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2018-02-19

ギターアンプの音作りの話

そこそこバンドをしたくらいのアマチュア向けの話です。

ギターの音というのはギター40%、アンプ45%、ペダル15%くらいの割合で決まっていると感覚的に思っている(クリーンクランチまでの話)。

そんなわけで愛器のギターを繋いでアンプつまみを弄り、音作りをするというのが音作りの8割程度になる。

音作りのセオリーは、ギタートーンはフルで固定、その上でアンプつまみを弄りエフェクターと様子を見ながら調整...というのが一般的だと思う。

だが理想の音を求めるのであればギタートーンも触ってみるべきだと経験的に自分は思う。

マーシャルハイが強いかテレキャスのフルテントーンだとつまみでは抑えきれないこともあって、ギタートーンを使うこともある。

さらにそういった補正だけではなくて、ギター側で理想トーンに調整しておけばアンプと組み合わせたときもっと理想に近づきやすくなる。

アンプつまみは音域のバランスを変えてるだけで、音の個性自体ギタートーンの方がうまく表現してくれると感じる。

ギターエフェクターアンプさらに他の奏者の音域など複雑極まりないが、ギタートーンフルテンセオリーあんまり正しくないと思うのでどうか誰か触ってくれたらなと思います

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

2018-02-15

YouTubeを見る感覚

アマチュア創作とかやっても結局見る側はネットにあるたくさんのコンテンツからちょっと暇つぶしのために見られれば満足するのだから時間かけてでかい作品を作り上げるのって非効率だよな

全てがYouTube的というか

そりゃTwitterやインスタが流行るわけだわ

2018-02-14

anond:20180130140147

女流棋士上位のほとんどは、男性アマチュア強豪には全く歯が立たない

元増田なんだから、そこで元奨とアマ強豪を分ける意味がないと思う。

2018-02-05

web小説特有の改行文化が好きじゃない

元々、とにかく誰かの文章を読むのが好きで、小説とかニュースとかジャンルわずに暇さえあれば本やネットを読み漁ってた。

小説の傾向には、好き嫌いはあまりない。

なろうにこれでもかというくらいに溢れている異世界系も、特別好きでそれ目当てにアクセスするというわけではないが読み始めればそこそこ楽しんでいる自分がいる。

小説に限って言えば、本当なら少しお硬めの文体の人が好き。だから可能な限り好きな作家文豪の本は持ち歩くようにしている。

それでも、たまーには気分転換としてプロではなくアマチュアの不完全で危うく緩い文章を読みたいなと思う時もあって、そういう時は投稿サイトなどを巡る。

すると、内容が好みドンピシャのもの上記の通り、お硬めの作品が好きなのであまちにふざけすぎているものは好まない)に出会っても、とにかく改行が多くて読む動作自体ストレスに感じてしょうがない。

あれもネット小説文化だと割り切ってはいても、気になって調べてみると、作家側の意見としても「入れたくもない改行を、読者のために入れている」といった意見が数多くあることを知った。

横書きネット小説の、あの改行多用は一体何のためにあるのだろう?

読みにくいと感じてしまうのは私だけなのか?

極端な話、あの無駄な空白があることで、文章自体の魅力が半減以下になってしまう気がしている。折角ステキな題材なのに。そう思うことが多いのだ。

ネット小説文化の歩んできた歴史について、私はそこまで詳しくもないが、改行については昔から賛否両論だったらしい。

であれば、一度くらい、ネット上にアップする作品を「改行多用バージョン」と「通常バージョン」とで、二種類アップするようなやり方が流行たことはなかったのだろうか?

