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はてなキーワード: 実証とは

2018-11-19

anond:20181119111440

ツイッターセンシティブな内容のコンテンツ制御をご存じない?

・「犯罪美化」とは?具体的に何罪をどう美化してるの?

・「洗脳漫画」とは?この漫画のどういった洗脳効果がどういう実験実証されたの?


まり強い言葉を使うなよ。(アタマが)弱く見えるぞ。

2018-11-17

anond:20181117033437

巨視的スケールでの実在性の破れは実証されているのに何を言うてるねん

2018-11-08

anond:20181108163304

貴方別に男性をくさしたくてそういうこと言ってるんでないってことは解る。

でもやっぱり男としては「なにおう!」と思っちゃうんだわ。確かに道歩いてて綺麗なお姉さんに見とれるのまで『浮気』とされたら反証のしようはないけど、そもそも実証だってそれは無理だよね。

それに貴方の諦め具合からするに、到底『その辺の可愛い女の子に見とれる』程度の『浮気度』の事を言ってる様には思えない。もっと強く、「男は、やる」という確信お餅の様に見える。それこそ心に決めた相手がいる男でも、お膳立てしてやれば100%他の女と寝る、位の信念を感じるよ。

男の一人としては、やっぱりそれには反論せざるを得ない。『据え膳食わぬは男の恥』って言葉もあるけど、いつの時代だよと。

男はどうせ浮気するんだから、女は男に誠実になっちゃいけないよ、と啓蒙するのは貴方自由だけど、逆にそれに絶望を感じる男もいるって話。

まあ、見てなって!

anond:20181108154804

うーん、そう主張するからには一つでもいい反証必要だよね。

ちなみにATMに関しても冤罪に関しても幾らでも反証こちらは出せるけど、そちらは出せない時点で少なくともその論理は通らないよね。

ATM下方婚してる奥さん全てが反証で、専業主夫ブログの人が実証だし、

冤罪に関してはほとんどの全ての女性冤罪でっち上げしてない。なぜなら仮に全ての女性冤罪主張してたらそもそも男性冤罪事件発生率がとんでもない事になる。ところが冤罪でっち上げ受けてない男性ばかりだから、少なくとも全ての女性冤罪でっち上げてない。

ところがそちらの男性が他の女性に肉体的或いは精神的に惹かれてない理由はそちらは一つでも反証上げうる?

彼女以外AVも見ずに風俗も行かず。そんな男存在しないよね。

2018-11-07

anond:20181106132747

まず「満20歳未満の者が契約をおこなうときは、親権者(両親など)の同意を得る必要」があるからだよ。よって未成年者には「主体的に」物を売買する自由はない(してもその契約は法的に(×無効)取り消しが可能)。それは、主として未成年保護観点から決まっていることであり、性が対象となる場合も同じだ。

ではなぜ「未成年」は保護されなくてはならないか? これは同語反復であって、法的に保護されるべきと考えられた対象を「未成年」と呼んでいるのだ。もし、特定の年齢までの人間を、取り立てて区別して保護する必要がないと社会が考えるなら、未成年という概念自体存在しない。教育をうけさせる義務保護者に負わせる必要もないし、なんならガンガン労働させても構わない。そういう社会がいいとみんなが同意するなら(まあ18世紀まではそういう社会だったわけだから別に異常というほどではない)そういう社会にしても「別に構わない」だろうが、そうでない社会の方が社会階層固定性が低く、言い換えれば流動性が高まり、安定性が低くなる代わりに生産性が上がると考えられ(実証され)てきた結果として今のようになっているので、おそらくその流れに逆行することに社会同意を得るのは難しいだろうな。

じゃあ、保護者の同意があれば性の売買をすることは可能か? というと、これはまた別の問題だ。おそらくそ保護者は「児童虐待」で社会から裁かれることになるな。なぜなら、子供が性を売買「したい」からさせているのだ、という理屈正当性を持たせるのが難しいから。それはたとえば、自分自由意志で100%完全な「奴隷」になりたい人がいたとして、それを社会に認めろというのが難しいのと同じだ(SMゴッコならともかく、人権まで制限するような100%完全な奴隷契約というのは「社会通念上許容される」範囲を越えている)。それは、人類がそういう(悲惨だと思われる)時代を通過してきたせいであって、経験則に基づく社会通念、あるいは個人で言えばトラウマに近い。だから、たとえば病気精神ケア体制を整え通常のアルバイト以上のリスクが一切存在しないと判断できる状況下であっても、この判断を覆すのは難しいだろうな。

