はてなキーワード: 再構成とは
急いでざっくり書くわね。
めちゃんこよかったわね!
前回、夜巡者の戦争の設定にとても不満である旨を述べていたわけだけど。
今回の話でまさに「そうそうこういうのが見たかったの!」という気持ちになったわ!
国のみんなと竜が一致団結して敵に臨むってこういうのよね!戦争ってこうゆうのよね!
各地で転戦するのも(神の目の力以外で)個々人の抵抗を描きつつ局所的勝利が大局を左右しないというストーリー的な負けイベントをストレスなく受け入れさせる出来でとてもとてもよかったわ!
主人公が喋ると毎回ドキッとするのだけど、今回はシチュもあってグッと来てしまうので、ここら辺の出し惜しみ?使いどころの切り方には毎度感心してしまうわ。
あと隊長ファデュイ隊共闘もなかなか熱い展開なのだけど、直前で氷ファデュイの弱体化が入ったから前のままの氷ファデュイなら絶対アビス追い返せてたのに…!と思っちゃったりして。いやー強かったね。弱体化前の稲妻を知らないのでヤバい雑魚筆頭でしたわ。
部族そろわない段階で全面戦争を描いた点は不満だけれど、再度の山場があると期待して今後を待ちますね。
シトラリもオロルンもシロネンもいつもどおり見た目も性格も若くて賢くて良い子で…。本当に…いつもどおりで…。
0は最初ということで三人とも好きだったけど、だから次はひねってほしかったかな。
謎煙の主で黒曜石の老婆でなシトラリには期待してたのに普通の少女キャラ。ガチャゲーアクションゲーで弱った老人キャラは難しいだろうけどそこはメカ車椅子とか自分は動かない設定でなんとかしてほしい。なあ傀儡くん!
敵か味方かオロルンもひっぱらずあっさり謎が明かされて、ただのいい子ちゃん。あの性格と生活様式であの服装はちょっと無理がない?農作業服がデフォでしょあの子。
シロネンは言うこと特になし。本当に刺さらず…祈願しない言い訳にできたけど。部族見聞は死後の設定がもうなんか分からなくなってきたわ。幽霊あり、死後の世界で希薄化あり、死後何百年も戦い続けるのもあり、記憶から再構成もあり?難しいですね。
いまさらではあるけれど、原神のキャラの性格容姿にあまり幅がないことに気がついてきて、それがモヤモヤになってきた。もっと頭からっぽなキャラが欲しい。
その辺は花神誕祭のわちゃわちゃで結構モチベリカバーできたのでまあいいです。
そんな感じで、ストーリーはよし。新キャラの魅力はイマイチ。な5.1だったかな。
稲妻のひどい戦争と比べれば格段によくなってるし、ミツムシイベントといいフィールドを大きく使う演出が多くて満足感があるので進化を感じる出来になっております。
空とぶ一人反応チャスカにインフレを恐れつつ、5.2、復興などにも着目した新バージョンに期待してます。
イアンサ!
AdS/CFT対応は、d+1次元の反ド・ジッター空間AdS_{d+1}における重力理論と、その境界上のd次元共形場理論CFT_dとの間の双対性を主張する。この対応は以下の等式で表現される:
Z_gravity[φ_0] = ⟨exp(∫_∂AdS d^dx φ_0(x)O(x))⟩_CFT
ここで、Z_gravityはAdS重力理論の生成汎関数、右辺はCFTの相関関数の生成汎関数である。φ_0はAdS空間の境界での場の値、OはCFTの演算子である。
AdS空間内のシュワルツシルト・ブラックホールは、CFTの有限温度状態に対応する。ブラックホールの温度TとCFTの温度は一致し、以下のように与えられる:
T = (d r_+)/(4π L²)
ここで、r_+はブラックホールの地平線半径、LはAdS空間の曲率半径である。
CFTのある領域Aのエンタングルメント・エントロピーS_Aは、AdS空間内の極小面γ_Aの面積と関連付けられる:
S_A = Area(γ_A)/(4G_N)
ここで、G_Nはニュートン定数である。この関係は、Ryu-Takayanagi公式として知られている。
AdS/CFT対応は、ブラックホール情報パラドックスに対して以下の洞察を提供する:
1. ユニタリ性: CFTの時間発展はユニタリであり、これはAdS空間でのブラックホール形成と蒸発過程全体がユニタリであることを意味する。
2. 情報の保存: ブラックホールに落ち込んだ情報は、CFTの状態に完全に符号化される。形式的には:
S(ρ_CFT,initial) = S(ρ_CFT,final)
3. スクランブリング: 情報のスクランブリングは、CFTの非局所的演算子の成長によって記述される:
⟨[W(t), V(0)]²⟩ ∼ e^(λ_L t)
ここで、λ_Lはリャプノフ指数で、λ_L ≤ 2πT(カオス束縛)を満たす。
AdS/CFTは量子誤り訂正コードとしても解釈できる。境界CFTの部分系Aに符号化された情報は、バルクのサブリージョンaに再構成できる:
Φ_a = ∫_A dx K(x; a) O(x)
一文一文を訳す精度は上がった。
つまり日本人特有の婉曲的な話の進め方を逐語訳してしまったり、説明が先で結論が最後でもそれをそのまま翻訳してしまったりしている。
なので簡単なやりとりならもはや機械翻訳に頼ってもネイティブも相手の英語に違和感を持たないレベルまで来ているかもしれないが、
この増田で行われるようなそれなりにまとまった文章による主張のやり取りではいまだ「ああ、日本人のカタコト英語だな」と思われるような翻訳精度だと思う。
文章全体の意味を理解したうえで、それを英語圏の人ならどういうか、文章を再構成(文章→意味→文章への変換)する機能を翻訳ソフトのサブルーチンとして進歩させる必要があると思う。
夕食前 84.1キロ 夕食+腐りそうなので残りサニーレタスとプチトマト一パック+ベビーチーズ1本 実就寝時間:01:00
実起床時間:07:00 朝食前 84キロ 朝食は納豆、油揚げ、ごはん、味噌汁、胡麻和え、しゃけ
午前中は尿のみ。うんこはなし。
昼食 水漬けパスタに半額お惣菜のエビの素揚げとホタテと半額だったスイートバジルを追加してオイルで和える
(水漬け10時間+3分茹でだと柔らかすぎだったので今後はもう少し短めに茹でること)
15:30 寝不足で頭がぼんやりしていて重力方向が変。今日は21時までに寝ること。→仕事の残りがあるので変更。
夕食は芋とキノコと玉ねぎと鶏の焼いたやつ と もやしとラディッシュの酢漬け
うんこはまだ出ていない
読書:
測度・確率・ルベーグ積分:40~59Pを行き来。具体的な証明とかは全然わからないのでどっかで手書き必要そう。「そもそも積分する対象といったものを有限加法性を持つかどうかなどで正しく構成しないと色んな不整合が生じるので自分がどんな対象に対して積分したいのかをよく認識してね」といったメッセージは読み取れたが、有限加法性やσ加法族、完備化やルベーグ可測、ルベーグ可測でないといったことがまだ頭の中で宙ぶらりんな状態で正しく事例と結びつかないのでその辺が要確認。
気になった言葉:相落手形、アイオロス(風の操縦者)、アイオワシティー(アイオワ州の州都ではない。州都はデモイン)、愛語摂→四摂事
視聴動画:
https://www.youtube.com/watch?v=DaDxCx2-hDc
https://www.youtube.com/watch?v=jfk42-0meJQ
実起床:7:35、84.3キロ(朝食前)。うんこなし。朝食はにんじん、ソーセージ、ブレッドプディング
11時8分 うんこが出る。少し柔らかそうだったが割合健康的な長うんこ。うんこ後体重は84.4
基本的にはリーマン積分のこれまでの過程をルベーグ積分でやり直してみようの回
最後の条件付き確率については加法族での確率空間の再構成という新しい概念が出ていて新鮮だった
実起床:6:30、84.2(朝食前)。朝食はごはん、納豆、味噌汁
海底二万マイルを少し読み進める。海底の森→潜水艇の日常風景→座礁→パプアの島という感じで冒険のステージが切り替わった感じ
海底二万マイルという言葉自体はまだ全く出ていない。下巻になってから? 不明。
12:30 ニンジン1/2本、蒸しじゃがいものちっちゃいの五個、半額総菜のサバのしょうゆ?煮みたいなやつ
COMIC DAYSとgoogle playの課金機能が動かなくなる。原因不明。
海底二万マイルをパプアで人食い人種が出てくるところまで読了。
0:30就寝
7:00実起床 朝食:ピーナッツバタートーストとソーセージとレタス
18:30 のりまき
読書はキングキラー・クロニクル 風の名前 宿屋の主人との会話まで完了。
腰の痛みで何度も起きてしまった。ポケモンスリープ1日目は1時間半しか寝ていないことに。
10:30に耳鼻咽喉科へ聴力健診。風邪で混んでいたので11:40まで待つ。ルベーグ積分を読み終えてしまったが、内容として読み終えただけで関数などの証明には至っていないのでまだまだ読めそう。内容としては中心極限定理や大数の法則についてを数学的に積分論の言葉を使って書き表す、というもの。一点気になったのは作者は大数の法則について「経験的な法則というだけでなく<しっかりと数学的な証明を持った考え方~」という話をしていたが、どちらかというと経験の方が大事なのではないかと思った。
また食と文化の本についてアジア編とインド編が読了し、アジアは米と魚、インドは(麦と米と)豆とミルク、遊牧文化圏以西は麦とミルク、みたいなまとめまで読んだ。納得できる。
12:30に中華弁当。中身はごはん、味玉、メンチカツ、じゃがいもとえびのあんかけ炒めみたいなもの。最後の料理は食べたことがある気がするが名前は思い出せない。炒土豆絲?
