はてなキーワード: 生計とは
鋭い切り口の批判だけど、納得ができません。
①
やりたいは苦労を打ち消すのですか?
AEDを使って誰かを助けたくて、あるいはワクチンを打って社会に貢献したい人がいれば、
女にAEDを使わない・ワクチンを打たなくて良かった、は許されるのでしょうか。
②
「ありがとう」は、「有り」「難い」が語源ですが、コンビニ店員やレストランの給仕に感謝するのは間違いでしょうか。
③
才能や環境に恵まれていて世の為になる苦労をラクにこなしてる人たちが多ければ、彼らの恩恵を当然視して・無視してよくなるのですか?
🅰 苦労してる誰かの恩恵に預かっていて
自分たちだけが特権的に恩恵を確保しておいて、他者がそれを受けるのは妨げる。
そんな発言は、恩恵に気付いてなければ傲慢、気付いていれば不誠実だと感じます。
たとえば
「逆に、社会が全力で子どもを産み続ければ破綻するのだから、子どもを産まない人にも感謝しろ」
—— 🅰 を満たさないので感謝しないのは身勝手ではない。子どもを産まないのは特に苦労しない。
—— 🅱 を満たさないのでセーフ。恩恵を拒絶するなら特権的ではない。
—— 🅲 子どもを産ませないのを推奨する意図がないので、本文中で子どもがいないのを明かしていても文句は言われない。
追記注・
私見では、
「私は子供を持ってよかった」、「私は子供を持たないでよかった」、
それらの意見は必要です。でも、覚悟を持って言われる世の中であってほしい。
私は、ゲームプレイを Youtube で配信してる人たちを時々批判しています。
彼らの中にカジュアルゲームを「バカゲー」と評する人がいるのです。
少人数で作られた気軽な笑いを狙うライトなゲームだろうと、ゲームを作って生計を立てること自体が地獄のごとく苦しい。
それを知ってほしいし、その恩恵に預かってることを忘れないでほしい。
なんとなく、まあこういう考えの人は多くいるよなあと思う。みんな自分の好きなように生きる選択をして、それでも社会が成り立っていくようにするにはどうしたらいいんだろう。
私は人間1人あたりが新しい人間1人を生み出さないと、次の世代の負担が爆増してもっともっと厳しい貧しさが到来するぞと思ってすぐ悲しい気持ちになってしまうのだけど(既に私たちの世代が厳しい貧しさを体験している)、次の世代の痛みなど知らぬ、という人もそりゃいるか。とは思った。確かに。でもそれってあんまり大人らしい態度じゃないなと思った。自分が属するグループ、組織、社会の将来を良くする=人類を良くするために生きるのが、人間ってもんじゃないのか。もちろん、次の世代の苦しみが少なくなるように政治でなんとかしようという動きが今後出てくるかもしれない。ただ、団塊、そしてその次に団塊Jrの世代が死に絶えてやっと人口分布がまともになり、若い世代が苦しまなくなる、という、その時代到来までの半世紀くらいで、日本人の貧しさによる精神ズタボロ度はすごいことになってしまうんじゃないか。心配である。
私は人口が漸減していくことには概ね賛成だが(そんなに多くの子供をかかえる余地はもはやこの国にはないし、実際的に仕事に必要な人間の数はこれからどんどん減っていく)、ドデカい退役世代を、細々とした現役世代が養うというのは、無理があるし、つらい。
今の退役世代はまだ貯蓄があるからいいが、団塊Jrが退職し非労働人口になった時に、彼らの生活を金銭面でも身体面でも、現役世代が支え切れるのかは本当にわからない。年金制度の崩壊と言われる2025年は2年後に迫っていて、そこから本当の地獄が始まると思う。
すごく極端で非倫理的な話をすれば、老人達が長生きしすぎで、これは現行の年金制度を作った時には想定されていなかったと思う。そして、老人というのは家や車を新しく買うことはないので、まとまったお金があってもそれを経済に返還できない。子世代の建てる家や土地にどんどん老人たちがお金を出してやればいいと思うのだが、それはそれでしがらみになりそうで、難しい問題だと思う。そうして遺産相続の時が来る頃には、子世代ももはや退役している。長生きしすぎである。頼むから70くらいで死んでくれ。私も70くらいで死にたい。
70くらいなら子世代もまだ40とか50のはずで、孫世代の教育費に遺産を宛てたり、新たに家を建てたりできる。ただ、孫の世話をまかされている祖父母を考えた時に、70は早すぎる。かもしれない。私の祖父は80で死んだ。祖母は認知症を発症し、施設でまだ生きているが90を過ぎ、これは生きすぎだと思う。ただ、戦前生まれの体が頑丈なのであって、敗戦後に生まれた人々はもっと軟弱で、そんなに長生きはしないと思うし、生活習慣が変わったことによる病気も多いと思うので、平均寿命は現実的には80弱くらいになって欲しいと思う。介護現場の人手不足は国の縮図で、少ない現役世代が、自分たちの数倍の人数の入居者の世話をしている。