2018-11-03

anond:20181103225031

具体例だとどんな状態になるんだろう。

ちびまる子ちゃんで行けば、まる子と同年代女の子キャラが、みどりちゃん、みぎわさん、冬田さん、野口さん、前田さんだけになるのかな。

いやぁどうやってストーリーを膨らませるのか分からないけど、フェミニズム知識人先生方は想像力が豊かなのは日々実証されてきたので、きっと予想もつかない展開で読者の心を掴んでくれるんだろうな。

2018-10-30

サーキットブレーカー制度

東証では2008年から2〜3年毎にサーキットブレーカーが発動してたけど、今調べたら最後に発動したのは2016年2月、長いこと発動してないんだね。

それだけ実体経済がよくて、株価が安定してるってことか。

国際情勢は良くも悪くも均衡してるし、アメリカトランプ大統領ボーナスステージ状態

日本もじゃぶじゃぶ金余りで、平成バブル以上の就職売り手市場

あれだけ少子高齢化人口減少で日本経済は縮小するしかないといってたのに、結局、金さえ回れば景気・経済なんてどうとでもなるもいうことが実証された。

ここ40年の不安定な時期を経て、貨幣役割政府役割銀行役割も徐々に変わって、恐らく、世界規模で貨幣経済のものが変革のフェイズに来たんだろうな。

ゼロ金利マイナス金利に対する懸念が言われてるけど、結果銀行は生きてるわけだし、金利を調整するという古典的景気対策に頼らなくても、いくらでもやり方があるということがこの10年でみんなわかってしまった。

もう日銀が買える国債がないとか言われてもいたけど、それだってパンがなければケーキを食べればいいということがわかった。

そういう諸々の要因が、この景気の安定・株価の安定につながってる。

2018-10-29

anond:20181029171229

かもしれない

じゃあそれを調査して実証してみろって話になるでしょ?

2018-10-26

自己責任論」って

 シリア武装勢力に3年間も拘束されていたジャーナリスト安田さんが解放されたことが報道された。これは喜ばしいニュースであり、安田さんやご家族の喜びの大きさを察するに難くない。

 しかし一方で安田さんに対しての世間バッシング、いわゆる「自己責任論」を耳にすると、私でも悲しい気持ちになる。ご家族やご本人の悲しみや怒りの大きさは計り知れない。


 この「自己責任論」は生活保護不正受給過労死自殺待機児童問題などさまざまなニュースで顔を出してくる。「社会が悪いのではない、あなた努力が足りないのです。」「避けられるべくある困難を想像できなかったあなたが悪いのです。」そういった論調である

 一方で「自己責任論」自体テーマに取り上げて、余裕のない日本社会非難する論調も盛んである。「なんで他人を思いやれなくなってしまったんだ。」「なんでそんなに余裕がなくなってしまったんだ。」そういった論調である

 前者の「自己責任論」肯定派の議論後者の「自己採点論」否定派の議論、どちらの議論も、2つの前提を有する。「人間幸せになるために生きている」というヒューマニズムと、「国は幸福を最大化し、適切に再配分する義務がある」というナショナリズムであるヒューマニズムに関しては、人間が生まれながらに持つ自然権、もしくは基本的人権その中でも特に幸福追求権と呼ばれる権利を思い浮かべれば当然の論理であるナショナリズムというと、「帝国主義」や「ナチズム」「国家社会主義」といった近代残滓のようなイメージがあるが、ここでは純粋に「国民意識を持った「国民」が、議会官僚機構を通して「国家」を運営し、「国家」を媒介として特定目的を達成しようとする価値観意味する。そして現代人間はその前提を元に、現代社会出来事善悪判断をくだすのである

 以下ではヒューマニズムナショナリズムという前提が自明価値観ではなく歴史的形成されたものであることを主張する。判断根拠となる、前提を見直すことで、性急に善悪判断を求める議論冷水を浴びせてやろうと思う。

