はてなキーワード: 危機感とは
まず、増田を教育機関か宗教とでもおもってんの?お門違いだよね。
損得のない知り合い程度にまでそういうのやってまわるのは純潔主義の統一教会という韓国系の宗教がやってたね。
それはそれでまたこの増田自身がブラック宗教信者としてはたらかされるという意味になるんですが。
(A)まず増田自身の娘・息子(同居)だったら当然に「おまえ向いてない。それほど頭もよくない。辞めろ。どうしてもやりたければ家を出ていって一人で暮らせてからやれ」っていうとおもうよ
別居でかしこいのだったら隠れてやられても黙認かな。
(B)知能が高い他人の水商売人ならこの程度の指摘にだってきちんと反論なり持論展開できるだろうし、
増田だってそれを知ったら「あなたならつづけられるんじゃない?私にはうまくやれる方法が想像もつかないけどね。」っていうよ。
(C)知能低そうな他人の水商売人なら危機感もってもらうのも大変だけど、対話していくうちにそうなるんじゃないかな。
(A)~(C)どれであってもまずは対話しないと。普通は水やってますとか同性の友達や親にもいえないことだとおもってるんだから、
対話してどういう状況かを把握して相談に乗れるようになることが大事だよね。
でも対話ってのは一度に多数とやることはできないのよ。
ブラック企業で働いてる人も一度にすくうことはできてないわけだし、
水はもっと多いだろうしな。
手当金を受け取りながら、カーテンをしめた薄暗い部屋で寝続けた。
昨年秋頃から体のメンテナンスに興味がでてきたので、気になっていた不調を解消すべく心療内科以外の病院を巡りはじめた。
子宮腺筋症の診断が出た。
軽い気持ちで行ったので「マジか〜!」という気持ちで、話を聞いた。
昨年の秋に初めて受診して、3ヶ月後の内診で筋腫はやや小さくなっているので、今後何事もないといいな。
低用量ピルを飲んだ感想、最初のシートを飲んでいる期間は吐き気や火照りがあって辛かったが、無職なので寝ているだけなので、まあまあ余裕だった。
行ってよかった。
興味はあったがやったことない物の中に鍼灸があったので行ってみた。
施術後、なんとなく体が軽くなった気がしたが、翌日痒みがえぐかったので今後通うかは微妙。
コロナ前、会社員時代に平日夜でもやっている歯科医院で治療中だったが、痛い、院長が気持ち悪い、スタッフ同士が明らかに不仲なのが丸わかりで足が遠のいてしまった。
この前Google口コミでその医院みたらボロカスに叩かれてて笑った。
時間に関しては無敵なので、家から近く評判のいい歯医者に行ってみることにした。
だが、You Tubeで歯石取りの動画を眺めているうちに危機感がわき予約の電話をした。電話も怖いが、You Tubeの動画にでてくる猛者のような口腔になるよりは…と思って頑張った。
電話にでる人が優しいと「嫌だけど、行こう…」ってなるので、歯医者さんの受付、電話応対する人は全力で優しくしてほしい。よろしくおねがいします。
小児科に強い歯医者で、待合室で先生が子どもに対してめちゃくちゃ優しく声かけしてるのが聞こえてきた。
アラサーだが、もれなく私も同じようにヨシヨシ治療してもらえたので、安心感がハンパねえ。
手はブルってるし、心拍数も明らかに高かったので、お察ししていただいた形だが、クールに対応されては歯医者怖い人間としては困るので非常に助かった。
なんとか頑張っても0.7までしか視力出なかったけど、だいぶマシになった。
コンタクトレンズの種類を変えてから、乱視で瞬きするたびに視界が変わる現象はなくなったが、
ずっと気になっている顔面のほくろ、やっと取る。
人相占いだと人気が出るほくろ、モテほくろらしいが30年生きてきて実感皆無なので消えていただく。
「消えたい」「しんどい」「世間に申し訳ない」で頭がいっぱいだった頃は気にならなかった事に関心を持つようになり、実際に病院に足を運べるようになってメンタルたいぶよくなってんなってのを実感している。
労働をしていると後回しになりがちだったこと、今のうちに解消して習慣になればよいなあ。
最低限生きるという段階を超えて、健康に生きたいと思えるようになったこと、退職時には考えられない思考なので、復活しはじめた自分よくやったという記録を残したくて記事に残す。
良くなることを祈っています。
色んな人がいるので、ゆっくり休んで、考えすぎずに生きたいですね。