下の世代が苦しみながら、「もうじゅうぶん生きた、早く死にたい」と言っている世代を支え続ける構図は続く。ただでさえ老人の数が多いところに、出生率1.3というのは、「1.3人の人間の働きで(金銭的にも身体的にも)2人の老人を養う」ことであるから、国が必死になって子供を産ませようとしているのは確かに理論としてはスタンダードだ。
しかし、子供を産み育てる土壌があまりにも貧しくなってしまったために、子供を持つことはかなり難しく、私にはもはや特権化しているように見える。経済面、また、身体面および精神面で一定の条件をクリアし、他人(異性)と生計を一にすることができる人、というのが、現在この国で子供を持つ権利がある人々である。ここがもうかなり狭き門のように思える。異性愛者または子供のために異性と性交することができる人、かつ、健康で共働き+家事+育児ができ、子供の教育費を過不足なく捻出できる人。で、できねェ〜〜〜〜〜。こんな…ハードモードすぎるってばよ。
加えて出産(初産)は30までに済ませておいた方が体の負担が少ないので(と私は思っている)、20代で仕事をしながら、人生のパートナーが誰なのかを見極め、その人と着実な関係を構築しなければならない。ウワーーー!難しいよ。私は友人からもきつく「お前は子供を持ってはならない」と言い含められているとおり、そもそも治療薬の関係で妊娠ができないし、おそらくこの病状では育児にも耐ええないだろう。その前にパートナーがいないことも大きな問題だ。私のような「外れ物」が子供を持てないのはまあ当然として(本当は「家族」というものが欲しかったが…)、それなりに普通の生き方をしている多くの人が、上述のなんらかの条件をクリアしていないために、40年前なら結婚出産をしていたであろう結構なボリューム層が、非婚のままである。
ただ、40年前のように誰でも彼でも結婚出産しましょう、という風潮だと、本来その能力のない人が親になり、私のようなアダルトチルドレンおよび精神障害者が大量発生してしまう。正直、親世代の雑な育児のツケが回って「結婚できない」という人もかなり多いと思う。それを言い出したらキリが無いかもしれないが、ちょうど戦後に生まれた人達というのは、目まぐるしく変わった価値観を土台にする社会を生きながら、親は戦前の四角四面な道徳観念をもっており、それによって躾けられるという、かなり不安定な人達なのである。既にこの世代からして。大人の「未成熟」というのは、敗戦後生まれた人達から始まる問題だと思う。「未成熟」という言い方はよくないかもしれないが、大人としての役割のひとつだと私が思っている、「子供が1人で生きていけるように育てる能力」を有していない人が、この辺りから大量に出てくる。
または、戦前はそこまで個人の責によらず、社会全体でなんとか、どんな子も生きられるようにしよう、という、厳しさ前提の優しさがあったのかもしれない。たとえば子供がだめでも、孫が優秀かもしれない。そうやって、とにかく世代を繋いでいくことが優先されていたのは、日本古来の習慣(家制度)である。敗戦により、新自由主義、個人主義が「日本人なりに」受け入れられた結果、家制度は解体され、本人の希望によってパートナーを見つける形に変わった。それが時代の進歩というもので、これが「自由」である。どんなに下の世代が辛い思いをしようと、私たちは「自由」を手放してはならない。破れ鍋に綴じ蓋だったり、不均衡だったり、時には大きな問題のある相手を宛てがわれてする結婚は終わり、自分にとっての最上の相手を探す時代が訪れた。
そこで、今まで「宛てがわれて」結婚していた層の「問題のある人達」は結婚できなくなり、子供の数は減っている。これは、その人たちの遺伝子が淘汰されるならいいのでは?と一瞬思うが、遺伝というのはそう単純なものではなく、最悪な親からでもまともな子供が生まれたりするので、とりあえず宛てがって産ませよう作戦は、生物の生存戦略としては優秀賞だと思う。
ただし私たちは人間なので、やはり「自由」を捨ててはならない。子供を持たない人間たちは、その仕事によって次世代になんらかのものを残すしか手がない。私たちは「自由」だと体を張って証明すること、そして、自分より後に生まれる命のために、少しでも貧困の構造や社会制度をよりよいものに作り替えておくこと。これは子供を持っている人ももちろんやっていると思うが。私は結局子供は社会で育てるものだと思っているので(親個人の責任はそこまで重くするべきではない)、実際に子を持たない人でも、その働きはひいては次世代のためのものなのだから、誰が子供を持っているとか持っていないとかで揉めるべきではないと思う。
世界的に見れば人口は増える一方で、2050年には100億人超える説が濃厚で。
日本は少子化対策が喫緊の課題だと言われているけれど、地球規模で見れば人口は過多なんだから、別に減っていいんじゃないの?減らしたほうがむしろ適正なんじゃないの?地球のSDGs的には。
日本が人口増やさないと困るのは、年金とか労働とか主に「経済社会をどう回すか」のシステム部分なので、人口増政策を考えるのと両輪で「少ない人員で回る仕組み」を考え作ることも政治の仕事じゃないんでしょうか。
