点、プロセスで書体を選んでいくのでしょうか。
「書体を選ぶときは、ロゴなどが決まっていればそれと同調する書体にするかコントラストのつく書体にするかで考えます。先に書体から考えていくような場合は、施設や部屋の名前といった大事なワードを候補になる書体で打って、イメージに近いトーンのものを比較していきます。
書体を選ぶ基準というのはプロジェクトごとに異なりますが、書体を選ぶことは自分のデザインのなかで楽しみな部分ではあります。クライアントやブランドにはそれぞれの個性がありますから、それを見極めて書体を選び抜くことが大切です。理想的にはプロジェクトごとに、毎回、違う書体を使いたいと思っています。
書体が決まった後は、それをターゲットのイメージに合わせて、どう組むか、レイアウトするか、アレンジするかを考えていきます。ただ、このときはタイプデザイナーによって作られた書体を自分なりにどう活かして使っていこうか、楽しんでいる部分もありますね」
“ブランドの血液”としての書体。多くのメディアにそのフィロソフィーを浸透させるためにはいま、フォントとしての文字は欠かせないものになっています。
「ロゴは点として存在するものですが、書体は線になり面を構成するものとなるものです。
MORISAWA PASSPORTとTypeSquareのように、デスクトップ用のフォントからWebフォントまで、共通のフォントが使えることで、サインからWebまで同じトーンで展開できるということは大事な要素だと思っています。
使いやすい書体をあらかじめ決めておくとか、いい書体、悪い書体という判断は自分のなかには持ってはいません。ブランディングではクライアントの個性やプロジェクトの性格に最適な素材であるかどうかが最も重要だと考えています」
学歴、プログラミング、英語は、「将来のために大事」と言われる三種の神器ではなかろうか。
それらを反映し乱立する、学習塾、プログラミングスクール、英会話教室。
これらの広告を見ない日は無いといっても過言ではないだろう。
そして比例し増え続ける、カルトじみた集団や過度な誇大広告――そしてあふれ返る失敗談。
――曰く、プログラミングスクールに莫大なお金を投資するも、就職先は薄給
――曰く、英会話教室に通い続けるも、生かせる機会は皆無
東大を出れば、プログラミングができれば、英語ができれば年収1000万円とは何だったのだろうか?
あまりに暗い話が多く目につくので、事実に基づく私の成功体験を記したい。
しかし、やりたいと感じたことに対し、しっかりと投資をしてきた。
まずは学歴。
高校時代、正直言って成績も授業態度もあまり良いほうではなかった。
大学受験の勉強を本格的に始めたのも、高校三年生の春過ぎであり、比較的遅いと言えよう。
受験勉強を始めたきっかけは、何のことはない、友人たちの熱に当てられたのだ。
高校三年生ともなると、受験戦争が完全に本格化し、話題の中心は自然と大学受験となる。
そして、はたと気づく。これは、ヤバいと――。
気づいてからの行動は早かった。
流石に東大や京大は無理であったが、スタートの遅さを考えると十分な成果だろう。
当初は妄言としか思えなかったであろう子供の言葉を信じて、お金を出してくれた両親には感謝しかない。
大学生活はあっという間に過ぎ去り、就職活動の時期がやってきた。
そしてプログラミング。
コンピューターが好きという安易な理由で、大学ではコンピューターサイエンスを専攻した。
だからこそ大手IT企業を選んだ。大手ではプログラミングをしないと聞いていたのだ。
新入社員は現場を知るためにまずはプログラミングをやらされる。
これが無性に楽しい。語彙力のなさに呆れかえるが、そう、とにかく楽しいのだ。
プログラミングの勉強を始めることにした。とりあえず本をたくさん買った。