19:00までジム
ルワンダ銀行総裁日記を読了。改めてこれを読んでからルワンダ内戦について確認すると、服部も当時の政権側なのでその色眼鏡が入っているが、RPF側が勝利したので残念な結果だったのかもしれない。特に服部は当時の政権で仲のいい人たちがたくさんいただろうからやはりそれには心を痛めていたのかなという感じ。一方で調べてみるとRPF側が開戦した(ハビャリマナが殺された事件の犯人)というのも正しくはなさそう。
実際その後の難民の挙動はどうだっただろうというのは気になる。
15:00 うんこ
映画は現地のドラマを日本向けに再構成されたやつなので違和感ある箇所は色々と編集されてるのかなとは思うけどそれにしても映像演出も含めて原作アニメの完全コピーになっていたのはたまげたなあ。
めちゃめちゃ感動したのは初めてボルテスで出撃するときにお母さんが司令室の小上がりを指差すシーンここが原作のトミノ演出完全コピーでダメだった。
それでもアニメとだいぶ違う箇所はあったので気になったから思えてる分だけ書き出しておくよ(特に2話)。
2話の冒頭でお母さんがお父さんの墓参りのシーンは完全カット。
戦闘になってしまってお母さんが急ぎ駆け足で基地に戻るシーンは何故か護衛付きの車で帰ってる。
その間司令官はどうやってかベースから基地に移動(バリアどう抜けたんだ…)そのあと何故かテレワーク(なにこれ…)。
お母さんはバリヤーが貼ってあるので入れないけど原作だとバリヤーがちょっと割れてそこから救出にいったはずだけど最後までバリヤーは壊れないので謎のまま。
原作では救出後すぐに病院に移動して服を着たまま緊急手術だったけど医務室に変更されていた。
原作では手術中にバリヤーが完全破壊されて病院(基地内にある)の天井が崩れてスタッフ全滅するも母親は何故か無事(手術中なのに)。
その後ボルテスのピンチを救うため戦闘機で出撃するシーンで原作だと基地の前の滑走路のエレベーターから戦闘機がせり上がってくる演出だったのにこれもタラップをのぼっ普通に離陸しててがっくし…というか戦闘機がJ-20っぽいのはなぜなぜなーぜ(自主規制)。
他はまあまあ原作どおりなのでお母さんに関わる部分ばかりだいぶ歴史改変がめだった気がする(司令室になぜかクリスベクターもった兵隊がわさわさいるのも意味不明だったが…)。
今の基準だと超展開シナリオとか言われちゃうんだろうけどアニメの原作準拠なんだからSNSの超展開シナリオ警察の活躍が楽しみだなあ。
どうせ「コミックジャンボ」って知らない人も多いと思うので冒頭で説明しておく。
1988年4月(号)から2002年12月(号)まで存在していた月刊誌。月刊誌といっても中綴じで、まあ典型的なコンビニエロマンガ誌。存在と言ってもこの時期に発刊、休刊したわけではなく、1988年3月号まではコミックJUMBO、2003年1月号からはCOMICジャンボという名称で存在している。ただまあ名称変更の前後で少し編集方針が変わっているらしいので前後誌は今回対象にしない。発行は桃園書房。
で、まあエロマンガ誌なので大抵の作品は読み切りor単話。そんなわけで紹介するのは重要なマンガ、というよりはマンガ家ということになる。ここは了承してほしい。
河本ひろし「表紙」
たぶん「コミックジャンボ」で画像検索すると画質がみんな似ていることに気がつくと思う。これは、コミックLOの表紙をずっとたかみちが担当しているように、コミックジャンボの表紙はずっと河本ひろしが担当していたから。おそらく自分より少し若い人はこの絵柄に馴染みがある人もいるかもしれない。この後彼はボンボンあたりの児童誌で活躍しているので。ただ、エロマンガ誌でありながら表紙がせいぜい控えめなパンチラくらいしかない絵は慣れていない若者がレジに持ち込むための言い訳として非常にありがたかった。下手したら裏表紙のダイヤルQ2広告のほうがエロかったかもしれない絵なので(コミックジャンボの裏表紙にダイヤルQ2広告があったかははっきりとは覚えていない。他の雑誌と混同しているかもしれない)。
時々掲載されているマンガの作風も巨乳前提にしつつコメディタッチが多くて読みやすかった。
こちらも河本ひろし同様、児童誌でも活躍している。ただこちらは児童誌が先、というか、ゲームのコミカライズで知られているかもしれない。一言で言って「みなづき由宇」と同一人物である。画風も巨乳前提ながら読みやすい。ちなみに星里もちるはものたりぬのアシスタントをしていたことがある。
正直、この人はコミックジャンボが主戦場ではなかったはず。それ以外の雑誌や単行本で見ることのほうが多かった。少女マンガと思えるくらいの目の中の星が特徴的な人で、さらに彼を特徴づけていたのが「エロは和姦しか描かない」ということだった。しかもコメディ的に逃げるのではなく徹底して和姦ということは実は当時けっこう特筆すべき特徴だったのだ。コミックジャンボ時期の絵はけっこうデッサンが崩れている(それはそれで味がある)のだけど、現在のサイトを見るとかなり整っていて、続けるということの大事さを感じさせる。
有間しのぶでも西村しのぶでもない。たぶん男性。モデル体型のスラッとした女性を描く特徴のあるマンガ家で、リアルさはないのだけど周辺掲載の巨乳マンガのためにむしろリアルに見えるという特徴があった。表題作は高校の新聞部を舞台にした♂️1vs♀️2(or3)のエロコメで、エロシーンを除けば当時のラブコメとそれほど違いがないが、そのために「ラブコメにありそうでないこんな描写が」という意味で役に立った。「てぃーんず・パラダイス」そのものはKindle Unlimitedで全て読むことが可能だが、何らかの事情で再構成+タイトル変更されているので追いかけるのが難しい。「はいすくーる・スキャンダル」「てぃーんず・パラダイス」「あいつとスキャンダル」「放課後ランデブー」と読むと連載順に読める。なお作品は大人気だったので続編として登場人物を社会人にした「ぼくのアイジン」も連載された。これもKindle Unlimitedに収録されている。
超巨乳で有名な人。あまりに巨乳のデフォルメが過ぎてむしろエロくないという画風かもしれないがやってることはエロである。おそらくコミックジャンボの方向性を最もわかっていた作家で、アニメ風のオタク絵でやることはちゃんとやるという展開は安心して使えた。おそらくコミックジャンボで掲載していたのが一番長い人。