資源を持たない日本は原材料を輸入して製品を輸出することで生計を立ててきた貿易国家であるが、材料を調達してきた国々が発展し日本の製品が売れなくなって久しい。高度成長期に持っていた安い人件費というアドバンテージはすでになく、逆に人件費の差が重荷になっている。
日本が製品を売って成長していくためには発展途上国のようなライバルに競争力で上回る必要があるが、安い人件費という有利性を持つ途上国に価格で対抗するには高い生産性が必要となる。すなわち「同じ製品をより少ない数の人間で提供できるようにする」ことが必要となる。「製品提供に携わる人を少なくしないと売れない」という問題を日本は常に抱えていると言える。
もちろん、価格に左右されない決定的な魅力を持つ製品を開発することで価格一辺倒のレッドオーシャンの競争を回避することは可能ではあるものの、それでも価格を全く見ないで購入する人は富裕層のほんの一部である。多くの人は購入の有力な判断要素の一つに価格を置いており価格競争を抜きにした製品開発はあり得ない。従って、生産性の向上で余った人員を吸収するくらいの新規開拓がない場合、成長とともに労働力は全体として必要なくなる方向に進む。
さらに、AIやロボット、ドローンをはじめとする無人化技術は生産性向上を大きく加速させる。その結果、代替ができない一部の産業を除き、今は人手不足でも今後はどんどん人が余ってくる。その人材を回す先がないのである。
「仕事」が割り当てられない状況下で子供だけを増やしても増えた子供は支えられる側に回り、国を圧迫する要素になる。従って、「少ない人員で回る仕組み」に加えて「税金を必要としない余った人員の受け皿」この2つが揃わないなら少子化対策はむしろ国家の首を絞めるのではないかと思う。
国内の需要が少なくなるという少子化のもう一つの問題はやはり発展して可処分所得の増えた海外需要に求めるべきじゃないだろうか。
欧米系外国人男性は、別に経済的弱者や地位的弱者じゃなくても日本人男性のように女性のために何かをしてあげるなんて態度はまずしないよ。
日本はなぜか男性の(面倒な)男性的役割負担はそのままに女性の権利を主張するからおかしなことになる。
予言しておくけど、増田の夫も将来日本語がよくできるようになっても男性だからといって負担を買って出るようなことはしないよ。
さらに言えば、日本以外の国では貯金文化はほとんどないので、増田の夫がもっと稼ぐようになっても貯金させるのはかなり困難だろう。
日本の社会システム・年金の仕組み・老後2000万円不足問題・破産者への風当たりの強さ・生活保護の制度不備など、説明してやっと数千円貯金できるようになる人が大多数。
特に外国人だと気づかずに年金不払いだったり、払っていても年金支払い年数も金額も少ないので、ちゃんと準備しておかないとすぐに生活破綻するぞ。
夫が自国で働いて年金を収めていた場合は、日本と社会保障協定を結んでいる国であればそのお金を受け取ることもできる。まあ、受け取れない場合の方が多いが。
というわけで、夫婦の老後の生計については今からあなたが率先して考えて計画・実行していく必要がある。
一般的に想像する日本レベルの生活を維持するためにはかなりがんばる必要がある。
がんばれ。
『フルタイムで働いてるのに老後の不安がある状況ってあかんよなぁ』って言うと、
ChatGPTちゃんは、平然とスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業にMBAをはじめとした専門教育を受けろと言うし、
『どんな傲慢な人でも、どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋をするのに、料理に対する情熱や美味しいレシピよりも、MBAが大切とは答えません。
と伝えると、
職業やビジネスの成功において、経営やマーケティングの専門知識は重要な要素となることは確かですが、それがすべてではありません。料理の情熱や技術、お客様に対するサービス精神なども同様に重要です。 個々の人には異なる夢や目標があり、異なる道を選ぶことができます。どら焼き屋、スペアリブ屋、タコス屋を営むことがその人にとって意義のある選択であり、社会的に貢献することも十分にありえます。
・・・って答える
『ChatGPTが考える、スーパーの店員の100倍以上の年収を受け取るべき能力や責任とは何ですか?』と尋ねると、
高給取りの人々が受け取る報酬の差は、さまざまな要素によって影響を受けます。以下に挙げるいくつかの要素は、高給取りとされる人々の能力や責任、および市場価値に関係している可能性があります。 ・専門知識やスキルの獲得: 高給取りの人々は、高度な専門知識やスキルを持っていることが多いです。例えば、医師や弁護士は長期間の教育やトレーニングを受け、高度な専門知識を持っています。 ・責任の大きさ: 高給取りのポジションには、通常、高い責任が伴います。経営者や高位の役員などは、企業や組織の意思決定や戦略の責任を持ち、重要な意思決定を行います。 ・結果に対する影響力: 高給取りの人々は、自身の仕事や意思決定が組織や社会全体に与える影響が大きいことがあります。例えば、成功した起業家は新しいビジネスを生み出し、雇用を創出することで経済に貢献します。 ・市場価値: 報酬は市場における需要と供給のバランスによって決まります。需要の高い職種や業界では、人材の供給が限られているため、報酬水準が高くなることがあります。