プログラミングをするならMacと言われたのでMacBookを買ってみた。少ないボーナスが消えた。
そして気づく――プログラミングをしないキャリアパスに乗っていることに。
当然だ。プログラミングをしないで済むが、専門を生かせるという理由で大手IT企業を選んだのだから。
最初に述べたように、私は大きな情熱を注ぎ続けるタイプではない。
何かを作るには大きな情熱が必要だ。私にそのようなものはなかった。
ただ、プログラミングや技術そのものを楽しく感じてただけだったのだから。
転職した。
でもどうしても、プログラミングスキルを伸ばすために、作るべきもの、作るべき機会が欲しかった。
情熱のない自分には、それらを得るには仕事にするしかなかった。
プログラミングに投資し始めた結果、大企業を捨てることになった。
なんとも面白い展開だ。勢いだけで生きているのがありありと伝わってくる。
転職先では晴れてプログラミングの日々が待っていた。まさに望んだ日々だ。
来る日も来る日もわからない用語が飛び交い、心が折れそうになる。
だが、新しいことを学んでいくのは楽しかった。それも自分が好きになったプログラミングに関することならなおのことだ。
ある日、尊敬する先輩プログラマーたちは、英語が堪能であることに気づいた。
もしかすると、自分の英語力が壊滅していることに気づいただけかもしれない。
これも当然だ。大学受験で効率を優先し、英語の勉強をしなかったのだから。
プログラミング言語のベースは英語だ。そしてITの中心はアメリカだ。英語の国だ。
優秀なプログラマーはプログラミング言語だけじゃなく英語も華麗に操るのだ。簡単な話だ。
英語の参考書を大量に買った。自分に合わず捨てた本もたくさんある。
英会話も始めた。TOEICも受け始めた。最初は400点台だった。酷すぎる。
もちろん、無成長を突き付けられて心が折れそうにもなるときもある。
転換点が訪れた――TOEICで900点を取った。
でも、とてもうれしかった。伸び悩みを超えてからの900点だ。
結果、燃え尽きた。
正確には、道しるべを失った。先が見えなくなった。
900点という転換点が訪れたことで、TOEICを受ける気力が失われてしまった。
一つ確かなことは、自分の英語力がTOEICの点数ほど優れてないという実感だけ――。
転職した。
プログラミングの時と同じだ。仕事で本格的に使うようにしてしまえば良い。
プログラミングスキルとTOEIC900点引っ提げて外資系に転職した。
なんてことはない、単にそれはプログラミングと英語で悪戦苦闘する日々だ。
投資を続けていたプログラミングスキルは既にある程度、花開いていた。
英語はつたなくとも、仕事は、そう、プログラミングはできる――そうして数年が経過した。
30歳になった。
年収は1000万円になっていた。
おととし以前から勤めてる人はオフィスワークだった頃のパフォーマンスがバレてるのでパフォーマンスが落ちればサボッてるなという感じだけど、コロナ以降に入社してきた人はポテンシャルが低いのかサボッてるのか判別できないという悩みはあるね。もろちん、結果として出せてるパフォーマンスはサボりも含めたものなので評価も順当なものになるけれども。
うちの職場では各自のPCにログイン監視ソフト(デスクトップのスクショなども送られているらしい)が入れられている。隠れて自発的なサビ残をしたりさせないため、というホワイトな理由が説明されているが、もろちんそれだけで済むことはないだろうと思う。
昨年実績(入社初年度):977万円以上+RSU(トータルコンペンセーション)
https://www.amazon.jobs/jp/jobs/1356714/aws-professional-service-class-of-2022?cmpid=BLSLEB7113B
このエントリをみて背筋を凍らせてる大学生(女)だけどまだ間に合うのかな?