 ホモサピエンスが「人間」であり、その「人間」が自由幸福になるべきという価値観は、多目に見積もってもここ200年くらいの話である中世キリスト教徒にとってイスラム教徒は「人間」ではなかった。18世紀末のイギリス人にとってアボリジニは「人間」ではなかった。キリスト教の神は「人間」とその他の生物区別し、「人間」にその管理を、また赦されざる悪に対しては亡ぼすことを命じている。理性による啓蒙を目指す近代に入っても、弱き者である精神障害者を「保護」し、「劣等人種であるユダヤ人を「処分」してきた。現代社会はこのような近代以前の「差別意識」を乗り越え、完全なるヒューマニズムを獲得したため、誰しもが幸せになる「権利」を手にしたとされる。

 現代社会において「自然権」を尊重することは絶対的に遵守されなければいけない協定であることは確かである。ただその論理的な骨子はAならばAであるというトートロジーしか言い表すことができない。あとは事実収集し、実証して正しさを傍証的に示していくほかない。

 さらに加えてこの幸せになる「権利」を人類が追求するために、「国家」という共同体は最大限の努力を図る「義務」があるというのが、現代ナショナリズム価値観である。これは戦後価値観であるしかそもそもナショナリズムとは、領域内住民に「国民」としての意識をもたせた上で統合し、「国家」としての出力を最大化させる試みである第二次世界大戦欧州及び日本総力戦の例や、総力戦体制帰結として国家社会主義を招来した中国の例が有名である。国のために死ぬことさえ厭わない、そんな総力戦体制を維持するには、死後に残された家族が十分に生きていく仕組みが必要である。そのような成り行きで成立したのが福祉国家体制である。国を防衛する戦時体制を維持するために成立した福祉国家体制であるが、現在国民が国に牙を剥かぬように維持されているにすぎない。

 現在では自明とされている二つの価値観所与でなく作られた価値観であることがわかったが、それは今回のメインテーマではない。この前提を確認したうえで、最初議論に立ち返り、安田さんの事件を取り巻く「自己責任論」を検討したい。

 安田さん救済されるべきであり、テロリスト行為は許されざるものである。これは現代社会価値観を大部分を占めるヒューマニズムに則って当然の帰結であると考える。

 論理的には救済されるべきであるが、実際問題として解決するべき行動は如何にするべきであるか。さまざまな方法が考えられるなか、あくま国家主体として、あくま身代金を払って解決することは、義務である或いは最善もしくは最適であるかを判断することは難しい。この判断倫理的ロジック整合性を以て行うには参考にすべき指針が現代社会にはなく、利害関係を以て行うには考慮すべきステークホルダーが多すぎる。

 議論をしていては埒が明かないし、長々と議論をしているうちに殺害が実行されてしまうかもしれない。

 ここは権利義務関係でもなく、利害関係でもなく、善悪問題でもなく、一種の情愛を以てしてとりあえずの解決を図るべきではないか。一人の人間を救いたいという思いか純粋に発せられる行為である

 この行為を原因として、もし万が一テロリストお金が流れ、多くの人が殺される、或いは他の日本人が拘束される状況を想定しよう。これも現在の命と未来の時点のある命を、権利義務関係の天秤、利害関係の天秤、或いは善悪の天秤に掛ける行為である

 またややこしい…これらの議論は結局のところ各々が人を愛し・憎むにあたって、社会権利義務利害関係善悪を持ち出しているのである

 「自己責任論」を肯定する人も否定する人も、全部社会に「責任」を押し付けているのである。「社会は彼を見捨てるべきだ」を「私は彼を見捨てようと思う」と言い換える。或いは「社会は彼を救うべきだ」を「私が彼を救いたいと思う」に言い換える。

そして最後に「そんなこと言ったって、私一人では何もできない。みんなで協力してよ。」という一言添える謙虚さが必要な気がする。

 

2018-10-24

anond:20181024191711

からかめてみれば?ということなんだけど。

あなた小池釈迦より良いというのも確かめて言えることでしょう?

実証なき正統性の話はしてないと何回言ってもあなたは耳を塞いで怒る。

小池コラムニストに見えるし特別優れた学識や独自メソッド披露したことはないと思う。

なぜよりによって小池なのか。

2018-10-22

anond:20181022223253

本能」を理由にするのがまさに屁理屈なんだが。

病原菌云々なんて論文もないしお前自身実証したわけでもないだろ?