そんで面倒くさっ全員殺したろってなったんです。
んで拳銃に6発しかないんです。そしたら50人全員は殺せないやないですか。
1列に並ばしてバァンバァンと撃って見たんです。
ほんだらなんか真ん中の方が全然死んどらんくてなんやろ思たら背ぇが低くて弾が急所ずれてたんです。
ま、背の順にして撃ちまして、まだ死なん奴がおると。
ジジィなんですわ。背の順にすると後ろでも撃つまでに腰が曲がって全然死なんのです。
もぉ難儀やなぁ、ジジイだけ集めて並べるかと。で、並べてまぁ酷いわ全員腰がぐわぁ90度曲がって。皆地面見てなんや何から目背けてるんや。て差し迫る死という現実か。
で先頭のジジイのツムジに銃口押してバァン、そしたらなんか途中のジジイの脇から弾がダァって出て。なんや思たら複数のジジイのスカスカの背骨による避弾経始で弾が逸れてしまうって話で。
うーんどないしょどないしょ。あと一発で自決用にもっときたいんやけどなあと。アレやな1時間くらい悩んどったな。そしたらジジイいつの間にか死んでてん。
なんや分からんけど多分寿命やな。寿命。天寿全うされたいうことで、自分30人しかやってないですよ。ジジイはほぼ自然死です裁判官さん。堪忍な。
渋谷の繁華街近郊に住んでるけど、最近は平日でも深夜まで路上飲みしてる人がたくさんいて外から大声が聞こえるし、土日は家から駅まで普通に歩いたら7,8分の距離が人が多すぎて15分くらいかかる。週末のクラブは人気がある箱だと、人が多すぎて満員電車みたいに動きが取れないくらい混んでる。大型商業施設では以前は建物入口の他に各ショップの店頭にも置かれていた消毒用アルコールがないお店も増えたし、連休中に開催されていた肉フェスはCOCOAアプリをインストールするよう促されるだけで画面の確認もされず、スタッフによる検温や消毒もなかった。政策判断をする層と一般の人たちの間でのコロナへの警戒感や恐怖心、危機感みたいな部分の差が以前とは比にならないくらいに広がって、一部とはもはや埋められないの感覚の開きがあると思う。今のまま二類相当とし続けるのは無理がある。
「キスマーク+100円」 使用済みマスクの売買は法に触れないのか
https://mainichi.jp/articles/20220502/k00/00m/040/231000c
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220502/k00/00m/040/231000c
園子温もだけど、この記事、誰もが気持ち悪いとは言うものの性犯罪への関連について危機感を持って批判したのは極小数。
ブクマ自体も性に関わるカテゴリーとして見るとそんな伸びてない。
露出のないありふれた女子高生の絵の新聞広告一枚にあれだけ女性への性加害ガーと燃やし散らかしたくせに、こう言うより生々しく性犯罪に繋がりそうな話には飛びつかない。
法の在り方や記事の是非は今置いとくよ。違法じゃない。合法だ。それは確定してるけど、露出のない萌え絵も全くの合法でありながら性犯罪!私たちは被害者!として出てきた人たちがこう言う話には全く飛びつかない。
要は性犯罪を抑制したいんじゃなくて、結局『不快なものを私の目に映るところに出すな』って言う本当に女様のお気持ちとしか呼べないものが根底なんだろうと思った。
更に突き詰めると、その不快と言うのは女性の魅力を男目線で強調して記号化した萌え絵が気持ち悪いって事なんだろうけど、これ、男性の魅力を女目線で強調して記号化した男キャラ(もうこれも女性が萌えてるんだから萌え絵と呼んででいいんじゃないかな?)も平等にあるという現状、ただの差別的扱いだよね。
更にはその女性の萌え絵を生み出したり愛でてる存在としてステレオタイプなキモオタに白羽の矢が立ったんだろうけど、何度も言われてるだろうけど現実で女食ってるタイプはキモオタじゃないし、それこそ性犯罪で上がってくるのは園子温みたいなそれなりの地位や金や暴力で増長したセクハラモラハラパワハラタイプばっかりじゃん。
オタクにも全くいないとは言えないけど、矛先までお気持ちすぎるんだよね。
