「場の空気」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 場の空気とは

2019-02-22

アメリカタトゥーに変に期待してるのが嫌

アメリカじゃファッションなのにってよく聞くけどファッションから良いとか悪いじゃない

眉間に皺寄せる人も口に出さないけど態度変わる人も全否定してる人もいるし

ファッションってたぶん日本ピアスぐらいの感じで言ってると思うけどタトゥータトゥーだし

デザインサイズ場所インプラント日本での和彫りと同じぐらい差別的偏見もある

ファッションだけどファッションとして偏見がある

若い子がやりたいって言ったらステレオタイプで親はたしなめるものだし出来ないし

ドレスシャツ着て見えるぐらいの範囲スリーブ・首から上とか

アーティスト有名人で無いとか見た人がそれを知らないとそういう目で見られることも少なくない

日本で聞くようなアメリカでもレベル低い人がする認識だっていうのはさすがに違うけど

レベルではないけど職業で許される範囲に偏りはあってそれがいいイメージ悪いイメージ両方の職業にあるから

タトゥーする事がレベル低いとかじゃないけどどっちにしても堅実なイメージはあまり持たれないのはそうだと思う

あくまで初対面でだけど

何かメンタリティ強く見せなきゃいけない見せたい人って偏見はみんな自覚無くあると思うし

日本でも映画ドラマ見てればどういう偏見かなんとなく分かると思うけど

タトゥー人間はそういう風に描かれる事少なくないしアナーキーに見せるためにメイクで足したり

根付いてるからこそ生まれ偏見もある

元々ファッション自体でどんな人間判断される部分もあって日本よりファッション意味が強くて厳格だから

TPOや職でトゥーマッチだって場の空気読めない人間扱いもあるし

ファッション自体理由評価は下げられないけど言い方変わるだけだから

もっと相応しい別のキャリアがあるっていうのは日本のご縁が無かったに通じる

ファッションから評価に晒されるし直接は言わないけどいない所やSNSじゃ物凄く言われてたりする

こういうものしてる人間はこういう奴みたいな偏見は強いか

基本は主張の社会だしファッションだけどベーシックではないか意味理由があると考える

日本でもポイントタトゥー背中の和彫りで印象が違うのと同じでデザインサイズは大きいし

日本ではただのライトデザインでもアメリカではそうじゃないと思われる

でもタトゥー文化を担う一つでファッションだけじゃなくいいなって所も本当にたくさんあって

偏見もあるけど寛容さも同じくらいあるしそこが日本には足りなくてアメリカと比べて理解ないのもそうなんだけど

私はファッションの持つ開放感では全然日本から自由度じゃない)