個人的意見として、文章が読めない・読みづらい・読むことが好きでない人は漫画を読んでいればいい。ただ、文章を読むことを幸せと感じ、誰かに書いてもらえた文章にありつけた時にこの上なく贅沢をしている気分になってしまうような私のような人間のために、せめて「文章を書くことを愛し、且つネットの改行文化に首を捻っている人」には(もしも周りに合わせなければと思って無理に改行を含ませているのなら)我慢してほしくないし、我慢しなくても良いような空気ができればいいなと思わずはいられない。

2018-02-01

anond:20180131083343

プロがそういう事してるのは見たことないけど、アマチュア団体が日曜に公園とか道の駅とかでパフォーマンスしてたりはする。

内容は玉石混淆だな。

ダンス和太鼓は何故かレベル高い。

2018-01-29

anond:20180128133011

「ほぼ勝つ」の範囲問題ではあるけど、プロ公式棋戦に出場する男性アマチュア女流棋士がそれぞれ一人のプレイヤーである仮定した上で、18年間の全対局成績から算出されたレーティング

男性アマチュア:1403

女流棋士:1167

からな。(平均的な新四段のプロ棋士のレートを1500と仮定して求められた数値)。

出典:http://kishi.a.la9.jp/ranking2.html

プロ公式棋戦に出てくる女流棋士はいずれも女流棋戦では成績上位の棋士で、それが男性アマチュアに対してeloレートで236差というのは、女流棋士上位は男性アマチュア上位に対して期待勝率20.5%ってこと。

もちろんプロ公式棋戦に出てくる男性アマチュアの多くはプロ一歩手前の元奨励会三段とかそれに勝って出てくるひとなわけで、実際このレベル人達は、プロ棋士最後の壁となる奨励会三段リーグにはギリギリ入れるか入れないかレベルなんだけど、それでも、女流棋士上位のほとんどは、男性アマチュア強豪には全く歯が立たないレベルという事実はある。

ちなみに、女流棋士自体女性アマチュアの中である程度成績が良ければなれるレベルではあるので、その強いところが女流棋士に抜けていった残りの女性アマチュアより弱い女流棋士、というのもこの手法を使うと見えてしまう。まあ、そこまで力の落ちた女流棋士は遠くないうちに強制引退制度適用対象になるんだけど。

2018-01-27

アフィ目当ての乞食オススメする商品サービスゴミだと確定したね

どんな綺麗事で取り繕った所で、目的意識根底にあるのは「アフィを沢山もらいたい」でしかいからな。

アフィさえ沢山もらえるならいくらでもゴミを読者に売りつけることが出来る連中なんだ。

職業としてブログやってる連中は信用できない。

時代アマチュアブロガー

俺たちが憧れたプロのアフィブロガーは「ブログ趣味に専念することで良質な情報提供できるようになった人種」だった。

しかし今はもう違う今のアフィブロガーは「ブログしか収入がないから糊口を凌ぐためならいくらでも読者を悪徳業者に売り渡すクズなのだ

今までそれは仮説で留まっていたが、今回の一連の出来事でそらはもはや『確信に変わった』と言って差し支えないだろう。

未来ある若者よ。

間違ってもアフィブロガー職業にするな。

どこまでもアマチュアたれ。

そこに個々人としての幸福がある。

最大多数の最大幸福もそこにある。

2018-01-26

柔道教室なのにマウントを取られる話

小学生の息子を小さな柔道教室に通わせています

小学生の子供たちが十人くらいいて、先生が教えてくれているのですが、僕自身柔道経験がありません。

柔道漫画は好きで読んでいますが、朽木倒し、諸手刈り、カニばさみなどは禁止技に指定されているので、逆に今はどんな技が使用可能かもよく知らない程度です。

先生は、たぶん僕より十歳くらい上の40代半ばでしょうが、胸板厚く、いかにも柔道をやってきたというような風貌をしています

からまあ、全然、僕より強いし、柔道なら話にもならないわけです。

ところが、この先生は僕にマウントを取りに来るのです。

原因として、僕が総合格闘技経験者というのがあり、アマチュアはい試合に出ていたことが先生の「俺のほうが強いんだ脳」を刺激してしまうのだろうとおもいます

しかし、全然強くはなかったし、十年は運動から遠ざかっています故障も多くていろいろメスも入れています

からまあ、主観的にも客観的にも先生の方が強いわけです。

寝技練習の時などに、先生が教え子と少し崩れた寝技状態で止め、どうすれば脱出できるかを問うことがあります

寝技パズルのような面もあるので、それは非常にいいと思うのですが、突然「お父さんならどう逃げますか」と僕に振ってくることがあります

正直、ルールによって違うだろうと。

僕もグラップラーだったとはいえ、レスリング系の、早く言えばタックルで転がし、嫌がらせグラウンドパンチを織り交ぜながらマウントチョークを狙うのがスタイルだったので、柔道でできることはほとんど何もしらない。