かつて「サルでも描けるまんが教室」で「男向けのエロコメは回転寿司だ」と喝破されていたが、おそらく表題作がこの言葉が念頭にあったかもしれないくらいに内容を表している。とは言えエロいものはエロい。ただ色シーンに少し前の劇画での描き方の残滓が見えるところを見ると、この雑誌はエロ劇画誌とエロマンガ誌の橋渡しをしたと言えるのかもしれない。
てらおかみちお
陰影の少ない画風で、無理やり例えるなら浦沢直樹をわたせせいぞう風に描いた感じ。古く見えるかもしれないが、バブルな80年代後半にはこういう画風が一番オシャレだった。そういう意味では外せない人。
「うるふ・たろう」と読む。画風としてはよく言えば当時の主流、わるく言えばありがちな絵で、ただ大事なのはそういうありがちな絵で他誌にはない絡みが描かれるのがコミックジャンボの醍醐味であったということだ。本人はバイク趣味があって、レーサータイプのバイクを持ってよく夜中にツーリングしていたということを近況報告で描いていたが、今から思うとあれは宮崎勤のあれから来るオタクバッシングからの逃避行動だったのかもしれない。
しのざき嶺「NIGHTMARE」
いちおう画風(特にデフォルメ時)としてはジャンボにありがちではあるのだけれど、ストーリーの陰惨さでは最もコミックジャンボ向きでない作家。表題作は逆恨みから始まる強姦からスタートする作品で、この後誘拐監禁、ピアッシング、奴隷契約、野外露出に強制排泄、肛姦、獣姦、近親相姦、多人数プレイとSM雑誌にありがちなプレイをひと通り全てこなすというおすすめしないマンガ。作者はこのあとそっち系の雑誌でいくつも同系統、もしくはさらに発展した作品を描いている。そもそもこの連載も途中で他誌に移籍している。
夫婦での共同ペンネーム。夫のほうはあさいもとゆき、と言えば思い出す人もいるかもしれない。「スパルタンXの24周目では助けられる役のシルヴィアが襲ってくる」という情報をマンガに描いた人だ。コロコロコミックでの連載のあと、共同名義にしてエロ進出した。正直、今回これを書くにあたって今年妻のほうが交通事故で亡くなったことを思い出さずにはいられない。Lovin’youはマンガ図書館Zで無料で見られるのでそっちを見てほしい。
ジョン・ホイーラーの "it from bit" 仮説の数学的定式化を行う。
まず、圏論的基礎として量子情報圏 Q を定義する。Q の対象は完備von Neumann代数であり、射は完全正写像である。次に、古典情報圏 C を定義する。C の対象は可測空間であり、射は確率核である。
量子-古典対応を表現するために、量子-古典関手 F: Q → C を導入する。この関手は量子系の観測過程を表現する。
情報理論的構造を捉えるために、エントロピー関手 S: Q → Vec を定義する。ここで Vec は実ベクトル空間の圏である。S(A) = (S_von(A), S_linear(A), S_max(A)) と定義し、S_von はvon Neumannエントロピー、S_linear は線形エントロピー、S_max は最大エントロピーを表す。
トポス理論的解釈として、量子論理トポス T を構築する。T の対象は量子命題の束であり、部分対象分類子 Ω は量子確率値を取る。
"It from Bit" の数学的定式化として、以下の定理を提示する:
定理 1 (It from Bit): 任意の量子系 A ∈ Ob(Q) に対して、以下が成り立つ:
∃ {Bi}i∈I ⊂ Ob(C), ∃ {φi: F(A) → Bi}i∈I :
A ≅ lim←(Bi, φi)
ここで、≅ は Q における同型を、lim← は逆極限を表す。
証明は以下の手順で行う:
2. 各 p ∈ P(A) に対して、射影測定 Mp: A → C({0,1}) を定義する。
3. {Mp}p∈P(A) から誘導される射 φ: A → ∏p∈P(A) C({0,1}) を構築する。
4. 普遍性により、A ≅ lim←(C({0,1}), πp∘φ) が成り立つ。
系 1 として、S(A) = lim→ S(F(Bi)) が成り立つ。
この定理と系は、任意の量子系が古典的な二値観測の無限の組み合わせとして再構成可能であり、そのエントロピーが古典的観測のエントロピーの極限として表現できることを示している。
一般化として、n-圏 Qn を導入し、高次元の量子相関を捉える。予想として、Qn の対象も同様に古典的観測の極限として表現可能であると考えられる。
記帳代行というのは、簡単に言えば紙の領収書や紙のレシートを分析して、それを帳簿につけるという仕事だ。
だいたい1枚あたり20〜60円ほどで行われる。20円はかなり安い。
これはいうならば全購入に対して20円かかっているということでもある。
個人事業主から大企業に至るまで、すべての物品購入に20円かかっている。
「20円 / 商品」はもはや税金だろ。冷静に考えてほしい。これはもう「固定消費税」みたいなもんだ。
個人事業主が確定申告のときにひぃひぃ言っているのもこれのせいだ。「固定消費税」を払いたくないから、自前で大量のレシートに対してひぃひぃ言いながら分類する。
これがめんどくさいということだ。そもそも紙はどこだなどと探すこともある。紙を管理するのがめんどいわけだ。
「めんどい」とか言っているが、固定消費税分の労働をしているわけだな。全員な。
OCRというのは、紙をスキャンして、その内容を読み取ることである。
だが冷静に考えればそのバカバカしさがわかる。そもそも領収書として紙を印刷しているわけだ。もともと電子データとして存在しているものを、レシートや領収書として出す。
もちろん手書きのこともある。手書きで領収書を出すわけだな。お釣りの計算を電卓でやっているようなところはそうだ。それはもうしょうがない。
だが、スマートレジとかを導入しているところ、そこも紙のレシートとはどういうことだ。
まずスキャンがめんどくさい。スキャナーあるいはスマホで撮るわけだ。めんどくさくないか?