ファッション言葉意味をそんな日本での自由ポジティブ意味であまりにも取り過ぎ

それが凄くもやもやする

夢いっぱいで日本の外はユートピアぐらいで言われると私も日本よくなってけばいいねってつい言ってしまうけど

その後若干の自己嫌悪になる

嘘も悪い事も言ってる訳じゃないしアメリカがそうじゃないって事でもないけど

年々は変わってるらしいから少し古いかもしれない

これは差別に関してもで高い所の意識が凄くて

立場のある(特に日本に来てるような)ショーやメディア社会でお手本でいる役目から配慮も凄い強いし

求められてる所もあるし

言ってしまえば上澄みだけを日本で見ているなら素晴らしいって思うだろうし

現実そんな高い意識日本は追いついてないし

そんな人たちじゃなくても一般常識ぐらいには理解されてるけど

メディア含めて低い所の話通じないヤバさも日本比較にならないし

上の人たちの意識や意欲の高さはその切実さからまれてる所もあるから

簡単に向こうが上とか言うの失礼でしょって思う

タトゥーが手放しで肯定されてる社会みたいな誤解もスターガンガンに入れてるのを見てスターからいれてるのをスターなのにいれてるって見てるから

イメージによってはデザインや入れ初めにファンがショック受けるのもあるけど

そういうスターたちが番組で同じようにガンガン一般人に「あなたタトゥーステキね」って声かける姿も珍しくなくて

偏見持たれるファッションや髪でもそうだけどスターの役目での視聴者へのメッセージ意味もあって

「それは差別になる/あり得ない」って聞くと思うけど

それも言ってる感覚としてはお手本になる人をモデルとした良い人間に許される範囲での事で

そこに含まれない現実問題は表してないし自分言葉や行動が差別だってわかってて開き直って相手差別されるべきようにする人間もそこにはいから

からないとそのままに平均的な感覚に受け取ってしまうだろうし

何が差別偏見になるのかの正しさ以上に自分の中の理想的社会をそこに見てしまうのかな

それは原宿文化生見て日本ファッション自由の国って思う子と同じで

完全に間違ってるわけじゃないって意味でも

日本に来るそういう子たちのタトゥーファッション旅行者から許容されるのも同じで向こうもそうだから

長く住んでも文化が違う国出身相手だとそれあるし保守的な人も別の国の話ならどこか関係ないと思っていつもよりスルーする

自分の周りに影響するとそうじゃないけど

それは本当の意味で受け入れてるわけじゃなくて

そういう意味でも何て言っていいかからなくなる

しかしたら何の偏見にもあわず思い通りの生活を送れるかもしれないし

それでいいのかもしれないし

書いたような事言うのは簡単だけど別に自由じゃないよ日本と同じだよって言いたいわけじゃないし

そう見えると思うけど

しろ比べられないのにって

比べたけど

もし日本より酷い偏見差別問題があってもそれが自由がない事じゃなくて

問題も山済みで偏見差別もあって

だけど日本で見てるアメリカ問題の山とアメリカでの山は同じに見えて違う

日本から見てアメリカ自由ないんだって思ってもアメリカ自由だったりするし

それは逆もだし

サイズを見る道具が長さと重さで単位から違うような

一見アメリカの方が数大きくても比べられないでしょって

話聞いたり見たりしてもし思ってたのと違ってもそれは元々想像してた単位が違うから

そこで定規で測ってみて数が小さく出てもそれが重さでの数の大きさを否定するものじゃない

わけわかんないか

説明難しい

抽象的だけど日本で思う赤とアメリカの赤は違って

アメリカの赤を日本の赤だと思って見ると赤じゃないって思うかもしれない

だけどそれは赤なんだよって

日本アメリカそれぞれの土地で赤のキレイさもキレイって言葉イメージもそれぞれ違って

アメリカの赤のキレイさを日本の赤のキレイさと思ってる人には色の違いを説明したいし

それを知らないままアメリカは赤キレイなんだよねって言ってたらアメリカの赤がどんな赤か知ってから言って欲しい

書いた話はそういう意味

それでその人がキレイじゃないと思ってる日本の赤に似てる所があってアメリカキレイな赤じゃないって思われるのは嫌だけど

アメリカの赤を勘違いされたままアメリカの赤はキレイって言ってる気持ち悪さも嫌で

ここがもやもや理由

日本の赤よりアメリカの赤はキレイだって聞いて

日本キレイな赤で想像して

それが違ってもアメリカではその赤はキレイな所もあるよって

そういうのを言いたいけどうまく言えなくて

長く書いてもこんなだし

日本キレイな赤になればいいねって言って流す自分に落ち込む感じ

読み返しても伝わらなさそうだな

伝えられるなら愚痴でこんなの書いてないんだけど

嫌になる

とにかくアメリカタトゥー自由さあるけど日本自由って感覚自由だと思うのは違うよって話です

2019-02-16

「すん…」

って擬態語?(擬音語ではないよね) 最近漫画でよく見かけるようになった

急に冷めるシーンとか相手に呆れるシーンとかしらけるシーンとか

あと相手の言う事にはっとして納得するシーンとか主にネットで連載してるようなコメディ漫画結構見るんだけど

わーこれ若い人の新しい文化だな~~!!!ってめちゃくちゃ思ってる 新しい漫画用の表現が生まれ黎明期を目撃してる気する

好きか嫌いかは今のところは別としてこれからだんだん馴染んでいくようになるんだろうか

私はもうそんな若くないのでこの「すん…」の正しい用法複数漫画読んでても未だにわかってないんだけど

誰か若い人か詳しい人で知ってる人がいたら教えてほしい 

追記

ごいたくさん教えてくれてる人がいる!ありがとうございます

から「しーん」「シーン」は沈黙を表す表現として数多くの漫画で見かけるけれど

それとはちょっとニュアンスが違う感じなんだよね

突拍子もないことを言った人や世間知らずだったり常識外れな行動をした人にあえて沈黙遠い目で反応するコマとか

まりのことに相手に呆れたり急に真顔になってしらけたりして「あっそう…」みたいな感じで黙っちゃう

みたいなシーンのときギャグっぽい表現として使われてる感じ(pixivコミックとかでよく見かけます)

ポイントは「急に黙る」だと感じてるんだけど、ブコメにもあるけれどトラバ


>むかしから、「うんともすんとも言わない」って表現あったじゃん? あの「すん」が単独で使われるようになったんさ。


>「すん」の意味とは?

冷たい態度をとるさま。

内心では関心がありながら表面的に関心のないふりをするさま。

しなやかで、張りのあるさま。

用例

「すんとした表情で見られる」

「いつも彼女はすんとしている」

というのを読んで

あーなるほど言われてみればだよねと思った わかってみれば納得って感じの表現なんだなあ

「うんともすんとも」を思い浮かべない状態では画面に描かれている言葉人物能動的な行動を表していると思えるので

「何も言わないで静まり返っている」みたいないわゆる「シーン」と同じような表現とは思わなかった

現状ではそこから一歩進んでその描かれてる「特定人物」が「急に黙る」

というアクション擬態語として成立してる気がしてる

元は古くからある表現でも創作物とかツイートで見かけるようになったのはごく最近から

それまでは一般的ではなかった表現だってことだよね(昔からあるのを私が観測してないだけかもしれないけれど)

たくさんの人が使うようになる最初きっかけはなんだったんだろう

広がるということは多くの人の腑に落ちる表現だってことだよね すごくおもしろいです


あと「しゅん…」「シュン…」は「しょげかえって黙ってしまう」というニュアンスがあるので「すん…」とはちょっと違うかなあ

それからからある方のカタカナの「スン…」は登場人物が静かに鼻をすすりながら涙ぐむ、というとき擬音語だと思うので

最近広まってきた方のひらがなの「すん…」とは基本的には多分使われ方の違うものだと思うのでした(作者の意図にもよるでしょうが)

追記2↓

言葉として前からあったかというより、それが擬音として膾炙したこと時代性なんではないか


ほんとそうだなーと思います おもしろいです

描き手の方っぽいブコメも読んでなるほどなー!ってなってます 教えて下さってありがとうございます

私の言語化があまりうまくなくて的確な説明ができてなかったんだけどまさにこういうシーンで使われてるな!

っていう読み手感覚としてもぴったりな説明ブコメトラバにいくつかあったので引用してエントリを終わります

テンション下がる系描写

>すん は興味がなくなり落ち着いた様子を表してると思うけどな 賢者状態からエロ要素を抜いた表現だと思う

>顔から表情が抜け落ちるさまを表現してるのだと思ってた。

キャラクターが「しゅん…」とした時にできるようなすっと下がるような間を描きたいけれど別にしょげているわけではない、

 というときに使うよ/正規意味はしらないよ雰囲気だよ/平仮名でもカタカナでもいいよ

>「シーン…」は状態。「すん…」は変化。つまり沈黙状態が「シーン…」で、沈黙への以降が「すん…」。/個人的にはこんな認識

>すん【スン、すん…、スンッ】 類義語または語源:しゅん、シーン ①言動感情などの激しさ、勢いが急速におさまるさま。

感情場の空気などが冷めるさま。一気に消えるさま。 という認識


このあたりの感覚が「すん…」が使われる状況の「感じ」として

供給側受け取り手側でだんだん共有されて漫画表現として馴染んでいくのだろうなと思いました

2019-02-11

anond:20190211114208

千鳥高校生とき文化祭くそ滑った後

中山秀征凄さに気付くというエピソードあるけど、

周りの出演者を霞めず活かしながら自分存在感アピールして場の空気支配するのってなかなか難しいことだよ。

周りをたてているように見えて後から思い返すとそのタレントしか印象に残ってないのも恐ろしいところだけど。

アンビリバボーにおいて所ジョージ関根勤がしゃしゃり出ることなんてなかったけど、

バナナマンに変わったことでやっぱり番組雰囲気が変わった気がする。

2019-02-01

医学部に入ってしまった承認欲求リブ真面目系クズの末路

試験前、提出しなければならないレポート前になると、自分はどうしてこんなことをしているのか、別にこれが好きなわけでもないしこの道に憧れて選んだわけでもないのに、どうして自分はここにいるのだろうと、不安になって胸が締め付けられたかのように苦しくなる。

私は地方大学医学部に通っている。親戚に医者がいたというのもあって、周りから医者になることを期待されて育ってきた。私自身、生まれてこの方勉強するという行為嫌悪感はなかった。小学校の頃からそれなりに計算もできたし本も好きだったか文字を書く、漢字を読むことは苦ではなかった。学校には毎日通うものであり、授業は座って先生の話を聞いてノートを取るものだと思っていたし、ADHDありがちなその場の空気に合わせてじっとしていることができないといったこともなかった。周囲と比べてちょっと変だったところといえば、なんとなく特別学級や不登校いじめに興味があったことくらいだ。小学校中学校でのスクールカーストはやや低く、いわゆる足の速いサッカー部のいじりの標的にされることがあったが、学校に行けなくなるほど心身を病んだわけでもなかった。むしろ私は自分のことを""あっち側""の人間ではないと思っていた。私が通っていた学校には溜まり場が、今流行りの言葉で言えばコミュニティスペースが、比較的多くあり、ヤンキーの生息地、ガリ勉の生息地、オタクの生息地が距離感を保った状態存在していた。そして、""あっち側""の人間の居場所もあった。私には友達がいなかったが、校内で一番勉強ができるやつだと思われていたので、特定グループに恒常的に入っていなくても、どこの輪でもなんとなく話ができたし、あちこちに顔を出しては適当に楽しく遊んでいたように思う。