いまどき「本能」なんて単語は使ってる時点でお察し。

2018-10-21

創作物現実ジェンダーロールに与える影響を評価するある実験

id:yutoji2 氏とid:kashiwa_nakamoto 氏が,ジェンダー論を学んだフェミニストの社会学者が絶対に触れたがらない話 - Togetterで求められている実証分析の水準を高く見積もりすぎなようなので,簡単な例を示しておきたい.

女子生徒を300名ほど集め,ランダムにA,B,Cの3グループに分ける.

出演者理工系知識技能を役立てる動画を,出演者が男女で異なるバージョン複数作成する.例えば,PCR/電気泳動実験刺身勝手に食べた猫を特定するなどが考えられる.白衣クリーンキャップにより身だしなみの影響を排除し,出演者容姿/体格による影響を抑制するため,なるべく平凡な容姿/体格の出演者複数人用意する.

動画を見終わったら,理系文系大学のどちらに興味が沸くか回答させ,その結果を集計する.

ケース理系選択動画出演者/その性別の影響
1A=B>C性別関係なく模倣したがる
2A>B>C同性ならばより模倣したがる
3A>B=C同性のときのみ模倣したがる
4A>C>B同性を模倣し,異性の行為は避ける
5A=C>B異性の行為は避け,同性の行為からは影響されない
6B=C>A同性の行為は避け,異性の行為からは影響されない
7B>C>A異性を模倣し,同性の行為は避ける
8B>A=C異性のときのみ模倣したがる
9B>A>C異性ならばより模倣したがる
10A=B=Cない

等号は統計的仮説検定で有意な差ではないことを示し,不等号は有意な差であることを示す.出演者性別に関わらず、理系が嫌いになる可能性は無視した.

ごく短期的な効果しか見ていないので,実際の進路選択に影響するかは示せない.しかし,ごく短期的な効果もなければ,実際の進路選択にも影響しないであろう.

2018-10-18

anond:20181018232143

疲労思考力を鈍らせるのはego depletion的な文脈では実証されてる。

男女の知能差・知性差の有無については「差を示す論争の少ない有効データ」はない。

差がないことを示すデータはあるが、1回こっきりの試験だけで論述していたりして、今回の論旨(疲労を伴う環境での知力運用)にはそぐわない。

ので、仮説を積み上げる価値はある。

2018-10-13

anond:20181013041957

いや

から

数学的に実証できないことがある

っていう話をどーして無視するのかよく理解できないんだけど

数学的に実証できず、査読をしても検証できないことってのが

理系においては「実験真実性や妥当性」なんでしょ?

で、査読検証できないからといって小保方論文みたいなのが大量発生してるの?

(あ、してんだっけ?

https://toyokeizai.net/articles/-/237652

まあ現実的にはごく少数を除いてそんなことしないよね

ならば文系も同じだよ、単純にそういう話

anond:20181013040544

いやだから

数学的に実証できることだけですべての学問が完結してたらよかったのにね

って言ってるんだが読めなかった?

てかそれ理系も同じじゃん

実験系は理論展開のチェックができたところで小保方論文スルーちゃうんでしょ?

質の低い論文が質のいい論文を圧倒する量で出てくるのは明らかな事。

そんなら時間がかかり検証のたいへんな実験データ捏造

理論展開だけ辻褄合わせた論文が、きちんと実験した論文を圧倒する量で出て来てんの?

理系研究については「誠実に実験する研究者」を大多数と仮定して

文系研究については「質の悪い研究が圧倒」て

想定が明らかに片寄ってるよ

2018-10-12

anond:20181012111828

どうしてお前は事実無根フィクション擁護してるの?

お前のようなタイプは「フィクションを全て滅ぼして、ノンフィクションだけの実証的な社会を作ろう」と主張するべきだよ

2018-10-11

anond:20181011184334

エビデンス

実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

それこそ、そのエビデンス(論文)でも提示されればいいんじゃないですかね。

この辺りのこと?

Jonathan Shedler,"The efficacy of psychodynamic psychotherapy."(American Psychologist 2010)

Falk Leichsenring,Sven Rabung,"Effectiveness of Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Meta-analysis"(JAMA 2008)


フロイト理論の諸々の失敗

精神分析医のフィーリス曰く(1)、フロイト派のセラピービクトリア時代の人たちには、うまく機能していたが20世紀半ば以降、人々の「性格の鎧」の質が変わり、セラピーはうまく機能せずに行き詰まって失敗することが多かった。

フロイト派の精神分析法は、「幼少期の体験が成人してから人格の基礎となる」というものが骨子の一つ(2)だが、そのことに大打撃を与える調査が出てきた。1990年代マシュマロ実験の文献を詳しく調べたマーティンセリグマンは、幼年期のできごとが成人してから人格に影響を与えるということは、ひどい心的外傷や栄養失調があった場合にはありうるかもしれないが、それ以外では有力な証拠ほとんどないと結論づけている(3)。子供時代と成人してから性質に、ごくわずかな相関は認められるが、それは主に遺伝的(生まれつきの)性質、つまり概して明るいとか気難しいといった性質の反映として説明できるという。

また心理学者のバウマイスター一同がフロイト提唱する理論メカニズムの数々を現代の文献と付き合わせて検証したところ、最も最悪な理論昇華説だということが判明した(4)。そもそも昇華説には根拠がない上、事実はその逆だと考えられる理由が多いからだ。

もちろん、フロイト理論示唆的で興味深いものが多いし、余談だが「快感原則彼岸」については現代思想の中ではかなり重要位置づけになっている。ラカン執拗にこの論文にこだわるわけだしね。

それに、フロイト批判をしたバウマイスターは、フロイト提唱する説でエネルギー重要位置に置かれていることに敬意を表して、フロイトが使っていた自己を指す言葉自我(エゴ)」を使って、「自我消耗」という言葉を「人の思考感情や行動を規制する能力が減る現象」に名付けた。自我消耗に関しては、後に脳波記録検査法(EEG)で脳内の前帯状皮質におけるスパイク発火(エラー関連陰性電位)が対応する脳機能であることが確認された(5)。


科学的な心理学

著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、 今回で言えば「人生全体」「物語の蓄積」「人生の深み」といったことで、科学基本的研究方略である単純化(simplify)」を退けようとしていることに苦言を呈している(6)。 研究対象をとなる複雑な現象をいろいろなレベル単純化し、いろいろなレベルごとに 解明していくことを拒んで、複雑な現象ありのまま理解しようとしていたのでは研究はいつまでたっても現状に停滞したままになる。単純化を嫌って、複雑な現象を複雑なままで捉えようとする人文系学問に多く見られるのこうした研究方略を、ピンカーは完全な正確さを求めて「原寸大の地図」 を作った愚かな地図職人を描いたホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の寓話批判している。

現代心理学の始まりブント(Wilhelm Wundt: 1832-1920)のライプチヒ大学での心理学実験室創設とされるように、そのスタートから科学を目指したものだった(7)。 人文学科学化と言っても、物理学化学実験を導入するのではなく、心理学実験手法神経科学実験手法(EEGfMRIなど)を取り入れればいいのである。また、国際的科学心理学学会APS(Association for Psychological Science)の会長だったカシオッポはこうした点に注目し、心理学科学と他の文系学問とのハブとなるべきであると主張している(8)。

個人的には、人生全体から人間理解フロイト理論人間理解よりも、人類史から人間理解(進化心理学)(9)や神経科学から人間理解の方(10)がより多くのことと整合性が有ると思うし、「物語」を一切考慮しないで休職者の約53%を予測したリシテア(11)といったことの研究心理学がより一層取り組んでいくことを願ってるわ。


▼出典

(1)Allen Wheelis,"The Quest for ldentity"(New York: Norton,1958).

(2)Sigmund Freud,"Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie(『性理論三篇』)"(1905)

(3)M.E.P.Seligman,"What You Can Change and What You Can't :The Complete Guide to Succesful Self-Improvement"(New York:Alfred A.Knopf,1993).

(4)Roy F. Baumeister,Karen Dale,Kristin L. Sommer,"Freudian Defense Mechanisms and Empirical Findings in Modern SocialPsychology: Reaction Formation, Projection, Displacement, Undoing, Isolation, Sublimation, and Denial"(Journal of Personality,1998)

(5)Michael Inzlicht,Jennifer N. Gutsell,"Running on Empty: Neural Signals for Self-Control Failure",(Psychological Science 2007)

(6)Pinker, S."Science Is Not Your Enemy: An impassioned plea to neglected novelists, embattled professors, and tenure-less historians." (New Republic, 2013)

(7)Bringmann, W. G., Bringmann, N. J., & Ungerer, G. A."The establishment of Wundt's laboratory: An archival and documentary study." (W. G. Bringmann, & R. D. Tweney (Eds.), Wundt studies: A centennial collection (pp. 123-157). Toronto: Hogrefe. 1980)

(8)John Cacioppo,"Psychology is a Hub Science"(Observer 2007)

(9)Martin Daly, Margo Wilson,"How evolutionary thinking inspires and disciplines psychological hypotheses." Pp. 15-22 in XT Wang & YJ Su, eds., Thus spake evolutionary psychologists.(Peking University Press,2011)

(10)一例を挙げれば、心の理論(Theory of mind)における神経科学役割とか。サイモン・バロン=コーエンが有名だろうが、研究は色々有りすぎて挙げきれない。

(11)HR テクノロジーで、人や組織パフォーマンスの最大化を図る 「リシテア/AI 分析サービス販売開始(https://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/2016/1201.pdf)

anond:20181011221358

国内にも計測機器メーカーはあるけどまあ使いもんにならんよね。

https://jemima.osaka/exhibition/

そもそも研究って仮説と実証の繰り返しだから。計測がなきゃ実証もできずに机上の空論振りかざすか、怪しい実験結果引っ提げてリジェクトされまくるクソ論文しか書けんわけだ。

コアとなる計測機器海外に頼ってる状態で、基礎研究盛り上げるとか何言ってんのって感じ

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

山口一男・シカゴ大学教授日本社会学は総じて科学的ではない」

http://www.vcasi.org/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%B8%80%E7%94%B7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC

――手法としては経済学に影響を受けつつ、世界観としてそれ採用するのではないわけですね。

山口 ないですね。社会学というわれわれの学問自由なわけですね。悪く言えばいい加減。分析の最終的な評価にあたっては方法論的厳密さが求められるけれど、その背後には多種多様研究者がいるんですね。エスノグラフィーをやっている人や街へ出てインタビューする事例研究をやっている人なのです。そういった研究ある意味科学的ではないと僕は思っているけれど、彼らは時々すごくいい洞察をする。すると、彼らの洞察データで裏づけできるか、一般可能か、といった問題へと発展していくので、分業だと思っています

ただ、そういう観点から見ると、日本社会学は総じて科学的ではないということになってしまますね。相変わらず古典的理論家が何をどう言ったという文脈解釈エスノグラフィーが中心ですから例外はたくさんいますが、やはり少数です。4000人ぐらいが所属している日本社会学会では、計量分析に真面目に取り組んでいる研究者は1割程度しかいないと聞きました(笑)アメリカ社会学会では逆に計量分析が7割程度エスノグラフィー純粋理論は非常に少ない。ましてや古典理論解釈をやっている人はほとんど希少価値を帯びているといっていいです。

――そういった違いは日米の大学教育の結果なのでしょうか?

山口 日本社会学教育研究では、社会学ヒューマティと分離していないんでしょうね。ヒューマティ自体重要ですが、それと社会科学としての分析意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学学部教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますからヒューマティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本研究者は、しばしばその境界意識せずヒューマティ科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンス研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くとき思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。

社会科学」としての社会学に対する意識希薄な背景には、日本では多くの社会学科が文学部にあることも影響しているのかもしれませんね。計量なんかやったって人の本音のところはわからないよ、みたいなことを言う人もかなりいました(笑)。僕は実証しなければ、一般的なことは何も言えないよって言うんですが。

中国イスラム禁止

中国はがんばってほしい。

世の中から宗教をなくせたら、自由効率的世界が実現すると実証してほしい。

2018-10-09

anond:20181009190639

本当にギリギリで、それがギリギリアウトでないことを実証できるんならやってもええんちゃう

萌え絵と違って証拠になるモノがないから苦労するだろうけど

anond:20181009095945

アカデミックでない説で他人を葬ろうとするものを葬って何が悪い

不寛容には不寛容リベラル合言葉やぞ。

千田ちゃんだってちゃん自分で仮説を立てて、

誰もが検証可能調査データを集めて、ご自身理論実証すれば、

学会に来ても良いと思いますよ。

ハハッ、わろす。

無理に決まってんだろ

anond:20181009095945

からだが

千田ちゃんだってちゃん自分で仮説を立てて、

誰もが検証可能調査データを集めて、ご自身理論実証すれば、

学会に来ても良いと思いますよ。

そういう反省改善を出来そうな感じに見えなかったなああの人の言い分や態度

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