はてなキーワード: オタクとは
長年声優界隈でオタクやってて、好きな声優さんが出てるアニメ見たり、作品関係のイベント、ご本人のライブに行ったり、ラジオも出てる番組はできる限り追ってた。底辺だけどそれなりにファンをしていた。それが自分の生き甲斐だとも思っていた。
でもある日、突然の結婚報告。
凄く嬉しかった。声優として食ってくのは本当に血の滲む努力が必要だし、家庭を持って養えるだけの人になれたのだと感動した。これは紛れもない本音だ。
でも、心の中で「あぁ、この人もやる事やってんだな」って冷静に見てる自分も居た。
いい歳して性にあぐらをかいて自分に投資もせず、人並みに恋愛もせず、応援してるだけの自分は、今まで何やってたんだろうって急に虚しくなってしまった。応援してる声優さんのせいではない事は分かっている。ただ興味のベクトルを趣味に全振りし過ぎて、今まで居た自分の世界の狭さを感じてしまってどうしようもなく空虚感に襲われてしまった。
遅いかもしれないけど、ちょっと趣味と距離を置いてイベントとかライブとか関係なしに何処かへ遠出したり、近場でも会社の帰り道でもいいから一人でもフラッと寄れるお店を探して、ちょっとずつでもいいから趣味以外の所でコミュニティを広げようかと思った。上手く行くのかも分からないし、たくさん失敗するかもしれないし、3日くらいで諦めてまた懲りずに応援してるかもしれない。いつまで続くか分からないけど、とりあえず頑張ろうって思った。
マンガでもゲームでもラノベでも、人気が出てからアニメ化されるまでには数年のタイムラグがある。
まるで天体観測のように、アニオタはオタク業界のはるか昔の幻像を見ているのだ。
そして馬鹿らしいことに、アニオタは「アニメ化された時期」で作品を語りはじめる。
2014年に書かれた作品を2018年にアニメで観て「2018年ならではの作品だ」と評してしまう。
2015年に書かれた作品を2018年にアニメで観て「2017年の流行の後追い」と腐してしまう。
DQNではなかったが普通にリア充だけどオタクみたいなのわりとリア充なのにスクールカースト最下層扱いされてるの見たが
ひどかったのは、実際には彼女いるのに
いじめられっ子がいじめられる時にオタク趣味をダシにされただけだと思うがなあ。
その存否をアカデミックに語ってる人達って、何が言いたいんだ?
学生時代オタクだからって理由で壮絶ないじめを受け振り返って「オタク差別あったな」って思うのは当然じゃない?
普通にフィリピンハーフのカスにも挨拶がわりにボコボコに殴られてたがそいつが被差別者で保護対象なわけか
じゃあ差別なんて解消しなくていいですわ
どんどん差別していこう
努力を肯定して才能をさんざん否定しておいて最後には結局才能が全てと言い張り勝利する物語は許せる。
だがな、人様の生き方に対してまで同じ様な態度を取るのは許せんよなあ?