私が中学の頃に友人の一人に誘われて入った近所の公文塾は、学生の実力に合わせて進度を調整できるという触れ込みの塾だった。公文には他の学校の生徒が多くいて、プラスマイナス5〜6歳の生徒とも同じ場所勉強していた。曜日によって顔を合わせる面子が違えば雑談する内容も毎回違っていて、ある程度敬意を払いながら丁寧に接していれば年の差なんてほとんどないような関係でその輪に入ることができた。たまたま公文式の教材が自分の性分にあっていたのか、数学英語に関してかなり成績が伸び、中学の時点で高校センター試験レベルを楽々解けるくらいまで教材を進めて、県の進度上位者として表彰されるまでに至った。自分勉強ができるんだ、これが自分長所なんだと思い込んだ私は、学校だけでなく公文でも""勉強ができるヤツ""としてのポジションを獲得したことますます自分は""勉強ができるヤツ""として振る舞おうとしていた。

家でも、試験の成績が良ければ父母に褒められたし、親戚に会えば「お前は勉強ができるのか!じゃあ将来は医学部東大だな!」と言われていた。以前は漫画三昧ゲーム三昧だった子が公文に入るなりメキメキ勉強するようになったのだから、親としても嬉しかったのだろうし、私も自分にとっては苦でなくできることで褒められるというのはとても嬉しかったのも事実だ。

よくよく思い返してみれば、この頃から自分の行動は歪んできていたように感じる。数学英語も好きだったが、勉強したことで褒められるのはもっと好きだったのではないかと思う。

高校は自宅から通学1時間くらいのところにある普通科高校に通った。進学校といえば進学校なのだが、まぁ地方自称進学校なぞ大学受験レベルで言えばたかがしれている。開成とか灘とかと比べれば全然しょぼい。偏差値10〜20くらい違うんじゃないか高校理系クラスに進学すると、自分の好きな数学英語勉強の話やアニメ漫画の話ができる友達がわりかしできた。公文での積み重ねがあったかドロップアウトしがちな中学から高校への学習密度の変化にもついていけた。どうやら自分高校でも成績は一番ではないにしてもトップクラスだと感づくのに時間はかからなかった。当時好きだった人が生徒会に入ろうとしていると聞いて自分生徒会に入ってみたが、環境の変化からか全体的な体調が悪くなったのもあって一月かそこらですぐに辞めてしまった。通学で消耗してしまっていたので部活動をやる気にもなれず、事実上の帰宅部として放課後カラオケに行ったり理科室に入り浸ったり青チャートを解いたりシス単を周回するなどしてふわふわ過ごしていた。結局、自分の""勉強ができる""というアイデンティティを確保したいがために、勉強を最優先においていたのだと思う。学校先生勉強ができれば褒めるし親も勉強ができれば褒めてくれた。だけれど、本当に大事なのは自分が好きなこと、やりたいこと、魂をかけてでもそこに食い込みたいという世界を追求することだったのに。とりあえず勉強してれば褒められるという目先の報酬を獲得することに囚われていた。進路選択志望校選びも、親戚の「お前は医者になるんだよね?それが一番いいことなんだ」という圧を内面化していた節があって、近くの国立大学でいいかとろくに考えもせず、周りに流される形で今の大学医学部にした。いや、正確に言えば、東大京大を目指して勉強するのが面倒だったしわざわざ失敗する=浪人する可能性のあることをするのが怖かった。自分に向いている業種が見つからないのが怖かった。自分になんの才能もないことを突きつけられるのが怖かった。自分責任で何かを決めるのが怖かった。このまま担任の勧めや親の勧めに従っておけば、""失敗""することはないだろうと思っていたから、これが最善の賢い選択なのだと思い込んでいた。馬鹿らしい。一日や一週間やそこら勉強しなくたってどうってことないのに、受験勉強というフィールドしか見えてなかったし見ようとしてなかった。少しでも興味のある業界があるのならそっちに向かう努力をするなり調べればよかったのに、当時の私には褒められたいという気持ちを抑えることができなかった、だから現状の自分にできることで褒められる、受験勉強しかしようとしなかったのだと思う。人間というのは、できないことをやって失敗しながらちょっとずつ適応していくことでできることの範囲が拡大していくものだ。そもそもできることしかしない人間に成長はありえない。当時の賢こぶっていた私を殴り倒して張り倒してでも伝えたい。勉強以外のことで自我確立するべきだった。一般的に良いとされていることに身を投じてコミットしても、結局のところ消去法の選択自分が納得しないままではいずれ無理が来るのだ。そして今まさしく、易きに流された自分のツケを払わされているのだけれど。

程なくして現役で某大都会国公立大学合格した。大学に入れば私もここでいわゆる""青春""を送ることができるだろうと信じて軽音楽系のサークルに入ってみたが、持ち前の拗らせて肥大したプライドを守るのに必死体育会系人間関係適応できずに辞めてしまった。未成年飲酒なんてどこもやっていることだからアルハラ正当化され、先輩が飲めといえばありがとうございます感謝して飲まなければならなかった。音楽は好きだったけれど、サークルでの苦痛と引き換えに得られる人間的魅力、音楽活動での満足感があまりにも見合わないと感じた。音楽に熱中できていればもう少し違っていたのかもしれないが。文化系のゆるゆるサークルに入ってみたが、そこは自発的にモノを作り出して自分を充足させられる人間の集まりであって、他人から承認ベースで行動してきた私のような人間が突然生産性を高められるようになるわけではなかった。上の人間に面倒をみてもらうには人権邪魔をし、一人で生きていくには人間強度が足りなかった。現実での人間関係を構築できない者が流れ着く場所といえば古来よりインターネット相場が決まっている。必然的に私もインターネットに漂着した。twitterからまり様々なSNSを通じて学生学生以外の人間と多く出会った。オタクオフ会にも参加したし、""あっち側""の人間との交流会に出向いては世の中にレールから外れた人が想像以上に多くいることを強く実感し自分の見識の狭さを恥じた。コミュニティ転々とする上で国公立医学部生というソーシャルグッド切符は様々なコミュニティに出入りするのに大変便利で、どこに行っても可愛がられた。自分自身が何かを生み出せるわけではないのに、人間の世話をすることができるわけではないのに、ポテンシャル世間一般評価基準に褒められていた。働かなければ能力はつかないし、働いていない学生は虚無である。そんなこともわからずに(あるいはわかっていたがあえて意識せずに)流浪しているうちに、実力以上の評価自分に与えてしまっていた。俺はまだ本気出してないだけ、というフレーズを繰り返し自分に刷り込んでいた。私は何も価値を生み出していないし、ただただ親の仕送りで生かしていただいているだけなのに、どうして私はなんでもできると思い込んでしまったのだろう。自分意思努力して掴み取ってきたものなど何もないのに。私は医学に興味があるわけではない。医者になるといえば褒めてもらえた。勉強さえしていれば褒めてもらえた。今は褒めてくれる人がいない。だから勉強も何もする気が起きない。ただそれだけ。来週には授業でプレゼンしなきゃいけないし二週間後には試験も控えているが、どうすれば鬱屈した自分人生を変えられるのかばかり考えている。承認を求めること以外に熱中できることがなかった自分人生を変えられるわけなんてないのにね。目の前のやるべきことをやるのは、問題の先送りにすぎない。なぜならやるべきという判断根拠に逃げと諦めが生じているから。医学に身を捧げることへのインセンティブモチベーションもないのに、どうしてやるべきだと思っているのだろう。何もわからない、わからないんだ。どうしてこんな進むことも戻ることもできないところまでズルズル引きずって生きてしまったのだろう。今更医学部を辞めたところで解決する問題とも思えない。このまま医学部に在籍し続けて解決するとも思えない。なまじっか真面目であろうとしているから、授業やレポートサボることさえできない。解剖実習を抜け出して映画を観に行っただとかバーで酒を飲んできたと豪語する友人が羨ましいくらいだ。目の前の快楽を優先して楽しめるような人間でありたかった。勉強に対して全精力を費やして学ぶことで己を充たせる人間でありたかった。私はそのどちらでもなかった。そうだよ、私は誰が作ったのかわからないような真面目さの枠にアイデンティティを依っているだけのどこからどうみても無個性普通のありきたりな何もできない奴なんだよ。受験に身も心も滅ぼされてしまったのだと乾いた笑いで感情を誤魔化し責任自分の外に擦り続けて一生何もできないまま死んでいくのだろうな。そうやってこれからもずっと本当の過ちから目を背けて表面的な言い訳をつらつら述べて同じ苦しみを繰り返していくんだ。永久に同じ場所をあっち行ってこっち行って往復してるお前の人生振り子みたいでチョーうけるんですけど。