そもそもたかが日経新聞の広告なんてごく限られた範囲の話を性加害ガーなんて大枠で文句つけてるのが心底アホらしかった。あんな絵でリアル女子高生への性加害性を催すとか公共の面前でオナニーすんなとか言ってるコメもあったけど、そんなん男だって困惑するわ。って言うか萌え絵見て公共の場でオナニーとかそれもう萌え絵がどうとか言うレベルじゃないから。単に保護しなきゃいけないタイプの人だから。
国連女性機関なんてのが出てきてから日経じゃなかったら問題ないとか性加害の大枠から意味不明なトーンダウンに落ち着く人も続出だし。
この際、日本の私立高校で広く行われてる「スポーツ推薦で生徒を通学圏外から集め、全寮制で生活させる」方法について、この際大きく批判されるべきだと思う。問題点は以下の通り。
こうした高校の大きな問題は、入学・入部したけど合わなかったという生徒が、逃げ場所がないことにある。一般生徒の場合、ひどいいじめを受けている場合でも、最後には家という逃げ場所がある。地元に小中時代の友達がいる可能性もある。しかし通学圏外から来た寮生は、地元の知り合いも全くおらず、逃げ場所が全くない。ひどいしごきやいじめで辞めたくなっても、学歴が中卒になってしまうので、それもできない。この結果として、指導者や先輩の権力が過剰に強くなり、暴力やハラスメントが暴走しやすい構造がある。
昭和の野球部も確かにひどかった。名門校に100人が入部して、しごきに次ぐしごきでふるい落とし、数ヶ月で10数人に減らしてチームをつくっていた。ただ、それで人生が終わる生徒はほとんどいなかった。多くが地元の公立商業であったこともあり、普通にそのまま学校に通って卒業して普通に就職していった。指導者も地元の人間やOBの視線に囲まれているので、そこまで横暴な振る舞いができない構造があった。現在秀岳館のような高校は一学年部員30人が25人に減る程度だろうが、推薦の寮生なので、その5人は学校まで辞めざるを得ない。中卒の学歴のまま就職も進学もできず、確実に人生が詰んでしまう。
人格形成の面においても問題がある。こうした環境で育ってサバイバルすると、確かにある意味でたくましい人間にはなるが、高確率で暴力やハラスメントを他人に平気で振るう人間になっていく。あと、地元の人々から応援されてこなかったので、「みんなの期待に応えたい」という素直な考えがなくなり、「とにかく勝てば正義なんだ」という歪でマッチョな考え方が強まっていく。こうして、体育会系の悪い部分を凝縮したような人間になりがちである。
自分は高校野球ファンだけど、秀岳館のような「スポーツ推薦で通学圏外から生徒を集め、辞めたら人生詰むという状態に囲い込んで指導する」
という構造を抱えている私学強豪校が全国で一般化していることに、非常に危機感を抱いている。その点、佐々木朗希に応援したくなる要素の一つは、甲子園に行く可能性が限りなく低い、地元の公立高校に敢えて進学したこと。この事件を期に変わってほしい。
母親との距離感が近い、というのは切腹モノの”恥”という強烈な意識を私は抱くようになった。
その意識は思春期の到来によって引き起こされる内面的変化の表れで抱いたものではなく、別のきっかけによって植え付けられたものだった。
「〇〇君はなんとお母さんのことを『ママ』と呼んでま~す!!wwwwwwwwwwwwwwwww」
信じられない人もいるだろうが、少なくとも90年代まではこのレベルのキチガイ教師はザラにいた。
また、当時は『ママ』呼びする男は問答無用で気持ち悪い奴という認識が共有されていて(今どきの若い子で公然とママ呼びしている人は普通にいると大人になってから知って仰天した)、それこそロリコンに匹敵するくらいの扱いを受けていた。
だから、暴露されたクラスメートは卒業までかなりかわいそうな扱いを受けていた。
ちなみに私はこのショッキングな出来事が起きた日、家に帰ってすぐ母親に対して
と宣言した。
母親は「そうか、もう”ちゃん付け”は嫌だか!」と爆笑していたが、なんと本当にその日から私のことをを”ちゃん付け”で呼ぶことをきっぱりとやめた。
加えて、私はこの時期から約十年にも及ぶ長い間、母親との雑談を一切しなくなった。
担任の愚行一発で、私は母親との距離をもっと遠くしないといけない強烈な危機感を抱いてしまったのだ。
それまでは小学生の子供らしく母親とそれなりに会話をするほうだったと思う。
夜一緒にテレビを見ながら、かつて竹中直人がお笑いタレントで「笑いながら怒る男」の芸で一世を風靡したことや、