紙のレシートを並べる。並べたりしてスキャナーでウィーンと動かすとか、スマホで撮影する。スマホで撮影したりスキャナーでとりこんだだけでは終わらない。
画像認識する機械学習や流行りのAIで分析し、会計ソフトに入れたりするわけだ。しかもレシートの形式もものによって違うから、画像認識が難しい。規格が統一されていない。
「電子データ→(各社頑張って印刷)→ 紙 → (各社頑張って読み取り) → 電子データ」
この流れアホだろ。しかもその紙は捨てる。何。頑張って印刷はまあ昔からの流れだからいいよ。でも頑張って読み取りしてるのマジでアホすぎる。資源の無駄遣いだろ。
紙は木を切り倒して作ってるんだぞ。
電子決済したあとスーパーアプリ化しようとしているみたいだが、そんなことよりやるべきことあるだろ。
レジと連携しろ。PayPayで払って電子レシート出てきたら革命だぞ。なぜ尽力してないのか。何してる?
POSレジは一応電子レシートを出しているところもある。だが全然流行っていない。ひっそりとやられている。
「PayPayで払ってfreeeやMoneyForwardと連携したらもう会計処理しなくていい」
もう覇権とるでしょ。なんならもう確定申告とかもやってくれるわけ。われわれ、もう買うだけでいい。何なら会社合併しろよ。まともに働いてんのか。
もうみんな電子決済使ってるじゃん。じゃあもう勝手に電子レシートにして連携しなよ。
できるでしょ。というかやってるけどしょぼいんだよ。各社が個別にやってるから。
個別にやるから各社バラバラにやってて統合めちゃくちゃじゃん。
なんで勝手にバラバラにやってんの。政府も進めているみたいだが、動きおっそ。
何?自信ないの?考え方正しいよ。みんなが乗ってくれないからって引っ込めるなよ。騒げ騒げ。ロビー活動しよう。
規格だけ作ってそれでドンッと通信すればいいよ。日付と商品名と金額と購入元だけでしょ。
既存の技術でいいよ。他の情報はなんか勝手にやっとけばいいけど、基礎レイヤーだけさっさと合意してそれで進めてもらえる????
実証実験済んでるじゃん。やりなよ。
規格考えたけど
{ "date": "YYYY/MM/DD", "item": "商品A", "tax_included_price": XXXX, "tax_excluded_price": XXXX, "source": "購入元" }
こんな感じのやつがv1でいいよ。追加したい情報は好きに追加して。これが日本中駆け巡れ。
ひっそり周り伺いながらやってるから遅々として進まないんよ。どーーーーんと堂々と進めなよ。
みんなわかってないんだって。利便性とか。みんながやってないから。
「いや俺は今まで通りとかでいいし……」とか言う感じ。他の人がやってないことやるとダセェと思ってる。ダセェのはテメェだろ。
「電子レシート便利だよ」と誰かが言っても誰も使わないって。みんな何が便利かわかってない。
そうじゃない。
消費者はアホなんだよ。何が便利かわからんわけ。自分が何を欲しがっているか理解していないわけ。
「電子レシート?よくわからないけどめんどくさそう。やり方とか覚えないといけないんでしょ?いいよ紙で慣れてるから」
そうじゃない。
「もうみんな電子レシート使ってますよ。まだ紙のレシートなんですか?遅れてるゥ!」
いいか、この流れだ。PayPayの死ぬほどのキャンペーンでQRコード決済が普通になった。
勢いでなんとかなる。別に会計ソフト使わない人もエクセルやスプレッドシートでいいって。
政府・総務省・経産省・財務省・環境省・デジタル庁で横断プロジェクトで進めたらすぐできるよ。
最悪CSVやjsonフォーマットで受け取ればいいじゃん。OSSで誰か作るって。簡単だから。
物品の購入履歴が電子化されて規格化されていくということは、レシートに留まらないわけ。
今ってPDFで請求書などを書いて送付してるけど(これも印刷されたりする。クソ)、あれも同様に効率化できるわけ。
これは基礎的な規格が存在すればいける。変に規格に余計なもんつけたら統一が遅くなる。TCP/IPのスマートさを見習って。
どっかがデファクトスタンダード作って、その上に自分たちの機能つけてよ。変な昔ながらの規格競争とかしないで。
現在の日本文明では、何がどこに行って誰の手にわたっていてどうなっているのか全然わかってない。
もちろん監視社会にすべきだというわけじゃない。プライバシーがあるので「これを買ったことは誰にもバレたくない」というのは会計処理に入れなくてもいいと思う。
(でもなんか企業はそういうことを考えずに容易に「うちのサービスの中に入れます!!」というのを堂々と言ってる。日本人の個人情報保護意識の無さが表れているよう)
いいよどうせ日本は個人情報興味ないから。どんどん進めて。EUやアメリカだとそこらへん障害あるから進まないけど日本ならいける。AIに著作権売り渡したみたいにGOGO。
それで、商品の行方がどうなっているのかわかっていないので、分析することもできない。誰が何ほしいのか、なんでほしいのか、誰が何作っているのか、何もわからない。
購入履歴がすべてわかればそれをリプレイすることで歴史を再構成できるわけだ(たとえば位置情報なども入れれば、どうやって会社が大きくなったのか見えるんだ)。
残念ながら今はそうなっていない。そんな余裕はないからだ。だって紙だから!!!!!!!!!!!!
全国には462万人の個人事業主がいるという。
ブツブツ言いながらレシートを見ているわけだ。めんどくせーなーと思っている。なんでこんなことしなきゃいけないんだと。
462万人だぞ?法人企業には平均4.6人の経理担当者がいるようだ。つまり816万人いる。1278万人か。もうちょっと少なそうだがまあいい。
まあいったん462万人で考えよう。462万人というと「静岡県の1.2倍程度」だ。みんな静岡県に行ったことはある??