死にたいと思ったことは何度でもあった。しかし死んだ方がマシほどの苦しみを抱えているわけではなかった。死ぬ覚悟があったらこんなしょうもない悩み抱えてねーわ。

私ってどうしたらいいんですか?あなたのワンクリックで救ってくれませんか?輪廻転生してやりなおすことってできませんか?目の前の勉強淡々とやった先に程よい未来が待っているんですか?医者になったら幸せになれるんですか?今すぐ私の気持ちを楽にしてくれませんか?私の何が悪かったんですか?私ってやっぱりつまらないんですか?私に友達ができないのは私のせいですか?こんな真面目系(笑)クズを産んで育てた母親が悪いんですか?いっそ私に病名をつけてくれませんか?此の期に及んで私は自分が悪かった愚かだった間抜けだったと認めたくないんですか?これまで私のことを評価してくれた大人の皆さんに申し訳がないと思わないんですか?何事かを成す為に今すぐ地道に努力するしかない草むしりをするしかないのなら私は何をやればいいんですか?あれ、私の好きなことって一体何だったのですか?私について誰か知りませんか?

誰か...。

2019-01-12

未婚者に結婚しない理由を聞くな

「何故結婚しないの?」

…その質問に一体何の意味があるの?

こういう質問するヤツらに対して真摯に解答してみたらどうだ?

結婚しない理由について綿密について語ってみたらどうだ?

「いやでも結婚もいいよ?」とか、「自分可能性を狭めすぎじゃない?」とか、

gdgdとしょーーーもない否定上から目線説教しか言わないんじゃん。

もう面倒くさいわ。無駄コストだわ。

から「何故結婚しないの?」と聞かれても、

自分意図絶対に言わない。

「いや~結婚したいんだけどなかなか上手くいかないんですよ~www」

みたく、質問者にとって都合の良い『社会不適合的未婚者』ムーブするしかない。

場の空気を読み、波風を立たせず、忖度して。

「何故結婚しないの?」という質問に一体何の意味があるの?

自分の本当の気持ち開陳してみたら否定される。

結局”差し障りのない解答”しか求めてないってことなんじゃん。

「やる気がないなら(中略)本当に帰るヤツがあるか!」と同レベル茶番

アホくさ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2019-01-07

anond:20190107221154

失礼な。やっぱり色んな境遇の人がいるっていう想像力が足りないせいで無礼振る舞う人が多いんだよここは。

俺は俺なりに真摯に答えてみた。それだけのこと。

自分からすれば、変に人を侮辱しあう場の空気に呑まれて短文でくだらない煽りトラバばかり飛ばすような人のほうが、よっぽど恥ずかしいと思う。2chにもよくいるけど。

2018-12-28

anond:20181228154016

日本人はなんでもガブガブ飲もうとする。日本酒ビールもそうだが。

そういう嗜み方ではアルコール特有のまずさを感じやすく、酒が本来もつアルコール以外の醸された部分の味わいを感じにくい。

本来の酒は、ワインウィスキー想像したら分かるが、小さなグラスでちびちび飲んで風味を味わうものだ。

そして、酒は嗜好品なのだから高いものを飲むべきだ。安いものになるほど風味が乏しく、アルコールのまずさが全面に出てくる。

高いものを、自分で調べて買って、家で少しずつ飲むのが一番いい。

飲食店でなんとなく出てくるような安酒をその場の空気でゴクゴク飲んでいると酒が嫌いになるのは自明だ。

ただ酔いたいだけならストロングゼロを飲んでいればいい。

2018-12-13

M-1 2018の審査員に点数をつけてみた

M-1終わった直後は上沼恵美子立川志らくにムカムカしてたんだけど、もう一回見直して考え方が変わった。

以下各審査員の点数(5点満点)とコメント

上沼恵美子(3点)

しゃべくりの技術演技力、客受けを重視した採点傾向。

ジャルジャル、トムブラウンが低評価なことから今までにない形の漫才自分が笑えたかどうかに関係なく評価するのは苦手。

立川志らくの99点以降バランスの崩れた採点となったのが残念。

松本人志(2.5点)

客ウケと会場の空気を重視した採点傾向。

点数の振れ幅が大きいほうだがウケ重視の採点なので茶の間とのかい離が少なく、見てる分にもストレスが溜まらない。

悪く言えば可もなく不可もなくという感じ。

サンドウィッチマン富澤(1点)

採点根拠不明

爆発したというコメントを残した霜降り人間力がといったかまいたちの点数が変わらないなど不可解な点がある。

点数の振れ幅もコメント説得力もないのでここにいる意義が感じられなかった。

立川志らく(4点)

客ウけと革新性を重視した採点傾向。

これまでにない試みをやっているかどうかという目線が強い。ジャルジャル、トムブラウンの結果から上沼恵美子とは対照的評価軸。

評価軸が明確で納得感はあるが、コメント無骨すぎることと最初につけた見取り図基準点85点を忘れている感はある。

ナイツ塙(4.5点)

技術力、客ウケ、新しさ、人柄をバランスよく取り入れた採点傾向。

コメントを聞いても採点根拠が明確かつきちんと差もつけれており、M-1審査員でここまでできるのは現役バリバリかつ経験値の違い。

中川家礼二(3点)

明確ではないがおそらく間や表現力と客ウケを重視した採点傾向。

かまいたちミキとしゃべくりの評価が高いが会場が爆発した霜降り和牛が上回ったこから空気感も点数に反映されている。

ただ、サンド富澤同様点数の振れ幅はもっと大きくしてほしいところ

オール巨人(3点)