志村けんがドリフの初期メンバーでなかったことなどを母親から教わった記憶がある。
それから時は流れ、大学生になっていた私は運転免許の合宿のために地方で3週間ほど滞在した。
合宿中のある日、同日入校した男連中と休憩室でテレビの情報番組を見ていた時、
画面に映る女性タレントを見て私が「この子超可愛いなあ。こういう彼女いたらなあ」と口にすると、
男の一人が「俺、家じゃそんなこと口が裂けても絶対言えないわ……」と唸った。
どういうことかとその場の皆が不思議がっていると彼は
「母親の前でアイドルとか女子アナのこと可愛いなんて言うともう……『そんなにこの子がいいなら一緒になって家出て行けばいいじゃない!!』って大泣きして怒り狂うんだよね……」
となかなか衝撃的なカミングアウトをした。
周りが騒然としながら、そうなったときお前どうしてんの?キレ返すの?と尋ねると
「いや、もうずーっと『ごめんごめん、俺が悪かったから泣かないで』って泣き止むまで言って落ち着かせてる……」。
お前それもう彼氏やんけ、と皆から引き気味にかわれていたが、私はというと「あーここまで母親との距離が近い奴もいるんだなあ」と妙に安心していた。
合宿が終わって実家に帰ると、私は母親と再び雑談をするようになった(10年以上のブランクがあったので何を話していいのかわからない状態で半年くらいはぎくしゃくしていたが)。
それから、オッサンになった今に至るまで、他人とその母親との関係性がうかがえるエピソードを聞かされる機会が結構あったが、距離感が近い母子は結構いるもんなんだなあと思う場面は多かった。
配偶者の実家の近くに家を買うつもりであると母親に伝えると「あなたを取られちゃうみたいで凄く嫌なの」と不快感をあらわにされ最後の最後まで反対されたとか、
部活の引退試合を終えチームメイトや父兄が集合している場で「〇〇ちゃん、お母さんを抱きしめて~!!w」と強烈なハグをされて死ぬほど恥ずかしかったとか、
家では『お母さん』呼びをすると完全に無視を決め込まれて食事抜きにされるからついにママ呼びを脱却する機会を逃したまま大人になってしまったとか。
配信でプライベートを垂れ流しにしてる内は、必ず放送事故が起きる。
プロゲーマーに限らず、ストリーマーやVTuberの失言がたびたび炎上する。
その度に「業界の民度が~」「モラルが~」と叩き始めるアホが出る。
プライベートを丸出しにする"配信"が活動拠点の内は、どう気をつけたって防ぎようがない。
サッカー選手のグリーズマンとデンベレの差別発言は記憶に新しい。
要するにプライベートは気が緩む。拡散されるかもという危機感が緩む。
プロスポーツ選手だって、チーム全員が私生活を配信する形態だったら、炎上の確率はグッと上がる。
失言をカットできる動画、投稿前に一呼吸できるTwitterに比べると、
TheHabanero プライベートで「ガイジ」「(罵倒としての)障害者」「身長〜cm未満は人権なし」みたいなこと言ったことないし言ってる人間も周りにいないが、ゲーム界隈はそういうことを日常的に発する連中の集まりってこと?
いや違うが?
eスポーツ元年と言われた2014年以降、失言の大炎上は2回しか起きてない。
お前が不快感で界隈を冷静に見られていないように、人は感情的になると分別が付かなくなってやらかす。
foxintheforest 普段からそういう言葉遣いをしているのが本当の問題。配信はそれを世界に伝達しているただの手段。
本質的じゃない部分を「本当の問題」と断ずる辺り、問題解決能力が著しく低い。
eスポーツチームに何人くらい所属するか知ってる? 20~50人だ。
1人1日2時間配信するとして、1週間に150時間くらいの未チェック動画が生まれるわけ。
教育には限界があり、その理由は「配信」という業界特有の構造って話だが?
「でもね」じゃない。お前は人の話を聞け。モラルは教育すべきと言ってる。
aya_momo あれを日常でも言っていると思うと引く。
「自分は失言をしない」と疑いもせず、他人を断罪できるような連中に引く。
というか呆れる。
kobito19 普通の人は他人に向かって障害者とか言わんやろ、少なくとも知り合いが居る傍で。そういう意味ではチームのモラルもどうなのよ、って感じだが
地雷がどこに埋まってるかもわからない状態が長く続けば、いくら自制しても炎上する可能性があるって想像できない?