・・・って答える
『一般的にアメリカにおいてアメリカ大統領領よりも責任が重大な職はないがスーパーの店員の数千倍の報酬はもらってない。アメリカ大統領の年収は年間40万ドル。
数百倍から数千倍の報酬が正当化されるべき責任など存在しないと思うけど?』って伝えると、
報酬の上限をどこに引くべきかは、社会的な議論や倫理的な観点によって異なる結論が導かれる可能性があります。報酬の適正さや公正さについては、さまざまな要素が考慮されるべきです。
・・・って答える
『アメリカンドリームが生きているとしているのは、民主党寄りのメディアや経済誌が多いようです。
既に社員の数百倍から数千倍の大企業のCEOの報酬を2.5倍にするとか言ってるシンクタンクの人はコメント欄でめちゃくちゃ叩かれていました。
私も何言ってんだこいつ?と思いました。』って伝えると、
ご指摘のように、アメリカンドリームや経済の不平等に関する議論は様々な視点や意見が存在します。メディアやシンクタンクの立場や政治的な傾向によっても、報道や記事の内容が異なることはあります。 経済誌や民主党寄りのメディアは、一般的に経済的な不平等や格差是正に関心を持ち、アメリカンドリームを実現するための政策や社会の変革を提唱することがあります。
まぁこれはもっともらしいAIの嘘の範疇だとしても、とにかく何を聞いても教育と努力で解決出来るってChatGPTは答えるんだ
なので、
『教育は社会的な格差を縮小するために重要な役割を果たすことができないどころか、格差を縮小することにおいてはまったく役に立ちません。
これは事実です。
OpenAIなど米国の企業は2ドルまたはそれ以下の賃金で途上国や新興国に依頼を投げます。
スーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業で働いている人は別に教育が足りなかったわけではありません。
ChatGPTはスーパーや飲食店や介護や運送業や一次産業の従事者に専門教育を受けろと言いますが、受けたところで2倍3倍の給与になったり、
ましてやどこぞのCEOのように1000倍にはなりません。彼らの給与が抑えられているのは社会的な構造です。
資本主義社会の現実では、お金に換えやすい能力と知識があるので、教育(愛と情熱)ではどうにもできません。』
・・・って伝えると、
社会的な格差の問題は非常に複雑であり、教育だけが解決策とは言い切れません。教育は確かに個人の能力や知識を向上させる上で重要な役割を果たしますが、社会の構造や経済の仕組みによって格差が生じることも事実です。 経済格差の問題は、教育だけでなく、社会的な構造や政策、労働条件、所得分配の不均衡など複数の要素が関与しています。給与の抑制や低賃金労働の問題は、資本主義社会の現実や経済の競争原理によるものと言えます。 私が以前の回答で教育の重要性を強調したことにより、社会的な格差を解決するための他の要素や問題の重要性を軽視してしまったことをお詫び申し上げます。
・・・・と、これはとりあえず謝っておくパターンかって回答するけど、
やっぱ、とにかく教育・努力でどうにかなるという強い学習がなされているようで、
『お金にならない分野を勉強するのは愛と情熱以外にありません』って伝えると、
教育には多様な側面があり、個人の興味や適性に応じて異なる道が存在します。確かに、お金に直結しない分野や職業を選択することもあります。これは、人々が自身の情熱や関心に基づいて進む道を選ぶことを意味します。 教育は、自己成長や喜び、人生の充実感を追求するためにも重要な役割を果たします。お金に直結しない分野での学びや専門知識の習得は、個人の人生において深い意味や充実感をもたらすことがあります。 ただし、現実的な観点から見ると、一部の分野や職業は他よりも収入や経済的な安定性が低い場合もあります。そのような場合、自身の情熱に基づく道を選ぶことが重要ですが、同時に生計を立てる手段や経済的な安定を確保する方法にも考慮が必要です。 教育における情熱や愛は重要な要素であり、それが個人の自己成長や喜びにつながることは間違いありません。ただし、人々が自身の情熱に従い、生計を立てる手段や経済的な安定性も確保することは現実的な視点から考慮すべきです。
・・・って答える
もうここまでで、そらトランプ大統領も生まれるわって思ったが、
『2ドル以下で働いている人たちは、個人の能力や選択、努力が足りず、経済状況や市場の変化に対応し、自己成長や挑戦を続ければそうならなかったということですか?