技術力と漫才としてのやりとりの面白さを重視した採点傾向。

コメントも的確で基準もわかりやすい、普段から劇場で若手のネタをしっかり見ているため新しい笑いへの理解力も高い。

惜しむべきはやはり点数の幅の狭さ。

偉そうに書かせてもらいました。

個人的に下位二人は松本サンド富澤なんだけど、松本はさすがに外すことはできないので、

次回はサンド富澤みちょぱに変えればベスト審査員になると思う。

追記

個人的には採点基準独自視点がありそれが明確に示されており、

点数できちんと色分けができている審査員が好きです。

かといって採点基準を明確にするのは競技化につながるので反対で基本的審査員好き嫌いで点数つけていいと思います

あとであれこれ語れるのもM-1のいいところですよね。

2018-12-06

anond:20181206015505

立川志らくさんのことはTBSひるおび!というお昼の番組コメンテーターとしてしか知らないけど

あの人がコメントをするとなんかちょっと場の空気が奇妙になるんだよね

一緒に出てる出演者スタジオのお客さんの反応がなにか気を使ってるというか

話が面白くないとかすべったとかそういうのとは違うと思うけど

なんだろうね

M-1

最近M-1がつまんないのも、審査員批判が起きるのも、全部原因は同じ場所にあって、「あれが芸人の実力が反映されないクソシステムから」だと思う。「芸人の実力が反映されない」というのが審査員のせいになりがちなんだけど、実際はそうでもなくて、俺はあの暗い声でボソボソ喋る落語家リアルタイムで見ていてそう悪い評価はしてないと思った。確かにいわれてる通り高得点大袈裟に付けすぎてたとは思うけど。

原因はごく単純に、順番で会場の空気が大きく変わるのに、それを単純にランダムで決めてることだと思う。作ってきたネタがトリに映えるようなものだったり、一発目のあの空気じゃ絶対ダメネタだったとしても、一発目を引いてしまったらそれで終わりだ。芸人からしたら納得感はないだろう。結局「運」じゃん。順番くらい芸人本人に選ばせろ。

立川志らく師匠M-1審査について、内容が適切なことは分かった。じゃあ伝え方は?

『M-1グランプリ2018』で立川志らくは何をどのように審査したのか。

http://memushiri.hatenablog.com/entry/2018/12/04/213330

 

あの聞いている方がハラハラしてしまうような態度は何だったの?

審査員という立場にいる人間が、不必要場の空気を変にすることが果たして適切だったのか。

文章化するとまともに見える?当たり前だよ、言い方や態度が関係なくなるから

内容が適切だから審査も適切という主張には待ったをかけたい。

適切な内容と適切な伝え方、二つが揃って初めて適切な審査と言えるんじゃないか

 

以下、想定問答集

 

M-1過酷な賞レースなのだから甘っちょろいこと言うな

過酷な賞レースであると同時にエンターテイメントショー(…であることに異論はないと思う)

から審査員側から積極的に変な空気を作り出すのはおかしいし、フェアじゃない。

例えばオール巨人師匠本来もっとズバズバ言う人だけど、ちゃんM-1向けに出力を調整していた。

 

・重たい空気の中で笑わせてこそプロだろ

・言い方はどうあれ指摘は正確なのだから真摯に受け止めるべき

それは漫才師側の心構えであって、審査員が伝え方を考えなくていい理由にはならない。

 

視聴者や客に尻尾ふって漫才師を甘やかせと言うのか

厳しい指摘を出すことと場の空気を変にしないことは両立可能

しろそれが審査員の腕の見せ所では?

 

・あの程度で場の空気が変になる方がおかしい、メンタル弱すぎ

あなたが強いのよ。

 

・伝え方が悪かったら内容が適切でもNGという方がおかし

逆。せっかく内容が適切なのに伝え方に問題があったらもったいないと言っている。

誰も内容を否定していない。

 

・他にも空気を悪くする審査はい

じゃあその人たちについても同じ主張をします。

 

・昔はもっとキツかった。やっさんvsダウンタウン知らないの?

そういう時代もあったんですね。

 

Twitter見ろ。ちゃんと若手のことを考えているぞ→https://twitter.com/shiraku666/status/1070233712640458753

この優しいツイートだってM-1の時と同じ調子で言われたらやっぱりウッとなるでしょ。

 

芸を生業にする人にとって「場の空気」は重要もの志らく師匠がそれを知らないはずはない。

からこそ点数と一致しないコメントを出したり、誰かを意識したような態度を取ったり、

そういうことはしてほしくなかった。

2018-12-02

anond:20181202223314

場の空気は悪くならないよ。むしろ高校卒業してすぐ社会人になるってすごいじゃん!

社会人になった自分に誇りを持ってほしい。

anond:20181202222552

大学行ったという前提で話をしなければいいよ。

高卒から「どこの大学?」って訊かれると一瞬詰まっちゃうし、それで場の空気が悪くなるのも嫌だなあと。

2018-12-01

anond:20181201181347

祖父病気で死んだとき泣いてしまって自分でも意外だった。

好きか嫌いかでいえば好きだったがコミュ障ひきこもり自分はもう5年ちかくまともに会ってもいなかったのだ。

ほんとうに悲しい時は茫然自失して涙も出ないというから本当に悲しいわけではなかったんだろう。

その場の空気に酔ったか、非日常でのストレス発散のために涙が出たのだと思う。

増田の知り合いがどうだったかは知らないが、案外意図せず泣いてしまうことはある。

2018-11-21

>d-matchon社長は当然のこと、周りで囃し立ててる連中も頭おかしい…

>nekong87半グレ犯罪者クズ達はもちろんだけど、一緒に騒いでるバカ女(モデル?)もヤバいだろ。

>crexistドン引き。。現行犯逮捕でしょ、これ。。そして、3.2.1キャー、とか言ってる女の声がムカつく。場の空気があったとしても最悪2度目は止めろよと思う。

まぁ幇助罪か現場助勢罪だよな

鏡の対応をしてしま

相手攻撃的な対応だとこちらも攻撃的な対応をしてしまうし、逆に丁寧な対応をされるとこちらも丁寧な対応自然としてしまう。

明るい人相手だとこっちも自然といつも以上に明るく会話できるし、相手が少しどもり気味な人なら不思議こちらも少し言葉に詰まってしまう。

とにかく相手やその場の空気感にカメレオンのように自然擬態してしまってなんだかよくわからない。

サービス業はできないなと思った

2018-11-15

大阪県民自意識過剰

富山出身友達がいるんだけど、語尾に「~や」「~やろ」とか関西弁っぽく話す

多分富山の人はそう話すんだよね?ひとりしか知り合いいないからその辺知らない

今日、別の友達の知り合いの大阪のやつと4人で飲んでたんだけど、富山友達が話すたびに

似非関西弁きっしょいねん~!やめろや」とか言って富山友達困惑気味

自分のところの方言ナチュラルに話してるのになんだこいつとか思って

しかも初対面できっしょいとかあり得ないだろ?