価値観のアップデートというが、何がどうアップデートされたかの更新情報は全員に共有されてんのか?
danseikinametaro とうとう『配信』に責任転嫁し始めた。「民度が低そう」というパブリックイメージそのままでニヤニヤしてしまう。
「民度が低い」は明確な偏見だが、お前の知能が低いことは確実性が高そうだ。
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id:ruin20である。自分のIDが出ていたのでいっちょ噛みしておこう。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
元増田が無知なのか無知を装ってるのかは知らんが、アイちゃんが選ばれたのは『たわわ』のシリーズヒロイン、つまりは『月曜日のたわわ』を象徴するヒロインだからだ。
本シリーズは、Twitter上で、「月曜朝の社畜諸兄にたわわをお届けします」と銘打たれて始まった。当初は巨乳少女の水着姿が中心だったが、33回目にアイちゃんが登場する。それまでいいねは1万前後だったがアイちゃんは2回目の登場で2万いいねを稼いだ。作者も(アイちゃんを)「ちょっと気に入った」と述べており、アイちゃんを連続して描くようになる。2回目、あるいは3回目にはぼかしながらも「相手」が登場し、4回目にはスーツ姿の男性らしき人物がアイちゃんの視線の先に現れるようになった。
このように、アイちゃんはシリーズにおいて始めて連続して登場した少女であり、シリーズ飛躍のきっかけになったキャラクターであり、元々はただの巨乳少女を描くだけだった本作に「たわわな女の子と男性」という二者間の関係性を描写するという枠組みを導入したキャラクターなのだ。人気アンケートを取れば当然1位になるだろう。歴史的にもコンテクスト的にも人気的にも『たわわ』の顔であり、だからこそ広告にも登場した。「電車の中で会える女子高生だからアイちゃんがおすすめ」というまとめ方は本質を外していると言わざるをえない。私はここでハンロンの剃刀ということわざを思い出すべきだろうか? 難しいところである。
元増田が無知なのか無知を装ってるのか気になるところは他にもある。
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
上記の根拠として元増田はリスク認知について持ち出している。一定納得するところもあるが、リスク認知が文化的影響を受けるというなら麻薬に対する不安レベルがアメリカより日本の方が高くなるのは明らかにおかしい(当該論文の図4)。レイプの発生件数や発生率はアメリカやイギリスなど先進諸国とくらべて日本が圧倒的に低いと統計的に明らかになっている(※1)が、本邦フェミニストは日本が欧米に遅れた性犯罪大国かのように喧伝する。アメリカに比べて麻薬がまったく社会問題化していない日本の方がそのリスクを感じていたり、レイプ統計を合わせて考えれば実態を伴わないイメージだけで過大にリスクを感じているだけではないのか。
また、元増田はまったく無視しているが、歳を経るごとに『たわわ』に対するイメージが悪化していくのは、若い人ほどオタクに対する偏見やネガティブイメージがなくなっていくからだという点を見逃してはならない。オタクはもともと蔑称であり、宮崎勤事件を頂点に変質者・犯罪者予備軍として社会から差別されてきた。この事件は今40歳であればだいたい10歳ごろにそれを経験している。リスク認知に文化的影響があるというならオタクに対する偏見が社会に満ちていた時代を経験した世代かどうかを無視してはならない。
2010年に行われた調査では10代女性の50.9%は自分がオタクだと回答し、35~39歳の女性は17.6%に過ぎなかった。同調査においてオタクに対するネガティブイメージは10代だと29%だったのに対し、35~39歳は40.5%だった(※2)。自身がオタクである割合が増えればオタクに対するイメージも良化する傾向にある。別の調査元ではあるが、2020年の調査では自分がオタクだと回答した10代女性は86%に増加している(※3)。これらを踏まえれば「40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていない」はむしろ正と言える。
「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
これもありふれた理由付けである。誰かの個別的体験に配慮して表現を規制するのであればあらゆる表現が規制されねばならない。表現規制しろとまでは言ってない、と言うのだろう。しかしこれもいじめではなくからかっただけ、と同じで攻撃者が好むご飯論法だ。
誰かの権利を抑制しようとするとき、そこにはフェアネスが必要だ。オタクや萌え絵を攻撃する連中にはそれがない。