ので、愛想笑いごまかすわけだけど、一回くらい、的外れなことを言ったほうが聞かれなくなるのだろうか。

2018-01-24

アニメ異種格闘技

少年ジャンプでアンケ上位の今を輝く少年漫画も、

大層な賞を受賞した出版社イチオシ青年漫画も、

今更スポットを浴びた90年台の名作も、

前年にそこそこ売れたハーレムエロゲも、

気取った文学作品も、

キモヲタ向けのラノベ作品も、

きらら系の中身のない4コマ萌え漫画も、

アマチュア発のなろう小説も、

アニメの元では全てが平等だ。

元がどんなジャンルであろうと関係なく同じ土俵に立ち、売上という戦闘力で互いを殴り合い、クールごとに覇権が決まる。

無料大勢配信して、何人がお金を払う価値があると判断たか、何人が面白い判断たか

どこぞの出版社内のお偉いさんのさじ加減で決まる出来レースな賞レースなんかよりもずっと公平で平等尺度だ。

ダサイクルという少数のサブカル気取りの内輪の中だけででんでん評価されてるだけの作品容赦なく打ちのめされるし、

逆に無名でもオリジナルでも『本当に良い』作品は正当に評価される。

たまに『アニメはアレだけど原作は名作で~』なんて言い訳がましくアニメスタッフ責任転嫁してくる輩を見るが、アニメ駄作作品は大抵原作プロットレベル突っ込みどころ満載なことが大半だ。

特に最近は90年台などと違い良くも悪くも無難な完成度は担保されている。

『飛び抜けた作画崩壊』や『アニオリによる作品崩壊』なんてのはほとんど絶滅したと言っても過言じゃない。

今期アニメゆるキャンvsスロウスタートでどれだけ片方が打ちのめされるか、それが作品よりもずっと楽しみだ。

たまにグラブルみたいなチートが混ざるけど、決して流されるなよ。

スキャンダルに対し拒否感を示さなファンマジョリティを占めるアイドル

横綱:UNDERHAIRZ(アンダーヘアーズ)

大関ベッド・イン



アマチュア力士せのしすたぁ


anond:20180124071456

以下、蛇足

せのさんについては個人的見解。まあ、ガチ恋してる人も居るかも知れないし、そもそもこないだなんて、対バンライブで(おそらく)せのしすたぁ目当てで入場した客が四人だったが、最高のライブにしたとか自虐してるからファンの数も少ないのかもしれない。(一推しではないけど好きな人はいっぱいいるイメージだけど)

ただ、他の二組は極端すぎるので、知ってる中で一番近いグループどこかなって思ったら自然と出てきた。

極端というか、既存アイドルが触れないようにしているところを、逆に売りにしている、全アイドルへのカウンター的な存在でもあるわけですよベッドインさんとアンヘアは。

一応アイドルカテゴリに入ってもおかしくないとは思う。両者ともギリギリだけど。


興味がある人は調べてみて。

面倒だったら、ブコメトラバあったら、簡単説明書く(書かない

2018-01-23

センター国語ばかり槍玉に上げてるけど

センター国語プロ作家が解いても満点取れないとか、そういうことになにか意味があるのだろうか。

まず、入試の科目なんてのはその道のプロ選抜するものではない。

国語に限らず数学でも理科でも社会でも、プロ学者がすべての問題ミスなくこなすなんて無理だろうし、外国語だって場合によってはネイティブミスをするだろう。

入試は、特にセンター試験努力の成果を見るものなのだから、才能があるからと言ってできてしまっては意味がない。ちゃんと"お約束"を知っておくことは、当然要求される。

それに、プロというのは一芸があればいい。例えばプロスポーツ選手だってアマチュア向けのテストではあらゆる能力要求されるが、真の一流選手はいくつかの項目が欠けていても活躍できる。メッシが誰よりも足が速く体力があるわけではない。そういう意味でもあらゆる要素が満遍なく問われる試験というのは、アマチュア向けなのだ