どこの国・地域に生まれ、お金に換えやすい分野に対する能力と情熱があったか?ただそれだけです。
個人の選択、努力、変化に対応とかは、影響どころか何の意味も持ちません。』って伝えると、
私の前回の回答が誤解を招いたようでしたら、申し訳ありません。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、2ドル以下で働く人々を非難するつもりはありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。
・・・って回答してくるし、そういう言い方だめだよって伝えると、
おっしゃる通りです。個人の能力や選択、努力が足りないからと言って、低賃金で働く人々を非難することは適切ではありませんし、そのような状況は彼らの責任ではありません。経済的な安定や成功は、個人だけの問題ではなく、社会や経済の構造、制度的な要素なども含めて考慮する必要があります。
それは起き得る。
といっても、ケースワーカーが悪い場合とケースが悪い場合もどちらもある。
単に説教好きで自説を垂れ流すキショいタイプのケースワーカーもいる。
また、説明不足なケースワーカーが車の売却指示をしたら「なんで売却させられたのかわからないのにケースワーカーに捨てろと言われた!」と禍根を残すこともしばしば。
ケースは結構、なんというか言ってしまえば保護を受けるようになってしまった原因がある感じの人が多く……有り体に言えばおバカさんが多い。
なので、こっちが法律で決まっていると説明をしても感情論で食ってかかってくるので、「俺は納得してないけど車を売れと言われた!嫌がらせだ!」となることもしばしば。
ただ、もしひどい目に遭ったなら福祉事務所の所長にクレームの電話を入れても良い。常識的なクレームならいつでも歓迎してるよ。
また、生活保護において「自立」とは「自分で働き自分の金で生活できること」しか指していないので、「重大な傷病や傷害がない65歳以下は働け」と指導しなきゃならない。
事務系の仕事を探してるケースだとしても「力仕事でも働いてみたら?」と指導する。上でいう「自立」の中には「自分に合った仕事でがんばる」というのが含まれてないから(保護はあくまで一時的であって、合う合わないに関わらずまず即仕事探して生計立てろ、という考え方)。
そして昔の記憶が蘇ってきたので書く。
数年前までいわゆるモデルの仕事をしていた。小さい事務所だったけど、まぁ業界では名前は知られているようなところ。夢ではあったから充実感はあったけど、撮影だけじゃなく撮影に向けたスタイル維持やら編集部の人との接待やら(まだコロナ前)中々に大変ではあった。
しかし私が一番しんどかったのがSNS周りであった。特に肌を露出してたりスタイルがハッキリするファッションの時に男性からいわゆるエロコメントがバンバン飛んでくる。モデルの仕事は基本的に同性に向けたものが多いし(男女問わず)、こういうのがある程度の量飛んでくるというのを知ったのはそこそこ仕事を貰えるようになってからであった。
おそらくどの事務所・モデルさんも抱えている悩みだと思うのだが、異性ウケするファッションの方が普通よりもレスポンスは多い。そこで「事務所の意向で」そちらの方に舵を切るようなモデルさんというのは結構観測できた。そうなった人は、私の観測範囲の中ではみんなおかしくなっていった。本人も気持ちよくなってしまっていわゆるエロ系の写真ばかり上げる人、事務所と揉めて辞める人・・・かくいう私もその流れに取り込まれることになった。ただスタッフさんとも「異性のファンを増やす目的であり、そちらにシフトチェンジするわけではない」という合意は一応して、週に1度程度事務所が指定した服がそっち系になる、というくらいですんだ。事務所としてもいろいろ難しいんだろうけど、こちらとしても折れたくはなかったので妥当な線だったかなと思う。
ただ、それでもとてもしんどかった。とにかくそういう写真を上げた日はエロ系のコメントとレスポンスがバンバン来る。外から見えるコメントはある程度抑えられたものだけだったりするけど、中にいると直接的な表現をわんさか浴びることになる。「エロいですねエッチしたいです」的なのは序の口で「今日も君を使ってオナニーしたよいつもありがとう」みたいな定期報告マンもいれば「結婚して君と子作りする妄想を毎日しています」みたいな妄想報告マンも。あぁ自分はこういう人たちの性欲の道具になっているんだな、と見るたびに刺されていた。そんなことはないのかもしれないけど、想像もできないくらいの人が私の写真を見て自慰行為をしてるんだなとどうしても想像してしまって、急に泣くときもあった。そういう写真だけネットのそっち系のサイトに転載されていたりする。それでも仕事なので、まるでそういうコメントは見ていなかったかのように、その後も写真を撮って上げなければいけない。写真を撮ってるとき、同時に心が犯されている感じであった。あぁオカズを提供してるだけなんだな、と。私はそれで生計を立ててるんだな、と。
夢だったし業界の中では若手の中でも使ってもらっていた方だったから、そんな中でも1年くらいは頑張ってやっていた。でもそれが限界だった。結局やめて今はそれなりに生きている。でもあそこで吹っ切れた人が売れるんだろうな、とも思う。自分を売る仕事をする覚悟が足りなかったということかな。アイドルや声優の人が休養みたいな話を聞くたびに、なんとなくその理由がわかってしまったりもする。見る方は何をどうしたって自由だと思うけど、中では地獄みたいな世界が待ってたりする。そんなことをぼんやりと思いかえしたり。
法律ってそれが作られる前に存在していた道徳を絶対視してその道徳が変わることを許さないみたいなところがありませんか?それって不合理じゃないですか?