静岡県のどこを歩いてもどこで人とすれ違ってもその全員がみーーーーーんなレシートを見てひぃひぃ言っていると考えてほしい。
みんな「めんどくせーなー」と思っている。なんでこんなことしなきゃいけないんだと。
熱海に行っても浜松に行っても、富士山の近くまで行っても、御殿場に行っても伊豆に行っても、そのどこに行ってもみーーーーんなレシートで潰れている、それぐらいの規模だ。
1278万人というとそれが東京都に拡大される。もはやキモい。
この1278万人がおのおの1行ずつデータを処理していると考えてほしい。1人あたり毎月200行処理するとしよう。そうすると全体で毎月25.5億行か。
コンピュータは「1億レコード/秒」で計算できるから、これは理論的には「25.5秒」で終わる。
非現実的な話だが理想はこれだ。税務署も会計士も税理士も縮小できるじゃん。やったね。なんなら勘定科目も勝手にすればいいじゃん。
結果手元にいくらあって、儲かりマシーンたる資産と、損するマシーンたる負債がどのぐらいあるのかわかることが1番重要なんだが?
端的に言うと、今日本人がひいひい言って毎月1200万人がバカみたいにだらけながらやっている作業は、最高効率化すれば「トータルで」毎月25秒、年間3分、60年分で3時間にまで圧縮可能だ。
レシートや領収書で潰れる人間は日本から消えるということ。あとついでに人手不足も解消ね。1200万人分人手増えますね。
ていうか逆に考えて。理論上コンピュータ1台で25秒で終わる作業なんだよ。
それを1200万人が毎月「あーーーーー」って顔しておのおの処理してんの。この時間何?
これがわびさびですか。この時間の間みんなで映画見た方が全然よくない?
さあ今すぐ電子レシートを進めよう。合言葉は「25秒」でお願いします。
あと電子レシートっていうけど画像で出すなよ。画像はあってもいいけど画像だけで出すなよ。
だいたい画像を出したいという思考がまず保守的。「今まで通りでいたいから……」「責任とりたくないから……」だろ。
レシートの役割理解してない。言われたからやってるだけ。アドルフ・アイヒマンかよ。
くれぐれも形だけ電子レシートにしたとかいう意味ないことするなよ。日本そういう自己中なとこあるからな。
「言われたからやりましたけど??」「言われた通りにしただけですけど。えー?なんですかー?」「やりたくないけどあなたが言ったからせっかくやったのに!」「言われたからやったのに酷い!」「はいはい自分が悪いですねー!はーい!」とかね。
(H, ⟨·|·⟩)を可分なヒルベルト空間とし、B(H)をH上の有界線形作用素の集合とする。
S(H) = {ρ ∈ B(H) : ρ ≥ 0, Tr(ρ) = 1}を密度作用素の集合とする。A ⊂ B(H)を自己共役作用素の部分代数とし、これを観測量の集合とする。
ユニタリ群{Ut}t∈ℝを考え、シュレーディンガー方程式を以下のように表現する:
S(H)上にトレース距離を導入し、位相空間(S(H), τ)を定義する。
A上にC*-代数の構造を導入し、局所的な部分代数の族{A(O)}O⊂ℝ⁴を定義する。ここでOは時空の開集合である。
A(O1)とA(O2)が可換であるとき、O1とO2は因果的に独立であると定義する。これにより、ℝ⁴上に因果構造を導入する。
状態ρ ∈ S(H)に対し、関数dρ : A × A → ℝ+を以下のように定義する:
dρ(A, B) = √Tr(ρ[A-B]²)
この関数から、ℝ⁴上の擬リーマン計量gμνを再構成する手続きを定義する。
(ℝ⁴, gμν)を基底時空とし、これに対して商位相を導入することで、等価類の空間M = ℝ⁴/∼を定義する。Mを創発した時空多様体とみなす。
写像Φ : S(H) → Mを構成し、量子状態と時空点の対応を定義する。
シュレーディンガー方程式による時間発展ρ(t) = Ut ρ Ut*が、M上の滑らかな曲線γ(t) = Φ(ρ(t))に対応することを示す。
共産主義は、進化と変革の原動力を、変革の担い手である「主体」に求めすぎているのだろうと思うね。
連帯、戦線、同志、団結これらの共産臭のするターミノロジーは、その時代時代で、変革の担い手と目された人々へ向けられる。
古典的な資本主義の確立した時代に「労働者」という概念を再構成したのが、たぶん最初かな。
日本共産党の歴史をふりかえると、労働問題においても農民組合闘争においても、被差別部落問題にしても、変革の担い手を自分たちに取り込むことに知らず知らずのうちに夢中になっていた。その力ずくなやり方への反発へも少なくなく、運動からの離脱、分派を促進していた。
結果として共産党は思想の核である「労働者階級」すら満足に取り込めず、高度経済成長期が終わると、次第に、連帯のターゲットを主婦とか消費者とか言い始めた。そうした社会階層に媚びを売るために、自らの綱領をあいまいにしてブレた主張を繰り返しては運動の広がりが得られず、連帯の同志候補として次のターゲットを探してきた。
あげくの果てには性的少数者、LGBTQを守る(田村氏)とか言い出して今日に至っている。
他方で、資本主義社会の進歩史観は共産主義のそれとは趣が異なる。
根っこには、社会ダーウィニズム的な、進歩への信頼というか期待がある点では、帝国主義も共産主義も同根。
ただ、その実現が「強いもの」による自然淘汰によってなされると考えるか、闘争によってなされるかの違い。
「強い者」が先験的に理解されてしまうと、「弱い者」を排除してしまえばよい(優生学など)という発想になるし、差別の絶えない社会となる。帝国主義やナチズムは典型。
一方、一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考えると自由主義社会となる。理念ではなく、利害で集う社会はこの考え方から支持される。
先日、福岡支部のどなたかを除籍した日本共産党が今もって理解していないことの一つは、日本国憲法がもつ表現の自由の考え方だ。
実は、憲法第21条の源泉は、「一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考える」自由主義の考え方を基礎としている。
これは、表現の自由をめぐる憲法判例のうち「思想の自由市場」という考えから、典拠をどんどんさかのぼってゆくと理解できる。
そうすると、20世紀初頭の連邦最高裁ホームズ裁判官の考えにつきあたり、そのホームズからパースプラグマティズムに行きつく。
そしてさらにさらにさかのぼると、唯一正しい真理を押し付けてきたカトリックの猛威を振るヨーロッパ、お互い不寛容なプロテスタント同士の修羅場のヨーロッパから逃れてきた巡礼始祖たちの考え方に行きつく。お互いに自分が正しいと言い切れないなかでどういう社会を構築するかを模索したところからアメリカ合衆国は始まっているので、表現の自由というのは、国の成り立ちを土台で支える重要な考え方だということがわかる。
政治体制 | 言論自由 | 進歩史観 | プレイヤー |
---|---|---|---|
自由主義 | どちらかというと放置 | 蓋然的・客観的 | 多様性重視 |
共産主義 | どちらかというと統制的 | 必然的・主体的 | 一体性重視 |
同志の団結を迫りまくるという意味では、根性論とか暴力で一定の方向に人々の顔をむかせ社会変革をしようという路線になりがちなのが共産主義。
多様性を重視するあまり、どんなに社会が乱れようが差別が根深かろうが、偏見による暴力を許容してでも自由に奉じるのが自由主義。
日本共産党は、何かにつけ、ひとの横っ面を自分たちと同じ方向へ向かせたがるが、それは自分たちが嫌われて終わるだけというのは、これまでの歴史が証明している。
日本共産党は、自らの綱領に一言も書いていない、表現の自由の意味を社会のプラットフォームの視点から今一度振り返るべきだと思う。
先日ユーフォ3期を一気見したが、未だに12話の改変が受け入れられないので、気持ちの整理のために筆を取った。
まず、自分がユーフォを長年追い続けてきた理由は、自分自身の抱えるニヒリズムやシニシズムと深く結びついていると思う。
要するに、青春に大層な意味などないという気持ちであり、死が確実に訪れるという事実から人生に空虚さを抱く感情だ。
中学時代に吹奏楽で全力を尽くせなかった久美子が上手くなりたいと強く願う姿に、自分の中にある人生への空虚さを慰めていたわけだ。
そういった中で、久美子の努力が吹奏楽という枠内で報われる原作の結末には、自分の中にあるシニシズムを和らげる効果があった。
一方で、アニメでは吹奏楽の結果で報われるのではなく、久美子の人間的成長が物語の主題となっている。
人生のアナロジーによってユーフォ3期を再構成すると、これまでの努力は結果的に報われなかったけど、正しく生きていれば来世では報われるかもねwという話として映るわけだ。
いくえみ綾の『太陽が見ている(かもしれないから)』(2014)は明らかに『I LOVE HER』(1993)の焼き直しだった。芦原妃名子の『piece』(2008)は作者自身が『砂時計』(2003)の再構成と柱スペースで語っていたしそれを読む前からなんか砂時計と似てるなと思っていた。
クリエイターが過去作品のセルフオマージュみたいな作品を描くのってどういう動機なんだろう。やり残し感?
そういえば幾原邦彦もピンドラの心残りはピンドラでやってほしいみたいなことを言われているのを読んだことがあるから別作品で心残りを昇華しようとしていたのか。
アイラブハーも太陽もシチュエーションは突拍子もない非現実的な三角関係もので、掲載誌のターゲット年齢層もあるだろうけどアイラブハーは軽めで青春ものらしい爽快感があるのに対して太陽は暗めだった。(主に女の子の心理描写が)丁寧で繊細になったと言えばそう。
漫画としては太陽の方が丁寧でクオリティが高いんだろうし実際ラストの方の日帆には泣けたけど、キャラクターが全体的にアイラブハーの方が愛おしいんだよな。花も艶香も高校生らしくて、特に主人公の花は本当に明るくて性格いい子だし。艶香はだるいメンヘラだけど単純でバカっぽくてかわいい。太陽の男の楡はいわゆるいくえみ男子だけど、ああいうのより単純に奥田民生を描くのが楽しいんです期のいくえみさんの男キャラがこっちまで楽しくなって好きだった。
いや、太陽の岬もいい子だし日帆も大好きなんだけど…太陽もみんないい子だけど暗くて難しいんだよな…岬はちょっと気難しくて怖いし…日帆は本格的だし…
異世界みたいな簡単な話は大好きだけど、ゆうてフレイバーは厳密に選ぶし、
悪役令嬢系の少女漫画は大っ嫌いだよ
関連増田:復讐系なろう小説が気持ち悪い理由がわかった (https://anond.hatelabo.jp/20191025153925#)
>単純に、「別の場所で自分が嫌だった構造の再構成を試みようとしている(ただし今度は自分がリストラする側)」からだ。
>虐待された子供は、自分が親になった時同じように自分の子供を虐待する恐れが高い。
コロンブスのアメリカ大陸500周年を記念した映画は1992年当時、すくなくとも2本公開されている。
1本は、元増田が書いてるリドリー・スコット監督の『1492 コロンブス』。(原題 “1492: Conquest of Paradise)”)
もう1本はジョン・グレン監督の『コロンブス』(原題 “Christopher Columbus: The Discovery”)。