そしてそもそも文学というのは書き手読み手認識が一致しないものだ。書き手意図が何の誤解もなく読み手に伝わるならば、文学なんてもの芸術でも何でも無くなってしまう。だからプロ書き手読み手立場センター試験を解けないのは当然と言えば当然だ。

強調しておくと、読み手立場センター試験、という認識が大切なのだ試験を出題するのは筆者ではない。出題者は、読み手なのだ試験の度に読む題材は異なるが、出題者の姿勢は一貫している。だから受験者に求められるのは、作品の筆者を直接理解することでは決してなく、むしろ読み手でもある出題者を理解することなのだ。

そして読み手である出題者の中には、作品の筆者に対する批判意識も当然あるだろうから、筆者の意図は正解とは関わらない。しかしその出題には連綿と引き継がれている傾向、理論があり、だからこそ受験者も一人の読み手としてでなく、問題の解答者として試験に臨むことができるのだ。

最後に、「文学の読み方に正解はない」という国語試験批判する大義名分は、人間知的営みの根本的な前提を確認しているに過ぎないことに言及しておく。そもそも、どの学問を取っても、普遍の真理には程遠く、最新の理論などと言っても一つの解釈しかない。皮肉なことに、科学歴史恣意的ものだという議論入試現代文に繰り返し登場しているありきたりな話なのだが。

結局のところ、センター試験呈示する「読み方」を疑問視するなら、数学の、自然の、人間の、「読み方」である他の科目も―本当の正解とは限らない。逆に、センター国語の出題の背後にある理論は、他のすべての科目の理論と同様、絶対普遍のものではなくとも一つの体系を成している。その事が未だに十分に認識されていないことは、センター試験の失敗でもあり、今後試験の形が変わっても国語教育課題であり続けるだろう。

2018-01-17

anond:20180117191652

コミケとかアマチュアの祭典のはずなのに金の臭いしかしねーからなー

ほとんど赤字といっても儲け出たらって思いはみんなあるだろ

みんな、お金にならない物語なんて書きたがらない

 また別の商業物書きです。

 

物語を巡る状況はぜんぜん悪くなってない

anond:20180116123154

 この増田の話にうなずきながらも、実情を顧みるに、ぼやかずにはいられなくなったので書きます

アニメゲームと言った企業営利創作のなかで「自由にかけない」「ストーリーは終わった」と嘆く人間よりも、「オレはこういうのが好き」「金とは無関係に書く」と活動できている彼らのほうが、よほど物語る事に対して建設的だと思いますよ。』

 元増田は制約の多い商業作品の対比として、web小説について作者が自由に書けると述べられていましたが、実態はそのようにはなっていません。

 私も元増田のおっしゃるように、アマチュア自由に好きなものを書いてほしいと思っているクチです。

しかし、小説家になろう代表されるweb小説サイト00年代後半から眺めてきて今思うのは、みんなお金にならない物語は書きたくないんだな、ということです。

“みんな”と言ってしまうと主語が大きすぎるかもしれませんが、そうじゃない人たちはすっかり埋もれてしまって、なかなかお目にかかれなくなってしまいました。

魔法高校の劣等生がまだランキングにあったころの小説家になろうは、皆が自分の好きや面白いを信じて自由に書いていたと思います

だけど、震災から数年が過ぎたぐらいか雰囲気が変わりはじめ、今ではほとんどの人が流行りや読者のリアクションを強く意識し、書籍化というプロデビューを先に見据えながら作品を書くような場へと変わり果ててしまいました。

ラノベ新人賞に応募するよりも、なろうに投稿するほうがデビューの近道」というようなことを耳にしたのは、いったい何年前でしょうか。

特に2chのなろう系スレなどは流行りとPVの話ばかりになってしまい、覗く気力はすっかり失せてしまいました。

そういう風潮を気にせず自由作品を書いている人もいるでしょうが(実は私がそうです。アマチュア時代PNでひっそり書いてます)、プロを夢見る人たちが溢れかえっている場で、自由気ままに物語を綴るのは異端者扱いを受け入れねばなりません。