沖縄県民の人に「なんくるないさ~」とか言っても別に何も言わないよね

たぶん本土の人がおれらの言葉おもしろがってるなくらいのこと思ってるくらいで

特になんとも思ってないと思うんだよ

それを大阪県民はただの地方都市の分際でまるで自分世界の中心のように

他の県民方言似非関西弁とか言って場の空気をわるくする

あといちいち話にオチを求めたり気持ち悪いよね

そもそもオチってなんだよ、そんな日本語いか

自意識過剰過ぎてきもちわるい

2018-11-09

最低の告白

好きって言われて、俺のことどう思う?って聞かれた

なんか変に期待に応えなきゃって気持ちが出て

私もって言ってしまった

その場の空気に流されがち、悪い性格

ていうか完全にネト恋で、オフの予定が立つかなーって感じなのに

なんでそんな好きになってもらえたのかわからない

2018-11-04

anond:20181104184325

それを一言表現する言葉が「死ね」なんだよ

マナー完璧であるということは全てが予定調和のうちに収まっていて価値がないことを意味するわけ

から秩序を破壊して価値を作り出すの

価値あるものマナーが悪いのは当然、考えるべきは失われる澱んだ場の空気と新しい価値がどう釣り合うかというコスパ問題だけ

女性であることによる感情労働

私は、アラサー社会人である事務職である総合職である。割とお堅い職業である肩書はまだない。

中学高校私立中高一貫校に進み、偏差値で進学する大学を決めた。そんな「ゆとり世代である

近頃、周りでよく「セクハラ」「パワハラ」の話を聞くようになった。

いや、誤解しないでほしいのは、女性側がことさらセクハラパワハラを訴えているという話ではない。

男性側が「こんなことをセクハラって言われたけれど、これってセクハラじゃないよね?」と『赦し』を請うという話である

さて、我々昭和から平成世代にとって、これが同世代一般的な考え方なのかは分からないが、生まれた時から世の中は男女平等社会だった。

大学までは「男性である」とか「女性である」ということを、正直そこまで意識をせずに過ごしてきた。過ごしてこれてしまったとも言える。

我々はいわゆる「ゆとり教育世代であるが、これは単純に教育の質が落ちているということではない。国が主導した「ゆとり教育」の導入は、教育選択助長させた。

すなわち、金銭的に豊かな家庭は、「ゆとり教育」の公立高校か、それとも「独自カリキュラム」を売りにした私立中高一貫校かをこれまで以上に選び始めた。

しかし、「独自カリキュラム」といっても、その中身を吟味し、選ぶことは容易ではない。

その結果、偏差値の高い中高一貫校に進むこと、大学は「早慶上智」あるいは「MARCH」に進むことが重視された。

そこには、「男だから」「女だから」という差はない。

私たち区別するもの性別ではなく、偏差値だった。

からこそ、社会に出てから女性」というラベルに対して、「男性」というラベルとは別の意味けがされることに慣れていない。

これまで男性と同じように偏差値の良い大学に入ること、さらに言えば一人で生活していくことのできる企業に入ることを目標として、男性と競ってきたはずなのに、社会に出たとたんにそれだけでは通用しなくなってしまう。

これまでのように、男性と同じ振る舞いをしていれば良いのかといえば、そうではない。

さらに「女性であること」「女性らしさ」を暗に求められる。そのことへの違和感である

この違和感を通常はフェミニズムジェンダー論の立場から語られることが多いが、私はどちらかというとこれは感情社会学の問題で、必要のない「感情労働」を強いられることに対する違和感だと思っている。

例えば、先日、上司から「これはセクハラじゃないよね?」と相談された事例を例に挙げよう。

飲み会ときにその場の空気写真を撮ろうという話になったのだ。彼は、一緒に仕事をしている女性の部下を隣に呼び出して、一緒にピースサインをして写真を撮った。

彼は、部下の身体接触したわけではないし、彼女笑顔ピースサインをしていた。

だけど、「本当は嫌だった。あれはセクハラなんじゃないか」と同期と陰で話しているのを聞いてしまったそうだ。

笑顔写真に写っていたのに、セクハラだと言うのはおかしいんじゃないか」と上司は納得のいかない様子だった。

まず、こういう場合性別を逆にして考えてみたい。

男性上司は、男性の部下を隣に呼びだして、ピースサインをさせることはあるのだろうか。

逆に、自分男性上司から、隣に呼びだされて、ピースサインをさせられたら、自然笑顔になるのだろうか。

おそらく、自然笑顔にはなるまい。しかし、その場の状況から、自らの立場から笑顔にならざるを得ない、と思うのではないか

無理やり自分に「自分はこの状況を楽しいと感じている」と思い込ませるのではないか

まり感情を無理に、自分本来自然に感じる方向とは別の方向に動かして、その場を収めようとする。

言ってしまえば、上司と部下という関係性を円滑に進めるため、「感情労働」を強要されているわけである

この件が「セクハラ」に該当するのかはさておき(そのためには、そもそもセクハラ」の定義から語らなければならない。「セクハラ」は一般的被害者不快に感じた場合はすべてそれに該当すると言われているから、そういう意味では「セクハラ」と被害者認識したものはすべて「セクハラ」になるが。)、

女性は、社会においてこうした「感情労働」を強要される場面が多いと感じる。

そこに身体的な接触があったかどうか、という問題ではなく、また、誰の目に見ても明らかに性的要求をされているのか、というものでもない。

女性であることを理由として、自らの感情を、自らが本来素直に感じる方向性とは別の方向性に働かせなければならないこと、そのことに違和感を覚えるのだと思う。

2018-10-23

メンヘラの人への来た時の適切な対応

コミュニティメンタルヘルスを病んでる人が来た。

体調の話とか、飲んでる薬(向精神薬?)の話とかを一日一度は言ってる。なんの病気かは知らない。

話題を変えようとしたり他の人とばかり話すと「私は嫌われている…」なんてSNSで書いたり、オープンにしてる日記愚痴を書いたり、あからさまに無視してくる。

メンタルを病むのは現代病みたいなもんだから仕方ないなと思うんだけど、こういうときどうするのが適切な対応なのかわからない。

別にその人のことは嫌いじゃないんだけどさすがにストレスは溜まる。

変なこと言って傷つけるのもいけないと思ってスルーしていたんだけどそれもあまりよくなかったようなので、どうするのが場の空気を悪くせずうまい対応になるのか、誰か教えて下さい。

2018-10-22

清潔感と言う言葉の一番まずい点は"感"

anond:20181021212341


まぁこれだよね。

"感"ってのが主観的感覚的だからマジョリティの都合の言いように使われがちだと言う問題点がある。

とりあえず、その場の空気根拠なしに使えてしまう。

2018-10-18

五輪ボランティアに見る「はてなー」の主語デカ問題考察

はてな界隈ではあれだけクソミソにケチョンケチョンに貶されてたにもかかわらず目標の倍集まった五輪ボランティア

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/425215097243026529

けちょんけちょんに貶してたはてなーは完全敗北であり、

潔く敗北宣言を出したbbbtttbbb氏はまっことに漢であり抱いてほしいくらなのだが、

まあそれは置いといて。

今のところトップブコメドヤ顔決めてるpoko_penってのははてなウヨクidなので言及しない。

目を引いたのは、

「今までどこにいたの?」と感じずにはいられない、

五輪ボランティアに対して肯定的idである

orino-for-no

スポーツボランティア結構やってる立場から言うと、やりたくてやってるんだよバーカ!って批判する人達に言いたい。

wapa

まあそうだろうな、と。マラソン大会とかでもボランティアしてる知り合いは色々いるし。スタッフ服とかもらえるだけでも記念になるし。運営が嫌だからといって、応募してる人を罵倒するようなことはしないでほしい。