https://anond.hatelabo.jp/20210103181128
4月から社会人。親の経済力にはかなり恵まれたので中堅の芸術系大学に進学できて一応箔はつけられそうなのと、(勉強が本当に苦手だったから、総合大学に行くことになってたら、いわゆるFラン行くことになってたと思う)根は真面目な性格のおかげでとりあえずそこそこの中小企業には総合職で入社できる予定。
ただ、残念ながら上記の通り、大した努力もせず、友達も少なく、自分のスキルになるような趣味もない性格だから人間として成長できていない。
バイト代や自由な時間は、ほぼセレクトショップで学生には高価なドメブラの服買ったり、友達と鳥貴族行ったり、国内旅行して使ったため大したエピソードもなく、就活では大手は全滅だった。面接時のしょうもないバイトと旅行の話で内定くれた今の内定先には感謝しかない。
仕事3年くらいしたら辞めてワーホリ行きたいな〜みたいなぼんやりした計画(夢?)はあるけど、「こうこうこういうことで世の中の役に立ちたいから、こういう仕事について、これとこれも勉強して、最終的にはあんな仕事がしたい」みたいな人生そのものの計画はない。
このままじゃダメだと思って、こないだついつい自己啓発本を買っちゃったんだけど、その後冷静になって、「このままじゃいつか自分はオンラインサロンとかネズミ講にハマって養分にされるんじゃ…」とビクビクしてる。
いい暮らしがしたいとか、素敵な服を毎日着こなしたいとか、他人よりも優れていたいみたいな願望だけが一丁前にあるのに、自分が本当にやりたいことや世の中の役に立たそうなことはわからない。(せっかく芸術の勉強をしたというのに…)まだ間に合うのだろうか。
最近始まった新プロジェクト、頭ではわかっていても心がついていかない。
年齢は40代
新プロジェクトの担当が俺と同僚になった。当初5:5の予定だった配分が気がついたら8:2になっていた。始まってから少し経った頃、結構いっぱいいっぱいになってきたと言ったので、相手の仕事を肩代わりしていたんだけど、最近はほんとに忙しいのか疑問になってきた。めんどくさいこと押し付けられてるだけなのでは?と。
同僚の他の仕事を一緒にやってる別のおっさんも「最近8:2くらいで仕事してるんだけど、あの人何がそんなに忙しいの?」って俺に聞いてくる。知らんがな。
仕事のスタンスは人それぞれなのはわかってる。俺はこの仕事がまあ好きだし、子供もいないから優先もしやすい。同僚は仕事よりも子供が優先で、そんなに好きじゃないんだと思う(資格取得も推奨されているがまだ取ってないので、専門的な仕事はしてない)
尊敬できるところも沢山ある。とにかく人当たりが良くて、俺と違って社内外98%の人とうまくやれる。俺が別部署の局と少し険悪になった時も双方フォローを入れてくれた。
キャパも俺の方が余裕があって、専門知識も俺の方がある、だからこのプロジェクトでメインになるのは条件だけみればすごく合理的だ。なのに心がついていかない。
色々細かい不満はあるが、例えば新プロジェクトで使うシステムの説明書は提供元企業がくれていたので目を通しておいてと言ったのに通してくれてないので、定期ミーティングで1から説明することになる。結局難しくてよくわからないからと取引先や社内への説明は俺がしている。
そして定例ミーティングはただ時間を無駄にしただけになってしまう。
そのうちだんだん俺が先輩みたいになって、説明したり相手の仕事に抜けがないか気にかけて声をかけたりしている。(やらなきゃいいじゃんと言われそうだが、漏れが出た時の尻拭いは何故か俺に飛んでくる)何がタチ悪いって、おっさんみたいにプライドがないから、ウンウンって素直に聞いてくれる。だから困る。こいつに偉い顔されたくねえから頑張ろみたいな闘争心がない。等級は俺より上のはずで、社会人経験だって俺よりずっとある。(時々私が新卒で入った会社は〜とか部下持ってた時は〜という)
ちゃんと等級通りの仕事はして欲しい。新プロジェクト立ち上げにそもそも乗り気じゃなかったのも知ってるけど、始まってしまった以上ある程度はやらないといけないと思う。それに俺の残業が増えてることに申し訳ない顔するなら謝るだけじゃなくてちゃんとやってくれよと思ってしまう。
このコロナ禍で仕事あるだけマシって思いなよ〜って言われるけど、それでも辛いものはやっぱり辛い。
例を挙げるならば、事あるごとに彼女を作れとしつこく言われ、取引先の女性を紹介しようとしたり (会社に黙っていたが交際相手はいた)
ブチギレたことを理由に「貴方は心を許していない人相手に酷い事を言っても良いと思っている」と今日彼女にも1発レッドを食らい別れを告げられた。