特に私が危惧しているのは新規ユーザーへの影響で、創作について右も左もまだよくわからない若者に対して、創作とは流行意識せねばならぬものだというような要らぬ先入観を与えねばいいのだが、と気をもむ次第です。

ただ、こう言ってる私自身なんだかんだでプロになってしまったように、あわよくば自分作品お金に換えたいと考える人気持ち本心ではよくわかります

少し前にこんな増田がありましたが、

2018年以降、二次ロリコンテンツは大きく減退する

anond:20180102164636

 この手の表現規制だって商業化を諦めさえすればいくらでも回避可能なんじゃないでしょうか。

 でもそれはやっぱり無理でしょう。

みんな創作物お金を稼ぐことを意識せずにはいられなくなってしまいましたから。

anond:20180116140450

元増田待遇がひどいからといってなろうのアマチュアだのなんだのを侮辱していい道理はないぞ

2018-01-16

anond:20180116123154

漫画描いてるから分かるけど

自分欲求純粋()に作品を書くのは難しいよ

 

やっぱり他人評価されてこその作品

今までの編集は、

作家の持つ独り善がりさと

大衆快楽の両方を天秤にかけて

ちゃんとバランスの取れた作品を生み出せて来てた

 

ところが、編集漫画雑誌役割も弱くなって、

作家と読者のCTOC的な構造になってくるとバランスは途端に崩れてしま

 

大衆が、一片でも含まれ作家芸術性を嫌い、

即物的で長期的視野の持てない

エッセイ的なアマチュア嗜好のモノ好まれると

どうしても作家トレンドもそれに引きずられる

それに迎合しなければ自分作品はまるで見てもらえない

 

一回、作品の一つでも投稿してみな 現実が分かるから

君は消費者側の目線しか立ってない

物語を巡る状況はぜんぜん悪くなってない

anond:20180116071707

商業作家です。

物語をめぐる現代日本の状況に絶望なんて全くしていません。

そもそもストーリーを紡ぐことは個人可能なことであり、予算企業側の都合などなんの関係もなく実行可能です。ゲームメディアアニメディアでのシナリオライター企画会議に縛られるでしょうが、それは物語を作ることそのものとは関係ない、ただの商業要請であって、それが嫌なら単著を出せば良いのです。

単著であっても編集要請で好きなことが書けないという意見もありますが、それは、ただ単に編集要請自分の書きたいものを両立させるだけでの構築技術が不足しているということか、編集要請に隷属しないと出版物が出せないという売上力の問題でしょう。

増田は「小説家になろうから始まった作品作家陣を蔑視していますが、それは随分大きな見当違いではないでしょうか? 商業的制約や生活費要請などを無視して、ただひたすらに自分欲求だけで書き始めて無料でもいいから書き続けている時点で、彼らこそ物語構築者として純粋なのではありませんか? たしかに彼らの作品技術的な拙さや偏った傾向があるかもしれません。けれど、彼らは「編集許可されないので好きなものが書けない」などという泣き言は言わないじゃないですか

アニメゲームと言った企業営利創作のなかで「自由にかけない」「ストーリーは終わった」と嘆く人間よりも、「オレはこういうのが好き」「金とは無関係に書く」と活動できている彼らのほうが、よほど物語る事に対して建設的だと思いますよ。

しか現在特に商業的な創作物は過剰消費の傾向があって、それはキャラ消費やシチュエーション消費などの二次創作的な需要にも思えますしかし、二次創作的な需要の背景には、常にオリジナルな感動があるはずです。読者や視聴者が、記号的な美少女で喜んでいる現在があるとすれば、それは彼らが何処かでその記号学習たから、感動を学習する原点があったからです。

物語消費が多様化して、消費量が増えて、今までは参入しなかったような(同人的とも言える)ハイアマチュアセミプロ業界に参入して、市場混沌としています。そういう現況に、トラッド創作物愛する人々が落胆し嫌悪感を覚えるのもわかりますしかしそれはやはり、懐古なのだと思いますよ。