たとえばこじきが違法ということの説明をするくだりでこんな文が。
「勤労をし生計を維持するのは社会的道徳規範の一つです。乞食行為を禁止する法益は、こうした社会規範を危うくするのを防ぐことです。」
道徳規範だから法律にする。法律に反したら処罰されるからその道徳規範は守られる。という相互のフィードバックの構造になっているように思えます。昔作られた道徳規範に未来永劫子々孫々と縛り付けられることになり、フェアじゃないような気がするんですが(道徳が出来てすぐのときに生きてた人にとっては納得付くで道徳に従ってるので問題にならないが、後に生まれた人はどんなに時代錯誤に思える道徳でも、法律によって規範化され続ける道徳に従い続けなければならない)
(※作者・作品・アニメスタッフ・作品ファンを誹謗する意図は一切ありません。)
最近『事情を知らない転校生がグイグイくる』というアニメが放送されている。
何の気なしに一話を再生したのだが、その小学校空間におけるいじめが異様なまでに生々しすぎて気分が悪くなった。
なんだろう、表向き平静を保っていながら、その実特定人物への悪意によってそれが保たれているという空気が生々しすぎて吐きそうになった。
まるで日常の延長線のように、何食わぬ顔で徒党を組んで一人の人間を攻撃する下劣さの解像度の高さはもはや卒倒ものだ。
で、自分も幼稚園から中学校卒業までそういう目に合っていた「らしい」。
らしいと伝聞なのは「いじめられていた」はずなんだけど、思い出そうとしてもそれがほとんど思い出せないということだ。
もっというなら思い出そうとすると脳みそが本能的に拒絶するというか、脳みそが壊れそうな感覚になるのだ。
高校に進学していじめの主犯格とは若干距離ができたので直接攻撃は若干おさまったが、列車の中で鉢合わせして攻撃されたり嘲笑されるということはあった「らしい」。
そういうこととかが続いて大学以降は出身地とは遠く離れた東京に逃げた。精神はぶっ壊れたが今も実家には帰らず東京に身を隠して細々と生計と立てている。
はっきり言うが自分は実家・地元という現実が怖くて東京というコクーンに引きこもっている。
そんな人間があんな解像度の高いいじめを不意打ちで見せられたら脳みそが壊れそうになるというか、フラッシュバックしそうになって昏倒寸前になった。
その日は昔の同級生が出てきて迫害される夢を見て、叫びながら飛び起きた。結局あのアニメがトラウマスイッチを入れたんだろう。
別にこれを根拠に「作品を規制しろ」とは言わないし、「ファンの精神性は云々」と能書きを垂れるつもりはない。
友達は超重要。ただし、一人の友人に影響を受けすぎるのは博打が高すぎるので、1年目は広く浅くを心がけよう。
バイトは最重要。あなたは世間知らずなので、いろいろな手段で生活費を稼いでいる人に触れよう。同じバイトは半年以上続けず、仕事を覚えたら次のバイトに移行しよう。
コンビニバイトは日本の小売や流通システムを集約しているので1回は経験しておくとよいが長居不要。優秀なあなたは遺留されるだろうが、アルバイトはきっぱり辞める権利がある。辞めるときに経営者()から不本意な雑言で罵倒されることもあるだろうが、その言葉はしっかりメモしておき今後の糧としよう。
初級バイトは同世代の若者がやっているようなコンビニとかカフェとかでよいが、最終的にはいい歳した大人がそれで生計をたてているようなところを狙っていこう。たぶん今後一生直接関わることのない人たちの生き様を学べる。
ゼミの選択はクリティカルだが、ローカルコンテキストに完全依存するため、最善のアドバイスはできない。一般的なアドバイスとしてはモラハラ教授だけは人生詰むレベルなので避ける。
授業は優秀なあなたならバイト等である程度手を抜いていても2年目にはほぼ必須は終えていて、3年目以降は流していけるようになっているだろう。そうでないならあなたは優秀ではないので本稿の対象ではない。
グレッグ・ガットフェルド:バド・ライトはインフルエンサーに頼るというばかげた決定を下した
Gutfeld は、Bud Light と Dylan Mulvaney のパートナーシップは「台無し」だったと言います
グレッグ・ガットフェルド グレッグ ・ガットフェルド | フォック
https://www.foxnews.com/opinion/greg-gutfeld-bud-light-made-idiotic-decision-rely-influencers
皆さん、ハッピーマンデー。したがって、アンハイザー・ブッシュは今すぐ飲み物と、ツガのようなバドライトよりも強い飲み物や、列車の脱線事故の近くの湧き水などのよりおいしいものを使用することができます. 同社は、ディラン・マルバニーの論争をきっかけに、大量のお金を失いました。彼らは、女性の顔をフィーチャーした最初の記念缶を私たちに与えました。売上げは、ポルノ劇場でのハンター・バイデンのズボンよりも速く急落している. そして、ケビン・スペイシーの寝泊まりキャンプよりも多くのボイコットが見られます. それは大丈夫。私がそう言ったのは大丈夫です。冗談です。しかし、私にはこれは間違っています。なぜなら、会社が失敗したときに大衆からメッセージを受け取るのは良いことだと思いますが、ボイコットは通常、生計を立てていた人々を傷つけるからです。