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
元増田は上記ブコメに感銘を受けたようだが、俺に言わせれば萌えフォビアのフェミニストにこそ信頼が置けない。月曜日のたわわ、温泉むすめ、宇崎ちゃん、境ホラ、のうりん、人工知能学会表紙エトセトラエトセトラエトセトラ。連中はいくつものコンテンツを燃やしてきたが、それを批判されると反論するのではなく論点を変えてやり過ごそうとする。たわわも最初は公共の場にふさわしくないという話だったが、日経新聞というブランドでやったことが問題視され、次は「見たくない表現に触れない権利」などというものが持ち出され、どちらも論破されると「日経新聞はUN Womenのアンステレオタイプアライアンスのメンバーだから守るべき」という話にすりかわってそれも論破されると元増田のように「講談社の意図が気になる」みたいのが出てくる。もはやいたちごっこであり、誠実さの欠片もない。広告だったことが問題なのであれば何故たわわ以外のコンテンツを燃やしたのか? 主張の一貫性などどこにもない。たわわのような表現によって性犯罪が増えるという統計的裏付けがあるならまだしも出てきたのがたわわのような表現があると不安になる女性がいるから、とか言うんだから話にならない。
萌えフォビアのフェミニストにフェアネスがないのは、ananSEX特集の駅ナカ広告や宮崎県日向市のCMをスルーしたり擁護したりすることからも指摘できる。これを引き合いに出すと決まって必ず「Whataboutismだ!」などと吹き上がる連中がいるのだが、ここで問題にしているのは社会を背景に表現を批判する者が持つべきフェアネスと一貫性である。萌えフォビアのフェミニストがオタクコンテンツを燃やすとき決まって必ず社会性をまとう。私が気に食わないからという理由で攻撃しても誰もついてこないからだ。だから「公共の場所に性的と感じられるコンテンツを置くべきではない」という論調になるが、それであれば渋谷駅の駅ナカで展開されたananのSEX特集の広告など真っ先に批判されるべきだろう。しかしそれをやってるフェミニストは見たことがない。けっきょく「私」が気に入らないから攻撃しているに過ぎず、それであれば「私はそれが嫌いだから私の見えないところにそれをやれ」と言われた方がよほど誠実に感じる。
フェミニストにフェアネスと一貫性があってもっと信頼感があれば言うことを聞く人も増えるだろう。だが今はその対極にいる。その事実をまっすぐに受け止めた方が良い。
※1:https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_1_3_4_0.html
部活動のあり方がニュース記事になってたのを見て、自分の人生にとって部活とは?とふと中学の頃を思い出した。
俺は小学生の頃、おそらく同級生の中で一番の運動音痴だった。なのに中学で突然思い立って、野球部に入った。
実をいうと、最初はなぜ皆は部活に入ってわざわざ忙しい道を選ぶのか、理解できなかった。が、体育の授業の持久走で同じく運動音痴だと思ってた奴より遅く走り、明らかに体力がないことに気づき、このままでは体育の授業すらついていけなくなるという危機感を抱いて運動部に入ることを決めたというのが実態だ。
・プロ野球をテレビで見たり、野球漫画を読んだりはしてたので、他のスポーツよりはなじみがあった
さて、そうは言ってもド素人の俺。最初はキャッチボールすらままならない状態だった。遠投で塁間届かないくらいだったし。見方によっては相当の「お荷物」なんだろうが、先輩も優しかったのと、一回戦勝てないことが多いくらいの決して強くはないチームだったのと、同級生も中学から始めたのが大半で、俺ほどではないが決してうまくはない人も多かったので、まあ練習に混ぜてもらう分には問題なかった。
でも、スタートとしては大きく出遅れていた上に、同級生だけで12人。当然誰かよりも上手くならないとレギュラーになれない仕組みな上、2年生になると後輩がすぐにレギュラーになったりしてる有様なので、いわゆるレギュラー争いとは無縁だったし、そんなもんだろうと割り切っていた。
ただ、一生懸命やってるという評価だけはもらえたようで、背番号もらってベンチには入っていた。もはや補欠とも呼べないのに、これでいいのか?と困惑しながら。
3年になっても球拾いを続けてたが、最後の大会だけ記念という理由だけで試合の勝敗にかかわりそうにない場面で代打で出してもらい、見事に三振した。試合出たのはそれが最初で最後。
不思議と後悔はしてない。別に最後の試合だって出れなかったらそれはそれで後で笑い話になるだろうと思ってたし。
万年補欠どころかそれ未満って、それはそれでいい思い出だったりする。活躍できないから辞めるなんて勿体ないよって思う。中学の部活だからそれが許されたとも思うし。