記号的なキャラクター記号的なシチュエーションに喜ぶ、増田から見て志が低いとされる読者視聴者であっても、彼らは彼らなりの人生物語体験を経て感情移入出来る何かを学習してきたのです。それが「現代の読者」なのですから、その彼らに敬意と感情移入を持って自分物語を書くのが、ストーリーテラーとして重要な事だと自分は考えます

まだまだ手を付けてない題材だって手法だってたくさんあります

物語物語を取り巻く現在環境は、絶望の入り込む余地が無いほど忙しなく輝いていますよ。

2018-01-15

anond:20180113160120

しがない編集者です。漫画担当ではないですが、1枚絵の発注は時折やっています

あなた文章を読んで身の引き締まる思いになったのと同時に、少しだけ伝えたいことがありはてなアカウントを取りました。

朝のちょっとした時間で書いてるので色々アレだと思いますが、ご愛嬌ということで……。

あなたに声がかかった理由、「育てる必要がなくてラクできるから」ではないと思います

こっ恥ずかしい言い回しをすると「あなたに原石を見た」から、その人たちの多くは声をかけたのだと考えます

例えていうなら、プロ野球Jリーグスカウト担当者アマチュアや実績の少ない選手に声をかけるとき

彼らはある一定水準や強化方針に沿う選手に声をかけていきますボールをまともに扱えない選手にはもちろん声はかかりません。

でも、スカウトした選手即戦力になるとはほとんどの場合思っていません。

その才能が持つ可能性を信じ、育成していくこと前提で動いています

編集者新人の方に声をかけるときも構図としては似ています

ある程度以上の技術的水準やアイディアがあるのは、声をおかけする上で最低条件です。

編集者会社に従ずる立場である以上、「俺はこの才能に惚れた! だから一緒に仕事をしたい」と言い張れるだけのクオリティの持ち主だということを、こちらも周囲を説得するうえで提示しなければならないからです。

そのうえで「この才能をもっとみんなに知ってもらうためには? もっと作品世界を魅力的にするためには?」を考え、作家さんと二人三脚で育ち、歩いていくのが本来編集者の姿だと思います

まり編集仕事と育成は切り離せない。特に漫画ノベルといったクリエイティブ領域では顕著だと思います。立ち止まったら時代に取り残されますから

そして”本来”と含みある言い回しをしたとおり、そうではない編集者一定数いますし、確かにその総数も増えています

多くの方が察している通り、業界全体が下火で余裕がないというのもその一因でしょう。

元気がないから余計に雑になる。実際、いろいろ歪な業界だと思います。熱意ある人ほど報われてないように思うこともあります

話をきく限り、あなたが当たった編集者はやっぱり「ハズレ」なのでしょう。

二人三脚意識がない、作家あってこその編集だと理解していない、自分目的作家のゴールにすり替え押し付ける……

「絵が下手」なんて子供でも言える悪口しかないのだから、そこで止まっている人間プロじゃないので切って正解です。

問題点に目を向けた上で「どこを意識すればより魅力的になるのか」とか「現状の絵柄を個性として受け止め昇華させていく方向に舵を切る」判断を、明瞭かつ論理的説明をもって、相手のことを最大限思いやった上で提示するのが編集者仕事です。