もちろん、左派は常に良いボイコットを好みます。なぜなら、彼らは自分たちよりも楽しんでいる人、つまりすべての人に報復を求めるからです。しかし、私たちは違います。私たちは楽しいです。Budweiser が教訓を学んだことをうれしく思います。他の企業が流行に流されないことを学ぶことを願っています。でも、それで十分ですよね?アンハイザー・ブッシュのブレンダン・ウィットワース最高経営責任者(CEO)は、 「アメリカに対する私たちの責任」という声明を発表しました。「165年以上前にアメリカの中心地で設立された会社のCEOとして、私はすべての消費者が私たちが醸造したビールを誇りに思うようにする責任があります.私たちはこの国の構造の一部であることを光栄に思っています.」
ええ、それが、ほとんどの消費者が一度に 8 ~ 10 個のバッドを飲む理由です。アメリカの誇りを感じるためです。実は違う。それは、娘のローラが今はラリーだと発表したとき、拍手喝采をしなかったことで彼らを国内テロリストと呼ぶナッツバッグ大統領によって運営されている国で、給料から給料への生活の苦痛を麻痺させるためです. 私たちはアメリカ人だから飲むのではありません。私たちが飲むのは、アメリカを失っているからです。話は続きますが、まとめます。1) バドワイザーはビールをたくさん作ります。2) ブレンダン・ウィットワースは海兵隊にいて、彼にとって良い人でした。3) アメリカ。Pete Hegseth のポケットチーフの 1 つからより良い PR ステートメントを得ることができます.
でも大丈夫です。同社はまた、大失敗に対応して新しい広告を出しました。アメリカの中心に根ざし、挑戦にチャンスと明日への希望を見いだした人たちのために醸造されたビールだと彼らが言わないことを願っています.
私はほとんど缶を私のa **に押し込みたいと思っています。ともかく。つまり、なぜそんなことを言ったのかわからない。私が愛国心を感じると、それが起こるようです。とにかく、彼らがクライズデールを使ってくれてうれしい、彼らが代名詞を求めない限り。彼らにドラッグ クイーンのストーリー アワーをやらせるのは十分に悪いことです。そうです、これは大失敗でした。しかし、それは本当にオンですか、バッド? 私はそうは思わない。それは私たちの文化にあると思います。実際の能力よりもパフォーマンス ドラマを高める文化です。そして、それはどこにでもあります。私たちは物事をしません。私たちは物事をするふりをします。あなたが消防士を演じる俳優になれるのに、誰が消防士になりたいですか? したがって、問題はトランスではありません。その問題がどれだけ私たちに押し付けられていても。結局のところ、私たちは何年にもわたって多くのトランスジェンダーの人々を見てきました. 地獄、私も雇った。ええ、私もそうかもしれません。それが彼女の新しい本の第二章です。
代わりに、インフルエンサーに頼るのはばかげた決断でした。あなたは彼らについてよく耳にします。ある意味で、彼らは信頼性を求めて有名人や高揚するブランドに取って代わりました. 問題は、インフルエンサーの信頼性が、彼らが自分自身に向けた注目のみに基づいていることです。しかし、ソーシャル メディアで何百万人ものフォロワーを獲得しているなら、正しいことを知っている必要があります。間違い。インフルエンサーは何も知りません。それは仕事ではありません。それは能力よりも注意です。そして今、注意は能力になります。その基準では、お尻で火をつける地下鉄のフラッシャーがバッドの次の候補になる可能性があります. それは私です。では、インフルエンサーを採用することは、企業の収益にとって良いことなのでしょうか?
代わりに、インフルエンサーに頼るのはばかげた決断でした。あなたは彼らについてよく耳にします。ある意味で、彼らは信頼性を求めて有名人や高揚するブランドに取って代わりました. 問題は、インフルエンサーの信頼性が、彼らが自分自身に向けた注目のみに基づいていることです。しかし、ソーシャル メディアで何百万人ものフォロワーを獲得しているなら、正しいことを知っている必要があります。間違い。インフルエンサーは何も知りません。それは仕事ではありません。それは能力よりも注意です。そして今、注意は能力になります。その基準では、お尻で火をつける地下鉄のフラッシャーがバッドの次の候補になる可能性があります. それは私です。では、インフルエンサーを採用することは、企業の収益にとって良いことなのでしょうか?