skypenguins

はてなTwitterインターネットコミュニティしか見えてない有識者たちには理解できない人数だな

citron_908

こういう人達意識高い系などと呼んでバカにしがちなのがネット界隈という事なのだろうか

dalk

そりゃあ一生に一度あるかないかレベルだし、東京にいくのにボランティアにいくといって嫌な顔をする奴は少ないしついでに遊びに行っても良いし利用しない手はないと

plagmaticjam

ちゃごちゃしたことはいいから実地的に楽しもうぜって人達はいっぱいいてそういう人達のほうが人生楽しいと思う



今までのはてな界隈の流れからすると、

突如として五輪ボランティアに対して好意的コメントばかりが軒並み人気ブコメランクインしているというようにしか見えない。

この事象を以て、今までは

はてなー手のひら返し

などと主語デカで語られてきたのだが、

ここはぐっと踏みとどまって、

まずこれらのidが今まで五輪ボランティアに対して好意的コメントをし続けてきたのかという点を確認してみた。

とりあえず最低でも過去半年

ブクマ数の少ないidは1年くらいブコメをさかのぼり、

ボランティア」「五輪」「オリンピック」で検索してみたのだが。

結論から言うと、過去ブコメから五輪ボランティアに対して肯定的ブコメをしていたのは下記のコメントのみであった。

plagmaticjam

オリンピック組織運営に疑問はあれどオリンピック自体は楽しみ。ボランティア適正化してくれればやってみたい

http://b.hatena.ne.jp/entry/372822344/comment/plagmaticjam

ただ、「適正化してくれれば」と留保を付けているように、手放しの称賛ではない。

有識者とは...

東京五輪・パラのボランティアやりがいPRを」組織委 | NHKニュース記事に対して)

http://b.hatena.ne.jp/entry/364547076/comment/plagmaticjam



下記のブコメは、ボランティアではないが、五輪に対して肯定的と取れるコメント

torino-for-no

五輪マイナー競技観るの大好き人間なので、気にせず頑張ってねと。俺の税金返せって思ってる奴には振込手数料負担してくれれば俺が代わりにお前の分負担して口座に振り込んでもいい位に思ってる。お互い赤字だけど

http://b.hatena.ne.jp/entry/298137351/comment/torino-for-no

ただ、後ほど言及するが、普段からボランティアに対して肯定的発言があったわけではない。

あとはほぼ、五輪ボランティアに対して不言及

一部については、過去五輪に対して非常に手厳しい批判を加えているidもある。

ただまあ五輪運営とか政治案件とか利権かに対しての批判で、ボランティア参加自体disってるわけではない、

という好意的見方はできなくはないが、

積極的五輪ボランティア肯定コメントはお世辞にも過去でてはいなかった。

wapa

いから金払って人を雇えよ。施設既存の使い回しで。レガシー残そうとか開発で金ばら撒こうとするからこういうところに歪み出てるんだし。誘致時から予算爆増してるのに人件費ケチってるのがなんとも情けない。

http://b.hatena.ne.jp/entry/370568268/comment/wapa

wapa

海外の他の大会は?と思って読んでたら書いてあって、ロンドンは本当にこれでボランティアがやったらしい。五輪は元々奉仕前提で成り立ってるのか。あんだけスポンサー料集めてるのに、そっちは施設に行ってるのか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/365812662/comment/wapa

ボランティアしたい人を否定するわけではないが、カネを出さないのが気に食わないという趣旨だろうか。

だがそうすると「ボランティア」という単語意味理解しているかどうかが問題になるが…。

citron_908

大戦末期とクリソツだな…原爆投下に相当するイベントは開催期間中の超東海地震

http://b.hatena.ne.jp/entry/368154540/comment/citron_908

東京五輪・パラ:「授業避けて」国通知、ボランティア促すという記事に対して)


結論いたことを言うと、

plagmaticjam氏をダシに使わせてもらって申し訳ないが、

スポーツボランティアを何度かやっていた」割には、

今まではてな界隈で散々スポーツボランティア否定されてたにもかかわらず、

現実風向きが変わるまでは過去ブクマをみる限り一切出てこなかった。

これはやはり、

「その世界支配的な空気に逆らうのはとてつもなく勇気も要ればコストもかかること」

という結論になるのかな、と。

で。

その支配が緩んだ途端に、

今までの不満が一気に噴出する、と。

日本の悪しき文化って、

ボランティア云々以前に、

こういう空気の気まぐれで人の意見が180度変わっちゃうところなんじゃないかな。

まあ、はてなー手のひら返しって批判に対して「主語がでかい」という再批判があり、

じゃあ一貫性について調べてみようと思ったけど、

やってて当然感じたよ、すげえ粘着ストーキングだなって。

勝手対象にしちゃったidには申し訳ないなとは思うが、

でもさ、

はてなのこの「急に空気が変わる感じ」って本当にきな臭くて嫌だなって思ったので、

少なくともただ単に感じだけで終わらせたくなくてやってみたわけよ。

まあ中途半端だし、中途半端なのに粘着さ加減が半端ないし、

無駄に超時間かかるし。


まあはてなーって主語を大きなくくりで語るのは雑に過ぎるが、

しかし、

「あれだけ五輪ボランティアに対して凄まじいバリゾーゴンをブチかましてた奴らがそろってダンマリ」ってのは間違いない事実で、

しかもそれを検証しようとしたら想像を絶するほどの時間と労力がかかるわけだわ。

都合の悪い事実が出た、

今までと流れが大きく変わった、

ってなったときに急にダンマリする奴らが多数発生する場合には、

はてなー」の主語は大きくしても差し支えないんじゃないかと俺は思ったね。

以上。

疲れたからもう寝る。

推敲もほぼしない。


追記

aflat_1000dai4 敗北とかよくわからないし、自分意見東京五輪否定的ということで変わらなかったな。ボランティア問題についても、そのものではなくて国体問題と捉えているので。

なんなんだコイツ・・・

敗北がどうこうとか話のマクラしかないというのに、

その言葉にだけ反応してコメントしてる時点で、この案件勝敗というもの見方で囚われてることを白状しているようなもんだ。

その場の空気で少数者の意見が圧殺されているということが本旨だというのに、勝敗というくだらない発想に囚われた人間には理解できないものなのだな。

2018-10-15

勇気を出して、電車で胸骨圧迫しようとした結果

1週間くらい前の出来事です。

しばらくは、振り返るのもシンドかったのですが、ようやく気持ちも整理出来てきたので書きます

当方看護師をしておりまして、まだ20年くらい。

院内ではBLSやACLSの講義をしていたりする機会もいただいていました。

さて、その日は勉強会の帰り道でした。

時間は22時くらいだったと思います

帰りの電車、あと少しで最寄駅というところで、すぐ近くで「倒れた!緊急停車!」と大声が。

どうしたのかと思って、近づくと、明らかにヤバい色の顔色不良で明らかに異常な呼吸。引き攣るような、死戦期呼吸みたいだ。

橈骨動脈が触れず、頸動脈はハッキリしない。

数名が必死で座らせようとしていましたが、両肩を叩き、意識レベル確認すると刺激にはほとんど反応なし。

私は「こういう時には、とにかく胸骨圧迫!」と習っていましたし、教えてもいました。

ある日の院内研修の際には新卒の子から質問で「心停止でない方に間違って胸骨圧迫をしてしまっても大丈夫でしょうか?」というお話がありましたがその時の私は"誤って胸骨圧迫をしてしまっても、血液の流れに支障はありません。緊急の場面で、心停止を正確に判断することは困難です。心停止かどうか判断に迷ったら、躊躇せずに胸骨圧迫を開始して下さい。"と説明していました。