それができないならただの口うるさいハイエナだ。

ただ、すべての人があなたの見てきたような「ハズレ」ではない、ということを知ってもらいたいです。

あなたの才能や世界に心底惚れて、その手助けになりたいと思って声をかけた方も、きっといるだろうから

2018-01-07

ネットにいるプロ有名人って結局は企業の手先なんだよね

本書いたりブログ書いたりを本業にしてる人ね。

最初のうちはアマチュア界で有名人やっていたのが、いつの間にか本が売れたりしてプロの物書きとして食っていきだす人。

そういう人は本業にする前と後では別の人間アカウント)だと思った方がいい。

そのことを忘れると騙されそうになる。

つの間にか企業の手先になって、ステマみたいな事をやってくるから

いや、プロの物書きがネットである物の良し悪しを語っているならそれはもうステマじゃなくてダイマだと考えるべきなんだろうな。

でもそれって悲しい事だよなあ。

ただちょっとアフィで稼げてラッキー程度の感覚アマチュアやっていた頃のアカウントとは別人になるってのは怖いよ。

同じ名前アカウントアイコン文体も変わらなくて、語る思い出話も何も変わってないままに文章目的けが変わってる。

自分が語りたいことを語っている状態からスポンサー意向に沿うだけのスピーカーに変わる境界線はどこにあるんだろう。

金が人を縛るんだろうな。

物を書くのが好きな人間はアマチュアで居続けるべきだ。

たとえ今やってる仕事がつまらなくても。

もしもプロになるのなら、新しくアカウントPNペンネーム)を作ってそっちで仕事すべきだ。

何もアマチュア時代に積み上げたものを売り歩く必要まではないじゃないか

2018-01-02

故郷Wikipediaアマチュア歴史家に好き放題書かれている

誰も修正しないまま1年が経った。

1人の人物周辺地域Wikipedia編集しているようだ。

人口の多い項目はすぐ修正が入るが自分地域は誰も見ていないのだ。

2017-12-28

ヴィゴレリロードインプレ

サイズM。構成コンポ5800、ホイールイーストンEA90SLX、タイヤはコンチGP4000S2、あとはごく一般的なパーツを使用

ライダー身長178、体重68。レベルアマチュア中央値らへん。

剛性感、これはしっかりある特にフロント周りのカチッとした感覚は素晴らしい!さすがテーパーカーボンフォーク採用しているだけはある。もがいてもハードブレーキでも全く力が逃げない。対して後ろはややまったり、といっても充分強く感じるが。芯がしっかりある、という表現がぴったりか。

走って受けるフィーリングは「グイグイ、モリモリ」

軽量カーボンパリッとした感じとは違う、ハイエンドカーボンのカッチカチとも違う。硬いんだけどほんの少しだけタメがある。トルクをしっかりかけて乗ってくバイクだなぁ、2輪でいうところのハーレーベースのレーサーみたいな感じか。

剛性があるので、無意味に下ハンでダッシュしたくなる。ちょっと後ろタイヤ体重乗せ気味でグイグイやると気持ち良い。なるほどクリテリウムには向いてるかも。

からか?巡航ケイデンスは低め、90から95くらいが気持ち良い。軽快感みたいのは無いな。これをヒルクライムには使おうとは思わず

また、車体がコンパクトに感じる。おそらく末端があまりしならないので、一体感を感じるのだと思う。

地面からのゴツゴツした感触はしっかり伝わり、乗り心地が良いとは思わない。軽量カーボンなんかよりは確実に悪い。ブルベで使ってもなんとか耐えられるかな?というギリのレベル

ハンドリングがクイック、とかそういうのは皆無。普通ロードバイクBB下がりが…とかヘッド角度が…とかで身構えたが違和感無し。

手放ししたりサドル持って押したりしたけど、フレームの精度が高いのか、ふらついたり不安を感じたりせず。

なんかエアロ空気の抜け良いような…細いから?

前段と矛盾するが、シートポス31.6とかなり太い。クロモリは27.2が多いんじゃかいかな?一般的クロモリより太い材料使ってると思う(測っていません)

見た目の印象も「あれ?意外に細くないな」。剛性感の源はこの太めのパイプ使用が影響しているのではないか

総評としては、これは買って正解!

ツーリングでもレースでもなんでも行ける!カーボンバイクの出番が減りそうだ(笑)

卸は完売みたいなので、ショップ在庫限りになるが、まぁどうせ来年継続でしょう。これはチネリの新定番になるよ。ニッチが被るエクスペリエンス廃盤かな?

2017-12-27

anond:20171227003911

書いた本ちょっと読んだけど、やっぱり才能が溢れてた。

才能があることと本が売れることはリンクしないけど。

売れた本が素晴らしいかと言われるとそうでもないし、売れてない本でも人生の一冊になることがある。

売れる売れない関係なく書きたいと思ったら書けばいいし、書きたくなければ書かなくていい。

他人評価を気にせず。全力で自分のやりたいことをやる。

幸いにもアマチュア出版するハードルは、アマゾンのおかげでこれ以上なく下がっている。

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