バド・ライトによるトランスジェンダーの活動家ディラン・マルヴァニーの宣伝は、アメリカ人の二極化を続けています。
赤い色が好きな場合や、潮のポッドを飲み込んでいる子供に尋ねた場合、彼がまだ生きているかどうか. おそらく、Anheuser-Buschの無知なコジャーは、「ねえ、このかわいい小さな牝馬が誰なのかはわかりませんが、若いマーケティングクリエイティブタイプを信頼しています. キャンペーンの準備ができたらお知らせください。ガラケーで調べます。」しかし、あなたが知らない誰かがあなたの製品の良いスポークスマンになるだろうと思い込むのは怠惰で愚かでした. 審査は重要なので、1993年より前に生まれた人に少し審査をしてもらうかもしれません。フォックスはしませんでした。そして、何が起こったのか見てください。
しかし、何かポジティブなことをするようにあなたに影響を与えたインフルエンサーは誰ですか? Mulvaney は Bud の顧客に St. Pauli Girl に切り替えるよう影響を与えました。要するに、インフルエンサーは私たちに彼らが推奨することとは反対のことをするように影響を与えます。彼らは最悪です。確かに、今週重要だと思う社会問題について人々を黙らせることはできますが、スポークスパーソンを見るためだけにビールゴーグルが必要な場合でも、人々を恥じてビールを買うことはできません.
一部にとっては常識なのかもしれないけど
同年代との付き合う前の軽いデートの場合、貸しを作りたくないから割り勘にするっていう女子多くない?
逆に仲良くなりたい場合は奢ってもらって、代わりに◯◯するという口実で次の約束につなげるらしい
こういうの、女子と絡んだことあれば話すと思うんだけど
奢るべき・べきじゃない論争してる人らってなんなんだろうってちょっと思う
・意中の相手には奢ったほうがいいのか、奢らせたほうがいいのか問題
あたりはあるかもしれないけど
そういうのは個々人で相談して決められないとそもそも2人は相性悪いかコミュ障無いという結論でいいと思うんだよね
単純に書くとそうかもしれたいけど単純にそういう訳では無いよ
まず性的虐待のある家庭って性的虐待しか問題がない訳では無い。
加害者は祖父 父親 兄だったりするんだけど、一緒に住んでる親や大人が加害者から引き離さなかったり黙認してたりすることが多い。そうすると被害者は訴えても対策して貰えなかったり、逆にお前が色目使ったんだろと被害者が責められて自分が悪いんだ……と自己を肯定できなくなる。
家庭内の性的虐待があるなんて気づかなかったって場合はネグレクトだったり家庭に興味を持てないから子供とのコミュニケーションが希薄だったりする。
あと娘に性的欲求を覚える父親は娘を理想の女にしたがったりして、過度に外部との接触を禁止したり、勉学娯楽を取り上げることもある。
家出をするってことは社会にまだ出たことがない学生が被害に遭っている。
学も金もない、ついでに言うと自己を肯定する力がズタズタにされてる学生がどうやって生きていこう?自分が何とかして稼げる方法は?ってなった時に
体を求められた時は加害者は優しかった!私が被害に遭ってても文句を言わなければ家族は普通だった!というところから、体を差し出すことしか自分には価値がない=それでしか食べていけない
という考えになる。
そしてそうやって逃げてきた子にとって履歴書不要!寮完備!みたいな風俗業界は逃げ込みやすい
ノンケだけど父親から性的虐待受けて逃げたけど結局ウリやって生計立ててる子もいたから 自分の価値が体しかない っていう価値観を小さい頃から植え付けられらるんだろうね。
俺は年収300万円程度の弱者男性だ。この世の中は金が全てで、金があれば女性も手に入るとよく言われるが、俺にはそのような幸せが訪れることはないだろう。
俺は30代の独身男性だ。家族はおらず、一人暮らしをしている。現在はアルバイトで働いていて、不労所得や資産などは持っていない。
外食頻度は週1回程度で、外食平均予算は1000円~2000円程度だ。旅行は年に1回行くことがあるが、平均予算は5万円程度だ。
俺がこのような立場になったのは、学歴が低く、能力がないからだろう。高卒で就職した会社でも、成績が振るわずにクビになってしまった。その後、アルバイトで生計を立てるしかなくなってしまった。
社会には年収数千万円を稼ぐエリートが存在するが、俺にはそのような人々とは比べ物にならない。経済的な自由を手に入れ、贅沢三昧の生活を送ることができる彼らには、うらやましいというよりも、そもそも同じ人間とは思えない。
金持ちやエリートを羨ましがるのではなく、自分ができることを精一杯やることが大切だと思う。年収や社会的地位で人を評価することは、とても愚かなことだ。
主人公のデンジは、悪魔を退治する職業「デビルハンター」をしている青年です。彼は、人間と悪魔の混血である特殊な能力を持っており、悪魔を殺して「餌」として使用することで、生計を立てています。
ある日、デンジは共同生活をしている仲間のヒロイン、パワーと共に、強大な悪魔「ボンド」と戦うことになります。しかし、その戦いでパワーが犠牲になってしまいます。
その後、デンジは意識を失い、自宅の冷凍庫に封印されていた父親が、デンジに取り憑いている悪魔「パチョリン」を解放します。そして、デンジはパチョリンと合体することで、パワーと同じ姿に変身し、ボンドを倒すことに成功します。