参考URL http://www.j-circ.or.jp/cpr/qa.html

ところが、私が寝かせて、「異常な呼吸ですし、橈骨も触れませんから胸骨圧迫を始めます」と胸骨圧迫を始めようとすると、中年男性数名に大声で「いやいや!息してるから!こういう時は心マなんてしなくていいよおー!」と怒鳴られるように言われ、半ば羽交い締めにされるように止められてしまったのです。

すると、もう、私は、その場の空気に飲まれ、なにもできなくなってしまいました。

いや、ただ、私がハッキリと言えばよかったんです。

「これは必要ことなんです。この呼吸、顔色は、きっと普通じゃありません。胸骨圧迫はもしかすると必要いかもしれませんが、メリットデメリットを上回ると感じています。」と。

でも、私は止められたことがとてもショックで、身動きがとれなくなってしまったんです。

それで、何もできなくなってしまったんです。

その場の空気では、まるでとんでもない悪いことをしていたのは私の方みたいでした。




私は、勇気を持って必要なことが出来なかった。

私は目の前で止まる寸前の呼吸をみながら、遠巻きにみているだけでした。

よき援助者であろうと日々を過ごしてきた何十年かが崩れ落ちたような気分でした。

それに、止めた男性の方々はニヤニヤしながら、馬鹿にするような目で(もちろん、被害的な感情が溢れていたので認知が歪んでいた可能性も高いです)私をみているような気がしました。

その時の私は複雑な気持ちが溢れ出して、足がガタガタと震えていました。

「ああ、もう私は病院以外の場所では、もうBLSなんて怖くてできない!」としか思えなくなっていました。

怖い。苦しい。恥ずかしい。

情けない。助けてほしい。誰か。

そんな気持ちが溢れ出していました。

病院ならハリーコールをかけて、先生が来るまで出来ることをやればいい。

でも、ここでは私は何もできない。

「エラそうに院内講師とかしてたけど救急トレーニングなんか意味がないのだ…」とその時は思ってしまいました。


誤解されそうですが、私は止めに入った方々を非難しようとしているわけではありません。

彼らは彼らの善意に従って必死に行動したのです。

それよりも、何よりも、私は、私自身に強い嫌悪感を感じたのです。

それは久々にかなり気持ちの芯に響くようなダメージでした。





…そんな私の支えになったのは、同業者パートナーや友人、オンラインでのお知り合いからの声かけでした。

この場を借りてお礼を申し上げます

本当にいつもありがとうございます

(ここからじゃ届かないかな)

(ちなみに急変された方はなんとか微弱な呼吸を維持しながら、抱えられるようにして電車を降ろされるところまでは確認しました。)

(胸骨圧迫がその方に本当に必要だったかどうかはその時点ではわかりません。)

(繰り返しになりますが、私は止めに入った善意の方々を非難する意図はありません。)




さて、救急現場救急車が到着するまでの間に偶然現場居合わせた者をご存知の通りバイスタンダーと言います

"バイスタンダーが一次救命処置実施した際のストレスに関する検討"という調査では、その結果として「多くのバイスタンダーがさまざまなストレス反応を経験していた。また,その体験他者に話して,自分気持ち理解してもらいたいと考える者が多かった」と述べられ、また結論としては「BLS 教育において,BLS 実施によるストレスとその対処法に関する教育考慮する必要がある。さら対策の一環として,相談を受けるシステムを整備することが有用であり,急務であると考えられる」ということが考察されています

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsem/16/5/16_656/_pdf

その他にも、"航空機内での心肺蘇生実施により心的外傷を負った1例" 総合病院国保中央病院神経精神科 大塚祐司(宇宙航空環境医学 Vol. 44, No. 3, 71-82, 2007) http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/08/cprtrauma.htm

では、読むだけ胸が苦しくなるようなCPRの描写がされています

私の体験は、航空機の事例に比べれば、些細なことだと思います

今の私は、みんなに優しい言葉をかけてもらい、聞いてもらい、気持ちもあの時に比べれば落ち着いてきました。

今は、"自分がまたいつか急変の現場に立ち会って「BLS必要!」と思ったら、どこででも出来ることをやらなくてはならない。それは「自分が傷ついたような気持ちになったか放棄していいもの」ではない。むしろ、誰でもやるべきことだ"と思えています

でも、その時は本当に怖かったのです。

あるいは、それは集団における正常性バイアスなのかもしれません。

次の院内研修では、絶対にこの話もしようと思います

こんなに情けなかった私の話を。

それはきっと、誰かの役に立つと思います

私の怖い気持ちを伝えることにはきっと意味がある。

自分ができることは何か。

私の役目の代表的ものは、院内で頑張ること。

そして、次に院内外で急変に遭遇した際には、私はもっとしっかりと立ち回りたい。

私とその場の方のためにも

この文章は、そうした決意のために書きました。



駄文最後まで読んでくださってありがとうございました。

寒い季節ですので、どうかどうか、皆さまご自愛ください

2018-10-09

ファンサービスについて

ファンサービスについて。私は某事務所オタクである事務所基本的には握手会だのハイタッチだのの接触イベントはないしコンサートだって毎月毎週のようにやっている訳では無い。と思う。

そんな中でたまに自担と会えるコンサートライブで、ファンサービスを貰えればその回は自分の中で最高の公演になると私は思う。

馬鹿みたいに沢山の女がいて、自分より美人同担が近くにいて、同担じゃなくても美人の他担がいて、それなのに私にファンサービスをしてくれるなんて自担くんはなんてできた子なんだろうか。

ファンサなんていらないとしきりに言ってるフォロワーも居るけど、個人的には貰えるに越したことはないぞ!タダだしね。

もちろんルールをあまりに逸脱したサイズうちわとか嬌声とか、邪魔になるものを多用してまでファンサを強請るのは気持ち悪い。けどファンサ欲しい!!わかる

簡単に言うと承認欲求だと思う

貰えるためなら頑張って良い席良い番号って思うし(近いと自分からも見やすいしという免罪符)多ステ多ステってなる量も質も頑張りたい

オタクによっては狭い箱で飛び交うファンサにはなんの価値もない、とかお手振りファンサじゃない、とか色々あるけど、でも貰ってしまったらそれはもう自担くんと私の世界だし?

お手振りだろうと指ハートだろうともっと特別ななにかだろうと、おこぼれと確実って何となく分かるし、その場の空気時間が止まる。一瞬のはずなのに永遠のような二人の世界に感じられてしまう。

そんなおめでたい頭なのでその数秒で今まで溶かしたン万円ン公演はちゃらになるし頑張って良かったって思うしこれからもその姿見ていたいって思うし明日からも頑張ろうって思える。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん