はてなキーワード: 真逆にとは
警察に「被害届を出すと言う事は相手の方は会社も首になって、社会的な信用を失い、人生を台無しになるけど出します?」と言われた話
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2355483
このまとめを見て「要するに警察もあんま仕事したくないってことなんかなー」と思ったが、一方でこの前は万引きの冤罪で誤認逮捕された人が居たりと、余計な仕事をする事例もよく見る
どっちなんだ?
まぁ警察官が全員同じ人格という訳ではないので、結局は担当した警察官の人格次第という事なのかもしれないが・・・・
それにしてもこんな真逆にそれぞれ偏るかね?
それか、例えば万引きは逮捕するうま味が有るけど、痴漢とかは無いとかそういうものでもあんのか?
よくわからないんだよなー、なんなんだろ
基本的には、 Bloomberg 欧州で原発の運転停止相次ぐ、再生可能エネルギー急増で需要低下のコメント欄についての話になる。
記事も誤解されがちかもしれないが、常識に欠けた斜め上のコメントにたくさんの星がついてる様に感じたので語らせてくれ。
「欧州の電力政策/再生可能エネルギー政策が成功している」 かのように読んだ人のコメントが見受けられるが、そもそもとして、今回の記事は残念だがその逆だ。
はじめに、前に見たニュースを小話として取り上げたい。
日本の自称エネルギー研究者が「ドイツは再生エネルギーで電力輸出国なんです。」と触れてたのだが、これは誤解されがちなだなと思った。
この言説は一面だけをみれば、まったく間違ったことは言っていないし実際にフランスドイツ間でもドイツからの電力輸出量が2022年までは優っている。
ただし、再生エネルギーは意識的に発電させる事ができない。自分たちが発電できる時は他でも発電できてて、自分たちが発電できない時は他でも発電できてないと言う形になり
発電が盛んな時はクズみたいな値段で電気を引き取ってもらって、需要が逼迫してくると身を切るような値段で電気を購入すると言う事が起きる。
それなのに、再生可能エネルギー賦課金や固定価格買取制度(FIT)みたいな市場に介入したい意向が働いていて、更に色々と市場を歪ませている。
この小話の教訓的なことは、
1)電力では年単位の発電量が価値にそのまま繋がるわけではないこと。
2)ベースロード電源がなければどこまで行っても不安定な供給になること。
4)市場が歪んで居て、その歪みが印象としては真逆に映ること。
そして、本筋のBloomberg記事の『欧州で原発の運転停止相次ぐ、再生可能エネルギー急増で需要低下』も基本的にはこの教訓をそのまま再生したような話だ。
記事の中にもあるように [2050年までに世界の原子力発電を3倍に増やす] が国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)で言われていることだし、脱原発が安直に正義など何処にも書いてないし、(まともな人は)誰も言っていない。
それにプラスして、EDFと言うフランスの電力会社組織の経営問題が上がっていた事を知っていれば十分だろう。そして、現在もまだフランスは原発の稼働年数を増やしたり新規増設を計画してたりする。
つまり、この記事も「脱原発が進んでいる」みたいな話ではなくて、再生可能エネルギー投資が熱狂した結果、電力環境の歪みは悪化するだろうと言う話なのだ。
(再生可能エネルギー投資に敵意しかないような文になってしまったが、本当に純粋な再生可能エネルギーの研究開発には期待している。
最近家でちゃんとご飯朝ご飯食べるような習慣を付けようと試みているところ第3回朝食は家でちゃんと食べる選手権3回連続3回目の出場ってなぐらいの腕前かしら?
でね、
お気に入りのパンに浸して食べたらおいしいでお馴染みの粉末のコーンポタージュスープってあんじゃない。
あれまあそれ系で有名で思い浮かぶメーカーと言えば?正解は!?
越後製菓!
これは定番で間違いない美味しさの美味さを爆発させるマグカップの中で綺麗に溶けきったらダマになってなくペキカンに溶けて完璧に仕上がったらとても美味しいのよね。
違いは何だろう?って
私のコーンポタージュスープ研究家へと誘われそうな感じだったけど
一瞬で答えが分かったの!
何だと思う?正解は?
越後製菓!
って違う違うそうじゃなくって、
各メーカー1袋当たりの粉の量が違うのよね
どのぐらいの湯量だと思う?正解は?
越後製菓!
ってもーいい加減いいって言われそうだけど
両メーカーとも同じ湯量なの。
そこで私は気付いたの!
クノールが多い粉の量に対して
でも逆に考えたらポッカのその1袋のクノールに比べて何グラムか少ない分、
少ないけれど
ここまで少なくてもコーンポタージュスープとして美味しくいただける限界点がポッカの1袋のコーンポタージュスープの粉末の重さなのよ。
ギリギリまでどこまでコーンポタージュスープの粉を少なくしていけばコーンポタージュスープとしての限界に挑戦しているチャレンジスピリッツを感じずにはいられなかったわ!
私の舌がどれだけコーンポタージュスープを感じられるかの勝負!
単純に量が少ないじゃん!って言いがちだけど
その裏側にはそう言ったプロジェクトエックス的な田口トモロヲさん的な人間がどこまでの薄さまで薄くして粉の量を減らしてもコーンポタージュスープとして感じるかってチャレンジ!
私は認めたいわ!
もちろんいや
決してコーンポタージュスープが濃いくて美味しいのがクノール薄いのがポッカって言っている訳の優劣を付けているわけではなく、
私が言いたいのはコーンポタージュスープを作るときの必要な湯量は同じなのに粉の量が違うって違いを発見したことに驚いたの!
まさに卵が先か鶏が先かじゃないけれど、
コーンポタージュスープの粉末が先かお湯が先か!って問題じゃない?
でもその両メーカーとも
作り方は粉末をカップに先に入れてからお湯を注いで下さい!手順は一緒のところが
これは各メーカーのコーンポタージュ研究では犯してはいけない作り方の間違いの手順なのかもしれないわ。
両メーカーとも先に粉を入れてね!ってところは合致しているから、
同時多発的に同じ結果の研究結果が発表される世の中の事象ってあるじゃない。
それだと思うの。
卵が先か鶏が先か問題の如く、
コーンポタージュスープの粉末が先かお湯が先かの問題は早々に結論がすでにもう出ていたのよ。
お湯も熱いけれど!
もうそれだけで泣ける!
ローソンのからあげクンのパッケージの鶏がおまえそれ鶏の肉自分の肉だぞ!ってなってるのに美味しいよ!ってアピールしているイラストが可愛いぐらい泣けるし!
牛さんとか豚さんとかがおまえ出荷される方の立場だぞ!ってなのに美味しいよ!って笑顔でシェフに見立てた帽子を豚さんが被ってフォークとナイフを持っている姿のイラストぐらい同じぐらい泣けるわ!
逆に言うとその豚さんシェフのコックの帽子を被っているのにもかかわらず、
手にはいや前足ではフォークとナイフを持っていてニッコリしているやつ。
奥が深いわ。
あれさー
意外とコーンポタージュスープ道ってのもあったら私!習いたいかも!
そんで流派とかあって
でも使うお湯の量は同量でそこは仲良くやってる!みたいな。
コーンポタージュスープにも茶道とのそれの「わびさび」があるはずよ。
熱くなっちゃったけれど。
いろんな流派のコーンポタージュスープを旅してみたいな!って思ったわ。
正解は越後製菓一つだけじゃないのよ。
一番恐ろしいのは実際に越後製菓がコーンポタージュスープを作ったらそれこそ正解が越後製菓になっちゃうって事実は1つなの!
そして、
ってーかあったけど。
それの真相を突き止めるために、
コーンポタージュスープの粉末をコナンくんが指につけていわゆるペロってした時に、
こ、これは越後製菓のコーンポタージュスープか?って一応はクノールのとかポッカのとかでどれなのかコナン君迷うの。
そんで、
他のキャラクターがコナンくん!一体全体全く正解はどうなの?って問われたら、
コナンくんは絶対「越後製菓!」って言うかはどうか分からないけど、
越後製菓がコーンポタージュスープに参入する参入障壁が低くなければきっとそんなことになると思うわ。
でね、
多分クルトン替りにクルトンが小さくクルトンと同じ大きさに切られたカリカリのいい焦げ目のついた気の利いたナイスな焼き餅が入っているのよ!
クルトンの替わりにお餅って本当にナイスでクールなアイデアじゃない?
それだけ上手にスプーンですくって窓から放り投げ捨てると思うわ。
そう言った意味ではポッカのコーンポタージュスープにはクルトンが入っていない粉末だけなので、
あとお湯にちゃんと全部コーンポタージュスープの粉末が溶けてくれるかも心配だけれど。
三択の女王の竹下景子さんはどれを選択し選ぶかしらね?三択よ三択。
私なら3000円賭けるわ!
でもさ、
何だかスープの色が白いものとかもあってメーカー同じでも流派の違ういろんなものがあって
私の知らないコーンポタージュスープがたくさんあって選択に困るわ。
こう安牌がポッカで決まっちゃうとコーンポタージュスープ大冒険ができなくなって真夏の大冒険とは真逆に、
利きコーンポタージュスープをやっても私は正確に言い当て答えられる自信はないわ。
とにかくすごい自信であることは間違いないのよ。
毎日お安くお手軽に美味しくいただけたら嬉しいポッカねってのが理由なのよ。
私には違いが分からないし。
でも利きコーンポタージュスープやってみると飲み比べてみると違いがあるかもしれないわ。
私はそれも試してみる価値があるわね!って
そして、
次回作を期待させるような
ふふふとそんな何かを目論む悪い女の表情をするのよ。
私はコーンポタージュスープを飲み終えてカップをテーブルに置いてその部屋から出て行ったの。
うふふ。
パンのなんていうのかしら?
丸いフランスパン的なものにハムとタマネギが挟まったタイプのパンでたまに買うんだけど美味しいのよね。
それと例のスープに。
だんだんと日が早くなってきている朝日じゃけん目覚めも無理なく起きれるようになった季節到来ね。
暖房もなくて平気な暖かさ。
食べて出掛けるわ。
洗うのが面倒よね。
急須を使わずにカップ2つで茶漉しだけを使うのとどう違うかと思うけど
やっぱり急須は洗いにくいわ。
そのぐらいの手間を惜しみたいものよね。
春だもん。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd72e4cd50eedb6edcf5b2f99cdbf655014185b8
対象年齢の割に価格が高いのも、デザインが「オッサンが考える『いかにも若い女の子らしい可愛さ』」を強調するものが多いのもそのため
そういうのをオッサンに買ってもらうのがかっこ良い、自分の金でジュエリーやバッグ買うのはモテない恥ずかしい女だ、って時代は確かにあった
でも今は価値観が真逆になり、オッサンに媚びて買って貰ったものを見せびらかす方がかっこ悪い、恥ずかしい時代になって
今の方がずっと真っ当な時代だと思うよ
こういうのもSNSのお陰なんだろうね、オッサンが作った女性誌でオッサンに都合良いように若い女の子を踊らせられる時代ではなくなった
アメリカで大ヒットしてるのはニュースで報じられているが、それよりも評価がとてつもなく高いのである
ロッテントマトでは批評家97%観客98%の支持を集め、IMDbでは8.5点と歴代映画トップ100位以内に入るという快挙を成し遂げている
こんなにも世界的に評価の高い映画「ゴジラ-1.0」を評価しなかった界隈がある
そう、宇多丸氏がMCを務めるラジオ番組・アフター6ジャンクションのリスナー達だ
彼らの「ゴジラ-1.0」の評価は賛3:否7と世間一般の評価とは真逆になってしまった
なぜこんなにも世間とリスナーの評価がズレてしまったのか、その原因は宇多丸氏にある
その姿勢はリスナーにも伝染し、「どうせ山崎監督の映画だから駄作だろう」「山崎監督の映画はいくらでもバカにしていい」という空気を醸造してしまった
彼らは映画をフラットに見る目を持っておらず、監督の名前だけでその映画が良いか悪いか決めつける偏見の塊であると露見してしまった
繰り返しになるが「ゴジラ-1.0」は世界で高評価を得て、そしてヒットもしている映画である
可能なら専業主夫を希望したい男性が一定数存在するのは調査にも表れているが、さすがに専業主夫と聞いて「家事育児等をせずに遊んで暮らす」を想定しているとは考えにくい
さらにその細かい内容について、「女性のする労働」よりも「男性のする家事」のクオリティを問題視しようとするのは、完全に女性的価値観によるバイアスがかかったものと思われる
ここから先は私見が入るので具体的な内容については異論があるかもしれないが、
例えば「家族の機嫌を取る感情労働」なんかは(少なくとも自分の)男性的価値観では、本来必要が無く無駄な労働が生じているケースも多いと思っている
ただきっと、これは女性的価値観では「専業主夫としての仕事が不十分」と捉えられるのだろう
何故なら男女では家事に求める基準が異なり、一般的に女性は家事労働に対する解像度が高いためだ
では逆に、「女性のする労働」は男性的価値観において全く問題ないのかと言えば、自分はそうは思わない
これも私見だが、
女性は自分の仕事の範囲はキッチリこなすし、作業をこなすという点については問題ないように思えるので、きっと女性的価値観ではこれは及第点なのだろう
一方で、他人の仕事の範囲や突発的な仕事にあまり手を出そうとしなかったり、大きなプロジェクトにおいて自分の責任で判断や遂行を求められることを避けようとする傾向があるように見える
また、ポジショントークや主観的な立場を取ることが多く、全体最適を考慮した提案をしようとしない(そういうものはマネージャーの仕事と割りきってしまう)傾向もありそうだ
仕事で大きな成果を出すためには、ある程度は自分で責任を負ってイニシアチブを取っていく必要があり、作業するだけでは「自分だけが手を動かして出来る分だけの成果」しか出ないので、大きく会社に貢献するような仕事は出来ない
ただきっと、こういうところは女性からは見えていないのだと思う
↑もちろんこのへんは自分の男性的価値観によるバイアスが大きくかかった意見なのは承知している
自分が言いたいのは、本来男女で役割に違いが生じているのはそうした適正の違いによるものだと思うし、
俺と姉はどっちも発達障害気味で、検査はしてないが恐らくそうなんだろうと思われる。特に姉は俺よりも傾向が強くて、昔から何と言うか空気が読めない、話を聞けないという癖があった。具体的には、
そんな形だから、どこの職場でも馴染めなかったのか、職場を転々としていた。もちろん年収は低かった。実家に暮らしていて家事もほとんど手伝ったりはしてなかった。
ところが、どこで見つけたのか謎だが(濁していたがおそらくマッチングアプリなんだろう)、姉が結婚して専業主婦になることになった。相手はそれなりに立派だった。30代前半で姉より2歳上で、年収は700万円あった。国立卒で顔も(男の俺が見る限りでは)悪くない。直接会ってはないが、両親が言うには穏やかで優しそうな性格らしい。
義兄が姉のどこにどう惚れたのかは分からない。でも、姉弟として言うのも憚られるくらいの悪口ではあるが、こんな姉でも拾う相手がいて、専業主婦として生きていけるという選択肢があることに驚かざるを得なかった。ミソジニーを隠さない発言だけど、女は結婚するだけならどうにでもなるんだなと実例を見て思ってしまった。
おめでとう姉。俺は結婚なんてできずに一生独身の低賃金で生きていく人生だよ。上司にも同僚にも馬鹿にされながら発達障害気質を引き摺りながら生きていく、惨めな人生だ。せいぜい俺の代わりに幸せになってくれ。我が家の血を後世に遺してやってくれ。
ルパン三世 カリオストロの城(1979)
天空の城ラピュタ(1986)
となりのトトロ(1988)
魔女の宅急便(1989)
これをリアルタイムに観た人じゃないと、宮崎駿の当時の良さは分からないと思う。
というのも、1980年代以前の他のアニメ作品としか比較できない環境下でみたら、
キャラ立ちが強くて唯一無二。
活劇の盛り上がりが革新的。
そして、毎回、作品が発表されるたびに、「これぞ宮崎駿の最高傑作!」と当時のみんなが思ってた。
といっても病院の外の話メイン。
めちゃめちゃ厳しいしお金も人もかかり過ぎて対応しきれないってところだと思う。
この辺り、海外はどこまでやってるのか厚労省や関係各所わかってるんだろうか。
書き方は悪いけど匙加減ってのがあるだろう。
日本の製造業がやってきたボトムアップと真逆になるところも向かい風。
それを薬の価格に反映させることはできない。
新薬が出ても売れれば高すぎると大幅値下げを強要されるのはハーボニーなどで実証済み。
皆保険制度を取り入れているから医療費が嵩んでいくのは明白なのに、
病院の診療報酬を上げたり、仲介する卸業者を生かしたりで薬価はさらに叩かれる。
不採算になった薬を止めようとしても厚労省はひどく反発してなかなか止められない。
海外と違って薬価改定などがあって新薬を作り続けないといけない、
病院も診療報酬の低さ、高い人件費、求められる機材の高騰もあって補助金頼りの経営を余儀なくされてる。
卸業者は補助金頼りの病院から薬価よりも大幅に低い売値を要求されて厳しい。
薬価は患者が買う時の値段だから、医薬品会社→卸業者→病院や薬局と売られる時には薬価よりも低い値段になることは明らかだよね?
でも医薬品会社→卸業者よりも卸業者→病院や薬局の方が安い値段をつけざるを得ない状況もあるそうで、
卸業者の収入源は医薬品会社の代わりに広報しましただの、医薬品会社と相談した時の相談料だのになっているようだ。
(この辺間違ってたらごめんなさい)
こんな感じで、割とどこも厳しい。
現状のままだと将来は確実に詰んでると思う。
こんな美味しくない市場に海外メーカーは薬を売ってくれなくなる。