ジョン・グレン監督というのは馴染みのない名前かもしれないが、1980年代から90年代の007シリーズを手掛けている人。
自分は見たのは前者(以下『1492』と略記)だけだが、後者(以下『コロンブス』)についてもいろいろ悪い意味で話題になってたよなあと思い出したので、wikipediaの英語版その他を手がかりに書いていく。正確性は必ずしも保証しない。
元増田は『1492』を“盛大にコケた”と評してたが、もっと目も当てられないコケ方というか、製作時点からトラブル続きだったのは後者の方。興行成績も『1492』のほうがよほどマシだったはず。
『コロンブス』は米・英・スペイン合作の、アメリカ大陸到達500周年記念大作として、スーパーマン・シリーズでも有名なサルキンド親子のプロデュースで動き出した企画だった。
実はリドスコ、こっちの監督としてオファーされていたのだが蹴ったあげく、ライバル作品である『1942』を監督を受けてしまう。
こっちのプロデューサーは当時は若手のフランス人で、脚本はその人の奥さんが書いてるのだが、たしか脚本に惚れ込んだとかいう話だった記憶が、うっすらあるような、ないような。
これが訴訟沙汰になってリドスコは訴えられてしまい『コロンブス』サイドによればリドスコ側が脚本のアイデアを盗んだとかなんとか。
脚本は似てないってことで損害賠償は認められなかったようだが、リドスコ版の原題が“Conquest of Paradise”となっていてコロンブスのコの字もないのは、そういう大人の事情が働いていたようだ。
『コロンブス』は大作にふさわしく、原案と脚本にマリオ・プーゾ(あのゴッド・ファーザーの)、キャストにはマーロン・ブランドも名を連ね、リドスコに蹴られた監督のオファーをまず受けたのは、イタリア出身のギリシャ人監督ジョージ・P・コスマトス。
っていわれても知らねえよってのが普通の反応だが、『カサンドラ・クロス』『ランボー怒りの脱出』『コブラ』等々の作品は知ってる人もそこそこいるか。
ところがこの人も、「創作上の相違」を理由に降板した上、製作サイドに訴訟を起こしており、あとを続くようにティモシー・ダルトン(4代目ジェームズ・ボンド)やイザベラ・ロッセリーニ(あのロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘)も降板。
マーロン・ブランド(異端審問官役だったらしい)はクレジットの削除を要求したらしい。
詳細は不明だが、勝手に推測するに、“とにかく500周年に合せてデッカイ映画を!”が先走って、いろいろグチャグチャだったことがうかがえる。
映画自体は観てないから内容は知らないが、あらすじをみる限り、こちらはあくまで“アメリカ大陸到達まで”を描く娯楽大作だったようだ。
『1492』の方も見るには見たのだが記憶は曖昧だ。元増田同様、長くてつまんなかったというのは良く覚えてるけど。
ネットでいくつか感想や評のようなものを見かけたが、わりと人によって違う印象で、これはつまり、ダラダラ長い割に焦点の定まらない映画だったということかも。
ネットの情報を参考にしつつ自分の記憶とあわせて再構成してみると、
みたいな感じか。
で、当時たしか“なんだかコロさんがどういう人なのかも、監督がなにを言いたいのかよく分からん”と思った記憶がある。
山師なのか夢見がちなロマンチストなのか。結局は儲けたくて航海やってんのか。
いやまあ色んな面を持ってるのが人間だよねーで納得できる感じでもなかったと思う。
で、最後になんか取ってつけたように“人生にはロマンが必要だよね”みたいなこと言い出して、いや、これそういう映画だったっけ?みたいな。
コロンブスがきたせいで南米大変なことになっちゃったねー、それまで楽園みたいだったのに、ってのはかろうじて伝わったが。
もしかしたら当時、コロンブス像の転換というのが行われている最中で、それを反映していろいろ多面的な捉え方をしようとした脚本だったのかもしれないが、それが作品には投影されてなかったのだろう。多分。
まあ配信もされないってことは、もう歴史の闇に葬り去られていく映画なんだろうけど、あの年にコロンブス映画が失敗したことで、その後のエンタメのテーマとしてはとりあげにくくなったのかなぁ?という気はするな。
結論 コロンブスは鬼門なので安意にエンタメで扱わないほうが良い。
え?違う?
ここ最近、試写を見ていて「心の底からこれは面白い!」と手放しで絶賛できる作品には、正直なところ巡り合えていませんでした。
そんな中、ようやく最初から最後まで「あ~面白かった」と思えたのが、2024年6月7日(金)から公開される「劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:」(劇場総集編の前編)です。
「アニメ映画あるある」の、おそらく“制作がギリギリ”だったのでしょうか。試写が始まったのは、公開週に入ってからでした。
本作は、基本的にはテレビアニメ版の再構成のようなので、すでにテレビアニメを見ている人にはどのくらいのインパクトがあるのかは分かりません。
ただ、私のような原作もテレビアニメも一切見ていない“一見さんの視点”からは「最初から最後まで、ひたすら面白い作品」でした!
制作がギリギリだとか関係なくて総集編の内容がバレたら誰も見に来ないくなるのを防ぎたかっただけなんじゃないかと勘ぐりたくもなる
さて、冒頭でも書いたように、ここのところの映画の作品力が、ややパワー不足な面は否めません。
そのため、本作のように、公開規模が130館程度と小さめなテレビアニメの総集編映画であっても週末動員ランキングの上位に来ることは無理ではなく、本作の場合は、ひょっとしたら1位にすらなり得るのかもしれないのです。